マルクス『要綱』におけるアジア概念(I)
一アジアとは何か一
川 田 俊 昭
前日。
私事に亘るが,一つのエピソードを記そう。
最近,私の交際している一人が,軸(但し古画)の購入を思い立った。そして,その方のプロ
(画家)に見て貰うべく,私に相談にきた。私は反対したものである。曰く。今日時の(我国の)
画家は,その本来の目的たる一く美〉に仕えるというより,むしろ,保身一自分の仲間に,そ の先輩ボス(の画風利害)に仕えることを至上としている。彼等は芸人(乃至「画壇政治家」)
であっても,芸術家ではない。よって,そういった弊,差障りのない我々自身の正直自分の素直 な眼を信ずべきである,と。
しかし,そう言ったあと,考えてみるに,我々の経済学(科学)における場合も,さして,事情 に変りないことを思い知らされた。経済学学徒の一人として甚だ遺憾なことであるが,創造的思考 を欠いた一くきまり文句〉,悪しき模倣,追従(悪い意味での「学問の政治化」)が,我々の経 済学一般を支配している。就中,マルクス経済学(者)の場合は,殊更に甚しい。彼等「マルキス ト」は,〈真〉に仕えるのでなく,教条に,彼等の仲間(或はスポンサー)の利益に,仕えるので ある。(恰も,現今の坊主が,〈善〉に仕えるのではなく,カネに仕えるのと同様である。)
そうしたことを,その仁に話し,あげく,私は言ったものである。経済のことは経済学者に相談 してもダメだということになりますかネ,と。
本篇は,そういった意味では,自由な,アウド・ロウとしての私自身の立場,しかも,可能なう ちの或る特定の方向(ただ,真実を志向することを条件とするところの),に拠るもの(しかも,
試論)である。
り
「経済学の領域では,自由な科学的研究は,他のすべての領域におけると,同じ敵に出会うばか りではない。経済学の取扱う材料の独自な本性は,人心の最も烈しくて最も狭量で最も厭わしい 情念を,私的利害からの忽怒を,自由な科学的研究に対する戦場に呼び出す。」(K.マルクス『資 本論』,第一版序文)
「今や問題なのは,最早,この定理が正しいかあの定理が正しいかということではない……。私 心のない研究の代りに欲得つくの論難攻撃が現われ,とらわれない科学的研究の代りに心やましく 意図あしき論弁が現われる。」(同,第二版への践)
「全体的権威の要求に対する場合,常識が一つの答え,即ち服従を勧告する。そしてイデオロギ ーはこの常識の勧告するものを極まり文句に形式化する。」(K.A.ウィットフォーゲル『東洋 的専制主義』)
アジアとは何か。一見自明の如きこの間は,それが恰も, (文字通り)自明であるかの 様な錯覚を人々に抱かせるが故に,多くの(というより,大方の)誤解(乃至曲解)を 又,人々に齎しているのである。
そのζとは,同時に,この問題の学問的取扱い,就中ここでは,K.マルクスにおける その問題の扱いに,その折角の貴重さを人々(所謂「マルキスト」を含む)が真に自覚し ない(その実,評価し得ない)という皮肉さ,間抜けぶり(たとえば,マルキストにあっ て「アジア派」というのは,むしろ批難のための言葉であった)を,一般に露呈している のである。俗に謂う, 猫に小判 である。
アジアとは何か。(「地理的」な雨域という形で)地理(学)的にとれに答えることは,一 つの慣例である。(国名,地域名をズラリと並べる,というのが,最もありふれたやり方 である。)同様,更に,気象学的……入種学的,民族学的,言語学的……政治学的,法律 学的,社会学的……歴史学的……更には,美学的,哲学的,宗教学的……に答えることは
(しかも,時に,それらの学問以前の低い次元においてではあるが),夫々,一般的,通 常であり,又常識でさえある。
たしかに,人々が一般的,通俗的,・常識的一世間的に,それらの答えを用意している こと,それらが(と言うのは,常識的なもののツネとして,一つ一つの答え方が曖昧なミ ックスされた形で,普通,用意されているからであるが),決して誤りとは言えないこと は,少くともそれが学問以前の問題としては,許されるからである。
しかし,人々が,一たび,学問の,謂わば理性一認識の峻厳において,その問を祝せ られる時,その答えは,必ず,一つの原理として,まさしく一義的なものであらねばなら ぬ。そこでは,場合によっては幾つかの答えが可能なことさえもが,斯かる認識の規範に 制約されてこそ,可能なのである。
にも拘らず,アジアとは何か一というこの間が,社会科学ではあっても,経済学とい う一つの独立(相対的に自足,「自己完結」)した認識領域で問題にされる時に,そのスタ ートからして地理学的,或は人種学的,政治学的,宗教学的……等々であることを,人々 は如何様に理解すれば納得し得る(或は,人々を説得し得る一説得(力)あっての学問
(科学)である)のであるか。
否1 むしろ,そこにおいては,アジアとは何か一という問が発せられること自体,
所謂 アジア研究 において,むしろ極めて稀(か,皆無)なのである。事情は最悪と言 わねばならない。
む コ り リ ロ り リ コ り り
アジア(の本質)とは何か,という問がなくして,アジア研究が在る,というこの不思
議。謂わば,学問のアルファでありオメガである(筈の)こういつた問が,この領域に
は,完全に欠落しているのである。
仮に,地理学者が,他の地理学者(の努力)による認識を踏んまえて,その継続とし て,彼が自身の努力を前者に接穂するならば,これは必ずしも轡あられる筋合のものでは ない。勿論,この場合にも,彼には,前者の学習と,彼のそれが前者と如何なる点で関聯
(ズレ,共通)があるかの展開,所謂「批判」は不可欠である。学問(科学)は,斯かる 意味においても,まさしく,一義的な仕事なのである。
しかしながら,経済学者が,その認識のフィールドを異にする地理学者その他の成果 を,(自明として,何の脈絡なく)その端初から,しかも断りなく,侵すならば,それ
り り
は,まさしく,学問に非ざる一学問の崎形化以外の何ものでもない。
1. カントの謂う。
「諸学の限界が混清されるならば,それは学問の増大ではなくして,碕形化である。」
(『純粋理性批判』,第二版序言(天野訳))
カントは,当時の認識批判の学,所謂「論理学」の憂うべき事態について,
(それは,本稿の立場にとっても,極めて大事なことであるが)次のように述べ
ている。
