「社会政策論の復活」について 一舟橋教授の説を中心にー
松 井 栄 一 (文理学部経済学研究室)
On “A Revival of the Controversy on Social Policy”
Eiichi Matsui は じ め に 社会政策の本質にかんする岸本英太郎教授の理論をめぐって,いぜんとして,熱っぽい論議が続 いている.最近,舟橋尚道教授は「社会政策論の復活」(「日本労働協会雑誌J No. 153,昭和46年12月」 と題する論文のなかで;岸本教授が社会政策の本質論に政治理論を含め,社会政策の政治的本質を 主張しているごと,およびその経済理論の中心に労働者階級の窮乏化法則を据えていることにたい して,批判を.く・わえている. 舟橋教授によれば,社会政策の本質論は経済理論のみから成りたつべきであって,それに政治理 論を含ませてはならないことになる.この主張は労働力の価値法則にたいする教授の理解から発し ている.教授は,社会政策の「経済的必然性」が労働力の価値法則の作用にある,という. このような舟橋教授の理論は目新しいものではない.同じような主張は,かつて岸本教授によっ てなされたこともある.その意味でこの論文は,その題目どおり,旧い社会政策論の復活である. 小稿は,舟椙教授が提起している問題のなかでも,とくに労働力の価値法則と労働者階級の窮乏 化法則との「構造的関連」を明らかにすることに留意し,かつ労働者階級の欲望向上の法則にかん する叙述にかなりの力を注いだ.たんなる舟橋理論批判に終わることを避けるべく努めた. したがって時には,舟橋教授の論点の範囲をこえて,積極的に理論を展開することを企ててい る.そのさいに,当然のことであるが,岸本理論にたいする他の批判者の論点を考慮に入れてい る. 一 舟橋教授は「社会政策本質論争の不毛性の原因」が「社会政策の方法論の検討かほとんど不在で あったこと」1)にある,と判断している.教授によれば,「方法論は,国家の社会政策という具体的 な社会現象をいかなる方法にもとづいて把握するかを問題とするものであり,社会政策についての 内容規定を含むものではない.それはもっとも抽象的な原理論(本質論)からはじまって,……最終 的には各国の社会政策の具体的な現状分析にいたる研究方法を提示するものである.これにたいし て本質論は,社会政策についてのもっとも抽象的な内容規定を明らかにするものであり,いってみ れば社会政策の方法論のなかでその位置を与えられるものなのである」2)と論じられる. つまり,教授は社会政策の「もっとも抽象的な原理論(本質論)」は社会政策の方法論によって位 置づけられるのであって,過去の社会政策本質論争では,岸本教授の理論にみられるように,本 来,本質論のなかに含められてはならない政治理論への傾向が生じてきている,というのである. 社会政策か政治であることはいうまでもない.そうして社会政策が労働条件の維持・改善をもた らす改良政策であるので,その政治の本質を明らかにするために経済理論がもとめられたのであ
16 高知大学学術研究報告 第21巻 社会科学 第2号 る. したがって,もし舟橋教授のように,社会政策の本質論を個理論」とよぶならば,その「原理 論」は経済理論のみから成りたつことはない.その「原理論」から政治理論を削り落とすことはで きない.社会政策の本質論は経済理論と政治理論との統一でなければならないのである. もちろん,舟橋教授のいう社会政策の「原理論」は,世上で特別の意味をもたせていわれてい る,例の「原理論」の範囲にどどまるものではないようである.それは「資本一般」の論理の範囲 をこえて,社会政策の究明に必要な程度の経済理論の具体的な展開をふくんでいるように見受けら れる. しかし,その経済理論がいかに精しく正しいものであっても,社会政策の本質論としては不充分 なのである.社会政策を対象とするかぎり,その本質論の段階で,経済理論の上に政治理論が展開 されねばならない. 岸本教授は「社会政策は資本の運動法則・賃労働の理論に立脚して,これを政治として規定しな ければならない.社会政策は経済理論のみによっては到底把握することはできない」3)とのべてい るが,これにたいして舟橋教授は「社会政策本質論,原理論においてはあくまでも経済学的分析に 徹することが必要である.経済学的原理論に突如として政治論がむすびついたとしても,それはか えって理論的混乱をきたすだけであって,社会政策の科学的解明になんら役立つものではない.な にもかもごっちゃに論ずることの非科学性を避けるためにこそ,方法論が必要になるのである」4’ という. 