第1章 序論
1.1 研究目的
製品開発活動は企業活動の要であり[1],常に顧客要求を適切に把握して,
タイミングよく満足度の高い製品に仕上げていく能力が要求される.通常は「分 析(Analysis)」,「総合(創造)(Synthesis)」,そして「評価(Evaluation)」を幾度か繰返 しながら,設計案を具体化していく.これがデザイン・プロセスの基本型[2]
といってもよいだろう.具体的に言えば,「分析段階」で顧客要求と企業目標を 明確にし,「総合化段階」では顧客要求を実現できるようなアイデアをあらゆる 角度から検討し,それらの組合せによって複数の製品設計案を作成していく.
そして「評価段階」で各顧客要求と企業目標から導いた各評価項目に照らし合わ せて評価し,最適な製品設計案を選択するのである.
しかし,限られた活動時間内で顧客要求事項に適合し且つ企業目標にも合致 した最適な製品設計案を具現化していく事は極めて難しい.その主な理由は2 つほどあり,1つは「革新的な設計案を生み出す創造力の欠如」[3]であり,今1 つは「最適案を合理的に選択するための意思決定能力が不十分」[4]なことであ る.特に,構想設計段階では個々の技術者の経験に負う部分が多く業務の自由 度も高い(特にアイデア発想のメインであるSynthesis段階)ので,なおさら上述 した2つの能力は欠かすことができない.しかも構想設計段階は,製品の仕様・
品質の決定率が高く,製品コストの大半(70〜80%程度)が決定づけられる[5],
[6]段階でもあるので,効果的な代替案評価法を準備する必然性は高いといえる.
しかしその一方で,構想設計案は設計ニーズ(要求機能)に見合った設計案の 総括的な概念レベルに対応している[7]ので,具体的な設計パラメータで客観的 評価を行うことは困難である.したがって,設計技術者が保有する過去の経験・
知識に基づいた主観的評価が主流にならざるを得ない.
そこで本研究では,2つ目の課題(意思決定能力の向上)に焦点を絞り,「評価 者(設計技術者)の保有する評価能力を効果的に発揮できる構想設計案評価法」
について提案するものである.
なお,構想設計段階では,前述したようにコストの決定率が高いので,コスト と要求機能(達成技術)とのバランスを保証した設計案の検討は必要不可欠であ
る.このような背景から,構想設計段階でVE注1) (Value Engineering:価値工学) を活用するケースも多い.したがって,本研究で提案する「構想設計案評価法」
は,主にVE活動を通して検討した構想設計案の評価手法として有効かつ実務的 であることを目指すものである.本研究の対象段階を概念図上で示すと図 1.1 のようになる.なお提案評価法は,プロトタイプ(現行品,試作など)が存在し,
改善型製品を前提とした代替案に対する評価を前提としている.
客観的評価 (データ領域)
主観的評価 (曖昧領域)
大
小 大
小 構 想 設 計 段 階
詳 細 設 計 段 階 本研究の対象段階
VE(Value Engineering)の活用が多い
【背景】
コストと機能のバランスを考えた設計案 の検討の必要性
図 1.1 本研究の対象段階
1.2 本研究領域
VE とは,効率的な開発設計業務に欠かせない管理技術の一つであり,許容 原価(目標コスト)以内で要求機能達成のアイデアを創造し,価値の高い設計案 に具現化していくための手法である.特に構想設計案の検討で活用するVEを
「設計VE」と呼称する場合もある.VEの基本実施手順も前述したデザイン・プ
ロ セ ス を そ の 基 本 型 と し て お り ,VE の 場 合 に は , 「 機 能 分 析(Functional Analysis)」,「創造( Creation)」,そして「評価・決定(Evaluation)」が基本ステップ として対応している.さらにこの基本ステップはそれぞれ具体的な作業ステッ プに細分化される.このステップを整理すると図 1.2のようになる.
本研究領域は評価・決定段階(基本ステップの3段階目)の「構想設計案の評 価・決定」に対応しており,この作業ステップ(設計VEの最後の作業ステップ) で提案評価法を活用することになる.
ところで,最近VEの有効な代替案評価法として「AHP (Analytic Hierarchy
Process) 」を積極的に活用する場面が多い[8]が,この主な理由は各評価項目や 代替案の重要度,さらにはその結果検証に至るまで表計算ソフトで容易に算出 でき,実務的な効果が大きいからである.このような評価法は今までVEではな かったといってよい.このような背景から,構想設計段階で一層有効な代替案 評価法として提案評価法をAHPに基づいて開発している.
