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ラカ トシュ理論 の数学的問題解決論への援 用

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(1)

数 学 教 育 研 究 ,第

9

号 ,上 越 教 育 大 学

,1994

,pp・23‑32

ラカ トシュ理論 の数学的問題解決論への援 用

1

1.は じめに

ラカ トシュの理論は、近年、数学教育の中に 取 り入れ られてきている。それは、「証明 と論 駁」法

(Lakatos,1976)

や、数学の擬似経験的

(quasiempirical)

性格の主張

(Lakatos,1978b

,

p.30)

に応 じた ものであ り、数学の授業への探 求 ・観察の導入 (

Chazan,1990)

、非形式的数学 へ の注 目

(Schmittau,1991)

、知識 の可謬性 と 知識の社会的構成への着 目

(Ernest,1991

) 、問 題 のオープ ン性 の重視

(Zimmermann,1991)

、 証 明 の社会 的側面 へ の着 目

(Balacheq,1991;

Hanna,1991

) 、そ して授業 にお ける議論 の重 視

(Ballet

a

l,1990)

等の形を とって いる。 ま た、可謬性 や社会 的構成 に基づ く数学の知識 に対す る見方を生徒 に獲得 させ ることを 目指 す考え もあ る

(Lampert,1990)0

確 か に

Lakatos(1976)

の記述 は対話 の形 を しているが、それは 「合理的に再構成 された 」 歴史を反映 した ものであ り

(p・5)

、そのように 合理的に再構成 された知識の成長 はポパ ーの 第三世界で生ず るもの とされている

(Lakatos

,

1978a,p.92)

。 したが って、その対話 の形式か

らす ぐに、社会 的相互作用や議論 の重要性 を 導 くことは難 しい。この対話は 、「 【 人間の]活 動か らの 自律性を もった

」(p・146)

数学の発展 を示す ものであ る

2。

また、

Musgrave(1989)

はラカ トシュー派を 演樺 的発見 とい うアイデ アで特 徴づ けたが 、

Lakatos(1976)

p・69

でデータの観察の後 に

Siglna

に 「混沌か ら秩序を ̀ 帰納す る'ことは で きな い」 と言 わせ て い る ことを考 え る と、

観察か らの単純 な帰納を ラカ トシュが考えて いたかは疑 問である。彼 が擬似経験 的 と云 う

布川 和彦

ときには、知識体 系の 中での真偽 の 「流れ 」 を考えて い る。即 ち、擬似経験 的 とは、ある 陳述が偽 であるとされ た ときには、その陳述 の元 にな っていた命題 も偽 とす ることであ り

(Lakatos,1978b,p・28)

、これは通常の意味での 経験的な理論 に も非経験 的な理論 に もな りう る ものであ る

(p・29)

。 したが って、数学の擬 似経験 的性格 とい うラカ トシュの主張か らす ぐに、探求 ・観察の導入 を帰結す ることも難 し い。

さらに 「思考実験」 につ いて も、例えばオ イ ラーの定理 に対す るコー シーの証明を 「思 考実験 」 と呼んでい る

(IJakatos,1978b,p.65)

ことか らす ると、いわ ゆる実験、観察 と同 じ に論ず ることはで きな い。

そこで本稿では、従来 の考え方 を一時棚上 げ し、 ラカ トシュの もう一つの重要なアイデ アと思われ る

(Worrall,1976

参照)「研究プ ロ グラム」の、数学 的問題解決論へ の援用を試 み る。 これ は、 ラカ トシュ理論 と数学教育学

との関わ りにつ いての再考 で もあ る。

2.

「証 明と論集 交」法 と研 究プ ログラム ラカ トシュの数学 に直接 関わ る仕事 とい う とやは り 「証明 と論駁」法であると思われ る。

そ こで、本稿 で援 用す る 「研究 プ ログラム 」 と 「証明 と論駁」法 との関連を見てお くこと にす る

Lakatos(1976)

は、ポパ ー (

1980)

の推測 と

反駁を数学 に も応用 し、数学の知識の合理 的

発展の様相を言 己述 しよ うと した試み と考え ら

れ る

(p.5)

。その基本 的なアイデアは、対話形

式で書かれた本文 よ りも、む しろ付録の中で

明確 に述べ られている

,(pp.127128)

。それは、

(2)

陳述についての反例が現れた ときに、陳述に 付随 してい る証明を分析す ることで、そこで 暗黙に仮定 されてい るものを別挟す る作業 と

も見え る3。

こうした 「証明 と論駁 」 法の捉え方は、ポ パー

(1980)

