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ゆかちゃん 安らかにお眠りください

ドキュメント内 文集6号 (ページ 31-106)

骨髄バンク全国キャラバン隊の北のスタート 地点は釧路、ということになったんだそうです。

その知らせは、我々釧路のメンバーの両肩に 重くのしかかってきました。いったい、どうや って人を集めよう、どうやって話題性を高めよ う、どうやって市民に知らせよう……。大きな 広告をうつのか、今話題のタレントを連れてく るのか、はたまた新しいイベントを作り上げて しまうのか。どれもこれも、金も力もない我々 にとっては、容易なことではありません。しか し、神は我々を見捨てはしませんでした。キャ ラバン隊の出発式の7月18日は、釧路の青年会 議所が中心になって行っている「くしろ霧フェ スティバル」の最終日と重なっていたのです。

これしかない。我々のターゲットは、この

「霧フェスティバル」便乗にしぼられました。

すぐに霧フェス実行委員会に掛け合い、丁度お 昼の時間、1時間くらいの舞台のスケジュール をいただくことの交渉をし、まず、舞台は確保。

ここに、釧路市長をはじめ、釧路のお歴々を登

壇させ、全国協議会からのアピール文を渡して、

キャラバンカーを見送れば、一応はカッコがつ くだろう……ということになりました。

しかし、式典だけではもの足らない、誰も見 てくれない、企画力が疑われる……。で、みん なで考えたのが、子供の手助け……。幸い、

我々の仲間に、釧路で子供ミュージカルのチー ムを指導している女性がいて、彼女にHELPの 電話。

骨髄バンクの応援ならば、ということで、快 く了承してくれて、さっそく舞台での歌や踊り の打ち合わせ。

それから数週間、彼女は子供たちと何度も練 習を繰り返してくれました。本番の2週間ほど 前に、練習風景を見に行った小生は、子供たち のひたむきさ、一生懸命さに心を打たれ、不覚 にも涙を流してしまうという失態を見せてしま いました。それほどに目の前で歌い、踊ってい る子供たちの姿は愛らしく、この歌声をぜひ、

白血病などで病床にいる子供たちにも聞かせて あげたいと思ったのでした。「君と僕は友達だ ろ」とか「さあ、元気を出せよ」という様な歌 詞が、ふんだんにちりばめられている歌に感激 した小生は、早くも本番の舞台のできばえを想 像したりしてしまいました。

さて、本番当日。午前中に海部会長が東京か ら釧路空港に到着され、準備もばんたん。子供 たちも(約50人)、舞台のわきに待機完了。観 客も報道陣も徐々に多くなり、三菱自動車提供 のドナー号も会場に到着し、人混みをかき分け ながら舞台の左下にスタンバイ。市長も会場に 到着し、海部会長と固い握手。もう、その頃に は、舞台の前は観客と記者とカメラとで大混乱。

全国キャラバン

ドナー号の軌跡

出発当日、海部会長と筆者(右)

ドナー号出発余話

ドナー号出発余話

D号at釧路 7/18〜D号at釧路 7/18〜

続木敏博  Toshihiro Tsuzuki

釧路骨髄バンク推進協会

定刻になっても、人混みでだれも舞台に上がれ ない状態。

あわてて、その辺の人を振りきって関係者を 舞台に上げ、ようやく式典の開始。まず最初に 1曲、子供たちの歓迎の歌でご挨拶。大きな拍 手をもらい、予定通りにスケジュールは進行。

ドナー号のキーも釧路三菱の社長さんから海部 会長、そしてドライバー山中ひろみさんの手に 渡り、車の方も出発準備OK。

最後にまた、子供たちの歌声があり、歌の終 了後、いっせいに「いってらっしゃーい」のか け声。その声に答えるようにクラクションを鳴 らしながら、ドナー号は静かに動き出したので した。

予定されていた演出は全て予定通りに展開さ れ、会場に大きな感動を残しながらドナー号は 一路、北見まで……。

さて、小生はというと、何と、このドナー号 に乗せられて一緒に北見まで……。この日の夕 方から、別の会議が入っているというのに……。

「早く北見に着いてね。早く帰ってこようね。

ねっ……、ドライバーさん……、急いで下さい ね!」という、私の切なるお願いにも関わらず、

私たちが釧路に戻ってきた時には日もとっぷり と暮れ、その重要な会議はもう終わり、誰も私 を待っている者はいなかったのでした。

メデタシ、メデタシ……。 メデタシ、メデ タシ……。

「キャラバンの目的は、県庁所在の長にアピー ル文を渡すことだけ。あとはキャラバンカーを 好きなように使って下さい」

「好きなようにってどのように?」

「何をどうするかは、そちらでお考え下さい」

こんな感じでキャンペーンがスタートしたよ うな気がします。

「こんなことで大丈夫かな、いやもしかしたら 面白いかも知れない」

そこで北海道協会として各支部長さんにお願 いしたことは、「事故のないように車を確実に

次の支部に引き継ぐことが第一。キャンペーン の計画はくれぐれも無理をしないように」でし た。

ところがです。釧路市、北見市、帯広市、旭 川市、札幌市、苫小牧市、函館市の7支部(7地 域)が7月18日から7月23日まで7支部全部が各 市長にアピール文を手渡し、4支部が登録者の 受付を行い105名に及ぶ登録を実現させてしま ったのです。

