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ソーシャル・キャピタルと実践的倫理学

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Academic year: 2021

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(1)

ソーシャル・キャピタルと実践的倫理学

著者 吉田 寛

雑誌名 文化と哲学

24

ページ 55‑77

発行年 2007‑11‑01

出版者 静岡大学人文学部

URL http://doi.org/10.14945/00006783

(2)

で注目を浴びてい

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の検討を通じて百実践的な倫

の実際的な問題に

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されるようになってきた︒パトナムは百ソーシャル@キャピタルブームを巻き起こした有名な著作﹁哲学する

において︑次のように議論を起こす︒﹁民主的な政府がうまくいったり︑また失敗したりするのはなぜか︒﹂

0

年代に成立したタリア北部諸州と南部諸州の制度百ネット市民性などを社会学的に比較し

れた信頼や規範からなる互酬的なネットワl

︒パトナムは 3これらの制度や

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の成功度がいことを示した︒ほほ例外なく九社会的文脈が市民的であれば

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(6)

タルとして捉えようとするものがある︒また︑

ャル@キャピタル概念のであるとされる人間関係の

互酬性についても九その基盤を共感や徳といった利己的とはい動機に帰するものもあれば古市場であれ社会生

における共存@共栄のような利己的戦略に帰するものもある︒活においてであれ Eある程度長期的なピジヨ

ヤル@キャピ

ルにはさま︑ざまな理解@認識が存在するが︑どのような次元首どのような角

で捉えようと可制度や社会システムをうまく機能させるためには

パー相互の信頼関係や・直接的な利己性をもた

ばならないとい

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一九世紀にア

る市民的連帯を高く評価した百

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の近代にも有向じ

また可制度を支

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(8)

知を目指す以上︑その知の体系から︑信頼や規範など人間の内面に存しており︑制度や文書などの形で表現されてい ない百﹁不可視の﹂ファクターをできるだけ排除しようとしたことは理解できる︒こうして政治学や経済学は百いわ ば倫理学や哲学などの

の学問体系の外に追いやることで九理論的で体系的な政策科学としての体 社会に貢献できる実

的な学としての地位を築いてきた面がある︒

パトナムは自らのアプローチと対比しつつ可制度を抽象的な次一で見ょうとする近年の観点を批判している︒彼は︑

現代の制度論の代表として﹁新制度論﹂を取り上げ︑次のように特徴づける︒

のない

であった︒だが最近に至って︑﹁新制度論﹂

の時代より政治学にとって変わるこ

の下に制度研究は新た

に制度の問題に理論的に取り組むように

きた︒ゲームモデルが使われ王制度は﹁広範な形態のゲーム﹂とみなされ︑

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象徴百職務を強調してきた﹂︒

ちが無視して

自らが注目する点として強調する︒すなわち百の制度パブオ

よって創生され

︒同じ制度でも百どのような社会的文

というのが百パトナ

︒こ

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パトナムが自らの

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(10)

示することが実践的な倫理学にも求められているのである︒そこにはソ

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シャル@キャピタル論と共通する次のよう な認識がある︒すなわち︑﹁徳﹂や﹁規範﹂といった倫理的なものは百法や技術のようには社会的に輪郭のはっきり としたものとして捉え難いものであるが百これらのハード的ファクターと相まって社会を機能させる上で大きな役割

ファク

ーであるというものである︒

たとえば九高度に分化した専門領域における専門家による判断や行為について九法や制度などハード的なファクタ ーのみでは︑

の誠実性や社会的妥当性を確保することは非常に難しいと考えられてい

︒これにはつぎの事情があ

る︒すなわち専門的判断の内実については九の判断が専内的であればあるほど

できないと

︒したがって百

に通じてはい

よる判断や

行為の妥当性につい

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の技術や知識に長けていて技

術的に制限をかけること

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(12)

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Eその社会がより善いものとなるための本質的なファクター

ャル@キャピタル論が九理想的な制度やシステムといった一般的解の抽出を目指し

って解決し九状況を改善させ

ょうという態度から生まれ

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ょうとするのでは

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的問題であると見なしてもっぱらこれについて論じるのである︒

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され百さらには政策や経営に応用的

されていくとい

ベースとしている︒あるいは九倫

式が想定されているのである︒

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誌に集中することで百トやミ九あるい

の思想家の

ようになってしまっいうことがある︒九実際の

の外部で刊というよりもむしろ実際の

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に遂行

されるようになってしまっていたのである︒

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(14)

