駒澤大學佛敎學部硏究紀第六十九號 成二十三年三月
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について
︱特に﹃大乘起世論﹄との關連を中心に
程
正
一、
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄に關する從來の研究
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄ ︵以下、 ﹃頓悟眞宗論﹄ ︶は、慧光居士と大照禪師との問答という形式 1 に仕立てられ、その 内容が初期禪宗の頓悟思想をあらわしたものとして、最も注目を集めてきた敦煌禪宗文獻の一つである。 ところで一九〇〇年に敦煌文獻が發見され、 その研究が進展するまでの長い間、 一〇〇四年に成立した﹃景德傳燈録﹄ ︵三〇卷︶をはじめとするすべての禪宗燈史によって説かれてきた初期禪宗における ﹁南頓北漸﹂の圖式が定着し 、そ れが常識とされてきた 。こうした先入觀にとらわれたのか 、﹁頓悟﹂というキーワードを標題にもつ本書は 、敦煌文獻 の發見された當初から、南宗禪のものであるとされてきた。ところが、その後﹃頓悟眞宗論﹄と酷似する序文やタイト ルをもつ ﹃頓悟眞宗金剛般若修行達彼岸法門要決﹄ ︵以下 、﹃頓悟眞宗要決﹄ ︶という敦煌禪宗文獻が發見され 、この兩 者に對する研究が進むにつれ、從來南宗の特色とされていた﹁頓悟﹂思想が、實は﹁北宗﹂にも存在していたことが明 らかになった。 すなわち、まず柳田聖山氏は、兩者の序文が酷似していることやタイトルに共通する﹁頓悟眞宗﹂のキーワードを有 することなどから 、兩者が密接な關係にあるとしたうえで 、﹁いずれか一方が 、その様式を承けたに相違ない﹂ 2 と指摘 された。さらにこの兩者の前後關係については、柳田氏は南宗の神會が主張する頓悟思想の刺激を承け、後期の北宗に おいて先に成立したのが ﹃頓悟眞宗論﹄であり 、さらにこれを承けてその構成をまねて成立したのが ﹃頓悟眞宗要決﹄ である 3 、という見解を示された。 一二一
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ また田中良昭氏は 、﹃頓悟眞宗論﹄が北宗の祖とされる神秀に歸せられる ﹃觀心論﹄と密接に關係することから 、こ の書の北宗撰述説 4 を主張し、柳田氏の説を擁護されたのである。 ところが、この柳田、田中の兩氏によって示された、神會︵六八四∼七五八︶の力説した﹁頓悟﹂思想に刺激された 後期の北宗おいて、 神會の主張を巧みに取り込んで、 まず ﹃頓悟眞宗論﹄ が成立し、 そしてこれをまねて成立したのが ﹃頓 悟眞宗要決﹄であるという見解に對し、伊吹敦氏が異議 5 を唱えられた。すなわち、伊吹氏は獨自の調査を行い、まず當 時新刊の叢書である ﹃北京圖書館藏中國歴代石刻拓本匯編﹄ ︵北京圖書館金石組編 、一九八九∼一九九〇年 、中州古籍 出版社︶に﹃頓悟眞宗要決﹄の著者と目される侯莫陳琰︵六六〇∼七一四︶のために崔寛の撰した﹃六度寺侯莫陳大師 壽塔銘文並序﹄ 6 ︵以下 、﹃ 壽塔銘﹄ ︶と呼ばれる塔銘が存在することに注目し 、それによって ﹃頓悟眞宗要決﹄の成立を 七一二年 、侯莫陳琰の生卒を六六〇∼七一四年と特定した上で 、﹃頓悟眞宗要決﹄が ﹃頓悟眞宗論﹄に先行して成立し たのみならず、 神會が慧能の思想として宣揚した﹁頓悟﹂そのものも、 實は慧能によったものではなく、 ﹃頓悟眞宗要決﹄ の著者である北宗の侯莫陳琰から思想的影響を受けて形成されたものである、という斬新な見解を示された。こうした 伊吹氏の新説は、長年にわたって考えられてきた﹁南頓北漸﹂の枠組みを大きく轉換するもので、黎明期の中國禪にお いて最も重要な思想的特色の一つとされる﹁頓悟﹂説の成立に大きな波紋を投げかけたのである。 一方、本書が敦煌より出現した當初から注目を集めたもう一つの理由は、その内容の複雜さにあったと思われる。す なわち 、﹃ 頓悟眞宗論﹄には 、それに先行する種々の文獻から多くの引用が含まれているのである 。從來 、その引用の 元となるものについては、 前述した﹃頓悟眞宗要決﹄ 、﹃觀心論﹄のほかに、 柳田氏は智 の﹃般若心經疏﹄ 、﹃修心要論 7 ﹄ 、 田中氏は ﹃楞伽師資記﹄ 8 、伊吹氏は ﹃大乘無生方便門﹄ 、﹃ 諸經要抄﹄ 9 のあることをそれぞれ指摘されている 。さらに最 近の研究によって 、﹃頓悟眞宗論﹄の引用の元となった二種の文獻の存在が明らかにされたのである 。すなわち 、西口 芳男氏の ﹁上圖一三八 V 佛教問答と ﹃頓悟眞宗論﹄ ﹂と題する論文 10 によれば 、西口氏は ﹃頓悟眞宗論﹄に先行する ﹃金 剛般若經挟注 ︵假題︶ ﹄︵ S 二〇六八 、大正藏卷八五所收︶の該當箇所を指摘した上で 、上海圖書館藏敦煌吐魯番文獻 一三八 V ︵以下、上圖一三八 V ︶に﹃頓悟眞宗論﹄の主要部分が含まれていることを突き止められたのである。ただ殘 念なことは、卷子本の上圖一三八 V が 首尾をともに缺いているために、その本來のタイトルがわからず、その異本の存 在もまったく知られていなかったことである。 一二二
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ しかし 、西口氏はこうした種々の不利な条件にもかかわらず 、上圖一三八 V の 缺損部分を含めて 、﹃ 頓悟眞宗論﹄に 關連する内容がどこからなのかを見事に預想して、その内容からすれば、上圖一三八 V が三論宗の吉藏の思想に近い立 場にあるものであるとし 、﹁牛頭宗興起以前の三論を受ける實踐者のグループの資料ではないか﹂と推定され 、さらに この首尾をともに缺く上圖一三八 V の本文を校訂し、訓註を施されているのである。
二、
﹃大乘起世論﹄について
