アジアとは何か(再説)
45
アジアとは何か(再説)
矢野暢(編著)『東南アジア学への招待』考
川 田 俊 昭
「研究目的」,「研究の概要」として,私は研究所に次の様に届け出ている。
「アジア その概念を捉えること,特にそのメルクマールMerkmalとして 何を問題とし答えとするかを方法論的に展開すること、を目的とする。前研究に 接穂すると共に,ヨリ一層の深化を期待するd
「前研究においてその序に達したテーマを,今回はマルクス『綱要』そのもの に即して,その問題の在所を探る。試行錯誤こそ,本研究の基本的姿勢である。
繰り返し,繰り返し,問題の核の周辺を低徊,探究する。新しいアジア概念(体 系)の創出こそ,彼方に期待される唯一のものであるd
いま暫し、低徊を許されよ。
前回の論稿「マルクス『要綱』におけるアジア概念(1)一アジアとは何か一」(「研究 年報」,1976年第18集)の執筆中,出版された興味ある著書の一つに,矢野暢(編著)『東 南アジア学への招待』(1977,日本放送出版協会 以下『東南アジア学』と略す)がある。
私の論稿は,その時既に清書の段階に入っていたため,同署への直接的言及は出来なかっ たものの,甚だ技籍を感じた。
先づ,同著は「東南アジア学」と,アジアの 学 を志向,標榜,且つ唱導せんとして いる。それは,或る意味で,途方もない野心というより他はない。
たとえば,私は自分の担当科目の一つ「経済政策」(或は「商業政策」)につい て「経済政策学」(「商業政策学」)と呼称しているが,それ自体,少くとも我国の 学界における慣例に従う限り,異例のことと言ってよい。経済政策の学問的取扱
い乃至そのあるべき姿として、即ち経済政策(論)に当為,願望を含意せしめて,
私は時にそう呼んでいるのである。従来の経済政策(論)の(方法論的)位置付 けに私の強い批判があることが,更にその主意として加わる。
事実,従来の大凡,俗流の経済政策(論),又はアジア(論)は,文字通り斯か るもの 一学科の一各論(=論)以上を期待し得ぬものであった。経済政策
(論),アジア(論),その何れもが等しく,固有の認識対象,認識方法一換言 すれば固有の体系,固有の概念をもたないところの単なる適用,応用application,
46
即ち,一応用問題 「応用科目」にしか過ぎない。
アジア(論)にせよ,単なる小細工一せいぜい一般論への若干の変数の追加,
変更であり,一場の茶番, お:茶にごし にしか過ぎぬのが実状であった。申し 訳程度の研究,学問的理性と学問的良心の放棄 従って,その途中のセリフはこ
うである,「我々は一寸した誤帰化しSchwindelを許容しよう」,と。
何れにせよ,たかがアジア(論)の如きを(『東南アジア学』の著者の如く)「ア ジア学」と呼ぶことには,この問題を非常な高みに引き上げんとする並々ならぬ 勇断と冒険心,そして,非常識を必要とすることなのである。
と同時に,斯かる野心は又,私の「アジアとは何か」という問に大きく含意せ られていることも,看過して欲しくない。私の目的とするところも又,単なる ジャーナリズム,評論ではないところの,アジアの学,アジアについての正面切 った学問的取扱い,なのであるから。
次に,譜面の著者(達)の構成は,主として「京都大学東南アジア研究センター」のメ ンバーに拠っている。それは,我国の場合,所謂「アジア経済研究所」に次ぐ第二のホー プともいうべく存在である。不肖,「長崎大学東南アジア研究所」の如きとは比較にならぬ
自信と自惚れに満ちた存在である。
嘗て私がシンガポールに旅行時,市内の某書店において余りに日本語に巧みな 現地人に会い、「どこで日本語を習ったのか」と尋ねたところ,その実,その仁 は,京大の東南アジア研究センターより現地に派出していた教官であった,とい う笑止なエピソードがある。貴殿がtoo Malaysianであるのでつい間違った……
云々,と述べたところ,お前さんこそそうではないかと,猛然たる反発を喰った。
換言すれば,それは,同研究所の自負あっての反駁と,その時,私は見た。『東南ア ジア学』は,そのメンバーの著である。噛み付くに,充分とまではいかぬまでも,
決して不足のない相手ではないか。(呵々) .
しかし,如上の理由の何れにも増して,同心に私が感興を覚えたのは,「序 東南アジ ア学への招待」(矢野暢担当,本稿における「著者」としての援用はその殆どが同氏のもの である,念のため)における次の書出しである。
「東南アジアとは何か。東南アジアとは何か,これは大変な黙認である。私がこの事を 考え始めてから早くも二十年近くになるけれども,まだ,よく解らない。確かに,東南ア ジアを一つの地理的な拡がりとして区切って見せるのは,誰にだって出来る。『東南アジ アには,アジア大陸のかなりの部分 ビルマ,タイ,マレー半島,カンボジア,ラオス,
そしてベトナムーと,二つの大きな島嗅群,インドネシア群島とフィリピン群島,が含
アジアとは何か(再説) 47 まれている。』(W・F・ウェルトヘイム)しかし,こう区切って見せただけではどうにもな らないのである。つまり,東南アジアは,このような単なる地理的区分の域を越えて,或 種の共通項乃至紐帯で結びつけられた一つの個性的な世界でなくてはならないからであ
る。問題は,東南アジアを東南アジアあらしめている,その個性乃至紐帯は何であるのか,
又その様なものがそもそも存在するのかどうか,意外なことだが,まだ誰も明確に答えて はいないd(傍点筆者)
同様,私も,この前の論稿において,次の様に書いている。
「アジアとは何か。一見自明の如きこの間は,それが恰も文字通り自明である かの様な錯覚を人々に抱かせるが故に,多くの(というより,大方の)誤解乃至 曲解を又人々に齎しているのである。・…・アジアとは何か。『地理的』な範域とい う形で,地理(学)的にこれに答えることは,一つの慣例である。国名,地域名を ズラリと並べるというのが,最もありふれたやり方である。……アジア(の本質)
とは何か,という問がなくして,アジア研究が在る,というこの不思議d
