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78次 調査・ 第 78‑7次 調査

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(1)

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⑫量 躍

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(2)

内裏東官衛地区・ 東方官衛北地区の調査

(第

78次 調査・ 第 78‑7次 調査

)

(第78次調 査 :1995年 3月 〜 7月 、 第

78‑7次

調 査 :1995年 11月12月)

第78次調 査 は、 当調 査 部 が1984年度 か ら進 めて きた、 内裏外 郭 の東 に接 す る内裏 東 官 衡 地 区 の計画調 査 で あ る。 これ まで の調査 の結果、 この地 区 に は、掘立柱塀 で方形 に区画 され た同規 模 の官 行 が少 な くと も南 北 に

3ブ

ロ ック配 置 されて いた こと、一 つ の官衡 ブロ ックは東西約66 m。 南北約

72mの

規模 で あ る こと、各 ブ ロ ック間 に は幅約

13mの

道路 が存在 して いた こ とな ど が明 らか にな った。各官行 を北 か ら官衛 A・ 官行 B・ 官衛

Cと

仮 称 して い る。 第78次調 査 は、

官 衛

Bの

全 容 を解 明すべ く、未調査地 と して残 されて いた官衡

Bの

東辺 部 を対 象 に実 施 した。

調 査 区 は大 極 殿 の東 方 約

250mに

位 置 し、 第67次調 査 区 (『概 報23』

)と

71次調査 区 (『概報24』 )

に接 す る1,408ぽで あ るが、最終 的 には両調査 区 を一部再発掘 す る形 で、計1,605だ を調 査 した。

78‑7次

調 査 は、第78次調 査 区 の北 側 で、 市 道 拡 幅 の現 状 変 更 に と もな う事 前調 査 と して 実 施 した。調 査 区 は東 西 に長 く、 内裏 東 官 衛 地 区 か ら東 は東 方 官 衛 北地 区 にお よぶ。 調 査 面 積 は約400だで あ る。二 つ の調査 は、共通 す る遺構 も多 いので、 あわせて その概要 を報告 す る。

 

 

 

調 査 区 の基 本 的 な層 序 は、 耕 土・ 床土・ 灰 褐色 土・ 淡 黄 褐 色 微 砂・ 砂礫 混 り茶褐 色 土 の順 で あ り、地 表下0.4〜0.5mに あ る淡黄褐色微砂上面 で遺構 を検 出 した。

遺 構 の時期

 

検 出 した遺 構 は、 弥生 時代 、古 墳 時代 、

7世

紀 か ら藤 原宮 直前 期 、 藤原 宮 期 の4 期 に大 別 で き、 藤原 宮 期 の遺 構 を さ らに前 半 と後 半 に細 分 で き る (Fig。 4)。 本 文 で は弥 生・

古 墳 時代 の遺構 、

7世

紀 か ら藤 原宮 直前 期 の遺 構 、 藤 原宮 期 前 半 の遺 構 、 藤 原宮 期 後 半 の遺 構 の順 に記述 を進 め る。 なお、検 出 した掘立柱建物 の規模 は、別表

(Tab.3)に

示 した。

Fig。

78次調査 。第

78‑7次

調査位置図 (1:4000)

… 東面中

(3)

弥 生・ 古 墳 時代 の遺構

 

弥生 時代 の遺 構 に は第78次調 査 区 の斜 行 溝S D 7617が あ る。 地 形 に沿 い南東 ―北 西方 向 に流 れ る、 幅約3.5m・ 深 さ1.lmの 溝 で あ る。第

V様

式 の土 器 が 出土 した。

古 墳 時代 の遺 構 は北 で西 に大 き くおゝれ る特徴 が あ り、斜行 溝、掘立 柱建物、土坑、小穴 など を検 出 した。第78次調 査 区 で検 出 した斜 行 溝 は、S D 7609・ 7649・ 7913・ 7914・ 8580〜8586・

8588な ど12条が あ り、 いず れ も布留式上器 を出土 す る。 南東 一北 西 に流 れ る一 群 (S D 8580〜

8582)と 、 それ に直交 す る一 群 に分 かれ る。S D 7649は、 第78次調 査 区 の北 西 隅 近 くで南 に折 れ、S D 8581・ 8582に接 続 して南 東 方 向 に延 び る。 S D 8582は S D 8581を 廃 して新 た に掘 り直 した溝 と考 え られ る。S K 8587は 、一 辺 が5。

4mの

隅丸 方 形 を した遺 構 で、 深 さ0.2m、 完 形 に 近 い布 留式土器 が大量 に投棄 されて いた。土坑S K 8547・ 8549・ 8557・ 8558・ 856308573も 布 留 式上 器 を 出土 した。第

78‑7次

調 査 区 で は、斜行溝S D 3651・ 3652があ る。第41次調 査 区 (『概 報15』

)か

ら続 き、

6世

紀 前半 の土器 を含 む。

掘立 柱建 物S B 8555は 、 北 で西 にふ れ る桁行

3間

・ 梁 間

1間

の南北棟 で あ る。 側柱列 に幅0.8

m前

後・ 深 さ約 0.2mの 溝 を掘 り、柱位 置 を0,4m前後 の深 さで さ らに坪 掘 りす る特 異 な掘 形 で あ る。妻 柱 は検 出で きなか ったが、梁 間 は

2間

で あ った可能性 が高 い。飛鳥 Ⅳ の上器 を出土 す る浅 い炭化物土坑 が西側柱列 の掘形上面 を覆 って い る ところか ら、飛鳥Ⅳ以前 の建物 と判断で きるが、建物方位 か らみて古墳 時代 の建物 と推 測 され る。

7世

紀 か ら藤原 宮直前期 の遺構

 

この時期 の遺構 の方位 は、後述 の藤原宮期 の ものに くらべて、

北 で若 干 西 にふ れ る特徴 を もつ。第78次調 査 区 の掘立 柱建 物S B 8556・ 8560は遺 構 の重 複 関 係 か ら、宮期以 前 の建 物 と判 断で きる。東 西棟建物S B 8556は 桁 行

3間

・ 梁 間

2間

、桁 行 長

6m

の小規模 な建物 で あ る。藤原宮期前半 の建物S B 7610と 重 複 し、 これ よ り古 い。 南北 棟 建 物S B8560は 、桁行

3間

。梁 間

2間

の身舎 に庇 が付 く。身舎 の柱 間 は桁行・ 梁 間 ともに

6尺

等 間で、

庇 の出 は

7尺

で あ る。

S X 8569は 、 第78次調 査 区 の東 南 隅 で検 出 した深 さ0.5m前後 の池 状 の落 ち込 みで あ る。 北 西 の一 角 しか検 出で きなか ったが、両岸 が直線 的 に延 び る ことか ら、方形 に近 い平面形 と推測 さ れ る。石組 み な どの護岸施設 はな く、 暗灰 色粘上 が厚 く堆積 す る。西北 の隅 に導水施設 とみ ら れ る南北 溝S D 8568が と りつ く。 出土土器 か ら

7世

紀 前半 代 の遺 構 と考 え られ る。

藤 原 宮 直前期 の遺構 に は、宮 内先行条坊 四条 々間路 お よびその両側溝、東一坊大路 とその両

Tab.3 

78次・ 第78‑7次調査で検出 した主要な掘立柱建物一覧表

 

建 物 桁行間数 (総) 梁 間間数 (総長) 棟方向 備  

古墳時代 S B 8555 3間

(5m)

1間

(4m)

膏]  ゴヒ 梁間2間

7世己か ら 宮直前期

S B 7935 S B 8556 S B 8560 S B 8561

8 FHE (64ナ) 3 FHl (20ナ)

3間に 面庇 (32尺)

13間 (117尺)

2間 (14尺)

2間 (12尺) 2 FHl (12ナ)

2間十二面庇 (43尺)

西 西

南北二面庇付

南北二面庇付

宮期前半

S B 3270 S B 7610 S B 7670 S B 7927

9 FHl (90ナ) 6 FHl (54ナ)

7間 (63尺)

3間 (16尺)

2間十二面庇 (24尺)

3 FHl (21ナ)

2間 (18尺)

3間 (15尺)

西 西 西

南北二面庇付

宮期後半

S B 7650 S B 7655 S B 7605 S B 8540 S B 8600

5間以上 (45尺 以上) 6間以上 (54尺 以 上)

7間十二面庇 (87尺) 4間以上 (36尺 以上)

6間十庇 (56尺)

2間 (20尺)

1間 (11尺)

2間 (18尺)

2間 (18尺) 2 FHl (18ナ)

西 西

東西二面庇付 東庇付

(4)

側 溝 の ほか、 先 行 条 坊 を埋 め立 て て建 て られ た東 西 棟 建 物S B 8561も この時期 で あ る。

四条 々間路S F 1731は 、 南北 に側 溝S D 7642・ 7643を と もな う。路 面 幅

6m、

側 溝 心 々 間 距 離 6.9mの 東 西 道 路 で あ る。 側 溝 は と もに幅0,8〜

lm・

深 さ0.5m前後 で あ る。 東 一 坊 大 路 と の 交 差 点部 分 で、 西 側 溝S D 8550・ 8551に

L字

形 に連 結 す る。 東 一 坊 大 路 S F 3499の 幅 員 は側 溝 の心 々間距離 で8.8mであ る。西側溝S D 8551は

lm・

深 さ0,3〜0.4m、 東側溝S D 8565は0.7

m・ 深 さ0.3m前後 で 、底 面 の レベ ル は と もに南 に向 か って 下 が る。 これ らの先 行 条 坊 の 側 溝 か らは飛 鳥 Ⅳ の上 器 が 出上 した (Fig。 5)。

