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Review: Takashi Onuki, Eschatologie: vom Frühjudentum bis zur Gnosis

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Academic year: 2021

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論   評

大貫隆『終末論の系譜』

(筑摩書房、2019 年)

河 野 克 也

本書は、副題に端的に表されている通 り、「初期ユダヤ教からグノーシスまで」 にわたる聖書の終末論思想を扱った壮大 なスケールの通史である。「むすび」で 強調されるように、「聖書の終末思想」 を扱いつつも、新約正典 27 文書を優先 する価値判断から意図的に離れて、旧約 聖書外典儀典を含む初期ユダヤ教文書、 および「正統派」教会から「異端」の烙 印を押された教父文書やグノーシス主義 文書をも射程に収めたところに、本書の 特徴がある。また、現代思想と積極的に 対話している点も、同じく本書の特徴で ある。ヨハネ福音書の文学社会学的研究 と史的イエス研究を中心に、長年にわ たって日本の新約聖書学とグノーシス主 義の研究を牽引してきた、著者の研究の 集大成である本書が、専門分野の研究書 ではなく一般読者向けの出版であること は、一般向けの新書の企画にその起源を 持つこと以上に、教育者としての著者の 使命感に由来するものであろう。それは、 本書が扱う一つ一つの文書について、緒 論的な解説や解釈史における定説などが 丁寧に紹介されることにも現れている。 その意味では、本書は終末論の通史であ るとともに、新約聖書の歴史的概論とし て教科書的に使用することもできよう。 紀元前 8 世紀の預言者から紀元後 2 世 紀のグノーシス主義までの千年に及ぶ終 末論の歴史を辿る、550 頁を超える大著 を隅々まで十分に論評することは、紙面 と評者の能力を超えていることもあり、 また本書が省略した詳細な議論の参照元 である著者の先行研究『イエスという経 験』(岩波書店、2003 年/岩波現代文庫 版、2014 年)および『イエスの時』(岩 波書店、2006 年)については、すでに『新 約学研究』において論評がなされている こともあり(33 号、35 号)、以下におい ては、ごく簡単に本書の重要な貢献を指 摘しつつ、いくつか疑問に思われる点に 絞って論じることで、評者の責任を果た すこととしたい。 本書は、「はじめに」と「むすび」に 挟まれた本体部分において、第一部「初 期ユダヤ教の終末論」(1-5 章)、第二部 「イエスと新約聖書の終末論」(6-16 章)、 第三部「二世紀の終末論」(17-19 章) を扱う三部構成であり、中核をなすイエ スと新約聖書を扱う第二部に対して、第 一部は前史、第三部は後史といった位置 づけになろう。「通史」という言葉を使 いながらも、あくまでもイエスの「神の 国」宣教を終末論の中心に据えて、それ

