• 検索結果がありません。

『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造"

Copied!
21
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造

著者 嶋中 佳輝

雑誌名 文化學年報

号 70

ページ 15‑34

発行年 2021‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00028204

(2)

﹃ 今 昔 物 語 集

﹄ 巻 十 九 と 巻 二 十 の 対 比 構 造

嶋 中 佳 輝

は じ め に

﹃ 今昔 物語 集﹄

は平 安時 代後 期・ 院政 期に 編纂 され た日 本最 大の 仏教 説話 集 で あ る︒ その 収 め る説 話 数 は一

〇 を 超え てい るが

︑そ れら はた だ無 秩序 に並 んで いる わけ では なく

︑緊 密な 編纂 意識 によ って 配列 され てい ると 評価 さ れ てい る︒ ただ し︑

﹃ 今昔

﹄は 序文 や跋 文な ど︑ その 編纂 意 識 を直 接 的 に語 る 文 章 は内 部 に は存 在 せ ず︑ 編纂 意 識 が 全 て解 明さ れて いる わけ では ない

︒ま た︑ 仏教 説話 集と 評価 され なが らも

︑特 に巻 二十 一か ら巻 三十 一ま では 本朝 部 に おけ る﹁ 世俗 部﹂ と評 価さ れて おり

︑無 視し 得な い位 置づ けが 与え られ てい る︒ そこ で問 題と した いの は︑ 巻十 九と 巻二 十 の﹃ 今昔

﹄内 部 に おけ る 意 義で あ る

︒両 巻 は本 朝 仏 法部 の 末 尾 に属 し

︑ 本 朝世 俗部 の直 前に あた る︒ 研究 史の 中で 両巻 は考 察の 対象 とな った こと は少 ない が︑ その 位置 付け は﹃ 今昔

﹄に お い て仏 法部

︑世 俗部 の意 義に も関 わる 重大 な問 題を 孕ん でい ると 捉え られ る︒ 本稿 では

︑巻 十九

・巻 二十 が本 朝仏 法 部 の末 尾に 配さ れた 理由 につ いて

︑そ こに 含ま れる 話型 の配 列を 読み 解き なが ら︑ 世俗 世界 への 仏法 の定 着を もっ て 仏 法部 を閉 じる 意図 につ いて 指摘 した い︒

― 15 ―

(3)

﹃ 今 昔物 語 集

﹄巻 十 九

・巻 二 十 の位 置 付 けに 関 す る先 行 研 究

﹃ 今昔

﹄巻 十九

・巻 二十 につ いて は一 括し て 捉え た 先 行研 究 が あ る︒ 国東 文 麿 氏は

﹃今 昔

﹄組 織 論の 中 で 巻 十九

・ 巻 二十 の位 置を 明ら かに して いる

︒す なわ ち︑ 国東 氏は

﹃今 昔﹄ の組 織に つい て︑ 天竺 部︑ 震旦 部︑ 本朝 部と もに 歴 史

︑賞 賛︑ 教訓 の順 序で 物語 が構 成さ れて いる と指 摘し てい る︒ そし て︑ 国東 氏は

﹃今 昔﹄ 本朝 仏法 部の 構成 を次 の よ うに 示し てい る

︵ 一︶

⁝仏 教渡 日・ 創始

・展 開お よび 寺塔 造営

・法 会創 始を いう

︒⁝ 巻十 一・ 一〜 巻十 二・ 十︒

︵ 二︶ 仏⁝ 諸仏 像霊 験⁝ 巻十 二・ 十一

〜二 十四

︒ 法⁝ 法華 経・ 諸経 霊験

現 世利 益⁝ 巻十 二・ 二十 五〜 巻十 四全 話︒ 往生

︵霊 験︶

当世 利益

⁝巻 十五 全話

︒ 僧⁝ 諸菩 薩・ 諸天 霊験

・観 音霊 験⁝ 巻十 六全 話︒

・地 蔵霊 験⁝ 巻十 七・ 一〜 三十 二︒

・諸 菩薩 霊験

⁝巻 十七

・三 十三

〜四 十一

・諸 天霊 験⁝ 巻十 七・ 四十 二〜 五十

・?

⁝巻 十八

︵ 三︶ 善因 善果

『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造 ― 16 ―

(4)

︵ 過去 因現 在果

︶出 家機 縁説 話⁝ 巻十 九・ 一〜 十八

︵ 現在 因現 在果

︶孝 養報 恩説 話⁝ 巻十 九・ 二十 三〜 四十 四︒ 慈 悲感 応説 話⁝ 巻二 十・ 四十 一〜 四十 九︒ 悪因 悪果

︵ 過去 因現 在果

︶天 狗説 話⁝ 巻二 十・ 一〜 十四

︵ 現在 因現 在果

︶冥 府受 苦説 話⁝ 巻二 十・ 十五

〜十 九︒ 主 とし て現 報説 話⁝ 巻二 十・ 二十

〜四 十︒ 僧 の悪 因悪 果説 話⁝ 巻十 九・ 十九

〜二 十二

︒ さら に国 東氏 は巻 十九 と巻 二十 につ いて 次の よう に言 及し てい る︒ 巻十

九・ 廿の 説話 は主 題的 には 凡ね 七類 程に 分類 でき るが

︑そ の各 巻の 初め に過 去因 現在 果の 説話 をお き︑ 後 に 現在 因現 在果 の説 話を 配し てお り︑ その 両者 は善 因善 果・ 悪因 悪果 のい ずれ かを 基底 に持 って まと めら れて い る

︒こ れは

︵略

︶震 旦部 巻九 に準 ずる もの であ り︑ 巻九 とと もに 仏教 的教 訓の 巻と して 組織 され たも のと 考え ら れ る

︒ 以上

のよ うに

︑国 東氏 は巻 十九 と巻 二十 を因 果応 報の 説話 を集 成し たも のと 見な し︑ それ を以 て教 訓の 巻と 位置 付 け た︒ しか し︑ この 国東 説に は早 くか ら異 論が 出さ れて いる

︒例 えば

︑小 峯和 明氏 は﹁ 出家 機縁 譚﹂ には

﹁前 世と の因 縁

― 17 ― 『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造

(5)

に ふれ る例 は一 つと して みら れな い

﹂ とし

︑﹁ 国 東説 は

︵1

︶︵ 引 用 者注

・天 狗

・異 類 譚︶ を過 去 因・ 現 在果 と み る が

︑こ れは 話中 に徴 証を みる こと はで きな い

﹂ と指 摘す る︒ また

︑大 村誠 一郎 氏 は 巻 十九 に 明 確な 因 果 応報 説 話 が 四 話し かな いこ とや

︑巻 十七 以前 の本 朝仏 法部 にも 因果 応報 と見 なす べき 説話 が収 載さ れて いる こと を指 摘し

︑巻 十 九 と巻 二十 を因 果応 報の 枠組 みで 一括 する こと には 疑問 を呈 して いる

︒こ のよ うに 国東 説は 巻十 九と 巻二 十を 包括 的 に 因果 応報 で一 括し よう とす る点 に関 して 十全 とは 言え ない

︒ それ では

︑﹃ 今 昔﹄ 全体 の中 で巻 十九 と巻 二十 には い か なる 位 置 付け が 与 え られ る の か︒ 大村 氏 は︑ 巻 十九 と 二 十 を 仏 法 部の 拾 遺 の巻

・雑 部 と し て位 置 付 け︑ 雑で あ れ ばこ そ 本 朝 の仏 法 を 見据 え る 視野 が 本 朝 仏法 部 に 備 わ る と し た

︒大 村氏 は決 して

﹁雑

﹂を 消極 的な 意味 で用 いて いる わけ では ない が

︑巻 十 九 と巻 二 十 につ い て﹁ 雑 また は 拾 遺 と いう こと 以外 の統 一的 な構 成上 の意 味は ない

﹂と し てお り

︑積 極 的に 構 成 の意 義 を 認 めな い こ とに は 不 審 が残 る

︒ た だし

︑﹁ 本 朝の 仏法 を見 据え る視 野﹂ とい う視 点は 重要 であ ろう

︒ また

︑小 峯和 明氏 は巻 十九 と巻 二十 につ いて

︑世 俗系 の話 題が 多く なっ てき てい るこ とに 触れ

︑一 部の 話に はも は や 仏法 潭と して の性 格が 見出 せな いと 指摘 する

︒小 峯氏 は巻 十九 と巻 二十 に 対 し て世 俗 へ の傾 斜

︑あ る 種の 非 仏 法 性 を見 出し てい るよ うに も思 われ る︒ しか し︑ そう であ るな らば 逆に 巻十 九と 巻二 十が 仏法 部に 収め られ た事 情が 問 わ れる べき であ ろう

