国民教育の民主的な再生と創造をめざす合意運動の思想と構造(1)
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(2) . 国民教育の民主的な再生 と創造を め ざす合意運 動の思想と構造( 1 ). 古. 野. 博. 明. は じめ に. 国民教育の民主的な再生と創造の プロ グラムとルート, その具体的な運動の形態を, 今日の教育 の様相と社会的, 政治的諸条件にそくして科学的, 創造的に確定し, 発見することは, 教育にかん する理論と実践の焦眉 の課題である。 小論は, 北海道最北の地, 一市九力町村を擁する宗谷地域 で , 不当人事反対運動と人事をめく る合意, 高校全入をめ ざす間口増設運動と PTA 地域懇談会, 子ど も, 住民, 教師の生命と健康を守る集団検診の実現と地域医療懇談会, 教育研究運動の分裂 を 克服 した 「統一の広場」 (宗谷管内教育研究連絡会議の構想) と宗谷管内教育問題懇談会 (通称七者懇) , 教育とく らしを守る小集会活動な ど( , ) ,それまでの運動が切り開いた地平を土台に,いわゆる「主任」 制問題の生起を画期として,1970年代後半に ダイナミックな成立をみて今日に至っている合意運動 の思想と構造の若干の紹介と検討を行なうことで,この課題に少しく貢献しようとするもの である . あらかじめ, 宗谷の合意運動の紹介と検討の必要を思いいたった問題意識に ついて簡単にトレース して お こ う。. ( 1 ) 三代目三遊亭金馬がその名 人芸のうちにみごとにえがいてみせたところの,「学問のできる立 派な人より, 何にも知らぬ苦労した人っ てんで, 苦労させなきやいけない。 かわいい子には旅をさ せるだから奉公に出そう」( 2 〉という庶民社会の通念, それを背景とした子育てをめぐる親子の情愛 が, 多少なりとも生きながらえる時代は, 今や完全に過去のものとなった. 1930年代以来, 徐々に 増大しは じめた国民の教育要求は, 第二次世界戦争時と戦後教育改革期を間にはさんでなお高まり の傾向を強め,196 0年代をこえるとついに, 教育は,「国民の生活の有機的一部として自覚される」 3 ( ) ま でに 至 っ た の であ る。. 「『教育』は, あってはじゃまものどころか, あればよいものというもの でもなく, なくてはこ まるものに転じてきたの である。 しかも, ここで 『教育』 とよばれ, 意識されてきたものは, 大 方のばあい, むしろ 『学力』 であった。 学力は, あっ てもよいものではなく, なくては 『生きる』 にこまるものに転じてきた. 子にちえのあることを不幸をもたらす兆とみて恐れた旧郷村の農民 たちの 『生きかた』 から何と遠いところまで, わたく したちは, きてしまったことだろう。」 (傍 点原文)( 4 ) 中内敏夫が指摘するこの冷厳な事実から, わたく したちは, もはや 「自由」 であることはできな いのである。 同時にそれが, 国民自身の手による教育のコントロールの物質的条件をほぼ準備しお 25.
(3) . 古. 野. 博. 明. えたかに思えて, 中内の指摘には, 痛く共感を覚える. 戦後教育改革が切り開き, 到達したものの 継承と発展を図る営みは, かかる事実の科学的で, リアルな認識に立脚することがぜひとも必要だ と思うのである. ところ で, 戦後教育改革の理念が, この国の国民と教師に残し, 託した最大の進歩の証は, 教育 の位置するところを国家の領 域から文字どおり子どもと国民の地所に移し変えたことであった. 権 利としての教育の理念は, 義務教育と普通教育の観念に転換の道を開き( 5 ) , 人権・科学・平和・民主 主義の観点も こ立つ教育目的の法定と教育の国民全体に対する直接責任の理念は, 教師と学校の仕事 を国策遂行の手段から子どもの発達権・学習権保障の方 向へと転回させ, 教育行政と国家に, いま 劃蒲へと180度向きを わしい抑圧と統制の役務から教場でのひたむき な営為を助長する教育条件の整 変えるよう求めたのである. さらに, すでにほうはいとして生起していた 義務教育年限の延長と中 等教育改革の課題を 基本的には解決し, 小学校, 中学校を 「心身の発達に応じて」 それぞれ初等, ・ 中等普通教育を施す義務教育機関とし, 小・中・高の接続関係を明確にしながら, 高等学校を L 身の発達に応じて高等普通教育及び専門教育を施す」 ところの, 国 民教育の完成機関と位置づけ. た( 6 ) . 戦後教育改革は, このように未来に開かれた視角と制 度を形成して, 法定の教育目的が示す教 育の基本方向による最小限の調整と統一を予定し, 子どもの教育という仕事を国民の直接の信託に よる固有の事項として学校に負わしめ, 現実の与党政治から独立させて, 人間的自律と将来の社会, 国家形成への媒介機能とを重視し, 期待したのであっ た. かかる理念と制度の体系に貫ぬかれた国 民の直接的信託という教育編成原理及び政治と教育の分離という方法的視角 は, 今日もなおその意 義を失っていない. しかし, 戦後教育改革は, そのような教育の内実を目的意識的に実現しうる社 会的手段, 教育内在的方法を真に獲得するまでには至らなかっ た. また, 国民生活の深部からこと ばの厳密な意味においてラディ カルな期待と要求を発し, 子どもの生存と民族の将来を教育と国家 に託そうとする日本国民が, 日本国憲法と教育基本法の理念を完全に支持し維持して, それをくら しと教育のなかに生かそうとする権力に未だ一度もめ ぐり合えていないという 歴史の事実からも, わたく したちは 「自由」 ではありえない. けだし, 憲法・教育基本法体制の危機を常 態化させ, 増 幅させる現代国家の諸施策やその理念の廃棄さ え公然と求めてやまない政治社 会の体質的後進性 は, 学校の固有の仕事と責務を果すべく, その通路を発見しようとして日々 黙々と営まれる人々の 実践的努力に対し著しい困難をつくりだしてきたとみないわけにはいかないのである. 教育なかん ずく学力が「なくては生きるにこまるもの」 (中内)に転じた事態の表層に深刻に浮かび上がった「教 育荒廃」 の現象を自覚することで, 人々は, 旧制度の苦い歴史的教訓を共有する途上にあるといえ よう. これら事態の本質と現象を直視したとき, 今日もっ とも必要なことは, 教育の目的と教育内容の 制度論, 組識論上の区別を明確にしつつ( 8 )の二つの領域を民主的に編成し, 国 7 )方向目標と到達目標( 民自身が教育をコントロールしうる社会的, 教育内在的なルートと方法を創 造的に発案して, 国民 と教師の圧倒的多数の良心と英知を結集しうる実 践の形態を具体的に発見すること であって, それ なしの教育政策批判やあれこれの好みによる 「自由」 な思考への埋没は, 結局のところそれ自身を 生かす道さえ失うこととなろう.政治の科学との相似性と独自性をどのように自覚し解明しうるか, 教育にかんする理論と実践においてその方法論的力量がためされているといえる. 理論の学習と歴 史の教示に加えて, その具体的素材を大衆運動が発見する形態のなかに見出すようつとめるのが至 当であると思われる. 2 ( ) かかる見地に立ってこの国の教育 運動をながめたとき, 寡聞にして一知半解のそしりを免れ. えないかもしれないが, わたく しには二つの運動に注目する必要があると思われた. 26.
