序文
中國では
代、多くの地理書―總志(
國性
(行政 域志)・方志 ―が作域を單位とする地方志)
る書 され、この部門が占め の地理書は、いわば各地の個性を形 の分量は、集部の文集と竝ぶ雙璧である。しかも中國
四 する人・地・事・物の を含む、百科
書 を置く實用 なものが多い。行政(治政)に眼
(詩文)を引用・集 な地理書のほかに、人物を記載し、文學作品 する、いわば地域の總合
な文
合文 誌(總
志 地域敍
本稿では、として大 いる。 (1) 、と呼ぶこともできる地理書が出現して)
が現存する
代の を用いて、いわゆる詩跡( 名な地理總志 代の詩人たちに詠みつがれて
名 になり、詩歌の新しい創
出された獨特の えた地名〔古典詩語〕。詩歌との緊密な一體感[詩歌によって生み に點火して表現の核となりうる力をたた 想作用―特定の景物・
など]を 趣・發想・テーマ・語彙 って 識・理解される場
[宮殿・高樓・橋・亭・關
祠廟・ ・
宅・
・寺院などを含む]で、單なる名
古跡とは
る、詩歌を體とした な が、どのように念) (2)
か、現地 されているの 宣 査(二〇〇五年・二〇〇六年)に赴いた南の安徽省 市 ・池州市と、北の山東省濟南市
たい。その結果は、今後、個々の詩跡 を例にして考察し 利用のあり方を明確に示すことになろう。 査における地理總志
第一章 安徽省宣
市
[一]現存する最古の地理總志は、
の元和八年(八一三)
中國
代の地理總志に見る詩跡の
とその展開
安徽省宣
市 ・池州市、および山東省濟南市
を して
植木久行
に る李吉甫撰『元和郡縣圖志』四十卷、目
(目 二卷である。
と六卷分缺)賀
君點校『元和郡縣圖志』(中
江卷二八、南國古代地理總志叢刊、一九八三年) 書局、中 四、宣州宣
縣の條には、「
亭山は、州の北十二里、ち謝
賦するの 詩を
」とある。本書は、地方の文
の參考に供する方面に重點を置いており、こうした よりも治政(行政)
との關文) 文(詩 に言
ある。後世、 することは多くなく、この記載は貴重で
亭山が、宣
市
[二]北宋初期の太 を暗示していよう。 を代表する詩跡になること 興國年
(九七六~九八四)ごろに
る (3)樂史撰『太
寰宇記』(二〇〇卷、目
二卷、文
出版 代地理書四種之一、一九六二年。大きな缺 、宋
〇三 は卷一一九のみ)卷一
江南西 ,
、宣州宣
縣、
亭山の條にいう、「『郡國志』
び宋の『永初山川記』(南
に云ふ、宛陵の北に ・劉澄之撰『永初山川古今記』)
亭山有り。山に
祠有り。ち謝
を賽り(お禮の祭りをする)、詩を賦するの まつ(4)
。其の
は梓 府君と云ふ。頗る靈驗有り、と」。「賦詩之
」の語は、
の『元和郡縣圖志』の記
『太 を踏襲する。
寰宇記』は、州ごとに風俗・姓氏・人物・土
文 など、
方面を加味した項目を新たに加えて、當地の
貌を表 す「總合
な地域別百科事典」
變貌しつつあった。これは、確かに「土地に對する 容を備えた地理書へと (5)
單なる治政の對象という存在から、その土地の持つ文 識が、
景までも含めて 背 識しようという、文
存在へと變
つあることを物語って」いよう。しかし(松尾幸忠) (6) しつ 宣い。 する部門(門)はまだ獨立せず、各縣に引く詩句も多くな 文に關 縣の條も、詩文に關する言
[三]續いて北宋中期の元豐三年に(一〇八〇) る。 (7) !は、これのみであ
曾 る王存・ (8)
"・李
#芻撰『元豐九域志』(十卷、王文楚・魏嵩山點校、中 すう
卷六書局、中國古代地理總志叢刊、一九八四年)
宣州宣 江南東路、 , 縣の條には、昭亭山(=
亭山)や句溪水などの
$
名な山川を記すが、それを詠んだ
文には言(詩文)
い。北宋の紹 しな
%四年(一〇九七)、
『元豐九域志』の &裳の上表に基づいて、
'略な記載を
が、 蹟の條にも、詩跡と呼ぶべき昭亭山や謝公亭などを書き記す に「古蹟」の部門を加えた『新定九域志』卷六、宣州、古 (9) (補することになった。新た 文 な言
はなく、その由來や場
についての
'略な ため、その解 )明にとどまっている。ただ古蹟は詩跡と重なることも多い
)は北宋期の古いものとして貴重である。 中國詩文論叢第二十六集
118
『元豐九域志』は、行政
名、地里・疆域・(四至八到)
數・貢物などを書きこんだ、いわば各地の行政地理
る 況を知
た。當時、各地の 明な手冊―行政便覽のようなものであっ(ハンドブック)
史 文
容(人物・古跡・
への言 文など)
は、まだ地理總志の必須項目である、とは
[四]北宋末の政和年 ていなかったのである。 識され に(一一一一~一七)
る歐陽
『輿地廣記』(三八卷、李 撰 びん
先・王小紅校
、四川大學出版
卷二四元地理志叢刊、二〇〇三年) 、宋 宣江南東路、州宣 ,
條にも、ただ「 縣の が記』 亭山有り」とのみある。これは、『輿地廣 代の地理沿革(境域の變
治 と山谷・河流、州縣の) の變
などの記
を 體とし、
文(詩文)
[五]南宋期、地理 いためである。 點がな 方面(四至八到、疆域、
口)の記
は省略されていく。北中國が金の支配下にあって、淮河以南の地に
在した南宋時代、公式(官修)の總誌は結局
れなかったが、民 纂さ では
目すべき二つの總志―『輿地紀
と『方輿 』
覽』が
纂された。學問・文
の て、皇 にともなっ の統治の參考に供するためではない、いわば名
跡や人物を中心にすえた、詩文の創作・鑑賞のための地理知 古 識を重
や縣圖志』『太寰宇記』などには見られない「詩」(『方輿 した、新傾向の詳細な地理事典であった。『元和郡 おり、兩書がいわゆる詞章の學に と「四六」の二部門が新たに設けられて覽』では「題詠」)
を象 った地理總志であること
!している。なお南宋期に
纂された、『乾
(張津等)、『 "四明圖經』
#郡志』(范
大)、『琴川志』(孫應時、鮑
泰會稽志』、『(施宿等) $)、『嘉
%せん
&』、『開慶四明續志』((高似孫)
'
應發等)、『景定建康志』(
(應合)、『咸淳臨安志』(潛
『咸淳毘陵志』などの方志も、獨立した部門(史能之)(門 び )友)、 を設けて詩文を集 *) かる。(このうち、 &しており、同じ風氣の中にあることがわ +五書の 立は、『輿地紀
』『方輿
行する ( 覽』に先 寶慶三年の(一二二七) ) ,)
-年以
.に刊行された、
/州金 ぶ
0
縣(浙江省金
0市)の王象之撰『輿地紀
が 』二〇〇卷(三一卷 1缺、一部の缺は一七卷に
ぶ。李 先校點、四川大學出版
慶三年の李 宋元地理志叢刊、二〇〇五年、嘉定十四年(一二二一)の自序、寶 、 2
しよくの序)は、南宋期の最も完備した大型の總志(
1國性 方志)である (
南宋領の府州を一卷ずつに配當し、府縣の沿革、風俗形 。 3)
、景物、古跡、官吏、人物、仙釋、
4記、詩、四六等に分
中國
