無相文雄の『金剛賓戒章眞偏辮」について
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(2) 120. 782. 篇七十九文︑㈲俸語篇二十三篇百十五文︑㈹制誠篇八篇十文︑㈲雑篇二十六篇三十六文︑㈹偉法然書篇八十六篇から. なる︒ところで石井博士は︑望月博士の全集があるにもかかわらず︑屋上屋を架してこの﹃全集﹄を刊行した理由を. 顧み︑﹁序﹂においてその五を挙げていられる︒すなわち︑H現在の研究よりして書誌学的考察を加え︑材料を整理. ﹁従來偏書と云へぼ︑一般に無債値なものとさ. したこと︑θ思想史的に編輯しようと試みたこと︑目諸種の材料を公平に取り扱ったこと︑㈲新しい材料を載録した 2︶ こと︑㈲従来偽書と称せられるものもできるだげ収載したこと︑であ到︒本論孜にかんするかぎりでは︑とりわげ第 五の理由が注目される︒それは詳しくは次のごとく述べられている︒. れてゐるが︑少くとも源室の名の下に世に胎り出さねぼならなかった時代と場とを考へて見る時︑その偏書は可成り. に重要な役割を持ってゐる事が︑窺ひ知られるのである︒例せば聖問が﹃源空作建暦法語﹂の指示に依り︑碩義三十. 巻を選述して新浄土宗義を建立し︑室町期から江戸期にかけて學界を風膵した如き︑叉︑念佛算︑念佛占等ト笠に至. るまで鷹用して民間信仰を導かんとした努力も買はねぱならない︒功罪相牛するかは知らぬが︑道縛が金を與へて念. 佛を申さしめたと言ふ方便もあれぼ︑後世研究者の好材料となれぼ幸甚であり︑其の他秘事法門の如きにも入りこん. ぱゐる如き︑日本民間思想史上の法然上人を知る上に唯一の責料であらう事を思ふて︑吾人の眼幅の許す限り牧載し. し︑かつ若干の間題点を指摘することをこころみよう︒ただしかし︑小論において論述しうるかぎりでは十全の成果. 金剛賓戒章眞僑辮﹄︵以下﹃眞僑辮﹄と路称する︶において具さに論ずるところである︒以下においてその概要を論述. ﹁少くとも源空の名の下に世に胎り出さねばならなかった﹂書たる意義を有する︒そして︑その真偽如何は文雄が﹃. 許す限り牧載﹂を心がけた﹃全集﹂第八の俸法然書篇︵いわゆる偽書篇︶中に収められており︑したがって︑やはり. しようと志していることが窺い知られるのである︒小論において取り上げる﹃金剛賓戒章﹄は︑右のごとく﹁眼幅の. た︒﹂すなわち石井博士は︑従来偽書と称せら︒れていたものを無下にしりぞげず︑その価値を新しい観点から再評価. 修.
(3) 121. は期待されえず︑なお諭及すべき諸種の間題点が残され︑それらは今後の研究に倹たなげれぼならな㌧﹂とをあらか じめ断っておかなけれぼならない︒. μ. まず﹃員偏辮﹄の著考たる無相文雄についてであるが︑﹃績目本高借俸﹄第四その他によると︑文雄は丹波国桑田. 郡濃野村の出身で︑元禄十三年︵一七〇〇年︶生まれ︒俗姓は中西氏︑別名を僧酪︑無相と号した︒宝暦十三年︵一. 七六三年︶六十四歳で入寂している︒文雄の法弟文竜の﹃無相上人俸略﹄に法騰五十一とあり︑ ﹃綾高樽俸﹄に坐夏. 四十九とあるから︑これを基にして逆算すれぼ︑十四歳かまたは十六歳のとき玉泉寺の鏡誉上人について剃髪したこ. とになる︒ついで京都に上り︑了蓮寺誓誉上人に師事し︑さらに二十歳前後には江戸に赴き︑伝通院の学舎にあって. 内外の典籍を渉猟した︒太宰春台について学び︑シナ音学︑とくに唐音を学んだ︒京都にもどってからは十年余さら. に研鑑を加え︑音韻学の方面で名古同い﹃磨光韻鏡﹄を著わし︑名声大いに高まり︑その門には教えを乞う人びとが群 集したといわれる︒. 文雄が徳川時代の宗学においていかなる地位を占めているかについて少しく述べると︑大島泰信氏は︑徳川時代大. 成期におげる専門的研究の中期を宗乗・史伝・余乗・雑部に分げ︑その雑部に文雄をぞくさしめている︒すなわち︑. 貞享.元禄以後の約百年問は比較的多くの専門学者が輩出した時代であって︑宗乗には﹁京都には忍激・湛澄・懐. 晋.義山.盤察.賓洲.大我﹂等がおり︑﹁關東には観徹・鷲宿・義海・貞極・大玄﹂等がおり︑﹁史俸には心阿・忍. H韻学. θ天文学 嘗宗学の三つを挙げているが︑・﹂の中で. 激.義山.鷲宿・珂然﹂等があり︑﹁饒乗には湛慧・徳門・問鑑﹂あり︑﹁雑部には義海・文雄・慧頓﹂等あり︑﹁徳 5︺ 川幕府三百年問における本宗宗學の盛観を呈せり﹂というのであ引︒ 文竜の﹃無相上人偉略﹂は︑文雄一代の業績として. 783.
(4) 122. もっとも注目すべきものはやはり第一の韻学であろう︒新村出博士は音韻学者としての文雄について論じ︑次のごと. くいっている︒ ﹁漢字晋の學を修め︑﹃韻鏡﹄の研鏡に從ふ者で﹃磨光韻鏡﹄を知らないものはたからう︒韻學史か. らぼかりでたく︑國語學史から見ても︑叉本邦に於ける支那語史から云っても︑﹃磨光韻鏡﹄は忘るべからざる名著 6︺ といはなけれぼたらぬ︒﹂ところで︑われわれとしてもっとも重視すべきものはいうまでもなく第三の宗学であるが︑. 新村博士の場合にはもっぱら音韻学者としての文雄を問題とされたので︑文雄の宗学関係の業績・著書については深. く触れていない︒すなわち︑博士は文雄の著書について︑文竜の﹃無相上人俸略﹄に﹁所撰述五十余部﹂とあるげれ. ども︑﹁予が見聞したのは以上述べた二十二部丈﹂で︑﹁今予が上に掲げた以外のものは︑今日げ﹂存在して伝はって居. るのか或は散逸して仕舞ったのか明からぬのである︒由来有名たる学者の著述でか二ることは︑其の例に乏しくな. 蓮. 一巻. 一巻. け. い︒これは学界の為に慨歎すべき極ではないか︒文雄の著述も亦この一例であるのは︑誠に悲しむべき事である﹂と 慨歎L︑とりわけ宗学関係の著書として︑. 舎利功徳抄. 一巻. 捜玄抄綱要 二巻. 金剛賓戒眞僑辮. 一巻. 門學則. 浄土源流章索隠. 念西課間巻 数 未 詳 一 蛛 一. と出し︑﹃念西課問﹄については詳しく述べているが︑﹃眞僑辮﹄についてはなんら触れるところがない︒ なお新村博. 士はその﹁附言﹂において︑文雄にかんするこれらの論文は博士のヨーロッパ遊学以前のものであるが︑ 掃朝後京都. フ8壬.
(5) 123. 大学に職を奉じ︑文雄の在りし了蓮寺の住職伊藤祐晃上人を識り︑文雄についてさまざまな教示を受けたことを記. し︑その後寓目するにいたった文雄の著書として写本﹃非出定後語﹄ならびに刊本﹃專薙甑陶篇﹄の名を挙げていら. れる︒これより察するに︑新村博士は伊藤袷晃上人との交わりから︑了蓮寺において文雄の﹃員僑辮﹄を披見︸﹂及ん 8︺ だのではないかとの推測も可能である︒しかしながら︑大橋俊雄氏によれば︑かって開催された文雄顕彰展において. も﹃眞偽辮﹄は見出されなかったとのことであるから︑この推測もまたくずれることになり︑確定的なことはいいえ ない︒. 望月信亨博士も大著﹃浄土教之研究﹂の中で﹃眞僑辮﹂について触れている︒すなわち︑﹁法然上人の著作法語拉. に其の眞爲﹂と題する論文︵明治三十九年六月︶がそれである︒この論文は前述の望月博士編﹃法然上人全集﹄の敗. として書かれたものであり︑同全集の附録の一つである真偽未詳の書について若干触れている︒まず﹃金剛賓戒章﹄. については︑﹁金剛費戒章三巻は元禄十年之を印行して現に世に在り︒ 一巻は訓授章︑一巻は澤義章︑一巻は秘訣章 9︶ なり︒然るに此書は真偽古来其説紛々たり﹂といい︑﹃眞儒辮﹄についてぼ﹁文雄の論は今之を見ず﹂と述べて︑﹃員. 僑辮﹄がやはり未見の書であることを明らかにしている︒ ⑩ しかるに︑小島章見氏はつとに養鶴徹定の研究ならびにその著書の蒐集にあたってきたが︑おなじく文雄について. もたえず未見の書を探索し︑新村︑望月両博士が未見の書とし︑あるいは詳しく触れることのなかった﹃眞僑辮﹄書 ⑪ 写本一巻を入手したのであった︒小島氏はその論孜﹁蓮門教學除韻考﹂の中で﹃金剛賓戒章﹂ならびに﹃眞僑辮﹄に ⑫ ついて触れ︑とりわけ﹃眞偏辮﹄については文雄の真蹟が関西来迎寺にあり︑その成立は宝暦四年であると述べてい. る︒そもそも未見の﹃眞偏辮﹄の書写本の発見それ自体が大いなる業績であるが︑小島氏がさらにその所在ならびに ⑱ 成立年代にまで触れえた所以は︑前述のごとき長年にわたる氏の徹定上人の諸著蒐集にある︒とくに氏の蒐集した徹. 785.
