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<発表>和辻哲郎と濱田義文 : 社交性、和辻哲郎文 庫、源泉への遡行

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<発表>和辻哲郎と濱田義文 : 社交性、和辻哲郎文 庫、源泉への遡行

著者 笠原 賢介

出版者 法政哲学会

雑誌名 法政哲学

巻 2

ページ 91‑98

発行年 2006‑05

URL http://doi.org/10.15002/00007945

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濱田義文先生追悼シンポジウム発表

濱田義文先生のお仕事について、和辻哲郎との関係という観点から述べてみたい。濱田先生は、戦後まもなくの一九四七年から一九五○年まで東京大学文学部で倫理学を学ばれた。和辻とは、濱田先生ご自身が書かれているように「和辻哲郎の停年退職直前の最後の二年間の講義を学生として聞き、演習で指導を受けた」(1)という関係にあることになる。濱田先生は和辻哲郎から有形無形の薫陶を受けられたと推察されるのである。しかしながら先生はその後、’九五二年の論文「カントの『美と崇高との感情に関する観察』についてlカントの

和辻哲郎と濱田義文

l社交性、和辻哲郎文庫源泉への遡行I

人間学的把握のこころみ.とくにリゴリスムスとのつながりにおいてl」(2)を初めとして、周知のように、カント研究一筋の道を歩まれてゆく。お仕事において先生は、当時の和辻とは別の方向を辿られたと言うことができよう。というのも、例えば、一九五○年に出た和辻の著書『近代歴史哲学の先駆者Iヴィコとヘルダーー』においては、カントに対する和辻の批判的なスタンスが、ヘルダーとの対比において績繕展開されているからである(3)。もっとも、この同じ年に和辻の『鎖国l日本の悲劇』が出ていることも忘れてはならない。『鎖国』は、「『近世』というものを初めから考えなおしてみる」という問題意識から、ヨーロッパ近世、およびそれと接触する日本を描い

笠原寳介

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た作品であるが(4)、濱田先生のカント研究も近代ヨーロッパを根本から再考察するというそのような和辻の問題意識を継承するものであったとも言えよう。しかしながら、『鎖国』における和辻が十五世紀から十六世紀のヨーロッパ、ポルトガルのヘンリ航海王子に象徴されるヨーロッパに向かったのに対して、濱田先生の向かわれたのは十八世紀のカントであった。しかも従来の研究とは異なって、周知のように、カントやドイツ観念論に考察を限定せず、アダム・スミスやルソーを初めとする同時代ヨーロッパの広汎な思想的・社会的脈絡を視野に収めた研究を展開されてゆかれたのであった。とりわけ、先生が『道徳感情論』と『諸国民の富』の著者であるスミスを重視したことは和辻との関わりにおいて注意されるべき点であると思われる。というのも、『続日本精神史研究』(一九三五年)に収められた和辻の論文「現代日本と町人根性」(’九三一一年)にも示されるように、「排他的同業組合精神」(5)の対極にある自由で公正な経済活動について、和辻はその倫理学的、社会哲学的な意義を見ることがなかったからである(6)。濱田先生が和辻哲郎を主題的に論じたのは、先生の「業績一覧」(7)によれば、一九八七年の「和辻哲郎と三木清」をもって初めとする。以後、一九九○年に「和辻哲郎管見」、九三年に「和辻哲郎の思想世界」、九五年に「和辻哲郎の環境論」など、先生の一連の和辻論が書かれてゆく。一九八 人年の論文「倫理学とは何かl近代倫理学の検討を通じてI」では、ホッブズとの連関で和辻倫理学の検討がなされている(8)。「和辻哲郎と三木清」が書かれた一九八七年と言えば、その前年に先生が監訳されたカッシーラーの『カントの生涯と学説』が出版され、八九年には『カント読本』が編まれている。先生が自身のカント研究を総括されるなかで、かつて学んだ和辻の思想を顧み、その考察に進まれていったものと推察されるのである。以下、このような濱田先生の和辻への取り組みの特徴と意義、あるいはまた、先生のカント研究と和辻思想との接点に関して、三点にわたって述べてみたい。

第一点目は〈社交性(、・・重言いい・畠ワニ虜.oの⑫の一一祠【o一〔)〉である(9)。先ほど来、濱田先生の研究を専ら和辻との対比において述べてきたが、この〈社交性〉という事柄において、先生の研究は和辻と隠れた接点を持つと思われるのである。〈社交性〉が主題化されているのは、『カント読本』のなかの「カントの人間と思想」においてである。先生は、ヤッハマンのカント伝やカントの『人間学』などに拠りながら、実社会に生活する人間への共感に支えられたカントの

