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村上春樹「鏡」を読む-騙りの仕掛け・揺らぐ「僕」

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(1)Title. 村上春樹「鏡」を読む−騙りの仕掛け・揺らぐ「僕」. Author(s). 田口, 耕平. Citation. 国語論集, 15: 89-96. Issue Date. 2018-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/9744. Rights. Hokkaido University of Education.

(2)    . 村 上春 樹 ﹁ 鏡 ﹂を読むー 賑り の仕掛 け国 揺らぐ ﹁ 僕﹂. ため、村 上 作 品 の中 では論 じら れることが多 い小説 であ る。. 田 口 耕 平. じやあ 村 上 ち ょっと 話 してみろよ﹂と 言 われて 火 を 囲 みながら 、﹁ 語 る。みんな ワクワクして笑 ったり 泣 いたりしながら 聞 いてく れる。 僕 にと っての読 者 と いう のは、 一緒 にたき 火 を 囲 む 人 たち です 。 北 海 道 新 聞 ﹂8 コムド 村 上 春 樹 インタビュー ︶ ︵﹁. 僕の小説を書く態度は昔の洞窟時代 の語り部です。夜、たき. いう 賜 り から 逃 れ ること は出 来 な いのだ。原 の論 は全 ての語 ら れ た も の=作 品に共 通 す ること であ って、特 定 の作 品 に対 してのも のでは な い。つま り 小 説 は虚 構 であ ると いう 普 遍 性 を 標 梼 す ること で個 別 の作 品 の読 みを 原は否 定 していること になるのではないか。 も ち ろん、普 遍 性 が あ る のだ から 、そう いった 形 で ﹁ 鏡 ﹂を 読 むこ と は可 能 だ。語 り自 体 の面 白 さ を 味 わ う のは別 に悪 いことではな い。 そこにどんな 仕 掛 けがあ るのか考 察 す るのも 一興 であろう 。. 流された水害があったという事実、その影も形もない。誰も語りと. 書 いたと いう ﹁ 城 の崎 にて﹂には、志 賀 の来 訪 直 前 に、ほとんど の橋 が. 簡単な話だ。仮に誰かが体験をそのまま書こうとしても、虚構は どうしても入り込んでしまう。たとえば志賀直哉が事実そのまま. 鏡 ﹂の初 出 は 確 かに、そ のレベルで読 み終 え ることも 可能 であ る。﹁ ﹁ トレフル﹂と いう デ パー トで配 布 さ れた雑 誌 であ って、アイデ ィア勝 負 の軽 いも のな のだ から 、そこに書 かれていることを あ れこれ 論 じる 全 ての語 ら れ 必 要 はな いのかも しれ な い。しかし、原 のそ の読 みは ﹁ 全 ての たも の﹂に対 し共 通 す るあ る種 、普 遍 的 な 見 方 でしかな い。﹁ 語ら れたも の﹂は ﹁ 賜 り﹂であ るからだ。. 。 一 虚構の力 原善論の検討 語総合﹄ 大修館書店 指導書︶ 村上春樹の﹁ は幾つかの教科書に掲載され、定番化しつつある 鏡﹂ 教材である。これまで東京書籍、尚学図書、大修館書店、明治書院、 教育 出版の主に﹃国語総合﹄の教科書に取り上げられてきた。その 一方、作者の村上春樹は﹁ を含む幾 つかの短編を ﹁ 小説﹂ と認 鏡﹂ 補 足する物 語群 ス﹃村上春樹全作 品 めていない。三自作を語る﹄. こういった作者の言説を背景に原善は主題を読み込む 一般的な. 少 なくとも僕 は﹃カンガルー 日 6一の∼ 6閃の﹄5 講 談 社 6のこ で ﹁ 和 ﹄と ﹃回転 木 馬 のデ ッド ・ ヒー ト﹄と いう 二冊 の本 を ﹁ 短 編 集 ﹂と い う 名 前 では呼ば ない。これは小説 に近 いけ れど 、小 説 からは ︵ 少 なく と も 僕 が 小 説 と して考 え るも のからは︶ち ょっと 離 れ た場 所 で成 立 しているも のであ る。そ の違 いはあ るいは些 細 な も のであ るのかも し れないが、それでも そ の両者 のあ いだ の差 異 は僕 にと ってはかな り本 質 的 な 種 類 のも のな のであ る﹂。と す れば 、﹃カンガルー 日和 ﹄に収 録 さ れている ﹁ 本 質 的 ﹂に ﹁ 鏡 ﹂も また、﹁ 小 説 ﹂と は異 っているも のだと 作 者 は考 え ていること にな る。そ の上 で長 編 で掬 え な いも のを 掬 う のが短 編 で、短 編 で掬 え な いも のを 掬 う のが ﹁ このよう な 短 編 近 似 作 品 であ と している。更 には、自 分 の中 にあ る ﹁ あ るも の﹂を 抽 出 る ﹂ したも の、あ るいは ﹁ 末 端 ﹂﹁ 辺境 ﹂と、これら の作 品群 を 呼 んでいる。 要 す るにあ る種 の思 いつき であ ったり、実 験 であ って、完 成 した 小 説 ではない試 作 品だと作 者 は認 識 していること にな る。 読 みを 否 定 し、単 なる ﹁ 怖 がら せるための﹂﹁工夫 を 凝 ら した語 り = 賑 り ﹂であ り、﹁ 虚 構 の力 の面 白 さ ﹂を 発 見 す れば よいと 論 じた 崎国.