︒ 以上 のよ うに

︑国 東氏 の因 果応 報を 解釈 の基 礎と した 巻 十九 と 巻 二十 の 位 置付 け は 現 在に お い ては 不 十 分 であ る

︒ し かし

︑こ れに 代わ る巻 十九

・巻 二十 像が 提示 され てい るわ けで はな い︒ 巻十 九と 巻二 十は 確か に巻 十七 以前 とは や や 異質 な巻 であ り︑ この 点で 国東 氏に よる

﹃今 昔﹄ 全体 の構 成論 は現 代で も踏 襲さ れる こと が多 い︒ 巻十 九・ 二十 の 特 異性 を踏 まえ つつ

︑巻 十九 と巻 二十 の位 置付 けを 明ら かに する こと が求 めら れる

『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造 ― 18 ―

(6)

その 点で 原田 信之 氏に よる

﹃今 昔﹄ の構 成論 は注 目さ れる

︒原 田氏 は﹃ 今昔

﹄の 構成 には 法相 宗四 重二 諦・ 四俗 四 真 が反 映さ れて いる と考 え︑

﹁ 非仏 法的

﹂な 話は 意図 的 に 収集 さ れ てい る と し た︒ この 理 解 の上 で 巻 十九

・巻 二 十 の 両 巻は 世俗 部を 直前 にし て︑ 真諦 でも 俗諦 でも ある

﹁亦 俗亦 真﹂ とし て位 置づ けら れて いる

︒ 原田 説は 巻十 九・ 巻二 十に おけ る編 纂原 理を 考察 する 上で 示唆 に富 む︒ 原田 説は

﹃今 昔﹄ の構 成に は法 相宗 の教 理 が あり

︑南 都︑ 特に 興福 寺に おい て﹃ 今昔

﹄が 成立 した こと を証 明せ んと する もの であ る︒ 本稿 では

﹃今 昔﹄ の成 立 論 には 踏み 込ま ない が︑ 法相 宗の 教理 が﹃ 今昔

﹄を 支え る基 本原 理で ある こと は首 肯さ れよ う︒ ただ し︑ それ はあ く ま で法 相宗 の教 理と いう 側面 から 考察 を加 えた もの であ る︒ よっ て︑ 原田 説は

︑個 々の 説話 の解 釈に よっ てよ り一 層 明 らか にさ れる 必要 があ る︒ そこ で︑ 本稿 では 巻 十九 と 巻 二十 の 個 々の 説 話 の 話型 や 配 列に 焦 点 を 当て

︑﹃ 今 昔﹄ 内 部 にお いて 整合 的か つ具 体的 な解 釈を 提示 する こと を目 的と する

︒ なお

︑先 行研 究を 見る と︑ 巻十 九と 巻二 十に つい て﹃ 今昔

﹄に おけ る仏 法と 世俗 が特 に問 題と なっ てい るこ とが 看 取 され る︒

﹃ 今昔

﹄に おい て仏 法は 仏教 の教 理で あり

︑い わゆ る 仏 法部 の 説 話は 仏 教 の 教理 に よ って 配 列 や表 現 が 支 え ら れ てい る と 見な し 得 る︒ 原 田説 は そ の代 表 的 な見 解 で あ る︒ 仏法 部 の 説話 は そ の教 理 を 具 現化 す る も の と 言 え る

︒こ れに 対し て︑ 世俗 には 世俗 であ るこ とを 支え る概 念が 見出 しに くい

︒し かし

︑﹃ 今 昔﹄

︑少 なく とも 仏法 部に お け る世 俗は 否定 され るべ き非 仏法 では なく

︑む しろ 仏法 が浸 透す るべ き非 仏法 とし て描 かれ てい ると 捉え られ る︒ よ っ て︑ 本稿 では

﹁仏 法﹂ は︑ 仏法 的価 値観 や仏 法的 行為 を端 的に 明ら かに すべ く個 々の 説話 に描 かれ る世 界を 指す と 考 え︑

﹁ 世俗

﹂は 現実 世界 を支 える 価値 観や 行為 が描 かれ る 世 界で あ り︑ 仏 法が 直 接 的 に介 在 し ない な が ら仏 法 が 寄 り 添う 世界 とし て捉 える とす る︒

― 19 ― 『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造

(7)

﹃ 今 昔物 語 集

﹄巻 十 九 にお け る 出家 説 話

︵一

︶巻 十九 を構 成す る説 話群 さて

︑先 行研 究で は巻 十九 と巻 二十 を因 果応 報説 話と 見な す国 東説 は批 判の 対象 であ った

︒し かし

︑巻 十九 と巻 二 十 に因 果応 報の 性質 を持 つ説 話が 含ま れて いる こと は否 定し 難い

︒そ こで まず は︑ 因果 応報 を伝 える 説話 とそ うで は な い説 話に つい ての 関係 を把 握す る必 要が ある

﹃ 今昔

﹄巻 十 九 に収 め ら れた 説 話 は 一説 話 ご とに 独 立 して い る の では な く︑ 説 話群 と し て 捉 え ら れ る︒ す な わ ち

︑ 先 行研 究に 倣い つつ

説話 群を 示せ ば︑ 次の よう な位 置付 けが 与え られ る

︵以 後

︑本 稿 では 説 話 群を そ の 位置 付 け を 取 って

﹁〜 説話

﹂と 呼称 する

︶︒ 巻 十九

⁝出 家説 話︵ 第一

〜第 十八

一 八話 仏 物欺 用説 話︵ 第十 九〜 第二 十二

四 話 孝 養説 話︵ 第二 十三

〜第 二十 八︶

六話 報 恩説 話︵ 第二 十九

〜第 三十 四︶

六話 三 宝加 護説 話︵ 第三 十五

〜第 四十 四︶

一〇 話 これ らの 説話 群は

︑ど のよ うに 集成 され てい ると 見ら れる のだ ろう か︒ 換言 すれ ば︑ これ らの 説話 群は 何を 共通 項 と して いる ので あろ うか

︒ 例え ば︑ 出家 説話 はい ずれ も説 話標 題 に﹁ 出家

﹂を 含 ん でい る

︒﹃ 今 昔﹄ は出 家 に 注 目し て 説 話を 集 成 した の は 疑

『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造 ― 20 ―

(8)

い ない

︒し かし

︑出 家説 話全 体を 貫く 共通 的な 事項 は見 出せ ない

︒例 えば

︑出 家説 話の 冒頭 にあ たる 第一

﹁頭 少将 良 峰 宗貞 出家 語﹂ は仁 明天 皇に 仕え た良 峰宗 貞が 天皇 の死 を契 機に 出家 し︑ その 際家 族を 捨て たた め︑ 家族 が自 分を 捜 し に来 ても 知ら ぬふ りを し︑ その 後高 僧と なっ て霊 験を 発揮 した とい う内 容で ある

︒次 の第 二﹁ 参河 守大 江定 基出 家 語

﹂に おけ る定 基も 愛す る者 の死 を契 機に 家族 を捨 てて 出家 し︑ 高僧 とな って 霊験 を発 揮し てい る︒ そう であ るな ら ば

︑出 家説 話は

﹁愛 する 者の 死を 契機 に家 族を 捨て て出 家し

︑霊 験を 発揮 する 高僧 とな る﹂ を基 本的 な共 通事 項と し て

﹃今 昔﹄ によ って 定義 付け られ ても 不自 然で はな かっ たは ずで ある

︒し かし

︑第 三﹁ 内記 慶滋 ノ保 胤出 家語

﹂で は 保 胤の 出家 には 物語 的契 機は 語ら れず

︑た だた だ出 家後 の行 動が 語ら れ続 けて いる

︒ま た︑ 第四

﹁摂 津守 源満 仲出 家 語

﹂で は源 信の 意図 的な 説教 や教 示に 乗せ られ た源 満仲 が出 家す る︒ この よう に﹁ 愛す る者 の死 を契 機に 家族 を捨 て て 出家 し︑ 霊験 を発 揮す る高 僧と なる