「論理学……この学は,今日に至るまで些かも進歩を遂げ得ず,従って打見た ところ,それ自体として既に自己完了している観がある……。近代になって或る
人達は,或は種々な認識能力(想像力や理解力などという)を取扱った心理学的 な章,或は認識の起源なり,又対象の相違によって夫々異る確実性の種類の起源 なりを論じる形而上学的な章,或は又成見(その原因と成見を対治する方法)を
説いた人間学的な章などを論理学書の中に挿入して,この学を拡張しようと企て たが,しかしこのようなやり方は,論理学に特有な性質をよく弁えないところが ら生じた仕業である。諸学の境界を徒らに入り組ませるのは,学問の拡大ではな くて,むしろ,これを不具にすることになる。」(篠田訳)
世の アジア研究 が,単にジャーナリズムを動機としているならば,確かに,それ は,それ自体として,意義はある。が,代り,それは,評論ではあっても,決して,学問 ではない。
学問は,何より,透徹した理性(思惟)の作用,一つの概念(根本概念),一つの原理
り り り
(第一原理),一つの体系の組成を,究極において,求める。
「……すべて真に学問的なる思惟は,根底において体系的である。」(N.ハルトマソ)
「真理が存在する真の姿は,体系的思惟たり得るのみ。」(G.W. F.ヘーゲル)
それを欠いた研究とは,自ら如何に 研究 と称しようとも,学問とは無縁のものであ る。現今,殊更,アジア研究に,斯かる非(反)学問的アナーキズムの抜雇,跳梁の甚し
いものがある。
御大マルクスの折角のアジア概念が,如何にそれが学問的に有意義であり且つ如何に勝 れたものであるかの評価が,その縁者と自称する人々(所謂 ファン ,ファンたる資格
り の
には知的理解は必要でない一どころか,却って邪魔となる)によってさえ,なされてい ないことは,要するに,彼等がマルクス(ヨリ正確には,マルクスの知性,学問)と,所 詮,無縁の輩である証拠に他ならない。
G.ミュルダ・一ルの言う。
り の の り ロ リ
「マルクスは,勿論,現在,自らを『マルキスト』と称する者の混成集団の大部分の著 述家とは全く違ったレベルの経済学者であった。それどころか,彼等の不似合いな思想を マルクスと関係づけようとする極めて的外れの試みは,我々の一つの偉大なる古典に対す る侮辱と考えざるを得ない。」(『反主流の経済学』,第14章「マルクス及び『マルクス主 義』に関する簡単なノート」(傍点筆者))
アジアは概念(観念)である。 言うなれば,本来,アジアはアジアとしてアジアなので
の り り
はない。自然そのものに,アジアがあるわけではない。手取早く,地理(学)的に言ってさ えそうである。
たとえば,ある種の見解によれば,ヨーロッパー
「ヨーロッパ大陸は,アジアの一半島に過ぎない。」 (世界地図を,或は地球儀を,
全体として見たまえ。)
「が,自然的,人文的性格がアジアと異る〔と考えられる(筆者)〕ので,独立の大陸と して分離させている。」(蝋山芳郎「アジア」,平凡社『世界大百科事典』)
これは,蝋山氏の独自の(創造的)見解というわけではない一(我国の社会科 り の 学者の大抵の場合におけるが如く,余り名臣なことではないが)外国書に無断で
の典拠がある。
たとえば,R.ドーソン『ヨーロッパの中国文明観』(邦訳題名)によれば一 「ヨーロッパは単に『アジアの半島』……ヨーロッパではこのような比喩がよ
くなされている。 ……例えば,パラグラフ教授は「転換期の歴史」で,『ヨー ロッパーポール・ヴァレリーの呼び方で言えば一つの半島一の歴史は,孤立 したものとして考察することは出来ない』,と言う。ヤスパースも又,『ヨーロッ パはアジアの一半島に過ぎない』(「歴史の起源と目標」)と述べている……。」
「地理的な観点からは,欧亜大陸が何故に二つの別な大陸と看徹されるべきな のか,そう考えなければならないという理由は何もない。……実際,地理学者達
は,ヨーロッパとアジアとの境界をどこに引くべぎか正確に決めかねたのであ
る。」
その他,同書(本稿脱稿後発見の)には,本稿での主な諸命題に密接,密着し た取扱いが幾つかある。(省略。)
コ
(妙な言い方であるが)土一土地自体の問題としては,アジアの独立した存在が可能 なのではない。
古くは,
「地中海の東部に嘗て栄えたフェニキア人が,フェニキアより東の方を日の出の国アス Acu,西の方を日没の国エレブErebと呼んだのがもとである。」
ロ コ
アジアは,本来,アジアなのではない。 (この見解によれば一フェニキア人によっ て,「アジア」が初めて可能となったのである。)
近代,更に現代に至っては, し
「『アジア的』という言葉によって,ヨーロッパの進歩に対してアジアの停滞,反動を 対置させる傾向があった……が,このようなヨーロッパのアジア観に重大な訂正が起ろう としている。●……今までアジアはヨーロッパの勢力によって観念の上でその存在を否定さ れていたが,今やアジアは存在するとの明確な観念が形成される過程にあり,アジアはそ の存在を世界に向って力強く印象づけようとしている。」
アジアは,「『アジア的』という言葉によって」,乃至「アジア観」によって,アジアで あり得たのである。
しかも,そういったアジアは,「観念の上でその存在を否定されていた」。即ち,歴史 上,ある観念では,その存在が否定されるものが,アジアであったのである。
そして,今や,アジアは「明確な観念」として,「アジアは存在する」と,(それ自体 として,自ら)積極的に肯定されつつある,とする。いわば,それは,過去のアジアとは 異るアジアー所謂「アジア人によるアジア人のアジア」,これである。
換言すれば,(必ずしも適当な表現ではないが一)アジア(という存在,存在範躊)
は,それを問題とする意識(或は歴史意識)によって,又は,その意識を認識(認識範 瞬)に高める働き(無論,そこには認識の動機,認識目的が不可欠である)によって,ア
ジアたり得るのである。
「視点のないところに理念はなく,問のないところに答はない。」(ミュルダール)
象徴的に言えば,こうである一人間,社会……科学(学問)……技術,芸術……或は
り つ
法律,軍事,政治, (経済)など,天然自然に対立,独立するもの(の回る種の媒介を経
た刻印,時に歴史的な)によって,アジアは初めてアジアとなるのである,と。
再言しよう一アジアは決して自明な存在ではない!