代の地理總志に見る詩跡の
5&とその展開(植木) 119
けて記
する。なかでも
創設にかかり、きわめて 記・詩・四六の三部門は、本書の 文を重
した である (
が、境域、 や古跡などの條に、しばしばそれらを詠んだ詩文を引用する 當地を詠んだ作品を集する「詩」の部門以外にも、景物 。 )
口、
四六とは、四六文(四六駢儷文)の基 里數などは記されていない。ちなみに、
を 王象之の自序によれば、天下の各地に在る山川の 對句を集した部門である。(偶句) す四字・六字の
物名 (風
と、それを歌詠・記)
した詩文を廣く集め、文學
(騷人才士)がこれを見れば、立ちどころに當地の山川の風趣を會得して、作詩作文の際の、無盡
の にあった ( 料寶庫にすること
。これは、地理總志 )
纂の目
に對する奉仕から、廣範な文學(治政) を從來の國家統治
『輿地紀 る奉仕へと、大きく方針轉換したことを意味していよう。 に對す(騷人才士)
』卷一九、
國府の條に見える、詩跡
する詩句の場合、一方の詩跡の條にのみ置いて、重複引用を 候補に關するものは、以下の如くである。二つの詩跡に關係 びその
● けた。
收部門・詩跡・詩人・詩句の順に記(引用句數)
※[]
は、引用
の
補・訂正。 □高齋○六 【景物上】
齊・謝元暉(
)「[郡
]高齋
答呂法曹」(詩題のみ、ただし後の【詩】の條に、「郡 事閑坐、
と題して、「窓中列 高齋」
○ 岫、庭際俯喬林」を引く)
・劉禹錫詩[宣州崔大夫見寄]「
○ 餘」(一句) 史高齋興有 ・韋蘇州[應物]詩[
!五經趙隨登科授廣
( "尉]
#…趙隨が人名、廣
"は宣州の屬縣)「高齋
□宛溪○ $謝公」(一句)
・李白詩[題宛溪
○宋・孫錫詩「句溪雖可鑑、未 百尺照心明」(二句) %]「吾憐宛溪水[好]、
&宛溪
□句溪○六 '」(二句)
齊・謝元暉(
)「將之[
(]湘中[水]、 )句溪」「(詩題のみ)
○ 引く。 人留詠多し」として、以下を ・李白詩[別韋少府]「洗心句溪
○ *」(一句)
・杜牧詩[張好好詩]「沙
□ +句溪蒲」(一句)
,山○
・李白「登
,山[九日登山]」「
-土接 俯臨宛水 ,山、
.」(二句)(
#… ・
★「 /"輿の記も引く)
0溪」(=
これは「 'の條に、李白らの詩も引かれるが、溪)
0溪」(
'溪)の流れる土地の管
1が
代の後期、 中國詩文論叢第二十六集 120
宣州から池州へと變
したために生じた
り、ここでは取り上げない。【詩】の條も 解にもとづいてお
□ 【景物下】 って引く。
波亭○宋・
兪(堯臣)詩[宣州
[今]吾太守樂、副[慰]此邦[郡]人 波亭]「令
□宛陵堂○宋・呂居人(本中)詩[寄宣 」(二句)
嶂樓 故]「疊 [頭]
涼處、宛陵堂下探
□ 時」(二句)
深堂○宋・郭
正(功甫)詩[感懷、
「君來宣 李公擇]
、衆謂得杜牧。我
昭亭、林中騎白鹿。時 深堂、
□曲肱亭○宋・ 君亦休沐」(六句)
魯直「題宛陵張待(庭堅)
詩「仲蔚蓬蒿宅、宣 曲肱亭」
詩句中。[この後、二句
蹇勳業外、嘯歌山水重。…」(八句)( ]偃 …【詩】の條にも、
□ 頭の二句を引く)
雲閣○宋・郭
正「賦(功甫)
雲閣」詩「宣
名山、詩人經 多 。獨無
雲篇、疑怯作
□秋水閣○宋・郭 敵」(四句)
□列岫亭○宋・郭 閣、靜吟秋水篇。…」(四句) 正「題秋水閣」詩「偶登秋水(功甫)
正「列岫亭」詩「謝公(功甫)
惜埋沈、更作新定一百 句 。…」(四句)(
…謝 「郡
高 齋事閑坐、答呂法曹」の「窓中列
★ !岫」にもとづく)
深堂・曲肱亭・
雲閣・秋水閣・列岫亭は、その
地が明記されないが、ひとまず宣 "在 市
□陵陽山○宋・郭 えておく。 #にあったものと考 正「雙溪樓[宣州雙溪閣夜宴、(功甫)
□ 勢相倚」(二句) $太守金光祿]」詩「陵陽之[三]峰壓千里、百尺危樓
%亭山○
&・李白詩[獨坐
只有 %亭山]「相看兩不厭、
○ %亭山」(二句)
&・李白詩[登
%亭山、南
懷古、
竇 '(]「
★ 一迴首、目盡天南端」(二句) %亭
"引の『圖經』に「
)ち謝
詩を賦するの
が、六 "」とある
*齊・謝 自身の「
%亭山」(「
は引用しない。また、 %詩そのもの亭山」) 亭山は +の項目に昭亭山の名が見えるが、昭
□雙羊山○宋・ %亭山の別稱である。(昭亭山には、詩が引かれていない)
兪(堯臣)詩[早春田行]「風
羊路、 ,雙
□開元寺○ -山下村」(二句)
&・杜牧「題宣州開元寺」詩「南
*謝
東 、
【古跡】 .最深處。…」(四句)
中國
代の地理總志に見る詩跡の
/0とその展開(植木) 121
□謝 北樓
・李白「秋登宣
謝
(【人物】楊處士の條、 上、臨風懷謝公」(二句) 北樓」詩「誰念北樓 ・許渾「寄昭亭楊處士」「…謝公樓上
發、楊子宅
春
★參考【記】の條に、『宣 深」(四句))
詩』(
人已 の詩篇、
人の姓名を失す)を 集の 以下、宣 【詩】 。 縣を含む
國府
に關する詩が、基本
に作
の生存時代に從って集
されており、
山川・堂亭・寺 の□印のごとき、
ごとに分 の名稱を持たない。それでここでは、詩跡 して示す。その名稱は、
□ のを含む。 引の項目と重複するも 亭山(
○二首)
・李白「至
亭山[自梁園至
亭山、見會公、談陵陽山水、…]」(會公は
)「稠疊千 峰、相
入雲去」「水國饒(二句)
奇、潛光臥幽
句)( 」(二
○ …それぞれ獨立して示す)
・李白「登
亭山[登
亭山、南
懷古、
竇
( ]」
出)「
○ 亭一迴首、目盡天南端。…」(四句)
・李白詩[寄從弟宣州長史昭]「爾佐宣
郡、守官
且閑。常誇雲
好、邀我
亭山」(四句) ○
・李白「別韋少府」「洗心句溪
、 耳 は□句溪の條に 亭猿」(上句
○ 出)(二句)
・李白「
胡人吹笛」「十
山曉、
!
"
○ (二句) 亭」
・李白「
亭山[獨坐
獨去閑。相看兩不厭、只有 亭山]」「衆鳥高飛盡、孤雲 亭山」(
#四句。
の□
山の條には、後 亭
○ $二句のみを引く)
・孟
%然詩[夜泊宣
界]「石逢羅刹礙、山泊
亭幽。…」(四句)○
・白居易「題宣
郡齋[宣州崔大夫閣老、忽以
十首見示…]」「謝元暉 &詩數 再喜宣 '吟聲寢、郡閣寥寥筆硯閑。… 章句動、飛觴遙賀
亭山」(
#八句)(
自 …白居易の に、「謝宣
( )の『郡
』詩に云ふ、『窓中に
と」「謝に又た『 (岫列なる』 つら
亭山に題す』詩有り。竝びに『文
○ とある) )』に見ゆ」
・劉禹錫「九
*歌[山]」「[君不見]
亭之山
+索 ,、兀如斷岸無稜角。宣
謝守一首詩、
○ (四句) -使聲名齊五岳」 ・劉禹錫詩[[
.宣州崔大夫見寄]]「遙想
欲 亭春
/、百
飛盡柳
初」(
…
の□高齋の條に、本詩の一 中國詩文論叢第二十六集
122
句を引くが、この四句は見えない)○
・劉長卿「行至宣
」「
亭 色 臨 、句水
澹不波」(四句)(…『 流
○ 詩』に未見?)
