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肥料科学(34号・2012).indb

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摘要 ( 93 ) 肥料科学,第34号,93∼108(2012)

中国における古代稲の時空的分布とその意義(翻訳)

(翻訳者:久馬一剛*

The temporal and spatial distribution of ancient rice in China and its implications

Gong ZiTong(龔子同),Chen HongZhao(陳鴻昭),Yuan DaGang (袁大剛),Zhao YuGuo(趙玉国),Wu YunJin(呉運金),Zhang

GanLin(張甘霖)

Chinese Science Bulletin, April 2007, vol. 52. No. 8 : 1071-1079

摘要  古代稲の遺物・遺跡は,稲作の起源に関する最も重要な客観的証拠と考え られてきた。本研究では,280の稲作遺跡の発掘記録や,稲作地域区分,な らびに水田土壌分布図に基づいて,中国における古代稲の時間的・空間的分 布図を作製した。この地図は,古代稲の分布が空間的に広範囲にわたりなが ら相対的に集中していることを示すだけでなく,時間的にも長期にわたって 比較的継続していることを示している。「中央中国稲2作及び1作地域」に ある稲作遺跡は,時期的に最も早いだけでなく出現数も最も多く,時間的に も継続性を示す。古代稲と水田遺跡の発見地について,土壌の微細形態,花 粉組成や幾つかの元素の断面内分布データなどを併せ考えると,中央中国地 域が中国における稲作起源の中心地であることが示唆される。稲はそこから 3回の主要な伝播の波によって中国の他の地域や,さらには朝鮮半島や日本 など東アジア諸国に広がった。古代稲の時空的分布は過去の環境変化を反映 するものであり,このことは現在の中国における稲作地域区分や稲作計画の みならず,食糧安全保障を考える上でも重要な意味をもっている。 * Kazutake KYUMA,京都大学・滋賀県立大学名誉教授

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1. 緒 言  中国は世界最大の稲生産国であり,稲栽培の非常に長い歴史を有し,広大 な稲の分布をもつている。稲,雑穀,小麦の名が骨や亀甲に刻まれた記録は 商王朝(BC11∼16世紀)(訳注:日本では「殷」と呼ぶことが多い)時代に 現れる。過去半世紀には考古学,植物栽培起源学,稲遺伝学,農業史などの 共同研究のおかげで稲の起源についての知見に顕著な進歩が得られ,多くの 関連した疑問が解決された1∼55) 。しかし古代稲の分布に関する公刊された地 図は,いずれもなおスケッチの域を出ていない4,19,33,55)。この研究は,ペド ロジーの手法を導入することにより中国における古代稲の時空的分布図を 完成させようと試みたもので,漢王朝(すなわち紀元250年以前)よりも古 いとされる全部で280の稲の考古遺物遺跡に基づき,作図法にのっとり,稲 栽培の地域性を明らかにし,かつ水田土壌の分布図を踏まえている。古代稲 の時空的分布の特徴とその起源を,編成した地図に基づいて論議するのだが, その際古代稲栽培の証拠となる微形態学,花粉分析,水田土壌断面における 元素分布などの論議を組み合わせている。古代水田土壌の土壌層位の諸性質 を比較することによって一般的な過去の環境条件が推定され,さらにそれに 基づいて環境変化と農業活動の相互作用や,それらが今日の稲生産の地域性, 中国の食料の安定確保などに対して有する意義が論議される。 2. 材 料 と 方 法  この研究にはその材料に3つの主要な出所がある。一つは古代稲の遺物 に関するいろいろな報告書や出版物1∼54)で,出土した炭化米,稲藁,それ らが焼結した土に残した刻印,さらには稲の植物ケイ酸体など全部で280 にのぼる地点に関するものである。同時に幾らかの環境考古学的データも 引用されている56∼61) 。二つ目は,江蘇省昆山・大市(鎮)にある古くて 深い水田土壌断面についてのペドロジー的調査結果,昆山に近い綽墩山 (Chuodunshan)での古代水田遺跡の調査結 - 果62) (ケーゲル - クナブナー・

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2 材料と方法 ( 95 ) 曹志洪編「中国,昆山の古代水田土壌に関する研究総括」,2004,1-48*) である。三つ目は中国の郡レベルの行政地図,中国の稲作付け区分図 Rice Planting Division63),中国水田土壌の地理的分布図64)などの地図データであ る。

* Koegel-Knabner, I., Cao, Z. H. Review on Study of Ancient Paddy Soils in Kunshan, China, 2004. 1-48.;Gong Z T, Zhang G L, Yuan D G. On distribution and evolution of ancient paddy soils of China. In : Koegel-Knabner I, Cao Z H, eds. Review on Study of Ancient Paddy Soils in Kunshan, China, 2004. 8-9.