敦煌文獻の發見當初から、つねに研究者から熱い視線を浴び續けてきた﹃頓悟眞宗論﹄とは對照的に、ここで新たに 取り上げる ﹃大乘起世論﹄はすこぶる冷遇されてきたと言わざるをえない 。管見による限り 、いち早く ﹃大乘起世論﹄ に言及されたのは田中良昭、上山大峻の兩氏である。 まず、田中氏はペリオ本﹃天竹國菩提達摩禪師論﹄ ︵ P 二〇三九號︶を紹介するに際し、 ﹃大乘起世論﹄がそれに續い て連寫されているものとしてはじめてその存在に觸れたのである 11 。田中氏は P 二〇三九號に關する書誌的情報を次のよ うに紹介されている。 この P 二〇三九は 、縱二九 ・ 五 センチ 、横一五八〇センチの極めて長い卷子本で 、紙は比較的厚めの白っぽい淡黄色紙 、 表は罫入りで最初に﹁淨土寺藏經﹂の印があり、三八紙一二七二行、裏は表の最後に當る第三八紙より第一一紙までの二八 紙六五三行からなる。 ︵一九六∼一九七頁︶ しかし田中氏は、 P 二〇三九號の裏の第三紙六行から第八紙にかけて書寫された﹃大乘起世論﹄については、その冒 頭數行の本文を紹介されたものの 、あくまでも ﹃天竹國菩提達摩禪師論﹄に焦點を當てていたために 、﹃大乘起世論﹄ が禪宗文獻であるか否かについてはまったく言及されていない。 一方、上山氏は﹃大乘起世論﹄を含む P 二〇三九號寫本の形態について、次のように述べられている 12 。 ﹃天竺國菩提達摩禪師論﹄の寫本は、 P ch二〇三九 Vの中に見出される。 ︵ a︶ ﹁天竹國菩提達摩禪師論一卷﹂ ︵ c︶ ﹁三界唯心無外境論一卷﹂ ︵ b︶﹁大乘起世論一卷﹂ ︵ d︶ ﹁金剛經讃一卷﹂ 一二三﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ これらは 、法成述 ・談迅福慧筆録の ﹁瑜伽論第四十四分門記﹂の裏面に寫されたものである 。この ﹃瑜伽師地論﹄卷 四十四の講義は 、大中十二年 ︵八五八︶に行われたことがわかっており 13 、したがって禪寫本はそれ以後 、相當年月を經た 九〇〇年以後と推定される。 ︵四一八頁︶ その後、 ﹃大乘起世論﹄ に關する研究は長い停滞期に入ったが、 こうした閉塞的状況を打破したのが、 方廣 䦞 氏主編の ﹃藏 外佛教文獻﹄第三輯の刊行である 14 。すなわち、この書には、方廣 䦞 氏による﹃大乘起世論﹄の本文校訂と簡單な解題が 收録されており、ここにいたって﹃大乘起世論﹄は、はじめて方氏によって禪宗文獻であるという明確な位置づけがな されたのである 15 。方氏の解題によれば 、﹃ 大乘起世論﹄は 、そのテキストが P 二〇三九號の一種のみで 、その書寫年代 は凡そ九世紀前半とし、さらに思想面においても文體面においても、色濃く南宗禪の色彩を帯び、恐らく慧能系統の禪 者によったものであろうと推定されたのである。
三、
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄と﹃大乘起世論﹄との關連性について
以上 、﹃ 頓悟眞宗論﹄と ﹃ 大乘起世論﹄の二種の初期禪宗文獻に關する從來の研究状況についてみてきた 。そこで以 下この兩者のテキストを紹介しながら、この兩者がいかなる關連性を持っているのかについて考察することにしたい。 まず﹃頓悟眞宗論﹄のテキストについては、從來次の二種が知られている。 一、 P 二一六二號︵首尾完全なもの、ただし一部脱字がある︶ 16 二、 S 四二八六號︵首部三六行からなる斷簡 ︶ 17 その後、田中良昭氏が P 二一六二號を底本とし、 S 四二八六號、大正藏本、金九經校訂本、鈴木大拙校訂本の四種を 校本に用いて新たな本書のテキスト校訂を行い、これを三一段にわけて和譯、校注を付し、その成果を﹁校注和譯﹃大 乘開心顯性頓悟眞宗論 ﹄﹂ ︵﹃松ヶ岡文庫研究年報﹄第三號、一九八九年︶と題して發表された 18 。 ところで、 筆者は、 方廣 䦞 編﹃英國圖書館藏敦煌遺書目録 斯 6981 號∼斯 8400 號﹄を調査したところ、 そこから﹃頓 悟眞宗論﹄の新たな異本一種を發見したのである 19 。すなわち、 三、 S 七八五〇號︵田中校訂本の一〇∼一三、 一四段の内容に相當する四〇行からなる斷簡︶ 一二四﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ である 。 S 七八五〇號の形態については 、方氏の紹介によれば 、三紙を貼り合わせたもので 、幅二九 ・ 一センチ 、長さ 七五センチの殘卷に一行凡そ一九字で書寫されており、 合わせて約四〇行の内容が殘されているが、 破損が激しいため、 最初の二一行の下部と、最後の四行の上下部ともに缺けているという。 20 ただ 、方氏はこれを ﹃頓悟眞宗論﹄ではなく 、﹃大乘起世論﹄の異本としていた 。こうした方氏の見解に疑問を感じ た筆者が精査した結果、 S 七八〇五號は﹃大乘起世論﹄ではなく、紛れもなく﹃頓悟眞宗論﹄の一異本であることが判 明したのである。方氏の見解とは正反對であるが、これがきっかけとなり、筆者ははじめて﹃大乘起世論﹄と﹃頓悟眞 宗論﹄との密接な關係に氣づいたのである。 さらに、 筆者は二〇〇五年より刊行繼續中のシリーズである﹃國家圖書館藏敦煌遺書﹄の第一〇六册に﹃頓悟眞宗論﹄ の異本一種が含まれていることに氣づいたのである。 21 すなわち、 四、 BD 〇九六九〇號︵坐〇一一號︶ ︵田中校訂本の第九段の内容にほぼ相當する一七行からなる斷簡 ︶ 22 である。 BD 〇九六九〇號の形態については、 ﹃國家圖書館藏敦煌遺書﹄第一〇六册の卷末に付されている﹁條記目録﹂ によれば 、二紙を貼り合わせたもので 、縱が二八 ・ 八センチ 、横の最も長いところが一〇 ・ 九センチの殘卷に一行凡そ 二〇字で書寫されており、合わせて約一七行が殘されているが、首尾ともに缺けており、全卷に朱で記號がつけられて いて、おそらく、吐蕃支配期の寫本であろうということである。 一方 、 ﹃大乘起世論﹄については 、前述したようにその存在が知られてからの長い間 、一種のみが知られていた 。 すなわち、 一、 P 二〇三九號︵完本 ︶ 23 である。このほかに、西口芳男氏によって﹃大乘起世論﹄との類似性が指摘されている上圖一三八 V があるが、これは 首尾ともに缺いているためにそのタイトルが不明である。そこで、 筆者が上圖一三八 V と P 二〇三九號の﹃大乘起世論﹄ とを對照した結果、上圖一三八 V が實は﹃大乘起世論﹄の異本であることが明らかになったのである。すなわち、 二、上圖一三八 V ︵首尾缺 ︶ 24 も﹃大乘起世論﹄の異本なのである。 以上により、前述の西口氏が上圖一三八 V を﹁牛頭宗興起以前の三論を受ける實踐者のグループの資料﹂とされた見 一二五
