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マダガスカル北部 -- イスラームの祭りジアーラ ( フォト・エッセイ)

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Academic year: 2022

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マダガスカル北部 ‑‑ イスラームの祭りジアーラ ( フォト・エッセイ)

著者 堀内 志保, 堀内 孝

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization (IDE‑JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名 アジ研ワールド・トレンド

巻 150

ページ 53‑56

発行年 2008‑03

出版者 日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL http://doi.org/10.20561/00046985

(2)

マダガスカルはアフリカ大陸の南東沖︑インド洋に浮かぶ島だ︒島の中央部︑中央高地に位置する首都アンタナナリヴから飛行機で北へ飛ぶ︒マダガスカル島は日本の一・六倍ほどの面積がある︒直行便なら約一時間半で最北の町︑ディエゴ・スアレスに到着する︒空港からディエゴの町の中心へ向かう︒タクシーのカーステレオからは賑やかなダンスミュージック︑サレーギが聞こえてくる︒焼け付くような日差しと暑さの中︑白い建物やモスクの前を色鮮やかな衣装の女性たちが道を行きかう︒フランス植民地時代を思い起こさせる洋風の建物がたち並び︑キリスト教の教会が点在する首都とはまったく違う世界にやってきた気分になる︒ディエゴから車で南西へ三時間ほど走る︒舗装道はマダガスカルでは珍しく快適で︑道はマダガスカルでは珍しく快適で︑はマダガスカルでは珍しく快適で︑道沿いでカシューナッツやジャックフルーツが売られているのを眺めるのも楽しい︒アンビルベはマハヴァーヴィ川沿いの町だ︒ジャカランダの並木が美しく︑町の中心には市場と教会がたつ︒最北の町ディエゴとバニラの産地で知られる北西部のヴへマール方面へ向かう幹線道の分岐点にあたり︑交通の要所でもある︒アンビルベに暮らすのは主にアンタンカラナ族の人びとだ︒アンタンカラナとは︑彼らの居住地にちなみ﹁白い岩の人びと﹂を意味する︒一九世紀︑アンタンカラナの王ツィミアロ一世は︑中央高地で興ったメリナ王国の

聖者の墓の前で、人びとを鼓舞し熱狂的に踊る

■ フォト・エッセイ ■

マダガスカル北部

──イスラームの祭りジアーラ──

写真

堀内志保 堀内 孝

Shiho Horiuchi Takashi Horiuchi

(3)

アフリカ

マダガスカル

マダガスカル

モザンビーク

アンタナナリヴ ヌシ・ベ アンビルベ

コモロ

アンジュアン島 ディエゴ・スアレス

アニーヴラーノ

攻撃から逃れるために祈願をかけ︑イスラームに改宗したという︒一九世紀終わりのムに改宗したという︒一九世紀終わりのフランス植民地時代には︑コモロを経由してイスラーム神秘主義のシャドゥリ教団がーム神秘主義のシャドゥリ教団がム神秘主義のシャドゥリ教団が入り︑熱狂的な儀礼を仲立ちにイスラームームムへの改宗が進んだ︒マダガスカルにイスラームを布教した教ームを布教した教ムを布教した教団の指導者たちは︑神秘的な力による名声によって死後︑聖者として扱われ︑教団員たちがその命日に墓を詣でる儀礼︑ジアーラを行うようになった︒特に毎年一一月︑父の後を継ぎコモロのアンジュアン島からやってきた指導者︑サイイド・アブドゥラマン・サカフ︵一九六五年没︶の墓を詣でるアンビルベのジアーラが知られている︒一一月初め︑アンビルベのイスラム協会はジアーラの準備で賑わっていた︒アンビルベのジアーラは︑マダガスカル北部の各地で行われるジアーラのトリを飾るものだ︒北部各地から集まった女性たちは︑祭りでふるまう料理の支度をしていた︒色とりどりの巻きスカートを身につけ︑頭にも布をかぶり︑ピアスや腕輪︑ネックレスなどありったけの装飾品をつけ華やかだ︒今回のジアーラのために三頭もの牛が屠られた︒大鍋ではぐつぐつと牛肉が煮込まれ︑米も豪快に炊かれていた︒アンビルベに程近いアニーヴラーノは︑日本で言うなら﹁魚沼産コシヒカリ﹂にあたる米どころだ︒アフリカ大陸に近いマダガスカル島だが︑人びとは実にたくさんの米を食べる︒

