揺らぐ公的年金と高まる自助努力の必要性 2014 年 6 月に厚生労働省より公的年金の財政検証結 果が発表された。今回は複数のシナリオを公表したた め、メディアの評価にもばらつきがあるようだが、今 回の検証結果を一言でいえば、「アベノミクスが機能 せず女性や高齢者の社会参加が進まなかった場合に は、所得代替率が 50% を割れる可能性が高い」とい うことだ。また、あまり報道では強調されていないが、 出生率が低位のシナリオが実現してしまうと、たとえ アベノミクスが上手く行っても所得代替率は 50% を 割れてしまう。このように、公的年金の財政検証結果 を見ると未来は決して楽観できないことが認識でき る。実際に個人にはどのような影響があるのか? 図表 1は、女性と高齢者の社会参加が進んだ場合(ケー ス E)と進まなかった場合(ケース G)について将来 2014 年 9 月
確定拠出年金における運用目標は想定利回りで良いのか?
インフレ局面における確定拠出年金の運用を考える
後藤 順一郎 アライアンス・バーンスタイン株式会社 DC 推進室長 各世代が受け取れる年金額を今の価値で表したもの である。これを見ると明らかなように、女性と高齢 者の社会参加が進んだ場合であっても、30 − 40 代は 年金額が今の受給者よりも現在の価値で 4 万円程度下 がってしまうことになる。つまり、同じ生活水準を望 むのであれば、その分、自分自身で準備する必要が生 じるということだ。 では、それを何で準備するのが適切なのか。確定給付 企業年金は受給額が確定しているため自分自身では どうにもならない。自分で対応可能なのは、個人投資 の枠組みでいえば今年から始まった少額投資非課税 制度(NISA)、そして企業年金では確定拠出年金が代 表的な制度である。ここでは、より老後の資産形成に 適した確定拠出年金における資産運用の在り方につ 21.8 21.8 20.8 20.8 20.3 19.919.8 18.9 19.1 18.118.2 17.217.6 16.317.6 15.6 65 60 55 50 45 40 35 30歳 女性と高齢者の社会参加が進んだ場合(ケース E) 女性と高齢者の社会参加が進まなかった場合(ケース G) 図表 1: 現行制度において将来、各世代が受け取れる年金額 妻が専業主婦の夫婦の場合(万円) 出所:「平成 26 年財政検証結果関連資料」、厚生労働省、平成 26 年 6 月に基づき、アライ アンス・バーンスタインが作成いて考える。特に、アベノミクスを契機にインフレ が従来以上に現実味を帯びてきたことを踏まえ、確 定拠出年金における運用目標と想定利回りの関係に 焦点を当てる。 確定拠出年金の運用の現状 上述のような厳しい状況が想定される中において、 加入者は適切な資産運用ができているのだろうか? ご存知の方も多いと思うが、ほとんどの加入者は適 切な運用ができていない。 2014 年 3 月に企業年金連合会が公表した「確定拠出 年金制度に関する実態調査」によると、資産残高の うち元本確保型に預けている割合が 61.6%で、株式 投信などリスク資産に投資している割合は 38.4%で あり、リスクを取りつつ資産を増やすという発想が まだ根付いていないことが伺える。また、図表 2 の 加入者の確定拠出年金における通算利回りを見ても、 国内外で良好な運用環境が続いているにもかかわら ず、0 − 1%の実績となっている人が圧倒的に多く(全 体の 44.6%)、そもそも運用自体を行っていない人が 非常に多いことが推察される。 確定拠出年金と想定利回りの関係 このような中、確定拠出年金を導入している各企業 では、加入者を適切な投資に導くべく、制度設計時 に設定した想定利回りを運用目標とするよう教育し ている場合が多いのではないだろうか。これはもは や業界慣行にもなっていると言っても過言ではなく、 想定利回りを目標とすることに対し、疑問を持って いる人は多くないだろう。 だが、これは明らかに間違いだ。理由は後で論じる として、なぜこの概念が業界慣行になるまで普及し てしまったのだろうか? その原因は日本における 確定拠出年金の導入の仕方にあると考えられる。日 本では退職金制度からの移行という形で確定拠出年 金を導入する企業が多いが、その際、定年退職時点 で確定拠出年金と一時金額が同じ水準になるように 掛金と想定利回りを設定するのが一般的だ。これは 事業主と加入者のリスク負担を決めるために必要な プロセスであり、例えば想定利回りを高く設定すれ ば掛金は低く事業主負担は軽くなる一方、高いリター ンを運用で獲得しなければならない加入者の負担は 重くなる。