すべての企画は綿密であり、創意と工夫に満 ちたものでした。熱意のあまりいろいろとエキ サイトする場面もありましたが、北海道のボラ ンティアの皆さんの力量には脱帽するばかりで した。

北海道協会としても、「知事と議長にはアピ ール文を渡しましたよ」と涼しい顔をしている わけにもいかず、ついに未発表だった骨髄バン クイメージソング「ビリーブ」の発表をかねて 当日の7月21日の夜札幌市において「神山慶子 ハートフルコンサート」を開催、527名の市民 を集めてキャンペーンを成功させることができ ました。サブタイトルは「北海道に元気と勇気 を」でした。

日本全国を横断するという壮大な構想を実現

ボランティア力量に脱帽 ボランティア力量に脱帽 武田重幸  Shigeyuki Takeda

北海道骨髄バンク推進協会

D号at札幌 7/20〜

D号at札幌 7/20〜

道庁前庭でのアピール文提出

させたのは全国協議会の大きな決断だったと思 いますが、さらに言うならば、あまり細かいこ とを言わず全国のボランティアの皆さんを信頼 し、その主体性にゆだねたところに成功の秘密 があったような気がします。

もしそのことを事前に承知していたとした ら、全国協議会の目論見は見事に功を奏したこ とになるのですが、私には仕掛け人、野村委員 長のあの顔が目に浮かびます。

当地苫小牧に「全国キャラバンカー」が7月 22日(木)に入ると言う連絡を受け、しかも4 時間のみの滞在ということでした。

沖縄・釧路での出発式では、盛大なセレモニ ー等を予定している模様との情報が入ってくる と、苫小牧としても何とか市民に「全国キャラ バン」をPR出来ないものか色々試行錯誤した 結果、市民の方々が多数集う市役所ロビーをお 借りして、セレモニーをはじめ集団ドナー登録 受付(目標50名)を行うことに決めました。

集団ドナー登録は、当会初の試みでしたので、

市役所及び保健所への協力依頼や登録会場の確 保等では困難が予想されましたが、双方とも非 常に好意的に対応して下さり、無事準備を整え ることができました。

後は、いかに当日のドナー登録者50名を確保 するかが課題でした。というのは苫小牧保健所 での昨年1年間の登録者数が28名だったからで す。苫小牧保健所でのドナー登録受付日が、第 2・第4の火曜日となっているため、日赤血液セ

ンターのある札幌市、室蘭市(両市とも車で1 時間位で行けます)で登録をする方が多いのが 現状だからです。それだけに普段の私たちの活 動が、どのくらい市民の方に浸透しているかを 問う機会でもありました。まず、ドナー登録呼 びかけのチラシを作成し、大型スーパー店前で のチラシ配りを行い、地元新聞社には「全国キ ャラバン」関連記事掲載のお願い等を行った結 果、前日までの登録予約は23名になりました。

正直言って、前日までの予約者を入れて最終登 録者数が30名には来て欲しいとの思いで当日を 迎えることになりました。

今年の北海道は記録的な猛暑続きで、当日も キャラバンカーを迎えるのにふさわしい暑い朝 から始まりました。午前10時から市役所正面玄 関前で、アピール文の伝達等のセレモニーと同 時に1階ロビーではドナー登録受付を開始しま した。登録受付開始と同時に数名の登録希望者 が待機して下さり、「ひょっとしたら50名登録 達成?」を感じさせる雰囲気の中でスタートし ました。

登録受付が順調に進みかけた時、問題が起き てきました。

一つめは、登録したいが時間がない。ビデオ を見なくても骨髄移植については理解している ので、問診、採血をして欲しいという方が数名 おり、我々としては、骨髄移植を理解している のであれば登録受付を受けてほしいとの思いが ありましたが、保健所としての見解は「ビデオ を見てもらうのは絶対条件」とのことで、一時 私たちと険悪なムードになってしまいました。

結局その方々には事情を説明して、後日保健所 での登録をお願いしました。

滞在4時間、集団ドナー登録 滞在4時間、集団ドナー登録 矢嶋 翼  Tsubasa Yyajima

苫小牧骨髄バンク推進会

D号at苫小牧 7/22 D号at苫小牧 7/22

全国キャラバン時、苫小牧市役所に於て

ドキュメント内 文集6号 (ページ 31-106)

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