1920年代におけるドイツの金融システムと銀行恐慌 47
1 9 2 0 年代 におけ る ドイ ツの 金融 シス テ ム と銀 行恐慌
大 矢 繁 夫
(西南学院大学)
は じめ に
本報告 では、主 として、1920年代の ドイツの金融 システムを明 らかに し ようとす る。その際、 ドイツの銀行が、 どの よ うに金融 システムを編成 し、
どの ようにそれ を機能 させてゆ くか、 といった視点か らこれを追 う。 もう 少 し一般的に表現す ると、 この時代、 ドイツの銀行は、 どの ように通貨 ・ 金融面 を 「組織化」 あるいは 「管理化」 してい ったのか、 とい うことであ
る。
ドイツの銀行に よるこの よ うな編成 ・「組織 化」 は、 当然、国内的 な も のに留 まらず対外的に も展開す る。 しか し、20年代 では、それは国内的な ものに限 られた。 とい うのは、銀行 の匡l際的活動は、敗戦に よって、貿易 金融業務を含めて不可能 とな ったか らであった。 そ して、対外的展開紘.
銀行恐慌後の30年代に改めて生 じて くるのであ る。以下、Ⅰでは20年代の 金融 システムを追い、Ⅱでは、 この金融 システ ムを支えていた外資流入を 取 りあげ る。そ してⅢでは、20年代 の外資依存 とい う枠組が崩れ る30年代 において改めて追求 され る対外的な展開を追 う。
Ⅰ 金 融 シス テ ム
1920年代の ドイツの金融 システムについて、第一次大戦前のそれ との対
比を念頭 にお きなが ら、次の よ うない くつかの構造変化の中にその特徴を つか まえることがで きる。
1 銀行集中
1920年代には、銀行集中が大規模 に展開 した。 この銀行集中は、19世紀 末 のそれが株式参与 と利益協同契約に よる大銀行 と地方銀行 とのゆるい結 びつ きであ ったの と比べて、大銀行 に よる地方銀行の完全な吸収、後者 の 支店化 とい う点にその特徴があ った。大銀行は、支店網の構築を この集中 運動 に よって達成 したのである。
ところで、 この支店網の拡張 は、何 よ りも預金獲得をめ ぐる激 しい競争 に よって促 された。 イ ンフ レ後の1924年初めでは、信用銀行全体で もベル
リン大銀行 で も、そ の預金高は1913年 のお よそ1/5に縮小 していたので、
この ことは当然の成行 きであ った。 また,20年代におけ る大銀行の預金構 成 は、明 らかな短期化傾向を示 し、 さらにその うち浮動的な短期外資の比 率 の増大が指摘 され る (後述)。つ ま り、預金の不安定性 の増大 とともに 預金拡大を 目指 した銀行集中が展開 したわけである。 なお、 この よ うな預 金 の短期化傾向に対応 して資産 の流動性 を高め ることが顧慮 されたわけで
もなか った。
20年代の銀行集中は、以上の ものに留 まらなか った。1929年に、2つの 大型合併が生 じた. と りわけ、 ドイチ ェ ・Jミンクとデ ィス コン ト ・ゲゼル シャフ トの合併 (デデ ィ ・バ ンクDeDi‑Bankの成立)は、種 々の点 で衝 撃的な もの として受 け とめ られたこ この銀行集中は、28年 までのそれ と異 な り、支店 の統廃合等に よ り経費の大幅 な削減を達成 しよ うとい うもので あ った。それは、敗戦 とイ ンフ レを経 て 「相対的安定期」 と呼ばれ る時期 に至 って も、当時の大銀行がなお困難 な状況に置かれ ていた ことを端的に 表現す るものであ った。
2 銀行の対産業関係