社交的な生活態度の意義を強調している(19。〈社交性〉と

は、「自分を一市民とみなし、他の市民たちとの広い交際を

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通じて人間性を陶冶するという生き方であり」、この精神的態度が、カントの重視した「複数主義(石旨&]尉曰)」の思想につながってゆく、とするのである。「複数主義」とは、「思考の自主性(の①一宮aの二のロ)」(11)を保ちながらも、「自説を絶対視せず、他人の別の視点に身を移して自説を検討しようとするものであり、様々な人々の複数の眼で見る見方」のことであるT2)。先生がカントのこのような側面に注目されたのは、それがカントの哲学的営みと内容的につながっており、それを真に理解するための不可欠の前提と考えられたからである(13)。和辻というと、ゲゼルシャフトに対置された意味でのゲマインシャフト的な「間柄」をひたすら強調したという印象があるが、彼の代表作の一つである『風土l人間学的考察』(一九三五年)において〈社交性〉に関わる主題が登場していることにも注意が払われてよいと思われる。この主題が登場するのは、『風土』第三章第二節「日本」においてである。同節の(イ)「台風的性格」において和辻は、ヨーロッパにおける「距てある個人の間の社交」を日本の「家」における「距てなき間柄」に対置している(14)。「日本人は外形的にはヨーロッパの生活を学んだかも知れない。しかし家に規定せられて個人主義的・社交的なる公共生活を営み得ない点においては、ほとんど全くヨーロッパ化していないと言ってよいのである」とするのである(15)。この ような批評的観察は、同節のs)「日本の珍しさ」においてさらに展開されてゆく。ここで言う「珍しさ」とは、日本の大都市の家並みが「大名行列に対して土下坐している平民どものように」自動車や市街電車に「いくじなくへい

つくばっている」(16)という、主客転倒した「珍奇な」(17)

光景のことである。和辻はこの印象を出発点にして、ヨーロッパの都市自治の伝統と日本の都会を対比的に描き出してゆく。外に対して閉ざされた。家」の内部におけるへだてなき生活」のみに関心を抱く心性の風土のなかでは、「領主が誰に代わろうとも、ただ彼の家を脅かさない限り痛痒を感じない」「忍従」が発達しT8)、主客転倒した都市のあり方が出現することになる、とするのである。さらに和辻

はこの問題を「日本の議会政治」に関係付けてゆく(18。

「台風的性格」の後半において「家のアナロギー」に基づく「国民の全体性」が禍禍しく強調されていることを無視してはならないが、以上のような主題が『風土』のなかに登場することにも注意が払われてよいであろう。〈社交性〉に関わるテーマは、「和辻自身すらその意識への全面的な統合にはかならずしも成功していないとおもわれる発想」(20)の一つと言えるのかもしれない。「日本の珍しさ」は、ヨーロッパでの在外研究から帰国の直後、’九二九年四月に雑誌『改造』に発表されたエッセーである(21)。ただし和辻は〈社交性〉に関わる事柄を専らヨーロッパ

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第二点目は、先生の和辻そのものへの取り組みに関わる点、法政大学所蔵の和辻哲郎文庫についてである。和辻は大正時代の末期、一九一三年から一一五年にかけて法政大学文学部の前身である文学科の教授を務めた。東大教授時代にも、一九一一一五年から三七年まで法政大学文学部に出講している。そのような縁で、没後一年目の一九六一年に全蔵書が一括して、和辻の親友で法政大学教授であった谷川徹三の仲介で本学に寄贈された(26)。和辻哲郎文庫はその後長らく放置されていたが、’九八五年より図書館長を務められた濱田先生がその整理を開始し、九四年に『法政大学図書館所蔵和辻哲郎文庫目録』、九五年に『和辻哲郎文庫断簡資料』がまとめられていった。その際に先生は、「和辻文庫の生命は、和辻の読んだ書物への書き込みにあるといって過言でない」(27〉として、その保存と研究のためのプロジェクトを組織し、その成果が『和辻哲郎の思想と学問に関する基礎的研究付法政大学所蔵和辻哲郎文庫マイクロ

フィッシュ収録目録』(28)として九三年に刊行されている。 の中・近世的な都市に結びつけ、「共同の敵」(22)に対抗す る「城壁の内部における共同の生活の訓練」(23)を強調す

