2016年 1月 6日
博士学位論文審査報告書
大学名 早稲田大学
研究科名 スポーツ科学研究科 申請者氏名 茂木 康嘉
学位の種類 博士(スポーツ科学)
論文題目 成熟に伴うアキレス腱の形状的・力学的特性の変化
The effects of maturation on structural and mechanical properties of the Achilles tendon
論文審査員 主査 早稲田大学教授 矢内 利政 Ph.D(University of Iowa)
副査 早稲田大学教授 川上 泰雄 博士(教育学)(東京大学)
副査 早稲田大学教授 広瀬 統一 博士(学術)(東京大学)
副査 早稲田大学准教授 鳥居 俊
本論文は第1章から第5章までの本論と結論および文献から構成されている.
第1章 緒論
発育によって身体の各器官の量的な変化が生じ,それに伴い機能も変化する.特に,身体 運動を生み出す筋腱複合体の発育に伴う量的・機能的変化を捉えることは,ヒト生体の成り 立ち,障害の予防やその発生メカニズムの解明,身体運動のパフォーマンスの変化,適切な トレーニングの立案やトレーニング時期の選定など,様々な場面で有益な情報を提供する.
また,特別な疾病や障害を持たない健常なヒトであれば,中学生頃に思春期スパートといっ た身体の発育が急激に加速する時期を迎える.思春期スパートを迎えると跳躍高や走速度な どヒトの身体運動のパフォーマンスは身長の発育を基準とした理論値よりも大きな向上が みられることや(Asmussen and Heebøll-Nielsen 1955),身体(骨)の急激な発育が誘因の一 つとされる骨端症といった発育期に特有な障害がみられることが知られている(Kujala et al. 1985, Micheli and Klein 1991, Micheli and Fehlandt 1992, Ogden et al. 2004).
これらの現象を説明する要因の一つとして,腱の形状的・力学的特性の成熟に伴う変化が考 えられているが,これまでの先行研究において,発育期における腱の形状的特性と力学的特 性について検討した報告は少なく,特に思春期スパートが発現する時期に着目した報告は皆 無である.また,思春期スパートが発現する時期では,シーバー病やオスグッド病などに代 表される発育期に特有な障害がみられるが,この障害を生じさせる主要な要因として,「発 育」そのものがあげられている.即ち,発育に伴う骨長の増加に対して筋腱複合体長の増加 が伴わず,筋腱複合体は受動的に伸長されており,腱付着部に慢性的な引張力が加わってい ることが考えられている.しかしながら,この仮説を実験的に検証した報告はなく,骨長の 発育によって筋腱複合体が受動的に伸長されているのか否かについては不明である.もし,
筋腱複合体長が骨長の増加によって受動的に伸長されているのであれば,腱伸長—腱張力関 係におけるつま先領域は,受動伸長分減少することが予想される.よって,つま先領域を推 し量る方法論を提案することができれば,筋腱複合体が受動的に伸長されるのか否かについ て実験的に検討することができ,発育期に特有な障害の発症要因の解明につながり,極めて
有益であるといえる.そこで,本学位論文では,成熟に伴う腱の形状・力学的特性の変化に ついて明らかにすることを目的とし,以下の 3 点より検討を行った.①腱伸長-腱長力関係 におけるつま先領域と線形領域を区分する方法論を提示し,②アキレス腱の形状的・力学的 特性について男子中学生と成人との比較から検討した上で,③思春期スパートが発現する時 期の男子のアキレス腱の形状的・力学的特性について検討した.
第 2 章 ヒト生体腱における力学的特性の計測:つま先領域と線形領域の識別方法の提案 第 2 章では,ヒト生体腱より収集した腱伸長—腱張力関係のデータに対して,つま先領域と 線形領域を正確にモデル化し,つま先領域から線形領域に移行する境界点における腱伸長お よび腱張力を推定する方法論の作成を目的として実験を行った.成人男性 8 名を対象に超音 波法を用いてアキレス腱の力学的特性の測定を行った.本章では,腱の非線形な弾性特性を 踏まえ,つま先領域に対しては切片が 0 である二次の回帰式を当てはめ,線形領域に対して は一次の回帰式を当てはめるモデル化を提案した.境界点における腱伸長および腱張力は,
2 つの回帰式の交点として算出した.全ての測定は日を分けて 2 回実施し,再現性の確認を 行った.その結果,本章で提案した一次・二次の複合回帰式でのつま先領域と線形領域のモ デル化は,二次回帰式のみを用いるモデル化と同程度の精度を有していること,さらに境界 点における腱伸長と腱張力の値は充分な再現性をもって推定できることが示された.これら より,ヒト生体腱より収集した腱伸長—腱張力関係のデータに本章で提案した一次・二次複 合回帰式でのモデル化を用いる事によって,つま先領域の力学的特性について詳細に検討加 えることができることが明らかとなった.なお,第 2 章の結果は,バイオメカニクス研究 2014: 18: 63-71に掲載されている.
