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(1)

著者

高橋 伸夫

雑誌名

筑波大学人文地理学研究

13

ページ

73- 94

発行年

1989- 03- 25

(2)

東京における国際金融都市化の進展

QセS

1 V土じふうfこ

E 外 国 金 融j幾i見立地の経年的変化

II-1 外 国 銀 行 支 出 ・ 事 務 所 ・ 外 国 証 券 業 者

の立地

E mセAQ ゥエャ

直- 1 ゥ スA iヲャセ

1lI- 2 外iヨヨ証券業者の詰特性

IV む す び

I はじめに

都 市 の 成 長 に 伴 っ て , 者

I

¥

ili

に作用する力として)

C

. C

. C

o

1

1

y

1

)

は 遠J心 力 と 求 心 力 の 二 つ の 力 が あ る こ と を 認 め た . と く に 後 者 は 都 子

1

1

域の核心地帯に作用しつつ,そこで、の空間利

m

の 集 約 化 を よ り 一 府高めるものであり, そ の う ち と り わ け 金 融j投 能 が 典 型 的 な 例 で あ る . 都 市 が 大 都 市 段 階 に 達 す る と)

J

二記の過程で、は金融機能のうち貸付機能が特化する傾向にある. 同 時 に , 都 ili 成 長 が 進 む に つ れ

iセ■ョ QGQ 「。ウゥ」 機能2) のにjコにも,金融機能が最重要なも

の と し て 考 え ら れ , あ る 都 市 に 存 在 す る 金 融 機 能 は , 周 辺 地 域 に 対 し て 広 く そ の 影 響 力 を 保 持 す る も のである.

金融機能は,上記のように大都市の都心部において, とくに重要な干支割を来たすために,注目され て き た とくに)

J

Labasse

3

)は , 世 界 の 主 安 な 大 都 市 地 域 の 都 心 部

n

こ は , 金 融 機 能 と 管 投 能 力L極 良: に集積する様相を認めた. この現象は rコントンにおける! 日市部で昂空史的に業務地区として発達し

Ci t y

にちなんで)

t

シ テ ィ

( C

i t y)

現 象

J

と彼によって名づけられずこ.

iセセj I ェ[ Sュ j ェ iセA I j

J

i

T

究 を 議 積 さ せ て き た . そ の う ち 木 内 信 蔵4) は , 前 述 の

C

.

C

. C

o

1

1

y

を 引 用 し つ つ , 業 務 機 能 が 大 都 市

i

習の中心に求心的に集中するものと考えたすなわち,会社・銀行が集仁│ コするにド心地域の最も

F

'j

抜 を 術 成 す る も の は 業 務 街 と し て い る . しかも,

1941

年 現 在 の 普 通 銀 行

7

長三金額を

I

z

l

化 し な が ら 当 時 の 東 京 の 麹1I1J ・1: 1本橋両症に預金額が集l中し, 他区と

i

塙絶した様相が認、ぷちられることも明記している. ま た , 実 情 降5) は,札11兜YIJ を 例 に と っ , 都 心 部 に お け る 土 地 利 用 71ヲ が も っ 地 代 負 担 力 , す な わ ち 実 質 地 価 に 闘 し て , 銀 行 が 占 め る 空 間 が 最 も 高 い こ と を 示 し た .

(3)

境 整 備 が 国 際 的 に も 要 求 さ れ て い る .

上 記 の よ う な 「 金 融 の 国 際 化 」 に よ っ て , 外 国 銀 行 や 外 国 証 券 会 社 の 1 =1木 へ の 進 出 が 急 激 に 増 大 し て い る . と く に 首 都 東 京 へ の そ れ ら の 立 地 が , 近 年3 顕 著 に な っ て い る . こ の よ う に , 東 京 が 国 際 金 融中心地として急速に成長した背景には, 日本の資本輸出由化,金問! の

I-Ig

j

j:!]イ七

J

.

1

1

i

際 化

J

,そ し て 金 融 の グ ロ ー パ リ ゼ ー シ ョ ン の , 相 互 に 関 連 し た 三 つ の 要 因 が あ る こ と が 指 摘 さ れ て き た め . す

なわち, 日本が

1980

年 代 中 頃 よ り , 巨 額 な 貿 易 黒 字 を 去 に し て , 急 速 に 資 本 輸 出 国 化 し , 世 界 の 資 金 供 給 中d心地としてj文長してきずこ・ この過

f

呈は,

1

9

1

士紀後三│ 三から

2

0

1

立 紀 初 頭 に か け て イ ギ リ ス の ロ ン ド ン が , 両 大 戦 間 に は ア メ リ カ 合 衆 国 の ニ ュ ー ヨ ー ク が , そ れ ぞ れ の 国 の 資 本 輸 出 国 化 と 対 応 し つ つ ,

国 際 的 な 金 融 中 心 地 に 成 長 し た こ と と 類 似 し て い た .

東 京 が 国 際 的 金 融 中 心 地 に 成 長 す る こ と と し て , 日本政府が

I

g

j

ら の 金 融 市 場 を 外 国 金 融 業 者 に 対 し て 規 制 緩 和 し 日 本 の 金 融 の 「 自 由 化

J

.

1

国 際 化 」 を 推 し 進 め た こ と が あ っ た .

さ ら に , 東 京 が ロ ン ド ン に 対 し て , 約

1

4

0

1

支 の 経 度 差 を 有 し , 同 様 に ニ ュ ー ヨ ー ク に 対 し て も 約

145

度 の 経 度 差 を も っ . iセi 金 融 の グ ロ ー パ リ ゼ ー シ ュ ン

( gl obal i zat i on

)

の 進 展 に 十 分 対 応 す る も の で あ っ た . す な わ ち , 世 界 の 金 融 機 関 が

24

時 間 体

1

1

!

I

J

で、為

替 や 証 券 の 取 引 を 行 う こ と に よ っ て , 従 来 の ロ ン ド ン ・ ニ ュ ー ヨ ー ク の

2

大国際金融拠点に加えて, 東 京 の 位 置 の 価 値 が 高 ま っ た こ と に な る .

従 来 に 観 察 で き な か っ た よ う な , 近 年 の 外 国 金 融 機 関 の 日 本 へ の 進 出 に よ っ て , 東 京 都 心 部 に お い て国際金融都市北が進み,そのために都心部でのオフィスビノレの需要拡大や人材の確保などの諸' 問題 が 生 起 す る よ う に な っ て き た . そ の た め , 各 分 野 か ら 上 記 の 問 題 に 対 し て , 研 究 や 報 告 が 出 さ れ る よ

うになっている7)

QQセ XI Q]Q I e iZ ii [

内 ・ 大 手 町 に 立 地 を 進 め て い る 様 相 を 指 摘 し て き た . ま た , 千 葉 立 也9) は,従来の報告を基にして, 東 京 の 国 際 金 融 都 市 化 に 関 し て 概 括 的 に 論 じ て い る . しかし,両者とも東京の国際金融都市化がし、か に 進 展 し つ つ あ る か の 詳 細 な 論 議 を 行 う に は 至 っ て い な い .

