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より一層のご支援へのお願いより一層のご支援へのお願い

ドキュメント内 文集6号 (ページ 106-112)

より一層のご支援へのお願い

海部幸世

全国骨髄バンク推進連絡協議会会長

「昭和63年7月20日、長女千華子が中学3年生で 信州への修学旅行を6日後にひかえた日のこと でした。少し風邪気味だったため近くの医院に 行くと休診、その足で総合病院に向かいました。

そこで血液検査をして娘が診察室の中にいる 間、待合室にいた私に「白血病に間違いないと 思いますので明日三重大学病院に入院して下さ い。」と医師に告げられたのです。」……病院か ら主人に連絡しました。夫はこの日の朝もいつ もと変わりなく娘が登校する姿を見ていたし、

この日病院に行っていることも知りませんでし た。さぞかし私以上にびっくりし、ショックも 大きかったことと思います。

これは、妻が娘との闘病生活を「亡き娘との 5年間」と題して書いた闘病記の書き出しです。

この日から娘と、私たち夫婦の白血病との戦 いが始まりました。

娘は慢性骨髄性白血病で、骨髄移植が唯一の 治療法と知り、家族のHLA検査を行いました。

全員が不適合でした。当時の患者家族の多くが たどる希望のない日々が始まりました。しなけ ればならないことは、白血病についての俄か勉 強、でもわかればわかるほど絶望感がつのる暗 闇の毎日でした。しかし、大谷貴子さんとの出

会いがありました。骨髄移植で元気になられ、

自らが骨髄バンクの必要性とその設立に向けて 第一歩を記すシンポジウムに参加することがで きました。骨髄バンクという新たな目標がある ことを知りました。さらに、私はすばらしい多 くの同僚、医療関係者等の方々にめぐまれてい ました。特に庄司さんには、「三重県骨髄献血 希望者を募る会」の発足にむけて、また財団設 立後は、「勇気の会」に組織変更して、普及啓 発の中心として活動していただきました。そし て、私自身も全国協議会への参加により、さら に多くの方々にお会いすることができました。

また、多くの方との別れもありました。三重県 で初めてのシンポジウムに参加していただいた 磯さんをはじめ多くの方のお顔が浮かび、骨髄 バンク設立前夜の嵐の時代を思い出します。今、

ドナー探しに奔走することもなく移植が受けら れる時代が来ました。骨髄移植が普通の医療と なってきたことを感じます。

私は現在、鈴鹿保健所に勤務しています。行 政として献血と、骨髄バンクの普及啓発を所管 しているという複雑な立場にありますが、ドナ ー登録30万人を目指して頑張っていきます。

私と骨髄バンク運動

骨髄バンクへのわが思い

海住康之  Yasuyuki Kaijuu

勇気の会(三重県骨髄バンク推進連絡会)

●はじめに

全国骨髄バンク推進連絡協議会(以下、全国 協議会)は、運動の理念の一環としている 者の救済 実現の方策のひとつとして、患者関 係者が求めている知識・情報を提供する常設の

「相談窓口」として、1996年7月より、電話によ る患者相談「白血病フリーダイヤル」を行って きました。

寄せられた相談をもとに、1999年8月末に

「白血病と言われたら−病初期の患者さん・ご 家族に向けて−」を発行することができました。

これはひとえに、全国の認定病院医師をはじめ 全国加盟団体および編集委員の方のご協力とご 支援の賜物です。

半年を経過した今、感謝とお礼の気持ちを込 めて振り返ってみたいと思います。

●発行に至る経緯

われわれは、調査機関でも、研究機関でもあ りませんが、相談を受けることで患者さんが抱 えている問題を浮き彫りに、広く社会に訴え、

改善していくための代弁者としての役目を担っ ていると思っています。したがって、開設以来、

毎月の相談状況・内容を集計し、問題点の整理

と総括を行ってきました。

それを元に、開設から2年が経過した時点で、

患者さんとご家族向けに冊子を作製しようとの 話が持ち上がったのです。開設当初からこのよ うな計画があったのかどうかは定かではありま せんが、私が前任者の新田恭平さんから引き継 いだ時点では、この話は既に決定しており、

