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全国骨髄バンク推進連絡協議会

運動の基本理念

骨髄移植を望む患者の救済と骨髄提供者の保

護を第一義とし、より良い公的骨髄バンクの実

現と骨髄移植医療体制の充実を訴え、各地域に

根ざした市民運動を推進し、各地運動体の活力

と情報を相乗的に集積できる全国的なネットワ

ークを構築する。

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骨髄バンク 

第6号

目次

●特集! 臨界事故と被曝医療 「バケツとウラン」で何が起きたか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・野村正満・2 放射線と放射線被曝の基礎知識 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木正昭・12 被曝治療の神話 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・幸道秀樹・18 臨界事故と骨髄バンクの問題点 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・野村正満・24 ●患者の手記 セレッソと骨髄バンクと私(絶筆)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・原田侑佳・28 ●全国キャラバン ドナー号の軌跡 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30 続木敏博(D号at釧路 7/18∼)、武田重幸(D号at札幌 7/20∼)、矢嶋 翼(D号at苫小牧 7/22)、 菅 早苗(D号at秋田 7/27∼)、小野寺南波子(D号at山形 8/1∼)、小島宗三(D号at宮城 8/3∼)、 吉田孝行(D号at福島 8/6∼)、川又貴子(D号at栃木 8/9∼)、円東克典(D号at千葉 8/13∼)、 笠原慶一(D号at埼玉 8/16∼)、小出茂種(D号at群馬 8/19∼)、金子和子(D号at新潟 8/21∼)、 油野千里(D号at富山 8/24∼)、和田真由美(D号at石川 8/27∼)、中津和美(D号at京都 9/2∼)、 牛尼瑞香(D号at滋賀 9/5∼)、田中重勝(D号at岐阜 9/8∼)、斎藤よしみ(D号at長野 9/11∼)、 深沢 肇(D号at山梨 9/14)、二見茂男(D号at東京 9/15∼18) 走れ! レシピエント号 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・51 上江洲富夫(R号at沖縄 7/18∼)、牧薗次男(R号at鹿児島 7/21∼)、坂田浩章(R号at熊本 7/27∼)、 猶 克実(R号at山口 8/5∼)、北川尚仁(R号at島根 8/10∼)、坂本博昭(R号at鳥取 8/13∼)、 妹尾正雄(R号at岡山 8/15∼)、高橋 基(R号at愛媛 8/19∼)、宮地健三(R号at高知 8/22∼8/25)、 澤山 昇(R号at兵庫 8/27∼)、貴志政人(R号at和歌山 9/1∼)、山村詔一郎(R号at奈良 9/2∼)、 錦 克宏(R号at三重 9/4∼)、加藤徳男(R号at愛知 9/6∼)、築地則子(R号at静岡 9/10∼)、 宮治世之紀(R号at神奈川 9/13∼)、二見茂男(R号at東京 9/15∼) レシピエント号に乗ったレシピエント ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・孕石 弘・70 ドナー号に乗ったドナー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山中ひろみ・75 キャラバンの舞台裏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・荒木俊司・79 ●骨髄バンク関連最新医療情報 無菌室を使わない骨髄移植 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・峯石 真・85 ●骨髄提供者の手記 早く採取して、病人らしくなりたい ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・臼井久美・90 2人の息子と体験した海外への提供 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・荒濱健太郎・94 ●NMDP年次総会参加報告 鈴木章さんの遺作展 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中谷康一・98 ●私と骨髄バンク運動 ペン太、しかと見ておいて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山本順子・102 骨髄バンクへのわが思い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・海住康之・105 ●患者向け小冊子「白血病と言われたら」発行顛末記 『もしもし……』から始まって ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・村上順子・106 ■オピニオン情報誌「骨髄バンク」バックナンバーのご案内・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・110 ●全国協議会の新しい仲間 血液センターとの関係 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・上江洲富夫(沖縄)・112 震災の地にあって ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伴 智代(神戸)・113 これからも“命の掛け橋”に ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木幹夫(山梨)・115 「かごしま骨髄バンク推進連絡会議」です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・牧薗次男(鹿児島)・116 旅だった夫の恩を ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・原田早苗(岡山)・118 ■あとがき ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・119

骨髄バンク

第6号

目次

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■はじめに

新ミレニアムを間近に控えた1999年12月16日 夕刻、そこ広島国際会議場フェニックスホール は1000人ほどの医師をはじめとする医療従事者 たちの熱気で包まれていた。 ・広島平和記念公園 広島国際会議場は、広島市の平和記念公園の 中にある。54年前の8月6日、この公園の上空で、 アメリカ軍爆撃機B29「エノラ・ゲイ号」が投 下した原子爆弾が爆発して、20万人余の広島市 民が死んだ。熱線と爆風によって瞬時に死亡し た者も多いが、その後数年してから白血病など を発病して逝った者も多数いた。 広島国際会議場と同じく平和記念公園の中に 「原爆の子の像」がある。この像のモデルとな った佐々木貞子さんは2歳8カ月の時に被曝し た。そして12歳で急性白血病と診断された。貞 子さんは、折り鶴を千羽折ると願いがかなうと 信じ、夜も眠らずに「生きたい」という願いを 込めて、薬の包み紙などで鶴を折り続けたが、 その祈りもむなしく、9カ月の闘病後に亡くな った。「原爆の子の像」のまわりには、今でも 平和を願う人々が折った千羽鶴でいっぱいであ る。 ・緊急報告 昨年末、広島国際会議場では白血病治療など に取り組んでいる医療従事者を中心として、第 22回日本造血細胞移植学会が開催され、その会 場では「緊急報告」として「東海村核燃料施設 事故後の造血細胞移植」と題されたセッション が開かれていた。報告は学会会長で広島赤十字 原爆病院の土肥博雄氏と、東京大学医科学研究 所付属病院の浅野茂隆氏の司会で行われた。 報告者は3名である。まず、放射線医学総合 研究所の鈴木元氏が「JCO被曝事故の概観」と 題して報告した。次に、東京大学医学部付属病 院無菌治療部の平井久丸氏が「東京大学におけ る移植経験」として、東海村での臨界事故現場 で作業をしていたAさんに対して行った末梢血 幹細胞移植を含む治療の報告があった。さらに、 東大医科研内科の井関徹氏より「医科学研究所 における移植経験」と題し、臍帯血移植をとも なう被曝患者Bさんの治療経過の報告があっ た。 日本で初めての臨界事故で、放射線被曝した