そ こ で , 本 論 は , 近 年 , 東 京 に お い て 金 融 の 自 由 化 ・ 国 際 化 ・ グ ロ ー バ ノ レ 化 を 背 景 に し な が ら , 外 国 の 金 融 機 関 が し 、 か に 進 出 し そ の 結 果 , 東 京 の 都 心 部 を い か に 変 容 さ せ て い る か を 地 域 的 観 点 か ら 論 議 す る こ と を 日 的 と す る .

本 論 で は , 外 国 の 金 融 機 関 の う ち , 銀 行 ・ 銀 行 の 駐 在 員 事 務 所 , そ し て 証 券 会 社 に 限 定 し て 考 察 す る . 資 料 と し て は , 大 蔵 省 が 発 行 す る 国 際 金 融 局 年 報 を 主 に 使 用 し た . そ れ は , 夜 毘 外 国 銀 行 支 出 ・ 外 国 銀 行 事 務 所 ・ 証 券 業 者 の 一 覧 表 を

1977

3

月 末 日 時 点 か ら , 毎 年 , 掲 載 し て い る . そ の 他 の 資 料

と し て , 各 金 融 機 関 の 名 簿 等 を 参 照 、 し な が ら , 上 記 の 研 究 課 題 の 解 決 に 努 め た .

瓦 外 霞 金 融 機 関 立 地 の 経 年 的 変 化

立- 1 IセU

(4)

し て , 経 年 的 な 変 化 を 追 っ て み た い . そ の 際 , 進 出 の 状 況 が 大 き く 変 わ っ た 時 期 を 考 慮 し て , 以 下 の

3つ の11寺 代 に 応 じ て 見 て み た い . な お , 外 国 証 券 会 社 の 進 出 は , 第2jV jの後半, とくに第3)坊に入っ

iセ N

i

期 :

1

9

7

0

年 以 前

日 本 へ の 外 国 銀 行 進 出 の 歴 史 は 古 い . 江 戸 時 代 末 期

( 1850

年代) に,手1: 1 蘭銀行が長11時の1. : 1=¥島に代理 を 設 控 し た こ と を 鳴 矢 と し て い る10) し か し , 外 国 銀 行 が 1:1 本 へ 本 格 的 に 進 出 す る よ う に な っ た の は , 第 ニ 次 世 界 大 戦 後 の 占 領 下 に 置 か れ た

1949

年 以 降 で あ っ た . 戦 後 , 最 初 に 進 出 し た の は , イ ギ リ ス の

St andar d Char t er ed Ba nk

(本);5 ロントン,

1949

12

28

日開設) であり, 1月1EI にはア メ り カ の

Ba n k o

f Am

er i c a

Ci t i bank

T h e Chas e M

anhat t an Ba nk

が そ れ ぞ れ 進 出 し た . そ れ ら

Q X QT I[セ○B

設 立 さ れ た11)

1

図は, QYXW QR ゥI[セセ

者 の 設 立 年 度

7

J

i J を示している. 本区

l

からも読みとれるように,

1950

年 以 前 に 設 立 し た の は イ ギ リ ス の 銀 行 の

2

支j古, QYUP V Q I[Q[ QT I[セ[

った"

1950

年 以 前 に 設 立 し た

2

支j古のうち

1

支屈は東京の千代田区と他の支) ; 5" は大阪市内に

1950

年 に 設 立 し た

14

支! 苫のうち,

5

支 自 が 東 京 の 千 代

1

3

3

1

玄,

1

支出が港区,

6

支活が大阪市,

1

支); 1 ;が横浜市 と 神 戸 市 に , そ れ ぞ れ 立 地 し た . 東 京 と 大 阪 そ し て そ れ ぞ れ の 周 辺 部 の

2

極の集仁│コ立地が認められる た め , 外 国 銀 行 の 日 本 に お け る 立 地 は 東 京l 極 型 か ら は じ ま っ た も の で は な か っ た . ま た , ア メ リ カ

20

タ ト 10 同 銀 ;::;: 5 f T

1〈

j苫

o

q

J

υ l i q / ︼

20

rtl

立 10

2 5

1950王子 60 70 80 87

(5)

合衆国の銀行が多いものの,その国籍もかなり多様なものであった. 当時の外国銀行の中心的な業務 は,外国為替業務や外貨貸出業務であった.

そののち,

1950

年代と

6

0

年代までは,外国銀行の進出はごく│浪られたものであった.

2

期 :

1970

年 代

1960

年代までは, 日本の経済が国際化しておらずp 外国銀行は積極的に対日進出しようとする意欲

に乏しかったほか, 日本政府も経済力の十分備わっていないわが留の経済・金融に外国銀行進出の与

iセi N しかし,

1960

年代後半から)

I

ヨ本経済も高度成長

期 を 迎 え , 企 業 に よ る 海 外 投 資 や 海 外 活 動 が 活 発 化 し そ れ に 呼 応 し て 世 界 の 銀 行 の 密 際 化 戦111告の展

開も一段と高まりを見せるようになった.

1970

8

月に銀行が第三次資本自由化業種に指定され, iセャャ Aiゥャャ

iGセ N

1971

年には,アメリカ

合衆愚・イタりア・スイス・ブラジノレなどの銀行

8

行 に 在 日 支 自 の 開 設 を 認 め る 内 示 が 与 え ら れ ,

1972

73

年にも11 行の外患銀行に同様な内示が出された. その結果)

1

9

7

2

' "' -' 7

4

年の

3

年間には

29

33

支} 苫が設立されることとなった12) 第

1

1

i

に示されているように,上記のうち

24

支活が

1987

1

2

月末

自まで操業を続けていたことになる.

一方,

1973

年秋の石油危機を契機として国際経済が困難な局面を迎え,銀行の国際業務の活動は従

来より不活発になった. また,当時, 日本では外国銀行の新規の進出を鐙先し,既に進出ずみの銀行

の支j苫増設は抑制する方針を打ち出したことも加わって,支広数増加の速度はやや鈍化した. このよ

うな状況は,第

1

図が示している. 周囲によると)

1974

年の外国銀行支誌の開設は,すっすをかに1! 苫に

とどまり,

1980

年まで外国銀行の支

j;5

の開設と新たな進出の銀行がごく限られていた

当期後半における外国銀行支) 苫の国内における分布状況に関しては,第

2

!

i

が示している.

1977

者1I

第2図 在日外国銀行支} 苫の

i

盟内分布 ( 1977年3月末

1:3) ( 資料: 大蔵省)

3 月末日現在)

76

の外国銀行の支j苫が存在して

いたが, そのうち

51

支 自 が 東 京 に 立 地 し て い

た。そして,大阪市にはおの支) 苫が開設してお

り,東京の都市翻に入る横浜に3 行,大阪の都

市圏に入る神戸に

3

行が操業していた. 当時,

アメリカ系の銀行2 行の支j古4 行が沖縄に存在

したことも注尽される.

東京・大阪の二大拠点が,当時,すでに確立 していたが,そのうち,東京都では千代田・中

央・港の

3

区にj苫舗の立地が限られていた. と

くに千代田区には, 日本全体の外出銀行数の突

63. 2%

に相当する

48

行が集中していた.