(6) 124. ﹁徹定寮︑金剛賓戒章三巻︑傭蓬爾版︑吉水大師作﹂とあるのにつづいて︑﹁來迎寺︑. 浄土教. 同眞僑辮一巻︑文雄. 定上人の考証学的著書の中に闘山所蔵﹃古本捜索録﹄二巻︵嘉永四年︑稿本︑了従同輯︶があり︑その下巻梵網戒疏 部に︑. 真蹟︑賓暦四甲戊騰月念六夜書﹂とあるからである︒文雄には︑覚明房長西撰の﹃浄土依愚経章疏目録﹄. 書籍目録としては最初のもの1を増補した﹃蓮門類聚経籍録﹄二巻がある︒徹定上人はこれをさらに補正し︑文久. 二年に刊行Lたが︑この徹定補﹃蓮門類聚経籍録﹂下巻に︑﹁金剛賓戒章二巻︑吉水大師︑又有二偏造一巻一京兆文雄. ﹃眞偏辮﹄の所在. 具辮︒之﹂とあるところから︑望月博士はじめ文雄の﹃員偏辮﹄を求め︑あるいはその弁述を推測したのであるが︑. 小島氏は前述のごとく﹃眞僑辮﹂を入手するとともに︑徹定上人の﹃古本捜索録﹄をも入手して︑. ならびに成立年次を知りえたのである︒氏は今回︑論者にこの書写本﹃眞偏辮﹄の披見と考究とを許したので︑それ を基とし︑以下においてその内容ならびに若干の問題点を論述する次第である︒. 最初に﹃眞偏辮﹄の題名について触れておく︒望月仏教大辞典︑新村出選集その他の記すところでは︑この書は単. に﹃金剛賓戒眞僑辮﹄となっており︑﹃金剛賓戒章眞僑辮﹄とはなっていない︒﹁章﹂一字の有無は一見たいした問題. でないようにおもわれるが︑じつは︑それは﹃眞偏辮﹄そのものの中でとくに論じられているほど重要な問題点た. のである︒このことについてはいずれ後に論ずるであろう︒ただ題名にかんするかぎりでいえぼ︑小島氏発見の書写. 本−来迎寺蔵の文雄真蹟の書写とも推測される−に﹁章﹂の一字が入つているところから︑しぼらく﹃金剛賓戒. 章眞僑辮﹄とよぶことにする︒ただし以下の論述では︑前述のごとく︑たんに﹃眞偏辮﹄と略称する︒. ﹃全集﹄︵一〇ニハー一〇五八頁︶によれぽ︑﹃金剛賓戒章﹄はH金剛賓戒訓授章︑θ金剛賓戒澤義章︑β金剛賓戒. 秘決章の三都からなる︒第一訓授章は金剛賓戒授受の法式を説き︑H開導︑⇔三帰︑嘗講師︑㈲徴悔︑㈲発心︑㈹間. 786.
(7) 遮・寝戒・㈹説明・㈹現相︑霧相︑農願︑葛持に分かれる一裏わち︑士裏讐内容と︑ている一︒第二澤. 義章は人黍・小黍・権大霧︑円実性戒の意義蓋べ︑第三秘決章は︑幸西︑証空︑信空︑源智︑行空︑寂西︑. 隆寛︑聖覚の八名の弟子が問い法然がこれに答える間答形式によつて︑金剛賓戒の奥義を述べている︒. ﹃金剛簑章﹂の現存の刊本にっいて;一すると︑訓援章には栗十年孟春刊行本︑元禄十年刊行本一﹃全集﹄校. 合㊥一・が書・嚢章には滋賀県坂本来迎寺蔵享禄二年崖威書写本︑金沢文庫所蔵鎌倉募本一﹃全集﹄校合㊥一︑. 寛永士年刊行本一同②一︑元禄十年刊行本一同㊧一があり︑秘決章には喉十年孟春刊行本︑元禄十年刊行本. ① 一﹃全集﹄校合㊥一・金沢文庫所蔵鎌倉古抄本金剛嚢抄一同②︑残欠一がある︒ところで︑﹃眞僑辮﹄引用の﹃金. る返り点・送り仮名等には若干の誤りが書︑また明らかに字句の誤写とお圭れるものも少なくない︒このような. 誤字・脱字・添加等の可能性が︑一眞嚢一が諸本中いず註依つているかの判定をやや困難奮︒めている︒しか. ﹃全集﹄所収の諸本の対応する文とを︑若干対比校合してみよう︒. し奈ら・個々の萎詳細に彼此対校してみれば︑芸ずから馨は得られ重のと竜われる︒次に︑﹃眞僑辮﹄ に引用されている本文と︑. まず訓援章中︑第十説相において酷酒戒について述べるところで︑. ︵①㊥縁. ②㊥業. ③﹃眞僑辮﹄轡司二酒起罪因縁刊︶. ① ② ③ 五若佛子・自酷一酒・夢人騨酒︑酷酒因酷酒業酷酒竃酒縁︑一切酒チ得一故聖是酒夢罪因縁︒一﹃全萎. 一〇二八頁︺. とあり︑また次のごとき例もある︒. 大士躰與一人藁蜘一無墨飲一人非一菩薩行三・二九一一①一眞僑辮一貿以一無明蓼人非一菩豊一 次に釈義章では︑. 78フ. 剛賓戒章﹄の本文はこれら諸本の喜いずれに依一ているかが間題である︒一眞霧一の葦妻附したとお圭れ. 125.
(8) 126:. 餌二改佛之説一者作二八相成道之思↓聞二説法之名一者作二舌根韓昌之覧刈是則穫致有相之學者敷︒︹一〇四〇︺ とあるが︑ ﹃員偏辮﹄では︑. 明聞二成佛之説一作二八相成道之御↓刃聞二説法之名↓作二舌根轄唱之覧↓是則穫教有相之學者歎︒. とあり︑﹁肝﹂や﹁叉﹂の添加︑﹁思﹂が﹁想﹂となつていること︑﹁者﹂の脱落などにおいて㊧と一致している︒. しかしまた︑わずかな点で㊧と異なる箇所も見出される︒たとえば︑右の文につづいて︑ 愚療而成二戒師一成二唱導師一者皆是三途黒闇之師也︒. ﹃員偏辮﹄では然らず︑また㊧では﹁成﹂はそのままであ. ﹃眞偽辮﹄では爲二戒師一とたつている点などがそれである︒もつとも︸﹂れらは些細な点であるから︑﹃眞偏辮﹄. とあるところが︑㊧では亦成二唱導師一となつているが︑ るが︑. ②. を著わした文雄が引用にさいして改憲あるいは誤写したか︑あるいは﹃眞偽辮﹄の書写者が筆写にさいして写しまち がえたか︑いずれかであるとも考えられよう︒. ①. 第三秘決章では﹁行室間日﹂の中に︑. 大乗之意考不レ然︒濫行者愚凝也︒以二愚凝一爲二不浄之根本刊尋二諾不浄一無下遇二於愚凝一不浄加於二智者一以二婬欲 ③− 1 酒肉刈更不レ爲二不浄↓諸道之中以二智慧一爲二清浄之本一故也︒︹一〇五一︺︵㊥ならびに﹃眞偏辮﹄9言二濫行一者愚. 療也︒②若於二智者一以二婬酒肉辛吋③﹁更﹂脱落︶. などの例がある︒. ﹃員偏辮﹄の著老文雄︵元禄十二年生まれ︶は. 以上は二︑三の校合にすぎないが︑これによつて次のことが判明する︒すなわち︑訓授章における㊥︑釈義章︸﹂お ける㊧︑秘決章における㊥は︑いずれも元禄十年刊行本であるから︑. この元禄十年刊行本に依ったのではないかということである︒しかしながら︑前述のごとく︑若干の点でそのように断. 788.
