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密教文化 Vol. 1990 No. 172 005松原 光法「パンチャラートラ初期のヴューハ説――Mahabharata 第12巻 Narayaniya 章―― PL108-L87」

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(1)

密 教 文 化

パ ン チ ャ ラ ー ト ラ初 期 の ヴ ュー ハ 説

-Mahabhrata第12巻Naayaniya章-松 原

光 法

1. 古 代 イ ン ドの 大 叙 事 詩 『マ ハ ー バ ー ラ タ 』 第12巻(Santi-parvan)の ナ ー ラ ー ヤ ニ ー ヤ 章[MBh 12. 321∼339]は、 お そ ら く初 期 パ ン チ ャ ラ ー トラ の 教 説 を 表 明 す る現 存 最 古 の 文 献 で あ ろ う と考 え られ る。 そ こ で は、 す で に 別 の 論 稿 に お い て 検 討 した 「パ ン チ ャ ラ ー トラ 」 と い う語 の 用 法(1)ば か り で な く、 さ ら に は 教 義 上 の 重 要 な 諸 点 は も ち ろ ん の こ と、 伝 承 上 の 他 の い ろ い ろ な 事 項 に つ い て も後 代 に 成 立 した 多 数 の パ ン チ ャ ラ ー トラ ・サ ン ヒ タ ー とつ な が り の 深 い 特 徴 が 顕 著 に 見 う け ら れ る。 た と え ば、 1)ナ ー ラ ダ 仙 の 訪 問 した とい う 「白 い 島 」Sveta-dvlpa伝 説

(MBh 12. 322. 8-12, 323. 23ff., 325. 1)

2) 七 人 の チ トラ シ ッ カ ン デ ィ ン た ち (MBh 12. 322. 26ff.) 3) ヴ ァ ス ・ウ パ リ チ ャ ラ王(MBh 12. 322. 17ff.) 4) エ ー カ タ 仙(MBh 12. 323. 6ff., 326. 11&79) な ど の 故 事 や 伝 説 に、 多 くの サ ン ヒ タ ー 聖 典 が 種 々 に繰 り返 し て 言 及 を し て い る の で あ る。(2)

註1) Cf.: M. Matsubara, Introductio: n. to Chapters on Paficaratra Theology inthe Ahirbudhnya Samhita [1],『 密 教 文 化 」No. 167(密 教 研 究 会、

1989), pp. 117111.

(2)

パ ンチ ャ ラ ー トラ初 期 の ヴ ュ ーハ 説 こ の よ うな 最 初 期 の 文 献 ナ ー ラ ー ヤ ニ ー ヤ 章 に 説 か れ た パ ン チ ャ ラ ー ト ラ の 教 説 に つ い て 詳 し く分 析 し て み な け れ ば な らな い 重 要 な 問 題 を提 示 す る の が、 イ ン ドの 哲 学 宗 教 思 想 上 ヴ ェ ー ダ ー ン タ学 派 の 巨 匠 と し て 名 高 い シ ャ ン カ ラ で あ る。 こ の シ ャ ン カ ラ に よ れ ば、 『ブ ラ フ マ ・ス ー ト ラ』2. 2. 42∼45は、 バ ー ガ ヴ ァ タ派 が 主 張 す る と こ ろ の 「パ ン チ ャ ラ ー トラ の 定 説 」Paicaratra-siddhantaを 論 難 す る 一 節 で あ る。 し か し、 そ の 一 節 の 論 難 は パ ン チ ャ ラ ー ト ラ の 教 説 の 全 体 に か か わ る も の で は な い。 た と え ば、 1)最 高 神 の 存 在 そ の も の 2) 最 高 神 が 動 力 因 で あ り、 か っ 質 量 因 で あ る こ と 3) そ の よ うな 最 高 神 が 種 々 様 々 な 姿 を取 っ て 変 現 す る こ と 4)解 脱 と は 苦 悩 な き状 態 と な っ て バ ガ ヴ ァ ッ トに 到 達 す る こ と で あ る (Cf. MBh 12. 326. 19, 24 & 41) な ど と い う点 は、 い ず れ も批 判 さ れ る こ と な くす べ て 完 全 に 承 認 さ れ て い る。 そ こ で 『ブ ラ フ マ ・ス ー ト ラ』 が 論 駁 す る の は パ ン チ ャ ラ ー ト ラ の ヴ ュ ー ハ 説 に 関 す る 極 端 に 特 殊 な 問 題 点 で あ っ て、 そ の よ うな 諸 点 に 関 連 す る シ ャ ン カ ラ の 註 解 を 要 約 す れ ば、 お お よ そ 次 の よ うに な る で あ ろ う。 ナ ー ラ ー ヤ ニ ー ヤ 章 の 主 要 関 連 個 所 を カ ッ コ内 に 付 記 す る。 [A]唯 一 な る バ ガ ヴ ァ ッ ト[世 に も 尊 き 崇 高 な 神]の ヴ ァ ー ス デ ー ヴ ァ は<発 極 の 実 在>paramartha-tattvaで あ る(3)こ の 神 は 自 己 自 身 を、 さ ら に4種 類 に 分 割 し て(caturdhatmanam Pravibhajya)(4) 3)拙 稿 「Ekantinと 『バ ガ ヴ ァ ッ ド ・ギ ー タ ー 』 ヴ ィシ ュ ヌ 派 初 期 の 唯 一 神 論 」、『高 野 山 大 学 論 叢 』 第25巻(1990)、8∼9ペ ー ジ 参 照。

4) Cf. MBh 12. 339. 20 (catur-vibhaktah

PUrusah), and

catur-inurtir

aham C=Vasu. deva, 22a1 sasval loka-tranartham

udyatah/

atmanam pravibhajyeha lokanam hitam adadhe//...

(MBh 7. 28. 23-25)

vibhajaty atmanatmanam

Vasudevah parali prabhuh//(SS

3.5)

SS 6. 126 (vibhajaty

atmanatmanam caturdha).

Vasudevadi-rupena

caturdhatmanam

atmana/

(3)

密 教 文 化 1) ヴ ァ ー ス デ ー ヴ ァ(Vasudeva)2) サ ン カ ル シ ャ ナ(Sahkarsapa) 3) プ ラ デ ィ ユ ム ナ(Pradyumna)4) ア ニ ル ッ ダ(Aniruddha) と い う4現 相 の 姿(vyuha-rupa)を と る。『 こ の4現 相 の 問 に は、 本 来 上 の い か な る 区 別(bheda)も 存 在 し な い(5)そ れ ら は、 す べ て 最 高 神 め ヴ

ァ ー ス デ ー ヴ ァ そ の も の に 他 な ら ず(Vasudeva eva hi sarve vyuhah)、

互 い に 無 差 別(nirvisesa)で あ っ て、 共 通 の 本 性 を 具 え て い る(tulya-dharma)の で あ る か ら。(6)そ う し て、 ヴ ァ ー ス デ ー ヴ ァ を 最 高 我(para-Inatman, cf. MBh 12. 326. 24)と し て 承 認 す る 点 に も 異 議 は な い。 [B] し か し、 サ ン カ ル シ ャ ナ を 個 我(jlva, cf. MBh 12. 326. 35 & 332. 16b) に、 プ ラ デ ィ ユ ム ナ を 意(manas, cf. MBh 12. 326. 36 & 12. 332. 15cd)に、 ア ニ ル ッ ダ を 自 我 意 識(ahaflkara, cf. MBI. 12. 326. 39)に 当 て は め て、 根 本 原 因(Prakrti)で あ る ヴ ァ ー ス デ ー ヴ ァ か ら 結 果(karya)で あ る 他 の 三 者 が 順 次 に 生 起 す る と 主 張 す る 点、 5)LT 4. 23abは4ヴ ュ ー ハ に つ い て、 次 の よ う に 言 う。

naivaisam vastavo bhedas cintaniyo divaspate!/こ れ ら[4ヴ ュ ー ハ] の 間 に、 実 質 上 の 区 別 を 決 して 考 え る べ き で は な い。 イ ン ド ラ よ。

Cf. AS 5. 17-44.

Also see SS 3. 6-7, 4. 8-12, and 3. 12ff.:...

vyuhe 'smin.../

sadrsyat sad-gunatvae ca samatvac ca visesatah//(12)

santatvan niskalatvac ca na bhedo vidyate yatali/.

6) Cf. e. g., LT 4. 21: yady apy eka-gunonmesas tathapy ete hi sad-gunah/

anyunanadhikah

sarve Vasudevat sanatanat//

た と え、 た だ 一 つ の 徳 性 が 目覚 め て い る(see LT 4. 8-10)と は い え、 こ れ

ら[下 位 の3ヴ ュ ー ハ]は い ず れ も6種 の 徳 性 を こ と ご と く 具 え て い る か ら、

永 遠 な る [第1ヴ ュ ー ハ の]ヴ ァ ー ス デ ー ヴ ァ に 比 較 し て、 す べ て 過 不 足

の な い 存 在 で あ る。 そ う して、 彼 ら[4ヴ ュ ー ハ]の 身 体(esam dehah)

は く 六 徳 〉 よ り な る (sadgupya-maya)か ら、 こ の 世 の も の で は な く(na

bhuta-maya)、 神 聖(divya)で あ っ て 永 遠(sanatana)で あ る (LT 4. 22)。

Also see MBh 12. 326. 38 & 67-9, PauS 20. 65-6, JS 4. 12-8, 13. 164, AS 5. 17-44, 10. 13-4, 52. 76-84, LT 4. 54cd-57, 6. 13cd-15, 10. 18-9, IS 24. 88.

