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高齢者のQuality of Lifeに関する研究

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Academic year: 2021

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はじめに

現在、日本の高齢化率は16.7%を超え1)、国連の定義 する「高齢社会2)」に属して久しい。日本における人口 の高齢化は、同じく高齢化が進んでいる先進諸国の中で も群を抜いており、2025年には27.4%3)に達し、4人に 1人が高齢者という社会が近い将来、誕生することとな る。これを背景に、年金、医療など社会保障の給付費が、 2000年度の87兆円から2010年度には1.6倍の137兆円、 2025年度には2.5倍の216兆円に達し4)、1995年度では生 産年齢人口5)4.77人で高齢者一人を支えていたが、2025 年度には2.17人で高齢者一人を支えなければならないと 予測されており6)、国民の不安が増大している7)。この ような不安は、人類がこれまで経験したことがない超高 齢 社 会 に 対 し て 、 ま た 、 そ の よ う な 社 会 に お け る Quality of Life(以下、QOL)に対して、国民が具体的 なイメージを抱くことが出来ていないため、生じている のであろう。 これまで、日本において人口の高齢化が問題視される 時、そこで議論の対象とされてきたのは「寝たきり」等 の要介護高齢者の対策であり、高齢者は受動的にサービ スを受ける存在としてのみ理解されてきた8)。確かに、 高齢期は身体機能の変化を伴い、要介護となりうる率は 高いと言わざるを得ないが、厚生省研究班の試算にも見 られる通り、65歳以上の高齢者の平均余命に占める自立 期間は男性91%、女性87%である9)。要介護高齢者の対 策を問題視するのであれば、このような元気な高齢者が いつまでも生きがいを持って活き活きと暮らせ、寝たき りにならないための条件整備、つまりは、高齢者を生活 者として捉え、高齢者が生きがいを持って暮らすことの できる、高齢者自身によるライフデザイン10)を支援す るという視点からの議論が特に重視されなければならな い。そもそも、生活というものは他者によって設定され るものではなく、環境からのサービス、周囲の支援を得 ながら、自らが構築していくものである。どのように高 齢者を現在の社会構造に適応させるかという視点のみで はなく、高齢者の視点から現在の社会構造を、また、サ ービスの内容を問い直すという視点からの議論も必要で あろう。「クオリティ(質)」というものは相対的なもの であり、社会構造の変化による価値観の変化、個人の好 みによって異なり、また、変化し得るものである。有史 以来初めての、高齢者が人口の4分の1を占める社会を 迎えつつある日本であるが、このような人口構造の変化 は「新しい、そして、その変化に沿った様々な経済、社 会 、 組 織 的 な 計 画 に 対 す る ニ ー ド を 引 き 起 こ す (Drucker, 1993: 77)」であろう。このような変化に伴い、 従前の社会福祉のように「高齢者を対象としつつ、社会

−実証研究に向けての課題の整理−

趙   弼 花

はじめに Ⅰ QOLに関する先行研究 1.QOLにおける「主観」と「客観」 2.主観指標と客観指標の結合の試み 3.個人と環境からのアプローチ Ⅱ 高齢期における生活行動に関する既存研究 1.「離脱理論」、「活動理論」と「継続理論」 2.本研究における高齢者像 Ⅲ 高齢者のサービス環境 1.老人福祉法における高齢者観の転換 2.「生きがい」政策の展開と社会的背景 1 行政からのアプローチの必要性 2 高齢者福祉サービス対象者の拡大と「生きがい」 政策の変遷 3.シルバービジネスからのアプローチ 1 シルバーサービスの定義 2 高齢者の現況 1)高齢者人口の増加と地域差 2)「単独世帯」と「夫婦のみ世帯」の増大 3)高齢者世帯の経済状況 4)要介護高齢者の占める割合 5)引退後の期間と余暇時間 3 消費者としての高齢者へのアプローチ おわりに

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制度の側から単に対象者として一括し、観念化した敬老 の精神をもって老人の生活を守るために、社会福祉施設 やサービスを一方的に『上』(「支援」するという立場) から一部の専門家によって計画されたもので対応(一番 ヶ瀬他、1998、P.166-167)(( )   内は、引用者が加筆)」 するのではなく、高齢者自身が生活主体として自らの生 活とかかわり、また、高齢社会における高齢者の役割を 積極的に捉え、高齢者が社会参加を望むのであれば高年 齢が障害とならない工夫を盛り込みつつ、既存の社会シ ステムを見直し、再構築することが求められているので ある。 このような問題意識から筆者は、豊かな高齢社会を構 築する上で、高齢者の能動的な努力、それを支援する環 境−地域コミュニティーと民間マーケット−からのアプ ローチという視点から、高齢者のQOLを捉えていくこと の必要性を感じている。つまり、地域コミュニティーか らはコミュニティーにとっての高齢者のあり方、そして、 高齢者にとってのコミュニティーのあり方を両者から模 索しながら、地域社会における高齢者の役割を創出する、 マーケットからは高齢者のニーズを把握しそれに応えて いく、また逆に、マーケットからの創意工夫に満ちた魅 力的な提案により、高齢者の生活における潜在ニーズを 顕在化させる、という二つのアプローチから高齢者の QOLを考えていくということである。 以上のように、本研究においては魅力的な高齢社会の 構築に資することを大目標として掲げており、身体的に 健康な高齢者をも含む高齢者福祉における、「民間の知 恵と活力に満ちたマーケット」と「生活主体である高齢 者自身のQOLを充実させる工夫」に着目している。本論 文は、本研究の背景、課題を整理し、研究目的とその目 的に迫る作業の体系(研究枠組み)を提示することを目 的としている。まず、高齢者のQOLとはどういうものか、 また、環境からはどのようなアプローチが可能であるか を理解しなくてはならない。その理解の第一の切り口と して、QOL既存研究(第一章)と高齢者生活行動論の既 存研究(第二章)を概観し、その二つの切り口から現在 の高齢者福祉サービスを検討し(第三章)、今後の高齢 者福祉サービスの課題と本研究における筆者の研究枠組 みを提示する。

Ⅰ.QOLに関する先行研究

1.QOLにおける「主観」と「客観」 昨今、社会の高齢化に伴い、高齢者のQOLという言葉 があらゆる場面で聞かれるようになってきたが、QOLの 定義は未だ、一様ではない。QOLに関する研究は、1970 年代より本格化し始めたもので(Pacione, 1984)、哲 学・医学・社会学など様々な学問分野で議論がなされて きたのであるが、「ライフ」の持つ多義性11)により、そ の学問分野によって「ライフ」の意味する所が異なる。 この間、QOL研究において最も問題視されてきたのは 主観と客観の取り扱いであった(Mukherjee, 1989)。 第一に、QOLの主観からの定義であるが、ダルキーと ローク(Dalkey and Rourke, 1973=Pacione, 1984: 2)に よる「人々の幸福な状態に対する意識、もしくは、生活 に対する満足・不満足、もしくは、幸福感・不幸感」と いうように、人々の現実に対する評価より定義する視点 である。人々の意識によっているQOL指標としては、ニ ューガルテン(Neugarten, et.al., 1961=1998) 他が開発 した生活満足度指標(Life Satisfaction Index=LSI)が広 く使われている12)。しかしながら、このような心理に重 点をおく定義は、「幸福とは何かというきわめて抽象的 な議論に陥り易く、オペレーショナルな客観的な要因と の関係が希薄なものとなってしまう危険(国民生活調査 部会、1974: 34)」があり、計画等、数値目標を明確に しなければならない分野においては不十分であるという 指摘がある。 第二は、GNP等の「客観」的な数値「結果(results)」 に着目し、その結果が「必然的」に人々のQOLに結びつ く と す る 立 場 で あ る 。 メ リ ア ム ( M e r r i a m , 1 9 6 8 = Pacione,1984: 2)による「工業化された国々においては 所得の分配水準が最も有効な福祉の包括的な評価であ る」とする考え方は、その最たる例として挙げることが できよう。「客観」よりのQOLの定義に対する批判は、 「財産の保有量に基づくQOLの定義の弱さは、(その定義 において)欠かすことの出来ない心理的な次元が無視さ れている(Pacione, 1984: 2)(( )内は、引用者が加筆)」 のように、「客観」化に重点がおかれるばかりにその状 態に対する評価において、人々がその状態を満足とする か否かではなく、設定された基準に人々がどこまで到達 しているかということが問題とされる。このような「客 観」的な数値という定量的なデータに着目する立場は、