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との距離感によって様々な時代・文書の 終末論を位置づけることで、「聖書の終 末論の多声性」(518)を描くことを試み る。 「はじめに」において、著者は全体の 見取り図を提供する。まず終末論をメシ ア待望(A)と黙示思想(B)の二つの 系譜に分類し、さらにそれぞれを地上的・ 政治的メシア待望(A1)と宇宙的メシ ア待望(A2)、宇宙史全体の行方への関 心(B1)と天上の神殿・玉座への関心(B2) に分類する。その上で、A2 と B1 を「実 質的に同じもの」(13)とすることで、 三類型に集約させる。イエスは A1 の地 上的・政治的メシア待望を「明瞭に退 け」る一方で、A2 / B1 および B2 の黙 示思想から「多くのイメージを繰り返し 借用して…独特なネットワークに編み上 げながら、…『神の国』の到来を宣べ 伝え」たとする(14)。つまり、イエス の終末論は黙示思想の系譜に位置づけら れる。これに対して、著者は二世紀のグ ノーシス主義の終末論を「新しい現象」 (個人的終末論・人間中心主義:18 章参 照)として、この系譜から切り離す(14)。 したがって、本書の論述は、黙示思想の 扱いが鍵となる。 第一部では、1 章で預言者の終末論を アモスの「終わりの日」の預言から説き 起こし、民族史を越えて世界史を志向し つつなお「世界史の内側」にとどまるも のとして特徴づける。しかし著者は、イ ザヤとエゼキエルに、世界史を超えて宇 宙史を志向する「天上の神殿の表象」を 指摘する。2 章では、前二世紀のアンティ オコスⅣ世の危機の時代における地上 的・政治的終末待望を、地上の神殿再建 とダビデの血統のメシア待望として特徴 づける。このダビデ系メシア待望が時代 を越えて受け継がれ、政治的に危険視さ れていたことを示すものとして、著者は イエスの血縁をめぐる後二世紀半ばのエ ピソードを紹介する(40-42)。 3 章は、1 章の終わりで言及したイザ ヤからエゼキエルへと展開する「天上の 神殿」を手がかりに、「地上的・政治的 終末待望」とは「別の終末論」として、 黙示思想を「合計 11 の文書を著作年代 順に 9 項目に分けて取り上げること」に よって描き出す(むしろ 9 文書群?)。 それらは、1『寝ずの番人の書』、2 ダニ エル書、3『ヨベル書』と『レビの遺訓』、 4『たとえの書』、5『スラブ語エノク書』、 6『アブラハムの黙示録』、7『イザヤの 昇天』、8『ゼファニアの黙示録』、9『ア ブラハムの遺訓』、『イサクの遺訓』であっ て、「その主たる内容は、…天上の神殿 あるいは王宮で玉座に座す至高神と、そ の至高神を取り囲む天的な存在(とりわ け天使)たちの姿を垣間見ることである」 (44)。ここで鍵になるのが、ペーター・ シェーファーの「上昇の黙示録」である。 著者はそれを「概念」として提示するが (45)、それは「空間軸(垂直軸)での移 動が決定的に重要」である点を特徴と し、「時間軸(歴史の軸)がどうしても 不可欠である」「宇宙史の終末論を示す 黙示文書から区別」される(44)。つま り、先の黙示思想の二系統で言えば、宇 宙自然体(B1)は時間軸(水平方向)型、 天上の神殿・玉座(B2)は空間軸/垂 直軸型となる。この上昇の黙示録の概念 化は、後段で改めて取り上げることにす る。著者は上記 9 文書群の粗筋を辿りな

