Henry Esmond におけるThackerayの方法
物 見 昭
I
Henry Esmondは普通Thackerayの作品の中で最高のものと見られている。多くの批評 家が,その均斉のとれた構成と気高い調子のために,この作品をVanity Fairよりもすぐれ たものと見なしている。作者自身も,この作晶を書くに当っては,従来彼が採用して来た一年 (1)
乃至二年にわたる分割出版の散慢な形式をあきたりなく思い,執筆のさ中に真剣な推こを重ね て行ったと云われている。或る友人に, Is七and by this book and am willing七〇1eave it,
wh。n、g鰹my,a,d@と語ってし、るように, Th。、k,,ayはこの画論結晶相ら高く
評価している。
しかし又同時に,この作品は,Thackerayの小説の中で,最も沈痛な,憂愁にみちた作品 だとされている。作者は当時,Cambridge大学時代の旧友Brookfieldの夫人であるJane Brookfieldに慕情を寄せて,破局を招いた直後の傷心の時期にあり,深い憂愁と悲嘆に暮れ (3)
ながらこの喜々を書き始めたと云われている。こうして受けた個人的な悲哀の感情はそのまま
(4)
この歴史小説の中に定着されることになった。EsmondはPre七enderをめぐる動乱の時代 の史実を背景としながら,同時に作者のなまなましい体験の記録が織りこまれているものであ る。 The Buried:Life の中でG. N. Rayが指摘しているように,この作品において,
Book Iの最初の6章までは作者の幼年時代の記憶をもとにしたものであるが,それ以後の 章では,heroineのLady Castlewoodは作者が慕情を寄せたJane Brookfieldの面影にほ (5)
かならないと云うことができる。このように,Esmondの登場人物は,十七・八世紀の史実 の中に生きながら,実は近代市民社会の思想とmora1とを持った,作者の同時代人たちの似 姿となっている。
Esmondはこのような事情のもとに成立したものであるが,それでは,歴史的状況と,作 者の体験にもとつく近代市民社会の生活とが交錯して存在しているこの小説に出て,どのよう
な方法が用いられているかを考察してみたい。或る意味ではこの小説は,作者からはるかに遠
い時代に題材をとりながら,同時に作者の最も身近な体験を記録したものと云える。そのため
ここでは同じ作者がVani七y FairやPendennisなどの中に思いのままに書きこんだような
幾分cynica1な作者自身のcommentaryは介入することができない。しかしThackerayは
この歴史小説を,まじり気のない過去の事実を取り扱った物語として,叙事詩として構成する
意図を持たなかった。作者はこのため彼が従来用いなかった方法を試みた。即ちThackeray
はEsmondの物語を偽装された自伝小説とし,更にその中で一人称の表現と三人称の表現を
織りまぜて用いると云う技巧をこらしている。これはもちろんEsmondに於て始めて用いら
れたものではあるが,同時に他の作晶におけるThackerayの方法の発展した姿にほかならな いとも云える。以下これらの技巧をThackerayの方法の系譜の中で考えて見たい。
∬
G・N・RayはEsmondにおけるThackerayの技巧を評して次のように云っている。
Thackeray s mimetic faculty reached its fulles七developme11七in Esmond, where he rings up七he Time.Curtains on his la七e seventeenth−century scene and presen七s his
real−phalltasmagory of the life of tha七era in the words of七he chief ac七〇r in his
s七〇ry.(6)
ここでRayが巧みに評しているように, Esmondの物語ではHenry Esエnondの一代記 を主人公のEsmond自身が物語ることになっているが,更にこのau七〇biographyをEsmond の娘であるRachel Warringtonが紹介したものとして彼女のPrefaceといくつかのfoot−
noteをそえて,側面から主人公に照明を投じる形としているので, Esmondの実在性はそれ だけ強調される効果を生んでいる。このような虚構を用いることによって,Esmondは立体 的な迫真性を与えられて登場することとなり,真の作者であるThackerayから分離し,独立
した実在の人物の姿となって歴史の背景の中で自由に活動することができるようになる。これ は極めて徹底した虚構的設定と云うことができる。