尚,同序には,前述の「東南アジア学」なる呼称の問題が,矢張,取扱われている。
「『東南アジア学』は成立ち得るか。私が,『東南アジア学』という、よく言えば斬新な,
悪く言えば奇抜な表現を敢て用いようとするのには,それなりの理由がある。…・・東南ア ジアという世界……それに直戴に迫るような体系的アプローチがあって欲しい,という念 願が前提にある。東南アジアという『歴史的なゲシュタルト』に迫る最も妥当な学的体 系,それに,差当って『東南アジア学』という表現を与えてみたいのである。しかし,そ れだけではない。もう一つには,東南アジアを対象とする知的な取組が,過去何年かの蓄 積の結果,『学』と呼ぶに相応しい水準にまで成熟したという確認をしたいということ
もある。……ある分野の学問が『学』として或水準の成熟を遂げたかどうかを確認するた めには,その分野に古典と言えるような勝れた業績が現れているかどうかが差当っての手 掛りになりはしないかと思う。私は,東南アジア研究の世界には,既に幾つかの古典が現 れていると判断している。たとえば1ジョルジュ・セデスの『インド化された国々』(1964)
や『インドシナ半島の人々』(1962)・・…・ハイネーゲルデルンの珠玉の名篇『東南アジアに おける国家と王制の観念』(1942)……ジョン・S・ファーニヴァルの『植民地政策論』
(1948)・・・… q」
私が「経済政策学」や「商業政策学」と言う時も,いわば一半そういった「学」
であって欲しいという,主観的な,或意味で私固有の手前勝手な願望があること は,否めない。それは,まさしく前述した通りである。と同時に,そう呼ぶに相 応しい体系を,更には「古典」を,客観的に確認することにも私自身決して吝か ではない。
48
当今,(ドイツを例外として)内外共に不人気学科の一つたる「商業政策Han−
delspohtik」について言えば 嘗て,私は論稿「商業政策学の系譜一体系,文 献及び方法一一」(「経営と経済」,第90号)に,矢張次の様に書いている。
「商業政策(学)……その体系……1900年より1930年代にかけて出版された
『商業政策』の体系的取扱い乃至名著と言わるべき決定的なものを三つ挙げるな らば J・グルンツェル『商業政策の体系』(1901),G・E・ブイスク『国際 商業政策』(1907),G・ハーバラー『国際貿易』(1933)……。而して,この間,
商業政策(学)の基礎は一応固まったと言ってよい。所謂,商業政策(学)の『古 典』であるd
アジア(論)についての私自身の苦心も,同様,その辺にある。
アジア(論)をアジア(学)となすためには,何よりも先づ「アジアとは何か」という 問,学問たる資格に必須不可欠な問,アルファにしてオメガたる性質の問一いわば ア ジア本質論 が問題とせられねばならぬ。
先づ第一に,アジアの概念 体系が,求められねばならぬ。
にも拘らず,一見自明なこの問が今日この分野には,完全に欠落しているというのが,
この前の論稿における私の第一の意見であった。「そこにおいては,アジアとは何か という問が記せられること自体,所謂『アジア研究』においてむしろ,極めて稀(か,皆無)
なのである。事情は最悪と言わねばならぬd
第二に,この分野に所謂「古典」が求められねばならぬ一と言うより,「アジアとは 何か」という問がなされることによって,「古典」がクローズ・アップされて来るわけで
ある。
しかも,それは,この前の論稿でも強調せる如く,通俗のアジアー般としてではない。
「アジアとは何か……地理(学)的にこれに答えることは,一つの慣例である。……気 象学的……人種学的,民族学的,言語学的……政治学的,法律学的,社会学的……歴史学 的……更には,美学的,哲学的,宗教学的……に答えることは(しかも,時に,それらの 学問以前の低い次元においてではあるが),夫々,一般的,通常であり,又常識でさえあ る。たしかに,人々が,一般的,通俗的,常識的 世間的に,それらの答を用意してい ること,それらが(と言うのは,常識的なもののツネとして,一つ一つの答え方が曖昧な ミックスされた形で,普通,用意されているからであるが),決して誤りとは言えないこと は,少くともそれが学問以前の問題としては,許されるからである。しかし,人々が一た び学問の,謂わば理性 認識の峻厳においてその間を発せられる時,その答は必ず一つ の原理 とじて,まさしく一義的なものであらねばならぬ。そこでは,場合によっては幾つか の答が可能なことさえもが,斯かる認識の規範に制約されてこそ,可能なのであるd
アジアとは何か(再説) 49 『東南アジア学』にも,同様,書かれている。
「東南アジアの内部にどのような法則が働いているかを学問的に探ること……
その場合,よくなされるような,東南アジアの歴史,地理,社会,文化,政治,
経済などと柱を立てて,いわば教科書的に迫るやり方は,意外に東南アジアの正 しい理解に繋がらないように思えてならない。つまり,そういう教科書的な迫り 方では,東南アジアを成立たせている本質的条件そのものに迫ることは出来ない のである。だから,大事なことは,東南アジアの本質に迫るための視座を正しく 設定することである。学問は,正しい方法論と正しい対象認識によってしか,自 己正当化出来ない,という当り前のことを,殊に『東南アジア』に取組む場合,
痛く噛みしめ続けなくてはならないのであるd 謡に曰く。
せきれい えん りりよう わだか
「その磧礫にならって玉淵を窺わざる者,焉んぞ二二の婚まれる所を知らんd
私の先の論稿は,更に続く。
「……世のワジア研究 が単にジャーナリズムを動機としているならば,確かにそれ はそれ自体として意義はある。が,代り,それは評論ではあっても,決して学問ではない。
学問は何より透徹した理性(思惟)の作用,一つの概念(根本概念),一つの原理(第一原 理),一つの体系(・・…一つの法則)の組成を,究極において求める。・…・それを欠いた研 究とは,自ら如何に黙研究 と称しようとも学問とは無縁のものである。現今,殊更,ア
ジア研究に,斯かる非(反)学問的アナーキズムの抜雇,跳梁の甚しいものがあるd
