土佐日記の指示表現をめぐる諸問題
著者名(日) 半沢 幹一
雑誌名 共立女子大学文芸学部紀要
巻 62
ページ 1‑40
発行年 2016‑01
URL http://id.nii.ac.jp/1087/00003096/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
土左日記の指示表現をめぐる諸問題
半日 沢5
干丈
︹ 前 提
1の1︺
日本語の指示語は︑佐久間鼎︹一九三六︺の命名による﹁コソアド﹂という体系があることで知られる︒体系があるとは︑コソアド
のそれぞれを語頭音とする語群に全体として形態と機能における共通性と弁別性が認められるということである︒それは現代語のみな
らず︑基本的には古代語から引き継がれている︒
コソアドにおける弁別性の根拠は︑話し手と指示対象との距離関係にあり︑近・中・述・不定という違いがあるとされてきた︒しか
し近年では︑コソアに関して︑コとアは話し手からの距離の近遠の差︑コとソは話し手側か聞き手側かという領域の追いという︑二つ
の基準が複合されたものとみなす立場が主流となったようである︵金水敏・田窪行則編︹一九九二︺参照︶︒
コソアドという指示語の用法としては︑現場指示︑文脈指示︑観念指示の三種に分類されるのが一般的である︵観念指示を認めない
立場もある︶︒現場指示とは談話場面において知覚可能な対象を指示すること︑文脈指示とは談話あるいは文章の言語的文脈上の特定
部分を対象として指示すること︑観念指示とは現場にも文脈にも認められない︑話し手︵書き手︶と聞き手︵読み手︶双方の観念内に
共通にあると想定される対象を指示することである︒
土左日記の指示表現をめぐる諸問題
︹ 前 提
1の2︺
コソアドの語頭音それぞれは︑古代語においては︑現代語のコにはコ
いはア︑あるいはト︶︑ドにはイヅが対応する︒三種の用法が見られることも︑古代語と現代語とで変わりない︒それを不定称を除き︑
︵あ
るい
はカ
︶︑
ソに
はソ
︵あ
るい
はシ
︑サ
︶︑
アに
はカ
︵あ
る
古代語の各指示語群を﹁系﹂と称して整理すると︑次の︻表1︼
のよ
うに
なる
︒
【表1
}
カ ソ コ 用
系 系 系 法
。。。
現 両 聞 話 場 側 き し 指 以 手 手 荷主外 側 側
x
。。
文 前 前 脈/ 指 中 後 刀Z 立 / 的 特
立
。
ム 的× 観念 指 不
﹁O﹂はその用法があること︑﹁×﹂はないこと︑﹁ム﹂は疑問があることを示す︵この点については後述︶︒現場指示における領域の
違いは先に説明したとおりである︒文脈指示の﹁前﹂と﹁後﹂は該当指示語に対する指示対象範囲の文脈上の位置を示す︒また︑﹁特
立的﹂と﹁中立的﹂は指示対象の話題化に関する効果の違いを示す︒
この表からは︑次の三点が指摘できる︒第一に︑現場指示用法は︑コソカのどの系にも認められ︑現場における指示領域において対
立することである︒どの系にも認められることから︑現場指示の用法がコソアドの中核的用法であると考えられる︒第二に︑文脈指示
と観
念指
示は
︑
コソとカとで一応︑相補的な関係にあるということである︒第三に︑文脈指示用法におけるコとソは︑その範囲と効果
にお
いて
対立
する
とい
うこ
とで
ある
︒
件んの土佐日記は︑古代語で書かれた文章であり︑このことから指示語の使用に関して予想できることは︑次の三点である︒第一に︑
文脈指示の用法が中心であること︑第二に︑現場指示の用法はおもに会話文において見られること︑第三に︑観念指示の用法はそもそ
も少ないこと︑である︒
土佐日記の指示語に関しては︑漢文訓読的あるいは変体漢文的な特徴を表わす要素の一つとして︑その使用量や用法が指摘されてい