第 3 章 男子中学生におけるアキレス腱の形状的・力学的特性
第 3 章では,発育期全体を通して中学生におけるアキレス腱の形状的・力学的特性の位置 づけを成人との比較から検討した.男子中学生 29 名と成人男性 12 名を対象にアキレス腱の 形状的特性(アキレス腱長,アキレス腱横断面積)の測定と第 2 章で提案した方法論を用いて,
アキレス腱の力学的特性(スティフネス,ヤング率,ヒステリシス,境界点におけるストレ イン)の測定を行った.その結果,中学生から成人にかけてアキレス腱の形状的特性に変化 はみられないが,ヤング率が増加するため,スティフネスは増加すること,ヒスリシスは減 少していくこと,境界点のストレインの値には群間差がみられないことが明らかとなった.
また,先行研究の値も合わせて,成熟に伴うスティフネスの変化様相をみると,スティフネ スは 5 歳頃から成人にかけて直線的に増加するような様相がみられた.ただし,同時に中学 生では個人差が拡大することも示されため,より詳細に成熟に伴う変化様相を検討する必要 があることも示唆された.なお,第 3 章の結果は,体力科学 2013: 62: 303-313.に掲載さ れている.
第 4 章 最大身長発育速度(Peak height velocity: PHV)が発現する時期の男子におけるア キレス腱の形状的・力学的特性
第 4 章では,思春期スパートが観察される頃のアキレス腱の形状的・力学的特性につい て検討を加えた.男子小学生 14 名,男子中学生 30 名,男子高校生 20 と成人男性 15 名を対 象にアキレス腱の形状的特性(アキレス腱長,アキレス腱横断面積)の測定と第 2 章で提案し た方法論を用いて,アキレス腱の力学的特性(スティフネス,ヤング率,ヒステリシス,境 界点におけるストレイン)の測定を行った.なお,男子中学生 30 名は,中学 3 年間の暦年齢 と身長の縦断データから成熟度指標(身長最大発育速度年齢: Peak height velocity age) を算出し,アキレス腱の形状的・力学的特性の測定を実施した日の暦年齢が推定された PHV
年齢よりも前であった被験者を中学生 PHVpre群,後であった被験者を中学生 PHVpost群として 2 群に分けた.小学生群,中学生 PHVpre群,中学生 PHVpost群,高校生群,成人群の計 5 群間 での群間比較の結果,ヒトのアキレス腱は,PHV 後に固く,そして弾性エネルギーの再利用 率の高い腱に変化することが明らかとなった.また,骨長の増加に対して,筋腱複合体長の 増加が伴わず受動的に伸長されるというこれまで広く受入れられてきた仮説は支持されず,
思春期スパートが発現する時期であっても,筋腱複合体は,骨長の増加に適応していること が示唆された.
第 5 章 総括論議・結論
第 2 章から第 5 章までの検証結果より,ヒトのアキレス腱は成熟に伴い,形状的特性の変 化なしでその力学的特性を変化させ,より固くバネとしての性質が高まるように変わって行 くこと,さらに,その変化は PHV が発現する時期にあらわれることが明らかとなり,このよ うな成熟の様相はスキャモンの発育曲線における一般型に属していることが示唆された.ま た,骨端症の主要な発症要因としての「発育」,即ち,骨長の増加に腱複合体長の増加が伴 わず,筋腱複合体が受動的に伸長されてしまうという仮説は支持されず,骨長増加の刺激に 対して,腱長および筋腹長の増加によって適応していることが示唆された.
本論文の評価
本研究は,シーバー病やオスグッド病などに代表される発育期に特有な障害を生じさせる 主な要因の一つとしてあげられていた『発育に伴う骨長の増加に対して筋腱複合体長の増加 が伴わないため,筋腱複合体は受動的に伸長されており,腱付着部に慢性的な引張力が加わ っている』という通説を検証し,客観的なデータにもとづく答えを導き出した初めての研究 である.ヒトの腱からの実測データを用いて安静状態での腱の弛みを定量化する方法論を確 立したことに加え,この方法論を活用して小学生から成人までの腱特性を比較・検討した本 研究は,長く信じられてきた通説を実測データに基づいて棄却するに至った点において極め て価値の高い研究である.研究成果は当該分野において高く評価されている学術誌に掲載さ れるなど,申請者の今後の研究上の活躍が大いに期待できる.
上記のような評価を得て,本審査委員会は、茂木康嘉氏の学位申請論文が博士(スポーツ 科学)の学位を授与するに十分値するものと認める.
学術論文
○ 茂木康嘉,鳥居俊,川上泰雄,矢内利政:思春期男子におけるアキレス腱の形態学的・
力学的特性. 体力科学 2013: 62: 303-313
○ 茂木康嘉,川上泰雄,矢内利政. ヒト生体腱における力学的特性の計測:つま先領域 と線形領域の識別方法の提案. バイオメカニクス研究 2014: 18: 63-71
以 上