(9) 定しえない相違も見出せるから︑決定的な結論は下せない︒文雄は﹃眞僑辮﹄の終り近くで︑聖問もまた学士全長が. ﹁改正新刊﹂した元禄十年刊行本の元本を見たのではないかと述べながらも︑同時に﹁私按問師所覧疑有二異本一歎﹂. ﹃眞偏辮﹂引用の本文が︑そのような異本に依つているのではないかという. ともいっている︒したがって︑文雄の時代に︑前掲の諸本とも異たり︑元禄十年刊行本にきわめて類似した異本の存 在したことも推定しうる可能性が生じ︑. 次に﹃眞僑辮﹄の内容に立ち入って述べることにする︒文雄はまず努頭で﹁古今辮二員僑一者紛転異解﹂といいなが. らも・この書は法然述ではないと断定している︒それは﹁文鮮邸拙︑義旨誼謬﹂だからであるという︒この偽書なる. ことの弁述は H﹁総じて辮ず﹂︑θ﹁別して章の文に就いて辮ず﹂︑目﹁後に之を信ずる人に就いて擁ず﹂の三段階 からなっている︒. Hの﹁纏じて辮ず﹂においては︑﹃勅修御俸﹄第四十六巻に載っている︑鎮西上人弁長が鎮西からわざわざ使者を. 送り法然に疑義をただした話を引証している︵井川定慶篇﹃法然上人俸全集﹂1以下﹃偉全集﹄と路構する!二九. 七−二九八頁︶︒いま﹃眞僑辮﹄の本文と﹃俸全集﹂所収のものとを対比的に掲げれぽ次のごとくである︒. ここにある學者︑上人の門弟と號して云︑浄土甚深の秘義. ﹃勅修御俸﹄. 或自蟹一吉水門人↓日浄土甚深秘義︑同二天台. は天台圓融の法門におたじ︒これ此宗の最底放り︒叉密々の. 辮﹄. 圓融法門一亦有二密授一金剛賓戒是也︑善導之. 俸あり︒金剛賓戒これなり︒善導の雑行を制して︑専修をす. 偏. 制二雑行一勘二専修一也︑姑爲二初心行人↓更非二. 二め給は︑暫初心の行人のためなり︒さらに實義にあらず︒. ﹃眞. 實義一美︑此乃吉水上人之口俸也︑鎭西上人. フ89. 推測も成立するであろう︒Lかし︑もとよりそれは一応の推測にすぎぬことはいうまでもない︒. 127.
(10) 128 訓一歎︑不則欲下邊二一家之狼籍↓印申持末代之. 聞二上件二條一若以二機縁未ワ熟故︑無レ稟二慈. 要旨↓專修正行︑以爲二往生極楽要路↓未レ. 其義蘭菊一也 ︑ 善 導 之 素 意 ︑ 鰯 明 二 彌 陀 本 願 之. 座下一敏承/之︑漢土先賢︑緯二浄土法門↓雄二. 度脆蓬上二書干京師千吉水︸日︑小子昔目侍二. せざるゆへに御教訓を蒙らざるか︒はやく一家の狼籍をと∫. はりき︒いまだかくのごときのことをきかず︒これ機なを熟. 往生極楽の正路︑この宗の元意なるよし︒つねに仰をうけ給. 蘭菊なれども︑善導の御心は︑彌陀の本願の專修正行︑これ. 座下に侍りしに︑漢家の先賢︑浄土の法門を澤する︒その義. 人に進ずるに︑件の雨條くはしくこれをかきのせて︑むかし. めに︑元久二年三月︑門弟度脆房をつかひとして︑書状を上. これすなはち上人の相簿なりと云云此眞僑をあきらめむがた. 念佛^宜下決二断是非↓賜二印護↓以立申專修一. め︑末代の念佛を印持せむがために︑御在世のとき是非を決. 欲レ正二其眞 若 儒 ↓ 元 久 二 年 ︑ 三 月 ︑ 使 宣 門 人. 行一也云︑大師自採レ筆復示日︑上件二條︑僻. 断し︑御護判を給はりて︑專修の一行をたてむと思ふ︒こ∫. に上人てづから筆をそめて︑彼状に勘付せられて云︑已上ニケ. 言不レ足レ論︑源室豊有二如レ斯言一乎︑以二澤迦 彌陀一爲レ謹︑予非レ所二嘗言一也︒. 條︑以外僻事也︒源空全以如レ是事不︒申侯︒以二澤迦彌陀一. 爲レ護︒更々如レ然僻事所レ不レ申侯也︒云云. なお︑﹃勅修御俸﹄にはつづいて︑﹁上人自筆の誓文︑末代念佛の轟鏡なり︒彼書いま二さしく世にあり︒たれかこ. ﹃俸全集﹄所収のもののみを掲げる︵三七二−三七四頁︶︒. れをうたがはむ︒この相像の義︑すこぶる信受するにたれる者敷﹂とある︒この話は﹃九巻偉﹄にも弐のような形で 出ている︒ ﹃眞僑辮﹄引用のものはこれと同一たので︑. 麦にある浄土宗の學者︑法然上人より相承すと稽して︑鏡像圓融の讐をあげ︑金剛賓戒の名をもて︑浄土宗の甚. 790.
(11) ユ29. 深の秘義とするよしを申閏︑元久二年三月に法然上人に尋申さる土聖光上人の状云︑浄土宗の小曾辮長︑上人の. 御房法座前へ︑誠僅誠恐護言. 二箇條疑間事 一︑鏡像圓融疑問事 二︑金剛賓戒疑間事. 一︑鏡像圓融疑問老︑所謂或浄土宗學者︑向二天台宗學者一相語云︑天台宗興澤土宗︑其義是一致也︒所以天台宗. 以鏡像之警顯二圓融之法刈浄土宗亦復如是︒以二此鏡像圓融之義一爲二浄土宗最底刊是則浄土宗甚深義也︒暫善導和. 窩爲レ誘二引初心之人吋制二止難行一勘二進尊修イ理實以二鏡像圓融之警一得二其心刈爲二後心之人一天台浄土是則一同也. 云々︒天台諸宗之人者︑以二鏡像圓融之警H用二浄土宗最底一者︑以=浄土宗禾レ可レ立二別宗一只以二天台摩詞止観. 等一可レ立二浄土宗イ何故以二天台宗一之外可レ立二浄土宗一哉︒叉小像辮長駝二上人御房法座前刊常誰レ蒙二浄土教訓之 條一於二此義一者夫二曾聞一也︒但依二機未熟一不レ蒙二此御教訓一敷︒・・⁝−⁝・. 二︑金剛賓戒疑問者︑或浄土宗學者云︑付二浄土宗一有二一戒品イ所謂金剛賓戒是也︒於二諸宗戒晶一是異也︒各々口. 簿所レ俸レ之也︒是吉水上人御房之簿也云云︒小像辮長救云︑吉水上人御房御義全不レ然︒浄土宗者︑只彌陀本願. 専修正行也︒以二此一行一爲二往生正路↓全以不レ兼二鹸行吋何以於二此宗一令レ付二金剛賓戒一哉云云︒以前ニケ條︒爲レ. ﹃九巻樽﹄に分類されている疑間事第一の﹁鏡像圓融疑間事﹂はしぱらくおき︑本論孜にかんするかぎ. 決二断弟子之疑間︸爲レ封二治諸宗諺難︷又爲1停二止一家狼籍丁・⁝⁝⁝. ここでは︑. りにおいて︑疑間事第二の﹁金剛賓戒疑間事﹂のみを取り上げることにする︒文雄は﹃勅修御俸﹄ならびに﹃九巻. 偉﹄の二つの隷述を根拠として︑ ﹃金剛賓戒章﹄は偏書であると断じている︒法然が釈迦弥陀をもって証としてまで. 791.
(12) 130. −﹂れを否定しているのであるから︑偽書であることは明らかであるというのである︒﹁若吉水有二如レ此之著述.者︑何. ・文雄はこれを踏襲したものとおもわれる︒つづいて︑先ほども題名の間題として触れた. 日下以二澤迦彌陀一爲﹃護不レ述申金剛賓戒僻事上乎﹂である︒かかる引証はすでに望西楼了恵道光が﹃漢語燈録﹄におい. 劣. てなしているところであ. ﹃金剛賓戒﹄と﹃金剛賓戒朝﹄の相違が論じられており︑さらにこの書の中でもつとも注目すべきことの一つとおも. われる﹁ニノ戒品﹂が論じられている︒﹁ニノ戒品﹂とはいかなることかというと︑﹃眞僑辮﹄に引用されている﹁金. 剛賓戒疑問事﹂は右に引用した﹃九巻俸﹄のそれと同一なのであるが︑ただ一字︑しかも致命的に重要な一字におい. て相違があるのである︒すなわち︑﹃九巻俸﹄に﹁付二浮土宗一有二戒品︷﹂とあるところが︑﹃眞偏辮﹄では﹁付二浄. 土宗一有二一プ戒品一﹂となっている︒ナ﹂れは一見︑﹃眞偏辮﹄の書写考の誤写であるかにおもわれるのであるが︑つづ. いて展開される論述が︑ほかならぬ﹁ニノ戒品﹂の詳述である以上︑﹁ニノ戒品﹂はいかんともなしがたい字句であ. る︒文雄自身が誤りなくこれを書いているのであるとすれぼ︑文雄がこの箇所のみを改寮して自己の主張に有利であ. ﹃眞偏辮﹄の論述は文雄の自間自答の形式をと. るような論述を展開したとも考えられるが︑それはあまりにも邪推というべきであろう︒たお﹃九巻俸﹄の諸本中に ﹁ニノ戒品﹂と記するものがあるか否かについてはいま詳かでない︒. る場合が多いので︑次に︑右に指摘した二つの間題点︑すなわち﹁章﹂の間題と﹁ニノ戒品﹂の間題を︑ほぽ原文に 倣って問答体で示すことにしよう︒. 文雄日く︑望西の﹃拾遺語燈録﹄にも﹁上人與二鎮西一書日︑金剛賓戒章是僑書也︑予不甘製二如レ是書一穣迦彌陀以. ﹃金剛賓戒章﹄はしりぞげていない. ﹃勅修御俸﹄や﹃九巻俸﹄にはただ﹁金剛賓戒﹂とあり︑﹁金剛賓戒章﹂とはなっていない︒したが. 爲二護明一﹂とある︒. 間うて目く︑. って︑この二伝によれぽ︑金剛賓戒すなわち圓頓戒はこれをしりぞけるも︑. 792.