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最終的に人々の幸福の前提となる客観的な指標のセット を提示することを目標としているのであろうし 13)、また、 しなければ福祉指標としての機能を果たしているとは言 えない14)。従って、専門家が提示した「客観」的な指標 のセットに対し、人々の同意を得ることができるかどう かが最終的に問題となってくる。客観的なQOL研究に類 似した研究成果の一つとして、日本でどこが住みよいか を測った「住みやすさ指標15) があるが、そこでも「客 観的指標」を用いた結果が人々の実感とほど遠いという 評価であった16)ことからも、客観的指標を用いた評価 には非常に注意深い考察と丁寧な分析(吟味)が必要で あることが指摘されるであろう。 2.主観指標と客観指標の結合の試み 「客観指標」とされるものにも、社会科学者の価値観 というものは常に存在する17)。もし、専門家が設定した 「客観指標」のセットに対して、人々がそれを「QOLで ある」と感じることが出来ないのであれば、専門家が一 方的に設定した項目における「充足の程度(the extent to which they are being met)(Morris, 1977: 147)」―つ まり、結果を測定しているだけになってしまう。ここで 主観と客観という問題は、専門家とサービス受容者とい う基準設定時の問題へと移行する。 ムカージー(Mukherjee)は、「より良いQOLクオリ ティ・オブ・ライフという文脈においては、エリート (専門家、サービス提供者)は変化促進者として、マス (サービス受容者)は変化受容者・アクターとして振る 舞っている(Mukherjee, 1989: 40)(( )内は、引用者 が加筆)」と指摘している。彼は、「尋ねる人(enquires) と尋ねられる人(enquired)の知覚と行動における共通 性が ・・・ QOL評価の基礎を構成している(Mukherjee, 1989: 17)(下線は引用者による)」という認識から、 QOL指標の「データの列挙(data enumeration)」から 両者の視点を取り上げようと試みている。 「我々は主観指標と客観指標は本質的に異なるもので はなく、まったく同じ平面上にとらえうるものであるこ とを明記しておく必要があると思われる(東京工業大学、 昭和50:9)」という指摘も、QOLや社会指標のように 人々の福祉の状態を測定する指標であるからこそ、この ように問題として意識されているのであろうが、「幸福 感、生活満足感、自己尊重などの要素は非常に主観的で、 定義や測定が困難である(Arnold, 1991: 52)」。 このように、その評価対象となる人々の価値観が多様 になればなるほど、トップダウン的にある一つの分野の 専門家のみの視点からサービス受容者のQOLを表現しよ うとすることは、魅力的な高齢社会を目指すための政策 検討において、その社会の魅力(好ましさ)の指標とし てQOLを用いる場合には、困難を極めることとなるであ ろう。 3.個人と環境からのアプローチ QOLなどの福祉指標において、以上のように、主観と 客観(サービス受容者と専門家の視点)が問題となるの は、QOLそれ自体が規範的なものであり、何かしらの価 値によって設定された基準を要するからである。もし、 専門家が自己の専門分野におけるQOLの状態のみを 「人々のQOL」とするのであれば、それをQOLと感じる 人にとってはQOLと感じることができるのであろうが、 その状態をQOLと感じることができない人にとっては、 QOLとしての意味をなさないものとなり得よう。ロウト ン(Lawton)はQOLを「個人の過去、現在、そして、 予想される期間の人間―環境システムにおける、自己規 範と社会規範によった多次元的な評価である(Lawton, 1991: 6)」と定義しているが、この視点には潜在意識と して捉えられてきたが、これまで議論されてこなかった 視点が三つ存在する。 第一は、QOLとは評価者である個人の、生活に対する 包括的な評価であるという視点、第二は、その個人の過 去における経験とそれに基づいた自己の現状に対する評 価、そして、その個人が属する社会規範に鑑みながら、 現状改善(improvement)か、維持(maintenance)か、 それとも増進(enhancement)かといった、自己の未来 像を描くことができるかどうかというライフデザインの 重視とその内容の検討という視点、第三は、評価者であ る個人のライフデザイン(における重点)が明確化し、 その目的のために個人が選択する、もしくは、ライフデ ザインを支援するという立場において、専門分野からの アプローチが可能であるという視点である。つまり、 QOLを考える際、評価者としての「個人」とサービス供 給主体としての「環境」とに分けて考える必要があり、 「個人」においても、過去・現在・未来という次元に分 けて考える必要があるということである。 フリードマン(Friedman)は、個人の視点からの QOLにおいて最も重要なものは「予測能力(predictive

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ability)である(Friedman, 1997: 155)」とする。そして、 人々は状況が最も望ましく予測可能である時、その状況 に対して、打ち解け(familiar)、安定(stable)してお り、また、斬新(novel)であるとする。ここで、「最も望ま しいプレディクタビリティー(optimum predictability)」 とは、倦怠(boredom)を呼び起こす、あまりにも予測 可能なイヴェントであってはならず、だからと言って、 困惑(confusion)を呼び起こす、あまりにも予測不可 能なイヴェントであってはならない。「倦怠」と「困惑」、 この二極の微妙な関係の間に「最適」は存在するのであ る(図1)。 そして、環境からのアプローチとしては、関連する 「部分」と「総体」の関係性を理解する必要があるとし、 「全体感的アプローチ(The Holistic Approach)(Friedman,

1997: 157)」を提唱している。 以上のQOL既存研究の諸説を基盤として、筆者は、 「QOLは、個人のライフデザイン能力と、環境からのラ イフデザインを支援するサービスの提供という視点とに 分けて考える必要がある」という基本的考え方を設定し た。QOLにおけるクオリティとは、スザライ(Szalai) が「ご機嫌よう(How are you?)という質問は ・・・ 人々 の幸福な状態、そして、人々の幸福な状態に影響を及ぼ している現実、もしくは、要因に関するものである (Szalai, 1980: 12)」として、QOLに欠かせない質問であ るとしているとおり、その時々に認識されている状況に よって、その評価対象も、また、望まれる水準も異なる。 その評価対象と望まれる水準を、環境より提供されるサ ービスがまかなえるのであれば、人々のQOLは改善・維 持・増進されるであろう。いずれにしても、我々は環境 からのサービスによってしか人々のQOLにアプローチす ることはできない。だからこそ、その分野におけるQOL の意義と計測方法、そして、そのQOLが目的とする政策 デザインに貢献しうる根拠(客観性、合理性)を提示す ることが必要である。

