平成
27
年7
月
30
日
根 本 正
彰 会 会 報 第
7 9号
目
次
巻 頭 言 「 戦 後
70
年を顧みて
j
会 長 曾 津 義 雄
1
頁
2
f
総 会
J
r
公 開 講 演 会 j
報 告
事 務 局
2
頁
(附:新聞記事、資料:別添)
3
「第
1
回 公 開 講 座
J
報 告
事 務 局
6
頁
(HPr
根本正顕彰会の現状と舎後の計画J
附:資料)4
論 文
「豊田芙雄と幼稚園 j
斎 藤 都 子
15
頁
編 集 後 記
22
頁
-・・・・・・・・・・・・・・・・圃掴B岨.._.._..-.._.._..・.._..-.._..ー・・・.._..-..-・・・・-ー・・・・・・・-・・・・・・・・・ー・・・・・田・・ー..-.._.._.・・・・・・・・・・圃・・ー..軸.._.._.._.._..-・..‘【お知らせ《予笹川
1
根 本
I
E顕髭フェスティパル
日 時 平 成
27
年
8
月
30
日(日)
13:30"'16:00
会 場
ふれあいセンターごだい
内 容 講 演
「 不 屈 の 政 治 家 根 本 正 の 生 涯j 曾 津 義 雄 会 長 「根本正を育んだ五台地区の歴史j仲 田 昭 一 事 務 局 長
展 示
根 本 正 関 連 の 諸 昂2
根 本
F
ゆ か り の 地 を 訪 ね る 旅
(詳細は後日案内)
期 日
平成
2
7
年
1
0
月
7
日(水)
方 面
ひ た ち な か 市 華 蔵 院
f
遭 難 漁 民 追 薦 之 碑
jつくば市
「長峰高層気象観測所
jほか
'-"-"-"-"-"・・・・H・H・・・・・・・・・・・・・H同H・・・・・・・・・・・・・・・・H ・・・・・・・H・H・・・・・・・・・園.._..-.._..圃H・・・・・・・・・・・・・・・・・・・H圃・・・..~・・・・・・・・・・・・..,戦 後
7 0
年 を 顧 み て
会 長 曾 津 義 雄
梅雨があける前から
3
2
.
.
.
.
.
.
.
.
3
3
度の気温は普通になりました。昨年は高知県の四万十
市で
41
度を記録しました。私の子どもの頃は団蔚で過ごせました。戦後蔚風機が普及
しましたが、これで十分過ごせたように思います。人々は戦後、高度成長期を経て豊か
さを追い求め物質文明にどっぷりっかり、自然環境を破壊し地球の温暖化を招いたと言
われます。この悪循環を断ち切るにはどうしたらよいのか。これは日本だけの問題では
なく如何なる国・地域でも真剣に取り組まなければならない国際的課題であります。
毎年
8月になると終戦の日を思い出します。私は木崎国民学校 5年生の時終戦を迎え
ました。その日はとても暑くてほこりっぽかったように記憶しています。今年は戦後
7
0
年を迎え各地で記念行事が催されているようです。私達の世代は戦中・戦後派に属し、
その体験を伝える最後の世代になるのかもしれません。
日中戦争のきっかけとなった産溝橋事件が起きたのが昭和
12
年
(1937)
で、太
平洋戦争へと向かい、翌年の
4
月国家総動員法が発布され、同
16
年
(1941)
真珠
湾攻撃を行い太平洋戦争が始まっています。
第一次近衛内閣の時、国民精神総動員運動が挙国一致・尽忠報国・堅忍持久の
3目標
を掲げ、戦争協力のための教化運動を推進しています。。そして学校も従来の小学校から
国民学校に改称し、初等科
6年、高等科
2年の
8年聞を義務教育年限としています。
生徒たちも出征兵士の歓送・神社参拝と清掃・英霊を駅に出迎えたり、出征兵士宅へ
の勤労奉仕や食糧増産のために道路脇を耕して大豆を栽培したり、正に戦争一色の学校
生活でした。戦況も悪化してくると学校へ部隊が駐屯し、授業は午前と午後に分けた二
部制になりました。木時地区の鹿島静神社などの鎮守の森には、菌防色のネットに覆わ
れた大砲が配備されていました。
B29
による空襲が行われるようになると、那珂市では阿弥陀寺・上宮寺に学童疎開
が来てました。。縁故諌開で家畜小屋を改造したりして住んでいる家もありました。
戦争末期になると自立市が
6
月
10日朝、
B29 (300
機
)
、
P5
1 (7 0
機)によ
る空襲を受け、日立製作所工場群が壊滅し、
7月
17日深夜には艦砲射撃で日立鉱山が壊
滅し
1266
名の犠牲者が出ています。
o8
月
2
日未明には水戸市が
B2
9
(
延
240
機)
の空襲を受け
242
名の犠牲者、憐の勝田市は日立と問じ
7
月
17
日に艦砲射撃を受け
日立兵器の工場が破壊され、 35 名の犠牲者が出ています (W茨城県終戦処理史~)。那珂市では水戸北飛行場が機銃掃射を受けています。
私は今でも高射砲の到達しない上空を悠々と飛んでゆく
B29
と艦砲射撃のずずーん
という腹の底まで響いたあの恐ろしい音を忘れることは出来ません。根本正は国際的視
野で歴史の流れを見つめ軍拡反対と軍縮を主張し、国際社会との協調を唱え、大日本平
和協会設立の一員となり、国際連盟の誕生を大変喜んでいます。私達は平和に過ごせる
社会の有り難さをしみじみと感じると共にその重みを伝えてゆくことが大切であると思
います。
平成
2
1
年度根本正顕彰会総会報告
1
日
時 平 成27
年5
月24
日(臼)
午 後1
時30
分から午後4
時まで(含む講演会)2
会 場 茨 城 県 那 珂 市 申 央 公 民 館 講 座 室3
出 席 者33
名 委 任 状4
1名
4
内
容 (総合司会は山田正巳理事)【総会】
(2)富津義雄会長あいさつ 会員皆穫のご協力により会運営ち順調 に運んでいる.昨年度は水郡線全通開通80
年を記念して行事が組まれた.また根 本正先生が那珂市の名誉市民に選定され たこともあって、多くの方々からこの会も 格別注目ちされた.舎年からは、これまで の行事に加えて、さらに一層地域に根ざし た活動をとの思いから地域フェスティバル への参加ち加えることとし、平成27年は根 本正先生を生んだ五台地区から始めることとした.少予高齢化の影響は本会にも及んで おり、舎春作成したパンフ「根本正顕彰会のご案内とご入会へのお誘いJ
を活用するなど して、顕彰会の意義を弘めて会員の塩加にもより一層力を注いでまいりたい. (3)来賓あいさつ ① 海 野 徹 那 珂 市 長 昨年は那珂市市制施行10周年を記念して根本正先生をはじめ 4人の先買を名誉市民に選定させていただき顕彰することもで きた.また、年度末には『那珂市ゆかりの先人たち』ち編さん発行 し、この中でち根本正先生を特筆することができた. また、先般東京青山墓地を訪ね根本正先生のお墓をお参りす ることができた.その際、この脇に先生の説明板を立てることが できればとも思った.青少年を健全に導くためには、先生を継続 的に顕彰することに意義がある.共々に囲んでまいりたい. ② 先 崎 光 茨 城 県 語 会 議 員 舎自の私どもは、先生の遺訓をどのように継承し生かしていくかが大きな課題である. そのためにも先生の不屈の精神を体していくことが大切である.その上で、いかに先生の 精神をまた教えを弘めていくか、まさに「攻めの姿勢jが求められている.そのような意 昧では、会活動普及のためのパンフレット作成も大きな意味を持つところである.地域の 中に入ってしりて、それぞれが各地域に於ける根本正になる賞悟で進みましょう.(
4
)
議 事 (議長は握手輝雄副会長) 平成26年度事業報告(仲田昭一事 務局長)・決算報告(横地富子理事)監 査報告(武藤正夫監事)は別紙の通り 承認を得た.また、平成27
年度事業計 画案・予算案ち別紙の通り承認された.