Percy Lubbockはこの自伝小説としての設定の効果を指摘して,それが物語に真実らしさ を与えると云うことのほかに,Vani七y Fairなどの場合と違って,物語の眺望を与える人間 の視線が,明白な,測定し得る角度で示され,室間の中にた∫よう代りに一定の場所にとど まることになって,読者はより一層確実で快い眺望の視点を得られること,更にその記述 にautobiographerの個性的な色彩を与えることが可能であること,この三つの点をあげて (7)
Esmondにおける方法を賞讃している。このようにEsmondには,その根本においては Vani七y Fairなどと変らない作者の眺望を加えた注釈的表現があらゆる箇所に用いられてい るにもかかわらず,はるかに大きな真実性と独特の憂愁感との充実が見られるのであるが,そ れはすべてこのautobiographyと云う虚構的設定に負う所が大きいと云える。
次にEsmondの物語は,このような虚構的な自伝小説となっているのに,その本文では主 人公は殆んど第三人称で書かれている。そしてこれに対照をなすように,流血の表題には第一 人称による表現が用いられ,更にしばしば殆んど無意識の中に書かれたような自然さで本丈の 中でも第一人称が使用される箇所が挿入されている。この場合には,自伝を書いている仮封の 作者Henryと,真の物語作者であるThackerayの論評とが混り合っているように考えられ,
Sain七sburyが二重性あるいは三重性と呼んだものであるが,この技巧を少しくわしく考えて
みよう。
最初に本文における三人称の使用による効果を考えてみる。自伝と云う虚構の中で,一度歴
史的実在として提出された主入公は,ここで主人公自身によって隔離され,客体化されて,一
つの対象的存在として表現されることになる。ThackerayはEsmondを元来三人称で書 く所を,autobiographyと云う設定によって一人称の 1 として提:出し,更にこのauto−
biographerである 1 が,過去の自己の影像を三人称の H:e として描き出すと云う,
はなはだ複雑な表現の形になっているわけである。従ってここに描かれる三人称の主人公は,
自伝作者であるEsmondの視線を通して描かれる,回想された主人公の姿であり,過ぎ去っ た時代に大西洋の彼方の故国で生活していたEsmondの描写である。読者は,この人称表現 の転換によって,回想するEsmondと回想されるEsmondとの間に,室間と時点のへだた りを感じることになる。ここで特に強調されるのは時間のへだたりの効果であって,その効果 はこの作品の基調をなしている平安と哀愁の気分を生み出す原因の一つとなっている。
(8)
P.Lubbockは, 七ime. a七Castlewood, is no七movement, it is七ranquilli七y… と評 しているが,この転換され,対象化された三人称の使用は,このような効果を作るのに大きく 寄与していると云えよう。
次に,このような独立した対象として描かれている三人称の表現の間に,しばしば一人称に よる表現が本四の中にも挿入されているのが見出される。又この両者の中間とも云うべきもの,
形の上では三人称を使用していながら,それほど確実に対象化されたものとしてではなくて,
明らかに現在の自己に関連した表現が見出されることがある。例えば,
He remembers and mus七七〇his dying day the七houghts and七ears of that long nigh七.(g)
この表現は三人称を用いているが,実は一人称による回想に近い表現である。このような一 人称による表現又は一人称に準ずる表現は,何れも本文の,三人称で書かれた物語に対して注 釈を加える形となるもので,その意味ではThackerayの他の小説における注釈的表現と共通
したものを持っていると云える。筆者は以前にVanity Fairにおける注釈的表現を,その機 (10)
能の形から見て四種類にわけることを試みたQ今EsmondにおけるThackerayの方法にこ のわけ分を適用してみることにしよう。
皿
物語の内容の一部をとらえて,その場面か或いは主体となる人物かを普遍的な世間一般の場 面か人物かに拡大すると云う形の話を挿し入れるやり方が,Vanity Fairの中でたびたび見 出された。この表現方法を「拡大の方法」と呼んでみたが,Esmondの中にもこれと同じよ うな表現の仕方が見られる。例えば,Henryが天然痘をCastlewood一家に持ちこんだことを 契機として,一家の幸福な生活に暗影がさし始めることになるが,そこに次のような表現が見
られる。
Twas七his, no doub七, that accounted for the sadness in:Lady Castlewood s eyes,
and the plain七ive vibra七ions of her voice. Who does not know of eyes, ligh七ed by