(4)

パ ンチ ャ ラー トラ初期 の ヴ ュー ハ説 す な わ ち、 宇 宙 太 初 の 創 造 時 に 1)最 高 我 か ら 個 我 が、2)個 我 か ら 意 が、3)意 か ら 自我 意 識 が、 と い う順 序 を と っ て、 そ れ ぞ れ が 〈 原 因 と 結 果 の 関 係 〉 に お い て 生 起 す る(cf. MBh 12. 326. 38-39, LT 6.6-16)、 と主 張 す る こ と は 不 可 能 で あ る。 シ ャ ン カ ラ は 以 上 の よ う に パ ン チ ャ ラ ー トラ の ヴ ュ ー ハ 説 を 取 り上 げ た 後 に、そ の 教 説 に 含 ま れ た 問 題 点 に 対 し て 入 念 な 論 駁 を 行 う(7)の で あ る が、 す で に 注 記 し て お い た ご と く、 シ ャ ン カ ラ の 〈 理 解 〉-そ れ は、 あ る 意 味 で ヴ ェ ー ダ ー ン タ 学 派 の 一 伝 承(8)と 言 い 換 え て も よ い-は 上 記 の 要 約 の 前 半[A]に 関 す る か ぎ りパ ン チ ャ ラ ー トラ ・サ ン ヒ タ ー の 教 説 と表 現 を 正 し く踏 ま え て、 し か も そ れ を 承 認 す る か ら、 実 際 に 問 題 と な る の は 後 半 [B]の 部 分 で あ る。 した が っ て、 い ま シ ャ ン カ ラ の 記 す 『註 解 』 ど お り に パ ン チ ャ ラ ー トラ の ヴ ュ ー ハ 説 な る も の を 図 示 し て 見 れ ば、 そ の 主 要 な ポ イ ン トは 全 体 と し て4ヴ ュ ー ハ の 無 区 別 性 を 認 め た 上 で、 次 の よ う な 因 果 関 係 を 示 す こ と に な る で あ ろ う。 (1)ヴ ァ ー ス デ ー ヴ ァ(Bhagavat, Paramatman, 最 高 我) (2) サ ン カ ル シ ャ ナ (=jiva, 個 我) (3)プ ラ デ ィ ユ ム ナ(=manas, 意) (4)ア ニ ル ッ ダ(=ahahkara, 自 我 意 識)

7) See G. Oberhammer, Yarnunamuni's Interpretation von Brahmasutra 2, 2, 42-45: Eine Untersuchung zur Pdncardtra-Tradition der

RamQnuja-Schule, Wien 1971, pp. 15-24. こ の 著 者 は シ ャ ン カ ラ の 論 難 す る ヴ ュ ー ハ 説 に 古 ・薪 の 二 層 を 認 め る(pp. 21-4)。 前 記 の 要 約 に 関 連 して 言 え ば、 そ の 後 半[B]は パ ン チ ャ ラ ー ト ラ の 古 説 で あ り、 前 半[A]を 後 代 に 発 達 し た 新 説 と 見 る。 8)後 世 の、 しか も シ ャ ン カ ラ を 祖 述 す る 傾 向 の か な り強 い 一 例 で あ る が、Ma-dhusudana-Sarasvati(ca 16世 紀)のPrasthnabheda(AnSS 51, p. 11) に ま で 同 じ解 説 が 繰 り返 さ れ て い る。 さ ら に 宇 井 伯 寿 『印 度 哲 学 研 究 』 第4 (岩 波 書 店、 昭 和40年)、449-50ペ ー ジ 参 照。

(5)

密 教 文 化

シ ャ ン カ ラが この よ うに解 説 した ヴ ュー ハ説 は、 外 見 上 で は、 ほ ぼ そ の

ま ま 『マハ ー バ ー ラ タ』 の第12巻 ナ ー ラー ヤ ニ ー ヤ章 に お け る文 面(MBh

12.

326.

35-7 & 332.

15-6)に 対 応 す る と も言 え るか ら、 それ が今 日ま で一 般 に

はパ ン チ ャ ラー トラ に特 有 の ヴ ュー ハ 説 で あ る と考 え られ て き て い る よ う

で あ る。 しか し、そ の よ うな 理解 が は た して学 問 的 に信 頼 の お け る もの な

のか ど うか にっ い て、 一 度 は詳 し く確 認 して お く必 要 が あ る。 そ の よ うな

理 解 は、 言 うまで もな い 当然 の こ とで あ るが、 文 献 に記 録 され た表 現 上 の

単 な る類 似 に も とつ く推 測 や 憶 断 に よ るの で な くて、 厳 密 に批 判 的 分 析 を

重 ね た 結果 に よ って 導 か れ る もの で な けれ ば な らない。

2.

さ て、 シ ャ ン カ ラに よ って 攻撃 され た ヴ ューハ 説 の問 題 点 は、 次 の二点

に要 約 す る こ とが で き るで あ ろ う。

1) サ ン カル シ ャナ と〈個 我 〉 を、 プ ラデ ィユ ム ナ と〈 意 〉 を、 ア ニル

ッダ と〈 自我 意 識 〉 を それ ぞれ 同 定 す る こ と。

2)

ヴ ァー ス デ ー ヴ ァか らサ ン カル シ ャナ が、 サ ンカ ル シ ャナ か ら プ ラ

デ ィ ユ ム ナが、 プ ラ デ ィ ユム ナ か らア ニ ル ッダ が、 とい うふ うに4現

相 の上 位 の も のが 原 因 とな っ て、 そ の 結果 と して下 位 の ヴ ュー ハ が順

次 に生 起 す る とい う、三 重 の因 果 関 係 に よ る顕 現 を主 張 す る こ と。

まず 第 一 の同 定 表 示 とい う点 は、 表記 の単 な る存 否 を探 せ ば よ い か ら、

問 題 は少 な い。 そ うして上 に も付 記 した ご と く、す で にナ ー ラ ー ヤ ニ ー ヤ

章 の 記録 の 一 つ が、 表 面 的 に で は あ る が それ を よ く支持 す る。 し た が って

古 くは ヴ ュー ハ の 下位3神

を、 お そ ら く有 神 論 サ ー ンキ ヤ(9)の開 展 説 に も

9)R.

Garbe以 来、 無神論説であると一般に考え られている古典 サー ンキヤ学

派 の諸論書が紀元後1,000年のころまで有神論思想で あった ことを、

J.

Bronk-horst, "God in Samkhya," WZKS and Archiv fur Indische Philosophie,

Bd 27(1983), pp. 149-161が 指 摘 し て い る。 さ ら に、 宇 井 伯 寿 「Samkhyayoga

(6)

パ ンチ ャ ラー トラ初 期 の ヴ ュ ー ハ説 と つ い てjiva⇒manas⇒ahankaraの 展 開 に 当 て は め る教 説 が 存 在 し て い た で あ ろ う こ と を 容 易 に 想 像 で き る。 し か し な が ら、 後 世 に 成 立 し た サ ン ヒ タ ー 聖 典 の 教 説 に お い て、 ヴ ュ ー ハ 諸 神 の 一 々 に 関 す る そ の よ う な 同 定 関 係 は ご く微 か な 痕 跡 しか 確 認 で き な い。 た と え ば 「ラ ク シ ュ ミ ー ・ タ ン トラ 』 の 時 代 に は、 そ の よ う な 事 実 は す で に 伝 説 化 し て お り、

Sankarsanadayo

devas traya ete puratanah //

jivo buddhir ahamkara iti namna prakirtitah

/ (LT 6. 12, 13)

サ ン カル シ ャナ を は じめ とす る これ らの3神 は、 古 くか らの神 々で あ り、そ れ ぞ れ 個 我(jiva)・ 意 識(bllddhi)・ 自我 意 識(ahahkara)と い う名 目で 知 られ て

い た。 と た だ 付 言 す る に と ど ま る の み な らず、 同 『タ ン トラ 』 で は サ ン カ ル シ ャ ナ をahammanin(6.6cd)or abhimanin(6.9ab)と し、 プ ラ デ ィ ユ ム ナ を buddhi(6.9cd)に、 ア ニ ル ッ ダ をmanas(6.10cd∼11)に 配 当 す る 混 乱 が あ り、 ア ニ ル ッ ダ で は な く て サ ン カ ル シ ャ ナ をahankaraに 関 係 づ け て い る (6.12ab)。 ま た、 首 尾 一 貫 し て い な い 点 も あ る が 「ア ヒル ブ ド ゥ ニ ヤ ・サ ン ヒ タ ー 」 や 『ヴ ィ シ ュ ヴ ァ ク セ ー ナ ・サ ン ヒ タ ー 』 に お い て は 下 位 の3 現 相 が、 そ れ ぞ れ 各 原 理 の 管 轄 者(adhisthatr)と し て、 ヴ ュ ー ノ・説 そ の も の を 教 示 す る 以 外 の 場 所 で 簡 単 に 言 及 さ れ て い る に す ぎ な い の で あ る。(10) 非 精 神 的 な 原 理 そ の も の に は 独 立 し て 活 動 す る 能 力 が な い か ら、 上 記 の3 原 理 が 独 自 の 作 用 を 発 現 す る よ う に ヴ ュ ー ハ を 意 識 の あ る管 轄 者 と 認 め る こ の 説 は、 時 代 が ず っ と後 に 下 る 南 イ ン ドの シ ュ リ ー ・ ヴ ァ イ シ ュ ナ ヴ ァ

Kapilaは、 言 う まで もな くヴ ィシ ュ ヌ神 の数 多 いVibhava or Avatara〔 化 身〕 の一 人 で あ る(cf. e. g., AS 5. 51&BhG 10. 26)。 AS 2. 37はParam Brahma(AS 2. 6&22)のepithets(ef. 2. 40)中 にKapilaとKapilaを 含 め て い る。Kapilaの 名 が 文献 上 は じあ て 現れ る とい うSvetUp 5. 2に つ い て は、 宇 井 前 掲 書92∼100ペ ー ジを 見 よ。

10)詳 し くは、see Schrader, Introduction, pp. 39-41. Cf. Vaispavaup(ALS

8) p. 29; AS 6. 53ff. (Aniruddha),

53. 43 (Pradyumna),

55. 42(Aniruddha),

59. 23ff.

