香 港 の 中 国 人 家 族 に 関 す る 一 考 察
社 会 変 動 と家 族 の 変 遷 と の視 点 よ り
目 次
高 橋 強
は じめ に
一 一 香 港 の社 会変 動
←1工 業化 口 都 市化
日 西 洋化 一 現代 西 洋家族理 念 の影響 二 中 国人家族 の変遷
←‑1構 造 一 夫婦家 族化
r機 能 情 緒的 かつ社会化 機能 日 関 係 平等主 義 と権 威 主義 三 中 国人 家族 をめ ぐる諸 問題
← → 婦女 に関 す る問題
口 青 少年犯罪 に関 す る問題
1‑一,r老人 扶 養 に 関 す る問 題
四 むす び にか えて
香港 の中 国人家族 に関 す る一考察
は じ め に
社会変動 と家族 の変遷の関係 は,近 代社会学の機 能理論 よ り分折 し解
(1.)
釈 す る こ とが可 能 で あ る。 即 ち,機 能理 論 の主題 は,社 会 を あ る運 行 す る全 体 あ る いは体 系 と し,そ の 内部 に は若 干 の 構成 部 分 あ るい は下位 体 系 が含 まれ,両 者 間 に は相 互 関 連 と相 互依 存 関係 が維持 され て い る もの と して把 握す る ことで あ る。 これ らの部 分 は各h独 自の機 能 を有 し,運 行 に お い ては相 互 に機 能 上 の交 流 を し互 い に影 響 ・調整 し合 い,各 部 分 間 お よび それ と全 体 間 の機 能統 合 を成立 させ て い る。 それ 故 に,そ の 全 体 内 の い かな る部分 に変動 が生 じて も,そ の他 関係 部 分 も相応 の調 整 を な し,新 しい機 能 統 合 を形 成 す る。 従 って,社 会 の存 在 と発 展 は̲̲̲.の 機 能上 の運 行 と交 流 の反 映 で あ り,社 会 の安 定 は決 して 静止 した社 会 現 象 で は な く,各 部 分 の変 動 に お け るあ る程 度 の均 衡 状態 保 持 に よ る もの
(2)
で あ る。
社 会 は 完 全 な社会 体 系 を な し,若 干 の機 能 的 下位 体 系 よ り構成 され, そ の内 主 要 な もの と して,経 済 ・政 治 ・教 育 ・道 理 お よ び価 値 ・家 族 ・ 宗 教 等 が あ る。 これ らの下 位体 系 間 は しば しば機 能 上 の 相互 作 用 をな し 互 いに依 存 関 係 を保 持 し,か つ そ の協 調性 の運 行 を経 て社 会体 系 自体 の 基 本 的 機 能 を発揮 す る ことが で き,社 会 の維 持 と発 展 を はか る ことがで
(3}
きるの で あ る。
家 族 の変遷 を論ず る と き,そ の第 一要 因 と して経 済体 系 の変 化 とい う
(41
点 が 早 くか ら注 目 さ れ て きた 。 そ して さ らに 一 歩 進 め て,変 遷 の 原 因 を 技 術 の 進 歩 と これ に 基 づ く経 済 体 系 の 変 化 に 求 め た の はW.F .オ グバ ー
ソ(W・F・Ogburn)で あ っ た 。 彼 は,血 縁 家 族 が 解 体 して 夫 婦 家 族
が 支 配 的 形 態 と な り,こ の 移 行 の 過 渡 期 に 直 系 家 族 が 現 れ る が,産 業 化
(工 業 化 の 社 会 的 帰 結)の 高 ま りと共 に 直 系 家 族 は 夫 婦 家 族 に と って 替
わ られ る と述 べ る。即 ち,技 術 の変 化 →経 済体 系 の変 化 →家 族 の変遷 と い うことで あ る。 しか しこの経 済 的技 術 的 決定 論 に対 して は,W.J.
ゴー ド(W.J.Goode)に よ り異論 が 唱 え られ る。 彼 は,産 業 化 が生 起 す ると何 らか の夫 婦家 族 形 態 へ の 強 い動 き も生 ず る こ とを肯定 した上 で,産 業 化 に よ って 夫 婦家 族 が生 み 出 され るとい う単 純 な関 係で は ない と主 張 す る。 とい うのは,産 業 化 の速 度 か ら予 測 で き るよ りもず っと速 か に家 族 の変 化 が生 じて お り,そ こに は夫 婦 家 族制 の イ デ オ ロギ ーとい
う理 念 的変 数 の独 立 的作 用 が指 摘 され るか らで あ る と述 べ る。即 ち,拡 大家 族 形態 を と る社 会 に,産 業 化 の 開始 に先 立 って夫 婦 家 族 制 の イ デ オ
ロギ ーが導 入 され,大 部分 の人hは 当分 の 間 これ を受 容 しない け れ ど, 社会 的 に 恵 れ な い人h,若 者 ・婦人 ・教 育 を受 け た人hに は 共感 を与 え た。 か か る新 しい イ デ オ ロギ ーは,そ こに描 かれ た新 しい可 能性 を実 現 す る経 済 的基 礎 が据 え られ な い 問は,夫 婦家 族 を実 際 に生 み 出す効 果 は きわ め て限 られ て いた が,産 業 化 が開 始 され て伝統 的 な家 族形 態 を夫 婦 家族 に変}る 圧 力 が働 き出す と,こ の変 化 を促 進 した とい うので あ る。
本 稿は,香 港 の社 会 変動 と家 族 の変 遷 に焦 点 を当 て,中 国人家 族 に関 す る や や 全 体 的 な 検 討 を試 み よ うとす る もの で あ るが,黄 暉明 の論 文
(1)
r廿 五年 来 之 香港 一 家庭 変 遷 一 』 お よ び諸 研 究 の成果 に負 う所 が 多い。
同論 文 で は家族 を と りま く外 部 体系 と して,(→ 工 業 化,⇔ 都 市化,⇔ 理 性化,⑳ 機構 と機 能 の分化,㊨ 目的達 成 の方 向 を あげ て い るが,⇔ 四㈲
は どち らか と言 えば産 業化 との相 互 関 連 が大 な ので,本 稿 で は 前 述 の
"夫 婦家 族 制 の イ デ オ ロギ ー とい う理 念的 変 数"に 焦 点 を 当て ,新 た に
⇔ 西洋 化 一 現 代 西 洋 家族 理 念 の影 響 一 と して考 察 を進 め る。 そ の上
で家 族 の 基 本 構造 と機能 お よ び関係 の変 遷 を分析 し,そ して今 日,香 港
の 中 国人 家 族 が直 面 して い る諸 問 題 を検 討 して い くこと にす る。
香港 の中 国人家族 に関 す る一 考察
註
(1)黄 暉 明 「家 庭 変 遷i」(r廿 五 年 来 之 香 港1951‑1976』 所 収)香 港 中 文 大 学 崇 基 学 院 出 版1977年47〜68頁 。
(2)R.K.マ ー ト ソ(R.KMerton)「 社 会 理 論 と機i能 分 析 」(森 東 吾 そ の 他 訳)現 代 社 会 学 体 系13・ 青 木 書 店1969年4〜50頁 。
(3)T.パ ー ソ ソ ズ(T。Parsons)「 社 会 体 系 論 」(佐 藤 勉 訳)現 代 社 会 学 体 系14・ 青 木 書 店1974年475〜516頁 。
(4)森 岡 清 美 「家 族 の 変 動 」(r社 会 学 講 座3・ 家 族 社 会 学 』 所 収)東 京 大 学 出 版 会1972年205〜216頁 。
一 香 港 の社 会 変 動
O工 業 化
香港 の工業 化 は戦 後 の こと で あ るが,そ の基 礎 の形 成 は 開港 後 の最 初
(1}