(3)    . 最 近 のインタビュー であ る。あ たかも ﹁ 鏡 ﹂の主 人 公 ﹁ 僕 ﹂の 一人 語 りを 指 しているよう な 言 葉 であ る。ここでは村 上 の言 葉 に則 り、﹁ 洞. 人 間が首 を 振 ったり肯 いたりす るみたいな 感 じ﹂を 表 現した それは ﹁. し、表 現 している。﹁ う ん﹂な のか ﹁ いや ﹂な のか。そ の両 極 の中 で ﹁ 僕﹂. ものでもある。異様な風音を肯定と否定 の言葉を擬音として利用. 一番 スッキリす るも のな のかも しれな い。しかしそ の読 みで留 ま って しまえ ば 、単 な る嘘 の﹁ お 話 ﹂を 読 んだこと にな ってしま う だろう 。 ︿ 鏡 ﹀は確 かに立 ち 現 れている。も ちろん、それは ﹁ 僕 ﹂の主 観 内 の 問 題 でしかないのかもしれない。とはいえ、な いも のがあ るはず はない のであ る。仮 にそれが 語 り の詐 術 によ って生 み 出 さ れたも のであ って. そういう意味では語りによる詐術であると考える原善 の読みが. に進 行 していく。 ︿ 鏡 ﹀は、あ ったのか、な かった のか ?. らない問題なのだが、語りはそういった真 っ当な間を排除し、身勝手. このよう に ﹁ 左 と 右 ﹂、﹁ 表 と 裏 ﹂、﹁ 正 しいと 間 違 イエスと ノー ﹂、﹁ い﹂、尋皿的 と 日常 的 ﹂、﹁ 体 制 と 反体 制 ﹂。二つの相 反 す るも のの間 で 揺 れ続 け る語 りがここでは繰 り広 げ られている。 鏡 ﹀が 登 場 す る。しかし、それは本 当 にあ った のか そ う いった中 で ︿ ど う か、疑 わしいも のでも あ る。夜 中 の巡 回中 に現れ た ︿ 鏡 ﹀は翌 朝 には影 も 形 も 無 く な ってしま っている。僕 はこう 語 る。﹁ も ち ろん鏡 なんてはじめから な かったよ﹂﹁ そこには煙 草 の吸 い殻 が落 ち ていた。 木 刀も 落 ち ていた。でも鏡 はな かった。そんな のも とも と な かったん だよ。玄 関 の下 駄 箱 のわき に鏡 が ついたことなんて 一度 も な かったん だ。そう いう こと さ ﹂。しかし ﹁ もとも とな かった﹂も のが、そ の晩 に限 って現 れ た のは確 かなこと であ る。それ を ﹁ そう いう こと さ ﹂と 言 わ ど う いう こと さ ?﹂と 問 われなければ な れても 困 る。むしろそれは ﹁. 対称の時計の鏡像である。. 更 に言 えば 、舞 台 としている ﹁ 新 潟 ﹂と いう 特 定 の地 名 も 、都 会 的 な 語 り ロの﹁ 僕 にと ってのコ裏 に当 たる のだろう 。表 日本 と裏 日本 。 ﹂ ﹂ も っと 言 う と 、、見 回 り の時 間 ﹁ 午 後 の九 時 と 午 前 三 時 ﹂は左 右. 窟時代の語り部﹂の本当の語りの仕掛けを暴くことを日的にしよう。 は浮遊する。 二 揺れる世界 村上作品は基本的に二つの同時進行世界を描くことが多い。﹃世 界 の終 わ りと ハー ドボイルド ・ワンダ ー ランド﹄や ﹃IQ84﹄でも 二 つ の世 界 が 同 時 進 行 し 、そ れ が 小 説 の基 本 構 造 と な っている。この ﹁ じ た 同 を 色 濃 く持 っていると 言 え るだろう 。 鏡 も 要 素 ま ﹂ しかし ﹁ 鏡 ﹂では ﹁ 僕 ﹂と 呼ばれ る語 り 手が 二つの世 界 の両極 の間 で. 揺れ動いている点が他作品と本質的に異なっていると言えるだろう。 みんな ﹂によ って語 ら れ てき た体 験 たと えば 、﹁ 僕 ﹂は、それ まで ﹁ 談 を 二 つに分 類 しつつも ﹁ そう いったタイプ の話 ﹂と して 一括 りにし、 。 ﹁ ﹁ は は 僕 れ う う 更 に は の そ と 違 と 言 自 分 生 を の 人 散 文 的 ﹂だと ﹂ す る。証賦的 ﹂﹁ 超 能 力 ﹂世 界 が特 殊 であ る のな ら 、﹁ 散 文 的 ﹂世 界 と は﹁ 何 事 も 起 こら ない退 屈 な﹂普 段 通 り のこと 、あ りき たり の日常 を. 意味するのだろう。. しかし ﹁ 僕 ﹂が経 験 したことは十 分 予 知 的 ・ 超 能 力 的 でも あ ったし. 、霊的 ︵ ︵ たとえば強風や寝床から起きたくない状況︶ たとえば何も. な いところに 不 意 に ︿ 鏡 ﹀があ ら われ る︶でも あ って、二 つのも のが 日. 常を浸食したものだとも言える。. また、社 会 体 制 を 批 判 し、大 学 に進 まな かったことを ﹁ 若 気 のいた り﹂と 言 いながら 、 一方 で当 時 は ﹁ 正 しい生 き 方 ﹂だと 思 っていたし、. 人生をやり直すとしても ﹁ をすると明言する点などにも 同じこと﹂ 二つの世界をどっちつかずで揺れ動く﹁ 僕﹂の姿勢が表れている。. そ の揺 れ の最 たるも のは風 で開 いたり 閉 じたりす る扉 の音 であ る。 ﹁ う ん、う ん、いや 、う ん、いや 、いや 、いや ー・ ー ﹂文 中 では 二度 同じ フレー ズが繰 り 返 さ れ 、そ の時 の風 の強 さ を 強 調 している。しかし、.  . 0 9.