の推測 と論駁の過程 と対応がつき やすい。即 ち、ある時点での陳述 とそれに対 す る証明を一つのポパーの推測 と考え4、これ を反例等によ り検証 し、検証に耐え られなかっ た場合 は、それを考慮す ることでよ りよい推 測、あるいはその証明‑ と移行す るのである。

Lakatos

(

1976)

のタイ トル が、数学 にお ける

「推測 と論駁」ではな く、「証明 と論駁」であ ることに注意すれば

(Yuxin,1990)

、 ここで生 ず るのはあ くまで も 「 証明」と 「 論駁」の弁証 法である。 自然科学 において大胆な推測を提 出す ることが知識の成長の出発点 となるよ う に、数学において もと りあえず何 らかの証明 を出 してみることが知識の成長の出発 とな る と考え られ る

(Lakatos,1978b

,p・ 41) 。その過 程で証明分析を行 うことで

、proofgenerated concept

が生 まれ、知識 の成長が もた らされ

ることもある。

この際、内容の豊か さを保 ったままの証明 は、常に隠された可能性を含み、完結 しないこ とにな る

(Lakatos,1978b,pp・6169)

.つ ま り、

「 数学の証明は何を証明 しているのか

」(p・61)

とい う疑問が現れ、少な くとも、証明によ り 確実な真実が得 られないことになる。これが、

数学の可謬性 の実態であろ う し、 と同時 に、

「 証明と論駁」法が用い られ うる一つの前提で もあると考え られ る。

そのように捉え ると、一連の 「証明と論駁 」 の過程で現れ る陳述や改訂 され る証明の流れ を一つの理論の変遷 と見 ると、研究プ ログラ ムの理論 と対応づけることかできよう

実際、

Yuxin(1990)

、Lakatos(1976)

の数学的発見 の論理 と

、Lakatos(1978a)

の研究 プログラム との対応関係を兄 いだ し、数学的発見の論理 を、証明分析を肯定的発見法 とす る研究プ ロ

グラムとみな している

(p.396)

。このとき、モ ンスター排除は、二つ の研究 コ ミュニテ ィの 境 目が比較的明 らかにな ってい る状態 とすれ ば

(Bloor,1982)、Lakatos(1976)

の中で も、い くつかの研究 プ ログラムの競合が生 じていた と見 ることも出来 よ う。

以上のよ うに 「証明 と論駁」法 と研究 プ ロ グラムが関係づ け られ るとす ると、研究 プ ロ グラムの数学的問題解決論への援用を試み る ことは、「証明と論駁」法 と数学教育学 との関 わ りを考え ることに もつながると思われ る。

3.

問題場面の構造 と研究 プ ログラム 研究 プ ログラムについては、 ラカ トシュ自 身は数学の知識の文脈 では論 じていない。 し か し、彼が数学への適用を考えていたとす る 見解 もあ り

(Koetsi叫 1991,p.66)

、実際に数学 の研究 プ ログラムを構成 しようとす る研究 も 見 られ る

(Hallett,1979;Howson,1979)

。そこ でまず、研究 プログラムの議論を数学 に適用 す ることには、何 らかの可能性があると言え よ う。

しか し、 ラカ トシュのよ うな科学哲学の成 果を個人の話 に適用 してよいのか、 とい う疑 問が出て くる。 この点 につ いては、研究 プ ロ グラムはクー ン

(1971)

のパ ラダイムに比べ個 人 的な ものであ るとの見方 も あ る

(Giorello

,

1992,p・159)

。また

、Confrey(1990)

によれば、

子 どもの コ ンセプ シ ョンについての研究の一 つの源泉は、科学哲学における成果であ り、そ れ との類推 によ り子 どもの概念獲得が論 じら れ るのである。 こうした状況を考え ると、ラ カ トシュの理論を、個人的な問題解決の場に 適用す ることもあなが ち間違い とは言えない であろう。 さ らにラカ トシュが 「方法論」 と い う言葉で示す ものが

P61ya

の 「発見法」と 同義である

(1976,p・3)

な らば、それを個人的 な場 に適用す ること も可能 であ ろ う。実 際、

Lakatos(1976)

の例 も、一つ の証 明問題 の解 決過程 とも見れ る。

ただ し、ラカ トシュの議論には、数学の知識

24

(3)

