〈書くこと〉と〈読むこと〉をめぐる一考察 : 黒 田夏子、アラン・ロブ=グリエ、ロラン・バルト
著者 柳田 寛
雑誌名 北海道医療大学人間基礎科学論集
号 40
ページ B1‑9
発行年 2014‑11‑30
URL http://id.nii.ac.jp/1145/00010251/
北海 道医 療大 学人 間基 礎科 学論 集 第四
〇号
二〇 一四 年
︿ 書 く こ と ﹀ と ︿ 読 む こ と
﹀ を め ぐ る 一 考 察
──
黒 田 夏 子
︑ ア ラ ン
・ ロ ブ
=グ リ エ ︑ ロ ラ ン ・ バ ル ト ──
柳 田 寛
Ⅰ 小説 とは 何か
? いつ から だろ う? 小説 を読 むこ とが 物語 を読 むこ とに 還元 され てし ま った のは
?﹁ あの 小説 読ん だ?
﹂
﹁う ん︑ 読ん だよ
︒﹂
﹁面 白か った
?﹂
﹁う ん︑ 面白 かっ たよ
︒﹂
﹁で
︑ど んな 話だ った
?﹂
︒そ う︑ 人は
﹁話
﹂が 知り たい のだ
︒そ れこ そが
﹁物 語﹂ だ︒ 何が 書か れて ある かが 知り たい の だ︒ この 経緯 は︑ ロマ ーン
・ヤ ーコ ブソ ンの
﹁コ ミュ ニケ ーシ ョン
・モ デ ル﹂ で説 明す るこ とが 出来 るだ ろう
︒彼 によ ると
︑通 常の コミ ュニ ケー ショ ンは
︑発 信者 がコ ンテ クス ト︵ メッ セー ジが 言及 する 言語 外の 世 界︶ とコ ード
︵発 信者 と受 信者 の共 有す る言 語体 系︶ を媒 介に して 受信 者に メッ セー ジ︵ 言語 体系 を踏 まえ て発 信者 と受 信者 の間 でと りか わさ れる もの
︶を 送り 届け ると いう こと であ る︒ これ を発 信者=
作者
︑受 信 者= 読者
︑メ ッセ ージ=
物語 に置 き換 えれ ば︑ われ われ が通 常了 解し て いる 小説 の読 み方 と符 合す る︒ そこ で︑ 作者 を生 産者 に︑ 読者 を消 費者 に︑ 物語 を商 品と すれ ば︑ まさ しく 大衆 消費 時代 に相 応し いモ デル が出 来上 がる
︒そ れ故
︑小 説を 読む こと とは 畢竟 物語 を消 費す るこ とと 同義
なの であ る︒ 今日 量産 され るほ とん どの 小説 が︑ この 図式 に収 まる であ ろう こと を 付け 加え るな らば
︑そ れは 蛇足 とい うも のだ ろう
︒生 産者
︵作 者︶ は︑ 消費 者︵ 読者
︶を 惹き 寄せ んが ため
︑手 を替 え品 を替 え商 品︵ 物語
︶を 生み 出し 続け るで あろ う︒ そこ では
﹁書 く﹂ とい う行 為が 他動 詞に 他な らな いと いう 盲信 が確 信と して 行き 渡っ てい る︒ しか しな がら
︑小 説と はこ うし たも のな のだ ろう か? ヤー コブ ソン は他 方に おい て︑ メッ セー ジを 構成 する 言語 それ 自体 に 主た る関 心が 払わ れる とき
︑言 語の 伝達 様式 は詩 的機 能を 目的 とす るも のと なる こと を指 摘し てい る︒ 卑近 な例 を挙 げれ ば︑
﹁お いし い生 活﹂ とい う表 現の
﹁お いし い﹂ がそ の例 とな ろう
︒そ の時
︑物 語は 何が 書か れて いる かで はな く︑ いか に書 かれ てい るか へと 視点 が移 動す るこ とと なり
︑物 語は 単な る消 費の 対象 とし て存 在す るこ とと はな らな くな る︒ ここ にお いて 物語 に対 する 異な った 二つ の立 場が 生じ るこ とと なる
︒ 一方 は単 純に 物語 を語 るこ とで 小説 が成 り立 つと 考え る立 場︒ 他方 は小 説が 単に 物語 を語 るこ とで 事足 りる とは 考え ない 立場 であ る︒ この 時︑ 小説 を﹁ 純文 学﹂ と﹁ 大衆 文学
﹂に 区分 する こと は意 味を なさ ない
︒そ こに はた だ︿ 書か れて ある 言葉
﹀が 存在 する だけ であ る︒ そし て︑ 大方
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の小 説は 物語 を消 費す るべ く書 かれ てい るの が現 実で ある が︑ それ に対 して
︑小 説を 読む こと が物 語の 消費 に還 元さ れる こと では ない 小説 とし て︑ 二〇 一三 年に 黒田 夏子 によ り書 かれ た﹃ab
さん ご﹄ を取 り上 げる こ とが でき るだ ろう
︒こ の小 説に あっ ては
︑ど こま でも 作者 が言 葉の 物質 性に 重き を置 いて いる が故 に︑ 単に 物語 を消 費し よう とい う試 みは 頓挫 する こと とな る︒ まず
︑こ の小 説は 縦書 きで はな く︑ 横書 きで 書か れて いる
︒さ らに
︑ 代名 詞︑ 固有 名詞 は用 いら れず
︑名 詞が 使わ れる べき とこ ろも それ とは 名付 けら れず に語 られ
︑漢 字の 代わ りに ひら がな が多 用さ れる
︒そ れ 故︑ 文章 を読 むテ ンポ もア レグ ロと アダ ージ ョが めま ぐる しく 変わ る︒ また
︑全 体が 断章 で構 成さ れて おり
︑そ れら が交 差さ れて いる がた め に︑ クロ ノロ ジー
︑人 物像 も定 かで はな く︑ いわ ば読 者は 半ば 宙吊 りに され たま ま読 み進 むこ とと なる ので ある
︒し かし
︑こ うし た書 き方 はな にも 奇を 衒っ たも ので はな く︑ あく まで も作 者が 物語 を構 成す る言 葉の 物質 性を 触知 する べく われ われ を誘 って いる だけ のこ とで ある
︒ これ らの こと を少 し敷 衍し てみ よう
︒ま ず︑ 読み のテ ンポ につ いて で ある が︑ この 小説 にあ って は先 程も 述べ たよ うに
︑普 通の
︵と はな に か?