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ 解は、そのまま﹃大乘起世論﹄にあてはまることが可能となるであろう。 ところで 、﹃ 頓悟眞宗論﹄と ﹃ 大乘起世論﹄の二種の敦煌禪宗文獻の關係を論じるにあたり 、無視することのできな い極めて重要な指摘のあることを紹介したい。それは衣川賢次氏の﹁唐玄宗﹃御注金剛般若經﹄的復元與研究﹂と題す る中國語で書かれた論文 25 の存することである。衣川氏のこの論文は、房山石經本︵完本、但し磨滅や缺損あり︶を底本 とし 、 S 二〇六八號 ︵首尾を缺く斷簡︶ 、 ドイツ國家圖書館藏一〇三七號 ︵一一行の殘卷︶及び三〇三號 ︵僅か三行の 殘卷︶を參校本に用いて、從來散佚したとみられていた唐の玄宗皇帝による﹃御注金剛般若經﹄のテキストの復元を試 みられたすぐれた研究成果であり、必ずしも﹃頓悟眞宗論﹄や﹃大乘起世論﹄に焦點を合わせたものではなかった。し かし 、その論文の最後の注記八には 、﹃頓悟眞宗論﹄と ﹃大乘起世論﹄について次のような注目すべき指摘がなされて いるのである。 ・・ ・︽頓悟眞宗論︾是利用︽頓悟眞宗金剛般若修行達彼岸法門要決︾ 、︽大乘無生方便門︾ 、︽観心論︾ 、︽楞伽師資記︾等資料 來重新編成的託名僞作 。現在還可以補充兩種材料 。其一是 ︽唐玄宗御注金剛經︾ 。因此 ︽眞宗論︾的成立年代必在開元二三 年以後。其二是伯二〇二九 ︽大乘起世論︾ 。︽藏外佛教文獻︾ 第三輯 ︵一九九七︶ 收録有方廣 䦞 先生的校録。 ︽眞宗論︾ 第六ー 一五節和︽起世論︾五七頁一一行ー六三頁一四行完全相同。 ︽起世論︾的此大段、 與前後都彼此聯繋、 而︽眞宗論︾的第一〇 節可以獨立 、 可見 ︽眞宗論︾利用了 ︽起世論︾ 。另外還有 ︽起世論︾的殘卷 、 即上海圖書館藏敦煌卷子一三八號 ︵背面︶ 、 首 缺、 大約存三分之二、 無尾題而抄九條佛經︵西口芳男︽上圖一三八 V 佛教問答與︿頓悟眞宗論﹀ ︾、 收於︽禪文化研究所紀要︾ 二五、 二〇〇〇︶ 。︵一〇頁︶ 論文の本文中のものではなく、注記の内容であるとはいえ、本小論で問題とする﹃頓悟眞宗論﹄と﹃大乘起世論﹄に 關する研究においては畫期的ともいうべき指摘である。その内容を要約すれば、次の五點になるのであろう。 一 、﹃頓悟眞宗論﹄は ﹃頓悟眞宗要決﹄ 、﹃大乘無生方便門﹄ 、﹃ 觀心論﹄ 、﹃ 楞伽師資記﹄などの諸資料の内容を引用 して再編した僞託の文獻である。 二、 ﹃頓悟眞宗論﹄に先行する資料には、新たに﹃御注金剛般若經﹄ 26 、﹃大乘起世論﹄の二種を加えることができる。 三、 ﹃御注金剛般若經﹄は開元二三年︵七三五︶に成立したものであるから、 ﹃頓悟眞宗論﹄の成立はそれより以降 でなければならない。 一二六
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ 四、 ﹃頓悟眞宗論﹄の第六∼一五段︵田中氏による分段︶の内容と、 ﹃大乘起世論﹄の該當部分とが完全に一致する。 ﹃頓悟眞宗論﹄のこの部分の内容は比較的獨立性の強いものであるのに對して、 ﹃大乘起世論﹄のそれはその前 後の内容と深くかかわって構成されていることから、 ﹃頓悟眞宗論﹄が﹃大乘起世論﹄を引用したことになる。 五、 ﹃大乘起世論﹄には、上圖一三八 V と編目された異本が存在する。 衣川氏は﹃御注金剛般若經﹄に﹃觀心論﹄が引かれているところから着手し、この結論にたどり着いたのであるのに 對し、筆者は前述の通り、方氏が﹃大乘起世論﹄と名付けた S 七八五〇號の内容をてがかりとして、結果的に同じ結論 にたどり着くことができた。 衣川氏のこの指摘は極めて重要であるが、注記として記されているために、このことについての詳細な論考は當然の ことながらなされていない 。そこで 、衣川氏の指摘を含む先學のすぐれた研究成果に導かれて 、﹃頓悟眞宗論﹄におけ る先行文獻の引用状況について、以下檢討を加えることにしたい。
四、
﹃頓悟眞宗論﹄における先行文獻の引用状況
﹃頓悟眞宗論﹄本文の段落と主な内容 27 先 行 文 獻 ︵一︶ 序。前には安闍梨︵=嵩山慧安︶に、後に會和尚︵神會︶に事 え、二人より親しく口決を承け、教旨を授かった長安の人であ る俗姓李なる居士慧光︵法名は大照︶が、未だ解脱せざる者を 解脱させようと願って禪思の餘暇にこの法要を開いた。 ﹃頓悟眞宗要決﹄序 ︵二︶ 居士が問い、大照禪師︵年齢四十五、僧夏二十有餘︶が答える という自問自答による問答の端緒。 ﹃頓悟眞宗要決﹄序 ︵三︶ 一法も看ず證せず悟らず、亦た一法として求めるものも得るも のも修すべきものもない、それが菩提である。 ︵四︶ 質問することの許可と群迷を導かんことを願う。 ︵五︶ 眞性と自性。自性は妄心より生じ、心不起ならば離る。 一二七﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ ︵六︶ 道と理と心について、及び順正理人・順道について。 ﹃大乘起世論﹄ ・﹃楞伽師資記﹄ の求那跋陀羅章 ︵七︶ 自心と妄心 。分別は妄心 、不分別は自心 。自心を識るは正智 、 自心を識らざるは顛倒妄想。 ﹃大乘起世論﹄ ︵八︶ 本来は妄想も正智もなく、道の求むべき無く、物の斷ずべき無 し。 ﹃大乘起世論﹄ ︵九︶ 正智と妄想が不可得なら 、凡夫と聖人はどう區別されるのか 。 分別は凡であり、不分別は聖であるが、その不分別とは眞如の 理中に於て常に分別心を行じて無分別智を得ることである。 ﹃大乘起世論﹄ ︵一〇︶ 不分別智とは。分別中に於て無分別智を得、常に分別を行じて 而も不分別であること。 ﹃大乘起世論﹄ ︵一一︶ ﹃維摩經﹄にいう ﹁常求無念實相智慧云々 ﹂の義は三世諸佛の 妙印であり、佛は究竟門を説き、人天の福を説くものではない ことを、 ﹃法華經﹄ ﹃諸法無行經﹄を引いて經證とする。 ﹃大乘起世論﹄ ︵一二︶ 佛は三乘を説きて、衆生を引導して一乘に入らしむ。 ﹃法華經﹄ を經證とする。 ﹃大乘起世論﹄ ︵一三︶ 心の空無所有なるを了見すれば一乘であり、性は清淨にして無 染無著なるを了見すれば、凡心と聖心は一である。 ﹃大乘起世論﹄ ︵一四︶ 心には形體がないから、無染無著なるを知る。 ﹃大乘起世論﹄ ︵一五︶ 凡心と聖心。相を取れば凡心、相を離るれば聖心。見るものが あれば凡夫の妄想心、一念を起さず、一物を見ざれば聖人心。 ﹃大乘起世論﹄ ︵一六︶ 八 識 に つ い て 。眼と色と心の三事が空だと了ずれば分別無く 、 意識は分別して分別無く、七識は執するもの無く、八識藏中に は雜染を熏習する種子がない。 ︵一七︶ 八識より三身を得、八識を轉じて四智を得る。 ︵一八︶ 四智について。 ﹃大乘無生方便門﹄ ︵一九︶ 三身について。 ︵二〇︶ 三寶問答。 一二八