の発展の不連続性 と同時 に、連続性 とい う面 も反映 されている (

YllXin,1990,p・384

)ので、

段階的な解決過程 よ りも、連続性を反映 した 解決過程 の方か適用 しやす い と考え られ る。

そ こで、問題場面の構造 の変化を視点 とす る 解決過程 と、研究プ ログラムの対応を考えて みる。

Lakatos(1978a)

によれば、研究 プ ログラム は、次の

2

つの要素を含んでいる;( i )堅い核;

(ii)

肯定的発見法

b

さらに、堅い核を守るため に補助仮説の防御帯がある

(pp・110‑111

) 。 こ のとき、単純な反証主義 と異な り、反例が示 さ れたか らと言 って、す ぐにその研究 プ ログラ ムを放棄す る必要はない 。例外を と りあえず そのままに してお くことも許 され る

(p・111)

0 研究プ ログラムにおいては、他のよ り豊かな プログラムによ り置き換え られるときに、当 該のプ ログラムは排除 され る

(p・112)

。つ ま り、後の豊か さによ り最初の核や発見法が排 除され ることにな り、 ここに疑似経験 的性格 を見 ることがで きる。

3.

1

.

問題解決における核

Lakatos(1978a)

によれば、研究 プ ログラム の核 はそのプ ログラムに携わる研究者 にとっ ての大前提であ り、反駁不可能な ものである

とされている。 この核を否定す るよ うな考え 方を避 けることが、研究 プ ログラムの否定 的 発見法を生みだ し、 また、一見す ると核の否 定を もた らすよ うな考えは、防御帯の 「補助 仮説

によ り防がれ る。例えば、ニ ュー トン のプログラムでは、力学の三法則 と重力法則 が この核 に含まれ る。初期の段階で仮 にこの 核 に対す る反証事例があ ったと して も、核を 放棄す る必要はな く、徐 々に反証事例を験証 事例に変えてい くこともあるとされ る

(p・48)

0

問題解決を考えた とき、その核 と して最初 に思いつ くのは、問題の内容を説明す る問題 文である。 しか し

、Nunokawa(1992)

に示 さ れてい るよ うな問題文解釈の多義性を考えて みると、単純に問題文を安定 した核 と して捉

え難い。 また特 に、問題場面の構造の変化 と して解決過程を捉えることは、問題場面 に対 す る理解の変化 と して解決を捉え ることであ る。 したがって、核 とみなされ るものは、変化 してい く問題場面の構造 の中で、中核 とな っ て保存 されてい くものでなければな らない。

そ う した ものの存在 は、Nu

n okawa

(

1992)

で事例 と して取 り上 げ られ てい る生徒

D

の 解決において示唆 され る。この生徒は、「電話 線の問題」( 三輪,

1990)

に対 して、様々な電話 線 の結び方の図をかいてお り、それぞれ に対 して異なる答えを与えている。その うちの二 つを図 1に示す。

二 1 9 本

図 1

・Nunokawa(1992,p・26)

図か らわかるよ うに、結局 は枝分かれのよ

うに線を結んでいる。つ ま り、「 枝分かれ した

線の先 にそれぞれの家がついている」 とい う

アイデアでは一貫 している。 このアイデアを

中心 と した問題場面の構造 が構成 されたとき

に、「い くつかの枝分かれ した線を辿 らねばな

らないので、1本の電話線 という問題の条件に

合わない」 と反論す ることは可能である。 し

か しそれに対 して、「 小 さい枝 の集 ま りであっ

て も、全体 と しては 1本である

と して再反

論す ることができる。 これは、中心的なアイ

デアを守 るために、問題文 中の 「1 本ずつの

電話線 」 とい う概念の解釈 の方‑批判を向け

たのであ り、その概念 についての補助仮説を

加えることで、 このアイデアを守 ることがで

きる可能性を示 している。さらに、「 枝の結節

(4)

部で混線 して しま う」 と して反論す ること も できるが、それ に対 して も、「 線 やデータに分 配 に関わ る工夫が してあ る」 と して、やは り 再反論が可能であ る。

布川

(1993a)

の示す例で は、 中心 的なアイ デアを守 るため に、問題文 中に与え られた条 件す ら、補助仮 説の 中‑ と移行 させ られてい る。解決者 は、「問題場面が平行線の関係を基 に してで きてい る 」 とい うアイデアを持 って いたが、途 中で、平行線 の関係を使 お うとす るとある三角形の面積が 1とい う問題文 中の 条件が崩れ て しま う状況 に直面 した。 この と き、否定 の矛先 は平行線 に基づ くアイデアの 方 には向け られず、問題文 中の条件の方‑ 向 け られ た。すなわ ち、与え られた条件を一 時 保留 し、平行線 に基づ くアイデアを優先 させ、