Ⅱ.高齢期における生活行動に関する既存研究

一般的に高齢期は「身体機能」、「立場や役割」、「人間 関係」などの喪失を経験する時期であると言われている (竹中、1998)。そのような変化に対する「適応」と言う 視点から、老年社会学の分野において構築された主要な エイジング理論は「離脱理論(disengagement theory)」、 「活動理論(activity theory)」、「継続理論(continuity theory)」である。本章においては、これら三理論の主 張、及び、批判を整理した上で、本研究における高齢者 像を明らかにする。 1.「離脱理論」、「活動理論」と「継続理論」 第一の離脱理論は、カミングとヘンリー(Cumming and Henry)によって提唱された理論である。彼らはそ の著書、“Glowing Old”において高齢者が高齢期におけ る変化に首尾よく適応するためには、活動的であらなく てはならないという仮説の正当性を問題にしている。 彼らは「離脱」を「個人と社会との関係の多くが絶た れる、また、それらの存続しているものが質的に改めら れる不可避なプロセス(Cumming and Henry, 1961: 211)」 と定義し、それは高齢者側から引き起こされる場合と社 会の側から引き起こされる場合とがあるとする。つまり、 「離脱」とは、高齢者にとっては定年等による役割の喪 失や体力の衰えにより、社会にとっては次世代への役割 の委譲のために望まれるプロセスであるというのであ る。 第二の活動理論の論者として有名なのは、ハヴィガー スト(Havighurst)である。この理論は、先の離脱理論 とは逆に、活動的であり続けることが満足しながら高齢 期を楽しく過ごす最良の方法であると仮定する。ハヴィ ガースト(Havighurst et al., 1963: 419)によると、高齢 者は「生物学上、健康上の不可避的な変化を除いて、本 質的に中年と同じ心理的社会的欲求を持っている」存在 として捉えられる。そして、高齢期を特徴付ける「離脱」 は、「社会によって ・・・ 大抵の老化しつつある人々の意

Confusion → Optimum ← Boredom

(Events are too unpredictable) Predictability (Events are too predictable) 出所: Friedman, 1997: 151

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に反して」進められ、その「社会生活圏の縮小に抵抗し、 活動的であり続ける者」が、「適切に年をとっている者」 である。彼らは、「中年期における活動を可能な限り維 持し続け」、それを放棄せざるを得ない場合、それに代 わる活動や人間関係を見つけ出すと言う。 この両理論は、発表されて以来、これまで多くの議論 を呼び起こしてきた。ここで共通する批判は、これらの 理論が一部の高齢者にとっては当てはまるかもしれない が、全てのケースには当てはまるものではないというも のである(Ian, 1994, Bond, et al., 1993)。つまり、政 治・経済・社会的要因(Bond, et.al., 1993)、身体的健康 (Ian, 1994)、パーソナリティ(Hooyman et.al., 1993, Ian, 1994)を考慮していないというものである。高齢者の中 には静かに余生を過ごしたいと思う人々もあるであろう し、いつまでも、活動的でありたいとする人々もあるで あろう。また、活動的であり続けたいとしても健康上の 理由により、また、生産的な存在であり続けたいとして も社会システムがそれを許すものでなければ、そのよう な希望は叶えられないであろうし、意に反して、離脱せ ざるを得ないであろう。 これらの反省を踏まえて、「継続理論(continuity theory)」 という第三の理論が誕生する。アチュリー(Atcheley) は、高齢期の役割喪失の一形態である定年退職者の社会 化に関する研究において、退職者は、「果たすべき新し い役割を探し出すことよりも、むしろ、これまで彼が既 に果たしてきた役割に費やす時間を増やすことによっ て、定年に対処しようとする(Atcheley, 1976: 112)」と している。先に述べた両理論と異なり、継続理論はその 結果としての活動量ではなく、適応形態の選択において、 パーソナリティの果たす役割に重点をおく。しかし、こ の理論に対しても、高齢期において観察されるライフス タイルは高齢期以前に構築されるものであるのかといっ た批判がなされている(Hooyman et. al., 1993)。

2.本研究における高齢者像 このように離脱理論と活動理論は、高齢期の適応にと って、誰にとっても不可避なプロセスではなく、また、 満足感を与えるものではないが、これらの理論が高齢者 の生活の変化に対して、参加と離脱、活動量による適応 という形態があり得るとした点は評価できよう(平田、 1989)。つまり、これらの理論を普遍的なものとして捉 え、正誤で判断することが問題なのである(Bond, 1993)。 もし、離脱理論をサクセスフル・エイジングと捉える のであれば、社会からの離脱が重視されるであろうし、 活動理論の視点からすると、活動的で生産的であること が強調されるであろう。また、継続理論においてはパー ソナリティが適応の基準となる。そのため、離脱理論に おいては、離脱が社会と個人によって望まれるプロセス であるから、「社会サービスが高齢者に再び生気を与え るものであってはならない(Hooyman et al., 1993: 69)」 という意識が、活動理論においては「別の成長中心主義 的な老年観を無意識のうちに築いてしまう危うさ(寺澤、 1997: 107)」が存在し、継続理論においては「個人の対 応にまかせておけばよい(Hooyman, et al., 1993: 72)」 という論理が成立してしまう。 年齢と共に多様な人生経験を持ち、個人差がはっきり してくる高齢期であるからこそ、また、その高齢期にあ る高齢者が多数を占める高齢社会であるからこそ、多様 な価値を受け容れ、また、社会システムの一翼として、 高齢者を積極的に捉えていく視点も取り入れていく必要 がある。しかしながら、社会の高齢化が進展していく中 で、現在問題視されているのは、介護を必要とする寝た きり老人や痴呆性老人の対策のあり方が主流であり、高 齢者福祉というと身体的変化に着目した医学的な視点が 重視され、現在高齢者の大半を占める、身体的には「健 康な高齢者」の社会的役割の変化に着目した議論は、重 視されてはいるが、具体的な方策は充分練られておらず、 前者と対比して乏しいと言わざるを得ない。 以上のような研究サーベイにより、本研究においては、 身体機能の変化を感じつつもそれを受容し認めるという 点で身体的、精神的に健康な高齢者が、最低限の生活を 保障された上で、生活において年齢等の自己の努力では 克服できない基準によって拒絶されることなく、環境か らのサポートを受けることができるような社会、多様な 価値観を受け容れる社会において、自分が望むような活 動を望むような形で行なうことができる状態にある高齢 者、生きがいを持って暮らすことのできている高齢者を サクセスフル・エイジングのモデル−QOLの高い高齢 者−と定義する。 生きがい等という問題は個々人によって異なり、それ は個々人によって解決しなければならない問題であると いう指摘もあるが、それは、そのように環境整備がなさ れており、個々人の努力によって解決の可能性がある場 合にのみ意味をなす議論であり、有形無形を問わず、ま

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た、官民を問わず、高齢者が生きがいを創出できるよう な環境が整えられているとはいえない現状においては、 これからも引き続き議論を重ねていかねばならない問題 である。確かに、生きがい問題は最終的には個々人で解 決しなければならないものであるが、生きがいというも のは神谷も指摘する通り、「自分が生きている意味があ り、必要があるのだ、という感じ(神谷、1980: 32)」 であり、社会との何かしらの交流が重要な関連要因の1 つとなる。この点に筆者が生きがいを「社会の課題」と して捉えようとする視点があり、社会にとっては年齢に よって生きがいを阻害されるような社会システムを再考 しなければならない、そして、高齢者自身にとってはど のような状態が自分にとって生きがいのある生活である のかということを不断に考えていかねばならないという 風に、どちらか一方のみの努力によって解決できる問題 ではないと考えているのである。