﹂と いう 共通 項は

︑第 三以 降に は見 出せ なく なる

︒と りあ えず は︑ 出家 説話 は 出 家が 行わ れる こと のみ を以 て集 成し てい ると 見て おき たい

︒ 他の 説話 群に つい て共 通項 は見 出せ るで あろ うか

︒仏 物欺 用説 話は 四話 しか ない ため

︑話 型と して は第 十九 と第 二 十

︑第 二十 一と 第二 十二 に共 通の もの が見 え るの み で ある

︒す な わ ち︑ 第十 九 と 第 二十 に つ いて は

︑﹁ 第 三者 が 別 の 家 の住 人が 苦を 受け てい るの を目 撃す る︵ それ が現 実で ある かは 問わ ない

︶︒ そ れは その 家の 住人 が仏 に仕 えな がら

︑ 仏 物を 横領 して いた から であ った

︒こ れを 知っ た第 三 者は 仏 物 を横 領 し ない こ と を 自戒 す る﹂

︑ 第二 十 一 と第 二 十 二 に つ い ては

︑﹁ 僧 と その 一 家 が 仏物 を 横 領し て 作 った も の が 蛇と 化 し︑ 仏 物の 横 領 した も の で ある こ と が 知 れ 渡 る

﹂ と いっ た共 通項 があ る︒ いず れも 僧侶 やそ の家 族と いっ た仏 に仕 える べき 人間 が仏 物を 欺用 して いた こと に特 徴が ある

︒僧 侶や その 家族 が 仏 物を 欺用 する 悪行 によ って

︑苦 しみ やそ の成 果物 が蛇 と化 すと いう 悪因 悪果 を表 現す る説 話と 読み 取る こと もで き

― 21 ― 『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造

(9)

︒仏 物欺 用説 話の 評価 につ いて は後 述す るこ とに した い︒ 孝養 説話 につ いて は︑ 孝養 の客 体は 一定 では ない が︑ その 行為 は基 本的 に他 者か ら称 賛さ れて いる

︒た だし

︑因 果 応 報︑ すな わち 孝養 の 行 為 によ り そ の主 体 と なる 人 物 に 直接 的 な 利益 が あ った と い う 展開 は 積 極的 に 見 出 せな

︒ 孝 養説 話の 説話 展開 に共 通項 があ ると は言 い難 い︒ 報恩 説話 には 因果 が顕 然と して いる

︒全 ての 報恩 説話 に登 場人 物の 善行 があ り︑ その 善行 によ って 利を 得た 別の 存 在 が︑ 善行 の登 場人 物に 対し 利を 与え る︵ 報恩

︶︒ す なわ ち︑ 善因 善果 を共 通項 とす ると 言え よう

︒ 三宝 加護 説話 は一

〇話 あ るが

︑標 題 に﹁ 存 命﹂ を含 む 説 話が 三 話

︑﹁ 不 死﹂ を含 む 説 話が 一 話 あり

︑総 じ て

︑死 ぬ は ずだ った 命を 長ら えた

︑そ れに は仏 の加 護が あっ たと いう 論理 展開 を共 通さ せる

︒こ れが 顕著 に指 摘で きる のは 第 四 十﹁ 検非 違使 忠明

︑於 清水 値 敵存 命 語﹂ で ある

︒第 四 十 の類 話 で あ る﹃ 宇治 拾 遺 物語

﹄九 五 話︑

﹃ 古本 説 話 集﹄ 下 巻 四九 話と 比較 する と忠 明が

﹁観 音 助ケ 給 ヘ﹂ と 念じ

︑助 か っ た後 に

﹁偏 ニ 此 レ其 ノ 故 也﹂ と述 懐 す る のは

﹃今 昔

﹄ 独 自の 部分 であ る︒ この 表現 に よっ て

︑﹃ 今 昔﹄ は﹁ 存命

﹂が 三 宝︵ 第 四十 で は 観 音︶ の力 に よ ると い う こと を 強 く 印 象付 ける

︒登 場人 物の 善行 の結 果と して

︑三 宝の 加護 があ ると いう 展開 は 採 っ てい な い もの の

︑三 宝 の加 護 と こ れ によ る存 命に 因果 関係 を見 出せ る︒ 以上 のよ うに

︑巻 十九 の説 話群 は最 終的 にい わゆ る善 因善 果へ と傾 いて 行く もの の︑ 出家 説話

︑仏 物欺 用説 話︑ 孝 養 説話 は因 果応 報で はな い︒ これ らの 説話 群の 連関 を探 るに は︑ 冒頭 話群 であ る出 家説 話の 位置 付け が最 も重 要と な る ので はな いか と推 察さ れる

『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造 ― 22 ―

(10)

︵二

︶出 家説 話の 位置 序文 や跋 文を 欠く

﹃今 昔﹄ にお いて

︑巻 冒頭 は重 要な 意味 を持 って いる

︒こ れは 例え ば︑ 天竺 部の 巻一

︑震 旦部 の 巻 六︑ 本朝 部の 巻十 一な どが 各地 域︵ 天竺

・震 旦・ 本朝

︶の 仏教 の始 まり から 説話 を配 置し たこ とや 仏法 部に おい て 仏

↓法

↓僧 の順 で仏 教を 語ろ うと する 態度 に 通じ て い る︒

﹃今 昔

﹄の 構 成に お い て︑ 巻 冒頭 説 話 はそ の 巻 の方 向 性 を 位 置 づ ける も の であ る

︒つ ま り︑ 出 家説 話 が 冒頭 話 群 とな っ て い るこ と に は︑ 構成 上 重 要な 意 味 が あ る と 考 え ら れ る

︒ 巻十 九に おけ る出 家説 話の 集成 原理 につ いて は︑ 以前 考察 した こと があ

︒出 家 説 話が 説 話 展開 の 共 通項 よ り も 出 家と いう 現象 その もの に注 目し て説 話群 をな して いる こと は述 べた

︒し かし

︑出 家と いう 現象 だけ を以 て巻 十九 の 出 家説 話が 成り 立っ てい るわ けで はな い︒ なぜ なら

︑話 中に 出家 が現 れる 説話 自体 は本 朝仏 法部 に万 遍な く現 れ︑ 本 朝 世俗 部に も数 は少 ない が出 家が 現れ る説 話が ある から であ る︒ 換言 すれ ば︑ 巻十 九以 外の 出家 が現 れる 説話 と出 家 説 話と はど う違 って いる かと いう 点か ら︑ 出家 説話 の特 徴が 見出 され ると 考え られ る︒ 本朝 仏法 部に おけ る巻 十九 以外 の出 家は

︑単 純に 僧の 伝記 の中 で僧 の出 家を 記す もの

︑往 生伝 の中 で往 生直 前に 出 家 する もの

︑諸 仏霊 験の 結果 出家 する もの など

に分 類で きる

︒こ うし た 本 朝 仏法 部 に おけ る 出 家は 僧 伝

︑往 生︑ 仏 霊 験な どが 話題 の中 心に ある

︒出 家説 話が これ らに 加え られ ない のは

︑そ の出 家が 僧伝 に付 随す るも ので も︑ 往生 の 準 備 で も︑ 仏の 霊 験 の結 果 で も ない か ら であ る

︒こ う した 点 か ら 見る と

︑出 家 説話 に お ける 出 家 の 契 機 は 世 俗 的 空 間

︑あ るい は世 俗的 人物 に発 生す る事 柄と して 捉え られ てい ると 見な せる

︒ その 一方 で︑ 出家 説話 にお ける 出家 は完 全に 世俗 の事 柄と され ては いな いよ うで ある

︒こ れを 示す ため に︑ 本朝 世 俗 部に おけ る出 家を 見る と︑ 巻二 十五 第一 は源 頼信 の武 威の 結果 によ る出 家︑ 巻三 十第 二は 思い 違い によ る出 家︑ 巻