(13) ユ 玉. 3. ひではなかろうかσ. 文雄日く︑然らず︒鎭西上人もまたすでに圓頓戒を崇奉している︒ゆえに疑義をおこすはずがない︒そもそも浄土. 宗に︺一ノ戒品﹂がある︒一は圓頓戒︑二はいわゆる金剛賓戒である︒ここにいわれる眞意は︑圓頓戒を肯定し 金剛賓戒を否定することにほかならない︒. 間うて日く︑では︑なぜ﹁金剛賓戒章﹂といわたいのか︒著書をもつていわず﹁口俸﹂と称するのはなぜか︒. 文雄日く︑鎮西上人はこの書をじつさいに見て疑間をおこしたのではない︒ただ︑ある人が﹁口俸﹂ありというの. をきいて疑問をおこしたのである︒また︑法然上人の返事にしても︑その内実は︑H金剛賓戒の邪義が世に行な. われていること︑θ﹁章﹂を著してこれを法然作とするもののいる︸﹂との反駁・否定であるから︑﹁難レ不レ問1章 以レ章答不二相違一也﹂といつてよい︒. ﹃本俸﹄にも︑病中といえども圓頓戒を援けた話が. 間うて日く︑くりかえしていうが︑鎮西上人が間うところの金剛賓戒が圓頓戒でないことは︑なににょってわかる だろうか︒. 文雄日く︑鎭西上人は圓頓戒を﹁稟承奉行﹂すること久しく︑ 出ている︒ゆえに︑疑義をおこすはずがない︒. 間うて日く︑鎭西上人が奉持する圓頼戒は法然上人所伝か︑それとも天台宗所伝か︒. ﹁圓戒亦同︑何験二台戒一﹂である︒. 文雄目く︑鎮西上人もはじめは天台宗であつたから︑圓頓戒ははじめ天台宗のそれを受げたが︑のち法然上人に帰 依したので︑これをあらためたはずである︒. 間うて日く︑法然上人は天台宗の圓頓戒を稟承し︑これを棄てなかった︒銀西上人もまた天台宗の圓頓戒を棄てて いないのではなかろうかo. 93. ?.
(14) ユ. 32. 文雄目く︑法然上人は独自に戒の本義を究め︑帝師とさえなった︒. ﹁天下仰レ之︑如二泰山北闘刊﹂﹃古本戒儀﹄に. は﹁源室上人︑授二鎮西上人一﹂とあり︑鎮西上人が法然上人から浄土宗としての圓頓戒を授かったことは明らか である︒. 問うて日く︑では︑これまでのいずれの論も認めるとして︑わざわざ法然の名を冠して偽書をつくつたのはなぜで あろラか︒. 文嬢日く︑法然上人の戒名ははなはだ高い︒ゆえに︑これにかくれて自己の邪戒を正当化しようとしたのにほかな らない︒. 右のごとき間答を通して︑文雄はあく津︑で浄土宗に﹁ニノ戒品﹂ありとし︑金剛賓残を圓頓戒からわかち︑浄土宗. 炉﹂おいて圓頓戒を認める一方︑金剛賓戒ないしその趣意を著わしたとおもわれる﹃金剛賓戒劃﹄を法然所説でないと. ﹃金剛賓戒章﹄を著わ. して︑しりぞげるのである︒大橋俊雄氏によれぼ︑文雄の時代には金剛費戒運動とも称すべきものがあったとのこと. で占めるから︑文雄はこれをとくに意識して﹃眞僑辮﹂をかいたとも考えられる︒なお文雄は︑. した者は︑ ﹁台宗之徒﹂か去砧たは﹁湛室門下﹂であると推定している︒纏空は︑はじめ比叡山︸﹂登り︑顕密二教を学. んだが︑のち源空の門に帰L︑つねに源空に侍して念仏の行を怠らず︑源空より圓頓戒を稟承し︑圓頓戒相承の正統. となつた者で山めり︑その門下には︑永空︑清空︑順空などの二尊院流と︑慧尋︑慧顎︑興圓などの黒谷流がある︒. つぎに︑⇔の﹁別して章の文について辮ず﹂であるが︑ここでは一々の章文についてその非なることをこまかく論. じている︒まず﹁訓授章﹂は誤り多く︑枚挙にいとまあらず︑ゆえ︸﹂﹁姑摘=其要五三一﹂述べようというのである︒. ﹁訓授章■;目頭こは﹁天台黒谷沙門源空草﹂という但書が見出されるが︑法然は﹁立二専念浄土之宗一戒以二佛門之通. 載一故棄二行之一耳﹂であるから︑わざわざ﹁天台黒谷沙門﹂とする必要はないはずであり︑もしかりに︑法然がわか. 794.
(15) ぎ目︑まだ黒谷に在住していた当時にこれを著わしたと仮定しても︑﹁秘決章﹂では法然を老蓬としており︑. ﹁訓授. 章﹂では戒を湛空上人に授くとあるからすでに晩年であることを示しており︑結局︑﹁天台黒谷沙門﹂と称すること. が︑かえつてこの書の偽書なることをはつきり証示している︑と論考はいうのである︒戒師が受戒者にたいして戒の. 意義を説き︑大乗戒の由釆を説くべき﹁窮一開導﹂においてすでに重大な誤りが見出される︒すなわち︑﹁夫開=止観雨. 門一導表光一室一是則衆聖元心也︑諸佛性戒也﹂と述べているが︑法然は一向専念の宗を立てたのであるから︑﹁止. 観爾門﹂を開く必要がない︒また︑ただ﹁性戒﹂のみをいって事戒を廃するのは︑法然の真意にもとるのみならず︑. 天台義にさえ反する︒﹃摩詞止観﹄にもいわれるごとく︑﹁理すでに動ぜざれば︑事は任運に成る﹂のであって︑事理. 相即︑一体不離なのである︒前述のごとく︑この書は﹁台宗之徒﹂の偽作とも考えられるのであるが︑かくのごと. く︑天台義さえも十分にわきまえていたいことが示される︒次に︑入信にさいして最初の要件た至二宝への帰依を説. く﹁第二三騎﹂においても︑﹁君已身外爲レ有三賓一無レ有二是盧一焉﹂というのは法然所説ではない︒法然は二襲二. 七正受戒﹂においては字句上に明らかな誤りがある︒﹁慈忍授二源信暦都↓源信授二揮仁阿闇梨︷稗仁授二良忍上人一良. 忍授二叡室上人一叡室授二源室上人一源室授二湛室上人二とあるが︑第一に︑源信は源心の誤りであり︑法然述ならか. かる誤りを犯すはずがない︒第二に︑法然であれぼ門下の湛空にたいして﹁湛室上人﹂というはずが液い︒これによ. って︑﹁湛窒門人︑味識者﹂の偽作ではないかとの推定がつよくなつてくる︒十重禁戒を説く﹁第十説相﹂では︑第. 三婬戒にかんして﹁婬有二三品一﹂としながら︑この三種を説く−﹂となくおわっているごとき疎漏をなし︑また﹁見刊. 閲婬二畜生一者^則須二洗レ耳洗ワ冒︑不レ可二同宿同火一﹂というがごときは︑仏教中いずこにも見出しえない一.邸僅随. 狼Lのかぎりである︵たお︑﹁同宿同火﹂の箇所には﹃眞偏辮﹄の書写老の附とおもわれる﹁日本紳道之説﹂という. 795. 賓之理佛﹂のみを尊ばず︑﹁別相住持三賓﹂を説き︑したがつて︑成仏の法ではなく往生の教を説くからである︒﹁第. 133.