るのに対し、濱田先生は十八世紀的なパブリック・スペイス、「オープン・ソサイエティ」(24)に相関するものと考えておられたと言えよう(25)。 先生のこのような取り組みと時を同じくして、和辻生誕一○○年の年である一九八九年からは、第三次の『和辻哲郎全集』が岩波書店から刊行されていった。第三次全集は、それまでの編集を大きく見なおして、小篇集を大幅に増補、さらに著作年表、書簡集、講義ノート、メモ、講演、草稿類などを補い、和辻思想を激動する時代における生成の相のもとで捉えるための手がかりを提示しようとするものであった。和辻哲郎文庫の整理、蔵書への書き込みの保存と研究を行なわれた濱田先生の取り組みは、この第三次『和辻哲郎全集』の編集方針に呼応するもの、否、文献学的な徹底性という点においては、それを一歩進めるものであった(29)。先生のお仕事は、今後必要となるであろう、和辻思想を彼が受容した諸思想との関わりのなかで考察するための学問的基礎を築かれたものと言えよう。単なる顕彰や図式的な批判、細部への拘泥ではなく、過去から現在までの歴史的・文化的脈絡を解きほぐしながらの対話、批判、思想的営みに道を開くためのものである。

第三点目は、濱田先生の和辻哲郎論についてである。先生が包括的な形で和辻哲郎論を展開されたのは、一九九○年の「和辻哲郎管見lその思想発展を中心としてl」においてである(39.先生は、湯浅泰雄、梅原猛、R・N・ベラ1などの先行研究を検討しながら、和辻の広汎な思想的

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営みについての見通しを提示している。和辻思想の決定的な転換点を一九二○年の『日本古代文化』に見て、以後、『倫理学』に至るまでの諸著作に思想的な一貫性があるとするのである。考えられているのは『日本精神史研究』、『原始基督教の文化史的意義』、『原始仏教の実践哲学』、『風土』などの作品群である。それらは、時に指摘されるような大正教養主義的な拡散の所産ではなく、『日本古代文化』に見られた「〈源泉への遡行〉」とも言うべきモチーフ、「人間の生活」の「原初的姿」、「人間存在の原型」を求道的に解明しようとするモチーフ(31)が一貫しているとするのである。その際に先生は、レオ・フロベニウスの『アフリカ文化史【忌言愚図・言ロヨの』、(百国』(一九一一一一一一年)をいち早く紹介した和辻のエッセー「アフリカの文化」(一九三七年)や『日本古代文化』を一九三九年に改稿した際に書き加えられた「フロベニウスの所謂国の言雰弓の一一」という一一一一百葉(『日本古代文化』第五章「上代の宗教、道徳、美術」第一節「信

仰と神話」)(32)に着目し、和辻の「〈源泉への遡行とがシ

ョーヴィニズム的なものではなく、人類的な視野の広がりを持ったものであったことを強調している(33)。「和辻哲郎管見」の末尾で和辻思想の問題点を数点にわたって指摘していることが示すように、先生のこのような和辻論は、和辻に共感的に入り込むと同時に批評的な距離と留保を伴なったものであり、カントを主軸とする先生の

研究に安易に繋げることは妥当ではないであろう(34)。し

かしながら、ここで思い起こされるのが、先生がアルセニイ・グリガの『カントその生涯と思想』の邦訳二九八三年)のあとがき「カントとリガ市周辺」のなかで、カントの内にハーマンやヘルダーと同質の「強い東方の牽引力」が働いていることを指摘され、リトアニア語辞典に対する

カントの推薦文の意義を論じていることである(35)。ある

いはまた、先生の訳されたカッシーラー『カントの生涯と学説』が、通例のカント論とは異なって、ゲーテやヘルダーにも固有の思想的意義を認めながらカントを描き出している点である(36)。先生が強調されたく複数主義〉、〈世界市民〉の立場は、硬直した意味での普遍主義ではない。和辻は『近代歴史哲学の先駆者』においてカントとひたすら

対立するヘルダー像を提示した(;)。意識的・無意識的に

大きな影響を与え続けてきたそのような見方をも今日の研究成果によって再検討しながら(38)、先生がわれわれに残された課題を思考してゆくことが求められていると思うのである。(1)浜田義文「法政大学所蔵「和辻哲郎文庫」のこと」、「和辻哲郎全集(第三次)月報」二、岩波書店、一九八 注