アジアは,アジア概念として,一義的,固有の方法論(たとえば,我々の場合,経済学 的狭義の)を担ったものとして,クローズ・アップされねばならぬ。その条件としては,
これ又,自明である(筈である)が一「古典」の筆者並の(乃至それを越える)努力,換 言すれば,我々における天文学的(絶望的)な知的努力 認識的努力が必須とされるので
ある。
それは,我々凡庸 大低の人の場合,不可能事であろうが。
学問の殿堂の入口に掲げられる言葉は又,マルクス『経済学批判』序言にも援:用された る,かの言葉である。
まち とこしえ
我は悲しみの市への入口なり。われは永久なる悩みへの入口なり。わ れは失われたる者等への入口なり。
汝等ここに入らむもの,一切の望みをすてよ。
(ダンテ『神曲』,地獄篇第三歌より)
50
「学問には坦々たる大道はない。そして,ただ,学問の急峻なる山路を墓じ登るのに疲労 困態を厭わない者だけが,その輝かしい絶頂を極める希望をもつd(マルクス『資本論』,
フランス語版への序言より)
その頂上でなくその麓に一人立って,既にして私は思う。「古典」としてのマルクスの 全体系はおろか,マルクスのアジア概念さえもが,その意義の端緒においてすら,何故に 人々に理解され得ないのであるかを。
ここでも,私の前の論稿に謂う。
「アジアとは何か。……この問題の学問的取扱い,就中ここでは,K・マルクスにおける その問題の扱いに,その折角の貴重さを人々(所謂『マルキスト』を含む)が真に自覚し ない(その実,評価し得ない)という皮肉さ,間抜けぶり(たとえば,マルキストにあっ て『アジア派』というのは,むしろ批難のための言葉であった),を一般に露呈している。
……苟蜒}ルクスの折角のアジア概念が,如何にそれが学問的に有意義であり且つ如何に 勝れたものであるかの評価が,その縁者と自称する人々(所謂 ファン ,ファンたる資 格には知的理解は必要でない一どころか,却って邪魔となる)によってさえなされてい
ないことは,要するに,彼等がマルクス(ヨリ正確には,マルクスの知性,学問)と,所 詮無縁の輩である証拠に他ならない。G・ミュルダールの言う。『マルクスは,勿論,現 在自らを「マルキスト」と称する者の混成集団の大部分の著述家とは全く違ったレベルの 経済学者であった。それどころか,彼等の不似合いな思想をマルクスと関係づけようとす る極めて的外れの試みは,我々の一つの偉大なる古典に対する侮辱と考えざるを得ない。』」
私は或論集に寄稿した際,「近世或は現代における,マルクス……マックス・ウェーバ ー,そしてウィットフォーゲルーといった系譜」という言葉を使ったことがある。〈寄 稿エッセイ〉「ウィットフォーゲルにおけるアジア的生産様式の問題一マルクス主義者 としての在り方一」,長崎大学東南アジア学生研究会「東南アジアの潮流」,第2集1976
年号)
マルクス,ウェーバー,そしてウィットフォーゲノトいわばこれち三者は,少ぐとも 私の頭の中では,アジア(東南アジアを含む)に関わる三つの 古典 を書いた人々,と いうことになっているのである。
同論集に,更に私は次の様に書いている。
「これらの人々,特にマルクスに象徴されているようなアジア概念の把握の仕方は,勿 論,当時の社会の人々のアジアに対するイメージを無視して行われたわけではない。しか しながら,そこにはイメージを超えた認識という働き,(簡単に言うと)アジアという概 念づけに不可欠なメルクマールMerkmal(「指標」,標識,特徴,アジアがアジアたる所似 の)の発見,導出,と、同時に,体系System(「秩序」,聯関……法則)付けが実行されてい ることになる。・…・勿論,この場合,現実としてのアジアが没却されているわけではない。
アジアとは何か(再説) 51 と言って,現実(事実,現象,経験)に引き摺られては概念は出来ないわけで,そこには 抽象という魔術が,時には無理(強制)を侵してまで作用しているわけである。……問題 は,彼(マルクス)がどの程度まで掘り下げているか,恣意的なものを必然的(論理的)な
ものに切り換えているか(言い換えると,『客観性』を保持し得ているか),ということで あるd
その点,『東南アジア学』の著者が,マルクスに,ウェーバーに,或はウィットフォー ゲルに,どのような言及を行っているかは,当然,私自身甚だ興味あるものであった。
斯かる私自身の期待に相応して,ズバリ,こう書いてある。
「東南アジアの歴史の発展を大枠として理解するための理論的な議論……例えば,水利 社会論から『東洋的専制社会』という概念に到達したウィットフォーゲルの理論,マック ス・ウェーバーの封建制及び家産制についての理論,そして,今更言うまでもないマルク スの唯物史観及びマルクス主義的なアジア的生産様式論など,ともすれば,人々が東南ア ジア社会の特質を掴むために駆使したくなるような魅力的な理論が幾つか存在する。確か に,東南アジアに迫るための入門的な議論の一環として,この手の議論は一応通過してお くのは常識であろうし,ウィットフォーゲルやマックス・ウェーバーなどを読んでおくの は,それは,それとして,決して無益なことではない。しかし,大事なことは,東南アジ アの発展を規律するロジックを,その様な在来りの理論で説明しようとするのは全く邪道 であって,東南アジア『自律史』を考えようという,折角の問題意識にも抵触することに なり兼ねない。私達は,東南アジアを規律している歴史の法則や社会の法則は,東南アジ アの現実の中から掴み出して来ることを考えないといけない。私の細やかな知的模索の結果 として言うならば,マルクスも,ウェーバーも,そしてウィットフォーゲルやアジア的生 産様式論さえも,実は,東南アジア社会を説明することは出来ないように思えてならな
い。その意味でも,東南アジアは独自の世界なのであるd
敢て,私が批評を試みるなら一先づ,この著者が何故アジアから東南アジアの袋小路 へと逃げ込もうとしているか,が解らない。東南アジアが,「中国でもなく,インドでも ない,その狭間(まざま)にある世界」,というこの著者の意見,著者の所謂「でもない世 界」,「はざま世界」論は,それ自体,傾聴すべき一つの見解である,というものの,私に は,今一つ釈然としないものがある。