(4) . 国民教育の民主的な再生と創造をめ ざす合意運動の思想と構造( 1 ). 第一に, 到達度評価 o 目標運動, とりわけ京都自治体におけるその成立と展開には, しかるべき 関心が集中してよいはずだと思うのである。 ここでまず, 到達度評価・目標論の提唱者 であった中 内敏夫が, 最近, 「到達度評価o目標運動」 を 「戦後 『学力』 論争のひとつの帰結だ」 として, その 意味するところをあらためて強調したことに留意しておきたいと思う。 「『学力だけが教育 ではない』とはいっても, 学力がなければ教育もなりたたない そういうと 。 ころまできたとき, わたく したちにとって可能なことは, 学力無用やテストなき 『生きかた』 を 空想したり教説すること ではなく, 生活のなかに棲みこんだ学力というデモンを 思い の ま ま に ふ る ま わせ て おく の で は なく, こ れ に ク ツ ワ を は め, こ れ を コ ン ト ロ ー ルす る 方 法 を 手 に 入 れ る こ. とである。 到達度評価・目標運動は, この方法として発案されたもの である。」( 9 ) みられるような, 学力が 「なくては生きるにこまるもの」 と化した事態の歴史的把握と到達度評 価・目標運動の論争史的位置づけをふまえたうえ で, 京都自治体の運動の, とくに注意を喚起した い論題は, それが, 「自治体9学校レベルの教育計画」 (中内) を志向している点である。 すなわち, 学校を基礎単位とし,その学校が固有の任務を果たすことをつう じて達成される教育目的の実現(教 育労働組織の働き) を本質的に規定するものが, 子どもたちに何を教えるか, すなわち教育内容の 科学性o体系性も統一性の問題 であり, その教育内容が, 人権り科学・平和o民主主義の観点に立 つ教育の目的と現代科学の到達度に規定されて(教育外的な調整と統一) , 教授学研究と教師の教育 実践による集団的検 証を経て徐々に形成され, 確定されるものであるとするならば, 教育研究と教 育実践のますます社会的, 集団的な意識性と組織性が求められる。 ここで重要なことは, それを教 育内在的に開発することであろう。 到達度評価 o 目標運動は, 方向目標とは区別された子ども の学 習の到達目標を科学的, 体系的に設定することで, 教育実践に内在した固有の組織と統一の契機を 備えようとしている (備えうる) と理解したいのである。 いうまでもなく, 方向目標論的な教育目 標の設定に支配された教育論と教育活動を 克服しようとする研究と実践は, 何も到達度評価り目標 運動に限られるわけ では決してない。 だが, 強調しなければならないことは, それらの有益で魅力 あふるる研究と実践を含んだこの国の多様な営みの善意と英知を結集し体制化することが求められ ているということである。 誤解をおそれずにいえば, 到達度評価 o 目標運動は, そのような要請に こたえようとしているほとんど唯一の運動 であるとみられよう。 科学的・体系的に設定さ れた子ど もの学習の到達目標を目当てとすることと自由で多様な研究と実践を奨励することとの間には, 決 して矛盾はないはず である。 ただ, 問われているのは, 教師と学校の教育力量の 評価であり, 教育 条件整 劃庸の度合と 質の評定にほかならないのである。 したがっ て, もう一つの重要な問題は, 中内が, 「『到達目標』 とよばれてきたものは, もともと 子どもの学力り学習活動の到達目標」 であって, 「それを教師が, 子どもがそこに到達しおえるまえ のあいだ仮にあずかるかたちをとる, その形態が, いうところの『教師の側 で用意された到達目標』 という関係になっている」 ことを直裁に指摘し, 「到達度評価◎目標運動がまずそのトレーガーをえ たのは」「革新府政下の京都自治体 であった」( , oに とに注意を喚起している点 である。 「こ の 点 は, そ の 意 味 す る も の が, い ま でも 充 分 理 解 さ れ て い な い が き わ め て 重 要 であ る , 。. それは, 教師の間に発生した教育運動だったのではなく, まずなによりも 自治体構成員の間に , 発生した, 生活を守り発展させ る地域自治体の住民運動だったのであり その教育的表現として , , この運動が成立した関係になっているということである。 運動の主体は, 地域自治体の側 であっ 27.