(16) 134. 註が加えられている︶︒さらに︑﹁婬二畜生及六親一﹂を論じて︑これを波羅夷罪と称するが︑すすんで﹁一切女人不レ. 得二故寧﹂とは論じない︒かくのごとき所説はまさに﹁説レ戒不レ知レ戒﹂というべきである︒第四妄語戒において︑. ﹁五逆之者其忌一中劫云云︑十悪者其忌同二叫喚地獄壽命一破二誓言一者忌穣三十三年︑不レ可レ交二人間一不レ可レ詣二佛楠二﹂. と説くがごときはまつたくの狼説で︑修験道か陰陽遺の説き方にひとしい︒第五酷酒戒において︑﹁眞如浄戒︑持者. 用否有レ心美﹂とするのはやはり法然の意に反する︒法然はつねに﹁恐レ罪須二念佛こといっているのであるから︑浄. 戒を持する者が酒を酷する用否は心にあるとする説は認められない︒第七自讃段他戒では︑﹁大乗修學之人︑讃段依レ. 時棄﹂とあるが︑これは天台義にももとり︑法然にも相違する︒妙薬大師荊渓湛然の﹃授菩薩戒儀﹂によれぼ︑持戒. とは禁忌補養の意であり︑﹁自行二麟悪一﹂を禁忌といい︑﹁利レ他修レ善﹂を補養という︒また﹃黒谷古本戒儀﹄にも︑. ﹁受戒之後︑不レ作レ罪﹂を禁忌といい︑﹁修レ善﹂を補養という︒ゆえに︑﹁大乗修學之人︑讃段依レ時美﹂というのは. 天台の戒にも法然所説の戒にも相違するものといわねぱならぬ︒−−以上がほぼ﹁訓授章一で弁述され︑自間自答さ れた若干の問題点の要約である︒. ﹃眞僑辮﹂においては︑人天・小乗・権大乗戒にかん. 次に﹁澤義章﹂であるが︑これもまた誤りにみちているとされる︒ ﹁澤義章﹂は二者人天戒︑二老小乗戒︑三者 穫大乗戒︑四老圓實性戒一について論じているものであるが︑. して見出される誤りについてはこれをしぼらく措ぎ︑円実性戒にかんして論じる箇所の誤謬を君干指橘する︸﹂とどめ. ている︒まず﹃金剛賓戒章﹂によれぼ︑戒体は心であるとされているが︑この考えぱ法然にもとる︒法然は求道の初. 期に慈眼房叡空のもとで戒体を論じ︑叡空が戒体をもつて心としたのにたいし︑法然はこれを﹁性無作仮色﹂とな. し︑ゆずらず︑叡空もついにこれに承服したと伝えられているからである︒そもそも戒体とは戒の実質を意味し︑部. 派時代すでに戒の白性なる語をもって表現されていたのであるが︑律宗の道宣が戒学を戒法︑戒体︑戒行︑戒相に分. 796.
(17) ユ35. げてから確たる定義を得︑それが天台の円頓戒の戒体説にまでつらなつてきているのである︒﹃天台戒疏﹄によれば︑. 戒体とは﹁不レ起而已︑起印性無作優色﹂といわれ︑受戒によつて受得する事戒と︑生活の理念としての理戒と︑事. ﹃眞僑辮﹂の判定するごとく︑心をもって戒体とな. 理相即において把握されるものである︒したがつて︑右のごとく法然が戒体を﹁性無作候色﹂としたのはまさしく天 台の円頓戒の考えを正しく捉えているものであり︑そのかぎり︑. す﹃金剛賓戒章﹂の主張は正しくない︒以下︑ふたたび間答体の形式によつて﹃眞偏辮﹂におけるこの辺りの論述を 辿ることにしよう︒. ﹁三界唯一心︑心外無別法﹂である︒このよう. 間うて日く︑天台大師の﹃止観﹄や﹃理塔経﹄でも心を戒体としているのではないか︒ 文雄日く︑考えるに︑一心は戒体のみならず︑万法の自体である︒. に心は万法の自体であるから︑心といつてもその中に色も含まれている︒いま戒体を究めると無作であるが︑大. 乗では無作を立てないから︑心といつたまでである︒それゆえ心といえば無作を含んでいる︒なおまた︑色をも. って戒体とする場合もある︒しかし︑これもまた︑小乗でいう無作を開会して色といったまでである︒それゆえ. 色といっても心を含んでいる︒心といい色といい相違するものではない︒ゆえに﹁性無作優色﹂という︒性とは. 色・心を兼ねるものの名である︒法然はもちろん叡空もこれを悟得したので︑叡空は法然の戒体論に承服したの. である︒かくのごとく戒体は﹁性無作侵色﹂であるが︑戒は身口の表業によって無作を発得するのであるから︑. 無作の仮色には相違ないが︑とにかく色法にぞくする︒ゆえに増損があり︑禁忌補養が必要である︒つまり事相. をもつてしなければならないのである︒これが性戒のごとく理性としてそのまま凡聖に斉しく傭わり不変のもの. であるなら︑増損なく︑禁忌補養の要なく︑発と無発もない︒法然のいわんとするところはこれであり︑叡空も. これを首肯したのである︒しかるに︑﹁澤義章﹂ではそのようた︽功徳︾も如らず︑ただ理性の心のみを認め︑. フ97.
(18) 136. これを戒体となす誤りを犯している︒事相を斥げ︑几聖斉備の性戒を説くのみ︒これにたいして圓榎戒の圓頓戒. たる所以は一一修得︾にあり︑事相を持するところであウた︒しかし︑事相を持するといえども︑﹁全レ事印理︑. 全レ理印事︑謂二之圓頓戒一也﹂である︒しかるに﹁澤義章﹂ではこの二老が個々に分離している︒. 間うて日く︑綾水の天心なる者が﹃戒監決﹄を録し︑その中で︑天台大師ははじめ心をもって体となし︑のち色を. もつて体とたした︑そして心をもって体となす説を廃した︑と述べている︒法然はこの説によつているのと違う か︒. 文雄日く︑然らず︒理塔庵敬首が﹃天台戒駿訣﹄をつくり︑止観心体説を廃してもっぽら戒疏色体説を唱えたのに. ﹁澤義章﹂では明らかに事相を斥けている︒しかるに︑天台は事相を廃せず︑事理相即︑性. ﹁澤義章﹂にいう性戒は天台に依っている︒それゆえ︑いうところの性は﹁印相之性﹂ではないか︒. たいし︑定月上人は﹃戒麗明燈章﹂を著わしてこれを駁し︑色心二体の偏発を非としている︒ 問うて日く︑. 答えて日く︑然らず︒. 相不二の立場に立つ︒すなわち︑︺説レ事也︑撃駿副理︑論レ理也︑撃麗印事︑是法佳法位︑世問相常佳︑期謂二之. 事理相印︑圓頓妙法一﹂である︒浄土門ではこれを他力実体という︒しかるに﹁馨義章﹂では事理相融せず︑ゆ. ﹁経云二諸法従本來常自寂減相−山河大地等本來寂減心也︒萬法示レ形顯レ色是草木之読法也︒見レ色知. えに圓頓戒とはいえない︒ 問うて日く︑. 蟻レ香悟是魏二聞説法一也︒夫口一晋説老爲二下根一読︑出レ晋説レ文是爲レ息二小兎之晴一也︒敢非下爲二大人一説法上也︒几. 眞設法老吾聞二草木之説法−草木撃春之説法刈是如來知見︑蟹者前説法也﹂とあるから︑□一音の説は下根のため. であり︑文をもつて説くのは小児のためであり︑大人のための説法ではない︒真の説法は﹁吾聞二草木之説法一 草木鶏二吾之読法﹂ごときものでなげれぱならないのではないか︒. 798.
(19) 137. 答えて日く︑然らず︒もし然りとすれぱ︑三止三請にしてついに説いた﹃法華経﹂方便品の話は成立しえたいこと になる︒. 問うて日く︑では︑右の引用箇所につづいて︑﹁租師云﹂といっているのは何か︒. 答えて日く︑﹁澤義章﹂では天台大師のことをしぼしぼ祖師と称している︒しかし︑法然は一宗を立てたのだから︑. かくいうはずがない︒これをもって見ても︑﹁澤義章﹂ないし﹃金剛賓戒章﹂全般が︑﹁台徒依二附湛室一之人所レ. ﹁言二悪人逆人一老︑除二自心一外別尋二佛果↓除二戒性一外更願二浄刹一是名二悪人一是爲二逆人一﹂といい︑. 爲﹂ではないかと推察される︒ 間うて日く︑. ﹁執二性戒一斥二浄土一魔二佛果一﹂というが如何︒. 答えて目く︑い ず れ も 妄 語 ・ 偏 邪 見 で あ る ︒. 間うて日く︑最後に︑﹁若欲レ修二有相一者︑宜下慣二圓頓戒相一遂申浄土之往生也上﹂とあるのは如何︒. 答えて日く︑法然は﹁以二構名念佛一爲二鰯立行一﹂のであるから︑圓頓戒をもって往生の正業とすることがあろう か︒. 以上が﹁澤義章﹂について述べられたものの大要である︒次に﹁秘決章﹂について同じく若干触れなけれぼならな い︒ここにもいくつかの誤謬をたただちに見出すことができる︒. まず冒頭に﹁夫読下開二止観雨門一導申無所佳域^諸佛之心源︑如來之性戒︑以授二門徒聖人一﹂とあるが︑法然であ. れば﹁門徒聖人﹂に授くとはいわないはずであり︑また﹁開二止観爾門一﹂のは天台宗の所期であり︑法然のそれでは. たい︒このように﹁秘決章﹂は冒頭から大きな誤りを犯している︒前述のごとく︑﹁秘決章﹂は幸西︑証空︑信空︑. 源智︑行空︑寂西︑隆寛︑聖覚の八名が間いを発し︑法然がこれに答える問答の形式をとっている︒次にその若干を. 799.