る︵築島裕︹一九六三︺や︑峰岸明︹一九八六︺など参照︶︒しかし︑土佐日記の指示語全体の具体的な様相の特徴に関するものは見
当たらない︒のみならず︑土佐日記の注釈書類においては︑指示語の意味・用法の捉え方に多くの異同と混乱が見られる︒
︹ 前 提
1の3︺
土佐日記におけるコソカ各系の指示語数は︑次頁の
︻ 表
2︸
のと
おり
であ
る︒
横欄の﹁複合系﹂は︑コソカのうちの二種が複合して出来た語であり︑これらは指示性を失い︑特定の語義を表わすようになったも
のである︒縦欄の品詞のうちの﹁接続詞﹂も︑接続助詞と結合して︑個別具体の指示性を持たず︑一般的な述接関係を表わすようになっ
たものであり︑﹁その他﹂は品詞としては名詞であるが︑﹁複合系﹂と同じく︑指示語以外の語と複合して︑指示性を失い︑特定の語義
を表
わす
︒
以上を除き︑指示訴として機能しているとみなされるのは︑﹁小計﹂という欄で固まれた太枠の範聞内ということになる︒その中の
※印の﹁シガ﹂については︑指示語ではなく︑異なる分節によって別語とみなす解釈もある︒
以上をふまえて︑土佐日記の指示語全体に関する特徴を挙げるならば︑次の三点であろう︒
コソカにおいて︑圧倒的にコ系の指示語が多いということである︒コ系は名詞のほとんどを占め︑副詞はコ系しか用いられ
ていない︒第二に︑品詞で見れば︑連体調が過半を占めるということである︒その中でも︑﹁コノ﹂が約七割にも及ぶ︒第三に︑カ系
第一
に︑
の語は︑予想どおり用例数も種類数もきわめて少ないということである︒
土左日記の指示表現をめぐる諸問題
コ系 ソ系 カ系 小計 複合系
名 27 3 31 コレカレ:6
調 (22.5] カレコレ:1
コレ:21 ソレ:3 0
(含コレら:1)
ココ:6
。
カシコ:l ココカシコ:1連 64 14 4 82
。
体 (59.4]
コノ:57 ソノ:12 カノ:4
自
司
。
ソガ:1。
シガ:1※
カカル:7
。 。
副 25
。 。
25 トカク:5詞 (18.l]
カク: 18
カウ(ゃう) : 7 トまれカウまれ:1
116 17 5 138
。
計 (84.1) (12.3) (3.6)
接 11 9
。
20。
続 カクて:7 サて:5 調
カカレど(も) : 3 サレども:l
シカレども:1
サルは:l
カカレ,f:1 サレば:1
そ
。
2の
{
出 コノごろ:1 ソノかみ:l
︻ 表 2
四
︹問
1の1︺題
土佐
日記
にお
いて
は︑
コ系の指示語の使用が目立つが︑他のほぼ同時期の作品に比べても︑特徴的と言えるどうか︒
比較の都合上︑事物を指示するでレ﹂︑場所を指示する﹁lコ﹂︑様子を指示するアノ﹂という︑中心的な形態の諸に限って取り上
げると︑次頁の︻表3︸
のよ
うな
結果
とな
った
︒
なお︑資料には︑宮島達夫他編︹二O
一 四 ︺
のほか︑古事記は新編日本古典文学全集本︵山口佳紀訓読︑割注・歌謡は除く︶︑祝詞
は日本古典文学大系本を使用した︒また︑表のスペースの都合上︑作品名を略したものもある︒
語形を三つだけにした︑この結果を見ても︑土佐日記のコ系の多さは突出している︒古事記以外の作品はいわゆる和文の文章である
が︑竹取物語と蛸蛤日記がやや多いものの︑他は四
01
五O%
台に収まっている︒﹁和化漢文体﹂と称される古事記は︑訓読自体の問
題も
ある
とは
いえ
︑
コ系よりもソ系のほうが多い点が他の和文作品とは異なり︑中でも﹁ソノ﹂という連体詞形の多きが群を抜いてい
土佐日記のコ系の中でも﹁コノ﹂という述体詞形が多いが︑これは他作品でも同様であって︑それがコ系突出の原因とはみなしがた る