周知の如く,マルクスを含めヨーロッパの諸学者にとって「アジア」と言う時,それは,
中国,インドを,直接には,問題としていた。それは,恰も,我々が「ヨーロッパ」と言 う時,イギリスを,フランスを,或はドイツを,所謂「西ヨーロッパ諸国」を,主として
(模範型,或は「理想型Idealtyphus」として),問題にするのに等しい。
しかし,それには当然それなりの理由 一面,自明の,他面,方法上の(と言うより,
学問における方法論上の)理由あってのことである。
『プルターク英雄伝』の筆者の言葉を借り,象徴的に言えばこうである一「丁度,画
52
家が性格の現われる顔や目付を捉えて肖像を描き,身体の他の部分を構わずに置くよう
に……q」
そういった意味では,今日「東南アジア」というのは,確かに,アジアの残余概念とさ 乏,呼ぶことが出来よう。
と言って,そのことは,アジア概念の中に東南アジアを包摂され得ないということを意 味しない。と同時に,下手に東南アジアに固執執着することは,その分析の(『東南ア ジア学』の著者の所謂「東南アジアへの視座」の)狭さとして,或は没論理,没体系(悪 しき意味の経験主義,相対主義,同著者の所謂「反知性主義的な認識」)として,惹いて は,御当人の学問者としての器量の小ささ,浅さとして,糾弾さるる可能性を有つ。
加えて,従来,東南アジアの概念が,アジア概念(私のこの前の論稿でも指摘した如く 一そこには当然ヨーロッパ人のヨーロッパ中心主義的な偏見,価値観がある一マルク
スもその例外でなかった)にも増して,一つの価値判断(殊に第二次大戦中,或はその前 後の政治的,軍事的意図を秘めての)の支配の下での特有の概念であったことが,看過出 来ない。
『東南アジア学』の著者も,次の様に指摘している。
「……ハリー・J・ベンダ教授のように,東南アジアが『運命共同体』になっ たのは,太平洋戦争が発生して,日本という単一の国家によって略全域が占領さ れ,3,4年支配されたという注目すべき事実の御蔭だ,という議論が出て来て
も少しも不思議ではないのである。……1943年8月に,ケベック会議で『東南ア ジア司令部』の設置が定められたのが,『東南アジア』が,政治的意味で公式に 用いられた最初の機会であった。この時以来,『東南アジア』という言葉は,『軍 事的表現』(ジャン・デルヴェール)になった。そして,第二次大戦後,アメリ
カがアジアの冷戦との関連で使いこなしたことから,軍事的,政治的表現という 性格は決定的になってしまったd
更に,(その主張自体,私も大いに賛成なのだが)著者の言う,「『東南アジア 学』の最大の努めの一つは,他ならぬ,この『東南アジア』という言葉に没価値 的な尊厳を新たに付与することなのであるd
東南アジアが如何に偏見を以て遇せられたかは,東南アジアの民衆を我々が子 供の折「南洋の土人」と呼んでいたこと,又今日でも,たとえば,美術品(骨董)
の類について「南方」という時きわめて評価が低いこと,などに徴しても,自ず から明らかであろう。
他方,私自身の見方からして,
非ず。
『東南アジア学』の著者に同情さるる点が,なきにしも
アジアとは何か(再説) 53
それは,マルクス,ウェーバー,ウィットフォーゲルの諸理論を,著者が「在来りの理 論」と称している点にある。
殊に,マルクスについては,このことが著しいであろう。何故ならば,(私の先の寄稿 の中の言葉を用いれば)「マルクスの書いたこと,言ったことは何でも鵜呑みにし,無暗 げすに有難がる部類の人」 「マルキスト」が,(所謂「下衆のかんぐり」よろしく)マルク
スの理論を「ひどくつまらないもの」,(『東南アジア学』の著者の言葉によれば)「在来り の理論」,にしていることは,私自身,否めない事実と見ているからである。
ウィットフォーゲル,更にはウェーバーについても,マルキストによる程度の低い,セ ンスに欠けた教条主義的批判が問題になる。
一体 「結論をもった時 それに執着,絶対化する時,学問は,少くとも研究は,
ストップしてしまう。信仰は生れようか。否,真の信仰はそうではない。聖書マタイ伝
しか しか いないな
『山上の垂訓』中の一節,『ただ然り然り,否々といえ,之に過ぐるは悪より出つるなり』
一は,(マルクスの『すべてを疑え』という言葉同様)学問,信仰に携わるもの共通の 心得というべきものであるd
而して,私自身 「私の結局の目標は,マルクスでもない,ウィットフォーゲルでも ない,私自身におけるアジア概念の獲得ということになるd
マルクス自身は……「私(マルクス)は無論,何か新しいことを学び,従って又,自分 で考えようと志す読者を想定しているd(『資本論』,第一版序文)
「認識はすべて経験から発生entspringenするわけではない司(カント『純粋理性批判』,
緒言より)
マルクスのアジア概念 は,一口に言って,彼の所謂「生産様式」に拠る。即ち,文 字通りめ意味での「アジア的生産様式」が,イコール,彼のアジア概念である。
マルクスの「生産様式」,従って又「アジア的生産様式」に,マルクス主義者中とりわ け著しい,特徴的な意義と役割を附与せしめたのが,ウィットフォーゲルの場合である。
ウィットフォーゲルは「経済史の自然的諸基礎」(1932年,邦訳『東洋的社会の理論』
所収)の第2章第2節「生産の様式なる概念の意義」において,冒頭,次の如く説く。
「『生産の仕方』,『物質的生産の仕方』,『物質的生活の生産の様式』と言われるところの ものの地位及び意義が,必ずしも正しく受取られていない,ということと,次の事とは関 聯がある。即ち,この概念を分析する際,及び事実,誤った技術主義的見解に対して論駁 する際に,正しい考えの中核が抹殺されたり それに対応して,具体的な歴史究明の 際,概念の軽視が行われたり(クノウ) ,もしくは,この概念(生産様式)の中では,
社会的側面が『優越的』であると主張する際,この概念は叙述の全体系において従属的な 地位に押しやられ,従って,生産力の概念との聯関及び生産関係なる概念との聯関が明瞭