の
極言すれば一アジアという存在は,あり得ないのである。アジアは,概念(観念
idea)として,アジアなのである。
社会現象(文化現象)の場合はともかく,自然一自然現象それ自体の問題と しては,別である,以上の結論とは異ってくる一と,言えるか,どうか。
実際,自然一自然学象一自然科学については,その客観性,実証性につ き,我々(社会科学者を含む)は,(その真実に無知なるの余り一社会現象には 椥つたか振り が通用するが)極めて寛容なのが,普通である。
しかし,ここにも,実は,如上の問題と無縁であり得ないところの,下手をす ると免れ難い,陥穽が横たわっているのである。
たとえば,気候をテーマとして見よう。
「雨が降り,日が照り,風が吹く。地球の大気圏が,太陽の放射と,それによ る循環現象をもって織りなすこれらの諸現象を,我々は気象或は天候と呼ぶ。そ して,これらの個々の現象の長期の繰返しによって,ある地方が平均的又は恒常 的にもつ大気の物理的状態を,我々は気候Climateと呼ぶ。だから,気候その ものは,概念的には,一応,無機的・地球物理学的事実と言うことが出来る。」
(川喜田二郎,講談社学術文庫「生態学入門』より) ・
では,我々は,気候(自然科学的事実)に関する限り,「無機的・地球物理 学的事実」一一つの現象(存在)として,更には概念として,全く即物的 sachlich,客観的に,把握し得るのであろうか。
否1 である。ここでも,我々は,(アジア概念におけると同様)事実そのも のに加うる(我々の側の)大きな恣意(性)を看過し難いこととなるのである。
(先の援用を続けよう。)たしかに一「気候そのものは,一応,無機的・地球 物理学的事実ということが出来る。……しかしながら,具体的に各地の気候を記 述し,或はそれによって地球上の気候を区分しようとする時,我々は必ずしも,
物理的現象としての一意性を主張することが出来ない。事実,発表された気候図 は,研究者によって全んど門違っている。それは,材料の不足のせいではない。
それは,気候が,現実においては,単なる物理現象としてではなく,斯様な現象 に,生物の一特に人間の立場からの評価が加わったものとして把握されるから である。多種多様な気候要素の中から,夫々の評価の立場に従って,いくつかの ものが選択的にとり出される。評価者の関心のアクセントの置き方の数だけ,気 候図が一通りも出来るわけである。気候の把握それ自身が,既にもう土地の評価 に足を踏みこんでいる。……最も有用な気候の概念をつくり出すことが,むしろ,
気候を把握する事実の方法である。」
我々の天気予報が適中せぬのは,(気象庁の弁明の如く)あながち,気象(そ
のもの)のデータの不足(一予算の不足)のみに帰せられない。問題はむしろ,
そのデータの処理の仕方(の拙さ)にこそ,周題があると言うべきであろう。
尚,「多種多様な気候要素の中から,夫々の評価の立場に従って,幾つかのも のが選択的にとり出される」一(この論理)に,我々は,理想型的方法め一つの サンフ。ルを見出すことが出来る。(「理想型Idealtyphus」,殊にアジア概念がそ の一つであることについては,次稿予定。)
更に,気候(地理的環境)が我々の経済(社会)にとって,決定的な役割を果 す場合が大抵であること(たとえば,天才者,W. S.ジェヴォンスの太陽黒点 説の如きを笑止とすることの,その実,笑止なること)については,今日の「生 態学Echology」のよく説明するところである。(この問題も,旧稿予定。)
アジアを経済的に把握すること一アジア概念を経済(学)的に捉えることが,我々の問 題である。
しかし,その解決は,必ずしも容易ではない。世俗の既に常識化した地理(学)的アプ ローチ(その他,経済(学)的なもの以外の要素,経済外的要因)は,これを極力避けね ばならぬ。経済(学)的な素材((純)経済的要因)でもって,その初発から始めねばなら
ぬ。
アジアを自明な常識としてでなく,科学批判という武装を備えた学問(「憂欝な学」た る経済学)の見地から,これを問うのである。
その答えも又,或意味で,非常識な 面白味のない結果として,甘受する他ない。
・ 。 おきて 馳 さだめ
それは,ただ,理性Vernunftの殿堂にのみ通用する律法,苛酷とも言える運命であ る。この殿堂の入口に掲げられる言葉は又,次の如きである。
まち とこしえ
我は悲しみの市への入口なり。われは永久なる悩みへの入口なり。われ は失われたる者等への入ロなり。
汝等ここに入らむもの,一切の望みをすてよ。
(ダンテ『神曲』,地嶽篇第三歌より(生田訳))
経済学において,人(人間)の概念が如何なる擬制を強いられているか一それは「経 済人homo oeconomicus」なる概念として,周知の如きである。経済学説史上, J.S.