一晩中踊り続けた男性たちは、聖者の墓がある建物の前で、活気あふれるステップを踏んでいた

PHOTO ESSAY マダ

ガスカル/Madagascar

(4)

皿に山盛りにしたご飯にトマトソースで味をつけた少しのおかずをのせ︑スプーンですくい口いっぱいにほおばるのが定番だ︒女性たちの中には︑顔に黄色の点と曲線が美しいデッサンを施した人もいた︒マダガスカル北西部の沖に浮かぶリゾート島︑ヌシ・べから祭りにやってきた女性たちから︑この化粧を習った︒市場で売られている木片を専用の石ですって水を加え︑顔に模様を描く︒水分が蒸発する際にすうーっとして心地よく︑肌がつるつるになる︒日焼けを防ぐ効果もあるという︒男性たちは頭に帽子をかぶり︑長い衣服をまとって金曜モスクに集っていた︒もちろん中に女性が入ることは許されない︒全ての人が用意された食事を終えたのは夜がふけてからだった︒そしていよいよダヒーラが始まった︒ダヒーラは神秘主義的なダンスの集会で︑シャドゥリ教団の主要な実践としてマダガスカル北部地方に広まった︒亡くなった聖者の記念やジアーラの際に︑教団員が集まり夜通し聖歌を歌う︒金曜モスクの前では男性たちが輪になり︑上下に飛び跳ねダイナミックなダンスをしていた︒中央には指揮をとる人がいて︑集団を鼓舞し盛り上げる︒裸電球の明かりに照らされ浮かびあがる男性たちの白い帽子と白く長い衣服が印象的だ︒男性たちのダヒーラが動であるなら︑女性たちのそれは静である︒女性たちはイスラーム教会の広場を埋めつくすように座り︑ーム教会の広場を埋めつくすように座り︑ム教会の広場を埋めつくすように座り︑教会の広場を埋めつくすように座り︑の広場を埋めつくすように座り︑

晴れの衣装を身につけた女性たちが、大鍋いっぱいの米を炊く 墓を前に、高々と教団の旗が掲げられた

女性たちは、建物の外から祈りを捧げた

建物の内部では聖者の墓を前に荘厳な雰囲気に包まれ、祈りが捧げられていた

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一晩中歌いあかした︒出身地ごとのグループで異なる衣装を身につけ︑独特の節回しのアカペラをグループごとに歌いつないでいく︒女性たちのまとめ役の許しを得て二枚の布を借り︑一枚は頭に︑一枚は腰に巻いて女性たちの輪の中に入れてもらった︒グループごとに歌い継ぐ歌のうねりが遠くなったり近くなったりを繰り返し︑歌の波と女性たちの静かな熱気が︑夜の深い闇の中で体の底へと響いてくるのを感じた︒長い夜が明けると︑人びとは町外れにある墓地へと向かった︒聖者の墓がおさめられた建物のまわりでは︑二カ所で男性たちの輪が作られ︑躍動感あふれるダヒーラが続いていた︒マダガスカル特有の抜けるような青空と白い墓の建物︑そして長い衣装に身を包み熱く踊る男性たちのコントラストは︑夜とはまた違う美しさと感動がある︒男性たちは順に建物の中に入り︑彼らの偉大なる指導者サカフの墓を詣でた︒外では華やかないでたちの女性たちが︑一心に祈りを捧げていた︒聖者の墓参りが終わると︑人びとはそれぞれゆかりの墓を詣でた︒家族が集い墓の前で祈る姿は︑どこか日本の彼岸の墓参りを思い起こさせる︒夜を徹して行われた祭りが終わった︒男性たちは踊り︑歌い続けながら︑列をなして朝の町へと帰っていった︒︵ほりうち しほ/フリーライター・ほりうち たかし/写真家︶

北部の儀礼では、東南アジアを起源とする楽器、ヴァリーハが演奏される

最北の町、ディエゴ・スアレスでは、モスクが点在している

コバルトブルーの海が美しいマダガスカル最北のディエゴ湾。海の向こうにヌシ・ルン ザを望む

マダガスカル北部の町を歩くと、男性たちが覚醒作用のあるカートを楽しんでいる光景によく出会う

参照

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