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九年、四頁。(2)熊本大学法文学会『法文論叢』第三号、一九五一一年。(3)『近代歴史哲学の先駆者Iヴィコとヘルダーー』第三章「ヘルダーの歴史哲学」、『和辻哲郎全集』第六巻、岩波書店、三九六頁以下。(4)和辻哲郎『鎖国1日本の悲劇』(下)、岩波文庫、一九八一一年、「解説」(生松敬三執筆)参照。(5)浜田義文『カント倫理学の成立イギリス道徳哲学及びルソー思想との関係』補論一「イマヌエル・カントとアダム・スミス」、勁草書房、一九八一年、二一一一頁。同箇所で先生は、スミスの『諸国民の富』第四編第二章からこの言葉を引いている。(6)濱田先生の和辻論「和辻哲郎管見」では、「『倫理学』人倫的組織の中の「経済的組織」の叙述においてマリノフスキーの研究成果を活用して原始経済のあり方に注意を向け、それが高い倫理的価値を持つとするその考察は先駆的で示唆的である。しかしそれでもって直ちに近代のゲゼルシャフトとしての利己主義的あり方を批判するのは短絡的にすぎる」と述べられている(法政哲学会『法政哲学会会報』第八号、一九九○年、一六頁)。(7)『哲学年誌』第一一四号、一九九一一年、三○頁以下。(8)『倫理学とは何か』日本倫理学会論集一一三、慶應通信、’九八八年、二八頁以下。 (9)哲学的、思想史的概念としての〈社交性〉については、シ耳・◎曾農時蔚騨冨起房ご畳&図一三奇忌冨&烏、票言匂&言・

肩.ご・ご]・国耳①『F【①己三豊ロ周の二二]罰およびシヨ・

Q2皇億百量冒起冴ご畳&⑩二二:忌撞&烏、二§、罵肩・く・ロ。.ごa目、.『ご曰函①ロ]し褐寓などを見よ。命)浜田義文『カント哲学の諸相』、法政大学出版局、一九九四年、二頁以下。カントの社交的な生活態度への着目は「カントの『美と崇高との感情に関する観察』について」のなかにすでに見られる。『カント倫理学の成立』においては、〈社交性〉に対する偉大な批判者であったルソーについて、「仁愛や社交性一般が斥けられるのではなく、既存の社会における、それらの頽落や倒錯が激しく排撃されるのであり、それを通してかえって切実に真実の人間の交りが希求されるのである」(同書、九三頁)と述べられている点が注目される。、)浜田『カント哲学の諸相』、一○頁。企)前掲書、一一一頁。(ご前掲の「イマヌエル・カントとアダム・スミス」では、カントにおける「批判」の語とスコットランドの思想家ヘンリ・ホームの『批評の原理国豊圏冒gQ註・薑』との連関が指摘され、「[…]カント的批判の独自性と徹底性が存することは疑いないが、しかし我々はそれを批評の精神とのつながりの断たれたものとして理解してはな

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らないであろう」と述べられている(『カント倫理学の成立』一一一三頁以下)。これに関連して、「理性批判」を「理性批評」とも訳した大正期の桑木厳翼、「批評主義」を主唱した明治期の大西祝の名が挙げられていることも見落とすことができない(同書、二一六頁)。口)『和辻哲郎全集』第八巻、一四六頁。(ご同前。(ご前掲書、’五八頁。(U前掲書、一六一頁。(狙)前掲書、一六七頁。(四)前掲書、一六七頁以下。

(、)坂部恵『和辻哲郎』岩波書店、一九八六年、四頁。

なお、一九○八年、十九歳の和辻は、当時第一高等学校校長であった新渡戸稲造の唱えた「ソシアリティ」に共鳴する小論を書いている(「精神を失いたる校風」、『和辻哲郎全集』第二十巻三九九一年増補改版]、四一頁以下)。