社会政策の本質論が抽象的な経済理論から出発することは当然である.しかし,それは,おそら く舟橋教授も考えているように,「資本一般」の理論よりは賃労働の理論に近いものに具体化され るであろう.そうして,その上に生まれる政治理論は,経済理論と統一されて社会政策の本質論を 形づくることになる. 論争の結果,明らかにされたのは,岸本教授が断言するように「社会政策の必然性は経済的なも のではなく,社会的・政治的なものだということであった.Js) もし岸本教授の理論か「経済学的原理論に突如として政治理論がむすびつく」ものであれば,批 判を受けねばならない.しかしそれは,社会政策の本質論に政治理論が入りこんでいるから批判さ れねばならないというのではない.経済理論に政治理論を「突如として」むすびつけたのであれ ば,それは論理の展開に何らかの欠陥があったことになるので,批判されねぱならないであろう. 舟橋教授が方法論と本質諭との関係を論じ,本質論から政治理論を排除するのは,教授の場合, その経済到1論のみによって社会政策の本質を解明できるという見通しをもっているからである丿と 思われる. つぎに,教授の経済理論を考察することにしたい.・ (註) 1)舟橋尚道,社会政策論の復活,(日本労働協会雑誌JNo. 153,昭和46年12月,5ページ. 2)同上. 3)岸本英太郎「労働経済と社会政策」,昭和42年,190ページ. 4)舟橋,前掲論文,9ページ. 5)岸本,前掲m> 114ページ. 一 舟橋教授は,大河内一男教授が社会政策の「経済的必然性」を説明するためにもちいた「労働力 保全」という概念について,つぎのように評している.「労働力保全ということは,いうまでもな く総資本の政策の意図を説明する言葉であり,いわぱ日常的な概念である.それは経済学的概念で
「社会政策論の復活」について (松井) 17 もなければ,ましてや経済法則でもない.……「労働力保全」という概念は,・・・・・・経済学的概念で はなく,この概念が他の概念と内的関連をもったり,具体的な概念に必然的に上向発展することな どはありえないのであるJI’と. 岸本教授ものべているように,「労働力保全という価値関係抜きの経済学以前的規定をまず厳密 に経済理論的に規定しようとした努力がまさに社会政策論争史であった.」2’「労働力保全」はあら ゆる社会を通じて法則性をもって貫いている.ただ,この「労働力保全」は資本主義社会では労働 力の価値の運動を通じて実現される,このことを見失ったために大河内理論は生産力説として批判 にさらされたのである.「労働力保全」についての岸本教授の発言は,一見したところ,舟橋教授 のそれに似ているが,しかし,「社会政策論の根本問題」を「社会政策における生産力と生産関係」 から説きおこした岸本教授の言葉は慎重である. , 舟橋教授は「労働力保全」という概念が「経済学的概念ではなく」,「他の概念と内的関連をもつ」 ことはないといいながら,他方では「労働力の価値法則には,労働力保全の要因が当然に含まれ る」3)とのべ,「労働力保全」と労働力の価値法則との関連をみとめている.もしこの両者に関連か なかったら,大河内理論から岸本理論への転化は生じなかったであろう. ところで,資本主義社会では,労働力の価値法則を通じて労働力が保全されるだけでなく,一層 具体的な相対的過剰人口の法則によって,産業予備軍の創出という形で,労働力が保全される.産 業予備軍の創出こそ,もっとも資本主義的な「労働力保全」である. したがって,舟橋教授のように,「労働力保全という概念と,産業予備軍という概念は,ま.つた く範鴫の異なるものであり,その論理的つながりを解明することはできない」4)と断定することは 不可能である.もともと階級社会における労働力の保全は直接的生産者の貧困をふくんでいるので あって,資本主義社会の労働者もその例外ではない.しかも,この社会では「労働力保全」という 概念のなかに産業予備軍の創出が含まれているのである. 舟橋教授もいうように,「大河内教授は,個別資本の労働力濫奪による労働力の磨滅にたいして, 総資本の立場から労働力を保全せざるをえない必然性があると主張されるのであるが,もし労働力 の磨滅が起こったとしても,資本制蓄積の一般的法則にもとづいて形成される産業予備軍が新たな 労働力を供給し,あえて労働力を保全する必要もないということになる.」5’ 舟橋教授は「労働力保全」という概念では「イ也の経済学的諸法則との関連がまったくたちきら れ」るといっているが,「労働力保全」を他の諸概念から切りはなすことによって,論理の展開を 自ら閉ざしているように見受けられる.