・杜牧詩[自宣州赴官入京、逢裴坦
官…]「
亭山下百頃竹、中有詩人小謝
○ 」(二句)
・杜牧詩[偶
石 舍]「
岑
解 光、句沚水
○ 」(二句)
・韋應物「
宣 [路]
事」「…
山水 林謝家宅、
○ 亭祠」(四句)
・趙 「宛陵
[寄沈學士]」「一川如畫
詔閑 亭東、待
○ 處處同。…」(四句)
・陸龜蒙「寄友人[寄友]」「
亭 生 夜溪聲裏、同聽先
○宋・蹇柳溪詩「我聞 太元[玄]」(四句)
聲名一日 亭無足取、岑寂況在東南涯。
□宛溪( 宇宙、正以謝守詩瑰奇」(四句)
二首)○
○ 霜夜聽猿愁、去國長爲不繋舟」(二句) ・李白詩[寄崔侍御]「宛溪 ・李白詩[題宛溪
照心明」(…□宛溪の條に ]「吾憐宛溪水[好]、百尺
□謝 出)(二句)
北樓(
一首、補一首)○
・李白「秋登宣
謝
北樓」「江
如畫裏、山曉
空。…」(六句)(…
の□謝
○ 尾聯。ここでは、それ以外の六句を引く) 北樓の條に引く本詩の「誰念北樓上、臨風懷謝公」は ・鄭準「題宛陵北樓」「…
使[
]謝宣
○ 必應吟盡夕陽川」(四句) 不死、
・鮑溶「北樓[宣
「詩樓郡 北樓、昔從順陽公會於此]」 北、窓
□開元寺( 亭山。…」(四句)
一首)○
「六 ・杜牧「題宣州開元寺水閣」
!文物 "空、天澹雲閑今古同。…」(
○ 八句)
・杜牧「題[宣州]開元寺」「南
!謝 、東
深處」(二句。 #最
○ の□開元寺の條に見える)
・杜荀鶴「題開元寺[門閣]」「一登高閣眺
滿目風光盡 $秋、
%。何處畫橈
&
○ 句) '水、幾家鳴笛咽紅樓」(四 ・趙 「題開元寺水閣」「年來獨向此
(、謝氏
)
山與寺
*。…波穿十里橋
"寺、絮壓千家柳
(…『 春」(六句)
詩』に未見。『
詩補
+』四一五頁
□高齋( ,收)
三首)○
・韋應物詩[
廣 五經趙隨登科授 -尉]「獨
.宣 郡、高齋
/謝公」(二句)(…
の□高齋の條には、下句のみを引く)
中國
0代の地理總志に見る詩跡の
1とその展開(植木) 123
□疊嶂樓○宋・蘇爲「宣
」「宣
疊嶂、樓
○宋・盧革詩「疊嶂最 霞。…」(四句) 簇綺 目、排
( 隱星絡。…」(四句)
…『方輿
山の上に在り」とあるが、『輿地紀 覽』卷一五、國府、山川の條に、「疊嶂、陵陽
○宋・蘇文定公(轍)詩[ 』中には見えない)
韻侯宣
「仰攀疊嶂高、俯 疊嶂樓雙溪閣長篇]
○宋・林希「疊嶂樓有懷 雙溪美」(二句)
門朱伯厚」詩「虎丘換得
山、句水松陵數舍 亭
(★參考【 。…」(四句)
記】の條に、「題疊嶂樓詩」(原
…南齊の謝
疊嶂樓壁」(原 )、「題 …
□句溪( の獨孤霖)とある)
三首)○宋・郭
正(功甫)詩[
陵陽、
王左丞代、先書寄獻]「昭亭扶春入畫戟、句溪洗
これによれば、宣 吟盃」(二句) 供
を代表する詩跡は
で謝 亭山であり、つい 北樓とその後身にあたる疊嶂樓(
であった。改稱) の刺史獨孤霖の再建・
れらの詩跡は、 に續くのが開元寺や宛溪である。なおそ
の李白や杜牧(
察使の
僚として宣
によって詠まれて定度滯在) に二 し、北宋の郭
正〈 當塗出身で くの 山に み、李白の後身と
された詩人、『
山集』が ある (
は、地元〉(宣 )
出身の)
く詠んでいる。 堯臣よりも當地の堂亭を多 の項目のうち、波亭・
!深堂・
波亭はむしろ後 秋水閣・列岫亭などの亭閣は、後世ほとんど詠み繼がれず、 "雲閣・
[六]『輿地紀 の意味では、いわゆる詩跡とは見なしがたい。 #する濟南のそれの方が知られている。こ そごろ、れを九) 』の刊行からやや遲れた嘉煕三年(一二三
$略 はじめた ( した形態を持つ地理總志が出版され
。建府崇安縣( %)
&建省武夷山市)の
'穆撰『新
(
四六必用方輿
覽』(嘉煕三年の呂午の序と自序を持ち、
三卷、後集七卷、續集二〇卷、拾 集四 )一卷から
る。本書も『輿地紀 *る)が、それであ 』と同樣に、境域・
門を部缺く一方、詩文・記序を多く引用・集 +口・田賦などの 創作・鑑賞のための地理事典である ( ,した、詩文の かえって『輿地紀 が、四六の部門だけは、 -)
』よりも詳しく、
作 .收の駢語(對語)は、
/自身が各種の
!料に基づいて新たに
含む。(他方、『輿地紀 (修したものを多く 』 .收のそれは、他の人が作
集 *したものを ,四六の文體を作する)
*する用 0に應ずることが
の (纂
白である。當明時、四六の文體は、科 1眼であったことは、書名中の「四六必用」の語によって
の天子詔敕の執筆にも用いられ、さらには 2の受驗だけでなく、
3會に
4行する書 中國詩文論叢第二十六集 124
・祭誄・
文等にも使用されていた (
。(本書には、縣沿革と )
また『輿地紀 記の兩項はない)。
』に引用・集
おむね摘 される詩文のうち、文はお であるが、『方輿
覽』は詩・文の
同を問わず、
原刻本刊行の三十年後、子の を記さないケースが大である。 篇を引くことが多い。そして【題詠】の部門以外は、詩題
洙 訂の『新
方輿 七〇卷が咸淳三年(一二六七)に出版され、この系統の 覽』
本が宋末・元明期廣く流布していく ( 訂 ここでは、 。 )
訂本『方輿
覽』(
七〇卷、施和金點校、中
書局、中國古代地理總志叢刊、二〇〇三年)を使用する。南宋の領域一七路を府州郡に分け、まず古來の建置沿革、そして「事
」として郡名・風俗・形
・土
〔堂院〕)・樓閣〔樓臺〕・臺 ・山川・(陵寢・堂舍 〔亭
〕・佛寺・
・祠
いる。なかでも風俗・形 古跡・名宦・人物・題詠・・四六などの順で記されて(外邑) ・ や題詠・四六等の詳
色がある。『輿地紀 に本書の特
』を踏襲した箇
も存在するが、單なるその (特に建置沿革の部門)
略・改
本ではなく、
年努力して獨自の が長
纂體例を備えた新
であった (
「題詠」に門には、府・州(軍・監)の治 。ちなみ )
が置かれた土地 の風物名
邑」の部門は、その治 に關する詩句を收め、時おりその後に見える「外
以外の、
圍に廣がる府・州に
する各縣の、風物名 屬 に關する詩句を收めている (
『方輿 。 )
覽』卷一五、
國府の條に見える、詩跡
● 候補に關するものは、以下の如くである。 びその 收部門・詩跡・詩人・詩句(引用句數)の順に記
※[]
は、引用
の
『輿地紀 補・訂正。また◎は 』
□亭山○六 【山川】 收の詩。
!齊・謝元暉(
百里、合沓與雲齊。…」( ")「亭山」詩「茲山亘
★もと作 二〇句)
名を謝靈
#に