(4)    . も 、念叩ら れた世 界 ﹀には ︿ 鏡 ﹀は確 かにあ ったと す べきだろう 。あ った からこそ 木 刀は投 げ ら れ た のであ る。しかし、それ は翌 日には姿 を. あ ったのか、な かったのか ?. 消す。 それは 一見、一一 つの相反する世界、現実世界と可能世界を繋ぐ も のと してあ ったよう にも 見 え る。︿ 鏡 ﹀が 映 す のは ﹁ 僕 以 外 の僕 ﹂で あ る。それは ﹁ 僕 ﹂由 来 の﹁ 僕 僕 ﹂ではな い﹁ 僕 ﹂であ る。と す るな ら 、﹁ 以 外 の僕 ﹂とは ﹁ 僕﹂ が経 験 し得 な かった 可能 世 界 の﹁ 僕 ﹂と 言 え るだ ろう 。 一方 、木 刀を 投 げ た ﹁ 僕 ﹂は現 実 世 界 にいる。. すなわち、二つの世界を同時に存在させ得る装置として、異世. 界 と 現実 を つな ぐ 回路 と して ︿ 鏡 ﹀は登 場 しているのだ。いや 、そ のよ う に読 めてしまう のだ。. 三 ︿ 鏡﹀の機能 最新 の長篇﹃ 騎士団長殺し﹄︵ 新潮社 器 : ︶にも鏡にまつわる 叙述がある。 私 は電 話 を 切 ってから 洗 面 所 に行 って、鏡 を 眺 めてみた。そこ には私 の顔 が 映 っていた。自 分 の顔 を 正 面 から ま と も に見 る のは 久 しぶり のことだ った。鏡 に見 え る自 分 はただ の物 理的 な 反射 に 過 ぎ な いと 彼 女 は言 った。でも そこに映 っている 私 の顔 は、どこか. いよう に 見え た。そこにいるのは、私 が 選 択 しな かった方 の自 分 だ. で二つに枝分かれしてしまった自分の、仮想的な片割れに過ぎな. った。それは物理的な反射ですらなかった。 ︵ 傍点作者︶. 僕以外の僕﹂ とほぼ同じ内容を示す わざわざ傍点まで付して、﹁. ﹁ 選 択 しな かった方 の自 分 ﹂を ここでも鏡 に映 し出 している。﹁ 枝 分か 姿 をこの最 新 作 でも鏡 に見 ているのだ。. れしてしまった自分﹂﹁ すなわち可能世界の自分の 仮想的な片割れ﹂. しかし回路 と して鏡 を 捉 え ること はあ る意 味 かな りベ夕な 思 考 で. ある。これまで様 々な作品の中で鏡は異世界と現実世界を繋ぐ小. 道 具 と して登 場 している。﹃鏡 の国 のアリス﹄然 り 、﹃白 雪 姫 ﹄然 りで あ る。. 鏡 の中 の少 女 をカンヴ ァスの上 に置 いていく。しかし、それは鏡 の中 の. を書い たとえば福永武彦は﹁ 鏡 の中の少女二 ﹁ 若い女性﹂ − の 象 ︶ ている。主人公の画学生 の少女が鏡 の中にしか実在はないと考え、. このよう に鏡 の中 の世 界 が 現 実 世 界 に取 って代 わ ること や 、鏡 が. 少女自身が描く自画像になっていく。そして次第に鏡 の中の少女は 現実 の主 人公に取 って代わり、現実世界を浸食し、主 人公を押し 潰そうとするのだ。. 異次 元の世界への通り道になったり、鏡が現実の虚偽を暴くような 話は古今東西数 々生み出されてきた。鏡は様 々な作品で重要な小 道具として用いられ、姿を映す 不思議から呪術的、霊的なものと. も 捉 えら れてき た。 も と も と 霊 的 な も のであ る鏡 を 用 い、か つタイトルも ﹁ 鏡 ﹂とヒネ. リも何もないこの村上作品が他と違うところがあるとすればどうい う点だろうか。. 僕 ﹂を支 配 し始 め、そ 物 語 の後 半 。︿ 鏡 ﹀に映 った ﹁ 僕 以 外 の僕 ﹂が ﹁ 人 間 にと って、自 分 自 身 以 れで ﹁ 鏡 ﹀を 割 ってしまう 。そして ﹁ 僕 ﹂は ︿ 上 に怖 いも のがこの世 にあ るだろう かってね ﹂と 言 った上 で、この家 に は︿ 鏡 ﹀が 一枚 も な いこと を 告 げ て物 語 は終 わ る。さ て、ここに実 験 的 なことがどこに含 まれているのだろう か。 ︿ 鏡 ﹀に映 ったも のに支 配 さ れる のは福 永 作 品 でも 同じで、目新 し いも のではな い。同 様 に、人 間 にと って自 分 自 身 が 怖 いと いう のも、 自 明 なこと であ る。誰 にと っても 一番 わけ がわ から な いのが自 分 自 鏡 ﹂を 身 であ るからだ。三島 由 紀 夫 の次 のエッセー は、あ たかもこの﹁ 紡 雛 と さ せるよう な 内 容 にな っている。.