後で与え られた条件 を満 たす よ うに微調整 を す るとい う決定を してい る

(p・20)0

ここで も、平行線 を基 に した中心 的なアイ デアは、思考を進 め る中で問題文 中の条件 と 抵触す る場面 と出会っているに も関わ らず、放 棄 されていな い。 む しろ問題文 中の条件の側 に対 して、「 後 で微調整で復活で きる」とい っ た補助仮説が加え られてい るのであ る。

ここで見たよ うな、問題場面の構成 に当たっ ての中心 的なアイデアは、第一の事例のよ う に、それが標準的な もの と違 うに しろ、他 の 部分 ( 例えばある概念の解釈)を調節す ること で、反論か ら防御す ることが可能 であ る。 ま た第二の事例が示す よ うに、実際 に解決者 は、

そ うしたアイデアを守 るため に、問題文 中の 条件 さえ調節の対象 と して しま う。以上 の議 論か ら、解決者の構成す る問題場面の構造 に つ いて、あ る種の防御帯 で守 られ た中心 的な 核 が存在す ると、考え ることがで きる。

3.2.

問題解決 における肯定 的発見法

研究 プログ ラムにお ける肯定 的発見法 は、

長期間にわたる研究 の順序や方針を示す部分 とされ る。 その方針 に従 い、研究者 は 自分 な りのモデルを構築す るが、その際、実際のデー

タや反証事例を無視す ることも許 されてい る

(Lakatos,1978a,p・50)

.

ここで も

、3.

1

.

で考えた二つ の事例を まず 考えてみよ う。「電話線の問題」についての生 徒 D の場合 、い くつ もの線 の結 び方を考えて いたが、 この とき 「 枝分かれ した線 の先 に家 があ る」 とい うアイデアが あれ ば、枝分 かれ の仕方を様 々に変えてい くことで、多様 な結 び方を生み出 してい くことができる。また 「 枝 分 かれ」 とい うアイデアは、線 の本数の数え 方を も示唆す るで あろう

つ ま り

、3.

1

.

で考 え た中心 的アイデアを核 とす る問題場面の構 造 は、思考 の順序 や方針を持 っている。

また布川

(1993a)

の事例 にお ける解決者 の 場合 は、平行線 の関係 に基づ く、問題場面の 構造 の大局 的再構成 が生 じた とされ て い る。

つ ま り、問題場面の内的特徴 であ った平行線 の関係 を、逆 に問題場面 の構造 の構成 の基本 的アイデア と して位置づ けてい こ うと したの である。 その際 に、平行線 の関係 を問題場面 のできるだけ多 くの箇所‑ 当てはめてい こう とす る傾 向が示 されてい る。 これ は、平行線 の関係 を問題場面 にできるだけ広 く適用 して い くことが、問題場面を理解 してい くための 一つの方針を示 していた と解釈す ることがで きる。言 い替え るな らば、平行線 に基づ くア イデアを中心的な もの とす る問題場面の構造 は、思考 の順序 や方針を持 ってお り、その意 味で、肯定 的発見法を含む ものであ った と考 え られ る。

肯定的発見法 に従いモデルを構築 していき、

データや反 証事例を無視す ること も許 され る とい うことは、説明できない事柄があ って も、

と りあえず 予定 された手順 に従 い作業を進め ることを意味 しよ う

5。

しか も、こうした事例 は研究 プ ログラムによ り予期 されてい るとさ れ る。実 は こう した側面は、問題場面の先取 り的構造 ( N

unokawa,1993b)

に関わ って、数 学 的問題解決の場 において も生 じている

Nunokawa(1993b)

が事例 と してあげ る、円

‑26‑

(5)

の動点に関わ る問題 に対す る解決 においては、

解 決者 は、 ある交点 の軌跡が 円であ ることを 証明す るに当た り、交点 の ところにで きる角 を新たな要素 と して間腐場面の構造 に導入 し、

「問題場 面はスライ ドす る円周角か らできてい る」 とい うアイデアを持つ よ うにな る

この とき、 スライ ドしてい く角の大 きさを調べ る ために、 この角 と他 の角 との大 きさの関係 を 調べて い くことが、肯定的発見法 とな ってい く。 この作業の途 中で、動点