(5)閉 会【公開講演会】
テーマ
f
豊田芙雄と根本正
J
讃
師
豊田英雄ゆかりの包本保育史研究者高橋清賀子先生
先日の産経新聞f
産経妙jで根本正先生が紹介さ れていた.若者の飲酒とそれに伴っておきだ殺人事 件に関してであった.青少年の飲酒問題、その根抵に 根本正先生の叡えが紹介されていたこと、舎日の問 題に結びつけて先生が紹介されていることに大変嬉 しく思ったことでありました. 豊田芙雄は城下北側通りの目見小路(北見町)に住 んでいた.冬には那珂川からの寒風でかなりの寒さで あったと思われるが、そのような中でも毎日乾布摩 擦を欠かさなかったという.それだけ身体を鍛えていたので96
歳まで長生きできたので あろうと思う.那珂川の涼風を受けながら芙雄を偲んだことでありました. さらに、先祖の墓参りをしてま いりました.私の父が私ども夫婦 に命じたことは、f
先祖に恥をか かせではならない.先祖を大切 にしなければならない.先祖の墓 参りを欠かしてはならないJ
とい うことでした.ここ那珂市へまい る途中で、常磐共有墓地に豊田 芙雄・小太郎両先人ののお墓に詣 でできました.父の毅えは常に lらに生きている.その教えを守る ためでもありました.3
-根本正先生は、水戸建の彰考館で『大日本史』の編さんに携わる中で蘭学ち学んだ豊田 天羽・小太郎の家僕として海外の事情ち学んだ.その結果が海外へ目を向けていくことと なった.その豊田家の膨大な量の史・資料を父が受け継ぎ、それらをいわば命よりも大切 にしてあの戦災をくぐり複けて重り掠いてきた.その父の姿を毘て育った私ち、その遺産 を謹り厳かなければならないとの思いで合日までやってまいった.そこには、夫君の深い 理解と非常なる支援のあったことは云うまでもないことです. 豊田芙雄の来歴を見てくると、中村正直との出会いに、渡米に際してまた米国からの帰 途に、女学校毅師への道になど、その時々において根本正先生との出会いの場が驚く程 タイミングの良さで毅多くあっ定ことに感戴する.二人には、まさに
f
導き合いJ
が備わっ ていた三感じさえする. 豊田英雄は、1
2
歳で母親(藤田東湖の妹雪予)と分かれた.その時から、弟妹の面倒を見 ることになった.それは、まさに保育の実践である.芙雄の保育土としての活動は幼稚園 教師となったことから始まったのではなく、家庭に於いて既に少女時代からスター卜して いたのである.これは非常に大きい意昧・意義があるものです. 芙雄が常に語っていたことがある.それは、毅科書や音物などの教材の工夫もあるが、 予育ての要はf
予供に刻していかに愛情を持って見つめ、接するかである.J
r
愛より深い ものはないJ
ということである.ここに幼児教育・予膏ての根本が据えられていたのです. 講演会にはこれまでになく多くの皆さんが来場されました.高橋清賀予さんの語る姿 は、f
豊田芙雄さんjが舎に患ってご講演されるが如くでありました.参加された皆さん万 は、高橋清翼手のお姿に魅入りながら拝聴されていました. 母親業に悩む女性たちが起こす問題の多さ、シングルマザーの塩加、予育てに悩む若 いママ定ち、さき日抱える問題の多さに悩んでいる現代人、このような量申に豊田芙雄の 予育て捕を学び得たことは、まことに時宣にかなった講演会でもあった. (文責:事務局):t::昆虫、
.
.
.
.
.
.
.
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雪 量 ・111 O身 近 な 情 報 を お 寄 せ く だ さ い 融 叫2E
まも...,.弘芳一 一 一 一 一 一 一
一 一
実携え ヨ哩E 2015年(弓Z成27隼)
5
J
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一本人初の保母・旦旧芙雄│
水 郡 線 敷 設 や 未 成 年 の 喫 煙 ・ 飲 酒 措 歪 法 を 制 定 し た 那 珂 市 の 政 治 家・根本正の顕彰会(会沢義雄会長)は泊目、﹁豊田笑雄と根本 正 ﹂ と 題 し た 講 演 会 を 両 市 福 田 の 空 央 公 民 館 で 開 き 、 日 本 人 の 保 母 第1
号 と 呼 ば れ る 英 雄 と の 深 い 関 わ り に つ い て 、 英 雄 の ひ 孫 で 教 育 研 究 家 の 高 橋 清 賀 子 さ ん ( 布 ) の 話 を 聞 い た 。 那珂市東木倉で生まれた根志を継いで学問に励み、これ 本 は お 歳 で 、 大 日 本 史 を 編 さ か ら の 人 生 を 教 育 に 占 三 心 げ よ ん す る 水 一 戸 藩 の 彰 者 館 総 裁 ・ う と 、 私 塾 を 開 い た り 、 現 在 豊田天功家の奉公人となっの五軒小となる発桜女学校の た 。 天 功 が 病 死 す る と 、 後 を 教 員 を 務 め た り し て い た 。 継いだ小太郎に仕えた。その芙雄は1
8
7
5
(
明 治8
)
小太郎の蓑だったのが芙雄。年、東京女子師範学校(現在 四歳で小太郎に嫁いだ芙雄のお茶の水女子大)が開校し は、根本き7
歳 年 上 だ っ た 。 た 時 に 、 校 畏 の 中 村 正 直 に 招 芙雄辺歳の時に夫・小太郎かれ教員となり、翌年には同 が京都で暗殺される。夫の遺校付属幼稚園で﹁臼本人初の 日 本 人 保 母 第1号 の 豊 田 英 雄 と 根 本 正 の 関 わυ
を 話 す 高 橋 清 賀 子 さ ん = 那 珂 市 中 央 公 民 館続犠雲教員就任、欧州で接点
幼 稚 園 保 母 ﹂ に な る 。 中 村 は ﹁ 西 国 立 志 編 ﹂ の 翻 訳 者 で 、 上 京 し て い た 根 本 が 問 書 に 感 動 し て 、 中 村 の 私 塾 ・ 間 入 社 で 学 ん で い た 。 高 橋 ﹃ 瓦 は 、 ﹁ 芙 雄 が 保 母 と な れ た の も 、 根 本 正 が 芙 雄 の 実 力 ・ 人 柄 を 中 村 正 直 に 伝 え だ か ら こ そ だ ﹂ と 指 摘 し た 。 そ の 後 、 芙 雄 は 鹿 児 島 で 幼 稚 園 殻 立 に 当 た っ た 後 、 釘 年 に 、 水 一 戸 徳 川 家 ロ 代 当 主 ・ 徳 川 篤 敬 が イ タ リ ア 全 権 公 使 と な っ た と き は 総 子 夫 人 の 随 行 者 と し て イ タ リ ア ヘ 赴 き 、2
年 間 イ タ リ ア に 滞 在 す る 。 一 方 の 根 本 は 百 年 、 幻 歳 で 渡 米 。 パi
モ ン ト 大 を 約 年 に 卒 業 す る 。 卒 業 後 、 ヨ ー ロ ッ パ を 巡 っ て い た と こ ろ 、 ﹁ 何 と2
人 が イ タ リ ア で 出 会 っ た の で す ﹂ と 高 橋 さ ん 。 帰 居 後 の M m 年 に 芙 雄 が 寄 宿 制 女 学 校 翠 芳 学 舎 を 開 い た 際 に は 、 根 本 の 妻 、 徳 子 も 教 員 と な る 。2
人 の 媒 酌 人 を 務 め た の が 芙 雄 だ っ た 。 根 本 は 1 9 3 3 ( 昭 和8
)
年 に む 歳 、 英 雄 は 担 ( 昭 和 路 ) 年 に 釘 歳 で 亡 く な る 。 英 雄 担 歳 の 時 に 茨 城 新 聞 か 特 集 し た ﹁ 英 雄 号 ﹂ ( 全 3 m l ) で は 、 根 本 も 祝 賀 の 文 章 を 寄 せ て い る 。 ( 武 藤 秀 明 )5
平虜
2
7
隼鹿梅本
E
・
・
5
会.,国公開田鹿
日 時
平成27
年7
月1
2日(日)
午後
1時 30分 午後 3時 30分
会 場 那珂市中央公民館2
階講座室テ}マ
ホームページ
f根本正顕彰会の現状と今後の計画J講 師
根 本 正 顕 彰 会 理 事 鈴 木 正 矩 氏 (公開講座会場風景) 【発表内容】 (要旨) (発表する鈴木理事) 顕彰会の活動が進展する中で作成される資料の蓄積が膨大となってきたこと、また活 動の広報の充実化からIT化が叫ばれ出したこと等々からIT専門家の鈴木氏が顕彰会の役 員に招かれた.鈴木理事の積極的かつ意欲的な姿勢から早速ホームページが制作され、 さらに資料のIT化が進みつつある. 舎回は、その成果であるホームページの構成や・内容、その横索方法などが紹介され た.このホームページにより、根本正の功績を世界中に弘めることができ、また知的財産 を共有化することができる.その上で、さらに次世代へ知値を継愈していかなければなら ない.顕彰会の現状は、他の多くの分野に共通する高齢化の問題を同様に抱えながらも、私どもには根本正の功績継承のための努力を続けていかなければならない使命がある。 具体的には、次の