(5)                  . 人 間 たら んと す る欲 望 ﹂は、俳 優 心 理 のサ ティー ル リラダ ンの﹁ と して、永 遠 不磨 の古 典 であ る。有 名 な悲 劇 俳優 モナトゥイユが、. ある深夜、舞台のかヘ リに、とある街角 の鏡に映る自分の顔を見 て、 一生 他 人 の書 いたセリフだけ を 喋 り、他 人 のこしら へた感 情 の ど 中 にだけ 生 き た男 の、おそろしい荒 廃 を 発 見 して鰐 然 と し、﹁ う しても 人 間 にな ら ねば な ら ぬ。死 ぬま でに 一度 でも 、本 物 の、. 生の感情を味はねばならぬ﹂ と決心する。彼は人間たる自分にも っともふさはしい感情 ﹁ を求めて身を隠し、動機なき大犯 悔恨﹂ 罪 の放火を犯したのち、僻地の灯台に隠棲して、忍﹁ こそ本物 の 感情、本物の悔恨が訪れて、その時こそ自分は人間になるだら 待 ちこが れ るが、待 てど 暮 ら せど 、悔 恨 は来 ず 、や が て彼 死 ぬ。己 れ自 身 こそ 、そ の求 めてゐたも のであ ること を 悟 ら 私 はこの短 篇 が 、鴎 外 の﹁ . ーー. 百 物 語 ﹂と 双 壁 を な す も のと し て好 き であ る。鴎 外 は専 ら 外 から 描 き 、リラダ ンは内 から 描 いて ゐるが、共 に、人 間 の自 己 疎 外 の果 てに、人 間自 身 が亡 霊 に化 す る物 語であ る。︵ 中 略︶ 人 間 の心 と は、本 来 人 間 自 身 が扱 ふべから ざ るも のであ る。従. ってその扱ひには常に危険が伴ひ、その結果、彼自身 の心が、自. 分 の扱 ふ 人 間 の心 によ って犯 さ れ る。犯 さ れ た未 には、生 き なが. ﹁ ら亡霊になるのである。︵ 楽屋で書かれた演劇論﹂醤云術新潮﹂       . これを 読 む と 本 物 の自 分 の心 を 探 ること の困 難 と 苦 しみを 強 く 感 じるが、だ からと いって、この発 想 自 体 も 珍 しいも のだと は思 えな い。と す れば 、アイデ ィアと して僅 かに新 しいも のは、︿ 鏡 ﹀が 一枚 も 家 にはな いという ことく らいな のかも しれない。 そして、この 一枚 も な いことが原 善 論 の骨 子と な っている。渥 美 孝 子 の論 は先 行 研 究 を 手際 よく まとめている。そこから 原 の論 に関 わ. る部分を引こう。. ﹁ 僕 ﹂は 二みんな ﹀を か つご う と していた﹂。そ の視 点 に立 てば、. が青 年 の頃 の話 を 演 出 している のであ り 、﹁ 鏡 を 置 かな く と も 怪. 現在も青年の頃の影響から免れていないのではなく、現在 の﹁ 僕﹂. 異は出現しうる以上 ︵ 筆者注 “ 中学校の玄関に鏡がなかったこと. を 根 拠 にしている︶﹂鏡 を 家 に置 かないのは ﹁ 聴 衆 を 怖 がら せる演 出 ﹂と いう こと にな って、これまで読 み取 ら れてき た重 いテー マや. ﹁ 深刻な気分は 一蹴される。︵ 上 村 春 樹 ﹃ 鏡﹄ ーーT 反転する語り・ 教室﹀の中の村上春樹﹄ 反転する自 己﹂ ﹃︿ ひつじ書房 8 口 ︶. つまり、原は﹁ が語った家に︿ 僕﹂ 鏡﹀ がない、その発言が虚構であ. り、怖 がら せるための詐 術 だと しているのであ る。. 確かに、作者が軽い気持ちで書いた﹁ 短編近似作品﹂ に重いテーマ. は似 合 わな いのかも しれな い。しかし、﹁ 鏡 ﹂にはこれまでの論 者 の誰 も 気づいていないも っと重 要 な 罵が仕 掛 けてあ った のであ る。. 四 左右の反転 ﹁ 鏡﹂の毘 で、九時と三時に僕は大型 の懐中電灯と木 刀を持 って学校を まわる。左 手に懐中電灯、右 手に木 刀だよ。僕は高校時代剣道 をや っていたから腕には自信がある。相 手が素 人なら、たとえ向. こうが 日本 刀 の真 剣 持 ってた って別 に怖 かな かったさ 。そ の頃 はね。 今 なら 一目散 に逃 げ るよ、も ちろん。ー ﹁ 鏡﹂. 今 ま で誰 も 指 摘 してこな かった のが 不 思 議 な のだが、キモはこの引. 用箇所にある。見回りをするときの持ち物を書いた場面である。. ﹁ 木 刀﹂と ﹁ 懐 中 電 灯 ﹂を 持 って見 回 ること は何 ら 不 思 議 な こと では ない。しかし、問 題 はどち ら の手で、何 を 持 つか、にあ る。﹁ 左 手に懐 中 電 灯 、右 手 に木 刀だよ﹂ここが 問 題 な のであ る。右 手で木 刀を 持. ー. 2 9 −.