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まず、ベル リン大銀行に よる産業株の保有状況についてであるが、JIラ ンス シー トの 「保有有価証券」の うち 「公債等」 を除 く部分 と 「引受団参 与」 とい う2項 目を と りあげ ると、全資産に 占め るこれ ら2項 目の シェア は戦前 と比べ てかな り低下 してい る (1913年5.8%、1929年2.5%)。 しか し、 この ような リスキーな資産は 自己資本に よって支え られ るとい う点を 考慮 して、 自己資本に対す る割合を取 ってみ る と、戦前水準への強 い回復 がみて とれ る (1913年31.6%、1924年18.1%、1929年38.8%)a
次に、ベル リン大銀行に よる監査役派遣数 についてみ ると、20年代には 顕著に増大 してい る (1911年677人、1927年2,514人)O これ についは、企 業規模別 の派遣な どを考慮 して種 々の評価があ りえ ようが、一般的には、
ベル リン大銀行 と産業の人的結びつ きは よ り強 まった、 と して よい よ うに 思われ る。
ドイツの大銀行 と産業 との緊密な結びつ きとい う、いわば伝統的な特徴 は、結論的にい うと、敗戦の打撃の後、1920年代には よ り高度な もの と し て回復 ・発展せ しめ られた、 とみ ることができる。
3 金融市場
1920年代、市中割引市場は、手形に対す る買い手の不在に よって、著 し く縮小 した。市中割引手形の流通領は、戦前 では最低で も22億5000万Mで あ ったが、20年代 で最大を示す29年 で も9億RM以下にす ぎなか った。何 よ りも、 ドイツの銀行の引受手形の著 しい減少がみ られたのであ る。 ドイ ツの銀行の引受手形 の減少は (「金融手形」分を除いて考えると)、 ドイツ の銀行に よる貿易金融 の減少を意味す るo大銀行のバ ランス シー トに表れ ている、 ドイツの銀行 の貿易金融分 と外銀に よる貿易金融分 (ドイツの銀 行が仲介す るもので、 ドイツの銀行のバ ランス シー トには 「第3着に よる 顧 客 信用」 〔KreditederKundschaftbeiDritten〕 と して表われ る) の比率は、1913年 と1930年 とでは完全に逆転す る (ドイツの銀行に よる も
の.1913年95%‑193d年6%、外 銀 に よる もの :1913年5%‑1930年g4
%)。 市中割 引市場の縮小は , この よ うに して、 ドイツの大銀行 の貿易 金 融業務 を直撃 したの である。
次に、 ドイツの金融市場 の 1つの特徴的要因をなす と考 え られ るルI+:‑ JL.ロ./バー ト貸付についてであるが、大銀行に よるこの貸付は、通貨安 定後の25年か ら急伸 してゆ くO ル・+ト ル ・ロン′、‑ ト貸付 とは,短期的 ・ 流動的 な貸付であ り、銀行賛産 の中では第 Z次流動性を な し、銀行のいわ ば貨幣 市場関連業務 といえ るb Lか しそV)機軌 i、株式の定期取引に従事 す る強気投機 が不利 な相場展 開の際 にその清算を繰 り延へ る、 とい うこと を可能 にす る ものであ って、 いわば.瞥本市場 へ も連 な ってゆ くもC)てあ るO この貸付が与 え られ る と、強気投機が支え られ、株式取引はそれ だけ 活発化 し、株価 も上昇傾向を もつD株 価が高 く維持 され る と,株式発行 も 刺激を受け、 これ を担 う銀行 自身 を も別す る ことにな る。 この よ うな働 き を もつノしポール ・ロンノ、‑ 卜貸付が、25年以降急進 してい ったのであ るC そ して、株価 の動向は. これ に強 く規定 され て急上昇 を見せた。
以上、1g20年代o)金融 システ ムの特徴を追 ったか 、金融 システ ムは、表 面的 には ,敗戦や インフレのfT撃 を乗 り越 えて よ り強固に編成 され、 また
よ り高度 な機 能展開 もみせたC それ は、銀行集中に よる大銀行の体 力強化、