3
点が重要である. (1)ホームページを継続的に開発していくこと.そのためにも若い担当者ち発掘してい かなければならない. (2) 発行した『根本正伝~(平成20年6月発行)をデータ化しホームページ上で公開してす べての人々が読めるようにすること. (3)発足当初からの関係写真を募り、提供された写真・資料類をスキャンして編集し、新規 に重新されたパソコンで整理していくこと. と指摘された上で、f
以上のことなどを逐次遂行していくことで、顕彰会はより発展充実 していくと期待できるjと結ばれた.f
質疑応答J (
)内は奮津義雄会長 ① ホームページの内容はより整理されて分かりやすくなっている.多くの人たちに是非 利用して欲しいと思っている.鈴木理事の御尽力に感謝しているo (横地富子) ② 『根本正伝』をデータ化してホームページJ
こに公開することは、逆に本が売れなくな ることにも繋がる.コピーガードなども必要となって来るであろうo (斎藤郁子) 〈本とHPと両面作戦でいければと考える〉 ③ IT化もよいが資料そのもののよさもある.また、既発行の『会報』全部を入力している とのこと、実に大変なことであろうと推察する.会報はよく読んでいるし、その感想ち 当事者には送ることにしている.それにより、より理解が深まるものであるo(
J
I
I
上清) ④ 舎自の講座も広報『なかH
お知らせ版J
で知った.ホームページで公開されているこ とはすばらしい.これからはよく見てみたいと思う.鈴木氏は他の団体でも多忙な中、 これだけのことをされていることに、専門家であるとはいえ作成の努力に感謝する. (石J11一夫) ⑤ HPのこともよく分かり大変良い機会でした.総会での講演会は豊田英雄が中心でし たが、さらに深く根本正を知っていきたいo (吉井隻) ⑤ 紙資料すべてを残すことも不可能であろうからデータ化の方向へとは思うが、実際 に実行するとなると、個人的には容易ではないと思うo (山田正巳) ⑦ 会員および会員外など顕彰会が外に向かつてより広報することになるHP,年間の行 事なども一目瞭然となるようになればよいと思うがo (根本佳代子) 〈総会資料の中の「年間行事予定J
を見てもらうことになっているが、 HPの中で単独 で行事が出てくるように工夫してみる〉 ③ 地元のものとしてより多くのことを学ぼうと思う.根本正や水郡線などHPを横索し てみるとたちどころに知る事が出来るoHPの影響の大きさを認識することが大切なこ とではないかo (小田内裕司) ⑨ 那珂市内の偉人をより多く知ろうと思うし、また知って欲しいと思う.先日の清水洞 の上公園での納涼祭の時に、一緒に行った孫に「この先に根本正先生の生まれた家が7
-あるんだよ
J
と教えておいた.さまざまな機会を見つけてPRちしていきたい. (寺門昌美) ⑪ 那珂市内の偉人を学ぽうと思う.増子副会長とお会いして顕彰会への入会も決め た.また『伝記』ち頂戴した、本日の講座は総会資料で確認できた.HPち早速開いてみる.
(細貝幸雄) ⑪ 伸田義一副会長よりこの会のことは聞き及んでいた.舎巴は、 HPについてもより知 る事が出来有意義であった. (猪狩光弘) ⑨ 根本正については幼少の頃から聞いてはいた.渡米の準備として勤務していだのが 横浜の外国郵便局、そこは自分が就職し働いていた近くであった.その縁に驚いたこと でもあった.年齢が高くなってから勉学に副んだその意欲に驚嘆する. (叶野毅) ⑮ 根本正の名前は富津義雄会長の歴史講座で初めて知った.大手町には胸像がある が那珂市内にはシンボル的なちのが何ちない、なぜであろうか.HPは是非開いてみたい.
(鈴木芳雄) 〈水郡線数設には尽力していたが、途中で水戸から常陸大宮駅までは私鉄建設とな ったため、根本正の実際の尽力は常陸大宮駅以北となったことから菅谷駅には胸像 建立までには至らなかった.名誉市民に選定、一ノ関溜池畔顕彰稗建立、生家案内な ど案内板を数カ所に立てる必要があると思っている〉⑪
個人的にペーパー主義であり、ファイル化している.しかし、膨大な資料が蓄積されつ つある.これらをさ言後どのように整理していくかが大きな課題となっている. (小林茂雄)⑤
顕彰会の事業は着実に遂行されている.それらをどのように予告広報し、より多くの 参加者を得られるようにするかが大きな課題である.そのよう中、今日は広報媒体およ び広報の在り方が大きな話題となった.如何にすれば「根本正jなる人物をより広く、よ り多くの方々に知っていただけるかを考えていくことが大切なことである. 顕彰会としては、本日いただいたご意見を採り入れて会事業の推進に役立てさらに 遁進していきたい. (増子輝雄副会長)ホ
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根 本 車
彰 会
j
の
現状と今後の計
理事(町担当)鈴木正矩
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目次
砂1
イン卜口
砂2
ホームページ作成の目的
砂3
検索方法
砂 (1
)検索エンジンを利用
惨 (2)那珂市ホームページを利用
砂4
ページ構成
トップページとサブ‘ページ
砂5
ホームページ検索実演
砂6
今後の計画と課題
惨7
結び
9
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1
インターネットとは
盤ごと一
野 鶴 壁 盤 離 脱 聖 出 問 輔 輔 輔j 宅J 亨 込"、克之句、2ミ品、ぇ" ':_r.::L :t.: ~~''''σ 庁科 γ? とP 宇野-'i9!"",,1Ij パー理Z若返 2 脅も鐸露場~..:,,'ノto:<や , "',~ア、士句宮~T^ <1"タア争処努シワ 吋 ~ ,c 州~^" 者協dぃ ゐ ,丸一 a ・:;'j,.:f'~ r議 …
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ホームページ作成の目的
砂 1 根本正の功績を世界中に・・ローカルからワールドワイド 砂 2 会員の高齢化・・居室への情報宅配 砂 3 知的財産の共有化・・個人の財産から会員の財産 砂 (発足時点:根本正顕彰会のDBの構築) 砂 4 次世代への知価継承"
砂 5 情報妓術の飛躍的発展 ( 紙 司 電 子 機 器 ) T> URL htto : Ilwww.l!eocities.io/masuzuki1001ιV .LJI 'I -糠
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1'-:;;ヘ" み 宵 両a河 内r、 ......11;. -己J3
検索方法
(
1
)
検索エンジン・・ヤフ一等
ご ç:~ ,~<_:,: . .:ι:者止すも 船 主 談 、 F f 叫 怠 49' 町 f 一 万 ﹂ 明 品 清 汁Yλ
壬主管ヨ