い︒むしろ古事記とは正反対に︑また他の和文作品に比べても相対的に︑ソ系の指示語が少ないことの影響のほうが大きいと考えられ
以上から︑土佐日記の指示語に関しては︑コ系の指示語の多きが特徴として指摘できよう︒問題は︑なぜそうなのかである︒ る
土左日記の指示表現をめぐる諸問題
五
指 コ系 ソ系 カ系 万=
3苦 コレ ココ コノ ソレ ソコ ソノ カレ カシコ カノ
土 21 6 57 3
。
12。
4 佐 84 (80.8) 15 (14.4) 5 (4.8)古 74 196 268 11 45 708
。 。
事
記 538 (41.3) 763 (58.6) 1 (0.1)
キ
兄 2 4 15 15
。
2。 。
言司
21 (55.3) 17 (44.7)
。
蝉j 部 71 111 45 15 59 10 19 24
蛤 270 (61.1) 119 (26.9) 53 02.0)
紫 13 4 28 18 1 34 3
。
11式
部 45 (40.2) 53 (47.3) 14 (12.5)
克 24 6 67 8 16 52
。
1 2 級 97 (55.1) 76 (43.2) 3 (1.7)竹 35 6 74 17
。
23。
20取 115 (65.3) 40 (22.7) 21 01.9)
fJt 20 5 65 15 9 47 2 1 24 勢
90 (47.9) 71 (37.8) 27 (14.4)
;f:,t 128 22 108 93 18 110 19
。
21草
子 258 (49.7) 221 (42.6) 40 (7.7)
︻ 表 3︼
̲,̲
f、
︹問 題 1の2︺
土佐日記におけるコ系の指示語の多きは︑その用法に起因するのではないか︒
︻ 表 4︼
のよ
うに
なっ
た︒
それを各語の用法別の使用数で確認したところ︑次の
{表4
コ コレ ココ コノ カカル カク カウ 計−
系
文 82
18
。
35 6 17 6[70.7] 脈
現 22
3 3 13
[19.0] 場
保
。
3※ 9※。 。 。
12 [10.3] 留土左日記の指示表現をめぐる諸問題
この
表に
おい
て︑
コ系には観念指示の用法がそもそもないので︑除外してある︒﹁保留﹂という
のは︑※印を付した﹁ココ﹂と﹁コノ﹂に閲して︑﹁ココに﹂﹁コノあひだ﹂という形で︑指示語で
はなく︑漢文訓読的または変体漢文的な︑接続詞の用法として︑諸注釈書が説明しているので︑使
宜的に設けたものである︒
この表によれば︑文脈指示の用法が七割以上を占める︒土佐日記は文章であり︑言語的文脈に依
存しているので︑予想どおりの結果である︒
ソ系の﹁ソレ﹂と﹁ソノ﹂の計一五例のほとんども文脈指示であるが︑同じ用法として比べれば︑
中立的なソ系に対して︑話題に関して特立的なコ系による文脈指示のほうが圧倒的に多いというの
は︑文脈展開上は︑かなり特殊である︒なぜなら︑特立が多くなれば︑特立としての意味が薄れて
コ系の指示請が話題として目立つのでしまうからである︒ソ系の指示請がベl
スに
なる
から
こそ
︑
ある
また︑コ系による現場指示の用法が約二割あるのも︑文章としては異色である︒談話とは異なり︑ ︒
文章の場合︑書き手と読み手とは現場性を共有しないのが普通だからであり︑予想したように会話
文における当事者同士ならともかく︵全二二例のうち︑一O例が会話文での使用︶︑地の文におい
てはレベルを異とする用法となる︒
七
人
︹問 題
1の3︺
コ系の用法は︑日ごとの記述における用例数と関わりがあるか︒
一二月一二日から二月一六日までの五五日間の︑その日ごとの指示語の使用数を示したのが︑次頁の︻表5
︼で
ある
︒﹁
行数
﹂は
新
