• 検索結果がありません。

雑誌名 明治学院大学国際学研究 = Meiji Gakuin review

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "雑誌名 明治学院大学国際学研究 = Meiji Gakuin review"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

国際行為体としてのNGO再考:リアリズムと市民 社会論を超えて

著者 末内 啓子, SUEUCHI Keiko

雑誌名 明治学院大学国際学研究 = Meiji Gakuin review

International & regional studies

号 33

ページ 61‑71

発行年 2008‑03

その他のタイトル Reexamining Non‑Governmental

Organaizations(NGOs) as Actors in

International Relations: Beyond Studies of Realism and Civil Society

URL http://hdl.handle.net/10723/1367

(2)

【論 文】

国際行為体としての NGO 再考 

――リアリズムと市民社会論を超えて――

末 内 啓 子

1. 序

国家でもなく,政府でもない,営利を目標とし ない民間組織と定義される

NGO

(非政府組織)

(1)

をめぐって,さまざまな議論が展開されてきてい る。

NGO

が日常的にも身近な存在となり,高い関 心を集めてきていることが,研究の量的増加にも みてとれる。

NGO

の種類も,国内を中心に活動す るものから,国際的に活動を展開するものまで多 種多様になりつつある。国際関係研究も,

NGO

に 言及するかどうかという当初の関心が,最近では

NGO

をどの

・ ・

よう

・ ・

に議論に取り込むかという次元 へと高まりつつある

(2)

。市民を主体とした変革を 強調する市民社会(civil society)

(3)

,そしてグロー バル化に直面する市民社会としてのグローバル市 民社会(global civil society)に関する研究も増加 してきている

( 4)

。一部の研究では,活発化する

NGO

こそが,市民社会の変革をめざし,変革す べき

・ ・

であるとの規範を最前面にだす議論までも登 場している

(5)

。運動というキーワードでは,NGO と市民社会の「そり」があうということであろう か。それに対し,

NGO

を他の行為体との関係にお いて相対化することが分析上不可欠であるとの議 論もある

(6)

。このように錯綜する研究状況を省み て,今こそ

NGO

の研究への取り込み方を,再度 考察する必要があるのではないだろうか。市民社 会やグローバル市民社会との関係も含めて,NGO を国際行為体として再検討することは,

NGO

を分 析するための新たな一歩ともなるであろう。

伝統的な国際関係観(リアリズム)は,17 世紀

半ばに成立したウェストファリア体制に基づく国 家を中心とした国際関係を基盤としている。国家 こそが国際関係の行為体であり,国際関係とは競 合的な国家間関係であり,だからこそ国家が正当 な行為体であるべきとみなされた

(7)

。このような 国家に対して,NGO は国家(政府)以外の行為体 の一つとして位置づけられたが,今日では

NGO

は国際関係の行為体として広く認識されるによう になってきた。しかしながら,

NGO

が国家と異な るという意味合いには,一方では積極的に

NGO

を行為体として受容する文脈があり,もう一方で は

NGO

が国家の「格下」の行為体という意味合 いを付与する文脈もあるということになる。特に,

後者の場合,国家と

NGO

が垂直的な上下関係と しての異種というトーンさえうかがわれる。した がって,これらの矛盾する

NGO

をめぐる議論を 吟味すべきであろう。

そこで本稿は,国際関係論や市民社会論の動向 を見据えながら,特に国際的な活動を展開する

NGO

に焦点をしぼり,従来の行為体論を超えた再 考察を試みる。市民社会論は比較政治学などで関 心を集めてきたが,国際関係論でも

NGO

との関 係で最近頻繁に言及されている。一部の市民社会 論は

NGO

を中核に社会変革を志向するが,本論 はその視野の狭さと短絡的な議論とはあえて一線 を画する。他方,従来の国家中心モデルを礼賛し,

そのモデルへの回帰を,本論は目的としてはいな

い。したがって,これらの

NGO

中心,国家中心

という両極化した国際関係のモデルに対して,国

家と

NGO

間関係の性質を分析する「第三」の視

角を模索する

(8)

(3)

NGO

の再検討を試行するために,本稿では次の 三つの作業を順番に進めていく。一つ目の作業と して,歴史の中で

NGO

をどこまで,どのように たどるかを基準として,異なる国際関係観を比較 する。具体的には,国際組織重視のアプローチと

NGO

の活動重視のアプローチを比較して,NGO の扱い方の差異と国際関係の見方と関連づける。

二つ目の作業で,最近の市民社会論の特徴を検証 し,市民社会論を

NGO

分析に結びつける際の利 点と問題点を検討する。市民社会論と国際関係論 との交流を模索する際に,何を注意すべきかを考 察する

(9)

。三つ目に,国家,そして他の行為体と の関係に

NGO

を位置づけ,相対的に行為体とし ての

NGO

を再考する。

行為体として

NGO

を,あえて今見直すことは,

これまでの

NGO

についての議論と,どこが,な ぜ違うのかという比較をも可能にする。単に考察 する行為体の数を増やすとか,理想的な処方箋を 追及するとか,国際関係についての過去の議論へ 回帰することをめざすのではなく,国際関係論の 隣接領域である比較政治学の動向にも注目して,

NGO

の分析方法を探す。一つの模索として,

NGO

が国際関係で信頼される,正当な行為体と認識さ れるには,どのような条件が必要であるかを検討 する。つまり,国家中心のリアリズムと市民社会 論の対立を乗り越えた

NGO

研究へのアプローチ を模索するのである。

2.