掘 立柱 南北 塀S A 8566は 、先 行 条 坊 に伴 う宮 造 営 直前 期 の塀 で あ る。 東側 溝 の東

2mの

位 置 で

5間

分 を検 出 した。 柱 掘形 は一 辺 0.8mと 小 型 で、 柱 間寸 法 は2.25m(7.5尺

)等

間 で あ る。 東 1.5mに 南北溝 S D 8567を と もな い、塀 を挟 んで

2条

の溝 が併走 す る。第58次調 査 区 (『概報20』 )

で も東一 坊 々間路 の東 で溝 を と もな う宮 造営 直前期 の区 画施設 を確認 して お り、 これ らは一 体 の計画 の もとに施 工 され た ことが知 られ る。S A 8566の 北 延 長 線 上 に は、 第38次調 査 (『概 報

15』

)で

検 出 した南 北 塀S A 3503が 位 置 す るが、 S A 3503の 柱 間 寸 法 は6.5尺等 間 で あ り、 宮 内 先 行 条坊 の四条 二 坊 西 南 坪 と西 北 坪 を区画 す る別 個 の区 画施 設 と考 え られ る。

掘 立柱 建 物S B 7935は 、 第

71078次

両 調 査 区 にわ た る梁 間

2間

の南北棟建物 で、 桁 行 が

8間

に確定 した。 桁 行 の柱 間 は

8尺

等 間 で、 西 側 柱 が東 西 棟 建 物S B 8561の西妻 柱 列 と重 複 す る。

S B 8561は 桁 行 総 長 34.5mの 長 大 な建 物 で あ る。 第71次調 査 で は桁 行

6間

以 上 。梁 間

2間

の 宮 直前 期 の東 西 棟 建 物 (S B 7925)と したが、 桁 行13間・ 梁 間

2間

の身舎 の南北両 面 に庇 が つ く

こ とが判 明 した。 柱 間寸 法 は、桁行 が

9尺

等 間、 梁 間 が9.5尺等 間 で 、 庇 の 出 は各 12尺 を は か り、 梁 間 の総 長 は48尺 とな る。S B 856と は、先行条 坊 の東一坊 大路西側溝 の埋 め土 な らび に 宮 直前 期 の建 物S B 7940の 側柱 柱 穴 を掘 り込 ん で構築 され るが、官 行

Bの

東 辺 区 画 塀 S A 3633の 柱 穴 と重 複 し、 これ よ り古 い。 先 行 条 坊 の側 清 を埋 め立 て た後 、 官 衡 区画 の建 設 まで の短 期 間

にお さま る建 物 と判 断 で きる。建物規模 に比 べ て柱掘 形 が径0.7m前後 と小 さ く、 柱 筋 も不 揃 いで あ る こ と、確 認 で きた柱痕跡 も直径20cm前 後 と細 い と ころか ら、恒 久 的施設 とは考 え が た

く、 仮設 的建 物 と して の性格 を考慮 すべ きで あ ろ う。

井 戸S E 8562は 、 掘形 が長 径3.5m・ 短 径 2.8mの 楕 円形 を した井戸 で、 底 面 ま で の 深 さ は1.9

mあ

る。南 半 部 の底面近 くに丼戸 枠 を設 け、北半部 を玉 石敷 きの水汲 み場 とす る。井 戸 枠 は掘 形 の崩 落 に よ つて倒 壊 して いたが、 同一 個 体 とみ られ る折 敷 の側板 と底 板 を板 杭 で固定 した 方 0,7m程度 の規 模 に復 原 で きる。埋 め土 か ら飛 鳥 Ⅳ の上 器 と と もに木 製 の横 槌 や 砥 石 が 出 上 し

た。埋 め上 の最 上 部 に は、宮 の造 営 時 の整地 とみ られ る明黄色 の山土層 が厚 く堆積 す る。 井 戸 S E 8612は 北 東 隅 を検 出 した に とどま るが、 掘 形 が直 径

5mを

超 え る。12〜13cm角 の 角 柱 を 立 て、厚 さ25mm・250mmの横 板 を落 と し込 ん で枠 板 とす る。 最 下 段 だ けが残 って いた。

藤 原 宮期 前 半 の遺 構

 

宮 の造営 に と もな い、 内裏 東 官 衡 地 区 に官衛 A・ B・

Cが

設 定 され た 時 期 で あ る。 この時 期 の遺 構 に は、 官 衡

Bに

関 わ る、 掘 立 柱 建 物

4棟

、掘立柱塀

3条

・ 土坑

4基

、 お よび東方官 行 北 地 区 の掘立柱建物

1棟

と掘立 柱塀

2条

が あ る (Fig.4・ 6)。

掘立 柱塀S A 3633は 、 官行

Bの

東 辺 を画 す る南 北 塀 で あ る。 区画 の南 東 隅 を再 検 出 して 】ヒヘ 20間分 、全 長 52,9mを 検 出 した。 柱 間 は

9尺 (2.65m)等

間 で、 調 査 区 内 に門 の 開 く形 跡 は な い。南東 隅 か ら第41次調 査 で検 出 した北 東 隅柱 穴 まで の距 離 は総長 71.7mあ り、

9尺

等 間 、27

(5)

間 に割 り付 け られ る ことが確 定 した。 南東 隅 か ら数 えて北 第10柱穴 に径24om、 長 さ84 omの柱 根 が遺存 す る以外 は、 いず れ も東 方 か ら柱 を抜 き取 る。北 辺 と西辺 の区画塀 にみ られた改修痕跡 は認 め られなか った。

官衛

Bの

区画 内 で、 既 調査 区か ら延 びる掘立柱建物S B 76100 7927・ 7670と掘立柱塀S A 7644・

8559・ 8608の ほか、 い くつ が の土 坑 を検 出 した。

掘立 柱東 西棟建物S B 7610は 、 第78次調 査 区 で東妻 を検 出 し、桁 行

6間

が判 明 した。 柱 間 は 桁 行 が

9尺

等 間 で、 梁 間 は

7尺

等 間 で あ る。SB、7610の南 に は、

4.5m(15尺 )離

れ て東西 塀S A8559が あ る。S B 7610に 柱 筋 を揃 え た

9尺

等 間 の塀 で、

3間

分 を検 出 した が 、 第67次調 査 区 で も柱穴 の一部 を確認 して お り、S B 7610の 前 面 に設 け られ た 目隠塀 とみ られ る。

官 衛 区画 の東南 隅 に位 置 す るS B 7927は 、東 側 柱列 をS B 7610の東妻 の柱筋 にそ ろえた桁行・

梁 間 と もに

3間

の建物 で あ る。 柱 間 は梁 間 が

5尺

等 間 で あ るが 、 桁 行 は総 長

4.8m(16尺 )を

三 割 りす る。 柱 間 の狭 い小 規 模 な建物 で あ り、雑舎 と推測 され る。

掘立 柱 建 物S B 7670は 、 第67次調 査 で南側 柱 柱穴 を確 認 して いたが、今 回、北 側 柱 の柱 穴 を 検 出 し、桁行

7間

・ 梁 間

2間

の東 西棟建物 で あ る ことが確定 した。 柱 間 は

9尺

等 間 で あ る。 S

B7670の 北側柱筋 の東延 長 上 に は掘立柱塀S A 8608が あ る。 S B 7670の 東

4m離

れ て

3間

分 を 確 認 した。柱 間10尺で あ る。 東 端 は後世 の井戸 に壊 され る。S B 7670の 北 側 柱 と S A 8608は 、 官 衛

Bの

北 辺 区画塀 S A 3632か ら南30尺の位 置 にあ る。

掘立 柱 塀S A 7644は 、 四条 々間路 の南側溝 を埋 め立 て た後 に同位 置 に掘 られた東西塀 であ る。

官 衛

Bの

中央 に位 置 す る正 殿S B 7600の 南側 柱列 か ら延 びてS A 3633に と りつ き、 官 衛 区画 を 南北 に三 分 す る。柱 間 は

9尺

等 間 で、 今 回

5間

分 を検 出 し、全 体 で

8間

の塀 とな る。官衛 の南 辺 区画塀S A 6629か らの距 離 は35,8mで 、官衡 区画 の正 しく1/2の 位 置 にあ る。

土 坑 に はS K 8541〜 8543・ 8545・ 8546・ 8605〜 8607があ り、 いず れ も飛鳥

Vの

上器 を出土 した。

S K 8545・ 8546は一 辺 1.4m前 後 の隅丸方形 を し、S K 8605〜 8607は 直 径

2〜 3m、

いず れ も燃

え さ しの木 片 を含 む炭 化 物 層 が堆 積 す る。 四条 々間路北側溝S D 7643の 埋 め土 を掘 り込 ん だ

S

K8545か らは、文武元年 に相 当す る干支 を記 した木簡 が 出上 した。 S K 8543は長 径 1.6m、 深 さ0.35mの 不 整形土坑 で、手 斧 の はつ り屑 が底面 に厚 く堆積 す る。