製品企画案 企画要求機能の定義 機能系統図の作成
開発設計目標コストの設定 基本構想アイデアの発想 基本構想アイデアの概略評価 構想設計案の具体化・構成化
構想設計案の評価・決定
構想設計図
機能分析
【構想設計段階】
創造評価・決定
最適な構想設計案の評価 本研究の対象領域
︻ 設 計
VE プロ セ ス ︼
各機能別アイデアの組合せ検討後,複数の構想設計案の作成 構想別アイデアの荒ぶるい
各必要機能毎に機能達成アイデア発想 必要機能への目標コスト配分
各要求機能の“目的−手段”論理での体系化 企画要求機能の明確化
図 1.2 設計 VE の作業ステップと本研究の領域
1.3 構想設計案の評価・決定上の主な課題
VE活動では通常,「構想設計案の評価・決定」の前段ステップである「構想設 計案の具体化・構成化」の中で,各検討機能別アイデアを全体案(構想設計案レ ベル)に洗練化するための組合せ作業を行う.したがって,検討機能が多数存在 するケースでは,必然的に構想設計案も多数作成される傾向が強い.
またVE活動はグループ単位(通常は4〜6名程度の設計技術者のプロジェク
ト活動)で検討するケースが多いので,構想設計案をグループで評価する際には 以下のような課題が顕在化してくる.
●グループでの検討が多いので,個々人の評価感覚の印象度(良い−普通−悪 いなど)の統一・集約を行なう必要がある.
●構想設計案が多数存在する場合でも,グループで効率的(限られた時間内) に評価作業を行う必要がある.
以上のような状況から,「構想設計案の評価・決定」では,上述した課題を解 消しながら,多数ある構想設計案の中から有望な構想設計案(1つないしは少 数)を抽出する評価活動を実現しなければならない.
さらに,有望な構想設計案がチーム内ですんなりと1つに絞り込める場合は いいが,場合によっては抽出された少数の有望構想設計案の中から,最優先案 を選択する段階で最終的な判断がチームリーダー(主査)に委ねられるケースも 多い.このような状況下では以下のような課題が顕在化することがある.
●構想設計案の評価結果に評価者自らが矛盾(評価の整合性が悪い)を感じ,
自らの評価結果に納得せずに,デザイン・レビュー (設計審査) 注2)を前にし て再吟味(再評価)の必要を感じる.
このように評価時の意思決定状況を大きく2タイプに区分することによって,
各々の評価時の独自課題を明確に整理することが可能になる.
なお,検討機能が少数の場合(小規模な製品やユニットレベル想定)は,少数 の構想設計案評価になる傾向が強いので,評価作業上の問題は特にないと想定 しているが,場合によっては2つめの課題(少数の構想設計案の中から最優先案 を選択する段階で最終判断がチームリーダーに委ねられるケースでの課題)が 顕在化する可能性はある.
このように,初めに多数の代替案のなかから少数の有力候補への絞込みを行 った後に限られた数の代替案をより詳しく調べるという形で,意思決定を2段
階に分けて行うことが多い.この状況を整理すると図 1.3 のようになる.
意思決定状況 (その2)の課題
意思決定状況 (その1)の課題
リーダーが最優先案を選択する際に,代替 案の評価結果に矛盾を感じ,設計審査を 前に評価結果に納得せずに再吟味が必要 F1(検討機能1)
F2(検討機能2)
Fn(検討機能n)
Idea(1)
構想設計案の具体化・構成化
Idea(2) Idea(3) ……
Idea(1) Idea(2) Idea(3)
Idea(n) Idea(2)
Idea(1) ……
……
多数の構想設計案
構想設計案の評価・決定 有望な構想設計案
(少数の構想設計案)
…
各機能別アイデアの 組合せパターン
最優先案は? 設計審査で有効性説明へ グループでの検討が多いので個々 人の評価感覚の統一・集約が必要 検討機能が多い場合は構想設計案 数も多数
図 1.3 構想設計案の業ステップと本研究の領域
1.4 本研究の全体枠組
本研究の全体的な枠組みを簡潔に言うと,前節で言及した「構想設計案の評 価・決定」上の2タイプの意思決定状況に対して,より相応しい構想設計案評価 法を開発し,その有効性について事例研究等を通して検証することである.
したがって,本研究ではそれぞれの意思決定状況毎の課題に対処できる2タ イプの構想設計案評価法について提案するものである.
なお,本研究の全体枠組を整理すると図 1.4 のようになる.
人による評価感覚の印象を示す言 語(良い−悪い等)のばらつき大
グループ効用関数による評価法 記述型AHP法による評価法
評価者自身の評価構造の信頼性 に対する疑問
評価結果に対して評価者の“再吟 味”必要
曖昧領域が 大きい
【構想設計案の評価段階】
グループ単位の評価では “評価 感覚”の共有化必要
評価結果に至る構造の明確化
評価結果に至る構造の整理
評価者の評価に至る構造の顕在 化と結果修正による納得性向上 評価感覚言語の印象度の統一
メンバー全員の評価感覚の統一化 (効用関数の設定)
メンバー全員の合意による評価 の実現
評価法の着目点は?
提案するアイデア は何か?
有効点は?