(6)    . つところがおかしいのであ る。. 五 揺らぐものは何か. ︵ 川 上 ︶でも 村 上 さ んがここま でや ってこら れ た時 代 の背 景 と 、 今 の作 家 が拠 っている文 脈 は、実 はま ったく違 っているのじゃな いか。 村 上 さ んがデ ビュー 当 時 、デ タッチメントを 選ぶ、と いう ことを 表. って記 述 があ る。. たとえば川上末映子が周到な読みの下で行った最新のインタビュ みみずくは黄昏に飛びたつ﹄︵ ー﹃ 新潮社 8 コ ︶ にも数カ所にわた. いる。. 村上春樹は﹁ 僕﹂ が経験した六〇年代末のことを何度も ロにして. る。ま して、語 り 手 の﹁ 僕 ﹂は作 者 村 上 春 樹 と 十 分 に重 な っている。. こ 罵で 体 だろう 。 の 一 何 起 が き る の 既 に見 たよう に語 り 手 の﹁ 僕 ﹂は 二 つの世 界 で揺 れ動 いていた。し. かし読み手は ヱハ○年代末 の 一連 の紛争﹂の時 代をくぐり抜けて ﹁ 僕﹂の世界を疑いつつも、現実世界として受け止めていたはずであ. たとえば時代劇などで侍は左脇に差した剣を抜き、右手 一本で 敵を切り倒す。そういう場面はよく目にするところだ。利き腕が右 であ るな ら、それはごくごく普 通 のことだと 思 う 。しかし ﹁ 僕 は高 校. 時代剣道をや っていた二傍線筆者︶のである。 剣 道 は居 合 抜 き ではない。. 剣道 の有段者数名に話を聞いた。﹁ 見回りに行くときに、懐中電 灯と木 刀を持 つとします。あなたならどちらの手に木 刀を持ちま す か ?﹂ 答 え は簡 単 かつ明 瞭 であ った。﹁ 左 手で木 刀を 持 つ﹂と 全 員 が答 え た。な ぜな ら 剣 道 では、左 手 で竹 刀を 握 ら ねば な ら な いから であ る。. れな い。利 き 腕 が右 だろう が、左 だろう が、剣 道 ではし っかり左 で竹. 添え手﹂ 右手は﹁ と呼ばれ、補助的な役割しか持たないのである。仮 に右 手だけで、碕麗に面や 小手を入れたとしても 一本とは認めら. 刀を握る訓練が徹底されるのである。つまり、剣道体験者が自然に. だ ったわけです よね。. 明したのは、実際にはとても能動的な行為であり、政治的なこと. 村上 そうですね。六○年代 の学園紛争へ の幻滅感みたいなもの. 木 刀を 握 るとす れば 、それは左 手でな くてはな らないのであ る。 す なわち ﹁ 僕 ﹂が熱 心 に剣 道 を や っていたのであれば、あ るいは ﹁ 素. 人﹂の﹁ さえ恐れない剣道 の猛者 ・ 真剣﹂ 玄人であれば、なおさら右. 葉 が 消 耗 さ れてま ったく無 駄 に終 わ ってしま ったこと への怒 り ﹂、﹁ 理 想 主 義 が二 あ っさ り潰 さ れてしま ったこと に対 す る幻 滅 ﹂、﹁ 戦うと いう 行 為 の中 に二 す ご く 本 物 じゃないと いう か、ニセモノの要 素 がど んど ん混 ざ り 込 んでく る﹂、﹁ 個 人 の思 いなんてどこかに吹 き 飛ば さ れ ﹂﹁ 戦 いと いう 行 為 そ のも のの中 に呑 み 込 ま れ ていってしま う ; 失 望 感 と いう か、幻 滅 ﹂などと 言 い換 え ていく。. ﹁ 六○年代の学園紛争へ を村上は﹁ の幻滅感﹂ 学生運動の頃の、言. からき ているから ね。 注” ︵ で示 さ れている。便 宜 川 上 末 映 子 の発 言 はテキストではー ー︲. 上名前を入れた︶. 手 では木 刀を 握 ら な いはず な のであ る。ところが、語 り 手 の﹁ 僕 ﹂は. ある種得意気に﹁ 左 手に懐中電灯、右 手に木 刀だよ。僕は高校時 代剣道をや っていたから腕には自信がある﹂ と自分の体験を開陳す. るのである。 ﹁ 僕 ﹂の語 っていること 、す な わち ﹁ 剣 道 体 験 者 ﹂であ ること を 信 じ る のな ら 、﹁ 僕 ﹂は左 右 が 反 転 した 世 界 にいると いう こと にな る。そ れは ﹁ 鏡 ﹂と いう 作 品 自 体 が ︿ 鏡 ﹀の中 に取 り 込 ま れ ていること を 示 す のではないか。それは ﹁ 僕 ﹂が実 像 ではなく 、鏡 像 ・ 虚 像 であ ること も 示す。 ﹁ 鏡 ﹂の毘 とはこのことであ る。. ー. 3 9.