78次調査 区 の東 端 で は、 掘立 柱塀S A 8570・ 8571を新 た に検 出 した。 これ は、 東 方 官 衛 北 地 区 の一 つ の官衛 区画 の南 西 隅 にあた る。 内裏東官行・ 官衛

Bの

区 画 施 設 と同一規 格 で設計 さ れ た

9尺

等 間 の塀 で、 南辺 を限 るS A 8571は 官 衛

Bの

南 辺 塀S A 6629と 柱筋 を そ ろ え、 西辺 を 限 るS A 8570は 第38次調 査 で検 出 したS A 3500の南延 長 上 にあ る。 両 官 衛 間 の距 離 は

24m(80

)で

、 そ の間 に宮 内道 路 の存在 が想定 され る。宮 内道路S F 8625は 、 先行 条坊 東 一 坊 大 路S F3499を 踏襲 す るが、先 述 した よ うにS F 3499の両 側 溝S D 8551 0 8565は 藤 原 宮 期 に は既 に埋 め られて いた可能性 が高 い。 宮 内道路 の側溝 は第78次調 査 区 で は検 出で きなか ったが、 第 71次 調 査 区 で は官 衛

Bの

東 南 隅 に西 側溝S D 7921を一 部検 出 して い る。 また、北 の第38次調 査 区 で 検 出 し、第

78‑7次

調 査 で そ の南延長 を確認 した南北清S D 3501が 東 側 溝 に あ た る可 能 性 が あ

る。 両者 を宮 内道路S F 8625の 両 側 溝 と考 え ると、道路 の幅員 は70尺前 後 とな る。

東 方 官 衛北地 区で は、 ほか に第

78‑7次

調 査 区 の東端近 くで掘立 柱 建物S B 3270の 身 舎 南 側 柱 の西

4間

分 と思 わ れ る柱列 を検 出 した。S B 3270は 第35次調 査 (『概 報13』

)で

検 出 した建 物

(6)
(7)

だ が 、 今 回 検 出 した柱 穴 を合 わ せ 妻 柱 と さ れ て い た柱 穴 を 間 柱 とみ る と、 北 に あ る掘 立 柱 建 物 S B 3300と 東 西 規 模 を揃 え る桁 行

9間

・ 柱 間 10尺 等 間 の東 西 棟 に復 原 で き る。 梁 間 は 、 身 舎 が

2間

7尺

等 間 、 南 北 に

5尺

づ つ庇 が 出 る。 た だ し北 の庇 は西 で柱 穴 を検 出 して お らず 、 部 分 的 な もの か も しれ な い。

藤 原 宮 期 後 半 の 遺 構

 

前 半 の官 衛 区 画 は踏 襲 す る が、 建 物 を全 面 的 に建 て 替 え、 区 画 内 に石 敷 きを施 した 時 期 で あ る (Fig.4・ 7)。 後 世 の 削 平 の た め 石 敷 きS X 7632は遺 存 しな い が 、 敷 か れ て い た石 の一 部 が 中世 の耕 作 溝 な ど に落 と し込 ま れ て お り、 官 衛

Bの

東 半 部 や 北 辺 部 に も 石 敷 きが 敷 設 され て い た もの と考 え られ る。 第 78次 調 査 区 で は、 第 67次 調 査 で 検 出 し た 掘 立 柱 建 物 S B 7605の 東 妻 を確 認 で き た。 桁 行

6間

・ 梁 間

2間

の身 舎 に西 庇 のつ く建 物 と考 え て い た が 、 さ らに東 に

2間

分 延 び、 桁 行

7間

の身 舎 の東 西 に庇 が付 く左 右 対 称 の構 造 とな る。 柱 間寸 法 は桁 行・ 梁 間 と もに

9尺

等 間 で あ るが 、 東 庇 の 出 は西 庇 と同 じ12尺で 、 桁 行 総 長 が 87尺 の 大 型 の建 物 と な る。 柱 掘 形 は一 辺1.0〜1.5mと 大 規 模 で 、 柱 抜 き取 り穴 に は人 頭 大 の 玉 石 が 詰 め 込 ま れ て い る。 建 物 周 囲 に配 され た石 組 の 雨 落 溝 は遺 存 しな い。

掘 立 柱 建 物 S B 8600は 、 桁 行

6間

で 柱 間 は8.5尺等 間 、 梁 間 は18尺を はか る東 西 棟 建 物 。 東 に

5尺

の庇 が張 り出 す。 第 67次 調 査 時 に北 辺 で 検 出 した石 組 み雨 落 ち溝 S D 7675か ら、 そ の存 在 を予 想 して い た建 物 で 、 南 の S B 7660と 柱 筋 を 揃 え る。 柱 抜 き取 り穴 に多 量 の玉 石 が 入 る。 S B8600の南 雨 落 ち溝 S D 7675は 西 の延 長 部 を 確 認 し、 北 雨 落 ち溝 S D 8601と 東 雨 落 ち溝 S D 8602 を新 た に検 出 した。 いず れ も底 石 を数 石 残 す だ けで あ った。 柱 心 か ら溝 心 ま で の距 離 は、 南 北 で 約1.8m、 東 で 約1.5mを はか り、 南 方 の S B 7605と 同 じ軒 の 出 だ った こ とが わ か る。

掘 立 柱 建 物 S B 7655は 、 北 延 長 部 を検 出 した。 桁 行

6間

以 上 で

9尺

等 間 、 梁 間

1間

で 11尺 で あ るが 、 東 側 柱 の掘 形 が小 さ い の で 、 建 物 で は な くさ しか け の あ る塀 か も しれ な い。 そ の東 に あ る掘 立 柱 建 物 S B 7650の 北 延 長 部 も確 認 した。 桁 行

5間

以 上 で

9尺

等 間 、 梁 間 は

2間

で 10尺 等 間 で あ る。 掘 立 柱 建 物 S B 8540は 、 S B 7650と 官 衛

B東

辺 の塀 S A 3633と の 間 に あ る南 北 棟 で あ る。 桁 行

4間

以 上・ 梁 間

2間

で 、 柱 間 寸 法 は梁 間

9尺

等 間 、桁 行 は南

2間

8尺

等 間 で あ るが 、 そ の北 で 柱 間 を広 げ る よ うで あ る。 柱 掘 形 は一 辺0.9〜1.2mの規 模 を も ち 、 東 側 柱 列 は S A 3633か ら10尺 の位 置 に あ る。 以 上 のS B 7655。 7650・ 8540は 、 南 妻 を S B 7660の 南 側 柱 筋 と 揃 え る。 ま た、 S B 8540は 、 宮 期 前 半 の 上 坑 S K 8606・ 8607と 重 複 しこれ よ り も新 しい。

78‑7次

調 査 区 の上 坑 S K 8603は 、 直 径 約

3m・

深 さ45omあ る。 東 辺 の 塀 S A 3633の 柱 位 置 に重 複 し、 S A 3633の 柱 穴 が検 出 され な か った の で 、 これ を壊 して い るの だ ろ う。

 

出 土 遺 物 に は、 土 器・ 土 製 品 、 瓦 、 木 製 品 、 木 簡 、 石 製 品 な どが あ る。

土 器 。上 製 品

 

土 器 は

7世

紀 代 の藤 原 宮 期 及 び そ の 直 前 の時 期 の上 師器 。須 恵器 が主 体 を 占め、

他 に弥 生 土 器 、 古 墳 時 代 の布 留 式 上 器 な ど が あ る。 土 製 品 に は 円面 硯・ 転 用 硯 、土 馬 、輔 羽 日、

対 鍋 な どが あ る。 ま た、 判 読 出来 な い が 土 坑 S K 8543出 上 の須 恵 器 甕 の 内 面 に墨 書 が 認 め られ る。 な お 灯 明 皿 や 漆 皿 に転 用 した杯 皿 類 と漆 を入 れ た重 類 につ いて は土 器 の説 明 の 中 で ふ れ る。

土 器 で は、 第 78次 調 査 区 の先 行 条 坊 東 一 坊 大 路 側 溝 とそ の西 の井 戸S E 8562、 四 条 々 間 路 側 溝 を壊 し「 丁 酉 年 」 の木 簡 が 出土 した土 坑 S K 8545お よ びS K 8546、

78‑7次

調 査 区 の 宮 期 後 半 の建 物 S B 8540の 柱 穴 で壊 され る土 坑 S K 8606・ 8607、 官 行 区 画 塀 S A 3633の 柱 穴 を 覆 う 土 坑 S K 8603な どか ら出土 した土 器 に比 較 的 ま と ま りが あ る。 そ れ らは藤 原 宮 直 前 期 と藤 原 宮

(8)

期 とで構 成上 の違 いが認 め られ るな ど、飛鳥 Ⅳ 〜

Vの

具 体 的 な内容 を把握 しうる良好 な資料 で あ る と と もに、遺 跡 の微 妙 な変遷 過程 を理解 す る上 で も重要 な資料 で あ る。 なお、 さほ ど多 く はないが、第78次調 査 区東 南 隅 の池状遺構S X 8569と それ に取 り付 く南北 溝S D 8568お よび、 南 隅 の円形 土 坑S K 8564、 北 寄 り中央 のS K 8573な どか らは

7世

紀 前 半 代 の土 器 が出上 して い る。

ここで は、藤原 宮 直前期 の先行 条坊東一坊大路側溝 出土土器 を図示 した (Fig.5)。 以 下 、 そ の内容 と特色 を紹介 し、藤原宮期 の土器群 との違 いにつ いてふれてお きたい。