$る。この影
『寰宇 %は大きく、明代の
&志』『大明一統志』も同じく
$る。『方輿
影 覽』の
◎ %の大きさを物語る一例である。
'・李白詩[登亭山、南
(懷古、
)竇 亭一回首、目盡天南端」( *+]「
二〇句。『輿地紀
◎ 四句の引用) 』は、二句・ '・劉禹錫詩[九
山]「[君不見]亭之山
,索 -、兀如斷岸無稜角。宣
.謝守一首詩、
(四句) /使聲名齊五嶽」
中國
0代の地理總志に見る詩跡の
とその展開(植木) 125
★ の項目に昭亭山の名が見えるが、昭亭山は
稱である。この點は『輿地紀 亭山の別
□雙羊山◎宋・ ない。 』に同じく、詩も引かれてい 兪(堯臣)詩[早春田行]「風
羊路、 雙
□山◎ 山下村」
・李白詩[九日登山]「
宛水 土接山、俯臨
□雙溪○宋・楊 」
秀( 里)詩[曉
「 橋、入宣州界]
亭・宛陵故依然、疊嶂・雙溪阿
邊。謝守不生
倩誰 老死、
掌風
」(
…謝守は謝
、 老は
□宛溪◎ 堯臣)
・李白詩[題宛溪
★ 百尺照心明」 ]「吾憐宛溪水[好]、
溪の條に、李白「
紀 溪行」詩を引くが、これは『輿地 』と同じ
□宛陵堂◎宋・呂居人(本中)詩[寄宣 【堂亭】 り。
故
嶂樓 ]「疊
[頭]
涼處、宛陵堂下探
□曲肱亭◎宋・ 時」
魯直(庭堅)「題宛陵張待
「仲蔚蓬蒿宅、宣 曲肱亭」詩 詩句中。[四句
聽松風」(四句) ]晨鷄催不、擁被 □謝公亭○
・李白詩[謝公亭]「池
夜鳴秋。謝令[亭]離別處、風景亦[ 春映日、窓竹
!]生愁」(
…後
"
の二句が詩の
#頭。そして二句の後に
□疊嶂樓 【樓閣】 □高齋「謝元暉に詩有り」とのみ記し、詩は引用しない。 "の二句が來る)
□北樓◎ の獨孤霖の文のみ引き、詩は引用しない。
・李白詩[秋登宣
謝 北樓]「江山[
如畫裏、山 ]
$%
&空。…誰念北樓上、臨風懷謝公」(
'
八句)【寺
□開元寺◎ (】 ・杜牧詩[題宣州開元寺水閣]「六
物 )文
*+宮[空]、天淡雲閑今古同。…」(
以下、宣 【題詠】 '八句)
縣を含む
,國府 に關係する詩が、基本
-に作 .の生存時代に從って集
/され、
堂亭・寺 0の□印のごとき、山川・
分 (の名稱を持たない。それでここでは、詩跡ごとに 1して示す。その名稱は、
なお『輿地紀 0のものと重なるものを含む。
後、作 』の【詩】は、一首ごとに引用詩句を列ねた
.と詩題が小字で
される。これに對して、『方輿
覽』の【題詠】は、詩中の名句(一句)をかかげ、作
.、詩 中國詩文論叢第二十六集
126
題、殘りの詩句が小字で
され、形態を
□宛水(=宛溪)○宋・ にする。
魯直(庭堅)詩[
之宣 舅氏野夫
]「…
□疊嶂樓◎宋・林希「疊嶂樓有懷 樓明宛水、春騎簇昭亭」(四句)
丘換得亭山、句水松陵數舍 門朱伯厚」詩「虎
●『方輿 。…」
覽』は『輿地紀
『輿地紀 句も格段に少ない。たとえば、亭山に關する詩數の場合、 るため、詩跡の名稱の數量と引用する詩(その候補を含む) 』よりも小さな地理總志であ 』は一七首、『方輿(重複を除いて)
である。しかし『輿地紀 覽』は三首 無 けでなく、謝公亭のごとき詩跡が初めて取り上げられており、 』には見えない詩句が散在するだ できない參照價値を備えている。重
な詩跡に絞り
れている點も ま
價すべきであろう。
[七]大
七年に(一三〇三)
二 る官修『大元一統志』(第 本)一三〇〇卷は、明代に散佚し、今日傳わる趙
輯『元一統志』(中 里校 七〇年影印本による)には、 書局、一九六六年。しばらく汲古書院、一九 國路の條を缺いており、
況は
[八]小型の元代地理總志として、大 く未詳である。
七年(一三〇三)の 政
を基本とした元の劉應李原
・ 有諒改 せん
輿 『大元混一方
覽』が今日傳わる。これは本來、元代の
書『新 事文 聚翰
大 』(大 一一年〔一三〇七〕初刊、
元初の劉應李 二〇八卷、宋末 )の一部分(地理門の一部)として
ものであり、元の泰定元年に刊行された、(一三二四) 撰された
諒改 有
『新 事文 聚翰
大 』本( 一二五卷)が元末以 本書は、その書名から 出した三卷本である。 () 流布した。現在傳存する單刻本も、その地理部分のみを抽
!想されるように、南宋の
しては『方輿 "領に關 覽』の記
#を摘 し、北方については
地志・圖經・ $代の
"
%などを用いて作
し、北方の關外や西南地
は、史料が比較
『大元混一方輿 &新しいとされている。
覽』卷下、(郭聲波整理本)
【景 は、以下の如く詩跡に關する詩句が見える。 國路の條に
□北樓○ いない。 □亭山「謝元暉に詩有り」とのみあり、詩句は引かれて '】 (・李白詩[秋登宣
謝 )北樓]「江山[
如畫裏、山 ] * 地紀 +空。…誰念北樓上、臨風懷謝公」(『輿 』『方輿
覽』と同じ
八句)
中國
$代の地理總志に見る詩跡の
とその展開(植木) 127
【題詠】表記のしかたは、『方輿
をかかげ、作(一句) 覽』の【題詠】と同じく、名句
『方輿 、詩題、それを含めた詩句(ただし 覽』よりも極めて
略)が、小字で
□宛水○宋・(=宛溪) される。
庭堅詩[
舅氏野夫之宣
「樓明宛水、春騎簇昭亭」(二句。『方輿 ] 本書の南方部分は、基本 覽』にも見える)
に『方輿
覽』の極端な
あるため、詩跡考察における價値に乏しい。ただこの極端な 略で 略にも生き殘る詩跡の名稱は、
目されてよい。
[九]明代最初の地理總志は、景泰七年(一四五六)に
官修『寰宇 る
志』(陳循等
に、その建置沿革・郡名・山川・形 、一一九卷)である。府・州ごと
・風俗・土
公廨・學校・書院・樓閣・ ・宮殿・
驛・堂亭・池
・臺 關隘・寺 ・井泉・
・祠廟・府第・橋梁・陵
・古跡・名宦・
人物・科甲・題詠の各項に分けて詳 謫・
本書の する。
纂は、初め「事實を
る凡例は、一に
輿 穆の『方
う(明・ 覽』に准ず」であったが、後に方針變更がなされたとい 。しかし譚優學の指摘『水東日記』卷二五) (
とく、景物方面の部門(門 するご )
)が細かいこと、各卷の
りに 題詠の部門を設けること、記敍文は
篇を收
『方輿 することなど、
覽』の
纂形態を踏襲する
元・明の稀覯本を影印した民國の鄭振鐸 が少なくない。本書は、
『寰宇 る。 に收められて、始めて參照できるようになった地理總志であ 『玄覽堂叢書續集』
志』(明景泰
府刊初印本を影印した、國立中央圖書 卷一一、出版、正中書局印行『玄覽堂叢書續集』、一九八五年)