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がら、イエスの「神の国」のイメージ・ネッ トワークを準備し、またそれと並行する ものとして、「人間が死んで肉体を離れ ると天に上り、天使のようになる」(77) という天使化(文書群 3, 4, 5, 7, 8, 9)と、 「死後ただちに起きる魂の復活と万物の 終末に地上で起きる身体の復活という区 別」(81-83、引用は 82)とを浮かび上 がらせる。さらに、「上昇の黙示録」が 描く天上の神殿は、地上の神殿に対する 批判の意図を持つ(文書群 1, 3, 5, 6)。 続く 4 章は、「宇宙史全体の行方を問 題にした終末論の系譜」を、『第四エズ ラ記』から抽出される定型場面(トポス) の分析を通して明らかにする。それらは、 ①神の正義への疑義、②神の予定と時の 升目、③終末の「しるし」、④超越的救 済者、⑤天上の義人たち、⑥諸国民の侵 攻と世界最終戦争、⑦メシアの中間王国、 ⑧万人の復活と最後の審判、⑨最初の創 造と新しい創造、の 9 つである。このう ちトポス⑨では、新しい創造が古い創造 の「置き換え」(断絶)であるか「変貌」(連 続)であるかとの問いを立て、「二つの 見方が並存したまま」であり、いずれに せよ「重要なのは宇宙史全体の方向性で ある」ことが指摘される(101)。ただし パウロを論じる 8 章では、「置き換えモ デル」の方が「ユダヤ教黙示思想では優 勢であった」と、結論が変更されている: 224)。『第四エズラ記』は、「上昇の黙示録」 の「『天上の神殿』の観念から距離を取」 りつつ、「創造論とも結びつき、イスラ エルの民族史も包含」する仕方で「全被 造物の行方に焦点を絞っている」ことに おいて、「初期ユダヤ教黙示文学の完成 形の一つ」とされる一方で(103-104)、 同様に上記トポスを網羅する『シリア語 バルク黙示録』は、「『天上の神殿』と主 人公の変容〔天使化〕の観念を積極的に 取り上げている」点で、イエスの「神の 国」のイメージ・ネットワークとより強 く並行する(110)。 5 章は、2 章で扱った旧約預言者の地 上的・政治的終末待望の延長として、「イ エス時代の政治的メシア運動」を扱い、 そこでの「モーセのような預言者」の待 望を、「垂直軸のイメージを喚起しない …水平方向での脱出モデル」と特徴づけ る。 第二部は、まず 6 章において、イエス の「神の国」の宣教を、「旧約聖書以来 のモーセ伝承への固着が見られない」こ とと、「『上昇の黙示録』の系譜に見られ るイメージ群と重なっている」ことの 2 点において特徴づける(123)。著者は、 洗礼者ヨハネを徹底的に審判者として描 くことで、初期ユダヤ教黙示文学のうち 宇宙史の終末論型(B1)に振り分け、「無 条件の救い、つまり『神の国』を述べ伝 えた」イエスと対比させる一方で(126-27)、マタイ 3:9 を根拠に、ヨハネが、初 期ユダヤ教黙示思想において「モーセ契 約の破綻を越えて、神の選びが永遠に存 続することの根拠」とされてきたアブラ ハム契約さえも「根元的に棄却」する一 方で、「新しい『アブラハムの子ら』が『石 ころ』から創造される」希望を抱いてい たとして、イエスとの連続性を示唆する (133-34)。イエスの「神の国」のイメージ・ ネットワークは、イエスによるサタン の天からの堕落の幻視体験(ルカ 10:18) をもって始まり(135-41)、「サタンが追 放された天上で…すでに…始まってい

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る」族長たちとの「喜びの祝宴」へと拡 大される(141-48)。それは、異邦人を 招くものとして民族主義を克服するもの であるとともに、過去の族長たちが「神 の国」において生きている「永遠の現在」 を描くことで、「全時的今」というイエ スの「独特な時間理解」を表現する(143)。 この「神の国の宴会」(天上の祝宴)と いうイエスの「ルート・メタファー」は、 初期ユダヤ教黙示文学に見られた「天使 化」を背景に、「身体を伴わない…魂だ けの復活」を前提とする(148-51)。著 者は、イエスが明確に「死後の魂の昇天」 および天使化(=魂だけの復活)と、「来 るべき未来の身体の甦り」を区別してい たと想定し、その二つの間の「時間差こ そイエスの『神の国』の宣教に残された 時間であった」とする(158-59)。さら に著者は、イエスによる「人の子」発言を、 イエス自身ではなく、イエス自身が待望 していた天的存在、つまり「天使たちを 伴って、天から地へと下降して来臨する」 存在を指すものと想定し、そのイメージ が、「時間的な側面」以上に「空間的な 力動性」が強調されている点で、「上昇 の黙示録」とより強く並行することを指 摘する(163-69)。また、イエスの「手 で造らない神殿」発言と、エルサレム神 殿で両替人の台をひっくり返した象徴行 為は、イエスが「過激にもエルサレム神 殿そのものの倒壊を予言した」ことを示 しており、その点においても「上昇の黙 示録」と連続する(169-74)。こうして、「イ エスのイメージ〔が〕相前後する時代の ユダヤ教文書の中でも、とりわけ『上昇 の黙示録』〔B2〕と呼ばれる文書群と広 範囲にわたって重なっている」ことを指 摘した上で(175f. の一覧表を参照)、著 者は、イエスが「既存のイメージをもら い受けて、独自のイメージ・ネットワー クに組み替え、自分の宣教を聴く者たち とのコニュニケーションに用いたこと」 に、その独創性を見(177)、さらに「上 昇の黙示録」に関するシェーファーの研 究を根拠に、「イエスの『神の国』のイメー ジ・ネットワークの背景には、最初期の ユダヤ教神秘主義がある」とする(178)。 本書の特徴は、著者が『イエスという経 験』で提唱した二つのルート・メタファー (天上の祝宴、「アッバ」父なる神)のう ち「天上の祝宴」が、「上昇の黙示録」(= 天上の神殿型:B2)と、「前著で指摘し たところをはるかにこえて」「広範囲に わたって重なっている」ことを示したこ とにあると言えよう。 7 章以降は、パレスチナの原始教会か らはじめて、パウロ(8 章)、第二パウ ロ書簡(9-10 章)、マルコ(11 章)、マ タイ(12 章)、ルカ文書(13 章)、ヨハ ネ(14 章)、ヘブライ書(15 章)、ヨハ ネ黙示録(16 章)を分析する。パウロ の章はほぼ『イエスの時』の再録であり、 福音書は物語批評の手法により著者が読 者の読みをコントロールし、その理解を 修正するプロセスを解明する。全体を通 して、丁寧な概論的解説と併せて、それ ぞれの終末論が「上昇の黙示録」と宇宙 史の黙示録を手掛かりに位置づけられる 点が本書の特徴であろう。 第三部は(冒頭で牧会書簡と合同書簡 に短く触れた後)、モンタノス主義(17 章)、グノーシス主義(18 章)、エイレ ナイオス(19 章)を扱い、「むすび」では、 哲学における「行為」(プラクシス)と