(7)    . つま り、スロー ガン的 な 言 葉 の空 疎 さ 、そ の中 で理 想 とは違 う シス テム的 な 闘 争 があ って、個 人がな いがしろにさ れていくこと に失 望 、. 幻滅したのが村上であった。だから、初期の村上春樹は社会的な問 鏡 ﹂の 題 にコミットしな い姿 勢 、コブタツチメント﹂を 貫 いたのであ る。﹁ 波 に呑 みこま れ た 一人 ﹂で ﹁日本 中 を さ ま 中 の﹁ 僕 ﹂も ま た紛 争 の﹁ よ﹂い歩 き 、社 会 に対 して コブタ ツチメント﹂な 人物 と して存 在 す る。 鏡 ﹂を よく 朗 読 す る のだと 言 う 。このこ ま して、村 上 春 樹 はこの﹁ とも ﹃みみず くは黄 昏 に飛びた つ﹄で明 かさ れている。 鏡 ﹂と いう と ても 短 い小 説 を わ り 村 上 う ん。このと ころ、僕 は ﹁ に好 んで朗 読 していま す 。そ の昔 、デ ビュー して間 もな い頃 に書 い. た話。︵ 註・ ﹃ カンガルー日和﹄一九八三年刊所収︶. 村上の朗読の場では、﹁ 僕﹂の声は、あたかも村上春樹の声として. 僕 ﹂はここで村 鏡 ﹂の﹁ 読 み 手 に聞 こえ て来 る のではな いだ ろう か。﹁ 上 と 完 全 に 一体 化 す る のだろう 。しかし、大 切 な のはそこではない。. 村上の言葉を川上が受けた後の発言が大事なのだ。. あれですね、夜の学校のーー 。 ︵ 川上︶ 村上 学校の夜警 の話ね。彼は校内を夜中に警備していて壁に 何 かを 見 る。それ は鏡 に映 った自 分 の姿 な んだけ ど 、それはいわ ば 話か ﹂そ のも ののイメー ジで、彼 はそれを 目にしても のす ご く 深 い恐 怖 を 感 じるんです 。そこに木 刀を投 げ つけて割 ってしま う 。そ してあと も 見 ず に逃 げ 出 す 。ところが、あ く る 日に同じ場 所 に行 ってみたら 、そこには鏡 な んかな かったと いう 話 。それ は確 かに、 悪 ﹂の権 化 のよう な も のを 闇 僕 が 今 言 った のと 同じこと です ね 。﹁ の中 に見 るけ れど 、それは鏡 に映 った自 分 の顔 だ った。でも 、あ く る朝 にな ると 、そこにはも と もと鏡 なんかな かったことがわ かる。 何 と いう かな 、二重 三 重 にな った幻 影 みたいなも のね。. に対する感覚は、﹁ やみく ︵ そもそも村上さんの小説の霧心 川上︶ ﹂. ︵ 川 上 ︶自 分 の中 で時 折 、何 かの拍 子 に見 え てしま う よう な 曇 心 ﹂ と 、外 部 にあ る 霧ご みたいな も のは同 質 と いう か、同 根 だと 思 い ま す か。 村 上 呼 応 しているのかも しれない。. る﹂にしても 、内 的 なも のな のか外 的 なも のな のかと いう のがわ か らないところから スタートしています よね。 村 上 う ん。そ う かも しれない。この﹁ 鏡 ﹂みたいな、も っとも 初 期 に書 いたも のの中 にも それが出 てきているから 。. ここで問 題 にす べきは ﹁ 鏡 ﹂の﹁ 僕 ﹂が 見たも のは 弓悪 ﹄そ のも ののイ 鏡 に映 った自 分 の顔 ﹂であ り、﹁二重 三 重 にな った メー ジ﹂であ り 、﹁ 幻 影 ﹂であ ると いうことであ る。. しかし﹁ 鏡﹂の読み手は、先述 の大修館書店﹃国語総合﹄指導書 相手が心の底から僕 ︵ 筆者は原善︶のように読むだろう。たとえば ﹁. を 憎 んでいる﹂に対 す る 話叩 鏡 に映 る自 分 が現 実 の 句 の解 説 ﹂には、﹁. 自分を憎んでいるということ。鏡 の中が裏だとすれば、日頃は抑圧. さ れていて、そ の結 果 表 の存 在 に対 して憎 しみを も つこと ﹂と あ る。 このよう に表 ・ 裏 あ るいは、現 実 の自 己と抑 圧 さ れた自 己と いった 二 僕 が 見 た のはー ー・ 元 論 で読 む のだろう 。同 じく 猛叩句 の解 説 ﹂での﹁. ﹃僕 ﹄に憎 しみを 持 っていたと いう こと 。日常 を 普 段 に生 き る 人 間 の. なかったはずの﹃ 鏡﹄の存在以外に に対する解説。﹁ ただの僕自身さ﹂ が、実在する 鏡﹄に写っていた﹃僕﹄ 怪異的な部分はない。ただその﹃. 実 在 ﹂す る自 己 の﹁ 内部に いる﹂と あ るよう に、︿ 鏡 ﹀に映 った自 己を ﹁. 内部に潜む隠れた部分が見られることに恐怖があることを表して. 潜む﹂ 部分として読み手は判断するはずである。. け れど も 、﹁ 鏡 に映 った自 分 の顔 ﹂は 司悪 ﹄そ のも ののイメージ﹂で あ り、﹁二重 三 重 にな った幻 影 ﹂な のであ る。単 純 な 二 元 論 で捉 える べき も のではなく 、裏 であ りながら 表 、表 であ りながら 裏 、あ るいは、. ー. 4 9.