― 23 ― 『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造

(11)

三 十一 第四 は出 家し たも のの 宮仕 えの ため に還 俗し てし まう 内容 であ る︒ この よう に本 朝世 俗部 の出 家は 仏法 の価 値 観 によ って 裏付 けら れる もの では なく

︑主 眼は 世俗 の側 にあ る︒ よっ て︑ 出家 説話 の出 家は 世俗 部に おけ る出 家と も 異 なっ てお り︑ 出家 者が 世俗 の価 値観 から 仏教 の価 値観 に移 るこ とを 有意 なこ とと して 描か れて いる と言 えよ う︒ こう した 出家 説話 の特 徴を 如実 に示 すの が︑ 巻十 九第 三で ある

︒出 家の 契機 は特 筆さ れず

︑た だた だ出 家後 の行 い が 顰 蹙 を買 っ た こと が 語 ら れ続 け る︒ し かし

︑こ れ を 単に

﹁奇 行

﹂と 評 し ては

本 質を 見 誤 ろ う︒

﹃ 今 昔﹄ 巻 十 九 第 三 で は︑ こ う し た﹁ 奇 行﹂ は﹁ 知 リ 深 ク 道 心 盛 リ ニ シ テ 止 事 無 カ リ ケ リ

﹂と 最 大 限 の 賛 辞 で 評 さ れ る か ら で あ る

﹃今 昔

﹄に お い て

︑﹁ 知 リ﹂

・﹁ 道 心﹂ と も に そ の 人 物 が い か に 仏 教 的 で あ る か を 端 的 に 示 す 語 と し て 用 い ら れ る

﹁奇 行﹂ と はそ の ま ま奇 行 な の では な く︑ 出 家 説 話 で は 世 俗 の 価 値 観 か ら い か に 離 れ て い る か を 示 す 指 標 な の で あ る

︒﹁ 奇 行﹂ を奇 行 と して 評 価 する の は 世俗 に 属 す る人 間 た ちで あ り︑ こ れを 以 て 世 俗へ の 仏 法の 優 位 性が 明 ら か に され てい ると 言え る︒ 以 上を 総 合 する と 出 家説 話 は 世 俗的 契 機 によ っ て︑ 世 俗 から 離 れ るこ と を 重視 し て お り︑ その 端 的 な も の と し て

﹁出 家﹂ とい う行 為に 焦点 を当 て説 話を 集成 して いる と見 な し 得る

︒こ こ で 重要 な の は 世俗 的 価 値観 を 持 つ個 々 の 人 物 が仏 法的 価値 観へ 転換 する こと であ る︒ それ ゆえ に巻 十九 第三 のよ うに

︑世 俗か ら離 れる 行為 であ る出 家は 話中 に お いて 重視 され ない こと もあ る︒ 出家 の契 機を 示す とさ れる

﹁機 縁﹂ も出 家 説 話 中に は 四 例し か 見 えな

︒こ れ に 比 べる と仏 教的 価値 観に 基づ く﹁ 道心

﹂は 出家 説 話中 に 二 二例 も 見 え︑

﹁道 心 深 ク 発ニ ケ レ バ︑ 其ノ 後 退 スル 事 無 ク シ テ﹂

︵ 巻十 九第 七︶ のよ うに 世俗 から の離 別を 示す 語と して の位 置が 明確 であ る︒ かか る出 家説 話の 特徴 から 見る と︑ 巻十 九で これ のみ いわ ゆる 悪因 悪果 の話 型を 持つ 仏物 欺用 説話 の位 置は 理解 し や すく なる

︒仏 物欺 用説 話の うち

︑巻 十九 第十 九と 第二 十の 話末 には 次の よう な文 言が 見え るか らで ある

『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造 ― 24 ―

(12)

第 十九

⁝﹁ 我レ モ此 ノ苦 患ヲ 可受 キ ヲ︑ 仏ノ 助 ケ 令知 メ 給 フ也 ケ リ

﹂ト 思 テ︑ 道心 発 シ テ︑ 寺ノ 信 施 ヲ 不受 ズ

︑ 前ニ 受タ ル所 ノ信 施ヲ 懺悔 シテ

︑貴 キ聖 人ト 成テ ナム 懇ニ 行ヒ ケル トナ ム語 リ伝 ヘタ ルト ヤ︒ 第 二十

⁝此 ノ蔵 人殊 ニ慚 愧ノ 心有 テ︑ 糸出 家ノ 志マ デハ 無カ リケ レド モ︑ 聊ニ 道心 有テ

︑仏 物ナ ドハ 欺用 スル 事 無カ リケ リト ナム 語リ 伝ヘ タル トヤ

︒ この

よう に仏 物欺 用説 話の 話末 にも

﹁道 心﹂ とい う語 が見 られ

︑第 二十 にお いて は﹁ 出家 ノ志 マデ ハ無 カリ ケレ ド モ

﹂と いう 表現 から

︑﹁ 道 心﹂ が本 来出 家へ と導 く主 因を 示す 語で ある こと が示 され てい る︒ また

︑﹁ 道心

﹂を 発す る の はい ずれ も世 俗的 人物 であ る︒ すな わち

︑出 家説 話と 仏物 欺用 説話 は全 く異 なる 説話 群と して 並び 立っ てい るの で は なく

︑世 俗的 人物 が出 家へ と導 かれ る出 来事 とい う点 で結 びつ いて いる

︒よ って

︑仏 物欺 用説 話は 国東 説の よう に

﹁僧 の悪 因悪 果説 話﹂ と捉 える ので はな く︑ 出家 説話 に付 随す る 説 話群 と 解 釈す る 方 が 巻十 九 に おけ る 組 織上 の 位 置 を 考え る上 で整 合的 であ る︒ 孝 養説 話 や 報恩 説 話 につ い て も︑ 孝 養説 話 で は巻 十 九 第 二十 五 お よび 第 二 十六

︑報 恩 説 話 では 巻 十 九 第 三 十 二 に

﹁智 リ﹂ ある 人物 がそ の行 為を 賞賛 する 表現 が見 え る︒ 孝 養も 報 恩 も仏 法 に 適 う行 為 と して の 位 置付 け が

﹃今 昔﹄ か ら 与え られ てい るの であ る︒ 三宝 加護 説話 も世 俗の 命を 長ら えた 出来 事が 仏法 から 意味 付け られ るこ とで 仏法 的内 容 に 位置 付け られ てい ると 言え よう

︒ この よう に見 なせ ば︑

﹃ 今昔

﹄巻 十九 の説 話群 はい ずれ も世 俗的 人物 の仏 法的 行為 を主 題と して いる と評 価で きる

︒ 仏 物欺 用の み反 仏法 的と 見な せる が︑ 逆説 的に 捉え れば 仏物 欺用 でさ え出 家を 促し 得る 行為 であ り︑ 出家 説話 に連 繋 す る説 話群 とし て成 り立 って いる と推 測で きる

︒す なわ ち︑ 巻十 九の 説話 群は 世俗 的人 物の 仏法 的行 為と して 規定 さ

― 25 ― 『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造

(13)

︑展 開さ れる

︒世 俗に いな がら にし てそ の価 値観 から 離脱 する こと が出 家説 話の 本旨 であ る︒ 孝養 と報 恩説 話は 世 俗 の価 値観 から 離脱 しな いも のの その 空間 内部 で世 俗人 によ って なさ れる 仏法 に適 う行 為を 描い てい る︒ この 推移 は

﹁さ とり

﹂に 近付 く出 家︑

﹁さ とり

﹂あ る者 から 評さ れる 孝養 と報 恩と いう 位置 から 考え ると

︑徐 々に 仏法 から の距 離 を 取り

︑世 俗へ の接 近の 度合 いを 増し てい くも のと 捉え られ る︒ そし て三 宝加 護説 話で は内 容が ほぼ 世俗 的空 間に 発 生 して おり