東 一 坊 大 路側 溝 出土 土器 で は、 西側溝S D 8551出 土 土 器 が多量 かつ多様 で あ るの に対 して 、 東 側 溝S D 8565出 土 土 器 (12・ 23・ 27・

33)は

少 な い。 しか し、漆 皿 な どが東 側 溝 に認 め られ な い点 を除 けば、 両者 に違 いが認 め られ な いので一 括 して紹介 す る。

土 師器 に は杯A・

CeH.G、

A、 甕 A・ B・

Cが

あ る。 杯

Aに

は日径18.5cm・ 器 高5。2clll 前後 の

AI(10)と

、 日径15.8cm・ 器 高5.lcmの

AⅡ (9)が

あ る。 いず れ も平底 か ら逆 台 形 に 直線 的 に開 き、 口縁 端 部 を丸 、小 さ く内側 に肥厚 させ る。底部 か ら口縁下半部 の外面 をヘ ラケ ズ リ、 日縁上半 部 を粗 く横 方 向 にヘ ラ ミガキす る。胎土・ 色調 の特徴 で は、

9が

Cの 1〜

4 に、10は

5〜 8に

対 応 す る。杯

Cに

は回径14.3〜 15.4cm・ 器 高4.1〜4.4cmの

CI(4・

8)、 口 径13.1〜 14.Ocm・ 器 高3.0〜 3.4cmの CⅡ (2・ 3・ 6・ 7)、 日径10.5〜 10。7cm・ 器 高2.4〜 2.5 cmの

CⅢ

(1・

5)が

あ る。底 部外面 は指 オサ エの ままか、 そ の後 にナデを加 えてお り、 いず れ の 大 き さの もの に も口縁 部 外面 のヘ ラ ミガキ はみ られ な い。形態 的 には、底部が小 さな平底 な い しは凹 み底 か ら直線 的 に斜 め に口縁部下半 に移行 し、 そ こで屈 曲 して 口縁部 が直立気味 にな る もの

(1〜 4)と

、 底 部 が平 底 な い しは丸底 で 口縁 部 が丸 く立 ち上 が る もの

(5〜 8)の

二 者 が あ る。 両者 は日縁 端部 の特徴 で も異 な り、前者 は小 さ く内側 に肥厚 す る傾 向 にあ り、後者 で は 口縁 内側 にやや幅広 い中凹 み の傾斜面 を形成 す る。色調・ 胎上 で も前者 は橙褐色系 で石英 な どの微細 な砂粒 を含 む ものが多 く、後者 は赤褐色系 で緻密 で精良 な ものが多 い点 で異 な り、両 者 は産 地 が異 な る もの と推定 され る。 なお、 この二 者 は他 の遺構 た とえ ば本 概 報Fig,18所収 の 西方 官衛 南地 区第80次調 査 の五 条大路側溝 や土坑S K 8471出 上 の杯

Cで

も認 め られ、

 2・

3・

23は前 者 、 1・ 24は後 者 で あ る。 杯

Gは

日径11.3cm・ 器 高3.Ocmの もの (13)と 口径 14.6cm e器 高 3.3cmの もの

(14)が

あ る。 回縁部 を ヨコナデ しただ けの粗 製 の杯 で、 胎 土 に石英・ チ ャー ト等 を多 く含 んでいる。 いずれ も内面 に漆 が膜状 に付着 し、 ヘ ラで掻 き取 った形跡 がある。皿

A(11)

は口径20.6cm・ 器 高2.9cmで、 日縁 端 部 に平 坦 面 をつ くる。 底 部 外 面 は指 オサエで あ る。 甕

A

(15)は

回径15.6cm・ 器 高16.5omで 、 角 張 った端部 を もち直線 的 に開 く日縁部 と体 部 内面 の ヘ ラ ケズ リ、外面 の細 かな縦 ハケメなどの特徴 か ら、 いわゆる「河 内型」甕 に属 すが、 暗茶褐色 で雲 母 を含 む砂 質 の胎 土 で な い うえ に、体部外面 中程 に粗 い斜 ハ ケ メを施す点で典型例 とは異 なる。

須 意 器 に は杯A・

Bお

よび蓋、杯G、 椀 A・ B、B、 平 瓶 、 壺 、 甕 な どが あ る。 杯

AⅣ

(24)と 杯

G(23)と

は と もに底部 ヘ ラキ リのの ち にナデて お り、 形 態 上 も区別 が難 しいが、

重 ね焼 きの状況 か ら23に は日径■cm程の蓋 が と もな うと判 断 され た。椀

Aは

平底 で器高 が高 く、

重 ね や器 の痕跡 か らみて蓋 の被 る器種 で あ る。 日径12.9cm・ 器 高5,6cmで 口縁 部 中程 か ら開 く26 と、 回径11.6cm・ 器 高5,Ocmで直立 気 味 の25が あ る。 いず れ も底 部 を ロク ロケ ズ リし、 蓋 (17) は25の蓋 で あ る可能 性 が あ る。杯

Bに

は口径16.7cm e器 高4.2cmの

BI(32)、

日径15.Ocm・ 器 高

4.3〜4.4cmの

BⅡ

(30・ 31)、 日径14,2cm・ 器 高3.9〜4.2cmの

BⅢ

(28・

29)が

あ る。 高 台 は台 形 を呈 す る もの と踏 ん張 り気 味 の ものが あ り、底部外面 の調整 で はロクロケズ リの もの (28・ 31)

(9)

〈 三 三 三 三 三 三 二

]55]滲555万

1

20

21

Fig.5 先行条坊東一坊大路側溝出土土器 (12・ 23・ 27・ 33は東側溝S D8565、 他は西側溝S D8551) とヘ ラキ リの ままの もの (29・

30)が

あ るが、両者 は対応 しな い。27は踏 ん張 って や や高 い高 台 が 内寄 りにつ く点 で古 相 を呈 す るが、底 部 外面 はヘ ラキ リの ままで あ る。 杯

B蓋

は 日径 で杯

BI蓋

(21・ 22)・

BI蓋

(20)・

BⅢ

蓋 (19)と

BⅣ

蓋 (18)に分 け られ る。 形 態 で は 口縁 内 側 に身 受 けのか え りを もつ もの (18〜

21)と

、 もた な い もの (22)と が あ り、 後 者 は大 型 の も の に限 られ、量 もご くわず かで あ る。 前 者 の 日縁外端部 もやや角張 り気 味で外見上 は後者 と区 別 で きな い。 つ まみ はいず れ も中央 部 が わず か に突 出す る。 なお20に は口縁 部 内面 の 2カ 所 に 身受 けの か え りを跨 ぐ灯 明痕跡 が残 る。 椀

B(33)は

日径19,lcm・ 器 高8cm程 で 直線 的 な口縁 部 の端部 は丸 い。皿

B(34)は

日径22.4cm・ 器 高5.2cmで垂 れ気 味 の底部外面 を丁 寧 に ロ ク ロケ ズ

(10)

り し、 内 面 に は細 か な 同心 円 当 て 板 痕 跡 が残 る。 な お31・ 33・ 34に つ い て は東 海 地 方 の 製 品 と 推 定 され る。

西 側 溝 に は多 くの漆 付 着 土 器 が 含 まれ る。 図 示 した もの で は先 述 の杯

Gの

ほか に土 師 器 杯

A

I(10)・

CI(8)、

須 恵 器 杯

AⅣ

(24)・

BI(32)、

同 蓋

(19)が

あ り、 土 師 器 杯

CⅡ

(6)、 皿

A(■ )も

内 面 に黒 色 の焼 け こげ が あ って 漆 皿 に使 用 した可 能 性 が高 い。 他 に須 恵 器 平 瓶 、 土 師 器 壺 な ど の漆 壺 が あ るが少 量 で 、 さ ま ざ ま な器 形 のパ レ ッ トが主 体 を 占 め る。 飛 鳥 池 遺 跡 や 紀 寺 東 南 部 の工 房 遺 跡 で は多 種 多 量 の漆 壺 が主 体 で、 この構 成 の違 い は漆 工 の作 業 段 階 の違 い と考 え られ て 興 味 深 い。 漆 皿・ 壼 は他 に宮 直 前 期 の土 坑S K 8578、 井 戸S E 8562、 建 物S B 8556柱穴 、 西 側 溝 よ り も新 し く官 衡 よ り も古 い時 期 の建 物 S B 8561の 柱 穴 な ど西 側 溝 と 相 前 後 す る時 期 の遺 構 か ら出上 して お り、 宮 殿 の造 営 に関 わ る可 能 性 が高 い。

これ らの漆 皿 あ る い は灯 明皿 と して転 用 され て い る須 恵 器 杯 、 蓋 や土 師器 杯

AI、

Cに

は そ の痕 跡 を と ど め な い もの との間 に品質 上 の差 は認 め られ な い。 この こ とは西 側 溝 出土 土 器 の 中 に は工 人 層 が 道 具 と して使 用 した土 器 と官 人 層 を含 め て食 器 と して利 用 され た土 器 とが 混 在 し、 そ れ らの 区 別 が で きな い こ とにな る。 この事 実 は、 全 て の供 膳 具 を食 器 と して貯 蔵・ 煮 炊 具 との構 成 比 を求 め る こ と に は問 題 が あ る こ とを 示 す と と もに、 土 器 の用 途 と階層 性 の 問 題 に つ い て 、 な お詳 細 な検 討 が必 要 な こ とを示 して い る。

