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(1)2004年度 日本地理

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(1)

– 1 –

【1】地勢・自然景観・環境

[問 1] (テキスト P.18) [1]日本の国土 環太平洋造山帯  太平洋を取り巻く形で発達した造山帯。南アメリカ最南端のフェゴ島をへて南極  大陸に連なり、東インド諸島においてアルプス=ヒマラヤ造山帯を分岐する。  環太平洋地震帯・環太平洋火山帯と重なる。 日本の位置  最北端  択捉島 北海道  北緯 45°33′  最南端  沖ノ鳥島 東京都  北緯 20°25′  最東端  南鳥島 東京都  東経 153°59′  最西端  与那国島 沖縄県  東経 122°56′ 国土構成島数、面積及び周囲 ●構成島数= 6,852 ●面積= 377,887 km2 ●周囲= 33,889km (資 料) 国土交通省国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」(2002) 海上保安庁水路部「海上保安の現況」海上保安庁水路部調べ(1988) ※島とは「満潮時に海岸線の延長距離が 100m 以上のもの」(総務省統計局) ●沖縄本島の次に大きな島=新潟・佐渡島(854.62km2 最小の島=沖ノ鳥島(1.57km2 国土の利用状況 ●地目別(2000 年)  ①森林= 66.4% ②農用地= 13.0% ③宅地= 4.7%  ④水面・河川・水路= 3.6% ⑤道路= 3.4% ⑥その他= 8.2% ●地形別(1982 年)  ①山地= 61.0% ②丘陵地= 11.8% ③台地= 11.0% ④低地= 13.8% [2]日本の河川と名瀑 日本三急流  最上川・富士川・球磨川 ※実際にはもっと急流の川も多い 常願寺川 ●傾斜のきつさ No.1。1000m 以上の高さからわずか 50m 足らずで下り落ちる⇒ 「これは川ではない!」 称名滝(しょうみょうたき) ●富山県中新川郡立山町。四段からなり、落差は、第一段が 70m、第二段が 58m、 第三段が 96m、第四段が 126m、合計 350m で日本一の落差。 cf. ハンノキ滝の落差は 500m!?

日 本 地 理

日 本 地 理

日 本 地 理

日 本 地 理

日 本 地 理

(2)

– 2 – 日本三名瀑 ●袋田滝(ふくろだのたき) 茨城県奥久慈渓谷のハイライト。高さ150m、幅76mで四段になって落下することか ら「四度の滝」とも。厳冬期には結氷。 ●華厳滝 日光・中禅寺湖から流れ出る大谷川(「大尻川」)にかかる大滝。落差 99m、幅 10m、 滝壺の深さ 20m。主瀑のまわりには、「十二滝」と呼ばれる玉すだれのような細い滝 が落下。冬季は氷結してすばらしい氷瀑を現出。 ●那智滝 四十八滝中の「一の滝」であり、銚子口(滝の落ち口)の岩磐に三つの切れ目があっ て、三筋になって落下し始めるところから、「三筋の滝」とも呼ばれる。落差133m、幅 13m は日本有数、石英粗面岩の絶壁から落下する水量は迫力満点。滝自体がご神体 おおなむちのかみ で、古くから信仰の対象となり、大己貴神を祀っている。 浄蓮の滝(じょうれんのたき)  『伊豆半島のまん中に位置する伊豆市にある「浄蓮の滝」は日本の滝 100 選の一つで  もあり、四季を通じて多くの観光客・ハイカーで賑わいます。また石川さゆりの「天  城越え」・川端康成の「伊豆の踊り子」など、歌や小説の舞台にもたびたび登場し、多  くの人に親しまれています。伊豆にお越しの際は是非お立ち寄りくださいませ。』  (浄蓮の滝観光センター) [3]日本の渓谷・峡谷 寸又峡(すまたきょう)  静岡県。南アルプスの懐にある渓谷。深く刻まれた谷と、両岸の絶壁から流れ落ち  る無数の滝は壮観。ツガ、モミ、ヒノキの原生林におおわれ、春はミヤマツツジ、ヤ  マザクラが美しい。「美人づくりの湯」寸又峡温泉や夢の吊橋※、飛竜橋※もある。 ※夢の吊橋  『静岡県寸又峡にある大間ダム湖に架かっている吊り橋。長さ 90 m高さ8m。  エメラルドグリーンの湖面がとてもきれい! 』 ※飛竜橋(ひりゅうきょう)  『この橋はその昔、森林鉄道のトロッコが通り、寸又峡の歴史を物語るシンボルに  もなっています。橋上からの渓谷の眺めはまさに絶景!』 帝釈峡(たいしゃくきょう)  広島県東北部。カルスト台地が帝釈川によって侵食されてできた峡谷で、中国地方  随一の渓谷美を誇る。世界三大天然橋の一つとして知られる日本一の天然橋「雄橋  (おんばし)※」(国の天然記念物)、白雲洞に代表される鍾乳洞、そうめん滝、神竜湖  などの深山幽谷が長さ 18km にわたって続く。比婆道後帝釈国定公園の一部。 ※雄橋  「神の橋」といわれた日本一の天然橋。石灰岩が高く川にまたぐ一大天然橋で、長さ  90 m、巾 18 m、 厚さ 24 m、高さ 40 mもある。 ※世界三大天然橋  帝釈峡の雄橋/北米のロックブリッジ/スイスのプレヒシュ

(3)

– 3 – 断魚渓(だんぎょけい)  島根県中部。断崖絶壁がそそり立つ渓谷。江の川の支流である濁川が長い間に流紋  岩を浸食してできたもので、約4kmにわたり奇岩怪石が連なっている。国の名勝に  指定。 三段峡  広島県西北部。五つ(黒淵、猿飛、二段滝、三段滝、三ツ滝)の景観からなる「五大壮  観」が有名。国の特別名勝。西中国山地国定公園の一部。 日本三大峡谷  清津峡(新潟)/黒部峡谷(富山)/大杉峡谷(三重) [4]火山の種類ー日本には 200 を超える火山がある ①マール  爆発的な噴火によって生じた火口の跡。円形またはそれに近い輪郭を持ち、周縁に  顕著な堆積物の丘をもたないのが特徴。(例)秋田県目潟 ②火山砕屑(さいせつ)丘(ホマーテ)  爆発的な火山活動によって、火口の周辺に火砕物が積み重なった円錐形の火山体。  山体に比べ大きな火口をもつものが多い。火砕丘とも。(例)伊豆東部火山群・大室  山 ③溶岩円頂丘(トロイデ)  粘性の大きな溶岩からなる釣鐘状火山。鐘状火山、溶岩ドームともいう。  (例)箱根駒ケ岳・二子山/大山/焼岳 ④成層火山(コニーデ)  溶岩と砕屑物が何層にも堆積して形成された火山。円錐形の山体と広い裾野を持つ。  日本に最も多い種類。(例)富士山/羊蹄山 ⑤楯状火山(アスピーテ)  溶岩の粘性が小さいため、傾斜がゆるく裾野の広い山体をもつ火山。  (例)月山/霧ヶ峰 ⑥溶岩台地(ペジオネーテ)  多数の火口、あるいは大きな割れ目から、流動性に富む溶岩が多量に噴出して形成  された台地状の火山。(例)屋島/美ヶ原 [5]火山用語 カルデラ  ポルトガル語で「大鍋」の意。火山性の凹地で、直径が2 km より大きいものをいう。  原因は①陥没②爆発③侵食がある。(例)阿蘇/摩周/磐梯山 外輪山  カルデラを縁どる環状の尾根 中央火口丘  カルデラの内側に生じた新しい火山体 火口原  大きな火口内において平坦に広がった部分。あるいは、カルデラ内の中央火口丘と  カルデラ壁との間の平坦地をいう。(例)箱根火山の仙石原/阿蘇火山の阿蘇谷・南  郷谷

