ヒル フ ァデ ィングにつ いての
2
点倉 田 稔
目 次
は じめに
オース トリア ・マル クス主義
『金融資本論』の商品論
はじめに
経済学者ル‑ ドルフ ・ヒルファディングについて,研究上の小 さな
2
つの点 を記 してお く。
オー ス トリア ・マル クス主義
ヒルファディングは,オース トリア ・マル クス主義者であ った。オース トリ ア ・マルクス主義について,旧ソ連で次のよ うな批判 ・紹介が されている。
「マル クス主義的な用語法でおおわれてお り,オース トリア社会民主党内で 支配的であった 日和見主義的見解の総体 は,『オース トリア ・マル クス主義』
と呼ばれている
。
オース トリア ・マル クス主義者たちの政策 は,労働者階級を 革命的活動 にではな く,議会での連合 と商議 に,支配階級の側か らの譲歩の期 待に方向づけた。 これは, 日和見主義 と結合 している中立主義であった。 この ような見解を養成す る地盤にな ったのは,オース トリア ・ハ ンガ リー帝国にお けるオース トリア労働者階級 の上層 の特権 的地位であ った。哲学 にかん して〔 1 2 9 〕
1 30
商 学 討 究 第44巻 第 3号は,オース トリア ・マル クス主義 は弁証法的唯物論 と史的唯物論の新 カン ト主 義的な らびにマ ッ‑主義的修正の混合物である
。 」 1)
オース トリア ・マル クス主義 は,広い意味での新カ ン ト派社会主義の
1
流派 である。1 9 C .
莱,マル クス主義の危機 なるものが,2
つの勢力 によ って醸成 された。 1つは修正主義者,他 は,弁証法的唯物論を批判 した新カ ン ト派哲学 者たちである。 ウィー ンの青年 マルクス主義者 は, この風潮に抗 してたった。彼 らは,修正派の 「唯物論を何 とか処置 し,改良主義を基礎づ ける哲学的基礎 を見出」 したい要求を持 った。
新 カ ン ト派哲学者が登場 していた。彼 らは,Langeか ら
HermannCohen
まで, こう基礎づけていた。「社会主義 は倫理学上の理想主義 に基礎 を置 く限 りにおいて正当である。社会主義 は唯物論にとらわるる時はその土台を失い, 無神論 に陥ればその屋根を失 う。『カ ン トは ドイツ社会主義の真正に してかっ 実際の元祖である。』」
オース トリア ・マル クス主義者 は,いわゆる 「社会主義化せ るカン ト学者」
たちに,つまりカ ン ト哲学の中に社会主義 (非マルクス主義)の偉大なる基礎 づけを見出 しえた。
一方,修正派 は 「社会主義化せ るカ ン ト主義」 に救世主 を見 た。彼 らは
KantundMarx
が合言葉である。オース トリア ・マル クス主義 は,修正派 と異な り,マルクスとカ ン トとの結 合や,カ ン トによるマル クスの補完の必要を見なか った。そ してマル クス主義 その ものの中にカ ン ト主義を見 出 した。彼 らの合言葉 は,Kanti
nMarx
で あった。そ して彼 らは,唯物史観 にたい して新解釈を加え 「外見上」の唯物論 を取 り除 き,因果諭の他 に目的論を発見 した。彼 らは言 う
。
代表者 は,マ ックス ・ア ドラーである。「科学 は,経験 の中に 現れる諸現象の法則 と関連のみを研究す るものである。」「マル クス主義の本質1
) ソ ビエ ト科学 アカデ ミー哲学研究所編 『世界哲学史』第1 0
巻,東京図書株式会社1 96 2
年596
ペ ー ジヒル フ ァデ ィ ングにつ いての
2
点131
を少 し省察す るな らば,それが唯物論 と何等関 りないことが明 らかにな らざる をえない。 」
「マルクス主義 は社会生活および社会発展の1
科学であ り,また1
科学た らん と欲す るものにす ぎぬ。 」
「マルクス主義の中に,1
つの認識論を認めえなか った」「マル クス的用法の関連 における唯物論 とい うのは,経験的 と い うに過 ぎぬ
。
」ア ドラ‑は,「唯物論 と弁証法 とを切れ切れに切 り離 した。 2)
レーニ ンは言 う
。
「カ ン ト哲学の基本的特徴 は,唯物論 と観念論 との協調, 前者 と後者 との妥協であり,種 々の対立的諸傾向の一体系への結合である。 」3)
「カ ン トにかえ り,またはマル クスをカ ン トと妥協 させようと努力す るのが, つねに修正主義の特徴である。」
新カ ン ト派
( Ne ukant i aner )には,次の様 な哲学者がいる 。
H.Cohe n ( 1 8 4 2‑1 91 8 ) P.Nat or p ( 1 85 4‑1 9 24 ) R.St amml er( 1 85 6‑1 9 38 )
F.St audi nge r( 1 84 9‑1 9 2
1)以上,マールブル グ学派W.Wi nde l band ( 1 8 48‑1 91 5 )
H.Ri c ke r t( 1 8 8 3‑1 9 36 )