!國府の條に見える、詩跡
□陵陽山○宋・郭 【山川】 下の如くである。 "びその候補に關するものは、以
#正詩[宣州雙溪閣夜宴、(功甫)
$
太守金光祿]「陵陽三峰壓千里、百尺危樓勢相倚」(『輿地紀
□ 』にも見える)
%山○
&・李白詩[九日登山]「
'土接 宛水 %山、俯臨 (」(『輿地紀
』『方輿
□雙羊山○宋・ 覽』にも見える)
)堯臣詩[早春田行]「風
*雙羊路、 )+山下村」(『輿地紀
』『方輿
□ 覽』にも見える)
,亭山○
&・李白詩[獨坐
只有 ,亭山]「相看兩不厭、 ,亭山」(『輿地紀
○ 』にも見える)
&・李白詩[自梁園至
,亭山、見會公、談陵陽山水、…] 中國詩文論叢第二十六集
128
「稠疊千
峰、相 入雲去」(『輿地紀
□宛溪○ 』にも見える)
・李白詩[題宛溪
百尺照心明」(『輿地紀 ]「吾憐宛溪水[好]、 』『方輿
□句溪○ 覽』にも見える)
・李白詩[別韋少府]「洗心句溪
句。『輿地紀 」(一
★ 』にも見える)
溪の條に李白「
溪行」を引くが、これは『輿地紀
『方輿 』
□北樓○ 【樓閣】 覽』と同じり。
・李白詩[秋登宣
謝 樓上、臨風懷謝公」(『輿地紀 北樓]「誰念北 』『方輿
★「( 覽』にも見える)
刺史獨孤霖、名を疊嶂樓に改む」との)
おり、疊嶂樓と謝 されて
北樓との關
に言 した記 として
目される。□雙溪閣○宋・蘇轍詩[
韻侯宣
「仰攀疊嶂高、俯 疊嶂樓雙溪閣長篇]
雙溪美」(『輿地紀
○□宛陵堂宋・呂居人(本中)詩[寄宣 【堂亭】 樓の條]にも見える) 』[本稿では、□疊嶂
故
嶂樓 ]「疊
[頭]
涼處、宛陵堂下探
時」(『輿地紀
』『方輿
覽』にも見える) □謝公亭○
風景亦[ ・李白詩[謝公亭]「謝公[亭]離別處、
]生愁」(『方輿
【寺 覽』にも見える)
□景 】
寺(=開元寺)「晉は永安と名づけ、
づく。杜牧・許渾・趙 は大雲と名 ・杜荀鶴、皆な題詠有り。宋の景 か 中、今の名に改む。元(のとき)燬かる」とあるが、 や
代の開元寺の名に言
しないのは不
は 切である。また詩句 く引用しない。許渾以外の詩は『輿地紀
『方輿 』に見え、
【 覽』は杜牧の詩のみ收める。
□ 】
君
○
・李白詩[宣
哭 君
山下 ]「亭
[埋玉樹]、知是
君」(二句。本詩は『輿地紀
『方輿 』
この部門(門 【題詠】 覽』の兩書に見えない)
!の名―題詠は、『方輿)
る。收 覽』と同じであ
"する詩は摘
"ではなく、詩
體を は『方輿 するが、見出し を極端に 覽』のような詩中の名句ではなく、詩題(一句)
#略
$したケースが多い。本條では、
ごとき、山川・樓閣・堂亭・寺 %の□印の 跡ごとに分 の名稱を持たないので、詩
!して示す。
中國
&代の地理總志に見る詩跡の
'"とその展開(植木)
129
□ 亭山○六
齊・謝元暉(
「) 百里、合沓與雲齊。…」( 亭山」詩「茲山亘 二〇句。『方輿
★作 覽』にも見える)
名を劉宋(六
の謝靈宋)
に にる。これは、すで べたごとく、『方輿
○ 覽』のりを受けたものである。
・李白詩[登
亭山、南
懷古、
竇 ]「
亭一回首、目盡天南端。…」(『方輿
覽』と同じ
『輿地紀 二〇句。
』は摘
□北樓○ ) ・李白詩[秋登宣
謝 北樓]「江
畫裏、山 如
空。…」(
八句。『輿地紀
』『方輿
●『寰宇 も見える。すでに本書の【樓閣】の條に最後の二句を引く) 覽』に 志』には、謝公亭の項目を立てるなど、『方輿 覽』の影
が大きい。しかし『方輿
『輿地紀 覽』には見えず、
』に見える詩句をも引用する。また
君
とく新たに のご
乏しい。 げた項目もあるが、それ自體は詩作の繼承性に
[一〇]明の天順五年(一四六一)に
(呂原等 る『大明一統志』
、九〇卷)は、復位した
宗が、景泰
て の敕命によっ
修された『寰宇
志』を抹
すべく、「
宜しきを失い、去取未だ當たらず」と嚴しく批
!して、『寰宇
志』 の完
後、わずか二年あまりで、新たな總志の
しかし纂修 ものである。 纂を命じた 襲して完 には重複が多く、『大元一統志』の體例を踏
したとされる
"容も、實質
#には『寰宇
改 志』を
したものと
$してよい。確かに景物方面の部門(門
を合 %)
&したり、題詠門を
'って『方輿
の形態を改變したが、陵 覽』以來の地理總志
・祠廟・寺
(・橋梁・學校・公
)
などの部門は、基本
#に『方輿
である。(この點は『大 覽』が確立した部門と同じ
*本書の一統志』も同樣)
『寰宇 +形態は、
志』と大きな差
,はなく (
、詞章の學に -)
た最後の地理總志、と いかえれば詩文の創作・鑑賞のための地理知識に重點を置い .よった、い この『大明一統志』が頒行されて以 $してよいだろう。
/、『寰宇 結果になった。明の有名な 木は破毀されてしまい、『大明一統志』のみが廣く流布する 志』の版 0行家徐霞客は、本書を
ガイドブックとして 0の廣域 1に活用していたという (
『大明一統志』卷一五、(和刻本) 。 2)
3國府の條で、詩跡
□陵陽山○宋・郭 【山川】 その候補に關するものは、以下の如くである。 4び 5正(功甫)詩[宣州雙溪閣夜宴、
6
中國詩文論叢第二十六集
130
太守金光祿]「陵陽三峰壓千里、百尺危樓勢相倚」(『輿地紀 』にも見え、『寰宇
□ 志』と同じ)
山○
・李白詩[九日登山]「
土接
宛水 山、俯臨
」(『輿地紀
』『方輿 覽』にも見え、『寰宇
□雙羊山○宋・ じ) 志』と同 堯臣詩[早春田行]「風雙羊路、
山下村」(『輿地紀
』『方輿 覽』にも見え、『寰宇
□ と同じ) 志』
亭山○六
齊・謝元暉(
「) 百里、合沓與雲齊。…」(一四句。『方輿 亭山」詩「茲山亘
★作 覽』にも見える)
名を劉宋(六
の謝靈宋)
に に る。これは、すで べたごとく、『方輿
覽』の
りを受けたもの、『寰宇
□宛溪○ 志』と同じである。
・李白詩[題宛溪
百尺照心明」(二句。『輿地紀 ]「吾憐宛溪水[好]、 』『方輿 覽』にも見え、『寰宇
□句溪○ 志』も同じ)
・李白詩[別韋少府]「洗心句溪
句。『輿地紀 」(一 』にも見え、『寰宇
□北樓○ 【宮室】 志』と同じ)
・李白詩[秋登宣
謝 北樓]「江
如 畫裏、山
空。…」(
八句。『輿地紀
』『方輿 も見え、『寰宇 覽』に
★「( 志』も同じ)
咸の)
ら記を爲る」と 中、刺史獨孤霖、名を疊嶂樓に改め、自 され、『寰宇
