経済教育38号 39 要旨 日本の産業界では,グローバル化の進展に加えて,少子高齢化による労働力人口の減少が進むなか,近年 の構造的な労働力不足を背景に,職場の「ダイバーシティ推進」が進んで,多様な人々のさまざまな違いを 尊重して受け入れ,活かしていく「ダイバーシティ&インクルージョン」が掲げられるようになってきてい る。本稿では,大学生がこれからの時代を生きていくためのレディネスを高めるために,ダイバーシティを 「個人の特性」という視点で捉え,学生一人ひとりの「自分らしさ」を引き出し,協働的な学習によって相 互成長を図る授業実践を取り上げる。そして,個人のダイバーシティ開発を促すという視点から授業を考察 し,報告するものである。 キーワード:ダイバーシティ,多様性,インクルージョン,協働学習,本来感
Ⅰ.背景と目的
日本の産業界では,グローバル化の進展に加えて, 少子高齢化による労働力人口の減少が進むなか,近年 の構造的な労働力不足を背景に,職場のダイバーシ ティ推進の取り組みが進んでいる。 「ダイバーシティ(Diversity)」という言葉は,シン プルに邦訳すると「多様性」であるが,ダイバーシ ティの伝統的な定義は,米国雇用均等委員会(The U.S. Equal Employment Opportunity Commission:EEOC)1)によって,「ジェンダーつまり性別,人種, 民族,年齢における違いのことをさす」とされる。日 本では,2001 年に日経連によって「法律で規定され た雇用差別禁止項目(人種,性別,宗教,肌の色,出 身国,年齢,障害など)の枠を越え,性的嗜好,学歴, 職歴,家庭状況,社会的背景,組織における立場,仕 事に対するアプローチや視点の違い,価値観,個性ま でも多様性と捉える」という概念が示されている[1]。 荒金(2013)によると,1980 年代までの日本企業の マネジメントは,人材の多様性よりも同質性を有効活 用する傾向が強く,人材の多様性に関してあまり語ら れることはなかった[2]。しかし,2004 年に経済同友 会がダイバーシティを人事・経営戦略として提起し [3],それ以降,ダイバーシティという言葉が日本国内 に急速に普及していった。 産業界で企業がダイバーシティに取り組む背景は, 構造的な労働力不足への対応のみならず,企業の社会 的責任として,すべての人に対して平等で公正な労働 機会を整備していくこと,及び,マーケットの多様化, 働き方の多様化などへの対応も挙げられる。近年では, 企業によっては,「ダイバーシティ推進」から一歩進 んで,「ダイバーシティ&インクルージョン」が掲げ られるようになってきている。「ダイバーシティ&イ ンクルージョン」とは,「人々の多様性をインクルー ジョン(包含)する」,つまり,多様な人々のさまざ まな違いを尊重して受け入れ,活かしていくことと捉 えられる。 企業での一般的なダイバーシティの進化プロセスを 図 1 に示す。谷口(2005)によれば,企業がダイバー シティの取り組みに着手すると,その企業のなかで多 数派を占める社員たちから否定や抵抗といった「違い を否定する」「違いに対する拒絶的な反応」が起こる という[4]。そこで,企業がダイバーシティを推進し
個人のダイバーシティ開発を
促す授業実践
The Journal of Economic Education No.38, September, 2019A practical research on promoting diversity development in persons
INAGAKI, Kumiko
