Ishmael解釈の為の一試論 : Moby Dick研究の一断 片
著者 佐々木 隆
雑誌名 Core
号 2
ページ 52‑59
発行年 1973‑03‑31
権利 同志社大学英文学会Core編集部
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016361
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I s h m a e l 解釈の為の一試論
一‑ Moby D以研究のー断片一一一
佐 々 木 隆
Moby Dickにおいて白j鯨が何を意味するかについての意見は千差万別 である.ある批評家は,それを神と捉えるし,また他の批評家は,それを 悪の権化と解釈し,中には,それを白色人種の最も奥深い所にある血性の 本能と解釈する作家もいる.この小論において,白鯨が何を象徴するかに ついて実証的な考察をする余裕はないが,最近出版された寺田建比古氏の
『神の沈I黙』は,我々に示唆するところが多い.氏は,その著書の中で,
白鯨を Demiurge,つまり超越的な最高神の下に位する不完全な創造神だ と考えるのであるが, 氏のこの考え方は,Moby Dickの全脈絡と実に良 く符号する.つまり,氏によれば, Ahabの白鯨に対する戦いは,人類を 不完全なものたらしめた創造神に対する人間の戦いであり,邪悪なる創造 神を打ち砕くことによって真の神に至ろうとする人間の止み難い探究の過 程だというのである.白鯨が仮象であって,その背後にこそ,未だ明かさ れない実体のあることは,作品中の "MobyDic1王円, "The Whiteness of the Whale円そして TheCandles"の各章を読めば明らかである.そ れでは,その「究極的なるもの」とは何か.結論的に言えば,それは宗教 的には theultimate God円であろうし,理性的な意味では the ulti‑ mate truth"と考えていいだろう.いずれにしても Pequod号の航海が 単なる鯨取りの旅ではなく 1究極的なるもの」への探索の旅であること には間違いがない.
ところで, ζの「究極的なるもの」への旅には,二人の主人公が登場す る.言うまでもなく AhabとIshmaelである.但し, Ahabの活躍の華
Ishmael解釈の為の一試論 53 々しさの蔭に隠れて Ishmaelの存在はともすれば忘れられがちである.
しかし,私は,この小論では,忘れられた存在,Ishmaelにこそ spotlight を当ててみたいと思う.
私は,今まで簡単に Ishmael"と呼んできたが, この作品には,ただ 一人の Ishmaelではなく,二人の Ishma巴lが登場する.即ち, narrator
としての齢経た Ishmaelと,実際に Ahabと行を共にする actorとして の若い Ishmaeiであるが,そのうち私は, ここでは, 後者のみを取り上 げようと思う.
Melvilleの actor‑Ishmaelの描写はお世辞にも完壁と(ま言えない. 物 語の始めに陽気に登場した若者は, やがて main‑mastの上の冥想家とな
り
, 果ては actorとしての役割を投げ出して, 物語りの半ばで忽然と姿 を消してしまい,再び Epilogue円に登場するまでは, 二度と甲板に姿 を見せない. こうした Melvilleの技法上の欠陥はあるものの Ishmael がこの
f F
品において欠く ζとの出来ない存在であることは明らかである.Melvilleは, この作品において二つの価値を作り出している. 一つは Ahabの体現する価値であり,いま一つは, Ishmaelが代表するそれであ る.即ち, この二つの異る価値とは I究極的なるもの」の探究に対する 人間の二つの有り様に他ならない.一つは,たとえその身が滅びようとも 断乎として探究を貫徹しようとする立場であり,今一つは,不完全ながら 生を全うすべく探究を断念する立場である.そして,この相異なる二つの 価 値ζそは Melvil1e自身がその間に立って常に悩み続けた二つの価値 に他ならない.Melvilleの称讃は常に Ahabの上に与えられている.し かも,彼自身は Ishmaelたらざるを得なかった. この意味で, Ahabは, Melvi1leの理想を, Ishmaelは, 彼の現実を表わしていると考えてし、い だろう.そして, 真の Melvil1eは, この二つの価値の聞に ambivalent な存在として留ったのである.
但し, ζ ζで注意しておかなければならないことは, Melvilleのambi‑
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valenceが, Ahab対 Ishmaelという簡単な図式に留るのではないとい うことである.つまり,この作品における二人の主人公の「究極的なるも の」の探索に対する態度は,必ずしも首尾一貫したものとは言えない.実 際, Ahabの中にも Ishmael的要素があり, Ishmaelの中にも Ahab的 要素があって,それぞれに激しい葛藤を繰りひろげるからである.従って Melvil1eの二つの価値をめぐる ambivalentな態度は, この作品におい
ては,二重の構造をもって展開されていくといっていい.
近代社会の孤児,キリスト教会の棄て子, インテワ Ishmaelは,物語 の前半において極めて Ahab的である. 少なくとも被は, Ahabの白鯨 殺裁の旅に積極的に参与する.Ishmaelは叫ぶ.