Ⅲ.高齢者のサービス環境

前章においては高齢者の生活行動という視点から高齢 者のQOLを検討したが、本章においては現在、高齢者が どのようなサービス環境にあり、また、これまでどのよ うに位置付けられてきたかを、老人福祉法、「生きがい」 政策、そして、シルバービジネスの対応という視点から 検討する。 1.老人福祉法における高齢者観の転換 1963年に制定された老人福祉法における老人福祉の理 念については、当時、第二条において以下のように定め られていた。「老人は、多年にわたり社会の進展に寄与 してきた者として敬愛され、かつ、健全で安らかな生活 を保障されるものとする」。ここで高齢者は、前段にお いては「社会に対し貢献をしてきたいわば功労者」とし て位置付けられ、後段においては「一般人に比して心身 の健全性を阻害され易い弱さを持ついわば弱者であるこ と」が前提とされていた(川村、1992: 10)。つまり、 高齢者は当時の老人福祉法において、社会福祉サービス の「客体」、受動的な存在として捉えられていたのであ る。しかしながら、1990年の改正において、この高齢者 観は大きな転換を見せる。すなわち、「老人は、多年に わたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ、豊富 な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生 きがいを持てる健全で安らかな生活を保障されるものと する」となり、従来において高齢者は、「多年にわたり 社会の進展に寄与した者」として社会的活動・貢献を終 了した恩恵的・受動的な功労者として捉えられてきたの が、改正後は「豊富な知識と経験を有する者」として、 「生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障される」 権利主体として、捉えられるようになったのである(川 村、1992: 10)。また、1990年の改正においては、特に、 「生きがいを持てる」という条文を付け加え、高齢者を 自分の人生における積極的で能動的な生活主体として位 置付けたという点に、大きな特徴を見て取ることができ る。そのことはすなわち、高齢者福祉サービスの対象を、 要介護老人といわれる「寝たきり」老人や痴呆症の高齢 者のみならず、身体機能の変化を伴いつつも比較的健康 な高齢者にまで拡大するということを想定していると考 えられる。このような高齢者観の転換は、急激な高齢者 人口の増加を背景に、従来のように、高齢者を社会福祉 の客体としてみなすことの限界性を前提としていると言 える(川村、1992: 35)。しかしながら、1995年に公布 された高齢社会対策基本法の前文にあげられている、 「わが国の人口構造の高齢化はきわめて急速に進んでお り、遠からず世界に例を見ない水準の高齢社会が到来す るものと見込まれているが、高齢化の進展の速度に比べ て国民の意識や社会のシステムの対応は遅れている。早 急に対応すべき課題は多岐にわたるが、残されている時 間は極めて少ない」という危機意識にもあるとおり、社 会をあげての高齢者対策はまだまだ未整備と言わざるを 得ない。要介護の高齢者については、ゴールドプラン、 および、新ゴールドプランにより、介護サービスの量 的・質的な充実がはかられた18)のであるが、現在、大 半を占めている元気な高齢者を対象とした議論は乏し い。身体的に健康で、経済的にも自立した高齢者の「生 きがい」等という問題は、個人的な問題であるという指 摘もある。しかし、社会保障給付費の逼迫、労働人口の 負担の緩和、そして、国民の超高齢社会に対する漠然と した不安を取り除き、誰もが安心して年をとっていくた めにも、そのような高齢者を寝たきりにさせないことは、 サービス供給主体の種類を問わず、また、年齢を問わず、 全国民が取り組んでいかなくてはならない課題であり、 そのためのキーワードの1つが「生きがい」であると考 える。

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2.「生きがい」政策の展開と社会的背景 1 行政からのアプローチの必要性 現在、各省庁において高齢者を対象とした様々な「生 きがい」政策が行われているが、「生きがい」政策とい う範疇は厳密に言えば存在せず、一般的には、余暇関連 施策、社会参加関係施策を「生きがい対策」と呼んでい る(須藤、1988: 22)。もし、生きがいというものが純 粋に個人の評価に基づくものであるとするのであれば、 「生きがいを追求する行動は個人の私的な問題であり、 公的意思決定の対象とすべきではなく、市場を通じた資 源の配分が効率的(坂野、1999: 22)」ということにな る。それにも関わらず、行政は何故、そのような人々の 「 私 的 問 題 」 に 関 与 し て い る の で あ ろ う か 。 伊 原 他 (1999: 71)は、日本において個人的に生きがいを得る ためには、1.会社への帰属意識の強いこと、2.都市 化により地域との結びつきが希薄化したこと、3.宗教 的な動機付けのないこと、4.夫婦単位で行動する習慣 のないこと、5.個性化・差別化を嫌うこと、6.自己 流の意味付けではなく、権威による認定を好むこととと いう6つの阻害要因があることを、「行政が何らかの形 で関与していくことが適当である」ことの理由として挙 げている。 しかしながら、ここで焦点となっている「生きがい」 とは、そもそも、何なのであろうか。宮城(1971)によ ると、この「生きがい」というものは、「生きがい欲求」、 「生きがい感」、「生きがい対象」とに分けることができ るという。ここで「生きがい欲求」とは、生きがいを求 める気持ち、つまり、平衡を破ろうとする気持ちであり、 「生きがい感」は、生の喜びを味わうことのできる「快 (自然的な刺激)、喜び(社会生活)、幸福感(将来まで を考えた人生全適応・不適応)」からなる重層構造をな すものである。そして最後に、「生きがい対象」とは、 そのような意識を抱くことのできる対象である。神谷は、 特に生きがい感と幸福感の違いについて言及しており、 「生きがい感には幸福感の場合よりもいっそうハッキリ と未来に向かう心の姿勢がある(神谷、1980: 30)」と している。以上のような理解からすると、官・民を問わ ず、「生きがい」に関わるサービスを提供するというこ とは、現状の平衡状態を破ろうとする「生きがい欲求」 と、不安を取り除いてもらうことややりがいを得ること によって生きていて良かったと感じ、また、生きていく 必要があるのだという「生きがい感」を覚えることので きるサービスを提供することと環境(条件)を整備する ことであると言える。次節においては、「生きがい」と いうものをそのように捉え、これまでの「生きがい」政 策の変遷について概観する。 2 高齢者福祉サービス対象者の拡大と「生きがい」 政策の変遷 老人福祉法の制定以前、日本における高齢者福祉対策 は、1946年に公布された生活保護法のもとで、貧困な高 齢者を養老施設に収容することに限られ、高齢者の生活 援助に対しては家庭奉仕員の派遣事業19)や、余暇対策 としての老人クラブの結成20)等、地方公共団体による 独自の事業として対応するにとどまっていた。しかし、 1947年の民法改正により、民法上規定されていた老親扶 養が「生活扶助の義務(第七三○条)」と「生活保持の 義務(第七五二条)」に分離したことで扶養義務者の側 における扶養可能状態が存在して初めて成り立つものと なったこと(村上、1988)、高度経済成長期以後、賃金 生活者の増大、都市化、核家族化のもとで生活様式が変 化したこと等が新たに高齢者問題を浮かび上がらせ(一 番ヶ瀬他、1988: 37)、家族内や地方公共団体等による 個別対応では対応しきれなくなってしまったのである。 このような状況を背景に、1961年には「国民皆保険」、 「国民皆年金」の体制が整えられ、2年後の1963年、老 人福祉法が制定された。この法律の制定によって、初め て、高齢者への対応は従来の生活保護法の枠を越え、全 ての高齢者への対応へと移行し、その程度に差はあれ、 高齢者の「生きがい」というものが高齢者やその家族、 そして、地方公共団体による個別の対応から、全社会に よる対応が必要であると表明されたと言える 21) 社会の高齢化に伴い、「生きがい」という言葉で高齢 者の「自立」という問題が表現され、行政課題として捉 えられるようになったのであるが、法制定後、各省庁に おいて個別に対応されてきた「生きがい」政策には、 「身体的自立」、「職業的自立・経済的自立」、「精神的自 立」という行政側の自立概念の変容が見られる。ここで は、佐々木(佐々木、1993: 36-39)の整理に従い、生き がい政策の変遷を見ていく。 まず、第一の「身体的自立」を意図した生きがい政策 であるが、その例としては、厚生省による老人クラブへ の助成を挙げることができる。法制定後、高齢者の「生 きがい」にいち早く取り組んだ厚生省は、1963年より老