い っぽ う、「 丁 酉 年 」 の木 簡 が 出上 した土 坑 S K 8545お よ びS K 8546、

78‑7次

調 査 区 の 宮 期 後 半 の建 物 S B 8540の 柱 穴 で 壊 され る土 坑 S K 8606・ 8607、 官 衛 区 画 塀 S A 3633の柱 穴 を 覆 う土 坑 S K 8603な どか ら出土 した土 器 は、 いず れ も飛 鳥

Vに

属 す 。 そ れ らは な お 整 理 途 中 に あ るが 、 先 述 の条 坊 側 溝 出土 土 器 や井 戸S E 8562、 土 坑 S K 8564出 土 土 器 な ど飛 鳥 Ⅳ に属 す る 土 器 群 と の相 違 点 を あ げ る と、 須 恵 器 で は杯

B蓋

の身 受 けの か え りが な い もの が大 半 を 占 め る こ と、 日径30cmほ ど の皿A・

Bな

ど大 型 の器 種 が 増 え る こと、 土 師器 で は多 様 な手 法 で作 られ た大 小 の蓋 が 目立 つ こ と、 大 型 の皿A・ 高 杯

Aが

み られ る こ と、 杯A。 杯

Cに

器 壁 が 厚 く粗 雑 な暗 文 を もつ もの や、 形 態 的 に は杯A・

Cに

類 似 しな が ら、 内面 に暗 文 を施 さ な い もの な ど多 様 な製 作 者 の製 品 が混 在 す る こと、 大 和 型 甕

Aの

回 縁 端 部 が上 下 に肥 厚 す る こ とな どが あ げ ら れ る。 これ らの主 に器 種 構 成 上 で の特 徴 は、 第24・ 27・ 29次 調 査 の東 面 内 濠S D 2300出 土 土 器 と一 致 した内 容 で、 これ らが官 衛 で使 用 され た土 器 の特 徴 で あ る ことを示 して い る。

土 製 品

 

硯 は東 一 坊 大 路 西 側 溝 S D 8551出 上 の 円 面 硯 の ほか、 宮 期 後 半 の建 物 S B 8540の 柱 穴 な ど に須 恵 器 杯

B蓋

を利 用 した転 用 硯 が あ る。 土 馬 は頭 部 と脚 部 の破 片 が各

1点

ず つ あ る。 鍛

冶 関 係 の 上 製 品 に は輔 羽 口が 少 量 あ る ほか に、 建 物 S B 8540の 柱 穴 埋 め土 か ら出上 した 増 蝸 1

点 が 注 目 され る。 対 塙 は直 径 約15cm、 高 さ10cm余。 内 面 に残 る 白色 の金 属 を分 析 した結 果 、 鉛 を熔 解 した靖 塙 と判 明 した。

 

 

軒 瓦 は、 軒 丸 瓦6281Aが

4点

出土 した 。

 

う ち

1点

は ほ ぼ 完 形 で あ る。 こ の ほ か に 、

「 月

 

月 」 の ヘ ラ書 き の あ る戻 斗 瓦

1点

と丸・ 平 瓦 が 出土 して い る。 丸 瓦 は177点 (20.6kg)、 平 瓦 192点 (23.5kg)が 出土 。 そ の総 量 や分 布 か らみ て 瓦 葺 き建 物 が あ った可 能 性 は低 い。

木 製 品

 

宮 造 営 直 前 期 の井 戸 S E 8562か ら丼 戸 枠 に転 用 され た折 敷 と横 槌 が 出土 した。 ま た 、 宮 期 前 半 の土 坑 S K 8606か らは、 文 箱 の蓋 が 出上 した。 全 長34cm・5。lcmで あ る。

 

 

宮 期 前 半 の土 坑 S K 8545の 埋 土 か ら

2点

出 土 した。 うち

1点

は「 丁 酉 年 □ 月 」 の 干 支 が判 読 で き る。 丁 酉 年 は文 武 元 年 (西暦 697年

)に

相 当 す る。

(11)

ま と め

今 回 の 2つの調 査 に よ つて官 衛

Bの

全 容 と周 囲 の状 況 が 明 らか に な り、 そ の構 造 と変 遷 の 過 程 が よ り明 確 に な った。 そ の調 査 結 果 を以 下 に要 約 す る。

内 裏 東 官 衡 地 区 官 衛

Bは

、 四 周 を掘 立 柱 塀 で 区 画 した東 西 66m、 南 北71,7mの 規 模 を もつ 。 そ の東 西 規 模 は、 条 坊 地 割 の基 準 値 で あ る900小 尺 の1/4(225尺

)で

あ り、 先 行 条 坊 東 一 坊 大 路 S F 3499の 心 か ら西 40尺 を東 辺 とす る。 南 北 規 模 は、 先 行 条 坊 四 条 々 間 路 S F 1731の 南 側 溝 S D7642を基 準 線 に して 、 南 北 に各120/1ヽ尺 (100大 尺

)を

と り、 倍 の 240小 尺 (200大 尺

)を

官 行

Bの

南 北 規 模 と して い る。 官 衛 区 画 の南 北 に は約12.6m幅の 東 西 道 路 を挟 ん で 、 東 西 規 模 を 同 じ くす る官 衛C・

Aが

存 在 す る。 両 官 衡 の南 辺 と北 辺 は未 調 査 で あ るが 、 官 衛

Cの

南 が東 面 中 門 に通 じる宮 内 道 路 、 官 衡

Aの

北 が 東 面 北 門 に通 じる道 路 (各 々、 宮 内 先 行 条 坊 の 四条 大 路 と 二 条 大 路 を踏 襲

)を

限 り とす る と考 え られ、 各 官 行 の南 北 長 も ほ ぼ近 い数 値 を と る もの と推 測 で き る。 た だ し官 衡

Bの

南 北 二 等 分 線 が 先 行 条 坊 四 条 々 間 路 の心 に な い の は、 宮 内道 路 の 幅 員 差 や施 工 誤 差 、 使 用 尺 の 差 、 各 官 行 の南 北 規 模 の微 妙 な差 な ど に起 因 す るの で あ ろ うが 、 現 状 で は いず れ と も決 しが た い。

官 衡

Bの

内 部 の構 造 に つ い て は、 従 来 の調 査 に よ つて 、 藤 原 宮 の存 続 期 間 内 に大 規 模 な官 衡 の改 作 が あ り、 大 き く様 相 を異 に した新 旧

2時

期 の官 行 の 変 遷 が認 め られ て い る。 宮 期 前 半 の 官 衛 は、 敷 地 の ほ ぼ 中 央 に建 て られ た正 殿 S B 7600を 中心 に、 各 建 物 が 正 殿 と柱 筋 を あ わ せ た り、 正 殿 か ら等 距 離 に配 置 さ れ るな ど、 きわ め て整 然 と した計 画 性 を 備 え て い る。 今 回 の 調 査 で は、 第 67次・ 第 71次 の両 調 査 区 か ら延 び る建 物 の規 模 を確 定 す る と と もに、 正 殿 の 南 側 柱 列 か ら東 西 に延 び て 官 衡 空 間 を南 北 に三 分 す る東 西 塀 S A 7644の 東 端 部 を 検 出 し、 官 衡

Bの

区 画 施 設 が 確 実 に宮 期 前 半 に ま で遡 る こ とを 明 らか に した。

Fig.6 藤原宮期前半 の遺構 Fig,7 藤原 宮 期後半 の遺構

(12)

後半 期 の官 衛遺構 と して は、敷 設 され た石敷 は遺存 しなか ったが、s B 7605の 規 模 を 明 らか に し、 区画 の北東 隅近 くに

2棟

の南北 棟 が存 在 す る ことを確認 した。

官 衡

Bの

東 方 で は、 宮 内先行条坊 で あ る東 一 坊 大路S F 3499の 両 側 溝 を検 出 した。 道 路 の幅 員 は第25次・ 第27次調 査 で検 出 した三 条大 路 の規 模 に類似 す る。S F 3499の 道 路 心 か ら.官衡

B

の東辺 区画塀 まで の距 離 は

11.8m(40尺 )を

測 り、 これ を東方 に折 り返 した位 置 に東 方 官 衛 北 地 区 の官 衛 の西辺 区画塀 を検 出 した。 この官衛 区画 は官衛

Bと

南辺 を揃 え るが、 西 辺 の区画塀 S A 8570が 第38次調 査 区 に も延 び る (S A 3500)こ とか ら、 官衡 の北辺 は官 衡

Aの

北 辺 と揃 う 可能 性 が高 い。 したが って新 た に確認 した官衛 は、官衛 A・

B二

区画 を一 体 に した南 北 長 を も つ もの と推 測 で きる。東 西 の規模 につ いて は、東面北門 の調査以 降継続 的 に実施 した一連 の調 査 で該 当 すべ き東辺 の区画塀 を検 出 して いな い。 東方官衛北地 区の建物配 置 は、長 大 な建物 が 東 西 に並 列 して建 ち並 ぶ特徴 が認 め られ、 仮 に大 垣 まで の 占地 を想定 す ると