とには意味がある︒ただ︑それが専門的倫理学者によって︑実際に直面している問題とは切り離された形で百たとえ

ば文献学的問題を中心に議論されるなら︑教養として倫理学を学ぼうとする者だけでなく︑政治学者や経済学者︑政

策担当者らにとってさえ︑倫理学における議論をトレースすることは困難になってしまうだろう︒こうして︑原理を

志向する理論的倫理学は︑それ単独ではその成果を実践に生かす道を自ら断ち︑そもそも理論的倫理学の存在根拠で

あったはずの分業そのものが成立しない状況に迷い込んでしまうのである︒

応用倫理学は︑おそらくこのような反省から︑あくまで分業モデルの上で︑倫理学に実践性を回復しようとする試

みであると言える︒すなわち︑理論倫理学においては︑従来どおり一般的な倫理学原理に関する研究を続ける︒ただ

しその研究は︑その抽象性と文献学的煩瑛のゆえに実践家にはちんぷんかんぷんなので︑応用倫理学者が仲介的にや

ってきて︑理論倫理学の成果を実践家と協力しつつ実際的な場面に応用する︒たとえば︑脳死に対して社会的にどう

対処するべきかという問題について︑伝統的な倫理学において議論されてきた功利主義や義務論などの議論を︑生命

倫理学者が現場の声を聞きつつ実践的状況に適用して︑実践家である医療従事者らに対して処方議を与えるという具

合である︒このような原理←適用モデルをベ

i

スとして︑伝統的な倫理学の研究に従事してきた倫理学者の一部が現

場の知識を得ること百あるいは実践家の一部が伝統的な倫理学理論を学ぶことで百応用倫理学者となり実践的な倫理

学的思考を体現しうると考えられてきた︒

先に定義したいみでの応用倫理学は︑一般的原理原則を利用して個別的問題に向かう思考である︒理論的倫理学の︑

個別的問題を手がかりにして一般的原理原則を求めるという思考とは︑逆の方向を向いている︒だが︑両者には九

際社会における個別的問題と︑の外に個別的問題とは切り離して議論可能な一般的原理原則がある︑とい

(15)

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(16)

題に自ら直面する中で︑原則と個別的状況を切り離さずに︑その原理原則の利用やふるまいの次元をベi

スに可解決

を模索する道である︒これを E上述の原理を応用する応用倫理学とは底別し百内在的︑個別的視点にこだわる狭義の

実践的倫理学として理解したい︒すなわち百問題に対して外側から接近し問題を取りさばく思考ではなく百問題の側

から要請され問題解決の営みの中で倫理的解を探る実践的な倫理学的思考である︒

そこから社会文脈と切り離さずに制度を考えていく思考が九まちづくりなどの分野におけ

iシャル@キャピタル論に

︒もし実践的倫理学の伝統的な理論的倫理学の成果を現場に適

用し問題を倫理学的に取りさばくという応用的態度を取らずに可自ら個別的な問題に直面し九

おなじ目線で

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のではなく百よ

であろうとする倫理学的思考

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﹁活動する人間の能力百とくに協調して活動する能力が自己防衛や利益の追求のような目的に有益であることもた

しかである︒しかし九ここで問題になっているのは︑ただ単に活動を目的のための手段として用いることにすぎない︒

(中略)︒人びとは活動と一言論において︑自分がだれであるかを示し︑そのユニ

i

クな人格的アイディンティティを積

極的に明らかにし︑こうして人間世界にその姿を現わす︒﹂

また近年︑リベラリズムやリパタリアニズムに対して︑個人主義批判の観点から共同体主義が論障を張っている︒

ャル@キャピタル論と︑共同体主義の親近性は両者のトクヴィルへの高い評価にも明らかである︒ただ︑共同

や規範などの共同性によって ソーシャル@キャピタル論を超えた百より強い主張を支持しているのである︒

の社会がうまく機能するというのみならず百共同体における協力や信頼

︑共同性の評価に関して︑

といった相互承認の関係のなかではじめて︑人はアイデイ

という論点である︒

は価値を持つことができる の代表的論者のひとりであるC@テイラーは百人間的生の﹁善さ﹂を損なうものとし

一アィティを形成し︑入閣の

てのひとびとの﹁断片化﹂@﹁個人主義﹂

共同性や市民的義務

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制度を機能させる手段としてのみ評価する観点に対して百批判的な思考を残しておくことは︑

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i

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をたんに計量化可能な

れてしまう恐れがあるからである︒

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だけでなく︑その一面性についての批判を必ず伴うような︑

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ただし︑従来の倫理学のように一般的な原理や人間本性についての議論から︑ソーシャル@キャピタル論について 大上段に批判するのは実践的倫理学のスタンスではないだろう︒二節

i一一一節で論じたように︑あくまで個別的な問題

おなじ内在的場所に立ちつつ九複眼的で批判的な視点に

ソーシャル@キャピタル研究者や問題の

よって百﹁善き生﹂をめざして自らの解を提示しようとするのである︒それは︑一般的な原理に優先的に頼るという

アプローチを断たれている点で確かに函難な道ではあるが百原理原知を志向する理論的倫理学とは挟を分かち︑また

そこから借りてきた原理をトップiダウン式に個別的状況に応用しようとする応用的倫理学でもない百問題に密着し たス

ンスに立つ独自の実践的な倫理学的思考であると言えるだろう︒

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iシャル@キャピタル論﹂参照︒

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