歴史の中での

NGO

:国際組織重視と活動 重視のアプローチ

NGO

が,いつ,どこで登場したのか。この問い に対する万全な説明はいまだ定着しているとはい い難い。この問いに対して,どのような特徴をもっ た議論が存在し,そしてそれらの議論はどのよう な国際関係観と関係しているのだろうか。

NGO

が登場するのはやはり国際連合(以下,国 連)設立後,その経済社会理事会でオブザーバー としての協議参加資格を獲得したことに見出せ る

(10)

。第二次世界大戦後の国際システムの安定化 を目的として設立された国連において,

NGO

の地

位が確立されたとの解釈である。国連では,NGO は議決へ投票ができず国家とは同等の資格ではな かった。しかし,国家,国際組織に準ずる行為体 としての立場を

NGO

が経済社会理事会で確保し,

その後の国連が主催する国際会議参加を含め,特 に国連の組織との関係で行為体として広く認知さ れたといえよう。その後,

1960

年代あたりから

NGO

の数が急激に増加し,それらの活動領域も戦後の 復興から第三世界への開発援助へ,そして今日で は,災害救援・復興,人権などのさらに広い領域 で活動を展開してきている。この文脈では,国連 との関係において,

NGO

は行為体として活動して いると見なされる。

ところが,国連で活動していた

NGO

の一部は,

第二次世界大戦前,あるいは大戦中に救援,慈善 活動を民間組織としてすでに開始していた。たと えば,比較的知名度の高い国際的な

NGO

である セーブ・ザ・チルドレン(Save the Children Fund)

1919

年に,オックスファム(Oxfam)は

1942

年に設立されている

(11)

1945

年に設立されたユニ テリアン・サービス・コミッティー・オブ・カナ ダ(Unitarian Service Committee of Canada, USCC)

は,アメリカのユニテリアン・サービス・コミッ ティー(Unitarian Service Committee, USC,1940 年設立)

(12)

が,その母体となって第二次世界大 戦末期にヨーロッパを中心として救援活動を展開 した

(13)

。これらの

NGO

にとっては活動の過程で,

その後設立された国連で

NGO

と位置づけられた わけで,

NGO

の始まりを国連との関係にだけ言及 することには違和感がある。国連での地位のみが,

NGO

としての組織の確立,活動の開始とはなって いないからである。この国連での公式認知と組織 の実質的な活動開始とのずれ

・ ・

を,どのように理解 するべきだろうか。

歴史学研究者によって,国際関係研究に

NGO

を 位置づけようとする試みが,しばしばなされてき た。たとえば,入江昭はアメリカ外交史から国際 関係史(International History)へと研究を展開し,

従来の国家中心の外交関係を乗り越えて,国際関 係の複雑化してきた行為体とイッシューを分析し,

NGO

をも包含する国際関係を歴史的に追求して

(4)

いる

(14)

。入江は,外交史研究の核心と通常みなさ れる国家間の関係のみに焦点を絞り込むことを意 図的に避けている。この視角設定を可能にしたの は,国家行動を合理的と正当化するリアリズムの アプローチを相対化する明確な目的があったため といえよう

(15)

。入江は,

NGO

を行為体として認知 するのにも,第二次世界大戦後の国連との関係で のみ言及するのではなく,それらの組織自体がい つから始まったかというところまで言及する。し たがって,第一次世界大戦中,そしてもちろん

19

世紀にも言及している

(16)

。つまり,国連で協議参 加資格を組織が獲得する以前にも

NGO

という名称 が適用されている。あえていうならば,自らの組 織を国際組織との関係で

NGO

と認識する前の活動 も,今日分析するうえでは

NGO

の活動として位置 づけられている

(17)

。NGO の活動の実体を優先し,

その後

NGO

と呼ばれ始めた組織もすでに

NGO

と なっている。組織の活動に注目して,時間的に長 期を見渡す視角を設定すればこそ,

NGO

の活動の 継続性を歴史的に広範囲に議論することが可能と なるのである。

NGO

の活動の歴史を重視することは,以下の二 点でも重要であろう。第一に,同時期に誕生し活 動していた

NGO

にとって,何が時代の共通の条 件であるかが明らかになる。たとえば,第二次世 界大戦中あるいは直後の

NGO

の活動には,戦禍へ の救援,復興が大きな共通の課題とみなされてい たともいえる。この文脈では,

NGO

が共通の環境 的条件に対して受身に位置づけられる。第二に,

歴史的にみることで,個々の組織の特徴を,それ も長年の活動の蓄積から作りだされた特徴をみる こともできるだろう。時代の共通条件に対し,個々 の組織の特徴がどれだけ異なる活動を可能とした かを明らかにする。この側面は,

NGO

の能動性を 把握することを可能にするだろう。したがって,

NGO

を過大評価せず,また過小評価することない ようにするには,歴史的な文脈での分析は不可欠 であろう

(18)

国連での地位に注目するか,あるいは組織の活 動実体に注目するかによって特徴づけられる二つ の立場を比較すると,その違いは単なる焦点の

ずれ

・ ・

にとどまらないことが見えてくる。前者のア プローチでは,国連という国際組織との関係で

NGO

の存在を規定し,どちらかというと,公式な 組織との関係で,

NGO

の公式化への側面を強調す る。国家,国際組織との関係における,国家に準

ずる

・ ・

地位の公式化が強調される。したがって,国 家の「格下」としての行為体とのニュアンスも否 定できない。それに対し,後者の歴史アプローチ は,国連以前にも

NGO

を見出し,組織の活動の実 体と,実績を重視する。そこから積み木を積み重 ねるように,国際組織内外の活動と,国連以前の 長い歴史をも分析対象としている。加えて,二つ のアプローチには,国際関係の行為体との関係に ついての差異がみられる。一方の国際組織のアプ ローチでは,まず国家であり,その集合体として の国際組織であり,そして

NGO

である。もう一方 の歴史のアプローチでは,もちろん国家と国際組 織を包含しながらも,私的な人と組織をも含んで いる。この差異は,焦点の置きどころだけではな く,その前提になる国際関係観に依拠することを 看過してはならないだろう。主体としての民間の 個人,集団,そして組織をも,国家を凌駕すると の位置づけではないにせよ,主体としての認知を 与えている。ただ単に焦点が広がっているのでは なく,複数の主体に目配りすることで,国家を相 対化していることが重要である。したがって,伝 統的な国際関係観に対しては,かなり根本的な知 的挑戦となっている。

このように,いつごろから国際関係に

NGO

が 登場したのかは,未だに議論の余地があるものの,

NGO

の端緒をどこにどのように見出すのかは,国

際関係の見方と無関係ではない。つまり,

NGO

端緒をどこに見出すかによって,国際関係の見方

が定まり,また逆に国際関係の見方次第で

NGO

の端緒をどこに見出すかが決まるというわけであ

る。したがって,NGO へのアプローチが内包する

国際関係観にも注意しながら新たなアプローチを

検討すべきであろう。そして,歴史的側面を見る

ことで,視角が包括的になることも考えるべきで

あろう。

(5)

3. NGO

と市民社会論との関係

最近の「市民社会」についての議論は,NGO に 頻繁に言及し,

NGO

を市民社会の中核的な行為体 の一つと見なしている

(19)

