わが国におけるホリスティックな医療マネジメント の研究
著者 齋藤 頼香
学位授与大学 東洋大学
取得学位 博士
学位の分野 経営学
報告番号 甲第261号
学位授与年月日 2010‑09‑25
URL http://id.nii.ac.jp/1060/00003940/
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博士学位請求論文
わが国におけるホリスティックな 医療マネジメントの研究
東洋大学大学院経営学研究科博士後期課程
学籍番号:4310050001 齋藤 頼香
目次
頁 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 4 序章 本論文の目的と研究方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 9 第1節 本論文の研究目的と研究方法・・・・・・・・・・・・・・・… 9 第2節 本論文の構成・・・・・・・・・・・・・・・・・・… ・・ 12 第1章 医療マネジメントの変遷とヒューマン・サービスの特徴・・・・・… 15 第1節 病院の歴史的変遷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 15 1.米国の病院の歴史的変遷・・・・・・・・・・・・・・・・・… 15 2.わが国の病院の歴史的変遷・・・・・・・・・・・・・・・・… °23 第2節わが国の病院管理と医療マネジメントの変遷・・・・・・・・… 31 1.わが国の病院管理の変遷・・・・・・・・・・・・… 31 2.わが国の医療マネジメントの変遷・・・・・・・・・・・・・・… 37 第3節 医療マネジメントとヒューマン・サービス・・・・・・・・・… 44 1.ヒューマン・サービス(医療・保健・福祉)組織の特徴・・・・・… 44 2.ヒューマン・サービス提供における課題・・・・・・・・・・・… 51 第4節 小括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 55
第2章 医療の質向上に向けた取り組みとしての病院機能評価・・・・・・… 58 第1節 医療機能評価機構による病院機能評価の目的と意義・・・・・… 58 1.病院機能評価の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 58 病院機能評価の目的と導入の意義・・・・・・・・・・・・・・… 71 第2節 病院機能評価導入の効果と課題・・・・・・・・・・・・・・… 73 1.病院機能評価導入の効果・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 73 2.病院機能評価の課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 74 第3節 小括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 75 第3章病院におけるISO9001(品質マネジメントシステム)の品質監査・… 76 第1節 ISO9001の目的と意義・… ■・・・・・・・・・・・・… 76 1.ISO9001の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 76 2.ISO9001の目的と意義・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 86
第2節 ISO9001導入の効果と課題・・・・・・・・・・・・・・・・… 88 1.ISO9001導入事例・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 一} 88 2.ISO9001導入の効果と課題… −t… ■一一一・ ii− ・ 90 第3節 医療の質向上に向けたマネジメントシステム・・・・・・・・… 93 1.品質マネジメントシステムから総合的品質マネジメントシステム
への転換・… 93 2.品質マネジメントシステムから総合的品質マネジメントシステム
への転換事例・・97 第4節小括・・・・・・・・… 一・・・・・・・・・・・・・… 99 第4章 病院におけるISOI4001(環境マネジメントシステム)の環境監査・一一・101 第1節 ISO14001の目的と意義・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 101 1,ISO14001の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 101 2.ISO14001の目的と意義・・・・・・・・・・・・… .......103 第2節 ISO14001導入の効果と課題・・・・・… −e・・… … 105 1,ISO14001導入事例・・ 一一 一 ・一一・・・・・・・・・・… 105 2.ISO14001導入の効果と課題・・・・・・・・・・・・・・・・・… 107 第3節 小括・・・・・・・・・… ◆・・・・・・・・・・・・・… 109 第5章医療における統合マネジメントシステム・・・・・・・・・・・・… 11]
第1節 病院機能評価による第三者評価への取り組みとISO9001の比較検討・111 1.病院機能評価とISO9001の比較検討・・・・・・・・・・・・・… ]】1 2,病院機能評価とISO9001の双方の導入効果・・・・・・・・・・… 114 第2節 ISO9001とISO14001の統合・… 一一一e・・・・・・・・… 117 1.ISO9001とISO14001の導入事例・・・・・・・・・・・・・・・… 117 2.ISO9001とISO14001の統合・・・・・・・・・・・・・… −t・・119 第3節統合マネジメントシステムとHSR(Hospital SociaユResponsibility)
° ・ … 125 1.CSR(Corporate Social Responsibi!ity)の意義一… 一・・125 2.統合マネジメントシステムとHSRに向けた取り組み事例・・・… 131 第4節 小括・・・・・・・・・・・・… 一一・・一・・・・・… 146
第6章 医療マネジメントにかかわる重要概念とホリスティック医療・・… 149 第1節 医療におけるケア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 149 1.ケアの概念・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 149 2.ホリスティック医療におけるケア・・・・・・・・・・・・・・… 154 第2節 ナラティブ・ベイスド・メディスン・・・・・・・・・・・・… ]61 1.ナラティブ・ベイスド・メディスンの概念・・・・・・・・・・… 161 2.ホリスティック医療におけるナラティブ・ベイスド・メディスン… 165 第3節 インフォームド・コンセント・… ■一・・■■・・・・・… 168 1.インフォームド・コンセントの概念・・・・・・・・・・・・・… 168 2.ホリスティック医療におけるインフォームド・コンセント・・・… ]70 第4節 小括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 172 第7章 わが国におけるホリスティックな医療マネジメント・・・・・・… 174 第1節ホリスティックな医療マネジメントに向けた新統合・・・・・… 174 1.ホリスティソクの概念とホリスティック医学・・・・・・・・・… 174 2.ホリスティック医学に基づいた医療と統合マネジメント・・・・… 182 第2節 わが国におけるホリスティックな医療マネジメントのあり方・… 192 1.わが国の医療におけるスピリチュアルなマネジメントと