E.Las k ( 1 87 5‑1 91 5 )以上,バーデ ン学派
「マールブル グ学派,特 に
St amml er
その他 は,マル クス主義の唯物論 に は反対 しつつ も,カ ン トの理想主義の立場か ら社会主義を基礎づ けよ うと し て,独 自の社会思想を展開 した。」 4)
新カ ン ト派社会主義 は,修正派マル クス主義 とオース トリア ・マル クス主義 である
。5)
Rudol fSt amml er
の主著 は,Wi r t sc ha ftundRe cht m achder m at er i ‑ 2
)参 波多野鼎 『新カ ン ト派社会主義』 日本評論社 ;横浜社会問題研究所編 『新 カ ント派の社会主義観』岩波書店 大正1
4
年3)『唯物論 と経験批判論』(
『レーニ ン全集』第3
巻 ),700
ペ ー ジ4
)大塚金之助編 『社会思想小辞典』岩波書店5
)波多野132
商 学 討 究 第44巻 第 3号al i st i schen Ges chi cht s au f fassung.1 896
であ り,修正派 マル クス主義 は, 根本 において彼の批判 に唱和 した。St amml e r
の唯物史観批判 は, こうであ る。
唯物史観は 「社会法則の概念の混乱 に立脚」 した。マル クス,エ ンゲルス は,社会法則 と自然法則 との区別 は弁へていない,目的的関連 (必然 と因果的 関連 (必然) とを同視 している。St amml er
は,マル クス主義の必然 を 「目 的的必然」 と解す る。そ して 自然法則的因果的必然を説 く唯物史観の中に,そ れ とは如何 に して も結合すべ きではない目的の観念が実際において とり入れ ら れている。「唯物史観 は解 くべか らざ る矛盾 に陥」 ってい る。なおKonrad Schmi dt
,IJ udwi gWol t mann
,KarlVorlander
は,弁証法唯物論の批判 を している。Schmi dt
は,マル クス ・エ ンゲルスの唯物論 はカ ン ト哲学 と対 抗 に立っ ものではない, と。 6)
MaxAdl er
は言 う。「断固 としてかつ決定的にマル クス主義 を唯物論か ら
解放す る」7)
すべての唯物論 は形而上学である。それゆえにマル クス主義 は唯 物論 に対 して中立的である, と。ソ連アカデ ミーは言 う
。「1 9
C後半の ドイツには,多 くの大小の哲学的学派 が発生 し,比較的にすみやかに相互に交代 した。 これ らの学派の出現 は,ブル ジョア世界観の危機 と著 しいっなが りを持 っていた。 この危機 は,何 よりもま ず, ブル ジョアジーのイデオ ローグが ドイツ古典哲学の立派な伝統一 唯物請 的 (フォイエルバ ッ‑)伝統 と弁証法 (とくにヘーゲル)伝統‑ か ら逸脱 し た ところにある。 」8)
ついで言 う。「自然科学の発達のための道を きりひ らくにあた って,ブル ジョ アジーとその理論家たちは,唯物論 と無神論か ら自然科学をまもり, 自然科学 によってその輪郭を しめされている限界か ら哲学がぬけだ しえないよう,哲学 の発展を制限 しよ うとっ とめた し,現存の社会制度の基礎をゆるがすおそれの ある思想を,社会的実践か らそ らせ ようとっ とめた。ドイツの諸条件 の もとで,
6
)シュミットとプレ‑一一ノブとの論争がある。7)Adl e r ,Kantundde r M ar xi s mus ,19 25 ,S̲1 69
8)
『世界哲学史6』328
ペー ジヒル フ ァデ ィ ングにつ いての2点
1 83
この要求に もっとも多 く答えたのは,新 カ ン ト主義 とその論理学的,認識論的 好計であ ったO・・・新 カ ン ト主義 昼,自然科学をよ りどころに しよ うとこころみ, 不可知論の説法によって 自然科学の可能性 と前途を制限 しようとした。J9'
新 カ ン ト主義 は,「ドイツ ・ブル ジョア ジ‑の 自由主義層のイデオ ロギーで あ った。1
9
C後半の この自由主義 は,本質的には反動的な性格を もっていた。それは ドイツの地主 ‑ブル ジ ョア国家の支配層 持 とって は危険な もので はな く, この層の侵略的意図をおおいか くすための手 ごろなか くれみのとな ったO 新 カ ン ト主義 とその磨 きのか け られれた認識論的 ス コラ学 や
,
「価 値」,善, 美,「神聖」についての大げさな論議 は,実 は保守的な哲学説であ って,18 C
か ら1 9
Cは じめのさまざまな ドイツ古典哲学の廃嘘の うえに成立 し,労働者階 級の革命運動 に敵意を もっ ものであった。マル クス主義に対す る新 カン ト主義の敵意 は,社会学的諸問題の うちにとく につよ く暴露 された。
」1 0 )