193m(650尺 )近

い規模 とな る。

内裏 東 官衡 地 区 と東方 官衛北地 区 の間、 幅80尺の空間 には、先行条坊道路 を拡 幅 した宮 内道 路 が位 置 す る。宮 内道 路 の両側 溝 は不 明瞭 で あ ったが、道路 の幅員 は70尺前 後 に復 原 で きる。

宮 内道 路S F 8625に 面 す る官衛

Bの

東 辺 に開 く門 は存在 せず、官衛

Bの

出入 回 は南辺 と西 辺 で 確 認 した 2カ 所 に限定 されて いたよ うで あ る。

今 回 の調 査 で特筆 され るの は、官衛 区画 や宮 内道路 の存在 に制約 されない桁行13間の南 北 二 面 庇 付 建 物 の発見 で あ る。桁行総長117尺 (34.5m)、 梁 間 総 長43尺 (梁行 総 長

12.8m)の

大 型 建 物 で あ り、 遺構 の重複 関係 か ら、先 行条 坊 で あ る東一坊大路 の側溝埋 め立 て後 に建 て られ、

宮 衛

Bの

区画 塀 の建 設 時 に は既 に存在 しな い ことか ら、宮造営 時の短期 に営 まれた建 物 と推定 で きる。 これ まで に発 見 した藤原宮 の建物 の中で も最大規模 の建物 であ るが、柱穴 や柱痕跡 の 規 模 、配 置 な どか らみて恒久 的 な施設 とは考 えが た く、 その位 置か ら大極殿 や朝堂 院 な ど、宮 の中枢 施 設 の造宮 に際 して設 け られ た仮設建 物 の可能性 が高 い。

以 上 の よ うに今 回 の調査 によ って、 内裏 東 官 衛地 区 と東方官衛北地 区 にお け る空 間利 用 の状 況 とそ の変 遷 が よ り明確 にな った。

7世

紀 後 半 の状況 に限 って も、

① 先 行 条 坊 の施工期 …先行条坊 の側溝 に沿 う据立 柱塀 による区画 を設 け、 内部 に建 物 を営 む藤 原 宮造 営 の直前期

② 藤 原 宮 の造 営期 …先行条 坊 の側溝 を埋 め立 て、建 物 を撤去 して大型 の仮設建物 S B 8561を 建 設 す る時期

③ 内裏 東 官 衛 地 区・ 官衛

Bの

造 営期 (藤原 宮 期 前 半)

④ 官 衡

Bの

改 修 期 (藤原 宮 期後半)

⑥ 官 衡 の解 体 期

とい う変 遷 を確認 す る ことがで きる。① と③ 〜⑤ にか けての変遷 の大筋 は、 内裏東 官 衛 にお い て広 く認 め られ ると ころで あ り、近年、西方 官衛 に も共通す る ことが明 らか に な りつ つ あ る。

しか しなが ら宮造 営 の直前期 と した時期 だ けをみて も、 同時期 に重複 関係 を もつ遺構 が か な り 存 在 し、 さ らに複 雑 な変遷 をた どるよ うで あ る。 これ は先行条坊 の施工 時期 や、宮 の造 営・ 整 備 過 程 、 宮造 営 直前期 の遺構 の性格 を ど う理 解 す べ きか とい う問題 と密接 に関係 して お り、今 後 、 これ まで に得 られ た調査成果 を子細 に検 討 して、整合的 に問題 の解決をはか る必要 がある。

(13)

2  東方官行南地区の調査

78‑1次

調 査 (1995全F4ゲ])

本調 査 は農 小 屋新 築 に と もな う事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 は、 藤 原宮 東方 官衛 南地 区 の西 辺 を 限 る道 路 上 、 つ ま り宮 南面 東 門 か ら宮 北 面 東 門 にいた る南 北 宮 内道 路S F 8625(先行 条 坊 東 一 坊 大 路

)の

路面 上 、 と推 定 され る位 置 で あ る。調 査面 積 は25だ

基 本層序 は地表面 か ら、近代 の整地土・ 旧耕作土・ 明褐灰色土・ 明茶 灰 色 土 (地)・ 茶 褐 色 土 (地

)で

あ る。 明茶灰色上 の上面 で柱穴群 を検 出 した。 柱穴群 は建物 か塀 の一部 と考 え られ、 いず れ も北 で わず か に西 にふ れ る。柱穴群 は重複 関係 か ら

4期

に分 け る こ とが で き る。

以下 、古 い ものか ら順 に記 す。

S B 8420は 、 東 西 に2.4m離れ て あ る2つの柱穴 で、東西棟 の北辺 の一部 と考 え られ る。東 の 柱掘 形 は東 西1.lm・ 南 北0。9m、 西 の柱掘 形 は東西 0.9m。 南 北1.3m、 と もに長方形 で あ る。 西 側 の柱 穴 が建物 の西 北 角 にな る可 能 性 もあ ろ う。

S B 8421は 、 東 西・ 南 北 方 向 と もそ れ ぞれ2.7m離れて あ る4つ の柱穴 で、庇 の一部 と考 え ら れ る。柱 掘形 は1.lmの 方形 で、 直径40cmの柱痕 跡 を残 す 。 柱 掘 形 の底 に は人 頭 大 の石 を敷 い て柱 の礎 盤 と して い る。

S B 8422は 、2.4m離れ て あ る大規模 な柱穴2つで、建物 も しくは塀 の一部 と考 え られ る。柱 掘形 は一 辺

16mの

方形 、深 さ約60cmで、 柱 抜 き取 り穴 を もつ。

S B 8423は東 西 2.7m・ 南北 2.4mの 間 隔 で あ る

4つ

の柱 穴 で あ る。 東 西 棟 も し くは南 北 棟 の 庇 の一 部 と考 え られ る。 柱 掘形 は東 西0.9m。 南北 0.8mの 長方 形 で 、 いず れ も柱 抜 き取 り穴 を

もつ。

遺 物 は、 弥 生 時代 、古 墳 時代 、

7世

紀 代 の土 器 が少 量 出上 した。S B 8422の 柱 穴 か ら

7世

紀 中頃 の須 恵 器 が 出土 し、S B 8423の柱抜 き取 り穴 か らは藤 原宮 期 の上 師器・ 須恵器 が出上 した。

X=166,64]

Fig,9 

78‑1次

調査遺構図 (1:100) Y=■7,168

Fig 8 調査位 置図 (1:2000)

(14)

調 査 面 積 は さ して 広 くな か った が 、

4期

に わ た る柱 穴 群 を検 出 した。 調 査 地 の位 置 が、 藤 原 宮 の南 面 東 門 と北 面 東 門 を結 ぶ 宮 内道 路 S F 8625の 路 面 上 と推 定 され る こ と、 そ して 出 土 土 器 が

7世

紀 中 頃 か ら藤 原 宮 期 まで の もの で あ る こ とを勘 案 す る と、 柱 穴 群 は藤 原 宮 に先 行 す る時 期 の建 物 と推 定 され る。 これ ま で に も、 内裏 東 官 衡 地 区 の南 部 を 中心 に、

7世

紀 中 頃 以 後 、 藤 原 宮 直 前 まで の時 期 の建 物 や塀 が 見 つ か って い る。 な か で も藤 原 宮 第 71次 調 査 (『概 報24』 pp.

7〜 16)で

は、 建 物

9棟

か ら10棟が 、 第 78次 調 査 (pp.5〜

16)で

4棟

が 検 出 され た。 これ ら の建 物 もす べ て方 位 が北 で わ ず か に西 におゝれ て い る。 今 回検 出 した建 物 も これ らの建 物 群 と関 連 す る こ とが推 測 され 、 藤 原 宮 造 営 以 前 の土 地 利 用 状 況 を把 握 す るの に重 要 な地 域 で あ る。

78‑5次       (1995年

8月)

本 調 査 は、 農 業 用 倉 庫 の建 て 替 え に と もな う事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 は、先 行 条 坊 四条 大 路 と東 一 坊 大 路 の交 差 点 の や や東 に あ た る。 調 査 面 積 は16∬

盛 土 (約30cm)と 旧耕 土・ 床 土 (約

30om)を

除 去 し、 遺 構 面 (黄褐 色 土 上 面

)に

達 した 。 調 査 区 西 北 隅 で 土 坑 を

2基

を検 出 した以 外 に遺 構 はな く、 下 位 の暗黄 褐 色 土 上 面 で も遺 構 は検 出

され な か った。 土 坑 か ら出土 した遺 物 は、 弥 生 時 代 末 期 の上 器 片 の みで あ った。

さ らに調 査 区北 辺 と西 辺 を20〜40cm掘 り下 げ、 水 成 堆 積 層 を数 枚 検 出 した。 これ らの 土 層 は 東 か ら西 に傾 斜 す る。 調 査 区北 辺 の 明黄 褐 色 砂 質 土 層 か ら弥 生 時代 か縄 紋 時 代 の サ ヌ カ イ ト製 剥 片 が

1点

出土 した。

藤 原 宮 期 お よ び そ の 直 前 期 の遺 構 が 何 ら検 出 され な か った こ と は、 本 調 査 区 が先 行 条 坊 四条 大 路 上 に位 置 して い る とい う予 想 を裏 付 けて い る。 そ れ以 前 の遺 構 は土 坑