. tak巴 mybody who wi1l, take it 1 say, it Is not me, And there‑ fore, three cheers for Nantucket; and come a stove body when they
(4)
will
,
for stave my soul,
Jove himself cannot. (36)しかし, Ishmaelのこの積極的態度は長くは続かない.彼は, Ahabの 白鯨に対する偏執狂的な姿を眺めるうちに,問題の所在は点鯨の内にある のではなく, Ahabの,即ち人間自身の頭の内にあるのではないかと考え 始める1"究極的真理」というものを今までにつかみ得た人聞がいただろ うか.全人類の知的歴史は,その周辺を排佃したに過ぎないのではないか.
そして, 今また Pequod号というボロ船でそれを追いかける. これは狂 気の沙汰ではないだろうか.やがて, Ishmaelは,甲板から姿を消す.
Look not too long in the face of the五re,0 man!
. . . 証
cceptthe first of the hitching ti1ler; believe not the artificIal fire, when Its redness makes al1 things look ghastly. To・morrow,
in the naturalsun, the skies will be bright;... the glorious golden sun, glad sun, the only true lamp‑al1 others but liars! (422)
Ishmael解釈の為の一試論 55 という言葉を残して.
The artificial fire"とはいうまでもなく, Ahabの「究極的なるも の」の探索に対する偏執狂的な情熱の炎を指す. そして Ishmaelは,そ うした人為的なまどわしを信ずるのではなし現にそこにあるものに信頼 を置こうと言うのである.彼は言う.
。inall cases man must eventually lower, or at least shift, his conceit of attainable felicity: not placing it anywhere in the intel‑ lect or the fancy; but in the wIfe, the heart, the bed, the tableラ
the saddleフthe五re‑side
,
the country; (415)Ishmaelのこの考え方は,1¥dρrdiの中の Babbalanjaの考え方, 1...0.昂ie町rr何t
の中のP到li口n島1ト品E nmonの考え方と極めてよく合致する .Mardi, Moby Dick, Pierreという一連の作品の中で, Babbalanja, Ishmael, Plin回limmonは,
明らかに Taji,Ahab, Pierreに対応する性格を与えられている. 即ち,
Melvilleは,Moby Dickに前後する作品においても, ζの作品と極めて 似かよった themeとpatternを採用しているのである.そして,それら の作品においても Melville自身は,二つの価値の中間にあって,常に極 めて anbivalentな立場を取り続けている. 勿論,それらの作品において もMelvilleのこの ambivalentな態度が, 1 Ahab" 対 IshmaelJという 単純な図式に留らないことは言うまでもない.
さて,いささか横道にそれたようであるが,本論に戻ろう1"究極的な るもの」の探索の危険性を知ったIshmaelは, Plinlimmon的世俗哲学を 受け容れ, Ahabと扶を分つ.しかし, Ishmaelは,心底から Ahabへ の共感を失ったわけではない.それどζろか Ishmaelの Ahabへの傾剥 j生は Ishma巴l退場の直前においてさえ読み取ることが出来る Ishmael は, TheTry‑works円という章の中で,終始「究極的なるもの」への探 索を戒めておきながら,その最後を次のように結んでいる.
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Ther邑 isa wisdom that is woe; but there is a wo巴 thatis mad‑
ness. And there is a Catski1l eagle in some souls that can alike dive down into the blackest gorges, and soar out of them again and become invisible in the sunny spaces. And even if he for ever :flies within the gorge
,
that gorge is in the mountains; so that even in his lowest swoop the mountain eagle is still higher than other birds upon the plain, even though they soar. (423)ここで, themountain eagle円とは言うまでもなく「究極的なるもの」
の探索者 Ahabの崇高な魂を指している.つまり, この独自は,己自身,
いや人間存在そのものに関する深い認識の末に, 世俗哲学を受け容れた Ishmael が,末だ tこ Ahab への~頃斜性を脱し切れていないことを明らか
にしている.
The Try‑Works円の後, Ishmaelは, もはや甲板には現われない.
そして彼は, Epilogue円に至って,再び大海の中に忽然と浮かび上る.
彼のみが救われたのである.すべてを物語る為に,但し,彼の「復活」が すべてを語る為という単なる技法上の理由では組まれたものでないζとは 明らかである I白鯨」という追っても追いきれないもの,捕えようとし て捕え得ないものの追跡を断念したからこそ,彼は再び人聞社会に帰り着
くことが出来たのである.
しかし, この点に関しては,多くの学者や批評家が私と意見を異にして いる. R. E. Watters, Jam巴sE. Mi11er, C. E. M. B色wleyそして Charles H. Cook Jr.. これらの批評家はことごとし Ishmaelの復活は,彼が宇 宙の神秘を受け入れたからだとしている.ちなみにR.E.羽Tattersの言 を聞いてみよう.彼は,
Ishmael was saved because he alone had learned anything from their all experienc巴s,because he had, in effect, solved his problem,
Ishmael解釈の為の一試論
(5)
had triumphed over the symbolic white whale and univers邑.