(20) 138. 示すことにしよう︒まず弟子の間いを掲げ︑次に法然の答えをあげ︑最後に文雄の弁を載せることにする︒ 行空問うて日く︑濫行の人を導師として各はないものであろうか︒. 源空決して日く︑小乗においては濫行の人を導師としてよい理はない︒もしそのような人を導師にすれぱかならず. 答がある︒しかし大乗ではそうではない︒濫行は愚凝が因である︒愚療は不浄の根本である︒もろもろの不浄の. うち愚療にすぎる不浄はない︒しかし智老においては婬酒肉辛も決して不浄ではない︒智慧は清浄の本とされる からである︒. 弁じて日く︑このように婬酒肉辛を認める言辞は︑白已の濫行を是認せんがための魔説というべきである︒ 幸西間うて日く︑念仏門の人が正理を兼ねることは答があるだろうか︒. 源空決して日く︑有智の念仏者はあらかじめ浄土の果報を推せんがために︑兼ねて悟りを学し︑この悟りを得んが. ために浄土を欣求する︒そして彼の国に到る者はかならず悟りを得ることができる︒このことを知らずして念仏 をする者は︑悟りを学する人を誹謡し︑これに親近しない︒. 弁じて日く︑そもそも智慧を究めて成仏を願うのは聖道門であり︑愚療にしてかえって往生を願うのが浄土門であ. る︒ゆえに曇鷲は四論の講説をすて︑道緯は浬築広業を搦き︑善導は雑行をすてた︒したがつて法然が﹁乗二學. 悟解一﹂をすすめるはずがない︒悟道は此土入聖であって︑法然のとらぬところである︒. 証空間うて日く︑理法はいつ世に流行するだろうか︒. 源空決して日く︑末法において仏法は三道に分れて世に流行するであろう︒浅識なる者のための念仏︑威儀を欠か ないための律行︑上達深悟の人のための理の法門︑がそれである︒. 弁じて日く︑ここでは元暁によって︑念仏は几夫のため︑かねて聖人のためというが︑それでは︑竜樹︑天親など. 8CO.
(21) 139. も浅識といってよいのだろうか︒. 信空間うて日く︑心法と念仏といずれが勝りいずれが劣るか︒ 源空決して日く︑心法が勝れ念仏が劣る︒. 弁じて日く︑然らず︒弥陀如来は五劫のあいだ思惟したまい︑念仏を本願としたのであり︑釈尊は念仏を無上功徳. とし︑諾尊もこれを不可思議功徳とよんだ︒法然もまた勝劣を釈して︑これを万徳所帰とLた︒ 信空間うて日く︑なにゆえ念仏は心法に劣るのか︒. 源空答えて日く︑口音に念仏するのはただ下劣凡夫の法門である︒音を出し文を説くのは小児が泣くのをとどめる ためにすぎず ︑ 決 し て 諸 仏 の 本 意 で は た い ︒. 弁じて日く︑念仏が諸仏の本意でないなどとは魔説である︒三世諸仏は念仏三昧によって等正覚を成じた︒ 寂西間うて日く︑十悪五逆の者とはいかなる者か︒. 源空決して日く︑心性をのぞいてほかに仏果をたずね︑我性のほかに浄土を願うような者を︑悪人︑逆人︑蟄二宝 人︑外道衆類 と い う ︒. 弁じて日く︑右のごとくならぱ︑釈尊︑善導︑法然すべて逆人・誘三宝外道になつてしまう︒. ﹁結局法然のいわんとする圓頓戒とはいかなるもの. さて︑右において﹁秘決章﹂における個々の間答を若干摘出し︑これに文雄の弁を加えてその概要を窺ったのであ るが︑﹁秘決章﹂を論じた最後のところで文雄は自間自答して︑. か﹂という閲いを発し︑これにたいして︑その要は﹃七箇條起請文﹄のうち庁﹂ありとしている︒すなわち︑七箇条制. 誠の第四に﹁可下停申止於二念佛門︷號レ無二戒行︷専弾一婬酒食肉一適守二律儀一考︑名一雑行人一愚二彌陀本願一者︑誘占. 勿レ恐二造悪一事︑右戒佛法大地也︑衆行難レ厘同專レ之︑是以善導和筒畢レ目不レ見二女人一此行之趣︑遇二本律制一浄業之. 801.
(22) 140. 類不レ順レ之者︑惣失二如來之遺教一別背二祀師之蕾跡一﹂︹﹃全集﹂七八八頁︺とあるのを引証している︒なおこれにたい. して︑﹁下根衆生︑筒爲レ難レ持︑祀訓有二具略一乎﹂との自間を発し︑源智の﹃浄土騒聞記﹄によつてこれに答え︑僧. 尼に大小の戒律あるも末法の人根には堪えがたい︑ゆえに念仏相統し念仏を行業の正とすべし︑としている︒. ﹃眞偏辮﹄三部の最終部門たる﹁後に之を信ずる人に就いて辮ず﹂では︑﹃眞僑辮﹂を法然書とする了誉上人聖間. の﹃顯浮土俸戒論﹄を挙げて論じている︒そこには﹁此戒流俸︑高租上人︑已受二嫡三自製二金剛賓戒章二巻︑井浄. 土布薩戒一巻︑淺略戒一巻一乃成二天下戒師一﹂とあるが︑﹃金剛賓戒章﹄二巻としていることが間題である︒おそら. く聖周は︑元禄十年に学士全長が刊行した﹃金剛賓戒章﹂の凡例に︑﹁訓授澤義爾巻︑租師述レ之秘決一巻︑門人集記. 也﹂とあるのと同じ意味で︑﹃金剛賓戒章﹂二巻といっているものとおもわれるが︑文雄は︑秘決章が﹁門人集記也﹂. であるのならぼ︑内実において相異なることなき他の二章も当然偽と推論さるべきである︑と反駁している︒このよ. ﹁私按問師所覧︑疑有二異本一敷﹂である︒さらに︑勢州の慈脱もまた享保. うに推論すべきところを︑聖問ほどの人が誤ってすべて真作としているところを見ると︑あるいは聖問は異本を見た のではないかという疑問さえ生じてくる︒. のころ﹃通關記﹂を著わし︑その中でこの書を真作としている︒しかし︑かれはこの書を真作としたため︑鎮西上人. が法然上人に間いただした二事の疑間を非とし︑望西が﹃金剛賓戒﹄を偽書としたのを非とし︑さらには﹃勅修御. 俸﹂をも疑うにいたっている︒このようなことは﹁吉水之流蕎︑銀西之兎孫﹂を称する者のなしあたうところではな い︒﹁不=亦笹促一乎﹂と文雄は批評しさっている︒. 文雄はかくのごとく﹃眞偏辮﹂を述べきたつて︑最後に︑ト﹂れまでたびたび論じきたった事観と理観︑念仏往生と. 円頓戒の問題を取り上げ︑法然は﹁捨レ解取レ行︑捨レ難取レ易﹂のであり︑﹁我門之事観﹂さえこれを捨てている︑ま. して﹁聖道理観﹂を採らないことはいうまでもない︑﹁眞言彌陀﹂を捨てている︑まして﹁自性彌陀﹂を用いること. 802.