(4)

– 4 – [6]湖の種類 カルデラ湖  カルデラの全部ないし大半が湖で占められるもの。  ※田沢湖(423m)、支笏湖(360m)など、深い湖はカルデラ湖が多い。またカルデラ湖  は一般に貧栄養湖で、透明度が大きい。(例)田沢湖/支笏湖/摩周湖/十和田湖/  阿寒湖/屈斜路湖 火口原湖  カルデラ内の局所的な部分に水をたたえた湖。(例)芦ノ湖/榛名湖 火口湖  火山の噴火口に水をたたえて生じた湖。火口原湖の湖底が平坦なのに対し逆円錐  形をしており、急激に深くなる。(例)韓国岳の大浪池 潟湖(せきこ)/ラグーン/潟(かた)/海跡湖  浅海の一部が砂嘴や砂州によって外海と絶縁されて浅い湖沼となったもの。  通常狭い潮口によって外海と通じ、そこから海水が出入りする。(例)サロマ湖/ 霞ヶ浦/浜名湖/中海・宍道湖 マール湖  マールに水をたたえた湖。(例)秋田県・男鹿半島の目潟(一ノ目潟,二ノ目潟,三ノ 目潟) [7]指定年月日別国立公園分類 昭和 9(1934).3.16 瀬戸内海、雲仙天草、霧島屋久 昭和 9(1934).12.4. 阿寒、大雪山、日光、中部山岳、阿蘇くじゅう 昭和 11(1936).2.1. 十和田八幡平、富士箱根伊豆、吉野熊野、大山隠岐 昭和 21(1946).11.20. 伊勢志摩 昭和 24(1949).5.16. 支笏洞爺 昭和 24(1949).9.7. 上信越高原 昭和 25(1950).7.10. 秩父多摩甲斐 昭和 25(1950).9.5. 磐梯朝日 昭和 30(1955).3.16. 西海 昭和 30(1955).5.2. 陸中海岸 昭和 37(1962).11.12. 白山 昭和 38(1963).7.15. 山陰海岸 昭和 39(1964).6.1. 知床、南アルプス 昭和 47(1972).5.15. 西表 昭和 47(1972).10.16. 小笠原 昭和 47(1972).11.10. 足摺宇和海 昭和 49(1974).9.20. 利尻礼文サロベツ 昭和 62(1987).7.31. 釧路湿原

(5)

– 5 – [問 2] (テキスト P.19) [1]南北の気温差 《月別平年気温(℃)》 (1961 年∼ 1990 年の平均値) 『理科年表』2001 [2]桜の開花日の地域差“サクラ前線”は日本列島を 4ヶ月かかって北上! (1961 年から 1990 年までの平均値) 地点 開花日 稚内 5 月 16 日 青森 4 月 27 日 東京 3 月 29 日 鳥取 4 月 4 日 京都 4 月 2 日 和歌山 3 月 29 日 松山 3 月 29 日 高知 3 月 24 日 宮崎 3 月 25 日 石垣島 1 月 15 日 [3]梅雨の地域差 (1)どうして梅雨があるのか ① 2 つの高気圧が関係。日本の南海上に発生し 6 ∼ 7 月頃に発達する「小笠原気団」  (太平洋高気圧)と、北から日本をおおう「オホーツク海気団」(オホーツク高気  圧) ②小笠原気団からの暖かい風+オホーツク気団からの冷たい風⇒前線 ③ 2 つの高気圧は気温は違うが、海上で形成されて水蒸気を大量に含んでいるとい  う点では共通⇒じめじめした長雨に (2)なぜ“南国の梅雨”は“豪雨”になるのか ①同じ梅雨でも降り方が西日本と東日本とは異なる。 ②西日本のほうが激しく降る。cf. 「ながし」  《6,7 月(那覇は 5,6 月)の平年降水量合計値》(1961 年∼ 1990 年の平均値)  『理科年表』2001  青森 185.5mm 仙台 283.8mm 東京 311.2mm 大阪 363.3mm 京都 482.2mm  尾鷲 912.6mm 高知 664.7mm  鹿児島 703.2mm 那覇 507.6mm ③雨が降る期間も西日本のほうが長い。 ④原因=日本列島の南北の長さ。日本列島の北東部より南西部の方が南の太平洋  高気圧の影響を早くから受けやすく、梅雨前線が活発に活動 ⑤梅雨前線はしだいに北上。東北北部(6 月中旬∼ 7 月下旬)と沖縄(5 月中旬∼ 6 月  下旬)ではひと月ほどのずれ。 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年 稚内 -5.0 -5.1 -1.4 4.2 8.6 12.4 16.9 19.5 16.6 10.8 3.3 -2.0 6.6 那覇 16.6 16.6 18.6 21.3 23.8 26.6 28.5 28.2 27.2 24.9 21.7 18.4 22.7

(6)

– 6 – (3)なぜ北海道に梅雨がないのか 答え=北海道がオホーツク高気圧にすっぽりおおわれてしまうため [4]海流と季節風の影響 (1)なぜ日本海側に冬雪が多く降るのか ①季節風、暖かい海水(海流)、山脈 ②冬季、シベリア高気圧による西高東低の気圧配置⇒北西季節風 ③日本海を暖流・対馬海流(青潮)(テキスト p.129)=冬でも表面水温摂氏 10 度 ④北西季節風は海面近くでマイナス 10 度⇒温度差⇒海水の蒸発 ⑤水分をたっぷり含んだ雲と季節風が「脊梁山脈」(奥羽山脈・越後山脈・飛騨山脈  など)にぶつかる⇒空気は山脈に沿って上昇⇒冷やされて雪に ⑥乾いた風が脊梁山脈を越えて太平洋側へ⇒冬季、空気乾燥⇒「空っ風」 (2)なぜ日本海側の米はうまいのか ①日本海沿岸は、夏には明るい晴天の日が続く 《月間日照時間の月別平年値(時間)》 (1961年∼1990年の平均値) 『理科年表』2001 《月別平年気温(℃)》 (1961 年∼ 1990 年の平均値) 『理科年表』2001 ②夏季、太平洋高気圧による東高西低の気圧配置⇒南東季節風 ③湿気を大量に含んだ季節風が脊梁山脈でさえぎられて太平洋側に雨⇒日本海  側、空気乾燥 ④夏、オホーツク海から千島海流の上を吹いてくる冷湿な風(ヤマセ)も、やはり脊   梁山脈でさえぎられて、日本海側では軽いフェーン(山頂から吹きおろす乾燥し  た高温の風)に ⑤日本海側は夏に好天気、湿度も低い⇒稲作に適している [問 9] (テキスト P.28) [1]平均気温と平均降水量(次頁参照) [2]日本の最高気温=①山形(40.8℃)②宇和島(40.2℃)③酒田(40.1℃) [3]日本の最低気温=①旭川(-41.0℃)②倶知安(-35.7℃)③帯広(-34.9℃) [4]日本の最大日降水量=①尾鷲(806.0mm)②剣山(726.0mm)③彦根(596.9mm) 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 秋田 2.2 3.5 7.7 11.1 11.0 11.6 10.7 13.1 10.2 9.7 5.2 2.3 宮古 11.7 10.6 11.6 12.5 11.6 9.2 8.6 11.0 8.4 11.6 108 10.2 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年 秋田 -0.4 -0.3 2.8 9.1 14.2 18.6 22.6 24.4 19.6 13.1 7.4 2.5 11.1 宮古 0.0 0.0 2.8 8.6 13.2 16.2 20.0 22.3 18.4 12.8 7.7 2.9 10.4