40 シンポジウム 論 考 投稿原稿 会務報告 大会報告 ていくプロセスにおける第一段階は,「基本的人権」 「人権尊重」の考え方,その重要性の認識から始まり, 「法律を守らないとペナルティを受ける」という「法 的強制」の下での受け身的な対応,すなわち,「強制 的インクルージョン」となる。次の段階では,企業の トップや担当者がダイバーシティの推進にコミットし, 「組織の方針」としてダイバーシティを活かすという 能動的な対応になっていく。この「能動的インクルー ジョン」の段階では,「ポジティブアクション(積極 的格差是正処置)」と呼ばれるような「違いを否定す る」多数派のなかで不利益を被っている人々に,一定 の範囲で特別の機会を提供し,多数派と少数派との格 差を是正することで,実質的な機会均等を図っていく 取り組みなどが行われる。第一段階の「強制的インク ルージョン」,及び第二段階の「能動的インクルー ジョン」とも,「法令順守」や「ポジティブアクショ ン」などによって多様な人々を企業組織に受け入れ, 組織としての責任を全うすることが重要とされる,組 織の視点からの従来型のダイバーシティ推進のアプ ローチである。一方,第三段階の「共生的インクルー ジョン」は,ダイバーシティを「個人の特性」という 視点で捉えて,個人の違いを尊重し,受け入れて,違 いを持つ個人の特性を認める。一人ひとりが保有する 多様な力の発揮を促し,多様な人たちが相互に支援し, 啓発し合いながら成長し,組織に貢献することを目指 すアプローチである。多様な特性をもつ個人を認めて, 尊重し,受け入れるためには,まず,一人ひとりが自 身の特性や価値観,いわゆる「自分らしさ」に気づく こと,加えて,自分とは異なる他の人たちの特性や価 値観を受けとめ,相互に支援する心と姿勢を持つこと が重要である。 本研究では,ダイバーシティを「個人の特性」とい う視点で捉えて,学生一人ひとりの特性や個性,価値 観,「自分らしさ」を引き出し,協働的な学習によっ て互いの違いを認識し,相互成長を目指す教育プログ ラムを取り上げる。そして,大学の授業で実施し,個 人のダイバーシティ開発を促すという視点から効果を 検証し,考察するものである。
Ⅱ.授業実践の概要
本研究の教育プログラムは,2018 年度春学期に, 首都圏に立地する総合大学の社会科学系学部に在籍す る 1,2 年生を対象に開講された「教養演習」全 14 回 (各回 100 分授業)の第 3 回から第 7 回まで,5 回の授 業(500 分間)において実施された。履修学生は 32 名 (男性 19 名,女性 13 名)である。 本授業では,学生が自分自身の特性や価値観につい ての気づきを深めると同時に,自分とは異なる他者の 特性や価値観を受けとめ,互いに認め合うことに焦点 を当て,さまざまなワークを授業のなかに取り入れた ワークショップ形式による協働学習が行われた。授業 の進め方として,まず学生は,講師のインストラク ションに従って個人で考えるワークに取り組み,その 後,4 名程度のグループに分かれてワークを行う。毎 回グループは異なるメンバーで構成されるようにラン ダムに編成された。そして,毎回のグループワークは, グループのメンバーが相互に刺激し合い,啓発し合い ながら,段階的に学びを深めていけるように設計され た。 以下,授業で実施したワークの内容について説明す る。 図 1 ダイバーシティの進化プロセス 出典:谷口(2005)『ダイバシティ・マネジメント-多様性をいかす組織』[4]p.265, 花田(2013)『「働く居場所」の作り方』[5]p.142 の図を参考にして筆者が修正・作成 強制的インクルージョン 基本的人権 法的強制 ペナルティに対する保身 受け身対応 能動的インクルージョン 組織の方針として能動的な 対応 具体的な基準策定 ポジティブアクションなど による機会均等 共生的インクルージョン 個人の違いの尊重と受け入れ 違いを持つ個人の特性を認 め,個々人の保有する多様 な力の発揮を促し,活用す る 組織視点からの 従来型のダイバーシティ アプローチ ダイバーシティを 「個人の特性」という視点から 捉えたアプローチ経済教育38号 41 (1)自分らしさ発見ワーク 過去を振り返り,自分がこれまでに「達成できな かったこと」及び「達成できたこと」について,それ ぞれにつながっている自身のエピソードを思い出す。 