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ ︵二一︶ ﹃老經﹄の句、 ﹁佛道無爲而無不爲﹂の義。 ︵二二︶ ﹃金剛經﹄の句、 ﹁一切法皆從此經出﹂の義。 ﹃御注金剛般若經﹄ ︵二三︶ ﹃金剛經﹄の句、 ﹁荷担如來﹂の義。 ﹃御注金剛般若經﹄ ︵二四︶ ﹃金剛經﹄の句、 ﹁如來度衆生﹂の義。 ﹃御注金剛般若經﹄ ︵二五︶ 金剛般若波羅蜜多經の義。 ﹃大乘無生方便門﹄ ︵二六︶ ﹃金剛經﹄の句、 ﹁不取於相、如如不動﹂の義。 ︵二七︶ ﹃温室經﹄に説く、七物を具して洗浴するその福の意義。 ﹃觀心論﹄ ︵二八︶ 三聚淨戒と六波羅蜜。 三聚淨戒 ﹃觀心論﹄ 六波羅蜜 ﹃楞伽師資記﹄の求那跋陀羅章 ︵二九︶ 更に疑問があれば問うように勸める。 ﹃頓悟眞宗要決﹄ ︵ P tib. 一一六號︶ ︵三〇︶ ﹃楞伽經﹄の句、 ﹁遠離覺所覺﹂の義。 ︵三一︶ この論を聞いて道に入り、 この論を﹃大解脱論﹄ともいうこと。 ﹃頓悟眞宗要決﹄ ︵ P tib. 一一六號︶ 以上の表で明らかなように、種々の先行文獻を引用して編集された﹃頓悟眞宗論﹄にとって、現在明らかになったそ のソースの中で 、﹃ 大乘起世論﹄の占める割合がもっとも多いのである 。つまり 、﹃ 大乘起世論﹄こそが ﹃ 頓悟眞宗論﹄ の成立にもっとも大きな影響を與えた先行文獻であったのである。 ところで、いったいなぜ﹃頓悟眞宗論﹄という文獻が異常ともいえるほど大量に先行文獻を引用して編集されたので あろうか 。筆者はこの疑問を解くヒントの一つが 、中國人の研究者張子開氏による ﹁ 是 〝集〟 〝撰〟還是 〝述〟唐五代 禪宗的著作觀念︱以敦煌寫本﹃楞伽師資記﹄爲考察中心﹂と題する論文 28 の中にあるように考える。 張氏は、敦煌禪宗文獻である﹃楞伽師資記﹄を具體例として取り上げ、列傳された求那跋陀羅から神秀までの八人の 禪宗祖師に關する内容が、いかなる先行資料からの引用であるかについて詳細に分析した結果、著者名の後ろにつけら れていた﹁集﹂ 、﹁撰﹂ 、﹁述﹂といった動詞系の表現が、實は嚴格に使い分けされていたものであるという見解を示され たのである。すなわち、張氏によれば、 ﹁集﹂の場合は、創作されたものではなく、既存の文獻や記録を蒐集した上で、 一二九
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ 潤色などの編輯を加えて完成したものを指す用語であるのに對して 、﹁述﹂の場合は 、新たにまとめられたものに限ら れていて 、﹁著﹂とほぼ同義語の扱いをされていたとし 、﹁撰﹂の場合は 、﹁著述﹂と ﹁編纂﹂の兩方の意味を持たされ ていたというのである。そして、こうした使い分けの原因について、張氏は二つあると指摘されている。 まず、第一は當時の禪者、ひいては社會における著述觀念にかかわるもので、他人の作品や言行などを集めたり、記 録した上で書物としてまとめた場合、 ﹁集﹂としか表現することができなかったが、 著者個人による創作した書物に限っ て﹁撰﹂或いは﹁述﹂と呼ぶことが可能であった。次に、第二は書物の性格にかかわるもので、楞伽の傳燈系譜を確立 させようとする﹃楞伽師資記﹄の場合には、淨覺自身によるものよりも、すでにその權威が確立しつつあった禪門の歴 代祖師によったものと思われる先行資料からかき集めたほうが、信頼性を高め、自らの正統性のアピールにもつなげや すいということである。 ﹃楞伽師資記﹄に見られるこうした使い分けは、たとえば﹁六祖壇經 法海集記﹂や、 ﹁南陽和 尚問答雜徴義 劉澄集﹂ 、﹁百丈山和尚要決一卷 神海集﹂などの場合にも、同じ理由でなされたものと考えられる 29 。 一方、 田中校訂本によれば、 ﹃頓悟眞宗論﹄ の具題の表記は、 ﹁大乘開心顯性頓悟眞宗論 沙門大照居士慧光集釋﹂ 30 となっ ている。もし前述の張氏の見解に大過がないとすれば、なぜ﹃頓悟眞宗論﹄は異常ともいえるほど大量に種々の先行資 料を引用したのか、 という疑問の一部を解くことも可能となろう。すなわち、 ﹁集釋﹂ と記されているように、 そもそも ﹃頓 悟眞宗論﹄なる書物は、新説を主張しようとする目的で編まれたものではなく、先行諸資料を集め、必要に應じてさら なる解釋などの改編を加えて信頼性と正統性を高め、それによって自身の立場をより鮮明にしようとする意圖を有した ものと考えられる。 ここでは繁を避けるため、 ﹃頓悟眞宗論﹄ と﹃大乘起世論﹄ との全文による對照は差し控えたいが、 前述した ﹃頓悟眞宗論﹄ の性格をより明確にするために、具體例として兩者の本文の一部を示せば次の通りである。説明の便宜上、假の行數を つけ、兩者の本文に異同があった場合、波線で示した。特に注目すべき箇所は、文字のポイントを上げ、ゴッシク體で 表示した。なお、 ﹃大乘起世論﹄以外の引用があった場合、二重線で示した。 行 頓悟眞宗論 ︵田中本 31 ︶ 大乘起世論 ︵方本、但し句讀點は筆者による︶ 一三〇
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ ︵六︶ 1 問曰、云何是道。云何是理。 云何是心 。 問、云何是道。云何是理。 2 答曰、 心是道。 心是理。 理則是心。 心外無理、 理外無心 。 心能平等、 答、心是道。心是理。答、不起妄是道、不行顛倒是理。 3 名之爲理。理照能明、名之心。心理平等、名之佛心。得此理者、不見 4 生死、凡聖無異。境智無二、理事倶融、染淨一如。如理眞照、無非是 5 道、自他倶離、一切行、一時行、亦無前後、亦無中間、縛解自在、稱 6 之道。 7 問曰、云何順正理人。 問、何者是順正理人。 8 答曰、心不起、常無相、即順。 答、常説一切法空無所有、是順正理人。 9 問曰、云何順道。 10 答曰、直心不著一切、即順。 ︵七︶ 11 問曰、云何是妄。 問、何者是妄。何者是顛倒。 12 答曰、不識自心、是妄。 答、不識自心、是妄。 13 問曰、云何是顛倒。 14 答曰、若起種種境界、是顛倒。 起種種境界、是顛倒。 15 問曰、何者是自心。何者是妄心。 問、何者是自心。何者是妄心。 16 答曰、若行分別、是妄心。不分別、是自心。 答、分別是妄心、不分別是自心。 17 問曰、分別心及不分別心、從何而生。 問、分別心從何生。不分別心從何生。 18 答曰、分別心、從顛倒生。不分別心、從正智生。 答、分別心、從顛倒生、不分別心、從正智生。 19 問曰、分別心及與不別心、倶從何生。 問、顛倒、正智、倶從何生。 20 答曰、無有生處。 答、顛倒、正智、倶無生處。 一三一
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ 21 問曰、既無生處、云何稱有顛倒、稱有正智。 問、既無生處、云何稱有顛倒。云何稱有正智。 22 答曰、若不識自心、即行種種顛倒、若識自心、即是正智。 答、不識、即顛倒、識、即正智。 23 問曰、今言識與不識、倶從何而生。 問、識與不識、阿誰生。 24 答曰、若識、從悟生。若不識、從妄想生。 答、識、從悟生、不識、從妄生。 ︵八︶ 25 問曰、一切衆生、總在妄想、爲復亦在正智。 問、一切衆生、總在妄想、何曾有正智者。 26 答曰、一切衆生、 無 在正智、實無妄想。 答、一切衆生、 原 在正智、實不妄想。 27 問曰、我今現在妄相、云何稱有正智。 問、我今現在妄想、云何道在正智。 28 答曰、汝本來實無妄想。今稱妄想、即如人食莨蕩子、於空中覓針。 答、你原來無妄。你今日稱妄者、如人食莨菪、虚空覓針、 29 此虚空、實無有針。 虚空實無針。如渇人見陽炎、言爲是水、實非水。 30 問曰、本來既無妄、令一切行人、斷何物而求道乎。 問、既原來無妄、令人斷何物而求道。 31 答曰、不斷一物、亦無道可求。 