表1 古代稲の時空的分布パターン

稲作発展期の区分 第1段階 第2段階 第3段階 第4段階 遺跡数 〔12-8ky BP〕 〔8-6ky BP〕 〔6-3ky BP〕 〔3-2ky BP〕 南中国稲作地域 (Ⅰ) 福建,広東 広西,台湾 南雲南 広東1 台湾6福建3 広東1広西1 雲南1 広東1 広西3 雲南3 16 4 中央中国稲作地域 揚子江中・ 浙江2 江西11 上海3 江蘇2 (Ⅱ) 下流域 湖北2湖南6 浙江13 江蘇26浙江22 浙江1 安徽1湖北1 安徽6湖北19 安徽4湖北5 湖南7 河南2湖南7 湖南1 141 四川・陝西盆地 湖北1 山西3 重慶2 山西1 湖北2河南3 四川2 14 揚子江南の 湖南2 江西16 湖南1 低丘平野部 江西1 湖南2 浙江3広東4 江西2広東1 広東1 広西1 34 南西中国稲作地域 東貴州―西湖南 湖南1 湖南3 4 (Ⅲ) 高地と雲南― 雲南8 四川2貴州2 四川低地域 四川1貴州1 14 北中国稲作地域 北中国平原北部 山西1 河南2北京1 4 (Ⅳ) 黄―淮―海河域 河南1 江蘇2 江蘇3安徽10 江蘇5 安徽1河南2 山東5河南10 河南2山西1 山西4 46 東北中国稲作地域 遼河平野 遼寧1 1 (Ⅴ) 西北中国稲作地域 甘粛―寧夏― 甘粛2 2 (Ⅵ) 山西―内モンゴル台地 遺跡数 16 45 177 42 280 Ⅰ∼Ⅵは図Ⅰ中のローマ数字に対応

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揚子江中流及び下流域拡大図

Ⅰ 南中国稲2作地域 Ⅱ 中央中国稲2作及び1作地域 Ⅲ 南西部台地稲2作及び1作地域 Ⅳ 北中国稲1作地域 Ⅴ 東北中国早熟稲1作地域 Ⅵ 西北中国乾燥帯稲1作地域

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3 古代稲の時空的分布 ( 97 ) 3. 古 代 稲 の 時 空 的 分 布 3.1. 古 代 稲 分 布 に 関 す る 地 図 と 表 の 編 成  この研究で用いた手法は次のとおりである。(1)いろいろな出所から報 告されたデータの確認。稲遺存物の信頼性確認のため,炭化米,稲藁などの 出土遺物を主たる根拠として,あらゆる考古学的記録を検証したうえで300 ほどの記録から280の有効な地点を取り上げた。(2)稲作発達期の区分。す べての古代稲遺物について4つの主要な発達段階を認めた。すなわち12,000 ∼8,000年 BP. 8,000∼6,000年 BP. 6,000∼3,000年 BP. 3,000∼2,000年 BP(表1)である。歴史時代より前の農業発展段階,とくに稲作の発達段 階25,33∼35)に関する過去の分類をも参照した65)。その際,栽培のタイプや14C 年代データをも考慮した。(3)基図の選択。作図の精度を保証するため中 国の郡レベル行政地図(800万分の1)を基図として選び,すべての古代稲遺 跡を特定された郡の図中に書き込んだ。(4)表にするデータの編成。すべ ての確認された遺跡の地点は,稲発達段階,中国水田土壌分布64),中国稲栽 培区分63) にしたがってグループに分けた(表1)。(5)遺跡分布図の編成。 以上の段階を踏み,各発達段階別の古代稲遺跡は基図上に別々の凡例をつけ て書き込まれ,その上で地図は最終のレイアウトにまで縮められた(図1)。 3.2 古 代 稲 の 時 空 的 分 布 ⑴ 比較的集中した広い空間的分布。  中国における古代稲の分布は非常に広く,古代稲遺跡は主要稲作地域のす べてで見られる。南中国の稲2作地域には20地点があるが,そのうち16地点 が福建,広東,広西の平原・丘陵稲2作亜地域にあり,4地点が南雲南の 谷底・盆地稲1作亜地域にある。189地点が中央中国の稲2作及び1作地域 にあるが,そのうち141地点は揚子江中下流の稲2作及び1作亜地域にあり, 14地点が四川・陝西盆地の稲1作―小麦/菜種亜地域に,また34地点が揚子 江の南の稲2作低丘・平野亜地域にある。18地点は南西部台地地域の稲2作 及び1作地域にあるが,うち4地点は東貴州―西江南の台地・山地稲1作及