。NGO の増加,活動領 域の拡大を反映した

NGO

ブームともいえる関心 の高まりは,市民社会論およびグローバル市民社 会論への関心の高まりとの両輪の関係となってい る。そうした時流の中,最近の市民社会論と

NGO

に焦点をあてる研究では,やや歴史的な経緯につ いての分析が欠落しているのではないかとの指摘 もある。市民社会自体が,元来歴史の中で政治的 な意味をもってきているにもかかわらず,最近の 市民社会論と

NGO

の議論には歴史への言及が不 足しているということである

(20)

。そこで,歴史的 な文脈をも考慮しながら,市民社会の概念をグ ローバル化(globalization)の時代に再考してみる。

まず,今日の市民社会論ブームはどこから来たの だろうか。そのブームを対象として検討してみる。

NGO

との関係を議論する前に,市民社会とは何 を意味するのか,整理しておくべきだろう

(21)

。市 民社会は,おおまかではあるが次の三つの特徴で 説明できよう。まず,市民社会とは,国家などの 支配権力に対抗し,政治変革を追及するという意 味合いがある。つまり,どのようにして市民の主 張を対抗的に実現するかがどの時代においても中 心的な焦点となっていた

(22)

。第二に,本来,市民 社会とは歴史の中で変化する文脈を織り込んだ概 念であった。特に,あるべき市民社会を描くから こそ,イデオロギーが排除できにくい概念であり,

時代を越えて普遍化することは困難であり,それ ぞれの時代の状況下で変化する概念として市民社 会も検討される必要があろう

(23)

。第三に,市民社 会とは市場中心の社会変革に対しても対抗するこ とをも意味していた。市場を変革の中心とみなし,

経済原理に変化の原因を見出すことに対し,市民 社会では内在する諸利益をいかに代表するかこそ が重要であった。国家の権威や市場支配からの解 放により,市民社会を追及することを意味し,市 民社会の議論にはやはりかなり強い規範性が提示

されている

(24)

グローバル市民社会をめぐる近頃の議論は,こ れまでの市民社会論に,いわゆる冷戦後とグロー バル化という文脈を織り込んだといえよう。市民 社会論の再隆盛の背景には,

1980

年代末の旧ソビ エト連邦の崩壊,そして東欧諸国の市場経済への 移行,欧州統合への積極的参加志向が見逃せない。

その上,グローバル化の進行,拡大する格差,反 グローバル化運動の一部過激化,非政府組織の増 加と活躍などの変化を看過してはならない。いわ ゆる冷戦後,グローバル化という条件下で,国家 が単位としてはもはや完結したものではなく,国 境を越えた市民社会において

NGO

がその主要な行 為体として位置づけられている。このような国際 関係の変化で,従来の利害構造とは異なる,より 複雑な利害構造とその代表に対して,国家が十分 対応しているとはいい難い。

NGO

などの非国家的 行為体の増加も,国家が対応しかねている政策領 域への補完ともみられる

(25)

。つまり,その利害代 表の改善へのプロセスの一段階ともいえるかもし れないが,それでも機能的な仕組みとして解決を みているとは限らない。どちらかというと,未だ に解決の糸口を模索する状況といえよう

(26)

。さら に,グローバル化の進行で格差が増大して,国家 や市場への不信は払拭できず,諸利害代表の主体 を市民社会に求めているともいえよう。市民社会 自体の成長や成熟といった単純な肯定的評価だけ では不十分で,国家と市場に代替する主体の模索 や,困難な政治経済状況の嵐の風に後押しされな がら市民社会の議論が高揚してきたとはいえない だろうか。したがって,政治的に行き場がない混 沌とした諸利害が後押しした市民社会となっては いないだろうか。一部の市民社会論は,独立変数 としての市民社会が政治変革を達成するとみなす が,従属変数としての市民社会が様々な不満を受 けとめていることも見逃してはいけない。

したがって,グローバル市民社会をめぐる議論

では,

NGO

をあたかも中心的な行為体として強調

しすぎることはいかがなものか。たとえば,グロー

バル化という状況では,今日の人の動きや環境を

めぐる問題も,地球規模の問題となってきている。

(6)

地球温暖化の問題については,気候変動に関する 政府間パネル(IPCC)などの国際組織,先進国サ ミットのような国家間協議などが,繰り返し行わ れている。もちろん,京都議定書へのプロセス,

そしてその後の各国での批准へのプロセスにおい ても,NGO の存在は看過できない。しかし,その 一方で,

NGO

のみを中核的な行為体として狭隘な 焦点を置くことは問題となりはしないだろうか。

つまり,

NGO

と国家,あるいは他の行為体との関 係も重視されるべきであり,市民社会による問題 解決として単純に結論づけるべきではないだろ う

(27)

社会構造を重視する政治経済論では,グローバ ル市民社会論をすでに俎上にのせている。政治経 済論の批判は,このようなグローバル市民社会論 が,活発化してきている

NGO

の社会との関係を 理解するためにどのように役に立つだろうかと疑 問を提起する。市民社会の概念が必ずしも「冷戦」

末期に突然登場した概念ではなく,歴史的に支配 に対する概念として生まれ,歴史の変化の中で変 化してきたことが重要であり,市民社会が体制を 変革へと導く実現可能性についても慎重さが求め られている

(28)

。この批判は,かつての「社会勢力」

による変革という議論は何がどのように変革につ ながるか具体性がなく不明確と糾弾されたのと類 似している。

そして,グローバル市民社会論では,歴史的な 文脈が抜け落ちていることが,分析上弱点といわ ざるをえない。これまで,

NGO

に興味をもつ研究 者の多くが現況を重んじるあまり,歴史の文脈に ついて十分に気を配ってきてはいない。日本の国 際関係研究の基盤が歴史学にかなり依拠すること を顧みるならば,この分野で歴史的考察が不足す ることは皮肉な対照となっている。合理的なシス テム論や行為体論の問題点として歴史的な文脈が 欠落していることは,