「例外な しにすべての新 カン ト派は,弁証法的唯物論や唯物論的歴史観 に対 し,またプロレタ リアー トの世界史的役割,プロ,レク リア革命,プロレク、リアー
トの独裁に関す る学説 に対 して,す るど く否定的な態度を とった。
ドイツの新カ ン ト主義は,哲学, 自然科学における唯物論の普及に対す る反 動,ある程度 はヘーゲルの認識論的楽観論に対す る反動 として形成された。
」 11)
マールブルグ派,バーデ ン派,「この
2
つの学派 に共通な,そ して全体的な 潮流 としての新 カ ン ト主義の本質をあ らわ している特徴 は,「右か ら」のカ ント哲学の批判であって, この批判 はカ ン トの二元論か ら唯物論的要素を排撃 し
た。 」 1 2)
エ ンゲルスは言 う
。
「ドイツでは新 カ ン ト派がカ ン トの見解を,イギ リスで は不可知論者が ヒュ‑ムの見解を,それぞれ復活 させようとしているが, これ9)329
ペー ジ10 )344
ペー ジll ) 344
ペー ジ1 2 ) 346
ペー ジI 3 4
商 学 討 究 第44巻 第 3号 は学問の点では一つの退歩である‑‑」 1 3)
レーニ ンは言 う
。
「新 カ ン ト主義は,その根本的内容の点では,マ ッハ主義 または実証主義一般の主観的‑観念論的方向 と一致 してお り,新 カン ト派が物 自体を否定 し,化学の対象を悟性の純粋構成物に変えた ことは彼 らを この実証 主義へ導いていった。」1 4 )
ソ連アカデ ミーは言 う
。「 1 8 4 8
年の革命後, とくに ドイツ帝国の成立後,反 革命勢力にかわ った ドイツ ・ブル ジョアジーは,ユ ンカーの反動勢力 とかた く 同盟 し,革命的な労働運動やマル クス主義 とたたか うことに,その政治上,イ デオ ロギー上の努力をむけた。マル クスを 「くつがえ し」,あるいはす くな くともマル クス主義の革命的影響を制限す ること,労働者階級をブル ジョア ・イ デオ ロギーの影響 に したがわせて,労働者階級を思想的に武装解除す ること
‑ 支配階級 は,なによ りもまず, これをそのイデオ ローグたちに要求 した。
支配階級の この新 しい要求か らうまれた哲学上の多 くの学派や潮流 は,マルク ス主義 とその哲学にたい して広範な攻撃を展開 した。
労働運動 における反マル クス主義的な小 ブル ジ ョア的潮流‑ ラッサール主 義,デュー リング主義,のちには修正主義‑ が, ドイツの労働運動のなかに おな じ思想的混乱を もちこんだ
。 」1 5 )
「 1 9
C後半の ドイツのブル ジョアジ哲学 と社会学 は,ますます ブル ジョア制 度の弁護論 に転化 した。ドイツ古典哲学の最良の伝統,その弁証法を拒否す ること,いわんや過去の 唯物論的伝統を拒否す ること‑ これ こそ, この時代の ドイツのブル ジョア思 想の特徴である。
この時代 には,「カ ン トに帰れ」,「フィヒテに帰れ」などとい うスローガ ン が宣言 されたが, これは,実際には, ドイツ古典哲学の理論にふ くまれていた 保守的な内容や反動的要素を復活 させ, ドイツ古典哲学のなかにあったあ らゆ
1 3 )「フォイエルバ ッハ論」
14)『唯物論 と経験批判論』
15)『世界哲学史 6』374ページ
ヒル フ ァデ ィ ングにつ いて の2点
1 35
る進歩的な ものを忘却す るよ う呼びか けることを意味 していた。カ ン トの亜流 たちは,カ ン トの先天 [‑先験]主義,不可知論, ブル ジ ョア的倫理学説等 々 杏,絶対化す ることによって,カ ン ト哲学か ら唯物論的な側面を排除 しよ うと つ とめた。‑‑」16)「口先では社会の革命化,実践ではブル ジ ョア体制を安定化す る改良主義, とい うオース トロ ・マルスク主義の両義牲」17)があ った, と,オース トロ ・マ ル クシズムは理論 と実践がひど くかけはなれていた ことに特徴があ った, とい う見解 にたい して,
Kul emannは批判 的であ る
。「この発言 は,根本 で誤 っ てお り,い くらかの傾 向 と個 々の問題 で,正 しく特徴づけているにす ぎない。第
1
次大戦前 の時代 には,オ ース トリア社会民主党の理論 と実践 は,SPD
よ りも一致 していたと,比較すれば,言 い うる。 」 1 8)
エ ンゲルスの時代 はともか く, レーニ ンや ソ連邦の時代の解釈 は,経験批判 論が再評価 されて きている今 日, このよ うな簡単な批判 は通 じ事 な くなって く
るであろ う
。
1 6 )4 3 2
ペ ー ジ1 7 )Kul emann ,AT nBe i s pi e lde sAL L S t rOT n ar Xi smus ,Hambur g1 9 7 9,S. 4 5
1 8 )I bi d.,S.31
1 36
商・学‑討 究 第44巻 第 3号『金融資本論』の商品論
1.価値の実態 と (内在的)尺度
2.