(7)

密 教 文 化 派 系 の 諸 論 書 に お い て も言 及 さ れ て い る。(11)オ ッ トー ・シ ュ ラ ー ダ ー は、 ナ ー ラ ー ヤ ニ ー ヤ 章 の 古 い 同 定 表 示 が し だ い に 消 滅 し て い っ た 主 た る 理 由 と し て、 と く に 自 我 意 識 の よ うな 不 浄 を も含 む 原 理 を 絶 対 清 浄 な る べ き ヴ ュー ハ に 結 び つ け に くい 点 を あ げ て い る。(12)し か し、 よ り一 層 有 力 な そ の 理 由 が 『ブ ラ フ マ ・ス ー トラ』 以 来 の ヴ ェ ー ダ ー ン タ 学 派 に よ る 徹 底 し た 伝 統 的 批 判 に あ る こ と を見 落 す わ け に は い か な い で あ ろ う。 第 二 の 点、 す な わ ち、 因 果 関 係 に よ る ヴ ュ ー ハ の 順 次 生 起 を 説 くと 見 る 点 に 関 し て は 問 題 が 複 雑 で あ る。 そ れ は 一 っ の 大 き な 問 題 に ま で 発 展 し て ヴ ェ ー ダ ー ン タ 学 派 の 伝 承 と 『シ ャ ン カ ラ ・バ ー シ ュ ヤ 」 の 翻 訳 に も 連 な る こ と に な る か も 知 れ な い の で あ る が、 基 本 的 に は、 全 体 と し て 通 俗 的 宗 教 の 立 場 に あ る バ ー ガ ヴ ァ タ 派 の 中 に 「ヴ ュ ー ハ の 順 次 生 起 」 説 の ご と き 観 念 が は た し て 成 立 し え た か ど うか、 と い う点 か ら ま ず 考 察 を 始 め る べ き で あ ろ う。 ヴ ァー ス デ ー ヴ ァ ・ク リ シ ュ ナ に 関 し て は 早 く か ら 一 つ の 神 話 圏 ま た は 伝 説 圏 が 形 成 さ れ て お り、 彼 の 生 涯 や 行 跡 を物 語 る 伝 説 と神 話 は 校 訂 本 『ノ・リ ・ヴ ァ ン シ ャ 』や 流 布 本 の そ れ の 第2篇(visnu-parvan)、 あ る い は 『ヴ ィ シ ュ ヌ ・プ ラ ー ナ 』 の 第5巻 に ま と め ら れ る 以 前 か ら 古 代 イ ン ドで 民 間 に も広 く知 れ わ た っ て い た。 た と え ば、 文 法 家 の パ タ ン ジ ャ リ が 『マ ハ ー ・バ ー シ ュ ヤ 』(on Papini 2. 2. 24 & 34.1)の 中 で、 ま た カ ウ テ ィ

リ ヤ が 「実 利 論 』(14. 3. 44=365c)で と く に 暴 君 カ ン サ 王 を は じ め、 ク リ シ ュ ナ 神 話 圏 の 主 要 な モ チ ー フ の 一 部 分 に 言 及 す る し、 ま た 古 い 碑 文 の い く っ か に も そ れ ら が 記 録 さ れ て い る 事 実 が 報 告 さ れ て い る。(13)

11) Cf. e. g., Sribhasya on 2. 2. 41 (ed. by Karmarkar,

Vol. 11, p. 698):

tatra jiv a-mano-hankara-tattvanam

adhisthatara1l 8ankarsaPradyum.

na-niruddha iti tesam eva jivadi-sabdair abhidhanam aviruddham,

yathakasa-pranadi-sabdair

Brahmano

'bhidhanam //, and Tattvatraya

with comm.

(ChSS 4), pp. 123-129. Srlnivasaのyatznamatadzpは、 そ の 説 に 言

及 して い な い よ う で あ る。

12) Schrader, op. cit., p. 39.

(8)

パ ンチャ ラー トラ初期のヴューハ説

ク リシ ュナ神 話 圏 に お け るサ ン カル シ ャナ は バ ラデ ー ヴ ァ と もバ ラ ラー

マ と も呼 ば れ る、 ヴ ァー ス デ ー ヴ ァ ・ク リ シ ュナ の兄 で あ る。 この二 人 の

兄 弟 の 間 で 弟 か ら兄 が 生 まれ る とい うの は、 た とえ神 話 上 の 出来 事 で は あ

る と して も、 一般 民 衆 の 通俗 的 立 場 で は あ ま りに も了解 しが た い矛 盾 に 満

ち た独 断 で あ った に違 い な い。 つ ま り、 ヴ ァー ス デ ー ヴ ァか らサ ンカ ル シ

ャ ナ が生 起 す る とい う こ とは、 い か に宗 教 的 ドグ マ の権 威 づ け を も って し

て も如 何 と もな し難 い ほ どに古 くか らそ の二 名 の英 雄 伝 説 と神 話 とが広 く

イ ン ドに流 布 して い た 事 実 を 碑 文 と 文 献 上 か ら 確 認 す る こ とが で き るか

ら、 した が っ て、 こ の よ うな奇 抜 な説 が民 間 に通 用 して広 い 支 持 を受 け、

長 く伝 え られ 続 け る とい うよ うな こ と は まず 常 識 的 に も考 え られ ない こ と

で あ ろ う。 これ に加 え て プ ラデ ィ ユム ナ は、 ク リシ ュナ とル ク ミニ ー と の

問 に生 まれ た 子 で あ って、 サ ン カル シ ャナ の子 供 で はな い。 そ れ 故 に、 プ

ラデ ィ ユ ム ナ の 場 合 に も また 同 じ く奇 異 な不 整 合 が い ち じ る しい。 そ う し

て、 さ らに ア ニ ル ッダ も また、 神 話 と伝説 で は プ ラデ ィユ ム ナ の息 子 な の

で あ るか ら ク リシ ュナ の 孫 に 当 り、 ク リシ ュナ の 曽 孫 で は な い の で あ る。

こ れ は世 界 中 の あ らゆ る古代 民族 に共 通 して 認 め られ る原 則 で あ るが、 い

か に精 神 的 な先 進 国 で あ った とは い え 古代 イ ン ドに お い て さえ も、 人 間 の

現 実 経 験 を無 視 した ま ま で単 な る名 目上 の空 想 概 念 が抽 象的 な観 念 論 だ け

の 内部 で勝 手 気 儘 に神 話 化 され るよ うな こ とは な か った。

こ の よ うな神 話 と伝 説 上 の事 実 か ら見 れ ば、 シ ャ ンカ ラが指 摘 す る よ う

な ヴ ュー ハ の順 次 生 起 説 が も し も唱 え られ て い た とす れ ば、 それ は バ ー ガ

ヴ ァタ派 の主 流 内 に本 来 か らそ な わ っ て い た教 説 で は な か った で あ ろ う。

&c. and cf. S. Jaiswal,

The Origin and Development o f Vaisnavism,

2nd

revised ed., New Delhi 1981, pp. 52ff. & 68-71. Uttaradhyayana Sutra 22

(SBE Vol. 45, pp. 112-5), and H. Jacobi's Introduction to SBE Vol. 22,

pp. xxxi, note 2. VayuP 97. 1-2 and Gonda, Visnuism and Sivaism-A

Comparison, London 1970, pp. 51-2. J. Filliozat,

"Representations

de

Vasudeva et Samkarsana au IIe

siecle avant J. -C.," Arts Asiatiquces 26

(1973), pp. 113-123. Also cf. e. g., Gopal ottara. tapiny Up 5-6

& 10-12.

(9)

もし もそ の よ うな説 を提 唱 した者 が あ れ ば、 それ はバ ー ガ ヴ ァタ派 の主 流

に属 さな い 傍 系 に あ た る何 らか の未 詳 グル ー プ で あ っ た に相 違 な い。 す で

に述 べ た よ うに、 そ の数 も少 な く微 か で は あ るが、 現 存 す るサ ン ヒター 聖

典 の 中 に シ ャ ン カ ラ の指 摘 す る問題 点 の(1)、つ ま り同定 説、 を裏 付 け る よ

うな 痕 跡 が認 め られ な くは ない か ら、 そ の よ うな独 断 的 な説 は も し も あ っ

た と して も 『ブ ラ フ マ ・スー トラ」 の論 駁 を受 け て以 後、 お そ ら く次 第 に

消 滅 してい った の で あ ろ う。 ちな み に ヴ ュー ハ説 そ の も の は、 『バ ガ ヴ ァ

ッ ド ・ギー ター 』 に知 られ てい ない。 した が って、 パ ンチ ャ ラー トラ の特

異 な ヴ ュ ーハ 説 は 『バ ガ ヴ ァ ッ ド ・ギー ター』 の 時代 以 後 に な っ て、 バ ー

ガ ヴ ァタ派 が一 神 論 の教 義 神 学 を組織 化 して い く過 程 の 中 で 初 め て そ れ を

構 想 した の か、 も し くは外 部 の主 張 か ら採 用 した の で あ るか した と ころ の

教 説 で あ っ た に違 い な い。 この点 はパ ンチ ャ ラー トラの 教説 の起 源 に 関連

す る複 雑 な問 題 を い くっ か含 ん で い るか ら、 い ず れ ま た 別 の機 会 に詳 し く

検 討 す る こ とに して、 今 こ こで は先 に記 した 第 一 の 同定 説 にお い て あ る程

度 見 解 の一 致 を見 た ナ ー ラー ヤ ニ ー ヤ章 さ え もが、4ヴ

ュー ハ の 間 に順 次

生起 の 因果 関係 を認 め よ うとす る第2説

に関 して は シ ャ ン カ ラの 意 見 を支

持 しな い 点 に っ い て 考 察 を進 め る こ とに しよ う。

3.