そのためか,教授が「労働力保全」を,つぎにみるよう に,労働力の価値法則におきかえても,この法則もまた,教授の手によって「他の経済学的諸法則 との関連」を「まったくたちきられ」てしまうのである. (註) 1)舟橋,前掲論文,6ページ. 2)岸本,前掲書, 109ページ. 3)舟橋,前掲論文,6ページ. 4)同上. 5)同上,5ページ. − − − 舟橋教授は,大河内理論を批判して,「社会政策の経済的必然性を,労働力保全として把える場 合に生ずる第一の難点は,資本制蓄積の一般的法則との関連か不明確になることである」1)との べ,「社会政策の経済的必然性は,労働力の保全ではなくて,労働力の価値法則の作用とすべきで
18 高知大学学術研究報告 第21巻 社会科学 第2号 あった.すなわち社会政策は,資本主義社会における労働力の価値法則にもとづいて実現されるも のであり,逆にいえば労働力の価値法則は,社会政策を媒介にして貫かれるものなのである」2)と 論じている. ここでは,労働力の価値の運動を追究しながら,等価交換と価値以下への賃金の低下がともに価 値法則の産物であることを明らかにすることによって,労働力の価値法則についての教授の見解を 批判し,その階級闘争と社会政策の「経済的必然性」にかんする理論が誤った価値法則論から生ま れていることを指摘したい. はじめに労働力の価値法則について抽象的な規定を与えておこう.それは第一に,労働力の価値 が生活資料の価値の合計からなりたつこと,第二に,生産性向上のなかで生活資料の価値が小さく なれば労働力の価値も小さくなること,第三に,労働力の等価交換をもたらすこと,等を意味して いる. したがって,労働力の価値法則は,抽象的には,他の一般商品の価値法則と同じく,等価交換の 法則とよぶことができる. = ところで,労働力の価値法則を等価交換の法則と厳密に規定したとしても,それは価値以下へめ 賃金の低下を否定するものではない.むしろ,労働力の価値法則が貫いているために,供給過剰の さいに賃金が価値以下に低下する,というべきである.また,等価交換そのものは需給関係によ’る 賃金の変動なしには成立しえないのであって,その成立は供給過剰のさいに賃金が価値以下に低下 することを含んでいるのである. 舟橋教授は「資本制蓄積の一般的法則によって賃金が労働力の価値以下に低下するとしても,依 然として労働力の価値法則は作用をやめない」3’というが,逆に,労働力の価値法則が作用をやめ ないから賃金が労働力の価値以下に低下する,といった方がよいように思われる.教授は,労働力 の等価交換を需給関係による賃金の変動のなかから抽象せずに,観念的にとらえているように見受 けられる.その・ために教授にあっては,同じ法則から生まれる労働力の等価交換と価値以下への賃 金の低下とが切りはなされ,対立させられ,内的連関をたち切られている. もちろん,労働力の価値法則と一般商品のそれとの間には大きい違いがある.一般商品にあって は価格の変動が需給関係を調整し,その結果価値と価格が一致するのであるが,この法則の作用を そのまま労働力に・あてはめることはできない. 一般商品の場合には,供給過剰による価格の低下は生産の縮小をひきおこし/需給関係が逆転し て価格が上昇しはじめ,その結果生産が刺激されてふたたび供給過剰におちいる.このような価格 変動を通じて,平均的に価値と価格の一致がみられる.すなわち,価格の迎動か需給関係を調整す る機能を果たし,等価交換のための条件,需給関係の均衡をつくりだすのである.商品の価値法則 が無政府的な競争をもたらし,その競争のなかで等価交換が成立するということが忘れられてはな らない. 労働力についてはどうか.労働力の再生産は資本の再生産に包摂されているが,労働力の直接の 供給者は労働者である.いま資本の蓄積の減少による労働力の過剰が賃金の低下をもたらしても, 労働力の供給が制限されることはない.需給の一致は困難である.結局,蓄積の増大をまって,は じめて需給関係が均衡し,賃金が労働力の価値に一致することになる. しかし,のちに考察するように,労働力の価値の運動は剰余価値の生産に従属しており,資本蓄 積にともなうその有機的構成の高度化は資本の「中位の価値増殖欲」にとって過剰な労働力,産業 予備軍をつくりだす.一産業循環を通じて予備軍が増減し,それとともに賃金が変動するが,賃金 の平均水準は労働力の価値以下にとどまる.労働力の価値法則のもとでは賃金はそうならざるをえ ない.