︶読 み方 が通 用し ない
︒つ まり
︑伝 統的 な西 洋の 写実 小説 に則 って 書か れた 小説 を読 むよ うに は書 かれ てい ない ので ある
︒本 来︑ 小説 とは どの よう に書 かれ ても よい はず であ るが
︑何 時か らか 西洋 の近 代に 成立 した 写実 主義 小説 の書 かれ 方で 書く こと が﹁ 自然
﹂と なっ たの であ る︒ であ るが 故に
︑こ の﹁ 自然
﹂は いさ さか も﹁ 自然
﹂な もの では なく
︑歴 史的 なも ので ある
︒こ のこ とは
︑﹁ 時間
﹂と いう もの の概 念の 理解 の仕 方と 密接 な関 係が ある
︒つ まり
︑西 洋の 近代 に成 立し た写 実主 義小 説の 時間 概念 は︑ 産業 革命 を生 み出 した 近代 的な 時間 のシ ステ ムに 基づ くも ので あり
︑そ こで は︑ 時間 は効 率性 と結 びつ き︑ 一刻 の猶 予も なら な い︒ 時間 は滞 って はな らな いの だ︒ すべ てが 機械 のよ うに 淀み なく 流れ なく ては なら ない
︒当 然な がら
︑厳 密さ
︑正 確さ が要 求さ れる
︒し かし なが ら︑ われ われ の時 間の 日常 的な 把握 はも っと 融通 無碍 では ない だろ
うか
︒何 かに 没頭 し熱 中し た時 には
︑時 間は アッ とい う間 に過 ぎる し︑ 逆の 場合 には
︑時 間は いつ まで 経っ ても 進ま ない
︒何 かに つい て思 いを 巡ら せて いる 時に も︑ ふと 気づ くと 別な こと を考 えた りし ては いな いだ ろう か︒ つま り︑ 時間 とい うの は必 ずし も合 目的 的に は進 まな いの だ︒ こう した 時間 の理 解の 仕方 を無 理に 合目 的的 に抽 象化 し還 元し た場 合に 時間 の近 代的 理解 が生 ずる のだ
︒し かし
︑こ のこ とは いさ さか も﹁ 自 然﹂ なこ とで はな い︒ それ 故︑
﹃ab さん ご﹄ とい う小 説は
︑流 行り の言 葉で 言え ば︑ 西洋 近代 の時 間概 念に 基づ く西 洋の 写実 主義 小説 を異 化し 脱構 築し た小 説で ある とな ろう か︒ いず れに せよ
︑こ の小 説は
︑言 葉を 触覚 的に 味わ い︑ 積極 的に 迷う こと の歓 びを われ われ に与 えて くれ るの であ る︒ 読み のテ ンポ につ いて さら に一 言蛇 足的 に付 け加 える とす れば
︑こ の 小説 は︑ マラ ルメ が﹃ ディ ヴァ ガシ オン
﹄の
﹁詩 の危 機﹂ にお いて 語っ たと ころ の言 語の 二つ の状 態︑ すな わち
﹁報 道・ ルポ ルタ ージ ュの 言 語﹂ と﹁ 詩的 言語
﹂と の区 分に おけ る︑ 後者 の言 語の 状態 に当 たる とい うこ とで ある
︒前 者に あっ ては
︑言 葉は 貨幣 のよ うな 交換 価値 しか 持た ず︑ それ 自体 には なん らの 自立 的価 値は ない
︒後 者に よっ て︑ 初め て言 葉が 言葉 とし ての 価値 を具 現す ると いう もの であ る︒ 卑近 な例 を取 れ ば︑ たと え新 聞を 隅か ら隅 まで 読ん だと して も︑ また
︑読 んだ 記事 に一 喜一 憂し たと して も︑ 読み 終え てし まえ ば新 聞は 唯の 紙屑 同様 でし かな いと いう こと であ る︒ 逆に 言え ば︑ 交換 価値 だけ で終 わっ てし まう 価値 ほど 無償 かつ 味気 ない もの はな いと いう こと であ る︒ しか しな がら
︑
﹃ab さん ご﹄ が限 りな く詩 に近 いと いう こと では ない
︒散 文詩 とい うこ とで あれ ば︑ われ われ はす でに ボー ドレ ール の﹃ パリ の憂 鬱﹄ を持 って いる
︒そ うで はな く︑ 言葉 の働 き方 がこ れま で小 説と して 書か れて きた 言葉 の働 き方 とは 異な ると いう こと であ る︒ つま り︑ 言葉 が交 換価 値の 機能 だけ に終 止し てい ない とい うこ とで ある
︒ この こと は先 に述 べた よう に︑ この 小説 が縦 書き では なく 横書 きと し て書 かれ てい るこ と︑ また
︑代 名詞
・固 有名 詞も 使わ れて いな いこ と︑
〈書くこと〉と〈読むこと〉をめぐる一考察
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