1980

年代後半に欧米の国際 関係論でも批判されてきた。ところが,いわゆる アメリカの主流の国際関係論を輸入する偏重も,

この市民社会の未消化な解釈に影響していること もあり得る。市民社会を漠然としたまま使うので はなく,具体的な行為体を歴史的に明らかにする

努力こそが不可欠ではないだろうか。

最近の市民社会論の展開で注目すべき点は,市 民社会による変革という単純な文脈ではなく,何 が,どの程度変化しうるのか,あるいは変化しな いのかについて言及していることである。市民社 会による社会変革や体制変革を手放しで受け入れ ることに対して,もっと懐疑的な文脈となってい る。たとえば,市民社会が必ずしもいつも独立変 数として国家や国際関係に対するのではなく,そ の反対に市民社会を従属変数として捉えて,市民 社会が受身としてどのように政治機構や経済変化 に影響されるのだろうかという文脈の議論もあ る

(29)

。このように,一部の市民社会を過大に評価 した市民社会論は,もはや相対化され批判の対象 となりつつある。規範的な議論の追及という限定 的な目的とは距離をとり,慎重な市民社会の研究 が登場してきている。

したがって,今日の

NGO

についての議論では,

歴史性と他の行為体との相互性を重視する文脈が 求められている。ある種の「市民社会論」ブーム が落ち着きかけている状況下だからこそ,

NGO

と 市民社会を考察することによる理論的なフィード バックが切実となってはいないだろうか。たとえ ば,比較政治学と国際関係論で「国家と社会」に ついては長年研究されてきているが,この種の研 究に市民社会論がどのように関係するかについて は,今後のさらなる考察が望まれる。市民社会の 歴史性を機軸に,国家と社会の歴史的関係を分析 することも実現可能であろう

(30)

。また,政治学で は基本的な分析視角の一つである機構との関係で は,どのような貢献があるのだろうか。市民社会 をたとえば政府あるいはその部分との関係で,具 体的な主体との関係で議論する試みは,抽象的な 規範的議論からの脱却の準備になるかもしれない。

これらの議論との少なからず重複部分もある国境 を越えたトランスナショナル・リレーションズ

(TR)とどのように関係づければいいのだろうか。

そこで,市民社会の曖昧な定義に依拠するかわり

に,具体的な歴史的アプローチで機構的な側面を

重視することで,市民社会論も政治学とより総合

的に研究する可能性も見えてくるだろう。

(7)

4. 国際行為体論からのNGO

再検討

これまで概観してきた歴史と,市民社会との関 係に続き,

NGO

を行為体についての議論との関係 で再検討してはどうだろうか。行為体として

NGO

の位置を見定める模索は,これまでの国家を中心 にしてきた研究の単なる裏返しとして,

NGO

を中 心に研究展開を開拓することではない。

NGO

を国 家をも含む複数の行為体の変動する相互関係に見 出すわけで,

NGO

を他の行為体との関係で再検討 することになる。したがって,

NGO

の恒久的な定 位置を見出すよりも,他の行為体との相対的な関 係に

NGO

の位置づけを求めるべきであろう。

まず,

NGO

の位置は,国家との関係でどのよう に説明できるだろうか。国際関係論の変遷を省み るならば,国際関係における中心的行為体として の国家との関係を検討することは不可欠といえよ う。国際関係論の主流であるリアリズムの見方は,

国家中心で国家間関係こそが,国際関係とみなし てきた。もちろん,そのような国家中心の国際関 係観でも,個人の存在が無視されたわけではな かった。たとえば,政策決定者と呼ばれる大統領,

首相,外務大臣,国務長官,そして閣僚や,政府 高官などが,分析の中心に位置づけられた

(31)

。つ まり,国家は正当な行為体であり,国家間の関係 が正当化され,その関係にたずさわるエリート間 の関係が正当化されたわけである。正当な国家に かかわるからこそ政策決定者は正当なのであり,

そしてそのような人たちが関係するからこそ国家 も正当なのである,という議論が皆無といえるだ ろうか。国家の正当性とそれに関わる組織と人の 正当化の循環を否定できない。したがって,国家 こそが行為体とする議論は,

NGO

などの行為体の 登場によって新たな挑戦に直面してきたともいえ よう。なぜ,挑戦なのか。それは,国際関係の変 化のみならず,行為体を広いカテゴリーで認知す ることで,これまでの国家中心の国際関係観にも 変化がもたらされるからである。そのプロセスは,

同時に国際関係観に揺らぎをもたらすことで,行 為体を広義に受け入れることにもつながる。国際

関係の変化と国際関係観の関係は,その間に微妙 な時間差があるにせよ,やや「ニワトリとタマゴ」

にも似た「どちらが先か」との問いにもつながる 循環的な因果関係ともいうべき性質も看過できな い。

国家こそが行為体という文脈では,

NGO

は分析 枠組の外,少なくとも周辺となっていた。正当性 との関係で見るならば,

NGO

自体は,国際関係で 正当性のある行為体とはいえなかった。もし

NGO

が正当性をもったとしても,正当な国家や国際組 織との関係に限定されていたともいえよう

(32)

。す でに議論したように,国家の代表が集まる国連と の関係で,その地位が支えられていたという事実 からも,NGO の正当性は他の行為体,特に国家,

国際組織との関係で維持されていたこととも文脈 が一致する。NGO は,自ら受け身として正当な行 為体との関係で,その正当性を確保できたという ことである。

では,

NGO

に関する最近の高い研究関心は,行 為体論からはどのように説明できるであろうか。

たとえば,1970 年代から注目されてきた,国境を 越えた様々な行為体の関係であるトランスナショ ナル・リレーションズ(TR)という文脈で見直す ことができよう。かつて,

R・O・コヘイン(Robert O. Keohane)とナイ(Joseph Nye., Jr.)が1970

代 に

( 33)

, そ し て ト ー マ ス ・ リ ッ セ ・ カ ッ ペ ン

(Thomas Risse-Kappen)

(34)

1990

年代に国家以

外の

NGO

を含む行為体に注目したこととも比較

できよう。すでに

20

世紀にはいる前にも直接投資

による多国籍企業が存在していたが,コヘインや

ナイが国家以外の行為体として多国籍企業に注目

し国際関係論で話題になるのは

1970

年代であっ

た。経済関係に注目しながら,多国籍企業などの

国家以外の行為体や,先進国間の相互依存関係を

強調した。その約二十年後,リッセ・カッペンが

1990

年代にあえて,TR を再検討した時,国家以

外の多様な行為体の一つとして

NGO

を取り上げ

た。そして,リッセ・カッペンは,国際関係にお

ける国家の再主張ともいえる国家の存在を強化す

る動きが起こっていたことを指摘していた。つま

り,国際関係の変化によって国家がそれまでに経

(8)