(、)「台風的性格」は、一九三一年執筆の「国民道徳論」

草稿に遡る。草稿の一部は先にふれた「現代日本と町人根性」にもなっており(『和辻哲郎全集』別巻一「解説」、四八九頁以下参照)複雑な様相を呈している。苅部直は、大正期の和辻が民本主義論を発表していたことを指摘しているが(苅部直『光の領国和辻哲郎』創文社、一九九五年、八一頁以下)、以上述べてきた事とも関連するで あろう。ただし、和辻の在外経験と「珍しさ」というキー・ワードの理解については氏とは見解を異にする。この点については拙論「多元的思考の転生l和辻哲郎のヘルダー受容をめぐってI」(原研二他編『多元的文化の論理I新たな文化学の創生へ向けてI』、東北大学出版会、二○○五年、二○七頁以下)を参照されたい。(理)『和辻哲郎全集』第八巻、一六五頁。盆)前掲書、一六七頁。a)『イギリス道徳哲学の諸問題と展開』日本倫理学会論集一一六、慶應通信、一九九一年、一一三九頁以下。スミスの〈スペクテーター〉概念についてのシンポジウム発言。(頭)ハンナ・アーレント『カント政治哲学の講義』(浜田義文監訳、法政大学出版局、一九八七年)は、カントにおける〈社交性〉概念に光をあてる(同書、二一頁以下)が、十八世紀の思想と社会の把握、経済活動の評価においてアーレントは先生と見解を異にしている。アー

レントの十八世紀把握については、国・ン目】員g邑昏ミロミマ

ョロロ鼻国ミ⑮月二・膳琴厨g・忌匡§ご侭冒一馬ヨョロロ碁

ヨミ四・m目豆の、○三の言蜀》『宍F・己目]召Cを見よ。いずれ

にしても、カントにおける〈非社交的社交性〉ではなく〈社交性〉の意義を際立たせる点で、先生とアーレントの視点は独自の位置を占めていると言えよう。(ざ浜田「法政大学所蔵「和辻哲郎文庫」のこと」、五頁。

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(ご同前、六頁。(翌平成三年・四年度科学研究費補助金一般研究(B)研究成果報告書、研究代表者濱田義文、法政大学文学部、一九九三年。(”)三次にわたる『和辻哲郎全集』の特徴と問題点については、根来司『和辻哲郎国語国文学への示唆罠友精堂、一九九○年、六八頁以下を見よ。

(”)法政哲学会『法政哲学会会報』第八号、七頁以下。

(巴前掲誌、’一一頁。(翌和辻哲郎『日本古代文化(改稿版)』、岩波書店、一九一一一九年、三五九頁(『和辻哲郎全集』第三巻、一一六○頁)。(鋼)前掲誌、一一頁以下。一九九三年の論文「和辻哲郎の思想世界」(『和辻哲郎の思想と学問に関する基礎的研究」所収)では、和辻文庫所蔵の『アフリカ文化史』への書き込みを手がかりにして和辻の様々な作品におけるフロベニウス受容の軌跡が考察されている。亜)例えば次の点が和辻の問題点として指摘されているl「一般的に言って和辻倫理学では、人間が無意識に行っている些細な振舞の内にひそむ倫理的意義を洞察する点で比類のない冴えを示すが、個人の否定性の契機の積極的把握が欠けており、そのため近代市民社会の倫理的意義の把握が消極的になる。倫理は習俗へ引き戻される形でとらえられる傾向が強い」(前掲誌、’六頁)。和辻の カント解釈についての先生の見解は、この論点と平行する形で、『カント事典』(有福孝岳他編、弘文堂、一九九七年)の「和辻哲郎」の項目に示されている。(弱)浜田『カント哲学の諸相』、二七九頁以下。記)この点については、前掲書、一一九七頁以下などを見よ。(ご『近代歴史哲学の先駆者』のヘルダー論はテオドール・

リット(二・F戸毎曼畳員痔ミ9号ロ§ご鳥『、⑩貢(鴇ョ 》存庶P①冒凰、]@ぢ)を手がかりとしている。和辻は、『風

土』の第五章「風土学の歴史的考察」第二節「ヘルデルの精神風土学」でもヘルダー論を展開しているが、カッシーラー『カントの生涯と学説』を手がかりとしたものであり、論述の方向性を異にしている。「ヘルデルの精神風土学」の執筆は、在外研究からの帰国直後、一九二八年から翌年にかけてである。これらの点については、前掲拙論一一○○頁、一一○五頁および一二一頁を見よ。(犯)ヘルダーと啓蒙の関係については、肉・ogp』餡・国目】己S合、.)・寺ミ痔言亘曾百雪崖暮雪§、置員腎冨旨、§空マミ弄冒許旦:亘房§圏、、三百s言烏、o巴曼・言烏、

一冑冨&言量・因の苣o写の旧邑三を見よ。ヘルダーは「思考

の自主性(、の一宮a@員①ロ)」を高く評価する。この点については、シ耳・悪一冒烏雪奇冨・胃昂雰§言言二寄骨忌冨&烏、

、三目gミのも見よ。

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