日本古典文学大系本による︒﹁頻度﹂は行数を使用数で割ったもので︑数値が小さいほど使用頻度が高いことを示す︒
全体
的に
は︑
一日ごとの指示語の使用数はその記述分量︵行数︶にほぼ対応して変化していると言えるが︑
一二
月二
三日
︑一
月九
日︑
一月
一
O目
︑一
月二
O目︑二月一一日の計五日︑五点以上の︑使用頻度がとくに低い日は︑
一月一六日︑二月四日︑二月一六日の計五日であり︑残りの四五日がその中間ということになる︒総行数
一点
台の
︑使
用頻
度が
と
くに
高い
日は
︑
一二
月二
六日
︑
が四三三行︑総指示語数が一三八例であるから︑平均使用頻度は三・一行に一例︑となる︒
一月
二二
日︑
一日あたりの行数で便宜的に四つに区分すると︑次のようになる︒
日数割合%
七0
・ 九 行 数
日 数
指示
語数
︵コ
系︶
一日
平均
︵コ
系︶
I 一i九
九
二九
︵二
三︶
0
・七
︵0
・ 六 ︶
II
一01
一 九
。
一八
・二
五O
︵ 四 O︶
五 ・
O
︵ 四 ・
O︶
m
二01
二九
四
七・
三
四五
︵三
九︶
一一
・三
︵九
・八
︶
w
三01
三 一 一
一 ・ ム ハ
一四
︵一
四︶
七 ・
O
︵ 七 ・
O︶
ーの
一
O行未満つまり記述分量が少ない日は全体の約七割あり︑分量が少ない分だけ指示語の使用数も少なく︑全日平均の二・六を
大き
く下
回っ
てい
る︒
て二行程度ならば︑そもそも文脈指示の語を用いるまでもないということであろう︒実際に︑指示語がまった
く見られない日は一八日あり︑そのうち一行のみがその半分の九日︑二行が六日︑残りが三行︑五行︑七行の各一日で︑
いず
れも
Iの
グループである︒それに対して︑残りの三割にあたるElwの全体の平均使用数は六・八︵五・八︶で︑とくにE
はそ
の倍
近く
にな
っ
て い
・ る
︒
単純に考えれば︑一日の記述分量が増えるほど︑指示語の使用も多くなる傾向にあるが︑使用頻度のとくに高い日と低い日を見てみ ると︑高い方の五日間のうち一月九日と一月二O日以外の三日︑低い方の五日間のうち二月四日と二月一六日以外の三日がI
のグ
ル
l
プに含まれるのであって︑使用率については記述分量と直接の関係はないと言えよう︒
そして︑このことはコ系の指示請に限っても︑全体の八割以上を占めるが︑ほぼそのままあてはまる︒つまり︑コ系だからといって︑
日によってその使用に偏りがあるわけではなく︑コ系の指示語の異常な多さを説明することにはならないということである︒
【表】5
月日 コ ソ カ fT − 頻度 月日 コ ソ カ 計 行 頻度 1221
。
2。
2 6 3.0 0120 6 3 10 17 1.7 1222。。。。
3 一 0121 5 2。
7 15 2.11223 3
。。
3 3 1.0 0122 1 0 2 8 4.0 1224。 。
2 2.0 0123 1 0。
1 2 2.0 1225。。。。
2 一 0124。。。。
1226
。。
9 9.0 0125。。。。
2 一 1227 7。
8 21 2.6 0126 4。
5 12 2.4 1228。。
3 3.0 0127。 。。。7
1229 2 。。
2 8 4.0 0128 。。。。
0101 2
。。
2 6 3.0 0129 3 1 0 4 13 3.3 0102。。。。
2 一 0130。。
4 4.0 0103。。。。
2 0201 3。。
3 14 4.7 0104。。
1 4 4.0 0202。。。。
0105
。。。。
2 0203。。
4 4.0 0106 0 0。。
一 0204 2。。
2 11 5.5 0107 11 2。
13 26 2.0 0205 8。。