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人クラブへの助成を開始し、娯楽・レクリエーション活 動を通した高齢者間の親睦と交流を深めるという点で貢 献したのであるが、ここで精神的健康をも包含する「生 きがい」というものは、「身体的自立の副次的なもの」 として捉えられていた。1980年より、文部省によって開 始される高齢者スポーツ教室も同じ線上で展開された施 策ということができる。 第二の「職業的自立・経済的自立」では、1968年より 国庫助成が始まる厚生省管轄の高齢者無料職業紹介所、 1980年からの労働省の高年齢者労働能力活用事業(シル バー人材センター)を挙げることができる22)。この意味 合いでは、高齢者の生きがいは「就労および職業を通じ て獲得されるもの」とみなされており、「高齢者の雇用 を確保すること」が重視されている。しかし、この視点 では高齢者が職業から引退せざるを得なくなった場合の 生きがいをどのように確保するかという視点が決定的に 欠けているのである。 第三の「精神的自立」であるが、ここでは「職業生活 に依存する形でしか自らのアイデンティティーを獲得で きない傾向にある高齢者に対して、職業生活以外に『生 きがい』を獲得し、精神的に健康な自立した生活を営め るように援助する」という視点が強調される。ここでの 具体的な施策としては、1.余暇それ自体を趣味的な生 活によって充実させること、2.社会参加を通じて生き る張り合いを持つこと、3.学習活動を通じて自己啓発 をしていくことの3つの形態が見られる。1に対応する ものとしては、第一の「身体的自立」との関係において も挙げられた厚生省による老人クラブへの助成が挙げら れる。助成が行われるようになった当初、「身体的健康」 と余暇それ自体を娯楽・レクリエーション等によって充 実させるという視点に重きがおかれていたのであるが、 1970年代後半以降は、活動を通じた社会参加という視点 が重視されている。このような状況は、1965年から始ま る文部省管轄の「高齢者学級」から1973年の「高齢者教 室」への施策転換によって特に見られる傾向で、この時 点で高齢者の学習活動は、その活動目的にも明記されて いるように、「高齢者が社会的能力を高め、積極的な生 きがいを求めて学習することができるように」という、 余暇の充実から社会における有用化という視点が強調さ れている。また、第三の「学習活動を通じて自己啓発を していくこと」についても、1971年に出された社会教育 審議会による答申23)にも明記されているように、「高齢 者自身による社会的適応の学習、精神的情緒的な安定な ど、その生き方についての教育的な施策を強力に進める こと」、つまり、高齢者自身による能動的な努力を援助 するという形での施策の必要性が主張されており、福祉 サービスにおける客体から主体への移行の萌芽が見られ る24) 以上のように、「生きがい」政策における高齢者の自 立概念の変容が見られるのであるが、これらは文部省や 厚生省などが個別に対応している施策であり、各省庁の 足並みが揃っているとは言い難い。1986年には長寿社会 対策大綱、そして、1989年には大蔵大臣、自治大臣、厚 生大臣の合意になる「高齢者保健福祉推進十か年戦略 (ゴールドプラン)」とその見直しプランである1994年の 「高齢者保健福祉推進十か年戦略の見直しについて(新 ゴールドプラン)」の発表、1990年の老人福祉法改正に よる都道府県と市町村への「老人福祉計画」作成の義務 付け、そして、1995年の高齢社会対策基本法と高齢社会 対策大綱の策定等、高齢者福祉における省庁間の連携が 強調されるようになってきている。 これまで、高齢者福祉関係施策は厚生省の主導によっ て行われてきた。その施策においては、「生きがい」と いうものを最終的には身体的・精神的健康(自立)とし て志向しているものと思われるが、どうしても「身体的 健康」が前面に出てくることが多く、現在の、「高齢 者=要介護」という図式を思い描かせてしまう土台を築 く要因の1つとなっていると考えられる。2000年度から 「今後5か年の高齢者保健福祉施策の方向(ゴールドプ ラン21)」が開始されている。ここでは「今後取り組む べき具体的施策」が、6つの柱からなる各論として示さ れているが、ここで本研究の立場から最も注目される柱 は3つ目の「ヤング・オールド(若々しい高齢者)作戦」 である。ここでは、活力ある高齢者像を構築していくた めの介護予防、生きがい等の一連の施策が想定されてい る。身体的健康というものは生活を営む上での基本であ り、精神的健康と切っても切れぬ関係にあるが、それを 根底に据えた上で、高齢者が精神的な健康をも維持、向 上できる全社会をあげての対応と高齢者自身による努力 が必要とされている。「ゴールドプラン21」が、高齢者 の自律性を支援するような社会の構築を促進する起爆剤 となり得るかどうか、今後の対応が期待される。