二〔社会些風論の復活〕について (松井) 1々 このよヽうに見てゆくと,労働力の価値の運動は自らの作用によって価値と賃金の一致の丸めの1条 件,すなわち労働力の需給関係の均衡をつくりだすことはできないように見受けられる. ,j ところで,上にのべたのは価値に価格が一致するための機構の有無であったが,逆に,価格に価 値が一致するための機構についても考察しておかねばならない. ノ しへj 一般商品の場合,価値以下への価格の低下が続くときには,その摺に生産性が向上し,低い価格 に見合う価値が成立することになる. ・, ’l 労働力の場合,価値以下への賃金の低下が長期にわたるとき,その間に生産性の向上か生活資料 の価値を小さくさせ,低い賃金に見合う労働力の価値が成立する/この過程は一般商品の価値の運 動にきわめて似ている. これは相対的剰余価値の生産である.労働力の価値自体,その最低限である肉体的再生産費にい たるまでの幅広い変動の余地をもっている.したがって,賃金の低下が長期化すれば,それによっ て労働力の再生産費が小さくなり,労働力の価値も小さくなる,と説く理論が生まれてくる. しかし,のちに考察するように,ヽ生産の社会的性格から生ずる労働者階級の欲望の向上は時代と ともに労働力の価値が大きくなることと結びついており,他方では一般的にいって,生産の発達は 資本の有機的構成を高度化し,必然的に産業予備軍をつくりだすのであるから,結局,労働力の価 値以下に賃金が低下することになる. 以上の考察から明らかなように,労働力の場合,賃金の変動が需給関係を変えることによって価 値と賃金の一致のだ必の条件をつくりだ士ようなことは一般におこりえない. すなわち,労働力の価値は一定の国,一定の時代に一定の大いさをとることになるが,労働力の 価値が減少する場合を想定するのは論理的でないし,現実的でもない. ただし,労働力の価値が時代とともに増大しても,それは相対的剰余価値の生産の発達を妨げる くらいには増大しないであろう.資本主義の生産力はきわめて弾力的に成長するし,また,労働力 の価値ないし賃金の増大が生産力の一層の成長を刺激するからである. 舟橋教授は,労働力の価値法則が等価交換を必然化すると考え,その法則を「基本的法則」とみ なし,かつその法則が労働者階級の窮乏化法則と相対立する法則である,とみなしているようであ る. しかし,労働力の価値以下への賃金の低下は労働力の価値法則のもとでおこりうるし,しかも, 剰余価値の法則は窮極において,相対的過剰人口を生みだし,賃金を低下させるのであって,この 法則が自らの力で労働力の需給関係を均衡させることはありえない. 教授は,「労働力の価イ直法則が作用しているからこそ階級闘争が展開されるのであり,その意味 において階級闘争は,経済法則的根拠をもったものなのであるJ4; という.教授は階級闘争の根拠 を等価交換にもとめている.つまり,賃金の価値への復原力が労働者を闘争にかりたてる,という のである. だが,労働力の価値法則を単純に等価交換を必然化するものとしてとらえ,価値への賃金の復原 力に期待するのは正しいとはいえない.一般的にみて労働力の価値は自らの運勁を通じ,て等価交換 成立のための条件,すなわち労働力の需給の一致をつくりだすことはできないのであ’る. 舟橋教授は,岸本教授かその本質論に「突如として」政治理論をもちこんだと批判しながら,自 身,労働力の価値法則という極めて抽象的な法則を,もっとも「抽象的に」労働力の等価交換を必 然化するものと理解し,そこへ「突如として」労働者階級の闘争をもちこんでいる. 社会政策論争のなかで,労働力の等価交換の成立の必然性を説く理論にあっては,階級闘争の理 論上の位置づけが不明確になる,ことが明らかにされてきた.舟橋教授も例外ではない.教授は 「社会政策の成立にあたって労働運動が必ず大きな役割を果たすと考えるのも間違いである.……
