村上春樹作品における音楽
太田鈴子
1 日本文化を否定しないアメリカ文化受容 村上春樹は、物語の中に音楽を登場させている。音楽を単にアクセサリ ーとして読むことも可能だが、登場させているからにはそれが、何かを表 現しているはずである。喪失感を抱き続ける主人公と音楽をどのように関 わらせ、どのように設定しているのか。それは物語にも関わってくるはず である。そこには、村上春樹の音楽に対する考えが浮上しているであろう。 村上春樹の音楽に関するエッセーを見ることから、物語と音楽との関わり に入っていこうと思う。 日々自足していくことができれば、楽しい生活をおくることができるだ ろう。自足するためには自身のいろいろな欲求を解決していくが、自足を さまたげるものには、人との関係や制度にそった生活がある。村上春樹は、 デビュー当時、生きていくことは自分の希望を生きることではないと実感 したことを次のように語っている。 大学を出て働くようになると、 ひっそりと生きていきたいという僕の希望 (ずいぶん虫の良い希望である) は次々に打ち砕かれていった。 現 実とは何か? 限りなく続く資本の投下と回収である。 どれだけもがいてみてもその網から 逃げ出すことなんてできない。 (略) 逃げることはできないから闘う。 二十代 の殆どを(まあ誰でもそうなのだろうけれど)僕はそんな風に闘い続けた (1) 。 人が生きていくとは、現実と闘っていかなければならないことだというの だが、別の文章で、中学生の時、現実と向き合う日々の生活から音楽によ って心が開放された体験を語っている。 (略) 「サーフィンUSA (2) 」はそれまでに聴いた他の曲とはぜんぜん違っていた。 それは本当に新鮮で、 オリジナルだった。 ザ ビーチボーイズといういかに も気楽な名前のバンドが鼻にかかった声で歌うそのあけっぴろげなサーフィ ン ソングは一瞬にして僕を捉えてしまったし、 ある意味では僕の心の扉の ようなものを押し開けてしまったのだ。 うまく言葉で説明することはできな いのだけれど、 そこには何か自分にとって特別なものがこめられているよう に僕には感じられた。その曲を聴いていると、心がひとまわり大きく広がり、 目をこらせば遙か遠くのものが見えるような気がした (3) 。 音楽のように気分を開放するものには、他に美術、文学などがあろう。 学苑 文化創造学科紀要 第八六五号 二七~四二(二〇一二 一一)『風の歌を聴け』から『ダンス
ダンス
ダンス』まで
メディアには今、新聞、雑誌、映画、ラジオ、テレビ、さらにインターネ ットなどがあり、 文化を一人ひとりにつなげている。 鶴見俊輔は、 「文化 はまきちらされるもの (4) 」ととらえている。第二次世界大戦後のアメリカ占 領下にあった日本は、アメリカによって統制され、アメリカ文化をまきち らされたといえるだろう。 国連軍最高司令官マッカーサー元帥がドイツと比較して、日本人は「一 二歳の少年」 「指導を受けるべき状態にあった」 と語った。 よく知られた 上院合同委員会聴聞会での発言 (5) がある。この発言によって日本人は恥辱を 感じ、 マッカーサーの記憶を消し去ったともいわれるが、 「現実には合衆 国に依存し従属していく以外のことを想像することは難しかった」とジョ ン ダワーは、マッカーサー後の日本の現実を分析する (6) 。ジョン ダワー は、日本人がマッカーサーを消し去ろうとしても消すことはできない、日 本人が自分自身を「マッカーサーの子と呼ぶことはすでに習慣のようにな っている」からだ、と述べる。その根拠として、次の二点をあげた。 1 9 5 1 年 4 月マッカーサーが国連司令官を解任された翌日の 『朝日新聞』 社説に「民主主義、平和主義のよさを教え、日本国民をこの明るい道へ親 切に導いてくれた」と掲載されたこと、 1 9 8 4 年 6 月公開の篠田正浩 (7) 監 督 の 映画 『瀬戸内少年野球団』 ( 英 題 は 「 マ ッカーサーの 子 供 たち Ma cAr th ur ・s C hil dr en (8) 」) についてである。 