2基

の み で あ り、 遺 物 もほ とん ど な い。 下 層 の上 層 堆 積 状 況 か らみ て 、 調 査 区 お よ び この西 方 にか けて の古 墳 時 代 以 前 に は、 南 北 方 向 の 自然 河 川 か 湿 地 が あ った と考 え られ、 上 面 を居 住 地 とす るに は不 適 切 な 環 境 で あ った と推 定 で き る こ と と関 連 しよ う。

(15)

西方官行 北地 区 の調 査

75‑14次

(199y平 )

この調 査 は、 市 道 小 房 東 池 尻 線 の歩 道 拡 幅 に と もな う事 前 調 査 と して 、橿 原 市 縄 手 町 で実 施 した。 調 査 地 は西 方 官 衡 北 地 区 の西 北 部 に あ た り、 西 面 内 濠 が 調 査 区 の西 辺 部 で 検 出 で き る も の と予 想 され た。

道 路 造 成 に伴 う盛 上 の 直 下 、 黄 灰 色 粘 質 土 上 面 で遺 構 を検 出 した。

掘 立 柱 建 物 S B 8380は 、 調 査 区 中央 で 検 出 した南 北 棟 建 物 。 南 妻 と考 え られ る

3個

の 柱 穴 を 確 認 した。 梁 間 は

2間

で 、 柱 間 は

1.8m(6尺 )等

間 で あ る。 北 で 東 に

7度

応ゝれ て い る。

土 坑 S X 8381は 、 S B 8380の 東 で 検 出 した浅 い方 形 の上 坑 。 南 北 長 は不 明 だ が 、 東 西 長 は3.5

mあ

り、 深 さ は25cmであ る。 底 面 は平 坦 面 を な す が、 特 に叩 き締 め た よ うな痕 跡 は な い。 性 格 は不 明 で あ る。 S B 8380と 同 様 に北 で 東 にふ れ て い る。

沼 状 遺 構 S X 8382は 、 S B 8380の 西

6mほ

どで東 岸 を確 認 した。 さ らに調 査 区 外 西 に広 が る た め、 そ の規 模 や形 状 は明 らか で な い。 現 状 で 東 西 幅 は11.5m以 上 あ り、 深 さ は1.4mあ る。 上 か ら40cmほど は埋 め立 て の 土 (黄褐 灰 色 砂 質 土 。淡 灰 褐 色 砂 質 土

)で

、 そ の下 は堆 積 土 (淡 灰 色 粘 質 土・ 暗 灰 色 粘 土

)で

あ る。 堆 積 土 か ら、 藤 原 宮 式 軒 平 瓦

6641Fが 2点

と、 英 斗 瓦

3点

ほか 、 丸 瓦 。平 瓦 が 出上 した。

調 査 の結 果 、 西 面 内 濠 想 定 位 置 で 沼 状 遺 構 S X 8382が 検 出 され た。 堆 積 土 か らは藤 原 宮 式 軒 瓦 が 出土 した が 、 S X 8382が 藤 原 宮 期 に存 在 した の か 、 あ る い は藤 原 宮 廃 絶 以 後 にで き た も の で あ るの か は明 らか で な い。

78‑4次

(199Ы 手6月)

この調 査 は、 個 人 住 宅 新 築 に伴 う事 前 調 査 と して、 橿 原 市 縄 手 町 で お こな っ た もの で あ る。

調 査 地 は、 先 行 条 坊 四条 々 間 路 の想 定 位 置 に あ た る。 四 条 々 間 路 の 南 北 両 側 溝 の確 認 を主 目的 に、 幅1.5〜

2mの

調 査 区 を 南 北

12mに

わ た って設 定 し、 調 査 を お こな った。

調 査 区 の層 序 は上 か ら、 盛 土 。旧耕 作 土・ 床 土 。茶 褐 色 土・ 暗 灰 褐 色 微 砂 の 順 で あ る。 現 地 表 下 約1.3mの 暗 灰 褐 色 微 砂 層 の上 面 で 遺 構 検 出 を お こな っ た が 、 検 出 した 遺 構 は、 耕 作 土 か ら掘 り込 ま れ た素 掘 りの東 西 溝

1条

だ けで 、 先 行 条 坊 四 条 々 間 路 や 藤 原 宮 に関 連 す る遺 構 や 遺 物 を検 出 しな か った。 過 去 に周 辺 で お こな った調 査 で も同 様 の成 果 が え られ て お り、 藤 原 宮 あ

る い は そ の 直 前 の遺 構 はす べ て 後 世 に削 平 され た もの と考 え られ る。

絲 鰯 Ⅷ 紳 騨 甫

帥 動小姉翌館

Fig.11 75‑14次調査遺構 図 。土層 断面 図 (11250)

(16)

西 方 官 衛 南 地 区 の 調 査 (第79次・ 第

80次

)

(1995年 6月 〜1996年 2月)

第79次調 査 は保 育所建設 に と もな う事 前 調 査 (面1,320だ)、 そ の西 で実 施 した第80次調 査 は宅地 造成 に と もな う事前調査 (面1,780だ

)で

あ る。 調 査 地 は藤 原 宮 西 方 官 衛 南地 区 の東 南 隅 、 つ ま り西面南 門 か ら東 に向か う宮 内道路 (先行 条 坊五 条大 路

)が

、 南 面 西 門 と北面 西 門 を結 ぶ南北 方 向 の宮 内道路 (先行 条 坊 西 一 坊 大路

)に

交 差 す る地 点 の北 西 に位 置す る。 当調 査 部 で は20数年 来 この付 近 で、 鴨公小 学 校 の移転 や 四分 団地 の建 て替 え な どに と もな う調査 を重 ね、以 下 の成果 を得 て きだ。

 

藤 原 宮造営 に先行 して、五 条 々間路 や西二 坊 々間路 な どの条坊道路 が設 け られていた (第

5〜 9次

『 報 告 Ⅱ』)。

 

藤 原 宮 直前期 の宮 内先行条 坊五条 西 二 坊 の東 南坪 内 に、 四方 を掘立柱塀 (S A 1215。 1216・

6985・ 7000)で囲 まれ た、 東 西 に長 い官 衛 風 の大 型 区 画 (以下 、 区 画

Aと

よぶ

)が

あ った

(第 6・ 8・ 9・

63‑8・ 63‑10076次

『 報 告 Ⅱ』『概報21・ 25』)。

 

藤 原 宮造 営 時 に五条 々間路 と西二 坊 々間路 の側溝 を埋 めて長大 な建 物 が

4棟

建 て られ る。

これ らは馬寮 と関連 す る可能 性 が あ る (第

5〜 6次

『 報 告 Ⅱ習)。

 

西 面 大 垣 南 門 の内濠 か ら薬物 に関 す る木 簡 と薬石 が 出土 したので、 付近 に典薬寮が あ った 可 能 性 が あ る (第

58‑1次

『 概 報19』)。

 

79・ 80次調 査 地 の南 に は弥生 時代 と古墳 時代 の集落跡 で あ る四分 遺跡 の中心 部 が あ る。

第76次調 査 な どで弥生 時代 の方形 周 溝 墓S X 8220 0 8221と 遺 物 包 含 層 、 S D 3100な ど古 墳 時 代 の河川 数条 が みつ か り、 四分遺 跡 北 辺 の情報 を得 た (『報 告 Ⅲ』『 概 報25習)。

この よ うな ことか ら、第79・ 80次調 査 で は、宮 内先行条坊 の五条大 路 と西一 坊大路 の検 出 が 予想 され、 それ らが どのよ うに宮 内道 路 と して踏 襲 され たのか、 また五 条大路 と区画

Aの

南 辺 S A 7000と の間 の空 間利用 につ いて の情 報 もえ られ ると予想 された。 さ らに、古墳時代 の河 川 の続 きや、 四分遺跡 の弥生集落 の北 辺 の区画施設 な どがみつか ることも期待 され た。

79セk 80セk

基 本 層 序

第 79次 調 査 区 は、 現 代 の廃 材 を含 む盛 土 層 が 厚 くあ り、 耕 土・ 床 土 と続 き、 黒 灰 色 土 上 面 で 藤 原 宮 期・ 藤 原 宮 直前 期 お よ び、 古 墳 時 代 の遺 構 検 出 を お こな った。 一 方 、 比 較 的良 好 な土 層 が残 って い た第80次 調 査 区 で は、 盛 土 (淡 灰 色 バ ラ ス、 黄 白色 砂 礫)・ 耕 土・ 床 土 と続 き、 藤 原 宮 期・ 藤 原 宮 直 前 期 の遺 構 を、 淡 灰 褐 色 土 ま た は淡 褐 色 砂 質 土 の上 面 で検 出 した。 下 層 調 査 区 にお いて は、 後 述 す る弥 生 時 代 中 期 の環 濠 を 明 瞭 に検 出 す る た め に、 最 終 的 に は地 山 で あ る暗 緑 灰 色 微 砂 層 上 面 ま で 掘 り下 げ た。 下 層 調 査 区 の層 序 につ いて は、 後 述 す る。

宮期・直前の 遺構旗出面‐

Fig,12 79。 80次 調査区基本層序模式図

(17)

西

SA 8430

西 面 南

P弓

58‑1次(北)

SD6358 五条大路

Fig。13 西方官衛南地区・ 西南官衛地区遺構配置図および調査位置図

次   hu 79

  日 H H H H H 58‑1女

(南)

!   