3

図は,千代田・中央・港

31

玄に立地して

(6)

¥

¥

@ヲt日外国証券業者向C :J-由 J ryェjセ@ _j L 主 要 道 路 ' 1

o

5 0 0 m

(7)

行の分布状況は, QZ Q QSI Q GBGMGS iセ i

て有楽町1 丁目にかけたlil約3 0 0 m, 長さ約1 ,OOOmの細長い地帯であり,

J

R 紋 の 東 側 に 沿 っ て い

る. 外国銀行群が日本の銀行群と混在してはいるものの,前者は丸の内

3

丁 目 か ら 有 楽 町

l

了 自 に か

Q iセi iA ij 1 丁 目 に そ の 中 心 が 存 在 し て い

て,分布の地域的重点がわずかに呉っている.

1970年 代 に 入 っ て , 外 国 銀 行 の 事 務 所 の 進 出 も 増 え て き た . こ れ ら 駐 在 員 事 務 所 は 営 業 行 為 は 行 え

ず, 当該外国銀行の日本における為替取引契約を締結している銀行との連絡, 日本の経済事情の調

査3 資料収集などを行っている14) これらの駐在員事務所の進出も, 1960年 代 に 入 っ て か ら 進 み3

1970年代になると,支j苫の立地とj司様な速度で進行したが,石油危機以降は著しく減少した.

第3 期 : 1980年 以 降

1970年代の後半から, Q iyセj N そ の た

め , 当 期 に 入 っ て 支j苫数の増加は, 1970年代の初期と同様な速度に戻った. とくに事務所の増加数は

顕著な動きをみせ, 1986年には 1 年 間 で 15 の事務所が開設した. しかし,支j古の開設も1985年にピー

ク を 迎 え , そ の の ち 開 設 数 が 減 少 し 事 務 所 の 開 設 も87年 に 至 っ て 前 年 に 比 べ て そ の 数 が 減 少 し て き

た. したがって, 最近になって, 進出数が停滞ぎみになってきたことが特徴的である. たとえば,

1986年 7 月に中国の Banl王of Chi na が支出を開設して以来, 1987年 10 月にカナダのN at i onal Ba n k

of Ca na da とニュージーランドのBa n k of N e w Zeal and が支局を開設するまでの1 年余の簡には,

外 国 銀 行 の 新 設

);5

舗は皆無であった.

ただ,国ごとに日本への進出が多少異なっていた. アメリカ系の銀行についてみると, 1984年に進

出した Ban1王of Hawai i を除いて, 1974年以降新たに進出した銀行はなかった‘ そして, 1980年 以

降,アメリカ系銀行の支出は,わずか5 行 増 え た に と ど ま っ た . 一 方 , ア メ リ カ 系 銀 行 は , 最 近 , 経

営 の 合 理 化 , あ る い は 他 の 外 国 銀 行 に よ る 買 収 な ど の 理 由 で3 行減少した. ただし, このことは,ア

メリカ系銀行が同ークループ内の証券会社の進出を実現させるために,銀行支j苫業務をやめた例がみ

られ Iヨ本への関心を無くしたことと解釈すべきではなかろう15)

1975年と 87年 を 比 較 す る と , 増 加 数 38行のうち, ヨーロッノとからの進出が18行, アジアから38行,

そ の 他 , オ ー ス ト ラ リ ア ・ カ ナ ダ か ら 刊 行 と な っ た . ア メ リ カ 系 の 銀 行 の 進 出 が 頭 打 ち と な り , そ の

一方で, ヨーロッパ・アジアの諸国の銀行が進出するようになっている. オーストラリア・カナ夕、、な

どからの銀行が増えたのは, レシプロ方式( 相互主義) の問題があって,従来, ! ,註在員事務所のみの

￘ャセ N

また, 1ヨ本国内における進出状況を地域的にみると,かつては支宿所在のほとんどが東京に集中し

ていたものの,近年になると,大阪への進出も目立ってきた. とくに, 1984 ・85年の 2 年間に新設さ

れた15支j古のうち, 9 支

);5

が大阪であり, 5 支! 苫が東京, 1 支j古が名古屋であり,大阪への支倍立地

数が東京のそれに比較して│ 凌がしていた. とくに, シンガポーノレ・インド、・タイなどのアジア系の銀

行 は , 東 京 へ ま ず 進 出 し そ の の ち に 大 阪 に 第 二 番 目 の 支j古を開設し, 日本国内で二極の拠点形成を

(8)

スiゥェ ャ セゥ N

け る 東 京 ・ 大 阪 二 極 拠 点 立 地 の 動 き を 一 層 強 め る も の で あ る .

このように,

1970

年代から外国銀行の

F

]

木への進出が開始し,

8

0

年 代 に 入 っ て そ れ に 拍 車 が か け ら れ る よ う に な っ た . そ の 背 景 に は , ま ず 第 ー に1=1本 の 金 融 資 本 市 場 そ の も の が 醤 際 的 に み て 巨 大 化 し た こ と に よ る . そ れ と 伺

1

1

寺に,金融取引手段としての

p

= j の国際的地位が向上するとし、ぅ

l

f

= j の国際化が 進行した. すなわち, 日本の貿易取引の

P

=

j

} I 比率が高まるとともに, 資 本 取 引 で の 円 の 国 際 化 が 進 み,

I

主│際{ 責

m

場で、の円建伎の割合が高率になっている.

また,

J

長近の著しい変化は,たんなる金融の

i

i

際化という領域をこえて, 1-立界の主要な金融センタ

RTQQ iinh ヲAセ N

は, 金融のク lコーパノレイヒ ( gl obal i zat i on) とも表現される16) このような時代の世界における金閣! の

特徴は,通信技術の発達,金融の証券化などによって,金融の急速なグローパノレ牝が進展した点に求 められる. し た が っ て , か つ て は ア メ リ カ 合 衆 国 の ニ ュ ー ヨ ー ク と イ ギ リ ス の ロ ン ド ン の 二 大 拠 点 で ! 日: 界の金融市場が動かされてきたが,東京が欧米両市場の時差を補完するには十分な地理的位置でも あった. それに加えて,

N

I CS

を 背 景 と す る 東 ア ジ ア の 後 背j告が存在することも重要なことがらであ

っナこ17)

次 に 外 国 証 券 業 者 の 対fl:進出状況をみてみよう. 混在ある外国証券支応で最もl :

f

く/ ) F !設したのは, ア メ リ カ 合 衆 国 最 大 の 証 券 会 社 で あ る

M

erri l l

Lynch

祉の子会社の支出ーであり,

1972

年 で あ っ た . 同 年には,わが国で、外国証券法が施行された. それ以降,進出形態としては,駐在員事務所で、あり,そ れ ら の 役 割 は 本 勘 定 で の 仲 介 取 引 に 繰 ら れ て い た . 第

1

1

l

が 示 す よ う に , 現 在 あ る 外 国 証 券 会 社 の うち,

1978

年 か ら

1983

年までの

5

年 間 に は 毎 年l 社だけの進出にとどまっていたが,

1984

iI 三になると'

2

社となり,

8

5

年 に は

1

0

社,

8

6

年には

1

8

社 の 進 出 に 達 す る よ う に な っ た . 外 国 証 券 会 社 の 進 出 は 銀 行 の そ れ ぞ れ に 比 べ て , 年 代 的 に は 遅 れ た が , 近 年 に な っ て 速 度 を 平 め て な さ れ て い る

車 外 国 金 融 機 関 の 諸 相

111- 1

外 国 銀 行 支

j i E

-

事 務 所 の 詰 特 性

111- 1- 1

外国銀行支市と事務所の│翠内分布

1987

1

2

月 末 日 現 在p 在日外

i

君銀行支! 苫は

8

1

1

1

5

支j古であった. その

1

1

5

支);Sが 国 内 の い か な る 場 所 を 選 択 し た か を , 第

4

図 が 示 し て い る . 全 体 の

6

9

.