8 31 3.9 0108 2 0。
2 7 3.5 0206 2。
3 7 2.3 0109 13 2。
15 26 1.7 0207 4。
5 11 2.20110
。。
1.0 0208 1 0。
4 4.0 Olll 5。。
5 14 2.8 0209 8。
9 21 2.3 0112。。。。
2 0210。。。。
0113
。 。
7 7.0 0211 4。。
4 7 1.8 0114。。。。
5 0212。。。。
0115
。。
4 4.0 0213。。。。
0116
。。
5 5.0 0214。。。。
0117 4
。。
4 11 2.8 0215 2。。
2 4 2.0 0118 4。
5 14 2.8 0216 6。。
6 32 5.3 0119。。。。
土左日記の指示表現をめぐる諸問題
iL
。
︹問 題
1の4︺
それでは︑指示語の使用頻度がとくに高い日において︑コ系の指示語はどのように使われているか︒
以下に具体例を示す︒なお︑指示語は太字で示し︑確実に文脈指示と認められる用法の語は枠で囲み︑その指示箇所を波線で示す︒
丸数字は指示語の通し番号︒傍線は指示語出自の語であることを︑参考までに示す︒引用における漢字表記︑句読点︑改行などは︑新
日本古典文学大系本によるが︑振り仮名は略す︒
︹ 例
1︺
一二
月二
三日
︵頻
度一
・
O︶
廿一言︒川利州刑判制川副川日制人あり︒①旧幽人︑国に必ずしも言ひ使ふ者にもあらざなり︒②回凶ぞ︑た︑はしきやうにて︑
馬のはなむけしたる︒守がらにやあらむ︑国人の心の常として︑﹁今は﹂とて見へざなるを︑心ある者は︑恥ぢずになむ来ける︒
③これは︑物によりて褒むるにしもあらず︒
コ系指示語が三国連続で使用されている︒①と②の二例はともに前方文脈における﹁八木のやすのりという人﹂を指示し︑
ソ系
でな
いのは︑その人物を繰り返し話題として取り立てるためである︒③の﹁これ﹂は前の三文すべてを文脈指示しているととれなくもない
が︑﹁こういうことをわざわざ書くのは﹂という意であり︑書き手自身のその時点での書記行為に対する指示として︑現場指示の用法
とみ
なす
のが
適当
と考
える
︒
︹ 例 2︺
今日は︑①この奈半の泊に泊りぬ︒
一月
十日
︵頻
度一
・
O︶
一行
一文
しか
ない
記述
の中
に︑
一例
の﹁
この
﹂が
見ら
れる
︒原
則と
して
︑
一日の記述はそれぞれで完結しているので︑前日の一月九
日の記述内に奈半の泊に到着した旨が記されてはいるが︑この﹁この﹂はその文脈を指示するのではなく︑書き手が今いる場を示す現
場指
示の
用法
と見
られ
る︒
︹ 例 3︺
一月
九日
︵頻
度一
・七
︶
九日のつとめて︑大湊より︑奈半の泊を追はむ︑とて︑漕ぎ出でけり︒
これかれ互に︑﹁国の境のうちは﹂とて︑見送りに来る人あまたが中に︑藤原のときざね︑橘のすゑひら︑長谷部のゆきまさら
なむ︑御館より出で給びし日より︑引川州UUに追ひ来る︒①回凶人/\ぞ志ある人なりける︒②回幽人/\の深き志は︑③こ
の海にも劣らざる︒④これより今は消ぎ離れて行く︒⑤日凶を見送らむ︑とてぞ︑⑥回凶人どもは追ひ来ける︒
かくて︑消ぎ行くまに/\︑海のほとりにとまれる人も述くなりぬD船の人も見へずなりぬ︒岸にも言ふことあるべし︒船にも
思ふ
こと
あれ
ど︑
かひ
なし
︒か
︑れ
ど︑
⑦回
幽歌
をひ
とり
一百
にし
てや
みぬ
︒
忠ひやる心は海を渡れども文しなければ知らずゃあるらむ州U引︑引例制制劇を行き過ぐ︒⑧間幽側側斜川U引削り吋創刊例制刻引出制引引吋利口UU船引引劃制寸射口叫同制引制聞
かよふ︒おもしろし︑と見るに堪へずして︑船人の詠める歌︑