(8)     . そ のど ち ら でもな く 、﹁ 内 的 なも のな のか外 的 な も のな のかと いう の が わ から な い﹂も のと して読 むべき な のではな いか。作 者 に依 拠 す べ き ではな いかもしれないが、少 なく とも村 上 はそう 考 えている。そう. すると東京書籍﹃国語総合﹄︵8 コ ︶の指導書の﹁ 補説﹂、その読み が妥 当 性 を持 つかも しれない。. ﹁ 鏡 の中 の像 ﹂と して現 れ る ﹁ 僕 以 外 の僕 ﹂は、そ れ自 体 説 明 し よう がな い存 在 であ る。それは ﹁ 僕 ﹂という 存 在 がいかに根 拠 のな いも のであ るかを 露 わ にしてしま う 。だ からこそほんと う は自 分 自 身 こそが恐 ろしい。そ のよう な 認 識 のず ら しを 、そ の場 の﹁ 主 人﹂たる語 り 手は 巧妙 な 語 り によ って、それこそ教 科 書 的 に遂 行 。﹁ してみ 僕 の 実 か せ て い る 話 が 事 な の 構 な のかは最 後 ま で分 虚 ﹂ から な い。しかし、そう だ から こそ鏡 に映 る ﹁ 僕 ﹂の姿 は捉 え ど こ ろのな い﹁ 不 気 味 なも の﹂としての色 を いよいよ濃 く して、聞 くも の / 読 むも のに迫 ってく る。 と 、このよう に考 え る時 に留 意 す べき は、﹁ 鏡 ﹂の中 に ﹁ 僕 ﹂が 垣 間 見 たと 言 う ﹁ 僕 以 外 の僕 ﹂の存 在 に ついて、弓僕 ﹄の内 部 の醜 悪 な 部 分 であ る﹂と いう 読 みが成 り 立 たな いこと であ る。作 中 、 ﹁ 僕 ﹂は自 身 に向 け ら れた ﹁ ま るでま っ暗 な 海 に浮 かんだ 固 い氷 山 のよう な憎 しみ﹂を 看 取 している。しかしそ のことは ﹁ 奴 ﹂が ﹁ 僕 ﹂の 。 ﹁ 醜 悪 な で し し ﹁ 部 分 あ ら る こ と の 証 に は な な ら 左 い も か た ﹂ 僕﹂ のほう こそが ﹁ 醜 悪 ﹂な存 在 な のであ って、﹁ 奴 ﹂の﹁ 憎 しみ﹂は ﹁ 醜 悪 ﹂な ﹁ 僕 ﹂に向 け ら れた 正義 の﹁ 憎 しみ﹂かも しれな いから だ。も ち ろん、それを 確 定 さ せる記 述 は作 中 にはない。重 要 な のは ﹁ 鏡﹂ の語 りがそれを 決 定 さ せないよう に周 到 に構 築 さ れていること で あ る。そ の結 果 、﹁ 僕 ﹂と いう 存 在 の根 拠 はほと んど 失 わ れ る。だ ﹁ から こ そ 僕 ﹂の話 は恐 ろしいのであ る。少 な くと も ﹁ 鏡 ﹂と いう 小 説 は、﹁ 奴 ﹂を 他 者 と して認 定 す ること で自 己を 確 立 す るよう な 、 アイデ ンティティー の構 図 では読 み切 れな いと 言 え る。むしろ、そ. う したアイデ ンティティー の物 語を 換 骨 奪 胎 してみせることが. ﹁ 鏡﹂ という小説の要諦であろう。︵ 筆者は服部訓和︶. 長 く 引 用 した。ここにあ る のは ﹁ 僕 以 外 の僕 ﹂= ﹁ 奴 ﹂= 弓僕 ﹄の内 部 の醜 悪 な 部 分 ﹂と いう 構 図 ではな いと いう こと だ 。そ の根 拠 は. 弓鏡﹄の語りがそれを決定させないように周到に構築されているこ. と ﹂によると している。あ るいは ﹁ 醜 悪 ﹂を 読 み 取 るのが、﹁ 僕 ﹂の身 勝. 手な 一方的 認識に過ぎないことを、服部は司m識のずらし﹂ と表現. し、先 の図 式 が成 り立 たないことを 根 拠づけよう とす る。 しかし、ここで ﹁ 鏡 ﹂に仕 込ま れていた ︿ あ の毘 ﹀を 思 い起 こすべきだ ろう 。服 部 は ﹁ 記 述 は作 中 にはな い﹂と す るが、アイデ ンティティー を 揺 ら が す 記 述 は確 かにあ そこにあ る。﹁ 右 手 に木 刀だよ﹂と いう 何 気 な い記 述 によ って ﹁ 僕 と い う 存 在 の ィ は リ ア リ テ ー 既 に失 われ ﹂ ているのであ る。虚 像 と しての﹁ 僕 ﹂が 語 る物 語 、それが ﹁ 鏡 ﹂な のだ。 では、虚 像 であ る ﹁ 僕 ﹂が ︿ 鏡 ﹀に映 し出 したも のは何 か ? 仮 に映 ったも のを ﹁ 僕 ﹂が 反転 した ﹁ 実 像 ﹂、﹁ 本 当 の僕 ﹂と考 え てみ よう 。︿ 鏡 ﹀の機 能 と して左 右 を 反 転 さ せることができ る のだ から 、 ﹁ 虚 ﹂から ﹁ 実 ﹂に変 わ ると いう こと も 考 え ら れな いこと ではな い。そ う す ると 、﹁ 僕 ﹂が ︿ 鏡 ﹀を 割 る行 為 の意 味 は次 のよう にな る。虚 とし ての﹁ 僕 ﹂が ︿ 鏡 ﹀を 割 ること で、﹁ 僕 ﹂は現 実 世 界 に 戻 る 回 路 であ る ︿ 鏡 ﹀を 失 ってしま う 。それゆえ 永 遠 に ︿ 鏡 ﹀の中 に閉 じ込めら れ る物 語 、それが ﹁ 鏡 ﹂と いう 小 説 だと いう こと にな る。家 に ︿ 鏡 ﹀が 一枚 も な いのは、﹁ 僕 ﹂が生 き ている世 界 そ のも のが ︿ 鏡 ﹀であ るからだ 、と 。 しかし、この読 みも 虚 と 実 の二 元論 的 な も のにす ぎ な い。それ 以 上 に虚 像 を ︿ 鏡 ﹀に映 す と 実 像 に変 わ ると いう のがナイ ー ブす ぎ る。 虚像を ︿ 鏡 ﹀に映 し出 したと しても 、それは虚 像 でしかない。写 真 を ︿ 鏡 ﹀に映 しても 、実 像 と な ら な いよう にであ る。そこに立 ち 現 れる も のがあ るとす るな ら 、更 なる虚 像 でしかな い。 ここで村 上 春 樹 の発 言 に立 ち 戻 ってみよう 。村 上 は、﹁ 鏡 に映 った.