価値の形態3
.価値の本質4.
交 換過程5.
総括的1.価値の実態と (内在的)尺度
エルスナーは,『金融資本論』‑での価値論 につ いて
3
つ引用 し,批評す る。1
.
「これ らの物 [交換 にお ける. 2
つの物] は商品生産社会で は一般 に, あ る 相互関係 に人 らざるをえないのであ り,そ して,それ らは社会的必要労働時 間の表現 として入 ることがで きるのである。 1) 」
これ に対 しエルスナ‑は,「そ うで はな くて,それ らは抽象 的労働 の表現 として関係 しあ うのだ。」 と評す る
。2)
2.
「どんな商品 も社会的に必要 な労働時間の体化 として価値を もつ 3)
」。 しか し,抽象的労働の体化 として,商品は価値を もつのである。以 上の引用か ら, ヒル ファデ ィングが価値の実体 と価値の大 いさ (内在的 尺度) とを混乱 していることが示 され る。
3.
「交換 における諸商品の共同行為, これが個人 の私的な個人 的な具体的な 労働時間を,価値を形成す る一般的な社会的に必要 な,抽象的な労働時間に 転化す る。 」 4)
ここで ヒル フ ァデ ィ ングは,抽象 的労働 時間 とい う新 しい範1)Rudol fHi l f erdi ng,DasFi nanzkapi t al .1 91 0(
以下,Fと略)S.6.Ann
l,国民文庫 (以下,国 と略す)
6 3
ページ,岩波文庫 ・上 ・旧 (以下,岩 と略す)2 2
ページ2
)エルスナ‑ 「序文」(『金融資本論』大月書店)Diet zVe rl agBerl i n 1 9 55
年版3)F.S.10 .Ann.2
,国68,岩28ヒルファディングについての2点
137
ち ゅうを発 明す る。これ はマル クス とは無縁である。ヒル フ ァデ ィングは「リ カ‑ ドの轍をふんで価値の量的関係 にとらわれて価値の質 をみお とすあやま ちにおちい った。た とえば, ヒル ファデ ィングは 「抽象的労働時間」 とい う よ うな新語をっか っているが, もともと 「労働時間」なる概念 は価値の大 い さをあ らわす ものであって,価値その もの,つま り価値の実体 は,抽象的労 働一十 対象化 された抽象的労働‑ である。だか ら 「抽象的労働時間」 というよ うな概念 は価値の量 と質 とを混同 している
。 」5)
2
.価値の形態ヒル ファディングの r貨幣の必然性」論 にたい して,価値形態の分析の軽視 とい う批判が宇野弘蔵 によって行われた。
さてエルスナーは,前掲 「序文」で価値形態 に関す る論及をほとん ど行 って いない。欧米のマル クス学者 は価値形態論を等閑視す る傾向がある。
6)
これ は不幸 に もエ ンゲルスの指摘が当た っている。「‑‑・また [‑『資本論』
の]付録で これ以上 それ [‑価値形態] について書 くこともないと思 う, とい うのは俗人たちは何 といって もこの種 の抽象的思考 には慣れていない し,おそ らく価値形態のために苦労 して は くれないだろ うか ら。
」7)
日本では戦前か らのマル クス価値論争 の成果があったため,宇野のよ うな批 判がで きた。宇野の論議 は,カウツキーの ヒル ファデ ィングに対す る批評,特 に紙幣に対す る批判を念頭 にお き, ヒル ファデ ィングの理論的誤 りを,商品‑
価値論 に根 ざす ものだ とし,カウツキーの批評 を内在的に発展 させた。
価値形態論を ヒル フ ァデ ィ ングが軽視 した ことは,「もともとマル クス価値
4)F.S.9.
