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漱石『行人』のソースをめぐって

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(1)文学・芸術・ 文化 10巻1号(通巻第24号) 1998. 12. 漱石『行人』のソ ー スをめぐって 河. 村. 民. 部. 漱石『行人』のテキストを支えるいくつかの他のテキストについては、 こ れまでも比較文学的見地から色々と言及ないしは研究されてきている。 先ず はそれらを整理したうえで、 これまでに言及されずにきた別のテキストを取 り上げ論じるのが本稿の目的である。 まず最も有名であり、 また物議を酸したのは、『行人』の艘(お直)と義 弟(二郎)の関係をめぐって、 江藤淳が説いた艘登世と義弟漱石の不義密通 説を支えるテキスト、 つまりパオロとフラソチェスカの物語である。(江藤 淳『漱石とア ー サ ー 王博説』筑摩文庫参照。 大岡昇平はこの江藤氏の仮説を まったく事実無根として激烈に非難したことも周知の通りである. 大岡. 昇平『夏目漱石』筑摩文庫参照) ‘ ‘ これは周知のようにダ ノテの『神曲』「地獄篇」に出て来る話で、 フラ ノ. チェスカとパオロという捜と義弟が不義密通を慟いた結果墜地獄に至る話で あるが、 そもそもこの捜と義弟が結ばれたきっかけは、 ア ー サ ー 王伝説のこ れまた不義密通で有名なラソスロットとギニヴィアのラヴシ ー ンを 一 緒に読 んでいたことに始まる。 この場面を『神曲』「地獄篇」第五歌より引用して おく。. 116. 「フランチェスカよ、 あなたの苛責は私を、 悲しませ、 同情をひきおこし、 涙ぐませます。 だが教えてください、 甘い溜息をついていた頃、 愛は何より、 またどんな仕方でおたがいの 心もとない想いを伝えるのを許したのかを」 - 208 -. (I).

(2) 漱石『行人』のソ ーー スをめぐへて. 河村. すると彼女は私に「みじめな境遇にあって 幸福なころを思いやる以上の苦悩はありません。 それはあなたの先生がよくご存じです。 ですが、 あなたは私たちの恋愛のはじめの根を 知りたいと熱望されているようですから、 泣きながら語る人のように私もお話いたしましょう。 私たちはある日気なぐさみに恋にとらわれた ラ ソチロット物語を読んでいました。 私たちは誰にもあやしまれずに二人きりでした。 読んでいるうちに幾度か二人は眼を見かわし 顔色をかえましたが、 ついその中の 一 ヵ所が 私たちを圧到してしまいました。 愛人が熱望していた相手のほほえむ唇に 接吻するくだりをよんだとき、 135. 私と永遠に離れないこの人は 震えながら私の唇に接吻してしまったのです。 その書物と作者はガレオットでした。 その日私たちはその先を読みませんでした」 一方の魂がこのように話している間 もう一方の魂は 同情のあまり泣いていた。 私は死にそうになり、 気をうしなって. 142. 死体のように、 ばったりと到れた。 (野上素. なお同書の野上註より参考のために、. 一. 訳筑摩害房世界文学体系6 ). パ オロとフラ. 実も引いておく。. (2). (第五歌最終行). - 207 -. ンチェスカに関する事.

(3) 文学· 芸術・ 文化 10巻l号(通巻第24号) フランチェスカ. ・. ダ. ・. リミニとパオロ. スカの君主グイドはラヴェソナ. ・. ダ. ・. ・. 1998. 12. マラテスタの両人。 フランチェ ‘. ポレンタの娘であったが、 ポレ ノタ. 家とマラテスタ家の和睦を計るため、 彼女はマラテスタ. ・. ダ. ・. ヴェルッキ. オの息子ジョヴァンニに嫁することとなり、 ジョヴァソニはポレンタ家に 挨拶に来ることとなったが、 武勇の誉れの高かったジョヴァソニも醜男で あったので、 偽って美貌な弟パオロを身代りにたてた。 フラソチェスカは 輿入れをしてリミニに行って初めて真相を知って悲観したが、 そのうち彼 女は真剣にパオロを愛するようになり、 不義を重ねたため、 両人ともジョ ヴァソニに殺された。. なおパオロとフラソチェスカヘの漱石自身の言及が『行人』そのものの中 に出て来るのは周知の通りである。 兄 一 郎が弟二郎を触発する、 あるいは弟 と艘の関係を暗示する言葉である。 これも引用しておく。. 己はこう解釈する。 人間の作った夫婦という関係よりも、 自然が酸した 恋愛の方が、 実際神聖だから、 それで時を経るに従って、 狭い社会の作っ た窮屈な道徳を脱ぎすてて、 大きな自然の法則を嘆美する声だけが、 我々 の耳を剌激するように残るのではなかろうか。 尤もその当時はみんな道徳 に加勢する。 二人のような関係を不義だと云って咎める。 然しそれはその 事態の起った瞬間を収める為の道義に駆られた云わば通り雨のようなもの ‘. で、 あとへ残るのはどうしても晴天と白日、 すなわちパオロとフラ ノチェ スカさ。 どうだそうは思わんかね。」(「帰ってから」二十七 岩波文庫). つぎに、 妻のスピリットを掴んでいないと嘆く 一 郎がその悩みを弟二郎に ぶちまけるときに言及するのが、 イギリス十九世紀小説家ジョ ー ジ. ・. メレデ. ィス(漱石はメレジスと綴っている)の書翰集である。 念のために『行人』からその一 節を引用しておく。 - 206 -. (3).

(4) 漱石『行人』のソ ー スをめぐって 河村 「その人の書翰の一 つのうちに彼はこんな事をいっている。. 自分は. 女の容貌に満足する人を見ると羨ましい。 女の肉に満足する人を見ても羨 ましい。 自分はどうあっても女の霊というか魂というか、 し、わゆるスピリ ットを捜まなければ満足出来ない。 それだからどうしても自分には恋愛事 件が起こらない」(「兄」二十). 漱石がメレディスを特に愛読していたことはよく知られているが 一ー た とえば、 『草枕』で画工が那美さんに読んで聞かせる『ビ ー チャムの生涯』 など、 踏み込んだ比較研究がなされはじめたのは比較的最近の事であり、 ま だまだ研究の余地がある。 この書翰に関して、 最近飛ヶ谷美穂子氏は〈『ビ ー チャムの生涯』と漱石 一. ー. 『草枕』の「西洋の本」〉(『比較文学』第三十七. 巻、 1994)の註に触れている。 この註において飛ヶ谷美穂子氏は、 この書簡の「結婚する友へ」(コップ スハム. 工ミノャー. サリ. ー 、,、. 川、 1861年) ( To aFriend engaged to be married.. Copsham, Esher, Surrey, 1861 )の「友」とはメレディスの親友で、 ビ ー チ ャムのモデルとなったマクシ ー (Frederick Augustus Maxse, 1833-1900) であることは、「書簡の内容からみてほぽ確実である」( 同論文、 75頁)とし てしヽる。 飛ヶ谷氏の推論の根拠はというと、 ビ ー チャムのモデルがこのマクシ ー で あることはメレディス批評家の一致して認めるところであり、 我が国ではこ れまでに海老池俊治氏も『明治文学と英文学』(明治書院、 昭和43年)でそ のことに触れているから、『行人』のメレディス書簡にいう「ある友」とは マクシ ー だというのである。 たしかに海老池氏は「その宛名人は前後の関係から容易に推測することが できる。『草枕』を論じたときに名をあげたF · A ・ マクシ ー らしく、 この 手紙は実生活にかんする親身な忠告なのである。」( 同書、 219頁) と述べて いる。 しかし海老池氏も飛ヶ谷氏もこれで推論の説明は終わりであって、 マ (4). - 205 -.

(5) 文学・ 芸術・文化. 10巻 1 号(通巻第24 号). 1998. 12. クシ ー であるという論拠の確たる説明はなく、 またほかの人物の可能性につ いても 一切触れていない。 そこで筆者は物好きも手伝って、 このマクシ ー なる人物およびメレディス の186 1年前後の友人関係を、 メレディスの手紙および伝記に基づいてひとあ たり調べてみた。 というのも、 マクシ ー よりもさらに 一 層生涯の友となり、 多くのメレディスに関する資料を後世に書き残したウイリアム. ・. ハ ー ドマン. (William Hardman, ? � Sept. 12, 1890)ではないかと最初思ったからである。 まずマクン ー とハ ードマソの経歴とメレディスとの出逢いを簡単に記して おく。 マクシ ーは英国海軍の Captain Maxseが1877年に提督(Admiral)に なった男であり、James MaxseとBerk eleyの第五伯爵の娘Lady Caroline Fitzhardingeとの間に出来た次男。 Lord Raglanに対し海軍の副官として活 躍し、 アルマの海戦後陸軍からフリ ー ト艦へ急便を運んだことでめざましい 功績をあげ、 1855年長官に任命され、 1867年退官。 翌年選挙に出馬するが落 選。 1874年にも出馬するが落選。 マクシ ー の急進派の信念は、 クリミア戦争 に対し政府が無能にも何もしなかったことおよびこの戦争で彼が見たり共に 経験したりした苦しみが原因であった。 後年彼は強力なユニオニストになっ た。(Letters of GeorgeMeredith, Vol.l, Constable, 19 12, p.15, W. M. Meredithの註に基づく) メレディスがマクシ ー に最初に出会ったのは1858年であった。 マクシ ー は メレディスより 5歳年下。 1862年にはメレディスは彼に詩集Modern Loveを 献呈している。 次にハ ー ドマンの経歴を記す。 大きくて四角な肩をし、 肥満体で、 四角な 額と赤ら顔、 強そうな顎に濃い顎髭、 しっかりしたランカシャー 保守党で、 Black burnの炭鉱地区の裕福な家の出。 弁護士になるべくケソプリッヂで学 ぶが、 実際にその職には就かず、 1865年から死ぬ1890年までサリ ー 州の四季 裁判所の議長を勤める。 1872年にTheMorning Post紙の編集長となり、 1885年にナイトに任ぜられる。 陽気でユ ー モラスな男で、 鋭い写真家、 疲れ - 204 -. (s).

