日本資本主義務達史上より見に米償問題
1 農業生産力蹟充と物債統制||1
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序 一 育
徳川時代に於ける米償問題
( 61 )
資本主義時代に於げる米償問題
前 言
ω産業資本の警古川︵明治六年一地租改正より悶二十三年前後主で︶
﹀ 1 米償援動と米穀供給者としての農民階級2米債の地位3米債務動と米穀消費者としての商工階級j4米債政策の意義
ゆ産業資本の総立矧ハ明治一一一十年頃より同四十年頃まで︶前言1日露戦争と米償問題ω山硫・初的金融資本成立期内明治問十年以降大正七年まで︶本絡的金融資本確立湖︵大正七年より以降V
−米穀法ハ大正十年
U 2
肥料統制問題ハ昭和六年﹀
例議事一容と米償問題
前官1農業生産力の問題
誇米穀関係法規年表 3米穀統制法︿昭和八年︶
44
恩要肥料業統制法ハ昭和十一年︶
2米債の本質論3生産力撰充ル﹂物関統制
F位 結
録
序
さき・,_,
本論文は山下敬授指導の演習テ1マ﹁日本資本主義護注由民﹂より論者が報告した際のもの乞加筆し︑副題は都下六大挙討論
舎に護去した草稿である︒
論旨としては米債の泣曾的に有する意義に力耽酬を置き︑徳川時代より現代に到る枇曾閥係を明かげいぜんと努力したもので︑
特に地租改疋以降にその比重を置き︑近時の米穀一品情に就いても之を具時的に米慣と結び付けて把握した心算である︒向進ん
で戦時農業政策樹立にまで及んだ︒
さて資本主義生産閥係を最も如貨に具現するものとして我々は債格之を綜合しての物債を取り扱はねばならないが︑特に米
債を採り上げた所以は米慣が所謂日本型物僚として考へられ︑多分に歴史的瑳展性左有してゐるからである︒即ち米穀がこの
園調特の生活必需品の大宗をなしてゐると一五ふ生理皐的商品果的見地のみた︑ら歩︑それが資本との闘係に於て債格現象として
具現し︑米慣が各時代の生産閥係を分明にすると一五ふ賠に重要性がある︒
我々は米債の費動並びに之が政策を分析する事に依って︑封建時代・資本主義時代の生産関係を明かにする事が可能であ
り︑特に後者にありては段階的に見て産業資本の護生期・確立期・金融資本成立期・確立期の夫kの生産関係を明確に把握す
る事が出来る難米償問題の一枇曾的合蓄がある︒ト一越の一要旨を敷約すれば︑米償援動と政策が段階的に見で同一現象を以て貫徹
され乍ら︑それが枇舎科向学的見地より有する意義に於て著しい差異があると云ふ事である︒
c 62 )
最後に事費下の農業部門の生産力拡充と物慣統制に就いては︑上越の叙越を纏め乍ら而も米憤問題に重臨を置き乍ら行論を
進めたい︒大方の批判を期待する
鶴川時代化於吋る米債問題
徳川時代に於ては米穀が封逮的地盤より生産され︑之が一方農民の再生産へ南けられると共に︑更に武士階級へ牧納される︒
米穀の供給者としては武士階級と農民階級︑があげられ︑主として武士階級が自身︑が向由に習聞として販費出来た︵その媒介
刊行は崎屋︑札義︶のであヲて︑農民階較は民相到に極kの封建的事情によりて阻害された︒かの幕末に於ける薩藩の米一堂貿の如
く︑畏民の米穀ぞれ自開により局されたが︑之と℃勿論商品として農民が販費したものでなく︑農民中地主のみが米穀商人と
同様の立場にあったものL
如く
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った
︒
従つ℃米債建動は主として武士階級に劃して関心事ものであり︑即ち武士階級の財政上︑米領高は作制の凶年により起うた
から米領政策費︑凶作救捷のために飴り利益があったとも去へたい︒反封に米慣の下落は貨幣牧入の減少を来す︒蓋し営時貨
幣粧捧げか自然経密を崩壊さぜつLあったから︑米債の下落は武士階級には不利益であったらう︒併乍一般農民は却って自然経
掛下にあったから︑作柄の盛一凶に支配される︒従って米債の費動には農民階級には飴りに影響されたい︒
他方米償費動段商工階紘には武
LL
階級ーと反劃の立場にある︒要するに米債の械端た変動は武士肝級にも商工階級にも面白か
らぬ事であり︑そこに米債政策の意義が生やる︒之は物憤問題のみならや︑階級維持のためにも必要であった︒
米僚政策として︑債格・配給機構のみに限定される︒剰へ薩藩にては米僚調節のため常平倉が設置されたが︑義倉その他の
( 63 )
貯穀倉の普及に主り一般化されなかった︒
米慣の地位とじて︑常時米穀が生活必需品の大去をなすのみたら十岡家の財源とたったがら︑米償ば一躍諸物僚の基準とな
ったが︑徳川禁令考︑経樺銭の中にある如く屡次物慣と背離された︒米償費動の原因として主として作柄の豊凶に支艶され︑
且つ貨幣制度の混凱により起るもりであった︒
未だす一日きたい黙が多々あるが︑紙数の開係上之で割愛する一挙は遺憾に堪へ校い︒
(ニ) 資本主義時代ι於け忍米債問題
我kは米慣問題が我国産業資本質生期︵明治六年i同二十三年︶に於て如何たる枇舎的合蓄を有するかを叙越す