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び2作亜地域に,14地点が雲南・四川の台地・谷底稲1作及び2作亜地域に ある。北中国の稲1作地域には49地点があるが,うち4地点は北中国平原北 部の稲1作亜地域に,45地点が黄―淮―海河平原の平野及び丘陵の稲1作亜 地域にある。東北中国には僅に1地点が遼河の海岸平野の早熟稲1作亜地域 に,同様に西北中国の乾燥帯稲1作地域には2地点があり,甘粛―寧夏―山 西―内モンゴル台地に見られる(表1,図1)。  さらに遺跡の相対頻度による順序付けをすると,中央中国稲2作及び1作 地域(67.5%)>北中国稲1作地域(17.9%)>南中国稲2作地域(7.1%)> 南西中国稲1作及び2作地域(6.4%)>北西中国稲1作地域(0.7%)>東北 中国稲1作地域(0.4%)となる。明らかに中央中国が最も古代稲遺跡の集 中している地域である。この分布パターンは,地域の地理的,環境的,気象 的特徴と密接な関係をもっている。中央中国の稲作地域,とくに揚子江中下 流亜地域と揚子江の南の丘陵・平野亜地域は,東は東シナ海岸から西は湖北, 湖南にまで,また南は南嶺山脈から北は秦嶺山脈と淮河へと広がり,地形的 には主として平野・丘陵地域に,気候的には湿潤亜熱帯モンスーン地域にあ る。これら地域の土壌は通常中性である。新石器時代には,この地域は現在 よりも暖かく年平均気温は今日より3∼4℃高く,また年降水量も同様今日 より高く,現在の南中国の条件に似ており野生稲の生育に適していた4) 。現 在の南及び南西中国地域は,古代には恐らく野生稲資源に富んでおり,また その他の植物・動物資源にも富んでいて食物の不足する心配がなかったこと が,この地域を最初の稲栽培地域とすることを妨げたものと思われる。それ と対照的に北中国の北部は雨量が少なく乾燥地農業により適していたし,東 北や西北中国は寒さと乾燥によって制約され古代稲の生存と栽培には不都合 であった56) 。揚子江中下流域に古代稲が集中して分布する特徴は,遺跡のあ る文化層に豊富に見られる稲遺物によっても表される。例えば揚子江下流域 の江蘇省昆山の綽墩山(Chuodunshan)遺跡の第6及び第7層では大量の 炭化米が出土している7) 。

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3 古代稲の時空的分布 ( 99 ) ⑵ 時間の長さと比較的継続性のよいこと。  これまでに発見された古代稲の最初のものは約12,000年 BP の年代が得ら れており,例えば湖南省道県玉蟾岩(Yuchangyan)遺跡(12,000∼9,000 年 BP)8) ,江西省万年(県),仙人洞(Xianrendong)遺跡(12,000∼9,000 年 BP)21) な ど が あ る。 広 東 省 英 徳( 県 ), 牛 欄 洞(Niulandong) 遺 跡 の 稲ケイ酸体は約10,000年 BP である。最も近年に見つかった古代稲は漢代 (202BC∼80AD)とされる。したがって稲遺跡の最も古いものから最も新し いものの間の時間の長さは約10,000年である。他方,中央中国の3つの亜地 域と北中国の黄―淮―海河平原の稲1作亜地域では,4つの発達段階のすべ てが豊富な古代稲遺跡をもっている(表1)。同様に,福建―広東―広西の 平野と丘陵稲2作亜地域と雲南・四川の平野・谷底稲1作亜地域では,古代 稲遺跡はこれらの地域で最初に見出されてから後連続しているようである。 これらの結果は中国における古代稲は非常に長い時間をカバーし,また多く の地域で時間的にもかなり連続して存在していたことを示唆している。 ⑶ 古代稲の時空分布に見られる動的な特徴。  表1で見たように東北中国,西北中国,南中国,さらに南雲南河谷にはほ とんど古代稲遺跡が分布しておらず,これら地域の遺跡は比較的新しい時代 のものである。このことはそれらが他の地域から来たものであることを意味 し,古代稲の空間的な前進の過程を証拠立てている。また第4段階の遺跡の 数は第2,第3段階のそれらよりも少ないことがわかっているが,これは多 分稲の起源に関する考古学的発掘が青銅器時代よりも新石器時代に焦点をあ てて行われ,偏りをもつためであろう。既存のデータの分析に基づけば中央 中国の古代稲の中国他地域やアジアへの伝播は3つの主要な波に区分されよ う。  第1波は第1段階の16地点と第2段階の45地点によって代表される。第1 段階では,発見された地点のほとんどは地域的につながっており,周辺の地 方に広がったものである。第2段階までに遺跡地点は45にのぼるが,そのう ち33地点は揚子江平野の中・下流域にあり,5地点が黄―淮平原・低丘地域