答、不斷一物、無道可求。 32 問曰、既無道可求、無物可斷、云何世尊經文説、斷妄想。 問、既無道可求、無物可斷、云何經文説、斷妄想。 33 答曰、世尊實不遣斷妄想。若斷妄想者、即不離妄想。一切衆生、妄 答、我實不遣你斷妄。問、經文現説斷妄想。 34 有所得、妄有所斷、妄見有妄想法。世尊隨衆生意、説假立妄想法、世 答、説斷妄想者、衆生自有妄想。世尊隨衆生説妄想、世 35 尊實不説一字妄想法。譬如良醫、對病説藥。若無有病、即不説藥。 尊實不説妄。譬如良醫、對病説藥、若無病、不説藥。 36 問曰、既是世尊不説妄想法。其妄想、阿誰造作。 問、世尊既原不説妄想、其妄想阿誰造作。 37 答曰、衆生自造作。 正智即無 。 答、衆生自造作。 38 問曰、云何不造正智、偏造作妄想。 問、何爲不造作正智。何爲造作妄想。 39 答曰、爲不識正智、即有妄想。若識正智即無妄想。 答、不識正智、即有妄想。若識正智即無妄想。 40 問曰、既有正智、即合有妄想。云何説稱無妄想。 問、既有正智、即合有妄想。何事説無妄想。 41 答曰、衆生實無妄想、 亦無正智 。 二倶不可得 。 答、衆生實原無妄想。 一三二
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ 以上の對照表で示したように、 ﹃大乘起世論﹄ に比して、 ﹃頓悟眞宗論﹄ にはより多くの編集の痕跡が見られるのである。 たとえば、 7行目の ﹁順正理人﹂ についての質問では、 ﹃大乘起世論﹄ は ﹁順正理人﹂ のみについて質問するのに對し、 ﹃頓 悟眞宗論﹄はまず﹁順正理人﹂について聞き、さらに﹁順道﹂について質問するというかたちになっている。これは明 らかに 1行目にあった ﹁云何是道 。云何是理﹂の質問を踏まえての展開と見られ 、﹃ 大乘起世論﹄の問いより ﹃頓悟眞 宗論﹄のほうがよりバランスがとれたものになっている 。また 、 11行目の問答については 、﹃ 大乘起世論﹄は ﹁何者是 妄。何者是顛倒﹂ という問いに對して、 ﹃頓悟眞宗論﹄ はこれを ﹁云何是妄﹂ と ﹁云何是顛倒﹂ とに分けて質問している。 これもやはり﹃頓悟眞宗論﹄の編者がよりわかりやすいように編集した痕跡であるといえよう。こうした編集上の痕跡 は、 ﹃頓悟眞宗論﹄の隨處に見られ、枚擧にいとまがないほどである。 もちろんこうした編集は、そのすべてが文章をわかりやすくするために施されたものではない。時には編者の立場か らの意圖的なものをうかがい知ることもできよう。たとえば、 1行目の質問については、 ﹃大乘起世論﹄では﹁云何是道。 云何是理﹂ とするのみに對して、 ﹃頓悟眞宗論﹄ では ﹁云何是道。云何是理。云何是心﹂ として、 ﹁道﹂ と ﹁理﹂ に加えて ﹁心﹂ についても質問するように編集されている。しかし、もし次にくる答えを見ないで質問のみを見た場合、 ﹃頓悟眞宗論﹄ の問いよりもむしろ ﹃大乘起世論﹄のほうがすっきりとした感じがあるように思われる 。﹁道﹂と ﹁理﹂とは固有名詞 としても用いられるものであり、 納得もできるが、 ﹃頓悟眞宗論﹄のように、 その後にいきなり﹁心﹂が持ち込まれると、 かえって唐突の感をぬぐいきれない。ところがその答えを見れば、その持ち込みも納得することができる。その答えは ﹁心是道。心是理﹂となっているから、 ﹁心﹂は﹁道、理﹂と結びつけられ、この﹁心﹂について質問しても違和感が和 らぐのである。つまり、予め答えをみている﹃頓悟眞宗論﹄の編者が先走ってしまい、このような質問をしてしまった と推定されよう。いわば編集上の勇み足というべきものである。 その一方、筆者はこれこそが﹃頓悟眞宗論﹄の編者の立場のあらわれであると考える。周知のとおり、中國禪宗の傳 承において 、初祖菩提達摩と二祖慧可には安心問答 、三祖僧璨には ﹃信心銘﹄ 、四祖道信には ﹃入道安心要方便法門﹄ 、 五祖弘忍には ﹃修心要論﹄ 、大通神秀には ﹃觀心論﹄がそれぞれあると傳えられている 。むろんこれらには史實とは認 めがたいものもあるが、こうした傳承を通してみるならば、初期禪宗における﹁心﹂に對する重視は明らかに比類のな いものである。萬行がすべて一心に集約できるからこそ 32 、後に禪宗の思想的特色とされる﹁頓悟﹂がはじめて可能とな 一三三
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ るのである。つまり、萬行をすべて一心に集約させることこそが、 ﹁頓悟﹂思想を生み出す素地なのである。 ﹃頓悟眞宗 論﹄ における ﹁云何是心﹂ の質問の導入は、 まさにこうした思想的状況を如實に示す證左となる。現にその答えには、 ﹃ 大 乘起世論﹄と同様に ﹁ 心是道 。心是理﹂の後に 、﹃大乘起世論﹄には存在しないかなり長い文章が付け加えられ 、それ らがいずれもこの﹁心﹂と﹁道、理﹂との關係をめぐって展開されたものとなっているのである。しかも二重線で示し た本文の 3、 4行の内容は 、すでに先學によって指摘されたとおり 、﹃ 楞伽師資記﹄の ﹁ 求那跋陀羅章﹂の本文と酷似 している 33 。こうした﹃頓悟眞宗論﹄の内容は、別の禪宗文獻である﹃楞伽師資記﹄の内容を用いて、先行する﹃大乘起 世論﹄ の主張を巧みに補強しつつ、 ﹃頓悟眞宗論﹄ の編者としての立場をより鮮明にしたもので、 いわゆる ﹁集釋﹂ の ﹁釋﹂ に相當するものと思われる 34 。 その一方 、﹃頓悟眞宗論﹄には 、先行する ﹃大乘起世論﹄の敍述を受けつつも 、それを補強するのではなく 、新たに 獨自の解釋を展開するという正反對のケースも存在する。まず、 前記の本文の 26行にある兩者の記述に注目したい。 ﹃大 乘起世論﹄では﹁一切衆生、原在正智、實不妄想﹂としているのに對して、 ﹃頓悟眞宗論﹄では﹁一切衆生、無在正智、 實無妄想﹂と改められているのである 。すなわち 、﹁一切衆生は 、原 より正智に在り 、 實に妄想しない﹂という ﹃大乘 起世論﹄の主張に對し、 ﹃頓悟眞宗論﹄の場合は、 ﹁一切衆生は、正智に在ることもなく、實に妄想もないのだ﹂と唱え たのである。つまり、 ﹁正智﹂ をめぐる兩者の考え方は、 正反對なのである。そもそも漢文としては ﹁無在正智﹂ よりも ﹁原 在正智﹂のほうがより自然であり 、﹃頓悟眞宗論﹄が ﹃大乘起世論﹄の表現をそのまま受け繼いでいる箇所もかなりあ ることから、當初はこの寫本を寫したものによる誤寫ではないかとも考えていたのであるが、 37行目にある﹁衆生自造 作 。正智即無﹂と 41行目の ﹁衆生實無妄想 、亦無正智 。二倶不可得﹂を見た時に 、﹁無在正智﹂の表現は誤寫によるも のではなく、それどころか、これこそ﹃頓悟眞宗論﹄の編者の意圖するところであるという確信を得たのである。すな わち 、もし ﹃大乘起世論﹄の考え方を 、正智に立脚し妄想はしないと解釋することができるならば 、﹃頓悟眞宗論﹄の いわんとするところは 、﹁ こうした正智 、妄念とする對立概念さえたてず 、そこにはもはや正智もなく 、妄想もしない のではなく妄想の生じようがないのであり、正智と妄想の兩方がいずれも無所得なのだ﹂という﹁無所得、無所悟﹂の 禪の立場に徹したものと解することができよう。 先行文獻の内容に基づきつつも、巧みに小幅な文言修正を加えることによって自らの立場をより鮮明にしようとする 一三四