特集! 臨界事故と被曝医療

「バケツとウラン」で何が起きたか

野村正満 

Masamitsu Nomura 全国骨髄バンク推進連絡協議会・運営委員長

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3人が、どのような症状を呈し、どのような治 療が選択され、どのような効果を発揮し、どの ような知恵が今後に活かされるのか、この緊急 報告に多くの医療従事者が耳を傾けた。いや、 誰もこれまでに経験したことのない出来事の報 告に、興奮していたようでもある。そうした期 待は、決して裏切られることはなかった。その 内容は、医学会の学術的な報告とはいえ、あま りにも悲惨であり、生々しいものであった。こ うした事実に、真摯に目を向け、こうした事態 が二度と現出しないように努めることが重要で あろう。 ・被曝と医療 東海村の核燃料加工施設JCOで起きた臨界事 故の総括は遅々として進んでいない。あれだけ の被害と犠牲を強いながら、誰一人として責任 者が逮捕されたり、責任を取ったという事実も ない。事故発生当時、われわれ市民は「バケツ」 と「ウラン」というミスマッチに驚いた。こう した事実や事故原因についての総括は近くまと められるだろう。そして対策も講じられるだろ う。さらに再発防止策も発表されるに違いない、 と確信している。そうした視点はここでは他に 譲りたいと思う。 われわれの興味があるところは、こうした事 故が起こったとき、人間という生物はどういう 反応を起こすのか、医療的には何が必要となる のか。そんな論点で、この臨界事故をつぶさに 見ていく必要があるのではないだろうか。そし て、そのためには何をしていく必要があるのか を考えねばならないだろう。 日本には「原子力安全神話」が存在した。安 全なものであるのだから、別段対策など考えな くていいのではないか、というのがこれまでの 論理だった。しかし、それはもろくも崩れ去っ てしまった。 この稿では、東海村での臨界事故で、放射線 被曝が人体に与えた影響にしぼって、その治療 などをつぶさに検証していきたいと思う。そし て、それは骨髄バンクとも少なからぬつながり を持つものだから、である。

■事故発生

・1999年9月30日 茨城県東海村石神外宿のJCO東海事業所内の 転換試験棟内で、社員3人が核燃料に加工する 核分裂性ウラン235から不純物を除く作業の最 終工程で、硝酸に溶かしたウラン溶液をステン レス製のバケツから沈殿槽に投入している途 中、ウランが臨界に達し、大量の中性子線とガ ンマ線を放出した。時に1999年9月30日、午前 10時35分のことである、とされている。 3人の作業員のうち、Aさんは沈殿槽の脇に 立ち、漏斗を両手で持っていた。左利きのBさ んは沈殿槽の横についたステップに足をかけ、 左手でバケツの柄を持ち右手で底を支えて、A さんの持つ漏斗を通して沈殿槽にウラン溶液を 注いでいた。その時「青白い光」を見た。これ が臨界であった。結果として、事故発生時の姿 勢から、沈殿槽に腹部前面を向けていたAさん が最も大量の放射線を浴びた。次に、バケツで 注いでいたBさんの被曝がひどかった。離れた ところにいたCさんは一番被曝量は少なくて軽 症であった。 ・てんかん 放射線を被曝した3人にはすぐに症状が現れ た。最も被曝線量の大きかったAさんは2分以 内に意識が喪失し、嘔吐があったという。 とにかく救急車が呼ばれた。現場に駆けつけ た消防隊員も、その際に被曝している。その消 防隊員は何が起こっているのかの状況判断がで きなかった。事故発生50分後の11時25分、東海 村の消防士から放射線医学総合研究所に、3人 をどこに搬送すべきかを問い合わせてきた。対 応したのは放射線障害医療部長の辻井博彦氏で あった。辻井氏が話を聞いていると「てんかん」 という表現を使っていること、泡を吹いて意識 がなくなって、またもどってきたということで あった。

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辻井氏はとにかく国立水戸病院に行き、脈 拍・血圧・呼吸等のバイタルサインを診てもら うのが先決であると指示した。そして、放医研 ではいつでも受け入れ準備をしておく、と消防 士に伝えたという。水戸病院に入ったのは12時 7分であったという。 ・ヘリコプター まだ臨界事故とはわかっていなかったが、各 種の状況から放射線被曝事故が発生したことは すでに明らかだった。午後1時ころになって、 国立水戸病院から3人をヘリコプターで搬送す るという連絡が放医研に入っていた。放射線医 学総合研究所は千葉市稲毛区穴川にある。午後 2時16分に水戸ヘリポートを離陸し、2時45分に 千葉ヘリポート(土気)に到着した。放医研に 着いたのは3時10分であった。 3人の患者はすぐに血管を確保して点滴を入 れ直し、血液など生物試料の採取という一連の 処置が行われた。また、吐瀉物の測定からナト リウム24が検出された。自然界に存在するナト リウムの質量は23、そこに臨界事故によって発 生した中性子が入りナトリウム24となる。この ナトリウム24が出たということで、中性子線に やられたことがはっきりし、放医研は真っ先に 「これは多分、臨界事故です」と表明した。 ・HLA検査 日本のHLA研究の第一人者である日本赤十 字社中央血液センター所長の十字猛夫氏と放医 研の佐々木康人所長とは同級生だそうである。 佐々木所長は十字所長に連絡をとった。十字所 長 は 海 外 出 張 中 で あ っ た と い う が 、 す ぐ に HLA検査を中央血液センターで実施すること となった。もちろん、3人の被曝患者には、骨 髄移植をはじめとするなんらかの造血細胞移植 が想定されたからである。そのために、HLA 検査は不可欠である。事故当日の9月30日に、 HLA検査は行われていた。 また、事故の翌日10月1日には、緊急被ばく 医療ネットワーク会議が開催された。このネッ トワーク会議は東大医学部付属病院救急部の前 川和彦教授が委員長である。緊急の被曝医療を 行うために、多方面の医療関係者が力を合わせ る体制が整いつつあった。

■造血細胞移植の実施

・被曝線量の測定 3人が浴びたであろう放射線の量をすぐに評 価する必要があった。線量は症状の出現状況な ど様々な視角と検査によって決定される。最も 重症のAさんの場合、被曝2分以内の意識喪失 と嘔吐から10gy(グレイ)以上とすぐに推定 できたという。1時間以内に下痢もあった。3日 でリンパ球が、白血球は6日でゼロになり、こ の減少パターンからも10gy以上であることが わかった。染色体分析では20gy以上となった が、血液中のナトリウム24から最終的に18gy の被曝とされた。 また、次に重症のBさんの被曝線量は10gyで、 沈殿槽から少し離れたところにいたCさんは 3gyとされた。なお、公式に致死量の放射線被 曝線量は7gyとされている。 はじめは、3人の患者たちの状態は、とても 安定していた、というよりも、安定しているよ うに見えた、とした方が正確かもしれない。血 液の所見と臨床での所見があまりにも違いすぎ たという。推定される線量は大きいにもかかわ らず、その線量評価と患者の状態は、あまりに も違っていたという。 ・嵐の前の静けさ 被曝した3人の症状については、科学技術庁 のホームページに連日公開されていた。ちなみ に、Aさんの被曝3日目である10月3日の状態に ついてはこういう記述がある。「意識は清明で、 夜間はよく眠れたそうです」「血圧150/80、脈 拍数100∼110/分、呼吸数19/分、体温36.7度で 全身状態は安定しております」 しかし、それは嵐の前の静けさのようでもあ った。同じ日のページに、血液の所見などにつ