「えっ! 知らなかったわー」と愕然としたの は言うまでもありませんでした。

しかしながら、私も相談員として関わってい たなかで、患者さんやご家族にもっと身近に知 りたい情報をコンパクトに網羅したものの必要 性を感じていました。

ということで、まずは、いままでに寄せられ た相談から、病初期の患者さんとご家族に向け ての小冊子の作製がスタートしたのです。

●発行の目的

白血病などの重い血液疾患は突然に発症し、

古くからの知識では助からない病ということ で、患者さんはもとよりご家族の皆さん全員が、

パニック状態に陥り、暗澹たる想いに沈み、そ して情報収集に走り回るというのが通常のパタ ーンのようです。こうして、「白血病フリーダ

患者向け小冊子「白血病と言われたら」発行顛末記

『もしもし……』から始まって

村上順子  Murakami Junko

全国骨髄バンク推進連絡協議会・運営委員

イヤル」に辿り着いた患者さんに、

1) あなたをサポートしようとしている仲間 がいる ことを伝える、

2)患者さん・ご家族と医療従事者との円滑 なコミュニケーション手段・手引きとし て、

3)患者さん・ご家族への公平で広域な、よ り具体的な情報提供、

4)医療機関および医療従事者への、患者環 境改善要求の提言として、

5)他の患者サポート支援団体との連携を図 る、

以上、5点を大きな目的として企画を立てま した。

●企画・編集までの経緯

掲載内容は、蓄積された相談内容を分析する ところから始まりました。すると、不思議なこ とに、①相談者と患者さんの関係、②患者さん の疾患と治療段階、③相談者の地域、④相談内 容ともに、その比率が開設以来殆ど変化なく推 移しているのです。唯一、経済問題が、1997年 12月、財団の中に厚生科学研究班「患者さん相 談窓口」が設置されてから僅かながら減少して います。しかし、決して患者さんたちの経済状 況が改善されたわけではありません。かえって、

深刻になっており、あきらめ感が強まっている ように感じます。時は流れても、ある日突然に 患者や患者家族になってしまった方たちの、苦 しみ・悩み・痛みをみた思いが致しました。

相談内容は、○

A

治療方法・治癒の確率、○

B

気の見通しが略同比率(30%)でトップにあり、

次に○

C

医療費・関連福祉支援制度の紹介(7%)、

D

疾患の理解(6%)、○

E

適切な病院紹介(5%)、

F

ドナーおよび骨髄バンク関連相談(3%)と 続きます。相談者の気持ちの吐露と共感は、す べての相談にあるのはいうまでもありません。

そこで、冊子掲載内容は、おおまかに、①各 疾患の解説と理解(治療法も含む)、②患者さ ん・ご家族と医療従事者との関わり方、③患者 さんとご家族の関わり方、④各支援制度と支援

状況、⑤医療費、⑥骨髄バンク認定施設の状況、

⑦Q&Aとしました。

●編集時の泣き笑いエピソード

◆1.どんな冊子を作りたいのか?

冊子作成は決定したものの、人の生命に関わ る冊子を作るということは大変な重圧となりま した。その上、全国協議会運営委員以外では、

編集委員に名乗りをあげてくださったのは「白 血病フリーダイヤル」の前責任者の新田恭平さ んのみと厳しいものでした。というのも、相談 員の中には現患者、元患者、元患者家族という、

正に当事者であったり、当事者であった現実が あるが故の苦しみがあるのです。モノを創ると いう作業は正に辛い・苦しい体験をなぞるとい う側面もあります。「白血病フリーダイヤル」

で相談者と会話するという過程で、相談員自身 が癒しを得ていることも多くあるのです。

さて、どうにか編集委員会を結成し、第1回 編集委員会を1998年8月8日に開催致しました。

先ずは、どんな本を作るか?

いつでも・どこでも・誰にでも読んでいただ ける冊子にしたいと決定したものの、問題は山 積しています。表紙は優しい・心が癒されるよ うなものに、片手で持って読めるものに、そし てできれば無料に等……希望はどんどん膨れ上 がりました。

表紙は、編集委員の知人であるプロのイラス トレーター安藤久美子さんが快く引き受けてく ださり、挿絵は、現患者さんである城戸重美さ んが「患者でもこうして楽しみ・生きがいを見 つけ出すことができることを伝えたい」と、書 き溜めてあったものを提供して下さいました。

印刷・製本も三報社印刷さんがボランティア価 格で引き受けて下さり、ハードはなんとか整っ てきたものの、問題はこれからでした。

◆2.われわれが作れるものとは?

なにしろ患者さんやご家族が最も知りたいこ とは、憎き病そのものであり、病を退治してく れる病院であり、医師なのです。われわれは、

ドキュメント内 文集6号 (ページ 106-112)

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