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ こうした事例は、もちろん﹃大乘起世論﹄に關する内容に限って見られる現象ではなく、ほかの先行資料との間にもし ばしば見られるものである 35 。紙幅の關係上 、これ以上の檢討は差し控えたいのであるが 、いずれにせよ ﹃頓悟眞宗論﹄ という初期禪宗文獻は、その編者が﹃大乘起世論﹄をはじめとするさまざまな先行資料を大幅に引用する一方、それら に自らの意圖するところを巧みに織り込みつつ 、完成させたものなのである 。それゆえに 、われわれは ﹃頓悟眞宗論﹄ の内容を讀んでいく際に、どれが先行文獻からの引用なのか、どれが編者自身の主張なのかをしっかりと見極める努力 を怠ってはならないのである 。そうでない限り 、﹃頓悟眞宗論﹄の編者の眞意は 、容易につかみ取ることができないで あろう。 五、おわりに 本小論においては、筆者の比定した﹃頓悟眞宗論﹄の新出異本である S 七八五〇號︵殘卷︶と﹃國家圖書館藏敦煌遺 書﹄の第一〇六册に收録されている BD 〇九六九〇號 ︵殘卷︶を紹介し 、﹃頓悟眞宗論﹄と ﹃大乘起世論﹄に關する從 來のすぐれた研究成果に導かれつつ 、﹃大乘起世論﹄こそが ﹃頓悟眞宗論﹄の最大の資料源であることを 、兩者の内容 の對比を通じて明らかにした次第である。 さらに、 初期禪宗文獻である﹃頓悟眞宗論﹄は、 著者自身による創作を目的としたものではなく、 それに先行する種々 の文獻の内容をかき集めた上で、自らの意見や主張を巧みに取り入れて再編成する意圖を有するものであることも、そ の著者とされてきた﹁沙門大照居士慧光集釋﹂にあった﹁集釋﹂というキーワードを手がかりにして明らかにしたので ある。 しかし、 これでこの二種の禪宗文獻に關するすべての問題が氷解したわけではないのである。 前述の通り ﹃頓悟眞宗論﹄ は 、初期禪宗史研究における重要課題の一つである ﹁北宗頓悟説﹂を解明するに當たり 、﹃頓悟眞宗要決﹄とともに重 要な役割を果たしてきたものであるだけに、こうした問題をさらに複雜化してしまうのである。すなわち、もし筆者の ﹃大乘起世論﹄が﹃頓悟眞宗論﹄に大きな影響を與えたという見解が大過なきものであるとすれば、今後、 ﹃頓悟眞宗要 決﹄の影響下で﹃頓悟眞宗論﹄が成立したというような從來の考え方だけではなく、そこに﹃大乘起世論﹄をも檢討の 一三五
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ 範疇に入れて、 これら三者の關係を立體的に考察していかなければならないのである。そうなってくると、 ﹃大乘起世論﹄ のテキストそのものはもちろんのこと、その著者や成立背景などをはじめとするさまざまな角度からの檢討が不可欠な ものとなってくるのである。こうした新たな問題については、今後の課題としたい。 註 ︵ 1︶問答形式になってはいるが、兩者は同一人物とみられる。さらにその序文によれば、 ﹁前事安闍梨、後事會和尚﹂という。 つまり、 ﹃頓悟眞宗論﹄の著者は、先に北宗の重鎮である嵩山慧安に事え、後に神會に事えたとされている。 ︵ 2︶柳田聖山﹁北宗禪の一資料﹂ ︵﹃印度學佛教學研究﹄第一九卷二號、一九七一年︶ 。これは後に同氏﹃禪佛教の研究﹄ ︿柳田 聖山集第一卷﹀ ︵法藏館 、一九九九年︶に再録された 。なお本小論の引用はすべて後者によるものであり 、その頁數のみ を記す。 ︵ 3︶柳田聖山﹁北宗禪の思想﹂ ︵﹃禪文化研究所紀要﹄第六號、一九七四年︶ 。これは後に同氏﹃禪佛教の研究﹄ ︿柳田聖山集第 一卷﹀ ︵法藏館、一九九九年︶に再録された。なお本小論の引用はすべて後者によるものであり、その頁數のみを記す。 ︵ 4︶田中良昭﹁北宗禪研究序説︱﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の北宗撰述について︱﹂ ︵﹃ 駒澤大學佛教學部研究紀要﹄第二五 號、一九六七年︶ 。これは後に同氏﹃敦煌禪宗文獻の研究﹄ ︵大東出版社、一九八三年︶に再録された。なお本小論の引用 はすべて後者によるものであり、その頁數のみを記す。 ︵ 5︶伊吹敦﹁ ﹃ 頓悟眞宗金剛般若修行達彼岸法門要決﹄と荷澤神會﹂ ︵三崎良周編﹃日本・中國佛教思想とその展開﹄山喜房佛 書林、一九九二年︶ 。 ︵ 6︶伊吹敦氏が注目された﹃壽塔銘﹄については、注 5伊吹前掲論文の注記九と最後の附記三で示されているように、既に柳 田聖山氏が﹁語録の歴史﹂ ︵﹃東方學報﹄第五七號、一九八五年︶に言及されており、さらに早稲田大學の明神洋氏のご教 示として、 その翌年の一九八六年に、 ベルナール ・ フォール︵ Bernard Faure ︶氏が氏の論文ですでに﹃壽塔銘﹄を取り扱っ たことを紹介された。 これは、フォール氏が發表された
"Le maître de dhy
āna Chih-T a︵智達︶ et le 'subitisme' de L' école du Nord ", │ 崔寬著﹃六 度寺侯莫陳大師壽塔銘文並序﹄ ︵ Cahiers D'Extrême-Asie V. 2,1986 . ︶と題する論文のことである。フォール氏は柳田氏と同様 一三六
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ に羅振玉編 ﹃芒洛冢墓遺文﹄ 所收の ﹁六度寺侯莫陳大師壽塔銘文並序﹂ を提示して、 それによって從來の諸説を批判し、 ﹃頓 悟眞宗要決﹄に付されていて、 この書の成立を七一二年とする﹁劉無得序﹂の内容の信憑性をはじめて裏付けたのである。 そ の 後 、 ジ ョ ン ・ マ ク レ ー ︵ John R. McRae ︶ 氏 が
"Shien-hui and the
Teaching of Sudden Enlightenment in Early Ch'an
Buddhism"
︵
Sudden and Gradual-Appr
oaches to Enlightenment in Chinese Thought
, STUDIES IN EAST
ASIAN BUDDHISM,No.5,
University of Hawaii Press,1987.