20 高知大学学術研究報告 第21巻 社会科学 第2号 社会政策の成立にあたって労働運動が必須の要因であると考えることはできない」5’とのべている. したがって,教授によれば,「階級闘争は,社会政策を成立させる一つの原動力」にすぎず,「社 会政策は,資本主義社会における労働力の価値法則にもとづいて実現されるものであり,逆にいえ ば労働力の価値法則は,社会政策を媒介にして貫かれるものなのである」6)とのべられる. このようにして教授は,「社会政策を直接的に規定する経済法則」7’ , すなわち教授のいう「労働 力の価値法則」に社会政策の「経済的必然性」を見出だすのである. (註) 1)舟橋,前掲論文,5ページ. ゛2)同上,6ページ. 3)同上,10ページ. 4)同上. 5)同上,8ページ. し 6)同上. 7)同上,9ページ. 四 舟橋教授は社会政策の「経済的必然性」を労働力の価値法則に見出だすさいに,その法則を資本 主義の生産関係,もしくは賃労働関係の「基本的経済法則」とみなしている. 教授によれば,「資本の運動法則は,窮乏化法則以外に多くのものがあるのであり,とくに賃労 働に関連した法則として労働力の価値法則の存在を無視するわけにはいかない.理論的にもっとも 重要な問題は,労働力の価値法則と資本制蓄積の一般的法則との構造的関連をどのように把握する かということである‥‥‥‥資本主義社会の法則としては,価値法則,したがってこの場合は労働力 の価値法則か基本的法則であり,資本制蓄積の一般的法則は,副次的な法則である」1)と論じられ る. 「労働力保全」のために必要な労働はいわゆる必要労働である.階級社会では,この生産に不可 欠な直接的生産者の「労働力保全」のための必要労働が,支配階級のために営まれる剰余労働に従 属してしまう.必要労働と剰余労働との,この顛倒した関係は,資本主義社会では労働力商品の二 重性によって受けつがれる.ここでも,剰余労働のもとに必要労働が,剰余価値の生産のもとに労 働力の価値の再生産が従属させられる. . このことは,資本主義の基本的経済法則が剰余価値の法則であることをしめしている.したがっ てに教授のごとく労働力の価値法則を「基本的法則」とみなすわけにはいかない. 資本主義の基本的経済法則が剰余価値の法則であるために,労働力の価値以下への賃金の低下が 予想されるのであるが,その法則の一層の具体化である資本制蓄積の一般法則,相対的過剰人口の 法則によって,産業予備軍が創出され,賃金の低下か現実のものとなる. 産業予備軍の創出は労働力の需給関係を変え,価値以下に賃金を低下させるか,これは労働力の 価値法則があってはじめておこりうる現象である.したがって,それは労働力の価値法則,等価交 換の法則を否定するものではない. ・舟橋教授は,岸本教授の「最大の理論的欠陥は,窮乏化法則を資本の迎動法則として全面化して 把えた点にある.教授にとっては,窮乏化法則こそが資本主義社会の法則のすべてであり,他の法 則は目にはいらない.たとえ他の諸法則に言及されることかあったとしても,それは窮乏化法則に 従属したものとして考えられているにすぎない」2’という. 岸本教授は賃労働にかんする一般理論として労働者階級の窮乏化理論をかかげている.それは資 本主義の基本的法則,剰余価値の法則を中心に種々の経済法則を,「内的関連」をもたせて,位置