(6) 漱石『行人』のソースをめぐって 河村 を知らない健脚家。 活発な精神がメレディスを魅了し、 Friar Tuckのあだ名 を与えられる。(JackLindsay, George Meredith, his life and work, The Bodley Head, 1908, the reprint of 1956 ed. に基づく) George Meredith, his life and art in anecdote and criticism (Edinburgh, John Grant, 1 911)の著者J. A. Hammertonによると、 メレディスと知り合った ときのハ ー ドマソはメレディスの住居近く、 エシャーのLittleworth Cottage の住人となっていて、 友人の紹介でThe Shaving of Shagpatの作者で彼の大 いに尊敬するメレディスに会うことになった。 このときメレディス32歳の男 やもめで8歳の少年Arthurを抱えていた。 ついでながらマクシ ーがビーチ ャムのモデルであるなら、 Blackburn Tuckmanのモデルは、 'Tuck'とあだ 名されたハ ー ドマソであることも言い添えておく。 またHammertonはハ ー ドマンのことを同書の中でこのようにも紹介して いる. 'a grandson of the WilliamHardman of BuryHall, Lancashire,. who was associated with Sir Robert Peel, the father of the statesman, in his great industrial enterprise.'(p.87) ハ ー ドマソとメレディスの出逢いは、 メレディスのかつての恋人であり、. 比類なき名門の出で、 居並ぶ作家に可愛がられたMrs. Janet Ross (旧姓 Miss Janet Duff Gordon)へのメレディスの手紙でも触れられている。それ によると、 やはり1861年の秋とある。 だがこの時すでにハ ー ドマンには夫人 がいたことがメレディスのその手紙から知られる。 夫人の印象についてメレ ディスは、 'She is very pleasant, and is one of the rare women who don't find it necessary to fluster their sex under your nose eternally, in order to make you like them. I gave her private's rank in Janet'sAmazonian regiment, with chances of promotion.'(pp.47-8)と記し、 ハ ー ドマソ夫人の男らしさを強 調している。 ノ. またハ ー ドマ‘ 宛てのメレディスの書簡の最初のものは、Copsham, Oct. 19, 1861の手紙であり、 この中ですでにメレディスは 'yourself andMrs. (6). - 203 -.

(7) 文学・ 芸術 ・ 文化. 10巻l 号(通巻第24 号). 1998. 12. Hardman'というように夫人に言及しているので、 メレディスが ハー ドマン/ とコップスハムで出会ったときには、. ハー. ドマ‘ノにはすでに夫人がいたとい. うことになる。 長々 と書き立てたが、 残念ながらこれで「結婚するある友」 とは ハー ドマ‘ノの可能性がなくなったわけである。 では「結婚するある友」とはマクシ ー ということになるのであろうか。 問 ‘ 題の1861年の「ある友」への手紙の冒頭には、 「夕 ノホイザー (Tanhauser). が昨日の「ポスト」(モー ニソグ. ・. ポスト) 紙に載った。 でき過ぎの感あり. (exceedingly well done) 」とあり、 その「抜粋」も読んだとあるが、 この詩 は最初の三行読んだだけで唇の上に砂糖がべったりする感じがする 一ー た しかに濃厚だが下卑た濃厚さだと評し、 この「友」とは次の点で意見をこと にするという 一一 つまりこの詩の作者はヴィー ナ スを読者になるほどと思 わせるように持ち来たっていないという点である。 ただしエリザベスに比べ れば、 主人公が太母神ヴ ィー ナスを選ぶのは正しいという。 この「タンホイザー 」をめぐっての最初のパラグラフに続くのが、 深く恋 に落ちている「友」へということで、 その「友」の「正直で、 謙遜的で、 男 らしい愛」( honest, modest, manly love)を讃えるものである。 だが第三節 に行くと、 問題の漱石が言及したとおぽしき文句が登場する。 その恋人は「とても素敵なひと」(a very sweet person)であることを確 信すると言いながらも、 一方では「彼女がどれほど志操堅固であるのか、 ま たはそのように創られているのかは、 ぽくの本能に照らしても分からない。 ぽくはいま悲惨な精神状態にあるので、 もしぽくが女性の魂を感じ取ること が出来ないのであれば、 その女性を愛することは出来ないのです」(…how strong she is, or can be made, my instinct does notfathom. I am so miserably constituted now that I can't love a woman if I do not feel her soul…)(pp. 53-4 )とある。 飛ヶ谷氏は恐らくこの辺りを捕えて、 これは5歳年下の友人マクシ ー 宛の 忠告だといいたいのであろうが、 先ほど述べたように、 その確証は何等挙げ - 202 -. (7).

(8) 漱石『行人』のソ ー スをめぐって. 河村. ていないので、 これだけではわからない。 周知のように、 メレディスは友人の画家に己の妻を駆け落ちでさらわれた 男であり、 小説『リチャー ド. ・. フェ ヴァレルの試練』には、 女を息子に近づ. けぬよう息子を育てる妻に逃げられた男が描かれている。 いま引用したとこ ろからも推測出来るように、 そうした個人的事情がこの手紙の背後には見ら れ、 漱石がそのことを知っていたと思えることから、 一郎がこのメレディス に言及することの意味が明かとなる。 すでに一 郎の心の中では、 妻お直は弟 二郎の方に逃げていると疑われるからである。 漱石の言及の意味はこれでわかるが、 もう少し「ある友」がマクシ ー なの かどうかについて探ってみたい。 これは学者の良心のようなものである。 確かにこの手紙以前のマクシ ー ヘの別の手紙で、 肉体だけではなく、 精神 の方も大丈夫手に入れられるのかと尋ねている部分がある (Milan, August 16 , 1861の手紙) 。 これはメレディスが息子ア ー サ ー を連れてアルプス越えで イタリア( ヴェニス、 ミラノなど) に旅したときの当地からマクシ ー ヘ宛て たものである. 'You speak of securing her. You may secure her person, but. how can you be yet sure of more?'(p.38 )という。 この "more"に当たるの が「精神」ないしは「魂」("soul")ということであろう。 これからすると、 すでにメレディスはこの書簡の中で漱石のいいたいとこ ろに言及していることになる。 問題の「ある友へ」の「友」がマクシ ー だと すると、同じことが繰り返し忠告されていることになる。 さらに例の詩「タンホイザ ー 」への言及であるが、 これもマクシ ー 宛の旅 からの手紙(同上) で何度かすでに言及され、 批評はもう済んでいるのであ るから再びここに引き合いに出されるのは、 いささか合点がいかない。 勿論 繰り返し何度でも言及してもよいわけではあるが。 つまり、 この詩をメレデ ィスがオ ー ストリアの South Tyrolの Meran滞在先に送ってきたのはマク シ ー、 お前だろうという書き出しで始まるJuly 26, 1861の手紙、 および先ほ どから言及しているMilan, August 16, 1861のマクシ ー ヘの手紙でも、 長々 (8). - 201 -.