(5) . 古 野. 博. 明. た. だからこそこの運動は, それま で子どもの能力や 親の意識評定だとされて疑われなかっ た教 80度むきをかえる 育評価のしごとを, 逆に教育条件と教師の教育力の測定と評価の しごとへと1 力をもっ ていたのである.」 (傍点引用者)( . , ). 到達度評価 o 目標論が教育内在的にもつ, いわば 「信託」 の論理構造は, 教育の社会的編成原理 としての教育信託 (国民に対する直接責任) の理念を内蔵し体現する 組織的条件=生活権保障の組 織としての実質を備えた地域自治体の実体的存在と結びつくことによ っ てはじめて, 運動としての 笹 たしかな成立をみたということができよう. 事実の経過にそく していえば, そのような条件こそリ 川府政のもと での, 革新自治体の建設と教育行政民主化の先行という事柄であったのだが, ここで 生まれる一つの疑問は, では, このような自治体・学校レベ ルの教育計画への志向は, 京都自治体 において展開 したような実践の手続をふまなければ成立しえないのであろうか,という問題である. もしそうだとすると, わたく したちは, 子どもの学習権を保障する教育計画の志向を革新自治体の 樹立 (→教育行政の民主化) という政治的条件の成熟ま で待たねばなら ないことになりかねず, 子 どもの学習権保障の見 地と学校の固有の責務への自覚は, 宣伝のスロー ガンの域を出ないことに なっ てしまう. そこで第二に, わたく しは, もう一つの注目すべき運動として宗谷の合意運動に重大な関心を寄 せてきたのである. その初発のポイ ントは, 宗谷の合意運動が革新自治体の 建設という政治過程を 経る以前においても教育運動と教育行政の協力・共同が成立し, そのことを通路として, 教育実践 の奥深くに信託と統一の契機を内発させて, その内在的, 具体的発現を保証する社会的, 組織的条 こあった. かかる意味でま 件が創出さ れうるはずだという予見を実証する過程にあるとみられる点0 ずそれは, 新たなルートと形態の発見であったということができる. 学校を基礎単位とする教師と 地域住民の民主主義的訓練の量と質がよりいっそう問われることになっ た, その過程は, 非常な複 雑さと困難さをともなっただけに, 原則的できめの細かい理論的, 政策的活動を余儀なくさ れて, 教育制度論, 教育組織論, 教育運動論に寄与 する重要な示唆を豊かに包蔵することに なっ たと考え ら れる.. だからしばらく 以前に次のように考えたとき, わたく しの念頭にあっ たのは, いうまでもなく京 都の到達度評価・目標運動と宗 谷の合意運動 だったのである. 「(教育内容と学習指導の 大綱上の一定の目やすを地域的レベ ルでつくりだす)展望については, 少なくとも自治体レベ ルでの政治的民主主義の実現と教育行政民主化の先行が原則であることを まず承認しなければなりませ ん. 同時に一定の条件の下 では, いわゆる 『保守』 の地域, 自治体 であっ ても教育運動と教育行政のそのような協力・共同がありうるという 理論的可能性に対して 必要な注意をはらうべきだと筆者は考えます。」( ・ 2 } 学校を基礎単位として教育研究運動の統一をかちとることの意義とかかわって述べられたこの論 点が, 革新自治体待望論に立つものではもちろんないが, しかし, 宗谷の合意運動を立ち入って凝 視したとき, 教育の側からの論理としては, 次のように言い換えるべきかもしれないと思うように なった. すなわち, 国民教育の民主的再生と創造をめ ざす合意運動が真に 成立するならば, 教育運 動と教育行政の協力・共同を含む教育信 託の構造が創出される過程で, 父母・国民の要求と教師の 自覚をよ びおこし, 子どもたちに何を教えるか, その教育目標 (子どもたちの学習の到達目標) の 設定へと開かれた合意が成 立しうるし, 合意にもとづく, 自治体o学校レベルの教育計画への通路 28.
(6) . 国民教育の民主的な再生と創造をめ ざす合意運動の思想と構造( 1 ). が開かれる, と。 革新自治体の建設や教育委員準公選制などによる教育行政の民主化り住 民自治化 の先行ということは, そのような合意運動と教育計画にとっ てもっ とも有利な条件として働くとみ なされよう。 宗谷の合意運動の思想と構造を解明することは, かかる仮説を豊かにし, この国の教 育運動に共通のメリ ッ トをもたらすであろうと考えられるの である。 頭書の課題に迫る営みの一助となることを願って, 宗谷の合意運動の紹介と検討の必要を痛感さ せられたというのは, 概略, 以上のような脈絡の問題意識にもとづいている。 運動そのものの成立 と展開の詳細な分析については機会を改めることとして, 小論では, 合意運動の基本的な見地を若 干の資料にそく して素描するにとどめたいと思う。. 1. 宗谷の合意運動のプログラム的意義. 宗谷の合意運動とは, 197 6年4月に入って, 北海道教職員組合宗谷支部が本格的に提唱し, 教職 員と住民が手をつなぐことを求めて展開したところの,「国民の,国民による, 国民のための教育」 , ( 3 ) の確立をめ ざし, 民主的学校づくりを基礎とする合意運動のこと である。 それは, たしかに「主任」 制導入を図った政府 o 与党の文教政策に都道府県 9 市町村自治体レベルでいかに対抗するか, その 方途の探求が誘因となっているが, 着想の本質において, きわめてナショナルな問題意識に立脚し た運動 であり, 同時にその運動の基底として一つひとつの民主的学校づく りを重視していることに まず留意する必要がある。 1976年4月 27日付「宗谷情報」(北教組宗谷支部発行 , 以下単に「宗谷 情報」 という) は, 運動の目的と性格にかかわってこう述べていた。 「今日の教育をめ ぐる情勢とたたかいは, たんに教育政策をめぐる論争にとどまらず, 現実の 教育を実際にどう民主的に改善するのかにかかわるたたかいになっています。 教育の荒廃の現状 は, 父母と子供にとって切実で深刻な問題になっています。 まさに, 教育が国民的に重大な政治 的社会的問題になっているの です。 この教育荒廃の現状を改善するためには, 教育の内容◎方法の改善, 教育課程, 到達目標, 評 価などの具体的改善をふくめた民主的学校づくりの内容をめぐって広範な教職員と父母の間に共 通の認識(合意)をかちとる運動がきわめて重要になっています。 この運動は, 父母, 国民にとっ ては, 教育権と子どもの学習権を保障させる運動 です。 教師にとっては, 国民に直接責任をもっ て行われる教育という仕事の責務をはたすのかどうかにかかわる運動 でもあります。 この運動こ そ日本の民主教育を国民の手で確立する運動 であり, それは, 民主主義を発展させるたたかいの 一環 でもあります。」 みられるように, この運動は, 「日本の民主教育を国民の手で確立する運動」としてまた民主主義 運動の一環として, 父母と教職員との間に, 一つひとつの学校を土台として, 学校の仕事の具体的 な改善をめ ぐって共通の認識をかちとること自体を目的とした運動 であった。 合意をかちとること が, 父母 o 国民にとっては子どもの学習権と目からの教育権 (教育の自由・教育要求権) 保障の手 段を獲得することであり, 教師にとっては目からの仕事の目的と目当てを明らかにし深化させるこ とにより直接的教育責任の履行を具体的に可能にさせる運動 であると性格づけられていることに注 目したいと思う。 父母 o 国民が, その教育権り子どもの学習権 の保障を求めることと 「合意」 とい う形態で学校教育に参加するということとが明瞭に区別さ れつつ, 学校教育は国民自身の事業であ 29.