(9)        . 自 分 の顔 ﹂は 弓悪 ﹄そ のも ののイメー ジ﹂であ り、﹁二重 三 重 にな った. う﹁ 二重 三 重 ﹂の﹁ 幻 影 ﹂こそが、そこに映 し出 さ れたも のと 言え まい. だと言った。あの仕掛けられた罵を考えると確かに村上の言 幻影﹂ ∼. ﹁ 鏡 ﹀が急 に現 れ、恐 怖 のあ ま りそれを 割 ってしま う 。 僕 ﹂の前 に ︿ 人 間 にと って、自 分 以 上 に怖 僕 自 身 ﹂であ り、﹁ そこ映 っていたのは ﹁ 僕 ﹂。以 来 自 分 の家 に いも のがこの世 にあ るだろう か﹂と 認 識 す る ﹁ は︿ 鏡 ﹀を 置 かな く な ったと いう 物 語 。これがこれま での読 み 手が受 僕 以 外 の僕 二 そ 鏡 ﹀に映 った ﹁ 容 していたストー リー であ る。そして ︿ 心 の底 から 僕 を 憎 んでいる﹂﹁ 誰 にも う あ るべき ではな い形 での僕 ﹂﹁ 奴 ﹂の世 界 を 、読 み 手は可 能 癒 す こと のでき な い憎 しみ﹂を 抱 え た ﹁. は現実世界に留まっ 僕﹂ 鏡﹀のない家に住む ﹁ 世界として読み取り、︿. 僕 ﹂の世 ていると 読 むはず であ る。読 み 手は語 り 手 の語 り に従 って ﹁ 界 を 現実 だと信 じ 込むしかないから であ る。 しかし、それは単 純 なトリック、右 手と左 手 の取 り違 え によって無 化 さ れてしま っていた のであ る。も ち ろん服 部 の言 う よう に、そ う い った自 明 的 な 実 在 は語 りレベルでも 揺 ら いでいた のであ る。そ の読 み あ の毘﹀に気 付 くこと。 は鋭 い。しかし、それだけ では不 十 分 な のだ。︿ そ れ によ って現 実 と いう 自 明 性 は 明 確 な 記 述 によ って、あ っさ り 打 ち破 ら れていた のであ る。 この罵﹀があ るために初 め 陳 腐 に思 え る ︿ 鏡 ﹀という道 具 立 ては、︿ この毘 ﹀に気 づかず 、別 の更 にはま っていた て意 味 を 持 つのであ る。︿ 短 編近似作 のがこれ ま での﹁ 鏡 ﹂論 と 言 え るだ ろ う 。作 者 の言 う ﹁ 品 ﹂の実 験 性 はここまで読 んで初 めて担 保 さ れるのであ る。 さ て、﹁ 鏡 ﹂を村 上 自 身 が朗 読 していること は先 述 した。も ち ろん 僕 ﹂の声 僕 ﹂ではな い。しかし、聴 衆 は村 上 自 身 の声 と して ﹁ 村 上は ﹁ を 聞 く 。虚 構 の中 の虚 構 におけ る更 な る虚 構 。そして、そ の語 り の 地 下 ﹂であ り、﹁ 洞窟 ﹂な のだろう 。 場 は村 上 が 比 喰と して使 う 家 の﹁. の権 化﹂ に立ち合って 地下二階﹂から立ち上がる曇心 そこで聴衆は﹁. しま う 。本 物 のボイスと思 っていたも のが全 く の虚 構 だと 気づかぬう. ちに。村上春樹は悪い冗談が好きなようだ。. ・ 本稿は2017年6月17日北海道教育大釧路校国語科教育研究 で発表したものに大幅に 国語を学ぶ会二於帯広北高校︶ 会主催 ﹁. ︵ たぐちこうへ い/北海道帯広柏葉高等学校︶. 訂 正したも のであ る。 加筆 ・. %.

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参照

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