(9) 10巻 1 号(通巻第24 号). 文学・ 芸術 ・ 文化. 1998. 12. とこの詩の失敗作である点を指摘し 、 批判しているのである ( 同書簡集、 36 -37頁参照) 。 この批判に続いて、 しかし「タソホイザー 」がなぜマクシ ー を 魅 了 し た かについて、 メレディスはマクシ ーがそのとき夢 中 に なっている女 性との関わりがあろうことを挙げて 、 色々 ア ドヴァ イ スをするわけであるが、 その中に、 先ほど 挙 げ た肉 体と精神の両方を掴む必要云々 の問題が出て来る ノ. のであ る 。 ち なみにこの「 夕 ‘ ホイザー 」の正式名と作者は、 " Tanh auser or th eBattle of th eBards" by N ev ille T em ple (J ulian Henry Ch arles Fane) and Edward Tr ev or (Edward RobertBulwer L ytton, E arl of L yt­ to n) て 主 る 。 「 タ ソホイザー 」批評の件といい、 肉 体 と 精神を所有す る こ と の件といい 、 マクシ ー に はすでに忠告済みのメレデ ィ スであるから、 再び他人 ごとのよう に1861 年の「ある友」の中で繰り返す必要はないようにも思える。 それに後 者の手紙 には ラ フ ァ エ ル 前派の D . G. Rossettiの名 も Swinburne の名 も 出 て 来る。 メレディスは自分の 詩 " Cassandra" のイ ラ ス ト を、 そ の詩を特に気 に入ったロセッテ ィ. ー. にやってもらうことにしていることも、 これで二 度 目. の言及 てある( 一 度 目 は、 Mrs. Janet Ross への手紙 、 Copsh am, E sher, N ov . 19 , 1861 ) 。 ロセ ッティ. ー. がこの「友」の恋人を賛美しているともメレデ ィ スはいって. いるところからすると ( Ross etti adm ires your belov ed, th o' sh e h as not green eyes and carrots ; wh ich I tell him, astonish es me. p.55) 、 この「友」 というのはロセッテ ィ. ー. の知人ということになる。 マクシ ーがロセッティー. と 友達であ っ た か否かは不 明 。 ただメレディスと ロ セッティ ー の友情は三年 前ほどから始まっていて、 最高潮に達したのは1861年1 1 月 頃であり、 またメ レディスがハ ー ドマンをロ セッティ ー の サ ー ク ル に紹 介 し た ことは、 J. A. Hamm ertonの前傾書 (90 、 97頁) に 出 ているし、 またロソ ドソのロセッテ ィ ー の家をメレディスとスイソバー ソとロセッティー の弟ウ イリアムの三人 が一 時 (1861�63 )共同で借りていた経緯もある。 したがって、 マクシ ー も - 200 -. (9 ).

(10) 漱石『行人』 のソ ー スをめぐっ て. 河村. ロセッティー に紹 介されていたかもしれない。 さてかなりあれこれと寄り道をしたが、 そろそろ結論を出そう。 前傾書の Jack Lindsay, GeorgeMer edi th の註によると、 マクシ ー の結婚したのは1861 年 (何 月 かは不 明 ) であり、 相手の女性は Colonel Steel の娘 Cecilia ( ? 1918)となっている。 さらに 同書の中においてリ ソ ゼイは、 フ ェ イン = リッ ト ソ両氏による「タンホ イ ザー」についてマクシ ー がその "ch erubic chastity" を好きだといったことについて、 メ レディスはマクシ ー を 椰楡し、 主人 公 (タンホイザ ー ) が太母神 ヴィ ー ナスを選ぶのは正しいこ と だといってい る点を挙げている (389頁) 。 リンゼ イ が 引用している " ch eru bic chastity" なる文句が 出て来るのは、 すでに何度も取り上げた、 ミ ラ ノ からマクシ ー 宛の手紙 (Au gust 1 6 , 1 86 1 , p. 36)においてである (ただし原文の手紙 て は "cheru bic" ではなく "cheru­ bim" となっている) 。 そして、 く主人公 (タソホイザ ー ) が太母神 ヴィ ー ナ スを選ぶのは正しいことだといっている 〉 その箇所は、 この ミ ラ ノ からの手 紙にはなく、 問題の「結婚するある友へ」 のなかに 出て来るのである。 もし ジャック. ・. リ ソ ゼ イ の註が正しいとすると、 「ある友」とはマクシ ー だとい. うことになる。 ただしなぜ匿名にしなければならなかったのか に ついては、 この手紙の内容にそれらしき点が窺えないところからすると、 依然として不 明 である。 だが、 これに続 く マクシ ー ヘの手紙の中で、 メレディスは愛する者と早く 結婚せよ、 スタ ‘ノ ダ ー ルの 'L'Amour 'を送るとか (日付は不明 だが、 前後 の手紙からして、 恐らく1861年の1 1 月 の25�27日の間と思われる) 、 また同 じ ころメ レ デ ィ スと最愛の息子アー サ ー と二人でマクシ ー の結婚式に出席す る 旨 の 手 紙を書いている。 もう 一 通、 これは ウイリアム. ・. ハ ー ドマソ宛の. 1862年 1 月 8 日の手紙であるが、 その冒頭に 「 親愛なるハ ー ドマン君 またしても残忍なる運命の女神は我らが愛すべき二人の結 び 付きを遅らせて しまった」という。 マクシ ー が彼女の風邪にうつったからだというのである。 ( IO ). - 1 99 -.

(11) 文学・ 芸術・ 文化. 10巻 1 号(通巻第24号). 1998. 12. これよりすると、 マクシ ー たちはこのときにはま だ 結婚式は済ませていなか ったのではないかと思われる。 次のマクシ ー ヘの手紙は、 日付がないのではっき り しないが、 1862年の恐 らく 4 月 の終り頃と思われる。 そのときマクシ ー は軍務上ヴェ ニスに滞在中 であり、 J oh n Stu art Millの On Lib erty を読む よ う 薦めたり、 ヴェニスにい るんだ から Sh ell ey の最高の詩の一 つである 'Ju lian a nd Maddalo' を読む よ う 推奨しており、 結婚への言及はもはや 何もなくなっている。 このことか らすると、 この頃にはマクシ ー はすでに結婚していたのではないかと思える。 今 後調べるべきは、 「タソホイザ ー が昨日のポス ト 紙に載った」とい う 「結 婚する友へ」の最初の一文が示唆する年月 である。 これがわかればも う 少し 具体的な事実が判明するのではないだろ う か。 いまのところはこれ位にして おく。. さ て次に移ろ う 。 も う 一 つ『行人』の一 郎 に よるお直の貞節試しに関して、 その ソ ー スの一 ‘. つとなったと思える テキストがある。 それはモ ー パッサ ノの短篇小説 「モデ ル」である。 漱石が 『行人』の 中で直接 にこの短篇に言及しているわけでは ないが、 講演 「現代 日 本の開花」の中での言及からして、 無視できない意味 を持っていると考えられる。 短 篇「モデル」 は、 ある男に嫌気を さ さ れ、 軽薄な売女のよ う に疑われた 内 縁の妻が、 その赤心を証拠立てるべく窓から飛び降りて不具になる。 する と男は女の貞節を疑っていたことを後悔し、 もとの夫婦に立ち帰って、 病妻 の看護に身を委ねるとい う 物語だとする漱石は、 次のよ う にい う 。. 男の疑いも好い加減な程度で留めて置けば是程の大事には至らなかった かも知れないが、 さ すれば彼の懐疑は 一生徹底的に解ける 日 は来なかった でせ う 。 又此所迄押して見れば女の真心が明かになるにはなるが、 取返し - 198 -. (1 1 ).

(12) 漱石 『 行人』 のソ ー ス をめぐ っ て. 河村. の 付 かない残酷な結 果に陥った後から回顧してみれば、 矢張り真実懸価の 那い実相は分からなくても好いから、 女を片輪にさせずに置きたかったで ありませう。 「 ( 現代日本の開花」). 此の短 篇 へ の言及は平 岡敏夫 〈 『行人』その周辺〉 という優れた論文と、 同じく興味深い安藤章二 〈 『行人』の世界 一ー その挫折の意味〉 (いずれも 漱石作 品論集成『行人』桜楓社刊、 1991年収録) の中でわずかであるがなさ れていることも付加しておく。 ただし平 岡、 安藤両氏が実際にモ ー パッサンのこの短篇に当たられたのか どうかは分からない。 というのは、 実際の物語では漱石のいうように男が女 の貞 節を疑った結 果別れようとして事件が起きたわけではないからであり、 平岡、 安藤両氏ともそのことには何も触れおられないからであ る。 念のために実際の物語の内容を紹 介しておく。 画家のジャン • ソ ム メ. ー. ル. の友人が、 夏の日の海辺を車椅子に乗った女を押しながら無言で散歩してい る男と召 使いの姿を 見 か け、 もうひとりの友に語 る 物語である。 彼の語るところ によると、 車椅子の女はジョゼフィ ー ヌ と いって、 か つ て ジ ャンのモデルをしていた、 垢抜 けのした 見事な体つきの美人であったが、 この女にジャン が惚れこんでしばらく同 居することになる。 だが次第に女の 方に詩趣を解する頭の無いことがわ かっく る とともに、 女が男を押さえつけ 支配しようとすることで喧嘩が絶えなくなる。 そこで男は金と絶縁状を置い て、 語り手の友人のアト リエに逃げ出した。 この後を追 かけてきて彼女は「商 売女扱いされるのはまっ びらよ ・. . . あたしを捨てないでよ ! 」 という。 男. は最後の切り札として、 親の薦める結婚をするつもりだから別れてくれとい うと、 女はそれでは「死んでみせる」という。 これを男が肯定して、 わざわ ざ窓を開けてやると、 女は本当にその窓 から飛び降りて、 両足を挫き、 一生 歩けなくなる。 男の方も「後悔の念にさいなまれ、 それにまた、 女にこうま で思われているのが、 たぶんしみじみとありがたくな っ たのだろ う。 あらた ( 12 ). - 197 -.