ミルが方法論的に結構せしめたのが,まさしく,これであった。
しかし,経済人の概念は,経済学の概念とレては珍しく常識化し,普遍しているがたあ に,その学問的重要,肝心が没却せられていると共に,人がこれを語る時,敢て取立てて 異としないものとなっている。
従って,本来極めて自明な概念ながら,経済学上,それを概念として用いる時には,甚 だ難解な,理解に苦しむものの例を他に探そう。
至極適当な(例証の)一つとして一「国」概念がある。
所謂「国民経済学」においては国の概念は特に問題となることはないが,貿易論乃至国 際経済学(世界経済学)においては事情は異ってくる。即ち,貿易乃至国際経済の概念を 規定するにあたり,貿易乃至国際経済(における取弓1)が「国を越えて」行われるが故 に,何よりも先づ方法論上「国とは何か」を定める必要が,生ずるからである。
普通,国の概念は,文字通り自明なものとして,問題にされることはない。何故なら ば,常識において,国とは,国家,国土(一政府の下に統治せられる土地の大区劃(広辞
苑))として,政治的・法律的な国を,直接に指示するからである。従って,こと新しく,
経済(学)的に国の概念を思惟することは,非常な不自然,非常識を有することは,如何に しても,これを避け得ない。
たとえば,D.リカアドが,資本或は労働の移動の難易をもって,経済(学)的な「国」
を考慮せるが如きは,その一例である。
r経済学及び課税の原理』の一節において言う。
「経験の示すところによれば,資本がその所有者の直接統御の下に置かれていない場合 にあり,もしくはありと想像せられる不安固は,人のその出生の国,親戚朋友の国を去っ て,その固定の習性を以って身を他国の政府と新しき法律とに托することに対する自然の 嫌厭と相半って,資本の移住を阻害する。これら等の感情……は,大概の有産者をして,
その財産のために一層有利の用途を外国に求めるよりも,むしろ自国内における低率の利 潤を以って甘んぜしむるものである。」(小泉訳)
リカァドが,彼の労働価値説の適用を一国民経済(内)に限定し,他国間との原理に は,(別の)比較生産費説をもって,これを充てた所以であある。(もっとも,マルキス
ト(マルクスを経,リカアドの系をひく)は,斯かる妥協をしない。絶対生産費説,即ち労働 価値説をもって,全世界を一貫せんと,無理するのである。)
リカアドの比較生産費の原理を国際価値論へと発展させた一J.S.ミルの場合は,
経済的「国」の概念は更に異様なもの(常識的見地から言って)となる。何故ならば,彼 は距離の遠近をもって,概念の指標(メルクマル)となしたからである。距離の遠近(地 理的要因)が資本及び労働の移動を妨げる主なる原因と見たからである。
『経済学原理』に言う。
「遠距離の場の間,特に異った国の間にあっては,利潤は長く異り得る。何となれば,
人は通常極めて強い動機があるのでなければ,遠距離の場所へは自から移動もせず,又そ の資本を移動せしめ判こともないからである。」
斯様にして,たとえば,イギリス本土とインド間の物資の交流は,(従前,インドが独 立国となる前から)「貿易」と概念された。何故なら,そこにあっては,政治的な国とし
ては同一であっても,経済的な国としては異る一即ち異国,と考えられたからである。
反面,政治上,国を異にするとも,関税同盟その他の緊密,密接な経済関係によらて,
の
国内間の取引同様,自由に物資の移動が可能とされる場合には,経済的には,同一国と見 回された。
以上の如くあれ,ともあれ,我々は,リカァド,ミルに共通した一点を看過し得ないも のがある。それは,両者が,共に,政治的・法律的なものの介入なく,生産に関わる一
(純)経済的なもの一経済的因子(資本,労働)のみ(の如何)をもって,「国」の概 念を語っていることである。
そして,「経済人」が,とりわけ生産者一「生産者の一群」として,斯かる資本,労 働(生産)に参加し,一セットを形成する時,又々,別称のニュアンスの「国」概念一 J.E.ケアンズの「無競争集団non−competing groups」なるものが,改めて生ずる こととなるのである。 (説明省略。尚,このケアンズ解釈は筆者固有のものである一念 のため。この項,藤井:茂『経済発展と貿易政策』,参。)
ともあれ,以上の如き経済(学)的意味にのみ限定された国概念が,如何に,我々の常識 的な国概念と乖離した,むしろ現実離れしたものであるかについては,最早,贅言を要し ないであろう。
そして,丁度,恰も,国概念における如く,アジア概念についても又, (「アジア」,
「アジア的」という地理(学)的慣用語にも拘らず,我々の場合においては)経済(学)
り り リ コ
的因子のみを以って,(非常識に)概念が構成せられねばならぬ。
斯かる学問的要請の前に,我々は如何に対処するか。
アジアは,「アジア的生産様式」として在る一我々は,斯かる方向の,とりわけ傑出 した好例として(と言うより,最初のものとして),マルクスの「アジア的生産様式」を 見ることが出来る。
謂わば,マルクスは,「生産様式」という固有の基礎的範疇一「経済的範疇」によっ て,アジアを(文字通り,経済(学)的に)把握していることである。
生産様式,即ち自然と社会との媒介様式……マルクス『資本論』の所謂「労働過程の技 術的・社会的諸条件」……そして,労働過程一「労働はさしあたり,人問と自然との間 の一過程,即ち,それにおいて,人間が,人間と自然との物質代謝Stoffwechse1を,彼 自身の行為によって媒介し,規制し,統制する一工程である。」(物質代謝一生産力を軸と して,マルクスの経済体系が一貫して説明され得ることについては,別稿予定。)
もっとも,
生 産 力
技
術 自件 然づ にけ よら りれ 条る
)
生 産 様 式
労着到 働術会 過的的
二条の件
)
生 産 関 係 社 会
)
一に,経済を概念するマルクスにあっては,(アジア概念についても)(純)経済的な ものと,社会的(社会学的,経済社会学的)なものとの両者が,不可分離な形で内包され ている。そして,マルクスにとって,それが経済(経済学)そのもの,なのである。