love ollce, where the flame shines no more!一一〇f lamps ex七inguished, once properly
七rimmed and七ended P Every man has such in his house. Such mementoes make our
mos七splelldid chambers look blank and sad;such faces seen in a day cast a gloom
upon our sunshine.(ll)
ここではCas七lewood夫妻の愛情の冷却を描いている場面から,そのような結婚生活の無 常感を世間一一般の場合に拡大してみせる表現に移っている。Vani七y Fairではこの形の方法 が非常に多く使用されているのに反して,Esmondではこの使用例はかなり少なくなってい
る。しかもVanity Fairではこの方法はややもすると読者に不自然な抵抗を与え,暴力的な 印象を生む傾向を持っていたが,Esnlondの物語においては自伝作者であるEsmondと云
う人物の口を通してその意見が述べられるために,はるかに自然な効果を生むことになってい
る。
第二に「つなぎの方法」と呼んだ注釈的表現について考えてみる。この方法では,今まで進 行して来た物語を中断して,突然何のつながりもない作者の意見か,又は読者から寄せられ たとする意見を挿し入れて,別の場面に転換させる媒介のはたらきをさせている。これは,
Vanity FairやPendennisのような分割出版の形式によった作品ではかなり多く用いられて いるが,Esmondでは,回数の性質上,そのような作者の意見や読者の意見を挿し入れて場 面を転換する方法は殆んど見出されない。必要な場合,多くは上にあげた「拡大の方法」に近 いものを用いてつなぎの役割をさせている。例えば,Book 2の中で,戦線から戻ったHenry をIsabellaが歓迎する場面の直後に,次のような一節がある。
What is七he meaning of fideli七y in love, and whence七he birth of i七P Tis a state of mind七ha七men fall into, and depending on七he man ra七her七han the woman. We
love being in love,七ha七 s the truth on t. If we had not r【1et Joan, we should havemet:Kate, and adored her. We know ouτmistresses are no better七han many o七her
women, nor no pret七ier, nor no wiser, nor Ilo wit七ier. Tis not for these reasons welove a woman, or for any special quality or charm I know of;we Inight as well demand that a lady should be七he七ellest woman in the world,1ike the Shropshire giantess, as七ha七she should be a paragon in any other charac七er, before we began 七〇10ve her. Esmond s mistress had a thousand faults beside her charms・ he know ,
both perfectly we11!She was imperious, she was light−minded, she was flighty, she was false, she had no reverence in her character;……(12)
ここでは,愛情と云うもののきまぐれな性質を一般的に述べておいて,それをつなぎとして Esmondが欠点だらけのBeatrixを愛さずにはいられないと云う描写に結びつける役割をさ せている。このような場面の転換のやり方は,Vanity Fairにおけるつなぎの方法に比べる
と,あまり自由でなく,かたい感じのものとなっている。
第三に,「対照の方法」と呼んだものを見てみよう。これは物語の内容とよく似た事柄を持
ち出して対照的にならべてみせるやり方であるが,Esmondでは,読者の意表をつくような
派手な対照の方法はきわめて少なく,はるかに地味な, figura七ive expressionに近い表現
がとられている。例えばBook lに次のような表現がある。