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サ怖心意鈴 殺害々iC号事政 M'I"(.&l>'J<:- さ2フ叉 ,;r._γ ウ x-J 話番数忌詩害時曹長堤~ 'i::'<吉 小11... 会主主唱 纏*互海事話会 酒田E寝ヲ濁闇趨麗益 さシ号ど-< 言 語i宍.w:'f:都Jh',t(),:.紛がな舎計巷竃封 、7・n平気アヲ,が?な毒¥山/ 絞り込み~-)j,ゆ ゆ と 弘 仲 ピ : ? 賢 二 ユ 寸 法清 工 、 小P 町 μ g 鍾泰正璽堅金 '.Mt:;~~ ifi 点、むず~'9ùCüちQSH);,rna弘faAliC(j キ~,<ンム 1851 (¥1:*.4年)~1933 (!i1和8';ド) _*iEiみ表竣猿でごく少数 ~人 I~JR水害事嬢を作ったtt幾士として蕗1'3れています,じがし、明治・^立 のS喜代の数ある政治療の中で、銀本iEiまど子供め立緩に立コても子供が鍵盆'こ !iif堅υ、自立できる人聞になるよう努力 主11,'.'つτ;:-. 園出蝋;;>.,) t量I;W, 王ホキ,.+~ 主主工斗山戸 位二署警1 ぷ'スm シ E語ブア'ナ/之 難 ヂ ベ .G'!AO -貌.,山話人事舟託子五を耗;,,0 ・ 4転出主主,;;~!['i矢島民主土巧尊重乾'、自'酎t 'i:悲運転書禽擦を銭安?事:.21-',;: ・軍芝:才@,r:f3a'守門主主力膏殺菌噌同 "f高経尭づ':_.("LECC苦質事,.'、白争相, a 椅~r矢;く字企望f 吾芹3ザ苦事事a 寓 〆ν.'';附6 z 予ヂ')-1符手量蒜E 葺務子も書t乙諒切'_;i~i ~r: ち位 ム!:F-..:;昏fヨ ( ;.( f.,.:\~1 i:~.品、会f 4量;1;豆-Wikioedia 日'"唄ι <ì v..ιkptd帯。勾ジ夜九犠増~iE耳トノ;パ ...,..ーへ齢亙{ねちとしょう、 IBM年101mB(嘉剰刺台湾16))降1933年{隠 しーニピ字鞠五手)1局5EJ){ま~O.骨東島水戸遊士、明駒大iI鶴代の ごれを厳司揺して大 V 子!BJC)寸二ïft待なに梅線tf建てられたが第二次注界大事~tflaA量緩密百設で供出さ .n,第二次笠界大戦後{こ(
2
)
那珂市役所のホームページ
〈動閥均 ι櫨墜
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今後の計画と課題
1 ホームページの継続的開発 (総会、公開講座、訪ねる旅等) 2r
根本正伝J (H20年6月30日発行)の公開準備 3 パソコンの老朽更新新OS (Win10 及び Office2016) Vista 販売開始臼 2007.4.10開発終了日 2012.1.30 サ;;t:ート終了巳 2017.4.11 Office2003 開発終了日 2012.4.14 サオ、ート終了臼 2017.4β 4 発足当初かちの写真提供のお願い。豊田芙雄と幼稚園
驚藤郁子
く幼児小学構想〉
明 治 5年 に 制 定 さ れ た 「 学 制 」 で は 、 小 学 校 の 種 類 と し て 「 幼 稚 小 学j があり、「幼 稚 小 学 ハ 男 女 ノ 子 弟 六 歳 迄 ノ モ ノ 小 学 二 入 ル 前 ノ 端 緒 ヲ 教 ル ナ リ J (第二十二章)と定 め ら れ た 。 「 幼 児 小 学 」 は 、 実 現 し な か っ た が 、 小 学 校 就 学 前 の 教 育 と し て 「 幼 稚 園j が取り入れられた。 学 制 に お い て は 名 目 に す ぎ な か っ た 小 学 校 就 学 前 の 教 育 に つ い て 、 明 治 18年 (1885) に 初 代 文 部 大 臣 と な る 森 有 礼 は 、 ご く 早 い 時 期 か ら 本 格 的 に 考 え て い た 人 物 で あ っ た 。 森 有 礼 が ア メ リ カ に い た 明 治 4'"'-'7年 頃 は 、 ア メ リ カ の 幼 稚 園 が ま だ 草 創 期 と 呼 ば れ る 時 期 で あ っ た 。 森 有 礼 は ア メ リ カ の 幼 稚 園 運 動 の 担 い 手 た ち と 親 し く 交 流 し 、 幅 広 く 関わりを持った。 日 本 最 初 の 幼 稚 園 書 と な っ た 「 幼 稚 園 記j の 原 典 は 、 ア メ リ カ ニ ュ ー ヨ ー ク 州 ニ ュ ー ア ー ク の ジ ャ ー マ ン ・ イ ン グ リ ッ シ ュ ・ ア カ デ ミ ー の 校 長 ア ド ル フ ・ ド ゥ ア イ が 書 いたr
The KindergartenJ で 、 森 有 礼 が 駐 米 時 代 に ア ド ル ブ ・ ド ゥ ア イ か ら 人 を 介 し て 贈 ら れ た も の で あ る 。 原 題 を 直 訳 す る と 、 「 幼 稚 園 」 で あ る が 、 「 フ レ ー ベ ノ レ の 初 等 教 育 の 方 法 を 公 立 学 校 に 導 入 す る た め の 手 引 き : お よ び 母 親 や 私 立 幼 稚 園 教 師 の た め の 手 引 き 」 と い う 副 題 が つ い て い た 。 こ れ は 、 ア メ リ カ の 幼 稚 園 が 草 創 期 の 時 代 に 書 か れ た も の で 、 フ レ ← ベ ル の 幼 児 教 育 法 を 学 校 教 育 に 取 り 入 れ る た め の 書 で あ っ た 。 も う 一 人 、 日 本 で 初 め て の 幼 稚 園 創 設 に 欠 か せ な い 人 物 に 田 中 不 二 麿 が い る 。 岩 倉 使 節 団 ( 明 治 4年 11月 12日 明治 6年 9月 13日)の教育担当理事官田中不二障は、 森 有 礼 の 紹 介 に よ り ボ ス ト ン 近 郊 で 学 ん で い た 新 島 嚢 を 案 内 役 兼 通 訳 と し て 各 方 面 の 視 察 に 同 行 し た 。 二 人 は 岩 倉 使 節 団 一 行 と 別 れ 、 イ ギ リ ス を 訪 れ て 、 い く つ か の 学 校 を 見 学 し た 。 ロ ン ド ン の 見 学 先 で は 、 日 本 で 「 思 物j と 呼 ば れ る よ う に な っ た 「 幼 稚 園 道 具 一 式J
を 買 っ た 。 そ の 見 学 先 と は 、 幼 児 学 校 に 幼 稚 園 の 方 法 を 導 入 し よ う と し た 最 有 力 団 体 の 植 民 地 学 校 協 会 の も の で 、 大 勢 の 労 働 者 階 級 の 子 ど も た ち を 集 め た 幼 児 学 校 で 、 読 み 方 、 書 き 方 お よ び 算 数 の 授 業 の 合 間 に い わ ば 息 抜 き の 道 具 と し 「 幼 稚 園 道 具 一 式 」 が 使 わ れ て お り 、 教 師 は こ れ を 指 し て 『 幼 稚 園 』 と 呼 ん で い た 。 日 本 で 初 め て の 幼 稚 園 は 、 田 中 不 二 麿 の 二 度 目 の 幼 稚 園 設 立 伺 で よ う や く 認 め ら れ た 。 学 制 は 国 民 教 育 組 織 に つ い て 定 め た が 、 す べ て を た だ ち に 実 施 で き る と は 考 え て い な か っ た 。 学 制 原 案 に 添 え て 太 政 官 に 提 出 し た 文 書 の 中 に 学 制 の 着 手 順 序 を 示 し た も の が あ り 、 第 一 に 小 学 校 の 普 及 充 実 に 努 め る べ き こ と が あ げ ら れ て お り 、 全 国 民 の 就 学 す る 小 学 校 を 重 視 し て い た こ 左 が 知 ら れ る 。 し か し 、 小 学 校 の 設 立 ・ 維 持 に は 多 額 の 経 費 を 必 要 と し 、 学 制 の 実 施 に 当 た っ て こ れ が 重 大 な 課 題 で あ っ た た め 、 小 学 校 就 学 前 教 育 に ま で 目 を 向 け る こ と は 困 難 で あ っ た の で は な い か と 思 わ れ る 。 幼 稚 園 設 立 伺 の 一 度 目 は 、 特 別 な 予 算 は 求 め な い の で 許 可 し て ほ し い と い っ た 内 容 で 太 政 官 に 提 出 す る が 却 下 さ れ て し ま う 。 た だ ち に 再 提 出 し た 設 立 伺 で は 具 体 的 に 示 し 、 ま も な く 開 校 予 定 の 女 子 師 範 学 校 内 の 建 物 を 利 用 し 、 運 営 に 関 わ る 費 用 も 当 分 は 同 校 に 割 り 当 て ら れ た 金 額 で 賄 う の で 、 な に と ぞ 設 立 を 許 可 し て ほ し い と い う 内 容 で ようやく許可が下りた。- 1
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-東 京 女 子 師 範 学 校 内 と し た の は 、 幼 児 教 育 の 理 解 者 で あ る 中 村 正 直 が -東 京 女 子 師 範 学 校 の 摂 理 だ っ た こ と が 要 因 だ っ た と 思 わ れ る 。