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3.シルバービジネスからのアプローチ 1 シルバービジネスの定義 1989年に策定されたゴールドプランを皮切りに、高齢 者介護においてホームヘルプサービス、デイサービス、 ショートステイという「在宅3本柱」の整備が重視され、 日本における高齢者介護サービスは、在宅介護中心へと シフトしつつある。1996年、通産省は「経済構造の変革 と創造のためのプログラム」を発表し、そこで「医療・ 福祉関連分野」が今後21世紀をリードする主要産業であ るとし、1996年現在38兆円である市場規模は2010年には 91兆円、雇用規模は348万人から480万人に拡大すると予 測しており、2000年4月からの介護保険法の施行ともあ いまって、介護ビジネスに対する期待は大きく、異業種 による介護ビジネスへの参入が相次いでいる25) 厚生省白書(1991年)によると、シルバーサービスは、 「民間部門により利用者が高齢者であることを意識して 提供されるサービス及び商品」と定義されているが、こ こには具体的な業種・内容等の表記はないため、市場規 模調査等、その対象となるサービスは調査主体によって 異なるというのが現状である。目黒(1999)は、現在、 流布されているシルバー市場についての考え方には、以 下の3つがあるとする。 第一に、「公的介護保険市場」という考え方であり、 ここでは「介護保険に適用されるサービスや商品」がシ ルバービジネスの対象となる。厚生省による試算では、 2000年には4.2兆円、2010年には6.9兆円となっている。 第二は、「介護関連ビジネス市場」という考え方であり、 第一の「公的介護保険市場」に「介護保険給付以外の支 出を加えたもの」である。この対象となるサービスは、 訪問介護(ホームヘルプサービス)、訪問入浴サービス、 在宅配食サービス、福祉用具の賃貸・販売サービス26) 緊急通報サービス、移送サービス、日帰り介護(デイサ ービス)、短期入所生活介護(ショートステイサービス)、 寝具乾燥消毒サービスである。市場規模としては、2000 年で8.5兆円、2010年では11.3兆円と試算されている。 第三は、「シルバービジネス市場」という考え方であり、 「主として高齢者が利用するサービスや商品のマーケッ トを『高齢者市場』とするもの」である。ここには、高 齢者が使用することを想定した電化製品や服装、宅配サ ービスなど、介護関連市場以外のビジネスが含まれる。 このように21世紀の超高齢社会における基幹産業とな り得る可能性を有し、大変、注目されている高齢者関連 市場であるが、その試算額とは裏腹に、企業による高齢 者市場への参入は困難を極めている27)。その理由の1つ として、現在、「高齢者」を対象として、「高齢者」を強 く意識する「高齢者向け」のサービスや商品に魅力的な 工夫が不充分で、高齢者の潜在需要を顕在化させるもの になっていないと筆者は考えており、この視点からの実 態の把握が重要な研究課題の1つであると考えている。 2 高齢者の現況 1) 高齢者人口の増加と地域差 総務庁統計局「人口推計(1999)」によると65歳以上 高齢者人口は2116万人であり、総人口に占める割合は 16.7%となっている。昭和25年には415万人であったの と比べると約半世紀間で高齢者人口は5倍に増加してい る。しかし、このような人口の高齢化は全国的に一律に 生じている現象ではない。高齢化率が高い上位三県は、 島根県(23.8%)、高知県(22.5%)、秋田県(22.0%) で あ り 、 下 位 三 県 は 埼 玉 県 ( 1 1 . 5 % )、 神 奈 川 県 (12.6%)、千葉県(12.8%)である28)。高齢化率が最も 高い島根県では4人に1人が高齢者であるが、最も低い 埼玉県では、10人に1人が高齢者という状況にある。ま た、高齢者数で見てみると、最も多いのが東京都の175 万人であり、次いで大阪府の120万人、神奈川県の106万 人である。逆に最も少ないのが、鳥取県の13万人、次い で福井県の16万人、山梨県の17万人となっており、高齢 化率、及び、高齢者数は地域によって多様な様相を呈し ている。 2)「単独世帯」と「夫婦のみ世帯」の増大 人口の高齢化に伴い、世帯の高齢化が進んでいるので あるが、ここで顕著な現象は、「単独世帯」と「夫婦の み世帯」が増加しているという点である。1975年の「子 との同居」は「65歳以上の者のいる世帯」において64% (455.4万世帯)を占め、「単独世帯」は8.6%(61.1万世 帯)、「夫婦のみ世帯」は13.1%(93.1万世帯)であった。 しかし、1997年の同調査によると、「子との同居」は 43.9%(616.5万世帯)、「単独世帯」が17.6%(247.8万 世帯)、「夫婦のみ世帯」は26.1%(366.7万世帯)とな っており、「単独世帯」と「夫婦のみ世帯」の増大が顕 著であるが、ここで注目すべきは「子との同居」におい て特に「三世代世帯」の割合が低下しているという点で ある。1975年の「三世代世帯」の全世帯に占める割合は

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54.4%であり、内、「子との同居」に占める割合は85% であった。しかし、1997年の同調査によると「三世代世 帯の割合」は30.2%であり、「子と同居」に占める割合 は68.9%に低下している29)。このように高齢期において も核家族化は進んでおり、大家族の中で扶養されている という従来の高齢者像から、生活を自らの力で営む・営 むことを要請されている高齢者像へとシフトしていると 言え、このような状況は、高齢者世帯30)における「単 独世帯」の8割を占めている高齢女性31)においてより 顕著な現象であると言える。 3)高齢者世帯の経済状況 先ず、収入面であるが、高齢者世帯の平均所得金額は 323.1万円であり、世帯人員1人当たり所得金額は207.0 万円となっている32)。全世帯の平均所得金額(657.7万 円)からすると2倍以上の差があるが、1人当たり所得 金額(222.7万円)からすると大差はない。また、高齢 者世帯1世帯平均貯蓄額は2353万3千円となっており、 全世帯平均1634万5千円の1.4倍となっている。貯蓄現 在高階級別の世帯分布においては、3000万円以上が4分 の1を占めており、また、負債状況についても約8割が 「なし」と回答しており33)、生活意識においても「普通」 以上と回答する割合がわずかながら全世帯より高く34) 他世代と比較しても経済的に余力があるということが指 摘できよう。 次に、消費支出面であるが、1990年の総務庁「家計調 査年報」によると、65歳以上高齢者の消費支出額は 276.8万円であり、50-54歳と比較して169.5万円少ない。 しかし、1998年の同調査による65歳以上消費支出は 321.3万円となり、50-54歳との差は151万円に縮小され ている。1990年を100とした指数では50-54歳が106であ るのに対し65歳以上は116となっており、今後の更なる 消費拡大が期待される。 4)要介護高齢者の占める割合 現在、65歳以上の要介護等高齢者の割合は高齢者人口 千人当たり、在宅の要介護者は49.3人、特別養護老人ホ ームでは12.4人、老人保健施設では6.9人、病院・一般 診療所では15.6人となっている35)。また、寝たきり、痴 呆症、虚弱高齢者の合計をみると、2010年には390万人、 2025年には520万人になるものと見込まれているが、こ れは2010年では高齢者人口の14%(2813万人)、2025年 では16%(3312万人)であり36)、高齢者人口全体から見 れば要介護人口は一部であり、その大半が少なくとも身 体的には元気な高齢者であるということができる。 5)引退後の期間と余暇時間 1998年現在、平均寿命37)は男性77.2歳、女性84.1歳で あり、65歳時点における平均余命は男性17.1年、女性22 年となっている38)。つまり、65歳まで生きた者は男性な ら82歳まで、女性なら87歳まで生きる可能性があるので ある。2000年現在、定年年齢を60歳とする企業は9割を 占めていることから39)、男性は平均寿命ベースでは17年 以上、65歳時平均余命ベースにおいては22年もの間、大 半が定職を持たぬ生活を営むこととなり、女性の場合は、 夫の定年時の年齢が夫よりも低い傾向にあること、そし て、男性よりも寿命が長いこと等の理由により、25年以 上もの間が従来のライフサイクルからすると「引退」の 時期と位置付けられる。 次に、65歳以上の高齢者が「時間のゆとり」について どのように感じているかという意識の面から見てみる と、「ゆとりがある」と答える率は加齢に伴って増加す る傾向にあるが、平均して8割近くの高齢者が「時間に ゆとりがある」と答えている40)。また、実際、高齢者の 余暇時間は他の年代と比べて長い。男性では、30-50代 の余暇時間は5時間代であるが、60代に1時間37分のび (50代の余暇時間は、5時間39分)、7時間16分、65歳に なると8時間12分となり加齢に伴い余暇時間は長くなる 傾向にある。一方、女性では、48分のび(50代の余暇時 間は5時間32分)、6時間20分、65歳時点においては6 時間50分となっている 41) 以上のように医療技術の発達により量的には寿命がの びた日本人であるが、およそ、人生における総時間の4 分の1を占める「引退後」をどのように過ごすか、「第 二の人生」としてどのように位置付けるかといった質的 な側面が我々の課題として突きつけられているのであ る。 以上、1)から5)の現況により、高齢者のQOLが非 常に重要であり、その充実のために民間マーケットの知 恵と工夫が強く期待されることが指摘される。筆者はそ の方向に沿って高齢者のおしゃれに注目して研究を進め ている。