験しなかったような挑戦を他の行為体との関係で 余儀なくされる場合でも,単純に国家の主権の相 対的喪失に至るのではなく,挑戦に対する国家の 再主張という別の軸を築いたことであろう

(35)

。し たがって,TR 研究は,TR が国家からの巻き戻し に直面したことをも包含した。とはいうものの,

TR

の実体が停止したわけではなく,単一の行為体 の合理性に帰結しがたい,複数の行為体のそれぞ れの合理性が錯綜する状況は進展してきている。

その場合,

NGO

はどのように

TR

に位置づけられ たのだろうか。これまでとは微妙に異なる国際関 係の継続と非継続の縒りからでてきているといえ ないだろうか。変わりきったわけでもなく,また 同様でもない。変化と不変の二極化した議論をあ えて回避することで

NGO

TR

の微妙な変化と連 続をも理解することを試みるべきだろう。

最近の

NGO

についての議論は,国家との関係 に限定されるのではなく,さらに広汎な行為体と の関係に広がりつつある。たとえば,国連などの 国際組織との関係,対人地雷廃絶条約(通称「オ タワ条約」),地球温暖化ガス排出規制のための京 都議定書などの国際的合意形成の経験,そして対 外関係を考える手段として

NGO

をみることに拡 大しつつある。最近鮮明になりつつあるのは,

NGO

間のネットワークであろう。もちろん,草創 期において

NGO

間関係はすでに存在していた

(36)

。 しかし,その蓄積,そして組織化のレベルには少 なからず進展が見出だせる。従来の

TR

と比較し てみると,最近の

NGO

をめぐる議論には,国家 との関係を離れて,

NGO

自体を国際関係の中に見 出すほど

NGO

が大きい存在となっている場合も ある。もちろん行為体間の関係がすべて同等と見 ているわけではないが,

NGO

の行為体としての性 質を多数の行為体間の関係で見定める必要がある。

では,リアリズムとしても中心的な概念である 正当性を,

NGO

に問うとはどういうことだろうか。

NGO

自体の正当性は,国家に準ずる,あるいは国 家とは異なるだけでは特定しにくい。しかし,行 為体としての正当性は,目的,組織,財政,活動 の継続性,他の組織との関係性の五要素に大きく 分けられるであろう。まずは,組織の目的である。

NGO

の設立,運営のプロセスで,その組織が掲げ る,追及する目的は,組織自体にも,また対外的 にもさまざまな影響をもつ。たとえば,設立時の 目的は,NGO が組織として,さまざまな税制上,

法制上の地位をえるには欠かせない。これらは組 織として審査される際に,設立時には特に重要と なる。また組織を運営していく過程でも,組織の 目的はその活動に少なからず影響するであろう。

目的次第では,法律上,国家の許可,認可に関係 する影響,指導,政策実行などがありえる。第二 に,組織としての構造も

NGO

にとっての正当性 と関係するであろう。たとえば,一時的というよ り,継続的な安定した組織を持つかどうか。一時 的な泡沫的組織ではなく継続による信頼を確立で きるかどうかである。また,どのような支部組織,

下部組織,地方組織を持ち,組織的な基盤をもつ かどうかは,組織の性質をも決定づけることもあ りえる。第三に,財政的な側面も見逃せない。組 織の信頼とも関係するが,いかに安定した組織と なるか。そのために不可欠となるのが,財政基盤 の安定化である。活動を,組織を安定化するには,

財政上の安定が必要となる。第四に,これまでの 諸要素と深い関連にあるのが,組織の継続性であ る。この場合,継続性は,組織の信頼性を高め,

高い信頼性はその組織を正当化し,さらにはより 安定した支援を受けることで,組織が継続すると いう循環となる

(37)

。第五に,たとえ

NGO

中心と はいえ,その活動は他の行為体との関係が隔絶さ れた空間で達成できるものではない。たとえ二次 的とはいっても,他の行為体との関係があっての

NGO

という位置づけがこれまで築かれている。も ちろん他の

NGO

との協力の有無も正当性,信頼 性と密接な関係にある。

ところで,

NGO

の行為体としての正当性が他の 行為体との関係に見出されるならば,

NGO

との関 係の相手側となり得たのはどのような行為体であ ろうか。たとえば,政府,国家,政治機構,各種 国際組織,NGO,各種民間組織,企業,教育機関 などであろう。行為体にしても,組織的に堅実,

目的が明確なものから,やや組織的に脆弱で,目

的が不明確なものまでありうる。古典的なリアリ

(9)

ズムの文脈では,国家とその政府,あるいはその 代表のみを中心にしていたので,

NGO

自体が視野 に入りにくい状況にあった。それにもまして,リ アリズムにおける行為体の正当性を議論するなら ば,

NGO

はやはり国家及び政府とその関係者と比 較して, 「格下」の存在であり,非政府組織として は, 「非」の部分が強調されたトーンさえも見られ たといっても過言ではないだろう。とはいうもの の,第一次世界大戦開始前にも,

NGO

がすでに存 在していたとする入江昭の議論では,

NGO

の活動 の積み上げも説明され,もう少し微妙な位置に あったともいえよう

(38)

。NGO は,国家以外の行 為体であり,かつ国家政府に準ずる地位にあり,

国家や政府とは対等ではない行為体ではあるが,

国家や政府との関係においてすでに無視できない 存在となっていた。

最近,NGO は行為体としての正当性について,

さらに二つの課題に直面している。一つ目は,い わゆる米国多発テロ(「9.11」)直後の

NGO

に対す るやや怪訝な目である。行為体としての正当性と いう文脈で国家以外の行為体の一部にも疑いの目 が向けられた。一部の国家の正当性を疑問視する ような文脈もアメリカ外交政策にはみられたが,

それに類似して一部の

NGO

に対しても少なから ず疑いの目が向けられた。ある意味では,極めて 政治的な,そして前後の出来事に極端に影響され た結果といえよう。国際関係で認知され,行為体 として正当性が認められつつあった

NGO

にも,

新たな疑問の目が向けられた事例もあった。国家 間の公式ルートとは別のルートで,いわゆる反政 府活動のための資金,人脈ルートなどのために

NGO

という「仮面」を利用しているのではないか との疑問が政治的文脈で煽られた。つまり,NGO の非政府ルートをとおして,反政府的な組織が国 境を越えて,資金や人員を確保,移動しているの ではないかとの疑いである。一部は米国多発テロ 後の政策的反応ともみられ,国家以外の,民間の 慈善団体の看板を隠れ蓑にすることもあるかもし れないという,いわば疑心暗鬼にまで至っている。