たとえば,ある著者が一
「現代を現代たらしめているものは,何よりも先づその巨大な生産力にある。そして,
その生産力の性格にある。更に,そのような性格の,そのような巨大な生産力を生み出し た現代の生産様式とその性格にある。そして,更には,それによって生み出され,且つそ れを生み出し,発展せしめつつある現代の社会とその世界にある。……我々は全体として の今日のこの生産力そのものを,その性格を,その前提となり,それを生み出し,それを 発展せしめ,それによって自らを発展せしめている今日の生産様式を,その生産様式が支 配している社会を,そしてその世界を,総体として且つ批判的に把握し,それを媒介とし てのみ,人類史の今日の課題を知り,その方向を見定めることが出来るであろう。我々は そのための道を今日尚依然としてマルクスから学ぼうとしているのである。……今日の生 産力の問題は,干る意味において確かに資源問題である。環境汚染の問題も,それが資源 の汚損,濫費である限り一空気も水も資源である一,資源問題であり,人ロ問題も資 源との関聯において論ぜられる。……」(井汲卓一,『講座マルクス経済学』刊行の辞より)
と言う時(彼の表現は,必ずしもマルクス的正統,精確を踏んまえていないが),その 実,大分,経済そのものについて語っているのである。
次いで,我々は,更に,次の点を(丁寧,慎重に)確認しておく必要がある。(と言う
り
のは,人々は全んど,それを等閑にし,明確な認識を得ていないからである)。即ち,そ れは,マルクスが主著『資本論』で語っている経済(の世界)は,イコール,「資本主義的
(ブルジョア的)生産様式」,ということ,これである。
就中,彼の注目の的は先進国一イギリスであった。
同著第一版序文で,マルクスは述べている。
「私がこの著作で探究しなければならぬものは,資本主義的生産様式であり,それに相 応する生産諸関係及び交易諸関係である。その典型的な場所は今日までのところイギリ
スである。これが,私の理論的展開の主要説明に,何故イギリスを用いるかの理由であ
る。」
「……イギリスにおいては,変革過程は手で掴み得んばかりに明らかである。」
マルクスにとって,イギリスの場合,
「(資本主義的)過程が最も的確なる形態で,撹乱的影響によって沼濁されること最も少 く現われ……過程の純粋な進行が確保される条件の下(にある)。」
と考えられたからである。
後進国の場合は,どうか。
「産業的にヨリ発達せる国は,発達程度のヨリ低い国に対して,それ自身の未来の像を
示す。」
の り コ
「ドイツの読者がパリサイの徒的にイギリスの工業労働者や農業労働者の状態について 肩をすくめ,或はそれと同時に,楽観的にドイツでは事はまだ永い間そんなに悪化はしな いのだと言って自ら慰めているとすれば,私は彼にこう呼びかけなければならない。De te fabula narratur! (ここで報告しているのは君のことなのだよ1)と。」(傍点筆者)
『資本論』(1867)は,(私をして,言わしむれば)先ず,何より,ドイツの同 胞に警告するために書かれた一F.エンゲルスの『イギリスにおける労働者階 級の状態』(1845)のように。
両三は,その意図,目的において,極めて対照的であり,相似している一マ ルクスは理論,エンゲルスは調査・資料(事実)と,叙述の方法は異るが。
エンゲルスは(マルクス同様,但し社会政策的筆致で),二二初版への序文に,
書いている。
「プロレタリアの状態が古典的な形態で完全に存在しているのは,イギリス,
殊に本来のイングランドだけである。又同時に,必要な資料が,この対象をとに かく余すところなく叙述するのに必要なだけ完全に集められ,公けの調査によっ て確認されているのも,イングランドだけである。……わがドイツ人にとって は,何よりも先ず,この問題における事実の知識が必要である。そして,たとえ,
ドイツのプロレタリアの状態がイギリスのそれのように典型的な形にまで成熟し ていないとしても,それでも尚,我々は,基本的には同じ社会秩序をもっている のであって,この秩序は,遅かれ早かれ,北海の彼方で既に到達しているのと同 じ頂点まで,押し進められるに違いないのである一もしも,国民の識見が,全 社会組織に新しい基礎を与える方策を,時機を外さずに完成しないならば。イギ
リスで,プロレタリアートの貧困と抑圧を生じさせたのと同じ根本原因が,ドイ ツにも同じように存在し,長い間には同じ結果を生み出すに違いない。だが,さ
り の
しあたりは,この確認されたイギリスの貧困は,わがドイツの貧困をも確認する
契機を我々に提供し,又その貧困の範囲と,この方面からドイツの直接的な安寧 を脅かしている危険の規模一シュレージェンやベーメンの暴動となって表れて いる一とを測定出来る尺度を提供するであろう。」
言い換えれば,マルクスがここで問題にしているのは,「産業的にヨリ発達せる国」一
り む
イギリス,それを先進とするヨーロッパ大陸(西ヨーロッパ諸国一イギリスと「基本的
り り
には同じ社会秩序をもっている」)が主たる問題なのであり,ここでは,後進国一「発 達程度のヨリ低い国」と言えども,(現今の我々における後進国,所謂「アジア・アフリ
リ
カ諸国」と異り,当時の)ドイツ,フランスその他の大陸諸国を指しているのである。
従って,たとえば,
「資本主義的生産が我国〔ドイツー筆者〕で完全に根を下している所,例えば本来の 工場においては,状態はイギリスにおけるより遥かに悪い。と言うのは,対重となる工場 法が欠けているからである。」
とか,或は,
「ドイツや他の大陸西ヨーロッパの社会統計は,イギリスのそれに比較すると,貧弱で ある。それでも,それらの統計は,まさに,その背後にメドゥサの頭がかくされているの を感づかせる程度には,面紗をめくっている。」
といったマルクスの言葉が,続くのである。