また証券信用に よる資本市場 の コン トロール とい う点 などにみ られ たa L か し他方てほ、預金が浮動的 な短期 外貨‑の依 存を強めた り, また ドイツ の銀行の引受信用 ・貿易金融 システムか崩壊す るな ど、い くつかの重要 な 点が戦前 と比べ大 きな変更を迫 られ たb これ らの問妄執 i実は密接 なつなが りを もち、そ して、20年代 の ドイツの金融 システムの外 資依存 とい う枠組 み を特徴的に示す事柄 であ った と考え られ るC
Ⅱ 外 貨 依 存
1920年代におけるドイツの金融 システムと銀行恐慌 51 国際収支 をみ る と、1924年‑29年 の累計 で、170億RM近 くの外 資が ド イツに流入 している (資本収支135億RM、分頬不能分34億RM)。 この資 本流入が、同 じく累計 で、62億RMの経常赤字 と84億RMの陪償支払 いを
ファイナ ンス し、 さらに22億RMの金 ・外貨準備 の積み増 しを可能 に した。
「相対的安定期」 の ドイツ経済が外資依存体制 と呼ばれ るゆえんである。
ドイツ‑の外資流入の うち、 ここでは、 ドイツの金融 システ ムに直接的 な関わ りを もつ ドイツの銀行への短期外資流入について と りあげ る。 ドイ ツの銀行‑の短期外資流入は、外国現金信用 と手形保証信用 とい う2形態 か らなる。後者の手形保証信用 は、外銀の引受信用が ドイツの銀行の仲介 で ドイツの貿易金融に用い られた際、外銀が 負 う引受債務 に対応 して外銀 が ドイツの銀行に持つ債権を示す ものであ り、 ドイツの銀行‑の実質的な 警本流入を表す ものではない (ドイツの銀行のバ ランス シー トでは負債項 目 「第3着 に よる顧客信用」 として表われ る)。 したが って、 ドイツの銀 行‑の短期外資流入 と して問題 とすべ きなのは、前者 の外国現金信用であ る。
この外国現金信用は、 さらに、 マル ク建当座預金 と外貨建の期限付資金 とい う2つの形態に分かれ る。 この2つの形態 のそれぞれ の比率は明か と はな らないが (とい うのは, ドイツの銀行のバ ランス シー ト貸方 の 「債権 者勘定」 の小項 目 「手数料不用勘定」 に国内預金 と無区別に記入 され るか ら)、20年代 の通貨安定後 では、 ドイツの銀行 に流入 したのは主 に外貨建 期限付資金の方であ り、マル ク建 当座預金の比率は著 しく後退 した、 と指 摘 され る。後者のマル ク建外資の流入は、外銀の手形債権 な どが ドイツで 現金化す ることに よって生 じた、 とい う点を考 えると、短期外資の この部 分は、 ドイツの銀行の引受手形に よる貿易金融 システムの中で生 じ、維持 され る外銀の預金等か らな っていた と考 え られ る。問題 とす る通貨安定後 では、外資の この部分が後退 し、それに代わ って よ り浮動性 の強い外貨建
の期限付資金 (1‑3カ月の期僻)か取 り入れられた、 とい うのであ る。
この ように 「相対的安定期」 では、その内容構成 を大 きく変えなが らも短 期外国信用が ドイツの銀行‑多量に流入 したのである。 あ る推計 では、 ド イツの銀行の 「債権者勘定」 に 占め るそれ の比率は、28年に最高 とな り、
43.4%に も達 している。
以上の よ うに して、 ドイツの銀行は短期外資流入にかな りの程度依存 し、
しか もその資金は戦前 と比べて浮動性 を強めてい った、 とい うことなので あ るが、その大 きな要因 と して、 ドイツの銀行の引受手形に よる貿易金融 システムが崩壊 し、そのため ドイツの銀行に よる外銀のマル ク建 当座預金 の吸収 ・維持が困難 とな った、 とい う重要 な構造変化があ った ことが注意 され るべ きである。つ ま り、戦前期にはマル ク決済圏が存在 し、例えば、