の100年 の発 展 に湖 る ことが で き る。1841年 よ り英 国人 の香 港 占領 が 開 始 され るので あ るが,当 初 は造 船 と修理 ・砂 糖精 製 ・セ メ ソ ト ・縄 作 り等 の まば らな工 業 しかな か った 。1900年 代 に 入 って 後,綿 紡 績 や 綿 織 物 ・藤 製 品 ・電 気 製 品 ・ゴム製 品 ・ホ ー ロ ー ・た ば こ等 が増 え,第 二 次 大戦 前 の頃 には,香 港 の軽 工 業 の基 礎 は既 に備 わ って い た。 戦後 の最 初 の年 は,社 会 の主 要 な発 展 は全 て 戦 争時 の損 壊 修復 お よび経 済再 建 に 集 中 した。 当時,原 料 お よ び商品 は 非 常 に欠 乏 し,東 南 ア ジア もまた 同 様 に 戦争 の影 響 を 強 く受 け,そ の上 欧 州 や米 国か らの輸 入 は海 上 輸 送 が まだ復 活 して いな か った ので,香 港 の 再建 方 針 は,自 身 お よ び近 隣地 域 の必 需 品 を供給 す るた め に工 業化 の途 を歩 まざ るを えな か った。
香 港 の全 面 的 な工 業 化 は,1950年 代 初 期 よ り始 ま った 。 当時,工 業
化 に必要 な資 源 と して は,一 方 で は 当地 の人 力 と資 本 お よび原 有 の優 れ
た商業 基 地 を得 た が,さ らに重要 な側 面 と して はや は り49年 共 産 主 義 中 国 の建 国前後,大 量 の 中国 人 が香 港 に 流 入 した ことに よ る大量 の 労働
く ラ
カ ・豊富 な資 金 ・高度 な技 術 と経 験 とい った工 業 建設 要 因 と,思 い切 っ た斬新 的 経 営 方 法 およ び政 庁 の積 極 的 奨 励 策 が あげ られ る。 この外,51 年 朝鮮 戦 争 の勃発 に よ る米 国 お よ び英 国 の禁輸 措 置 は,香 港 の貿 易 に深 刻 な打 撃 を負 わせ た が,そ れ故 に香 港 を工 業 拡 張 へ と 向か わ せ貿 易縮 少 の損 失 を補 わ させ た。 そ の後 しば ら く近 隣 国家 に おい て ,政 治 的経 済 的 不 安 定 が続 い た が,香 港 経 済 を妨 げ る もので は な く,反 対 に シ ソガ ポ ー 一 ル ・ビル マ ・フ ィ リピソの華橋 か ら続 々と流入 した資 金 は ,香 港 の工 業 発 展 の大 きな援助 とな っ た。 香港 の工 業 の か よ うな発 展 は,60年 に 至 り輸 出製 品 高 は既 に30億 香 港 ドル に近 づ き,貿 易 の地 位 に取 って代 わ り香 港経 済 の主 要 な基 礎 とな った。 労 工 庭登 録 工場 も53年 の2100軒 か
t3)
ら63年 に は4倍 の8332軒 に な っ た 。 即 ち 中 継 貿 易 か ら加 工 貿 易 へ の転 進 で あ る。
60年 代 に 入 る と 香 港 の 工 業 は,更 に急 速 な進 歩 ・発 展 を 遂 げ て い っ た 。 特 に 製 造 工 業 の 製 産 品 に お い て は,既 製 服 ・プ ラス チ ッ ク ・電 気 製 品 ・紡 績 ・金 属 食 器 が 主 で あ っ た。 製 品 の90°oは も っ ぱ ら輸 出 に ま わ
され,70年 に 至 っ て は 輸 出 製 品 高 は120億 香 港 ドル 余 りに 達 し,10年 間 で4倍 強 の 増 加 と な っ た 。 登 録 工 場 も70年 に は63年 の2倍 の15806 軒 に な っ た 。 また61年 当 時 の 製 造 業 従 事 者 は50万 人(全 労 働 人 「]116 万 人)も,71年 に は72万 人(全 労 働 人 。16・ 万 人)に な って い る(4}7。
年 代 初 期 の 世 界 的 商 業 不 況 の お か げ で,香 港 の工 業 も被 害 を受 け た が,
そ の 他 の 国 々 と比 べ る と割 合 軽 い も の で あ っ た 。 ち な み に75年 の 輸 出
製 品 高 は230億 香 港 ドル に 達 し,前 後5年 間 の 伸 率 は 約2倍 で あ っ た 。
80年 代 に 入 っ て も比 較 的 安 定 を 保 ち,82年 の 輸 出 製 品 高 は800億 香
港 ドル に 達 し,同 年 の 登 録 工 場 は47089軒 で70年 の3倍 に,ま た81年
香港 の中国人 家族 に関す る一考察 の 製 造 業 従 事 者 は1・2万 人(全 労 働 人 。248万 人)に な っ て し、る(4)こ れ 以 外 に,そ の 他 の 発 展 は 主 と して サ ー ビス 業 ・旅 行 業 ・仲 継 貿 易 ・船 舶 運 送 等 に み られ,香 港 経 済 に 対 す る貢 献 も顕 著 な もの が あ っ た。81年, 香 港 の 一 人 当 りの 年 平 均 収 入 は5100米 ドル で,ア ジ ア で は 日本 ・シ ン
ガ ポ ー一 ル に 次 い で 第 三 位 で あ っ た 。
O都 市 化
英 国 は1841年 か ら香 港 島 の 統 治 に乗 り出 す わ けで あ るが,当 時 の人 口は41年7450人,44年1万9千 人,45年2万3千 人 と増 加 し,香 港 の建 設 が急 テ ソポに進 み 出 した ことを物 語 って い る。 開 港 当時 ,英 国の 香 港 開拓 の 目標 は主 と して,そ れ を対 中 国 貿易 の基地 ・船 舶 停 泊 や修 理
一 一 一(51
ドッ ク お よ び海 軍 基 地 とす る こ と で あ っ た 。 そ の 後,ア ヘ ソ貿 易 や 猪 仔 貿 易 と い う掠 奪 的 手 段 で 急 速 に 富 を 蓄 積 し,60年 代 初 め に は 人 口10万
く ラ
を有 す る都 市 の輪 郭 を形 成 して い た。 香 港 が 中継 貿 易 に活 躍 の場 を見 い
出 して行 くのは60年 代 後 半 以 後 の こと で あ る。 天然 の良 港 ・自由貿易
港 お よ び中 国か らの 大量 移 民 を資源 と し,中 国産 品 を欧 米 や 東 南 ア ジア
に,ま た 欧米 の工 業 製 品 と東 南 ア ジアの物 産 を 中国 あ るいは 東 南 ア ジア
に再 輸 出 し 次 第 に 国際 的 商 業 都 市 の変 容 を遂 げ て い った(7)それ に して
も市街 を ど うつ くるか は,海 岸 平 野 に恵 まれない香 港 に と って重 大 な問題
で あ った。 この問 題 を,香 港 は絶 えず 岩 山 を 削 り山 腹 に平 地 を造成 し削
った 土 砂 を海 岸 に 運 んで 埋 立 地 を つ く り乗 り越 えて きた 。 そ の後 も船
舶 ・運 送 ・銀 行 ・保 険 お よ び通 信 等 の発 展 も加 わ り,英 国の対 中 国政 策
に おけ る香 港 の地 位 が変動 す る90年 代 まで 順 調 に 発 展 して 行 くので あ
る・1901年 には人 口28万 人を数 え る までに 至 る。 しか しな が ら中継 貿易 港
と して の 香港 の発 展 は,第 二 次 世界 大 戦(1941年)と 共 に 中断 を余 儀iな
くされ た。 そ の中 で人 的資 源 で あ る人 口も,戦 乱 を 避 け て きた 中 国人 難
民 を 含 め た 戦 前 の164万 人 か ら,終 戦 時 の60万 人 に 急 減 し て い る の で あ る。 貿 易 が 衰 退 して は,100万 人 の 人 口 を維 持 す る こ と が で き な か っ た
(8) の で あ る。
戦 後 に 入 っ てJ香 港 の 驚 異 的 と い っ て よ い 人 口復 興 が 始 ま る。 大 陸 や マ カ オ か ら の復 帰 者 に よ り47年 末 に は,人 口180万 人 と戦 前 の 水 準 を 上 回 っ た 。 この あ と 国 共 内 戦 で 大 量 の 中 国 人 が 流 入 し た こ と に よ り,50 年 末 の 人 口は236万 人 と な っ た。 しか し当時 の 香 港 に は,こ れ だ け の 人
口を 住 ま わ せ る 十 分 な 住 宅 も な か っ た し,吸 収 す る産 業 も な か っ た の で あ る。 こ の 緊 急 課 題 に 対 し香 港 政 庁 は,ア パ ー ト団 地 の 建 設 に ま た 地 元
(9?