54
でなくなったり(カウツキイ),或は又,それどころか,生産様式なる概念と,生産関係 なる概念とが簡単に混同されたりしている(最近,再び,タールハイム及びマンハイム)。
これらに対しては,生産の仕方と生産関係とは,絶対的に区別さるべき範疇であり(この ことは,両者が弁証法的な相互依存の関係にあることを妨げない),そして,生産の仕方 は決定的な契機bestimmende Momentであり,これから生産関係の態様と変化が導き出 される,ということが,指示さるべきであるd
生産様式,即ち自然と社会との媒介様式,マルクス『資本論』の所謂「労働過程の技術 的,社会的諸条件」一そして,労働過程一同様,マルクスの謂う,「労働は差当り,人 間と自然との間の一過程,即ち,それにおいて,人間が,人間と自然との物質代謝Stoff−
wechse1を彼自身の行為によって媒介し,規制し,統制する一過程であるd
生産様式,生産力,生産関係(マルクスの所謂「下部構造」)の三位一体の関聯は,誤 解なくば,簡単には,次の如く示されよう。
生 産 力註
曾術
自注
然づ にけよら りれ
包
生 産 様 式
三二社 話術会 過誤的 漏壷の件
)
生 産 関 係 社 会
)
註 労働力と生産手段(労働手段,労働対象)とのリレーション。所謂 近経 ,たと えばハロッドやロビンソンの場合でも,「技術」は,単的に,資本と労働とのリレ ーションで示されている。
従って又,ウィットフォーゲルは,引続き,次の如く言うのである。
「生産の様式は,一定の社会時代の具体的な総生産過程における,物的及び人的生産諸 力の統一体である。生産の仕方は,社会的に労働する人間が,その時々に自己の生活資料 を獲得する態様及び様式Art und Weiseである。勿論,人間は社会的に労働することに よってのみ,その生活資料を獲得し得るのである。しかし,人間の労働力の組織と性能と は,労働の『対象的機関』如何による。……労働組織は生産手段によって制約されるが,
その場合,人的側面の対象的側面へ及ぼす反対作用を看過せんとすることは,確かに誤謬 ではあろうが,しかし,技術主義的見地に対する(正当なる)防禦において,種々な生産 諸要素,技術的及び爾余の要素の,第一次的作用関係を強調することなく,単に,『これ ら(生産諸要素)は相互に制約し合い,影響し合う』というのみであったならば,それは 基本的な関係を抹殺するものなることに注意せねばならない。生産様式とは,『現実的生 産過程』,即ち,人間と自然との,その時々の『物質代謝』の本質的な要素の全体である
アジアとは何か(再説) 55 が,その際,ヘーゲル以下の人々によれば,その性質は,全く自然の機械的=化学的合法 特性なる外的条件により条件づけられたる側面たる,斯かる(生産)過程の物的側面を強 調する必要があるd
換言すれば,ウィットフォ∴ゲルは,生産関係より生産様式に 生産の社会的側面よ り自然的側面,即ち「社会的に労働する人間の自然に対する関係」に,ヨリ強調を置くの である。
「生産様式なる概念においては,社会的な契機が考慮の中に入れられる必要があるとは いえ,社会的に労働する人間の自然に対する関係が前景にある。(これに反し)生産関係 なる概念にあっては,屡々労働技術的な自然に向けられた側面が同時に考えられていると はいえ,事物の社会的側面が前景にある。前者の側面は制約する側面であり,後者は制約 された側面である。……歴史分析の体系における物質的生産の仕方なる概念の,全く中枢 的な地位は,これによって与えられている。常に先づ,社会的に労働する人間の自然に対 する関係が,次に始めて,人間相互の関係が問題となるd
社会(人間)と自然の「交互作用Wechseユwirkung」,及至その(存在論的)実体ともいう べく「物質代謝」(私の所謂「マルクスの基底には『生態学』がある」),そして,そのエ
ンジン(〈内的〉動力,機関)として見出したのが「生産様式」(同様,私の所謂.「社会,
経済の『有機体的』な観察がその底辺にある」) 少くとも,これら二つが,ウィット フォーゲルの場合,(むしろ,マルクス以上に)特徴的なのである。(この考え方のフレ ーム・ワークは,私の担当「経済学説史」の方法論でもある マルクスの『剰余価値学 説史』,シュムペーターの『経済分析の歴史』も,同様)
マルクスは『資本論』で言明した,「近代社会の経済的運動法則を間明することが,こ の著作の最後の究極目的である」,と。
しかしながら,ウィットフォーゲルによれば 経済における「自然契機」……「自然 的基礎nat廿rlichen Ursachen……斯かる基礎の分析なしには,又斯かる基礎の上に行われ る発展の,斯かる基礎からの説明なしには,産業の歴史的過程の合法則性は,科学的に閲 明され得ないこと,明らかであるd
しかも,ウィットフォーゲルの場合,斯かる考慮は,たとえば先進国たると後進国たる との区別を,問わない。
因みに,上の彼からの援用は,産業革命後のフランスについての考察を下敷にしての一 つの結論である。
「『19世紀後半におけるフランスの劣勢の第一の原因,即ち現在でも未だ存する自然的 原因……。』近代フランスの産業上の劣勢は,ルロア・ボーリューが露骨に述べた如く自 然的基礎をもっていたのであるd
加えて,彼の言う。
56 ・
「フランスの最近の社会的=政治的発展,即ち彪大なる農民層の存続,大部分小経営で 働きこれに相応してサンヂカリスト的,小市民的特徴をもつ労働者階級の存在,国内では 産業上の価値を発揮し得ぬところの資本に対する国外流出への強制,これに相応せるフラ
ンス帝国主義の機構一すべてこれらの甚だ重要な事実〔マルクスの所謂「上部構造」〕
は,国の産業発展の構成法則が正しく認識される時,即ち合法則的に跡付けられる時にの み,初めてその究明の科学的説明を得ることとなるのである。……我々の採る社会科学体 系においては,筍も歴史究明に関する限り,自然諸契機は排除し難き確固たる地位を占め ているd