逆に、想定利回りを低く設定すると掛金 が高くなり事業主負担は重くなるが、低いリターン で運用すればよい加入者の負担は軽くなる。このよ うに想定利回りは事業主と加入者の間の負担割合を 決めるものであることから、確定拠出年金導入の際 の労使交渉において争点となる場合が多い。 ちなみに、先ほども引用した「確定拠出年金制度に 関する実態調査」によると、直近の想定利回りの平 均は 2.04%となっている。労使ともに、加入者の退職 一時金額が制度の変更前後で下がらないようにした いとの共通の想いがあるため、自然と加入者にとっ ての運用目標として想定利回りを提示することが一 般的となったのであろう。 インフレの脅威 ここまでの話の展開に疑問を感じる人は、おそらく あまり多くないと思われる。だが、問題は“交渉時点” での退職一時金額を一致させている点にある。確定拠 出年金の制度発足当初に確定拠出年金を導入した企 業の加入者であれば、加入して早 10 年以上が経って いる。この間、日本はいわゆる“失われた 20 年”の真っ ただ中で、デフレの時代だったこともあり、労使と もに 10 年前の退職一時金額をそのまま目標としてい ることに何の違和感もなかっただろう。しかしなが ら、今はアベノミクスによってこのデフレの時代が 終わりつつある状況で、今後は緩やかなインフレ局 ‒5% 以上 ‒4% 未満 ‒4% 以上 ‒3% 未満 ‒3% 以上 ‒2% 未満 ‒2% 以上 ‒1% 未満 ‒1% 以上 0% 未満 0% 以上 1% 未満 1% 以上 2% 未満 2% 以上 3% 未満 3% 以上 4% 未満 4% 以上 5% 未満 5% 以上 6% 未満 6% 以上 7% 未満 7% 以上 8% 未満 8% 以上 9% 未満 9% 以上 10% 未満 10% 以上 0% 10% 20% 30% 40% 50% 図表 2: 確定拠出年金加入者の通算利回り分布 2013 年 3 月 31 日現在 出所:年金情報 2014 年 5 月 19 日号
インフレ時は想定利回りを達成するだけでは不十分 ここで、ある企業 X 社の確定拠出年金を考えてみよ う。X 社は数年前に退職金制度を確定拠出年金に移 行し、その時の想定利回りは労使交渉の結果 2%とし た。同社の定年退職時の一時金額は 2,000 万円、給与 水準は世間の平均的な水準(平成 25 年賃金構造基本 統計調査と同水準)で、給与に対して一定比率で積 み立てる制度となっている。この前提に基づくと掛 金率は 6.1%と計算される。 ではここで、ある加入者 A さんが 23 歳から 60 歳ま で会社からの一般的なアドバイスに則り、想定利回 りと同じ 2%を目指した運用を実施し、見事にその通 りのリターンが実現したとしよう。 図表 4 の左に示したように、インフレが全くない状 況(インフレ 0%)では、予定通り A さんの確定拠出 年金の資産残高は 2,000 万円で退職金制度の一時金額 と同水準となり、老後のプランに影響はない。 次に、1% のインフレが入社時点の 23 歳から 60 歳ま で続いた場合を考えてみる。入社当時の 2,000 万円と 同じ購買力を持った金額を 60 歳時点でも確保したい ならば 2,890 万円必要となるが、A さんは想定利回り の 2%で運用できたにもかかわらず、確定拠出年金の 資産額は残念ながら 2,444 万円にしかならなかった。 面に入ると言われている。実際、今年の 6 月に公表 された公的年金の財政検証結果でも、インフレの前 提を 0.6 − 2.0%と置いており、インフレを織り込む ことが浸透してきている。インフレ局面になると何 が問題なのかと疑問に思う読者も多いかもしれない。 インフレというのは商品やサービスの価格が上昇す ることであり、逆に言えば貨幣の価値が下がること だ。仮に年 1 − 3%程度のインフレが生じると、図表 3 のように当初 1,000 万円あった資産の実質価値は大 きく目減りし、3%のインフレが 30 年続いたとすると、 今の 1,000 万円は 30 年後においては 400 万円強の価 値しかないことになる。 今の勤労世代にはあまり実感のわかないインフレだ が、このように比較的マイルドなインフレであって も、長期に及ぶとのその影響は恐ろしいものとなる。 ちなみに、いわゆるハイパー・インフレが生じてし まうと、貨幣を持っていること自体がリスクとなる ため、人々はすぐに商品やサービスに変えようとす る。インフレがひどかったアフリカのジンバブエで は 2000 年代後半に物価が一日で 2 倍(貨幣価値は半 額)になったと言われており、人々はなるべく今日 中に商品を購入しようとしていたようである。