評価の整合性
評価基準と代替 案との偏差
当該評価項目の重要度修正 評価結果の修正機能の付加
良 悪
重要度大 重要度小
同 じ
大 小
意思決定状況(その1)の課題に対応 意思決定状況(その2)の課題に対応
図 1.4 本研究の全体枠組
図 1.4 の対応で言えば,前半で触れた意思決定状況(図 1.3 上では意思決 定状況(その1)の課題)に対応する評価法として「グループ効用関数による評価 法」を,後半部((図 1.3 上では意思決定状況(その 2)の課題)に対応する評価法 として「記述型AHPによる評価法」を提案することになる.
この2つの評価法は,実際の適用場面の状況(主に VE 活動)を考慮すると,図 1.3 に示すように2段階式に活用するのが実務的には最も馴染むが,個々の意 思決定状況によっては当然個別に活用することも可能である.実際,本論文で 紹介する両評価法の適用事例(第4章,第6章参照のこと)は,事例上の制約(適 用時期の相違)から,それぞれ独立の扱いになっている.
また,両評価法を実践活動で活用する場合には,前述したように代替案に対 応する現行品(あるいはプロトタイプ)が必ず存在することを前提にしている.
すなわち代替案は改善型製品であり,革新的な新製品タイプは想定していない.
したがって,本提案評価法は現行品以上に価値ある代替案が検討された後で,
現行品に代わるより有望な代替案を選択するという前提で活用するものである.
1.5 本論文の構成
本論文の構成を要約すると図1.5のようになる.
第2章 従来研究と本研究の概要 2.1 緒言
2.2 従来の代表的な評価法
第3章 グループ効用関数による評価法
2.3 本研究の概要
2.3.1 グループ効用関数による評価法 2.3.2 記述型AHPによる評価法
2.4 提案評価法の優位点
の理論と実施手順
3.1 グループAHPによる従来の主な評価法 3.2 本評価法の展開理論
3.3 本評価法の実施手順
第5章 記述型AHPによる評価法の理論と 実施手順
5.1 改良AHPによる従来の主な評価法 5.2 本評価法の理論
5.3 本評価法の実施手順
第4章 グループ効用関数による評価法 の適用事例
4.1 適用事例の概要 4.2 適用結果 4.3 結果考察
第6章 記述型AHPによる評価法の適用事例 6.1 適用事例の概要
6.2 適用結果 6.3 結果考察
第7章 結論と今後の課題
図 1.5 本論文の全体構成図
第2章では最初に,従来から構想設計案評価法として実務的によく活用され てきた代表的手法について紹介し,その有効性や課題について整理する.
そしてその後で,本論文で提案する2つの評価法(「グループ効用関数による 評価法」,「記述型 AHP による評価法」)の概要を述べ,最後に現在最も活用頻 度の高い従来評価法である AHP(“従来型 AHP”と呼称する場合もある)との 比較整理を通して提案評価法の主な優位点を明確にする.
第 3 章では,前章で概要を述べた提案手法の一つである「グループ効用関数 による評価法」の理論的な特徴と実際の実施手順について言及する.
なお,本提案手法はあくまでも AHP を元に開発した手法なので,従来研究 として第2章では触れていない「グループ AHP 法」による主な従来評価法につ いても考察し,今回提案する評価法の優位性について述べる.
第4章では,グループ効用関数による評価法を実際の場面で実施した適用例 について紹介する.そしてこの適用結果の考察を通して本手法がグループによ る構想設計案評価法として有効である点を改めて確認・検証する.
第5章では,第2章で触れたもう一つの提案手法である「記述型AHPによる 評価法」の理論的な特徴と実際の実施手順について説明する.
なお,本提案手法もAHPを改善した意思決定手法なので,他の改良型AHP との比較を通して本評価法のユニーク性について触れる.
第6章では,記述型 AHP による評価法を適用した事例について紹介する.
そしてその適用結果を通して,本評価手法は構想設計案がある程度集約された 段階で,最終的な意思決定が特定のキーパーソン(プロジェクト・リーダーなど) に委ねられたケースで特に有効である点を確認・検証する.
第7章では,本論文全体のまとめを行い,得られた成果を整理する.次に各 提案評価法の解決すべき今後の課題を明確にし,構想設計案評価法としての今 後の発展の可能性を探る.
注2) デザイン・レビュー(Design Review)
日本語では設計審査と訳される.製品の設計品質について設計部門のみならず,
製造,生産技術,品質管理部門等の他部門の責任者も集まり,事前に改善点な ども提案し,次の段階に進みうる状態であることを確認・承認するための設計 案の検討活動である.
注1) VE(Value Engineering)
製品やサービスの果たすべき機能や役割を顧客の立場から考えることによって,
コストダウンやより付加価値の高い製品・サービスの実現をめざすデザイン・ア プローチに基づいた管理技術である.日本語では価値工学と訳される.