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に,3地点が四川・陝西盆地にある。このことは稲作が杭州湾の浦江,粛山 から東へ向って,慈渓 , 余姚 , 寧波,菫県と銭塘江に沿って進んだことを示 している。その一方北へ向かっては太湖と南京―鎮江の低丘陵地域に達して いる。揚子江中流域では古代稲は湖南省北西部の澧県から石門 , 津市 , 華容 のような周縁地方や湘江沿いの茶陵へ伝播した。  第2波は第3段階の177地点によって代表される。第3段階には古代稲は 4つの方向に伝播した。東に向かっては揚子江デルタや杭州湾の海辺に,西 に向かっては揚子江と金沙江沿いに四川と雲南に,南へ向かっては湘江,贛 江,銭塘江,北江,西江,閩江など大小の川沿いに福建―広東―広西の丘 陵・台地地域に,また北へ向かっては遠く山東半島や遼寧半島東部にまで達 した。  第3波は42地点からなる第4段階によって代表される。第2波の流れを受 け継いで,古代稲は4方向のすべてに沿ってさらに伝播し,ついには東へは 舟山諸島に達し,また西への道は青海―チベット高原の東境にある成都と西 昌に,北へは北京(40度N)に,南は広西省の合浦に達した。清朝以前の古 代稲の空間的パターンは,最終的に上に記述した伝播の波によって形作られ たといえる(図1)。 4. 古 代 稲 分 布 の 特 徴 が 意 味 す る も の 4.1. 稲 作 起 源 研 究 の 意 義  稲の起源地を定義するためには4つの前提条件がある。一つは稲の祖先と なる野生稲が豊富に存在し,稲の栽培に適した自然条件が備わっていること である。二つ目は,出土する稲籾が多いことと,遺物が年代的にも文化的に も継続していることである。三つ目に稲生産のための道具類が発見されるこ と,そして四つ目は野生稲を作物化するための適切な技術と社会的な要求が あることである13,18,25) 。上に述べた分析に基づけば,中央中国の稲2作及び 1作地域の古代稲遺跡は時期的に早く,数が多く,またいろいろな時期にま たがって継続していることが明らかになった。さらに,最近の湖南省澧県彭

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4 古代稲分布の特徴が意味するもの (101) 表2 深い古代水田土壌断面の微形態学的特徴 層位No. 深さ 基質の色 鉄質形成物 粘土形成物 生物的形成物 特記事項 Ⅰ 2 3 4 0―18 18―35 35―65 65―110 7.5YR5/2.5 7.5YR5/2.5 7.5YR6/2 7.5YR5/3.5 酸化鉄の雲状斑 と根のまわりの 管状鉄質斑紋に 富む 管状鉄斑紋の多くに シルトアルジラン 管状斑中のシルトア ルジラン多し 管状斑とは別にもシ ルトアルジランあり 腐植化し分解した 植物遺体に富む 腐植化した植物遺 体に富む 腐植化ないし炭化 植物遺体含む 腐植化植物遺体あ り,腐植質含む シルトアルジラン は水田土壌生成の 間に生成 水田土壌生成の特 徴が見える 5 6 110―165 165―225 7.5YR I/3.5 酸化鉄の雲状斑 と根の周りの管 状斑に富む;鉄 質瘤塊と大空隙 壁にフェランあ り 少数の大空隙壁にア ルジラン(<0.3%) 大空隙壁にアルジラ ン(5%),若干の大 空隙壁にシルトアル ジラン ― ― シルトアルジラン は水田土壌生成の 特徴を示す 7 8 9 225―260 260―295 295―335 7.5YR5/2 雲状斑に富む, 少量の成熟及び 若い瘤塊とフェ ランあり フェリ―アルジラン (1%) アルジラン(0.8%) 5YR5.5/8 アルジラン(0.5%) 7.5YR5/8 ― ― ― 7―9の層位は同 じ明るい基質の色 を示す。恐らく古 代の台地土壌で, 酸化還元特徴はそ の後の水成的環境 に由来する 深 さ(cm) 順 位 花粉組成木本草木シダマツ科 常緑広葉樹落葉広葉樹 十字花科植物 イネ科植物 水生植物 有機物遊離酸化鉄 百分率(%) 含有量(g・kg−1 ) 図2 昆山,大市の水田土壌断面における,土層年代,花粉分布パターン,及び化学性