(23) 141. はない︑かくLてただ﹁専念往生之門﹂を開いた︑円頓戒をこれにさしはさむのは﹁但崇二事戒↓傭二佛門之通軌一而. 已﹂なのである︑としている︒.それゆえ︑﹃古本戒儀﹄においては事相のみを説き︑理性は説かず︑まして金剛賓戒. は説いていない︒鎮西上人が法然に疑間の事をわざわざ間いただしたのも︑円頓戒に疑いをさしはさんだからではな. く︑﹁但巽二金剛賓戒説二理性一﹂だげのことであった︒望西にいたっては﹃金剛賓戒章﹄をもって偽書とさえしてい. る︒このようた﹃金剛賓戒章﹄を真作とすれば︑ただに浄土宗の教義に反するのみならず︑天台宗の教義にさえ違背. することにたる︒すなわち︑﹁此章唯論二理戒一段二事戒↓不二菅損=浄教一亦違二天台一﹂であり︑﹁彼崇二性戒一慶二事戒↓. 何知二一乗圓賓戒事理倶存こである︒. 以上で無相文雄の﹃金剛賓戒章眞僑辮﹂について︑その内容を概観したのであるが︑次にそれらを回顧しながら総 括として若干の間題点を指橘しておきたい︒. Hまず文雄が︸﹂の﹃眞偏辮﹂において﹃金剛賓戒章﹄の真偽を弁ずる仕方についてであるが︑それはきわめて委曲. を尽くした仕方であるといえよう︒しかし︑たとえば事戒と理戒たど︑なかにはいくつかの重複した論議もあり︑そ. のことがかえって論述を冗漫にし︑説得力を弱めている場合も見受けられる︒論破の仕方には語句の穿襲をこととす. る場合が多く︑言語学者としての文雄が宗学考としての文雄を凌駕しているとでもいったらよいであろうか︒ ㈲. θ﹁章■一の有無の間題についてはすでに触れたが︑そこで間答形式で示したように︑文雄は﹁雄レ不レ間レ章以レ章答︑. ﹁此書の眞偏古來其説紛々たり︒了恵は銀西に與ふるの書を引て︑上人既に自ら. 不二相違一也﹂という結論を下している︒このことにかんして一︑二補足すると︑まず望月信亨博±はこの点について. 次のごとく述べている︒すなわち︑. 此の書を偏妄を指示せられたりといへるも︑九巻偉︑拉に勅修御俸に載する上人自筆の誓文と構するものには︑唯此. 803.
(24) 142. の如きの事を申さずとありて︑購答共に此の書の事を記せず︒是れ柳か不審なりといへども︑而かも上人已に金剛賓. 戒の説を作さずと明一一冒せられたる上は︑其の書は言ふまでもなく上人の親撰にあらざるべし﹂と述べているのである. 目次に︑. ﹃眞僑辮﹄の立論はこの﹁ニノ戒品﹂にもっぱら依存しているといつてよいほどである︒そして前述のごとく︑. 也︒各々口偉所レ俸レ之也︒是吉水上人御房之俸也Lとなるからである︒﹁有二二戒品イ所謂金剛賓戒是也﹂がいかにし. ば︑﹃九巻俸﹂より引用の箇所は︑一或浄土宗學老云︑付二浄土宗一有二二戒品↓所謂金剛費戒是也︒於二諸宗戒品一是異. することによって︑一.九巻俸﹄の一文の脈絡がつくかどうか︑はなはだ疑間である︒すなわち︑二一ノ戒品﹂とすれ. ノ戒晶﹂第一の圓頓戒を認める一方︑第二の金剛賓戒をしりぞけるのであるが︑文雄のごとくこれを﹁ニノ戒品一と. ﹁ニ. 答︑不二相違一也﹂という文雄の自間自答は︑論鋒かならずしも鋭いとはいえないのではなかろうか︒ ㈲ ﹃九巻俸﹄と相違して﹃眞偽辮﹄においてニノ戒品﹂が﹁ニノ戒品﹂となっている点について述べる︒. を明らかにするためには歴史的研究が必要であり︑即断はゆるされない︒なお︑前述のごとき﹁難レ不レ間レ章以レ章. から問題はなく︑残るところは﹃金剛賓戒章﹂なる一書の形態をなしたものがいつ成立したかという点である︒これ ⑱. の有無をめぐって種々の間題が生じきたるのであるが︑法然が金剛賓戒口俸︵密俸︶を否定したことは明らかである. であり︑此れは金剛賓戒章であるから果して彼此同一たるや否や俄かに騎定しがたい﹂としている︒このように﹁章﹂. なかろうかとの説もあるとのことである︒しかし︑井川氏もまたこの説にたいして︑﹁再考すると其れは金剛賓戒密偉. ㈹. ﹃漢語燈録﹂の中で否定する金剛賓戒密俸の書で︑鎮西の弁長が法然に間い合わせたかの﹁二箇條疑問事﹂の随一では. 氏によると︑南北朝頃まで潮ることのできる古写本﹃金剛賓戒章﹄三巻が竜谷大学図書館に蔵せられていて︑これが. といいながら︑右のごとく同一の推断をなしえていることは︑やはり博士の卓見というべきであろう︒また井川定慶. が︑この推断の要は文雄が一員偏辮﹄において試みている推断と同一である︒望月博士が﹁文雄の論は今之を見ず﹂. 血 ⑤. 804.
(25) 工. ても辻棲が合わず︑﹁是吉水上人御房之俸也﹂の結びも効かない・﹂とにたる︒このように考えると︑﹁ニノ戒品﹂を一. つの有力な支柱とする﹃眞偽辮﹄の立論は︑少なくともその立論構成のうえでかなりの変改を蒙らざるをえないであ. ろう︒もっとも︑このことは︑仏教の通軌としての円頓戒を認め︑密偉の金剛賓戒を否定するという根本をゆすぶる ものでたいことを酎言しておきたい︒. 餉. ﹁訓授章﹂冒頭に﹁君黒谷沙門源室草﹂とある一﹂とが﹃金剛賓戒章﹄の法然述でないことを曝. ㈲﹃金剛賓戒章﹄の偽書であることの証明は﹃眞僑辮﹄の随所に見出されるのであるが︑その中一︑二の点を取り上. げて補説しておく︒. 露している点についてはすでに触れたが︑﹁秘決章﹂で法然を老蓮としており︑﹁訓授章﹂では戒を湛空上人に授くと. あるから︑法然の晩年であり︑﹁黒谷﹂在住時代でないとの推断にたいして︑まず少しく補足したい︒それは第一に︑. ﹁秘決章﹂の中︑﹁後目隆寛出二横河洞一参一源室之蕎刈先問二念佛義一﹂のところに︑﹁源室答日︒付二念佛一柳有二私抄. 生之訓印︑行老之明鏡也︒諾佛爲び之鋲舌相刈吾等聞レ之銘レ肝︒今見一嚢揮集大意↓塘二往生之素意一鰯二念佛之眼目一﹂. ︵傍線筆著︶とあり︑この書の成立当時にはすでに選択集が存在していたことが知られるということである︒そして︑. 法然が隆寛に選択集を授けたのは︑建仁三年あるいは元久元年とされているから︵﹃九巻偉﹄﹃十魯偉﹄にょる︶︑法然が. 七十二歳のときにあたる︒第二に︑円頓戒の相承を述べるところで︑﹁源室授二湛空上人ことあることが疑いを起さ カ ㊧ しめるという点であるが︑井川定慶氏によると︑竜谷大学蔵の古写本にはちょうどその箇所が脱落しているとのこと. である︒そうなると︑ ﹃眞偏辮﹄中の一つの愚拠が疑間に付せられることにたる︒荘空は法然より直接に︑あるいは. 信空を介して問接に︑円頓戒を相承したといわれているが︑井川氏の指摘するごとく︑この湛空が﹁秘決章﹂におい. て法然の門弟として名を連ねておらず︑信空の名を載せるのみであり︑しかしまた相承の箇所では叡空.源空.湛空. 805. 物イ號二磐謂掲一敢莫甘令二他見イ先備二自見一用捨可レ任レ心也﹂︵傍線筆者︶とあり︑つづいて︑﹁叉問日︒西方教門者往. 43.
(26) 1仏. となつていて信空の名が見えない︑という不統一がある︒それゆえ︑かかる不統一は︑. ﹁或は下巻の秘決章が上巻中. 巻とは別個に流行していたものか︑また別の考えでは上巻の訓授章が或る時期に湛空の嵯峨門流の手に育成され︑同. ﹁秘決章﹂そのものが. じ法然門下の大乗圓頓菩薩戒相承に封抗して特異の金剛賓戒椙承を誇るための作爲で湛室を上人直授の相承者として ⑳. 挿入しているであろうか﹂との推断を可能ならしめるのである︒ところで︑これらを通じて︑. 偽書であること︑少なくとも﹁訓授章﹂や﹁澤義章﹂とは別個に︑しかもそれらより遅れて成立していることが推定. される以上︑ ﹁秘決章﹂から引き出される糧拠は︑はなはだ疑わしいものであることを︑心に留めておかなければな. 鶴. ら在い︒冒頭にも述べたごとく︑徹定補の﹃蓮門類聚経籍録﹂下巻に︑﹁金剛賓戒章二巻︑吉水大師︑叉有二偏造一. 巻一﹂とあり︑文雄の指摘するごとく︑元禄十年刊行本で学士全長も﹁訓授澤義雨巻︑租師述レ之秘決一巻︑門人集記. ﹁秘決章﹂は偽造ないし門. ﹁蓋し秘決章は上人と門人との間答を記. 也﹂といい︑おそらくこの意味で聖周も﹁金剛賓戒章二巻﹂と挙げているのであって︑ 人集記であることはほぼ断定できる︒因みに︑望月博士はこれに関連して︑. せるものにして︑上人の自撰にあらざること文に在りて明かなるのみならず︑文中の義旨亦頗る聖道の論に富むが故. と断じてい. に︑乃ち僑作の説を生じたるものたらん︒然れども之を他の二巻に比するに用語義理互に異ならず︑恐くは通じて一. 人の手に出でたるものなるべし︒若し然らぼ其の一眞にあらずんぼ︑印ち他の二亦偏妄たるを冤れず﹂. 考えられるが︑﹁今直ち︸﹂その何れとも即断し難いLとしている︒望月博土はむしろ行空説に賛同し︑﹁此の読信を置 ⑳ くに足るべし■一としている︒ ﹃眞偏辮﹄では︑㈲に述べたごとき偽書であることの証明が同時に偽作者の推定を根拠. 息集﹄は法本房行空に疑いをかげており︑また念戒一致と証空が出ているところから西山義の影響をうげているとも ㊧. ㈲偽作者の推定もまた﹃眞偏辮﹄の随所に出ている︒井川氏はこの点について︑義山の﹃翼讃﹂や了解の﹃辮御泊. る︒これまた︑﹁文雄の論は今之を見ず﹂という望月博士の推断が﹃員偽辮﹂の立論と一致した例である︒. ㈲. 806.