(13) 文学 ・ 芸術 ・ 文化. 1 0巻 1 号 (通巻第24 号). 1 998. 1 2. めて女を ひきとって、 結婚したんだ。」(引用は 『モ ーパ ッ サ ン 全集』第二巻、 春陽堂、 1965、 所収、 桜井成夫訳「モデルLe model」によ る ) ‘. これよりす る と、 画家の ジ ャ ノは女の貞節 を疑ったわけではなく、 ただ女 が 死 を 賭してまで己の好 き な男をモノにしようとす る その誠 実さといおう か、 技エといおうか、 漱石流 にいうとその「恐れ ない女」ぶりに、 まんまと してやられたわけであ る 。 それ を漱石は 『行人』においてモ ー パ ッ サンの原 話 を必 要に応 じ て 修 正 を 施 し ながら 、 「恐れない女」という テ ー マはうまく 活かして用いてい る ことがわか る 。 『行人』のお直をその 貞 節 を試そうとしてとことん 突き詰めれば、 ジョゼ フィ ー ヌ のようなこと に なりかねない事 を漱石は、 したがって、 百も承知で あ っ たろう。 お直が二郎と泊まった宿で、 わたし ゃ 海に 飛 び込んで死んで見 せますなどと度胸の据わったことをいうが、 二郎が万が一 うけがったなら、 そうしたかもしれない。. *. *. さてこれまでは何らかの形で言及 さ れたり取り上げられたりしてきたテキ ス ト を、 『行人』のサプテキ ストとして 追 加 • 修 正 を 加えて再 び整理した。 ここからが本論であ る 。 拙著 『 山 頂 に 向 かう想像力』 (英宝社、 1996 )の中の漱 石 を論 じ たところ で言及だけしておいたが、 女の貞 節 を試す古典的な物語といえば、 何を さ て おいても取り上げねばならないのが、 セ ル バ ‘ノテス『 ド ン • キホ ー テ』(1605 ) の挿話「とてつもない物好きの小説が読まれる章」 (第33章) 、 「とてつ もな い物好きの小説が続く章」 (第34章) 、 そして「 ド ソ • キ ホ ー テが赤ぶどう酒 の皮袋とした激しい大合戦が述ぺられ、 とてつもない物好きの小説 に 結 末が つく章」(第35章) であろう。 漱石が『 ド ソ • キ ホ ー テ』 を読んだであろ うことは、 彼の文学論その他で のこの物語への言及からして明らかである。 また東北大学付 属 図 書館 に あ る 漱石文庫 に は、 『 ド ン. ・. キ ホ ー テ』の二つのヴ ァ ー ジ ョ ンがあ る が、 そのう - 1 96 -. ( 13 ).

(14) 漱石 『行人』 のソ ー スをめぐ っ て 河村 ちの一 つ 、 Cer vantes ( M . de. ) T h e h istoiy and adv entur es of th e ren own ed D on Qu ix ote; tr. w. th e auth or ' s l if e by T. Sm oll ett ( Edi nb. Hill , 1815 . 4 v.) に は、 上述の挿話の章題 に 色鉛筆で ア ン ダーラインが施され ている。 そして おそらく挿話 「とてつもない物好きの小説が読まれる章」に いう 「とてつも ない物好き」というタイ ト ルを持つ小説の中身が、 『行人』 におけるお直の 貞 節試しの ソ ー ス、 少なく と も ソ ー スの一 つに なっているのは 間違いないと い見てよい。 こ こからはそのこ と について述べる。 「とてつもない物好きの小説」概要に移る前に、 そもそもその話 を セ ルバ ソテスに書かせる ヒ ン ト を与えたイ タリ ア ル ネ ッサンスの詩人ア リ オ ス ト ( 1474-1553 ) に触れておかねばならない。 「とてつもない物好きの小説が読 ま れる章」 (第33章) に出てくる「われわ れの詩人」とはこの ア リ オス トの ‘. こ とであって、「試しの杯」とはア リ オ ス トの『 狂えるオル ラ ノ ド』の挿話 にでて く る。 そのアリオス ト が 『狂えるオ ルラン ド 』 (1516年) を書く き っかけを与え ‘. た のが、 『ロラ ノの歌』の主人公ロラ ン であった。 イスパニャでは ロ ラ ソを ‘. ‘. 古くからロル ダ ノと言ったが、 この長詩が出てか ら、 イタリア流 に オ ル ラ ノ ドとも呼 ぶようになった。 と こ ろでア リ オス トが 『狂えるオルラソ ド』の挿話にいう「試しの杯」 と は何かを、 参考のた めに、 永 田 寛定訳 『 ドソ • キ ホ ー テ』正編 ( 三) ( 岩波 文庫)の註から引用しておく。. その杯で酒を飲むと、 飲み手の妻が貞操を守っていない場合には、 どん なに気をつけても、 酒がそ と に 流れて胸 をよごす と いうので 、 試し た 者が ほとんどみな、 わが妻の不貞を知らされる。 レイナル ド ンがポ. ー. ・. デ. ・. モンタ ル バ. 河の岸の豪壮な館 に 泊まった時、 館の主人がその杯を持ちだし、. 愛妻の不 貞 を知った苦しみを泣いて語り、 あなたも試して ごらんになるか と言ったのを、 レ イナル ド は 賢 明にもことわった。 翌日、 ポ ー 河を下った ( 14 ). - 195 -.

(15) 10 巻 ] 号 ( 通巻第24 号). 文学 ・ 芸術 ・ 文化. 1998. 12. 時、 船頭から、 アソセ ルモという博士がやはりあの杯で妻の不貞を知らさ ‘. ‘. れた話 も 聞くのである。 セ ル バ ノテスは、 クレメンシ ノが指摘した ごとく、 不幸な二人の夫を混同しているようでもあるが、 自分の小説の主人公にそ の一人の名を採用したのは、 正直でいいと思う。 (341頁). ‘. ついでながら、 セ ル バ ノテスの「とてつ も ない物好きの小説」は劇作家ギ ・. リェン. デ. ・. カスト ロ (1569-1631) によって 脚 色され、 嫉妬の強力な要素. が加えられたこと、 および劇の題 も 小説と同じ「とてつ も ない物好き」であ ったこと も 付加しておく。 劇作家カス トロは、 コ ル ネイユの四大悲劇の一 つ でスペインに取材した 『 ル. ・. シッ ド』 ( 1 637) の原作 『若き日の エ ル. ・. シッ. ド』 (161 8) という歴史 劇を書いたバ レソ シアの詩人である。 『行人』の一 郎にも「試しの杯」のような便利な も のがあったなら、 弟を 使って妻の貞 節を試そうなんて物騒で、 途方 も ないことをせずにすんだであ ろう。 が、 現実はそうはいかない。 そこで 一 郎は「試しの杯」役を二郎にや らせた。 セ ル バンテスは「とてつもない物好きの小説」という挿話を書くこ とになったわけである。 ではその物語の概要を、 少し長くなるが、 述べる。 そうすることで、 漱石 が如何にこの物語をベー スにして、 お直の貞節試しを設定したかを推論した い。 以下の概要は永 田 寛定訳『 ドソ • キ ホ ー テ』 正編( 三)( 岩波文庫)第 ノ ・. プックスの D on Quix oteの "Th e T ale of. 3 3 � 35章に基づき、 ペ ンギ ‘. F oolish Curiosity" (Ch apter s 33�35) を参照した。 この物語が挿話として入ってくるのは、 第32章で宿の亭主が所有している 物語を和尚に自慢して見せたことには じまる。 亭主の所有になるのは、 「三 冊の分厚な本と、 達者な手でかいた原稿」で、 本の方は『 ドソ • シ ロ ソ ヒ ー リオ. ・. デ. ・. ト ラ ー シア』 、『フェリズマルテ. ‘. 将軍 ゴ ノ サ ー ロ. ・. ガ ル シ ーア. デ. ・. ・. エ ルナソデス ・. ・. ・. 、 および『大 デ ・ イ ル カ ー ニア』. デコル ド バ ー 代記、 付けたり、 ディエ ー ゴ. パレ ー デスの伝』で、 問題は残りの手書きの原稿の方で - 194 -. (15 ).