森 有 礼 、 中 村 正 直 、 田 中 不 二 麿 ら は 、 と も に 啓 蒙 活 動 を 目 的 と し た 明 六 社 の 仲 間 で ある。
くブレ}ベルの教育思想〉
当 時 の ヨ ー ロ ッ パ 教 育 界 は 、 ペ ス タ ロ ッ チ ー (Johann Heinrich Pestalozzi 1746 ""' 1827) の 影 響 を 色 濃 く 受 け て い た 。 プ レ ー ベ ル (FriedrichFrるbel1782""' 1852) も そ の 影 響 を 受 け 、 直 接 教 え を 請 う て い る が 、 や が て プ レ ー ベ ル は 独 自 の 教 育 思 想 を 持 つ よ う に な り 、 幼 児 教 育 に 専 念 す る よ う に な る 。 フ レ ー ベ ル は 、 ベ ス タ ロ ッ チ ー の 教 育 方 法 が 教 授 と い う 側 面 に 傾 き す ぎ て 、 教 育 を 受 け る 主 体 で あ る 子 ど も の 存 在 に つ い て の 理 解 が 希 薄 で あ る と 考 え る よ う に な る 。 プ レ ー ベ ル に と っ て 教 育 と は 、 大 人 が 恋 意 的 に 形 づ く る も の で は な く 、 子 ど も の 自 発 的 活 動 を 尊 重 す る こ と で 、 最 初 は 弱 く ま と ま り の 無 い 動 き が 、 や が て 遊 び と な り 、 作 業 と な り 、 労 働 と な り 文 化 の 創 造 す る こ と に つ な が る と 考 え た 。 彼 は 子 ど も の 内 的 表 現 を 助 け は ぐ く む た め の 教 育 遊 具 Gabe (恩物)を考案し製作した。
く 原 典 の 削 除 >
iThe KindergartenJ の 翻 訳 書 「 幼 稚 園 記j は 東 京 女 子 師 範 学 校 付 属 幼 稚 園 初 代 監 事 ( 園 長 ) 関 信 三 に よ る も の だ が 、 実 際 に ア メ リ カ で 見 学 し た 森 有 礼 や 田 中 不 二 麿 ら の 見 学 な ど の 意 見 も 参 考 に さ れ た の か 、 そ の ま ま の 翻 訳 ば か り で な く 書 き 換 え や 追 記 、 削除が見られる。 「幼稚園記j で は 原 典 に あ る 歌 曲 の 歌 詞 だ け を 訳 出 し 楽 譜 を 一 切 紹 介 し な か っ た 。 明 治 期 の 音 楽 の 授 業 は 唱 歌 と 呼 ば れ て お り 、 明 治 5年 (1875) に 布 達 さ れ た 学 制 に お い て 、 小 学 校 の 教 科 と し て 音 楽 を 唱 歌 と い う 名 前 で 揚 げ て い た 。 し か し 唱 歌 の 教 材 が な い た め 「 当 分 之 ヲ 欠 ク j と 付 記 さ れ 、 長 い 間 授 業 は 行 わ れ て い な か っ た 。 明 治 8年 7月 に 留 学 生 取 締 官 と し て ア メ リ カ へ 渡 っ た 目 賀 田 は 、 ボ ス ト ン な ど で の 知 人 た ち の 助 言 に よ り 、 日 本 の 音 楽 左 ヨ ー ロ ッ パ の 音 楽 と を 「 同 化 す る 」 こ と が で き る と 信 じ る よ う に な っ た 。 明 治 11年 (1878) 4月 8日 文 部 大 臣 田 中 不 二 麿 宛 に 、 学 校 唱 歌 を お こ す の に 必 要 な 事 業 で あ る と し て 、 目 賀 田 種 太 郎 と 伊 沢 修 二 の 連 名 で 「 音 楽 取 調 掛j設 置 の 上 申 書 を 提 出 す る こ と か ら 、 唱 歌 実 施 の 準 備 が 始 ま っ た 。 ア メ リ カ で プ レ ー ベ ル の 教 育 方 法 を ア メ リ カ の 幼 稚 園 と し て 消 化 し 展 開 さ れ て い っ た よ う に 、 日 本 で は 田 中 不 二 麿 ら が 「 日 本 の 幼 稚 園J
を 目 指 し た 。 志 た 、 唱 歌 も ヨ ー ロ ッ パ の 音 楽 と 日 本 の 音 楽 と 同 化 さ せ 「 日 本 の 唱 歌 」 生 み 出 そ う と し た 。 東 京 女 子 師 範 学 校 付 属 幼 稚 園 で は 、 音 楽 に 関 す る 取 調 べ 事 業 を す る 政 府 の 正 式 な 機 関 で あ る 音 楽 取 調 掛 け を 前 倒 し す る か の よ う に 、 そ の 前 年 に 中 村 正 直 が 式 部 寮 に 唱 歌 の 作 曲 を 依 頼 し 、 式 部 の 伶 人 が 来 園 し て 始 動 し た 。 最 初 の 幼 稚 園 唱 歌 は 雅 楽 の 旋 律 か ら 出 発 し た 。 ピ ア ノ と 琴 の 「 新 調 雅 楽j は 、 典 雅 で ゆ っ た り と し た 旋 律 で 、 歌 詞 は 難 し く 、 子 ど も た ち に は そ ぐ わ な か っ た と い う 。く日本で初めての幼稚園〉
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日 に 東 京 女 子 師 範 学 校 に 日 本 で 初 め て の 幼 稚 園 が 開 園 し た 。 幼 稚 園 が 仮 開 園 さ れ た 翌 日 の 『 読 売 新 聞 』 に は 、 幼 稚 園 に つ い て 「 女 教 師 は 子 ど も の 気 の 向 い た や う に 遊 ば せ な が ら 物 を 教 え ま す が ( 中 略 ) 何 し ろ 始 め て す る こ と ゆ え ま づ 三 四 ヶ 月 た ち ま し た ら 本 当 の 開 業 式 が あ っ て 定 め て 盛 大 に や り ま し ょ う 。 J と、 子 育 て を す る 母 親 の よ う な お お ら か な 言 葉 で 紹 介 し て い る 。 開 園 当 初 の 1 日 の 保 育 の 流 れ を 見 る と 、 恩 物 の 時 間 と 戸 外 遊 び の 時 間 と は 以 下 の よ うに分けられていた。 登 園 ー 整 列 一 遊 戯 ( 唱 歌 ) 一 開 誘 室 ( 説 話 あ る い は 博 物 理 解 ) 一 戸 外 遊 び ー 整 列 一 開 誘 室 ( 思 物 ) - 遊 戯 室 ( 遊 戯 か 体 操 ) 一 昼 食 一 戸 外 遊 び 一 開 誘 室 ( 思 物 ) ー 帰宅 思 物 に よ る 保 育 で は 、 保 母 が 幼 児 に 向 っ て 号 令 を か け る こ と で 始 ま る 。 終 り の 号 令 の 閉 ま で に 幼 児 が 自 由 に 恩 物 を 扱 う 時 間 が1
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分あった。 遊 戯 を す る に あ た っ て は 、 保 母 の 心 得 と し て 、 円 形 を 整 え る こ と を 求 め ら れ 、 演 技 中 に 中 を 通 り 抜 け る こ と や 、 円 を 抜 け る 際 に は 左 右 の 者 の 手 を つ な が せ る こ と 、 遅 れ て 登 園 し た 子 ど も の 途 中 参 加 は 許 さ れ ず 、 保 母 の 途 中 退 出 も 禁 じ る な ど の 細 か い き ま りがあった。 し か し 、 そ れ ば か り で は な く 、 フ レ ー ベ ル が 幼 稚 園 の 最 も 基 本 的 な 施 設 と 考 え た 園 庭 を 監 事 の 関 信 三 は 戸 外 遊 び と し て 尊 重 し て い る 。 大 阪 府 か ら 東 京 女 子 師 範 学 校 保 嫡 見習いとして派遣された氏原銀は、「保育ノ主義ハ此当時心理学教育学ノ¥教へサリシモ、 子 ど も ト 能 ク 親 シ ミ 学 へ ヨ ト 教 へ ラ レ 、 野 外 保 育 盛 ニ シ テ 雨 天 ノ 外 ハ 保 育 時 間 ノ 大 部 ヲ 保 育 シ 、 子 ど も 本 位 自 然 二 親 シ メ ヨ ト 教 へ ラ レ 、 之 レ ニ 対 ス ル 看 護 モ 非 常 ニ ヤ カ マ シク云ハレタリ。」と回想している。 保 育 に つ い て 心 理 学 教 育 を 教 わ り も し た が 、 子 ど も た ち の 中 に 入 り 、 親 し く 交 わ り 、 実 践 を 通 し て 学 ぶ こ と と 教 え ら れ 、 野 外 保 育 が 盛 ん で 、 雨 天 の ほ か は 保 育 時 間 の 大 部 が そ う で あ っ た 。 子 ど も 本 位 に 自 然 に 親 し め よ と 教 え ら れ 、 こ れ に 対 す る 看 護 に つ い て も 非 常 に や か ま し く も 言 わ れ た 。 関 信 三 の 「 保 育 ノ 主 義 」 は 、 子 ど も の 自 発 的 活 動 を 尊 重 す る フ レ ー ベ ル の 主 義 を 理 解 し 、 実 践 し て い た 左 思 わ れ る 。 明 治1