可く要請された︒特に明治六年施行された地租改王と一千戸掛力的たる質的輔北温粍を遇して米償問題を取扱ひたいと思ふ︒先 づ地租改五令公布前の封建的生産闘係より資本主義的生産関係へむ移行轄北のための一政治・杭曾・粧時上の政策に就いて略記し て置かう︒明治一冗年︑徳川幕府の所制が新以府により皮牧され︑株・座の中世的ギルド制が一昨夜止された︒同二年︑封建的
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土地領有が慶止されて事籍奉還とたったQ叉同年封建的束縛の一つであった他搭への移動の禁止が解かれ闘門制度の止揚され
究︒同四年︑封建的身分が底止され四民平等となり武士附般が分解した︒同時に慢藩菅川仰の制度の護布を見︑株・座の一保護は 加盟⁝︿たり︑四民が自由に職業に就く事が可能とたった︒同五年︑地所永代貰見解禁され︑土地の私有が法律的に認可され契約 の自由の法令が寅施された︒かくて一鹿資本主義的た装備が臭はったと一五へる︒吹いで最も強力的なる倒出過程として地租改 豆僚令が明治六年に公布され︑日本資本主義の特殊的た経踏的地盤を確立せしめたのである︒地租改王僚令の前提要件として 地主に封じて地雰が交付され︑土地が資本主義的債格法則に規制されて自由に資買の劃象とたった︒
今や問題解決に先ちて蛍閣の地租改正の一意義に就いて一瞥を興へたい︒明治維新の餐草が﹁下組武士革命論﹂とか﹁プルジ ヨア革命論﹂とかの批判は兎角として︑地租改医を中心とし℃日本資本主義の特殊刑況が共創出の賞初より決定された事は周知
の事責である︒地租改正に依りて従来の封建的租税は現物納より金納へと韓牝し︑
c 64 )
こLに近代的租粧の形態とたわJて再登場し
たのである︒即ち従来は牧穫高に比例して定められた現物の米穀を収納したのであるが︑今度は課抵の標準として一定の金額
を土地牧盆に謝して課した︒︵地償の百分の二一︶
我山闘に於ける地租は明治四年の隠語置併の際に端を護し同年五月奮講の各日間 雑殺賦殺を全陸し︑土地に劃し奮牧納の等慣の地租を現物に於て新政府が僻説したが明治六年になり地租改正保令の護布が寛
現して︑フランス革命政府の創設したのc
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一昨出近代的租設の形態を完備したのである︒又牧納
の方法としては従来小作農は幕府・藩に租積を︑地主に小作料をと夫々別個に納めたものが︑改正を機として︑小作農は地主 に租栓と小作料とを一律に上納する冊齢︑同僚令を境界として著しい差異を生ヒたのである︒
刊維新の蟹革に際し︑軍需工業の異常たる躍進にも拘ら歩︑農業に於ては資本主義的に最も後れた土地の所伝制と零細な経営 方法が存績して再び編成替されたむである︒それは日本費本主義が創出の山口問初から関内的には維新の費革によりて臨し附され た反抗を鎮静するため︑圏外的には先進資本主義国の侵略から自己を防衛せねばならない環境にあ一ったからである︒従つ℃軍
事機構により急誌に武装されなければならす︑そのための物質的地盤としτ
一方に於ては従来の鏑山・製鍛所・誼船所の強制的 官淡と共に貨幣資本調達方法として農業よりの近代的租税に侯たたければならなかった︒即ち農業を封建的生産関係のま
Lに
存績さぜつL︑之を唯一の物質的地盤として近代的租税制度を発立させ︑努働力利用の見地からは︑かLる生産関係よりの労
力の移殖により︑一車需工業の整備︑輸出軽工業の確立を遂げたのである︒かくて封建的生産闘係維持の方法として︵封建的︶
地主と自作農・小作農の従来のまLの継承であり︑而も彼等は流通過程に於ては資本主義的位格法則に支配されるο
之位
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事 情は後遺資本主義国である日本資本主義の特殊型を伏定し︑之が産業資本確立期・金融資本成立期・確立期に到るまで特徴付
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けた事は行論中に示唆される︒
何米債費動と米穀供給者としての農民階組こ
Lに米穀供給者と一五つ℃も内家泊費以外の飴りの米穀を流通界に投やる意
味で︑貨幣経積に入つ℃からは共齢りの米穀を是非とも貨幣化せねばたら歩︑市場目的とする商品とは純粋た意味に℃は解さ れたい︒思ふに徳川時代に於ては米償問題は幕府・藩・旗ぶ・一般武士の一連の武士階級に嗣心挙たるものであワたが︑維新の 費革後は一躍武士階級は揚棄され︑それに代うて地主・白作曲民・小作員とが古耐の米償問題の封象となった︒と云ふのは彼等が 米穀の供給者となりて資本主義の間格法則・経静法則に支配されるようにたったからである︒だが彼等が特に自作農小作農米 穀の自由なる円一平等なる供給者としてたり得ない事であるのは師存農業機構に基くからである︒
地租改直営時徳川時代の自作農維持策のためか自作農は小作長に比し量に於℃相常大であったのであるが地租改正以降白作
農は米慣轡勤を通して如何に自作粂小作農・小作農に時落して行ったかが窺はれる︒資本の費生期に於て米慣費動を通して
︑ . ︑ ︐
︑ . ︑ .