ホリスティックな医療マネジメント… 19.・2 2、わが国の医療における病院版スーパーISOと医療版スー一一・パーISOの実践指針 とホリスティックな医療マネジメント・・208 第3節 小括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 214
結論 わが国におけるホリスティックな医療マネジメントの実践・・・・・… 217
参考文献・・… ° ° ° ° 225
謝辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 251
はじめに
病院のあり方に関する報告書では、医療とは、「法律(医療法)には定義されていない。
定義できない理由は、医療は日進月歩の科学技術と経済情勢の影響を強く受け、変化 が著しいからである。また、国民の医療に求める質が、価値観の変化や、生活の質向 上に応じて常に上がり続けるからである。医療は文化により影響される度合いが大き く、国や地域により、時代により異なる。医療制度が、常に変化し続けている理由も ここにあるが、制度は頻繁に改定されるために煩雑となり、一般国民はもとより専門 職にとっても理解しにくいものとなっている。医療とは狭義には診療(Medical Care)
であり、広義には健康に関わるお世話のすべて(Hea!th Care)である。 Health Care とは療養を意味し、保健・医療・福祉を含む」(病院0)あり方委員会,2007,p.2)といっ ている。ここから医療が常に変動している社会に合わせたものであることがわかる。
更に、医療の変化を追ってみると、日本においては、昭和36年(1961年)に導入さ れた国民皆保険のもと、医療機関へのフリーアクセスが保証され、少ない自己負担で 医療が安定的に提供されてきた。しかし、少ない自己負担で安定的に提供されてきた 医療も、少子高齢化の波と医療技術の高度化等により、医療費が増大し、患者の自己 負担が増している。そのため、国民の医療に対する意識が大きく変化し、自己負担が 増した分だけサービスを要求する場面も見られるようになってきた。また、医師のパ ターナリズムや、患者から医師への「お任せ」といった関係が変化し、国民の医療に 対する意識の変化によってキュアからケアへの転換が求められ、医療においては生活 の質や生命の質が問われている。また、少子高齢化を反映し、疾病予防から、疾病の 治療、リハビリの継続へと医療に求められるものが幅広くなっている。
従来の医療においては、主に治療が適切に行われるようなマネジメントがされてい た。しかし、現在では、医療安全を含む医療の質や患者サービスの向上が目指され、
良質な医療を持続して提供するためのマネジメントのあり方が問われてきている。更 に、医療も選択される時代となり、国民に選択され、生き残れる医療機関を作るため のマネジメントも必要とされている。このように医療の質は当然ながら追求していく 必要があるが、医療機関として生き残っていく運営のための効率化も求められている。
また、現在のように医療に求められるものの幅が広くなると、社会の動向や環境の変 化に対応できる、根幹はしっかりあるが柔軟なマネジメントの確立が必要となってく
る。
現在では、公的病院といわれる市民病院等の運営が継続できずに閉鎖され、公共サ ービスといわれる医療を、国民が安心して受けられない危機が生じている。また、経 営資源である金の調達面ばかりでなく、医療を提供する要となる医師が適切な場に適 切に配置されていない問題も生じている。
黒川らは、「医療機関の経営者はそれぞれ工夫と努力によって、より質の高いサービ スの提供とコスト削減を図ってきた。しかし今後の人口の減少、政府による公的医療 費のコントロールなど、医療機関を取り巻く経営環境の変化は一時的なものではなく、
経営者には継続的で実効性の高い対応が求められている」(黒川・尾形監,2006a, p.2)
と医療機関の経営者に求められる変化への対応力を説明している、、さらに、黒川らは、
「これらの変化に対して、医療機関の経営者が十分に準備してきたであろうか。患者 にとって最善の医療を提供することは、医療従事者として当然の姿勢である。しかし 医療機関の経営者は、それに加えて、質のよい医療を安定して提供できる組織をはぐ くみ、地域社会における責任を果たすということも求められている。患者の声に耳を 傾け、医療技術の進歩を取り入れ、全ての職員が誇りを持って最高のサービスを提供
できるような環境を創造し、それを継続させなければならない。それが、すなわち医 療機関の経営にほかならない」(黒川・尾形監,2006a, p.2)と、医療機関の経営のあり 方を示している。
また、医療は定義が難しいと言われるように、社会性が高く、他の分野と大きく関 わりながら成り立っている。医療については、「社会性を持っということは、その組織
(社会)の構成員が、安全と便益(自由と権利)を享受する代わりに、個人としても、
組織としても、社会の一員であるという自覚をもち、社会的な使命や役割(責任と義 務)を果たさなければならないことを意味する。今、医療界に求められているのが、
社会の中の医療 という位置づけである。社会資源としての病院の第1の責任は医 療提供の継続性である。医療提供の継続性には3つの意味がある。①個々の病院にお
ける継続的な提供、②地域連携による継続的な提供、③医療から介護、社会復帰にい たる継続性の確保であり、機能分担・連携や患者の要望に応じた継続性を確保するこ とである。第2の責任は、病院を科学的かつ組織的に運営し、それぞれの機能に応じ て、良質かっ効率的に医療を提供することである」(病院のあり方委員会,2007,P.4)
といわれ、病院のあり方に報告書において、社会における医療の位置づけ、役割、責
任が説明されている。
医療における経営については、「医療とは 健康に関するお世話(Health Care) を いい、病院の業務のすべて、すなわち、診療を含む病院運営の全体を一体として考え なければならない。健全な経済的基盤がなければ施設・設備の整備や良質な人材の確 保ができず、良質な医療を提供することはできない。営利組織だけではなく、非営利 組織にも経営があり、医療の質向上とともに経営の効率化に努めなければならない」
(病院のあり方委員会,2007,p. 6)と示される。さらに、この病院のあり方報告書の2000 年度版をみると、医療の経営については、「従来は医療の実践(臨床医学)と病院経営 は別々のものとされており、医療不信の一因はここにある。医療とは狭義には診療を 意味するが、広義には病院管理を含んだ病院経営を意味するもので…体として考えな れければならない。健全な経済的基盤がなければ、施設・設備の整備や良質の人材の 確保ができず、良質の医療を提供することが出来ない。経営は、組織を運営し、限り ある資源を効率的に使って、組織の理念・目的を達成することであり、社会的な使命・
役割を果たすためには、組織を継続させなければならない。従って、営利組織のみな らず、非営利組織にも経営がある」とされ、2000年度版から2007年度版に向けて、医 療経営についての説明が整理されてきているのがわかる。したがって、ここ10年くら いの間に医療の経営についての定義が明確になってきたことがわかる。