このような危機的状況下では,

NGO

の正当性が脆 弱となりかねない。したがって,いかに正当な行

為体として

NGO

が活動するかとの新たな課題が 見えてくる。

もう一つの

NGO

への挑戦は,政策過程におけ るその行為体としての公共性と信頼性である。

NGO

の基本的な性格として,民間の非営利組織と いうのがあるので,国家と同等の条件を充足,あ るいは充足すべきとの議論ではない。しかし,

NGO

の活動展開が広がる中で,国家との関係の中 で,政策形成過程における

NGO

の存在も否定でき ない。政策過程において

NGO

がいかに公共性をも ち,信頼を獲得できるかとの疑問も出てきている。

つまり,政策過程においてより重要になりつつあ ることは,国家の組織とは異なるとはいうものの,

それに準ずる条件を求められる。たとえば,財政 的な透明性,収入と支出の公開,活動計画と報告 などは,国家からの

NGO

資格審査のみではなく,

国家からの援助を受けるならば,政策過程に関わ る組織として求められよう。特に,国家に先行し て政策提言をする組織としては,組織的な信頼も 重要となる。複雑化しつつある政策過程において,

NGO

がこれから克服すべき課題であり,分析でも 複数の行為体が入り混じる政策過程を注視すべき である

(39)

5.

結――リアリズムと市民社会論を超えた 第三の視角とは?

変化する国際関係,そしてそれに伴い変化する

NGO

の位置を考えると,NGO が持つ行為体とし ての特徴は,決して恒久的なものでなく,どちら かというと歴史的状況の中で流動的に変化すると いわざるをえない。これまでの

NGO

の歴史を振 り返るならば,

NGO

が国際法上のみの基盤で誕生 したというよりは,活動の過程で,あるいは国家,

国際組織,

NGO

などとの関係においてその補助的,

あるいは補完的な立場から,その地位と正当性を 獲得していたといえよう。

市民社会論は,社会運動自体の動態的な

NGO

による社会変革を説明し,鼓舞するには好都合で

あるが,歴史性と具体性を欠いた場合には,イデ

オロギー性のみが突出し,客観的分析を拒むであ

(10)

ろう。市民社会論が持つ歴史性などの文脈を把握 するには,政治経済論での議論を過小評価すべき ではない。国際政治学のあり方にも波及する議論 でもあるが,理論と事例の相互切磋琢磨の模索を し続けること,これが必須条件なのである。

しかしながら,国際的な文脈での

NGO

の正当 性と分離できないのは,社会における

NGO

の正 当性である。つまり,社会との関係において,社 会的な存在としての

NGO

が正当性を持ち得るか どうかである。社会においての正当性は,国家内,

国家を越えた正当性にもつながる。この場合も,

国際的な文脈と同じで,やはり時間軸をしっかり 設定した検討が重要となろう。

このような,国際的かつ社会的文脈における

NGO

の正当性は,必ずしも普遍的というわけでは ない。国際的かつ社会的な文脈において,普遍的 なるものがどれだけ存在するだろうか。正当性の 基準そのものも歴史の中で変化してきている。た とえば,国家の正当性とその優越性自体も歴史的 に不変であり,国際的に普遍的に認知されていた かというとやや疑問である。 「国際法的には」とい う前提を最大限に許容するにしても,実際の国家 主権の不可侵性も弱肉強食の国際政治の現実にさ らされてきている。

とはいうものの,二十世紀の歴史をたどってみ るならば,

NGO

は増加し,組織や活動も,経験的 に蓄積している。国際的にも,社会的にも認知を 受け,その存在と活動の両面において正当性を もっているといえる。国際連合などの国際組織に おいて,国際交渉においても然りである。

NGO

が 他者との関係性の中に正当性を求めるとういう点 では,

NGO

の正当性とは,その組織自体で確保維 持できるものではなく,他の行為体との関係に見 出せる。

最後に,今後の国際政治学,国際関係論に残さ れた課題についても,考察を加えておく。これま での

NGO

についての議論も加味するならば,以 下の二点が提示できよう。第一点,事例研究の重 要性であろう。多くの市民社会論と

NGO

の関係 は,「ある」と「あるべき」のあいだの「はざま」

のやや不明瞭な土台に立脚している。たしかに,

運動として,またその実現という目標のためには,

「あるべき」の議論はそれなりの重要性もあろう が,やはり分析においてはできる限り距離をとる 努力も貴重となろう。その際に,分析に使用する 資料も模索する必要があろう。インタビュー,第 二次資料に加え,第一次資料も検討してはどうだ ろうか。第二点,日本の国際政治学の特徴ともい える歴史からの考察を,どのように

NGO

分析に 生かすかであろう。研究の特徴として,歴史的な 考察をぜひ

NGO

研究にも反映させるべきである。

NGO

の歴史をたどり明らかにするというだけでは なく,国際政治史の研究へもフィードバックが少 なくないだろう。そして,非歴史的という陥穽に はまりがちな一部の市民社会論への警鐘ともなろ う。

要するに,異なる

NGO

への焦点は,複数の分 析結果をもたらしうる。つまり,まず

NGO

をど のように位置づけて認知するのか。そして,NGO をどのように分析に取り込むかということで,国 際関係の議論で使われてきた方法を批判し,より 実質的な試みをも展開する。

NGO

と社会の関係を 検討することで,国際政治学における狭義の行為 体についての議論も相対化し,より包括的で比較 政治学との統合をも試みることも可能であろう。

今後の

NGO

研究の可能性として,国際政治学,

比較政治学などの研究も包含しながら理論的な精 緻化を模索するもこともありえるだろう。

NGO

を 研究することを最終目的とするのではなく, 「NGO を研究することで何を切り開くことが可能か」と いうビジョンこそが必須である。支配的なリアリ ズムの枠を壊すイコノクラストとして

NGO

を研 究することを超えて,かつ包括的な研究方法を模 索することこそが希求される。

(1) 民間でも企業などの営利を追求する団体や,政党の ような政治運動の組織,布教を目的とする宗教団体な どとは,NGO は区別されている。大芝亮「国際関係 における行為主体の再検討」『国際問題』119号,1998 年。日本では,1995 年の阪神淡路大震災後のボラン ティアの活動展開をはじめ,NGO はそれまでよりも

(11)

より多く関心を集めつつある。その一つの帰結は,

NPO法と呼ばれる特 定 非 営 利 活 動 促 進 法 の 施 行 で あった。国際連合憲章における定義を用いる場合も多 い。しかしながら,NGOとNPOの関係は一般的に重 複する部分も多く,日本の場合はNPOが法的な資格 を獲得している。NGOの定義は,このように難しい。

David Lewis, The Management of Non-Governmental Development Organization (New York: Routledge, 2001).