篠田正浩は、この映画について、アメリカに配給する際自身で英語の題 名を選んだ。阿久悠原作のこの作品は、篠田自身の敗戦体験が描かれてい ると述べている。英訳の題名は、日本の戦後に対する皮肉として意訳され たものではなく、篠田正浩が自分の体験を自ら分析した結果選ばれたもの だったのだ。 さらに自らをマッカーサーの子供だと考えるのは、 「体験の 中で私が一番最初にアメリカにやられたなと思ったのは、グレン ミラー 楽団のサウンドを聞いたときなんです。 」 と 述べている。 そしてこのスイ ングが、日本では「海ゆかば」と歌い戦ってきた国内に響く音楽の質との 大きな 違 いに シ ョッ ク を受け、日本の歌 謡曲 を 軽蔑 する自分に、新しい文 明体験とわれわれの文化 否定 を思い知らされた。グレン ミラーの明るさ は、ドイツの ク ラ シ ッ ク 音楽とも 違 うものが篠田自身にのしかかり、新し い 快 楽の体験にもなった。 「 1 9 4 0 年 代 の私にとって、 グレン ミラー サウンドというのは、アメリカに 負 けたという日本の敗 北 感と同 時 に、解 放 感という、このアンビ バ レントな感 情 をこの 曲 で 味 わったわけです ね (9 ) 。」 と、占領軍の 直 接的 教 育 以上に、日本とアメリカの文化の質 的差異 をアメ リカの音楽によって実感したと語る。 このアメリカのスイングに 覚 えた 快 楽についての、篠田正浩の体験 談 は、 村 上 春樹 の次の発言を思い 出 さ せ る。本のタイト ル は『意 味 がなければス イングはない』である。 村 上 春樹 は「あとがき ( ) 」で「スイング」について 「どんな音楽にも 通 じるグ ル ー ヴ 、 あ るいはう ね りのようなものと考えて いただいていい。 ( 略 ) 優 れた本 物 の音楽を、 優 れた本 物 の音楽として 成 り 立 た せ ているそのような 何か = so me th in ge lse のことである。 」と 説 明している。 篠田正浩にとっても 「グレン ミラー楽団のサウンド」 「ス ウィング」は日本の歌 謡曲 には感じられない音なのだ。同 書 の「 ブ ライア ン ウィ ル ソ ン 南 カリ フォ ル ニ ア 神話 の 喪失 と 再 生 」で 村 上 春樹 は、ア メリカの ポ ッ プ スに 出 会った 衝撃 を述べている。 初 め てビー チ ボ ーイ ズ の音楽に 出 会ったのは、 たしか 1 9 6 3 年のこと だ。 僕 は 十四 歳で、 曲 は 「サー フ ィン USA 」 だった。 机 の上にあった 小 さ
なソニーのトランジスタ ラジオから流れてくるそのポップソングを初めて 耳にしたとき、 僕 は文字どおり言葉を失ってしまった。 僕 がずっと聴きたい と思っていたけれど、 それがどんなかたちをしたものなのか、 どんな感触を 持ったものなのか、 具体的に思い描くことができなかったとくべつなサウン ドを、 そ の曲はこともなげにそこに出現させていたからだ。 それはきわめて ナチュラルでありながら、 同時にきわめて意志的なサウンドだった。 構 造的 にはきわめて単純でありながら、 同 時にきわめて精緻な感情を伴った音楽だ った。 (略) 「ザ ビーチ ボーイズ」 、 それがそ 、 の 、 連 、 中 、 の名前だった。 そして そのときから、 ビーチ ボーイズは僕の青春の、 ひ とつの象徴のような存在 になった。 あ るいはひとつのオブセッション (ついて離れない観念) になった。 僕はそれからしばらくの歳月を、 何の留保もなく、 ビーチ ボーイズの音楽 とともに生きた ( ) 。 終戦後の日本に、 アメリカのスイングがまきちらされたといえる。 「グレ ン ミラーサウンドによって、私は日本がオキュパイド、占領されたとい う実感を思い知らされたのだと。それは 2 つの意味があるんですね。