国66‑ 7
,岩27
5
)林 要 『金融資本論入門』徳間書店1 96 5 ,31 2‑3
ページ6
)遊部久蔵編著『
「資本論」研究史』 ミネルヴァ書房1 95 8
年22
ページ7)Mar x‑ Engel s ,Br i e fet i ber " D asK
api t al " ,Be r l i n1 95 4,S.1 35
:マルク ス ・エンゲルス 『資本論に関する手紙』法政大学出版1 95 4 ,1 50‑1 51
ページ1 867
年6
月16
日手紙。8) 「
『貨幣の必然性』‑ ヒルファディングの貨幣理論再考察」(『資本論の研究』岩波書
店1 9 49
年)1 3 8
商 学 討 究 第4 4
巻 第3
号論の根本的特徴 は価値形態論を有す る点 にあ るのであるか ら
」
「いまだに核心 にふれていなか ったとい うことになる」8)
そ して 「マルクスの価値論を古典派 的な ものにお しもど して しまうことは,あさらかである。」9)
3.
価値 の本質ヒルフ ァディングは,「エル ンス ト・マ ッ‑によれば‑‑」以下の句で,貨 幣の神秘化を述べ る
。 1 0)
しか し神秘化 は物神性その ものではない。また,貨幣 の物神性 は商品の物神性の発展形態である。 l l )
4.
交換過程交換過程が述べ られる中で,貨幣の成立が論 じられる。
「貨幣の必然性 は,社会的に必要 な労働時間の生産物 としての諸商品の交換 に よ って 自己の法則 を経 験 す る とい う商 品生産 社会 の本 質 か ら発 して い る
。 」1 2)
と。その時彼の言 う 「商品生産社会の本質」 とは,「無政府性」なのである。
「貨幣によって,‑‑交換を媒介す る必然性 は,商品生産社会の無政府性か ら 生ず るのである。
」 1 3)
彼の結論 は,要す るに,「商品生産社会が無政府的であ った, この無政府か ら貨幣の必然性が生ず る」14)とい うことである。
この考えは多面で,次のよ うな表現または補足 となって くる。
「か くて貨幣は交易か ら自然生的に発生 し,そ して,交易以外のなに ものを も前提 しない。15)」
9
)遊部,2 2
ペー ジ1 0 )F. ,S.
ll.国6 9
,岩2 9
ll)宇野 もヒル フ ァデ ィ ングと同様 ,物神性 を商品 において見 ないで,貨 幣 において見
る,その うえ, それを神秘化 とみ る。1 2 )F.,S.1 2
(国)7 1
ペ ー ジ (岩)31
ペー ジ1 3 ) a.a. 0 ,S.1 3
(国)7
2ペ ー ジ (岩)3 2
ペ ー ジ1 4 ) a.a. 0 ,S.1 8
(国)7 8
ペ ー ジ (岩)3 9
ペー ジ1 5 ) a.a. 0 ,S.1 3
(国)7 2
ペー ジ (岩)3 3
ペー ジヒル フ ァデ ィ ングにつ いて の 2点
1 39
貨幣の必然性 を,「無政府性」 1 6)
,「交易」に求め ることは,ス ミス ・リカー ド的な経済学‑戻 ることである。価値形態 ・交換過程 と 「貨幣の必然性」の理解 について,飯田繁 17)は述べ る
。
すなわち,氏 はローゼ ンベル グの説 に従 って,貨幣の本質論 と発生論 とを 区別 し,マルクス 『資本論』第2
版の第1
篇第1
章の価値形態論が前者,同第2
章の交換過程論が後者であるとす る。ローゼ ンベル グは言 う。「貨幣の問題 は, もっとも一般的な形では,つ ぎの
2
つの基本的な問題 に帰着す る。
すなわち, (‑)貨幣の本質の問題‑ それ の社会的本性 はどういうものか,それはなにを表現す るか, とい う問題,(二) 貨幣の発生の問題‑ それはどのように発生 したか, という問題である。
そ し て第1
章では第1
の問いに,第2
章では第2
の問いに解答があたえ られ るので ある。価値形態の分析 は貨幣の本質を暴露す るが, しか しそれが どのよ うに し て,どういう原因で発生 したかは しめさない。 ところが交換の分析は,交換が 遭遇 し, また貨幣の出現 にみちび くもろ もろの矛盾 と困難 を暴露す るのである。
したが ってマル クスは第
1
章 と第2
章で,貨幣の問題 に異なる側面か ら接近 しているのである。 」 1 8)
飯田氏 は, ヒル ファデ ィングその他を批判 しっつ,結論 として言 う
。
「貨幣の発生 は商品社会 においては必然的である。しか しその必然性 は,けっ して単に商品社会 における交換の必然性の中だけに存す るのではな く, さらに
1 6 )
ヒル ファデ ィングは貨幣の必然性を 「商品生産社会の生産諸関係 ・・・その ものの なかに深 くそ して強 く求め ることを しないで, この社会 の生産諸関係 における本質 的矛盾のたんなるひ とつの外面 的なあ らわれにす ぎないそれの無政府性 ・・・のな かに もとめよ うと した。」信用理論研究会 『講座信用理論体 系』 Ⅲ 日本評論新社1 95 6
年238
ペ ー ジ.っづ いて 「かれ は,
『交換』をば, ・・・貨 幣を うみだす唯 一 の源泉 と してみた」同236
ペー ジ1 7 )
飯 田 「貨幣の必然性.一・・.流 通主義的貨 幣論 に対す る‑批判‑」
『経済学雑誌』第1 9
巻第4・5
号1 9 48
年1
1月,所収。1 8 )
デ ・イ ・ローゼ ンベル グ著 エ リ ・ヴィゴ ドスキー編 (新版)『資本論注解』
1, 青木書店1 96 2
年1 77 3‑4
ペー ジ1 40
商 学 討 究 第4 4
巻 第3
号根底的に,商品社会における歴史的に特殊な生産諸関係 によって規定 された価 値 および価値形態の必然性その ものに直接起因 している。」19)そ して,生産諸 関係 に起因す る貨幣発生の必然性 は,交換過程においては じめて現実化す る。
か くして,貨 幣本質 の理解 が貨 幣発生論 の理解 の前提 で あ るとす るので あ る
。2 0 )
5.総 括 的
ヒルファディングの商品‑価値論を総括的に見てみる
。
これは, 1.価値関 係,2.