︶と題する論文を發表された 。この論文において 、マクレー氏は一九八四年に中國人研究 者の温玉成氏によって新たに紹介された神會の ﹃大唐東都荷澤寺歿故第七祖國師大德於龍門寶應寺龍崗腹建身塔銘並序﹄ ︵以下、 ﹃神會塔銘﹄ ︶と﹃壽塔銘﹄を手がかりにして、 ﹃頓悟眞宗要決﹄の成立年を七一二年とし、同じ年に後に南宗頓悟 説を唱えた神會がまだ慧能の門下に列していることから、 從來考えられていた﹃頓悟眞宗論﹄の影響下で﹃頓悟眞宗要決﹄ が成立したという圖式ではなく 、﹃頓悟眞宗要決﹄こそ ﹃頓悟眞宗論﹄の原型であり 、しかも ﹃頓悟眞宗論﹄の完成は少 なくとも開元八年︵七二〇︶以降でなくてはならない、と推定されたのである。ちなみに、マクレー氏のこの論文の中國 譯が、 二〇一〇年に上海古籍出版社より刊行された﹃頓與漸︱中國思想中通往覺悟的不同法門﹄ ︵覺醒主編、 馮煥珍 ・ 龔 雋 ・ 秦瑜・唐笑芝等譯︿覺群佛學譯叢﹀ ︶に收録されている。 フォール氏とマクレー氏の論文は、いずれもが從來なかった新知見を示した貴重な研究成果ではあったものの、日本語 以外の言語で書かれたものであったため、日本の學界においてはただちに反響を呼ぶものとはならなかったことが惜しま れる。ちなみに伊吹氏は、前述の柳田氏の﹃壽塔銘﹄に關する指摘を文末の注記で觸れ、フォール氏の研究成果について は附記で觸れられたものの、マクレー氏の論文についての言及はされなかったのである。 ︵ 7︶前掲柳田聖山﹁北宗禪の思想﹂ 、二四五頁。 ︵ 8︶田中良昭﹁ ﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄ ﹂︵同氏﹃敦煌禪宗文獻の研究﹄大東出版社、一九八三年、二四六∼二五〇頁︶ 。 ︵ 9︶ 伊 吹敦 ﹁﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄ の依用文獻について﹂ ︵﹃印度學佛教學研究﹄ 第四一卷一號、 一九九二年、 九七∼一〇〇頁︶ 。 ︵ 10︶西口芳男﹁上圖一三八 V佛教問答と﹃頓悟眞宗論 ﹄﹂ ︵﹃禪文化研究所紀要﹄第二五號、二〇〇〇年、五七∼一〇五頁︶ 。 ︵ 11︶田中良昭 ﹁ 菩提達摩に關する敦煌寫本三種について﹂ ︵﹃ 駒澤大學佛教學部研究紀要﹄第三一號 、一九七一年︶ 。これは後 に同氏の ︵﹃ 敦煌禪宗文獻の研究﹄大東出版社 、一九八三年 、一九六∼一九七頁︶に再録された 。なお本小論の引用はす べて後者によるものであり、その頁數のみを記す。 一三七
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ ︵ 12︶上山大峻 ﹁敦煌における禪の諸層﹂ ︵﹃龍谷大學論集﹄第四二一號 、一九八二年︶ 。これはやがて訂補し 、同氏の ﹃敦煌佛 教の研究﹄ ︵法藏館 、一九九〇年︶に再録された 。なお 、 本小論での引用はすべて後者によるものであり 、その頁數のみ を記す。 ︵ 13︶上山大峻前掲書、二四六頁。 ︵ 14︶方廣 䦞 氏主編﹃藏外佛教文獻﹄第三輯︵宗教文化出版社、一九九七年︶ 。 ︵ 15︶方廣 䦞 前掲書、五四頁。 ︵ 16︶矢吹慶輝氏によって寫眞が将来され 、一九三二年に刊行の大正藏第八五卷古逸部に收録された 。この他には 、鈴木大拙 氏が ﹃鈴木大拙全集﹄第三卷 ︵岩波書店 、一九六八年初版︶に校訂したものや 、金九經氏が ﹃薑園叢書﹄ ︵中國 ・瀋陽 、 一九三四年︶に收録した校訂本などがある。 ︵ 17︶饒宗頤氏が ﹁神會門下摩訶衍之入藏兼論南北宗之調和問題﹂ ︵﹃香港大學記念﹄第一集 、一九六四年︶と題した論文で最 初に紹介されたものである 。なお饒氏のこの論文は 、後に ﹃ 唐代研究論集﹄ ︵第四輯︶ ︵新文豐出版公司 、一九九二年 、 三二五頁︶に再録された。 ︵ 18︶ これは後に田中良昭氏の ﹃敦煌禪宗文獻の研究第二﹄ ︵大東出版社、 二〇〇九年︶ に再録された。この田中校訂本は、 目下 ﹃頓 悟眞宗論﹄の最善のものとして廣く用いられている。本小論においての﹃頓悟眞宗論﹄の引用はすべてこの田中本による ものであり、その頁數のみを記す。 ︵ 19︶方廣 䦞 編﹃英國圖書館藏敦煌遺書目録斯 6981 號∼斯 8400 號﹄ ︵北京 ・ 宗教文化出版社、二〇〇〇年、二三二∼二三四頁︶ 。 ︵ 20︶方廣 䦞 前掲目録、二三三頁。 ︵ 21︶任繼愈主編 ﹃國家圖書館藏敦煌遺書﹄第一〇六册 ︵北京圖書館出版社 、二〇〇八年︶ 。なお 、 B D 〇九六九〇號の圖版は 同書の一九五頁に、その﹁條記目録﹂は同書の〇三五頁にある。 ︵ 22︶ B D 〇九六九〇號︵坐〇一一號︶の全文を示せば、以下の通りとなる。 行數 BD 〇九六九〇號︵坐〇一一號︶の本文︵ただし、句讀點は筆者︶ 1 ︻前缺︼在 |妄 |︻斷缺︼ 一三八