西一坊大路西側溝

59次

日 H H H

口  :   :

(1:1500)

Ч

嘲 田

72次

69次

  ゴ

75‑18次

<条 々間路

51次

隊 

  ﹇

]

(西)I(東)

(18)

上 層遺構 の調査

藤 原 宮 直前 期・ 藤原 宮期 の遺構

道 路側溝

2条

、 掘立 柱塀

5条

、掘 立 柱 建 物

2棟

、井 戸

4基

、土 坑

6基

が あ る (Fig.14)。

先行 条坊五条大 路S F 6360 第80次調 査 区 で は S F 6860の 北 側 溝S D 8461と 南 側 溝 S D 8462を 検 出 した。 両 側溝 の心 々間距離 は8.5〜

9mで

あ る。北 側溝S D 8461に は新 旧

2時

(A・

B)

が あ り、

Bは

後 に掘 り直 した もの とみ た。 S D 8461Bは 幅約 lm、 深 さ は調 査 区 東 端 で約25cm あ るが、西 に向か って浅 くな り、約

29m分

を確認 した に とどま った。 国土座標 に対 して西 で若 干 南 にふ れ る。 S D 8461Aは

Bの

底 で検 出 した。調査 区東端 で深 さ約15cmあ り、

Bと

同 様 に西 で浅 くな る。 約

7m分

を確認 した。 また、S D 8461は 第

58‑1次

調 査 にお いて西 面 南 門 の東 で 検 出 した北 側 溝S D 6358の東 の延長 上 にあ る とす る と、 これ らをつ ないだ時 の国土座 標 に対 す るふ れ は、西 で南 に約

1度

で あ る。S D 8461と S D 6358は 同一 の側 溝 で あ ろ う。 南 側 溝

SD

8462は幅約 lm、 深 さ は調 査 区東端 で約25cmで、 西 に い くほ ど浅 くな る。約

24m分

を検 出 した。

西 で若 干 南 にふ れ る。S D 8462が S D 8461に平 行 して い る と仮定 した場 合、その位置 は、第

58‑

1次

調 査 にお いて壁 面 で確認 したS F 6360の 南 側溝S D 6359の 北 約 3.8mに あ る。 S D 8462と S D6359は別 の溝 で あ ろ う。 なお、第79次調 査 区 で は遺 構 面 が後世 削平 されて いたの で、 両 側 溝 と先行条坊 西一坊大 路西側溝 は遺存 しなか った。

区 画

第76次調 査 (『概 報25』

)で

は そ の存 在 を否 定 した が、 区画

Aの

南 に別 の方 形 区 画 (区

B)が

存 在 した。 区画

A南

辺 の塀S A 7000の 東2/3を 北 辺 と し、 東 辺 を塀S A 8430、 南 辺 を塀S A 8465、 西辺 を塀S A 8464で 囲 む 区画 で あ る。

東辺 の南北 塀S A 8430は 、 第79次調 査 区 で

9間

(柱

2.4m)検

出 した。 区画

A東

辺 の塀 S A6985の南 延 長上 にあ り、 南北25間・ 全 長60.5mと 推定 で き る。 南 辺 の東 西 塀 S A 8465は 、 先 行条 坊 五 条 大 路 北 側溝S D 8461の 溝 心 か ら北 約

1.8m(6尺 )に

位 置 す る。 西 か ら

7間

(柱

2.5m)を

80次調 査 区 で検 出 したが、第79次調 査 区 内で は削平 され残 らな い。東 西24間・ 全 長 58.8mと 推定 す る。 西辺 の南北塀S A 8464も、 第80次調 査 区 で12間分 (柱間

2〜 2.5m)検

出 し た。S A 8464の 北 延 長上 に は、 第76次調 査 区 の掘 立 柱 建 物S B 8201の 東妻柱列 と南北塀S A 8205 が位 置 す る。『概報25』 で は これ らを別 々 の施設 と理解 したが、 一 連 の塀 を構 成 しS A 7000に 接 続 す る。 この結 果 、S A 8464は 全 長60.5m・ 推定30間 とな る。 区 画

B北

辺 は S A 7000の 東 か

29間分 。全 長 58.8mを 共 用 す る。 こう して、 区画

Bの

規 模 は、東 西

58.8m(200尺

)・ 南 北60.5

m(205尺 )に

復 原 で き る。 区画

Bは

全 体 に北 で西 にふ れ る。 これ はS F 6360の 北 側 溝S D 8461 のふ れ に近 い。

掘 立 柱塀S A 3466・

8467 

L字

形 の掘 立 柱 塀 で あ る。S A 8466は東 西

3間

(柱

2m)・

全 長

6mで

、 区画

B南

辺 の塀S A 8465よ り新 しい。S A 8467は南北

5間

(柱1.5〜1,7m)・ 全 長6.3

mで

あ る。

掘 立柱 建 物S B 8200 第76次調 査 で検 出 して いた掘立 柱 南北棟 で あ る。 第80次調 査 区 で 南 妻 柱 が みつ か ったので、桁行

6間

(柱間約 2.4m)・ 梁 間

2間

(柱間約

2m)に

規 模 が確 定 した。 な お、東 庇 を もつ可能 性 は残 る。

掘 立柱 建 物S B 8460 第80次調 査 区北 端 中央 にあ る掘立 柱南北棟 で あ る。西側柱 は後 世 の削 平 に よ り失 われて い る。桁行推定

3間

(柱

2m)。

梁 間

2間

(柱

2m)で

あ る。

(19)
(20)

Y=17,700

――X=‑166.818

Fig■5 井戸S E 8431と井戸 S E8432

井 戸S E 8431・ 8432・

8433 

第 79次 調 査 区東 辺 中央 に あ り、 区 画

B東

辺 の塀 の 内 側 に位 置 す る。

3基

の井 戸 は相 互 に重 複 関係 が あ り、 西 (S E 8433)か ら東 (S E 8431)の順 で 新 し くな る。

最 も新 しい S E 8431の 掘 形 は深 さ約1.8mで、 開 口部 の 直 径 は約2.4mだ が 、 上 か ら深 さ

lmの

と こ ろで一 辺1.5m前後 の方 形 とな る (Fig.15)。 底 面 は砂 礫 層 に 達 し、 調 査 時 も豊 富 に 水 が 湧 い た。 井 戸 枠 の構 造 は、 まず方 形 の開 口部 の掘 形 の四 隅 に隅 柱 を立 て る。 隅柱 に は互 い に直交 す る位 置 に

2条

の縦 方 向 の溝 を切 り、 そ こに両 端 を楔 形 に加 工 した横板 (全90cm。 幅約20cm・

厚 さ約 2 om)を数 枚 落 と し込 む。 この タイ プ の井 戸 枠 は、 一 般 的 に は隅柱 の下 に土 居桁 を置 き、

そ の 四 隅 に あ け た穴 に隅 柱 の先 を は め込 む が 、 S E 8431の 隅 柱 は掘 形 に直 接 差 し込 ま れ る。 そ の た め構 造 的 に不 安 定 とな り、 か つ井 戸 下 半 部 の掘形 が む き出 しにな るので、井 戸枠 の西・ 南・

東 面 の外 側 に、 先 端 を楔 形 に加 工 した縦 板 を数 枚 打 ち込 む か 、 挟 み込 ん で 井 戸 枠 を 保 護 す る。

そ れ で も北 面 の井 戸 枠 は裏 込 め の土 圧 に耐 え きれ な くな った の で 、 杭 と梁 で 修 理 して い る。 井 戸 枠 内 の埋 め土 か ら国 内 初 見 の星 座 「 羅 堰 九 星 」 を描 い た呪 符 木 簡 が 出上 した。 井 戸 の埋 め土

は均 質 で 、 一 気 に埋 め戻 され た よ うで あ る。

S E 8431以 前 に は、 ほ ぼ 同 位 置 に S E 8432が あ った。 掘 形 は上 面 で 一 辺 約

4mの

方 形 を し、

深 さ1.8mあ る。 本 来 は土 居 桁 隅 柱 溝 落 と し込 み横 板 組 の 井 戸 枠 を 設 置 した 井 戸 だ が 、 大 半 の 横 板 と隅 柱 が 抜 き取 られ 、 北 面 の横 板 が下

2段

とそ の下 の 上 居 桁 (一 辺 約

1,3m)が

ほ ぼ 原 位 置 で 残 され て い た にす ぎ な い (Fig。 15)。 井 戸 底 に は石 が 敷 き詰 め られ て い た。 S E 8432と 、S

S E 8431の呪符木簡 出土状況 (北 か ら)

S E 8432の土居桁 (南 か ら)

Fig■ 5  井戸 S E 8431と 井戸 S E8432
Fig 19  井戸 S E8470出 土軒丸瓦 6278D(114) 木 製 品   土 坑 S K 8471か ら、 漆 器 、 奢 1り 物 の箱 、 杓 子 、 工 具 の柄 、 横 槌 、 総 横 木 、 独 楽 な ど が 出上 した。 ほか に、 井 戸 S E 8470か ら自在 鈎 が 出土 した。 金 属 製 品   鉄 釘 、 鉄 鏃 、 海 獣 葡 萄 鏡 な どが あ る。 海 獣 葡 萄 鏡 (Fig.20)は 、 第 80次 調 査 区 か ら 出上 した。 儀 鏡 化 し、

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