「もし,わが〔ドイツの一筆者〕政府や議会が,イギリスにおけると同じように,経 済状態について定期的の調査委員を任命し,もしこれらの委員会が真実を閾明するために イギリスにおけると同一の絶対権限を賦与されているとすれば,更にもしこの目的のため に,イギリスの工場監督官達のように,『公衆衛生』に対するイギリスの医務報告者,女 工や幼年工の掠取や居住状態や栄養状態等々に対するイギリスの調査委員などのように,
専門知識をもち公平で容赦なき人々を得ることが出来るとすれば,我々は,我々自身の状 態を見て驚愕するであろう。ペルセウスは,怪物を追跡するために,魔帽を必要とした。
我々は,魔帽を深く眼や耳を蔽う程にかぶりでもしない以上,この魔物の存在を否認する わけにはいくまい。」
「イギリスにおいては,変革過程は手で掴み得んばかりに明らかである。それは,一定 の高さに達すると,大陸に衝撃となって帰って来るに相違ない。大陸では,労働者階級自 身の発達の程度に従って,ヨリ残虐な形態をとって動くこともあれば,ヨリ和やかな形態 で動くこともあるだろう。かくて,ヨリ高級な動機は別としても,現在支配的地位にある 階級に対して,彼等自身の利益が,労働者階級の発展を阻む一切の法的に撤去し得べき障 害の除去を命じている。そのために,私は,特にイギリスの工場立法の歴史と内容と結果 に対して,この巻の中で極めて詳細な叙述を挿入しておいた。一国民は他の国民から学ぶ べきものであるし,又学び得るものである。一社会が,その運動の自然法則を究知し得た
としても一そして,近代社会の経済的運動法則を閲明することが,この著作の最後の究 極目的である一,この社会は,自然の発達段階を飛び越えることも出来なければ,これ を法令で取り除くことも出来ない。しかしながら,社会はその生みの苦しみを短くし,緩 和することは出来る。」(ここの箇条は,マルクスの社会政策的立言(先のエンゲルスに似た)
が目立つ一マルクスにおける政策の可能。)
「私は,例えば,最近数週間に発表された青書r帝国海外派遣員通信,産業問題及び労 働組合について』の参照を乞う。イギリス国王の海外代表者達は,ここで露骨な言葉でこ う述べている。即ち,ドイツ,フランス,要するにヨーロッパ大陸の全文化諸国において 資本と労働の現存の諸関係の変転が,イギリスにおけると同じように切実となり,同じよ
うに不可避となっている,と。」
イギリスを除く「他の全大陸西ヨーロッパと同じように,我々〔ドイツー筆者〕を悩 ましているのは,単に資本主義的生産の発達ということだけではなく,その発達が欠如し ているということでもあるのである。近代的窮迫と共に一聯の前代から受け継いだ窮迫が 我々を圧迫している。……我々は生者に悩まされているだけでなく,死者によって悩まさ れているのである。Le lnout saisit工e vif!(死者が生者をとらえる!)」
従って又,
「問題は,資本主義的生産の自然法則から生ずる社会的敵対関係の発展程度の高いか低 いかということにあるのではない。問題として取扱うのは,これらの法則自体であり,鉄 の必然性をもって作用し且つ貫徹するこれらの傾向なのである。」
と,マルクスが書いた時,その「法則」乃至その適用は,ヨ・一ロッパ中心の,少くとも アジアを除外(消極,否定)しての考慮である,という但し書が,不可欠となる。
『資本論』(の世界)は,(現実の世界についての)唯一の尺度ではない。
マルクスの当時(というより,既にマルクス以前において),一つの思想(社会思想,…
…歴史哲学)があったこと,即ち一(既述せる如く)ヨーロッパの自由な進歩的社会に 対してアジアを「反動的」……「専制的」,「停滞的」と形容,区別する考え(今日風に言え
ば,「差別」一ヨーロッパからアジアを見た差別意識,偏見)が,啓蒙思想以来一般的で あった(マルクスの先達ヘーゲルも,そしてマルクス自身もそうであった)一そういっ た歴史的,思想史的背景を,我々は,ここで,改めて確認すべきで ある。
と わ
「東は東,西は西,東と西は永遠に逢うまじ。」
10.M.ガルシャンツは,中々の含蓄と的確(本稿の如上の立場とその叙述 の大抵において共通した一結局においては異るが)のもとに,次のように書い
ている。
「『アジア的生産様式』,『古代アジア的生産様式』という諸概念は,19世紀の 50年代の終り一60年代の初めにK.マルクスによってはじめて科学に導入され たものである。『地理的』な世界観となんら共通するものをもたない唯物論的社 会発展論の創始者が,『アジア的』という地理的用語によって人類社会の経済構 成体の一段階を特徴づけたのは何故であろうか。提起された問題に対して回答
し,マルクスのもとで問題全体がどのようにして発生して来たかを理解するため には,マルクスに先行したブルジョア的社会科学に立返ることが効果的である。
周知のように17−8世紀以前においては,『ヨーロッパ中心的な』世界観をもって いたヨーロッパ人が諸文明と接触した度合,その科学の水準及びその世界観自体 の何れから見ても,言葉の厳密な意味について世界史的綜合が試みられる根拠は 存在しなかった。共通の世界史的諸法則に従う社会発展の単一の問題が,『二分』
されて,『大陸的な』性格を帯びていた。歴史は,恰も根本的に対立する二つの 文明一先進的な西洋文明と,発展能力をもたない後進的な東洋文明(アジア 文明)一の衝突として描き出された。「アジア的』,『アジア的性格』という言葉 は,その時から,後進性,停滞,死絶,野蛮性,非常に苛酷な形態の人間的生活 様式の同義語になっていた〔現今においてすら,「東洋的専制主義」という語の 響かせる否定,野蛮と残酷とを思え(筆者)〕。……ヨーロッパの社会思想がやが てその影響を受けたヘーゲルは,社会発展に関するヨーロッパ中心的な見解を新 たに復活させたように見える。彼の(著書)「歴史哲学」においては,東洋対西 洋というその伝統的な対立を伴う世界の『二分化』の原則が,再び勝利を占めた のである。」(「アジア的生産様式について」,「歴史の諸問題』1966年第2号所収 一福富編,訳『アジア的生産様式論争の復活』より)