(7)

– 7 –

地点

1 月

2 月

3 月

4 月

5 月

6 月

7 月

8 月

9 月

10 月

11 月

12 月

留萌

-5.1

-4.9

-0.9

5.2

10.5

14.7

19.0

20.6

16.3

10.3

3.9

-1.6

7.4

旭川

-8.4

-7.7

-2.5

5.0

11.6

16.4

20.4

20.9

15.3

8.5

1.8

-4.2

6.4

網走

-6.5

-7.2

-2.7

4.1

9.4

12.8

17.1

19.1

15.7

10.0

3.2

-2.5

6.0

札幌

-4.6

-4.0

-0.1

6.4

12.0

16.1

20.2

21.7

17.2

10.8

4.3

-1.4

8.2

帯広

-8.2

-7.2

-1.9

5.2

11.1

14.6

18.3

19.9

15.6

9.2

2.5

-4.0

6.3

根室

-4.5

-5.3

-1.9

3.1

7.4

10.5

14.2

17.1

15.3

10.8

4.9

-0.6

5.9

函館

-3.4

-3.0

0.6

6.6

11.5

15.3

19.3

21.6

17.5

11.3

5.1

-0.4

8.5

青森

-1.8

-1.7

1.5

7.6

13.0

16.8

20.9

22.9

18.4

12.0

6.2

1.0

9.7

秋田

-0.4

-0.3

2.8

9.1

14.2

18.6

22.6

24.4

19.6

13.1

7.4

2.5

11.1

新潟

2.1

2.2

5.0

10.9

16.1

20.2

24.3

26.2

21.6

15.5

9.9

4.9

13.2

宮古

0.0

0.0

2.8

8.6

13.2

16.2

20.0

22.3

18.4

12.8

7.7

2.9

10.4

富山

2.0

2.2

5.4

11.6

16.7

20.5

24.6

26.0

21.6

15.6

10.2

5.2

13.5

金沢

2.9

2.9

6.0

12.1

17.0

20.8

25.2

26.6

22.1

16.1

10.8

6.0

14.1

福井

2.6

2.7

5.9

12.5

17.5

21.2

25.4

26.7

22.1

15.9

10.5

5.5

14.1

長野

-1.2

-0.5

3.0

10.4

15.7

19.6

23.5

24.8

19.9

13.1

7.2

1.7

11.5

軽井沢

-3.9

-3.6

-0.4

6.3

11.5

15.3

19.0

20.2

15.7

9.2

4.1

-1.1

7.7

名古屋

3.7

4.3

7.6

13.8

18.4

22.0

25.8

27.1

23.1

17.0

11.5

6.2

15.1

静岡

6.1

6.7

9.5

14.6

18.5

21.8

25.3

26.7

23.6

18.3

13.5

8.4

16.1

東京

5.2

5.6

8.5

14.1

18.6

21.7

25.2

27.1

23.2

17.6

12.6

7.9

15.6

月別平年気温(℃)(1961 年∼ 1990 年の平均値) 『理科年表 2001 版』より

(8)

– 8 – 京都 4.0 4.5 7.6 13.9 18.7 22.4 26.5 27.7 23.4 17.1 11.5 6.5 15.3 広島 5.9 6.1 9.1 14.4 18.8 22.8 27.2 28.1 24.2 18.1 12.6 7.7 16.2 神戸 4.7 5.0 8.0 14.0 18.4 22.0 25.9 27.3 23.6 17.7 12.5 7.5 15.6 福岡 5.8 6.4 9.5 14.6 18.8 22.3 26.9 27.6 23.7 18.2 13.0 8.2 16.2 鹿児島 7.2 8.3 11.4 16.4 20.1 23.4 27.4 27.9 25.1 20.0 14.5 9.2 17.6 宮崎 6.8 8.0 11.1 16.0 19.6 22.8 26.9 27.2 24.1 18.9 13.8 8.7 17.0 松山 5.3 5.6 8.6 14.1 18.3 22.0 26.4 27.2 23.5 17.9 12.7 7.7 15.8 徳島 5.4 5.7 8.7 14.3 18.6 22.1 26.1 27.2 23.7 18.1 12.9 7.9 15.9 那覇 16.0 16.3 18.1 21.1 23.8 26.2 28.3 28.1 27.2 24.5 21.4 18.0 22.4

(9)

– 9 –

地点

1 月

2 月

3 月

4 月

5 月

6 月

7 月

8 月

9 月

10 月

11 月

12 月

旭川

73.1

56.7

56.1

56.7

67.0

70.5

96.0

158.8

131.6

112.3

117.1

95.0

1091.0

札幌

107.6

94.1

81.8

62.3

54.8

66.4

68.7

142.0

137.7

115.6

98.5

100.1

1129.6

酒田

147.2

110.4

104.5

108.5

102.5

121.1

181.2

181.0

185.1

168.4

226.6

203.0

1857.0

金沢

293.1

195.2

156.5

147.8

150.0

207.0

250.7

171.1

247.5

202.8

265.3

305.4

2592.6

長野

47.9

45.4

53.8

61.0

78.7

136.2

144.3

92.5

127.6

68.9

41.9

40.1

938.3

東京

45.1

60.4

99.5

125.0

138.0

185.2

126.1

147.5

179.8

164.1

89.1

45.7

1405.3

尾鷲

98.9

128.6

215.6

392.7

338.8

463.9

448.7

552.3

657.7

356.4

248.7

99.5

4001.9

松江

151.1

136.5

126.8

124.0

119.6

196.0

268.3

145.4

216.3

135.0

137.8

137.9

1894.8

京都

50.4

65.8

110.6

151.8

153.7

247.6

234.6

142.8

202.6

112.0

69.5 39.8 1581.1

高松

41.1

50.4

68.6

98.7

102.1

164.4

129.8

93.5 194.6

106.1

65.4

32.4

1147.2

高知

64.7

92.8

160.8

286.3

263.2

378.5

286.2

337.1

356.5

174.2

134.8

47.3

2582.4

那覇

113.0

106.0

162.0

152.0

243.2

252.7

190.2

258.9

168.0

150.9

116.9

123.0

2036.8

月別平年降水量(mm)