ドイツの輸入金融 に ドイツの銀行の引受手形が用い られ、外銀が このマ ル ク建引受 手形の保有者 とな り、 ドイツの割引市場 で現金化 して ドイツの銀 行‑預入す る。 この よ うな プ ロセスに よって形成 され るマル ク建 の当座預 金は,マル ク建貿易金融 システム ・マル ク決済 システムの崩壊 とともに消 失す ることにTi:る。か くして、それ に代 って、外貨建の期限付資金が取 り 入れ られ てゆ く。 ドイツの銀行の取 り入れ る外 資の形態が大 きく変化 した のは、 この よ うな事情に よる、 とい うのであ るC
ところで、上記の よ うに ドイツの銀行‑流入 した外貨建の短期信用は、
い うまで もな く ドイツの銀行に よって種 々に運用 され る。 だが、調達 され た外貨は、月末に ライ ヒスバ ンク‑差 し出 され てマル クに交換 され、月末 金融に用 い られ ることが頻繁であ った、 といわれ る。月末金融 とは、月末 に到来す る株式定期取引の清算を繰 り延べ るための信用、すなわ ちルポー ル ・ロンバー ト貸付 の ことであ る。 この ような資金運用は、 と りわけ、26
年 と27年に顕著 であ ったO両年 ともルポール ・ロンバー ト貸付は きわめて 高 い水準 を示 していた。結局、Ⅰでみた よ うな、 「相対的安定期」におけ
1920年代におけるドイツの金融 システムと銀行恐慌 53 る金融市場の高度 な展開‑ 大銀行 のルポール ・ロンバー ト貸付 に よって 資本市場の動 向が コントロール され、株式発行 も刺激 を受け る‑ とい う ことも、 この時期 に大量に流入 した不安定性 の強い短期外資に支え られた ものであ った、 とい うことになろ う。
Ⅲ 銀 行 恐 慌 と30年 代 の展 開
以上で述べ て きた ことは、20年代の 「相対的安定期」 におけ る ドイツの 金融 システムは、端的にいえば、国際的資金流入に よって支え られていた、
とい うことである。 この ことを特徴的に表わ していた もの として、 ドイツ の銀行への短期外資流入 とそれに よる金融市場 ・資本市場 の展開 とい うこ とを取 りあげた。 しか し、 この国際的資金流入は、短期外資の性格にみ ら れ た ように、決 して安定的な ものではなか った。 したが って、 この ような 国際的資金流入に よって支え られた ドイツの金融 システムも不安定性を免 れ る ものではなか った。 そ して この ことは、1931年の銀行恐慌へ と連 な っ てゆ くのである。
ドイツ銀行恐慌 の直接的契機は、北 ドイツ硫毛会社の倒産 であ った (31
年7月10日)。 この企業倒産 とともに、そ こ‑強い融 資関係を もっていた ダナー ト ・バ ンクが内外の取付に襲われ る。 と りわけ、外資は大量に引揚 げ られた。7月13日にダナ‑ ト・バ ンクは窓 口を閉鎖 して支払取引を停止 す る。そ して、他の金融機関‑ も取付は波及 し、内外 の短資が流出す るの であ る。7月14・15日の両 日は銀行休業 日とされ、全金融機関が閉鎖 され る。 なお、証券取引所 も13日以降閉鎖 され る。銀行取引が完全に再開 され るのは8月5日にな ってか らであ り、証券取引所 の再開は9月3日であ っ た (ただ し定期取引を除いて現物取引のみ)。
銀行恐慌の後始末については、例 えば、 ダナ‑ ト ・バ ンクは ドレスナ一
・バ ンクに合併 され、新銀行 の資本金は減資 され て半分以下に され、その
90%ほ どが ライ ヒ所有 とな った. また、デデ ィ ・,lLンクや コメルツ ・ウン ト ・プ リファ‑ 卜・JIンクについて も、減資 と資本金の一部の ライ ヒ所有 とい った処置が とられた。
銀行恐慌 はおお よそ以上 の よ うな経過 を辿 る ものであ ったが、 これ に よって ドイツは、1931年 中に大量の短資の対外流出に見舞われたのであ っ た。 ライ ヒスバ ンクの金 ・外貨準備は、30年末 の30億RMか ら31年末 の13