産 業 育成 政 策 に着 手 せ ざ るを得 なか った ので あ る。 そ して50年 代 に入 る と,住 宅 問題 解 決 とい う 目的 だけ で な く,付 近 に工 場 そ の他 産業 団地 を設 けて 雇用 の安 定 化 を図 る こ とを 目的 と して また 市街 地 に集 中 した人 口を分 散 させ る意 味 か ら も,人 口50万 ・60万 人 と い うニ ュ ー タ ウ ソ計 画 に も着手 し,現 在 も引 き継 がれて い る。 アパ ー ト団地 ・ニ ュ ー タ ウ ソ 計画 等 の 公 共住 宅政 策 は,年 々重 要 事 業 とな り,現 在 で は 香港住 民 の45 00が 各 種 公 共住 宅 に入 居 す るに 至 った が ,依 然 と して民 間住宅 に対 す る
(10)
需 要 は 根 強 い 。 そ の 主 た る 原 因 の 一 つ は,相 変 わ らず 続 く中 国 か ら の 人 口移 動 に あ る こ と は 言 う まで もな い 。 ち な み に80年 に は 人 口500万 人
(11)
と な り,56年 の250万 人 の2倍 に 達 して い る。 こ の 外,住 宅 政 策 を 推 進 す る 一 方 で,山 を削 り海 を 埋 立 て 通 路 系 統 を拡 大 し,衛 生 設 備 ・教 育 制 度 お よ び医 療 機構 等 を 設 立 し,そ の 次 に 社 会 福 祉 を 提 供 しな が ら都 市 化 が 進 め られ て き た の で あ る。 香 港 の 都 市 化 の 中 で 緊 急 な 課 題 の 一 つ と
して 人 口密 度 の 問 題 が上 げ られ る。 香 港 の 平 均 的 人 口密 度 は1平 方 キ ロ
当 り4760人(1981年)で,東 南 ア ジ ア で 最 も高 い シ ソ ガ ポ ール の3904
人(1980年)を は る か に 抜 い て い る。 人 口の 集 中 し て い る 市 街 地(香
港 島 ・九 竜 ・新 九竜 ・茎 湾)で は28479人 へ と上 昇 して い て,し か も そ
香港 の中国人家 族 に関す る一考察
の 面 積 は 新 界 の 衛 生 都 市 を 含 め て も,総 面 積 の9°o(96万 平 方 キ ロ)
clay
に す ぎ な い ので あ る。
⇔ 西 洋化 現 代 西洋 家 族理 念 の影 響
初 期 の 香港 で 中 国人 が規 範 と して いた婚 姻制 度 を体 系的 に知 る ことは で きない が,明 白 な こ とは,婚 姻 は家 父長 が 当人 の 承諾 ら しい承 諾 もな しに決定 す る もの で あ り,結 婚 す る当人 の意 思 が認 め られ な か った こ と
(12)
や,妾 関 係 が慣 習法 的 に容 認 され て いた ことで あ る。一 方,香 港 政庁 は 香港 中 国人 の風 俗 ・習慣 を尊 重 す る とい う立 場 か ら,当 初 は婚 姻法 とい う ものは 存在 しな か った。1852年 に 「香 港 婚 姻 条 例 」 と い う初 め ての 婚 姻法 を制定 す るが,英 国人 の た め の もので あ った。 しか し75年 には, 中 国人 の人 口が増 加 す るの に伴 い彼 らを包 括 す る と ころの 「婚 姻 条例 」 を制 定 す るに至 るので あ る。 同 条例 は現 行法 例 の原 型 で,そ の後 も修 正 を重 ね る が基 本 原 則 に は変 更 は な い。 その 大意 は,結 婚 登 記 所 は挙 式 を 行 な うこと がで き,登 記 官は 立 会 って証 人 とな る ことが で きる こと,教 会 お よび認定 挙 式場 で の結 婚 の場 合,証 人 は7日 以 内に登 記 所 に報告 し な げれ ば な らな い とい うことで あ る。 いず れ にせ よ婚 姻 は登 記 され,結
(f3)
婚 証 明書 が交 付 され る。 か か る登記 制 婚 姻 は,結 婚 は当事 者 の 自 由意 思 に よ る一 夫一 婦 制 を基礎 と し,重 婚 を認 め ない もの で あ る。 しか しな が ら同条 例 に よ る登 記結 婚 は,中 国人 には ほ とん ど無 縁 の もので しか な か
(141 った。
そ の後,中 国で は1911年 に清 朝 が亡 び中華 民 国 が成 立 し,30年 に は
中 華民 国民法 親 属 編 が制 定 され た。 その 中で特 に,婚 姻 は 男女 の 自由意
思 に よ る もので あ り親 が強制 す べ きもので ない こと,ま た妾 関 係 を否 定
す る意 味 で 重婚 を容認 せず,女 性 に相続 権 と離 婚 請 求 権 を 与 え た ことは
注 目に値 す る。 た だ し結 婚 を登 記 す る旨の 規定 は な く,公 開 の儀 式 と2
1151
名 また は それ 以上 の証 人 が立 会 えば,婚 姻は 有 効 と され た ので あ る。30 年 以後 の香 港 で は,こ の婚 姻 制度 を採用 す る中 国人 が 多 くな った が,公 開 儀 式 と立会 い以外 は実 効性 が薄 く自 由意 思 に よ る婚 姻 は行 なわ れ に く か った し,妾 関 係 も容認 され て一 夫 多婦婚 が 存続 した。 この段 階 に お い て も政 庁 ば,中 国 の法 と慣 習 に よる また は 中華 民 国民 法 に よ る婚 姻 を,
{12) 有 効 な婚 姻 関 係 と して取 扱 ってい た。
しか しな が ら,こ うした 男子 中心 の婚 姻 制度 に対 して,政 庁 は改 正 の 意 思 が なか ったわ け で は な く,48年 には 「中 国 法 例 お よ び習慣 研 究 委 員 会 」 が組 織 され,中 国人 の婚 姻 に 関係 あ る法 と慣 習 が調査 され婚 姻 制
(16)
度 改 正 の資 料 と して50年 初 め には 提 出 され て い る。 これ と前 後 して 婦 人 団体,キ リス ト教 関係 団体 か ら納 妾 制度 の廃 止 と婚 姻 法改 正 が不 断 に 要 求 され て い たの で あ るが,一 般 に これ に呼応 す るに至 らな か った と言 わ れ る。 この ことは登 記 制 婚 姻 の件 数 に よ く投 影 して い る。54年 以 前 に 登記 制 の婚 姻 を した のは 年 間3000件 以 下で あ り,57年 に な って始 め て5000件 に の ぼ っ たが,58年 に至 って も7000件 を 記 録 した に す ぎな か った ので あ る。 大 部 分 の 中 国人 は中 華 民 国民 法 に従 い,ま た 一 部 で は