(1961 年∼ 1990 年の平均値) 『理科年表』2001 年版より

(10)

– 10 –

【1】古代国家の成立・発展・衰退

[1]原始時代 10 大ニュース [2]日本人のルーツ(化石人骨) 牛川人 愛知 旧人? 明石人 兵庫 新人? 浜北人 静岡 新人(約 1.4 万年前) 港川人 沖縄 新人(約 1.8 万年前) 原人= 200 万年前∼ 35 万年前/旧人= 50 万年前∼ 4 万年前/新人= 10 万年前出現 [3]旧石器時代の主な遺跡 岩宿遺跡(群馬) 1949 年、相沢忠洋が赤城山麓の関東ローム層断面より黒曜石尖頭器(打製石器)を 発見⇒旧石器文化の本格的研究 野尻湖(長野) 5万∼3万3000年前の動物の化石骨(ナウマンゾウの牙とオオツノシカの角=「月と 星」の呼び名で知られる) 白滝遺跡(北海道) 2 万数千年前から縄文時代に至る 90ヵ所以上の石器製作遺跡 [4]縄文時代の主な遺跡

日 本 歴 史

日 本 歴 史

日 本 歴 史

日 本 歴 史

日 本 歴 史

旧石器 20 万年前? 日本列島に人類の痕跡 1 万 3000 年前 縄文時代始まる 1 万年前 日本列島、大陸から分離 BC945-915? 稲作文化の伝来 BC1 世紀 倭、小国分立(百余国) AD57 倭の奴国王、後漢へ遣使 AD107 倭の国王帥升(すいしょう)ら、後漢へ遣使 AD2 世紀 倭国大乱 AD239 邪馬台国の女王卑弥呼、魏に遣使 縄文 弥生 AD266 倭の女王壹与、西晋へ遣使 キーワード 遺跡名 「モースが発見した貝塚」 東京大森貝塚(縄文晩期) 「1500 年続いた巨大集落」 「直径 1m の 6 本の巨大柱」 青森県三内丸山遺跡(縄文前期∼中期) 「最古級の集落跡」 鹿児島県上野原遺跡(縄文早期) 「日本最大級の貝塚」 千葉県加曾利貝塚(縄文中期∼晩期) 「縄文晩期の水田跡・水路跡」 佐賀県菜畑遺跡/福岡県板付遺跡

(11)

– 11 – [5]弥生時代の主な遺跡 [6]弥生時代は貧富の差と争乱・戦乱の時代 (1)環濠集落ー防衛するムラ ・吉野ヶ里遺跡(佐賀県) ・唐古・鍵遺跡(奈良県) ・原の辻遺跡(長崎県・壱岐) ・池上曽根遺跡(大阪府) ・板付遺跡(福岡県) (2)高地性集落ー見張るムラ (3)地域によって多様化する墓制ー朝鮮半島の影響と支配層・豪族の登場 キーワード 遺跡名 「弥生早期の水田跡・水路跡」 佐賀県菜畑遺跡/福岡県板付遺跡(早期) 「弥生中期の農耕集落遺跡/奈良盆地 最大」 奈良県唐古・鍵遺跡(中期) 「最大の環濠集落遺跡/高床倉庫・物見 櫓・邪馬台国か」 佐賀県吉野ヶ里遺跡(BC100 年から紀元前後) ※卑弥呼の時代とは合わない 「358 本の銅剣」 島根県荒神谷遺跡(中期) 「39 個の銅鐸」 島根県加茂岩倉遺跡(中期) 「弥生後期の集落遺跡・水田跡」 静岡県登呂遺跡(後期) 「青森県の紀元前後の水田跡」 砂沢遺跡/垂柳(たれやなぎ)遺跡 「3 重の環濠/わが国最古の船着場/1 世紀初頭の中国の貨幣」 長崎県原(はる)の辻遺跡 時期 分布地域 遺跡例 弥生時代中期から後期 主に瀬戸内海沿岸 紫雲 し う 出山 で や ま 遺跡(香川県) 古曽部・芝谷遺跡(大阪) 種類 中心地域 遺跡例 甕棺墓 九州北部 福岡県永岡遺跡/立岩遺跡(副葬品) 箱式石棺墓 中国・九州地方 吉野ヶ里遺跡/島根大学構内遺跡 木棺墓 近畿周辺 大阪府久宝寺遺跡(割竹形木棺が完存する珍 しい事例) 支石墓 九州西北部 長崎県里田原(さとたばる)遺跡 方形周溝墓 近畿・西日本 1964 年東京宇津木遺跡で初めて発見 墳丘墓 各地 大阪府加美遺跡 四隅突出型墳丘墓 山陰から北陸 鳥取県妻木(むき)晩田(ばんだ)遺跡群

(12)

– 12 – [7]史料で分かる弥生時代の日本の様子 (1)『漢書』地理志・・・・・・BC1BC1BC1BC1BC1 世紀世紀世紀世紀世紀の日本の様子がわかる 「夫れ楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国と為る。歳時を以って(=定期的に)来 り献見すと云ふ。」 ※楽浪=前漢の武帝が BC108 年に北部朝鮮に置いた楽浪郡の 中心地(現平壌)

(2)『後漢書』東夷伝・・・・・・AD1AD1AD1AD1AD1 ∼∼∼ 2∼∼2222 世紀世紀世紀世紀世紀の日本の様子がわかる

「建武中元 2 年(AD57 年)、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。 倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以てす。安帝の永初元年(107 年)、倭の国王 師升(すいしょう)ら、生口(=奴隷)百六十人を献じ、請見を願ふ。桓・霊の間(147∼ 189 年)、倭国大いに乱れ、更々(こもごも)相攻伐して、歴年主なし。」