主として地主と自作良とが比較軒附されるとすれば︑産業資本の確立明前後に於てな地主と小作農とが営問︒問題足り得るの
である︒又費生期には地主・自作・小作農も産業資本に封して同一利害関係を有してゐたが︑確立胡以降ば却って封抗関係を現
との一事貰も米偏問題を通して考へられるのは注意す可きである︒
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地租は上から必然的に金納に時化され︑地代打小作料も上から必然的に封建的生産開係維持のために従来の現物納一米穀の
形態の会Lに川定された︒かくて地刊の会的と小作料の現物納との柄加封枕は使用慣はとセ換償債との矛店であり︑之は口本
出し
た︒
の農業を保件付けた︒営団の問題として︵封建的︶地主と自作農との聞の劃抗であるが︑この現象は金納と現物納の割抗を遁
して考察さる可きである︒
こLに中間一反歩につき小作料ば珂物とし℃の米悲の形態では了O八八石即ち米慨を一一行三国とした場合之守一堂幣額で示
せば一一王一六川同ぜ糟牧穫のし川八%に寄るの!なある︒又地利は貨幣形態では了六二一二闘である即ち米債佐一石三聞とした場合
之を米穀で示せば0・
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悶四石八刀ぜ締収穫の三四%に営る︒それは﹁蝦令曲一日熟ノ年ト離モ増税不巾付ハ勿論︑遺作ノ年柄有之候
トモ減租ノ僕一切不相成侯﹂﹁地租改正僚例第二章︑主税局地租闘係書類棄事〜との一事情にあるのである︒
( 66 )
小作米高と米慣とに依りて増減するのである︒ 地租改京後は地主の所得は︑小作米主取得して︑その内から地租を支梯へる残額であるから地租が不費である場合には畢寛
この増減の過税が大地主の土地集中として現はれ︑中小土地所有者即ち小地
主・自作農が土地を失ふ過程として現はれる︒更に之を敷泊すれば牧穫高︵米穀︶の中から貨幣翻或びは米穀で表される種籾・
肥料代を控除した後に地祖を支梯った建額であるから︑ぞれは地租の不捕獲の場合には牧時米高と米僚と種籾・肥料代との如何
に依り℃増減するのである︒即ち一方に於ては地租が一定の貨幣額︵了六三三国︶で去され︑他方ば牧穫米高が一般的に尚一一作・
凶作の影響を兎れる事が出来十︑こLの一争例では一石六斗にて表され︑叉米慣も費動が激しいがこLでは一石三固にて表さ
れ︑更に種籾・肥料代こL
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図で表されるが︑之等の相羽謝抗は自作農の所得が絶えや増減し激O二
動するのである︒この過程を通しτ白作農は不断に崩柑惜し︑自作袋小作農・小作農へと浸訴の油開を辿る︒
右の離を解明すゐためには︑次去を掲出する︒Aは地主所得の増減でBは自作農所得を一般的に示したものである︒何れも
聞方一反歩に於ける閥係を示すものである︒
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査﹂︑昭和二年刊︑一九八頁による
O は橋本省吾﹁明治十六今出家賃ぬ﹂東京経済雑誌同十六年十二月十三日放七九四B
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注意
右表Aは二府二十五脱の事買を基礎として︑地主所得に封ナる米償︑の下落の影響を一不す︒
三町歩八二O九の事買を基礎としたもので自作農所得に艶する米債の下落の影響を示したものである︒右によると米債の下落
は地主の場合上り自作農の場合の方が一般的に一一暦顕著たる嘉買を品る事が出来るQ即ち地主所得が五七%の一減少にも拘ら
や︑自作農所持は殆んE一OO%近くも減少してゐる︒叉米債の下落率も前者が約四五%たるに反じて後者は約五六Vの
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のは流通・配給の方法との差異に基くものである︒叉自作良心諸費は米慣の下落にも拘らや草に漸落してゐる耕注目に値びす
る︒之等の事貨を更に詳言しよう︒
先づ米債の下蕗李に就いては︑自作農のみたらや小作農をも含む一般小農は牧穫後の出廻期に於て納税期・民間貸借の決斡 Bは東京南葛飾全部田方五︑二一O
期が同一時期のために自作農は手許にそれに封する代金がたいために頁り合ぎを助長させ︑責却に際しては商業資本のため一に
封建的牧奪を受け債格法則を無現して買叩れるのである︒特に止の傾向は県作の場ム円に屡々一見られるのである︒他方凶作の場
合には将来米債の高値を諒恕して買気が先に出て意外の高値を呼び農民には宣る何物もたく購買者め叫に立って生計費の増大
により困窮する俗に﹁豊作に貰りなし︑凶年に買ひなし﹂とは這般の事情を指すものである︒反相到に地主階級は小地主はとも
