自 治 体 学 Vol.33-2 2020.3
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1 はじめに (1)研究の背景 国は、観光が日本の成長戦略の柱として世界の観光需要を取 り込む観光立国の推進の方向性を示した。観光立国・観光先進 国の実現に向け各種の施策を展開している。一方で、観光まち づくりを推進する自治体においては、人口減少や少子高齢社会 の到来により、観光が自治体の持続可能な発展と住民の生活向 上に重要な役割を担う時代を迎え、まちづくりの真価が問われ ている。 東京に隣接し国の成長戦略を契機に、観光立県の実現を目指 しインバウンド観光客の誘致と観光消費額の増額を掲げている 神奈川県は、横浜、箱根、鎌倉の3つの観光拠点を有しており、 旅行者(ゲスト)が訪問する先として、興味は高いものがある。 一方、観光地(ホスト)としての恩恵と問題点の双方が混在し ている地域が存在する県でもある。 新たなコンテンツの創出やインバウンドの増加などにより、 経済効果やまちの賑わいが増している。有名観光地である鎌倉・ 江の島の観光エリアでは、道路の交通渋滞や閑静な住宅街に出 現した古民家レストラン・カフェ、アニメや映画のロケ地への 「聖地巡礼」など、メディアのPRも相まって多くの観光客が 流入している。良好な住民生活の環境が変化してきている一面 もある。今後も公私空間が観光空間に組み込まれる構図が拡大 するなど、生活環境や観光振興の阻害要因ともなる「オーバー ユース」や「オーバーツーリズム」「観光文化の変容」による 資源管理の問題を抱える地域が増加することが懸念される。 先行研究としては、観光庁の「観光地域づくり」政策の地域 主導型観光の推進組織のマネジメントのあり方を探る基礎資料 の研究(清水・海津・森重・九里、2017)で、ニューツーリズム、 観光地域づくりプラットフォーム、日本版DMO(Destination Management / Marketing Organization)の変遷を整理して いる。地域づくりのビジョンの中に観光振興を位置付けたうえ で、推進組織の役割を明確にする必要があること、オーバーツー リズムやオーバーユースの問題が浮上している地域があり、推 進組織のマネジメントにおいても地域の資源管理は軽視できな いとしている。具体的な地域を設定した研究はこれからである。 観光まちづくりとは何か 、「観光」と「まちづくり」の概念 的な枠組みを整理した研究(西村、2009. 2)と、「まちづくり」 が「観光」へ近接する「観光まちづくり」の歴史的展開を整理 した研究(岡村・野原・西村、2009. 3)では、外部資源(地 域外のヒト・カネ)の利活用が「まちづくり」の課題解決の一 助であることをあげている。持続可能な観光まちづくりの取り 組みとして、地域の担い手や仕組みづくりについては、現在に おいても課題となっている。 (2)研究の目的と意義 本研究では、具体的な地域として鎌倉・江の島の観光エリア を事例として、観光振興を進めながら、良好な生活環境の維持 や自然環境と歴史的資源の保全、交通、災害などに対応する安 全・安心な社会を両立させるには、これらの地域の問題を観光 の担い手となる各主体が共有し、協働による実効性ある解決方 法について、議論を通じて打ち出すことであると考えている。 ①行政と住民、事業者などが地域協働により地域資源を活かし、 豊かな生活環境を目指した各主体による継続的な協議の「場」 の必要性を明らかにすること。また、②地域協働による実効性 がある推進組織のモデル(持続可能な仕組み)を示すことを研 究の目的とする。持続可能な観光エリアとして発展できること と、観光まちづくりの問題・課題を地域協働の各主体が協議す る「場」において、合意形成をめざした議論の過程を「まちづ くりの思想」として地域の各主体に継承することにこの研究の 意義がある。 2 研究方法 (1)研究の対象地域の概要 本研究の対象地域の神奈川県の鎌倉・江の島観光エリアは、 鎌倉市と藤沢市の一部である(図1)。 ① 神奈川県の観光政策 2009 年 10 月に神奈川県観光振興条例を制定し、2010 年3 図1 神奈川県全県及び5つの地域圏区分図 平成30年度(2018年度)神奈川県観光客消費動向等調査報告書(2019.5.9発表) 出典:神奈川県HPから筆者作成研究ノート
公私空間における地域協働による
観光まちづくり推進組織のあり方に関する一考察
―神奈川県鎌倉・江の島の観光エリアを事例として―
嶋
しま村
むら豊
とよ一
かず(法政大学大学院)/上
かみ山
やま肇
はじめ(法政大学大学院教授)48
月に「観光立県かながわの実現」を図るため、地域経済の活性 化、観光客数の増加、観光消費額の増加を目的とした神奈川県 観光振興計画を策定した。 さらに、2016 年3月には観光振興計画第3期を策定し、 2019 年3月には将来の少子高齢社会に備えて「持続可能な観 光の実現」をコンセプトに観光振興計画(2019 ~ 2021 年度 の3年間)の改定を行った。観光客数の2億人の目標は 2017 年に1年前倒しで達成している(表1)。 ② 鎌倉市及び藤沢市の観光政策と「鎌倉・江の島の観光エ リア」の課題 鎌倉市の年間の延べ入込観光客数は 2018 年 1,987 万人で、 近年は、2,000 万人前後で推移している。第3期鎌倉市観光基 本計画(2016 年3月策定)では、誰も が「住んでよかった、訪れてよかった」 と思える成熟した観光都市を目指すと し、観光客数の「量」の増大よりも「質」 の向上を目指していく基本理念としてい る。 