それ はアメリカニズムという新しい文明体験、文化体験であると同時に、われ われの文化を否定する力を持っている と (8) 。」 と 、 日 本の文化を否定するほ どグレン ミラーに驚いた篠田正浩だが、映画「グレン ミラー物語」が 日本で上映されたのは、 1 9 5 4 年二四歳の時である。その後もアメリカ は映画、ラジオ、そしてテレビという新しいメディアを通して、豊かで明 るい開放的な文化をまきちらし、日本人はアメリカ文化の快楽を体験した。 村上春樹も音楽によってアメリカ文化を体感したが、篠田正浩とその経験 による受け止め方には差異がある。 村上春樹は、 「僕の心の扉のようなも のを押し開けてしまったのだ。 」「その曲を聴いていると、心がひとまわり 大きく広がり、 目をこらせば遙か遠くのものが見えるような気がした。 」 と語り、その音の意味は「僕がずっと聴きたいと思っていたけれど、それ がどんなかたちをしたものなのか、どんな感触を持ったものなのか、具体 的に思い描くことができなかったとくべつなサウンドを、その曲はことも なげにそこに出現させていた」 だ 。 村上春樹は、 その音を聴く前に、 す でに自分の中にそれを持っていたのだ。自分はその世界に存在しているの だが、表現できなかった世界だ。篠田正浩はグレン ミラーのサウンドを 聴くまで、自分の、戦前の日本の中にいることに違和感はなかった。だか ら、アメリカの音を聴いた時アメリカを肯定し日本を否定することになっ たのだろう。約一二歳の違い。戦前に生まれ戦中を経験した者と、戦後に 生まれた者の自由に対する感覚の違いがみえる。村上春樹は、アメリカの オルタナティブ ロックのR . E . M . について 「ボーカルのマイク ス タイプがインタビューで、 僕は子どものころビーチ ボーイズのファン で、ストライプのボタンダウンのシャツを着てたんだ なんて言っている から、ああ、僕と同じようなものだなと思って ( ) 」と、日米の隔てなく「僕 と同じ」と感じているのも、アメリカ文化が占領したとか、アメリカ文化 がまきちらしたというとらえ方と違うのである。スタイプは 1 9 5 0 年生 まれで村上春樹より一歳年下、グループのデビューは 1 9 8 0 年で、村上 春樹より、やはり一年後だが、ほぼ同じ頃活動を始めている。彼の内部に おきていた自由に個人として生きたいという欲求が一気に吹き出したので ある。 村上春樹が、 1 9 7 9 年のデビュー作 『風 の 歌 を聴け 』 から、音楽 関係 の曲名、 歌 手 名、グループ名、そして 歌 詞 を 登場 させているのは、一 〇代 、
二〇代の記憶に、ロック ポップスを中心とした音楽が存在しているから なのだ。佐藤良明 ( ) は、六〇年代当時の若者とロックについて「海辺のトラ ンジスタラジオから流れ、まだLPなどになかなか手の届かなかった世界 のティーンエイジャーの心と体を揺り動かしていた。若者が若者として一 かたまりであった時代。 そのイノセンスは、 たぶんもう永遠に戻ってこ ない ( ) 。」 と 、 評している。 世界の多くの一〇代の若者が同じロックバンド のスイングに酔っていたとは、もちろん世界中ではない。ロックに酔うこ とのできる豊かな経済状況にある国の若者ということなのだが、彼らの気 分には、国境がなかったとする一つの時代評だといえよう。しかし村上龍 は、ポップスは生活を楽しくする大切な感覚表現だと考え、母語で歌える ポップスの必要性を説く。日本語のポップスがないことを嘆き、やっと桑 田佳祐が「ビートに従う日本語」を捜すことのできる才能を持って登場し たと絶讃している。母語で歌うことで心を取り戻すことができると、母語 で歌うポップス感覚の大切さを訴える ( ) 。アメリカ文学を高校時代から原書 で読んでいたという村上春樹には、ポップスが母語でなくてはならないと いうこだわりはない。 2 束縛のない自由な「個人」の心を開く音楽 自身の音楽歴について村上春樹は、小学生の頃、近所の大学生のところ でジャズを知り、一五歳からジャズを聴き始め、その時同時にビートルズ が出てきたといっている。