本稿では,国際的な活動を展開する NGO(いわゆる International Non-Governmental Organization, INGO)を 中心に考察する。

(2) 拙 稿 ,「 カ ナ デ ィ ア ン ・ ル サ ラ ン 国 際 救 援 組 織

(CLWR)――ユニテリアン・サービス・コミッティー・

オブ・カナダ(USCC)との比較研究(1945-1960)」

『国際学研究』24号,2003年,73-74ページ。

(3) 市民社会についての定義に関しては,以下を参照。

David Chandler, “Building Global Civil Society, ‘From Below’,” Millennium, 33:2, 2004, p.313. Mary Kaldor,

“Globalization and Civil Society,” in Marlies Glasius, and David Lewis, and Hakan Seckinelgin, eds., Exploring Civil Society: Political and Cultural Contexts (London: Routledge.

2004), p.191.

(4) グローバル市民社会については,以下を参照。John Keane, Global Civil Society? (Cambridge: Cambridge University Press, 2003). David Chandler, Constructing Global Civil Society: Morality and Power in International Relations (London: Palgrave, 2004). Michael Kenny, and Randall Germain, “The idea(l) of global civil society,” in Randall D. Germain, and Michael Kenny, eds., The Idea of Global Civil Society: Politics and Ethics in a Globalizing Era (London: Routledge, 2005).

(5) 目加田説子『国境を超える市民ネットワーク』東洋 経済新報社,2003 年。目加田説子『地球市民社会の 最前線』岩波書店,2004年。

(6) Mary Kaldor, Global Civil Society: An Answer to War (Cambridge: Polity, 2003). Chandler, “Building Global Civil Society.” Kenny and Germain, “The idea(l) of global civil society.” Lewis, op.cit., p.44.

(7) 拙稿「リアリズムとネオリアリズムの国家中心モデ ル――理論と規範の関係の一考察」『国際政治』,101 号,1992年。

(8) この文脈は,かつてリッセ・カッペンが国家中心の リアリズムと社会中心のアプローチの間で,第三のア プローチの模索を試みたことと類似点がある。しか し,本論ではリアリズムと市民社会論に対する第三の アプローチへの可能性を模索する。リッセ・カッペン については,以下を参照。Thomas Risse-Kappen, ed., Bringing Transnational Relations back in (Cambridge:

Cambridge University Press, 1995), p.281.

(9) 市民社会論やグローバル市民社会論について,すで に批判も登場してきている。たとえば以下を参照。

Sandra Halperin, and Gordon Laxer, “Effective Resistance

to Corporate Globalization,” in Gordon Laxer, and Sandra Halperin, eds., Global Civil Society and its Limits, (London: Palgrave, 2003). Mary Kaldor, Global Civil Society. Amitai Etzioni, “The Capabilities and Limits of the Global Civil Society,” Millennium, 33:2, 2004.

Chandler, “Building Global Civil Society.” 日本のケー スについては,Robert Pekkanen, Japan’s Dual Civil Society: Members without Advocates (Stanford: Stanford University Press, 2006).

(10) たとえば,馬橋憲男『国連と NGO――市民参加の 歴史と課題』有信堂,2001年,参照。

(11) 設 立 時 の 名 称 は ,Oxford Committee Against the Famine。

(12) アメリカのユニテリアン系の国際援助組織は,1933 年に設立されたアメリカン・ユニテリアン・アソシ エーション(American Unitarian Association, AUS)に さかのぼれるが,1940年にAUAの一部がユニテリア ン ・ サ ー ビ ス ・ コ ミ ッ テ ィ ー (Unitarian Service

Committee, USC)として独立した。1963 年には,ユ

ニバーサリストのNGO(Universalist Service Committee,

USC, 1945年設立)とそれまでの協力関係を土台に統

合してユニテリアン・ユニバーサリスト・サービス・

コミッティー(Unitarian Universalist Service Committee, UUSC)を設立して現在にいたっている。

(13) USCCが活動したヨーロッパでは,すでにクウェー カ ー 系 の 慈 善 団 体 が す で に 活 動 を 展 開 し て い て , USCCはそれらのクウェーカー系組織との協力を土 台に自らの組織の活動を築き上げたといっても過言 ではなかった。拙稿,「ユニテリアン・サービス・コ ミッティー・オブ・カナダ(USCC)の草創期(1945- 1960)――超国境性と組織のカナダ化のはざまで」

『国際学研究』22号,2002年。

カナダのNGOの事例については,たとえば以下を 参照。拙稿,「ユニテリアン・サービス・コミッティー・

オブ・カナダ」。拙稿,「カナディアン・ルサラン国際 救援組織」。

(14) Akira Iriye, Global Community (Berkeley: University of California Press, 2002). 入江昭著,篠原初枝訳『グロー バル・コミュニティー』早稲田大学出版会,2006年。

Akira Iriye, “The Role of International Organization,” in Bruce Mazlish, and Akira Iriye, eds., The Global History Reader (New York: Routledge, 2005).

(15) さらに新現実主義の見方は経済の側面にも研究領 域を拡大しながらも国家単位をさらに単純化をもた らしたといえる。拙稿「リアリズムとネオリアリズ ム」。

(16) David LewisとAlison Van Rooyもこの立場をとる。

Lewis, op.cit., pp.39-40. Alison Van Rooy, The Global Legitimacy Game: Civil Society, Globalization, and Protest (London: Palgrave, 2004).