6 %

に相当する

8

0

支 広 が 東 京 都 内 で 開 設 し そ の 約4分 の3にあたる

6

1

広告I i が千代! 琵区に立地する 東 京 都 に 続 い て , 大 阪 市 に

2

7

の支! 百が存在する. 東 京 都 と 大 阪 市 に 開 業 す る 支 出 数 を 合 計 す る と , 実 に

9

3

.

QEセ

(9)

第4図 在 日 外 国 銀 行 支j吉 の 閣 内 分 布 ( 1987年12月末 日) ( 資料: 大蔵省)

{

[セ

者15

第5圏 在 日 外

l

謹 銀 行 事 務 所 の 国 内 分 布 ( 1987年12月 末iヨ) ( 資料: 大蔵省)

アメ1) カ 合 衆 国

( 4 4 . 7 %)

は , ま ず 支

jiE

を 東 京 に 立 地 さ せ , そ の の ち に 大 阪 に も 支 絹 を 拡 大 さ せ て い る .

外国銀行事務所に関しても,

1987

1

2

月末日 現 在 で , 匡

i

内 で い か に 分 布 し て い る か を 知 る た め に , 第

5

1

玄 凶 作 製 し た . 外 国 銀 行 の 駐 在 員 事 務所の場合には,割合が高率であり,

8

8

.

REセN

も 達 す る 述 の よ う に 駐 在 員 事 務 所 の 主 要 業 務 が 日 本 の 経 済 事 情 の 調 査 , 資 料 収 集 な ど の た め , そ れ ら の 情 報 量 が 日 本 で 最 も 集 ま る 東 京 に 指 向 さ れ て , 東 京 の 立 地 が 進 む も の と 忠 わ れ る. 東京以外では, 大 阪 に

1

0

.

2 %

の 立 地 が あ り , 東 京 と 大 阪 に 開 設 す る 事 務 所 を 合 計 ー す る と , 国 内 の 分 布 の ほ と ん ど で あ る

-

1

-

2

外 国 銀 行 支 と 事 務 所 ー の 国 籍

QYWWセ↓ S US WV

j吉 が 存 在 し そ れ ら は15カ 国 か ら 進 出 し て き て いた.

7

6

支j苫につし、て,その国 7JIJの 内 訳 を 示 し た も の が 第6図 で あ る . ま ず 第 一 の 特 色 は , ア メ リ カ 合 衆 国 系 の 銀 行 が 多 く の 割 合 を 示 し て い ることである. アメリカ合衆国の銀行のうち,

Ba n k o

f Am

er i c a

Ci t y

Ba nk

は そ れ ぞ れ

6

支)苫と 4支 応 を も ち3 東 京 を は じ め 全 国 に 支 網 を す で に 形 成 し て い た . イ ギ リ ス 系 の 銀 行も

91

百合

i

l

存在し,そのうち,

T h e Char t er ed

Banl

王 は 支 広 を

4

行 も ち , 東 京 ・ 大 阪 ・ 横 浜 ・ ネtr1戸 を 結 ぶ 支 脂 綿 を 築 い て い た . ア メ リ カ ・ イ ギ リ ス 両 国 系 で 過 半 数 を 占 め て い た .

1

0

年 後 の

1987

1

2

月 末 日 に な る と , 在 日 外 国 銀行支応の国別内訳の状況が兵ーなっている( 第

50 1 0 0 %

(10)

ア メ リ カ 合 衆 国

( 24. 3%)

50

その他

( 27. 0 )

1 0 0 %

第7図 在 日 外 国 銀 行 支jiEの国別内訳 ( 1987王子12月末日) ( 資料: 大蔵省)

その他

( 34. 8)

50 1 0 0 %

第8図 在日外国銀行事務所の! 重別内訳 ( 1987年12月末日) ( 資料: 大蔵省)

7 図) • まず, このl時点になると, 81行115支自に増加し, 24カ国から銀行を進出させるようになり, 主 要 因 の 銀 行 が

i

おそろった! 惑がある。 1977年3月末日現在では, ヨーロッパ系が6カ国,アジア系が

7カ国であったものが, 1987年の12月 末 日 に な る と そ れ ぞ れ 9カ匡l , 10カ国と増加 i し,さらにカナ グ ・ オ ー ス ト ラ リ ア ・ ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド が 新 た に 力 日 わ っ た . 外 国 銀 行 の 加 を 見 る 限 り で も , 1=1本 がアジアの金融機能の中心地に成長していることを物語るだけでなく,世界各地カか、ら銀行が集中し,

世界の金高慰融t

!

虫r

l

機能の仁中

i

上 記1刊O年! 日問; 間号でで、致変=容しナたこ注

i

自E

i

すベき点としては, アメリカ系の支屈が6行, イ ギ リ ス 系 の 支 屈 が2

行, そ れ ぞ れ 減 少 し た こ と で あ る . アメリカ系の銀行のうち, 1954年 に 進 出 し たAmer i c an Expr es s

銀 行 が 収 益 不 振 を 理 由 と し て 廃 業 し , 証券業へ転業したため, そ れ が 有 し て い た 支 広 が 閉j古となっ

た. まずこ, Banl王of Amer i c aの5支自のうち, SI QセGャIセU Cont i nent al

I

l

l i noi s のように

東 京 と 大 阪 の

2

j ェ iセセjI N

上 記 の よ う に , 支j百数を多数保有していたアメリカ・イギリス両国系の銀行が総計で、その数を減少 さ せ た た め , 在 日 外 国 銀 行 の 国 別 構 成 は よ り ーj喜多様化することに拍車をかける結果となった.

在日外国銀行事務所の国別内訳を見ると,その構成は支応のそれと比較して,きわめて多彩で、ある

( 第8 図) . 1987年現在, 127事務所があり, SS N IセU

事 務 所 の み 日 本 に お い て い る 国 と し て , 中 南 米 か ら

3

カ国, ヨーロッノミカユら

7

カ│雪3 アジアから

1

カ 窪l ,そしてイラン・サウジアラビア・ヨルダン・バーレーンの西アジア諸国から4カ国があり,合計

15カ国になる. このように支j苫と事務所ーの両者を合わせると, 39カ 国 か ら の 進 出 を 数 え , 東 京 を 中 心 と し た 金 融 ネ ッ ト ワ ー ク の 緊 密 化 の 進 展 が う か が え る .