物神性 と史的唯物論,の2
つか ら見 ることがで きる。1
価値形態の分析の軽視は,その直接の理論的な原因を,価値の実体 と大いさ の混乱に持 っている。
貨幣の必然性を価値形態の発展 という側面か ら論ず る時,すなわち 「貨幣形 態の発生を証明す ること‑ つま り,諸商品の価値関係 に含 まれている価値表 現の発展を,それの最 も簡単な最 もみすぼ らしい姿態か ら,燦欄たる貨幣形態 までたどる
」2
1)とき,最 も簡単な価値形態の分析 は本来的に困難を呈す る。な ぜな ら,「あ らゆる価値形態の秘密 は, この簡単な価値形態の うちに潜んでいる
」2 2 )
か らである。
マル クスは言 う。「一商品の簡単 な価値表現が 2つの商品の価値関係の うち に如何 に潜んでいるかを発見す るためには」一体 どうすればよいか ? ここに
1 9 )飯 田,36‑37
ペ‑ジ20 )飯 田論文では,宇野論文 (
前掲書78
ペー ジ) と方法論がちが うが,同一論点を含 み,宇野の指摘 (ニヒルファディングにおける価値形態論の不十分)と共通なもの がある。宇野論文 は1930
年発表だか ら,歴史的には飯 田論文よ り早 い。2
1)KarlMarx , Das Kapi t al .Kr i t i h derpol i t i sc hen dhonomi e. Erst er Band Nac h4.Auf l .1 nst i t utf t i rMar xi smus‑ Leni ni smusbei m ZK der SED.Di et zVe rl agBerl i n 1 966,S,6 2
カ‑ル ・マル クス著 長谷部訳 『資本 論』第1
部上冊 青木書店1 96 2
年1 3 3
ページマル クス 『資本論』第
1
巻 向坂訳 岩波書店1 967
年62‑63
ペー ジ (以下, 各 々Kapi t al ,4.Auf l .
(育 )(岩) と略す)22 )a.a.0., S.63(
育)13 4
ペー ジ (岩)63
ペー ジヒル フ ァデ ィ ングにつ いて の 2点
1 4 1
問題の核心がある。それには,「ぎ・しあた り, この価値関係を,それの量的側面 にはまった く係 わ りな しに考察 しなければな らぬ。ひとは大抵 これ と正反対のや り方を して, 価値関係の うちに,二種類の商品の一定分量がそれにおいて相互 に等 しいとさ れ る比率のみを見 る。相異なる諸物の大いさは,それ らが同 じ単位 に還元 され たのちには じめて量的に比較 され うるもの となるということを,ひとは看過 し ているのだ‑・
・・2 3)
」同 じことを,続 く注で述べ る
。S.