日本における病院マネジメントの研究からは、「1990年代半ば以降になると、病院 マネジメントの重要性が認識されるようになり、経営管理者によるマネジメントが実 施されっっある」(濱井・荒井・川村,P、115)と指摘され、やはりここ10年くらの間 で医療経営や医療マネジメント、病院マネジメントといったことに対する重要性が確 認されてきたことがわかる。
近年では、医療マネジメントについて、「医療経営に加えて医療政策や医療の質管理 なども含む医療マネジメント課題を広く含む概念的用語」(小野崎,P. 172)といわれて いる。また医療は文化により影響され、社会性が高いことより、小野崎は「医療マネ ジメントに対する 3っのレンズ 」(小野崎,P、 175)の必要性を述べている。3つのレ ンズにっいて小野崎は、「1)社会、政治、マクロ経済などの視点から見た 社会のレ ンズ 、2)臨床や医学の視点から考える 臨床医学のレンズ 、そして3)組織レベルの 経営管理やビジネスとしての視点で捉える 経営管理のレンズ である」(小野 崎,P.175)といっている(図表1参照)。
このように、医療のマネジメントを探究していく上では、社会的な視点、臨床医学 の視点、経営管理の視点を踏まえる必要がある。また、近年では、人間まるごと、す なわち病というステージだけではなく、生老病死すべてを対象とする医学であり、 こ ころ からだ 環境 をひとつながりの 全体 として見ていこうとする医学であ る、ホリスティック医学の提供が求められてきている。これらのことを踏まえ、本研 究では、医療のマネジメントにおいても、さまざまな視点を踏まえ、それをひとっな がりの全体として考え、更にメンタルな点にも言及したホリスティックなマネジメン トが求められていくと考え、医療におけるホリスティックなマネジメントについて探 究していく。
図表1 医療マネジメントに対する3つの レンズ
巳蓮理のレンズ
(出所:小野崎,p.175)
したがって、医療マネジメントの変遷やヒューマン・サービスといわれる医療のマ ネジメントの特徴、そして、品質マネジメントシステムであるISO9001、病院機能評 価、環境マネジメントシステムであるISO14001の病院への導入事例から、その効果や 問題点を踏まえて、病院における統合マネジメントシステムの構築に向けた探究を進 める。そして、ホリスティックな医療のマネジメントを追究する。
すなわち、ここ10年くらいの間に重要性が認識され、「医療と経営の融合」(濱井・
荒井・川村,P.116)の必要性が高まっている現在、本研究では、変化の早い社会に対 応できる、継続可能でホリスティックな医療マネジメントのあるべき姿を探究してい
く。
ホリスティックな医療マネジメントのあるべき姿を探究していく過程において、本 研究では、包括的にアプローチし、医療におけるマネジメントシステムの統合を検討 する。そして、メンタルな面を包含したマネジメントを展望しつつ、ホリスティック な医療マネジメントを開拓していく。これがこれからの医療に求められるマネジメン
トであろうと考え、医療現場での有効性を検証していきたいと考えている。
なお医療に関する論文では倫理面に十分に配慮することが求められるが、本論文で は個人が特定されて問題となる事例はなく、すべて公開されている情報から取ったも のである。そのため、倫理的配慮に関する断わりはせずに論文を作成している、、
序章 本論文の目的と研究方法
第1節 本論文の研究目的と研究方法
先ず、本論文の研究目的について述べる。
本論文の研究目的は、今後に期待されるホリスティック医学に基づいた医療を展開 していくためのホリスティックな医療マネジメントの探究にある。そして、公共のサ ービスである医療が持続、継続し、かつ安心して受けられることも視野に入れた、ホ
リスティックな医療マネジメントを探究していく。
本研究では、医療が公共のサービスであり、医療の原点とされる、「後遺症なしに疾 病を治療し、Qualiしy of Life(QOL:クオリティー・オブ・ライフ)の向上が図れる」
ことができるように、医療の安全性を高め、国民が安心して医療が受けられる環境が 維持できることを目的にマネジメントしていくことを基軸とする。そして更に、本研 究では、以下で定義したマネジメントを踏まえ、メンタルな面を包含した、ホリステ
ィックな医療マネジメントを開拓していく。
医療におけるマネジメントの研究では、医療の質向上を踏まえての品質マネジメン トシステムを構築した事例、トヨタのKAIZENに基づき業務改善を継続していくことで、
組織のマネジメントカを向上させていくことの事例が挙げられている,,また、医療と 経営を融合させたマネジメントのあり方を追究していく必要性を提案したものもある,,
しかしながら、メンタルな面を内に含んで検討されているものはなく、本論文の研究 意義は高いと考えている。
ここで、マネジメントの概念について確認する。ドラソカーは、「組織の具体的な目 的と使命を果たすために、その組織の業務の生産性を上げ、働き手に達成感を得させ、
社会への影響に対処し、社会的責任を果たすこと」をマネジメントの努め、と述べて いる(ドラッカー,PP、115−120)。私は、マネジメントを、「組織がヒト・モノ・カネ・
情報といった経営資源を調整して、社会のニーズを満たすために、環境変化に適応さ せていくための継続的な活動と定義づける。またマネジメントの構成要素は、計画・
組織化・動機付け・調整・統制のマネジメント・サイクル、またはPDCAサイクルであ る。ここで、定義したマネジメントは先に示した、図表1に通ずるものであると解釈 し、医療においては社会のニーズが臨床医学の視点であり、持続可能な医療経営であ
り、さらにそのために経営資源を調整していく必要がある。また、社会を含めた環境 の変化に適応していくことが、持続的な医療経営、すなわち、医療提供につながる。
これらを踏まえた、これからの医療マネジメントを探究していく。
次に、本研究の方法について述べる。本研究では、病院管理の変遷、多くの専門職 種が働く、医療マネジメントの特徴を基に、病院機能評価、品質マネジメントシステ ム、そして、環境マネジメントシステムを統合し、メンタルな面を包含したホリステ ィックな医療マネジメントを文献、実践事例から考察する。
更にホリスティックな医療マネジメントを進めていくうえでは、メンタルなマネジ メントをも内に含み、QOLの向上において重要と考えるケアを中心におき、Narrative−
based Medicine(ナラティブ・ベイスド・メディスン)、 Int+ormed Consent(インフォ ームド・コンセント)を踏まえて探究する。
ここで、ホリスティックな医療マネジメントの研究の基礎となる、既存の医療マネ ジメントの研究について述べる。
日本においては、平成7年版の厚生白書(現在の厚生労働白書)において、国民の 6割が医療をサービス業ととらえているという調査結果が発表され、医療はサー一ビス 業であるとして、利用者である患者が満足できる医療にっいて考えるようになった。
それに応じて医療に携わる者は、利用者である患者にわかるように医療内容の可視化 に努めてきた。
また、日本では病院の管理は病院管理学として研究されてきた。戦後の日本の病院 は、「占領軍総司令部の公衆衛生福祉部からNX欧州における中世紀のそれに等しい と 指摘をうける状態にあった。公衆衛生福祉部は厚生省に対し、11の課題に即して病院 管理の近代化を図ること、および病院管理従事者の養成機関を設置することを指示し た。これを受けて、厚生省は、病院管理の調査研究と管理者養成を目的に、1949年に 国立東京第一病院(現国立国際医療センター)内に病院管理研修所を発足させ(1951 年に病院管理研究所として独立)、病院管理学という用語を使用することになった」(濱 井・荒井・川村,PP. 98−99)といわれ、占領軍の指摘を受けて病院管理の近代化を図り、