︑仏 法に よる 意味 づけ は話 中に はほ とん どな され ない

︒か くし て世 俗的 人物 の仏 法の 話題 が尽 き︑ 世俗 的 人 物の 仏法 的行 為の 網羅 を目 指し た巻 十九 は擱 筆さ れる と理 解で きる

︒ 三

﹃ 今 昔物 語 集

﹄巻 二 十 にお け る 天狗 説 話

︵一

︶巻 二十 を構 成す る説 話群 巻二 十に おけ る説 話群 は︑ 巻十 九同 様に

次の こと が指 摘で きる

︵以 下

︑巻 十 九 同様 に 本 稿で は こ の説 話 群 を﹁

〜 説 話﹂ と呼 称す るこ とに する

︶︒ 前 節同 様︑ どの よう な共 通項 を以 て集 成さ れて いる のか

︑考 察を 加え たい

︒ 巻 二十

⁝天 狗説 話︵ 第一

〜第 十四

一 四話 冥 途蘇 生説 話︵ 第十 五〜 第十 九︶

五話 悪 報説 話︵ 第二 十〜 第三 十九

〇話 在 俗善 人説 話︵ 第四 十〜 第四 十六

七 話 天 狗説

は︑ 第八

︑第 十

︑第 十 三︑ 第十 四 を 除 い て 標 題 に

﹁天 狗

﹂︵ あ る い は

﹁天 宮

﹂︶ を 有 す る︒

﹃ 今 昔﹄ の 興 味 の焦 点は

﹁天 狗﹂ にあ った

︒し かし

︑天 狗説 話に 共通 する 説話 展開 は見 出せ ない

︒例 えば

︑天 狗説 話の 冒頭 にあ た

『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造 ― 26 ―

(14)

る 第一

﹁天 竺天 狗聞 海水 音渡 此朝 語﹂ は天 竺の 天狗 が海 水の 法文 がど こか ら聞 こえ てく るの かを 探し て︑ その 源が 日 本 の比 叡山 と知 って

︑比 叡山 の僧 に生 まれ 変わ る内 容で ある

︒続 いて

︑第 二﹁ 震旦 天狗 智羅 永寿 渡此 朝語

﹂は 震旦 の 天 狗が 比叡 山の 僧を 襲お うと する も︑ いず れも 失敗 して 退散 する 内容 であ る︒ いず れも 外来 の天 狗が 比叡 山の 仏教 に 屈 服す る︒ しか し︑ 第三

﹁天 狗現 仏坐 木末 語﹂ は五 条の 柿の 木の 上に 仏が 出現 した のを

︑光 大臣 が天 狗と 看破 した 話 で あり

︑外 来の 天狗 も日 本の 仏教 の優 位性 も触 れら れ るこ と は ない

︒打 倒 さ れる 天 狗 と いう 点 で は共 通 す る もの の

︑ 巻 二十 第十 や第 十二 など

︑説 話中 に明 確な 天狗 の打 倒を 描か ない 説話 もあ る︒ 天狗 説話 の共 通項 につ いて は次 項で 改 め て考 察し たい

︒ 冥途 蘇生 説話 の共 通項 は登 場人 物が 死後 に冥 途を 訪れ

︑そ こで 因果 応報 の悪 果が 起き てい るの を実 見し て︑ 因果 応 報 の正 しさ を知 り︑ 善行 に勤 しむ よう にな ると いう 展開 であ る︒ 因果 応報 は確 かに 描か れて いる が︑ それ を第 三者 が 見 聞す る話 型で ある 点に 特徴 があ る︒ 悪報 説 話 の 共 通 項は 因 果 応報 で 理 解し や す い︒ あ る人 が 悪 行を 働 く と悪 報 が 発 生し

︑話 末 で 悪行 が 戒 め られ る

︒ 悪 報説 話の 多く は標 題に

﹁現 報﹂ と明 示さ れて おり

︑現 在因 現在 果・ 悪因 悪果 を集 成し よう とし たと 捉え られ よう

︒ 在俗 善人 説話

は世 俗の 中で の仏 教的 善行 が記 され 称え られ てお り︑ 巻二 十の 説 話 群 の中 で は 位置 づ け が異 な る よ う に思 われ る︒ 在俗 善人 説話 にお ける 善行 の主 体は 世俗 的人 間で ある こと に特 徴が ある

︒こ の説 話群 につ いて は小 峯 和 明氏 が﹁ 在俗 にお ける 菩薩 道の 体現

﹂と 評し

︑﹁ 仏 とは 何か

︑と いう 問い に端 を発 した 長い

︿求 法﹀ の物 語の 旅は

︑ 俗 世の 菩薩 道の 発見 をも って 終わ るの であ る

﹂ と述 べて いる

︒本 稿に おけ る在 俗 善 人 説話 の 理 解は 小 峯 氏の こ の 指 摘 に従 うこ とと し︑ とり あえ ずは 例外 とし て一 先ず 措き たい

︒ 以上 のよ うに 巻二 十の 説話 群は 悪報 説話 が多 くの 比重 を占 め︑ これ に冥 途蘇 生説 話を 合わ せる こと で︑ 悪因 悪果 の

― 27 ― 『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造

(15)

因 果応 報が 必然 的に 多く なっ てい る︒ その 一方 で天 狗説 話は 必ず しも 因果 応報 によ って は捉 えら れず

︑在 俗善 人説 話 は 反仏 法的 でも 悪因 悪果 でも ない

︒こ の二 つの 説話 群が 巻二 十に 置か れた 理由 につ いて は考 察の 余地 があ る︒

︵二

︶天 狗説 話の 位置

﹃ 今昔

﹄に おけ る天 狗に つい ては

︑森 正人 氏に よる

﹁周 縁 の 存在 で あ り異 端 で あ るこ と に おい て

︑仏 や 法や 僧 の 中 心 性や 正統 性を 支え てい る﹂ とい う定 義︑ 天狗 説話 を﹁ 反 仏法 的 存 在を 仏 法 の論 理 を も って 統 御 する 営 為 を 通し て

︑ 逆 に仏 法の 正統 性が 確認 され てい く

﹂ とす る位 置づ けが ある

︒本 稿も 天狗 を反 仏 法 的 存在 と す る森 氏 の 定義 を 継 承 す るも ので ある

︒た だし

︑天 狗説 話を 個別 に 検討 し て いく と

︑﹁ 天 狗﹂ には 様 々 な 性質 が あ り︑ 反仏 法 的 存在 で あ る 天 狗を 語る のが 天狗 説話 と言 うだ けで は十 分で はな い︒ 森氏 の定 義は 天狗 説話 の個 別を 見た 上で さら に深 めら れる 必 要 があ る︒ 天 狗説 話 に おい て 注 目さ れ る の は︑ 巻二 十 に おい て は 第 六ま で は 直接 的 に 天狗 が 話 中 で反 仏 法 的行 為 を 働 く 一 方 で

︑第 七以 降は 天狗 が直 接的 に出 現す るの は第 十一 のみ に留 まる こと であ る︒ これ は天 狗説 話の 焦点 が︑ 話中 に直 接 的 に出 現す る天 狗と いう 具体 的な 怪異 存在 では ない こと を示 唆し てい る︒ そこ で︑ 試み に天 狗説 話に おけ る天 狗︑ ある いは これ に類 する

﹁反 仏法 的存 在﹂ を取 り出 して みる と︑ 第九 以降 は 第 十一 を除 いて

︑天 狗は 祭ら れる

︑あ るい は誤 っ て崇 め ら れる 存 在 とし て 説 話 中に 登 場 し︑

﹁反 仏 法 的存 在

﹂の 一 端 は 担 っ てい る も のの

︑天 狗 自 体 は焦 点 化 され て い ない

︒こ の よ う に天 狗 の 位置 が 天 狗説 話 中 で も一 定 で は な い 点 か ら

︑天 狗説 話に は天 狗を 中心 とす る共 通項 は見 出せ ず︑ 説話 群全 体を 貫 く 明 確な 因 果 応報 も な い

︒ また

︑天 狗 が 因 果 応報 の結 果に よる 存在 であ ると も明 記さ れて いな い︒

『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造 ― 28 ―

(16)