(16) 漱 石 『行 人』 のソ ー スをめぐって 河村 ある。 これが『 と てつもない物好き』 と いう小説である。 これらはすべてカ バ ン と 一 緒にある客が忘れていったもので、 亭主はそれを返したい と 思って いる と 語られる。 さて「 と てつもない物好き」 と いう表題に惹かれて少し読み始めた和尚が、 周りの者に催促されて、 結 局最後まで読むこ と になる と いうのが、 片 やミ コ ミ コン国のミ コミ コ ー ナ姫のために巨人を退治すべく眠っているままの ドン ・ キ ホ ー テ が夢を見て、 部屋に積ん で あ る プド ウ 酒 の 入 っ た皮袋 に 斬 り つ け、 蔀屋中 プ ド ウ 酒だ ら けにする と いう主筋の間に挿入された物語なのである。 さて概要は以下の通り。 イタリアの ト ス カナのフィレン ツ ェ を舞台に、 「金持ちで身分のい と 二人 の紳士」ア ン セルモ (A nse lmo) と ロ タ ー リオ (Loth ario)の「そろいの友」 ( The Two Fr ie nds) と 呼ばれるほど仲のよい友達 と アンセ ルモの妻 カ ミー ラ ( Camilla) にまつわる物語である。 まずアン セ ルモは、 「 つ やっぽい遊びに耽るこ と がロ タ ー リ オよりも や と 多」いのに対し、. ロ ター. リオは「狩を何よりのたのしみ」にする若者 と いう. ように、 作者が二人の友達の対照的性格付 けをしている点に注意したい。(『行 人』の一 郎 と 二郎の対照的な性格付 けを思わせる。 ) ア ン セ ルモは友人ロタ ー リオを使者 ・ 仲 介者 と して美しい娘カミ ー ラ と 結 婚するこ と が出来た。( これは「パオロ と フラ ン チェスカ」で 兄の使者にた つパオ ロ を、 また兄 と お直を結 び 付 けた仲 介者 と しての二郎それぞれを思い 出させる。) 先を急 ごう。 結婚当初は以前同様 ロ タ ー リオも友人宅を訪れていたが、 独 身時代のようには足しげく出入りするこ と は、 「思慮ある人間」の差し控え る と ころであるから、 しなくなる。 そこの と ころを作者は冒頭にこのように 断わっている. よい真の友情は、 どんなこ と をしたって、 疑 いを招くはずがないし、 招 ( 1 6). - 1 93 -.

(17) 文学 ・ 芸 術 ・ 文化. 1 0 巻 1 号 (通巻第24号). 1 998 . 1 2. きもしなかろうが、 それにもかかわ ら ず 、 妻をもつ男の名営はなかなか微 妙で、 兄弟に さ えそ こ なわれる こ とがありうるとすれば、 友人にはむろん と思えるのだ。. 「 ( 兄弟に さ え云々 」のと こ ろが、『行人』の一 郎と二郎の関係に当てはま る。 ) さ て表題の「とてつもない物好き」(foolish curiosit y)とは何かという こ `. とであるが、 美しい妻を要ったア ノセ ルモが非の打ち所のない妻カ ミ ー ラ に あきたらず、 彼女を友人 ロ タ ー リ オの誘惑 に かけ、 真 に 妻が真実そのものの 「善良」 (goodness)な女であるか否かを「試し」ても らいたいという好奇 心を抱き、 友人の不承知を無理矢理説得し、 実行 さ せるというものである。 成功しても失敗しても、 ただでは済まず、 お互いに「名誉」 (honour) に 傷がつくし、 失敗でもすれば取り返しのつかぬ こ と必定であるわけだが、 そ こ が「とてつもない物好き」 にとりつかれたアソセ ルモのことで、. ロ. ターリ. オは承知したものの、 本気でやる気は無論なく、 最初はア ン セ ルモを蝙すつ もりでいた。 『行人』で二郎は艘の貞 ( 節を試せという 兄に対し、 しきりに こ の 「名管」を 口 にし、「いくら 兄 さ ん のためだって、 名管まで犠牲 に は出来 ません 」「兄」十五) ( という。 ) アンセルモはカ ミ. ー. ラには友人 ロ タ ー リオと 一 緒にいてもてなすよう言い. 付け、 自分は席をはずし、 話が済ん だ こ ろを見計 らって、 入って来、 報告を ロ タ ー リオか ら 聞くのであるが、. ロ. タ ー リ オはカ ミ. ー. ラ には何 ら 誘惑の言葉. をかけずに、 む しろ無言でいたり、 椅子に坐ったまま眠ったりするのだが、 ア ン セ ルモには、 嘘をついて、 誘惑してみたが皆 目 その手にはの ら ず、 失敗 した 旨告げる。 こ れでもまだ満足しないアソ セ ルモは ロ タ ー リ オ に 言葉だけではなく、 金 でもって妻を誘惑してみてくれといって、 大金を渡して、 自 ら は隣の部屋に 隠れて、 鍵穴か ら 二人を観察していたが、 ロ タ ー リ オはカ ミ ーラに何も言っ - 1 92 -. ( 17 ).

(18) 漱石『行人』のソ ー スをめ ぐ って. 河村. たりしたりしないのを見て、 友人がこれまで嘘をついていたことを発見、 タ ー リオを非難すると、. ロ タ ー リオは今度こそ責任をも っ. ロ. て やるとアンセ ル. モに 誓う。 そこでアンセ ルモは今度は 一 週間家を留守 に し 、 市からは遠 く ない村の知 人の家に行き、 その間 に 妻を友人に試させようというのである。 妻には留守 中ロター リ オが見回り役で食事に来るからよ く もてなすようにと言い置 く 。 (『行人』の場合、 一郎が直接家を留守にするのではないが、 二郎と艘 お直 を和歌 山 市に二人だけで出かけて、 一晩泊まって く るように言うのに等しい。 またこうした シ チ ュ エ ー ション に 置 く というそれ. つまり 自 分以 外の 男を愛する女のそば. は、 次 作『こころ』で先生がKを、 奥さんが や めて. おけというにもかかわらず、 わざわざ自分の下宿に連れて来て、 愛するお 嬢 さんに わざと接触させることに再現されて おり、 極めて重要である。) カ ミー ラは仕方な く 女中の レオネ ー ラ (L eonela)をそ ば に おいて、 用 心 を怠らない。 しかし、 そのよう な隙 の ない カ ミ ー ラの「善 と美」 ( beauty and goodness)に、 ロタ ー リオはただ魅せられて彼女を見つめるうちに、 意 に 反して、 ついに恋に おちてしまい、 口 説きは じ める。 これを見て驚いた カ ミー ラは、 アンセ ルモ宛の手紙を書き、 主人のいない ことの不便を嘆き、 見回り役の不審な行為をほのめかし、 すぐ帰舘されるよ う嘆願するが、 アンセルモは如何なることがあろうと家を空けてはならない、 すぐ帰るからと返事をして、 友人 ロ タ ー リオの忠誠を喜ぶ。 絶好の機会を与えられた ロ タ ー リオは ついに カ ミーラを降伏させることに 成功する。 ただし帰 っ てきたアンセルモには細君の貞節を保証し、 妻の鏡で あ っ たと褒めちぎる報告をする。 ( このよう に後ほど二人きりのときの状況 を報告させるというやり方は、『行人』にも当てはまる。 一 郎は お直と二郎 が一 晩二人 っ きりで泊ま っ たことと妻の節操について執拗に二郎に報告を要 求する。 二郎はお直との仲が 一 触即発であったのを辛う じ て 免れたことなど 何もいわずに、 ただ兄に対しては、「姉さんの人 格 に ついて、 御疑いになる ( 18 ). - 1 91 -.

(19) 文学 · 芸 術 ・ 文化. 1 0 巻 1 号 (通巻第24号). 1 998 . 1 2. ところはまるでありません 」 「兄」 ( 四十三) とのみ答えて、 平然としている。 ) そこでア ソ セ ルモは、 さらに追い打ち をかけるように、. ロ. タ ー リオが町の. ある女 を恋していてその女への ソ ネットを捧げるの を 食卓で カ ミ ーラに読ん で聞かせるよう要 求 するが、 ソ ネ ット を 捧 げる相手は名前こそク ロ ー リ (Chloris)だが、 実は 自 分宛のものであるのを カ ミ ーラは知って いる。 このように今 や カ ミ ーラと ロ タ ー リオはアン セ ル モ を蝙し、 逢引 を 重ねる が、 ある朝早 く. ロ タ ー リオが カ. ミ ー ラに逢いに出かけると、 女中のレオ ネ ー. ラの情夫が抜け出すところ を 目 撃して、 かっと血がのぽってその男を カ ミ ー ラの情夫と取り違えてしまう。 その結 果 カ ミ ーラヘの嫉妬と復讐から、 あと さきを考えず、 友人アンセ ル モに、 これまで隠してきた 自 分と カ ミ ー ラの間 の出 来事 を白状してしまう。 あとでしまったこと を言ったと思ったがあとの祭りで、. ロ タ ー リオは、. さ. らに、 カ ミ ーラからも女中のレオネ ーラと情夫のこと を説得され、 女中には 自 分たちの秘密がばれているので、 したい放題にさせざるをえなかったのだ と説明されると、 自 分の無分別 を カ ミ ーラに詫び、 実は カ ミ ーラの不貞の現 場 をア ソ セ ル モに見せるため、 納戸に潜んで、 自 分達二人を見張るよう に 取 り決めたことを彼女に語る。 カ ミ ーラは 一 計を 案じ、 すべてを 自 分に任せてアン セ ル モと取り決めたよ うにやるようにと ロ タ ー リオを説得する。 当日 カ ミ ー ラは女中 レオネ ーラの 助 力 を 得て、 自 分の不貞という汚名を濯ぐべ く. ロ タ ー リオを殺して 自 分も死. ぬという恐ろしい決意の告白を女中 を前に演じて見せ、 女中が ロ タ ー リ オを 連れて入って く ると、 手に持った懐剣 を振りかざし、 汚名を返上すべ く ロ タ ー リオに斬りかかる。. ロ タ ー リオは照いて、. どこまで芝居なのか本気なのかわ. からぬ様で、 こ れ をよけると、 カ ミ ーラは 自 らの鎖骨の上に深手には ならぬ よう気を つけて剣を突き刺し、 気を失ったように床に倒れる。 これ を見ていた夫のア ソ セ ル モは、 カ ミ ーラの巧みな演技に編され、 妻が 「 貞操の権化」 であること を信 じ てしまう。 作者は言う 「アン セ ル モ は、 世 - 190 -. ( 19 ).