As they say the Grand Lama of Thibet is very much fatigued by his character of divinity, and yawns on his al七ar as his bollzes kneel and worship him, many a home god grows heartily sick of the reverence wi七h which his family devotees pursue him,
and sighs for freedom alld for his old life,……C3)
最初にあげた拡大の方法とつなぎの方法とは平面的な拡がりの効果を与えるのに対して,こ の対照の方法と,次にあげる背:景の方法とは,立体的な奥行を生み出す効果を持つと云うこと ができよう。
次に「背景の方法」と呼んだものを考えてみよう。物語の背景となる事情を示す効果を持つ た表現は,Esmondにはかなり多く用いられている。
Esmondにおける背:景の効果を生み出す表現は,大別して,今までかくされた秘密の事情 を曙示する表現歴史的背景を示す表現それに回想的色彩を与える表現との三つに分けるこ
とができる。
最初に,秘密の事情を暗示する表現を見よう。Book 1に次のような例が見られる。
And Ilow for my Lady, said my Lord, going up七he stairs, and passing under 七he tapes七ry cur七ain七hat hung before七he drawing−room door. Esmolld reme皿bered that noble figure, handsomely arrayed in scarlet.(14)
これは天然痘に感染して容色をそこねたLady CasUewoodと,別れていた夫のLord Castlewoodとの再会の場面である。ここでは,後述する回想的効果も与えられているが,そ れと同時に,この夫妻の出会いを見まもっているEsmondの不安と緊張にみちた心理を裏書
きし,drawing−roomで起る悲劇的な状景を巧みに暗示することになっている。
次に歴史的背景を示す表現の例を見よう。Book 2に次のような一節がある。
The story my Lord Mohun has told respecting General Webb is false, gen七1emen 一一
・≠撃唐・C I repea七,@and makillg a low bow to Lord Mohun, alld without a single word more, Esmond got up and left七he dining−room. These affairs were common enough among七he military of七hose days.(15)
ここでは,最後に挿入された注釈的な表現が,十九世紀の読者に興奮を呼び起しそうな決斗 の場面を冷たく抑えるはたらきをなして,十七・八世紀の時代的風潮を現実の背景として示す
ものとなっている。
最後に,Esmondにおいて非常に多くの使用例が見られる,回想的効果を持った表現につ いて見ることにする。Bo・k 1に次のような例が見られる。
The London road stretched awa,y towards七he rising sun, arld to the west were swelling hills and peaks, behind which many a time Harry Esmond saw the same sun se七ting, that he now looks oll thousands of miles away across七he great ocean
−in a new Castlewood, by another stream, that bears, like the new coun七ry of
wandering Aeneas, the fond names of七he land of his youth.(16)
ここでは主人公Henryの少年時代におけるCastlewoodの状景が描かれている所へ,突然 Virginiaの新しい土地でこの回想記を書いている現在のEsmondの心境が挿し入れられて来 る。この両者の対立はきわめて効果的な緊張を形作り,昔と今と,大西洋の東と西との,は るかなへだたりを暗示するはたらきをしている。先に引用した:Lubbockの批評のように,
「Castlewoodにおける時間は静止したものである」と云うことができるが,そうした静寂な 時間の形成もまたこの回想の表現方法に負う所が大きいと云える。
上の例はs七a七icな回想の表現であるが, dynamicな回想の表現も次のような例に見出さ
れる。
……Li七tie Fran.k and Harry rode together at a foot pace.