こう した こと から

︑天 狗説 話は 天狗 とい う存 在よ りも

︑話 中の 行為 に焦 点が ある 説話 群で ある と考 えら れる

︒存 在 と して の天 狗は 出現 しな い説 話も ある ため

︑天 狗に まつ わる 反仏 法的 行為 を共 通項 とし た方 が説 話群 と見 なす 上で 整 合 的で ある

︒ そし て︑ 行為 の主 体に 着目 する と︑ 第一 と第 二︑ 第五

︑第 十一 は天 狗そ のも のが 反仏 法的 行為 を行 って 撃退 され る も のの

︑そ れ以 外は 天狗 では ない 人間 が天 狗を 祭り

︑あ るい は祭 ろう とし て︑ それ が反 仏法 とし て糾 弾さ れて いる こ と がわ かる

︒天 狗に 惹か れて しま う人 間は

︑必 ずし も当 初よ り反 仏法 に属 して いる とは 見な され てお らず

︑そ れど こ ろ か 聖 人や 法 師 とい っ た 本 来仏 法 の 側に 属 す べき 人 間

︵第 十 の天 皇 も これ に 含 まれ る だ ろ う︶ が 散 見 さ れ る︒ つ ま り

︑天 狗説 話は 仏法 に属 すべ き人 間が 反仏 法へ 堕落 して しま う内 容を 持つ 説話 群と して 構想 され てい ると 言え る

︒ また

︑第 一 と 第 二が 仏 教 渡来 に 擬 され て い る のは 従 来 指摘 さ れ る通 り で あ る

︒﹃ 今 昔

﹄は 巻 二十 ま で 本朝 で の 反 仏 法を 見据 えて いな かっ たの で︑ その 起源 から 語る 必要 があ った ので あろ う︒ すな わち

︑巻 二十 の説 話群 は︑ 天狗

︵反 仏法 渡来

↓反 仏法 への 転回

︶↓ 冥途 蘇生

↓悪 報↓ 在俗 善人 の順 で語 られ る べ きも ので あっ たと 言う こと にな る︒ 冥途 蘇生 説話

︑悪 報説 話と もに 話中 の行 為は

﹃今 昔﹄ はこ れを 反仏 法的 行為 と 規 定し

︑強 く戒 める

︒す なわ ち︑ 巻二 十は 最後 の在 俗善 人説 話を 除い て︑ 反仏 法の 巻と して 組織 され てい ると 考え ら れ る

︒ 反仏 法が 誕生 する 天狗 説話

︑反 仏法 を知 る冥 途蘇 生説 話︑ 反仏 法行 為が 描 か れ る悪 報 説 話が 連 な るこ と で 反 仏 法が 展開 する

︒か くし て︑

﹃ 今昔

﹄に おけ る説 話配 列の 中で 世 俗 的空 間 に 反仏 法 が 存 在す る こ とが 明 ら かに な る の で ある

― 29 ― 『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造

(17)

まと め 出家 説 話 と天 狗 説 話か ら 見 る巻 十 九 と巻 二 十 以上

にお いて

︑巻 十九 と巻 二十 につ いて

︑そ れぞ れの 巻中 での 冒頭 話群 の位 置付 けを 明ら かに した

︒巻 十九 は出 家

︵+ 仏物 欺用

︶↓ 孝養

↓報 恩↓ 三宝 加護

︑巻 二十 は天 狗︵ 反仏 法渡 来↓ 反仏 法へ の傾 斜︶

↓冥 途蘇 生↓ 悪報

↓在 俗善 人 と して 説話 群が 展開 して いる

︒こ れが 意味 する とこ ろは

︑巻 十九 は世 俗に おけ る仏 法的 行為

︑巻 二十 は在 俗善 人説 話 を 除い て概 ね世 俗に おけ る反 仏法 的行 為を 主題 にし てい るこ とで ある

︒ こう した 両巻 の関 係性 を考 える にあ たっ て着 目し たい のが

︑両 巻の 冒頭 話群 同士

︑つ まり 出家 説話 と天 狗説 話の 関 係 性で ある

︒出 家説 話と は世 俗か ら仏 法へ の転 換で ある 出家 を通 して 世俗 的人 物の 仏法 的行 為を 端的 に規 定す る説 話 群 であ り︑ 天狗 説話 は仏 法的 ある いは 世俗 的人 物が 反仏 法行 為を なす こと を見 据え

︑反 仏法 の起 源を 規定 する 説話 群 で ある

︒両 者と もに 世俗

・反 仏法 への 仏法 の優 位性 が基 底に 存在 する

︒す なわ ち︑ 両説 話群 は仏 法の 優位 性と いう 点 で 通底 しな がら も︑ 表層 が仏 法的 か反 仏法 的か とい う点 にお いて 対照 的な 説話 群な ので ある

︒ また

︑巻 十九

・巻 二十 とも に巻 十七 以前 の本 朝仏 法部 とは

︑世 俗的 人物 を主 題と する 点で 異な って いる

︒巻 十七 以 前 は仏

︑寺 院︑ 経典

︑高 僧な どが 霊験 を発 揮す るな ど︑ 仏教 的事 物・ 人物 が説 話の 中心 にあ るが

︑巻 十九 と巻 二十 が 集 成す る説 話群 は世 俗的 人物 の仏 教的 行為 を通 して

︑世 俗に おい てい かに 仏法 が成 り立 って いる かを 語っ てい る︒ 言 わ ば︑ 世俗 にお ける 仏法 を語 るか らこ そ両 巻は 仏法 部に 属す る︒ 巻十 九と 巻二 十の 冒頭 話群 が仏 法へ の態 度と いう 点に おい て対 照の 関係 にあ るこ とは

︑そ れぞ れの 所収 説話 群も 対 照 的で ある こと を示 唆し てい る︒ 実際 に冒 頭話 群以 降の 説話 群を 見る と︑ 巻十 九は 世俗 的人 物の 仏法 的行 為を

︑巻 二

『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造 ― 30 ―

(18)

十 は世 俗的 人物 の反 仏法 的行 為を 主に 描写 して おり

︑こ れが 裏付 けら れる

︒出 家説 話が 世俗 から 仏法 への 展開 を︑ 天 狗 説話 が世 俗あ るい は仏 法か ら反 仏法 への 展開 を語 るこ とで

︑冒 頭話 群は 世俗 にお ける 仏法 的行 為・ 反仏 法的 行為 を 導 き出 す役 目を 果た して いる

︒世 俗か ら仏 法・ 反 仏法 へ の 転換 が 存 在す る こ と で︑

﹃今 昔

﹄世 界 の中 で 世 俗的 人 物 の 仏 法的 行為

︑反 仏法 的行 為が 措定 され る︒ 巻十 九と 巻二 十は 対照 的な 関係 にあ るが

︑一 方で 世俗 にお ける 仏法 の巻 とし ては 相互 補完 的で あり

︑一 つの 世界 観 を 作る

︒こ れを 示す のが

︑巻 二十 末尾 の在 俗善 人説 話で ある

︒巻 二十 だけ を見 ると

︑反 仏法 的行 為で はな い在 俗善 人 説 話が 入っ てい るの は不 審で ある

︒し かし

︑巻 十九 と巻 二 十を 合 わ せて 世 俗 にお け る 仏 法を 語 っ てい る の で あれ ば

︑ 仏 法的 行為 が先 に来 るの は当 然で ある

︒し かし

︑悪 報説 話で 巻二 十が 完結 すれ ば︑ 仏法 の行 き着 く終 点が 反仏 法と な る

︒さ らに

︑巻 十九 と巻 二十 を合 わせ た流 れと して

︑巻 十九 で世 俗に おけ る仏 法の 話題 が尽 き︑ 巻二 十で は反 仏法 が 創 始さ れて しま うと

︑巻 二十 一以 降の 世俗 部は 反仏 法が 蔓延 する 世界 とし て読 まれ かね ない

︒こ れを 防ぎ つつ

︑世 俗 に おけ る仏 法に 積極 的な 意味 を与 える ため

︑世 俗的 人物 の仏 法的 行為 の帰 結と して 在俗 善人 があ り︑ これ を以 て﹁ 世 俗 にお ける 仏法

﹂を 完結 させ る構 成に ある と解 せる ので ある

︒ よっ て︑ 巻十 九と 巻二 十は 世俗 的人 物の 仏法 的行 為を 語る 巻で あり

︑巻 十九 に仏 法的 行為

︑巻 二十 に反 仏法 的行 為 が 主に 集め られ るこ とで

︑世 俗に おい ても 仏法 が波 及し てい く﹃ 今昔

﹄の 構想 が捉 えら れる

﹃ 今昔

﹄巻 十九 と巻 二十 は仏 法部 に属 しな がら

︑巻 二十 一か ら の 世俗 部 へ の懸 架 と し て重 要 な 役割 を 担 って い る と 評 価で きよ う︒

― 31 ― 『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造

(19)