(7) . 古. 野 博. 明. り, 教育の社会的編成の主体は, 一 人ひとりの主権者国民であるという見地が貫ぬかれているとみ られる. この原理に確固として立脚することは, 教育が「国民生活の有機的一部」 (大田) を構成す るようになっ た今日, とりわけ重要であり, それは, 憲法と教育基本法が求める教育の論理と合致 する. さて, このような目的と性格を与えられた合意運動は,「民主教育の確立という歴史的事業は, 教 職員と父母・国民との 『教育への合意』 を土台とする固い共同の力をつくりあげることによって達 成 さ れる」( . 4 )と い う プ ロ グラ ム の な か に 位 置 づ け ら れ て 発 案 さ れ た も の で あ っ た. だか ら, こ の 運. 動の 思想と構造の解明のためには, まずそのプロ グラム的展望についての立ち入った検討を加えて おく必要があろう. 第一に, 教育への合意を土台とし媒介とする共同の力により民主教育の確立を展望するというこ とのなかには, 分析的には二つの意味が含まれていたことに注目しなければならない, 一 方ではそ れは, 一般政治上のルートとは相対的に区別さ れた教育に固有のルートの存在を積極的に提起し, 実践的にそのルー・トを開こうとするものであった(政治と教育の分離) . 学校を基礎単位として民主 的学校づくりの内容をめ ぐる父母と教職員の合意が, このルートを具体的に切り開くうえで不可欠 であると考えられたのである. したがって合意を力とし目当てとする学校教育の具体的改善と発展 をめ ざすこの運動は, 教育制度の体系がもつ政治と教育の分離の原則を擁護し, 現実の与党政治的 教育介入を防止する社会的力と方法を探求する課題と深く結びついて提起されることになった. 同 時に他方 では, 教育の側から政治の領域への接近を図る一つの運動形態を含意していた. 合意運動 の過程で余儀なくさ れる教職員, 父母・住民, 教育関係者の間の民主主義的訓練は, 政治的統一戦 線運動の 「土壌を耕やす」( , 5 )という意義をも備えうると考えられていたのである. その意味で合意 運動には,教育の分野から迫る統一戦線的運動 としての位置づけを与えうるということができよう. 「宗谷情報」 は, このような合意運動の二つの 意義を慎重にこう表現していた. 「切実で具体的な父母の教育への要求を土台にした民主的学校づくりの 『合意の砦』 とそれを 支持する広範な国民大衆の統一の輪は, その要求を実現させる力であり, 三悪政治を一掃し, 統 一戦線を土台に民主的政治を確立する課題に教育の分野からこたえようとするたたかいでもあり ます。」 (傍点引用者) 合意運動は, 学校と教師の固有の仕事をますます自覚し, つねに子どもと国民の側にたちかえる ことによ ってこうした二重の課題を有機的に結合しつつ, 教育を国民の手にとりもどすという歴史 的大事業を学校教育への国民参加を実現することを通じてなしとげようとする運動であったという こ と が でき よ う。. 第二に, したがって, 合意それ自体を追求するこの運動形態は, これら二重の課題を視野におさ めつつ, 国民教育の民主的再生と創造の社会的力, 共同の陣地構築と学力問題を中心とする学校に 固有の仕事の自覚と遂行につながる段階性と連続的発展性を含んだところの過渡的な形態として発 案さ れたもの であ っ たとみることが できよう. わたく しは, 「宗 谷情報」 が, 次のように 述べて 民主教育の確立を見通したことのなかに, そのことを正確によみとる必要があると思う. 「(父母の期待にこたえる民主的学校づくりの合意は, 困難はあっても必ず父母の理解を得られ るという) 確信に支えられ, すべての学校, すべての地域に 『民主教育を願う合意の砦』 がつく られていくすじ道が明確になった時こそ民主教育確立への確かな展望をつかむことができます.」 30.