X,Y

と定点

A,

の位置 関係 が、 それ まで考 えていた場合 と逆 転 した ときにどうな るか、 とい うことが問題

と して生 じて きてい る。

最初 の うちは、 この新 しい場合 に も同 じア イデアを適用 しよ うと考 えているが、その ま まの形 での適用が不可能 であ ることが示 され て くる。この時点では、この新たな場合 は、そ れ以前 の 中心 的アイデアの反証事例の よ うに 見 え る。実際、 この解決者 は 「一般 的 にや ら ない と駄 目なのかな 」 と して、それ以前の成 果を全 て捨てかねないような発言を している。

しか し結局 は、解決者 は新 たな場合を考え直 す方 向へ と、移行 してい る。最後 は、新 たな 場合 に交点の ところにで きる角を前半 の場合 の角 に加 え ると常 に

1800

にな ることを示 し、

新 たな場合 の交点 の ところの角 も一定 の大 き さであ ると結論 してい る。

この過程 の中で、別の場合 があ ることは 自 然 に兄いだされてきてい るが、最初の うちは、

それが前半 の場合 と全 く同 じよ うに考 え られ ると、暗黙の うちに仮定 されている。つ ま り、

問題場面全体 が動点の位 置 によ らない均質 な もの と して仮定 されてお り、 その意味で単純 な形での先取 り的構造が構成 されていた。解 決の分析 の過程で、新 たな場合 は最初 、反証 事例 と して現れ るが、最後 には中心 的 アイデ アの枠組 みの中に位 置づ け られた とい う意味 で、験 証事例へ と転換 され た と言え よ う。単 純 な形 で先取 り的構造が構成 されていた とい うことは、複雑 な場合分 けや微妙な吟味か ら

解決者を一時的に救 うことにな り、 中心的ア イデアによ り示唆 され る肯定的発見法の実行 を促 した と考え られ る。

先取 り的構造に見 られ る嘆昧さは、数学者の 論理的根拠 についての唆味さを

Lakatos(1976)

が示す ことに成功 した とす る

、Agassi(1980)

の見解 とも合致す る。また新たな可能性を、自

らの枠組みへ取 り込む ことは

、Lakatos(1976)

のモ ンスター調整

(p・30)

を も思わせ る。つ ま

り、論理 的唆味 さ故 に現れ る新たな可能性が 一見反証事例であ るよ うに見えて も、 自分の 考えをす ぐに放棄す る必 要 はな く、適 当な処 置によ り同 じ事例を 自分 の考えの験証事例へ 転換す ることもで きる、 とい うことである。

以上 よ り、肯定 的発見法 とそれ に関わ る反 証事例 につ いて も、数学 的問題解決 における 活動 において、その対応物 を兄 いだす ことが 出来 た。

3.3.

問題解決 における 目標

Giuies(1992)

は、研究 プ ログラムの重要な 要素 と して、肯定 的発見法 と目標 を あげてい る。例えば フ レーゲ の研究 プ ログラムでは、

目標 は、算術が論理学 に帰着できることを示 す ことであ り、肯定 的発見法 は、算術の定理 を一般 的な論理規則 だけで証 明 してみること だ とされている。この例か らも分か るよ うに、

目標 は、研究 プ ログラムが肯定的発見法 に従 うことで達成 しよ うとす ることを指 している。

布川

(1993b)

の分析 は、布川

(1993a)

の示

した五角形の問題 に対す る解決 につ いて、 そ

の 目標を考え る際の ヒン トを与えている。 こ

の解決においては、上 で述べ たよ うに、平行

線 の関係 に基づ いて大局 的再構成 が生 じてい

た。 この とき、大局 的再構成が生 じなか った

と考え られ る解決 との比較 によ り、次のよ う

な特徴が兄 いだ され た。す なわ ち、大局 的再

構成か生 じた解決では、「問題文 に言及 されて

いない新たな要素の付加 によ り構造を変えて

い くことよ りも、む しろ字義的に構成 した問

題場面の構造 につ いて、 その要素 に新たな意

(6)

味づけを与えることで、大局 的再構成 が生 じ ていた

」(pp.325326)

0

この事例での肯定 的発見法 は、平行線の関 係 をで きるだけ広 く適用 してい くことであ っ た。 しか し、布川

(1993b)