かくも大・毘大地主は米穀商人と同じ立場にあり︒出廻期に貰り控へて端境期に自分む有利たる悦格で責却するから︑豊作そ
の他に依る米領の下落も自作農程茜じ︿も品︑いのである︒
而し℃地租の不饗の場合には米悩の下落は増税と同一意味乞有し︑地主に比し℃米債の下泌蔀の甚しい自作農は地砲の影山首
を受ける事大であり︑こむ耕自作農の崩壊を促進せしめる︒自作良が生産する牧楼高米と地主が牧納する小作料とめ増減は正
比例し︑前二者と米債とは原則的には曲一一凶により反比例したのは官時に於ては一律に考へられた︒併乍兵躍的には各場合によ
りて所得は決定されると考へて差支へないから嘗時の献況により判断す可きである︒Bの諾授は米債の段落にも﹃拘らや激落し
〔 68 )
如く激落したから︑ てゐるのは何故であムうか︒諸点以配分析し℃みれば種籾肥料代・生活必需口似たる米穀その仙の穀恕等々であり︑米債は前述む
その他の債格が土井して或ひは激落したと見℃いLだらう︒之を試みに凶情一五年より同二十年までの米悦
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と種籾・肥料・小委・麻・繰純・綿織物め諸債格とを比較してみよう︒
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( 69 )
立史問哨江﹀
米僚が或びは暴騰し或びは暴落し一進一退の進み方をする一方肥料・小姿・麻の債格はジグザグ・コ
1
スを歩んで上向してゐ るのである︒之は産業資本の蛮生蛮展期に於て吐舎の購買力の旺盛により需要の増加は慣格を引上げか可き性質のものであ り︑米債と肥料憤格その他工業品債格との銑耽債格差はその萌芽を留に幕末に見︑今や分散的な無組織の農業に恒久化される 素地を作る事にたった︒肥料は集約労働と多肥投下を特徴とする我間農業経皆にとりて重要であり︑肥料に劃する需要の増加 は反嘗の牧童を増加させるので︑その債格の騰買は必然的である︒加之肥料商人の悉意的たる債格が強制されたりする場合 には尚更である︒他方繰綿・綿織物債格の下落は安憤且良質た輸入品によりて塵迫された結呆である︒以上を綿括して事情の
下に諸費の徴落の跡が窺ばれる︒
米慣が何故に斯くの如く著しく鑓識するかと云ふに山口同時は勿論作柄の豊凶・貨幣制度の混乱に依るのであるが更に米穀の特
質上又農業機構に基くものである︒作柄の豊凶の事情は勿論我闘の農業機構の下にあるからである事は云ふ迄もない︒米穀は
闘民生活必需品の大宗を恥すから︑需要に伸縮自在牲を快き︑供給の減少は需給闘係に著しき不均衡を来たしかくて米慣は暴
騰落するoとLに米穀生震の方面に於ては我同の一如き農業生産の山内怖の下なは人局的に供給を増加させたり︑減少させたりす
る事が著しく制約されてゐる︒特に米債の下落に際しては︑米穀の生花を制限する一巾引をせ歩︑却って米債の下落は之が刺戟と
︑ ︑
たりてヨリ多くの米穀を生産しつYけ︑米穀の絶謝的増加により農家経酵の牧入の多からん事を望一むものである︒
かくて明治十七等の米債の暴落は上越の現象を集中的に表現し︑その結同市地租滞納虚分を受けて同地左官注されたり︑高利
貸資本地主より借用せる負債が不返擦の場合︑高利貸資本H地︑王に依り土地の粂有が行はれた︒叉土地の頁却・質入が政増し
て之左機として自作農より小作農へ縛落した︒小作農も之が覇幹を脱する事が出来十︑建物・屋敷の波牧される者︑小作樫ぞ
奪はれる者︑又それ以下に韓落する者を生じたo併乍明治十四年の土地費却口数が九十齢高口に上り︑共の抵嘗質入口数が約
二百寓口であり︑共借金額が約一億四千高固に上り︑而も一口の負債額は平均七十一国六十銭であったのは何より自作農の困
窮と共小作農北を如買に裏書したものである︒とLに注意す可き事は明治十三・十四年は前向の一C表の如く前後十数年間にた
c 70コ
く米債が鵬首じて農民階級が民腹した年であった︒之は米債が暴騰にも拘らや貰却する事が出来る何物も残らたいと云ふ欣態
にあるのみか却って購買者の地位に輔ぜざるを得ないからとLに生計費の暴騰を来した一事が考へられる︒かくて自作農・小地
主が土地を失ったのと同時に大地主の土地集中が必然北し︑小作農の相封的増大を粛し平均耕作面積の零細北は産業資本確立
期に持ち越される︒
間 米 慣 の 地 位
合︑米償問題は資本との関係に於℃考察されたければたらたい︒商品皐的見地から云三は︑資本主費段階に移行した我闘では 徳川時代には﹁諸色の直段は米債に従ふ﹂であ一ったが資本主義生産嗣係が商工部門に一腹整備された場
先進資本主義闘に接するに及んで︑文化の程度は極度に進み︑米穀以外に多種多様友生活必需品・者移品が多量にたり︑然も
共消費額が米穀より多額となったから︑米債の地位は相劃的に低下する事にたり︑刺へ国民粧酵が護展するにつれ米債の濁自