億RM‑ と激減 した。 この ような状況は、既述 の ような ドイツの金融 シス テムを支えていた枠組みか崩壊 した ことを意味す る。か くして、銀行恐慌 以降の30年代は、 この枠組みに依存 しない システムを求めて政策 も追求 さ れ てゆ くことにな る。それ は、為替管理、為替清算制度、そ してマル ク ・ ブロ ックとい う、金 ・外貨準備維持 の制約か ら ドイツを解放す る方 向で展 開 され てゆ くのである。
為替管理は、1931年央以降実施 され てゆ くd これは、 ドイツが有す る全 ての外国為替や対外債権を ライヒスバ ンク‑集中 し、外国為替取引を もっ ぱ らライ ンヒスバ ンクに行 なわ しめ る ものであ った。
外貨不足に対す るもう一つの方策は、外貨を必要 と しない貿易 ・決済 シ ステムをつ くり出す ことであ った。為替清算制度がそれ であ った。 この シ ステムの仕組みは次の ような ものであ った。例えば、 甲乙両国の貿易にお いて、 甲国輸入者 は、輸入代金を、 甲国通貨を もって、 甲国中央銀行内に 設け られた乙国中央銀行特別勘定に払い込む。他方 で乙国輸出者は、乙国 通貨で、乙国中央銀行内に設け られた 甲国中央銀行特別勘定か ら支払いを 受け る。 その結果、甲国中央銀行に置かれた乙国中央銀行の債権 (甲国通 貨建残高)増大 と乙国中央銀行に置かれた甲国中央銀行の債権 (乙国通貨 建残高)減少が生 じるが、それ は、い うまで もな く、逆向 きの取引 (甲国 輸 出 ・乙国輸入)に よって均衡を もた らされ る。 この よ うな為替清算制度 は、両国相互に、相手国内に相手国通貨建 で 自国債権残高を保有す るもの
1920年代におけるドイツの金融システムと銀行恐慌 55 であ り、 この点で、それ 自体 と しては 「対称的」 な システムといえる。 そ して、金や外国為替 を用いないで済む制度 であ ることは、い うまで もない。
ドイツは この よ うな為替清算協定 を多 くの国 と結び (1936年現在 では21
カ国)、 この制度 に よって決済 され た ドイツの取引は、 ドイツの全貿易の
6‑7割 に達 した。為替清算制度に よる ドイツの貿易の うち, ここで とく に注 目した いのは、東南 ヨー ロッパ諸 国お よび南米諸国 との貿易である。
東南 ヨー ロッパ諸国か らは、 ドイツは、農産物を世界市場価格 よ りも高 い価格 で買い入れ た。 その結果、 これ らの諸 国は、 ドイツ‑の輸出を増大 させ、対 ドイツ債権 (マル ク残高)を累積 させてゆ くこととな ったoそ し て、東南 ヨー ロッパ諸国が、条件の良い買い手 であ る ドイツに対 して農産 物輸 出を続け るためには、す なわ ち, 自国輸出者 に対す る自国通貨での ド
イツの支払 いを確実にす るためには、 ドイツか らの輸入増大を図 らねはな らなか ったoつ ま り、 ドイツか らの輸入に よって、累積 した対 ドイツマル ク建債権を取 り崩 しつつ、他方 で、 自国中央銀行内の ドイツの勘定‑の 自 国輸入者 の 自国通貨での払い込みを促す、 とい う必要に迫 られ たのであ る。
この ドイ ツの債権残高が確保 され ることに よって、 自国輸 出者‑の支払 い が、 したが って自国の対 ドイツ農産物輸 出が可能 とされ るわけ であ るOか くして、東南 ヨー ロッパ諸 国は、いわば ドイツか らの輸入 を強制 され、不 要不急の、 しか も陳腐化 した製造品を買わ され ることとなるQ この よう な 結果は、 ドイツが東南 ヨー ロ ッパ諸 国か らの農産物輸入の増大 を戦略的 ・ 意図的に図 り、清算債務を一方的に累積 させてい った ことに よって もた ら された のであ った. ドイ ツ清算金庫 (DeutscheVerrechnungskasse:
当初 ライ ヒスバ ンクが行 っていた為替清算業務 を独立 して行 うために1934