(27) 145. づけており︑ ﹁天台黒谷沙門﹂のことや︑全般を通じて︑たとえば事戒・理戒の論に見られるごとく︑きわめて聖道. ﹁湛室上人﹂その他より︑偽作考は湛空門下であるとも推断し︑両老を併せ. 門的な論が多いことから︑まず偽作者は台宗之徒であろうとし︑さらに事理相即の天台円頓戒の義もわきまえぬこと から︑台宗昧識者と推定するとともに︑. て﹁台徒依二附湛室一之人所レ爲﹂と述べている︒しかし︑いずれかの決定はやはり即断しがたいところであって︑そ. れは少なくとも﹃金剛賓戒章﹂成立の間題と相関的に考究されなげれぼならない︒. ㈱﹃金剛賓戒章﹄の現本はすでに冒頭近くに挙げておいたが︑それ以外に︑前述のごとき竜谷大学蔵の古写本があ. り︑そこで触れたような重大な問題を提起することに鑑み︑文雄自身が﹁異本﹂を口にしていることに注意したい︒. 聖問当時にそのようた異本があつたかも知れないこと︑竜谷大学蔵の古写本の原本は法然当時にまで潮及できるとの 一説のあることなど︑いまだ解明しえない間題を残している︒. 以上こおいて︑これまで未見とさ・れていた無椙文雄の﹃金剛賓戎章眞僑辮﹄について︑小島章見氏発見の書写本に. よつてその大要を紹介し︑若干の間題点を指摘したのであるが︑結局︑﹃金剛賓戒章﹄が偽書であることはほぼ断定. ︵三五︑一一︑三〇︶. しうるところである︒ただ︑細部の間題に立ち入るときはさまざまな疑点・論点が輩出し︑現在のところ即断にゆだ. 一−二頁︒. ねがたく︑それらの解明は今後に残された課題である︒. 同書︑三頁以下︒. 石井教道編﹃綱㈱法然上人全集﹄︵昭和三十年︶序︑ 2︶. 同書︑十二 頁 ︒. 註ω. 3 ︵. 807.
(28) 146. ④. 余文雄︶Vの読み方は種々ある︒望月仏教大辞奥では^^ぶんゆう︾とあり︑たお^^もんおう︾ともなっている︒仏家人名辞書. では尖もんおう一v一^もんのう呂となっている︒丈雄はLぱしぱ丈翁とも称せられるから︑︽もんおう彰失もんのう︶vはその読. 大島泰信﹁浮土宗吏﹂︵澤土宗全書二十︑寺誌宗史︑大正三年︶一七八頁︒. みかもしれない︒姑くは夫ぶんゆう一一と読んでおく︒. ⑤. 新村出選集第三巻︵典籍篇・史伝篇︶;一七頁︑﹁文雄上人の功業︵上︶︑音韻学老としての文雄上人﹂︒−−この論文は︑. 同. 研究会にて発表︒. ︵前掲書. 同書一六二頁︑﹁文雄上人の功業︵下︶︑文雄上人の俸統及び其著書﹂−この論文は︑もと︑明治四十四年四月﹃宗致界﹄. もと︑明治三十九年十二月の﹃宗致界﹄第二巻十二号に載ったものである︒. ⑥. ㈹ 第三巻四号に載ったものである︒. ⑧ 新村博士も﹁今や一雨晃上人の遺志に基きて文雄上人を顯彰せんとする所の追頑の美撃方に切追﹂Lと述べている. 望月信亨﹃ 浮 土 致 之 研 究 ﹄ 七 〇 七 ︑ 七 〇 八 頁 ︒. ﹁附言﹂一六三頁︶︒. ⑨. 大正大掌々報三十三韓O. 小島氏の主な業績は次のごとくである︒ 昭和十七隼五月﹁卒城薬師寺金堂本奪薬師須彌座の研究︵上︶﹂. 大正大学々報三十四輯︒. ⑩. 十七年十月﹁耳城薬師寺金堂本奪薬師須彌座の研究︵下︶﹂. 一︑目本美循・工嚢﹄特輯﹁薬師如來﹂︒. ﹃佛致論叢﹄第二号︒. 二十七年八月﹁縁山鯉藏と藏司について﹂. 二十五年十一月﹁羅漢講式について﹂淳土宗教挙院研究全にて発表︒. 二十三年十一月﹁蓮門教學饒韻考﹂. 二十三隼四月﹁薬師寺金堂本奪台座につきて﹂. 二十二年十一月﹁古纏堂徹定の考護學的著書﹂﹃佛致論叢﹄第一号〇. 二十一年二月﹁薬師寺について﹂浄土宗教挙院研究会にて発表︒. 同同同同同同同. 808.
(29) 147. 同. 研究会にて発表︒. 小島氏によると︑この書写本は江戸時代末期か明治時代初期に書写されたものと推定される︒書写者は興確でない¢. 二十九年三月﹁浬繋圏像について﹂. ⑰. のちに述べるごとく︑来迎寺蔵は明治年間のことであり︑現存であるか否かは詳かでない︒. 同. 胸 小島氏はこのことについて︑. ﹃佛致論叢﹄第二号︑六五頁︶︒. ﹁これらの著作晶は全て錘董が邊然嚢見したものに非らず︑多年に亘り捜索菟集せしことを諒. ⑬. とせられたい﹂と述べている︵﹁古経堂徹定の考護學的薯書﹂. 法然上人研究特韓号1︑昭和三十五年十一月︶︒. 望月信亨﹃濠土致之研究﹄七〇七頁参照︒. 井川定慶︑苗出﹁濠土布薩式の繊討﹂︵﹃佛致大學研究紀要﹄第三十八号︶︑二十五頁︒. ﹁文雄の﹃金剛費戎. とである︒ただその下巻第二十問以下は欠昆となっている︵井川定慶﹁浄土布薩式の検討﹂﹃佛致大學研究紀要﹄第三十八号︑. ⑭ 井川定慶氏によると︑南北朝頃まで湖ることのできる古写本﹃金剛賓戎章﹄三巻が竜谷大学図書館に蔵せられているとのこ. ⑭ 陶 本論文二一二頁参照︒. ⑰. 筆者は先般︵昭和三十五年十一月二十三目︶京都仏教大掌において開催された第六回浄土教学大会で︑. ⑯ 望月信亨﹃澤土致の研究﹄七〇八︑七〇九頁︒. ㈱. 章眞傷辮﹄について﹂と題Lて︑本論孜の一端を発表したのであるが︑そのさい︑大正犬学の脹部英淳教授より︑この点につ. 本論孜二=○頁参照︒. たお︑前記竜谷大挙図書館蔵の古写本も﹃勾創碧金剛費戒章﹄と題されている︒Lかしまた︑法. ﹃金剛賓戒章﹄はあるいは了誉聖問によって作られたものではないかとの御教示をいただいた︒. ⑲. 本論政二二二頁参照︒. いて質問をうけ︑. ㈱. ㈱. 井川定慶︑前掲論文二十五︑二十六頁︒. 本論孜二三二頁参照︒. 然真作と決定されているものの申にもこの表現が見えることから︑これだげで決定的なことはいえない︒. ⑳. 809.
(30) 8 1. 4 働 望月信亨︑前掲書七〇九頁︒. 井川定慶︑前掲論文二十五貢︒. 鶴 本論政一四〇頁参照︒ ⑳ 望月信亨﹃濠土致之研究﹄七〇八頁︒. ⑳. ︹あとが き︺. 小論の成るにあっては︑大橋俊雄氏︑小島章見氏︑戸松啓真氏の学恩に負うところが大である︒ また︑かかる研究領域へ導 かれる機縁となった﹁法然上人語録研究会﹂にたいしても感謝の意を表したい︒. 81n.
(31)
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