性は少くなり︑金融一事情・局替相場・工業品債格に準援して従たる地位を占めるようにたヲた︒
米償費動の原因としては資本の欝生期には作柄の曲一品凶が決定的要因であったが後期に到りて作柄の比重が軽くたったのも後
越の如くである︒之に反し一般物慣特に工業品債格は嘗期にあっては上向する傾向を有し︑我岡農業の豊凶には全く聞知し得
たい世界市場の影響を蒙った︒又世人間的需要に劃して工業口聞の一供給が伸縮白在性を有し︑生法過剰に基︿債格の暴落は此舎の
消費力に照躍させる生産制限を以て憤格を回復させる等人質的手段による債格操作が可能である附閥︑国民経梼の稜達に結び
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て︑碕占債格を形成せしめ得る素因たり得るが米僚は資本主義的に後れた生産闘係の下では範曜としての調占憤格の成立は根
本的には困難である︒此の賦忙も米慣は資本主義の護運に握れたる地位にあるのである︒
米債は一冗来は閣内物債であり︑工業品債格は閤際勅債と闘内物債の二面を有してゐる︒蓋し工業口刊は輸出入に闘するものが
多いから比の傾向を多分に有してゐる︒併乍米穀の輸出入を侠たたければたらなかった時には之が局地的なものであり世界市
( 71)
場とは直接関聯を持たたい︒査し米穀が純粋た意味での商品生産とし℃輸出品党る事は出来たいから︑米債は問内物債と考へ
られ
る︒
要するに米慣は工業が相官護展したのに反し農業が依然官態を股せや︑而も米穀の生活必需品としての資格が相艶的低下し
て来たが一般物債に全商的に従なる地位に引下げられたと論断す可きではなく︑各生産者が他の消費者であり︑その泊費する
債格がやがて共生産費を形成する酷一般物債と米債とは相闘々係にあるとも考へられる︒次に米僚の一地位を段階的に見ょう︒
説明の便宜上今産業費本費生期・確立期・金融資本確立期と一連の時期を通して米債を考察するとしよう︒
第一期明治元年!二七年に於ける米債費動及び紅樺的因子乙の期聞は警生産関係が漸決案℃去られ︑経掛界の動揺蓄し
く英中にあっτ後期に到わノ軽工業が最隆盛と友った時期で−あるが此の時期に於ける米慣は多くは不規則た費動が多く︑米債費
動は豊凶作と銀行増設・紙幣噌穫とに借った︒特に明治十二年・十四年は紙幣インフレーションと紙幣の一回牧とに原因してゐ た︒が明治十四・瓦年以降二十二了間年頃起は作柄の豊一凶により米慣の場動のそ勢を決じ︑その後二十七・ヘ年までは物債の線に 泊ぴて作柄の豊凶の即断響を受けてゐる離が見られる口因に徳川時代に於ては米債費動は主として豊凶により貨幣制度の現飢に
より左右されて来た︒かL
る第一期間に於ける米槙勝︑動は動乱による不規則性を帯びてゐるとは云へ維新以前の傾向を可成り
多く含んでゐる事は否定出来ない︒
第二期明治二十八年!二一十七年頃資本主義生産が米穀に封する需要を増大し︑問内に於ける供給量のみでは需要は充し 得守︑輪移入米量が槍大し︑外に米慣は一般物慣上り高侃にあった︒米債の趨勢を考へる時ご一四年・一一一五年ば竪凶の影響とは 闘係なく騰貴し︑且物債とも闘係せ十騰貨を見た︒又二六年・二九年・一二O年二二一年二一三年二二六年の六ヶ年は物慢の高低と 卒行し︑二八年の如きは豊年に拘らや︑物僚に引付けられて上騰した年で日清戦争の影響にもよるものと考へられる︒又三二 年・一二七年は物債の騰貴に拘らや作柄の一豊年により米債は下落した年であり︑か
Lる蜜動を見る時︑それを左右する因子にと
って作柄の重要性が前期に比して減少してゐるo
( 72 )
第三期明治三八年!大E九年重工業の瑳展は特に大戦中に行ばれたそれと共に農業生産が停滞性を示し︑農業関係品特
に米穀の移流入量の増加と共忙米慣は物慣に同行する傾向が顕著とたった︒明治三九年・四十四年・大豆二年・五年川七年・八年 は共に物慣及び米慣は騰貴し︑それと同時に作柄ば凶作であった︒明治四十二年・大正同年は物慣及び米慣下落し︑作柄は豊 年と云ふ如き平常扶態を示した︒が明治四十年丁大正元年・六年・九年の如き作捕の豊年に閥係せ宇米債は物債と共に騰貴し︑
又犬正二年は作柄の凶年に拘らや物債と共に下落した︒
に伴び米慣は下落した︒
之に反して明治三十八年・四十三年物慣騰貴にも拘らや︑作柄の曲目年
第四期大豆十年l昭和五年営期も作柄の豊凶如何に依り左右されるが前期・前々期に見るよりは共の度合に於て甚だし
きものがある︒例へば大正十年度に作柄八男一の増加にも拘ら歩︑品切慣は八一二%低下し米債は一六O%の低下を示した︒更に作
柄の凶作に拘らや米償・物債の低下せる年は昭和二年度米慣二二切低下︑物使一七%低下︑昭和四年度減牧六万︑米慎一九鬼
低下︑物慣一信低下︑昭和五年減牧二%米慣一五
Mm
低下︑物債二四%低下を示して居り︑之に反して大正十一年度の如く作柄