病院管理の調査研究と病院管理者養成を開始し、このころから病院管理学という用語 を用いて発展してきたのである。
1957年には、東北大学の島内によって、病院管理学が刊行された。島内は管理を、
「一方に対外的な能率性をめざし(統制)、他方に、対内的な自由性を発展させていく
(調整)こと」(島内,P.353)であるとした。
また、病院管理学の分野では、1970年から1972年にかけて『病院管理大系』、全6 巻が出版された。内容としては、「病院管理研究所を中心に行われてきた25年の研究 成果の集大成であり、第2・3『業務1・1]1』と第4巻『経営』では、病院の経営管理 について詳細な記述がなされている。このうち『病院管理大系第4巻 経営』では、
(中略)病院の労務管理、とりわけ労使関係、人間関係管理と採算管理に多くの頁が さかれている」(濱井・荒井・川村,.PP.100−101)と説明される。
1970年代においては、「第二次医療技術革新が起こり、診療技術の水準を飛躍的に 向上させ、疾病の早期発見・早期治療に貢献するようになった。(中略)病院は多額の 設備投資をせまられた。民間病院においては過大な借入金・金利負担から、倒産する
ものも出るようになった。この時期の病院管理は、こうした経営危機からの脱却に重 点が置かれる」(濱井・荒井・川村,p.102)ようになったといわれ、高額の機器の購入 にあたって、部門別損益計算の必要性が問われるようになり、購入にあたる外注また はシェアド・サービスの導入についても論じられるようになった。
平成に入ってから、病院管理学としては、「自院の経営を客観的に把握し、原価管理 を充実させて経営の 効率化 を図ろうとする機運が高まりつつある」(濱井,荒井,
川村,p,103)と説明され、病院にも原価管理が導入されてきたことを示している。ま た、この時期には、「狭義の原価管理ではなく、医療の質の管理と原価・効率性管理と を統合した、広義の原価管理(品質・原価統合的管理)の手法として、米国医療界に おいて普及しつつあるクリティカル・パス(診療プロトコール)マネジメント、品質 コストマネジメント、活動基準管理、及びバランスト・スコアカード(BSC)を提示す るとともに、(中略)各手法の日本病院界における適用可能性について論じている」(濱 井・荒井・川村,PP.103−104)といわれ、質を考慮した経営への流れを示している。
また、制度環境の急速で大幅な変化を背景とした医療界については、「社会と医療界 が大きく転換しつつあり将来が不確実で、医療が供給過剰で経営環境が競争的となり、
医療の発展や国民の意識変化によって病院経営が複雑化している今こそ、戦略的経営 が必要であるという。戦略的経営の起点は、計画、執行、評価、計画の見直しと続く 戦略サイクルを病院内に形成することで、その過程は、戦略分析、戦略選択、戦略管 理からなる」(濱井・荒井・川村,P.104)といい、経営戦略の必要性を述べている。
1990年代以降は、病院管理領域においては、「 医療の質 について多く言及され
た時期でもあった。(中略)医療連携、クリティカル・パス、CS(顧客満足)、情報標 準化・Evidence Based Medicine、危険管理・危機管理・安全管理、在院目数短縮戦略、
情報開示と情報公開、病院機能評価は、まさに医療の質の問題である」(濱井・荒井・
川村,P.105)といわれ、医療の質を追求するための手法が盛んに導入された。
また、病院管理の研究と共に日本では、医療経済学の研究が進んできた。これらが 並行して研究されて影響しあってきた。
1970年代の医療経済学の研究は、「医療費増加問題および医療の配分の問題であっ たが、健康と疾病の両方を経済的に分析した研究も行われた」(濱井・荒井・川村,p 106)
と説明される。
1980年代には、「医療経済一般の考察を行ったもの、医療と福祉を一体として研究 したものなどもあるが、その中心はそれまでと同様、医療費問題および医療配分の非 効率の問題であった」(濱井・荒井・川村,p.107)といい、医療費問題および医療配分 の非効率の問題についての研究が続いた。
1990年代には、「医療システムの改革に向けて、生命の質(Quality of Life)、予 防、検査、治療、病院情報システム等の経済評価を行ったもの、学生および医療関係 者を対象に、経済学のロジックを用いて医療問題を解説したテキスト、疾病の発症以 前も含めて医療・保健を経済学的に分析したものもあるが、中心は医療費および医療 の配分に関する研究であった」(濱井・荒井・川村,p.108)といわれ、1990年代も医 療費および医療の配分に関する研究が中心であった。
以上のように、日本の医療のマネジメントとしては、病院管理学、医療経済学の双 方からの研究が進み、双方が影響しあってその時代に応じた管理の手法が導入、研究
されてきたことがわかる。
第2節 本論文の構成
本論文では、8章の構成とする。
第1章「医療マネジメントの変遷とヒューマン・サービスの特徴」では、病院の歴 史的変遷から、わが国の病院の成り立ちを理解し、更にヒューマン・サービス組織と いわれる医療機関の特徴を踏まえ、医療マネジメントの変遷、及び特徴を考察してい る。そして欧米との病院の成り立ちの違いを踏まえて、わが国における医療マネジメ
ントの特徴及び複雑性を明確にしている。
第2章「医療の質向上に向けた取り組みとしての病院機能評価」では、医療マネジ メントを考えていく上で最も重要な医療の質向上に向けた取り組みに関わる病院機能 評価について考察している。この質の向上に向けた取り組みである病院機能評価を受 審し、認定されることによって、診療報酬として算定されるので、収益の面にも反映 されることになる。めざすべき医療マネジメントは、医療の質向上につながる必要が あり、効率ばかりを追求はできない。そのため、医療マネジメントの基本となる、医 療の質向上に向けた病院機能評価にっいての、病院における意義、課題を検討してい
る。
第3章「病院機能におけるISO9001(品質マネジメントシステム)の品質監査」で は、第2章の考察を踏まえ、医療の質の向上に向けた、品質マネジメントシステムの 意義から医療マネジメントの探究に向け、マネジメントシステム構築の基盤を検討し
ている。
第4章「病院機能におけるISO14001(環境マネジメントシステム)の環境監査」で は、第3章を踏まえ、医療の統合マネジメントの検討に向け、環境マネジメントシス テム導入の意義を検討している。
第5章「医療における統合マネジメントシステム」では、病院機能評価による第三 者評価への取り組みとISO9001の比較検討から、品質マネジメントシステムの有効性
を検証し、総合的品質マネジメントシステムへの取り組み事例にも言及している、、
また医療の質向上のために病院機能評価およびISO9001への取り組みの必要を導い
ている。
ISO9001とISOI4001の統合の事例から、医療における統合マネジメントシステムの 効果を明らかにしている。また、病院の社会的責任に向けたマネジメントシステムの あるべき姿にっいても言及している。
第6章「医療マネジメントにかかわる重要概念とホリスティック医療」では、ホリ スティックな医療を探究していく上で、重要となるケア及びナラティブ・ベイスド・
メデイスン、エビデンス・ベイスド・メデイスン、インフオームド・コンセントにつ いて関係を明らかにし、ホリスティック医療を展開していくことがホリスティックな 医療マネジメントの実践につながっていくことを提示している。
第7章「わが国におけるホリスティックな医療マネジメント」では、ホリスティッ