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と述べて,まるで Ishmaelは悟りの境地に達したが故に救われたと言わ んばかりである. しかし, Ishmaelは本当に悟りの境地に達したのだろう か.答えが「否」であることは既に述べたところから明らかである.彼は歩 退場の瞬間においてさえ Ahabへの讃仰を捨てきれずにいたではないか.
さらにまた, これらの批評家のうちのある人々は, 自らの論拠として Ishmaelの復活の場面を引き合いに出す.その代表は, C. E. M. Bewley であるが9 彼によれば, Ishmael はタ Queequegが刻んだco伍uトbouyの 蓋の模様を解読し得たが故に更生ったというのである.その模様とは,Quee‑
quegが自らの手で自分の身体に刻まれたものを写しとったのであり, も ともと天と地との全原理,及び真理に達する為の神秘的方法論が描かれて いると言われている.従って, Bewleyは,その模様を刻んだco伍nゐuoy を抱きかかえて浮かび上った Ishmaelは, それら全原理, 及び方法論を つかんだが故に建ったと考えるのである。しかし, Ishmaelは本当に模様 を解読したのだろうか. こζでも私は否定的な答を出さずにはおれない.
Queequegの刺青は彼自身ですら解き明かすことは出来なかったし,それ は["結局それが書きつけられた生身の羊皮紙と共に滅びて,最後まで未 解読に終る運命にあったJ(477)と言われている.だとすれば, どうして Ishmaelにその神秘を解き明かすことが出来たと言えよう.否,むしろ,
それは解き明かされなかったと考えるべきだろう.
この作品のthelast sceneは事亙めてsymlolicである.Ishm乱elはcoffin曙 buoyにつかまったまま太平洋の真ん中に棄て置かれる。 宇宙の神秘は未 だ解明されず,海の大きな屍衣は五千年前と同じうねりを繰り返している.
そこには, Ishmael復活の輝きよりは,永却の虚無が読みとれはしないだ ろうか.大宇宙の真っ只中に,未解読の究極的真理を刻んだ棺桶につかま ったまま棄て置かれた Ishmael.その imageは,再び, λ10byDic長 男 頭 の Ishm旦elの imageと重なりはしないだろうか.確かに Ishmaelの肉
58 Ishmael解釈の為の一試論
体は復活した.しかし,彼の精神は,未だ宇宙的神秘に結びつけられたま ま大海に漂っている, Ishmaelは Rachel号によって偶然に救助される.
しかし,彼を待っているもの,それは,再びあの Nantucketの波止場で あり, 新しい Pequod号,再び繰り返される苦しい航海ではないだろう か.そこには永遠に繰り返される人間的苦悩の回帰性が読みとれるように 思う.
神に挑んだが故に減びる Ahab,宇宙を受け入れたが故に建る Ishmael. この一般的解釈は9 余りに単純で,Moby Dickへの興味を半減させてし まう.事は正にその逆で, Ishmael ζそ,より悲劇的状況に置かれている と考えるべきだろう.ひたすらに一つのものを追い求め,自らをその犠牲 としたAhab.1"究極的なるもの」と共に自ら砕け散った Ahab. 彼の死に は伝統的な悲劇の主人公にのみ与えられる称讃が用意されている.及ぶべ くもない敵と果敢に戦い,美事に散っていった半神への共感と同情が待っ ている. しかし,生き残った Ishmaelにその称讃と同情が用意されてい るだろうか.戦うべきだと知りつつ,戦場を去った男.行動すべきだと思 いつつ冥想に退いたインテリ. 生きつつ, 死 (co伍n)と隣り合わせに漂 うIshmael.彼を我々は,素直に祝福することは出来ない.勿論,彼に対 する一抹の同情は残されている. しかし,それは Ahabに対する同情と 同じ種類のものではない.その同情は, Ishmaelの中に自らの姿を見出す
ところから来る同情である.我々は, もはや Ahab的生の状況に住んでは いない.英雄的時代は既に過去のものである.我々の状況は,正に Ishmael 的である. そして,また, ζうした Ishmael的状況に生きる現代人によ
ってこそ,Moby Dickは,はじめて建ったのである.
〉 王
(1) Lawrence Thompson,羽T,E. S己dgwick,Geoffr巴yStone, etc. (2) Lewis Mumford.
Ishmael解釈の為の一試論 59 (3) D. H. Lawrence.
(4) 引用文末尾の数字は, Modern Library edition, Moby Dickの頁数を示す.
(5) R. E. Watters,The Meanings of the White Whale," Discussion of l¥11oby Dicえed.Milton R. Stern (Boston: D. C. Heath and Company, c 1960), p. 85.
(6) Marius Bξwley, Melvi11e and Democratic Exp巴rience,"1¥11elville:A Collec・
tion of Critical Essays, ed. Richard Chase (New Jersey: Prentice Hall, c 1962)タp.69.
(7) 翻訳は,阿部知二訳, 1可出書房版『白)%ti:による.