(11)

1 1 [-1 -3 外 出 銀 行 支 出 と 事 務 所 の 東 京 都 心 部 に お け る 分 布

1987

12

月末iヨ況在, j[エセ U

66. 5%

に 相 当 す る80)古 舗 が 東 京 の 都 心 に

i

置 す る 千 代

1

1

1

・仁

i

コ央・港の

31

豆 に 立 地 す る . 千 代

E

E

I

61

支 , 港 区 に

1

5

ι

j

中仁

l

上 記

3

引│区玄の司中コでは, QZQS ゥQ ゥA ゥセi ゥ

=

1

: 1 本全体の外医行支

Jlj'

5 3 %

にあたる

61

広告I i

l

司 区 で 開 業 し て い る

91

玄! は)

1987

1

2

月 末 日 現 在 の 在 日 外 国 銀 行 支 出 の 千 代 田 ・ 中 央 .

3

1

玄 に お け る 分 布 を 示 し て

いる. QP SQ A ャ Q Q]Q QセSt{i

MQ QセQ N S Zイ セセェ ゥ QXI

1987

に 国 土 庁 が 外 国 金 融 機 関 に 対 し て ア ン ケ ー ト 調 査 を 行 っ た 結 果 の う ち , 都 心 立 地 指 向 に 関 し て , 以 下 の よ う に 紹 介 し てt、る. 都心部の指向は, ま ず 第 一 に 交 通 の 利 便

t

l_

:

に あ り , 外 国 銀 行 は , 有 価 証 券 等 の 輪 送 上 の 利 便 性 を 理Itl として, 日本銀行との近接性を重視しているー

31

認 の 調 査 時 点 で あ る

1977

3

月 末 日 か ら 第

91

i

の 調 査 時 点 で あ る

1987

12

月 末 日 ま で に 開 設 さ

スセャセ fh S SR N

と)

1977

3

月末日寺点で集積の著しかった千代日

1

:

イIHセ Q セSti QQQ}B

1

丁目・有楽町.

1

[

1

には, さらに

12

行 の 立 地 が あ っ た . このように, 銀 行 の 既 存 の 集 積 地 に よ り 集 中 を 高 め る 傾 向 が あ る

一方,千代日

7

区内でも,

J

二記の集積地区から離れて) i W[ Qh} QセRtiセQ X ャj ャ {￟ R のそれぞれ抗告i1開 設 が あ っ た . そ の 他 , 中 央 区 で も , 八 重 洲 か ら 日 本 橋 室Il!J vこ至る地区に,

3

行 が 立 地した. また) セ ゥ

7

行 を 数 え , そ の う ち 都 市 再 開 発 事 業 に よ り

1986

年 に 竣 功 し た 赤 坂

1

丁目のアークヒノレス

J

こは3行が開設した. このアークヒノレズには,アメリカ系の

Ba nk o

f Am

er i c a

の 支 広 の う ち , 千 代 田 区 丸 の 内l 了 司 に あ っ た 支 応 を も こ の 期 間 に 移 転 さ せ た た め , 合 計4行 が 入 居 することになった. 後述するように,新たに建築された高層ビノレで、あるアークヒノレズには,その他外 国 銀 行 の 事 務 所 や 外 国 証 券 会 社 も 開 業 す る よ う に な っ て い る .

情 報 化 に 対 応 し た イ ン テ リ ジ ェ ン ト ・ ヒ ソ レ と 呼 ば れ る 高 層 ビ ノ レ に 対 し て は , 外 国 金 融 機 関 の 需 要 が 大 き い . 国 際 的 な 金 融 情 報 を 常 時 必 要 と す る 外 国 金 融 機 関 は , 多 く の 計 算 機 を は じ め 機 器 類 の 配 線 ケ ーブノレを必要とするため,既存のピノレで、あると,床を上げなくてはならない. さらに)

2

4

1

n

,j¥のディ ーリング・ノレームが必改: になると,冷暖房施設のスペースが要求される. こ の よ う に , 金 融 業 務 の 国 際 化 に 対 応 し て ま と ま っ た オ フ ィ ス ・ ス ペ ー ス を 供 給 す る よ う な ピ ノ レ に 対 し て , 外 罰 金 融 機 関 の 需 要 が 集 中 す る 結 果 と な っ て い る19) こ の よ う な イ ン テ リ ジ ェ ン 卜 ・ ビ ノ レ は , 上 記 の よ う に 情 報 化 に 対 応 し て い る た め , 多 少 , 都 心 部 の 金 融 機 関 の 集 中 地 ! 玄 か ら 離 れ て 建 設 さ れ る 場 合 で も , 需 要 は 多 い . そ して, このような新しいビノレ訴がiヰ コ 核 と な っ て , 外 国 銀 行 の 立 地 は , 徐 々 に 既 存 の 集 中 地 区 か ら 外 縁 部に進み, より広L

ぬ I

I

8

に 及 ぶ 傾 向 が 生 じ て い る

(12)

@ 外 国 銀 行 支 応 - c コー J R駅

--

tR境

¥

¥

1

1

U

F

D

L

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H

、王

(13)

@

@ 外 国 銀 行 事 務 所 - cコ ー J R駅

一 . - !R境

_j し一

一つ 「

@

5 0 0 m

第 10 図 東 京31K ( 千代田・中央・港) における外国銀行事務所の分布 ( 1987年 12月末日) ( 資料: 大蔵省)

(14)

大部分の事務所の位置を示している. 分布の中心は,

J

R

有楽町?と近い丸の内

3

丁 目 と 有 楽 町

1

T

にかけた地慌で、ある. しかし,外窪

l

銀行の支) 苫の分布に比較して,事務所のそれは分散している. 第

10図 の 筒11去に含まれない港区や新宿・渋谷・文京涯にも,分布が広がる. 事務所の場合,窓口業務を

ェ H iセjャ

と恕オつれる.

1

I

I -

1

-

4

外 患 銀 行 支j百・事務所の経営状況

外国銀行の日本への進出が進んでいるが,外国銀行のわが国における業務の都合は,預金・貸出に 関しては, oNXセ RNPTセ@ ( 1987年3月末日) である20) 現在のところ外国銀行 の 業 務 の 割 合 は , わ ず か な も の に と ど ま っ て い る . そ れ に 対 し て , 外 国 の 例 を あ げ る と , ア メ リ カ 合 衆国での商業銀行の貸出に占める外国銀行の割合は, 22. 3 % ( 1986年6月 末 日 ) に 達 し 日本の銀行 も

8

.

4

%

を占めて, 外国銀行のうち第

1

位の割合を有している21) このようにアメリカ合衆国とイギ

リス両国では,外国銀行の進出に関して制守で、はない.

外題銀行のわが国における対全国銀行の預金・貸出に関する割合の変還をみてみると, 1977年3月

末 日 に は , そ れ ぞ れ0 . 9 3 %,3 . 3 6 %であった。したがって, 1977年と1987年の10年間を比較すると, 外国銀行の対全国銀行の預金に関する割合は安定しているものの,貸出の割合は, 1982年をピークと

して大きく低下する傾向にある.