す で に述 べ た よ うに、 ナ ー ラー ヤニ ー ヤ章 の 記 述(MBh

12. 326. 35-7

&335. 15-6)は

シ ャ ン カ ラ の註 解 を よ く支 持 す る が ご と くに読 め る。 しか

し、 そ の直 後 に続 く原 文 に、 パ ン チ ャ ラー トラ の ヴ ュー ハ説 が 次 の よ うに

要 約 され て い る こ と にっ い て も十 分 に注 意 を払 う必 要 が あ る。

yo Vasudevo Bhagavan ksetra-jno nirgunatmakah/

jneyah sa eva Bhagavan jivah Sankarsanah

prabhuh//

Sankarsanac ca Pradyumno mano-bhutah sa ucyate/

Pradyumnad

yo 'niruddhas to so 'hankaro mahesvarah//

mattah sarvam sambhavati jagat sthavara-jangamam/

(10)

パ ン チ ャ ラ ー ト ラ 初 期 の ヴ ュ ー ハ 説 バ ガ ヴ ァ ッ トで あ る ヴ ァー ス デ ー ヴ ァは、 そ の本 性 に 属 性 な き 知 田者(cf. BhG 8. 1ff.)で あ る。 そ の彼 バ ガ ヴ ァ ッ トそ の も のが、 個 我、 す な わ ち サ ン カル シ ャナ と い う支 配 者 な り、 と知 るべ きで あ る。(38) サ ン カル シ ャナ の 後 に、 それ[バ ガ ヴ ァ ッ トコは 意 な る プ ラデ ィユ ム ナ に な る、 と言 わ れ る。 プ ラデ ィユ ムナ の後 に ア ニ ル ッダ が 生ず るが、 それ が 自我 意識 な る 大 自在 神 で あ る。(39)わ れ[ヴ ァー ス デ ー ヴ ァ]か ら不 動 と動、 不 滅 と滅、 存 在 と非 存 在 よ り な る全 世 界 が生 起 す るの で あ る、 ナ ー ラダ よ。(40) Cf. also SS 3.5∼7&12∼3, 4.8∼12. さ ら に、 そ れ よ り も少 し後 の 場 所 で ヴ ァー ス デ ー ヴ ァ は み ず か ら、

aham hi jiva-samjno vai, mayi jivah samahitah/(MBh 12. 326. 45cd) わ れ こそ は 個我 と名 づ け られ た る も の に他 な らず、 わ れ の 中 に個 我 は さだ ま れ り。 と も 語 っ て い る。 し た が っ て、 こ れ ま で の 引 用 部 分 に お け る ナ ー ラ ー ヤ ニ ー ヤ 章 の ヴ ュ ー ハ 説 は、 「最 高 神 の ヴ ァー ス デ ー ヴ ァ が あ る 一 定 の 時 間 を 経 過 し た 後 に サ ン カ ル シ ャ ナ に 変 身 し、 個 我 と し て こ の 世 に 内 在 す る 」 と い う教 義 に な っ て い る こ と が わ か る。 た だ ア ニ ル ッ ダ の 場 合 だ け に 神 話 と 伝 説 上 の 痕 跡 が 残 さ れ て い て、MBh 12. 326. 36∼37で は 「ア ニ ル ッ ダ が、 プ ラ デ ィ ユ ム ナ か ら生 ま れ た(prasuta)」 と 表 現 さ れ て は い る。 し か し、 上 記 の 引 用 文 の 終 結 句 で あ るMBh 12. 326. 40と、 そ れ に 加 え てMBh 12. 326. 45abに お い て も ヴ ァー ス デ ー ヴ ァが み ず か ら 「わ れ は 能 作 者(kartr)で あ り、 か つ 結 果(karya)で あ り、 か っ 原 因(karapa)で も あ る 」 と 語 る と こ ろ か ら判 断 す れ ば、 同 じ上 の 引 用 文MBh 12. 326. 39に 用 い ら れ て い る 二 っ の 奪 格(Ablative)は 各 ヴ ュ ー ハ の 出 自 を 示 す の で は な く し て、 時 間 上 の 前 後 関 係 を 表 現 し て い る に す ぎ な い、 と理 解 し な け れ ば な ら な い。 の ち に な る と 「ア ヒル ブ ド ゥ ニ ヤ ・サ ン ヒ タ ー 』(53. 9cd42)は こ の よ うな 点 を 整 理 し て、 第1ヴ ュ ー ハ の ヴ ァ ー ス デ ー ヴ ァ が こ の 世 の い か な る 時 間 的 概 念 の 限 定 を も 超 越 す る 絶 対 存 在 で あ る の に 対 し て、 サ ン カ ル シ ャ ナ 以 下 の 3ヴ ュ ー ノ・の 行 動 に は<高 次 の 時 間>para kalaに よ る作 用 の 規 制 が あ る こ と を 言 明 し て い る。

Dsthulah 2)suksmah 3)parah kalas tri-vidho na paratmani//

(9)

Vasudeve pare Brahmapy avagahanam arhati/

(11)

vyuhanam cestita-vyapi

3)parah kalo nirupyate /

vyuha-trayasya

bhavati kalena kalanam sada //

(11)

Bhagavan Vasu. devas to na vyuhenapi kalavan /

vyuha-trayaln

apeksyaiva kala-vyuha-nirupanam

//

(12)

1)粗大、2)微 細、3)最高 と<時 間>に は3種 類 あ るが、 最 高 我 の ヴ ァー スデ ー ヴ ァ、 す な わ ち〈 究 極 の ブ ラフ マ ン〉 に潜 入 す る こ とは で きな い(cf. AS 2. 46cd∼47ab)。 粗 大 な 時 間は く 瞬 間〉 に始 ま る。 微 細 な時 間は、諸 原 理[の 開 展コを確 定 す る。(10) [下位 の3コ ヴ ュー ハ の行 動 に 遍 満 す る もの と、〈 最 高 な 時 間〉 は定 義 され て い る。 E下 位 のコ3ヴ ュー ハ は 常 に時 間 に よ って駆 り立 て られ る。(11)し か し、バ ガ ヴ ァ ッ トの ヴ ァー スデ ー ヴ ァは ヴ ュー ハ と して さえ も 時 間 の限 定 を 受 け る こ とが な い [永 遠 の存 在 で ある]。[下 位 の]3ヴ ュ ーハ に 関 して の み、 時 間 的 な顕 現 相 で あ る こ とが 確 定 して い る。(12) 上 に 論 じ た よ う な ヴ ュ ー ハ 説 解 釈 の 妥 当 性 は、 同 じ 『マ ハ ー バ ー ラ タ』 の 第6巻(Bhisma-parvan)に 見 出 さ れ る ヴ ュ ー ハ 説 か ら も よ く確 認 で き る の で、 そ れ を 次 に 引 用 し て み よ う。

srstva San. karsanam devam svayam atmanam atmana/

Krsna! tvam atmanasraksih

Pradyumnam catma-sambhavam//

Pradyumnac caniruddham tvam yam vidur Visnum avyayam/

Aniruddho 'srjan mam vai Brahmanam loka-dharinam//

(MBh 6. 61. 65-66)

みず か ら親 し く御 身 を サ ン カル シ ャナ神 と して 創造 した 後 に、 ク リシ ュ ナ[一 ヴ ァー スデ ー ヴ ァ、v. 64]よ、 あな た は御 自身 で 令 息 の プ ラデ ィユ ム ナを 創 造 した ま え り。(65)そ う して、 プ ラデ ィユ ム ナの 後 に ア ニル ッダ を、 あ なた は 〔創造 した ま え り〕。 そ の よ う な あな た を、 人 々は 不 滅 の ヴ ィシ ュ ヌ神 で あ る と知 った の で あ る。 ア ニ ル ッダが、 この 私、 す なわ ち ブ ラフ マ ーを、 世 界 の 維 持 者 と して創 造 せ り。(66) こ こ で は、 ま ず 最 初 の シ ュ ロ ー カ(MBh 6. 61. 65)か ら、 「ヴ ァ ー ス デ ー ヴ ァ ・ク リ シ ュ ナ み ず か らが 自分 自身 を 用 い て(atmana)、 サ ン カ ル シ ャ ナ を も、 プ ラ デ ィ ユ ム ナ を も創 造 す る」 の で あ る こ と が 判 明 し、 さ ら に 文 頭 に 立 っGerund (srstvの が、 そ の 間 に 時 間 的 な 前 後 関 係 の あ る こ と を 明 示 し て い る。 し た カ1って、 後 続 す るMBh 6. 61. 66aの 意 啄 す る と こ ろ は、 当 然 そ の よ う な 趣 旨 に 呼 応 し て、 上 記 の 訳 文 の よ う に 読 ま な け れ ば な ら な い

(12)