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いても触れている。「下痢は入院後1回あったの みで、現在は止まっております。しかし、全身 の血管透過性の亢進が継続し、大量の輸液を必 要としています。その結果、肺水腫の徴候が出 はじめています」「なお、末梢血のリンパ球は0 となりました」「また、臓器障害が少しずつ見 られるようになり、予断を許さない状態は続い ております」 そして、大量に被曝したAさんとBさんには、 すぐに治療方針の選択が行われていた。 ・救急医療と骨髄移植の必要性 3人が収容された放医研は、放射線治療に特 化した特殊な病院である。しかし、緊急被曝に よる救急医療を行うにはその役割は果たせな い。さらに、AさんとBさんの2人には、骨髄移 植などの造血幹細胞移植の必要性があった。大 量放射線被曝で骨髄抑制が起こり、血液細胞を 産生できない状態となっていたからである。 放医研は緊急被ばく医療ネットワーク会議の 委員長である東大病院救急部の前川教授に相談 し、造血幹細胞移植も行う前提で、Aさんは東 大病院に転院することとなった。事故後2日目 の10月2日であった。全身状態の比較的良いそ の時期なら、Aさんを動かすことができるとい う判断もあった。 ・Aさんには血縁ドナーがいた Aさんが東大病院に転院する2日には、HLA 完全マッチの臍帯血があることがわかっていた と放医研スタッフはいう。しかし、Aさんには 妹がいて、その妹さんとHLAが適合している ことがわかっていた。Aさんには妹をドナーと した骨髄移植がすぐに考慮された。しかし、東 大病院では転院してすぐ、骨髄移植ではなく妹 をドナーに同種末梢血幹細胞移植を選択した。 これは、骨髄の場合は、ドナーの採取時に必要 となる自己血輸血用の貯血の問題もあった、と しているが、骨髄移植と比較して、末梢血幹細 胞移植は生着が速いのが特徴である。1日でも 早い造血機能の回復のため、末梢血幹細胞移植 が選択されたのだろう。 なにしろ、造血機能はゼロの状態である。赤 血球・血小板は輸血するにしても、白血球ゼロ では感染の危険があまりにも大きすぎた。少し でも速い生着のため、より末梢血幹細胞移植が 良いとの判断が下されたのだろう。 ・事故後6日目に末梢血幹細胞移植 Aさんへの末梢血幹細胞移植は2日間にわた って行われている。事故後6日目の10月6日と、 翌7日である。 同種末梢血幹細胞移植を行うには、ドナーに 造血刺激因子のG-CSFを数日間にわたって大量 に投与しなければならない。そうすることによ り、ドナーの末梢血中に造血幹細胞が多く出現 するようになる。その末梢血中の幹細胞を成分 献血の採血に使用するアフェレーシスで、何回 かに分けて採取することになる。 Aさんのドナーとなった妹さんは、おそらく 事故後すぐにHLA検査をされていたのだろう。 また、末梢血幹細胞移植が選択されてすぐに、 G-CSFの投与を開始され、連日注射されていた ことになる。そして、6日と7日の2日間にわた って妹さんから採取された末梢血幹細胞は、被 曝したAさんの静脈に注入された。 ・Bさんには臍帯血 一方、10gyの放射線を被曝したBさんは、A さんより被曝量は少ないとはいうものの、Bさ んにも間違いなく骨髄抑制が起こっており、骨 髄などの造血幹細胞の移植は不可欠であった。 しかし、血縁者にドナーはいなかった。Bさん に移植する幹細胞のソースはどうするのか。そ こで、注目されたのが臍帯血である。すでに日 本の数カ所で保存が始まっている臍帯血バンク で、すぐにHLA適合検索が行われていた。フ ルマッチの臍帯血はなかったが、1座不一致の 臍帯血がいくつか見つかったという。 採取された臍帯血は、移植に必要な有核細胞 数が限られるため、移植する患者さんは多くの 場合は体重の軽い小児患者の場合が多い。しか

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し、Bさんは成人である。それでも、移植に十 分使用できる細胞数のある臍帯血が見つかっ た。それは東海臍帯血バンクに保存されていた ものである。 Aさん同様、臍帯血移植を行うには移植経験 の深い医療機関に転院することになった。Bさ んの転院先は細胞移植経験が豊富な東京大学医 科学研究所付属病院に決まった。それは、緊急 被ばく医療ネットワーク会議のメンバーに医科 研の浅野茂隆病院長がいたからである。こうし て、Bさんは10月4日、放医研から医科研に転 院した。 ・10月9日、臍帯血移植を実施 Bさんへの臍帯血移植は10月9日午前10時25 分に開始され、わずか3分間で終了した。冷凍 保存されていた臍帯血は132mlであったが、分 離された細胞はわずか21mlとなり、注射器で 静脈に注入した。移植された臍帯血の細胞数は、 体重1kgあたり2.08×10の7乗個であったとい う。## 移植された臍帯血によって造血機能が始まっ ているのが確認されたのは、移植後12日の10月 21日であった。とはいえ、この時点でのBさん の白血球数はわずか100である。骨髄検査の結 果、有核細胞の染色体分析で、患者本人と臍帯 血由来の両方の細胞が認められ、キメラ状態 (両方の細胞の共存)が確認された。そして、 移植後18日の10月21日には、骨髄だけでなく末 梢血の検査でも、自己と臍帯血由来の混合キメ ラであることが再び確認され、生着の確認とな った。 ・移植後の経過、Aさんの場合 Aさんの場合、移植後わずか10日の10月16日 に生着が確認された。やはり、末梢血幹細胞移 植の造血回復の速さによるものであろう。ゼロ だった白血球は、15日に300となり、1日たった 16日は0:00で600、6:00で1000、16:00で 2000となり、生着が確認された。また、増加し た白血球は、染色体検査から移植されたドナー 由来の細胞であることも確認されている。 ・GVHDは 生着が確認されたあと、移植後の合併症とし て 一 番 に 問 題 と な る の は 移 植 片 対 宿 主 病 (GVHD)である。Bさんに移植した臍帯血は、 HLAクラス1はA座B座はフル適合していたもの の、DR座は1座不一致であった。HLAミスマッ チの移植により、当然のこととして急性GVHD の心配があるが、Bさんの場合GVHD反応はな かったという。これも、GVHDの頻度が非常に 低い、とされる臍帯血移植の特徴の一つという ことができるようである。 ところで、Aさんの場合もGVHDはなかった ようである。「ようである」というという曖昧 な表現は、実はGVHDは肉眼で確認できるもの であるのだが、大量の放射線被曝によりAさん の場合は肉眼でGVHDを評価するのは困難であ ったというのである。その症状は後述するが、 AさんのGVHD反応は各種検査をしてみてもな かったか、あったとしても低かった、としてい る。 ・前処置は無し 白血病治療などの目的で行われる骨髄移植や 末梢血幹細胞移植、臍帯血移植などの造血幹細 胞移植には、患者には必ず前処置が行われる。 前処置は患者の白血病細胞など病気に冒された 骨髄を人為的に壊滅させるため、大量(致死量 の数倍)の抗ガン剤を投与したり、大量の全身 放射線照射(TBI)が行われる。 ところが、AさんとBさんは病気ではない。 放射線被曝さえなければ健康体であった。従っ て、今回の2人の移植では前処置は行われてい ない。 ところで、白血病患者などが移植前処置の際 に行うTBIとは、どの程度の放射線を照射する のだろうか。その線量は10gyほどであるとい う。臨界事故でAさんは18gy、Bさんは10gyだ った。移植前処置でも同様の線量が照射される。 ちなみに致死量は7gyとされている。しかし、