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月 、 関 信 三 監 事 が 急 逝 し 、 神 津 専 三 郎 監 事 の 数 ヶ 月 を 経 て 、 小 西 新 八 が 第 三 代 監 事 に 就 任 し た 。 明 治1
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年 に 改 正 さ れ た 附 属 幼 稚 園 規 則 に 、 保 育 科 目 と し て 「 読 ミ 方 、 書 キ 方j が 加 え ら れ た 。 小 西 新 八 は 「 多 く の 父 兄 か ら 幼 稚 園 は 何 も 教 え て 貰 わ ぬ と い う 不 平 が あ り ま し た 。j と、導入の理由について述べている。 我 国 初 め て の 幼 稚 園 は 開 設 か ら わ ず か 3年 で 新 た な 監 事 が 就 任 し た 。 そ の 後 は 、 保 護 者 遣 の 要 望 に 答 え つ つ 、 小 学 校 の 前 段 階 を 意 識 し た 保 育 と な っ た 。く私立の幼稚園〉
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月 に 開 園 し た 日 本 で 初 め て の 私 立 幼 稚 園 『 桜 井 女 学 校 附 属 幼 稚 園 』 は 、 師 範 学 校 附 属 幼 稚 園 保 母 養 成 科 第 1回 卒 業 生 を 雇 つ て の ス タ ー ト で あ っ た が 、 明 治1
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に 幼 稚 園 拡 張 の た め 、 ア メ リ カ よ り 此 の 道 に 堪 能 な エ リ ザ ベ ス ・ パ - 17ッ ト ン ・ ミ リ ケ ン を 招 い た 。 間 幼 稚 園 で は 明 治 17年 か ら 、 保 母 の 養 成 に も あ た る こ と えつ に な る 。 卒 業 生 の 吉 田 鎖 は 金 沢 で 英 和 幼 稚 園 の 園 長 と な っ た 。 そ こ で は 、 ア メ リ カ で 使用されているリズミカノレなテンポの唱歌が英語のまま用いられ、「豆腐 manJや「鉄 道 ご っ こ
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と い う 身 近 な も の を 題 材 に し た 創 作 遊 戯 が 導 入 さ れ て い た 。 さ ら に 、 恩 物 を 直 接 外 国 か ら 輸 入 し 、 子 ど も に 自 由 に 使 わ せ て い た 。 同 時 期 な が ら 、 一 方 は 、 小 学 校 の 前 段 階 を 意 識 し た 幼 稚 園 、 も う 一 方 は 、 子 ど も た ち の 創 造 性 に 任 せ た 幼 稚 園 と 、 就 学 前 教 育 に 大 き な 違 い が で き た 。く豊田英雄の幼稚園観〉
日 本 で 初 め て の 「 幼 稚 園J で 豊 田 芙 雄 は 、 初 代 監 事 ( 園 長 ) 関 信 三 や 主 任 保 母 松 野 ク ラ ラ の も と 誠実に仕事に打ち込んだ。 保 育 に つ い て 学 び な が ら 、 実 践 に あ た っ た 豊 田 芙雄は、「思物大意Jr
保 育 の 某 」 な ど を 残 し て い る。 こ の 経 験 か ら 、 鹿 児 島 女 子 師 範 学 校 付 属 幼 稚 園 の開国と保嫡の養成にも関わった。 田 英 雄 釈 『 家 鳩j 下 方 婦 人 が 豊 田 英 雄 と い わ れ て い る そ の 後 、 明 治 20年 (1887) 10月 に 、 旧 水 戸 藩 主 徳 川 篤 敬 が イ タ リ ア 公 使 と し て 渡 欧 す る こ と と な っ た 際 に 豊 田 芙 雄 は 、 夫 人 総 子 の お 相 手 役 と し て 随 行 す る こ と に 加 え て、「滞欧中女子教育事情取調べ J の辞令も受けている。明治 23 年 (~890) 1月 12日 に 帰 朝 し た 豊 田 芙 雄 は 、 滞 欧 中 に 幼 稚 園 訪 問 を 経 て 持 っ た 感 想 を 「 女 学 雑 誌 」 に 寄 稿 し て い る 。 そ れ に は 近 々 、 東 京 に お い て 保 婦 の 検 定 試 験 が 行 わ れ る が 、 疎 か に し て は な ら な い こ と と し て 、 「 幼 稚 園 と はj、「保婦はJ、「保育で大切なこと J等 に つ い て 書 い ている。0
幼 稚 園 は 子 女 が 始 は じ め て 父 母 の も と を 離 れ 社 会 に 出 る 第 一 歩 で 、 児 童 の 発 育 する庭園である。O
保 婦 は 温 和 と 徳 儀 と を 充 実 し た 精 神 を 以 て 児 童 を 保 育 し 、 児 童 の 身 体 強 健 と 良 心 と を 自 然 と 養 い 、 生 ま れ 持 っ た 活 動 の 発 育 を 助 け 児 童 の 精 神 が つ ね に 爽 快 で あ る よ う に す る の が 大 切 で あ る 。 児 童 に 癖 疾 あ る 時 に は 、 暗 々 の 内 に こ れ を 素 直 に し 、 寛 容 な 心 を 以 て 保 育 す る の が 良 い 。 良 保 婦 の も と 群 児 が 交 わ っ て 一 緒 に 遊 び 楽 し め ば 、 自 然 と 勝 手 な 振 る 舞 い や 我 偉 な ど い う 悪 い 癖 も な く な る 。 身 体 が 健 や か に な り 将 来 の 学 問 技 芸 を 講 修 す る 希 望 を 呼 び 起 こ し 智 能 の 基 礎 が こ れ に よ り 発 達することは明らかである。0
保 育 で 注 意 し な け れ ば な ら な い の は 、 知 育 に 陥 り 教 育 に な っ て し ま う こ と で あ る 。 フ レ ー ベ ル 氏 の 本 来 の 主 意 は 教 え る こ と で は な い 。 幼 児 の 能 力 は 未 だ 軟 弱 な の で 、 強 い て 教 え る こ と を す れ ば 、 成 人 し て か ら の 弊 害 は あ っ て も 効 力 は な い 。 世 間 で は 、 幼 稚 園 を 小 学 校 の 予 備 で あ る か の よ う に 、 幼 児 に 精 紳 を 労 さ せ る よ う な 細 密 な 事 を さ せ て 、 彼 は 賢 い と か 彼 は 秀でているなどの賞賛をしているがし、けないことである。。
プ レ ー ベ ル 氏 の 主 旨 は 体 育 を 基 と し て 児 童 に 快 楽 を 与 え る こ と で 生 涯 に 必 ず 必 要 な こ と を 娯 楽 遊 戯 の う ち に 徐 々 に 身 に 着 け て い く こ と に あ る 。 保 育 で は フ レ ー ベ ル 法 の 中 で 保 栂 が よ い と 思 っ た も の を 選 択 し て 用 い る の が 良 い 。 思 物 の 中 に 六 球 と い う 綿 製 の 球 が あ る が 、 児 童 が こ れ で 遊 ぶ こ と を 喜 ば な い と い う 人 が い る 。 私 が 欧 州 に 滞 在 し て い た 頃 、 方 々 の 幼 稚 園 に 参 観 し た が 、 そ の 方 法 は 簡 易 な る 歌 曲 を う た い 其 の 曲 に 合 わ せ て 六 球 を 動 か し 、 動 い た り 止 ま っ た り の 動 作 を し て 児 童 大 そ う 楽 し み 、 奏 楽 が 聞 こ え て く る あ い だ じ ゅ う 遊 嬉 を し て 、 和 や か に 和 気 あ い あ い と し た 空 気 が 圏 中 に 満 ち て い た 。 六 球 の 良 い 使 い 方 を 知 れ ば 却 っ て 児 童 の 娯 楽 に 適 当である。喫煙暗記