⑴ 以 下

﹃ 今 昔

﹄ と 省 略 す る

︒ 本 稿 で テ キ ス ト 本 文 を 引 用 す る 場 合

︑ 基 本 的 に 新 日 本 古 典 文 学 大 系 に よ る

⑵ 以 下 の 構 成 論 は 国 東 文 麿

﹃ 今 昔 物 語 集 成 立 考

﹄ 増 補 版

︑ 早 稲 田 大 学 出 版 部

︑ 一 九 七 八 年 五 月

︑ 一 七 二

〜 一 七 四 頁 に 示 さ れ た も の を 私 に 再 構 成 し た も の で あ る

⑶ 注

︑ 七 七 頁

⑷ 小 峯 和 明

﹃ 今 昔 物 語 集 の 形 成 と 構 造

﹄ 笠 間 書 院

︑ 一 九 八 五 年 一 一 月

︑ 四 九 一

〜 四 九 二 頁

⑸ 注

︑ 四 九 四 頁

⑹ 大 村 誠 一 郎

﹁ 今 昔 物 語 集 本 朝 仏 法 部 小 考

│ 巻 十 九

・ 二 十 の 成 立 を め ぐ っ て

﹂ 金 沢 大 学 国 語 国 文 学 会

﹃ 金 沢 大 学 国 語 国 文

﹄ 一

〇 号

︑ 一 九 八 五 年 三 月

︑ 二 五

〜 二 六 頁

⑺ 小 峯 和 明 校 注

﹃ 新 日 本 古 典 文 学 大 系 今 昔 物 語 集

﹄ 第 四 巻

︑ 岩 波 書 店

︑ 一 九 九 四 年

︑ 五 五 一 頁

⑻ 原 田 信 之

﹃ 今 昔 物 語 集 南 都 成 立 と 唯 識 学

﹄ 勉 誠 出 版

︑ 二

〇 五 年 二 月

︑ 二 二

〜 二 二 一 頁

⑼ 先 行 研 究 に お け る 巻 十 九 の 説 話 群 分 類 は 概 ね 本 稿 で 示 し た も の と 一 致 す る

︒ た だ し

︑ 第 一 節 の 国 東 氏 の 分 類 は 孝 養 説 話

︑ 報 恩 説 話

︑ 三 宝 加 護 説 話 を

﹁ 孝 養 報 恩 説 話

﹂ と し て 一 括 す る

︒ ま た

︑ 呼 称 に つ い て は

︑ 出 家 説 話 を

﹁ 出 家 機 縁

﹂︵ 注

④ 小 峯 著 四 九 一 頁

︶︑ 仏 物 欺 用 説 話 を

﹁ 仏 物 盗 用

﹂︵ 小 峯 同 上

︶︑ 三 宝 加 護 説 話 を

﹁ 奇 蹟

﹂︵ 松 尾 拾

﹃ 今 昔 物 語 集 読 解

﹄ 第 一 巻

︑ 笠 間 書 院

︑ 一 九 九

〇 年 一

〇 月

︑ 五 一 五 頁

︶ な ど 先 行 研 究 に よ っ て も 相 違 が あ る

⑽ 本 稿 に お い て は

︑ 因 果 応 報 と は 一 説 話 内 に お い て あ る 特 定 の 人 物 に 対 し て 因 と な る 行 為 と 果 と な る 出 来 事 が 一 対 一 で 対 応 し て お り

︑ な お か つ そ の 善 や 悪 と い っ た 属 性 が 一 致 す る 現 象 を 指 す も の と 評 価 す る

︒ つ ま り

︑ あ る 登 場 人 物 が 善 行

︵ 悪 行

︶ を 行 っ た 場 合

︑ 善 報

︵ 悪 報

︶ が そ の 人 物 に 対 し て 発 生 す る の で あ っ て

︑ 別 の 人 物

︵ た だ し

︑ 過 去 世 と 現 在 世 に お い て 別 の 人 物 で あ る 場 合 は あ る

︶ に 報 い が 降 り か か る こ と や 善 行 に 悪 報 が 対 応 す る こ と は な い

︒ ま た

︑ 説 話 中 で 対 応 関 係 が 顕 著 で な い も の は 因 果 応 報 と 認 め な い こ と に す る

⑾ 巻 十 九 第 二 十 六 に は

﹁ 子 孫 モ 繁 昌 シ テ 有 リ

﹂ と し て

︑ 孝 養 と 子 孫 の 繁 栄 に 因 果 関 係 を 意 図 す る 一 節 が あ る

⑿ た だ し

︑﹃ 古 本 説 話 集

﹄ 下 巻 四 九 話 で は 忠 明 が 助 か っ た 話 に 連 続 し て

︑ 観 音 に 念 じ た こ と で 赤 子 が 助 か る 話 が あ り

︵﹃ 今 昔

﹄ 巻 十 九 第 四 十 一 の 類 話

︶︑ 三 宝 加 護 へ と 連 な る 視 座 を 有 す る

⒀ 拙 稿

﹁﹃ 今 昔 物 語 集

﹄ 巻 十 九 に お け る

﹁ 出 家 説 話

﹂ の 原 理

﹂ 同 志 社 国 文 学 会

﹃ 同 志 社 国 文 学

﹄ 九

〇 号

︑ 二

〇 一 九 年 三 月

『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造 ― 32 ―

(20)