見渡せば松の末ごとに住む鶴は千代のどちとぞ思ふぺらなる
とや︒⑨回幽歌は︑所を見るに︑えまさらず︒
⑩岡凶あるを見つ︑漕ぎゆくまに/\山も海もみな暮れ︑夜更けて︑西東も見へずして︑天気のこと︑積取の心に任せっ︒
引制側引出削削寸川UM州側υ
叶 引
M勺刻削船劇川副刻刻刻割引可制州以例制り︒⑪岡凶思へば︑船引吋出町は船唄歌ひて︑
何と
も思
へら
ず口
⑫閣幽歌ふ唄は︑
春の野にてぞ音をば泣く︑若薄に手切る切る摘んだる菜を︑親やまぽるらむ︑姑や食ふらむ︒帰らや︒
土左
日記
の指
示表
現を
めぐ
る諸
問題
昨夜のうなゐもがな︑銭乞はむ︑虚言をして︑おぎのりわざをして︑銭も持て来ず︑おのれだに来ず︒
⑬回凶ならず多かれども︑書かず︒⑬回凶らを人の笑ふを聞きて︑海は荒るれども︑心は少し凪ぎぬ︒
⑮闘凶行き暮らして︑泊に到りて︑翁一人︑専女一人︑あるが中に心地悪しみして︑物もものし給ばで︑ひそまりぬ︒
コ系を中心とした指示語が頻繁に出てくる︒接続詞や名詞に派生した語も含めれば︑さらにその感が強い︒
このうち︑③﹁この海﹂はそこにある海を指示する現場指示︑④﹁これ﹂は同日の前方にもある﹁大湊﹂を指すが︑文脈的には隔たっ
ているので︑書き手のいる︑その場を指す現場指示とみなす︒これら以外は文脈指示であるが︑⑦﹁この歌﹂だけが次に出てくる歌を
記述
分量
も多
いが
︑
指す後方指示で︑その他は前方指示である︒
前方指示のうち︑⑧と⑫の二例のみがソ系指示語になっていて︑ともに直前の文にある﹁宇多の松原﹂﹁船子︑栂取﹂を指す︒どち
らもコ系ではなくソ系になっているのは︑とくに書き手側には引き寄せず中立的な叙述にするためであり︑その点では妥当な選択と見
られ
る︒
問題になりそうなのはコ系の前方指示の語である︒まず︑①め⑤の﹁この﹂は同じ人々つまり﹁藤原のときざね︑橘のすゑひら︑長
谷部のゆきまさら﹂を指し︑一二月二三日の条と同じく︑その人々を話題化しようとしたのであろうが︑さすがにこの反復はくどい︒
しかも︑ここの五文に六回もコ系指示語が用法を変えて出てくるので︑混乱する恐れもある︒また︑⑬と⑬の﹁これ︵ら︶﹂はともに
直前の船唄を指すが︑その前に⑫﹁その﹂というソ系が用いられていることもあり︑話題化のためとはいえ︑唐突感は否めない︒
なお︑⑩ゐ⑬の﹁かく﹂はそれぞれ前の文脈を中心としつつも︑それ以外の含みをもって指示するため︑指示の文脈的限定性は相対
的に薄い︒ただ︑指示性自体は認められるので︑接続詞化しているとは言えない︒
︹ 例
4︺
一月
ニ
O
日︵
頻度
一・
七︶
廿日の夜の月出でにけり︒山の端もなくて︑海の中よりぞ出で来るo①岡凶ようなるを見てや︑昔︑阿倍の仲麻呂といひける
人は︑唐土に渡りて︑帰り来ける時に︑船に乗るべき所にて︑②かの国人︑馬のはなむけし︑別れ惜しみて︑③かしこの漢詩作り
などしける︒飽かずゃありけむ︑廿日の夜の月出づるまでぞありける︒③開閉月は海よりぞ出でける︒⑤悶凶を見て︑仲麻呂の
主︑﹁わが国に⑥岡川川﹈歌をなむ︑神代より神も詠ん給ぴ︑今は上中下の人も︑⑦かうやうに別れを惜しみ︑喜びもあり︑悲しぴ
もあ
る時
には
詠む
﹂
とて
︑詠
めり
ける
歌︑
青海原振り放け見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
とぞ詠めりける︒⑧かの国人︑聞き知るまじく思ほへたれども︑言の心を︑男文字に様を書き出だして︑⑨こ︑の言葉伝へたる人
に言ひ知らせければ︑心をや聞き得たりけむ︑いと思ひの外になむ賞でける︒唐土と⑩この図とは︑言異なるものなれど︑月の影
は同じことなるべければ︑人の心も同じことにやあらむ︒きて︑今︑当時︵そのかみ︶を思ひやりて︑ある人の詠める歌︑