パ ンチ ャ ラー トラ初期 の ヴ ュー ハ説 で あ ろ う。 こ のMBh 6. 61. 65-66に お い て は 要 す る に、 「最 高 神 の ヴ ィ シ ュ ヌ が み ず か ら、 サ ン カ ル シ ャ ナ を も、 プ ラ デ ィ ユ ム ナ を も、 ア ニ ル ッ ダ を も、 時 間 の 間 隔 を お い て 順 次 に 生 み だ す 」 と 説 い て い る の で あ る。 後 に 述 べ る ご と く、 パ ン チ ャ ラ ー ト ラ の 宇 宙 創 造 神 話 で は、 最 高 神 が ア ニ ル ッ ダ と し て 生 起 し た 後 に 初 め て ブ ラ フ マ ー 神 が 誕 生 し て、 こ の 宇 宙、 つ ま り 現 象 界 の 創 造 が 実 際 に 開 始 さ れ る こ と に な っ て い る。 『マ ハ ー バ ー ラ タ』 の ナ ー ラ ー ヤ ニ ー ヤ 章 に は、 ヴ ュ ー ハ 説 が も う一 か 所 に 説 か れ て い る。 そ れ を も、 こ こ で 検 討 し て お く こ と に し よ う。

asman-murtis

caturthi ya, sasrjac chesam avyayam/

sa hi Sankarsanah

proktah, Pradyumnam so 'pi ajzjanat //

Pradyumnad

Aniruddho 'ham, sargo mama pu. nah punah/

Aniruddhat tatha Brahma tatradi-kamalodbhavah

// (MBh 12. 326. 68-69)

こ こ で 第4形 態(caturthi mrti)と さ れ て い る の は、 通 常 の ヴ ュ ー ハ 順 位 を 逆 転 し て、 第1位 ヴ ュ ー ハ の ヴ ァ ー ス デ ー ヴ ァ の こ と で あ る。 そ の 彼 が サ ン カ ル シ ャ ナ と い う名 で 広 く知 られ て い る バ ラ ラ ー マ(Sesa)(14)を 創 造 し た(asrjat)。 こ こ ま で の と こ ろ に 問 題 は な い。 し か し 次 の、 「か れ[=サ ン カ ル シ ャ ナ]も ま た、 プ ラ デ ィ ユ ム ナ を 生 ん だ 」 と い う句 に は 問 題 が の こ る。 「生 ん だ(ajijanat)」 と い う表 現 は 太 初 の 創 造 神 話 に 関 す る 事 柄 で あ る か ら、 も ち ろ ん 許 さ れ よ う。 し か し、 「か れ も ま た(so'pi)」 と い う部 分 は、 次 に 続 く 「プ ラ デ ィ ユ ム ナ の 後 に、 わ れ[ニ ・バ ガ ヴ ァ ッ ト、v. 98]は ア ニ ル ッ ダ と な る 」 と い う句 に 対 し て、 い か に 見 て も不 釣 り合 い で あ る。 こ れ は 多 数 の 写 本 に よ る支 持 の あ る 読 み 方 で あ る が、 も し も こ の 〈 読 み 〉 を 許 す 場 合 に は、 『マ ハ ー バ ー ラ タ 」 第12巻 の こ の 部 分 の 伝 承 が パ ン チ ャ ラ ー ト ラ の 教 説 の 実 状 に ほ とん ど関 係 な く継 続 した の で あ る か、 ま た は、 シ ャ ン カ ラ の 指 摘 す る ヴ ュ ー ハ の 順 次 生 起 説 が、 こ こ に わ ず か な 痕 跡 を残 し て い る こ と に な る で あ ろ う。 い ま、 前 者 の 場 合 を議 論 す る 必 要 は な い。 14) サ ン カル シ ャナ と シ ェー シ ャとの 神話 的 同一 視 は、 この 他 に も多 い。 Cf. e. g., MBh 1. 61. 91, 12. 326. 35, H Cr. Ed. 58. 47, 90. 4, VP 2. 5. 16 ff., 5. 1. 72, 9. 29, 18. 36-9, 25. 1, 35. 3, BhP 10. 2. 8, IS 20. 270 & 274.

(13)

しか し後 者 の 場 合 は、 前 に も述 べ た ご と く、 そ の よ うな 見 方 が 古 代 イ ン ド

に お け る神 話 ・伝 説 圏 の伝 承 事 実 に違 反 し、 さ らに は、 これ も先 に考 察 し

たMBh

6.

61.

65と12. 326.

39に お け る教 説 の 実 際 に も首 尾 一 貫 して そ ぐ

わ ない。 した が っ て、 こ の場 合MBh

12.

326.

68dの 読 み 方 は 「か れ もま た

(so'pi)」 とい う部 分 を、 少 な く と も別 に他 の二 写 本(Da 3&4)に

よ る支

持 の あ る 「sapi(sa-catu・thl muri, v.

68)」 の 読 み方 の ほ うに 校 訂 して、

「それ[=第4形

態 た る ヴ ァー ス デー ヴ ァ]は、 ま た プ ラデ ィ ユ ム ナ を生

み 出 した 」 と理 解 しな けれ ば な らない。 こ うして は じめ て ナ ー ラー ヤ ニ ー

ヤ章 の こ の個 所 の意 味 が、 ヴ ュー ハ に っ い て教 説 す る大 叙 事 詩 「マハ ーバ

ー ラ タ』 の他 の二 か 所 に矛 盾 した り抵触 す る こ とな く素 直 に通 じ あ うこ と

にな るの で あ る。 今 は紙 面 の制 約 か ら詳 しい議 論 を差 し控 え る が、 パ ン チ

ャ ラー トラ の ヴ ュ ーハ 説 は記 録 に残 る最初 期 以 来、 存 在 論 上 で絶 対 ・全 能

な る最 高 神 の 存 在 形 式、 す なわ ち、具 体 的 な〈 あ り方 〉 を機 能 別 に タイ プ

分 類 し よ うと試 み る、

通 俗 的 で は あ るが 純理 論 的教 説 で あ る。換 言 す れ ば、

そ れ は、 人 間 の 思 慮 を絶 す る全 く抽 象 的 な最 高 神 が 宇 宙 の 開 展 に 向 け て 発

現 し始 め る と同 時 に、 宇 宙 の 盛衰 と被 造 物 の倫 理 的 救 済 活 動 を遂 行 す る 目

的 で しだ い に具 体 化 す る最 初期 の様 相 を、 古来 知 られ る 「四 分 割 構 造 」 の

理 解(15)に立 って組 織 づ けた神 学 理 論 な の で あ る。 した が っ て、パ ン チ ャ ラ

ー トラの諸 聖 典 中 で ヴ ュー ハ説 へ の言 及 が、 最 高神 と して の本 質 を い さ さ

か も違 え る こ との な い 「4形 態 〔

一 組 の変容 〕」、す な わ ち、

catur-atmya

SS 5. 82-87 & 98, 7. 76b, 9. 44c & 51b, 25. 94d, 183a

& 345b, AS 5. 21a, 26a & 44d, 16. 84a, passim,

LT 2. 40-1, 7. 8a 10. 21 et passim.

murti-catustayam

MBh 12. 326. 43d, SS 4. 7c (murti-catuska),

catur-murti

LVIBh

12. 321. 8b, SS 5. 103, 8. 121c, LT 17. 46a

cf. SS 4. 12a & 5. 81a (adi-murti),

と表 現 され る こ とが 多 い の は、 そ の よ うな理 由 に よ る の で あ る。

15)拙 稿 「ヒン ド ゥー教 聖 典 の通 用 分 類」、 高 野 山大 学 仏 教 学 会 『仏 教 学 会 報 』 第15号(1ggo)、1∼11ペ ー ジ参 照。

(14)

パ ンチ ャ ラー トラ初 期 の ヴ ュ ーハ 説

次 に 引 用 す る 『ア グ ニ ・プ ラ ー ナ 』 の 一 文 は、 素 直 に 読 め ば、 ヴ ュ ー ハ の 順 次 生 起 と い う シ ャ ン カ ラ の 理 解 を よ く支 持 す る で あ ろ う。 し か し パ ン チ ャ ラ ー トラ の 立 場 か ら見 る か ぎ り、 お そ ら く別 の 意 味 に 解 釈 さ れ て い た 可 能 性 を 排 除 す る こ と は で き な い。

adi-murtir

Vasudevas tasmat Sankarsano'bhavat

/

Sankarsana. c ca Pradyumnah Pradyumnad

Aniruddhakah

// (AP 48. 13)