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臨界事故とTBIでは大きな違いがある。 TBIの場合は、数日間に分け、しかも時間を かけて全身を満遍なく照射する。ところが、今 回の臨界事故のような場合は、瞬時ともいうべ き短い時間に、局所的に強烈な被曝をしたので ある。TBIと同量かそれ以上の線量をである。 この被爆が問題なのである。 ・移植は成功したが 造血機能は、確実に回復傾向にあった。Aさ んの末梢血幹細胞移植もBさんの臍帯血移植も 順調であった。移植は成功した、ということが できるだろう。しかし、そう簡単に事態は収ま らなかった。 実は、Aさんの場合、移植4日後のまだ生着 が確認される前、10月10日に人工呼吸管理とな っている。被曝10日後からのことである。この 人工呼吸管理はAさんが生きたままで外される ことはなかった。そうなる原因となったのは、 急性の肺水腫である。肺水腫となったのは、大 量の輸液を行ったことが原因と見られている。 大量の輸液を行わなければならなかったのは、 大量の体液が喪失していくからである。 確かに、造血機能は回復している。しかし、 大量の放射線の被曝は、人体の造血機能を破壊 しただけでなく、あらゆるところにダメージを 与えた。もっと正確に言えば、眼に見えない大 量の放射線は、人間の遺伝子に大きな損傷を与 えた。傷ついた遺伝子は、それまで生活するた めに必要だった情報を狂わせはじめ、普通なら 簡単に修復できる肉体のトラブルを、そう容易 に解決することはできなかった。

■急性放射線症候群

・日焼けした皮膚 子供のころの想い出としてすぐに思い浮かべ ることといえば、夏休みに海水浴などへ行って、 真っ黒に日焼けしたことなどもその一つであ る。そういえば、日焼けしたその日は、皮膚が ほんのりとピンク色になって、その晩はお風呂 で湯船につかる時、肌にチクチクと浸みたもで あった。そして、数日すると日焼けした皮がむ け、下から白っぽい新しい皮膚が現れた。よく、 日焼けは火傷の一種といわれるが、まさにその 通りであった。 AさんとBさんも、入院したときは、日焼け した時のように、皮膚がほんのりと赤っぽかっ たという。しかし、それは決して太陽の陽射し (紫外線)による日焼けではなかった。放射線 の被曝なのである。それは、後に致命的ともい える火傷(やけど)へと移行する予兆であった。 一般的な我々の常識では、皮膚が高温度(あ るいは低温度)の物体と接触して、火傷が発生 すると考える。もちろん、広島や長崎の原爆に よって、多くの被爆者が火傷を負ったが、その ほとんどは、爆風や熱線によるところが大きか った。だが、放射線の被曝による火傷は、静か にそして容赦なく徹底的に進行するのである。 ・放射線熱傷 Aさんの症状が発表されているホームページ で、10月15日の記録には「排便がありました」 「脱毛が見られます」などとあるが、翌16日に は新たな記載内容として「放射線熱傷の様子が 変わりました。色調が暗赤色になり、右上肢に 水泡の形成が見られるようになりました」とあ る。 また、Bさんの皮膚の変化については、10月 下旬からホームページでは頻繁に記載が見られ るようになる。10月26日の記載内容は「顔面の 腫脹・皮膚変化は横ばいであるが、手指から手 掌にかけての皮膚変化は、水疱化を伴うように なってきた」とある。 被曝して数日間は、Aさん・Bさんともに、 外見上の皮膚は何の損傷もないように見えた。 しかし、その皮膚が2週間ほど経ってから、大 きな変容を見せ始めた。皮膚の脱落が始まった のである。 健常者の場合、日焼けした皮膚が一皮むけれ ば、次の新たな皮膚が現れることになっている。 つまり、皮膚には再生機能があるからである。

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だが、内皮組織も被曝して健康な細胞ではなか った。皮膚の再生機能は完全になかった。しか も、被曝線量の高い部位ほどその熱傷は早期に、 そして厳しい症状を呈していた。再生機能がな い皮膚は、どんどん脱落していくばかりとなる ことになった。 ・進行する熱傷 Aさんの熱傷について、ホームページでの10 月16日の最初の記録に引き続き、その後の進行 を記載内容から追ってみよう。 10月19日:放射線熱傷部、特に右上肢の水泡化 がさらに進みました。 10月21日:右前腕の放射線熱傷部の水泡化がさ らに進み、通常の熱創傷とは異なる様 相を呈するようになりました。 10月22日:両上肢、頚部、体幹の放射線熱傷部 の水泡化が引き続き進行し、通常の熱 傷同様の加療をしています。 10月23日:顔面を含めた上半身前面の放射線熱 傷部の水泡化と上皮の脱落がさらに進 み、放射線熱傷の様相が明らかに変化 しています。 10月24日:顔面を含めた上半身前面の放射線熱 傷部の水泡化と表皮の脱落が持続して います。特に被曝線量の高かったと推 定される右上肢の変化は放射線障害に 特有のもので、今後の推移を注意深く 見守る必要があります。 10月25日:顔面、頚部、躯幹前面、右上肢の放 射線熱創傷の管理が大きな問題となり ました。 10月28日:高い線量の被ばくがあったと推測さ れる皮膚及び粘膜の障害はさらに悪化 しています。 10月30日:放射線熱傷の範囲が右側背部にまで 拡大しました。特に両側の手の状態に は厳しいものがあります。 広島での造血細胞移植学会の緊急報告で、A さんの治療報告を行った東大病院の平井氏は熱 傷部の写真は「あまりひどいものは、この場で お見せできない」といいながら、投射したスラ イド写真は、気の弱い人でなくても、目を覆い たくなるようなものであった。それは、十分に 放射線事故の悲惨さを訴えるものであった。 また、Bさんの治療報告を行った東大医科研 の井関氏が公開した写真も生々しいものであっ た。皮膚が剥離した写真で、部位の説明がある のだが、そこが写真ではどの位置なのかも判然 としないほど、肉体の形状が崩れているように 見えた。包帯でぐるぐる巻きにされた様子は、 まるでどこかで見たミイラの写真のようでもあ った。 ・皮膚移植の差異 高線量の被曝はDNAを損傷し、DNA障害は 細胞の複製を不能に陥れる。特にそれは皮膚に 顕著に現れた。健常と思われる皮膚も、実は破 壊されていた。脱落した皮膚の下にある筋肉も、 おそらくは壊死しているだろうと平井氏は広島 で語った。 Aさんには、11月中旬から何度ととなく、熱 傷部位に培養したヒト皮膚の移植を行った。し かし、生着の見込みすらなかったという。 一方、Bさんの場合も甚大な放射線熱傷があ るのだが、Aさんとは少し違っていた。ホーム ページから皮膚と熱傷について抜粋してみよ う。 10月29日:手指および足底部の皮膚変化は強 く、水疱化はさらに進行している。顔 面の皮膚変化は不変。 11月5日:放射線障害による皮膚変化は手、足、 顔面、頚部の局所に非常に強く、最近 顔面の表皮剥離が斑状に起こってい る。手、足に強い疼痛は依然として持 続している。 11月15日:皮膚病変がさらに広がっている。意 識は清明である。しかし、皮膚の表皮 剥離の範囲が広く軟膏塗布、ガーゼ被 覆、包帯交換などの創傷処置に強い痛 みを伴い、また長時間を要するため、 患者さんの苦痛は大きい。