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くまとめ〉
豊 田 英 雄 は 渡 欧 に 際 し て 、 付 属 幼 稚 園 で は 読 み 方 や 書 き 方 が 追 加 さ れ 、 小 学 校 の 前 段 階 を 意 識 し た 保 育 に 変 り 、 一 方 私 立 の 幼 稚 園 で は 子 ど も た ち の 創 造 性 に 任 せ た 保 育 を し て い る 。 本 来 の 幼 稚 園 と は ど の よ う な も の か 。 芙 雄 の 模 索 は 続 い た 。 思 物 の 使 い 方 は 、 遊 戯 は 、 そ し て 、 保 婦 と は ー な ど な ど 。 豊 田 芙 雄 は 、 滞 欧 中 に 訪 れ た Kindergartenで 、 フ レ ー ベ ル の 教 育 と は 、 大 人 が 恋 意 的 に 形 づ く る も の で は な く 、 子 ど も の 自 発 的 活 動 を 尊 重 す る こ と に あ る こ と を 理 解 す る 。 そ し て 、 幼 稚 園 と は 子 女 が 社 会 に 出 る 第 一 歩 で あ り 、 保 婦 の 役 割 は 児 童 に 何 か 教 え る の で も な く 、 験 け る こ と で も な い 。 複 数 の 子 ど も た ち が 混 じ り 娯 楽 遊 戯 を す る う ち に 、 自 然 と 我 億 勝 手 も な く な る だ か ら 、 保 婦 は 充 実 し た 温 か い 心 で 保 育 す る こ と が 大切であるとの思念を持つに至った。 時 代 と と も に 、 就 学 前 教 育 は 様 変 わ り し て い る か も し れ な い が 、 親 と も 言 い 換 え ら れ る 保 婦 の 原 点 は こ こ に あ る の で は な い だ ろ う か 。〈
註
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幼稚園
子育ての本質、 豊 田 英 雄 けういく ほ う ほ う ひ び せ い と ん したがっ せ じ ん し じ よ た が く し ゃ ひっょう か ん こと 母 教 育 の 方 法 日 々 に 整 頓 す る に 随 て 世 人 子 女 の 矯 め に 学 舎 の 必 要 を 感 ず る 事 の ひ ん ぱ ん こ っ か た か もと ぶ ん め い せ か い か 頻 繁 な る は 国 家 の 矯 め 賀 す べ き な り 。 こ れ 素 よ り 文 明 世 界 映 く べ か ら ざ る の 事 な な た か ん ぜ ん む け つ ご〉ろがく と う ぜ ん こ と れ ば 成 る べ き 丈 ケ 完 全 無 散 な る も の を 心 懸 る こ そ 嘗 然 の 事 と も い ふ べ け れ 。 そ も そ も し じ よ はじ ふ Il' し っ か はな しやかL、 いづ だい しょとうきゅう 抑 々 子 女 の 始 め て 父 母 の 膝 下 を 離 れ 社 会 に 出 る 第 一 歩 の 初 等 級 と も い う べ き も の か ょ う ち え ん い ま す で か く し ょ も ふ す こ ぶ せ い と ん よ は い は 彼 の 幼 稚 園 な り 。 今 や 既 に 各 所 に 設 け ら れ て 頗 る 整 頓 す る も の あ る は 余 輩 の きんべんようてき た ところ またすこ け っ て ん ま ぬ か こと き ょっ 欣 件 踊 躍 に 堪 え ざ る 所 な り 。 さ れ ど 又 少 し く 欠 黙 を 免 れ ざ る 事 あ る を 聞 け り 。 伺 せきじついさ沿 け い げ ん ところ と ん に ち ぶ ん け ん ところ っ しよかん の て 昔 日 柳 か 経 験 せ し 所 の も の と 今 日 間 見 せ し 所 の も の と に 就 き て そ の 所 感 を 述 べ 大 方 の 教 を 乞 は ん と す 。 主 う ち え ん もの 左り なを じ ど う はついく ていえん さ て 、 幼 稚 園 な る 者 は 取 も 直 さ ず 児 童 の 発 育 す る ー ツ の 庭 園 な れ ば こ れ が1
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く わ ん り し や す な は ほ ν もの ニ ハ ッ ク ジ ゆ2. I王 ; ' j,くごき ところ もの ぎ じ ゅ つ あら 管 理 者 即 ち 保 婦 な る 者 は 園 芸 師 な る 故 に 、 保 栂 の 目 的 と す る 所 の 者 は 技 術 に 非 ず 、 さいがく あら た だ ひ た サ ら じ こ お ん わ と く ぎ じゅうじっ せ い し ん もつ 仁 ど う はついく か い ゅ う 才 撃 に 非 ず 、 只 管 自 己 の 温 和 と 徳 儀 と を 充 賓 せ し 精 神 を 以 て 児 童 の 稜 育 を 開 誘 し 、 どう へ き し つ あ ん あ ん うち た す た ほ しんたい けんこう とんりん 児 童 そ の 癖 疾 あ ら ば 時 々 の 内 に こ れ を 携 め 質 直 な ら し め て 身 体 の 健 康 と 天 裏 の りkうしん ば い よ う か て い け う い く たん た す 良 心 と を 培 養 し て 家 庭 教 育 の 一 端 を 助 く べ き な り 。 その(まうぽう と う じ ほ ん ほ う おこな J~ イツじん l し ゅ L 其 方 法 た る 、 富 時 本 邦 に 行 は る 〉 も の 濁 乙 人 フ レ ー ベ ル 氏 の 主 旨 に し て オ ウ ベ イ か く こ く tた をな ゆ2. たお く わ ん ゑ せ ん た く 欧 米 各 国 と い え ど も 亦 こ れ と 同 じ き の み 。 故 に 唯 そ の 簡 易 な る も の を 選 揮 す る を も つ り 主 う ほ う し ゅ し ゃ ごと ほ ぼ そ の ぴ と ニれ に ん たνそ の ち い く て き 以 て 良 法 と す 。 そ の 取 捨 の 知 き は 保 婿 其 人 あ り て 之 に 任 ず る の み 。 唯 其 知 育 的 に おちい ご左 へ い きιう吐い よ い か ん 上 う じ の う り 主 く い 主 陥 る が 如 き の 幣 を ば 匡 正 せ ざ る べ か ら ざ る な り 。 此 は 知 何 と な れ ば 幼 児 の 能 力 未 なんじゃく し ニれ をしゅ せ い ビ ん の ち へ い が い だ 軟 弱 な れ ば 強 い て 之 を 殺 る と き は 成 人 の 後 弊 害 あ り と も そ の 効 力 は な か る べ 工fし ん た い きょふけん りιうしん 品、ん上う て ん ふ 均、つどうはついく た す ビ ど う せ い し ん つ ね し 。 唯 身 鉢 の 強 健 と 良 心 と を 極 養 し て 天 賦 の 活 動 強 育 を 助 け 児 童 の 精 神 を し て 毎 そ う く わ い あ い だ を む れ に 爽 快 の 間 に 惜 か し む る を 旨 と す べ き な り 。 せ じ ん あ る ひ ほ う ほ う あ や 主 主 う ち2.