ク医学に基づいた医療を明らかにした。ホリスティック医学が実践できる医療マネジ メントシステムの構築に向けて、メンタル面のマネジメントを含んだホリスティクな 医療マネジメントを探究した。わが国におけるホリスティックな医療マネジメントの 実践に向け、病院機能評価、ISO9001、 ISOI4001の統合マネジメントシステムの構築 を踏まえ、更に病院の社会的責任を果たすために、メンタル面に介入できるマネジメ ントの構築に向けて、わが国における病院版スーパーISOと医療版スーパーISOの実践 指針を作成している。そして病院の社会的責任を果たすために統合マネジメントシス テムにメンタル面のマネジメントを加え、医療のマネジメントとしての新統合を考察
した。
結論「わが国におけるホリスティックな医療マネジメントの実践」では、わが国に おける病院版スーパ・一一 ISOと医療版スーパーISOの実践指針をホリスティソクな医療 マネジメントの一つのモデルとして作成し、ホリスティックな医療マネジメントのモ デルの関係を示した。
本論文のオリジナリティーは、メンタル面も視野に入れた、医療におけるホリステ ィックなマネジメントを探究したところである。また、ホリスティックな医療マネジ メントの実践に向けて、病院版スーパー一・ISOと医療版スL−一一パーISOの実践指針を作成し たところである。そしてホリスティックな医療マネジメントに向け、病院機能評価、
ISO9001、 ISO14001の統合マネジメントシステムを踏まえ、病院の社会的責任を果た していくために、病院版スーパーISOと医療版スーパーISOの実践指針を活用した新統 合を提示したことである。
第1章 医療マネジメントの変遷とヒューマン・サービスの特徴
本章では、日本の医療を考えていく上で切り離せない、諸外国、特にアメリカの医 療提供の場である病院に何が求められきたか、そして、その病院を取り巻く環境がど のように変化し、そのために病院がどのような変遷を辿ってきたかを探究していくこ
とで、病院を取り巻く環境の変化から、日本における病院の変遷を明確にする。
そして、わが国の医療マネジメントの変遷を辿るとともに、ヒュ・一一一マン・サービス といわれる医療の特徴を踏まえて、わが国の医療マネジメントの姿を明確にする。
第1節 病院の歴史的変遷
1.米国の病院の歴史的変遷
川渕は、「病院を英語ではホスピタル(Hospita1)といい、ドイツ語ではクランケン ハウス(Krankenhaus)という。クランケンハウスとは、クランケ、つまり患、者のハウ ス(家)という意味である。ホスピタルも、ホテル、ホステル、ホスピスなどと同一語 源から出ており、ホスピタリティ(Hospita!ity)は旅行者やお客を適切にもてなすこ とである。つまり、患者を収容してお世話するところという意味である」(川渕,2008a,
p.94)とホスピタルを語源とする病院にっいて説明しており、病院の起源はお世話をす るところであったことがわかる。
川渕は、欧米の病院の起源をさかのぼって、「古代ギリシャ医神アスクレビオスを祭 った神殿に達するという。神殿は、病気の原因や治療法を知るために神託を聞くとこ ろであったが、同時に各地から巡礼者が集まり、病気の知識や経験を学ぶことのでき るところでもあった。そこで神の救いを求め、治療を受けるために神殿に集まってき た患者を収容する場所として病院が発生したのである。その後、キリスト教時代に入 ると、教会や修道院が孤独で貧窮な病人を収容する附属施設をもつようになる。布教 活動の一環として衣食を与え、修道尼が献身的に彼らの身の回りの世話をしてきた。
当時は、もっぱら病人の生活の場所であり、病院には医師はいない。必要に応じ、来 院して患者を診察する。修道尼が患者の看護に従事していた。アメリカの病院が看護 付きのホテルとなったのもここに起源がある」(川渕,2008a, P.95)と説明している。更
に、現在の病院への流れは、「このような看護施設としての患者の宿ができた後、近世 になって医学の発達が医師を病院に送り込むようになり、単なる患者収容施設から科 学医療の殿堂へと変革が行われてきたのである」(高橋,1995,P.2)といい、アメリカ の病院のはじまりが看護付きの宿泊施設であったことがわかる。
看護については、「それは修道尼による宗教的奉仕の精神、すなわち愛の実践による 看護であった」(高橋,2001,P.5)と説明され、この時の奉仕の精神、愛の実践は現代
の看護にも通ずるものといえる。
看護師養成は、「ルネッサンス以降、国力の伸長や市民社会の発展にともない、宗教 活動ではない慈善病院や国公立の病院が数多くっくられはじめた。この結果、修道尼 の看護を期待できない病院が多くなり、看護を専門の職業とする職業看護婦の養成が 行われることになった」(川渕,2004,p. 3)といわれるように、病院の増加に伴い、看 護師の養成が必要になってきたことがわかる。
そして病院のあり方については、「近世も後期になると、医学とくに外科学の進歩が 著しく、滅菌法や麻酔法、検査法が相次いで開発されていった。病院はそうした診療 を実施する場所として、成長していった。このころから、高度の新しい医療を求めて 名医も病院に専属し、王侯や金持ちも病院を利用するようになり、従来の貧民を対象 とした療養施設から近代病院へと脱皮してきたのである。この発達の過程からも明ら かなように、病院は患者の生活の場であり、看護婦は患者の療養生活を助ける人たち であるというのが、基本的な性格でもある。だから、かつては、牧師か修道尼が院長 をっとめていたし、現在でも医師が院長をつとめている病院は少ない。アメリカでは 数パーセントとさえいわれている」(川渕,2004,p.3)と、病院が治療の場というより、
生活の場であったことがわかる。
医師の立場については、「病院という専門施設の利用者である。患者の生活と診療上 の便宜を目的に、施設・設備がつくられ、専門の人たちが診療上の協力体制を整えて いる。そこへ医師が乗り込んで、施設や組織をフルに利用して診療を行うという考え 方である。この典型的なのがアメリカのいわゆるオープン・システムである。医師は 病院には雇われてはいない。自分のオフィスを構えて外来診療を行う。しかし、もっ と詳しい検査が必要であるとか、手術しなければならないというときには、自分が契 約した病院に患者を送り込む。手術の際は、病院の手術室で自分が行う。術後はその まま入院させるが、自分は主治医として診療の責任をとり、毎回回診に病院を訪れる。
病院にいないときは、病院の住み込み医(レジデント)に患者を受け持たせるが、主治 医はあくまでも自分である」(川渕,2004,P.3)と説明されるように、医師も患者と同 様に病院の利用者であったことがわかる。
入院施設や入院の考え方は、「米国でホスピタル(Hospita1)といえば入院施設を意 味する言葉で、この語義のなかには外来診療は含まれていない。医学校付属病院や公 立病院で外来診療も行う場合は必ず別にクリニック (clinic)という表示がある、,入 院日数の数え方も米国のように患者の宿泊施設として発展してきたところでは、ホテ ルと同じ1泊、2泊という数え方である。入院日数2日といえば一一昨日入院して今日 退院した2泊3日を意味する。わが国ではこれを3日と数えるが、これは医師が3日 間診療したという医師の診療日数を数えているのであり、入院日数の数え方という点 からみても欧米との病院の歴史の相違がわかるのである」(高橋,2001,p、6)と、欧米 の病院が生活の場から発展してきたために、日本と欧米において異なるのである。