(17) 拙稿,「ユニテリアン・サービス・コミッティー・

オブ・カナダ(USCC)の草創期」。拙稿,「カナディ

(12)

アン・ルサラン国際救援組織(CLWR)」。

(18) NGO の比較研究については,たとえば 拙稿,「カ ナディアン・ルサラン国際救援組織(CLWR)」。

(19) たとえば,以下を参照。目加田『地球市民社会の最 前線』。

(20) Kean, op.cit. Halperin, and Laxer, op.cit. NGOと社会 の関係については,拙稿「NGO(非政府組織)と社会 との関係についての一考察――カナダ海外援助大学 機構(CUSO)の設立と初期の活動(1961-1975)」『国 際学研究』28・29合併号,2006年。

(21) 「市民社会」が概念として,多義的であり,その定 義等が混乱しているため分析的に注意が必要という 指摘もある。たとえば,Kaldor, Global Civil Society,

pp.2-3, pp.7-12. 遠藤貢「『市民社会』論――グローバ

ルな適用の可能性と問題」『国際問題』2000年7月,

5-6ページ。

(22) Kenny, and Germain, “The idea(l) of global civil society,”

p.7. Chandler, Constructing Global Civil Society, pp.2-3.

(23) 市民社会が持つイデオロギー性については,Kenny, and Germain, op.cit., pp.7-8. 歴史の中での市民社会の 概念については,以下を参照。Kaldor, Global Civil Society, pp.16-21. Kean, op.cit., p.5. 遠藤,前掲論文。

川原彰『現代市民社会論の新地平』有信堂,2006年。

山口定『市民社会論――歴史的遺産と新展開』有斐閣,

2004 年。John Ehrengerg, Civil Society: The Critical Study of an Idea (New York: New York University Press, 1999).

(24) Kenny, and Germain, “The idea(l) of global civil society.”

Kaldor, “Five Meanings of Global civil Society,” in Kaldor, Global Civil Society.

(25) 国家とNGOの関係では,NGOの国家に対する補完 的役割のほか,国家のプログラム実施の下請け,そし て国家に先行して政策領域に取り組むなどの役割が ある。国家に対するNGOの補完性については,高柳 彰夫「地球市民社会とNGO――開発NGOを中心に」

『国際問題』2000年7月,17ページ。

(26) このあたりは,自由主義的な見方と,一線を画して いるともいえよう。不完全な,不十分な,機能不全も 含む政治機構という見方である。

(27) Kaldor, Global Civil Society, p.79. P, Kenny, and Germain, “The idea(l) of global civil society,” p.11.

Chandler, “Building Global Civil Society,” p.313. 遠藤,

前掲論文,16ページ。

(28) NGOの限界,相対化については,たとえば,Chandler,

“Building Global Civil Society.” Etzioni, “The Capabilities and Limits of the Global Civil Society.” Ole Jacob Sending, and Iver B. Neumann, “Governance to Governmentality:

Analyzing NGOs, States, and Power,” International Sudies Quarterly, 50:3, 2006.

(29) 多くの市民社会論は市民社会の重要性を強調し,社 会変革への独立変数と見なしがちである。しかし,社 会変革への他の要因に言及し,市民社会も受身として

の 従 属 変 数 と し て も 議 論 さ れ て き て い る 。Etzioni, op.cit. Pekkanen, op.cit.

(30) NGO と社会についての研究としては,たとえば以 下を参照。拙稿「NGOと社会」。

(31) リアリストの文脈は,リアリストと位置付けられる E・H・カー自身も批判していたように外交をきめて 狭義にとらえ,国家観,あるいはそれに準ずるエリー ト間の関係と定義していた。E・H・カー『危機の二 十年』(岩波文庫),岩波書店,1996年。同書は,1939 年に出版されたE.H. Carr, The Twenty Years’ Crisis の現代語訳版。

(32) 馬橋,前掲書。

(33) Robert O. Keohane, and Joseph Nye, Jr., Power and Interdependence (Boston: Little and Brown, 1977).

(34) Risse-Kappen, ed., Bringing Transnational Relations back in.

(35) この文脈は,最近のグローバル化についての議論で も,行為体の多様化と国家の関係が関心を集めている が,国家の変貌による再強化,再主張という議論に類 似している。たとえば,Linda Weiss, The Myth of the Powerless State: Governing the Economy in a Global Era (Cambridge: Polity, 1998). Philip Cerny, “Restructuring the Political Arena: Globalization and the Paradoxes of the Competition State,” in Randall D. Germain, ed., Globalization and its Critics: Perspectives from Political Economy (London: Macmillan, 2000). T.V. Paul, G. John Ikenberry, and John A. Hall, eds., The Nation-State in Question (Princeton: Princeton University Press, 2004).

日本の国家とグローバル化に関する研究の中で,国家 の再主張,主導については,以下を参照。Steven K.

Vogel, Freer Market, More Rules: Regulatory Reform in Advanced Industrial Countries (Cornell: Cornell University Press, 1996). Ulrike Schaede, and William Grimes, eds., Japan’s Managed Globalization: Adapting to the Twenty- first Century (New York: M.E. Sharpe, 2003). Pekkanen, Japan’s Dual Civil Society.

(36) 拙稿「ユニテリアン・サービス・コミッティー・オ ブ・カナダ」。

(37) 拙稿「NGOと社会の関係についての一考察」。

(38) NGO と認められる前に,すでに活動を通して民間 の組織が国内,国際的に認知を得て,正当な行為体,

協力組織としてみなされていた事例を指摘している。

Iriye, Global Community.

(39) Susan Phillips, and Karine Lavasseur, “The snakes and ladders of accountability: Contradictions between contracting and collaboration for Canada’s voluntary sector,” Canadian Public Administration, 47:4. 2004.

参照

関連したドキュメント

In this artificial neural network, meteorological data around the generation point of long swell is adopted as input data, and wave data of prediction point is used as output data.

[r]

6.. : Magneto- strictive Properties of Body-Centered Cubic Fe-Ga and Fe- Ga-Al Alloy, IEEE Trans. : Magneto- strictive property of Galfenol alloys under compressive

90年代に入ってから,クラブをめぐって新たな動きがみられるようになっている。それは,従来の

この小論の目的は,戦間期イギリスにおける経済政策形成に及ぼしたケイ

Kuntze, Carl Ernst Otto (1891) Revisio Generum Plantarum: vascularium omnium atque cellularium multarum secundum leges nomeclaturae internationales cum enumeratione plantarum

雑誌名 金沢大学日本史学研究室紀要: Bulletin of the Department of Japanese History Faculty of Letters Kanazawa University.

青年団は,日露戦後国家経営の一環として国家指導を受け始め,大正期にかけて国家を支える社会