(8) . 国民教育の民主的な再生 と創造をめ ざす合意運動の思想と構造( 1 ). (傍点引用者) ところで, この過渡的な運動形態という意 味を分析的にとらえてみると二つの含意を摘出す るこ とができる。 その一つは, 「合意」という形態が, 教育の住民自治 そのゴロラリーとしての団体自 , 治及び学校自治( , 6 )を確立する運動の, 対話→合意→参加→自治へのルートを切り開く形態として設 定されたとみられることである。 したがって, 合意運動は, 現行教育法制の制度的分 権原理を徹底 的に擁護しその民主的活用を図る課題と固く結びついていた そして本質的にはナショ ナルな性格 。 をもつこの運動 が 「すべての学校, すべての地域」 に合意の砦を築くことを重視したことのひとつ の意味は, 共同の陣地の基礎単位が学校・地域自治体 であり, 学校教育改善の具体的 活動の拠点が 一つひとつ物学校であることを直視したということであろう 地域住民が 「合意」 という形態 で学 。 校教育に参加し教育行政関係者を含めた協同の体制を創り出すことは 学校o地域自治体を学習権・ , 教育権を守る組織として再生させるたしかな保 障であると考えられたの であり 合意の砦が 「すべ , ての学校, すべての地域」 に広がることは, 国民が, 教育の地方自治確立への橋頭壁を築くことを 意味しよう。 他の一つは, 「合意」 という形態がす でに有機的集中の契機を含ん でいるとみられることである 。 合意の成立は, 合意にもとづく実践と行動 を求める。 すべての学校 地域に合意の砦 が広がる過程 , は, 統一の装置が拡大する過程でもある. 合意内容の拡大と深化は 教育実践の協同化の量と 質を , ますます強化, 促進することになろう。 合意運動は, 教職員, 父母 教育関係者の参加をたえずよ , びこむことによって, 教育要求と教育実践の連続性とその知見のたしかな蓄積を予定し 官僚統制 , 的教育システムを排除して 「現実の運動に組織をたえず適応させ」 「下からの推進と上からの指揮 , を融合させる」 課題( , 7 }を十分視野におさめたものであったとみられるの である。 合意運動による民 主教育確立の展望こそ「『合意の砦』 を破壊しようとする反動文教政策粉砕の展望 でもある」, (8 )とい う 「宗谷情報」 の指摘は, この意味できわめて重要 である このように 合意運動は 分散的 閉 。 , , , 鎖的自治に拘泥したのではなく, 反対に, たえず運動の広がりを求めて 教育上の国民的統一を促 , 進し創造する過渡的な運動形態としても十分な意義と可能性を内包していたとみられよう 。 第三に, 合意運動の提唱には, 教職員の歴史的責務, 教育労働者の歴史的使命( . 9 )の自覚が深く, 強く内在していた. まず, 「宗谷情報」 の主張するところをきいてみよう 。 「民主的学校づくりの内容について, すべての教職員と父母との間の共通認識 (合意) をかち とることには, 一定の困難があります。 しかし, この困難をのりこえる努力なしに 教育を国民 , の手にとりもどすことは できないでしよう. 民主教育を確立するという歴史的事業を国民と共に なしとげることは, 日本の教職員に課せられた歴 史的課題 であり 責務です この運動の先頭に , 。 立って献身的役割を果すことこそ北教組に結集している自覚的教育労働者の歴史的使命です こ . の歴史的使命にこた えることこそ北教組の主体性 を真に国民的 道民的立場 で発揮することにつ , ながります。」 みられるように, 父母と教職員の合意をかちとること自体の困難 が十分 自覚さ れており それは , , 合意運動のプロ グラム的展望の困難さ に直結している 北教組宗谷支部は その打開の鍵を教育労 . , 働者の意識的, 能動的実践に期待したの である。 ここで留意すべきことは 教職員の歴史的責務(民 , 主教育 の確立という歴史的事業を国民とともになしとげること) と啓蒙さ れた教育労働者の歴史的 使命 (運動の先頭に立って献身的役割を果すこと) を明瞭に区別しつつ教育労働者全体の能動的役 31.
(9) . 古 野. 博. 明. 割を積極的に提起したことである. 前者は, 教職についたすべ ての者に要求さ れるところの, 原理 的, 公共的要請であり, 後者は, 教職員組合に結集する教師たちに 求められた困難を打開するため の自主的, 自覚的な献身性であった. 宗谷支部は, 合意運動における教職員の位置と教職員組合の 役割の区別と統一を実践的に明確にしながら, 自覚的教育労働者がその使命を果たすことによって 教職員組合の国民的指導性が発揮されると説いたのであった.このような二重の意味で合意運動は, 教職員の能動的活動を推進力とした国民の学校教育参加 運動 であっ たということができる. 1976 年 4 月 27 日付「宗谷情報」が示した合意運動の意義と プロ グラムは, おおむね以上の三点に 概括できる. それは, 教育をめ ぐる情勢, 「教育荒廃」の現象, 教育なかんずく学力が「なくては生 きるにこまるもの」 (中内)に転じた事態を消極的, 受動的にではなく, 主導的, 能動的にとらえて 生まれたものであっ た. 「宗谷情報」 は, 次のように述べていた. 「すべての父母は 『子どもに基礎的学力を身につけてほしい』 , 『せめて高校だけは入れてやり たい』 , 『民主社会にふさわしい力を』 など教育への期待をもっています. この期待に具体的にこ たえる民主的学校づくりの内容の合意は教師が子供の可能性を情熱をこめて信 頼するように, 困 難はあるが, 必ず父母の理解を得られるという確信をもつことです.」 そして, 以上のような プロ グラム的意義を有する合意運動の広がりは, 国民教育の民主的な再生 と創造の有力なルートとして実践的に編みださ れたものであり, それは, 宗谷という一地域に 限定 されたローカルな問題 では決してない. 教育信託の原理的要請を文字どおり実践的に創出すること は, 国民の主権的活動の領域に属する事柄であり, 現代民主主義の重要な闘争舞台である( 2 。 ). 1 1 宗谷の合意運動の二つの政策 合意運動が具体的に成立し発展するためには, 広範な教職員, 父母・住民の要求と運動の プロ グ 97 6年4月15日「教育活動と学校運 ラムとを媒介し結合する正確 で具体的な指針が必要であっ た.1 営の民主的発展をめ ざす合意書」 , 同年6月 「わかる授業・楽しい学校づくりをめ ざす父母と教職員 の合意の訴え」の二つの文書が用意された. 前者については, 「主任」制問題が強く 意識されていた という事情を, 後者については, 合意運動が 「主任制」 反対運動の手段に歪少化される危険を防止 し, 本来の プロ グラム的見地に立つことを意図して提起されたという事情をあらかじめ考慮に入れ ておくことが有益であろう.1 97 0年代後半の運動の展開の, 直接のベースとなったのが前者であり, 後者は, 運動の展開を原理的, 実践的に支える関係にあっ たとみられる. これら二つの文書の紹介 と検討で合意運動の意図したところはほぼ明らかになると思われる. ( 1 )教育活動と学校運営の民主的発展をめざす合意書 この文書の構成は, 前文と七項目から成り, 内容的には, 学校運営の, なか でも校務分掌に重点 がおかれている. 重要なことは, この 「合意書」 から二つの性格を析出することができるというこ とである. 第一に, それは, 「主任」制導入による教育指導面の充実を標傍 した文教政策への対置案 であった. 七項目の内容は, 次の五点に要約できよう. (i) 32. まず 「合意書」 は, 教育活動と学校運営のあり方についての 基本見解を次のように述べ.