(m
中 国 の法 や 慣 習 に よる婚 姻 が 温存 され た の で あ る。
と ころ が,60年 代 に な る と登記 制 婚 姻 の 普 及 が急 速 に進 行 し,61年 に1万 件 以 上,68年 以 降 は2万 件 以 上 に伸 びて い る。 想 定 に よ ると60 年 代 前 半 に お け る登 記 制婚 姻 は全体 の半 数 を 占め た と言 われ る。 か か る 情 況変 化 を背 景 に,65年 に は 婚 姻法 改 正 の 建議 が な され70年 に実 現 し
た。70年 修 訂 婚 姻法 は 翌 年 実 施 とな り,その後 の香 港 に お け る婚 姻 を全
(17}
て 登 記 制 に 切 換 え た の で あ る。 か か る登 記 制 へ の 転 換 目的 は,一 夫 一 一婦
婚 確 立 の 手 段 で あ り,婚 姻 が 当 事 者 の 自 由 意 思 に よ る もの で 他 人 が 介 入
し得 な い こ と を法 的 に 裏 付 け,一 夫 多 婦 婚 ・妾 制 度 を 否 認 し よ う とす る
と こ ろ に あ る こ と は 言 う まで もな い と こ ろ で あ る。
香港 の中 国人 家族 に関 す る…考 察
註
(1)黄 暉 明 「前 掲 」50頁 。
(2)1949年10月 か ら翌 年5月 に か け て70万 人 の 人 口 流 入 が あ っ た が,当 時 の 難 民 ・移 住 者 の 教 育 程 度 は 高 く職 業 で 言 え ば 元 専 門 技 術 者 が7000, 軍 人 が27.7%で 残 り が 農 民 で あ っ た 。 彼 ら は 満 足 の い く職 業 に は 就 け な か っ た が 教 育 水 準 が 高 か っ た の で,適 応 能 力 に は 強 い も の が あ っ た 。 従 っ て 香 港 社 会 の 発 展 に と っ て,そ の 貢 献 度 は 大 な る も の が あ る(周 永 新 「香 港 面 臨 人 口爆 炸 」 七 十 年 代130期1980年23〜24頁)。
(3)姫 宮 栄 一 「香 港 一 そ の 現 状 と 案 内 一 」 中 公 新 書52,1964年135〜138 頁 。
(4)山 本 裕 美 「香 港 一経 済 一 」(可 児 弘 明 編 『も っ と 知 りた い 香 港 』 所 収) 弘 文 堂1984年88〜108頁 。
(5)姫 宮 栄 一一 「前 掲 」28〜29頁 。
〔6}可 児 弘 明 「香 港 一一 史 〜」(可 児 弘 明 編 ・前 掲 所 収)13〜20頁 。 (7)黄 暉 明 「前 掲 」51頁 。
(8)小 林 進 編 「 香 港 と 中 国 」 ア ジ ア 経 済 研 究 所1985年198〜199頁 。 (9>姫 宮 栄 一 「前 掲 」44〜45頁 。
(10)R∫児 弘 明 「香 港 一 一人 口 ・土 地 ・住 宅 」(・∫児 弘 明 編 ・前 掲 所 収)41〜45 頁 。
(11}王 曽 才 ・陳 進 傳 合 著 「香 港 的 未 来 」 百 科 文 化1983年16〜17頁 。 (12}口 ∫児 弘 明 「婚 姻 法 改 正 と そ の 問 題 点(香 港)」 ア ジ ア 経 済 第13巻 第1号
1973年74頁 。
(ユ3魯 言 「香 港 婚 姻 制 度 的 変 革 」(r香 港 掌 故 ・第 三 集 』 所 収)広 角 鏡 出 版 社 1984ゴ 手 三1〜5頁o
(14)可 児 弘 明 「 婚 姻 法 改 正 と そ の 問 題 点 」 前 掲73頁 。 な お1932年 当 時,122
組 の 中 国 人 が 登 記 所 に て 挙 式 を 行 な っ た と い う記 録 が あ る(魯 言r前 掲 』
6頁)。
(15)「 憲 法 ・民 法 ・刑 法 」 永 大 書 局 印 行1981年207〜227頁 。 (16>「 中 国 法 例 及 習 慣 研 究 委 員 会 建 議 書 」1953年 。
{17)可 児 弘 明 「婚 姻 法 改 正 と そ の 問 題 点 」 前 掲75頁 。
二 中 国人 家族 の変遷
←)構 造 一 夫 婦家 族 化
香港 開 港 以来,家 族 構 造 はず っ と種 々な外 部体 系 か らの影 響 を受 け, あ る形 態 か ら も う一一つ の形態 へ と変 化 した。 社 会 ・経 済 の機 構 に変 化 が 生 ず るた び に,家 族体 系 は その 生存 の可 能性 を維 持 す るた めに,必 ず 構 造 形態 ・機 能 過程 お よび 内部 関 係 に相 応 の変 化 を生 ぜ ざるを得 なか った。
香 港100年 来 の 歴 史 進 歩 に お い て,家 族 構 造 は既 に拡 大 家 族 を経 て 直 系 家 族 に移 り,さ らに夫 婦 家 族 とい う一 連 の変 形 過 程 に入 った と言 える。
1950年 以来,香 港 の工 業 化,都 市化 お よ び価値 観 の転 換 等 の影 響 の 下,香 港 の 家族 構造 は一 歩 進 ん だ変化 を とげ,大 多数 の家 族 は 夫 婦家 族 へ と傾 いた。60年 全 香 港 人 口予 備 調 査 の結 果 は,夫 婦 家 族 は全 人 口の 63%,直 系 家 族 は23%,拡 大 お よ びそ の他形 態 の 家 族 は14%を 占 め て い る こ とを明 示 した。67年 全 香港 市 街 地 の 家 族 生 活 の 調 査 に お い て は,依 然 と して これ らの 家族 形 態 が 占め る比 率 は順 に69%,22%,
9%で あ った 。72年 の全 香港 家 族 の抽 出検 査 研究 に お い て は,こ の 三 種 の 家族 が 占 め る割 合 は73.5%,24%,2.5%で あ っ た。 これ らの 研 究 結 果 は大 変 明確 で あ った。即 ち夫 婦家 族 採用 の傾 向は 日 ごとに増 し約 3分 の2を 占め るに至 り,拡 大 お よび その 他形 態 家 族 に至 って は逆 に 日 ご とに減 少 し,た だ直 系家 族 だけ は依 然 と して 元来 の数 値 を維 持 し約4
(1}
分 の1を 占 め て い る と い う こ とで あ る。
香港 の 中国人 家族 に関 す る一 考察
夫 婦 家 族 とは一 種 の二 世 代 か ら成 る家 族 で,主 と して 父母 と実 子 あ る い は養 子 女 を含 み,家 族構 成 員 は 平均5.3人(1972年)で あ る。 ま た