新しい音楽で圧倒的なインパクトがあったが、 ビーチ ボーイズの音楽がぴったり来て、 「魂のいちばん奥まで響くよう なものがあった。 」 高 校の後半からシェーンベルクなど聴き始めたと語っ ている ( ) 。こうした中学時代からの音楽歴が、最新の長編『 1 Q 8 4 』にま で及ぶことになるのだ。ジャンルは、ロック ポップスに限らず、クラシ ック、ジャズ、そしてムードミュージックなどだが、日本の歌謡曲はない。 おそらく「ずっと聴きたいと思っていた」曲でないからであろう。日本人 が歌うものを聴かないというのではない。ポップスを歌っていたザ ピー ナッツは聴いていたと語っている ( ) 。 村上春樹の各作品に登場する音楽を一覧した書籍が出版されているが、 中でも充実しているのは、小西慶太の『村上春樹の音楽図鑑 ( ) 』である。小 西慶太に依って、 栗原裕一郎が音楽関係の固有名 詞 を 数 えているが、 『 ダ ンス ダ ンス ダ ンス』をピークに、音楽固有名 詞 を登場さ せ る 頻度 が 減 っているという 結果 となってい る () 。 読んでいるだ け でも 『 ダ ンス ダ ンス ダ ンス』 の曲 数 は圧倒的だが、 数 えて み れば、 第 2 位 の 『ノル ウ ェイの 森 』 の 倍以 上である。 『 風 の歌を聴 け 』から『 ダ ンス ダ ンス ダ ンス』まで、 初期 の作品では、語り手が一〇代から二〇代 前 半頃の記憶を 拾 いながら、 自分の 内面 を知ろうとしている。 ほぼ 六〇年代後半から 七 〇年代にか け て の、ロック ポップスが登場する。固有名 詞 として登場する曲やバンドは 必ずしもその時代をリードしたり、 ヒ ットチャートの上 位 をしめていたも のばかりではない。佐藤良明は、その時代を、LPなどに手の届かなかっ た世界のティーンエイジャーが、海辺のトランジスターから流れる「いま だかつて存在しなかった サ ウ ンド」や 恥 ずかしいような曲に、心と体を揺 り動かし「若者が若者として一かたまりであった時代」だったと 述べ たが、 村上春樹の作品に、ロック ポップスを 旗印 に一かたまりとなっていた若 者は登場しない。村上春樹には「自由になりたい、個人になりたい」とい う思いが 強 くあって、これら 初期 の 物 語でも、 主 人 公 は「個人であること、 自由であること、 束縛されていないことが 何 より 重 要だった」 。 大きな 会
社に勤め、家庭があることは「一種のセキュリティが働いているというこ と」 で、 日本はそうしたセキュリテイに対する信頼が強かったが、 「都市 生活者、家族のない浮き草のような男を主人公にして、彼が物語りに巻き 込まれ、そこでどんなふうにものごとを見ていくか、何かが起こったとき それにどのように対処するか」 を記述し、 「パースペクティブを綿密に維 持することが」大事だったという ( ) 。アメリカ文化ではなく、ビーチ ボー イズの音との出会いが捜していた音との出会いだと述べていたように、こ の「個人になりたい」という願いも、アメリカが個人重視の文化を持って いるからあこがれたのではなく、自分自身が「個人」であることを求めて いたことが根底にある。アメリカの文化を学んでそれがよいと思ったので はない。アメリカで 4 年半ほど暮らし帰国して村上春樹は河合隼雄に次の ように語っている。 「日本にいるあいだは、 ものすごく個人になりたい、 (略) グループとか団体とか規制とか、そういうものからほんとに逃げて逃 げて逃げまくりたいと考えて、 (略) ひとりで小説を書いてました。/ (略) アメリカに行って思ったのは、そこにいると、もう個人として逃げ出す必 要はない (略) ぼくの求めたものはそこでは意味を持たないことにな る () 」 日本ではみんなで個性をのばそうとしているが、気がつくと、個が集団に まざり一体になってしまっている。日本では個人ということがわかりにく いと言う。 