(20) 漱石『行人』 のソ ー スをめ ぐ って 河村 にありえた男として、 最も味のい ふ だまされ方をした者」であると。 しかし、 物語はこれでおしまいではない。 二、 三カ月 たって「運命が輪ぐるまを ぐるっと回した」結果、 すべてが明 るみに 出、 ア ン セ ルモが死に至ることになるのである。 ある夜女中レオ ネ ー ラ の部屋に忍び入った男 を見つけたア ン セ ルモは、 そ の男がレオ ネ ー ラの情夫であると言われ、 またレ オ ネ ー ラ は救われたい一 心 でアソセ ルモがびっ く りするような秘密 を告 白 するからと許し を 乞う。 カミ ー ラ の方も女中部屋で起きた出来事に気づき、 レオ ネ ー ラ からことの 一部始終を聞き困惑してしまう。 そこで万事 休スと思ったカミ ー ラ は、 その 夜「所持の装身具の 目 ぽしいものと若干の金子」 をかき集め、 誰にも気づ か れぬよう家 を出、. ロ. タ ー リオの所へ行 く 。. ロ. タ ーリオは姉が院長をしている. 修道院ヘカミ ー ラ を預け、 彼 自身もフ ィ レソツ ェ を立ち退 く 。 早朝アソセルモは女中のレ オ ネ ー ラ が逃げたこと、 および細君がいな く な ったの を知って、 は じめて、 自分の身に起きた不幸 を悟る。 そこで友人の ロ タ ーリ オの所へ行 く が、. ロ. タ ー リ オ は夜中に出奔したとのことで、 や むな く. 館へ戻ってみると召 使いは皆逃げ出してもぬけの空。 すべて を 、 とりわけ「名 誉」を 失ったアン セ ルモは知人のいる例の村に出かけて行 く が、 途中で市民 に出会い、. ロ. タ ー リ オがカミ ー ラ と駆け落ちしたという噂が流れていること. を 知 ら される。 知人の家に やっと辿り着いたものの、 「おろかにして無法なりし望み」の ため、 命 をおとすに至った、 妻 を許す、 とした遺書を残して、 ア ン セ ルモは 死んでしまう。 修道院にいるカミ ー ラ のもとにアソセ ルモの死の報せは届 く が、 彼女は修 道院を出ようとはしないし、 尼になることも欲しない。 それから幾月 もたた ないうちに、 ロ タ ー リオ が戦死したこと を 聞 く 。 ナポリ王国で、 大将軍 ゴン/ サー ロ. ・. フェ ルナソデス. ・. デ. ・. コル ドバに戦いを挑んでいたロ ー ト レ ッ ク子. 爵の軍に投 じたのであった。 ロ タ ー リ オ の 死 を 知ったカミー ラは尼になった ( 20). - 1 89 -.

(21) 文学 ・ 芸術 ・ 文化. 10巻 1 号 (通巻第24号). 1998. 12. が、 まもな く 「悲しみと憂えにしいたげられて」死んでしまう。. * これまで説 明 してきた物語が、 如何に漱石 『行人』の ソ ー スの一 部、 しか も重要な 一部たりえているかが、 これで納得されたのではないだ ろ うか。 ま かり間違えば、 『行人』の一 郎は、 妻を弟二郎に取られて、 元も子もな く な る危機に直面していると筆者は読 む 。 ( これについては拙 著 『 山 頂に 向 かう 想像力』の中である程度述べてあるが、さらに詳し く は別稿を用意している。) まさに 『とて つもない物好き』の再現になりかねない話である。 それもその はず、 い く ら 自分の妻のスピリットが掴めないからとて、 実の弟を使って、 妻の貞節の探偵をやらせるのであるから、 まさに「とてつもない物好き」で あって、 ことは簡単に済むわけにはいかないのはわかりきったことである。 ‘. 漱石 自身が「 日 本の文明 開化」の中で触れたモ ーパッサ ノの短篇「モデル」 について、 どのような コメソトを与えたかは、 すでに見た通りである。 従来の ソ ー スについての再吟味はすでに初めにしておいたが、それらは『行 人』を読み解 く 上で重要な意味をもつテクストであるが、 それだけでは手薄 の感を免れない。 この『ドソ • キ ホ ー テ』の挿話が加わってはじめて 『行人』 の重厚な世界に奥行きが与えられた気がするのであるが、 如何なものであろ うか。. 『とてつもない物好き』の第三十五章の結びは、 この物語を読み終えた和 尚の次のような コメン ト で終っている。. 「この小説は上出来のようじ ゃ 」と、 和 尚が言った。 「だが、 しんじつ あったこと と は考えられませぬて。 こしらえ ごと と すれば、 作 者のこしら ‘. えぞこねじ ゃ 。 なぜとい と ますに、 ア ノセ ルモのように高価な実験をした がるおろ かな夫があ ろうとは想像できませぬから じ ゃ 。 こういうことも、 未婚の男女のあいだならば、 まあまあ我慢しまし ょ うが、 夫と妻のあいだ - 1 88 -. ( 21 ).

(22) 漱石『行人』 の ソ ー スをめぐ っ て. 河村. では、 むりなところ がありすぎます よ 。 小説の書きぶりに ついては、 不滴 を覚えませぬがな。 」. この和尚 の最後の コ メソトは、 物語最初に引用した作者の コ メン ト とパラ レルをなして、 興味深い。 実は続いて筆者は、. ヘ. ソ リ ー • ジ ェ イムズ ( Hen­. ryJames, 1843-1916 )『信頼』 (C on f idenc e, 1879-1880 )という小説を、 この 『 ドン • キホ ーテ』の 「とてつもない物好きの小説」 との関わりで取り上げ、 漱石の『行人』との比較を試み よ うと 目 論ん でいるのである。 『とてつもない物好き』の小説を読み終えた和尚 は、 「未婚の男女」とい うのと 「夫と妻のあいだ」というのと、 区別をつけているが、 前者における このテ ー マを展開したのが実は、. ヘン リ ー ・. ジ ェイム ズの『信頼』であるし、. また後者におけるこのテ ー マを展開したのが漱石の『行人』である。 特に最 初に引用した作者の コ メソトにいう 「 兄弟」と 「友人」との区分こそ漱石と ジ ェ イムズのそれぞれの作品上の関係の区分なのである。 ではそのヘソリ ー. ・. ジェイム ズの『信頼』に論を進め よ う。 実をいうと筆. 者は『 ドン • キ ホ ー テ』の 「とてつもない物好きの小説」を読む前に ジ ェ イ ムズの『信頼』を読んでびっ く りしたことを 申しておきたい。 それは漱石が ジ ェイム ズの『信頼』を読んで 『行人』を書いたのではなか ろ うかとさえ思 ったからだ。 それほどまでに『信頼』のある場面と『行人』のある場面は よ く 似ている。 ただし最初に断わっておかねばならないが、 漱石 がこの『信頼』 を読んでいないとも言い切れないが、 また読んだという証拠はどこにもない。 にもかかわ ら ず蔑 く ほど似通った部分がある。 漱石が『信頼』を読んでおら ずにしかもそれと よ く 似た部分があるとすると、 両作品の共通分母は『 ドソ ・ キホ ーテ』の 「とてつもない物好きの小説」ということに必然的になる。 ジ ェイ ム ズの『信頼』が 『 ドソ • キホ ー テ』の「とてつもない物好きの小 説」 を下敷きにしたものであるのは明 白 である。 それをまず説明し よ う。 そ して ジ ェイムズと漱石が、 同 じ 材 料を使って、 部分的には類似を見せなが ら 、 ( 22). - 1 87 -.