「社会政策論の復活」に七)いて (松井) 21 づけた結果,えられたことである, しかし,舟橋教授の場合,労働,力の価値法則を需給関係から機械的に切りはなして理解している ために,等価交換が観念的にとらえられ,それと価値以下への賃金の低下との関連が法則の面から 明らかにされていない.教授の文脈からすれば,等価交換と窮乏化とは対立するものとして把握さ れている,と判断することができる. △ その結果,教授は「労働力の価値法則」に階級闘争の「経済法則的根拠」を見出だすことにな,つ たのである. (註) 1)舟橋,前掲論文,10ページ. 2)同上. 五 労働者階級の窮乏化法則,とくに絶対的窮乏化といわれるものは,労働者階級の闘争の直接的な 「経済的原因」をなしている.だから,階級闘争はたんなる反撥ではない.舟橋教授がいうよう に,それは「経済法則的根拠」1’をもったものである. 教授はこの「経済法則的根拠」を労働力の価値法則にもとめる.しかし,すでに考察したよう に,労働力の価値の運動は労働力の価値以下への賃金の低下をもたらしたのである.一般商品の場 合は無政府的な価格競争が等価交換を成立させるのであるが,労働力の場合には,供給過剰のた め,価格競争は価値以下への賃金の低下をもたらすのである. 舟橋教授は「窮乏化法則の全体的な法則のなかでの位置づけ,とくに労働力の価値法則との構造 的関連を正しく解明しなければ」な.らない2’,というが,それはむしろ,欲望向上の法則と労働力 の価値法則ないしは窮乏化法則との構造的関連といいかえた方がよいようである. 生産物,なかでも新しい生活資料が種々の階級のあいだや社会的分業の諸単位のあいだで頻繁に 交換されるにつれて,また労働者の集団労働や集団生活がひろがるにつれて.労働者階級の欲望が 高められてゆくのであるが,この事情を要約すれば,生産の社会的性格が欲望の向上を刺激すると いえよう. とくに生産技術の進歩のもとで,労働力の供給過剰を背景に労働者は労働力の非価格競争をおこ ない,良質の労働力を供しようと努める.こうして簡単労働力の平均的品質さえも高められること になる. このように生産の社会的性格から生ずる欲望の向上は,生産手段の資本制的所有から生ずる労働 者階級の窮乏化と矛盾する.労働者階級の窮乏化は階級闘争の直接の経済的原因をなす. 窮乏化に反撥する労働者階級の欲望は,工場内の分業と社会的分業とい.う,生産の社会的性格を しめす諸事情によって必然化される労働者階級の組織化を通じて,物質的な闘争力に転化する. かれらの闘争は・はじめから賃金・労働条件の改善や,社会政策の獲得を目的とする斗ともあれ ば,さらにすすんで社会の変革を目的としながら,賃金・労働条件の改善や社会政策の狼得に終わ ることによって,いわゆる体制内の迎動に閉じこめられてしまうこともある.これらの場合,労働 者階級の闘争力は,かれら自身の内部にみられる労働力の無政府的な販売競争を制限し,資本にた いする交渉力を強めることによって,需給関係に影響をおよぽす.こうして賃金は労働力の価値に 近づき,時には部分的に労働力の価値をこえることになる. 舟橋教授は,きわめて直接的に,労働力の等価交換の必然性が階級闘争を生みだすかのようにの べているが,そうではなくて,生産の社会的性格と生産手段の資本制的所有の矛盾から生ずる階級 闘争が労働力の需給関係を緊張させ,労働力の価値にむかって賃金を上げるのである.