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3 消費者としての高齢者へのアプローチ 現在、シルバーマーケットが有望市場として注目され ているが、多くの企業が開拓の決め手を欠いており成功 しているとは言い難い。その第一の要因としては、日本 が高齢化社会となって日が浅く、まだ、充分経験を積ん でいないために、高齢者を「マス」として、一くくりで 捉えていることを挙げることができる。 第二の要因としては、福祉に対するスティグマが存在 することを挙げることができる。これまで、シルバービ ジネスというと「介護を要する高齢者」をサービス対象 とし、そこでは、高齢者はサービスを受けるだけの受動 的な存在として捉えられてきたと言えよう。それはシル バーサービスの供給主体が官が主であったということも あり、「福祉措置」の対象といった位置付け(金子, 1998) が強調されてきたことが、高齢者施設等、高齢者福祉サ ービスに対するスティグマを形成する要因であったと言 える。これまで、そのサービス対象として身体的にも経 済的にも虚弱な高齢者が想定されがちであったが、これ からの高齢社会を考える際、シルバーサービスに対する 考え方に対して、企業側も、サービスの受益者である高 齢者側も方向修正を加えなければならない。 第三の要因としては、これまでのサービスが、元気な 高齢者を対象としたものが少なかったことを挙げること ができる。日本経済新聞社が行った調査42)によると、 シルバービジネスにおいて「介護・福祉事業部門」の96 年度の収益は黒字が23.3%、赤字が23.3%であり、97年 度の決算見通しでは、黒字21.7%、赤字25%と悪化傾向 であるのに対し、「健康な高齢者を対象にした事業」に おいては、96年度黒字が16.3%、赤字12.2%、97年度の 見通しでは、それぞれ、16.3%、8.2%と好転傾向にあ り、介護や福祉だけでなく、元気な高齢者をも対象とし て、その潜在需要を顕在化する工夫を伴う戦略が重要で あることが推察される。 最後に、ファッション性という視点が欠けていること を挙げることができる。これまで高齢者を対象としたサ ービスや商品は機能性のみが強調され、高齢者が思わず 「買いたい」と思うような魅力的な商品の提供という視 点が不足していたと観察される。昨今、シルバーカーや ステッキ、そして、車椅子などの福祉用具において、フ ァッション性というものが新たな評価基準として加えら れつつある43)。このような流れは、「バリアフリー」と いう考えから端を発しており、それは、現在、「ユニバ ーサルファッション44)」の提案という形で開花しつつあ る。高齢者の身体機能の変化という視点から、新しく提 案できるファッション性もあるということを「ユニバー サルファッション」というアプローチは秘めていると言 える。 現在、企業が「シルバーマーケット」に暗中模索とい う状況にあるのは、高齢者の生活行動研究や各種の統計 資料からも明らかなように、高齢期はその平均像を設定 することが非常に難しい時期であることがその大きな要 因となっている。シルバーマーケットへのアプローチで は、高齢者自身が生活において何に重点をおいているか と言ったライフスタイル45)を考慮することが基本であ り、これを軽視して、無個性の「マス」として捉えるこ とは有効ではないと考えられる。シルバーマーケットを 攻略するためには、1.ターゲットを絞ること、2.テ ストマーケティングを重ねること(三和総合研究所、 1997)といった基本的なマーケティング手法がより重要 になってくる。梅澤(2000)は、これまでメーカーは 「買った後によかったと思わせる力」としての「商品パ フォーマンス」のみを重視し、「買う前に欲しいと思わ せる力」としての「商品コンセプト」を注視してこなか ったとするが、このような状況は、「福祉=措置」とい ったスティグマの下で提供されてきたサービスにおいて は、サービスの受益者(高齢者)と購入者(家族)が違 ったこともあり、特に顕著な事態であると思われる。 現在、民間企業は高齢者を対象にしたサービスに関す る経験が十分ではない段階にあり、サービスにおいて企 業の特色を出すに至っていないが、高齢者の生活行動や 意識調査等の多分野における調査研究が進むに従って、 高齢者のライフデザインと生活を支援するという視点か らのシルバーサービスにおける工夫が充実していくと思 われる。

おわりに

現在、人口の高齢化に伴い、高齢者を社会にとっての 「 問 題 」 と し て 捉 え る 視 点 が 優 勢 で あ る 。 エ ス テ ス (Estes)は、「高齢化についての社会政策とは、現在の ところ、当該社会における権力関係、経済その他の資源 分配を変更し、撹乱することなどほとんどないと言って いいのだ(Estes, 1999=2000: 127)」としているが、彼 女の指摘どおり、社会的行為としての高齢者政策が高齢、

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及び、高齢化に対する我々の乏しい「リアリティ」を構 築している側面も多分にあるであろう。この指摘は高齢 者の「生活」を規定する高齢者自身のライフスタイルに おいて「何」を重視したいのかという視点から、社会制 度を捉えていくことの重要性を示唆していると言える。 高齢期における社会的機能・身体的機能等の変化を「問 題」として捉えられるような従来のアプローチにおいて は、高齢者は「無条件に助けられなければならない」受 動的な存在として捉えられており、そこには他世代によ る「思いやりのある蔑み(compassionate contempt) (Falk and Falk, 1997)」が前提条件となっている。この