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「制作」(ポイエーシス)の「区別」に依 拠しつつ、「神の創造の働き」を「神の 実践」すなわちプラクシスとして、「聖 書の終末論にとって重要なのは、天地万 物の創造よりも歴史の行方、神の『制作』 よりも『行動』…である」と結論づける (524-26)。 さて、本書の鍵となる黙示思想の扱 いについて、いくつか気になる点があ る。前著『イエスの時』では「ユダヤ教 黙示思想」として一括りにしていた文書 を「宇宙史全体の行方」(B1)と「天上 の神殿・玉座」(B2)の二系統に分類し、 前著(および『黙示録』[ナグ・ハマディ 文書Ⅳ:岩波書店、1998 年]2-10, 14-15)での 25 のトポス(30-33)ではなく、 第四エズラ記(B1 に分類)の9つのト ポスに絞って論じる点が本書の特徴であ るが、二種類のトポス(トポイ)が照合 されないのは、分かりにくく残念であ る。著者は本書において「上昇の黙示録」 を「概念」として提示するが、ascent apocalypses(Aufstiegsapolkalypsen: 著者は 2011 年のドイツ語訳に依拠する が、原著は 2009 年の英語版なのでそち らの表現を使用する)は、幻視者(主人 公)の天への上昇(昇天)の主題を含む 文書群の総称であり、より一般的な「昇 天黙示録」の方がわかりやすい(マーサ・ ヒンメルファーブ『黙示文学の世界』[高 柳俊一訳:教文館、2013 年/原著 2010 年]では、これに加えて「昇天黙示」「昇 天黙示文学」とも訳される)。著者は「上 昇の黙示録」に言及する際に(その提 唱者として)頻繁にペーター・シェー ファーの名を挙げるが(44, 45, 123, 178, 402, 419, 430, 516)、 シ ェ ー フ ァ ー は、 1975 年のラビ・ユダヤ教における天使 の概念の研究を皮切りに、へカロート文 書の校訂版編纂、メルカヴァ神秘主義 研究を牽引してきた研究者である。昇 天黙示録については、クリストファー・ ロ ウ ラ ン ド(Christopher C. Rowland,