(23) 文学· 芸術 ・ 文化. 10巻l号 ( 通巻第24号). 1 998 . 1 2. 結 果としてはどれほど違った 料理に仕上げたかを見ることにしよう。 漱石の 『行人』が二人の 兄弟と捜という人物 配置を中心として展開し、 最 初 兄に艘の探偵役を命じ ら れた弟が ついには逆に 兄 の 親友を使って 兄を探偵 させ、 その結 果如何では艘を奪いかねない事態のまま、 物語を宙釣りにして 終るのに対し、 ジ ェイム ズの 『信頼』では、 兄弟の代わりに親友二人がある 女性をめぐってその友情にひび割れを生じさせなが ら も結 局はうまくそれを 修 復してめでた < 納まることになる。 『信頼』の粗筋はこうである。 文学的な方 面 のオ能豊かな青年 バ ーナ ー ド ・ ロ ソ グヴィル (BernardLon­ gueville)は春まだ浅きイタリ ア のシ エナ の 町を旅していると、 ある美人の 同 国人でおなじく旅をしている 一 人のアメリカ娘とその 母 親 の 二人に 出 会 う。 教会の前のテラスでスケッチをしているパ ー ナ ー ドの画面の中に、 一人 教会を 出て来て テラスの欄干によりかかり、 片 手には折り畳ん だパラ ソ ルを 下げて、 まるで描いてくれといわんばかりのポ ー ズで、 丘陵の光景に見入る 若い女性が突然入り込んでくるのを、. バ ーナ ー. ドが 断わりもせずにその女性. を絵の中に描きこんでしまうことか ら物語が動き始める。 バーナ ー. ドはその ス ケッチを女に記念として差し出すのであるが、 断わり. もせずに自分を描いたバ ー ナ ー ドに膨れ っ 面をしてさっさと立ち去るのを、 遅れて教会から出て来た母親にその ス ケ ッチを受 け取っても ら うことにな る。 これは偶然のささやかな出逢いではある が、 これが の ち の ち 尾を引くこ とになる。 パ ー ナ ー ドの 親友で、 性格的には彼と対照的な同国人 の ゴ ー ドン • ライト ‘. ( G ordon Wright) が、 これまた旅先 の ドイ ツ の バ ー デ ‘ノ = バ ー デ ノか ら 手 紙でバ ー ナ ー ドにあることを依頼してくる。 物理学者で科学的論理思考には 強いが想像力には弱い ゴ ー ドソは自分の恋人の、 いわば客観的な「化学分析」 を想 像力豊かな バ ー ナ ー ドにして欲しいという依頼である。 これを受けて バ ーナ ー. ドはすぐにヴェニスを発ち、. バ ーデンに ゴ ー. - 186 -. ドンを訪ねる。 (23 ).

(24) 漱石『行 人』のソ ー ス をめ ぐ っ て 河村 客観的化学分析の対象とな る 女性に会ってみ る と、 その女が、 なんと、. パー. ナ ー ドがシエナ で ス ケッチ したアメリカ女性であ る ことを発見 し 、 照くので あ る が、 女もその母親もなぜかあの時の出来事には一 切触れようとは し ない で、. パーナー. ドに出会ったことを認めようとは しない。. バーナー. ドの方も女. の方から言いださないので、 友人の ゴ ー ドソにも女とは知り合いであ る こと を伏せ る ことにな る 。 ‘. そこで湯治場 パ ー デン= バ ー デ ノを舞台に パ ー ナ ー ドはこの女性を観察す る ことに な る のであ るが、 女性の名がアンジェ ラ ・ ヴィヴ ィ アソ (Angela) であり、 ニ ュ. ー ・. ヨ ー ク在住でありながら母と共に世界中を旅 し て廻ってい. る こと、 ここ バ ー デンでは友人に頼まれて、 一人のアメリカ女性プラソチ. ・. エヴ ァ ー ズ (Blanch e Evers)というコケッ ト を預かってい る こ と、 そのプ ランチにぞっこん惚れこんでいる のがイギリ ス貴族の次 男 坊で文無 し の遊び 人キ ャ プテ ン • ラヴロック (Captai nLovelock )であ る ことなどを 知 る 。 とこ ろ で ゴ ー ドンが バ ー ナ ー ドにアンジェ ラの こ とをどう思うか観察を依 頼 したのには理 由 があ る 。. パ ーナ ー. ドが パ ー デンに来 る までに ゴ ー ドンはア. ソ ジ ェラにすでに一 度結婚を 申 し込んだのであったが、 まだ会って間もない のでお互いによく知り合っていないという理 由のほかに、 女は山ほど己の欠 点を挙げて ゴ ー ドソを失望させようと した。 つまりその時は断わられたが、 条件が一 つあって、 も し 時をおいていま一 度求婚 したいと思うのであれば、 それは許可 す る というものであった。 求婚ののち ゴ ー ドソは彼女の隅になっ て しまい、 今 やますます彼女の正体が分からなくなって しまったので、. バー. ナ ー ドにその正体を見極めて欲 し いというのであ る。 そ し てあ る とき ゴ ー ドンは イ ギリ スにい る 妹に会いに行くと称 し てアソジ ェ ラたちを バ ー ナ ー ドの保護に託 し 、. バ ー デ ‘ノを後に. し 、 その間にアソジ ェ. ラに関す る 結論を出 してくれ る よう バ ー ナ ー ドに頼む。 ゴ ー ドソが バ ー ナ ー ドに語 る とこ ろ によ る と、 彼はアンジ ェ ラを好きでありなが ら 、 同時に彼女 を恐れてい る 。 なぜかというと、 彼女の方が彼より賢くて、 妻になっても扱 ( 24 ). - 1 85 -.

(25) 文学 ・ 芸術 ・ 文 化. 10巻 1 号 (通巻第24号). 1998. 12. いが難しいだろうし、 そのうち浮気など し でかすのではと危惧 さ れるからだ。 ゴ ー ドソは自分がア ソ ジ ェラに好かれていないこと、 万が 一 彼女が結婚に同 意するとしても、 彼の財産 (年収 3 万ポン ド) 目 当てでしかない 旨 を承知し ている。 こうしたことを パ ー ナ ー ドは知 ら さ れ、 や むな く アソ ジ ェラを観察 するということを友情の名のもとに実行に移す。 アソジェラは最初 パ ー ナ ー ドの監視に対して反発を抱 く が、 次第に態度を 軟化 さ せ、 心地よいほどや さ し く 従順に、 コケ ッ ト のように さ え振舞うよう になる。 これをバ ー ナ ー ドは、 愛はないが母親の言うところを聞き入れて金 目 当ての結婚をするために、 監視人のバ ー ナ ー ドによい印 象を与え、 それを ゴ ー ド ソに報告してもらいたいと思っているからだと、 解釈する。 ずっと後になってバ ー ナ ー ドは、 アソジェラ本人から、 こうした態度の変 化はわざとしたもので、 それはバーナ ー ドの監視を嫌いその意図を挫 く ため の演技であったことを知らされ る のであるが、 この時点ではバ ー ナ ー ドは、 読者も巻き込んで、 旧 友 ゴ ー ド ソヘの忠誠心を優先 さ せ、 ア ソ ジ ェラを以上 のよう に誤解する。 ‘. ‘. さ て、 3 週間ほどして イギリスからパ ー デ ノに帰ってきた ゴ ー ド ノに対す るバ ー ナ ー ドの報告の場面 (第14章)であるが、 これは友達と好きな女を 一 緒に置き去りにして当人は姿を く らますという前場面と共に、 先述した『 ド ソ • キホ ー テ』の挿話をベ ー スにしたものであり、 本稿の比較研究の上で最 も注 目 すべき場面である。 挿話の場合にもアソセ ルモは親友 ロ タ ー リオに妻 カミ ー ラを預け自 ら は家を留守にし、 し ば ら く たって帰ってか ら 報告を聞く という経緯は、 すでに述べた通りであ る 。 それだけではない。 この場面は漱石の『行人』における 一 郎の頼みとそれ を報告する二郎の雰囲 気を伝えていて興味深い。 筆者がこれはまるで漱石の 『行人』ではないかと思ったのはこの場面であ る 。 そこで少し詳し く この場 面を『行人』との比較で取り上げよう。 イギリスか ら バ ー デ ンに帰って二十四時間の間は何の 質 問もしなかった - 1 84 -. ( 25).

(26) 漱石 『行人』 の ソ ー ス をめ ぐ っ て 河村 ゴ ー ド ソは、 突然 「と こ ろで 、 何か ぽくに言う ことはないのか ? 」 とくる。 こ の問 など、『行人』の 一 郎 を思わせるではないか。 さらに話の場所が旅先 の ホ テ ルであり、 ち ょ うど雷 雨の嵐が通 り 過 ぎた直後の事で ある点も 、 『行 人』のシチ ュ エ ー シ ョ ソ 、 つまり旅 先の和歌の浦と旅館、 そ し て 台 風の直後 を男髯させる。 ポ ケ ッ トに手を突っ込んで嵐の後の外の通りを眺めてお り 、 振 り 返 り も し な い パ ー ナ ー ドの態度、 および 「ヴ ィ ヴ ィ ア‘ノ嬢の事かね」 と い う しらばっ く れなど、 二郎 の一 郎 に対する優越ぶりと 一 脈通ずると こ ろ が ある。 さらに バ ー ナ ー ドは 簡単に、 「彼女はすて き な人だ ! 」 と言って 、 出来ればお し ま いに し ようとするが 、 こ れなども兄 一郎 が 「お前直の性質 が 解ったか い 」 と いうのに対 し て 、 二郎 のそっけない 「解か り ません」 あるいは 『 ド ン • キホ ー テ』の挿話との比較ですでに引用 し た 「姉さんの人格 に つ い て 、 御疑いにな ると こ ろはまるでありません」 に通じる言 い方だ。 勿論バ ー ナ ー ド と ゴ ー ド ソの置かれた立場も 、 関係も、 一郎 と二郎 のそれ とは違って いる し 、 本来なら 一 郎 が 言う こ とを、 代わって二郎 、. つま. り ゴー. ド ソ が言って いる し 、 逆に二郎 が言うべ き こ とを、 代わって パ ー ナ ー ド が言 っているといった、 違いは ある。 それでもなお 、 二人のや り 取りに出てくる 「貞節」 (fidelity) だの、 「名醤」 (honorable) だの 、 「絶好の機会」 (a great opportunity) だの、 「潜在的な コ ケ ッ ト」 (a latent coquette) だのと言った 文句は、 無視 し難い。 対話の一 節だけ例に挙げておく。. "Why did you try to make love to her?" (Gordon) "To test her fidelity to you. Could you have expected anything else? You told me you were afraid she was a latent coquette. You gave me a chance, and I tried to ascertain. " "And you found she was not. I s that what you mean?" "She's as firm as a rock. My dear Gordon, Miss Vivian is as firm as the ( 26 ). - 1 83 -.