ん せうがくζう よ び ごと か し 世 人 或 は こ れ が 方 法 を 誤 り 幼 稚 園 を し て 小 学 校 の 予 備 の 如 き も の と な し 彼 の 至 あ い か れ ん よ う じ し し せ い し ん ろ う さ い み つ 愛 可 憐 の 幼 児 を し て 知 ら ず 知 ら ず 精 神 を 労 す べ き 細 密 な る 事 を 矯 さ し め 、 彼 れ は か し こ か れ ひ い な ど し う き ん や主 主こと ひ こと し し ゅ ぃ 賢 し 彼 は 秀 で た り 杯 賞 賛 し て 止 ざ る は 誠 に 非 が 事 な り フ レ ー ベ ル 氏 の 主 意 と い もど をし4、 い あら たいいく もと ひ じ ど う くわいらく あた え ど も 素 よ り 教 る の 意 に 非 ず 。 林 育 を 基 と し て 克 童 に 快 楽 を 輿 へ る の 意 な れ ば じ ん せ い ひ っ し ゅ ぎよろ こ ら く ゅ う き ' かたち をもすrろ い ぐう こと主こと と ん せ つ 人 世 必 須 の 業 を 娯 楽 遊 戯 の う ち に 形 づ く り て 徐 に そ の 意 を 寓 せ し 事 誠 に 懇 切 しか せ に ん あ る ひ ざ く か い やh をしふ てん かたむ 周 到 至 れ り と い ふ べ し 。 然 る に 世 人 或 は こ れ を 誤 解 し て 動 も す れ ば 教 る の 黙 に 傾 すなは ち い く て き おちし、 いまし く も の あ り ( 即 ち 知 育 的 に 陥 る も の ) 、 戒 め ざ る べ か ら ず 。 慎 ざ る べ か ら ず 。 ま た ほ ん ぼ ろ げ ん じ よ 九 ち え ん きう とな し せ い 主り ろう 又 本 邦 現 時 の 幼 稚 園 に は 六 球 と 唱 ふ る 紙 製 の 球 を 弄 す る こ と を 暫 く 聞 か ず め い じ れ ん い ら い ひと せ っ い は (明治15.6年 以 来 の こ と ) 人 あ り 。 こ れ が 説 を な し て 日 く 、 児 童 こ れ を 弄 す る 事 を よるこ はた しか いな し よ オ ウ し う あ ひ か く し よ 上 う ち ゑ ん 喜 ば ず と 、 果 し て 然 る や 否 や を 知 ら ざ れ と も 、 余 欧 洲 に 在 る の 日 各 所 の 幼 稚 園 に さ ん か ん 工 これ じ っ け ん その!王う!王うかんえき かきょく うた そωき kくせつ わ ろくきゆっ つんてん 参 観 し て 能 く 之 を 賓 見 せ り 其 方 法 簡 易 な る 歌 曲 を 謡 ひ 其 曲 節 に 和 し て 六 球 を 運 縛 あるひ し ん た い き よ し をう じ ど う す こ ぶ き kっ そ う が く り う り ゃ う か ん ゅ う き あ い し 、 或 は 進 退 畢 止 こ れ に 磨 、 じ て 児 童 頗 る 輿 に 入 り 、 奏 楽 劇 亮 の 問 に 遊 嬉 を な し 藷 ぜ ん わ さ えんちゅヨ 然 た る 和 気 は 圏 中 に 満 て り さ れ ば 六 球 そ の 使 用 良 法 を 得 る と き は 却 て 児 童 の 娯 ら く て き と う よ ょ う じJ王L、 く し ゃ よ 主 じ よ う じ み じ こ た し 、 じ ん と 〉 ろ も っ 楽 に 適 賞 す る も の な れ ば 、 世 の 幼 児 保 育 者 は 幼 児 は 幼 児 と 看 て 自 己 大 人 の 心 を 以 は つ い く か い ゅ う みち あや士 て そ の 稜 育 関 誘 の 道 を 誤 る べ か ら ず 。 そ も そ も ょ う ち え ん か ど う ふ ゅ う ど ひ お お わ が て い え ん か お く あま あ へ 旭川、えん じ ど う 抑 々 幼 稚 園 は 家 道 富 裕 奴 輝 多 く 我 庭 園 に 家 屋 に 除 り あ る も の は 敢 て 該 国 に 児 童 たく よう た じ こ い へ え つ ね ぐ ん じ を 托 す る こ と を 要 す る に 足 ら ざ れ
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も 、 自 己 の 家 に し て 得 が た き も の は 毎 に 群 見 あい土じわ か い ゅ う ゅ う ら く とも でん じ ん じ ま う ふ つ う いへ と 相 交 り て 開 誘 遊 楽 を 共 に な す の ー 黙 に あ り 。 そ は 尋 常 普 通 の 家 に て は し か な す ぽ よろし じ か さん11フ えん たく り 工 う ほ 11 く わ ん か こ と を 得 ざ る も の な れ ば 父 母 は 宜 く 自 家 の 近 傍 な る 園 に 託 し て 良 保 栂 の 管 下 に か い ゅ う ぐ ん じ とも くわっばっ さ ら く K し ぜ ん じ ど う き ず い わ が 主 主 開 誘 し 群 見 と 共 に 活 殺 な る 娯 楽 を な す こ と を 得 せ し め な ば 、 自 然 児 童 の 気 随 我 偉 なl' あ く へ い の ぞ さ しんたいしたがっ すこ L ,tフらい が く も ん ぎ げ い 土うしゅう き ぼ う よ 杯 い ふ 悪 弊 も 除 き 去 り 身 体 髄 て 健 や か に 将 来 の 皐 問 技 撃 を 講 修 す る の 希 望 を 喚 ~5 こ り と う ち り 工 う の う き そ ょっ は っ た つ あきらか び 越 し 良 智 良 能 の 基 礎 こ れ に 因 て 稜 達 す る や 明 な り 。 こ の こ ろ き ところ わがトウキヤウ A、 か ょ う ち i'.ん tlピ け ん て い き工 此 頃 聞 く 所 に よ れ ば 吾 東 京 府 下 に 幼 稚 園 保 婚 を 検 定 す る の 暴 あ り と か こ れ 最 経 惚 に な す べ き も の に あ ら ざ れ ば 、 其 方 法 宜 し き を 失 は ざ ら ん こ と を 希 望 す る あま いさ沿 し ょ け ん もんじゅっ かく ごc tう ち え ん そ し き ご止 すこ い け ん の 齢 り 柳 か 所 見 を 陳 述 す る こ と 此 の 如 し 。 そ の 幼 稚 園 組 織 の 如 き は 少 し く 意 見 な き に し も あ ら ざ れ ど 猶 閑 日 月 を 得 た る の 特 別 に 述 る こ と あ る べ し 。 女 学 雑 誌 第 二 百 二 十 九 競 ( 明 治 二 十 三 年 九 月 六 日 )(参考文献〉 女 学 雑 誌 第 三 百 二 十 九 覗 明 治 23年 9月 6日 幼 稚 園 誕 生 の 物 語 「 謀 者 」 関 信 三 と そ の 時 代 日 本 幼 稚 園 史 序 説 関 信 三 と 近 代 日 本 の 繋 明 国 吉 栄 2005年 4月 11日 幼 稚 園 の 源 流 を 求 め る 旅 1-10 国 吉 栄 2010年 1月 1日-12月 1日 女 子 学 院 八 十 年 史 女 子 学 院 昭 和 26年 4月 1日 幼 稚 閣 法 二 十 遊 嬉 全 関 信 三 纂 輯 東 京 書 卑 青 山 堂 稜 究 明 治 12年 3月 17日 出 版 お 茶 の 水 女 子 大 学 百 年 史 「 お 茶 の 水 女 子 大 学 百 年 史 」 刊 行 委 員 会 明 治 59年 5月 31日 発 行 明 治 音 楽 史 考 遠 藤 宏 著 明 治 23年 4月 10日発行 唱 歌 教 育 成 立 過 程 の 研 究 山 住 正 己 著 1967年 豊 田 芙 雄 と 草 創 期 の 幼 稚 園 教 育 前 村 晃 ( 執 筆 代 表 ) 2010年 3月 1日発行 東 京 学 芸 大 学 紀 要 桜 井 女 学 校 幼 稚 保 育 科 卒 業 生 吉 田 鎖 の 保 育 思 想 と そ の 実 践 室 町 幼 稚 園 の 保 育 カ リ キ ュ ラ ム に 着 目 し て 2010年 9月 27日 受 理 鳴 門 教 育 大 学 研 究 紀 要 第 27巻 テ ・ フ ァ リ キ と ラ ー ニ ン グ ・ ス ト ー リ ー か ら 実 践 記 録 を 読 み 解 く 2012年 白書 学 制 百 年 史 文 部 科 学 省 学 制 百 年 史 編 集 委 員 会 ;.<民.iO義すえ,