(3)『魏志』東夷伝倭人条・・・・・・AD3AD3AD3AD3AD3 世紀世紀世紀世紀世紀の日本の様子がわかる

「倭人は帯方の東南大海の中に在り、山島に依りて国邑(こくゆう)を為す。旧(も と)百余国、漢の時朝見する者あり。今使訳(しやく=使節)通ずる所三十国。郡より 倭に至るには、海岸に循(したが)ひて水行し、・・・・・・邪馬壹国に至る。(中略)。其 の国、本亦(もとまた)男子を以て王と為す。住(とど)まること七、八十年。倭国乱 れ、相攻伐して年を経たり。乃ち共に一女子を立てて王と為す。名を卑弥呼と曰う。 鬼道に事(つか)え、能く衆を惑わす。・・・・・・景初二年(※三年の誤り= 239 年)六 月、倭の女王、大夫難升米(なしめ)等を遣し郡(=帯方郡)に詣(いた)り、天子に詣 りて朝献せんことを求む。・・・・・・その十二月、詔書して倭の女王に報じて曰く『・・・ 今汝を以て親魏倭王と為し、・・・・・・』と。・・・・・・卑弥呼以て死す。大いに冢を作 る。径百余歩(140m 余り)、徇葬する者、奴婢百余人。・・・・・・更に男子を立てしも、 国中服せず、更々相誅殺し、当時千余人を殺す。復た卑弥呼の宗女壹与の年十三な るを立てて王と為す。国中遂に定まる。」 「親魏倭王」の称号以外に、五尺刀2口、銅鏡 100 面などが贈られたとある。 (4)高句麗好太王碑銘(4 世紀末ごろの日本の様子がわかる) 「百残・新羅は旧よりこれ属民にして、由来朝賀す。而るに倭、辛卯の年(391年)より このかた海を渡り百残を破り、新羅を○○し以て臣民となす。」 このあと 400 年・404 年の対倭国戦闘の記述⇒4世紀末までのヤマト政権の成立を 裏付け⇒ 5 世紀河内平野に巨大古墳群 [8]古墳が教える時代の移り変わり 3世紀後半 近畿・西日本各地に古墳出現 ☆画一的であるところが特徴 広域の政治連合形成 ☆中心は奈良県東南部 4世紀中ごろ 古墳、東北地方中部へ ☆大型前方後円墳 東日本までヤマト政権の連合下に 5世紀 河内平野に巨大古墳 岡山・群馬・京都北部・宮崎でも巨 大前方後円墳 ヤマト政権の強大化 cf. 朝鮮出兵/鉄剣鉄刀銘 6∼7世紀 横穴式石室の普及 壁画・装飾古墳・地域色 小型古墳の爆発的増加 有力農民の台頭 古墳の家族墓化 古墳の衰退

(13)

– 13 – [9]前期の主な古墳(3 世紀後半∼ 4 世紀) [10]中期の主な古墳(4 世紀末∼ 5 世紀) [11]後期の主な古墳(6∼7世紀) キーワード 遺跡名 「最古の古墳か」 纏向石塚(桜井)220-200? 「箸墓古墳のすぐそば」 ホケノ山古墳(桜井)250? 「墳丘長 280m で出現期の前方後円墳では最大規 模/卑弥呼の墓か」 箸墓古墳(桜井)300-250? 「三角縁神獣鏡が大量(33 面)出土/邪馬台国畿 内説の有力証拠」 黒塚古墳(天理)280? ※箸墓から北へ約 2km キーワード 遺跡名 「日本最大規模/3重の周濠/百舌鳥古墳群/仁 徳天皇陵か」 大仙陵古墳(大阪・堺) 「第2位の大きさ/古市古墳群/応神天皇陵か」 誉田(こんだ)御廟山(ごびょうやま)古 墳 (大阪・羽曳野) 「第4位の大きさ/吉備地域の大豪族の墓」 造山(つくりやま)古墳(岡山県) 「329 基の古墳/九州屈指の古墳群/宮崎県中 部」 西都原(さいとばる)古墳群(宮崎県) 「銀象嵌の 75 文字の銘文をもつ鉄刀/ワカタケ ル大王(雄略天皇)」 江田船山古墳(熊本県) 「金象嵌の 11 5 文字の銘文をもつ鉄剣/ワカタケ ル大王」 稲荷山古墳(埼玉県) キーワード 遺跡名 「装飾古墳の王者」 王塚(おうづか)古墳(福岡県) 「石人・石馬/筑紫君磐井の墓か」 岩戸山古墳(福岡県) 「和歌山県/600 基の群集墳」 岩橋(いわせ)千塚古墳群(和歌山県) 「蘇我馬子の墓か」 石舞台古墳(奈良県・明日香) 「2人の被葬者/華麗な装飾品/未盗掘/アジ ア各地との交流」 藤ノ木古墳(奈良県斑鳩) 「極彩色の壁画/人物群像/日輪・月輪/玄 武・青竜・白虎・(朱雀)の「四神」/星宿」 高松塚古墳(奈良県明日香) 「極彩色の壁画/四神(朱雀も確認)/獣頭人 身の十二支像/同心円のある星宿図」 キトラ古墳(奈良県明日香) ★要注意

(14)

– 14 – [12]古代 10 大ニュース [13]ヤマト政権の成立と発展 3 世紀半ばごろ 奈良県東南部纏向地域にてヤマト王権誕生 4 世紀 ヤマト政権の全国服属化 5 世紀 朝鮮半島への進出と中国南朝(宋)への遣使 ●倭の五王(讃・珍・済・興・武)の朝貢(『宋書』倭国伝)(421∼478) ★目的=朝鮮半島における高句麗との勢力争いを有利にするた  め(鉄資源の確保) (1)古墳時代のヤマト政権の政治の仕組み=氏姓制度(大化の改新で「律令政治」をめ ざす) (2)氏姓制度:「氏(うじ)(血縁的組織)の首長である「氏上(うじのかみ)」が、大王か ら「姓(かばね)」という政治的地位をもらい、国家運営に携わるシステム。 [14]姓の例 臣 平群・蘇我・葛城・安倍など  ※本拠地の大和の地名を氏名とする氏が多く、古くからヤマト政権の同盟メン バー  ※吉備・出雲の地方豪族も臣 連 大伴・物部・中臣・土師など  ※王権における職務を氏名とし、早くから大王家に服属して職務を遂行していた 氏族 君 筑紫・毛野など有力地方豪族 直 一般の地方(国造)豪族  ●大王が臣・連のうち、とくに有力なものを大臣・大連に任命して行わせ、さらに 重要事項は有力氏族の代表からなる大夫(まえつきみ)が加わって合議した。 時代 年代 出来事 流れ 古墳 4 世紀 ヤマト政権、日本統一 氏姓制度・有力氏族合議政治 593 聖徳太子、摂政となる 冠位十二階(603 ) 憲法十七条(604 ) 遣隋使(607 )=対等外交 645 乙巳(いっし)の変―大化の改新始 まる 飛鳥 672 壬申の乱 律令政治(天皇中心の中央集権的 官僚制) 710 平城京遷都 絶え間ない権力闘争 奈良 743 墾田永年私財法 荘園の成立 794 平安京遷都 藤原氏の台頭 1017 藤原道長、太政大臣に就任 摂関政治 1086 白河上皇、院政を始める 武士の台頭 平安 1167 平清盛、太政大臣に(平氏全盛) 武士の時代へ

(15)