[New York: Crossroad, 1982]) や 先 述 のマーサ・ヒンメルファーブ(Martha Himmelfalb,

[Oxford: Oxford University Press, 1993]) な ど、 シェーファーの他にも重要な研究があ る。著者による宇宙史型と天の神殿型(上 昇の黙示録)の二系統化は、1970-80 年 代の SBL ジャンルグループの定義にお ける、「歴史的」黙示録と「昇天」型黙 示録の二区分と概ね対応する( 14 [1979]; 36 [1986])。しかしよ り重要なのは、実際の黙示録の内容に即 した定義を目指すこうした一連の研究に おいて、黙示録における終末論の位置づ けが問われていることであろう。大雑把 に言えば、終末論を黙示録の本質的構 成要素とみるジャンルグループに対し て、ロウランドやヒンメルファーブは天 の秘密の開示を本質とし、終末論を本質 とは見なさない。著者は「上昇の黙示 録」を手掛かりに終末論の系譜を辿るの だが、この問題についてはどのように整 理しておられるのだろうか。また、著者 がイエスのイメージ・ネットワークにお いて重要と見なす「魂だけの復活」につ いても、著者が言うように「上昇の黙示 録」にその強力な根拠を見出せるだろう

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か。シェーファーは昇天黙示録における 幻視者の天使化を分析する中で、昇天時 の天使化は一時的なものであり、むしろ 義人の死後の変容の方が完全で上位に置 かれることを指摘する(333f. /独 450-52)。体を地上に残して魂が昇天し天使化 する『イザヤの昇天』の記述、すなわち 体と魂の明確な分離は、シェーファーに よれば「他の黙示録にとっても、残る第 二神殿ユダヤ教文書にとってもまた、完 全に異質なもの」であり、「ほとんどの メルカヴァ神秘主義文書も…決して〔神 秘主義〕熟練者の体と魂を区別しない」 のであり、むしろフィロンに見られるよ うなネオプラトン主義の影響を示唆する (334f. /独 452f.)。『イザヤの昇天』の描 くイザヤの体を離れた一時的な天使化 は、義人の死後の完全な変容(肉の衣を 脱ぎ、天の衣を着る)の前味であり、こ の書は「個人の運命にのみ関心を抱く」 点において、極めて個人主義的なもので ある(99 /独 145)。本書の著者は、イ エスのルート・イメージの一つ「天上の 祝宴」を解説する中で、イエスの理解と して死後の天使化を「魂だけの復活」と して強調するが(82, 148-61)、それは「上 昇の黙示録」全体から根拠づけられるだ ろうか(著者は 160f. で、パウロの表現 の神秘主義との親和性を指摘しつつ、こ の主張を多少トーンダウンしているよう にも見える)。また、グノーシス主義の「個 人的終末論」をもって「新しい現象」と する(492, 14)終末論の系譜の全体像は、 『イザヤの昇天』の個人主義的特徴をど のように評価するだろうか。またグノー シス主義の一回性を上下の縦軸、聖書の 終末論の一回性を横軸としてまとめるが (516)、その対比と、「上昇の黙示録」を 「空間軸(垂直軸)」、宇宙史の黙示録を「時 間軸(歴史の軸)」とする対比とは、ど のような関係にあるのだろうか。何れに せよ、グノーシス主義の「超越神不在の」 人間中心主義への警戒の言葉は重い。 著者が「むすび」において神の創造を ポイエーシスではなくプラクシスとし、 「歴史の中で働く神」を聖書の神として 強調する点は示唆に富む(524, 519)。し かし、「聖書の終末論にとって重要なの は、天地万物の創造よりも歴史の行方、 神の『制作』よりも『行動』なのである」 (526)との結論や、「天地万物を創造し た神という観念は、思想史的には、遅れ てやってきたものであった」(518)との 主張は、必要以上に神の創造を「制作」 側に狭めていないか。 終末論を主題とする本書を黙示文書の 扱いに限定して検討した論評は一面的で あり、他にも触れるべき点は多く残る。 さらに本書との対話を通して学びを深め たい。

参照

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