22 高知大学学術研究報告 第21巻 社会科学 第2号 労働者階級の闘争は,賃金の向上をもたらすことによって,かれらの心理的な欲望の向上を支払 能力のある欲望の向上に転化する.経済学における欲望とは支払能力のある欲望,つまり賃金に裏 づけされた欲望でなければならない.したがって,心理的な欲望の向上が労働力の価値の大いさを 変化させるようなことは絶対にありえない.ということは,欲望の向上は,つねに,労働力の価値 法則ないしは労働者階級の窮乏化法則を通じてしか,えられないことを意味している.欲望向上が 生産力や生産の社会的性格に直接対応するかぎり,それは生産関係や生産手段の資本制的所有に直・ 接対応する労働者階級の窮乏化法則によって,質的に規定されざるをえないのである.資本主義の もとでの欲望向上の法則はその生産関係によって質的に規定されている. そのために欲望の向上は決してそのまま,労働力の価値の増大となうてあらわされることはな い.それは,増大する労働力の価値よりも低い賃金となって現象するのである.これか一層具体的 な労働者階級の絶対的窮乏化である. くりかえしてのべるが,一般商品の場合には無政府的な価格競争を通じて,結局,価値と価格が 一致するが,それは価格の運動が需給関係を訓整しうるからである.労働力の場合には,産業予備 軍の存在のため,価格競争は価値以下への賃金の低下をもたらすのみである.ただ,舟橋教授がし ばしば古典から引用してきたように,需給関係は売手間の競争,買手間の競争,および売手と買手 の間の競争という三つの面をもっており,労働者階級の団結と対資本交渉力の強化は労働力の需給 関係のなかにくみこまれる.労働力の価値法則が貫いておろうと,あるいは同じことだが労働者階 級の窮乏化法則が貫いておろうと,労働力の需給関係が労働者に有利なように変化すれば,当然, 賃金は労働力の価値に向かって上がる.その結果,労働者階級の支払能力をもつ欲望は向上する. もちろん,欲望の向上と結びついて労働力の価値が増大することがあっても,それは相対的剰余 価値の生産の発達を妨げることはなかろう. 舟橋教授は労働者の階級闘争を,教授のJ型解する「労働力の価値法則」によってもたらされるも のと,「生産手段(資本)の支配に対する抵抗階級闘争」3’との二つ叫機械的に分離している. しかも,教授は,一方では「労働力の価値法則は,現実には階級闘争を媒介として貫かれる場合 が多い」とのべ,等価交換が階級闘争によって実現されるかのごとくのべながら,他方では「産業 予備軍の存在することによって労働力の供給が需要を上まわる場合は,いかに階級闘争の圧力があ ろうとも,賃金は下がり,労働時間は短縮されない」4’という. 労働力の需給関係は,さきにのべたように,産業予備軍の存在叱よる供給過剰だけからなりたつ ものではない.それには労働者内部の競争の制限と対資本交渉力の強化もふくまれる.教授は「も し階級闘争によって労働条件の維持・改善が可能だとするのならば,それは悪名高い勢力説以外の なにものでもない」5’というが,階級闘争によって需給関係が変われば賃金が変勁するのは当然の ことである.しかも賃金はご労資の方関イ系,需給関係が均衡する場合にのみ,労働力の価値に一致 しうるにすぎないのであって,そのような条件は一般にえられないので,賃金は,一般に,労働力 の価値以下にある,ということができよう.そうして,欲望向上の法則について論じたさいに明ら かにしておいたように,労働力の価値の増大と労働力の価値以下への賃金の低下,換言すれば欲望 の向上と窮乏化とは同時におこりうるのである. (註) 1)舟橋,前掲論文,10ページ. 2)同上. 3)同上,8ページ. 4)同上,9ページ. 5)同上.