– 15 – [15]私有地・私有民の呼称 覚え方 こうしつ = みやけ / こしろ・なしろ ⇒ 清音 (皇室)   (屯倉)    (子代・名代) ごうぞく = たどころ / かきべ    ⇒ 濁音 (豪族)   (田荘)     (部曲) [16]聖徳太子の業績 (1)背景情勢・・・激動の 6 世紀 継体天皇(6C 前期)  ● 507 年大伴金村ら継体天皇を越前から迎え擁立  ● 512 年大伴金村が伽耶(任那)4県を百済に割譲⇒失脚(540)  ● 527 年筑紫君磐井の乱・・・近江臣毛野らが割譲地奪還に向かったのを、新羅と   結び妨害・反乱⇒物部麁鹿火(もののべのあらかび)が鎮圧  ● 531 年継体天皇没後(∼ 39)、王権分裂か(欽明/安閑・宣化) 欽明天皇(6C 中期)  ● 538 年高句麗の侵略で百済の聖明王が日本に救済を要請(このとき仏像や経典   伝わる)  ●蘇我稲目と物部尾輿、崇仏論争  ● 562 年新羅により伽耶(「任那」)滅亡 蘇我馬子(6 C 後期)  ● 587 年物部守屋を倒し崇峻天皇を擁立するが、592 年に暗殺   ⇒ 592 年最初の女帝推古天皇をたてる  ● 593 年推古の甥・聖徳太子、摂政に(飛鳥時代の始まり) (2)冠位十二階・・・姓が世襲であったのに対し、冠位は一代限りとし、個人の才能・功 労に対し授与。律令制の位階制の源流ともいえる。 (3)憲法十七条・・・官吏としての道徳・服務規定 一に曰く、和を以て貴しとなし、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。 二に曰く、篤く三宝を敬へ。 三に曰く、詔を承りては必ず謹め。君をば即ち天とす、臣をば即ち地(つち)とす。 十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造・百姓(おおみたから)に斂(おさ)め とることなかれ。国に二(ふたり)の君なく、民に両(ふたり)の主なし。率土(くに のうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主とす。 十七に曰く、それ事は独り断(さだ)むべからず。必ず衆(もろもろ)と論(あげつ ら)ふべし。(『日本書紀』) (4)遣隋使の派遣・・・はじめての対等外交 『開皇二十(600)年、倭王あり、姓は阿毎(あめ)、字(あざな)は多利思比孤、阿輩 鶏弥(おおきみ)と号す。使を遣わして闕(けつ)に詣る。上(しょう=隋の文帝)、所 司をしてその風俗を訪わしむ。』 『大業三(607)年、其の王多利思比孤、使を遣わして朝賀す。・・・・・・其の国書に曰 く、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云々」と。帝、之 を覧て悦ばず、鴻臚卿(こうろけい)に謂ひて曰く、「蛮夷の書、無礼なる有らば、復 た以て聞する勿れ」と。』(『隋書』倭国伝)

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– 16 – (5)『天皇記』『国記』を蘇我馬子とともに編纂(蘇我氏滅亡の際焼失)  『天皇記』『国記』 推古天皇の時に編纂(聖徳太子・蘇我馬子)  『帝紀』『旧辞』 天武天皇の時に編纂(のちに『古事記』に) [17]宮都の変遷(飛鳥時代) 注意すべき飛鳥時代の遺跡(7世紀) [18]律令の制定・・・中央集権国家への歩み   ※律=刑法/令=行政法 キーワード 遺跡名 「日本最古の『天皇』の文字のある木簡(677 ) /幻の貨幣『富本銭』出土」 飛鳥池遺跡 天皇 年号 宮 都 592 飛鳥豊浦宮 推古 603 飛鳥小墾田宮 630 飛鳥岡本宮 636 飛鳥田中宮 舒明 640 百済宮 皇極 643 飛鳥板蓋宮 孝徳 645 難波長柄豊碕宮 655 飛鳥板蓋宮 斉明 655 後飛鳥岡本宮(のちのあすかおかもとのみや) 天智 667 近江大津宮 天武 672 飛鳥浄御原宮 持統 694 藤原京(中国に倣った最初の都城) 日本の律令の歴史 名称 制定(施行)年代 天皇 中心人物 関連事項 近江令 668 (671 ) 天智(天智) 中臣鎌足 庚午年籍 670 飛鳥浄御原令 681? (689 ) 天武(持統) 草壁皇子? 庚寅年籍(持統)690 大宝律令 701 (律 702 令 701 ) 文武(文武) 刑部親王 藤原不比等 養老律令 718 (757 ) 元正(孝謙) 藤原不比等

(17)

– 17 – [19]奈良時代の政権の移り変わり ※語呂合わせ・・・「ひとひとひとひとひとつ長屋長屋長屋長屋長屋に四人の子ども四人の子ども _『モナカどう四人の子ども四人の子ども四人の子ども モナカどうモナカどうモナカどうモナカどう?百百百百百円で。』」 [20]宮都の変遷(奈良時代・平安時代) 天皇 年号   宮都 元明 710   平城京 聖武 740    山背恭仁京 聖武 742    近江紫香楽に離宮を造営(しばしば滞在) 聖武 744    難波京 聖武 744    紫香楽宮 聖武 745   平城京 桓武 784   長岡京 桓武 794   平安京 (1)聖武天皇の国分寺・国分尼寺建立の詔は 741 年、恭仁京で発布。 (2)聖武天皇の大仏造立の詔は 743 年、紫香楽宮で発布。 [21]平安時代の流れ 前期 律令制再建期(794 ∼ 858) 中期 摂関政治期(858 ∼ 1068) 後期 院政期(1086 ∼ 1167) 奈良時代は律令/平安時代は格式:格(きゃく)=律令の修正/式=律令の施行細則 平安定都の功労者・嵯峨天皇の時代以降、法典や儀式の整備が進み、律令国家と しての体裁も整えられた。 年号 政権 天皇 主な出来事 708 藤原不比等 元明 和同開珎/養老律令 721 長屋王 元正 三世一身法 729 藤原四子 聖武 長屋王の変(729 )/光明子皇后に 737 橘諸兄(もろえ) 聖武・孝謙 藤原広嗣の乱(740 )/墾田永年私財法 758 藤原仲麻呂 淳仁 橘奈良麻呂の変(757 ) 766 道鏡 称徳 恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱(764 ) 770 藤原百川 光仁 道鏡皇位事件 三代格式と令義解・令集解 名称 天皇 中心人物 内容 弘仁格式 820 嵯峨 藤原冬嗣 701∼819年間の格式を官庁ごとに集録 貞観格式 869 871 清和 藤原氏宗 格は820∼868年の詔勅・官符を編集。 式は弘仁式の補遺。 延喜格式 908 967 格:醍醐 式:冷泉 藤原時平 藤原忠平 格は869∼907年間の詔勅・官符を撰 集。式は弘仁・貞観式の改訂 令義解 834 仁明(にん みょう) 清原夏野 養老令の注釈書(官撰) 令集解 859 ∼77 清和 (これむねのなおもと) 惟宗直本 養老令の注釈書(私撰) 諸家の私説を広く編集