一一・六%低下に嘗り米債六二%向上し物慣0・六%低下の如きは物債によるよりは作柄に依って騰貴ぜるものと考へられるo更
に昭和四年︑作柄一九に増加し米償三七%上向︑物慣一・五
VA
低下の如く︑米債務効は作柄︑物慢の何れにも開係ない場人口もあ
る︒要するに米償費動は作柄に影響されてゐる如く見える年度に於ても︑多くは物債の轡到に左右され更に物債以上の大賢引 を起して居る事は米穀生産の特質と考へられる︒且作柄に支配されたい回数が前よりな中くなっ亡行き︑作柄の米慣に封する影
響が稀にたった︒
矧米償費動と米穀消費者としての商工階級米償費動が商工階級に及げす影響に就いて述ペなければならないが︑元来政 府は地租改主前後より商工業を温室的に育成させ手厚い保護を興へた貼と他方農業の破滅を救ふための方策上即ちの関民経掛
上より考察せねばならない︒
c 73 )
米債の騰貴は一般的に見て農民階級の有利とたり︑之に反して商工階級は生計費・生産費の晴大にて不利である︒叉米僚の 下落は之と全く反封の地位に立つのである︒この官刊は椿川時代と現象的には去も嬰らたい一ーはど都市と農村の封立の内に且一目 するのである︒だが本質的説明としては上越の如きは不充分であり産業費木との開係・工場労動者・勤労者との閥係とに於て把
握す可きである︒
産業資本の創立には寧ろ米憤及び一般物債の騰貴は却って刺戟となり℃之が助長されて利得である︒
頃銀行の増設・紙幣の濫護で物憤及び米債が暴騰した時には産業者木が日生的に伺ム比されたのである︒併乍花業費木の白 殖のためには米伯・叉は工業原料品の償格の騰貴は生産費の上昇左促して不利であゐから︑議生期上り琵民問にかけて米債の 上騰を抑へる事を産業資本の有利と考へた︒又一般勤労者の一如き牧入の少い者間一米債の騰貴は共生計費に占むる割合が培加す
例へば明治十二・三年
るから其下落を望むものである事はエングルの法則として認められてゐる︒
川向米債政策の意義上議の如き商工・農の附階級の劃立は︑資本主義と農村との相別であり︑此の臨米債政策が之等の調和 の上に発立させねばならたい︒農民の勤労に劃しては公正たる報酬が必要であるが無時の債格の吊上げは商工階級の立場より 許されや︑要するに閤民経皆上の見地より米債の調節に車力ぜねばたらない︒以下明治一万年より二十年の貰績を一瞥しよろ︒
明治元年
二年 一 一 一
四年 年
五年六年
七年
八年
九年
一心 年 一一 年
一一
一年
一 一 一 一 年
一四年一五年
一六 年 一七 年 一八 年
−・
九年
二C年
米 一 } 一 一 一 一 一 一 一 一 一 債 八 九 C八 C四 八 八 三 C九 八 二 二 八 六 九 五 五 C指 四 四 九 六 五 ‑JL七 一 四 八 三 四 二 二 三 五 四 四 一 0数 騰落原因
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西 紙 内 fl.j t格 筒L 賎 阿 に 争 政 よ る 祇 幣 持 守 王 主
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米債政策
51'
下
,.....策,,、 ..、 3 2 1 納 長 廻
主主占溶事jの の
限禁禁 止 止 引上策︷1
輸出の解禁 戸店輪出続的発除 引上策︷貯蓄米一保例︑預り米制度
戸地和税率引下
( 74 ) 凡品
卒局
地租引納制 融制
策貯
蓄法
常平局廃止
右去を崎越すれば地租改正前までは租税の収納め手段は米穀であうたから米債の下落は政府む財政上︑農民階紐の紅漕上延
いては岡氏経請に悪影響を興へた臨徳川時代と同校であrる︒明治新政府は鎖岡政策を一期し米穀の自由なる移輸出入策を引行
し︑闘所の麿止と共に地方廻砕を行ったQ叉十一年には米憤調節の機闘として常子局を設置し︑凶作には梯下げ︑地方廻情︑
去作には買上げ︑海外輪山内主施行した︒同十六年には早くも常千局主鹿止し二十二年には地租預り米制米納制を夫k陵止し備
荒貯蓄法が存捜したが常卒局は後になり米償調節の原則的た基準とたったのである︒叉農民の窮乏を阻止するために明治十年
地租の税卒の引下げとなり︑之は米償下落む悪影響を防止する一手段であり︑他方地租の引下げは自作良維持策と共に︑
乙 む
維持調整の上に租挽の牧納を維持し産業資本の育成せんとした鮪探く考へる可きである︒又地租引下げの利益は多く大地主に
得られ︑小農には飴り利したい賄前出のA−B去にても明瞭であらう︒要するに米偵政策は資本主義と農村との矛盾︑農村内
部の階紘的分化に就いて省慮しつL︑前者の場合は調和の上に立ち︑後者の場合は寧ろ地主側に立ちての詮行と考へる可きで
ある︒蓋し地主は商人的立場と利付資本家的立場を有してゐるからであるが後越する︒
c 75 ) 倒産業資本の確立期︵明治三十年
l
同四
十年
頃︶