(2)
同家 族 は 「一 夫一 婦 」制 度 の 上 に成立 し,そ の上 「新 居 制 」 を主 とす る。
即 ち,夫 婦 は結 婚 時 あ るい は しば ら くして 双 方 父母 の 家 族 よ り離 れ て, 自身 の独 立 した家 族 を組織 す る。 一方,直 系 家 族 は 一種 の三 世代 家 族で, 夫 婦 とそ の既 婚 男子 と孫 よ り成 り平均 構 成 員 は6.9人(1972年)で あ る。 同家 族 は通 常,既 婚 男子 お よ び その家 族 が継 続 して 父母 の家 に居 住
(3)
す るとい う 「夫方 居 制 」 で あ る。
か よ うに して 今 日,香 港 に お いて は夫婦 家 族 が家 族 の優 勢 な形態 とな った の で あ る。81年 の セ ソサ ス か ら見 る と,家 族 の3分 の2以 上 が 夫 婦 家 族で あ る。 セ ソサ スは また世 帯 の60%以 上 が2〜5人 か ら成 り, 少数 の 子供 を有 す る単 独世 帯 の普 及 を反 映 して平均 世 帯 の大 きさは約4
{4)
名 で あ る こ と を示 して い る 。
夫 婦 家 族 の 増 加 に つ い て は,香 港 の 住 宅 事 情 ・政 策 も主 た る要 因 の 一 つ で あ る こ と が 付 言 され る べ きで あ ろ う。 現 在,人 口の4500以 上 が 公 共 住 宅 に 住 ん で い る(1982年)が,平 均 世 帯 人 数4〜5人 の た め の フ ラ ッ トの 大 き さ は16平 方 メ ー トル か ら33平 方 メ ー トル で あ る。 居 住 空 間 の 狭 さ が 家 族 の サ イ ズ を 限 定 す る こ と に な る の で あ る。 ま た 結 婚 し
た 子 供 は フ ラ ッ トを 出 て ゆ か ね ば な ら な い こ と も,そ の 傾 向 を 強 め て い
(5}
る 。
(⇒ 機 能 一 情 緒 的 かつ 社会 化 機 能
夫 婦家 族 へ の傾 向 は,家 族 が供 す る機 能 に密 接に 関係 す るに至 る。 伝
統 的 中 国人 家 族 は相 対 的 に大 規 模 で,通 常 は拡 大形 態 で あ っ た。 最 も基
本 的 な機 能,即 ち再 生 産 や 親 密 な交際 を実 行 す る ことに加 えて,家 族 は
また 最 も基 本 的 な経 済 的生 産 と消 費,技 術 的 熟 練 や標 準 的 価値 を世 代 か
ら世 代 へ 伝達 す る主 た る教 育 的代 行 者,社 会 的 行 動 を統 制 ・管理 す る中 心,礼 拝 や 宗教 的 儀式 の挙 行 の基 本 的単 位,そ して福 祉 や健 康保 護 の主 た る源泉 と して役 立 った。 これ らの 多種 的 機 能 の性 格 の故 に,家 族制 度 は伝 統 的 中 国社会 にお い て は社会 生活 の 中心 に おか れ て い た。 しか し, その 他 多 くの近 代工 業 化 社 会 の よ うに,香 港 にお い て優 勢 的 と な って き た小規 模 な夫 婦家 族 の出 現 は,経 済 的 ・教 育的 ・宗 教 的 ・休 養的 ・保 護 的機 能 を喪 失 した家 族 へ と変 えて い った。 これ らの機 能 は,専 門 的組 織, 即 ち工 場 ・学校 ・教会 ・警 察 ・病 院 そ して 福祉 機 関 に よ って 引 き継 がれ た。 しか しな が ら,こ の ことは 制度 と して の家 族 の 重 要性 が衰 えて い る こ とを意 味 して い る ので は な い。 なぜ な らば,家 族 は情 緒 的 か つ初 期 社 会 化 機 能 に お い て,よ り特 殊 な もの にな り,よ り重 要性 を増 して くるか
(6) も しれ な い か らで あ る 。
香 港 の市 街 区 に お げ る18歳 以 上 の3966人 よ り無 作 意 に 抽 出 して 調 べ た
{7}
「家 族 生 活 調 査 」(1969年)は,次 の 点 を 明 示 して い る。 即 ち,相 対 的 に わ ず か な 人h(10人 中1人 未 満)し か 彼 ら の 結 婚 に 不 幸 を感 じて な く,多 くの 人h(10人 中 約8人)は,彼 ら の 配 偶 者 を 情 緒 的 援 助 の 主 な 源 泉 と見 な して い る の で あ る 。 これ らの 調 査 結 果 は,香 港 の 家 族 は 依 然 と して 既 婚 の 成 人 の た め に,情 緒 的 機 能 を 実 行 して い る重 要 な 組 織 で
あ る こ と を反 映 して い る 。
家 族 の 情 緒 的 機 能 は ま た青 年 世 代 に よ っ て も感 じ取 られ て い る 。 「香 港 家 族 計 画'協会 」 は15歳 か ら17歳 ま で の 中 学 生3917人 よ り無 作 意 に 抽 出 した デ ー タ を 集 収 し 「香 港 青 少 年 研 究 」(1983年)を 行 な っ た(表
(8)
1参 照)。 調 査 結 果 か らす る と,香 港 の ほ と ん ど の 青 少 年 は 親 し く暖 か
い 家 族 生 活 を享 受 して い る よ うに 見 え る。 しか し こ の こ と は,決 して 親
子 の 衝 突 が な い こ と を 意 味 して い る の で は な い。 こ の 数 年,大 き な 問 題
と な っ て き た の は,子 供 た ち と 彼 らの 両 親 と の 衝 突 の 増 加 で あ る。 そ の
香港 の中国人家族 に関す る一考察
(表1) 香 港 青少 年 研 究(15〜17歳)
1983年 大 変 よ い ・よ い よ く な い ・
大 変 よ くな い 好 かれ ていな い 父 親 との関係
母親 との関係
41.4°0
58・2°o
・
3.7
9.2 6.2
優 し い ・ よ く な い が 耐 え ら れ な い ・
暖 い ・よ い 耐 え られ る 出 た い
家庭 に対 して 43.6°o 7.9 1.9
最 も重 大 な要 因の 一 つ と して,受 験 競争 に よ る精 神 的 圧迫 が あ げ られ て い る。
香 港 の家 族 は また情 緒 的機 能 の外 に,青 少 年 の社会 化 に お いて優 勢 な 役 割 を果 た して い る。 香 港 中 文大 学 社会 科 学 者 グル ー プは 「香港 に おけ る中 国入 青 少年 の価 値 と態 度 に関 す る調査 」(1982〜83年)を 行 な っ
(9?
