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カメラ・オブスクラ的手法による演出

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Academic year: 2021

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カメラ・オブスクラ的手法による演出 

̶ 平 田 オ リ ザ 「 静 か な 演 劇 」 と フ レ デ リ ッ ク ・ ワ イ ズ マ ン 「 観 察 映 画

オブザベーションシネマ

」 の 交 点 ̶  

Camera Obscura Techniques in Theater and Cinema

Intersection of “Quiet Theater” by Hirata Oriza and “Observation Cinema” by Frederick Wiseman

1W163124-3

八杉美月 指導教員 是枝裕和 土田環

YASUGI Mizuki KORE–EDA Hirokazu ,TSUCHIDA Tamaki

概要: 本論の試みは、現実を写しとるという点で原初的な装置であるカメラ・オブスクラが、演出の概念にどのような魅力と 差異を生み出すのか、考察することにある。そのために、世界を「演劇」と「映画」という形式に変換する劇作家と映画監督の 営みを、3次元を2次元に変換するカメラ・オブスクラの原理と重ね合わせて議論を展開する。劇作家平田オリザによる「静か な演劇」とフレデリック・ワイズマンによる「 観 察 映 画

オブザベーションシネマ

」には、演劇と映画という異なる媒介を用いつつも、対象となる事 物や人物へのアプローチの手法において類似点がある。それはともに、他の演出家や映画作家と比較しても特異なものである。

第1章では平田の作劇法の特徴、第2章ではワイズマンの映画制作の方法の特徴を史的・美学的に位置づけ、具体的に作品を分 析した。第3章では、両者の手法を比較し、機械的装置であるカメラ・オブスクラを介するかのような演出の可能性について論 じた。

キーワード:平田オリザ、静かな演劇、フレデリック・ワイズマン、観察映画

keywords: Hirata Oriza, Quiet Theater, Frederick Wiseman, Observation Cinema

1.  序論 

本稿でははじめに、 「平田オリザによる演劇と、フレデリッ ク・ワイズマンによる映画が類似している」と仮定し、その 正当性を検討していく。

演劇あるいは映画において、作品を提示するときには、世 界をいかに作品として変換するかが問題となる。作品とは表 象であり、作家の外部世界自体ではありえないのであって、

「変換」は、必要不可欠な作業にほかならない。変換をする ときには必ず「歪み」が生じる。演劇では戯曲の言葉・俳優 の演技・舞台空間を演出するという作為が施されるし、映画 でも被写体の選択・カメラを通した撮影・編集による再構築 という作為が施される。変換の方法、すなわち演出に現れる のが作家性というものである。

ここで、「変換」という概念をわかりやすく捉えるために、

カメラ・オブスクラの原理を代入してみる。カメラ・オブス クラは、三次元の世界を二次元に変換して投影する装置であ る。この装置にフィルムとレンズを搭載し、写真というメデ ィアへの変換を可能にしたのがいわゆる写真機=カメラであ る。画家フェルメールはカメラ・オブスクラを通して素描す る技法を用いた。フェルメールの絵画は、カメラ・オブスク ラを通して景色を捉えているので、直接目で見たときにはあ りえない、焦点が合っておらずボケたような描写の箇所があ る。このようにカメラによって世界を写真に変換するとき、

収差による歪み生じているのが本来である。

演劇や映画を、世界を作家に固有の「レンズ」を通して見 つめ、作品という「写真」に焼き付けるという構図にあては

めるならば、平田とワイズマンはどちらも、現実世界が「写 真」になったときに生じる「歪み」の存在に敏感で、その「歪 み」をコントロールするためにカメラの使い方を徹底的に探 究した作家だといえるだろう。

 

2.  平田オリザによる「静かな演劇」の特異性  平田オリザの演劇はそれまでの日本の演劇史のなかで、そ の作風と手法において特異な性質を持つ。80 年代の賑やかで 躁的な演劇が流行しているなか、迎えた

90

年代に現れたのが 平田オリザによる「静かな演劇」である。その作風は、それ までの華やかで非日常的な演劇から一変し、日常的な場面設 定で日常的な会話が淡々と続く物語性の希薄なものだった。

平田の演劇は、作風だけでなくその「方法論」において、他 の「静かな演劇」に位置付けられた作家とは趣を異にした。

それまでの日本の演劇では、劇作や演技の方法論がこれと いって確立される機会がなかった。一方で近代の西洋では「ス タニスラフスキー・システム」という演技法が確立されてお り、この演劇法は新劇の時代に、日本にもまた導入されてい た。 「スタニスラフスキー・システム」は演技をする際、俳優 の内面を重視した。俳優が台詞を発語し、動作するとき、そ の発語と動作に対して、俳優の感情に根拠を求めた。

一方平田オリザは、 「スタニスラフスキー・システム」を否 定したうえで、「役者に感情は必要ない」と言い切っている。

それでは平田の演劇には感情表現がないのかと言われればそ

うではない。平田が例えば「悲しい」という感情を表現する

とき、俳優が「悲しい」という内面を作るように促すのでは

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なく、「悲しいよう

見える

」外面を演出するのである。

「悲しい」といった感情を始めとする、人間関係の機微、

社会環境の様相などといった「目に見えないもの」を、舞台 上で目に見える形に「変換」するための演出の具体的な方法 として、平田は日本語の使い方、発語のタイミング、話題の 展開、俳優の立ち位置など「目に見えるもの」を徹底的に追 求する。本章では、平田のテキスト、じっさいの演出手法を 考察することにより、そのことを整理した。