では,如上のウィットフォーゲル(の構造的把握)に相応すべく,『東南アジア学』の 著者は,如何なる考慮をなしているか。
同著者は,「東南アジア学の理論構成」として,東南アジア学の課題を,「東南アジアの 内部にどのような法則が働いているのかを学問的に探ることである」,としている。
「運動法則」(マルクス)……「合法則性」(ウィットフォーゲル)…… ……「法則」(『東 南アジア学』)。
初めの,その言はよし。問題は,次である。
引続き,同著者は言う。
「そこで,取敢ず,『東南アジア学』の当面の課題として,五つの項目よりなる一つの 視座の体系を示唆しておく……先づ,第一のテーマ……それは,東南アジアの自然環境と それに対する人々の適応のやり方とを体系的に学ぶことである。……第二のテーマは,歴 史を描くことである。歴史と言っても王朝史とか国家史のことではなく,いわば,様々な 人的,物的,そして精神的要素がこの地域に流れ込み,そしてやがて定着していった,そ の過程を脈絡づける作業のことである。……第三の課題は,はざま世界として東南ア ジアを学ぶことである。東南アジアは,中国文明圏とインド文明圏とに狭まれた一つのは ざま地域である。そのことによって,ここに民族移動の流れの結果として定着した諸民族 は,本来の固有文化をもちながら,絶えず,外部からの文化的影響を受けることにもなっ た。……中でも『インド化』の研究は,東南アジアの本質の理解にとって不可欠である。
何故なら,東南アジアの略全域が,『インド化』を通じて,宗教だけでなく,諸制度,行 政機構のパターン,そして権力思想などを受容したからである。……第四のテーマとして は,東南アジアに働く統合力の問題がある。……統合力の問題は,当然,国家構造の問題 にも繋がっていく……。最後に,第五番目の課題として,東南アジアにとって,『近代』
とはどういう意味をもつのか,を考えてみなくてはならない。……差当って,『近代』は,
植民地支配という歴史的な屈辱を意味し,その反面で,西欧先進文明の導入を意味しもし た。……植民地支配の問題西欧化の問題伝統破壊の問題そしてナショナリズムの問 題など,この地域の『近代』にまつわる歴史学的,或は思想史的課題が沢山存在するd
アジアとは何か(再説) 57 斯かる『東南アジア学』の著者の「東南アジア学」の結構(それは同時に,同書全体の 構成,篇別の理由となっている)を批評することは,意外に容易である。以下,本稿の立 場より,ごく簡単に,試みることとする。
先づ,何より,「東南アジア学の理論構成」の,文字通り「構成」(「五つの項目」の構 成 その必然性)が,不可解である。換言すれば,「一つの視座の体系」と主張すべく
「体系」が,更にはその原理が,不明確である。少くとも,『東南アジア学』には,その説 明がない。
些か事大主義的な言及であるが それは恰も,ドイツ新歴史学派の泰斗,W・ゾムバ ルト(ウェーバーと相並ぶ)が『近代資本主義』を発刊した折,方法論がないと批判さ れ,方法論書『三つの経済学一経済の学問の歴史と体系 』を書いたと同様のケース が,ここに考えられる。
『東南アジア学』のこういうやり方では,(何より,著者自身が)「東南アジアを成り立 たせている本質的条件そのものに迫ることは出来ないのであるd(所謂「教科書的に迫る やり方」への著者の評)
著者の言葉を再び援用しよう。
「肝心なことは,矢張,東南アジアの内部にどのような法則が働いているかを学問的に 探ることである。……大事なことは,東南アジアの本質に迫るための視座を正しく設定す ることである。学問は,正しい方法論と正しい対象認識によってしか,自己正当化出来な い,という当り前のことを,殊に『東南アジア学』に取組む場合,痛く噛みしめ続けなく てはならないのであるd
もっとも,野州には,「アプローチの方法」として,次のような著者の発言(討議のま とめ)がある。
「東南アジア研究の場合に二つのアプローチがある・…一つは,……歴史と生態学を結 びつけていく,つまり全ては自然環境に対する或種の適応のパターン,そのヴァリエー ションだという一種の環境決定論的な行き方・・…もう一つは,今度は逆に,……東南アジ アの人の心情構造なり,価値構造の中から一つの世界を描き上げていく……d
同様,嘗て(19年前),私は書いたことがある。
「ある巧妙な言廻し方によれば 経済現象(社会現象,文化現象)が自然と 社会(人間)との交互作用によって生起するものである以上,……経済における 社会的,文化的(精神的)契機 人聞の社会的,経済的行為の動機及至志向的 意志……(それは我々の社会生活,経済生活に,我々人間が行為上自覚する……
『文化価値』を前提する) ……を『説明契機Erklarungsmoment』と・して……
しかも相対的に(所謂『社会学者』からその著『近代資本主義』における風土派 的態度を難詰されたが故にこそ却って偉大なゾムバルト!)一重んずる社会学
58
的,主観主義的構造理論の他に,経済現象の自然的,地理的契機……に特別の意 義を与える(経済)地理学的,客観主義的構造理論も又可能である。……『人が
「民族性」と呼ぶ精神的及び生理的習慣(にせよ),その支配する土地,その生 活する場所の気候,簡単には地理的環境に大小の差はあれ,しかし如何なる場合 にも著しい程度において依存する。……更に地理的環境に対する人間の側からの 影響も一定の限界内では可能であるから,環境は民族を作り,民族は又その環境 を作る,という様に環境と人間の性質との交互作用Wechselwirkungを云々する ことも出来る』(註シュムペーター『理論経済学の本質と主要内容』)……『マルクスは こう要求する,「一切の歴史叙述は……自然的諸基礎,しかもこの自然的基礎の 上に,人間の活動が歴史過程において如何にそれを変更するか,ということから 出発しなければならぬd』(註ウィットフォーゲル『支那の経済と社会』序説)……d
(神戸大学大学院雑誌「六甲台論集」,昭和35年4月)
私をして言わしむれば,『東南アジア学』の著者のいう前者は,ウィットフォーゲル,