た。 香 港 の全 て の 中学 校 か ら2867人 の生 徒(10歳 〜22歳)を 対 象 に 実 施 され た(表2参 照)。 調 査 結 果 は 明 らか に次 の ことを示 唆 して い る。
即 ち,香 港 の現 代工 業 化 社会 の 中で,中 国人 家 族 は,依 然 と して 子供 の 社 会 化 の た め に優勢 な 制度 の 一 つ で ある。 家 族 は社会 の要 求 に対 す る子 供 の適 応 性 に,確 か に影 響 を 及 ぼ して い るので あ る。 (10)
(表2) 青 少年 の価値 と態 度(10〜22歳) 1982〜83年
母 親 父 親 教 師 友 人 マ ス メデ ィア
信 頼 感 要望理解者
76.2 53.1
73.1i44.1 46.7120.9
35.0 28.6
22.0 18.5
家 族 学 校 友 人 マ ス メ デ ィア
思想 ・行動 への影響 38.4%112.8 31.9 16.9
⇔ 関 係 平等 主 義 と権威 主 義
伝統 的 中 国人家 族 の権 威 的 構造 は,典 型 的 な 父権 制 で あ る。 夫 は家 族 の事 項 に つ いて主 に意 思決 定 を 下 す優勢 な 人物 で あ った。 妻 は 夫 に対 し 柔 順 で あ るよ う,そ して子 供 は 両親 に対 し孝順 で あ る よ う期 待 され て い
た。
しか しな が ら,特 に 最近10年 間,香 港 の 家 族 は 夫 婦 家 族化 が進 み, そ の夫 婦 関 係 も平 等形 態 へ 向 って動 いて い る。 夫 は もは や家 族 内 にお け る絶 対 的 な権威 者 で は な い ので ある。 次第 に彼 の権 力行 使 は,他 の構 成 員 の意 見,特 に妻 の意 見 を考 慮 しなけ れ ば な らな くな って い る。 今 日, 妻 は家 族 の 問題 につ い て の意 思 決定 に お い て,以 前 よ りよ り多 くの権 力
{11)
を享 受 す る傾 向 に あ る。 特 に 中流 階 級 以 下 の家 族 に おい て は,主 た る意 思 決 定 は 一 種 の民 主 的 方 式 を採 用 して い る。 即 ち,夫 婦双 方 に よ る交 渉 お よび協 議 を経 て 初 め て決 定 を下 し,実 施 に移 す ことがで きるので ある。
他 方,上 流 階級 の家 族 の 多 くは,夫 婦分 工 や各 自が決 定 権 を持 つ方 式 を 採用 して い る。即 ち割 合 伝統 的 な 「男 主外 ・女 主 内」 的方 式 に類 似 した
{12) もの で あ る。
香 港 に お け る夫 婦 平 等 形 態 の 出現 ・上 昇 の 主 た る要 因 は,婦 女 子 の 労 働 参 与 の 増 加 に あ る。 工 業 化 の 進 展 は,婦 女 子 に 自 ら収 入 を 得 る 多 くの 就 業 機 会 を 提 供 した の で あ る(表3参 照)。 ま た15歳 以 上 の 婦 女 子 の 労 働 参 与 率 は,61年 の (表3)全 港 就 業 者 数 の 推 移
36.8%か ら71年 の 42.8%に 上 昇 し, 特 に 注 目に 値 す る こ
と は,25歳 か ら34 歳 まで の 女 性 の 労 働 参 与 率 が,61年 の
全港就業者数 男性 女性
1971 1976 1981 1984
1,582,849 1,$67.4$0 2,404,000 2,541,500
1,049,989 1,209,590 1,551,000 1,600,6xO
532,860
657,890
s52,aoo
940,900
香港 の中 国人 家族 に関 す る一 一考察
33.9°o,71年 の39.6%,81年 の56.8° °と い う増 加 を 続 け,こ の こ とは,よ り多 くの 婦 女 子 は 結 婚 後 も ま た 出 産 後 も,労 働 に 参 与 し続 け て い る こ と を 示 して い る 。 婦 女 子 に よ る経 済 的 参 与 の 増 加 ・拡 大 は,夫 婦 関 係 に 必 然 的 に 変 化 を もた ら した の で あ る。 妻 が 経 済 的 独 立 を 達 成 し, 家 族 へ の 金 銭 的 貢 献 が な され る よ うに な る と,彼 女 は 家 族 の 問 題 に対 し
(13)
発 言 力 を増 して くるの で あ る。 従 って家 族 の意 思 決 定 は,夫 婦 の協商 方 式 を経 ね ば な らず,家 事 の遂 行 も また双 方 に よ る共 同責任 とな る。即 ち, 夫 は部 分 的 な が ら家 事 を分 担 し,妻 も若 干 の家 族 の対 外 的 職 分 を兼 担 し,
(12)
そ の結 果 平等 か つ共 同形態 を形 成 す るに至 った ので あ る。
これ に関連 して,夫 婦 が家 族 内 で対 等 関 係 に傾 く一方 で,両 親 と子供, 即 ち親 子 関係 は依 然 と して基 本 的 には権威 主義 的 で あ る と言 わ ざ るを得 な い。 多 くの両 親 は,特 に低収 入家 族 に おい ては 子 供 の 行動 に関 して, そ の叱 り方 は全 く厳 し く荒hし い ので あ る。 さ らに"孝 行"即 ち,何 世 紀 もの 間 中 国社会 に お い て最 も強調 され た価 値 は,香 港 に お いて 多 くの
(19)
親 達 に よ って 依 然 と して保 持 され て い る。 前 述 の 観 塘 住 民 調 査 は 次 の 点 を 明 らか に した の で あ る。 即 ち,世 帯 主 の67.1%は 「子 供 は 無 条 件 に,
(15)
彼 らの 両親 に服従 す べ きで あ る」 とい う事 項 に賛 同 で あ ったの で あ る。
・王一冒両
(1)黄 暉 明 「前 掲 」52〜53頁 。
(2)香 港 の 大 規 模 工 業 住 宅 ・団 地 地 区 の 中 国 人 家 族818世 帯 に 関 す る 「観 塘 住 民 調 査 」 か ら み る と,10人 中9人 ま で が 「新 婚 夫 婦 は 彼 ら 自 身 の 小 規 模 家 族 を 形 成 し な け れ ば な ら な い 」 と い う事 項 に 賛 同 し て い る(Ng.Pe‑
droP.T."ThePeopleofKwunTongSurvey:DataBook".
AReportoftheSocialResearchCenter,TheChineseUniversity
ofHongKong.1975,pp.46.
{3)黄 暉 明 「前 掲 」53頁 。
(4>Lee,RanceP.L."ChangesintheFamilyandKinshipStru,
ctureinHongKong".ApaperpresentedattheSymposiumon
FamilyandCommunityChangesinEastAsia,heldJapanSo‑
ciologicalSociety,Japan,October1984,pp.3‑4.
(5)Cheung,FannyM.,Chau,BetsyT.W,andLam,M.C.
"AS
ummaryReportontheCaretakingFormsandStylesAmo‑
ngThreeGroupsofFamiliesinUrbanHorgKong."
ApaperpresentedattheConE'erenceonChildSocializatiorand
MentalHealth:TheCaseofChineseCulture,heldattheEast
WestCenter,Hawaii,August1984,pp.2.
(6)Lee,RanceP.L."Ibid."PP。5.
(7)Mitchell,RobertE."FamilyLifeinUrbanHongKong."
Vol.1&2.AProjectoftheUrbanFamilyLifeSurvey,Hong
Kong,1969.