前一言産業資本確立期は一般的には生産財生産部門と消費財生産部門め締資本が再生産謝礼道に定められた時期︑具膿的
には︑衣料生産が量的にも質的にも護展したるを前提僚件として︑かくてそれらを生産するに要する機械の生産が見透された
時期である︒我闘ではこの時期は略日清戦争以降日露戦争後に静岡ると一五へる︒即ち日清戦争後支那大冶の一錨鎖を確保した我閣
は︑之で始め℃軍需工業の原料上の基礎を獲得した事になり︑日清・日露両鞍手を媒介とぜる鋼材需要の飛躍した時期である︒
又工作機械工業も昔時より漸く自生し始めたが一般的には技術の幼稚の潟︑続々と安慣にして良質の外岡製機械が輸入され︑
主として卒事工廠に役立ち︑a民間重工業は著しく低位にあった︒明治初期︑政府により理室的に助成きれつL
︑明
治十
一一
二二
年頃から白生的に設建した産業資本特に軽工業は椛立期には著しく護展した︒
工業は一般的に低位にありやヲと繭芽的に瑳生したに過ぎなかった︒ 一方軍需工業も飛躍的に躍進を謹げたが民間重
英園資本主義の五常的登展とは異り︑我闘は調占段脳的に入った先進査本主義との激烈な競竿のために産業資本の設展の嘗初 から濁占形態を採り︑特に農村に闘係の深い人遺肥料・精糖需は護法の伺期から悶々の協定が見られた︒
肥料
猫占
春一
本に
よる
濁占債格は恒久北し鏡航便格差が農村の犠牲のょに強制される︒
悶みに資本いや五常的費反する場合には︑自由競争・技術む児 新は人遺肥料の生産費を低下させ生産過剰は共償格を下落寸じむるものであるが我闘に於℃は本る上の如き有利な債格関係に
は農
村は
営面
し喝
なか
った
︒ 他方農村事情を一併すれば︑産業費木の稜生期に於士︑自作農が自作粂小作曲民或びば小作農に韓落じ︑かくて小作良の増加 と平均耕作面積の零細化は過剰人口と土地不足を益々激佑し之が確立明に圭で持ち越された臨背に示唆した︒此時制今少し宍込
んだ分析を呆さう︒
日清鞍争前までは未だ工業が護法せや︑従って都市には人口が齢り流入しなかった︒その上比較的豊年に寒まれてゐたから 米穀に謝する需要は少く米債は物慣に比し割安であワた︒剃へ商業資本の農村に習する支配樫が蝿大であったから︑配給上商 業資本の詐欺的牧奪を受けて農民は安く衰り高く買ふ朕態にあった︒
明治二十六年より三十六年の十年聞の資本の費民は農村より都市へ人口を吸牧し︑農村人口の相封的減少を一首じた
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の事
く76〕
は米穀に劃する需要を増犬せしめ供給の桐酎的減少は米慣を騰貴せしめた︒川枇来米穀の輸出闘であった我闘が日清戟争前後よ り輸入固となった︒かく℃米債は暴騰し十六年
1二十年には米債指数を一
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とすれば二一年l
二五年の平均ば一三三であり
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で米慣は常に一般物問より高位を保ってゐた︒だがかくの如く 米債高の利金は事も小作農はその生活を潤す事な︿その大部分段地主の牧得するところとたった︒即ち米債高は小作米の貨幣 換算による増牧と絶封地代と差額地代を同時に成立する地代牧入の増加により利径を受けた︒明治十一一二二年頃間出民権の叫 ぴが上られたが︑之は農民特に地主と新興費木家とが嘗時の官僚専制ブルジョア政府への反封の聾であったが︑産業資本確立 期には地主は一般農民の立場より産業資本家と共同の利害関係となった
o
商業資本と産業費本とが短期間に碕んE同時に護連じた我園では政府は資本を温室的に保護育成したのは常然であり︑而し
て此の過程にでそれ白樫専制的官僚軍閥は完全にプルタヨア化して了び︑自由主義的経酵の護展を得た時は朗に世界資本主義
は自由主義的費展の頂畔舶を過きて潤市資本主義的護展段附への店法期
h w 一回く踏み出してぬたの立ある︒従って我闘資本主義の
護展期は同時に成熟期であり︑産業資本の護展期は椋めて短命であった︒昔時琉安その他の人遺肥料業は嘗初より濁占的慣向
を有し︑カルテル慣格が成立し︑米債との欽欣慣格差が不可避のものとたった︒明治十九年硫安が始めて輸入され同三八年に
硫安が製銭所の副産物として生産さ札︑間同二年日本窒素肥料合吐が製造開始した︒欧洲大戦中は硫安の輸入の減少と共に硫
安製趨舎枇の創立が旺盛にたった︒詳しい事は肥料統制問題の中に叙述する︒
では之は皐なる量的なものであり︑土地初め農業生産手段と生活費料金部又は一部を失ったとしても︑ 産業資本の殻展は不充分乍ら農村人口を資本に庇牧し︑相調的には農村人口ば減少佐品たものL︑土地所布と零細排作の下
一片の猫額大の小作地
さへ獲られ︑又土地不口広を楠ふ何等かの刑業又は粂業が得られる限り直ちに血日付を去る嘉をしないから︑一方には小作地の噌