藤沢市は、鎌倉市に隣接し 2018 年の 年間の延べ観光客数 1,839 万人で増加 傾向にある。2011 年3月に、観光産業 の成長と観光立市藤沢の発展の目的で策 定された藤沢市観光振興計画では、戦略 ビジョンとして「藤沢らしさが光る選ば れる観光都市」を目指している。2015 年に東京 2020 オリンピック・パラリン ピック競技大会のセーリング競技会場に 江の島が決定した。 両市にまたがる本研究の観光のエリア は、観光客の周遊ルートが形成されてい る。国や神奈川県の観光政策などにより、 インバウンドの急増が今後も想定されて いる。研究の背景で述べた各種の喫緊の 問題が解決にいたっていないのは、取り 組みの実行体制と行政計画の進捗状況を 評価・管理していく推進管理の問題も内 在していると考えられる。 (2)調査方法 質的調査として対象団体に半構造化面 接によるヒアリング調査を行った。許可 を得たヒアリングの録音データから逐語 録を作成し、データの分析を行った。デー タの分析手法にはKJ法を使用してい る。 ① 対象者及び実施期間 2018 年 10 月 2 日 ~ 2019 年 7 月 8 日に、表2の対象者の職場に訪問し、ヒ アリング調査を実施した。対象者は、研 究対象地域で交通・観光事業を長年展開 している江ノ島電鉄(株)、伝統的工芸 品として国に認定されている鎌倉彫の後継者育成と普及活動な ど、産業と教育の発展に携わっている鎌倉彫協同組合、観光分 野の広域行政を所管する神奈川県観光企画課、研究対象地域で 活動している任意団体の鎌倉藤沢観光協議会事務局の4者とし た(表 2 参照)。なお、神奈川県については、全県の観光まち づくりの諸課題について、ヒアリングを実施したが、当該地域 の課題も取り扱った。 ② 調査内容 ヒアリングの主な質問内容は、カテゴリーのとおり「連携、 協働の取り組みについて」「課題の解決方策について」「観光の 推進組織について」「今後の取り組みについて」「広域行政につ いて」で、表3のとおりである。 表1 2014年~ 2018年の神奈川県入込観光客数の状況(推計) (単位:千人) 区 分 2014年 2015年 2016年 2017年 2018年 延観光客数 184,105 192,973 190,271 200,694 200,264 (▲0.3) (4.8) (▲1.4) (5.5) (▲0.2) 日帰り客数 168,709 176,954 174,238 184,044 182,350 (▲0.4) (4.9) (▲1.5) (5.6) (▲0.9) 宿泊客数 15,396 16,018 16,018 16,649 17,914 (1.1) (4.0) (0.1) (3.8) (7.6) ( )内の数値は対前年増減率 (%)をそれぞれ示す。 平成30年(2019年)神奈川県入込観光客調査結果(神奈川県HP 2019.8.5閲覧)から筆者作成。 業種分類 対象者のプロフィール A 江ノ島電鉄株式会社 交通事業者 観光部門の責任者 A氏 B 鎌倉彫協同組合 観光産業事業者 伝統的工芸品団体の責任者 B氏 C 神奈川県観光部観光企画課 地方公共団体 観光部門の観光施策の総合的企画及び調整の担当者 C氏ほか D 鎌倉藤沢観光協議会事務局 任意の観光推進組織 団体の理事 D氏 団体名 表2 ヒアリング対象者のまとめ 質問項目 対象 鎌倉・江の島地区の観光まちづくりの公私空間(公共空間と私有空間)にお ける連携、協働の取り組みについてどのように考えているか。 A氏 B氏 神奈川県内における観光まちづくりの公私空間(公共空間と私有空間)にお ける連携、協働の取り組みについてどのように考えているか。 C氏 懸案事項と喫緊の課題に何を挙げるのか。その理由と解決の方策をどのよう に考えるか。 A氏 B氏 課題の項目と解決の方策についてどのように考えているのか。 C氏 「オーバーツーリズム」「地域資源の管理と地域振興」などの具体的な課題 への取り組みを考えているか。 C氏 この地区の観光振興の推進組織(体制)の現状をどのように捉えているか。 今後はどのような手法が必要と考えているか。 A氏 B氏 各自治体の観光振興の推進組織(体制)の現状をどのように捉えているか。 推進組織の実態把握と県の役割や関わり方について。 C氏 地域DMOと地域連携DMOの役割分担の現状と課題について。 C氏 観光推進組織としての考え方について。 D氏 鎌倉藤沢観光協議会の今後の方向性について。 D氏 貴社(団体)の今後の観光の取り組みについて。特に鎌倉・江の島地区での 取り組みについて。 A氏 B氏 広域行政として神奈川県の観光振興における重点項目について。 C氏 県総合計画の5つの地域圏(地域行政センター)と観光振興計画の位置づけ について。 C氏 観光地(横浜・箱根・鎌倉・三浦半島・大山・大磯)のあり方をどのように 考えているか。 C氏 持続可能な観光まちづくりの視点を県としてはどのように考えているか。 C氏 県組織での他の部局との協働、連携の体制について。 C氏 カテゴリー 1 2 3 4 5 連携、協働の取り組みに ついて 課題と解決方策について 観光の推進組織について 今後の取り組みについて 広域行政について 表3 本研究で行った主な質問(対象のA氏~D氏は、表2に基づく)研究ノート 公私空間における地域協働による観光まちづくり推進組織のあり方に関する一考察 自 治 体 学 Vol.33-2 2020.3