(8}FamilyPlanningAssociationofHongKong,"Astudyof
HongKongSchoolYouth:ReportontheFamilyLifeEducation
Survey."x.983.
(g}Lau,S.K."PerceptionofAuthoritybyChineseAdolescents
TheCaceofHorgKong."Youth&SocietyVo1.15No.31984,
pp.259‑284.
(10) flly (12) (13) (147
Lee.RanceP.L."lbid."
Lee.RanceP.L."lbid."
黄 暉 明 「前 掲 」60頁 。
Lee.RanceP.L."lbid."
Lee.RanceP.L."lbid."
…
pp.10.
pp.11.
PP・11‑12.
香港 の中国人 家族 に関す る一 考察 (15)Ng.Pedro.P.T."lbid."pp.64.
三 中 国人 家族 をめ ぐる諸問 題
←)婦 女 に 関 す る 問 題
過 去25年 来,香 港 経 済 の 急 速 な発 展 と共 に 女 性 の 就 業 人 口 も 年 々 増 加 し,経 済 発 展 の た め に 男 性 と比 して 遜 色 の な い く らい の 労 働 力 を 提 供 す るに 至 っ た こ とは 前 述 の 通 りで あ る。 しか しな が ら,女 性 の 職 業 上 の 地 位 は 必 ず し も 向 上 して い な い ば か りで な く,「 二 級 労 働 力 」 と して し
か 扱 わ れ て い な い の が 現 状 で あ る。 就 業 上 の 機 会 に つ い て 見 るな らば, 男 性 は 工 業 か ら サ ー ビス 業 ・商 業 に 移 り易 い し また 移 る者 が 多 い 。61年 の 人 口統 計 で は,男 性 労 働 人 口の 半 分 が工 業 に 就 い て い た が,76年 に は38°oに 減 り,就 業 上 の 機 会 が 大 で あ る こ と を 示 し て い る 。 こ れ に 対
し女 性 の 場 合 は,逆 に製 造 業 に 集 中 さ せ られ て い る。61年 の 調 査 で は 女 性 労 働 者 の46.1°oが,71年 に は58.2°o,76年 に は59.200が 工 場 労 働 者 とな って い る。か か る傾 向 は 即 ち,就 業 上 の機 会 に お け る男 女 不 平 等 を 明 示 して い る の で あ る。 この 外,収 入 面 に お い て も相 当 な 差 が 生 じ て い る。78年 の 政 府 統 計 庭 労 働 力 調 査 に よ る と,月 収600香 港 ドル 以 下 の 女 性 は 女 性 労 働 人 口の29.7°oで,男 性 の そ れ の場 合 は9.08%,600 香 港 ドル か ら1000香 港 ドル の 女 性 は 女 性 労 働 人 口の56.5°oで,男 性 の 場 合 は46.19%で,女 性 労 働 者 は 低 収 入 階 層 に集 中 して い る こ と が わ か る(ち な み に600香 港 ドル 以 下 の 労 働 者 は16.3°o,600香 港 ドル か ら
1200香 港 ドル の労 働 者 は50%で あ った)。 にラ
教 育 は 男女 平等 を実 現 す るた め の必要 好 段 で あ る と言 わ れ るが(2)教
育 面で の 男 女平 等 状 況 は ど うで あ ろ うか。81年 の 統 計 数 字 に よ ると,
入学 適 齢 児 童 の 男女比 は52対48で あ るが,幼 児教 育 を受 け た者 の男女
比 は63対37で あ っ た。 また 小 中 学 校 教 育 を 受 け た 者 の 比 率 は 男50に 対 し 女40,高 校 お よ び 預 科 の 男 女 比 は61対39,そ し て 専 上 教 育
(Post‑SecondaryEducation)お よ び そ れ 以 上 に な る と63対37の 比
(3)
率 で あ った。 かか る数 値 か ら見 るに,小 中学 校 教 育 に おけ る 男女 の教 育 を受 け る機 会 は 比較 的 に平 等 で あ る外 は(1978年 よ り実 施 の9年 間無 料 教 育 制度 の影 響 と思 われ る),高 校 以 上 の教 育 を受 け る機 会 は2対1
の割 合 とな っ て お り,男 女 平 等 とは 程 遠 い もの を感 ぜ ざ るを得 ない。
一 方 ,家 庭 内 に視点 を転 じて み る と,こ こ数年 来 「虐妻 」(婦 女 に対 す る虐 待)事 件 の増 加 が 大 きな社会 問題 と な って い る。 香 港 婦女 協会 の 統 計 資料 だ けで も,84年1年 間 で300余 名 の 婦 女 が 夫 または 同居 の男 性 に よ り虐待 を受 け て い る(そ の内4割 が入 院 治療 が必要 で,警 察 に通
(4?
報 した 者 は3割 に す ぎな か った)。 また 社 会 福 利 署 に お い て は84年10月
(51
か ら12月 に かけ て の3ケ 月間 で306件 の通 報 を受 け て い る ので あ る。
そ の原 因 につ いて は 種hの 意 見 が述 べ られ て い るが,夫 婦 間 の意 志 疎通 の欠 落 ・家庭 を め ぐる経 済 環 境 の激 変 ・夫 婦 一方 と家 族 構成 員 と の不 和
t6)
等 が主 た る原 因で あ ろ うと言 われ て い る。 これ ら虐 妻 事件 の増 加 に対 し, まず 社 会 福利 署 は 「婦女 収 容 セ ソタ ー」 の設立 を計 画 し,ま た行 政局 は, 裁 判 所 の強制 力 の及 ぶ禁 止令 を包 括 した 「家 庭 虐待 法 令 」 を 建議 し,そ
(7)
の 法 制 化 に と りか か っ て い る。
(⇒ 青 少年 犯 罪 に関 す る問 題
香 港 で は!6歳 未満 の 青少 年 が犯 した犯罪 を青少 年 犯 罪 と呼 んで い る。
青 少 年 犯 罪 の問 題 につ い て は,既 に60年 代 の初 め特 に64年 か ら65年 に か けて,青 少年 犯 罪 の起 訴件 数 が1612名 で 全起 訴数 の19%を 占 めた
ことに よ り,関 心 を集 め て い た。青 少年 犯 罪件 数 の全 犯罪 件 数 に対 す る
割 合 で 見 て み る と,60年 は3°oで あ っ たの が,64年 には14%ま で 増
香港 の中 国人 家族 に関す る一考 察
加 した 。 そ こで 政 庁 は 同 年,青 少 年 犯 罪 問 題 に 対 処 す る作 業 グル ー プ を 設 置 した が 極 立 っ た 対 処 策 は 提 起 さ れ な か っ た 。66年 か ら割 合 は 下 降 し始 め る が,70年 代 の 初 め よ りま た 上 昇 傾 向 と な る 。 通 常 の 青 少 年 犯 罪 件 数 は 全 犯 罪 件 数 に 占 め る割 合 は,香 港 は10%と 言 わ れ る が,75年
に 一 旦7%に 下 降 した もの が,79年 に は11%,そ して80年 に は16°o
(8)
に まで 達 した の で あ る。 これ を,少 年 人 口10万 人 当 りの 起 訴 犯 罪 少 年 数 で み る と,64年 か ら78年 の 間 の 平 均 は150か ら170件 で あ っ た も の