都にて山の端に見し月なれど波より出でて波にこそ入れ
土佐日記に見られる五例のカ系の指示語のうち︑②﹁かの﹂③﹁かしこ﹂⑧﹁かの﹂の三例がこの日の記述に現れる︒いずれも﹁唐
土﹂を指示するが︑文脈指示でも現場指示でもなく︑観念指示の用法である︒日記における場からでは知覚できない対象だからである︒
それに対応するように用いられている⑨﹁こ︑﹂と⑩﹁この﹂は書き手がいる場である日本を示す現場指示の用法である︒また︑会話
文中
の⑦
﹁か
う﹂
も現
場指
示で
あ
る︒
残り四例が文脈指示であり︑④﹁その﹂以外はコ系の指示語で︑このうち︑⑥﹁か︑る﹂が直後の和歌を指す後方指示に相当し︑他
は前
方指
示で
ある
︒
唯一ソ系の④﹁その﹂は直前の文の﹁廿日の夜﹂を指す順当な文脈指示であるのに対して︑①﹁かう﹂と⑤﹁これ﹂の二例は︑それ
ぞれ
直前
の一
文の
内容
を対
象と
する
が
︑
ソ系の指示語に置き換えが可能であり︑とくに⑤﹁これ﹂は﹁それ﹂のほうが︑視点の位置と
しては適切であろう︒これらも︑あえて中立的ではなく話題として特立させようとした結果と考えられる︒
土左日記の指示表現をめぐる諸問題
四
︹ 例 5
︺一
一月
一一
日︵
頻度
一・
八︶
十一日︒雨いさ︑かに降りて︑止みぬ︒
州引引︑さし上るに︑東の方に︑山の横ほれるを見て︑人に問へば︑﹁八幡の宮﹂と言ふ︒①日凶を聞きて喜びて︑人/\拝み奉
山崎の橋見ゆ︒嬉しきこと限りなし︒②こ︑に︑制刷剰のほとりに︑しばし船を留めて︑削州り定むることあり︒③回凶引制 る
岸削U引川吋側斜り刻りある人︑④回幽柳の影の︑川の底に映れるを見て詠める歌︑
さずれ波寄する文をば青柳の影の糸して織るかとぞ見る
四例すべてコ系の指示語であり︑②﹁ここ﹂を保留すると︑どれも前方指示の文脈指示とみなされる︒ただし︑どれもソ系の指示語
にも置き換えられる︒コ系にしたのは︑書き手の立ち位置を前提として︑話題化しようとしたからであろう︒
②﹁ここ﹂は︑諸注釈書において︑﹁ここに﹂の形で︑漢文訓読的な接続詞の用法とされ︑﹁そこで﹂と順接的に解釈されている︒﹁こ
こ﹂を場所を示す指示代名詞とすると︑直後の﹁相応寺のほとりに﹂との重複感がなくもないが︑直前にある﹁山崎の橋﹂が見える所
まで至ってという意ならば︑指示性を認めることができよう︒﹁そこで﹂という順接型の連接関係として考えると︑﹁嬉しきこと限りな
し﹂だから﹁しばし船を留めて︑とかく定むることあり﹂となって︑文脈的に不自然ではあるまいか︒
以上︑指示語の使用頻度の高い五日分の日記記述におけるコ系の用法を確認した結果︑文脈指示用法としては︑必要以上に話題化す
る傾
向が
認め
られ
た︒
その要因として想定されるのは︑日記としての現場性あるいは臨場性である︒文脈指示の用法は︑現場指示から派生し︑コ系とソ系
の違いはその用法を元にして︑指示対象の話題化に関して特立的か中立的かにあるということを先に述べたが︑日記の場合は書き手自
身が実際に体験した出来事を記述するものであるから︑その再現にあたって︑それらの出来事の現場性なり臨場性なりを表わそうとす
るとき︑話し手︵書き手︶側の領域を示すコ系の指示請が選択されたとしても不思議ではない︒それは文章でありながら︑時折混入さ
れる現場指示用法のコ系指示語の使用とも連動する︒
そもそも文章において︑文脈指示か現場指示か︑その用法を分ける基準となるのは︑指示対象と想定される内容が文脈内に担保され
るか否かであって︑ある指示語が文脈指示の用法とみなせるからといって︑その現場指示の用法を排除するものではない︒土佐日記が
件んの船旅が終った後にまとめられたとしても︑船旅を回想し︑あるいはメモを確認する中で︑その時どきの様子がその場にいるかの