そして,その内容をグループで話し,グループメン バーからのフィードバックをもらい,お互いに意見交 換し合うプロセスを通して,今まで知らず知らずのう ちに使っていた自身の考え,抱き続けてきた固定概念 などを意識化させる。 (2)セルフトーク・ワーク 自分が日々体験する出来事のなかで無自覚的につぶ やいている内発的な言語「セルフトーク」を意識化さ せることで,各自の考え方の癖,思考パターンへの気 づきを促す。そして,グループで,各自の自己批判的 な「セルフトーク」を新しい「セルフトーク」に言い 替えるワークを通して,各自の考えの癖を柔軟に捉え 直す。 (3)価値観ワーク 配布した価値観カードに書かれている言葉のなかか ら,各自が,普段から自分を励ます言葉や自分が大切 に思っている言葉を選んで順位づけし,その言葉を用 いて「私が大切だと考えていること」というテーマで 作文を書く。グループでメンバーそれぞれが書いた作 文の内容を共有して,感想をフィードバックし合う。 自分の持つ価値観についての気づきを深めると同時に, 一人ひとりが持つ価値観の違いについての認識を広げ る。 (4)リフレーミング・ワーク 「リフレーミング」とは,フレームを変えるという 意味で,物事の見方を変えることを指す。学生各自が 自分の弱点と思っていることをカードに書き,それを グループの他のメンバーが見方を変えて言い替える。 メンバーが互いにリフレーミングし合いながら,相互 に刺激し合って「その人らしさ」を引き出していく。
Ⅲ.結果と考察
本授業において,学生がさまざまなワークに取り組 み,相互に交流し,啓発し合うことによって,お互い の違いを認識し,一人ひとりの特性や個性,価値観, 「自分らしさ」を引き出すことができたか,授業の効 果を検証するために,受講前と受講後に「本来感」尺 度(伊藤・小玉, 2005)[6]への回答を求め,回答結果 の t 検定を行った。また,同時期に本授業を履修して いない学生にも同じく「本来感」についての質問紙調 査を行った。 本授業の効果検証に使用した「本来感」尺度とは, 「自分らしくある」感覚の程度を示す心理尺度で,「い つも自分らしくいられる」「いつでも揺るがない『自 分』をもっている」「人前でもありのままの自分が出 せる」「他人と比べて落ち込むことが多い(逆転項 目)」「自分のやりたいことをやることができる」「こ れが自分だ,と実感できるものがある」「いつも自分 を見失わないでいられる」の 7 項目で構成されている。 学生には,各項目について「5:よくあてはまる」か ら「1:全くあてはまらない」までの 5 件法で回答を 求めた。 2018 年度春学期,授業を履修した学生グループ (実験群)と授業を履修していない学生グループ(統 制群)それぞれ 32 名に「本来感」尺度に基づく質問 紙調査を行った結果を図 2 のグラフに示す。 図 2 本来感得点 3.6 3 受講前 受講後 実験群 3.4 3.2 3.8 統制群 受講前と受講後の「本来感」7 項目平均得点の変化 量について t 検定を行った結果,授業を履修した学生 グループ(実験群)において受講前よりも受講後の方 が統計的に有意な得点の向上が示された(図 2)。一 方,授業を履修していない学生グループ(統制群)で は統計的に有意な差は示されなかった。この結果から, 授業を履修した学生が,本授業を通して「自分らしく ある」感覚を高めたことが示唆された。 本授業では,毎回の授業終了時,学生はその日に取 り組んだ授業内容を振り返って,感じたこと,思った ことを「リフレクションシート」に記入した。以下, 「リフレクションシート」に記載された内容の抜粋を 記す。 「“私が大切だと考えていること”として言葉を選んだ のですが,自分はわりと王道だと思っていたらそれは 思い違いで,他にも多様な価値観があることを発見し ました。これは私が他者の気持ちを考える上でとても 大きな収穫となりました」42 シンポジウム 論 考 投稿原稿 会務報告 大会報告 「自分のことを発表し,他者からのフィードバックを もらって,人それぞれ人生の視点や捉え方は違うこと を知った」 「この授業をとり様々なワークを通して人の価値観の 多様性を知った。