第1形 相 の ヴ ァー ス デ ー ヴ ァは、 その 後 に サ ンカ ル シ ャナ とな った。 サ ン カ ル シ ャナの 後 にプ ラデ ィユ ム ナ とな り、 プ ラデ ィユ ム ナの 後 に ア ニル ッダ とな った。 す で に 周 知 さ れ て い る と お り、 大 叙 事 詩 『マ ハ ー バ ー ラ タ』 の 現 形 の 形 成 史 は 非 常 に 長 い 年 月 に わ た り、 そ こ に は 新 旧 さ ま ざ ま な 思 想 と教 説 が 混 在 す る か ら、 パ ン チ ャ ラ ー ト ラ の ヴ ュ ー ハ 説 が 何 種 類 か 見 出 さ れ て も別 に 不 思 議 は な い と言 え る か も しれ な い。 し か し な が ら、 後 代 の サ ン ヒ タ ー 聖 典 の 教 説 に 照 ら し て 終 始 一 貫 す る 見 方 が 初 期 の ナ ー ラ ー ヤ ニ ー ヤ 章 そ の 他 『マ ハ ー バ ー ラ タ 』 の ヴ ュ ー ハ 説 に ま で さ か の ぼ れ る と い う事 実 が 明 ら か に な っ た 今、 そ の よ う な 概 説 的 抽 象 論 を離 れ て、 さ ら に 一 つ よ り重 要 な 問 題 に対 す る理 解 の 鍵 が 与 え られ る こ と に な る。 す な わ ち、 パ ン チ ャ ラ ー ト ラ の ヴ ュ ー ハ 説 に お け る 最 高 神 バ ガ ヴ ァ ッ トの4現 相 と は、 ク リ シ ュ ナ を 取 り巻 く現 実 的 な 親 縁 関 係 を 最 高 神 の 世 界 に 転 移 せ し め て、 大 宇 宙 の 創 造 が 開 始 す る 直 前 に 最 高 神 の 境 涯 に 生 ず る 父 と 三 子 の 関 係 に な ぞ ら え た 一 つ の 宇 宙 創 造 論 を教 義 化 し た も の ら し い、 と い う解 釈 が 成 立 す る で あ ろ う。 そ う し て こ の 場 合、 『ア タ ル ヴ ァ ・ヴ ェ ー ダ 』 の 哲 学 讃 歌 に 知 られ る 最 高 原 理 の も つ 観 念 の 影 響 が、 古 代 イ ン ドの 宗 教 思 想 史 に 長 く存 続 し て、 き わ め て 有 効 に 働 い て い る 点 を見 逃 す こ と は で き な い。 呪 法 讃 歌 の 間 々 に 古 い 民 間 信 仰 に っ い て 伝 え る 『ア タ ル ヴ ァ ・ヴ ェ ー ダ 」 に お い て、 宇 宙 の 最 高 原 理 と し て 有 名 な ス カ ン バ(Skambha)讃 歌 の ア ー ト マ ン は 万 有 の 父(p晦)で あ る、 と 同 時 に そ の 子 息(putra)で も あ っ た(AV 10. 8. 28)。 し か し、 パ ン チ ャ ラ ー トラ の ヴ ュ ー ハ 説 と の 連 関 に お い て、 よ り一 層 重 要 視 さ る べ き 観 念 が 見 出 さ れ る の は 「父 で あ る 」(cf. AV 11. 4. 10b) <生 気>Prapaが 「そ の 力 に よ っ て、 子 の 中 に 入 っ た 」

(15)

-95-密

pita putlam pra vivesa saclbhih(AV 11. 4. 20)*-〔 付 記 〕

とい う部 分 で あ る。 これ は、 父 か ら子 へ と遺 伝 され て い く生 命 の相 続 とい

う、人 々 が最 も身 近 に経 験 す る世 俗 の 現 象 に事 寄 せ て、 〈 生 気 〉 と い う神

秘 的 で不 可 解 な形 而 上 学 原 理 の宇 宙 的 開 展 を、理 知 に よ る抽 象 思 考 力 に な

じま な い一 般 の庶 民 た ち に も納 得 の い くよ うに教 説 す る とい う目的 に と っ

て は実 に都 合 の よい 表 現 で あ り、 また 実 例 で あ った と見 る こ とが で き る で

あ ろ う。 これ は、 す な わ ち、本 質 的 な 同一 性 を い さ さ か も侵 犯 す る こ とな

く、形 象 と属 性 の 異 な る諸 存 在 が、 そ れ ら とは別 の何 か 一 っ の あ る根 源 的

な存 在 か ら次 々 に生 起 す る神 秘 を、古 代 の無 教 育 な民 衆 の た め に説 明 づ け

る見事 な具 体 的 比 喩 の 一つ で あ る と言 っ て よい。 同類 の観 念 は ウパ ニ シ ャ

ッ ドの 時代 に もな お消 失 して は い な い。 「ブ リハ ッ ド ・ア ー ラ ニ ヤ カ ・ウ

パ ニ シ ャ ッ ド』1. 5. 17は そ れ を この 世 の 次元 に移 して 「

臨 終 の と き、 父

は5生 気 と とも に息 子 に入 る」(16)と教 説 し、『カ ウシ ー タキ ・ウパ ニ シ ャ

ッ ド』2. 15は 上 に 引 用 したAV

11. 4. 20を 葬 送 儀 礼 の 一 部 に と り入 れ て、

あた か も臨 終 の 父 と枕 辺 に坐 る 息 子 との 間 の や り取 り(Sampradana)に

種 定 式 化 して い る ご と くで あ る。後 に、 サ ンス ク リ ッ ト文 学 史 上 純 文学 最

高 の大 詩 人 と して不 朽 の 名声 を語 り継 がれ る カー リダー サ が 「ラグ ・ヴ ァ

ンシ ャ」 の 第1章 で、 心 ひ さ し く王 子 の誕 生 を待 ちわ び るデ ィ リー パ王 の

16) sa yadaivamvid asmal lokat praity, athaibhir eva pranaih saha putram avisati/(BAUp 1. 5. 17). こ れ はsampratti(伝 達、 ま た は 相 続)と い う教 説

の 一 部 で あ る が、 そ の 直 後 にputraの 語 を 通 俗 語 源 的 に 解 釈 す る。sa yady

anena kimcid aksnayakrtam

bhavati tasmad enazn sarvasmat

putro

mun-cati, tasmat putro nama/sa

putrenaivasmiml

loke

pratitisthati/athai-nazn ete daivah prang amrta avis'anti//17.

さ ら に、cf. GopathaBr 1. 1. 2, pur nama narakam... tasmat tratiti

putrah

tat

putrasya

putratvam;

Nirukta

2. 11, putrah

puru

trayate,

niparanad va, pun narakam

tatas

trayate; MBh 1. 68. 38=Manu

9. 138,

pum-namno narakad

yasmad trayate

pitaram

sutah / tasrnat

putra

iti

proktah. Also see MBh 1. 69. 19.

(16)

-94-パ ン チ ャ ラ ー ト ラ初 期 の ヴ ュ ー ハ 説

こ と をatma-janma-Samutsuka(17)と 表 現 し、 ま た、 シ ャ ク ン タ ラ ー を み こ も

ら せ て 見 捨 て た ド ゥ フ シ ャ ン タ 王 に はsamropite'Py atmani dharmapatni

tyakta maya(18)と 悔 悟 さ せ て い る。

ま た、 そ の 中 に 生 気 を も 含 む(AV 19. 53. 7a)と い う 最 高 神(Pra七hamo devah, AV 19. 53. 2d & 54. 6d)と し て の<時 間>Kalaが 同 様 に し て、 「万 有 の 父 で

あ り な が ら、 万 有 の 子 と な る 」(pita sann abhavat putra esam. AV 19. 53. 4;

cf. AV 19. 54. 3)。 そ う し て、 「一 切 の 主 宰 者 」 で あ る そ の よ う な く 時 間 〉

は 「創 造 主 の 父 」 な の で も あ っ た。

Kalo ha sarvasyesvarah

yah pitasit prajapateh

(AV 19. 53. 8)

Kalo praja asrjata, Kalo agre prajapatim/(AV

19. 53. 10)

最 高 原 理 の く 時 間 〉 に 賦 与 さ れ た こ の 特 性 は、 パ ン チ ャ ラ ー トラ の ヴ ュ ー ハ 説 に お け る ア ニ ル ッ ダ の 役 割(19)と 完 全 に 一 致 し て い る。 そ う し て、 前

17) Raghuvamsa

1. 33: tasyazn atmanurupayam

atmajanma-samutsukah/

vilambita-phalailh kalam sa ninaya manorathaih//

See Mallinatha ad: atmano janma yasyasav atmajanma putrah/tasmin

samutsukah/yad

va, atmano janmani

putra-rupenotpattau

samutsukah

san/atma

vai putra-namasi'

iti sruteh/.

Cf. AitareyaUp 2nd adhyaya,

esp. 2. 3: puruse ha va ayam (i. e., Atman) adito garbho bhavati yad etad

retah/tad

etat sarvebhyo 'ngebhyas tejah sambhutam atmany evatmananl

bibharti/tad

yada striyam sincaty (cf. AV 6. 11. 2) athainaj

janayati/

tad asya prathamam janma//1//...//2//.../tam

stri garbham bibharti

/so

'gra eva kumaram janmano 'gre 'dhi bhavayati/sa

yat kumaram

janmano 'gre 'dhi bhavayaty atmanam eva tad bhavayaty

esam lokanam

samtatyai/evam

samtata hime lokah/tad

asya dvitiyam

janma//3//

... (also cf. SatBr 11. 2. 1. 1: trir hi vai puruso jayate, etc. and Jaiminiya

UpBr 3. 8. 9-10).

18)

Abhijnanasakuntalam

6. 24a (NSP ed. ). Cf. AsvalayanaGS 1. 15. 9=MBh

1. 68. 62c(atma vai putra-namasi/). さ ら に、 see infra and Note 22.