⒁ 例 外 と し て

︑ 巻 十 三 第 三 十 一 の 出 家 は 出 家 の 契 機 を 記 さ ず

︑ さ ら に 出 家 者 が 還 俗 し て し ま う と い う 仏 法 部 の 出 家 と し て は や や 異 質 な 内 容 で あ る

⒂ 例 え ば

︑ 巻 十 九 第 三 を

﹁ 慶 滋 保 胤 の 奇 行 を 集 め た も の

﹂︵

﹃ 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 今 昔 物 語 集

﹄ 第 二 巻

︑ 四 三 八 頁

︶ と す る 注 釈 が あ る

﹁ 知 リ

﹂︵ さ と り

︶ は

﹁ 智 リ

﹂ や

﹁ 悟 リ

﹂ な ど の 表 記 で も 現 れ

︑ 総 じ て 仏 教 的 な 正 し さ を 正 確 に 判 断 す る 能 力 を 指 す

︒﹃ 今 昔

﹄ に お い て は

﹁ 法 文 ヲ 学 ブ ニ

︑ 心 ニ 智 リ 深 ク シ テ

︑ 露 計 モ 不 悟 得 ル 事 無 シ

﹂︵ 巻 十 一 第 二

︶ な ど

︑ 高 僧 で あ る こ と を 表 現 す る の に 用 い ら れ る の と 同 時 に

︑﹁ 汝 ヂ 等 極 テ 愚 也

︒ 我 ガ 敬 フ ヲ 様 有 ラ ム ト 不 思 シ テ 謗 ル ガ

︑ 智 ノ 無 キ 也

﹂︵ 巻 十 一 第 四

︶ の よ う に

︑﹁ さ と り

﹂ が な い こ と が 能 力 の な さ を 端 的 に 表 現 す る も の と し て 用 い ら れ て い る

︒ そ れ に 対 し

︑﹁ 道 心

﹂ は 仏 法 を 強 く 求 め る 意 志

︑ 換 言 す れ ば

﹁ さ と り

﹂ を 求 め る 意 志 を 意 味 す る

︒﹃ 今 昔

﹄ で は

﹁ 忽 ニ 道 心 ヲ 発 シ テ

︑ 悪 心 ヲ 棄 テ ヽ 善 心 ニ 趣 ヌ

﹂︵ 巻 十 四 第 十

︶ の よ う に

︑ 道 心 は 発 す る も の

︑ 深 め る も の で あ り

︑ そ れ に よ っ て 仏 法 と い う 正 し い 道 に 進 む こ と が 可 能 と な る

⒄ 巻 十 九 第 十 八 も 三 条 大 皇 大 后 の 出 家 よ り も

︑ そ の 際 増 賀 聖 人 が 卑 猥 な 言 葉 を 発 し た り

︑ 宮 中 で 排 便 す る

﹁ 奇 行

﹂ に 説 話 の 焦 点 が あ る

⒅ 出 家 説 話 に お い て

﹁ 機 縁

﹂ は

︑ 巻 十 九 第 一

︑ 第 二

︑ 第 四

︑ 第 五 に の み 見 え る

⒆ 本 稿 に お け る 巻 二 十 の 説 話 群 分 類 は

︑ 先 行 研 究 と も 概 ね 一 致 す る が

︑ 巻 二 十 第 十 三 と 第 十 四 を

﹁ 野 猪

・ 野 干

﹂ と 独 立 さ せ た り

︵ 注

⑻ 原 田 著

︑ 四 三

〇 頁

︶︑ 悪 報 説 話 を

﹁ 悪 報 転 生

﹂ と

﹁ 現 報

﹂ に 分 割 し た り

︵ 注

⑷ 小 峯 著

︑ 四 九 三 頁

︶︑ 第 三 十 九 と 第 四 十 を

﹁ 驕 慢

﹂ と 独 立 さ せ る

︵ 注

⑻ 原 田 著

︑ 松 尾 拾

﹃ 今 昔 物 語 集 読 解

﹄ 第 二 巻

︑ 笠 間 書 院

︑ 一 九 九 四 年 三 月

︑ 三

〇 九 頁

︶ な ど の 点 で 異 同 が あ る

︒ こ れ ら の 点 に つ い て は

︑ 適 宜 注 で 触 れ る こ と に す る

⒇ 天 狗 説 話 に つ い て は 野 猪 が 登 場 す る 第 十 三

︑ 野 干 が 登 場 し て い た で あ ろ う 第 十 四

︵ 本 文 欠

︶ は 異 類 説 話 と し て 天 狗 説 話 か ら 除 外 さ れ る こ と が あ る が

︑ 第 十 三

・ 第 十 四 と も に 反 仏 法 行 為 を 働 く 怪 異 的 存 在 の 出 現 と い う 点 で

︑ 第 十 二 ま で の 天 狗 説 話 と 同 質 と 見 な せ る の で

︑ 天 狗 説 話 と し て 一 括 す る こ と に す る

︒ 悪 報 の 内 容 に よ っ て

︑ 細 か く 分 類 す る こ と は 可 能 で あ る が

︑ 本 稿 で は 悪 因 悪 果 で 一 括 さ せ る こ と を 重 視 し

︑ 悪 報 の 内 容 に は 踏 み 込 ま な い

︒ 巻 二 十 第 四 十 は 前 話 の 第 三 十 九 と 二 話 一 類 を 形 成 し て い る と さ れ

︑﹁ 驕 慢

﹂ で 一 括 さ れ る こ と も あ る が

︑ 第 三 十 九 が 驕 慢 を

― 33 ― 『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造

(21)

起 こ し た 僧 が 火 に 焼 か れ そ う に な る と い う 悪 因 悪 果 が 顕 著 な の に 対 し て

︑ 第 四 十 で は 乞 食 を 侮 っ た 義 紹 院 に 悪 報 が 発 生 す る わ け で は な い 違 い が あ る

︒ そ こ で

︑ 第 四 十 は 乞 食 が

﹁ 在 俗 善 人

﹂ で あ る こ と を 認 め て

︑ 本 稿 で は 在 俗 善 人 説 話 に 分 類 す る こ と に し た

︒ 注

︑ 四 九 六 頁 森 正 人

﹃ 今 昔 物 語 集 の 生 成

﹄ 和 泉 書 院

︑ 一 九 八 六 年 二 月

︑ 二 一 八 頁

︒ 天 狗 が 反 仏 法 行 為 を 働 く

↓ 撃 退 さ れ る

︑ の よ う な 因 果 応 報 の 対 応 は 一 部 に は 見 受 け ら れ る が

︑﹁ 鬼

﹂ が 后 を 犯 す 第 七 に お い て

︑﹁ 鬼

﹂ が 悪 報 を 何 ら 蒙 ら な い こ と な ど か ら

︑ 天 狗 説 話 全 体 を 貫 く 因 果 応 報 観 と は 言 え な い

︒ 第 七 の 説 話 は

﹁ 鬼

﹂ が 登 場 す る 点 で 天 狗 説 話 に 含 め ら れ る の か 問 題 が あ っ た が

︑ こ の 観 点 で 捉 え る こ と で

︑ 聖 人 が

﹁ 鬼

﹂ と な る 行 為 に 反 仏 法 が 見 出 さ れ て い る と い う 解 釈 が 可 能 に な る だ ろ う

︒ 例 え ば

︑﹁ 天 狗 譚 の 最 初 に

︑ 天 竺 か ら 飛 来 し た 天 狗 の 話 を 配 置 し た の は

︑ 本 集 全 体 の 構 成 に 同 じ く

︑ 仏 法 東 漸 の 歴 史 を た ど っ た も の

﹂︵

﹃ 新 編 日 本 古 典 全 集 今 昔 物 語 集

﹄ 第 三 巻

︑ 二 五 頁

︶ と す る 注 釈 が あ る

︒ こ の 点 に つ い て は

︑ 松 尾 拾 氏 に

﹁ 反 仏 法 行 為 を し た 者 の 話 を 集 め る こ と が 目 的 だ っ た

﹂︵

﹃ 今 昔 物 語 集 読 解

﹄ 第 二 巻

︑ 笠 間 書 院

︑ 一 九 九 四 年 三 月

︑ 三 一 一 頁

︶ と い う 指 摘 が あ る

︒ し か し

︑ 松 尾 氏 は 天 狗 説 話 に つ い て 反 仏 法 行 為 の 主 体 を 天 狗 と 見 て お り

︑ 本 稿 に お け る 位 置 付 け と は や や 異 な る

︒ あ る い は

︑ 巻 二 十 一 が 天 皇

・ 皇 室 説 話 を 集 成 す る こ と を 意 図 し た 巻 で あ る の な ら

︑ 在 俗 善 人 の 極 致 と し て 天 皇 や 皇 族 が 位 置 づ け ら れ

︑ こ れ へ の 布 石 と し て 巻 二 十 末 尾 に 在 俗 善 人 説 話 が 置 か れ た 可 能 性 も あ る が

︑ 巻 二 十 一 が 現 存 し な い た め 推 測 に 留 め た い

『今昔物語集』巻十九と巻二十の対比構造 ― 34 ―

参照

関連したドキュメント

︵逸信︶ 第十七巻  第十一號  三五九 第八十二號 ︐二七.. へ通 信︶ 第︸十・七巻  第㎝十一號   一二山ハ○

︵人 事︶ ﹁第二十一巻 第十號  三四九 第百二十九號 一九.. ︵會 皆︶ ︵震 告︶

野手雅信,色素ノ擾散能二就テ.十全會雑誌,第35巻,2817頁.  5)PapPe地eim, Grifndriss

︵原著及實鹸︶ 第ご 十巻   第⊥T一號   ご一山ハ一ご 第百十入號 一七.. ︵原著及三三︶

 約13ケ月前突然顔面二急

本研究は,地震時の構造物被害と良い対応のある震害指標を,構造物の疲労破壊の

ヘテロ二量体型 DnaJ を精製するために、 DnaJ 発現ベクターを構築した。コシャペロン 活性を欠失させるアミノ酸置換(H33Q または

︵漫 録㌧ 第十λ⁝櫓  麓伊九⁝號   二山ハご一