わか国の経済の高度成長期には, 資金に対する需要が旺盛であり, 在 日 外 閤 銀 行 は 外 貨 借 款 の う ち ,

i

昔入金の使途に制限のない中・長期インパクト・ローン

( i m

pact

lo

a

η

〉の供与をほぼ独占的に 認められていた. そのため,外面銀行は臼木の銀行の資金不足を補し、つつ,そのシェアを

J

広大してき た. しかし,その後, 日本の経済が低成長期に移行し,限界的資金供給者として位置づけられた外国 銀行に対する資金需要が低迷したほか, QYXPセ QR

ンが日本の銀行にも自由化され,外国銀行にとっては従来のシェアを弓本の銀行十こ奪われる結果とな っナこ22)

第11図 は , 在 日 外 国 銀 行 支j古の資産と負債に関して, 1969年から1986年までの変濯を示している. 資金についてみると, ま ず 第l の特色として, 貸出金の割合の低下が顕著である. 1970年代後半ま で , 貸 出 金 は 総 資 産 の8 0 %を越える割合を占めていたが, 1980年代に入ってからその割合が低下し,

1987年 に は3 2 .8 %に至っている. 日本の銀行の場合には,貸出金は総資産の約6 0 %であるため,外国 銀 行 以 外 の 貸 出 金 の 割 合 が そ れ に 比 較 す る と , 著 し く 低 下 し て い る . 貸 出 金 の 減 少 部 分 を 補 う も の と して,外貨預け金・コーノレローンが増加してきた. これらは, 日本の銀行のインパクトローンや外債

i

持 入 の 原 資 と な る も の で あ る . こ の よ う に , 外 国 銀 行 の 市 場 戦 略 は , 従 来 の ロ ー ン を 中 心 と し た 業 務 か ら , 外 為 ・ 僕 券 の デ ィ ー リ ン グ な ど の フ ロ ー 業 務 に 重 点 が 移 行 す る も の と 思 わ れ る .

負債に関しては,預金の割合の急速な低下が注目される. 1987年には,

JJi

金が全負長額に占める割

合が, 1 2 .7 %にまで低下し, 日本の銀行の約6 5 %と比較すると,著しく低い. 外国銀行の場合には,

(15)

貸 出 金 ( 83. 7)

1969年12 )'j末日 貸 出 金 ( 8 3 . 1 %)

' N

i霊

貸 出 金 ( 32. 8) そ の 他

( 26. 2)

50

1987if.3

n

末日 1 0 0 %

預 金 ( 6 1.0 %) 本支} ,g勘 定 ( 29. 0)

196911'. ] 2H末

u

/

戸 J J

11't

m

金 ( 25. 8) 本 支ftg勘 定 ( 53. 6)

/ / / / / / f J 〆 / / 〆

/ / / / / / / / /

Aセセ ( 40. 4)

第11図 在 日 外 国 銀 行 の 資 産 と 負 告 ( 資 料 : 大 蔵 省 〉

た 資 金 を , 本 支 勘 定 を 通 じ て 取 り 入 れ る よ う に な っ て い る た め , 本 支j苫 勘 定 が 総 負 債 に 占 め る 割 合 は, 1969年の29. 0タぎから77年 に は5 3 . 5 %に達した. し か し , そ の 後 は 市 場 性 資 金 の 取 り 入 れ が 活 発 化

ゥ[Qセ 1987年 に は4 0 .4 %に と ど ま っ て い る

1

l

I

-

2

外 国 証 券 業 者 の 諸 特 性

1987年12月末日現在,わが国で、の外国証券業者は47で あ る . そ の う ち93. 7%に相当する44社 が 東 京

(16)

東 京 の 千 代IJI ・港・中央区に DiI]設 す る 外 国 証

QS{セヲ N

して, と く に 集 中 地 症 が 克 い

li¥

せ な い こ と で あ る. 分I {JIが 多 い 地 区 を 強 い て あ げ る な ら ば , 千 代111区 の 大 手IIIJ 1丁 目 か ら 丸 の 内1 "- ' 3 T I,ヨ 有楽町・1 l ‘EI,そして内幸fI l

J

1丁目にかけたお

n

長 い 地 区 で あ る . こ の 地 区 は , 前 述 の 外 国 銀 行

j[ゥセ

る. ただし, 新霞が関ピノレやアークヒノレズの森

第12図 在1: :1 外国証券業者の匡! 内分布 (1987: . ''1' .12月末

ビノレ内にもそれぞれ 4 社,

6

社 が 入 居 し て お lヨ) ( 資本

.

1

: 大蔵省)

り , 上 記 の 分 布 の 多 い 地 区 か ら 離 れ て 立 地 が 進 ん で い る .

し、ずれにしても, 日本の証券会社が集仁

i

コして立地する千代田区には,外国証券会社の開設がわずか と こ ろ き わ め て 限 ら れ て い る ( 第ロ図)• 東

京都の! こ! こ1で は , 千 代 旧 区 ( 全 数 の う ち

6

6

.

0%

)

と 港 区

( 2

1

.

3 %

)

同 区 に と り わ け 集 中 し て い る

一米

E予

である. 第13区! にみるように, J R線の東側には, わ ず か に4社が立地するのみである. したがっ て,外国証券会社の立地は, 日本の証券会社の集仁1: 1する地区よりも,むしろ日本の銀行が集仁│コする地

1

2

互に

m

向している.

i

i

I } 述のように,外国証券会社の立地は,国内外の金融機関が集中する J R東 京.lID( と有楽1I1J釈 を 結 ぶ 西 側 の 地 区 か ら 雛 れ る 傾 向 も 生 じ て い る . そ の 代 表 例 と し て は , 港 区 の 六 本 木 再 開 発 で 、 誕 生 し た ア ー クヒノレズの森ピルへの入居で、ある. このアークヒノレズは,

1986

4

月に完成し, ビ、ノレ内には, パラボ ラアンテナ, O A ( オフィスオートメーション) 機器配線

A

の フ ロ ア ダ ク ト が 完 備 し , 本 格 的 な イ ン テりジェントビノレとして,東京の国際化を象徴するものとして各方面から注目されている23) 37階 建 て の オ フ ィ ス 棟 ( 18万1,833n

D

に 外 国 銀 行 事 務 所 が4社 , そ れ ぞ れ が 入 居 し て い る , こ れ ら は , す べ て

2

措以上に位建し,

I

空中j古舘i J と呼ばれるものである. 外│罰金融機関の機能の特性により,対 人 サ ー ビ ス が 減 少 し た た め に l 階 に 位 置 し な い 出 舗 も 噌 大 し て い る .

14

i

は, 日 本 に 進 出 し て い る 外 面 証 券 業 者 木 社 の 国 別 内 訳 を 示 し て い る . 第

l

位 の 香 港 か ら は じ まり, ア メ リ カ 合 衆 国 ・ イ ギ リ ス が 続 く . さ ら に ケ イ マ ン 諸 島 に は 直 接 税 が 諜 せ ら れ な い た め , オ ク シ ョ ン ・ セ ン タ ー と し て 多 数 の 外 国 企 業 が 名 目 上 の 本 社 と し て い る .