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– 18 – [22]令外官ー社会の実情に即した新しい官職 [23]藤原氏の他氏排斥の動き⇒摂関政治へ 薬子(くすこ)の変(810 年)  平城上皇・藤原仲成・薬子 VS 嵯峨天皇・藤原冬嗣  ⇒式家没落、北家強大化 承和(じょうわ)の変(842 年)  藤原良房(冬嗣の子)、伴健岑(とものこわみね)・橘逸勢を排斥  良房、太政大臣に(857 年) ※ 866(858 年)  良房、臣下ではじめて実質上の清和天皇の摂政に 応天門の変(866 年)  良房、応天門放火事件の犯人として伴善男を失脚させる ※ 887(884 年)  良房の養子・藤原基経、実質上の光孝天皇の関白に 阿衡(あこう)事件(887 年)(阿衡の紛議とも)   基経、「阿衡」に任ずるとの宇多天皇の勅を不満とし、起草し  た橘広相(ひろみ)を失脚させる 菅原道真左遷(901 年)  藤原時平、菅原道真を失脚させる 安和(あんな)の変(969 年)  藤原実頼(さねより)、源高明(たかあきら)を失脚させる  ⇒以降、摂関が常置となる ※語呂合わせ・・・「苦情多苦情多苦情多苦情多くて明日苦情多 明日明日明日が不安明日 安安安!」安 官名 設置年(天皇) 主要任務 鋳銭司 ちゅうせんし 708(元明) 官営の鋳銭所(皇朝十二銭の鋳造) 和同開珎(708 )∼乾元(けんげん)大宝(   ) 蓄銭叙位令(711)※「セブンイレブン!」 征夷大将軍 794(桓武) 蝦夷平定の際の最高指揮官(常設せず) 初代征夷大将軍=大伴弟麻呂 ※「坂上田村麻呂はたいしたもんだ!」(多賀城⇒ 胆沢城 ⇒志波(しわ)城) 勘解由使 かげゆし 797(桓武) 国司交代の際の不正を取り締まるため、引き継ぎ文書 (解由状)を監査する 蔵人頭 くろうどのとう 810(嵯峨) 詔勅を司り、機密文書を管理 初代蔵人頭=藤原冬嗣・巨勢野足 検非違使 けびいし 810∼23(嵯峨) 主に京都の治安維持。盗賊などの犯人検挙、風俗・非法 の取り締まり、訴訟・裁判を扱う(823 年より常設) 関白 884(光孝こうこ う) 天皇を補佐し、政務全般に関与 初代関白=藤原基経 958

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– 19 – [24]摂関政治確立の 4 条件 ①他氏排斥 ②高位独占 ③荘園集積 ④外戚政策 [25]崩壊する律令土地支配 改新の詔 646 公地公民制(全ての土地は国のもの) 大宝律令 701 班田収授法(6 歳以上に田を貸し、税をとる) 百万町歩の開墾計画 722 開墾を奨励 三世一身法 723 期限付土地私有(開墾地を一定期間所有できる) ※「なに!三世まで私有を許すと?」 墾田永年私財法 743 無期限土地私有(開墾した土地は本人のもの) ※「名より実をとる開墾命令」 荘園の成立 初期荘園(寺社・貴族):8∼9世紀 墾田地系荘園=自墾地系荘園+既墾地系荘園 【例】越前国・道守荘(ちもりのしょう)/摂津国・水無瀬荘(みなせのしょう) ※いずれも東大寺の荘園 荘園とは開墾した田や畑だけではなく、周囲の民家や神社・寺といった地域全体 ↓↓ 寄進地系荘園:10 世紀∼ 権門勢家( 院宮王臣家+中央の有力貴族・寺社)⇒荘園領主⇒「領家」「本家」 ※本家=最終寄進先の上級者 どちらかが「 本所 」(ほんじょ) 有力農民⇒開発領主≒「田堵」(たと=農業経営の専門家で「請作(うけさく)」した) ≒「荘官」(荘園の管理者)≒「在地領主」 【用語整理】 「荘官」=「預所(あずかりどころ)」「下司」「公文」「雑掌」「地頭」などとも 荘園で働く農民=「庄民」 庄民が長年耕した土地=「名田(みょうでん)名田の所有者=「名主」(みょうしゅ)≒専属農民・田堵 名主は領主に対し年貢・公事(くじ)・夫役(ぶえき)を納める 年貢≒租、公事≒調、夫役≒雑徭・歳役

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– 20 – [26]武士の台頭 (1)有力農民や在地官人が武装⇒「兵(つわもの)」⇒武士団を形成 棟梁(リーダー)ー家子(いえのこ=一族)ー郎党(従者)ー下人・所従 (2)朝廷、武士たちを令外官「横領使」「追捕使(ついぶし)」として採用 (3)宇多天皇の時、滝口の武士 cf. 清涼殿の北東に滝壺 (4)白河上皇の時、北面の武士 [27]武士による乱とその歴史的意義  承平・天慶の乱(935 ∼ 941) 地方武士の実力を中央政府に認識させる契機となる 刀伊の入寇(1019)※「トイ来る」 九州武士の台頭を促す契機となる 平忠常の乱(1028 ∼ 1031) 東国における源氏と平氏の勢力が入れ替わる契機となる 前九年の役(1051)・後三年の役(1083) 源氏の名声が高まり、武士の棟梁たる地位を確立する契機となる 保元の乱(1156) 院と朝廷の対立が露呈した最初の事件 平治の乱(1159) 武士の政界進出を決定づけ、平氏政権が確立する契機となる [28]院政・・・白河・鳥羽は摂関家に対抗、後白河・後鳥羽は武士階級に対抗 (1)上皇(=太上天皇)がとる政治(上皇が出家すると法皇) (2)白河上皇が始める(1086)・・・「どうやろうか院政を」 【用語整理】 院政が行われた政庁=院庁(いんのちょう) 院庁で政務に当たる職員=院司(いんし) 上皇から文書=院宣(いんぜん) 院庁から出される文書=院庁下文(いんのちょうくだしぶみ) (3)白河上皇の「天下三不如意」(『源平盛衰記』) ①加茂川の水②双六のサイコロ ③山法師(=僧兵)(僧兵はしばしば朝廷に強訴した) (4)院と朝廷の対立の激化⇒保元の乱 皇室 後白河天皇 崇徳上皇 藤原氏 忠通(関白) 頼長(左大臣) 源氏 義朝 為義・為朝 平氏 清盛 忠正 ★後白河天皇側の勝利 (5)保元の乱の勝者が内輪もめ⇒平治の乱 武士 源義朝 平清盛 貴族 藤原信頼 藤原通憲(みちのり) ★平清盛が勝利⇒平氏政権へ ※「武用サカリニ、王位カロク成ヌ」(北畠親房『神皇正統記』)

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【1】現代企業の特色と社会的責任、日本経済のあゆみ

[1]日本の企業形態 [問 1] (テキスト p.54 [企業の種類]) [2]会社企業の種類 ※会社企業=法律により、権利・義務の主体(法人)として認められた企業 合名会社 2人以上の無限責任社員によって構成される会社。家族経営など小規模な会社が 多い。 合資会社 出資するだけの有限責任社員と、直接経営にあたる無限責任社員で構成される小 規模な会社。 有限会社 50 人以内の有限責任社員で構成される会社。合名・合資会社と株式会社との中間的 な性格を持ち、中小企業などの小規模な会社が多い。最低資本金 300 万円。 株式会社 会社企業のうち最も中心をなす形態。1人以上の出資者である有限責任社員(株 主)、及び資本金 1000 万円以上の最低資本金によって成立する会社。 [3]個人企業と株式会社の違い ※株式会社の始まりは 17 世紀の東インド会社 [4]会社に関する最近の動き(出題可能性大!)