戦後、病院医療の手本としてわが国に多大な影響を与えたアメリカの病院医療の事 情を遡ると、アメリカの病院医療の近代化に直接影響を及ぼしたのは、「1918年に始 まったアメリカ外科学会による病院標準化運動であった。この学会は私的団体である が、厳重な会員資格規定を設け、入会を希望する者に対して手術記録の提出を要求し た。そして病院の規準を決め、規準に合格した病院以外で行った手術は審査の対象と して認めないことにしたのである。このため全国の病院が影響を受け、この規準に合 うように施設の改革が行われたのであった」(高橋,1995,p.3)とのように、アメリカ 外科学会の病院標準化運動であり、この標準化の基準に合うように病院の改革がおこ なわれてきたのである。この出来事で注目すべきは、日本において1985年に厚生省(現 在の厚生労働省)と日本医師会が合同で開始した、医療の質向上の取り組みが、アメ
リカでは既にこのときから行われていることである。この時から、アメリカにおいて この質向上の取り組み、すなわち標準化から施設の改革が行われてきたことは、アメ リカの医療と日本の医療との歩みの違いを示している。
また、欧米では病院管理者には医者でないものが多かった。アメリカではr門外漢 であるマネジャーによるものであったので、病院の近代化の進展に伴い、この複雑な 医療の実践の場である病院の運営について、単なる経験からのみではよい管理が行わ れないとされるようになった。そのため学校教育による病院管理者の養成が図られ、
大学院の修士課程に病院管理学部が設置されることになった。その最初のものは1934
年にシカゴ大学に作られ、以降、公衆衛生学部または商学部などに設置され、今日で は病院長はこのマスターコー一一一一スの修ア者によって占められるようになっている」(高 橋1995,PP.3−4)といわれ、今日では、米国の病院長は修士課程修r者によって占め
られるようになっている。日本では病院長は医師であり、そして病院経営者という者 の養成はされてこなかったが、欧米では1900年前半から病院管理を学問として、病院 管理の専門家を養成してきた。
ここで、日本に大きな影響を与えている、アメリカの医療保険制度についてみてみ ょう。今村らは、アメリカ医療保険制度史から、「先進各国は全国民に対する医療の公 的支援を実現している。日本、ドイツ、フランスは、社会保険方式を中心とした国民 皆保険を実施している。イギリスは、税方式の国営医療によって医療サービスの無償 提供を実施している。その唯一の例外とは、米国である。現在の米国は、2億8千万 人の全国民の約60%が民間医療保険に加入しており、その中の約95%がManaged Care と称される医療保険サービスを享受している。公的医療保険の対象は全国民の25%に 過ぎない。その内訳は、連邦政府が運営する高齢者および障害者を対象とする医療保 険制度であるMadicare(メディケア)が全国民の14%、州政府が運営する、極貧者を 対象とする病院費用や医療費をカバーするMadicaid(メディケイド)が11°/・である。
一方、無保険者が全国民の15%を占めている。無保険者は、Madicaidの対象となるほ どには困窮していないが、民間医療保険の高額な保険料を支払うことができない非高 齢者がほとんどである。お金がなくて医療を受けられない者が数多くいる」(今村・康 永・井出,pp.36−37)といい、アメリカの医療保険制度の問題点を指摘している。
米国の医療は、「米国は、第二次世界大戦の戦勝国であると同時に、国土のほとんど が戦禍を免れることのできた数少ない幸運な国の1つである。ヨーロッパや日本が戦 後の停滞期にあえぐ中、米国だけがいち早く急速な経済発展を遂げた。政治・経済の 安定は、社会保障システムの構築と発展を促す。戦争直後から国民の健康と福祉に目 を向けるだけの経済的な余裕があった国は、米国だけである。1946年、ヒル・バート ン法(アメリカ病院協会の提案等が機運となり連邦政府が積極的に医療施設の建設・
改善を行う目的で制定されたものである。Hill−Burton Act、病院調査・建設法:
HosPita!Survey and Construction Act of 1946である、日本ケアワーク研究会ホー ムページより)のもとに病院建設補助金支給制度が創設されて以降、米国各地で近代 的な病院設備の新設ラッシュが起こった。これにより、米国の消費文化の拡大ととも
に、これまでに医療を享受することのできなかった市民たちも、次第にサービスを求 めるようになっていった。経済発展に伴う税収増は、連邦政府が科学研究を支援する ための豊富な国家予算を組むことを可能にした。1954年に国立衛生研究所が創立され、
癌、心疾患をはじめ、各種疾患に対する基礎・臨床研究に巨費が投じられた。必然的 に米国は、医学研究においても世界トップの道を歩み始めた。(中略)しかし、完全自 由主義経済が生み出す貧富の差が顕著となり、それが国民の健康や福祉にも影響を与 え始めていた。すなわち、貧困ゆえに医療を享受できない国民が、1966年ごろから増 え始めていたのである」(今村・康永・井出,pp.37−38)といわれる。すなわち、自由 主義経済から貧富の差が顕著となり、貧困ゆえに医療を享受できない国民が増え始め てきたのである。
この後、アメリカにおいて、Madicare(メディケア)が、 Madicaid(メディケイド)
とともに1966年に導入された。それは、ジョンソン大統領が、偉大なる社会政策の一 環として実現したものである。Madicare(メディケア)は、入院サービスを主体とす る強制加入のMadicare Part Aと、外来を対象とする任意加入のMadicare Part B に区分される。Part Aの財源は1980年の初頭にはすでに枯渇しかかり、何らかの打 開策を必要とした。そこに登場したのがDRG/PPS(diagnosis related group/
prospective payment system、診断群分類/包括支払い方式)であ一)た(今村・康永・井
出,pp.38−39)。
Madicareの枯渇した財源の打開策に、 DRG/PPS(diagnosis related group/
Prospective payment system、診断群分類/包括支払い方式)が考えられた。 DRG/PPSの説 明については、「DRGは、もともと1970年代にエール大学の数学者が開発した、Casemix モデルである。国際疾病分類に準拠した診断名と、治療法および患者の属性などの組 み合わせに従って、患者群を類型化した体系である。(中略)DRGは本来、医療情報の インフラストラクチャ・一一 (infrastructure、有効に機能させるために必要となるシス テム)というべき位置づけであったが、包括支払い制度ともリンクされた。患者ごと の重症度を考慮しない、1件あたり定額支払い(per case paymennt)が導入された。
それによって過剰な処方や無駄な検査は排除され、医療費が減少することが期待され た。まさにDRG/PPSは、連邦政府肝入りの医療費抑制政策である。(中略)1件あたり定 額制という支払い方式は、入院患者の平均在院日数(病院に入院している平均θ)日数)
に顕著な影響をもたらした。1983年のDRG/PPSの導入当時は、急性期入院(急性期の
治療を必要する入院)の平均在院日数は9.6日であったが、1年で7.4日に一一気に短 縮した。病床稼働率([入院患者数+退院患者数]/病床数×100で計算する、病床稼 働率は高いほうが良いとされる)は73%がわずか2年で65%に下落し、空床状況が顕 在化して、病棟閉鎖や病院合併の引き金をひいた。急性期病院の病床数・一般病床数 は、1983年の102万床、5,843施設から、1996年には86万床、5,160施設まで激減し、