日本 ではここまでの事態が起こることは想定しづらいが、 やはり長期で見るとボディブローのようにじわじわ と効いてくるインフレに対して何らかの対策が必要 な局面に入ってきていると思われる。そして、確定 拠出年金においても、その対策が必要なのである。 現在 経過年数 10年 20年 30年 1,000 905 820 744 820 673 554 742 552 412 図表 3: インフレが資産の実質価値に与える影響 資産の実質価値:当初 1,000 万円の場合(万円) 出所:アライアンス・バーンスタイン インフレ率 1% 2% 3% 図表 4: インフレ下における退職一時金水準と DC資産額 * インフレ率 0% の場合の 2,000 万円に相当する額。 出所:アライアンス・バーンスタイン 想定利回りと同じ 2.0%で運用した場合 資産額 インフレ0% インフレ1% インフレ2% インフレ3% 退職一時 金額 資産額退職一時金額* 資産額退職一時金額* 資産額退職一時金額* 100 2,000 2,000 2,444 2,890 3,013 4,161 3,742 5,970 85 60歳時点の必要金額(左軸、万円) 達成率(%) 72 63
達成率でいうと 85%程度だ。もちろん、ここでは A さんの給与はインフレと共に金額が上昇していくこ とを織り込んで計算しているのだが、なぜこんなに 達成率が下がってしまうのだろうか? 理由は、今後積み立てる掛金(将来分)については インフレを反映した額で積み立てることができるが、 これまで積み立ててきた資産(過去分)は想定利回 りの 2%だけではインフレには対応できていないから だ。2%の想定利回りを達成し、1%のインフレにも 対応するにはトータルで 3%のリターンが必要とな る。インフレが 3%ならば、想定利回り 2%とあわせ て 5%ものリターンが必要になる。図表 5にまとめて あるように、確定拠出年金では過去分について会社 は助けてくれないため、自分で運用目標を“想定利 回り+予想インフレ”とし、インフレから自己防衛 する必要があるのだ(コラム①参照)。 これまで日本で最も普及していた退職金制度は 「最終給与比例」、つまり退職時の給与に支給乗率 をかけることで退職金水準が決まる制度だった。 これは、給与がインフレに連動すると自動的に退 職金もインフレに連動するという、ある意味でイ ンフレ対応が組み込まれている制度だった。しか し、給与と連動していることに企業が負担を感じ 始めたため、1990 年代後半以降、給与とのつな がりを断つ目的で「ポイント制」にシフトにした 企業が多い。「ポイント制」では、職能や勤続期 間などで毎年ポイントが付与され、最終的に積み
コラム①:実はインフレ対応力が優れていた「最終給与比例」制度
上がったポイントにポイント単価をかけて退職金 水準が決まる。インフレが起こってもポイント単 価を変えない限りは、退職金水準は変わらず、「最 終給与比例」に比べてインフレ対応力が弱くなっ たのは否めない。ただ、「ポイント制」ではポイ ント単価の変更は過去に積み上げたポイントにも 影響するため、インフレに応じてポイント単価も 上がるなら、インフレ対応力はあると言える。一 方、退職給付会計の導入により普及した確定拠出 年金では、積み立てた資産をインフレから守るに は運用するしか無いのだ。 入社 入社 現在 現在 運用せず 想定利回り 想定利回り +予想インフレ 年齢 資産額 これまで積み立てた資産(過去分) 今後積み立てる掛金(将来分) 定年退職 図表 5: DC 資産の分解図(イメージ) 上記はイメージ図です。 出所:アライアンス・バーンスタイン 将来分 過去分 現在 定年退職 会社が給与を 通じてインフレ 調整 自分でインフレを考慮した 運用が必要加入者目線で投資教育をすべき この簡単な分析から、将来に今の一時金額と同じ価 値のお金を受け取りたいなら、想定利回りで運用し ていても十分ではないということが明らかになった と思う。一方、会社は想定利回りのみを運用目標とし、 それを達成できれば元の退職金制度と名目上“同じ 金額”を達成できるため、問題ないと考える。これは、 会社は加入者に対して今と“同じ価値”の退職一時 金を将来提供することは考慮しておらず、極論をす れば、労使合意に則っています、という会社側のリ スクヘッジのための目標でしかないのだ。 年齢によりリスクを取れる能力(リスク・キャ パシティ)は変わるため、人生を通じて常に“想 定利回り+予想インフレ”を目標とする必要は ない。一般的にリスク・キャパシティは若い時 ほど大きく、年を取るにつれて下がっていくた め、若い時には“想定利回り+予想インフレ”