□宛陵堂○宋・呂居人詩[寄宣(本中) 志』とほぼ同じである。
故
嶂樓 ]「疊
[頭]
涼處、宛陵堂下探
時」(『輿地紀
』『方輿 覽』にも見え、『寰宇
□謝公亭○ 志』も同じ)
風景一[ ・李白詩[謝公亭]「謝公[亭]離別處、
]生愁」(『方輿
覽』にも見え、『寰宇
★【宮室】の部門に「 じ) 志』も同
亭」と題して、
・李白詩[登 亭山、南
懷古、
竇 ]「
(『方輿 亭一回首、目盡天南端。…」 覽』『寰宇
志』と同じ
二〇句。『輿地紀
』は摘
引くが、 !を) らく、『寰宇 亭という建物はなく、山の名である。これはおそ 志』【題詠】の條に「
李白詩を、ここに 亭」の見出しで引く 引したのであろう。
【陵 ある。 がついているため、建物の名と考えたのであろうか。杜撰で 亭の語に「亭」字
□ "】
#$
"
○
・李白詩[宣
哭
#%君
$]「
亭山下
中國
&代の地理總志に見る詩跡の
'!とその展開(植木)
131
[埋玉樹]、知是
君」(詩句は『寰宇
のであり、『輿地紀 志』に見えるも 』『方輿
●『大明一統志』では、題詠門自體は 覽』の兩書には見えない)
られたが、『寰宇 用されており、詞章の學に 志』の題詠門に收められていた詩は、他の部門のなかに引
向する特
がない。從って詩跡考察の面では、『寰宇 自體には大きな同 のうち、一方を見さえすれば、ほぼ支障がないといえよう。 志』『大明一統志』
[一一]
の 修一統志』(嘉慶二十五年〔一八二〇〕を 光二十二年には、官修『嘉慶重(一八四二)
容の下限とする『大
一統志』の第三
、最 訂版。五六〇卷、中
理總志叢刊、一九八六年。一九三四年、四部叢刊續 書局、中國古代地 が本の重印・改裝本である) に影印した寫 る (
本書は、 。 )
代の地理總志の最高レベルに位置し、「行政
畫をコードにした、人文・
史地理
百科
書として、
な中國文明の財寶がこの中に 大
されている」(
原郁「Ⅱ
史地理學」)と
いう された書物である。ただ詩跡や詩句の引用と 統志』で 點からいえば、詞章の學としての地理總志は『大明一 し詩跡となった地名の考證や建物の場 止符が打たれたため、見るべき處は少ない。しか
に關する詳細な記
は、充分參照すべき價値を持つ。『嘉慶重修一統志』(『大
一統志』)卷一一五~七、
□雙羊山○宋・ 【山川】 如くである。 の條に見られる、詩跡びその候補に關するものは、以下の 國府 堯臣詩[早春田行]「風
(一句。『輿地紀 !雙羊路」
』『方輿
覽』『寰宇
□ える) 志』『大明一統志』に見
"亭山『元和郡縣圖志』の「
"亭山は、州の北十二里、
#ち謝
$詩を賦するの
本書が地理 されない。しかし「一に昭亭山と名づく」と明言した點は、 」を引くが、詩そのものは引用 宛溪・句溪なども、水路の考證は詳細であるが、 考察に有用であることを明確に表している。
□北樓○ 【古跡】 引いていない。 く詩を
%・李白詩[秋登宣
&謝
○宋・蘇轍□雙溪閣詩[ 樓上、臨風懷謝公」(『大明一統志』をそのまま引く) $北樓]「誰念北 韻侯宣
「仰攀疊嶂高、俯 &疊嶂樓雙溪閣長篇]
'雙溪美」(『輿地紀
』『寰宇
る) 志』に見え 中國詩文論叢第二十六集
132
●『嘉慶重修一統志』(『大
は、詩跡一統志』)
究の からいえば、『輿地紀 點 』『方輿
覽』『寰宇
志』よりも利用價値に乏しいが、詩跡の存在する場 志』『大明一統
を確
する場合、必讀すべき文獻である。
第二章 安徽省池州市
[一]の李吉甫撰『元和郡縣圖志』卷二八、江南
池州秋浦縣の條には、池州市( 四、
・貴池市)
水などを收 における秋浦 するが、詩との關
に言 北宋初期に する記事は見えない。
る樂史撰『太
寰宇記』卷一〇五、江南西
どが見えるが、やはり詩文との關 池州貴池縣の條にも、池州市を代表する詩跡の一つ、齊山な 、 に言 中期の王存・曾 しない。續く北宋 ・李 にも、 『新定九域志』池州貴池縣の條にも、卷六、池州、古蹟の條 芻撰『元豐九域志』卷六、江南東路、
文 言 はない。北宋末の歐陽
二、江南東路、池州貴池縣の條にも、同じく詩跡關 撰『輿地廣記』卷
見えない。 事項は
[二]南宋の王象之撰『輿地紀
える、池州市の詩跡 』卷二二、池州の條に見
びその候補に關するものは、以下の如 ● た。 くである。二つの詩跡に關係する詩の場合、一方の條に置い
收部門・詩跡・詩人・詩句の順に記(引用句數)
※[]
は、引用
の 上 □齊山○・杜牧詩[九日齊山登高]「[與客]携壺 【景物上】 補・訂正。
」( ち杜牧の九日登る
、杜牧の
謂「壺を携へて
に上る」、是れなり、と
○宋・郭 される)
正「(功甫)
、參天齊山奇。「秋浦試北 和李白秋浦歌[十七首]」(其の八)
!何謫仙客、名作碧
( "枝」
□ #四句。謫仙客は李白)
溪○・劉長卿「[北歸]
$秋浦界
溪
○宋・東坡(蘇軾)「 (詩句を引かない) %」詩 溪」詞[
○宋・ 溪行](詩句を引かない)
&師孟詩[弄水亭]「昨夜
溪明
・杜牧○「[池州] の【總池州詩】にも見える) '裏」(一句。後 溪」詩「弄溪
(日到 數秋來白髮根。…」( )昏、照
□九峰樓○・杜牧之(牧)「登池州九峰樓[寄張 【景物下】 #四句)
*]」
中國
+代の地理總志に見る詩跡の
,とその展開(植木)
133
(詩句を引かない)□弄水亭○
くは【詩】門に見ゆ、と ・杜牧之(牧)「[春末題池州]弄水亭」(詳し
○宋・郭 される)
寄江南隱、數爲弄水 正「和倪[衍字]敦復留題池州弄水亭」「我
。讀君弄水篇、感
[ ]攀
□ (八句) 由。…」
亭○宋・郭
正「(功甫)
(其の十六)「 和李白秋浦歌[十七首]」 空 亭、翫 林看銀竹」( 動經宿。更待雨中來、林
□貴池亭○ 四句)
比凌 ・杜牧之(牧)詩[題池州貴池亭]「勢
宋武臺、分明百里
帆開。蜀江
浪西江滿、
春 去却來」(
○宋・郭 四句)
正「[
和 侍讀]題貴池亭[元韻]」「寺
孤峰壓貴池、幽軒占
敞雙
□水車嶺○宋・郭 。…」(四句)
正「
「九) 和李白秋浦歌[十七首]」(其の
丈水車嶺、
如九疊屏。北風來不斷、六
生」( 亦氷
□白 四句)
陂○
・李白「
秋浦白 行好、 陂」(二首)「何處夜 明白
陂。山光搖積
、猿影挂
枝」「白
長嘯、爽然溪谷 夜
。魚龍動陂水、處處生波瀾」(一首八句の うち、
□金碧洞○ 四句をそれぞれ引く)
・杜牧之(牧)詩「廢寺碧溪上、今爲太 寺」(『
○ 詩』未收?)