ような視点においては、高齢者をどのように現在の社会 に適応させるかといった議論ばかりが強調され、高齢者 自身の「生活」という視点が軽視されがちであり、現代 社会が医療技術によって勝ち得た「長寿」を喜びをもっ て迎え入れることが出来ないであろう。近い将来「4人 に1人が高齢者」という事態を迎える日本において、こ のように、既存の社会システムを再考するという視点、 そして、高齢者自身が自己のライフデザインを行うとい う視点が強調されなければならない。 これまで、社会環境からの高齢者への対応はそのサー ビス提供主体を問わず、「“満足させてやる”という思い あがったパターナリズム(熊田2000: 7)」からアプロー チされてきたが、それは必ずしも、人々の満足感を導く ものとはなり得なかった。このような反省から、現在、 人々のQOL等の「『公共的なるもの』は認定されたり設 定されたりするべきものではなく、形成されるべきもの である(西尾、1990: 161)」が故に、「演繹的実証主義 (deductive positivism)から、帰納的推理(inductive inference)へのアプローチへの転換(Mukherjee, 1989: 230)」が差し迫られていると言える。しかし、筆者は、 「演繹的実証主義」も「帰納的推理」も対立概念ではな く、設定された課題により、あるいは、同一課題におい ても研究の進展のレベルに応じて、2つのアプローチが それぞれに有効であり、また両者の視点からアプローチ してこそ、より現状に即した政策提言ができるものと確 信している。 このような視点においては、1.高齢者自身のライフ デザイン能力と、2.デザインすることを支援し、その デザインに沿って高齢者がサービスや商品を充分に選択 入手できるという環境からのサポートという視点が重要 となってくる。ここで、筆者はマーケットからの創意工 夫に満ちた魅力的なQOLモデルの提示、「どのような生 活モデルを支援するサービスか」といったコンセプトの しっかりしたサービス・商品の提案・提供に期待をして いる。筆者の立場は、高齢者が「どのように生きていき たいか」、「自分にとっての楽しみとは何か」ということ に気付き、そして、それに基づいて環境からのサービス を高齢者自身が選択するという状況を実現するための方 策を探ることであり,この立場からQOLに接近しようと している。ここで、QOLを考える際、次の3つの次元が 存在することに注目する必要がある。つまり、1.評価 者としての「個人」とサービス提供者としての「環境」 が目指すべきものとして、両者の視点から構築された 「望ましいQOL像」、2.それを実現させるためのサービ ス・商品へのアクセシビリティー、3.最終的に、その ようなサービス・商品がサービス受益者の満足感などに 代表される評価につながっているかという「結果として のQOL」である46) 本研究においてこのようにQOLを位置付けた上で、筆 者は、マーケットからのQOLアプローチの1つとして、 高齢者のファッションマーケットに注目している。ここ で何故、ファッションに注目するかというと、第一に、 化粧等に代表される被服47)行動が、「人が身体をもって ある社会的な場に出てゆくときのスタイル48)」を形作る ものであるが故に、他人の目に映る自己が意識され、そ うすることで自己への関心も強まり、それらの意識が 「望ましい自己像」の構築に役立つと思われるからであ り、第二に、着替えることや化粧を施すことによって、 代わり映えのない日常に気軽に変化を与えることがで き、第三に、ファッションという可視的なものから社会 におけるエイジズムを解消したいと考えているからであ る。いずれにしても、従来から高齢者には、社会的に要 請される「望ましい高齢者像」というものが存在し、高 齢者自身もこの高齢者像に含まれる制約条件の多くを受 け容れて、つましく、控え目なライフスタイルをとって いる人が多い。これを筆者は「振る舞う高齢者」と呼び、 実はその背後には、高齢者自身が「このように生きてい きたい」と考えるライフスタイルが別に存在し、ある部 分を実現していると考えている。これを筆者は「本音の 高齢者」と呼んでいる。1人の高齢者には、自身の中に 「振る舞う高齢者」と「本音の高齢者」が同居しており、 この両者のバランスがその高齢者のQOLに関連している と考えている。そのライフスタイルが端的に現れる生活

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行動の一つが「高齢者のおしゃれ」であると考えており、 この考え方に基づき、高齢者のおしゃれ、それに対応す るマーケットを研究の対象に設定している。今後、本論 文で整理した考察に基づき、メーカー、百貨店、小売り 専門点等に対する聞き取り調査、高齢者の被服行動と生 活実態、生活意識調査を実施して、実証的研究へと展開 していく。 本論文執筆にあたり、石見利勝先生、及び、中西眞知 子先生には懇切丁寧な御助言を賜った。記して、感謝の 意を表したい。 1)1999年9月推計(総務庁)。 2)国連は、老年人口割合7%に達した社会を「高齢化社会」、 14%に達した社会を「高齢社会」としている。 3)国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口 (1997年1月推計)」。 4)朝日新聞(1998年12月26日付)。 5)「人口の年齢構造は、一般に年少人口(15歳未満)、生産年 齢人口(15歳以上65歳未満)、老年人口(65歳以上)のグル ープに分けられる(imidas2000: 574)」。 6)4)に同じ。 7)「高齢期の生活イメージに関する世論調査(総理府、1993 年)」(対象:30歳以上60歳未満の男女)によると、2025年頃 の社会のイメージに関する項目(「高齢者の活動の場が多く、 生き生きと生活している」、「経済的に豊かで、社会が活力に 満ちている」、「福祉が充実して、誰でも安心して暮らせるよ うになっている」、「家族や地域社会が連帯を強め、交流の場 が活発になっている」、「住宅や生活環境が整備され、快適に 住めるようになっている」)の全てにおいて、否定的なイメ ージを持つ者が過半数を占めている。 8)大本(1993)は、現在、日本はヨーロッパの福祉サービス 発展過程の第二段階である「援助・お世話政策」の段階にあ り、高齢者は「他者に依存する存在」として認識されている とする。 9)朝日新聞夕刊(1999年1月9日)。 10)「個々人が主体的かつ能動的に描く、総合的な生涯生活設 計のこと。就職・結婚や住宅取得などといった半ば画一的な ライフイベントを基に設計されるライフプランがいわば受動 的なものであるのに対し、ライフデザインは世の中の変化を 見据えた上で、自己の価値観に沿った人生を自ら積極的に創 造 し 、 実 現 さ せ て い く と い う 意 味 合 い を も っ て い る (imidas2000: 651)」。 11)ランダムハウス英和大辞典パーソナル版(小学館)には、 25の定義があげられているが、筆者は「ライフ」の訳語とし て、「3.(個人・個体の)生命、5.人生、8.生きている人、 10.(ある特徴をもった)生活、生き方、15.生気を与える もの、16.(実社会での)生き方、暮らし方」を想定してい る。 12)LSIには、20項目の質問に対して「はい・いいえ」形式で 回答するLSIAと、12項目からなる自由回答方式のLSIBが存 在する。 13)佐藤(1986: 61)は、いかなる政策的手段が満足度にどの ように影響するのかを把握しなければならないとして「満足 度を被説明変数とし、規定要因を説明変数とするモデルを構 築しなければならない」としている。 14)佐藤(1986: 60)は、「政策的にハードウェアを整備して客 観的クオリティ・オブ・ライフを充実させたとしても、それ が主観的クオリティ・オブ・ライフの向上に結びつかなけれ ば、その政策・社会計画は失敗に終わると考えられるからだ」 としている。 15)山田(1978: 86-87)が「社会生活統計指標(総理府統計局、 1977)」から主に抽出し、開発した「住みやすさ指標」によ ると一位は富山県、最下位は茨城県という結果となり、茨城 県内に大きな波紋を呼んだ。 16)宮下(1980: 92-95)は、住民にとって地域の魅力は「将来 に希望がもてるのか」ということであり、茨城県は北海道に 次ぐ可住地面積をもつ農村型地域であるため、山田(1978) の視点のように「都市的な視点からのみつくられた(ハード な施設の整備水準に比重をおいた)生活指標で比較されれば 下位になるのは当然(( )内は引用者が加筆)」であるとし ている。ここで、宮下は小浜喜一教授による、健全な暮らし、 教育と文化、くらしの安全さ、くらしの便利さ、くらしの快 適さ、くらしの豊かさ、社会のあたたかさという8つの視点 からなる生活指標を取り上げ、くらしの豊かさと社会のあた たかさにおいては、茨城県は上位であったとしている。 17)バウアー(Baur)による「統計は他人を説得して行動をと らせ、政策に適応させるために用いられるということである (Baur, 1966=1976: 40)(下線は,引用者による)」、ビダーマ ン(Biderman)による「その指標が反映しているものは、 測定された現象が影響を及ぼす最も強力ではっきりとした集 団の支配的なイデオロギー上の指針なのである(Biderman, 1966=1976: 151)(下線は、引用者による)」、また、社会科学 の役割について述べている「特殊な指標がどのようにして出 来るのか、誰がそれをどのようにして使うのか、その指標が 強く反映している社会の側面と全く反映していない社会の側 面、様々な大衆から受ける注目と無視、そして指標のもつ利 害についての理解を深めることである(前掲書, 164-165)」 は、この主張にあたって、大変参考になった。 18)ゴールドプランにおいては、1.市町村における在宅福祉 対策として、ホームヘルパーを10万人、ショートステイを5 万床、デイサービスセンターを1万箇所、在宅介護支援セン

参照

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