ようにありありと思い浮かべられれば︑結果的に文脈的な自然さを無視してでも︑まさに直示的なコ系の指示語を用いることは十分に
考え
られ
る︒
つまり︑土佐日記におけるコ系の指示語の多さは︑日記という位相にある作品だからであり︑自らの体験の現場性・臨場性を強く打
ち出そうとした︑あるいは意図せずに現れてしまったことによると考えられる︒しかも︑当時の日記の標準は変体漢文体であったが︑
山田孝雄︹一九三五︺以降︑指摘される漢文訓読的な﹁これ﹂の用法の影響はまったく認められないのであり︑談話をふまえた口語に
よる和文体をとったからこそ実現した結果とみなされる︒見方を変えれば︑指示語の文脈指示用法が中心となるべき︑独立した文脈を
有する文章としては︑土佐日記はまだ成熟していない段階にあったとも言える︒
︹問
21︺題の
︹前
提2︺で触れたごとく︑土佐日記の文章には︑漢文訓読的あるいは変体漢文的な用語・用法の認められることが指摘されている︒
それは︑土佐日記のさまざまな表現に認められる事実であるが︑こと指示語に関しては︑はたしてそれらの影響と言えるか︑疑問がな
くもない︒それらのいくつかを指摘してみたい︒
︹問
22︺題の
︹ 例
6︺一二月二一日
男もすなる日記といふものを︑女もしてみむ︑とて︑するなり︒それの年の十二月の二十日あまり一日の日の戊の刻に︑門出
土左日記の指示表現をめぐる諸問題
五
一 六 す
有名な官頭部分であるが︑ここに見られる﹁それ﹂という指示語に関して︑参看した注釈書は以下のように説明する︒各引用末尾に
出典の略称を挙げる︒﹁/﹂は前後の説明が別箇所にあることを示す︒
※漢
文の
﹁某
年﹂
を訓
読す
ると
きに
使う
語︒
︵日
本古
典文
学全
集
︶
※某
年/
具体
的な
年次
を脱
化︒
︵新
日本
古典
文学
全集
︶
※﹁某年﹂の訓読語︒女性仮託に合わせた文学的設定︒事実は承平四年︒︵日本古典文学集成︶
※観
智院
本﹃
類取
県名
義抄
﹄に
﹁某
ソレ
﹂と
訓読
する
よう
に︑
﹁そ
れの
とし
﹂と
は某
年と
いう
こと
にな
るが
︑承
平四
年を
某年
と表
現し
て︑
正確な暦年を示さなかったことには︑深遠複雑な意味があるのである︒/元号年数を伏せて﹁それのとし﹂と記し︑主人公たる貫
之自身を﹁あるひと﹂と不定三人称で呼んでいる︒こうした事実の臨化には︑読者に自由な想像をゆるす物語的な効果と︑歴史的
事実に束縛されない脚色虚構の自由と︑更に貫之が試みようとしている社会風刺に対しての反作用を予防する目的と︑三つが考え
られるのである︒/﹁それのとし﹂﹁いささかに﹂などは︑序文としての荘重味を加える意図があったかも知れないが︑﹁かれこれ﹂
﹁くらへつる﹂﹁日しきりに﹂というような堅苦しい言葉遣いは︑それとは無関係に︑男性の日記文体︑すなわち変体和臭の漢文調
を出そうとする︑苦肉の表現技巧であると考えられる︒︵萩谷全注釈︶
※ある年︒貫之が帰任のため土佐の国を出発したのは朱雀天皇の承平四年︵九三四︶であるが︑それをわざとおぼめかしていったも
の︒
︵日
本古
典文
学大
系︶
※ある年︒承平四年︵九三四︶のこと︒脱化表現︒︵新日本古典文学大系︶
このように︑多くの注釈書が︑件んの﹁それ﹂を︑﹁某年﹂という漢語の訓読語の一部とみなすとともに︑具体年を臨化するため
と捉
えて
いる
︒
古事記にも﹁赤猪子答白︑其年其月︵それの年それの月︶︑被天皇命︑仰待大命︑至子今日︑経八十歳﹂︵下・雄略天皇︶と訓読され
る一例が見られるが︑新日本古典文学全集には﹁赤猪子は明確な年月を言ったが︑それが簡略化したもの﹂のように︑臨化とは異なる