・杜牧之(牧)詩[
霜林下石稜、潺湲聲斷滿溪氷。携 池州林泉寺金碧洞]「袖拂
臘 病 金碧、合有文章 陵」(
□玉鏡潭○ 四句)
・李白「秋浦宴[與
「溪玉鏡潭[席 剛溪玉鏡潭宴別]」 開
!]、溪當大樓南。溪水正南
作玉鏡潭」 "、廻
●『輿地紀
部門に一括して集 』では、當地に關係する詩を一般に【詩】の
#している。なかでも集中して詠まれた場
$や建物、いわゆる
・總池州詩・・秋浦詩・・蕭相樓詩・・齊山詩・・九 した項目として設けるときがある。この池州の條の場合は、 %名な詩跡を持つ場合には、それを獨立
分かれている。多數の詩を集 &山詩・に
#した、詩跡ごとの
'分けは、
代以 (の地理總志のなかでは唯一のことであり、詩跡
の )究
*點からは特に
齊秋浦・蕭相樓・山・九 目に値する。なお【總池州詩】の條では、
の、池州 &山以外(これは、池州市以外の地)
+に屬する詩が、基本
,に作
-の生存時代に從って 中國詩文論叢第二十六集 134
集 され、
い。それでここでは、詩跡ごとに分 の□印のごとき、山川・樓亭の名稱を持たな
は、 して示す。そのなかに
□弄水亭( 【總池州詩】 のものと重なるものを含む。
○二首)
亭]「使君四十四、兩佩左銅魚」「亭宇 ・杜牧詩[[春末題池州弄水
不如」( 無比、溪山畫
○ は詩題のみ。ここでは二句ずつ分けて記す)
・杜牧「題[池州]弄水亭」「弄水亭
溪、
。綺席
○宋・陳 、紫嵐峰伍伍」(四句)
□ 白鳥鑑中立、畫船天上行」 兪詩[弄水亭]「未識貴池好、嘗聞弄水名。
溪(
四首)○宋・蘇子由(蘇軾の
詩[蘇轍の字) り。子由は弟の 溪行]「大江南兮九
西、泛秋浦兮
[
□齊山( ]溪。…」(五句)
○宋・四首)
詩「小杜池邊暫艤舟、老齊山下共
○ 【秋浦詩】 幽」(小杜は杜牧)
「秋浦猿夜愁、 「秋浦長似秋、蕭條使人愁。…」(四句、其の一) ・李白「秋浦歌」[十七首](この秋浦は縣名)
山堪白頭。
溪非隴水、
作斷腸流。…」 「秋浦錦 (八句、其の二)
鳥、人
天上稀。山鷄羞
( 水、不敢照毛衣」
「秋浦多白猿、超 四句、其の三)
飛
。牽引條上兒、飮弄水中
( 」
「愁作秋浦曲、看秋浦 四句、其の四。弄水亭の命名になった句)
!。山川如
( "縣、風日似長沙」
○ 「君莫向秋浦、猿聲碎客心」(其の十) 「秋浦千重嶺、水車嶺最奇」(其の七) 四句、其の五)
・李白「
溪[
#夜]聞笛」「羌笛
$!引、
水 %溪隴
。
&山秋浦
、腸斷玉關
○ '」
・李白「[答杜秀才]五松山[見
秋浦、五松名山當 (]」「千峰夾水向
○ )&」 ・杜牧詩[池州
*孟遲先輩]「秋浦倚
%江、去
+
飛
○宋・蕭貫「 鶻。溪山好圖畫[畫圖]、洞壑深閨闥」(四句)
溪」「山開明
(四句。 峽、水寫武陵溪。…」
溪は貴池縣[
代の秋浦縣]を流れる
★五代・南 流)
の徐鉉「天慶
,記」(『輿地紀
・風俗形 -』卷二二、池州、
-・ .引。徐鉉『騎省集』卷一二には、「池州重建紫極宮
/
銘」と題する)に、「之を
0すに秋浦を以てし、之を
1むるに
中國
2代の地理總志に見る詩跡の
3とその展開(植木)
135
齊山を以てす」とあるように、秋浦(
風土を代表する江山であり、重 と齊山は池州の溪)
【蕭相樓詩】( な詩跡となる。
の大
年
・楊振○宋詩「只思志業(?) た樓閣) 、蕭復が建て、杜牧が再建し 明 之奇○宋・詩「紫嵐千嶂 山」 、豈爲登臨愛好 、 倶、芬 溪百里碧。公名山水
○宋・徐 永無極」
詩「滿
風物來春色、
○宋・蘇子由(轍)「 里江山入酒盃」
滕侍
「樓の一) [池州蕭丞相樓]」(二首、其
始覺江山秀[
]、人去方知
業
○宋・王鞏詩[蕭相樓]「…百尺樓高瞻故國、九 」
山色倚
眸。定知直
傳千古、杜牧文章在上頭」(
○宋・王鞏「 八句)
天爲我結 池陽[重登蕭相樓]」「不見當年兩翰林、江 陰。九 門外柳三丈、蕭相樓
松十 」(原
に「兩翰林は滕公甫・錢公
○ 【齊山詩】 を謂ふなり」とある)
壺上 ・杜牧「九日齊山登高」「江涵秋影雁初飛、與客携 。塵世
!逢開口笑、
"
#須
○宋・楊緘詩「池陽佳 かん $滿頭歸」(四句)
%&齊山、公暇邀朋喜暫攀。
'
世謾同流水
(、野
)長
○宋・蕭貫詩「秋風秋浦斷飛埃、路入齊山有梵臺。 *白雲閑」
+ 詩○宋・董儼「白雲深處訪禪 人]となった杜牧) "綻時君始至、紫去後我重來」(紫は紫舍人[中書舍
,、一簇樓臺
-
」○宋・董儼詩「千重
.木籠秋浦、
里澄江 恨春深 /0暉。醉
杜牧、滿頭無
○宋・ "戴將歸」(四句)
得名。却自牧之賦詩後、 1中復「齊山圖」「當時齊映爲州日、從此山因姓
2逢秋至
"含 3。行 古洞
坐看 4峰峭、
溪數曲
○宋・王鐸「齊山圖」「直自牧之懷古後、 。…」(八句)
5當 6.
○宋・張伯玉「齊山圖」「東南眞賞有齊山、路 來」 7圖 8江湖到 9!。
:筆
;千仞 、數峰高挂一堂
○宋・金君卿詩「秋浦南邊 。…」(八句)
:點埃、碧圍
鄭雍○宋・詩「訪古直 當時小杜行吟處、重見高陽騎從來」 <嶂一屏開。
齊守事、誦詩
○宋・ (紫は杜牧) =愛紫才」
>?がく
詩「謝守風流爲
事、杜
(杜 吟詠屬多才」
は杜牧) 中國詩文論叢第二十六集 136
○宋・聞人安
詩「秋浦澄明郡境
○宋・ 、天然巖岫作南屏」
堯臣(王安石の
り)詩[和王
之秋浦
感李太白・杜牧之]「齊山置酒 齊山、
此地流傳空筆 開、秋浦聞猿江上哀。
、昔人埋
已蒿
○宋・孫坦詩「世識池陽慣魚味、不知山 」(四句)
○宋・劉定詩「岸岸倶垂 其郛」
十里畫圖 、簷簷各見山。州侯行樂處、
○宋・沈 」
詩[齊山偶題](二首、其の一)「杜子風
春水波、至今詩句使人夸。不知朽骨
存否、山上年年
○宋・李 」
き
詩「紫
(紫 風韻謫仙身、曾此徘徊今幾春」
○宋・狄咸詩「秋浦分光來郡閣、 は杜牧)
溪 影 征船。
亭冠 霞外、又
○宋・(?) 携壺太守賢」
荀詩「齊山最是
詩○宋・陳續「齊山壓 人」 地、不信塵埃會染 溪、
崖
○宋・陳續詩「携壺上 老碧。…」(四句)
、 何今昔。誰知一笑
俯仰 、
○宋・錢 !陳跡」(最初の句は杜牧「九日齊山登高」詩中の句)
"
きよう詩「來逢采石
#江
$、坐見齊山拂檻
」 ○宋?(詩人の名
%詩「風流杜太守、)
&引
○宋・ (八句) '。…」 (公「[齊山詩](司馬光)
)王學士(哲、字
置酒升 「江南[上]有奇山、群山[峰]矗如剪。昔聞齊刺史、 」之)
*+。其人有惠政、嘉名自茲
●【風俗形 ,」(六句)
】の條に引く胡兆『秋浦志』序に、「九
五松、齊山・ -・ 溪、秋浦・玉鑑[鏡]之潭、水車之嶺、
白 !紀・
垂 .之陂、[李]太白・[白]樂天・[杜]牧之、讀書論文、
問宿、弄水登高、遐躅隱然、在人耳目云云」(
.の 遐躅は /はカ。
0代詩人の足跡)とある。池州府
1の詩跡が
いるが、これは山川に限定して 2げられて 3べたものに
が池州の代樓表 4ぎない。蕭相 地紀『輿 5っていたことな明示したのは、な詩跡にを 』の重
6な貢獻であり、
以る詩跡が、杜牧す表代を池州 る。れていが詠み繼宋代もる弄水亭始ま 0代の池州刺史、杜牧に ことは、集 7歌い繼がれた齊山である 8された詩の壓倒