後者は,ゾムバルト(乃至ウェーバー)が,夫々代表することとなる。
ウィットフォーゲルとゾムバルト(ウェーバー)一 ウィットフォーゲルは,ゾムバルトを批判して言う。
「我々の歴史分析は,ゾムバルト(註『三つの経済学』)が,最近要求しているが如き,
意志自由なる仮定からは出発しない。意志自由は一つの神学的要請である。社会の科学的 把握は,斯かる前提によっては不可能である。社会的に生産する人々の意志方向Willens−
richtung並びに活動は,最も一般的には人間の生理的性状physische Beschaffenheit 他のすべての動物とは反対に によって制約されるのであるが,特に斯かる彼の客 観的基底により しかも,その時々に到達した発展段階によって,その度毎に変化せし められた仕方で 制約されるのである。」
しかしながら,何れにせよ,科学Wissenschaftの見地上,(ここでウィットフォーゲ ルの主張する如く)実在論として 従って,絶対的な問題として,両者(の方法)の可 否を問うことは出来ない。ウィットフォーゲル(隔壁マルクス)の「生産様式」の概念自 体,その実,相対的(論理的,認識論的) 「理想型」的,なるものである。「我々にとっ て極めて重要な理想型的構成の例,即ちマルクス・・…一切の特にマルクス主義的な『法則』
や発展構成は 理論的に欠陥なき限り 理想型の性格をもっているd」(ウェーバー
「社会科学的並びに社会政策的認識の『客観性』」)……「『生産様式』という表現は,社 会的生産の規定的な諸指標を科学的に抽象化し,区別し,総括したものである。社会的生 産のこれらの規定的な諸指標は,純枠な形態では現実には決して存在しなかった。『勿論,
ここで問題にするのは,只大きな,一般的な,特異的な特徴点だけである。何故ならば,
社会史の諸時代は,地球史の諸時代と同じように,抽象的に厳密な境界によって互いに区
アジアとは何か(再説) 59 別されているからである。』(註マルクス『資本論』)」(ヴァルガ「アジア的生産様i式につい
て」)
「認識はすべて経験から発生するわけではないd(カント)
本稿の立場は,当面の問題1生質上,ウィットフォーゲルの側に立つ。(と言っても,『東洋 的専制主義』のウィットフォーゲルは,ウェーバー寄にかなり緩和されているが)
『東南アジア学』の著者は,その何れに立つか。
ここに一つのヒント(討議の中の著者の言葉)がある。
「自然環境をうまく精緻に区分して,その上に展開される人間の営みというものを考え て,その営みの変化を一つの歴史として捉えていくという方法論を,たとえば京都大学の 東南アジア研究センターは最近強く打ち出してきてい〔る〕……。これに対して外部から は自然環境決定論だとか,或はエコロジー決定論だとかいう批判が出始めているd どうやら,著者も又,この方向の方法論に立っている節がある。
と言うことは,著者の所謂「東南アジア学の理論構成」においては,何れも,第一に,
文字通り「第一のテーマ」(「第二のテーマ」を函数とする)を主要としなければならぬ ことを意味する。「自然環境を抜きにしては,東南アジアの歴史は語れない……d(『東南 アジア学』より)第三以下のテーマは,前述のウィットフォーゲルの方法論(所謂「唯物 弁証法」)におけると全く同様,この前提を条件として成り立つ,と考えてよい。
事実,著者の記述(或は討議における発言)に,その様な強調がある。
たとえば,「第一のテーマ」の説明に,言う。
「これは,東南アジアをかっこよく論ずる人がよく手を抜く局面だけれども,東南アジ アの本質は,実は,まさにこの局面と密接に結びついているのである。……人間だけでな く,文化様式も,信仰体系も,そして国家も,すべてが自然環境への適応という契機を抜 きにしては説明がつかないのである。……たとえば,川の研究,これは,東南アジアの国 家権力を学ぶ場合,不可欠である。……それよりも,やはり,稲作のことを深く学ぶのは 重要である。……稲作のパターンがあり,それがひいては,人間の社会的営みの形をも規 制しているのである。稲作を中心に,東南アジアの社会と歴史とを捉えていく見方は大事 である。……とにかく東南アジアの社会は,自然環境と水利用のシステムと,その上に 乗った稲作のサイクルを軸とする社会関係,という一個の完結したシステムが多元的に層 化しているのが特徴なのであるd
或は,(討議において)言う。
「……概念の結晶化のために,いわゆる東南アジアを東南アジアたらしめているものを 模索していきたい……差当って東南アジアの特徴というと,自然環境を変えていくとか,
それによって何か文明技術をつくり出すというじゃなくて,なるべく適応していこうとい う、自然環境に対する素直さみたいなものではないかという気がして仕様がない……東南
60
アジアの自然環境をどう見るか……たとえばインドの自然環境,中国の自然環境,或は西 アジアの自然環境との違い,これはただ水……d
もっとも,この著者にも,緩和的な折衷主義が見られないでもない。(『東洋的 専制主義』のウィットフォーゲル,『近代資本主義』のゾムバルトにおけるよう な……〜『東南アジア学』の著者の場合,かなり不安定であるが)
即ち,著者の言う。
「上部構造の方が逆に東南アジアの成り立ちを規定していったという,いわば 京都大学東南アジア研究センターの方法論とは全く逆の方法論……上部構造から 下部構造にいくアプローチ……私個人の見解としては……自然環境及至エコロジ ーから上部構造を説明していくいき方と……二つの方法論を同時に使って,これ をうまく融合させたら,最も妥当な東南アジアの認識が成り立つのじゃないかと いう気がする……d
『東南アジア学』の著者の以上の援用に見る限り,私が感得するのは,東南アジアとイ ンド,中国との「違い」ではなく,相似である。
たとえば,著者の謂う「自然と人間との関係が稲作〔広義には,農業〕を媒介 としてうまく平衡を保つというのが東南アジアの特徴」 なのでなく,むしろ,