「社会政策論の復活」について ノ((松井). 2ろ・ お わ り に ●. ●・ 1 1.1 ≒ ・ 舟橋教授は社会政策の本質論をその方法論によって位置づけようとこころみている.そめとと自 体に問題はない.だが,教授は社会政策の本質論,教授のいう社会政策の「原理論」から政治理論 をとりのぞき,それが経済理論のみによって構成される,という. なるほど社会政策の抽象理論は経済理論から出発するし/経済理論・なくしては政治理論を展開す ることはできない. ’一 丿しかし√社会政策が政治であり,しかも資本制社会の階級問題の中心にある労働者階磁比たいす る政治であるかぎり,社会政策の本質論は経済理論と政治理論の統一でなければならないト舟橋教 授の言葉を借りるならば,社会政策の「原理論」から政治理論をとりのぞくことはできないのであ る./ 実は,教授の本質論にとっては,政治理論は必要でない.教授は労働力の等価交換に社会政策の 「経済的必然性」を見出だしているのである.教授は労働力の価値法則を「基本的」経済法則とみ なし,その法則が労働力の等価交換を必然化する,と解している.そのために,教授は労働力の価 値法則と労働者階級の窮乏化法則,とくに価値以下への賃金の低下との「構造的関連」を理論的に 処理しかねている. しかし,労働力の価値法則は,需給関係の如何によって,労働力の価値以下に賃金を低下させる し,しかもその法則は剰余価値法則に従属している.そうして労働力の価値法則の一層の具体化が 労働者階級の窮乏化法則である. 教授は,岸本教授が窮乏化法則に労働者階級の闘争の「経済的原因」がある・とのべてきたのにた い,して,階級闘争の「経済法則的根拠」が労働力の価値法則,等価交換の必然性にある,と主張す る.そういう法則性が労働者を階級闘争にかりたてる,と強調してやまない. 教授の問題意識にそって階級闘争の合法則性をもとめるとすれば,それは抽象的には生産力と生 産関係の矛盾にかんする法則によって必然化される,といえよう.生産力・生産の社会的性格は労 働者階級の欲望を刺激するが,他方,生産関係,生産手段の資本制的所有から生ずる労働者階級の 窮乏化か直接の経済的原因になって,かれらは日常的闘争から社会変革の闘争にいたる種々の階級 闘争に向かう.だが,生産力,生産の社会的性格が生産関係,生産手段の資本制的所有によって質 的に規定されているように,労働者階級の欲望の向上は労働力の価値法則,労働者階級の窮乏化法 則によって質的に規定されざるをえない.欲望の向上は労働力の価値法則,窮乏化法則という環を くぐり抜けて,はじめて,現実のものとなる.したがって,欲望の向上が直接,労働力の価値の増 大となってあらわれることはない.賃金の増大,それも,時代とともに増大してゆく労働力の価値 にたいして,それ以下にとどめられている賃金の増大となってあらわれる. 労働者階級の闘争がなぜ賃金を高めることができるか.その闘争がはじめから労働力の商品化を 前提にしたものであろうと,あるいは社会の変革をもとめるものであろうと,資本の経済的譲歩に よって現存社会の枠のなかにその闘争が閉じこめられるかぎり,労働者の団結によるかれらの内部 の競争の制限と対資本交渉力の強化は労働力の需給関係を変える.労働力の需給関係が変動すれば 賃金が変動する. 舟橋教授は労働力の等価交換をもたらす価値法則と価値以下に賃金を低下させる窮乏化法則とを 機械的に分離し,両者の内的連関を見失っている.労働者階級の窮乏化法則は産業予備軍の創出に よって,つまり労働力の需給関係の特雅性によって生まれたということができる.その需給関係が 労働者の団結と闘争力によって労働者に有利なように変化させられるのであるから,当然のことと して,賃金が上昇することになる.だから,この賃金の上昇は労働者階級の窮乏化法則を否定する
24 高知大学学術研究報告 第21巻 社会科学‘ ・第2号 ものではない. ・ はじめにのべたように,社会政策の本質論から政治理論をとりのぞくことはできない.そうし て,残された経済理論がいかに正しいものであっても,経済理論のみによって本質論が形成される ことはない. 舟橋教授の経済理論は,しかも,決して正しいものとはいえない.教授は幾つかの経済法則の 「構造的関連」を自らの恣意によって機械的に分断しておいて,あらためてそれらの「構造的関連」 を問い直しているにすぎない. その論旨は,社会政策の本質,その政治的本質についての岸本教授の理論をくつがえすことに成 功しなかった,ということができよう. (昭和47年6月28日受理)