ベイ リーのよ うに価値形態の分析 に従事 した少数の経済学者が何 らの成果を も挙 げることがで きなか った理 由の‑つ は,最初か ら専 ら価値の量的規定性のみに注 目したか らである, と。
「 2 0
エル レの亜麻布‑ 1
枚の上衣であろうと,‑2 0
枚の上衣であろうと,Ⅹ
枚の上衣であろうと,すなわち,ある与え られた分量の亜麻布が多 くの上衣 に 値 しよ うと,僅かの上衣に値 しようと,すべてのこのような比率は,つねに, 亜麻布 と上衣 とは価値の大いさとしては同 じ単位の表現であ り,同 じ本性を も つ物であるということを含んでいる。亜麻布 ‑上衣 ということが,方程式の基 礎である。」
その上で,問題が展開す る。
「しか し,質的に等置されたこの
2
角商品は同 じ役割を演ず るのではない。亜麻布の価値のみが表現 され るのだ。では,如何 に してか ?24)」 とo マル クスは,『資本論』初版で も述べ る
。
「もしも我 々が,簡単な相対的価値表現 Ⅹ量の商品
A‑y
量の商品B
に おいてただ量的関係のみを観察す るな らば,我 々はまた,相対的価値の運動 に 関 して以上展開 した諸法則‑ それ らはすべて,商品の価値の大 きさはその生 産のために必要 な労働時間によって規定 され るとい うことに基づいている‑のみを兄いだす。 しか し, もしも我 々が,両商品の価値関係を質的放免か ら観 察す るな らば,我 々は,かの簡単な価値表現の うちに,価値形態の ・従 って一一
2 3 ) a.a. 0. , S. 6 4
(育)1 3 6
ペー ジ (岩)6 5
ペ ー ジ2 4 )I bi d.
(育)1 3 6‑7
ペー ジ (岩)6 5
ペ ー ジ142
商 学 討 究 第44巻 第 3号 言で言えば貨幣の ・秘密を発見す るのである。2 5'」
以上,価値形態の分析を始めるに当た っての基礎的問題 を考察 したわけであ るが,前節ですでに見たよ うに, ヒルフ ァデ ィングは,価値の質 と量の問題を 混同 しているために,有効 な価値形態の分析を行 うことが出来ないのは理の
当
然である26)。第
2
の論点,物神性 と史的唯物論 に進 もう。
そ こでは, ヒルフ ァデ ィングの 経済学方法論が特徴的に現れている。「第
1
章」の冒頭か ら,
「人間の生産共同体」が とりあげ られている。
「人間 の生産共同体 は,原則 として,二様の方法で構成 され うる。 」
1つは,「意識的 に規制 されている27)」社会であ り,他 は 「意識的規制を欠 く社会 28)」である。この考え方 は, ヒル ファデ ィングの首尾一貫 した,特徴的な考え方であ る
。
シュタムラー( Rudol fSt amml e r ,1 8 5 6‑1 9 3 8 )
による,社会経済 の 2つ の分類方法を見てお こう。
それは ヒルファディングの分類方法 と似ている。
シュタムラーは,社会経済を,その経済的活動の行われ る形式的様式 に従 っ て 「統一経済」 と 「自由貢献の体系 における社会経済」 とに分 ける
。
「統一経済」 とは,一個の中心があって,それによって支配 され,指導 され る社会経済である。換言すれば,一定の人類圏の法律的秩序が統一的中心か ら 直接 に働 いてその協働を規定す る もので ある。「自由貢献の体系 における社会 経済」 とは,各人がその社会生活 において協働をす るに当 り, 自由に事故決定 がで き何等他人の干渉を受 けない経済組織である
。
社会主義の経済 は前者であ り, 自由主義 もしくは個人主義の経済 は後者であ る, と。
25 )Marx,Das K
api t al .Erst e Auf l . ,S.2 0‑2 1
河上 ・宮川訳 第1
巻上冊 改 造社1 9 3 1
年3 3 0
ペー ジ2 6 )
宇野論文では,かかる点が述べ られていない。価値形態の分析の軽視は,まさにこ の点に原因がある。宇野論文では,そこまで論ずる課題がなかったというのが実際 である。27 )F.,S.1
(冒)55
ペ ー ジ (岩)1 5
ペー ジ2 8 ) a.a .0. ,S.2
(国)5 6
ペ ー ジ (岩)1 6
ペ ー ジヒル フ ァデ ィ ングにつ いて の
2
点143
ヒルファディングはここで,新 カ ン ト派のシュタムラーと共通の考えを もっ ている。 2 9)
さて,意識的に規制 されているかどうかの観点で社会を区別す ることは,そ れ 自体決 して誤 りではないが,位置づけ次第では誤 りに転化す る。マル クス主 義にあっては,人間の社会を区分す るメル クマールは,第 1に,階級の観点, すなわち階級があるかないかであ り, ヒルファディングの区分 は,その次に来
るべ きである。
次 に ヒル ファディングにあっては, この点 と関連す るが,奴隷制社会 ・封建 制社会の位置づけが不明確である
。
「意識的に規制 されている」社会 に,
「自己経済的家長制家族
」
「共産的部族」
「社会主義社会」30)を入れている。「意識的 規制を欠 く社会」 は,「商品生産社会」
であ る。奴隷制 ・封建制社会 は, どこ に も入れていない。 31 )
この基本的考えは,以下述べ る 「交換」の重視 に影響を与える。あるいは交 換の重視が, この考えを作 ったか もしれない。
「この意識的組織を欠 く社会」すなわち 「私有 と分業 とによってその原子 に まで打 ち砕かれた社会」 にあっては,「交換」行為 によって初めて 「関連」が 作 り出され る
。 」
「そ して,ただ社会的関連の媒介者 としてのみ,交換 は,理論 的 ・経済学的分析の対象をなす。3 2 ) 」
ここでは,マル クスの物神性の 1面が とりあげ られている。 しか し本来,理 論的 ・経済学的分析の対象た りうるのは,人 と人 との関係が物的関係を とると
い う時である。そ して,そ うい う性格を与えるのは,「商品を生産す る労働の 独 自的 ・社会的性格 33)
」
である。 ヒル ファデ ィングは,社会的関連の媒介者2 9 )
左右 田喜一郎監 修 ・横浜社会 問題研 究所編 『新 カ ン ト派 の社会主義観』岩書店1 9 2 4
年この発想 は,テ ンニエス『ゲマイ ンシャフ トとゲゼル シャフ ト』に も共通性があ る0
30 ) a.a.0. ,S.