(9}
が,79年 に は320件 へ と,さ らに80年 に は478件 へ と急 増 して い る。
青 少 年 犯 罪 の 増 加 現 象 に 対 して は,次 の 諸 点 が 取 り上 げ られ 論 議 さ れ
(10}
て い る。(→家族 制 度:家 族 構 造 の種hの 改 変 に よ り,現 代 家 族 の 婚 姻関 係 が異常 に脆 弱 とな り,離 婚 ・別 居 ・家 族 紛糾 等 を生 み,家 庭 破 壊 を増 加 させ て い る。 そ の 中で 父 母 の子 女 に対 す る愛 情 ・家 庭教 育 等 の欠 如 を 余 儀 な く され て い る。0方 また職 業 婦 人 の増 加 は,適 切 な託 児所 もな い こと も手 伝 い,子 女 に対 し緊張 感 ・衝 動性 ・不 安定 感 を生 ぜ しめや す く して い る。r家 族 関 係 と青 少 年 犯 罪 行為 」 に関 す る調 査(1979年)は,
(11)
次 の 興 味 あ る点 を 明 らか に した 。 即 ち,青 少 年 犯 罪 者 家 庭 と 非 犯 罪 者 家 庭 と の 比 較 方 式 を 採 用 した もの で あ る が,「 両 親 の 関 係 が 大 変 よ い 」 に 関 して前 者 が5.7%,後 者 は21%,「 両 親 と週 一 回 以 上 け ん か を す る」
に 関 し て は22.1%と7.9%,「 両 親 は 躾 に は あ ま り関 心 が な い 」 に 関 し て は15%と3.8%,ま た 「帰 宅 が 遅 くな る ・夜 間 外 出 ・デ ィス コへ 行
く等 に つ い て 両 親 の許 可 が 必 要 」 に つ い て は 前 者 は 後 者 よ り37.3%
か ら13.4%も 低 い 数 値 を 明 示 して い る。 ⇔ 教 育 制 度:過 度 の 試 験 お よ
び 成 績 偏 重 教 育 が もた らす 圧 迫 は,青 少 年 に 対 し学 習 意 欲 を 失 わ せ る と
共 に,そ の 精 神 的 圧 迫 は彼 らの 心 身 の 上 で の平 衡 を も失 わ せ る に 至 っ て
い る。 さ らに ま た,両 親 の子 供 た ち に 対 す る教 育 面 で の 成 功 と い う過 度
な 期 待 か ら く る圧 迫 も,付 け 加 え られ るべ きで あ ろ う。 これ に 関 して,
中学 校 生 徒 に 関 す る調 査(1983年)か らす る と,10人 中4人 まで が, 彼 ら の 両 親 か ら将 来 大 学 教 育 を 受 け る よ う期 待 され て い る の で あ る。 し か しな が ら,大 学 の1年 次 に 入 学 で き る の は,17歳 か ら20歳 の 同 世 代 の 中で わず か2.iiで あ る。 (12? ⇔ 社 会環 境:特 に 性 犯罪 ・暴 力 犯罪 等 に 強 く影 響 を及 ぼ して い るマス メデ ィアの あ り方 が指 摘 され て い る。 不 健 全 な雑 誌 ・映画 ・テ レ ビ番 組等 は,青 少 年 の学 習 動機 を喪 失 させ,青 少 年 の心理 に 不鮭 な影 響 を与 え,犯 罪 の潜 在 腰 因 を形 成 す るので あ る(13)
⇔ 老 人 扶 養 に関 す る問 題
香港 に お いて 老人 服 務(サ ー ビス)が 計 画 的 に発 展 して きた のは ,こ こ10年 来 の こ とで あ る。 この主 た る原 因 の一 つ は,政 庁 は 一貫 して老 人 の世 話 は 子 女 の責任 で あ り,政 庁 が家族 の責 任(私 的扶 養)を 肩・ 替 り す べ きで は な い とい う政 策 に固 執 した こと に あ る。 早 くは55年 に ,社 会 福 利弁 事 虚 は 年報 の 中で,老 人 の世話 は 家 族 が負 うべ き責 任 で,政 庁 は身 寄 りのな い老 人 に 服 務 を 提供 す るだけ で あ ると強調 して い る。64 年 の同 庭 年報 また65年 の福利 白書 も"香 港 は 中 国人 社 会 で あ り,中 国 人 の伝統 的価 値 観 に よ り老 人 を重視 して い るので,老 人 問 題 は 決 して深 刻 で は な い"と の立 場 か ら,家 族 の責 任 を強 調 して い る。 しか しな が ら 香 港 の老 人 を め ぐる環 境は,60年 代 に は 却 って 急 激 な変 化 が生 ず るの
(14l
で あ る。C)50年 代 よ り開 始 した工 業 化 過 程 に おい て ,効 率 と革新 が 要 求 され る中 で,次 第 に老 人 は 不 利 な立 場 に置 か れ るに至 っ た。 ある程 度 の年 齢 に達 す ると,収 入 も次 第 に減 少 しか つ再 就]職も困 難 に な って く
る。(⇒工 業 化 の進 展 と共 に,老 人 の経済 的地 位 は 低 落 し,家 族 制度 も同
時 に変 化 し小規 模 家 族形 態 を現 出 す るに至 っ た。60年 代 に な る と夫 婦
家 族 が優勢 な形 態 とな り,新 世 代 の子女 は 父栂 の 世話 を しな い とい うの
で は な い が・そ の機会 は 減 少 した。 ⇔ 都 市化 の進 んだ香 港 の居 住 環 境 は ,
香港 の中国人家 族 に関 す る一考察
著 しい 圧 迫 を生 み 出 して い る。 結 婚 した 子 女 は,客 観 的 環 境 の 制 限 に よ り父 母 と 同 居 で きず,父 母 も彼 ら と ニ ュ ー タ ウ ソに 移 りた が ら な い の で
(1励 あ る。
70年 代 に 入 る と,60歳 以 上 の 老 人 が 人 口の7 .4°oで29万 人(1971 年)に まで 達 し,ま た政 庁 の 現 金 給 付 公 的 援 助 の 受 給 者 の 半 数 以 上 が 老 人 で あ っ た こ とや,民 間 機 関 が老 人 服 務 に 乗 り出 した こ と も あ り,政 庁 は 作 業 グ ル ー プを 設 置 し(1972年),老 人 服 務 政 策 の 検 討 を 開 始 した。
同 グ ル ー プは 老 人 服 務 の発 展 の た め に 「家 居 照 顧 」 方 式 を 採 用 す る よ う 提 案 して い る。 即 ち,老 人 は 社 会 福 利 の 服 務 ・援 助 を得 な が ら,一 人 暮
し あ る い は 家 族 と同 居 の 形 で そ の 地 域 で 生 活 し,さ らに ま た そ の地 域 の
(16)
老 人 宿 舎 ・安 老 院 あ る い は 護 理 安 老 院 に 入 る こ と が 可 能 で あ る と い う こ と で あ る。 しか しな が ら,77年 の統 計 か ら見 る と,60歳 以 上 の 老 人40 万 人(全 人 口の8.9°o)に 対 し,老 人 宿 舎 ・安 老 院 ・護 理 安 老 院 に 収 容 で き る の は,わ ず か3516人 に しか す ぎな か っ た 。 そ して85年 に至 っ て も,60歳 以 上 の老 人60万 人(全 人 口の11%)に 対 し,同 施 設 へ の収 容 能 力 は わ ず か6800人 で あ り,老 人 服 務 政 策 実 施 の立 ち 遅 れ が 強 く指
(171
摘 され て い る。
・王昌一一口