年に設置)の債務残高は、1934年以降ほぼ3億‑4億RMで推移 し、40年 には9億RMに達 している。
ドイツは、ほ とん どの南米諸 国 とも清算協定 を結んだ。ただ し、南米諸
国 との取引の決済の仕組みは,上記 の東南 ヨー ロ ッパ諸国 との取引の場合 とは若干異 な っていた。 それは、清算金庫 では な く ドイ ツ海外銀行 (D‑
eut.schei:JberseeischBank)な ど為替銀行に外国人特別勘定 (アスキ勘定 Auslander‑SonderkontoftirInlandszahlung)を設けて、輸 出入 とも に この残高 でのみ決済す る、 とい うものであ った。つ ま り、 ドイツの輸入 の場合は、 ドイツの輸入者が この勘定 にマル クを払い込み,外国輸 出者は マル ク残高を保有す る。 ドイツの輸 出の場合は、例えは外国輸入者が前記 の外国輸 出者保有 のマル ク残高を買い取 り、それ を もって支払いをなす。
要す るに、全て この外国人特別勘定のマル ク残高で決済 され る とい うもの であ った。 ドイツは 「負債決済」をな しうるわけであ り、 この仕組みはそ れ 自体 「非対称的」 な ものであ った といえ よ う。
以上でみた ように、 ドイツは、30年代に金 ・外貨を必要 と しない決済 シ ステムを用いてい ったのであ る。東南 ヨー ロッパ との取引では、 ドイツは 輸入拡大 を図 り、清算債務を累積 させた。そ して、 ドイツの輸出に際 して は、 この債務減少 とい う形で決済を行 った。結局、清算金庫に置かれたマ
′レク残高で ドイツの輸出入が決済 され たのであ り、 この点 で、一種の 「マ ル ク決済圏」が存在 していた、 とみ ることがで きる。 この ことは、南米諸 国 との取引の仕組みについて もあては まる。か くして、 ドイツは、30年代 には 「マル ク決済圏」の再構築を 目指 した、 といい うるのであ る。
むす び
1920年代後半、 ドイツの金融 システムは、外資流入 に支えへられて よ り高 度に展開 した。だが、 ドイツの金融 システムを支える枠組みは、戦前期 と 比べ決定的に変化 していた。それは、流入外 資の内容的変化に も関わるこ
とであったが、「マル ク決済圏」 の崩壊 とい う問題 であ った。
マル ク決済 システムは、外国が ドイツの銀行に保有す るマル ク残高で取
1920年代におけるドイツの金融 システムと銀行恐慌 57 引を決済す る仕組み であるか ら、 この残高が一定程度つねに ドイツに滞留 す る。 ドイツに とってはマル ク建短期外資の流入 であ り、 ドイツの銀行は その底溜 り分 を自由に運用 しうるC また、マル ク決済 システムは、 マル ク や ドイツの銀行に対す る外国の信認に もとづいて外国が マル ク残高を維持
し決済に用い るわけ であ るか ら、 この点 で ドイツには金 ・外貨の節約を も た らす。
20年代は、 この よ うなマル ク決済 システムが完全に崩壊 し、他方 で再建 金本位制下 で ライ ヒスJILンクは準備率維持を強 く要請 され ていたわけであ るか ら、 ドイツは金 ・外貨を大量に外国か ら取 り入れ ざるをえなか ったの であ るD そ して、 この ような外資流入に支え られて ドイツの金融 システ ム
も機能す ることがで きたの であ る。
30年代、外質の取 り入れが不可能 となった ドイ ツは、必然的に,金 ・外 貨を必要 と しない システムを改めて追求 してゆ くこととなる。それ は,東 南 ヨー ロッパや南米 との貿易において典型的に表われ、新 たなマル ク決済 システムの構築 といえ るものであ った。 Lか しなが ら、それは、戦前期 の システムとは異な って、 マル クや ドイツの銀行に対す る信認が存在 しない 限 り、一方的な輸入債務累積 とい う詐欺的 ともいえる方法 に よって機能 さ せ る以外にはなか ったOそれは また、強権的 なマル ク ・ブロック創設 まで あ と 1歩の ところの ものであ った。