の結果か ら分か る よ うに、新たに要素を加えて平行 関係 を作 り 出 してい くことは、 この肯定 的発見法 に従 っ た活動の中では 目指 されていなか ったのであ る。 ここで 目指 されていたのは、最初 に字義 的に構成 された問題場面 の構造 について、 そ れを平行線 の関係 を用いて、意味づ け しなお してい くことであ った。つ ま り、平行線 の関 係の適用 は、何 らかの 目指す方 向性を もって 行われていたと考 え ることができる

これ に よ り、研究 プ ログラムの一つの要素 と しての 目標 も、数学的問題解決の中に対応物を兄 い だす ことが出来 ると言えよ う。

3

. 4.問題場面の構造 と研究 プ ログラム 以上見 てきたよ うに、問題場面の構造 に基 づ く解決には、研究 プ ログ ラムの基本 的要素 の対応物を兄いだす ことができる。つま り、問 題場面に対 して、解決者 が 自分な りの構造を 与えなが ら、問題場面を 自分 にとって意味の あるものに してい くとい う過程 は、一つの小 さな研究プ ログラム ー 核 とな る考え、肯定的 発見法そ してそれに応 じた 目標を持 った‑ で あると言え よう。

4.

競合す る解決か らの選択

研究プログラムの考えに立つ と、前進的問題 移行を示す ものが成功であ り、退行的問題移行 を示す ものが失敗 とい うことになる

(Lakatos

,

1978a,pp33‑34)

。 したが って、問題場面 の構 造 とそれ に基づ く解決を研究 プ ログラムとの 類推で考え、い くつかの解決か ら 「よい」 も のを選ぶ とすれば、 その構造や解決 に関す る 前進 的問題移行を考えねばな らない。

ラカ トシュが経験 的方法 の必要性を論 じた

(Smart,1989)

の もこの レベルでの話であ った

(Lakatos,1978a,p.34)

。つ ま り、それは、ある 研究 プ ログラムが新 たな事実を生み出す手助

け とな るか に関わ る問題であ った。 ただ し数 学 においては、 この豊か さの問題 は、事象 の 予想 とその検証 とい う形態 だけではな く、新 たな問題 を提 出す るとい う形態で も起 こるこ とがで き、経験 的な確証 は必ず しも必要ない とされ る

(Howson,1979,p・263)

0

ここで、元の問題 に対す る問題場面の構造 や解決か ら生ず る産物 と して、少 な くと も以 下 のよ うな二つが考え られ る。

第‑ は、問題 の発展 的な扱 いの 中で生ず る 問題である。 これ に関 して、藤井

(1992)

の結 論 の一つ に注 目 したい。彼 は、元 の問題 のあ る特徴 を捉えてい るか どうか と、生徒 によ り 作成 され た問題 との関係を調べ、「原題の理解

と作 られ た問題 との間に関連があ ること」が 示 唆 され た と してい る

(p・78)

。 これは、 どの よ うな問題場面の構造 が構成 され たかが、問 題 を発展 的に作 る際に影響 してい る もの と解 釈できる。また、上述の生徒 Dが取 り組んだ

「電話線の問題」であれば、家の軒数を変え る ことで簡単 に新 たな問題 が得 られ る。 この と き、 これ ら新 たに作 られ る問題 に対 し、元の 問題の解決に基づ いて、「これ と同 じに考えれ ば大体 こん な感 じにな るはず 」 とその解決の 予測をす ることが 出来 よ う

その予測が どの 程度可能 か、 またそれが後 にな って どの程度 確 認 され るか、 とい うことが、前進 的問題移 行 の指標 と考え られ る。 これ に対 し、例えば

「 電話線の問題」で

20

軒の家を

2

軒ずつ

10

組 に分 け、 同 じ組の

2

軒 どう しのみを線 で結ん だ と考 えてみ る。 こう した問題場面の構造 に つ いて も、それが問題文 と矛盾 しないよ うな 解痕は可能である

(Nunokawa,1992,p.26)

。 し か し、家 の軒数 が奇数 にな った場合 には、家 の組分 けが難 しくな り、ア ド・ホ ックな仮定 を導入せ ざるを得 な くな ろ う

6

。 この点で、2 軒ずつ に分 ける問題場面 の構造 とそれ に基づ

く解決は、退行 的な様相を示す と考え られ る。

二番 目と しては、解決の 中で必要 とされ る 考 え 自身が、新 たな問題 と して現れ る場合 で

‑28‑

(7)

ある。例えば、三輪

(1990)