実 際 上 の 在 日 外 層 証 券 業 者 の 国 籍 別 内 訳 に 関 し て は , 第

1

5

1

i

が 提 示 し て い る . 本

i

玄[ からもわかるよ うに, ア メ リ カ 合 衆 国 の 証 券 会 社 の 進 出 が 圧 倒 的 に 多 い . そ れ に イ ギ リ ス と 西 ド イ ツ を 加 え る と , 突 に

9

1.

5

%

の 割 合 に 達 す る . し た が っ て , 第

14

図の木社の所在地別内訳と木│玄

l

の 内 訳 と は , 大 き く 異 な

り,後者の方が外国証券業者の資本の性格を明│ 援に示している.

(17)

@ 外 国 銀 行 支 活

- - cコー J R駅

_ _ _ j し一

一-, Iー

主 要 道 路

500m

(18)

香 港 l アメリカ合衆国

( 36. 2%) 1 ( 25. 5)

50 1 0 0 %

第14図 セイj HQYXW QR I ( 資本.1: 大蔵省)

アメリカ合衆国

( 44. 7%)

50

イギリス

( 29. 8)

オ ラ ン ダ ( 2. 1 )

1 0 0 %

第15図 在 日 外 国 証 券 業 者 の 国

f

d

j

J.llj!巧訳 ( 1987年12月末En ( 資料: アメリカ硲工会談所他)

の 進 出 が 活 発 化 し た 背 景 に 対 し て , 以 下 の よ う な 考 察 が な さ れ て い る . ま ず 第 一 に , 東 京 証 券 市 場 自 体の規模の急速な拡大や公社債市場やユーロ円債市場の急速な拡大がある. 一方, 1::1木の投資家によ る 外 国 債 券 , 外 国 の 株 式 取 引 の 大11m!増 , そ し て ア メ リ カ 合 衆 国 の 年 金 者 を は じ め 各 問 機 関 投 資 家 が よ り 安 定 し , か つ , 収 益 性 の 高 い 投 資 先 を 求 め3 海外投資意欲が高まってきたことによる. それに加え て, 日 本 の 企 業 の 資 金 調 達 が 海 外 に 向 け ら れ る よ う な 国 探 化 が よ り ー 罵 進 ん だ . 間f I 寺に, 金融のグ ローパリゼージョンの進展により,証券市場でもロンド、ン・ニューヨークと並ぶ三大拠点のーっとし ての東京市場への関心の高まりがあげられ, そ の 動 向 が 外 国 証 券 会 社 の 進 出 を 一 段 と 誘 発 さ せ て い る24)

こものような外国からの証券会社の進出によって,外国証券会社の従業員総数が急増している. 1::1経 公 社 債 情 報 に よ る と , 在 日 外 国 証 券 会 社 の

1986

6

月末日の

4

0

社全従業員数( r '; t , ,1

996

人であり,

1

セ↓

49. 9

人であった. それが,

1

年半後になると,

4

7

社の全従業員数は,

5

1

4

6

人 に 達 し

l

社平均の従業員数は,

109. 5

人に至っている. このように外国証券会社そのものの数の増

加 と と も に , 各 社 の 規 模 が 拡 大 し て い る .

外 国 証 券 会 社 の 日 本 支j百の業務内容に関しては,

1

9

7

1

9

月 に 出 さ れ た 「 外 国 証 券 業 者 に

i

期する法

J

カ N

ェ A

iセi

すること以外には, 日本の証券会社の業務開始とその内容について,基本的な差具はない.

(19)

外国証券会社のうち, 1::1木 で の 開 設 後i時 間 が 経 過 す る に 伴 い , 取 引 先 や 人 材 の 確 保 が 進 み , 業 務 の

基 が 確 立 し て く る と , 海 外 の 投 資 家 の み な ら ず1::1木の事業法人等に対しでも,

I

主│伎や国内株式の販

売を行う会社が増加しつつある. 1::1本 の 株 売 買 業 務 の 拡 大 やj主l内 投 資 家 と の 取 引 き を 促 進 す る こ と を

目 ざ し , 東 京 証 券 取 引 所 の 会 員 権 の 取 得 を 希 望 す る 外 国 証 券 会 社 が 増 え て い る .

東 京 証 券 取 引 所 は , 長 年 に わ た り 外 国 の 会 員 を 持 た な か っ た . し か し , 近 年 , 証 券 市 場 の 国 際 化 が

ijセj

引所は, 1982年 に 制 度 改 正 を 行 い , 外 国 証 券 会 社 の 会 員))11入を認めたが,会員定数に余浴がなく, こ

の 制 度 改 正 に よ る 外 国 証 券 会 社 の 会 員 加 入 は 実 現 し な か っ た .

1983年には, セ {Zャ

に 対 し て 会 員 制 度 の 検 討 の 要 詰 が な さ れ た . 1985f

!

三に会員定数を10社増やし,新たに│主│内証券会社4

社 と 外 国 証 券 会 社

6

社の会員力

n

入 が 承 認 さ れ , 東 京 証 券tL x引所は外国の政治家等からの安望に応える

と同時に3 証 券 市 場 の 一 層 の 発

l

突のためにも,会員数の再拡大が必要との認識に立って, 1987年 11 月

に 定 数 枠 を さ ら に 拡 大 し , そ の 結 果 , 外 国 証 券 会 社16 社 が 会 員 と し て 加 入 し た26)

最近では従来からの伎券・株式の関業務に7 J l :1えて, 外 国 証 券 会 社 が M

&

A

&

D ( M

er ger s and

Acqui si t i ons and D

i vest i t ur es)

と 呼 ば れ る 企 業 合 併 ・ 買 収 ・ 事 業 分 割 業 務 担 当 の 人 材 を 配 置 し , 本

社 と 連 携 し て 国 境 を 越 え た 企 業 の 合 併 ・ 買 収 の 斡 旋 に 乗 り 出 す も の も あ る . ま た , 外 留 証 券 会 社 の な

か に は , 同 種 通 貨 で 異 種 金 利 の 交 換 や

i

可 種 金 利 で 異 種 通 貨 の 交 換 を 行 う 通 貨 ・ 金 利 ス ワ ッ プ

( sw

ap)

業務を行うものも増えてきた. し、ずれにしても,在日外国証券会社は3 証 券 形 態 で の 国 際 資 本 流 通 の

媒体になっている. こ の よ う に 外 国 証 券 会 社 の 業 務 内 容 の 多 様 化 が , そ れ ぞ れ の 規 模 の 肱 大 を 促 が す

結果となっている.