(1)中小企業挑戦支援法中小企業挑戦支援法中小企業挑戦支援法中小企業挑戦支援法 2002中小企業挑戦支援法2002200220022002 年年年年 2年2 月施行222月施行月施行月施行月施行⇒資本金1円からでも会社設立資本金1円からでも会社設立資本金1円からでも会社設立資本金1円からでも会社設立資本金1円からでも会社設立 OK!OK!OK!OK!OK! ①会社設立のハードルを下げ、起業の活発化を通じて民需主導による経済活性化  を図るために特例措置として施行された。(2008 年 3 月 31 日までの時限措置)。  希望者は経済産業省に届け出て、一定の要件を満たせば設立が認められ、資本金  は会社設立から5年以内に準備・増資することになっている。(もしできなけれ  ば会社を解散するか、組織を合名会社などに変更しなければならない。) ②経済産業省によると、施行から 03 年 10 月 30 日までの申請件数は全国 8393 件。そ  のうち設立件数は 6057 件で、資本金 1 円会社も 229 誕生した。 《参考》http://www.kanto.meti.go.jp/seisaku/chusho/20030131tokurei.htm 個人企業 株式会社 自由な意志で開業 法にもとづくさまざまな手続きのあと、開業 資金で足りない分は借金 会社の株を売って資本金を集める 倒産したら無限責任(全部自分) 有限責任(出資額の範囲内) 利益はすべて自分のもの 利益は会社のもの

一 般 常 識

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– 22 – 従来の株式会社 委員会等設置会社 株主 ↓ 株主総会 ↓ 取締役会/監査役 ※取締役会は業務の執行と取締役の監督(経営 監視)の2つをかねる ※監査役は会社の会計などを監査するが、社内 関係者が就任するのが普通 株主 ↓ 株主総会 ↓ 取締役会/執行役 ※取締役会は経営監視に徹する 業務の執行は執行役に任せる 取締役会 指名委員会=取締役を選任 監査委員会=執行役、取締役を監督 報酬委員会=給与を決定 ※三委員会はいずれも過半数が社外取締役 でなければならない ※監査役は廃止 問題点 ×しばしば代表取締役社長の意向が大きく働く (cf. 総会屋への利益供与/食品偽装などの不 祥事) ×株式発行や工場売却などは取締役会の承認が 必要⇒長時間の話し合い ◎すばやい経営(取締役会⇒執行役) ◎馴れ合い経営を避けられる ×米国のように社外取締役(経営のプロ)の 「人材市場」が未熟 ×資本金5億円以上または負債総額200億 円以上の株式会社のみ選択できる (2)半世紀ぶりの商法大改正半世紀ぶりの商法大改正半世紀ぶりの商法大改正半世紀ぶりの商法大改正⇒新設される半世紀ぶりの商法大改正 新設される新設される新設される新設される「「「「会「会社会会会社社社社法法法法」法」」」」 ①これまで「会社法」という法律はなく、会社や商取引のルールは 1899(明治 32)年  に定めた「商法」と、合名会社、合資会社、株式会社に関する「有限会社法」や「商  法特例法」によってきた。 ②法務省では半世紀ぶりに商法の抜本的改正作業に着手。改正の仕上げとなるの  が、2005 年の通常国会に提出、成立を目指している新しい「会社法」で、会社の設  立や企業の再編、経営健全化の促進が狙い。 ③商法の改正作業の中で、03年4月からは「委員会等設置会社」という新制度もすで  にはじまっている。 (3)「「「委「「委委委員委員会員員員会会会等会等等等設等設置設設設置置置会置会会会社会社」社社社」」」ってどんな会社?ー米国型企業統治」ってどんな会社?ー米国型企業統治ってどんな会社?ー米国型企業統治ってどんな会社?ー米国型企業統治ってどんな会社?ー米国型企業統治 ※企業統治(コーポレート・ガバナンス)・・・企業が持続的に成長していくため、  経営をチェックするしくみ ※03年6月末までに委員会等設置会社に移行した上場会社は36社。業種では電機や  流通が多く、東芝、ソニー、コニカなど国際企業が海外投資家の目を意識して移  行する例が目立つ。

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– 23 – (4)企業の社会的責任企業の社会的責任企業の社会的責任企業の社会的責任(企業の社会的責任((CSR)((CSR)CSR)CSR)ーまもなく国際規格化!CSR)ーまもなく国際規格化!ーまもなく国際規格化!ーまもなく国際規格化!ーまもなく国際規格化! ①企業の社会的責任とは、法令順守や従業員の労働面での人権保護、地球環境や地  域社会との関係などに配慮した経営のこと。 ②欧米の多国籍企業が途上国で児童就労や環境破壊などの問題を起こしたのが  きっかけで、1990 年代から欧州で提唱され始めた。 ③欧米の機関投資家などは CSR への取り組み具合で投資先を選ぶ社会的責任投資  (SRI)を増やしているほか、国際標準化機構(ISO)は2007年にCSRを規格化する方  針。日本では、03 年秋、大手 8 社と日本経団連が経済産業省と協力し、CSR の日本  規格をまとめることを表明。

【2】日本経済のあゆみ

[1]戦後の経済民主化と復興 ①経済民主化政策 基幹産業の発展傾斜生産方式(1946)・・・石炭・鉄鋼 復興金融公庫からの融資(1947)→復金インフレ ②経済復興政策 経済安定九原則(1948) 均衡予算・徴税強化・融資制限・賃金安定・物価統制 貿易改善・物資割り当て改善・重要原料などの増産 食料集荷の改善 【用語説明】 ●金本位制度  一国で発行される通貨の基準が金におかれている制度。中央銀行の発行する銀行 券は、金と交換できる兌換紙幣とされ、一国の通貨量は中央銀行の保有する金の量 に拘束される。金の価値が安定しているため、貨幣価値も安定しインフレを防ぐこ とにはなるが、逆に金の生産量は多くないため、経済の拡大に応じて通貨を増やす ことができない。現在では金本位制をとる国はなく、管理通貨制度がとられてい る。 ●管理通貨制度  通貨の発行量を政府と中央銀行の管理下におく通貨制度。金の保有量とは関係な く、必要に応じて不換紙幣を発行することができる。国内の通貨量を調節しながら 金融政策が実施でき、有効需要(購買力)の拡大が可能となったが、通貨量の膨張に よるインフレを引き起こす可能性がある。1929 年の世界恐慌により、世界各国は 1931 年以降、金本位制度から管理通貨制度に移行した。 [2]高度経済成長の到来 三種の神器(1950 年代)・・・電気冷蔵庫・電気洗濯機・白黒テレビ 新三種の神器(1960 年代)・・・3C = カー・クーラー・カラーテレビ

参照

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