19) Cf. e. g., MBh 6. 61. 66, 12. 326. 69, and 12. 326. 37

yasmat sarvam prabhavati jagat sthavara-jangamanl/so 'niruddhah. Also see, purusah saktir ity etac cetanacetanatmakam/

(17)

密 教 文 化 に も言 及 し た サ ン カ ル シ ャ ナ 以 下 の 下 位3ヴ ュ ー ハ の 行 動 を く 高 次 の 時 間>para kalaに お い て と ら え る 「ア ヒ ル ブ ドウ ニ ヤ ・サ ン ヒ タ ー 」53.9 cd-12の 立 場 は 明 ら か に 『ア タ ル ヴ ァ ・ヴ ェ ー ダ 』 の こ の 〈 時 間 〉 と 無 関 係 で は あ り え な い。 以 上 の よ う に して 古 代 イ ン ドで は、 宇 宙 創 造 が 始 ま る 直 前 の 神 話 的 世 界 に 万 有 の 直 接 の 創 造 主(Prajapati)を 出 現 さ せ る た め の 教 義 理 論 上 の 根 拠 と し て、 最 高 神 と 宇 宙 創 造 主 との 間 に、 世 俗 に 見 ら れ る 父 子 関 係 を利 用 し よ う とす る、 と い う思 考 が 非 常 に 古 くか ら存 続 し て い た こ と が わ か る。 そ う し て、 ま た 一 方 で は、 「夫 が 妻 の 胎 内 か ら子 と し て 再 生 す る」 と い う観 念(20)が イ ン ドに は 古 くか らあ り、 父 と子 と を 同 一 視(21)し て、 父 ・子 の 間 に転 生 す る 相 続 を も認 め て い た。 こ の よ う な 傾 向 は 『マ ハ ー バ ー ラ タ』1. 62∼69の 有 名 な 挿 話、 シ ャ ク ン タ ラ ー の 物 語(22)や 上 記 の 『ラ グ ・ ヴ ァ ン

antah-stha-purusam

saktim tam adaya sva-murti-gam /

samvardhayati

yogena by Aniruddhah sva-tejasa //

(AS 6. 13-4)

and PS 2. 101b (Aniruddhas sakalesvarah /), TT p. 127 (Aniruddhah...

misra-srster

nirvahakah).

20)

patir jayam pravisati garbho bhutva sa mataram /

tasyam punar navo bhutva dasame masi jayate // (AitBr 7. 13. 9)

辻 直 四 郎 『古 代 イ ン ドの 説 話 ブ ラ ー フ マ ナ 文 献 よ り』、春 秋 社 ・昭 和53年、

3 & 13ペ ー ジ(訳 注3)参 照。See Mallinatha ad Eaghu"am働2・1, and:

patir bharyam sarnpravisya garbho bhutveha jayate / (Manu 9. 8).

さ ら に、YajSm 1. 56: 七atraya田 旗ya七e svayam.

21) ya u vai putrah sa pita, yah pita sa putrah (SatBr 12.4. 3. 1).

See J. Gonda, Some Observations on the Relations between "Gods" and

"Powers" in the Veda, A Propos of the Phrase sunup sahasaji,

's-Graven-hage 1957, pp. 10-11, and also E. Windisch,

Buddha's

Geburt and die

Lehre von der Seelenwanderung, Leipzig 1908, p. 62.

22) bhastra mata pituh putro yena jatah sa eva sap //

(MBh 1. 69. 29 & 1. 90. 31ab=BhP

9. 20. 21)

母 は皮 袋[の 保 養 器]で あ り、息子 は父 に 属す る。 彼 に よ って生 れ た も のは 彼 そ の もの で あ る。

(18)

-92-パ ンチャラー トラ初期 のヴューハ説

シ ャ』 に一 つ の実 例 を見 る ご と く後 世 に まで 長 く伝 え られ た か ら、 ブ ラー

フ マナ 文 献 を始 め とす る彪 大 な ヴ ェー ダ諸 文 献 中 の創 造 神 話 を入 念 に調 査

す れ ば、 同 種 の 思 考 形 態 に関 して よ り一 層 多 面 的 な ア プ ロー チ と議 論 とを

行 い うる可 能 性 が 予 想 で き るが、 しか しそ れ は 将来 の 研 究 課題 に属 す る問

題 で あ る。

4.

パ ンチ ャ ラー トラ の最 高 神 と ヴ ュー ハ4柱 神 の 変 現、 そ こ か ら始 ま る宇

宙 創 造 の 相互 関 係 を図 示 して み れ ば、 次 の ご と くにな るで あ ろ う。

こ の 図 式 か ら も 明 ら か な よ うに、 『マ ハ ー バ ー ラ タ 』 第12巻 の ナ ー ラ ー ヤ ニ ー ヤ 章 に お け る ヴ ュ ー ハ 説 は 因 果 関 係 に よ る順 次 生 起 を意 図 す る も の で

tvad-angebhyah

prasuto 'yam purusat puruso 'parah/

sarasivamale "tmanam dyitiyam pasya me sutam//

yatha by ahavaniyo 'guir garhapatyat

praniyate/

tatha tvattah prasuto 'yam tvam ekah san dvidha krtah//

(MBh 1. 68. 64-5)

atmatmanaiya janitah putra ity ucyate budhaih/(MBh

1. 68. 47).

sting vai putra-namasi

(MBh 1. 68. 62c, KauAr 4. 11, Nirukta 3. 4,

Asva-la,

yanaGS 1. 15. 9); cf. P. V. Kane, HDhS Vol. 3, Poona 1964, p. 641 nt.

1220. samropite 'py atmani (Abhijnana-Sakuntalam

6. 24, NSP 1958, p.

228). Also cf. Mann 4. 184: bhrata jyesthah samah putra, bharya

putrah

svaka tanuh/.

(19)

-91-密

は な い。 そ の教 義 の特 質 は、 創 造 主 ブ ラ フ マ ー が誕 生 す る まで の太 初 の神

話的 な宇 宙 の 開 開時 に、 第1ヴ

ュ ーハ に転 位 した 最 高神 が、 時 間 の推 移 に

っ れ て 下位 の3ヴ

ューハ に順 次 そ の姿 を変 え て顕 在化 して い くこ と を説 く

点 に あ る。 そ の よ うな プ ロセ ス が経過 し てい く中 で、 ヴィ シ ュヌ 派 の神 話

で は宇 宙 創 造 の 開始 が しだ い に分 明 に具 体 化 す るの で あ る。 ヴ ュ ーハ の教

説 は、 こ の こ とを通 俗 的 に誰 に もわ か りや す く教 示 す る た め の 一 方 策 な の

で あ っ た。 こ こ で は深 く立 ち入 らな い けれ ど、後 代 の サ ン ヒ ター 文献 が 解

説 す る ヴ ュー ハ 説 は主 と し て この方 向 に沿 って解 釈 しな けれ ば理 解 で きな

い。 ヴ ィ シ ュ ヌ派 の最 高 神 が その よ うに擬 人化 され た ヴュ ー ハ4柱 神 の姿

を とっ て変 現 す る点 を、 た と えば 「ラ ク シ ュ ミー ・タ ン トラ』(2. 54∼56)

は、 同 じ一 人 の有 能 な役 者(nata)が 表 情 や 身 の こな し方、 衣 装 や 小 道 具 を

さ ま ざ ま に と り代 え て役 作 りにい ろ い ろ と工 夫 を こ らし、 複 数 の演 劇 に お

い て各 個 に相 異 な る役 割 を見事 に演 じわ け て、 さな が ら観 客 の 喝 采 を呼 び

起 こす 情景 まで も想 像 させ る よ うな 巧 み な比 喩 で も って 説 明 して い る。(23)

この よ うに して、 パ ンチ ャ ラー トラ本 来 の ヴ ュー ハ 説 と は、 時 間的 に相

前 後 して 変貌 す る最 高神 そ れ 自身 の 「4現 相 の継 起 」 に関 す る教 説 で あ っ

た か ら、 下位 の3ヴ

ュー ハ を それ ぞれ<個 我>と か、 〈意 〉 とか、<自

意 識>と

か に 同定 して表 示 す る必 要 は ま った くな い わ け で あ り、 この 点 か

ら して も後 代 の サ ン ヒタ ー文 献 は ヴ ュー ハ 説 にお け る他 原 理 へ の 同 定 表 現

に、 ほ とん ど関心 を示 さず、 ま た固 執 しな い の で あ ろ う。 ナ ー ラー ヤニ ー

ヤ章 以 来 サ ン ヒター 聖 典 の 中 にわ ず か に残 る同定 表 示 は、 お そ ら く一 種 完

成 され た とも言 え る古 くか ら有 力 な サ ー ンキ ヤ学 派 の創 造 理 論 に立 って、

む しろ、本 来 の純 一無 垢 な精 神 原 理、 す な わ ち宇 宙 論上 のく 意 識 〉 ま た は

<心 性>jiana

or cit、あ るい は宇 宙 的 な<生 命>が1)jiva⇒2)manas(or

buddhi)⇒3)ahahkaraへ

と世 俗 的 現 実 の 〈心 〉 に 向 か っ て変 貌 して い く

23)拙 稿 「Parcaratra

Samhitaに みえ るVyuha説

」、

『印度学仏教学研究』第

15巻 ・第2号(昭 和42年)、144∼45ペ ージ参照。 さらに、ef. Maitriup 4.

2

(nata iva ksana-vesam) & Pancadasi Ch. 10 (detailed).