1.
(国)55
ペ ー ジ (岩)15
ペ ー ジ3
1)彼 の生産共同体 を社会構成体 と見 な して考 えた場合であ る。3 2 ) a.a. 0. ,S.2
(国)5 6
ペー ジ (岩)1 6
ペー ジ33 )K
api t al ,4.Auf l . S.87
(育)173
ペー ジ (岩)96
ペー ジ144
商 学 討 究 第44
巻 第3
号としての 「交換」を取 り上 げるが,それでは 1面的である。
彼 は,第
1
の種類の社会 と第2
のそれ とにおける,交換の違 いを鋭 く述べ る。それはその通 りであり,「交換」は鋭い違いがある。そ して言 う
。
「理論経済学の任務 は,かよ うに規定 された交換の法則を兄いだす ことであ る。」94)
しか し理論経済学の任務 は,交換の法則を兄いだす ことだけではない。
ヒルファディングの価値論を古典派価値論 と比較 して見 ると興味深い。
「古典派経済学の価値論の欠陥を要約すれば,それは価値の形態および本質 の研究を全 く欠 き,更 に実態概念が尺度論 によって蔽われてい る点 にある‑
.H r35)
̲
」
ヒルファディングは,̲Eここか ら,価値形態論の軽視,そ して貨幣の交換過程 論的説明を行 うことになる
。
ヒルファディングめ このような 「交換」重視は,エルスナ一によって も指摘 されている
。
マル クスにとっては 「生産関係が,人間のあ らゆる経済関係た とえば交換関 係にとって も基礎をな している。『一定の生産 は,だか ら,一定の消費,分配, 交換, これ らさまざまな要素の一定の相互関係,を決定す る』36)と,マル クス
は書 いている。 これに反 して, ヒルファデ ィングにとっては交換関係が,流通 が本質的である
。 」 3 7)
ヒルファディングにあっては,本質的である生産関係 に注意が払われず,覗 象的である交換関係 に目を奪われた。マル クス主義か ら俗流経済学の方向に行
きっっある
。 38)
以上のよ うな交換重視は,経済学を 「狭義の経済学」のみにお しこめ,限定 して しま うこととなる。従 って,「広義の経済学」 はかれの考え方か らは成 り
34 )F.,S.3
(国)57
ペ ー ジ (岩)1 7
ペ ー ジ35 )
遊郭久蔵 『古典派経済学 とマル クス』世界書院19 61
年36 )Marx
,Gr undr i s sederKr i t i hde rpol i t i s chendho' wmi e. Rohent wur f
,1 857‑1 8 58 .Di e t zVerl agBerl i n1 953S.20
『経済学批 判要綱』第1
分冊, 大月書店1 9 59
年,21
ペー ジヒル フ ァデ ィ ングにつ いて の2点
1 4 5
立っ余地がない。すなわち,商品経済社会だけが彼の対象である。交換 は商品 生産社会 においてのみ問題 となるか らである。しか し本来,交換 は,それをその もの としてだけでな く,生産関係を究明す るために,交換が問題 とされねばな らない。
資本主義的生産関係の解明は,他の社会構成体‑ ヒルファディングはこの 言葉を余 り使わない‑ の解剖の鍵 を与え る。39)生産関係 は,「交換関係」 と 異 な り,人間の社会の全歴史を通 じて問題 とな る。
彼の経済学での,生産 ‑階級の視点の軽視 は,広義の経済学の不可能 さの根 拠 となる。交換の重視,生産 ‑階級観点の軽視,広義の経済学の無視 は,互 い
に内的に関連 している。
以上述べた ヒルファディングの方法論 は,史的唯物論を経済学か ら切 り離そ うとい う結果を生む。 またこの考えは,オース トリア ・マル クス主義 とも無縁 ではない。