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11月19日:皮膚病変は手・足・顔面・頚部の表 皮剥離した部分に、一部上皮化を認め るが治癒傾向とはいえない。 11月26日:皮膚病変は良好な上皮化を認める部 位もある。 Bさんは11月下旬となって皮膚に改善傾向が 現れた。さらに、12月20日には上肢へ、28日に は両下肢への同種皮膚移植を行った。「移植片 はよく生着し、密着している。代用皮膚として は十分の効果を認め、解熱・炎症反応の沈静化 など全身状態の改善に役立ったと考えられる」 としている。 AさんとBさんとの熱傷の程度の違い、やは りそれは18gyと10gyという被曝線量の差が大 きい。 ・消化器内皮の損傷 大量の放射線被曝により、細胞の再生能力を 失ったのは、血液と皮膚にとどまらなかった。 明確にいえば全身がその状態にあった。血液と 皮膚に次いでは、消化器管の影響は大きかった。 消化器の内皮組織が放射線により損傷を受け、 いたるところで出血していた。内皮組織の細胞 も再生能力を失っていた。 このため、下痢、嘔吐、吐血、下血が、まる で間断なく患者を襲うことになる。Aさんの記 録をホームページから見てみよう。10月23日ご ろから濃緑色の排便(下痢)が頻繁になってく る。23日3回、24日2回、25日3回、26日3回であ る。さらにこの傾向が続く。 10月27日:午前0時から午後3時まで、濃緑色の 下痢便が815gありました。この下痢 が移植片対宿主病の徴候である可能性 は否定できませんので、治療を開始し ました。しかし、放射線による腸管の 障害であることもまた否定できませ ん。 10月28日:放射線被ばくによる腸管障害と考え られる下痢便が大きな問題となってい ます。本日は午前零時から午後3時ま での間に1240gの下痢がありました。 ・下痢と下血と ホームページの発表は毎日午後5時である。 従って、1日の下痢の量は午前0時から午後3時 までの15時間分の量しか発表されていない。そ の後の量の変化は、29日1755g、30日615g、31 日571g、11月1日1185g、2日1100g、3日1695g、 といった具合である。副腎皮質ホルモンの投与 によって下痢の量は減ることもあるが収まるこ とはなく、7日2440g、10日2255g、12日3262g、 といった大量の下痢が続くことになる。さらに、 下血も始まった。 11月18日:下血が始まりました。大腸内視鏡検 査の結果、放射線による小腸、大腸の 多発するビランからの出血と考えられ ます。 11月22日:下痢便の量は減りましたが、下血の 程度がひどくなりました(午後3時ま でに640g)。出血源は放射線による小 腸、大腸のビランと考えられます。 11月24日:下血の量が増加しました(午前零時 から午後4時までに2720g)。 11月26日:下血の程度は薄くなりました(下血 の 量 は 午 前 零 時 か ら 午 後 4 時 ま で に 990g)。出血源は放射線による小腸、 大腸のビランと考えられます。十二指 腸にも放射線によると思われる出血性 のビランが多発しています。 ・流出する体液 11月の中旬ともなると大量の下痢と下血、さ らには熱創傷部位からの出血や浸出液の増加が 認められるようになってきた。11月11日は丸1 日で2390gの浸出液があったという。15日には 3238gという記載もある。この浸出液の喪失を 防ぐために皮膚移植を行うのだが効果はまった くなかった。 こうして、下痢や出血などとあわせて、毎日 大量の水分がAさんの体から漏出していった。 1日で、多いときには10リットルを超える水分 が失われていったというのである。 こうした状況に対処するために、大量の輸液

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と血液製剤の輸血が行われたことはいうまでも ない。その一方で、原因不明の腹水の貯留(11 月21日のホームページ)も認められ、その量も 増加するようになっていった。また、乏尿・無 尿となり、11月27日からは継続的に血液透析を 開始している。 もちろん、Aさんは東大に移って間もなくか ら、鎮静薬を投与され人工呼吸管理であった。 意識はない。ただ、生命を維持しているのみだ った。しかし、もう時間的な問題だった。 ・83日後、Aさんの死 事故から58日後の11月27日午前7時2分、Aさ んの心臓が止まった。「直ちに胸骨圧迫式心臓 マッサージを開始し、用手的人工呼吸、諸種薬 剤の投与、5回の電気的除細動等の蘇生術によ って8時14分洞調律に戻」ったという。その後 も改善の傾向は見ることができなかった。輸血 の効果も低いため、血球貪食症候群と診断し、 12月3日からは連日のように血漿交換も行った。 造血細胞移植学会の緊急報告があったのは12 月16日である。その席で東大病院の平井氏は 「高線量の放射線を被曝した患者の救命は困難 である」と締めくくった。その5日後、12月21 日午後11時21分、多臓器不全のため死亡した。 事故から83日目だった。Aさんは臨界事故現 場の転換試験棟内で被曝した3人の作業員の中 では最も若い35歳だった。身長174cmで体重 76Kgの頑健な肉体は、必死にこの過酷な症状 と治療に耐えた。 なお、Aさん死亡の前日、3人のうち最も軽 い被曝で済んだCさんは、放射線医学総合研究 所病院でずっと冶療を受けていたが、退院して 自宅療養となっていた。