I V む す び

近 年 , 円 高 に よ っ て 東 京 外 国 為 替 市 場 に 資 金 が 集 中 す る よ う に な り , 一 方 , 金 融 の 自 由 化 ・

i

話機化

・グローパノレ化が進展するために,外国の金融機関が多数,そして急速に日本, と り わ け 東 京 都 心 部

に 進 出 す る よ う に な っ た . こ れ ら の 状 況 は , 都 心 部 の オ フ ィ ス 需 要 を 増 大 さ せ , ひ い て は 地 価 高 騰 の

引 き 金 の 一 つ に も な っ た . 本 論 は , 東 京 に お い て , 外 国 の 金 融 機 関 が い か に 進 出 し , そ の 結 果 , 都 心

部がし、かに変容しているかを地域的観点から分析することを目的とした. 切らかになった諸点は,以

下 の よ う に ま と め る こ と が で き ょ う .

1 . 外 国 銀 行 が 日 本 へ 本 格 的 に 進 出 す る よ う に な っ た の は , 第 二 次 世 界 大 戦 後 の1949i: f三t J、粋であっ

た. 外国銀行の初期の立地は,主として東京と大阪であった. 当時の銀行は, ア メ リ カ 合 衆 国 の 銀 行

が 多 い も の の , そ の 国 籍 は 比 較 的 多 様 で あ っ た . そ の 頃 の 外 医

i

銀行のl中心的業務は,外国為替業務と

外貨貸出業務であった.

2. 1950年 代 か ら 60年代にかけて, 外 国 銀 行 の 進 出 は ご く 絞 ら れ た も の で あ っ た . 1970年になっ

て, 日本政府も銀行の国際化を進める方針に変更したため, 70年 代 初 頭 に 多 数 の 外 国 銀 行 の 進 出 が あ

(20)

っ? こ.

3.

1

9

7

0

(.:1

三代後三! との外国銀行の分布は,東京と大

I

l & が中心であり,

E

I

本で、の二大拠点が当時すで、に 確 立 し て い た . とくに, 東京の千代田・仁ド央ー港の3区に集まり, そのうち, 外 国 銀 行 の 集1:1こ! 地区 は,メL の 内

1

"--'

3

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Aセ Q

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iセi iャjSPPュ Q

0

0

0

1

1

1

の細長い形状を呈するも の で あ っ た . 木 地 区 は

I

ヨ本の銀行の集中地区とほぼ一致するものであった.

4.

1970

年代後半以降,

1

3

本 政 府 の 方 針 が 外 j主

l

銀行支) 古増設に関して知力的に認めるようになった ため,

1980

年代に入ると,

1

:

1

本の金融資本市場の巨大化を背景にしながら,外国銀行の広告I i のEJ I 1設が 急速に増加した. しかし, QYXV H\↓ ■ゥャヲゥ iセェァ イャャヲ N

5.

1980

年代に入って,アメリカ合衆国系の銀行の進出が減少し,それに代わって, ヨーロッパ・ ア ジ ア ・ オ セ ア ニ ア か ら の 銀 行 の 進 出 が 目 立 っ た .

1987

1

2

月末日現在, RT I[セ

カ↓SS シシ ゥAセN

うに,外国銀行の笛籍別から見る限りでも, 日本が世界の金融市場の中心になっている様相を読みと ることヵ: で、きる.

6

外 国 証 券 業 者 の 対

1

:

:

]

進 出 は , 外 国 証 券 法 が 施 行 さ れ た

1972

年 に 開 始 し た . し か し 進 出 が 本 務 化したのは,

1985

年以障であった.

7. 最 近 の 外 国 銀 行 の 東 京 に お け る 立 地 に は , 大 別 し て 二 つ の 傾 向 が あ る . そ の 一 つ は , 前 項3 に 述 べ た 外 国 銀 行 集 中 地 区 内 に 立 地 す る も の と , 他 の 一 つ は 情 報 化 に 対 応 し た イ ン テ リ ジ ェ ン ト ・ ビ ル をi争後として,集仁jコ地区から離れて外縁化するものである. したがって,外国銀行の立地傾向は, 東 京 都 心 部 内 で 集 中 と 分 散 の 両 者 を 同 時 に 表 出 し て い る .

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し て い る . そ れ ら の 業 務 内 容 が , 他 の 機 関 と 誼 接 接 触 す る こ と が 比 較 的 少 な い こ と に よ り , 立 地 の 選 択 に 地 域 的 制 約 条 件 が 弱 く な る た め と 忠 わ れ る .

9.

外 留 証 券 会 社 は , ア メ リ カ 合 衆 国 ・ イ ギ リ ス ・ 凶 ド イ ツ 系 資 本 の も の が 多 く , そ の う ち と く に ア メ リ カ 合 衆 国 系 の も の が 多 数 を 占 め る . 外 国 銀 行 の 支 事 務 所 の そ れ に 類 似 、 す る も の の , 比 較 的 分 散 的 で あ る . 最 近 開 設 す る も の は , より分散的な傾向を示す.

筆者は, こ れ ま で 東 京 に 全 国 の 民 間 資 金 を 異 常 に 集 中 さ せ て い る こ と を 指 捕 し て き た . 本 論 の 考 察 に み る よ う に , 外 国 の 金 融 機 関 が 急 速 に 進 出 す る た め に , 東 京 は 今 や

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巧各地にとどまらず,位界各 地 か ら 資 金 を 集 め , 流 通 さ せ る に ド 心 地 に 成 長 し て い る . 今 後 も 進 出 外

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罰 金 融 機 関 が 増 加 し , 加 え て す で に 開 設 し て い る も の は 規 模 を 拡 大 さ せ る た め , 東 京 の 金 融 境 の 整 備 は 急 務 で 、 あ る ー

ヲセ l ■

(21)

注 ・ 参 考 文 献

1) Col by, C. C. ( 1933) :Cent ri f ugal and Cent ri pet al

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Concept of Ur ban Econol 11ic Funct i ons, Ec、O nOJ J lI C

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3) Labasse, J. ( 1974) :L' est acc βnσnci er, 301 p.

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435p.

5) 尖 浩lを ( 1976) 札 悦

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' J におけーる都心及びその

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国 際 金 融 市 場 Tol <yo,有 斐i抵 374p. などがあ

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Yh セ[ャ ゥjゥ 11主11出 金 融 市 場TokyoJ 有斐! 品] , RVPセ@

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iijj ェWUセ

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13) i i i HI)8), QVYセQWRN@

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15) Iiii掲12) 76----77.

16) TiiJ掲11) p. 1.

17) iliJ掲11) p. 264

18) if

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14) QRPセ@ 125.

19) iliJ侶14) QRSセ@ 124.

20) 日本銀行経済統,i-j-J ] 却による

21)

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iii1

/11) p. 260.

22) 前

J

品12) p. 79.

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開 発 ビ ッ グ ・ プ ロ ジ ェ グ ト の 全 貌 , 朝 日 ソ ノ ラ マ ,

241 セRTRN@

24) 両日空/12) p. 99とI 1IH砧6) p. 37.

25) 日 j訪品12) p. 103

26) Q ェ⦅ itGセQQQセ@ ( 1988) 取 引 所 の 新 良1m, 及 能 正 男 地

組s;

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国 際 金 融 市 場TokyoJ 有 斐mL 274----275.

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1. T h e per i od of t he 1950' s a nd 1960' s is c ons i der ed as t he t i me of i ni t i al a dv a nc e me nt of

(22)

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参照

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