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ 2 ︻斷缺︼無妄︻斷缺︼ 3 云何稱在□□。 答曰、汝本來︻斷缺︼ 4 如人食莨蕩子、於空中覓針。 ︻斷缺︼ 5 問曰、本來既無妄、令一切行人、斷何物而求︻斷缺︼ 6 不斷一物、亦無道可求。 問曰、既無道可 |求 |、 ︻斷缺︼ 7 云何世尊經文説、斷妄想。 答曰、世尊實不遣斷妄 8 想。若斷妄想者、即不離妄想。一切衆生、妄有所得、妄 9 有所斷、妄見有妄想法。世尊隨衆生意説、假立妄想 10 法、世尊實不説一字妄想法。譬如良鑿 醫 、對病説藥。 11 若無有病、即不説藥。 問曰、既是世尊不説妄想法。其 13 妄想、阿誰造作。 答曰、衆生自造作。 問曰、云何不造作 14 正智、偏造作妄想。 答曰、爲不識正智、即有 |妄 |︻斷缺︼ 15 識正智即無妄想。 問曰、既有正智、即合有 |妄 |︻斷缺︼ 16 説稱無妄想。 |答曰、衆生實無 |妄想、亦無正 |智 |。 ︻斷缺︼ 17 ︻斷缺︼凡夫、亦無︻斷缺︼ 18 ︻斷缺︼是凡︻以下斷缺︼ ︵ 23︶ ただし、 上圖一三八 V の尾部には、 完本とされる P二〇三九號に存在しない﹃涅槃經﹄ ﹃占察經﹄ ﹃華嚴經﹄ ﹃金剛經﹄ ﹃楞 伽經﹄ ﹃思益經﹄ ﹃諸法無行經﹄ ﹃大莊嚴經﹄など八種類の經典の引用が書寫されており 、しかも最後の ﹃大莊嚴經﹄の 引用が未完のまま擱筆されたものと思われる。 ︵ 24︶西口芳男氏は上圖一三八 V を ﹁首尾を缺く卷子本﹂とされるが 、筆者の管見による限り 、﹁尾缺﹂というよりは擱筆とす べきである。 ︵ 25︶衣川賢次 ﹁唐玄宗 ﹃御注金剛般若經﹄的復元與研究﹂ ︵項楚 、鄭阿財主編 ﹃新世紀敦煌學論集﹄巴蜀書社 、二〇〇三年 、 一一四∼一二五頁︶ 。ただし 、この論文は紙幅の制限により 、衣川氏の復元した ﹃御注金剛般若經﹄の本文を載せること 一三九
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ ができなかった。後日、 ﹃御注金剛般若經﹄ のテキストと合わせて、 ﹁唐玄宗 ﹃御注金剛般若經﹄ 的復元與研究﹂ と題して ﹃花 園大學文學部研究紀要﹄第三六號︵二〇〇四年、一∼七六頁︶に再録された。なお、本小論における引用はすべてこれに よるものであり、その頁數のみを記す。 ︵ 26︶衣川氏が指摘された﹃御注金剛般若經﹄は、前述の西口芳男氏によって﹃頓悟眞宗論﹄との關連性が指摘された﹃挟注金 剛般若經︵假題 ︶﹄ ︵﹃大正藏﹄卷八五所收︶と同種のものである。但し、大正藏本は完全なものではない。 ︵ 27︶分段は田中良昭氏によるものである 。なお 、各段落の見出しは西口芳男氏がまとめたものを引用した 。︵ 西口芳男氏前掲 論文を參照︶ 。 ︵ 28︶張子開﹁是〝集〟 〝撰〟還是〝述〟唐五代禪宗的著作觀念︱以敦煌寫本﹃楞伽師資記﹄爲考察中心﹂ ︵鄭炳林、樊錦詩、楊 富學主編﹃敦煌佛教與禪宗學術討論會文集﹄三秦出版社、二〇〇七年、三三五∼三五一頁︶ 。 ︵ 29︶張子開前掲論文、三四四∼三四六頁。 ︵ 30︶﹃頓悟眞宗論﹄の編者である慧光については 、これを ﹃禪門經﹄序の撰者の慧光と同一人物とする説もあれば 、 別人とす る説もある。これに關する論考は、田中良昭氏が注 7前掲論文で詳述されており、詳細はそれに譲りたい。 ︵ 31︶﹃頓悟眞宗論﹄の本文にある漢數字の段落番號も田中氏によるものである。 ︵ 32︶たとえば、神秀に歸せられた﹃觀心論﹄に、 心者萬法之根本也。一切諸法、唯心所生。若能了心、則萬法倶備。猶如大樹所有枝條及諸花果、皆悉因根成長 ⋮。 とある。 ︵田中良昭﹃敦煌禪宗文獻の研究第二﹄大東出版社、二〇〇九年、一〇四頁︶ ︵ 33︶﹃楞伽師資記﹄の﹁求那跋陀羅章﹂に、 四者理心 。謂非理外理 。非心外心 。理即是心 。心能平等 。名之爲理 。理照能明 。名之爲心 。心理平等 。名之爲佛心 。 會實性者。不見生死涅槃有別。凡聖爲異。境智無二。理事倶融。眞俗齊觀。染淨一如 とある。 ︵柳田聖山﹃初期の禪史 Ⅰ ﹄︿禪の語録 2﹀筑摩書房、一九七一年、一〇二頁︶ ︵ 34︶しかも、ここにはのちの中國佛教思想ひいては中國思想に大きな影響を及ぼしたと考えられるキーワードが含まれている のである。すなわち、 ﹃頓悟眞宗論﹄の編者による﹁釋﹂と思われる部分に存する﹁心外無理、理外無心﹂の表現である。 まず、北宋の佛日禪師契嵩がその著﹃鐔津文集﹄卷七﹁治心﹂篇において、次のようにいう。 一四〇
﹃大乘開心顯性頓悟眞宗論﹄の依據文獻について︵程︶ 曰、治心何爲乎。曰、治心以全理。曰、全理何爲乎。曰、全理以正人道。夫心即理也。 ︵ T52-680c ︶ また 、南宋の陸九淵 ︵字は象山 、一一三九∼一一九三︶によって形成し 、後の明代の王守仁 ︵字は陽明 、一四七二∼ 一五二九︶にいたって大成を見た陸王心學 ︵陸王學派 ・心學派とも稱される︶においても 、﹁心即理﹂はその思想的中核 をなしたものとされる。たとえば、陸九淵が、 人皆有是心、心皆具其理、心即理也。 ︵﹃陸九淵集﹄卷一一﹁與李宰二﹂ ︶ 心、一心也。理、一理也。至當歸一、精義無二。此心此理、實不容有二、心即理。 ︵﹃陸九淵集﹄卷一﹁與曾宅之﹂ ︶ と い い 、 王守仁が﹁心外無物、心外無事、心外無理﹂という。さらに、明末四大高僧の一人に數えられた 蕅 益智旭述﹃妙法 蓮華經台宗會義﹄卷七にも、 又、心即理、理即心。心外無理、理外無心。心之與理、但有名字。名字性空、倶不可説。 ︵ X32-215c ︶ とある。 ︵ 35︶注 9伊吹敦前掲論文參照。 一四一