■被曝後の移植と今後の問題点

Aさんは死亡したというものの、Cさんは退 院して元気に過ごしている。また、2番目に高 い線量の被曝をしたBさんは、2000年2月現在 は東大医科研付属病院で順調に回復していると いう。社会復帰に向けたリハビリにも取り組ん でいるという。Aさんには末梢血幹細胞移植、 Bさんには臍帯血移植が行われた。これらの造 血細胞移植は放射線被曝事故において、どのよ うな意味があったのだろうか。そして、これか ら何が問題として残るのか。そのあたりを整理 する必要性は、きわめて重要である。 ・造血細胞移植は救援投手 広島での学会の緊急報告では、末梢血幹細胞 移植を行ったAさんも、臍帯血移植を行ったB さんも、当初はまったく造血機能がなかったに もかかわらず、移植によって回復したことが明 らかであった。しかし、ドナー由来の造血細胞 が本人の造血細胞に取って代わるというわけで はなく、時間の経過のともない、また本人の造 血機能が元に戻っていくことが明らかになって いる。 Bさんへの臍帯血移植を報告した東大医科研 の井関氏は「臍帯血移植は一定期間の造血があ り、いま(12月16日)はrejection(拒絶)の方 向にあり、不安定ではあるが自己造血機能が回 復しつつある」と発表した。被曝後一定期間を 経過した後に、自己造血が回復し、一時ドナー 由来の細胞であった血液も、本人のものに戻る というわけである。いわば、被爆直後の造血細 胞移植は、野球にたとえれば中継ぎのリリーフ 投手的な役割を演じるということなのであろ う。 こうした現象が起こるのは、放射線事故によ る被曝は、予想以上に不均等で強力な被曝によ るもので、白血病治療などで行われる前処置の 全身放射線照射などとはまったく違うものであ るからあろう。 しかし、自己造血が回復するといっても、そ れは決して正常な血液細胞ではない。染色体を 見てみると、多様な異常があちこちに見受けら れる。染色体の形はブレイクしており、これが どのような影響を及ぼすかは明らかではない。

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・精神ショック状態 被曝した3人の作業員は、瀕死の状態にあり ながらも、自分たちが起こした事故に対して、 大きな責任感と精神的ショックを受け、ひどく 落ち込んだ状態になった。当然といえば当然だ が、事故発生当初から、千葉大学の精神科がサ ポートしたという。その他、多くの専門分野の スタッフが、広範な協力体制を敷いた。 入れ歯が放射化してその歯のまわりの炎症が 大きいのでは、という疑問には、転院した先へ 放医研の測定スタッフなどを送って、炎症は放 射線の影響ではない、というレポートも出した という。 協力体制は、日本国内ばかりではなかった。 チェルノブイリの原発事故の際に、被爆者に骨 髄移植を行ったゲール博士も、アメリカから来 日してアドバイスをした。ロシアでは1000名の 被曝症例があり、トレンタール、ペントキシフ ィリンという薬が非常に有効であるといってい たのだが、日本には飲み薬はあるが注射薬がな く、近いところでは韓国とタイにあったが、韓 国はその会社が創立記念日で休みのため、タイ から機長手荷物で届いたが、これには航空会社、 運輸省、厚生省、税関も動いた。多くの協力体 制があって、この臨界事故の被曝作業員への治 療が行われたことは間違いない。 ・急性障害と晩発性の影響 ところで、2000年1月31日、科学技術庁は今 回の臨界事故の被爆者総数は439人であること を、原子力安全に委員会に報告した。 放射線の被曝による影響は、臨界事故現場に いた3人に出現した急性の症状だけ済みはしな い。3人を除く436人にも、晩発性の影響がある ことも知られている。晩発性というのは、被曝 があってすぐということではなく、数年から10 年以上してから出てくる影響のことである。ど のような影響かといえば、多くの場合は、白血 病のような造血機能への障害が真っ先にあげら れている。次に、ガンである。甲状腺のガンな どが多い。 晩発性については被曝線量の因果関係など、 そう明快な答えは出ていないようであるが、確 実に影響は存在する。今回の臨界事故による他 の被爆者たちにも、その影響がないとは誰も断 言できないだろう。 いずれにせよ、放射線被曝事故は広島長崎以 来、我々日本人の心の琴線に触れる重要な事柄 である。今回の事故を決して見過ごすわけには いかないのである。 ・安全神話の止揚 わが国の原子力政策には、間違いなく安全の 「神話」があった。安全なのだから事故は起き ない、というわけである。だから、事故が起き たときのことなどは想定もしていなかった。い や、想定することなどタブーであった。 飛行機に登場すると、離陸前に必ず乗務員に よる救命胴衣の着用デモや非常口の案内、さら に衝撃防止姿勢や酸素マスクの使用法などの説 明がある。これは、事故はあり得ることを前提 に行われているのである。もしそうなった場合 の備えを、飛行のたびごとに確認するわけであ る。 乗るたびに必ずあるのだが、私は不思議とわ ずらわしい、というような気持ちにはならない。 というよりも、当たり前のこととなっているか らだろうか。 事故をタブーとして目をつぶることなく、事 故は起こりうることであるとして、その準備や 対策を練るのが根本的な姿勢である。いま、安 全神話が崩壊し、それを乗り越える作業が始ま ったばかりである。医療においても、骨髄バン クにおいても、そのためにしなければならない ことが山積している。

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1.はじめに 東海村の臨界事故発生のニュースを知らされ たとき、「いったい何が……」というのが正直 な印象でありました。原子力の安全は、燃料製 造においては臨界事故が起こらないよう量的な 管理をすることと、臨界が達成されている原子 炉では発生した放射性物質を閉じこめること が、最も基本的な問題であり、現場でもそれは 必ず守られてきたと信じていたからです。世の 中ではこうして原子力の安全神話が崩れ去った と言っていますが、そもそも、安全神話はみん なで作り上げた幻であったのかもしれません。 基本的に科学技術から何か恩恵を受けようとす るとき、必ずリスクが存在します。飛行機に乗 れば目的地まで早く行けますが、事故に遭遇す るリスクは必ず存在するのです。現代社会では そのリスクに恩恵が勝っている場合にのみ科学 技術が受容されていることを忘れてはいけませ ん。原子力もその例外ではありません。ただ、 事故の与える影響が大きいことを考慮して、幾 重にも安全装置を施し、リスクができる限り小 さくなるように努力してきました。 今後、原子力発電の是非を巡ってさらに議論 が活発になっていくと思われます。また、これ からは国民の皆さんが一人一人の判断に基づい て、選択の意思表示をしていく必要があります。 JCOは不幸な事故でありましたが、これをきっ かけに、放射線に対する正しい知識を身につけ られることをお勧めします。 2.放射線の起源 遙か昔150億年前、ビッグバンで宇宙が始ま りました。という話は、有名なホーキング博士 の説でご存じでしょう。放射線の起源はそもそ も宇宙の起源と深く関わりがあるのです。 ビッグバンの後、1∼10億年後に電気的に中 性の水素原子が集まり、原始銀河と原始太陽が できました。この太陽の中で、核反応の一種で ある核融合反応が起こり、重い原子核が合成さ れました。そして、原始太陽の寿命の最後で超 新星爆発が起こり、このとき、ウラン、トリウ ムやプルトニウムのような非常に重い原子核も 合成され、すべての元素(原子核)は宇宙に広 く散らばりました。これら宇宙に散らばった 様々な元素と、多量の水素とが一緒になり、約 50億年前に現在の太陽や地球ができあがりまし た。このため、この時代の地球には、ウラン、 トリウム、プルトニウムをはじめとするたくさ