「近代社会の経済的運動法則を聞明することが,この著作の最後の究極目的である」,
とマルクスがr資本論』で言明した時,その分析の範囲は,「近代の西ヨーロッパの歴史 的運動」一汎ヨーロッパ(近代社会)のそれであった。
『資本論』におけるアジアの取扱いが「本源的蓄積」など,単にヨーロッパの経済進歩 のための,手段的扱いに終っていることも,又この著書の基本的性格を物語っている。
(マルクスは,今日のマルキストにおける程,饒舌ではなかったのである。)
たとえば,マルクスの草稿,「ヴェラ・ザスーリッチへの手紙」には,『資本 論』に言及,援用,その最初から,この点が,(疑問の余地がない程)明確に言 明されている。
「資本主義生産の創世紀を論じた際,その根底にr生産者と生産手段との根本 的な分離』(「資本論」,フランス版315頁第1段)がある,rだが,、この発展全体 の基礎は耕作者の収奮である。それが根本的な方法で行われたのは,まだイギリ スにおいてだけである。……しかし,西ヨーロッパの他のすべての国も,同一の 運動を経過している』,と私は言った。(前掲第2段) ……だから私は,この運動
コ の り り り む の り
のr歴史的宿命』を,はっきりと西ヨーロッパの諸国に限定したのである。で は,一体何故であろうか。どうか,第32章を対照願いたい。そこには,こう書い てある。r個人的で分散的な生産手段を社会的に集中された生産手段に転化する この掃蕩の運動,多くのものの僅かばかりの財産を二,三のものの巨大な財産に するこの掃蕩の運動,勤労人民のこの苦痛に満ちた,この恐るべき収奮,これこ
そ,資本の起源であり,それこそ,資本の創世紀なのである。……自分自身の労 働に基いた私有は,やがて他人の労働の搾取に,賃金制度に基いた資本主義的私 有にとってかわられるであろう。』(340頁第2段)……このようにして,要する
り り り り り り コ
に,私有の一形態から私有のもう一つ別の形態への転化があるわけである。(西 ヨーロッパ的運動)ロシヤ〔或はアジァー筆者〕の農民がしっかりにぎってい る土地は,未だかつて彼等の私有であったことはないのであるから,どうして,
この運動が当て嵌まり得るであろうか。」
もっとも,ことが,この著書(資本論)のためのノート(草稿),即ち『経済学批判要 綱』(所謂『要綱』),或は『ドイツ・イデオロギー』ともなると,事情は異ってくる。
それはいわば御膳立なるが故に,(歴史的)包括性に富み,且つ(理論的)諸前提をも含 め,言うなれば一切合財, (時に未完成の形で,大雑把に)取扱われることとなるからで
ある。
『要綱』の場合,「資本主義的生産に先行する諸形態」の一つ(換言すれば,「発展の多 様性」)として,アジアー「アジア的形態」が,そこでは,(それ自体を目的として)正 面から問題とされた所以である。
『資本論』(所謂「狭義の経済学」)は,『要綱』における斯かる作業を,明らかに意識 し,自明としてスタートしているのである一恰も,彼の唯物弁証法が「自然弁証法」を 自明(前提)としている(r経済学・哲学手稿』はその証明である)如く。その点,彼以 前のヨーロッパ中心主義の思想と異る,方法上の独自性をもつ。(もっとも,マルクスの アジアに対する否定的偏見は否めない一後出のK.A.ウィットフォーゲルについても 然り。ヨーロッパ人としての限界か。他の分野であるが一文学者H.ヘッセ,哲学者
:K.ヤスパースなどは,珍しく,その例外である。)
マルクスにとって,アジア的形態の研究はそれ自体が目的であるか或は手段的
なものであるか(という本稿のテーゼ)について,ガルシャンツ、は又,彼特有の
(本稿とは異った,しかしケース・バイ・ケースという点では本稿と同様な)回 答をなしている。
言う。
「……我々は,東洋はマルクスの研究においては副次的,部分的なテーマであ るに過ぎないという意見,つまり,彼の生涯の主要な目的は「資本論」であり,
地理的な問題に過ぎないアジア的生産様式問題はこじつけであるという意見にぶ つかるであろう。 〔反面一筆者〕実際には資本主義の法則の研究にその全生涯 を捧げたK.マルクスが,結局のところではアジアの社会経済的資料に注目し,
独自の生産様式を確認せざるを得なくなったのは,一体何故であろうか。……マ ルクス・エンゲルスによるアジア的形態の研究は,研究そのものが目的なのでは なかった。厳密に言えば,それは,社会発展の法則を明らかにし,資本主義への 歴史的な道と,この最後の敵対的構成体が次に根絶されていく道とを確めるとい う一般的な課題に従属している。〔他面〕しかし,それと共に,東洋的社会の研 究は,19世紀の50年代の初めから,マルクス・エンゲルスにとっては独自的な重 大性を帯びて来た。何故ならば,アジア民族の革命的高揚が,世界革命斗争の相 異なる奔流の相互関係という新しい問題を彼等の前に提起し,この相互関係が更 に又,相異なる社会経済的諸制度の相互作用を研究することを予定していたから である。」(いわば,ガルシャンツは,アジア的形態の独自性(r資本論』の論理とは 別の)を理論的に認めない立場(後出)から,かく,本稿と異る回答を導出するこ
ととなるのである。)
『要綱』,そこでは,資本主義的生産様式も,特殊な一時代(の発展段階)とされると共
り り コ の り の り コ
に,ヨーロッパとアジアとの共通,双方に通ずる公分母なるもの(それは経済的なもの,
乃至経済に関わるものに限られる)の攻究がなされる。
換言すれば,共通あってこその差異,なのである。(拙稿「先進国・後進国における共 通」(1),(2),「研究年報」第13集,第14集,参。そこでは,ウィットフォーゲルを 敷行し,共通(項)を(生産様式を通しての)地理的なものに求めた。「自然的条件……あら ゆる社会形態に共通せるもの……。」(ウィットフォーゲル))
「キリスト教徒だけではなく,世界のすべての人間が共適に基軸として認めることが出 来るような時代……。」(ヤスパース『歴史の起源と目標』)