《討 論》
生川 栄治 (近畿大学)
ドイツの銀行恐慌 に関 して、貿易金融 システムの崩壊 に よる外資流入 とい うこと を要因 と して挙げ てい るが、 この外 資流入は、他 の要 素 と して、陪償 問題 の負担 に よる ドイ ツの慢性 的資本不足‑高金利状況 とい うことがあるのではないか。 そ こに は、戦後 負担 の圧 力の問題 がみ られ る と思 うが、 ど う考 えるか。
[答]
賠償 負担、 ドイツの慢性 的資本不 足、そ こか ら くる高金利状況、それ に よる外 資/ 流入 とい う点は、 ご指摘 の とお りだ と考 える。 ただ、 この時期、 ドイツが高金利を 維持 して外資を流入 させ、賠償支払 いを履行 し、 もって戦債 の支払 い も可能 とす る、
とい ういわば 国際 的な資金循環 の枠 組みが存在 していた。 そ うい う枠 組みの中で、
ドイツは意識的 ・政策的に外 資取 り入れ を図 った、 とい う面 も強か った と考 え るO ドイツは、一時的 に、陪償 問題 との絡みで公定歩合を引下 げて低金利政策を採 るが、
それ も破綻す る。 結局 は、英米な ど他国 と比べ て高金利の状況 を一貫 して余儀 な く されていた、 といえ る。つ ま り、高金利に よる外資流入 とい う事態は、 ドイツの資 本不足 とい う客観 的条件 に よる とともに、意識 的 ・政策的に も図 らざるをえなか っ た もの、 とい うよ うに考 え られ る。
平岡 賢司 (膜 本商科大学)
① 「外 資依存体制」 の下、脆弱 な構造 とな ってい る ドイツの銀行 の場 合、証券 保有がか な り増 えている とい う指摘 があ った。 ニ ュー ヨー クで株価下落 ・株式恐慌 が始 ま り、世界的な株価下落 とい う現象が生 じる中で、 ドイツの銀行 の場 合、その 資産構成 か らみて、 この株価下落は重要 な影響 があ ったのか ど うか。
② 農業不況な どに関連 して、不 動産投資 とい うものに当時 の ドイ ツの銀行はあ ま り関わ っていなか ったのか ど うか、 この辺 につ いて銀行恐慌 との関連 でたずねた い。
[答]
① まず、 この時期 の ドイツの大銀行の証 券保有が単純 に増 えてい る、 と しうる か ど うかは若干 問題があ る。 全資産 に 占め る割合は戦前期 に比べ減少 している。報 告では、産業株保有は リスキーな資産 である、 とい う点か ら考 えて、全資産 ではな く自己資本に対比 してその比率 を見た。 その場合、す でに28年 には戦前水準を回復 している、 とい うことであ る。 ドイツで も株価 は29年以 降下落 してゆ く。 これは、
銀行に とってやは り打撃 であ った といえる。銀行は、30年 には、株価維持 のために 自行株 を含 め大量 の株式 保有 を行 った、 と指摘 され てい る。 やは り、一般 的 な株
1920年代におけ る ドイツの金融 システ ム と銀行恐慌 59 価下 落 も自行株下落 も銀行に とっては大 きな問題 であ り、そのため買い支 えが必要 とな った、 とい うことであ る。
② ドイツの銀行に関す る限 り、/(ラ ンス シー トか ら も頬 え るが、不動産投 資 と い うことで問題 が ク̀p‑ズ ・ア ップされた、 とい うことはなか った よ うに思 う。 こ の辺 の ことにつ いては、私 自身あ ま り追 ってないが、大銀行か不動産投資を積極 的 に行 な った、 とい うことは なか った よ うに思 う。
居城 弘 (静 岡大学 )