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頭山(Pengtoushan)遺跡65),江西省撫仙の草鞋山(Caoxieshan)遺跡,江 西省昆山の綽墩山(Chuodunshan)遺跡7) などの発掘は,この地域が中国 における稲栽培の起源の中心地であり,そのとき以後稲は中国の他の部分や, 韓国,日本へ伝播したことを示唆している66,67) 。  われわれが太湖地域の昆山 , 大市の最も古い稲遺跡地点で行った土壌の形 態や物理・化学性の研究は,全体で335cm の深さの土壌のセクションのう ちイネ科の花粉は165cm より上部に見られ,165∼335cm の間やそれ以下で は急減することを示した。この花粉の中に明らかな優越種はなかった。最近 の微形態学的研究は165cm より上部と,200∼250cm の間には稲ケイ酸体が 存在することを示した。土壌有機炭素や遊離鉄(ジチオナイト―クエン酸― 重炭酸抽出性の鉄)の含量(図2),水田土壌生成の特徴的性質である「灰 色腐植―シルトー粘土キュータン」68) などによると,この断面が3つの上下 に重なる水田土壌の断面に分けられる(表2)。表面から,最初の断面は現 在の水田土壌であり,2番目は漢王朝(2000年 BP)にさかのぼるものであ り,3番目は高郵の龍虬荘(Longqiuzhuang)*の時代,7,000年 BP,にま でさかのぼると考えられる。この断面には5000年にわたる層位が存在するが, 土壌断面の積み重なりのためそれを層別することは困難である。しかし,異 なる時代の水田土壌が一つの地点に見られるという事実は,ある一つの遺跡 の違った層に古代稲が発見されることに対応している。水田土壌の微形態学 的,物理的,化学的分析は,稲栽培研究の史的局面に新しい内容を付け加え, 中央中国に稲が起源したとする推測に,より確かな証拠を提供することにな る。 * 訳註:江蘇省高郵市にある古代遺蹟。 4.2. 環 境 変 化 を 理 解 す る こ と の 意 義  古代稲の分布図(図1)から容易にわかることは,何処でも,また何時で も古代稲の栽培は空間的な広がりをもち,時間的にも続いていたということ である。このことは環境条件が比較的安定していたということを意味する。 中央及び南中国の古代稲が集中した,かつ長く続く分布をもつことは,新石

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4 古代稲分布の特徴が意味するもの (103) 器時代以来南中国が北中国よりも一般により暖かくかつより湿潤であった ことを示している。反対に稲遺跡が時間をへだてて間歇的に出現することは, 稲作や人の生活環境がそれに対応してある程度妨害されたり影響を受けてい たことを反映しているといえる。例えば北中国で第2段階に古代稲遺跡が増 えたことは,恐らくこの地域で完新世の温暖期に降水量や温度が高くなって いたことを示している56) 。さらに,揚子江デルタで稲遺跡が間歇的に現れた り増えたりする例が上海の崧沢(Songzhe)や海安(県)の馬橋(Maqiao), 青墩(Qingdun),さらに呉県の草鞋山(Caoxieshan)などで見られるのは, 多分完新世高温期における気候変動,海面上昇や海進の結果によるものであ ろう57∼61) 。気候変動による海進,海退や頻繁な氾濫は,古代稲の跡が同じ 遺跡地点でも,不連続な層にしか見られないというような現象によっても証 明される。これは綽墩山(Chuodunshan)遺跡での発見に示されているが, ここでは第6層と第7層にだけ炭化米の粒がたくさん含まれていた。また馬 家濱(Majiabang)遺跡でも水田の跡は第9層にしか見られなかった7) 。人 間の定住地が移動する理由は複雑であるから,気候変化を文化層出現の間歇 性を生ずる唯一の理由と解釈すべきではないことを指摘しておかねばならな い。この点では地点に特異的な分析が必要である。しかし土壌学的観点から すれば,遺跡に見られる,埋没あるいは積層している水田土壌断面のいろい ろなセクション(あるいは層)の土壌の性質を深く分析することによって, 過去の人間活動や自然の生態環境をさかのぼって解明することができると思 われる。そしてこのことは地球環境あるいは地域環境と人間活動の相互作用 の研究に大きな意味をもつものである57) 。 4.3. 中 国 に お け る 現 在 の 稲 作 地 域 区 分 や 稲 作 計 画 に 持 つ 意 義  一方で稲は世界の最も重要な作物の一つであり,中国はその最大の生産 国であり消費国でもある63)。また他方では水田稲作システムは環境に優しい, 生態学的に健全で持続的な人工湿地生態系である55,69,70) 。中国における稲作 の重要性は,いかなる意味でもこれを過大に評価することはあり得ない。し かしながら南中国,とくに揚子江の中・下流域での稲生産は,国民の消費に