同じ国籍で同じ大学,同じ年齢でこ んなにも価値観が違うのだから本当に色々な人がいる のだろうと想像が膨らんだ」 「自分一人の考えではなく,他者の考えを踏まえたう えで,自分というものを見出せたことがこの授業で学 べた一つの収穫である」 「教養演習の授業内で行われたグループワークは,意 見交換やフィードバック等で,様々な自分の固定観念 を認知することが出来た」 「リフレーミングによって自分の弱点だと思っていた こともプラスに捉えられることを知って驚いた」 「いろいろな人のフィードバックを受けたことで,今 まで自分視点でしか考えられなかったことでも新たな 発見がたくさんあり,授業を受けるたびに自分が少し ずつ成長していく感じがしてうれしかった」 「ワークショップ形式で行われた授業では,考えを述 べてフィードバックをもらう流れを繰り返しました。 自由に発表される意見を互いに尊重しあう風土の中で, 各メンバーが持つ異なった価値観の共有がなされ, 違った意見や価値観に触れ,思考の幅が広がったこと を実感しています」 「フィードバックをすることでモチベーションを高め られるということも,自分で体験し,学んだので,今 後の学生生活では,自分の意見だけでなく,友達と フィードバックをし合い,お互いを高めていけるよう になりたい」 上記「リフレクションシート」に記載された内容が 示す通り,本授業を通して,学生たちがお互いに フィードバックし合い,相互交流をすることによって, 特性,価値観をもつ他者を受けとめ,お互いの違いを 尊重し,相互に啓発し合いながら成長していくことの 大切さへの気づきを深めたことが示唆された。
Ⅳ.おわりに(展望)
日本の産業界において,経営のグローバル化ととも に,企業を取り巻く環境の不確実性が増し,多様な価 値観が混在するこれからの時代は,異質な人たちの棲 み分けというよりも,多様な人たちから構成される組 織や社会になり,ダイバーシティが,異なる組織の集 合体から,自分もそのメンバーの一員となる多様性の あるコミュニティが形成するようになっていく。そし て,日本の職場でのダイバーシティが今後益々進んで いくことは明らかである。そのような環境のもとで働 く個人は,自分とは異なる特性,価値観をもつ他者を 受けとめ,お互いの違いを尊重することが求められる。 そして,職場で多様な人材が相互に支援し合い,啓発 し合い,成長を目指すメカニズムの重要性も増してい くと思われる。 学生が,大学時代に,ユニークな個に見合った「自 分らしさ」に気づき,それを掘り起こし,発揮してい こうというマインドを高めると同時に,他者の特性に も目を向けて,お互いに啓発し合い,成長を目指そう とする経験は,学生がこれからの不確実な時代を生き ていくにあたっての基礎をつくり,レディネスを高め ることに貢献すると考える。 註1) 米国雇用均等委員会(The U.S. Equal Employment Op-portunity Commission:EEOC)とは,人種,宗教,性別 などのあらゆる雇用差別を防止するための行政活動をす る米国政府の独立機関で,1965 年に設置された。 参考文献 [1] 日本経済団体連合会(2001)『「日経連ダイバーシティ・ ワーク・ルール研究会」報告書』 [2] 荒金雅子(2013)『多様性を活かすダイバーシティ経営 基礎編』日本規格協会 [3] 社団法人経済同友会(2004)「多様を活かす , 多様に生き る─新たな需要創造への企業の取り組み─」 [4] 谷口真美(2005)『ダイバシティ・マネジメント─多様性 をいかす組織』白桃書房 [5] 花田光世(2013)『働く居場所の作り方』日本経済新聞社 [6] 伊藤正哉・小玉正博(2005)「自分らしくある感覚(本来 感)と自尊感情が well-being に及ぼす影響の検討」『教育 心理学研究』53, pp.74-85