① 全体的には、1920年代 の ドイツの金融 システムを支 えたのは外 資である、 と い うことだ と思 うが、その ドイツの金融 システムは一 方では高度化 し、他方 では、
銀行 流動性、貨幣市場 の構造な どの根本的変化に よって非常 に脆弱 とな ってい る、
と説 明 している。 つ ま り非常 に強 くな ってい るよ うに 見え る部分 と非常 に弱 くな っ て対外 的に依存 しな くてはな らない、 とい う2面が同時併存的 に存在す る、 とい う ことであ る。 この2面の同時併存 とい うことを ど う考 えるのかO
(診 外資か証券市場の問題 とジ ョイ ントされ て説 明 されてい るが、例えば銀行流 動性 の問題 な どと関連 させ て考える と、銀行信用の構造 との関連 で外 資は と うい う 役割 を もった と考 え るか。 「外資が さま ざまに運用 され る」 とい うこ とにつ いて も
う少 し説 明 して欲 しい。
[答]
① 結論か ら言 うと、 ドイツの金融 システ ムは、高度 に機能尿 閉 した とい う面 と 脆 弱化 した とい う面 との両面がやは りあ った、 と言わ ざるをえない。 これは、 この 時朋 の過 渡期 とい う性格 を反映 した大 きな特徴 であ った、 と考 え る られ る。 「高度 化」はいろいろな面か ら掴 まえ るこ とがで きるが、報 告 では、大銀行 の証券信用 と い う短期 的信用か株式市場 へ も強 い連関を もち、株価動 向を も支配す る よ うな強 い 作用 を もつ ものであ った、 とい う点 に注 目したD この点は、20年代後 半に きわめて 特徴的に見 られ た ことであ った。大銀行は、 この よ うな業務活動 を意識的に遂 行 し たのであ る。 いわば、大銀 行に よる株式市場 の 「組織 化」、「管理化」 ともいえ る よ うな事態 か この時期み られ たわけであ る。 しか し、 この よ うな証券信用の メカニズ ムが作動 す るには、資本不足下 の当時の ドイ ツでは外 資流入が必要であ った。 つ ま り、仕組み な り機構が存在 して も、 その作動 のためには不安定性 の強 い外資に頼 ら ざるをえない、 とい う内容的脆弱性 が特徴 なのであ った。 この よ うな、仕組み、機 構、形式 が整 って も内容がそれ に伴 っていない、あ るいは脆弱だ とい うことは、実 は30年代 の ドイツの為替清算 システムについて も当ては まることであ る。 この シス テムは、他国がマル ク残 高を ドイ ツに置 いて国際的決済を行な う仕組みであ るが、
当時は マル クや ドイ ツの銀行 に対す る他 国の信認が存在 しないので、 ドイ ツはやや
詐欺的あ るいは強権 的に この仕組み を機能 させ てい ったのであ り、 ここに も、 内容 は脆弱だが形式 は高度 に展開す る とい う 「脆 弱性 と高度化」 とい う二面か表われ て いた、 といえる。 この よ うな ことは、 この時代の特徴 であ った と思われ るO そ して、
「形」 が高度化 してゆ くとい う点 は現代 まで連 な ってゆ く、 と考 え られ る。
② 外 資は証券信用 につ なが ってゆ くはか りでな く、銀行信 用全体 の中で も う少 し多様 な運用が行われたのでないか、 とい う問題 であ るが、報 告では、先に も述べ たが、外 資‑金融市場 とい う面 にやや偏 った。 流入外資は産業金融に も用 い られた、
とい う点はつ とに指摘 され ていて、それ を否定す るつ も りは ない。銀行の産業金融 とい う問題は、 この時期の 自己金融 や コンツ ェル ン内部 の金融会社 な どの意義 も含 めて、改めて検討 したい。 ただ、26・27年は、株価の急上昇が見 られ 、流 入外資か 既述 の よ うな経路 で これに きわめて強 く関わ っていた、 とい う点は特徴的な事柄で あ った と考えるQ