六年〇〇、二集二五第』叢詩文論 おけ」つる二の詩跡「池州に松尾幸忠村―(『中國杏齊山と― 5ある。なでか明らてっによ量數 山登高」詩を念頭に置いた、別集 9收)には、杜牧の「九日齊 :9收の宋詩、陳襄・韋驤・
堯臣・王安石(
;<の詩句)・郭
=正以下の作、二〇首を收
中國
>代の地理總志に見る詩跡の
?8とその展開(植木) 137
めている。そのなかに、
の蕭貫・董儼・
金君卿・鄭雍・ 中復・王鐸・
・沈
・李
ことは、詩跡究における『輿地紀 ・陳續の詩人名が見えない
』の價値を端
るものであろう。 に物語
[三]南宋の
穆原撰、子の
洙 訂『方輿
江東路池州の條に見える、池州市 覽』卷一六、
の詩跡
● 一方の詩跡の條に置いた。 係するものは、以下の如くである。二つの詩跡に關する場合、 びその候補に關 收部門・詩跡・詩人・詩句(引用句數)の順に記
[]
は、引用
の
『輿地紀 補・訂正。また◎は 』
□齊山◎ 【山川】 收の詩。
雁初飛、與客携壺上 ・杜牧之(牧)「九日齊山登高」「江涵秋影
。塵世
逢開口笑、
應[須]
滿頭歸。直須[但將]酩酊酬佳
、不用登臨怨
暉。古 今來只如此、牛山何必更[獨]沾衣」(
八句。『輿地紀
には 』
□水車嶺◎宋・郭功父( 四句を引く)
(其の九)「 「和李白秋浦歌[十七首]」正)
!丈水車嶺、
"如九疊屏。北風來不斷、六
#自氷生」(
□玉鏡潭◎ 四句)
・李白「秋浦宴[與
$剛
「 %溪玉鏡潭宴別]」
%溪玉鏡潭[席
#開
□秋浦◎ %&]、溪當大樓南」
・李白詩「
%溪 夜聞笛」「羌笛
'引、
溪隴水
%。 (山秋浦
#、腸斷玉關
◎ )」
・李白詩「秋浦歌」[十七首]「秋浦多白猿、超
*+飛
,。牽引條上兒、飮弄水中
#」(
□白 四句、其の四)
-陂◎
・李白詩[
.秋浦白
「白 -陂](二首、其の二)
-夜長嘯、爽然溪谷
【亭 (。魚龍動陂水、處處生波瀾」
□弄水亭◎ /】 十四、兩佩左銅魚。…」( ・杜牧詩[春末題池州弄水亭]「使君四
一六句。『輿地紀
□貴池亭◎ 收める) 』には四句を ・杜牧詩[題池州貴池亭]「勢比凌
武臺、分明百里 0宋 1帆開。蜀江
,浪西江滿、
2春
( (去却來」
□如 四句)
3亭◎
浦曲、 ・李白詩[秋浦歌][十七首]「愁作秋 2看秋浦
。山川如
3縣、風日似長沙」(
の五。『輿地紀 四句、其
□ 』の【秋浦詩】にも見える)
亭○宋・楊
4秀詩序[詩題の
5り]「從提
67元 中國詩文論叢第二十六集 138
章、登齊山寺後上
巖 亭、
郡 、左
蓋 溪、右大江、
境云」「西山
日浴長江、貫
子 溪作一光、…客
窮秋浦眼、
亭上上
旁」(
八句。『輿地紀
國、九 ◎宋・王鞏□蕭相樓詩[蕭相樓]「…百尺樓高瞻故 【樓臺】 見えない) 』には 山色倚
眸。定知直
( 傳千古、杜牧文章在上頭」
八句)(
□九峰樓○ …杜牧「池州重建蕭相樓記」を引く)
・杜牧「登[池州]九峰樓寄張
感由來不自由、角聲孤 」詩「百
夕陽樓。…」(
八句。『輿地紀
●『方輿 には詩題のみを引くが、詩句は引かない) 』
覽』は『輿地紀
引くのが一般 が、引用する詩句の數量は格段に少なく、詩跡ごとに一首を るため、詩跡の數自體はほぼ同じである(その候補を含む) 』よりも小さな地理總志であ である。これは詩跡の持つ重
ことを困 度を推し量る にするが、他方では各地に散在する詩跡の分布
況を容易に察知できる利便性がある。また齊山の
では、『輿地紀 亭など 』と『方輿
覽』は、それぞれ
の作を引用する。やはり無 なる詩人
できない參照價値を備えている。 [四]趙
おり、詩跡の 里校輯『元一統志』には、池州路の條を缺いて 況は 元の劉應李原 く不明である。
・ 有諒改
『大元混一方輿
【景 池州路の條の、詩跡に關するものは、以下の如くである。 覽』卷下、
□如 】
亭○
・李白詩[秋浦歌][十七首]「山川如 縣、風日似長沙」(其の五。『方輿
□弄水亭○ 覽』にも見える)
し、 十四、兩佩左銅魚。…」(一二句。郭聲波整理本は四句を補 ・杜牧詩[春末題池州弄水亭]「使君四 篇を收
。『方輿
□九峰樓○ 覽』にも見える)
・杜牧「登[池州]九峰樓寄張
感由來不自由、角聲孤 」詩「百 夕陽樓」(『方輿
●本條も、宣 覽』にも見える)
市
!と同樣に南方地
!に屬するため、基本 に『方輿
覽』の極端な
價値は乏しい。 "略であり、詩跡の考察における
[五]『寰宇
#志』卷一二、池州府の條に見える、詩跡
□齊山○宋・ 【山川】 その候補に關するものは、以下の如くである。 $び
%中復詩[齊山圖]「當時齊映爲州日、
中國
&代の地理總志に見る詩跡の
とその展開(植木) 139
從此山因姓得名。却自牧之賦詩後、
逢秋至
含
地紀 」(『輿
』の【齊山詩】の條に見えるが、『方輿
□水車嶺○ い) 覽』には收めな 七首の其の七、「秋浦千重嶺、水車嶺最奇」を指す。『輿地紀 ・李白「秋浦歌」(詩句を引かない。これは、十
の【秋浦詩】の條に見えるが、『方輿 』
□蕭相樓○宋・蘇轍詩[ 【樓閣】 覽』には收めない)
滕侍
「樓始覺江山秀[其の一) 池州蕭丞相樓](二首、
]、人去方知
業
地紀 」(『輿
』の【蕭相樓詩】の條に見えるが、『方輿
○宋・王鞏詩[蕭相樓]「百尺樓高瞻故國、九 ない) 覽』には收め
倚 山色
眸」(『輿地紀
』『方輿
□九 覽』にも見える)
樓○宋・陳
來上九 兪詩[題秋浦亭]「只因山色好、
樓」(『輿地紀
』『方輿
□弄水亭○宋・陳 【堂亭】 覽』にも見えない)
聞弄水名。白鳥鑑中立、畫船天上行」(『輿地紀 兪詩[弄水亭]「未識貴池好、嘗
るが、『方輿 』には見え
覽』未收。
□ …「堂亭倶に久しく廢す」) 亭○宋・郭
正(功甫)詩[
和李白秋浦歌[十 七首]「(其の十六)
空 亭、翫
來、林林看銀竹」( 動經宿。更待雨中 四句。『輿地紀
』には見えるが、『方輿
覽』未收。
…「
址 部門の名―題詠は、『方輿 【題詠】 お存す」) 覽』と同じである。收
詩は摘 する
ではなく、詩
篇を するが、見出し語は『方輿
覽』のような詩中の名句(一句)ではなく、詩題(その一部)が多い。從って
稱を持たない。それでここでは、詩跡ごとに分 の□印のごとき、山川・樓閣・堂亭の名
で始まる □秋浦「秋浦歌」と題して、「秋浦長似秋、蕭條使人愁」 して示す。
・李白「秋浦歌十七首」の
『輿地紀 篇を引く。これは 』の【秋浦詩】の條に引く七首を上回る。
收 は明らかにバランスを缺くが、詩
篇を
○ 底されたものか。 する方針が徹 ・李白「
溪 夜聞笛」「羌笛
引、溪隴水
。
!山秋浦 、腸斷玉關
」(『輿地紀
』『方輿
□玉鏡潭○ る) 覽』にも見え ・李白詩[與
"剛
「…席し語になる) 溪玉鏡潭宴別](見出 開 #、溪當大樓南。溪水正南
廻作玉鏡潭。…」( $、 二二句。『輿地紀
』は四句、『方輿
覽』 中國詩文論叢第二十六集
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