(10) . 国民教育の民主的な再生と創造をめ ざす合意運動の思想と構造( 1 ). て いる。. 一, 学校は, 真理, 真実にもとづいた教育活動を行い, 子どもの人格形成をはかる場です。 そのために教師には, 高い専門性と自覚的自主的な活動が期待され, 教育基本法では学校と教 育 に つ い て の い っ さ い の 権 力 支 配 を い ま し め て い ま す。. 各学校の運営, 教育計画の方針は, 全教職員や父母の意向が正 しく反映されるよう民主的協 議を基本にきめられるべき です。 ごく平凡な主張であるかに みえるこの第一 項には, 「主任」 制導入の政策が全く触 れることがな かった教育活動と学校がめ ざすべき最小限の方向目標, 教育活動のあり方が学校運営のあり方を決 定するという見地などが簡潔に示されており, 総じて 「主任」 制による教育指導組織の充実案に対 する民主的対置案の基本原理を規定したもの であることに注意したい。 (i i) 次に, このような見地に立つ校務分掌は どうあるべきか, その基本見解が第二, 三項 で述 べ ら れ る。. 二, 教育活動を充実させることを目的に, 学校運営を円滑に行うために設けられる学校の校務分 掌 (部長, 主任, 係などを含め) は, 憲法o教育基本法の民主的原則にもとづく 学校教育を充 実させ, すべての教職員の自主的教育活動を相互に援助, 協力し合う見地にたって民主的協議 を基本に内容や分担に ついてきめられるべき です。 三, 各学校の校務分掌の内容と各分担 (現行の部長, 主任, 係を含め) は, 画一的にするのでは なく, 各学校の歴史と実態に即して名称や選出方法, 役割を含めて, 全教職員の希望や意向が 反映されるよう民主的協議によってきめられるべき です。 みられるように, ①校務分掌の目的は, 教育活動の充実と学校の円滑な運営にあること, したがっ てその決定にあたっ ては, 憲法◎教育基本法の民主的原則にもとづく学校教育の充実と全教職員の 相互援助・協力体制をより強める見地に立つ必要があること, ②校務分掌の具体的内容とその決定 は, 各学校の歴史と実態にそく して学校自治的に処理すべき性 質の事務 (学校内的事務) であって, 国家的立法など学校外的な画一的方法はなじまないこ と, ③かかる観点, 事務の性質の保証を担保 しかっ全教職員の希望や意向を反映させる手段として民主的協議が不可欠であること, という三点 が強調されている。 それらは, 教育内在的な必要と原理にもとづく校務分掌の条理を政 策的に明ら かにしたという意味で, きわめて正当かつ, 適切な提起 であっ た。 ( i i ) 第四, 五項では, 各学校の校務分掌の現状, 主任などが果たしている役割を指摘し, ①各 i 学校の主任, 部長などは校務分掌の一環として設けられたものであること, ②したがってそれは, 校務分掌の条理を国家的立法によって否定する制度化 「主任」 とは性質の異なるものであることを 次のように明示している。 四, 現在, 学校では, 校務分掌として教職員が分担している係は, 約50種類をこえる現状にあり ます。 したがっ て, 学校によっては実態にもとづ いて, 教務部とか生徒指導部を設け, そのま とめ役として主任, 部長をおいているところもあります。 これは, 教職員がお互いの信頼と協力関係にもとづいて民主的協議をもとに合意によ って選 出さ れ, 教育をすすめるうえでとりまとめの役割を果たしているものです。 33.
(11) . 古. 野. 博. 明. 五, 現在, 学校におかれている主任などは, 文部省令で制度としてきめ, 校長や教育委員会が 任命し主任手当を支給するという「中間職制」でも 「指導職」 でも 「上司」 でもありません . また,民主的学校運営や教育活動には,任命制の「主任」などとなじまないことは明らか です, 注意を喚起したいと思うのは, 「主任」制導入の政策との具体的な接点も こおいて, 各学校の歴史と 実態にもとづき自治的に決定さ れ, 教職員の相互協力と援助を促進して教育活動のとりまとめの役 割を果たしてきた主任と, 「教育指導職」 として国家的立法により制度化さ れた 「主任」 とを厳しく 区別 し, そのことを 「主任」 制の政策意図が学校内に侵入しえない方途の確保を導く方法論として 具体的に提案しているとみられる点である. この方法論は, 「主任」制問題の現実的解決に鋭く作用 した.. ( i v) 校務分掌主任制度と省令化 「主任」 制度の厳格な区別を明確にしたうえで, 校務分掌主任 の現状のより民主的改善の必要性とそのための協議の観点が参考として次のように提起された. 第 六項がそれである. 六, 現在, 各学校の実態に即して設けられている校務分掌の主任は, 選出の方法, 仕事の内容, 役割についてより民主的にするために改善する必要があります. その場合の協議の観点の参考 と して,. 1, 主任を選出する場合の観点 ( )教職員相互の信頼と, 教職員と父母との協力関係をつよめることにふさわしいこと. ィ ( )一定の教職歴, 当該勤務校歴を考慮すること. 口 ←う適任者が多い場合は, 可能な限り持ち回り制とすること. に )婦人教師への差別をしないこと. (村本人の承諾を求めること. 2, 主任の役割 ( )教科, 学年, 領域ごとの運営, 教育活動上の連絡調整を行い, 教職員間の相互援助, 協力 イ 関係 を つ よ め る こ と. ( 教師の教育を行なう自主的権限と, 学校と教育の自主性を守ること.. ←う省令による任命制の 「主任」 の職務内容, 性格とは全く 異質のものであることを確認する こ と.. (i) i) i i i )の論点が示す方向で学校運営と校務分掌の合意が形成さ れ, こう した観点を参 , (i ,( 考として主任の選出方法や仕事の内容が具体的に改善されていくことは, 省令化 「主任」 制度との 区別の必要性をますます鮮明にする. 端的に, 宗谷支部が問うたのは, 現にある主任の仕事や役割,. 校務分 掌, 学校運営を教職員の相互援助・協力の度合を強める方向で民主的に改善することが教育 活動を充実して子どもの学習意欲と父母の期待にこたえることになるのか, それとも国家的立法に よる全国画一的な 「主任」 制という 「教育指導」 組織を各自治体, 学校レベ ルで具体化することが 子どもと父母に資するのか, という問題 であったのである. (v) 最後に, 「合意書」 は, 次の三つの要求を掲げている. 七, 私たちは, ゆきとどいた教育を保障することと, 父母の教育への願いを実現するために次の ことを要求します. 34.