で報告 されている 中学校

1

年 の授業

(pp.134‑L62

)では、「電話 線 の 問題

を考 え る中で、新 たに初項 1 、公 差 1の等差数列 の和 を求め るとい う問題が生 じてい る。 これ は一つの前進 的問題移行 と考 え ることができ る。 この和が どの よ うな場合 に求め られ るかば、「電話線 の問題」に対 して

1+2+

‑ +

18+ 19

とす る解答 を、 どの程 度 まで拡張できるか に影響 を与え ると考え ら れ る。 しか し同 じ 「電話線 の問題 」 であ って も、

Nunokawa(1992)

で例 と して あげ られて いる生徒

B

のよ うな解決

(p・26)

の場合 は、い わ ゆる 「植木算

か 問題 と して現れ る。 この とき、生徒

Bの属す る小学校6

年 においては

「 植木算 」は簡単す ぎるとい うことになれば、

これは前進 的問題移行 とは見 なせないであろ う。その結果 と して、生徒 Bのよ うな問題場 面 の構造 やそれ に基づ く解決 は採用 されない 可能性が 出て くるのであ る。

この よ うに、研究 プ ログラムの議論を問題 解決 に応用 した場合 、い くつ かの問題場面の 構造 とそれ らに基づ く解決の選択 においては、

その構造や解決が新 たに生 み 出す ものを一つ の基準 とす ることが、 ラカ トシュ理 論か ら示 唆 され ることにな る。

5.

問題解 決の一つの社会的側面

Lakatos(1976)

の記述形式か ら社会的相互作 用の重要性 を結論す ることには問題 はあると して も、ラカ トシュの理論に もう少 し違 った形 で社会 的側面を認め よ うとす る考え方 は存在 す る。例えば

Bloor

(

1982)

、Lakatos(1976)

に見 られ る多様 な反駁‑ の反応の仕 方が、当 該の研究 コ ミュニテ ィの社会 的特性 に影響 さ れた もの と考えている

丁。

す なわ ち、反例‑の 許容度 は社会的要因によ り影響を受 けるので ある。また

、D、lnmOre

(

1992

)は、研究 プ ログ ラムの核 の部分 を、「コ ミュニ テ ィに よ り共 有 され た背景

」(p.224)

であ り、メタ数学的な もの と考えてい る。数学の内容 とは別 の この レベル の要素 には、

Kitcher(1984)

mathe

matical practice

を参照すれば、用い られる言 語、受 け入れ られ る問題 、受 け入れ られ る推 論、数学 に対す る見方が含 まれ る。 しか もそ れ らは歴史 的 ・社会的に変化 しうる ものであ ると

Kitcher(1984)

が考 えていた ことを想起 すれば、核 の部分 には社会 的要素が反映 され ると考え られ る。実 際、

Dunmore(1992)

は、

数学では この レベルで革命が起 こると述べて いる。つ ま り

、3.1

で述べ た もの も含め、核に は様 々な大前提が含 まれ、 その中には社会的 側面を反映 した もの もあ ることになる8。

では、 こうした意味での社会 的側面が、数 学的問題解決において も見 られ るか とい うこ

とにな る。

一つ の現れ方 と しては、問題 の理解の仕方 や答え方 に対 して、問題文 には与え られてい ない形 での制約 が存在 している点があげ られ る。問題文 だけの 自由な解釈によれば妥当と 思われ る問題の理解や考 え方が、正 しいと認 め られな い場合が ある。 この ときには、何 ら かの意味で 「 数学 的に 」 問題を解 くことが求 め られてい ると考 え られ る

(Nunokawa,1992;

Reusser,1988)

。 ま た

、DeCorte

VershaHel

(

1989)

によれば、類似 の文章題 で あ って も、

算数の問題 と して 出題 され るか、 日常的な文 脈 で出題 され るかで、子 ど もの答え方 に違い がある

つ ま り、数学を一緒 に学ぶ コ ミュニ テ ィの中で、問題 を 「数学 的に」解 くとい う ことにつ いての共有 され た (あ るいは共有 さ れ ることが期待 され る)理解があ り、それに よ って問題 の理解 や考 え方、 さ らには答え方 が影響を受 けてい るのであ る。

第二の現れ方は、解決者 自身が解決において

期待 される困難性を考慮 し、それによ り自分の

解決を制御す ることである

(Nunokawa,1993a)

0

期待 され る困難性が解 決 に影響を及ぼす こと

は実験的に も確かめ られている

(RellSSer,1988)