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対して圧倒的な供給をしてきたにもかかわらず,現在は急速な工業化と都市 化によって大きな面積の水田が侵略され放棄されている。それは南中国が国 家の食糧供給と食糧安全保障の中で持っていた伝統的な役割を変えてしまっ たといえる。この状況は深刻な関心と感慨を引き起こす。われわれの古代稲 の歴史的時空分布の研究が示しているように,北中国はかつて一度も稲生産 の主要地域であったことがない。また南中国の稲生産に適した貴重な自然環 境は自然の恩恵でもある。南中国における水田の破壊と損失が増え続けると, 南中国はその生産能力を永久に失うことになるし,それは北中国がその自然 条件のために適切な食糧を確保できなくなる窮状へ導く恐れがある。一つ重 要な示唆をするなら,われわれは歴史的な経験と自然の法則を尊重すべきで あり,持続的な稲生産と国家の食糧供給を保証するために,南中国の水田の 保護に大きな注意を払うべきであると言いたい。    参考文献 1) 游修齢.中国稻作史.北京:中国農業出版社,1995.18-21. 2) 陳文華.中国農業考古資料索引(二十三).農業考古,2000,1:304-309. 3) 陳文華,張忠寛.中国古代農業考古資料索引(十二).農業考古,1987, 1:413-425. 4) 湯圣祥,閔紹楷,佐藤洋一郎.中国粳稻起源的探討.中国水稻科学,1993, 7⑶:129-136. 5) 邵九華.河姆渡 ―― 中華遠古文化之光.北京:中国大百科全書出版社, 1998.120-127. 6) 王才林,鄒江石,湯陵華,等.太湖流域新石器时期的古稻作.江蘇農業学 報,2000,16⑶:129-138. 7) 丁金龍,蕭家儀.綽潡遺址新石器时代自然環境与人類活動.東南文化, 2003,(增刊1):94-98.  8) 劉志一.従玉蟾岩与牛欄洞対比分析看中国稻作農業的起源.農業考古, 2003,1:76-88. 9) 裴安平.彭頭山文化的稻作遺存与中国史前稻作農業再論.農業考古,1998, 1:193-263. 10) 裴安平,張文緒.湖南澧陽平原四処遺址陶片中水稻稃殻双峰乳突印痕的演

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21) Zhao Z J. The middle Yangtze region in China is one place where rice was domesticated : Phytolith evidence from the Diaotonghuan cave, northern Jiangxi. Antiquity, 1998, 72 (278): 885-897.

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訳者あとがき: 筆頭著者の龔子同教授は中国科学院南京土壌研究所教授 として長く中国の土壌調査・生成・分類・作図をリードしてきた著名なペド ロジストである。同教授を編集主任として1999年に完成・出版された900頁 を超える大冊,『中国土壌系統分類―理論・方法・実践―』は Chinese Soil Taxonomy としても知られ,アメリカの Soil Taxonomy の考え方を大 幅に取り入れながら中国土壌の特性をも十分考慮した,中国土壌の包括的な 現行分類方式である。  本稿を訳出するに当たって,龔子同教授からは原著リプリントの提供,翻 訳許可の取得をはじめ,中国語文献リスト作成に多大なご援助を受けたし, 共著者の張甘霖博士には地名や県名の英語表記を中国語に変換するのを助け ていただいた。記して衷心より感謝の意を表したい。

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