特集! 臨界事故と被曝医療

放射線と放射線被曝の基礎知識

鈴木正昭 

Masaaki Suzuki 東京工業大学大学院理工学研究科・教授

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んの放射性元素が存在しており、いたる所から 放射線が放出されている状況でありました。地 球では、約50億年の間に放射能はどんどんと少 なくなりました。このため、寿命の短いプルト ニウムなどは無くなってしまい、寿命の長いウ ラン、トリウム、カリウム-40などの一部、そ れらから生じたラジウムやラドンのような放射 性元素などが残っているのです。 3.放射線、放射能の基礎的な物理 自然界には、さまざまな放射線が飛び交って います。宇宙から降ってくるものがあれば、地 下からでてくるものもあります。このような放 射線を大きく分類すると図1のように、粒子線 と電磁波に分けられます。粒子線は名前の通り 粒子で、アルファ線、ベータ線、中性子線など があります。アルファ線はヘリウムの原子核、 ベータ線は電子、中性子線は中性子そのもので す。また、電磁波にはエックス線やガンマ線が あります。電磁波は光の一種で、赤外線も、可 視光も紫外線も電磁波です。これらは波長の長 さで区別され、波長の長い順に並べると、赤外 線、可視光、紫外線、エックス線、ガンマ線の 順になります。 このような「放射線」を出す能力を「放射能」 と呼び、「放射能」をもっている物質を「放射 性物質」といいます。 また、物理的に言い換えると、放射性物質は 放射能を持たない安定な物質よりも高いエネル ギーを持っています。この余分なエネルギーを 放出してより安定な物質へと変化していくので すが、この時放出する余分なエネルギーが放射 線として放出されているのです。 4.核分裂反応と臨界 今回起こった臨界事故では核分裂反応が起こ り、それに伴って放射線が放出されました。原 子力発電で使用されるウランには、燃料となる ウラン235と、それよりちょっと重い燃料にな らないウラン238があります。この燃料となる ウラン235が核分裂反応を起こすのですが、ど こからか飛んできた中性子が1個、ウラン235に 衝突すると、このウランの原子核が2つの元素 に分裂し、同時に、平均して2個の中性子を放 出します。この2個の中性子がどこかへ飛んで いってしまえば、核分裂反応は持続しないので すが、周囲にたくさんのウラン235があれば、2 個の中性子が2回の核分裂を引き起こし、さら に4個の中性子を放出し……。こうなると、ね ずみ算的に中性子が増加してたくさんの核分裂 反応が一気に進行してしまいます。これが原子 爆弾です。原子爆弾はウラン235がほぼ100%で できているのでこのような連鎖反応が一気に起 こってしまいます。しかし、ウラン235が、ウ ラン238の中にまばらに混じっている場合はど うでしょうか。1回の核分裂反応で生じた2個の 中性子が、ウラン238に吸収されたり、漏れて しまえば、核分裂反応は持続しないことになり ます。しかし、2個のうち1個だけが次の核分裂 反応を起こすのに使われた場合は、ウラン235 はゆっくりと核分裂反応を持続することができ ます。この状態が「臨界」という状態です。こ の状態を持続して、ゆっくりとエネルギーを取 り出すのが原子炉の原理です。原子炉では、こ ■図1 放射線 粒子線 電磁波 アルファ線 ベータ線 中性子線 エックス線 ガンマ線

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の時発生する中性子が人間のいるところまで到 達しないように遮蔽が施されています。 東海村JCOでは、ウラン235の量を規定以上 に多くしてしまったために、臨界状態となって 核分裂反応が起こり、中性子が放出されました。 作業中に被ばくされた方は核分裂反応の連鎖反 応に寄与しない漏れていく中性子を浴びてしま ったという訳です。また、臨界が収まった後に は、ウランが核分裂して生じた放射性物質が飛 散しないよう対策が講じられました。 また、被ばく量を推定するのに、体内のナト リウム24の分析が行われましたが、これについ ても少し説明しておきましょう。通常、体内に 存在する塩分のナトリウムは質量数が23の元素 ですが、これに中性子があたると中性子を吸収 してナトリウム24という放射性元素になりま す。これはガンマ線を放出するので、このガン マ線を分析すればナトリウム24がどの程度体内 でできたのかがわかりますし、さらにどのくら いの中性子が照射されたのかを推定することが できます。この方法は、物質の中のきわめて微 量の元素を分析するために、物質に中性子を照 射してその放射線を測定する「放射化分析」と して利用されており、大変に精度のよい測定方 法として知られています。 5.放射線の単位(シーベルトとグレイ) 受けた放射線の量を測る単位を決めておく と、それによって引き起こされる影響がどのく らいかを見積もることができます。放射線の量 の測り方にはいくつかありますが、最も代表的 なものは、吸収線量として定義される量です。 これは、放射線が物体に当たった場合にその物 体の単位質量が吸収するエネルギーの量で表し ます。この単位は、グレイ(Gy)を使います が、1Gyは、放射線を受けた物体の1kgが1ジュ ール(J)のエネルギーを得た場合、すなわち、 1グレイ=1ジュール/kgを意味します。この 量は、放射線や物体が何であっても適用するこ とができる最も基本的な単位です。 しかし、人体への影響という観点からは、も う少し違った量を定義した方が便利です。とい うのは前に述べた放射線の種類やそのエネルギ ーによって、同じ吸収線量でも人体への影響が 大きく異なるからです。これを定義する量とし て等価線量という単位が用いられ、この単位と してシーベルト(Sv)が用いられています。 言い換えれば、放射線の生物学的な影響が比較 的良く分かっているガンマ線を基準にして、そ の影響まで考慮した放射線量ということになり ます。ガンマ線とベータ線では1グレイ=1シー ベルトです。しかし、アルファ線は重い粒子の ために、透過力が弱く人体に直接当たっても皮 膚を通過することはほとんどありませんが、吸 飲したりして一度体内に取り込まれると細胞中 のDNAに与える損傷(これを内部被ばくとい う)は、ガンマ線よりも桁違いに大きいことが 知られています。したがって、アルファ線に対 しては、1グレイは20シーベルトに相当すると しています。また、中性子線も生物学的影響が 大きく、影響は中性子のエネルギーによって異 なりますが、1グレイは2.3∼20シーベルトに相 当します。このように、人体に与える影響を含 めて表現できることから放射線の安全管理の分 野では、シーベルトが用いられています。実際 にはシーベルトという単位は大きすぎるので、 その千分の1を表すミリシーベルト(mSv)と いう単位が広く用いられています。 6.自然放射線 前述したように、地球上、あるいは宇宙には、 もともと様々な放射性物質が存在していて、私 たちはこのような放射性物質から放射される自 然放射線を受けています。自然放射線には、① 宇宙からくる放射線、②大地から来る放射線、 ③地下から放出される放射性気体からでる放射 線、④食物中に含まれる放射性物質からでる放 射線などが含まれます。自然放射線に加えて、 病院でレントゲン検査をすれば、人工の放射線 を受けることになります。そのほか、核実験に 由来する放射性降下物からの放射線、微量です が原子力発電に由来する放射線などがありま