(12) . 1 ) 国民教育の民主的な再生と創造をめ ざす合意運動の思想と構造(. 1, 事務職員, 養護教諭, 専科教員, 実習助手の増員を含む教職員の定員増をすること 2, 「主任」 を任命制にし, 特定の 「主任」 に手当を支給するなど教育原理に反する 「指導職」 などという 「中間職制」 の導入はただちに中止すること. 3, そのような財源は, 受験地獄を解消する高校増設, 私学助 成, 教育費の父母負担軽減な 教育費の父母負担 ど, 国民の切実な教育要求の実現にふりむけること このように学校運営と校務分掌及び現行主任制度の 民主的改善と発展の要求は, 教育活動を助長 し充実するための教育条件整備の要求及び 「主任」 制反対の要求と結合して提起されていたのであ る。. 以上の紹介からわかるよう に, 「教育活動と学校運営の民主的発展をめ ざす合意書」 は, 「主任」 制導入による教育活動と学校運営の改悪の危険に対抗して, 憲法と教育基本法にもとづき, 学校管 理規則の民主的改正をも展望 しつつ学校運営と校務分掌の民主的改善 の要求と 「主任」 制反対の要 求とを統一的に 把握し具体化した政策的対案であったのである。なか でも校務分掌主任と省令化「主 任」 の厳格な区別という政策的着眼は, 問題の科学的解明を保障する方法を具体的に開発したもの として特筆してよいであろう. 第二に, この政策的対案には, 教育運動のあり方の根幹にかかわるもう一つの鋭い問題提起が含 まれていた. わたく しは, それが 「合意書」 という名称を付し, すべての教職員, 父母, 住民の参 加をよ び込む具体的形態を備えていたことに特別に注意を喚起したいと思う. 「合意書」 の前文は, そ の 趣 旨 を こ う 述 べ て い た。. 「私たちは, 憲法と教育基本法にもとづき, 教育活動と学校運営をより充実させる立場からの 見解を明らかにしながら, すべての教職員, 教育関係者, 父母の合意を求めて, 学校, 地域や各 団体とさま ざまな対話をしたいと考えています。 すべての子どもにゆきとどいた教育をい ‐父母 の願いを反映した教育をい という教育への国民参加を基本に対話活動への参加の上, 批判と御意 見と同時に見解への合意を心から訴えます.」 みられるように, 前述の七項目, 五つの内容は, すべての教職員, 教育関係者, 父母・住民の合 意を目標として立案された 「教育活動と学校運営の民主的発展をめ ざす合意」 運動の政策的指針 で あった。 教職員と父母・住民の参加をよび込み保証する 「合意書」 形態の意義を少しく敷街すると 次のように分析 できよう. 第一に, 「合意書」という政策の形態は, すでに, 教育の問題を教育行政と教職員組合との関係す なわち労使関係の枠内に閉じ込めることから解放する意図を含んでいたということを析出する必要 があろう. したがっ てそれは 「教育活動と学校運営の民主的発展をめ ざす合意」 運動のなか で教職 員組合が教育行政機関との交渉 で到達する内容もまた 「確認書」 ではなく 「合意書」 形態で交わさ れることが望ましいことをすでに予定したものであった. 教職員組合の提起する政策が教育活動と 学校運営の問題を学校自治的, 住民自治的広がりのなかに置き換えることを保証しようとしたの で ある。 第二に, したがってそれは, より根本的には, 教育活動と学校運営に関する政策決定を委任 による行政の専断事項とする機構から, 真の意味で国民と教師の手にとりもどすことを保証し, そ の実現をめ ざすものであったとみなければならない. このような意義を内在させた 「合意書」 とい う政策形態は, 全国的にみても恐らくほとんど唯一のオーソ ドックスでユニークな着眼であり, 戦 後の教育制度史, 教育運動史のなか でも一つの画期的発見であったとみなされよう, 35.