(20)

パ ン チ ャ ラー トラ初 期 の ヴ ュー ハ 説 様 相 を 分 明 か っ 率 直 に 図 式 化 し て い る と見 た ほ う が 通 俗 的 宗 教 の 教 説 と し て は よ り一 層 自然 で あ る。 「ブ ラ フ マ ・ス ー トラ 』 を 註 解 す る シ ャ ン カ ラ も ま た 現 象 世 界(vyavahravastha)と い う揚 に 関 す る か ぎ り、 墓 本 的 に は サ ー ン キ ヤ 学 派 と 同 じ く因 中 有 果 論 に よ る 世 界 展 開 を 承 認 し た。 し か し、 そ の と き シ ャ ン カ ラ が 世 界 創 造 の 根 本 原 理 と す る の は マ ー ヤ ー ま た は シ ャ ク テ ィ と 結 合 し て 人 格 化 さ れ た 主 宰 神(ivara or paramevara)で あ っ て、 究 極 的 真 理 の 場(paramarthavastha)に お け る 絶 対 者 ブ ラ フ マ ン で は な い。(24) こ れ に 反 し て ヴ ィ シ ュ ヌ 派 の 場 合 に は、 通 俗 宗 教 と し て そ の よ うな 認 識 論 上 の 立 場 を 区 別 し な い か ら、 宇 宙 の 創 造 説 は、 あ く ま で も絶 対 の 最 高 原 理 で あ る 最 高 神 の ご く僅 少 な 一 部 分 か ら転 変 し拡 散 し て い く多 様 な 現 象 世 界 の、 本 来 の 意 味 に お け るsrsti or sarga(<√srj)に 他 な ら な い。 こ の よ うな 創 造 過 程 の 中 に お い て は じ め て、 輪 廻(samsara)の 生 存 が 無 限 に 繰 り返 さ れ る と見 る の で あ る。 パ ン チ ャ ラ ー トラ の ヴ ュ ー ハ 説 は、 高 次 と は い え 時 間 の 範 疇 に お け る、 い わ ば 精 神 的 存 在 論 上 の 因 果 関 係 に も と つ い て い る。 そ の と き 下 位 の3ヴ ュ ー ハ は そ れ ぞ れ、 も ち ろ ん 先 行 す る 上 位 ヴ ュ ー ハ の 結 果(karya)で あ り、 か つ 結 果 と し て の 様 相 に も機 能 に も 個 体 と し て の 相 違 が 歴 然 と し て い る。 し た が っ て、 こ の 意 味 に お い て の み、 そ れ を 認 識 論 上 の 因 果 関 係 と し て 見 る こ と を許 さ れ る で あ ろ う。 し か し、 そ の 因 果 関 係 は 同 じ最 高 存 在 者 の 本 体 論 上 に お け る 自 己 転 変 な の で あ る か ら、 決 し て 因 果 を 結 ぶ 各 形 態 問 の 本 質 に か か わ る よ うな 問 題 を存 在 論 上 に も認 識 論 上 に も 内 包 し て は い な い。 そ れ は、 す で に 絶 対 の 精 神 原 理 で あ る最 高 神 の 実 在 を ア プ リ オ リ な 前 提 と し た 上 で 教 説 す る、 い わ ば 純 粋 の精 神 的 な 因 中 有 果 論 の 立 場 で あ る。 シ ャ ン カ ラ の 伝 え る ヴ ェ ー ダ ー ン タ学 派 の 論 難 は、 お そ ら く、 ヴ ィ シ ュ ヌ 派 有 神 論 説 の こ の よ う な 点 に 配 慮 し た も の な の で あ っ た。 そ う し て、 こ の 24) 中 村 元 『シ ャン カ ラ の思 想 』 〔イン ド哲 学 思 想 ・第5巻 〕、岩 波 書 店1989、 261-7, 303-6, 314-5ペ ー ジ。 前 田専 学 『ヴ ェー ダ ー ン タ の哲 学 』、サ ー ラ叢 書 24、 平 楽 寺 書 店1980、111ペ ー ジ以 下。

(21)

-89-密

点 に は好 意 的 に 同調 して、 理 論 家 の シ ャ ン カ ラは 「ブ ラフ マ ・ス ー トラ」

の 同所 に お い て 「

パ ン チ ャラ ー トラ の定 説」 の 中 で も ヴ ュー ハ説 の 特 異 点

の み を論 駁 す る こ とに よ って上 記 の点 につ い て これ を言 外 に含 めて 確 認 し

よ う と した ので あ った の か も しれ ない。 しか し、パ ンチ ャ ラー トラの4ヴ

ュー ハ は 「現 象(vyavahara)の

場」 に お け る結果(karya)で

は な い。 そ れ

は、 こ の現 象 世界 が生 起 す る よ りもは るか以 前 に始 ま る、 宇 宙 開 開 ドラマ

の開 幕 を告 げ る最 高 神 み ず か らの 自己転 変 で あ るか ら、 シ ャ ン カ ラ で言 え

ば 「

勝 義(paramartha)の

場 」 に お け る実 在 ブ ラ フ マ ンの 自 己開 展 に相 当す

るで あ ろ う。こ の よ うな認 識 論 上 の勝 義 界 に属 す る最 高原 理 に 自 己開 展 を

認 め て、 そ こ に サ ー ンキ ヤ学 説 の原 理 名 を適 用 す るこ との 可否 が 当然 シ ャ

ンカ ラ と して は問 題 とな るべ き とこ ろ で あ った。

5.

上 来 の考 察 か ら結 論 と して は、 次 の よ うに 言 え るで あ ろ う。 ヴ ュー ハ 説

とい うパ ンチ ャ ラー トラ に独 特 の教 説 は 『マ ハ ーバ ー ラ タ』 の ナ ー ラー ヤ

ニー ヤ章 以 来、 神 話 的 宗 教 思 想 と して の 一 貫 性 を失 うこ と が な い。 そ うし

て、 と くに古 い 同 定 表 現 を明 らか に保 存 して い る ナ ー ラ ー ヤ ニ ー ヤ 章 は、

この ヴ ュー ハ 説 以 外 に も部 分 的 にで はあ るが、 パ ン チ ャ ラ ー トラの 古 い 教

義 神 学 を伝 え る最初 期 の 文 献 で あ る と見 るこ とが で き る。 こ の よ うな ナ ー

ラー ヤ ニ ー ヤ 章 の お お よそ の成 立 年 代 と して 『ブ ラ フマ ・ス ー トラ』 の成

立 期 と同 時代 で あ る紀 元 後5世 紀 の ころ か、 それ よ りも少 し以 前 を予 想 し

て お け ば大 過 な き もの と思 わ れ、 こ の年 代 設 定 は、 大 叙事 詩 『マハ ーバ ー

ラタ」 の現 形 が成 立 した で あ ろ う と 一般 に考 え られ て い る年 代 と も うま く

符 合 す る の で あ る。

なお、 最 後 にバ ー ガ ヴ ァタ派 と の関 連 か ら一 言 す れ ば、 ナ ー ラー ヤ ニー

ヤ章 は 『

バ ガ ヴ ァ ッ ド ・ギ ー タ ー』 の存 在 に っ い て2度 に わ た って 言 及 し

てい るか ら、 した が っ て ギ ー ター 」 の 教説 を、す で に そ の教 義 の 前提 と

してい る こ とが 十 分 に 予 想 で き る。 ナ ー ラー ヤ ニ ー ヤ章 は、 ク ル族 とパ ー

(22)

パ ンチ ャ ラー トラ初 期の ヴ ュ ーハ 説 ン ダ ヴ ァ族 の 両 軍 の 布 陣 が 終 っ て、 あ の 大 戦 争 の 戦 端 が ま さ に 切 っ て 落 さ れ よ う と す る そ の 時 に、 常 日 頃 か ら 相 親 し く互 い に 尊 敬 す る 同 族 の 縁 者 た ち が 敵 と 味 方 に 分 裂 し て 格 闘 し、 そ の 果 て に は 殺 し あ わ ね ば な ら な い と い う運 命 に 悲 嘆 こ の 上 な く意 気 消 沈 し た 戦 士、 い っ も は 勇 敢 無 比 な る 英 雄 ア ル ジ ュ ナ に 対 し て 「バ ガ ヴ ァ ッ トみ ず か ら が 歌 い あ げ た 道(glta Bhagavata svayam)を こ こ で も教 示 し た 」 と述 べ(MBh 12. 336. 8-9)て、 さ ら に、誓 戒 あ る人 の ダ ル マ(vratinam dharmah)に つ い て は 〈 バ リ ・ギ ー タ ー 〉 へ の 言 及 が あ る(MBh 12. 336. 49)。 そ う し て、 MBh 12. 324. 49の 「光 輪 に つ つ ま れ て 見 る こ と も で き な い あ の バ ガ ヴ ァ ッ ト」sa Bhagavan prabha-mapdala-durdrsahと い う表 現 は、 明 ら か にBhG 11. 17 & 19を 予 想 し て い る。 唯 一 神 の信 奉 者 で あ るEkantinた ち が 最 終 的 に は 「最 高 神 の 中 に 入 る」(MBh 12. 337. 67)と い うパ ン チ ャ ラ ー トラ の 〈 解 脱 観 〉 も ま た 『ギ ー タ ー 」 の 教 説 に よ く準 拠 し て い る。(25)し か し、 ナ ー ラ ー ヤ ニ ー ヤ 章 に お い て 「バ ガ ヴ ァ ッ ト」 と呼 ば れ、 特 別 に 尊 崇 さ れ て い る最 高 神 ナ ー ラ ー ヤ ナ(e. 9., MBh 12. 333. 25, 337. 63-64)の 名 は 『バ ガ ヴ ァ ッ ド ・ギ ー タ ー 』 の 中 に ま だ 現 れ て は い な い。 25) この 点 に つ い て は、 註3の 前 掲 拙 稿6∼7ペ ー ジ を参 照。 ま た、Bhagaad-gitaの 一 神 教 的 性 格 に つ いて、 同24ペ ー ジ以下。 *〔付 記 〕 通 俗 宗 教 の立 場 か ら見 るか ぎ り、イ ン ド ・ヨー ロ ッパ祖 語 につ らな る語 源 解 釈 は第 二 義 的で あ り、必 ず しも その 精 確 を 要 求 され な いで あ ろ う。 した が って、 本 稿 で は煩 雑 にわ た るの を 避 けて、 ヴ ェー ダ文 献 また はVedic Sans-kritの ア クセ ン ト符 号 を す べ て 省 略 した。

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