今も減り続けている」(今村・康永・井出,PP.39−40)といい、 DRG/PPSの導入による 期待と、その期待に反した効果にっいて述べている。2003のデータでは、3、3/人口
1,000人当たりの病床数とされ、人口が約3億人とすると6.6万床、5,000施設以下と いわれる(OECD Health Data 2005より)。
1984年にはDRG/PPSの問題点を指摘した論文が出された。それは、「 DRG/PPSによ る1件当たり定額制を導入しても、医師が入院数を増やせば、その医療費節約効果は 帳消しになる という趣旨のものである。在院日数を短縮して空いたベッドに新規入 院患者を入院させれば、病院の収益は増加する。しかがって、さほど入院の必要のな い患者まで短期入院させて収入を増加させるというインセンティブが働きやすくなる。
その結果、適応のない治療や手術が余計に施される、という弊害が助長される」(今村・
康永・井出,p.42)というものであった。
そこで、アメリカにおいて脚光を浴びた仕組みは、Managed Careであり、それは「平 たくいえば、保険会社が無駄、不必要と判断した医療行為に対しては、かかった医療 費が保険会社から病院に支払われないシステムである。Managed Careは、国民の実に 60%が加入する民間医療保険が提供するサービスであり、さまざまなサービスプラン が存在する」(今村・康永・井出,p.45)といわれる。 Managed Careの失敗として、今 村らは、「1970年から1980年代初頭の米国の世論は、医療亡国論にすら傾いていた。
GDPの14%を喰いつぶす医療はまさに非効率の権化と考えられた。(中略)残念ながら、
Managed Careがマクロの国民医療費に対してもたらした効果は、限定的であり、しか も長続きしなかった。Managed Careの失敗の原因は、ひとえにそれがあまりにも急激 に拡大し、医療従事者や患者が順応できるテンポを無視して、性急な量的削減に猛進
したことにある、と考えられる。Managed Careによるコスト削減は米国の医療の質を 低下させた、という批判はよく聞かれる。個々のケー一一一スにおける医療サービス提供が 量的に低下したことは明らかである。しかしサービスの量の低下が、治療成績や予後 などのアウトカムにどの程度影響を与えたかについては、不明な部分が多い。Managed
Careが、医療の質に与えた影響にっいての精緻な分析が驚くほど少ないのは、 Managed Careに対する半ば感情的な反対論が激化し、冷静な分析判断が阻害されるという事態 が生じていることが原因と考えられる。(中略)医療従事者にも国民にも不評を買って
しまったManaged Careは、変革への指向を余儀なくされている」(今村・康永・井出,
PP.46−47)といっている。
1gg3年から政権の座に着いたクリントン大統領にっいては、「財政均衡、社会福祉 制度改革とともに医療制度改革をうたった。そして、米国民の15%が無保険者である という問題を解決するために、国民皆保険の導入をもくろんだのである。(中略)野党 のみならず与党からも反対意見が起こり、議会で投票に持ち込まれることもなく、国 民皆保険構想は霧i散霧消した」(今村・康永・井出,pp,47−48)といわれ、国民皆保険 の導入を試みたが、もろくも崩れてしまった。
国民皆保険の構想が崩れた後のことについて、今村らは、「患者の権利法という奇策 を打ち出した。法案は、反Managed Care法ともいえる内容である。(中略)しかし結局 この法案は、彼の在任中に議会を通過することはなかった」(今村・康永・井出,
pp.48−49)といい、 Managed Care改革に転換すべく新たな法案成立に向かって動いた が、それも実ることはなかった。
最後に、今村らは、「米国の医療システムは、合理性を追求しつくした末の不合理、
といえるかもしれない」(今村・康永・井出,p.49)と説明している,,米国は、世界最 高といえる医学、そして多くの分野で世界最高といわれる医療技術を持っているが、
今村らは、「最高の医学・医療技術を国民に分配する医療システムは、世界最高の不平 等・非効率を誇っている」(今村・康永・井出,p,49)と説明している。
アメリカは、第二次世界大戦の戦勝国であったために、いち早く社会保障の構築と 発展がなされた。医学研究にも巨費が投じられ、世界トップの道を歩み始め、世界的 な医学の向上にも貢献しているといえる。しかし貧富の差による問題も露呈し始め、
それに対する対策から、徐々に財政破綻に向かっていった。そして、「利益重視の医療 環境を作り出してしまった」(今村・康永・井出,P.49)といわれる。そして、「米国の 医学は世界最高である。米国の医療技術も、多くの分野で世界最高である。そして、
最高の医学・医療技術を国民に分配する医療システムは、世界最高の不平等・非効率 を誇っている」(今村・康永・井出,P.49)という状況を導くことになった。
2009年にはアメリカの大統領はオバマ大統領になった。以上の状況を踏まえオバマ
大統領は内政の重要課題として医療保険制度改革を挙げ、公的保険制度の創設を柱に している。公的保険制度の創設によって全人口の15%、約4600万人の無保険者が救済 されることになるという。しかし上院財政委員会では、政府の関与が強まりすぎて民 間保険を圧迫し、財政支出も増大する、として、野党共和党議員の大半が反対を表明 し、多数派の民主党内でも意見が分かれていたという。歴代民主党政権がなし得なか った成果を得るのか、これからの行方に関心が持たれている。(2009年10月15日付 け朝日新聞記事より)
米下院は3月21日、オバマ米大統領が内政の最重要課題に掲げる医療保険制度改革 の関連法案を219対212の賛成多数で可決した。同法案は、オバマ氏の署名を経て成 立する。オバマ氏は就任以来の公約としてきた医療保険制度改革で一定の成果をあげ た形だ。先進国のなかで保険加入率が著しく低かった米国の制度の歴史的な転機とも なる。下院が同目に可決したのは、上院が昨年末に可決した関連法案。上下両院を通 過したことで議会での手続きが完了し、大統領が法案に署名、成立する環境が整った。
オバマ政権は、上下両院が可決した関連法案が成立すれば、必要な経費は今後10年間 で約9400億ドル(約85兆円)と試算。民間保険の加入基準の緩和や保険加入のため の政府の補助などによって、保険加入率を現在の83%から95%まで引き上げることが 可能としている。オバマ氏が当初掲げた新たな公的医療保険制度の創設は見送られた。
オバマ氏は同日、ホワイトハウスで声明を読み上げ、XX今日の投票は一つの政党の勝 利ではなく、米国民の勝利だ などと語った。(2010年3月22日付け、Asahi.comの
記事より)
マイケル・E・ポーターらの著書では、「真の医療改革を起こすには、すべての人が 医療保険でカバーされるようなシステムに移行しなくてはならない。皆保険と価値を 向上させる競争によって、医療提供の効率と有効性が劇的に改善するのである。皆保 険を達成するには、保険の規制や規則の一部変更を含む、いくつかのステップが必要 となるだろう」(マイケル・E・ポータ・一一一一他,P,501)といっており、米国においては、
昭和36年から実施されている日本の皆保険制度の導入が期待されていると説明して
いる。
2.わが国の病院の歴史的変遷
わが国の病院の原型は、6世紀ごろ、聖徳太子が大阪の四天王寺に難民救済のため に開いた収容所だといわれる。この収容所は身寄りのない病人を収容した施設である。