が、困難性 に関わ る情報が外的に示 されない

場合であ って も、 困難性 に応 じた制御が見 ら

れる。この場合、自分の置かれた 「 数学的」間

(8)

題解決の文脈 における、適度 な困難性 に対す る期待を感 じて解決を行 っていた と考えるこ とができる。

社会的側面は、解決の選択 において も見 ら れ る。選択における基準 は、論理 的に正 しい ことだけではない。N

unokawa(1992)

が示 し たよ うに、一般 に誤 りとされ る解決であ って

も、問題文中の概念の解釈によっては、その論 理的一貫性を確保で きるか らである。.もし第 4 節で述べ たよ うに選択の基準 と して解決が 新たに生み出す ものを考え ると、 どのような 問題が興味ある もの と して受容 され るかが重 要な要因となる。「 数学的に面 白い」問題を生 み出す問題場面の構造や解決が選ばれ ること にな る。先 に

Kitcher(1984)

が受容 され る問 題 も歴史的に変わ る もの と考 えていたことに 鑑みれば、 この選択 に も社会 的要因が関わ っ ていると言えよ う。

そもそ も研究プログラムの選択において も、

論の一貫性は選択の候補者 となる条件 と して 必要であろうが、それが選択 の最終 的な基準 ではな く(

Anapolitanos,1989)

、何 らかの社 会的価値観が影響せ ざるを得 ない。 これ は、

Anapolitanos(1989)

が 「証明 と論駁」法 に欠 けているとした、美的側面‑の注 目、研究の連 続性への噂好や、理論の持つ豊か さとい った 要因の入 る余地が与え られたとも考え られる。

反面、森

(1990)

が研究プログラムはポパ ーに は期待 に反す る不満な ものであ った と述べて いることや、ファイヤアーベ ン ト(

1981)

が研 究プ ログラムと自らのアナーキズムの近親性 を述べ ている

(p・264)

ことか ら伺われ るよ う に、研究 プ ログラムの議論では、合理性の側 面は弱め られていると言えよ う

9

。ラカ トシュ にクー ンの影響を考慮す る見方

(Yuxin,1990)

や競合す るプログラムの間に対話の構造かあ るとす る見方

(Koutougos,1989)

も、プログラ ムの選択 における社会的要因の影響を示唆す る もの と考え られ る。

研究 プ ログラムの選択 は、その核 や肯定的

発見法を与える大前提の選択であ り、したがっ て、 こうした大前提は社会的に選択 され るも のだとい うことになる。本節前半の議論か ら すれ ば、その大前提が社会 的な制約 と して、

今度は解決に影響を与えているのである。

6.

おわ りに

本稿では、数学的問題解決 とラカ トシュ理 論 との対応づけを、研究 プ ログラムの考えを 中心 に試みた。そ こか ら得 られたあ る種の問 題解決観 は次 のよ うな ものであ った;中心 的 なアイデアに基づいて可能な限 り問題場面の 意味づ けを進 めてい く;仮 に途 中で うま くい かない部分が多少 あって も、そのアイデアを 放棄す る必要はな く、 うま くいかない部分 は 後で考え ることに して も差 し支えない;そ し てそこか ら得 られ る発展 的な問題 な ども考え ることで、 自分の 「プ ログラム」の豊か さを ア ピールす る。

多様 な解決の無秩序 な状態を避 け るには、

豊か さによる選択が行 われねばな らない。 ラ カ トシュ自身は、 この選択があ くまで理性 に 基づいて行 われ うると考えたが、後の研究で はむ しろこの部分での社会的要因の影響が考 え られている。そ して、算数 ・数学の授業 に おいて我 々が用いるの もまた、「 数学的」とい う一つの社会的価値観である。他 の社会の価 値観が我 々にとって 自明の ものではないよ う に、( 学校)数学のコ ミュニテ ィにこれか ら入 ろうとす る生徒 にとっては、「数学的」とい う 価値観 も必ず しも自明の ものではない。 そ う した価値観 に支え られて問題解決の授業が行 われている可能性のあること も、 ラカ トシュ 理論およびその後継の研究 は示唆 しているの である。

註及び引用文献

1 .本研究は、文部省の平成5 年度科学研究費補助 金

(No・05780149)

により一部支援されている.

2.

実際

Confrey(1991)

は同じ箇所を引用 し、人間 の活動と数学を結び付けることについてのラカ ト シュの不徹底さを指摘 している。

‑30

参照

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