(27) 文学 ・ 芸術· 文化. 1 0巻 1 号 ( 通巻第24号). 1998 . 1 2. firm est of y our geological formations." 「彼女に手を出したってのかい ( ? 」 ( ゴ ー ドソ) 「彼女の君に対する 貞節を試すためさ。 何かほかの こ と でも考えていた のかい ? 彼女が潜在的な コ ケッ ト て はないか と いったのは君のほうだぜ。 ‘. 君が僕にチャ ノスをくれたので、 僕は確かめよう と したまでさ」 ( バ ーナー ド) 「 そ れ で彼女がそうでないってこ と が分かった。 そう言いたいん だろ う?」 ‘. 「彼女は岩のように固い人だ。 ゴ ー ドソ君、 ヴィヴィア ノ嬢は君の地質 学の累層の最も固い岩盤のように固い人だよ」 ). 『行人』 を房糊させる場面は こ れだけである。 房儲させはするが、 こ れだ けでもって漱石が『信頼』 を読んでいた と 断定 するこ と は出来ないし、 毛頭 そうするつもりもない。 だが両作品が、 先述した『 ドン • キ ホ ー テ』 の挿話 の概略からして、 如 何にその挿話をベースに物語を組立ているかがお分かり であろ う。 こ れ以降は『行人』 と 『信頼』はまったく異なった展開を 見せる。 念のために『信頼』 が以後どう展開するかをかいつまんで話しておく。 一郎 と は反対に、 あくまでもパ ー ナ ー ドを「信頼」 している ゴ ー ドソは、 アンジ ェラの「貞節」 を試そう と して、 肘鉄を 食らったなど と いう バ ーナ ー ドの出鯉 目 を本気で信 じるほど、 間が抜けているわけではない。 本当の事を 言え と 詰問され、. バ ーナ ー. ドは仕方なく、 苛 々 して、 彼が真実 と 推 量する と. こ ろ をきっばり と 言ってのける。 つまり、 ヴィヴィアン夫人は ゴ ー ドソの財 産 目 当てに娘を結婚させよう と しており、 娘の方もそれに感化されその気で いるが、 ゴ ー ド ンを愛してはいない。 夫人は 「たいした道徳家」 らしく、 結 婚後も出来るだけ ゴ ー ドソに素敵にしてやるよう娘に説き、 娘の方も約 束し ているのだ。. バ ーナ ー. ドがア ン ジ ェラを 「嫌う」 本当の理 由は、 彼女がやは. り「コケッ ト 」 だからだ。 もし自分が ゴ ー ドソに「忠実」 でなかったなら、 言い寄られてその気になっていたかもしれないからだ。 従ってアソジ ェラは、 - 1 82 -. ( 27).

(28) 漱石 『行人』のソ ー スをめ ぐ って. 河村. ゴ ー ドンにとって 「害」になると考えざるをえない女である。 こ れがバ ー ナ ー ドの伝える、 彼なりの印 象である。 このバ ーナ ー ドの印 象 は、 し か し 結 局誤りであり、 本当はアソ ジェラは ゴ ー ドンとは結婚する意志 など毛頭ないのであって、 シ エ ナでのバ ー ナ ー ドとの 出逢い以来ずっと彼に好意を寄せており、 秘かにあのス ケッチを隠 し持って いることもやがて分かるのである。 だがそれまでには物語はまだ幾つかの 局面を経ることになる。 「害」になるというバ. ー. ナ. ー. ゴー. ドソは. ドの報告を聞き、 これも後から分かることだが、. すぐさま諦めるど こ ろかアンジェラに断わられることを覚悟で再び求婚する ‘. が、 やはり断わられ、 直ちにパ ー デ ノを立ち去り、 ヨ ー ロ ッパを旅 した後ア メ リカに帰り、 やがてあろうことかあの コ ケットのプラソチ. ・. エヴァ ー ズと. 結婚することになる。 一. ‘. 方 ゴ ー ドソが「君のせいではない」と 一 言書置を残 し て パ ー デ ノを立ち. 去ると同 時に、. 一. 言の挨拶もなくバ ー デ‘ノを立ち去るのがヴ ィ ヴ ィアン母娘. の一行である。 その不可解さ に悩む バ ーナ ー ドは、 ゴ ー ドソとの友情の冷め てい く ことを気に し たり、 また自分が要らぬことを ゴ ー ドソに告げ 口 したこ とでアソジェ ラの結婚をフ ィ に し て しまったのではないかと思い悩みなが ら、 二年ほど東洋を一 人旅 し て、 やがて ゴ ー ドソが結婚するという連絡を受 け取り、 ニ ュ ー ・ ヨ ークに 久 し ぶりに帰国する。 ゴー. ドソ夫妻に再会 し てみると、. ゴー. ドソは深く プランチを 愛 し ているも. のの、 プラソチの方は ゴ ー ドソが未だにアソジェラを愛 し て いるのではない かと内心疑っていて、 好勝手を許 し てくれる夫をいいことに相変わらず コ ケ ットぶりを発揮 し、. バ ーナ ー. るところを逃れ、 ふたた ぴ ヨ. ドも噂をたてられ、 危う < プラソ チの犠牲にな. ー. ロ ッパに旅立つ。. ア ー ヴル上陸後近くの福訳びた海水浴場で バ ー ナ ー ドは、 ふたたび偶然にも アソジェラを見つけるが、 彼女の様子から し て バ ー ナ ー ドに怨みを抱いてい る様子はなく、 夫人の方もパ ー ナ ー ドを避けるところはなく、 む し ろ気持ち ( 28 ). - 1 81 -.

(29) 文学 ・ 芸術 ・ 文化. 1 0巻 1 号 ( 通巻第24号). 1 998 . 12. よ く 対応する。 そして夜の浜辺で寄せては返す波の音を聞きながら、 やっと バー ナー ドはア ソ ジ ェラに対する自分の内に眠っていた 「波打 つ情熱」のエ ピファニー を得る。 初めて 目 覚めた恋は、 しかし、 「友情」および「名 営」との対立物として バー ナードに意識される、 いわば「禁断の木の実」でしかない。 勿論 ジ ェ イ ム ズの主人公の選択はその木の実には手を出さないことにある。 ( この辺が 漱石の主人公と違うところだ。) つまり、 『ポー トレイト』 の イザベルが取る のと同 様、. パー ナー. ドの前には「まっすぐな一 本道」しかないのである。 そ. こでアソジ ェラに別れを告げるべ く シャレー に出かけてい く と、 すでにヴ ィ ヴィアソ母娘は突然パ リヘ旅立ったことが知らされる。 バ ー デ ‘ノの時同様に肩すかしを食らったバ ー ナ ー ドは、 しかし、 ふたたび 夜の浜辺で二度 目 のエピファニー を得ることになる。 それはアソジェラが彼 を嫌っていないとすれば、 彼に好意を持っていた、 あるいは彼に恋していた ということで、 そう考えるとこれまでのアソジ ェラの不可解で矛盾した言動 が理解できるというのが パ ー ナー ドの到達した結論である。 そこでこれまで の 「遠慮」は不要となり、 友情や名誉に悩む必要はな く なって、. パーナ ー. ド. はア ン ジェラのあを追ってパ リ ヘ直行することになる。 勿論ア ン ジ ェラはもとからバ ー ナ ー ドのことが好きであったわけで、 彼か らの求婚はすぐ受け入れられるが、 物語はここで終らずに、 もうひと捻り加 えられることになる。 それは ニ ュ. ヨ. クの コ· ー トソが突然細君の療養と. 称してパ リ にやって来たことによる。 プラソチとの仲が悪化しており今にも 離婚の危機的状況にある。 そこにバー ナー ドとかつての恋人アソジェラとの 婚約が知らされると、 ゴー ドソは パ ー ナー ドの裏切り行為を責める。 かつて は彼に対してアソジ ェラのことを否定的に評価して、 彼を蝙したではないか というのである。 ア ン ジ ェラに対して誤った評価をしていたことを説明する バ ー ナ ー ドだ が、 それでも ゴー ドソは鉾を収めることが出来ないでアソジ ェラにいま一 度 - 1 80 -. ( 29 ).

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