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す。それらの量を比較したのが図2です。 日常生活で受ける様々な放射線を比較してみ ましょう。医療ではかなりの量の放射線を受け ています。胸のエックス線検診では、年間の自 然放射線の3分の1位、胃の検診では1回に自然 放射線の4倍ほどの量を受けている勘定になり ます。 宇宙線は自然放射線の一種です。これは、太 陽で起こっている原子核反応によって発生した ものと、銀河系を含めて遠くの星雲系で発生し たものとがあります。空の高いところでは宇宙 線の強度は強く、地表では弱くなっています。 これは、空気が宇宙船を吸収してその強度を弱 めるからです。ですから、飛行機でヨーロッパ まで行って来ると飛行機の中で0.07ミリシーベ ルト位の宇宙線を受けることになります。 地球の深いところにあるマグマにはたくさん の放射性物質が含まれています。その重い成分 は地殻の深いところで固まって花崗岩(みかげ 石)になり、地殻変動で地表にでてきます。花 崗岩には重金属や、放射性物質が多く含まれて おりそこから放射線がでてきます。花崗岩の多 いところは、放射線量も多くなるため、日本の 各地で受ける自然放射線の量は、地域によって 多少異なることになります。下の日本地図(図 3)には、各地の放射能量の違いを数値で示し てあります。 地球にはウランが存在しますが、放射線を放 出して違う元素へと変化していきます。これを 原子核の崩壊といいます。ウランの一部は何回 ■図2 ■図3 自然放射線 2.4 医療放射線 0.4∼1.0 単位:ミリシーベルト/年(一般人、世界平均) 放射性降下物 0.01 原子力発電 0.0002 (単位:ミリシーベルト/年) 図中の数値には、ラドンの吸入による 放射線量は含まれていません。 0.89 0.98 0.91 0.86 0.91 0.99 0.94 1.04 1.02 0.85 1.06 0.90 0.90 1.02 1.04 1.19 1.17 1.03 1.03 1.09 1.06 1.10 1.03 1.01 1.10 1.06 1.00 0.95 1.03 0.98 0.98 1.13 1.10 0.99 1.18 1.07 1.07 1.08 1.16 1.02 1.07 0.91 0.00 0.98 1.09 1.06 0.92 1.08 0.95

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か崩壊して、ラジウムという元素になります。 これは温泉でおなじみです。このラジウムはも う一回崩壊してラドンという気体状の放射性元 素へと変化します。このラドンが地表からしみ 出し、一部が吸入されて放射線を浴びることに なります。 7.放射線の人体への影響 放射線が人体にあたると、人体を構成する細 胞の中のDNAを切断するなど直接損傷を与え たり(直接作用)、細胞中に含まれる水分子に 作用して活性酸素のような遊離基を作り、この 遊離基がDNAに作用して損傷を与えます(間 接作用)。通常、人間の体はDNAの損傷をすぐ に元通りに修復しようとします。しかし、① DNA損傷が致命的で細胞が死亡してしまう場 合や、②DNAが間違った形に修復されてしま う場合があります。前者①の場合でも、受けた 放射線が少なければ、死亡した細胞は周囲の正 常な細胞の分裂によって置き換えられ、組織や 臓器に影響が現れることはありませんが、放射 線が多く死亡した細胞が多くなれば様々な障害 が現れます。このような影響は、次に説明する 「確率的に現れる影響」と区別して、「非確率的 影響」と呼ばれています。一方、後者②のよう な間違った形に修復された細胞が生き続ける と、いくつかの段階を経て、体細胞ならばがん や白血病に発展する可能性がありますし、また 生殖細胞ならば遺伝的影響を与える可能性があ ります。この影響は、受ける放射線量が少なく ても、少数の細胞に起こる突然変異が原因で確 率的に影響があらわれることから、「確率的影 響」と呼ばれています。また「非確率的影響」で は、大部分の影響が早期に現れ、「急性傷害」を もたらしますし、「確率的影響」は、長期の潜 伏期間を経て発現することが多く「晩発性傷害」 をもたらします。下表に、受けた放射線量とそ れによる急性傷害による影響を示します。0.5 シーベルト以下では急性傷害が現れませんが、 上で述べたようにDNA損傷を受けた細胞が修 復されたために臨床症状が現れていません。 しかし、「確率的影響」は、急性傷害が現れ ない0.5シーベルト以下でも、表1のように線量 の増加に伴って発生の確率が大きくなると言わ れています。現代社会では、放射線以外の様々 な要因で、がんや白血病が発生していると言わ れています。そのため、自然発生率より低い線 量の場合には、必ずしも同じように直線的に増 加するかどうかははっきりしませんが、安全の ために直線的に変化すると考えています。法律 では、容認できるレベルとして、一般の人に対 する線量限度を年間0.001シーベルト(1mSv/ 年)としています(図4)。 8.被爆の許容量と基準値の決定 放射線防護の基本的考え方や基準は、国際放 射線防護委員会(ICRP)の勧告として示され、 各国の放射線安全規則などに採用されていま す。ICRPは、1928年に設立された放射線影響 に関する専門家の集まりであり、この勧告が各 国政府に尊重されてきています。ICRPによれ ば、放射線防護の目的は、非確率的影響を防止 し、確率的影響の発生を容認できるレベルに制 限することであるとしています。基本的な考え として次の3つを掲げています。 ①放射線被ばくを伴う行為は、いかなる行為も 正味でプラスの利益を生むのでなければおこ なうべきでない。 ②すべての被ばくは、経済的及び社会的な要因 を考慮に入れながら、合理的に達成できる限 り低く(as low as reasonably achievable: ALARAの考え方)保たなければならない。 ③個人に対する線量等量は、委員会の勧告する 限度を超えてはならない。 ■表1 線量(シーベルト) 急性影響 7Sv以上 100%死亡 7∼3 皮膚障害   3∼1 はきけ、倦怠感、脱毛 1∼0.5 白血球の一時的減少 0.5Sv以下 臨床症状はない

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