3.  フレデリック・ワイズマンによる「 観 察 映 画

オブザベーションシネマ

」の特異性 

前章で考察した平田による対象へのアプローチの手法は、

内面性を放棄するという点で、アメリカのドキュメンタリー 映画作家フレデリック・ワイズマンの作品にも見出すことが できる。ワイズマンの映画は、しばしば、ドキュメンタリー 映画の中でも、1960 年代に発祥した「ダイレクトシネマ」と いうスタイルに位置付けられる。同時録音の映像により観客 にカメラの存在を忘れさせ、制作者が透明になるような効果 を与える作品が多く生まれた。

ワイズマンもまた、撮影の際は透明な観察者として振舞う。

被写体がカメラを意識する映像を一切提示せず、インタビュ ーを行うこともない。しかし、ワイズマンは編集の際、映像 とともに観察者の視点を絶えず提示する点で他の「ダイレク トシネマ」の作家と異なると言える。例えば、ワイズマンの 映画には時間軸が存在しない。他の作家は対象を捉えるとき、

映画の始まりから終わりにかけて対象がどのような出来事を 経て、どのように変化していったかということにドラマを求 める。一方でワイズマンは数ヶ月に及ぶ撮影をした数百時間 の映像を編集するにあたって、シークエンスを決定する基準 は出来事の順番すなわち現実の時間軸によらず、自分が撮影 を通じて見た世界の有り様を、主観的に最も劇的な効果、感 情的な盛り上がりを持たせようとする判断による。ワイズマ ンにとっての“劇的”とは、必ずしも思いがけない悲劇や、

感動的な出来事などの非日常的な情動を催す映像を指すので はない。むしろ極日常的で些細な物事、衣服のクリーニング 業者の慣れきった手つきや生花を楽しむ老人たちのお喋り、

生きた牛が精肉され牛肉になるまでの過程や、電灯が切れて いることに長々と不満を言う公共住宅の住民などを、時にユ ーモラスに、時に淡々と断片的に映し出すことによって時間 の再構築を行う。観客はそのシークエンスから、残酷さや優 しさなどあらゆる側面が複雑に横たわる世界を透かして見る ことができる。

4.  「静かな演劇」と「 観 察 映 画

オブザベーションシネマ

」の交点 

第2章、第3章を統合すると平田とワイズマンの手法の共 通項は以下の5点となる。

a)身体・言葉の細部に注目する

b)場の提示方法における最適解を追求する c)物語の脱中心化を心がける

d)作品自体の表現にアプローチする役者を不在にする e)不可視の存在を外部に匂わせることで想像を喚起させる

これが、平田とワイズマンにとっての、序論における「カ メラ」の精度を高め、 「歪み」をコントロールする方法である と言える。

また、虚構を現実の規則に従って組み立てる平田の手法に 対して、ワイズマンは現実を虚構の規則に従って組み立て、

「変換」している。これは、演劇と映画のジャンルの相異に 基づくものであろう。虚構の人物が虚構の出来事に出会い虚 構の言葉を話す演劇の文脈で、世界を写しとるために、現実 の中での日本人の言葉遣い、振る舞い、出来事の発生などを 通底する規則をつぶさに観察、反映したのが平田であり、現 実の人物が現実の出来事に出会い現実の言葉を話すのを映し た(ドキュメンタリー)映画の文脈で、虚構の時間軸、映像 の配置によって生まれる新たな文脈を探し再構築するのがワ イズマンである。このようにして虚構と現実が反転している のが二人の相違点であると言える。

4.  結論

言葉のニュアンス、小さな動作に現れる複雑な感情や人間 関係の機微を仔細に描くことで、日常における小さな感動を 取りこぼさないように世界を映しとろうとする二人の姿勢は、

観客の「レンズ」を刺激し、世界の見え方をより豊かにして くれる。

3次元から変換された2次元を見た者は同時に3次元から 変換した2次元を見ることにもなる。作家は、世界から変換 された作品を作り、観客は作品から変換した世界を見るのだ。

すべての作家は、世界そのものを提示することなど不可能で あると自覚した上で、世界がどのように見える

かを徹底して 意識する「カメラ・オブスクラ的手法」を参照することで、

観客の「レンズ」をより豊かにすることができるのではない か。

参考文献(抜粋)

・松本和也 2015『平田オリザ 〈静かな演劇〉という方法』彩流社

・平田オリザ 1995『平田オリザの仕事1現代口語演劇のために』晩餐社

・土本典昭,鈴木一誌編 2011『全貌フレデリック・ワイズマン アメリカ 合衆国を記録する』岩波書店

・阿部宏慈「ダイレクト・シネマの射程〜ワイズマンとダイレクト・シネ マの遺産〜」『山形大学紀要 人文科学』16(1) 166-133,20062

参照

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