c 77 )
大︑一千均耕作面積の零細化にも拘らやノ︑別業品札業の増加となって現はれた︒かくて破誠に瀕する自作曲反はその破滅を支へるた
め︑農業所得以外に時に貨幣を一年中数多に︑わたりて牧得し得る養蓄に向ひ︑小作農は主として粂業や凡ゆる副業によりて辛
うじて生計を栴填したのである︒政府は自作農・小作農の救稗策として副業を奨励し︑米債の吊上げ策乞講じ︑店業組合を設
立して金融の便宜を汁り︑小山岡の出廻期に於ける克り念ぎによる米償下一治を防止した︒之等の諸政策は特殊増資本主義と良付
との矛盾を一時的に歪曲せしめたものに過ぎなかった︒之等の事情は日露戦争前までのものであるが︑究に日露戦争期聞に於
ける米慣問題に移らう︒
山日露戦手と債問題日露戦争官時の農業問題と今失支那事費のそれとは一而殆ん
Eぞの軌を一にしてゐるのである︒営
時の清浦農相は梢k生産力の一停滞性を表はしてわた農業が戦争遺行上に受ける生産の障磁を弐の如︿拳げてゐるo第一に本年
は豊作の翌年にして地カが訣けてゐる第二︑廉慣にして多量た大豆粕肥料の供給の中絶第三︑北海道鯨粕肥料の運搬分配上の
付け加へて考へる可きであるつ 選延第四︑批丁の臆召による労力の減少︑之等の盟由のみならや我国の農業機構の山殊性と猫占資本・高利貸資本の犀迫をも
我闘農村に封建時代から滑勢的に累積してゐた過剰人口︑それによって維持された封建的関係︑零細的経皆左根幹とする農
業機構は猷洲大戦に際じて主要資本主義闘に見られた如き耕作面積の減少を来す事なく︑却って幾分の増加そ示してゐるので
あるが牧穫は決して増加せや大きた波に遭遇してゐるo即ち米設の牧磁は三十六年の豊作︑二一十七年の大畏作につYいて三十
八年には骨同時には稀なる大凶作とたりて現はれた︒之は一つには共蛍時に於ける農業が未だ低い技術的基礎の上に立ってゐた
もむで︑自然的影響を受ける事大であったからである︒だがそれのみたらや戦争の影響を受けて労力・畜力の質的量的不足・肥
料φ施用量の減少に基いてゐた︒前誌の清浦良相の言が官争責となっ℃現はれたのは︑結局農民わ経時欣態が相劃的に悪化し
て︑購入肥料なり︑自給肥料なpが充分に得られたい紙態にあったからである︒弐去は日本経槽統計締翻一一一四頁より官時
の物債の流れを見ょう@
D
東京市卸買物債指数︵商工省調M
h上
玄 米 一 中 玄 米 類
︵ 下 玄 米 一 大 豆
・ 小 一 旦
︐ 大 姿
・ 小 委 一 平 均
一 −
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酒・ 馨泊
・味 噌・ 食
町−EEJ盤・砂糠・茶・煙草
穀
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晴好品・肉類・衣料品は農家経一瞬に取りて︑必然的に生活必需品であるので之が騰貴は生計費の上に甚しく悪影響を輿へるの
である︒晴好品は専責法及び戦時非常特別税法賃施に依る猫占債格と間接税により︑又肉類・衣料品・燃料は戦時需要の増大に
より︑肥料は謂占資本によるカルテル慣格により夫々騰貴し平均して三十七年には前年の一一割問分︑一一一十八年には前年の三割
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oそれにも拘らや農民の主要販責口問たる米設の債格は此の時期には騰貴せやに却って連年の大曲正作の稜な
受け℃一一割内外の下落を示したのは前述した如くである︒之を要するに日露戦争の非常特別的経持政策を要請する事に依り︑
米穀とカルテル整品聞の銑枇償格差を揖大再生産せしめかくて農民経静は益々難局に陥った︒此の時期に政府は米慎吊上策と
c 79 )
して明治三十八年に外関米轍入関税を課したのである︒之は米債の下落するに際じてそれを喰ぴ止めるための消極的意味に過
ぎや米僚の下落を防止出来なかった︒上越の結果は戦争と経静との基本的調係を如究に現すもので所謂﹁需給閥保の具常放る
結合﹂に基く弱点債格が戦時債格であり︑戦争と云ふ無限た需要に封し︑供給に競争がない︑多少の不足紙態によって圏内市
場を最も脊利に握る摘占資本の政策が鞍時に於℃は政府の意思に反して途行される︒要するに濁占資本の強化調整と依存せね
ば国家が戦争遺行が不可能であり︑之は日露鞍争官時と現今の場合とは事情が問︑一である︒調占資本の牧取と相使ちて高利貸
奇本の鹿迫が考へられ・なければならない口かくて日露戦争後殊に明治四十年以降は都似の産業資本が澗熟に謄じて良業は全世
的に斡皮たるん枠制叩刊を示したのであ↑る白荒し此一争責は我岡特殊校良業機構並びに澗占資本高利貸費ー不の二層の重墜に依ると見
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