When we rode together home,七he boy said: We me七mamma, who was walking on the terrace with七he Doc七〇r, and pa,pa frigh七ened her, and七〇1d her you were
dead, ・・・… (17)
これは:Lord MohunとEsmondとの二人がHenryと云う同じChris七ian nameを持っ ていたために起つた間違いであったが,:Lady Castlewoodはこれを闘くとEsmondが死ん だものと思いこんで失神する。この場面は,従って,:Lord Castlewoodと:Lord Mohunと の画廊の原因を作るものであり,又H:enry Esmondに対するRachelのひそかな愛情を暗 示したものとして,この物語の中でもかなり重要な場面と考えられるが,ここで使用された一 人称による表現は,Esmondの回想の中で突然劇的な緊張を生み出すはたらきをしている。
これと対照するために次の例を見てみよう。王位継承をめぐる緊急な時期に,Pre七enderが Bea七rixを求めて無断で:Londonを去ったことを知って, Esmondは激怒し, Pre七ender の面前で,先王からおくられたPaten七〇f Marquisを焼き捨ててしまう。
And as Esmond spoke, he se七the papers burlling in七he brazier・ (18)
これは一見劇的な場面のように思われるが,あくまで三人称で書かれている。実はすぐ後に Pre七enderが悔い改めてEsmondに謝罪し, Esrnondと:Frankとはその率直な気持に打 たれて忠誠を誓い直すことになる。そのためこの場面はEsmondの回想の中で・一人称による 緊張した表現として書かれてはいないと思われる。
上の二つの例において見られるように,回想的効果を持った表現は適当な箇所においてのみ 巧妙に用いられている。
今まで見て来たように,物語の背景効果を与える表現方法は,この作品の中で用いられたも
っとも興味深い方法であると云えよう。拡大とつなぎの方法がVanity Fairでは代表的なも
のであったのに対して,EsmondにおけるThackerayの方法を代表するものは,このよう
な立体的な背景効果を持つ方法である。この表現方法は,前述しアこ本丈における三人称の使用
と共に,静かな回想の気分を物語の全体にた繍よわせることに成功している。
IV
Esmondにおける方法は,このように多彩な表現効果を持つものであって,そこには近代 丈学の問題につらなる興味深いものが含まれている。特に代表的なものは回想的効果をもたら すものであって,その方法は隔絶した過去の世界を表現するためにきわめて効果的なものとな っている。
しかし注意すべきことには,このような回想的な表現方法は,必ずしも歴史小説の方法と して適当であるとは限らないことである。Tillyardは叙事丈学の条件にchoric quali七yと ⑲
heroic impressionをあげているが,それと同じように,歴史小説もまた集団の思想や歴史的 な変革を描くことを主体としたものと云えよう。その意味で,Esmondにおける方法は,個 人の深い印象と体験を立体的に表現するのには効果的であっても,歴史小説の方法としては必 ずしも適切であるとは云えない。
⑳
Esmondには, history, domestic drama, adventureの三つの性質が見られると云われる が,Esmondにおける方法は,その題材の時代の集団的感情や民衆の潜在的な活力などを描 くにはふさわしいものではなかった。Esmondの芸術的価値は歴史小説としての面にあるの ではない。Esmondの本質はやはり個人的な愛と冒険の物語と云うべきものであり, Esmond においてThackerayが用いた方法もまたこの方向に澹って考えられねばならないと思われる。
(この論文は昭和三十五年日本英文学会第三十二回大会において発表したものをもとにして書 いた。)
註
(1)Gordon N. R&y, The Age of Wisdom, P・175f.
(2)James T. Fields, Yesterday wi七h Au七hors, P・17.
(3)G.N. Ray, The Buried:Life, P・85.
(4)Esmondを真の歴史小説と考えることができるかどうか疑問がある。別の機会にふれてみたい。
⑤ The Buried Life, P・87.
㈲The Age of Wisdom, P・178.
(7) P.Lubbock, The Craf七〇f Fiction, P■26f.
(8) Ibid・ P・108.
(9)The Eis七〇ry of Henry Esmond, Book 1・Chap・6.
⑳長崎大学学芸学部人文科学研究報告第九号, p.52.
αg Henry Esmond, Book l Chap.11.
⑫Ibid.
⑬Ibid.
αのIbid.
a5) Ibid.
㈱ Ibid.
Book 2 Chap.15.
Book l Chap. 7.
Book l Chap. g.
Book 2 Chap.15.
Book l Chap. 3.
az pm ag
eor
Ibid. Bookl Ibid. Bcok3
E. M. W. Tillyard, The The Age of Wisdom, p.
Chap. 13.
Chap. 13.
Epic Strain in
176.