共通を求めることば,分析をヨリ深く,客観的,基礎的なものに押し進ある。 (換言す れば,科学的考察(学問)を可能とする。)
ガルシャンツは,(ここでも,良き意味の含蓄一理解を込めて)言う。
「社会発展の単一且つ共通の規準を見付け出して,世界史の綜合的叙述の素描を与えよ
うとする試みを初めて企てたのは,フランスの唯物論者達であった。モンテスキューの貢 献は,特に著しかった。彼の時代の科学が利用することが出来た事実資料を引用しなが
む コ の つ
ら,モンテスキューは,すべての社会形態の発展の基礎に横たわっている若干の自然的並
り
びに社会的な共通的諸要因を発見した。又,彼は,地理的環境(気候,土壌,領土)に優 先権を与えることによって,東洋諸国の発展のテンポが比較的緩慢である原因を唯物論的 に説明しようと試みた。諸社会の総体を単一の諸規準に基いて研究することを妨げている ヨーロッパ中心的な歴史的伝統の基礎は,このようにして揺り動かされた。……或る時に は(中世では)伝説や宗教上の資料を論拠としており,帰る時には(ヘーゲルのもとで は)精神的原則から導き出されている世界史に関する地理的,大陸的な見解は,生産の領
り り り り む
域自体の中に社会的諸法則を求あたイギリスの政治経済学において克服され始めた。社会
研究の規準が別のもの(経済的なもの)に変ったために,アジアの資料に対する理論経済 学者達の接近方法も又変って来た。その結果,彼等は,(フランスの唯物論者達よりも)
ヨリー層深く問題の本質を洞察することが出来るようになった。K.マルクスは, R.ジ
り り り り り
ヨーンズを特別に評価して,『諸生産様式の歴史的区別に対する理解の諸要素』(マルクス
「剰余価値学説史」)を彼のもとに見出した。労作「富の分配並びに租税の源泉に関する,
試論」の中で,ジョーンズは,土地所有形態との関聯において前資本主義的諸関係を特徴 づけた。農民地代を第一次的地代として区別した上で・彼は・インド・ペルシア・トル
コ,並びに中国(元代の)においてこの地代が発展していることを示した。R。ジョーン ズの諸労作においては,後にK.マルクスがアジア的生産様式という仮設と関聯して関心 を抱いた多数の諸問題が定式化されている。即ち,土地所有形態,君主の権利から生じて
くる租税的地代,地理的環境の役割,専制主義,社会的諸構造の特質……。」(傍点筆者)
ウィットフォーゲル『東洋的専制主義』によれば,
「マrルクスのアジア的社会の概念は,主としてリチャード・ジョーンズRichard Jones及びJ.S.ミルなど古典学派経済学者の見解を基に打立てられたので あり,これら2人の学者は又,アダム・スミス及びジェームズ・ミルの一般的考 え方を発展させたものであった。……リチャード・ジョーンズがアジア的社会の 全貌を描き出した1831年には,マルクスはまだ13才の少年であった。……マルク スは,『東洋的専制』という定式化の他に,制度的秩序全体について」.S.ミ ルの用いた『東洋的社会』という呼び方や,(明らかにこの方を好んでいたが)
リチャード・ジョーンズの用いた『アジア的社会』という呼び方を採用した。マ ルクスは土地所有の『アジア的体制』とか,特定の『アジア的生産様式』とか,
む の る の り
もっと簡潔に『アジア的生産』とかを口にすることによって,アジア的社会の経
り る
済的側面に対する特別の関心を表明したのであった。」(傍点筆者)
尚,ガルシャンツの以上の援用を考慮する時,近代19世紀の歴史的事情がヨー ロッパの知識人に(原則上)二つの対照的な態度をとらせたことに気付く。
一つは,(如上の援用の限りでは)モンテスキュー一R.ジョーンズにおけ るそれ,即ちアジア的なものを,それ自体,一つの個性として評価する態度であ
る。
他の一つは,ヘーゲルに代表されるそれ,即ちアジア的なものの低評価或は無 視(換言すれば,ヨーロッパ的なものの時に極度の高評価)というべき態度であ
る。
ガルシャンツは,言うまでもなく,前者に沿った展開をなしている。
言う。
「……資本主義時代が到来するにつれて,事態は変化した。地理上の諸発見以 後に始まったヨーロッパの経済的諸聯関の成長,アジア,アフリカ,ラテン・ア メリカにおける多数の強奮によって,互いに相異った社会的諸構造が発見される ようになり,科学は社会構成全体を改めて注視せざるを得なくなった。この事情 は,種々様々な諸傾向のヨーロッパ思想が,その代表者達の政治的見解や方法論 的立場に応じて様々に解釈するところとなった。」
他方,後者の姿勢(を説明するもの)として,ウィットフォーゲル(前掲著,
同門には前者の視点からの説明もあるが)がある。
言う。
「19世紀の単線型論者は水力社会〔アジアー筆者〕を無視したが,それは,
彼等が官僚的専制政治の現実を回避したたあでなく,産業革命の驚異的な成果に 打たれたためであった。急激に変化する西方世界の経験を過度に一般化した彼等 は,素朴にも,人間社会の成長に,単純な,単線型の,そして前進的な一つのコ ースを仮定したのであった。……人聞は不可抗的に,或は自由に向って(ヘーゲ ル),或は普遍的調和(フーリエ),正しい合理的な社会 (コント),全体の幸福
(スペンサー)に向っていくもののように考えられた。」
この相異は,(ガルシャンツも暗示している如く)その当事者の歴史解釈(=
史観)の差異に基づくのである。
しかしながら,ガルシャンツは,折角,如上の様な良き理解を示し乍らも,
ロ り り り り り の
結果的には,アジア的生産様式を(アジア固有の法則性,個性としてでなく)
「人類社会の発展における普遍的段階の一つ」として考える弊(アジア的生産様 式一普遍的発展段階説,ウィットフォーゲルの所謂「単線型論者」)に陥ってい
る。彼も又,所詮,ありきたりの御用学者の一人に過ぎぬのであろうか。(もっ とも,我国に多い,組合の,或は,お役所の走拘,代弁者たるに過ぎない者より 一はるかにそのスケールは大きいであろうが。)