その後は仏教と共に導入された唐医方(漢方医学)によって、僧医が民間医療にあた り、温泉を開いたりした。そこでは「漢方医であるから手術もなく、在宅での投薬と 家族看護ですんでいた」(川渕,2008a, P.96)といわれるように、わが国の病院の原型は、
看護が中心の収容所であった。
さらに、わが国の病院の歴史をたどると、「奈良時代に施薬院と悲田院が貧窮者や病 者を養ったとあり、平安時代にかけて施療活動が行われた記録がある。また江戸時代 には享保7年(1722)に、小石川薬園の中に養生所がつくられ、貧困の病者を収容し、
初め40床、後に170床となり、年額700〜840両の経費を要したというが、これらは いずれも官制の極貧階級に対する施療を行う社会事業施設であった。そしてこれらの 制度は、すべて明治維新とともに滅んでしまっている」(高橋,1995,p.1)と、奈良時 代から江戸時代にかけて、貧窮者や病者を養う社会事業を行っていたことがわかる。
そして「洋式病院の始まりは、幕府が初めて公式に招いたオランダ軍医ポンペによ って開設された西洋医学の教習所である長崎医学所が、臨床実習のために付属させた 文久元年(1861)開院の長崎養生所である。これは医育機関でもあり、病床数は120床 で外来患者も扱い、それまでの施療施設と異なり有料で、今日のわが国の病院の原型 をここに見るのである」(高橋1995,p.1)と現在の病院の原型を説明している。
さらに、「明治に入り漢方が廃せられるに及び、各所に洋式病院が建てられたが、官 公立病院は医学校付属病院が主であった。私立病院は佐藤尚中の順天堂、佐々木東洋 の杏雲堂などのように 外科の順天堂、内科の杏雲堂 という評判をとる特定の名医 が中心になって設立されたものである。これらの医療施設の発展の有様をみると、病 院とは言っても患者の収容施設として始まったのではなく、医師の医院(外来診療所)
が拡大し発展して入院設備を持つに至ったものである」(高橋,1995,P.2)といわれる ように、病院は、医師の医院(外来診療所)が拡大し発展して入院設備を持つに至った ものであることがわかる。米国では、生活の場が病院であり、そこに医師が訪問して いた。日本では、「初めに医者があったわけで、医師の家に患者がやってくる形態であ る。従って、医師が行う医療行為のみをもって疾病の治療に当たる気風を生じ、その
他の条件に関しては全く顧みられることがなかった。これは第二次大戦後まで続いた のであって、病院といっても大型の診療所にすぎず、患者収容施設としての機能は非 常に少なかった」(高橋,2001,P.5)といわれ、医師の家に患者がやってくる形態であ
り、米国との相違がみられる。さらに日本では、病院は入院施設としてはかなり未整 備で、昭和30年ごろでも患者が入院する場合には、「病院は病室の部屋を貸すだけで、
入院患者は寝具や生活用具一式を自分で運び込み、さらに家族が泊り込みで付き添っ て、看護から食事の世話までの一切を行うのが常であった。看護婦の業務は病状の観 察と医師の診療の介助がほとんどで、患者の療養上の世話はほとんど行われなかった。
(中略)戦後かなり長い間、医学の水準は決して低くはないが、この国には近代的医 療がないなどと言われ続けたのはこのようなためであった」(高橋,1995, p. 2)といわ れ、家族による世話が必要であった。それは、「病院といっても医師の診療所の大きい
もので、その機能だけが重視されていたのであった」(高橋,2001,p. 7)といわれるよ うに、医師の診療機能が重視され、入院中の療養の世話に配慮がされていなかったた
めである。
またわが国では、「同一医療施設内に外来と入院の両部門を持つと、自分の病院の外 来部門で診療した患者のなかから重症者を選んで入院させるという自己完結型の医療 となり、地域における他の医療機関との横の連繋が図られがたい構図となる。診療所 は外来診療、病院は入院診療と機能分化が行われていれば、必然的に地域における連 繋がとられるのであるが、しかし戦後たびたびこのような機能分化論が登場し議論さ れながらも実現の方向には向かっていかなかった。100年の歴史の重さであり、この
ような考え方はわが国にはなじまないやり方なのであろう」(高橋,2001,p.6)といわ れ、外来と入院の両機能を持っ病院が多いのである。
わが国の病院医療に関しては、「わが国の病院医療の歴史は近々百年ほどに過ぎず、
それも戦前までは一般に入院医療を受ける習慣はあまりなく、ほとんどが自宅に開業 医の往診をあおぐという江戸時代の漢方以来の風習が続いていた。結核の療養や、手 術のための入院以外は近づきにくい施設で、分娩なども自宅に助産師を招いて行うの が普通であった。それが戦後、陸軍病院の厚生労働省への移管による国立病院(平成 16年より、日本の厚生労働省所管の特定独立行政法人であり、医療機関等を運営する 統括組織としての独立行政法人国立病院機構に運営は任されている)の発足、自治体 病院の伝染病減少による地域医療の中心施設としての衣替え、日本赤十字社、済生会、
健康保険組合立病院など、大型の入院施設を有する多くの国公立医療機関の一般医療 への再編成によって、新しい治療手段としての入院診療がしだいに一一一般化してきたの である」(高橋,200/,P.12)といわれ、自宅に往診を仰ぐという江戸時代の風習から、
戦後徐々に入院診療が一般化してきたことがわかる。
さらに、「まさに病院こそが近代医療の中核であり、この発展は社会の要請でもある。
そのためにどうしてもそれに応えるように病院の体制を整備することが必要なのであ る。こうして新しく、組織体としての病院、その組織を効果的効率的に管理運営する ことによって、良い医療が普遍化できるようにと、わが国でも病院の内部管理が大き な課題となってきたのであった」(高橋,2001,p.12)と示され、病院への取り組みが医 療への取り組み、そして社会への取り組みにつながっていったことがわかる。
川渕は、「わが国の病院は、医療政策・診療報酬政策の変更と経済的環境の変化によ って、①明治時代、大正時代〜第二次世界大戦、②戦後〜国民皆保険制度の実施、
③国民皆保険制度の実施〜昭和56年改定前夜、④昭和56年改定〜第三次医療法改正、
⑤患者取り違え事件〜現在、⑥現在から将来に向けて(2004年〜2025年)のように、
幾多の変遷を経てきたことがわかる」(川渕,2004,p.39)と説明し、医療制度等の変遷 から病院の歴史を説明している。
明治時代、大正時代〜第二次世界大戦(1868年〜1945年)にかけては、「明治政府 は財政基盤が軟弱な政府であった。そのため、明治政府は、医療施設への政府の財政 投資を大幅に抑制する代わりに、自由開業医制を通じて医師の保有する私的資本の自 由な導入を許容した(この自由開業医制は1874年の医制発布に始まる)。(中略)この 期間の診療報酬体系を調べると、昭和2年から昭和18年3月までは、日本医師会及び
日本歯科医師会との間の診療契約により、被保険者1人当たりの金額を毎年協議して 定めるという人頭請負払い方式を採用していた。すなわち、診療報酬は両医師会に一 括して支払われたわけである。支払いを受けた診療報酬を両医師会は都道府県ごとに 配分し、都道府県各医師会は個々の医療機関の出来高に応じ配分していた。その結果、
1点単価は、都道府県ごとに定められることとなり、各都道府県間に不均衡が生じる として次第に批判が高まった。そこで、昭和18年4月、健康保険法の改正によって、
この人頭請負払い方式は改められ、点数評価方式が採用された」(川渕,2004,P、 39)と 説明され、現在の診療報酬体系に至る変遷がみえてくる。この期間には、1937年には 保健所法が1938年には厚生省(現在の厚生労働省)が設立され、今日につながる医療