(13) . 古. 野. 博. 1976 年 4月 15 日の「教育活動と学校運営の民主的発展をめ ざす合意書」は, 以上検討してきたよ. うな政策的性格をたくみに有機的に結合して提起されたものであるところにその活力の源泉があっ たのであり, それは,「教育をとりまく情勢と教職員のおかれた条件とかかげている要求と, しかけ られている攻撃の本質からみて民主教育を発展させ 『主任』 制に反対する運動の 基本はまさに合意 「宗谷情報」 ) とする プロ グラムを学校運営とりわけ校務分 運動がその基軸 でなければ」 ならない ( 掌の問題にそく して創造的に具体化し政策化したものであった。 北教組宗谷支部は, この同じ時期 に, 一方 では, 「主任」 制に反対ないし学校管理規則 「改正員こあたっての慎重審議の決議を求めて 市町村議会に対し請願署名運動を提起し, 有権者の過半数の署名と対話を目標とする活動を開始し ており, 議会決議をかちとる目標に向かっ て徐々に成果をあげつつあっ たが,「議会や教育行政機関 に住民の意志を尊重させる組織的力が必要 であり,「それが合意を土台とする広範な教職員と父母の 「宗谷情報」 組織された統一 の力」 である ( ) と主張して, まず, この 「合意書」 を指針とする 「教 育活動と学校運営の民主的発展をめ ざす合意」 運動を提起したの である. すべての学校, すべての 地域でこの合意が成立することは, 教育荒廃を克服する民主的学校づくりと 「主任」 制の政策意図 阻止という二重の課題の実現の橋頭壁が築かれると考えられたのである. その意味でこの 「合意の 砦」 を築くこと自体が単なる戦術的手段なのではなく運動の目的そのものとして位置づけられてい たことにあらためて注意を喚起したいと 思う. しかし, 「教育活動と学校運営の民主的発展をめ ざす合意」 運動は, 「主任」 制反対運動と併行し てすすめられなければならない状況におかれていただけに, その プロ グラム的見地と政策的意義が 実践的に理解されにくい条件が存在していた.197 6年5月に入っ て, 北海道教育委員会が道立学校 管理規則と市町村立学校管理規則の準則の 「改正」を強行したことにより( 19日) , その条件はさら に拡大したといえる。 情勢の緊迫は, 運動を 「主任」 制反対運動に解消する危険を生じさせ, 学校 運営と校務分掌に関する合意をすべての学校, すべての地域に築くことの意義の理解を著しく困難 にし, 合意運動の発展を阻害したの である。 この困難を打開するために, 宗谷支部は, 合意運動の プロ グラム的見地にあらためて立ちかえり, それを具体化する民主的学校づくりの基本政策を立案 した. それが, 次に紹介し検討しようとする 「わかる授業・楽しい学校づくりをめ ざす父母と教職 員の合意の訴え」 である. ( 1982年3月 o 未完). 〔註〕 1 97 { 1 )総合教育研究所 『荒野から広野へ』( 1 98 0年4月, 鳩の森書房) 7年7 , 北教組宗谷支部 『宗谷の教育運動』( 月) 参照. 2 ( )三代目三遊亭金馬 「薮入り」 NHK落語名人選⑲ (NHK サービスセンター) 大田尭 「い生活の質. の改革をめ ざす教育の運動を」『教育』1 9 81年1 1月増刊号, 12頁. 4 ( )中内敏夫 「『学力』 論争の回顧と展望一生活綴方・到達度評価・公害学習-」『教育』19 82年2月号, 3 3頁. ( 5 )堀尾輝久 『現代教育の思想と構造』( 1 9 71年8月, 岩波書店) 参照. ( )佐々木享 『高校教育論』( 6 1 97 6年5月, 大月書店) 参照. ( 7特出稿「現代教育組織論の若干の課題」 今宮廉太郎教授退官記念論文集『子どもの発達と教育改革』( 1 9 81年5月, 北大図書刊行会)21 1-21 2頁, 2 2 3頁. ( 8 )中内敏夫『増補学力と評価の理論』( 1 97 6年3月, 国土社) 及び同「到達目標と方向目標」京都到達度評価研究会 編 『到達度評価研究ジャーナル1』( 1 9 80年6月, 地歴社) 所収参照. ( 9 )註( 4 )中内論文, 33頁. ( l o )同前,36頁. 36.
(14) . 国民教育の民主的な再生と創造をめ ざす合意運動の思想と構造( 1 ). d l )同前. ’ ( 1 2 )拙稿 「民主的職場o学校づくり」’ 78全道合研集録編集委員会編 『 7 8北海道の教育』( 1 97 9年5月), 307頁. ( 1 3 ) 1976年 4月 27 日付 「宗谷情報」(北教組宗谷支部発行) 。 Q )同前. 4 { 1 5 ) 1981 年 12月1 1日, 横山幸一氏談。 ( 1 6 )室井力は,「地方自治は, 現行憲法下にあっては, 民主的国政の基盤としての地方における民主政治の実現として の住民自治とそのゴロラリーとしての国政に対する独立性・自律性=団体自治とをその内容とし かつ それら , , はいずれもそれ自体が自己目的なのではなく, 地域住民の人権保障のための手段なのである 」(田口富久治 都 . , 丸泰助, 室井力編 『自治体の行政管理』1 9 9年1 7 1月, 自治体研究社, 1 3頁) と説き, また, 教育における住民 自治と学校教育の関係の解明を「今日のもっとも緊急にして重要な教育法的課題の一つ」(日本教育法学会編『教 育の地方自治』19 81年4月, 総合労働研究所, 1 5頁) と位置づけている。 ( 1 )アントニオ・グラムシ 『現代の君主』(石堂・前野訳, 1 7 4年4月, 青木文庫)1 9 6 3 9頁。 Q 8 3 )に同じ. 隔主Q )教育労働者の歴史的使命なる概念については別に厳密な理論的考察が必要であろう ( 1 9 。 ( 2 0 )田口富久治『マルクス主義政治理論の基本問題』 ( 1 97 1年1 0月, 青木書店)が設定した政治闘争の三つの舞台(国 会レベル, 自治体レベル, 労働運動の統一闘争のレベル)の仮説( 29 6頁)を視角として, 島恭彦『地域の政治と 経済』( 1 97 6年2月, 自治体研究社)は現代民主主義の三つの舞台(議会制民主主義, 自治体民主主義 労働組合 , 民主主義) を設定してその相互作用をみる必要性を提起しているが ( 31 5一31 9頁) , さらに田口仮説に加えて科 学・教育をあげ, 科学・教育の民主主義の課題を現代民主主義の重要な構成分野として位置づけている( 33 3一33 4 頁) 。 (本学講師o 旭川分校). 37.
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