それこそが,全体としてのアジアの特徴なのである。「たとえば東南アジアの米 作地域という場合などには,屡々日本や中国,インドなどを含めた意味に〔東南 アジア=アジア〕使われるd(平凡社『世界大百科事典』,「東南アジア」の項)
「多くの入は,まだ東南アジアを,全体としては捉えていない」,と称する『東 南アジア学』の著者自身に,斯かる弊があるというのも,皮肉である。
この著者と「水利社会」としてのアジアを概念づけたウィットフォーゲル(更にはマル クス)との差違は,基本的に言って一歩半歩の問題にしか過ぎない。
と言うことは,この著者が,マルクスやウィットフォーゲルーウェーバー(マルクス に倣った)の折角の「理論」,アジア概念に,何故にアレルギーを示すかが,私には(疑 問であるというより)不可解である。
実際は,著者自身,「多彩な東南アジア」を根拠に,東南アジアについての悪しき帰納,
悪しき相対主義に陥っているとしか,考えようがない。
確かに,確かに,現実は複雑,多様 多元,多岐である。と言って,抽象(反面には,
思い切った捨象)を諦めるならば,多岐亡羊,そこには,せいぜい 地域論 (更に悪く は, 風土記 )としての東南アジア学,換言すれば,「学問」に非ざる「東南アジア学」
しか,可能ではないであろう。衝学を,東南アジア学のためのモンロー主義 東南ア
アジアとは何か(再説) 61 ジア学のための東南アジア学 を,著者が趣味,或は主義,信条としているというのなら,
話は又別である。
.そこで一部分一部分は掌中に握っているが,
お気の毒ながら,精神的脈絡が通じていない。
(ゲーテ『ファウスト』)
『東南アジア学』の著者の言葉を繰返す。
「ウィットフォーゲル……マックス・ウェーバー……マルクス……アジア的生産様式論 など,ともすれば,人々が東南アジア社会の特質を掴むために駆使したくなるような魅力 的な理論……東南アジアの発展を規律するロジックを,その様な在来りの理論で説明しよ うとするのは全く邪道であって,東南アジアの『自律史』を考えようという,折角の問題 意識にも抵触することになりかねないd
斯かる見解が,如何に誤解に満ちているか(偏見であるか,謬見であるか)は,大岸 において,今や略明確になったと言うべきである。
『東南アジア学』の著者の「東南アジアの『自律史』を考えようという,折角の問題意 識」 折角乍ら,政治的,軍事的にはともかく,経済(学)的に東南アジアをアジアか
ら区別する確たる理由はない。もし,ありとすれば,斯かる区別こそ,区別に非ずして所 謂 差別 であり,悪しき黙批判 (批判Kritik クリティークはギリシャ語のクリノー に由来し,区別することを意味する)ということになる。
まさしく 東南アジアは一つ,そして更に「アジアは一つ」なのである。
『東南アジア学』の著者(達)にとっても,必ずしも,それは不満に尽きるわけでもある まい。彼等は言う,「いま,東南アジアは共通性を持ちつつある」,と。(或は,前述の援用 における「インド化」なる契機の強調など……)彼等には,そこからする更に一歩の前進 が必要なのである。
更に,加えて,本稿の筆者は,(経済的に) 世界は一つ なることを,根本命題として 提出する。そして,それは,「国際経済学」や,或は「世界経済学」なるものの従来提示せ る如き俗流の意味におけるそれではなく,筆者(ウィットフォーゲルに一致せる)の所謂
「先進国,後進国における共通」」なる,新たなる兵逸のバンド(多種,多様な社会形態
〈の説明〉を可能とする)の提出における,それである。
ウィットフォーゲルの,マルクス『資本論』を援用しつつ,言 う。
「『一方の側には人間とその労働,他の側では自然とその素材』,これは社会的労働過 程における最も普遍的な基本関係であって,この社会的労働そのものと同様に,『人間生 活の永久的な自然的諸条件,従って,斯かる生活の各々の形態とは独立の,むしろ,あら ゆる社会形態に共通せる』ものであるd
「共通」(筆者)……「共通」(マルクス)……。
62
問題そのものは,殊更に新しいわけではない。ただ,マルクスその他における偉大なる先 覚及至その「古典」を,人々が読みはずしていたという限りにおいての,改めての確認と いうに過ぎない。
たとえば,既にしてはやく,地理的唯物論者としてはウィットフォーゲルの先 輩というべく 「モンテスキューは,すべての二会形態の発展の基礎に横たわ っている若干の自然的並びに社会的な共通的諸要因を発見した。……彼は,地理 的環境(気候,土壌,領土)に優先権を与えることによって,東洋諸国の発展の テンポが比較的緩慢である原因を唯物論的に説明しようと試みた。諸社会の総体 を単一の諸基準に基づいて研究することを妨げているヨーロッパ中心的な歴史的 伝統の基礎は,このようにして揺り動かされたd(m・M・ガルシャンツ「アジ ア的生産様式について」)
しかも,この問題は,今日,世界経済が,否,むしろ,世界人類が,当面せる21世紀的最 重要問題(資源問題,公害問題その他)に直結する。(説明略)
更に進んで文化様式にも及ぶ問題として取扱うならば,次に来る時代,それこそは
「キリスト教徒だけでなく,世界のすべての人間が共通に基軸として認めることが出来る ような時代……。」(ヤスパース『歴史の起源と目標』)
今はただ,かの予言の言葉を繰返すに止めよう。
なんじら聞きて聞けども悟らず,
見て見れども認めず。
この民の心はにぶく,
耳は聞くにものうく,
目は閉ぢたればなり。
以上が,矢野暢(編著)『東南アジア学への招待』への私の理解と,そして批評である。
その粗笑,雑駁の弊は,この著書が,(私にとっても)繰返し読み直さるべく乃至は検 討さるべく多くの興味ある問題を尚余している,という結論によって,償わして:貰うこと
とする。
以上におけるウィットフォーゲル(広義にはマルクス)その他への言及,瞥見は,問題 そのものの理解を容易にすべく 『東南アジア学』の場合と如何なる関聯にあるかを,
簡単にピック・アップしたものである。
ウィットフォーゲルの「あらゆる経済的一社会的発展の自然的基礎の問題」,その方法 論的検討,就中マルクス『要綱』における場合との比較検討は,別稿に譲る。
79.9.25.