束縛を回避し、個人になりたいという人物設定は、一人の男が持ってい るものを全て見せることだ。その男の欠点や弱さを見せるしかない。誰も かばってくれない。というより誰かに依存することを避ける主人公は、自 分から知人を作ろうとせず、家族とも疎遠で、気の合う仲間である鼠とも とことん話し合うことはしないのである。妻との離婚に際しても「それは 君の問題だ」 (『羊をめぐる冒険』 ) と言って、 自分の意見で人を左右しよう としない。妻であっても他者であり、他者の考えに口を出そうとしない。 冷たくもあり、また相手を尊重しているともとれる。だからといって、人 に関心がないわけではなく、コンタクトを落とした同級生の手助けをし、 酔いつぶれた女性を介抱する (いずれも 『風の歌を聴け』 ) 。 個人、 自由、 家 族でさえも束縛と感じる男の心が、 喜怒哀楽や愛情を感じる心を捨てた人々 が作る街の物語を作り上げ、本当にそこで生きることができるかどうか考 えることになる (『世界の終りとハードボイルド ワン ダ ー ラ ンド』 ) 。 束縛の ないことが自由な個人なのだと考える主人公が、心を 外 部 に 向 けて 開 くの が、音楽そのものなのである。それは『風の歌を聴け』から『 ダ ンス ダ ンス ダ ンス』までに 登場 する音楽の存 在 意味でもある。音楽の 扱 いから だけではなく、一人 称 語りといった 形式面 から見ても『 ダ ンス ダ ンス ダ ンス』までで一 線 を 引 くことができることから、この 時期 を 初期 と考え てよいだろう。 『風の歌を聴け』 では、 ラ ジ オ の デ ィスク ジ ョッ キーが、 リス ナ ーの心 をつな ぎ とめ、またつなぐ 役割 として 登場 する。彼自身、誰かとつながり たがっている男で、他との遠 近 をはかるようなことができないのだ。主人 公の生き 方 からいえば お せっかいな男。自分も誰かに何かを 期 待 している 男である。 デ ィスク ジ ョッ キーからの 電 話を 受 けた 時 の主人公は、 4 ヵ月 前 に自 殺 した彼女のことを 忘 れられないでいて、その事 実 を心の 中 に 抑圧 しようと、記 憶 の 中 からこれまで自分から 去 っていったもの、また 亡 くな った 祖母 や 叔父 を 貶 め、彼女の欠点をあげ、自分が 喪失 の 宿命 にあると語 るのである。束縛されずに人と 良 い関 係 を 続 けていくことは 無理 なのだか ら、 喪失 を 続 ける主人公自身の、人との関 係 についての考え 方 にも 原因 が
ありそうであるが、失い続けることを思い出しながら、主人公は無常を感 じているかのように、行動せず、何もせずジェイズバーに隠れる。ピーナ ツを食べビールを飲むことに時間を費やす。そうした主人公に電話をかけ てきたのが、ディスクジョッキーである。主人公の心を開き、ジェイズバ ーで酔いつぶれ自宅に送り届けてくれた主人公を誤解していた女の子と再 会するきっかけを作る。主人公は、記憶の中から喪失したものばかり取り 出し、ラジオに葉書を出してくれた同級生の女の子のような、自分を覚え ていてくれる人を思い出そうとしなかった。リクエスト葉書を出した同級 生は、主人公を 3 年間忘れずにいたのであった。彼女は、コンタクトを探 し て く れ た お礼に「 カリフォルニア ガールズ ( ) 」 の入 ったビーチ ボーイズ のLPを貸したと葉書に書き、 主人公もその ことを思い出す。 「カリフォ ルニア ガールズ」は、作詞者のマイクがツアー先で知り合った女の子を 唄ったもので、アメリカ中の女の子を唄い、結局カリフォルニアの女の子 が一番だという楽しい歌詞のポップな曲だ。イントロがシンフォニックで、 ゆったりとしたメロディが巧みに転調していく美しさがある。大ヒットし、 1 9 8 5 年にカバーされて、再び大ヒットとなった ( ) 。小説には歌詞が引用 され、主人公にラジオ局から謝礼として送られてきたTシャツの絵が描か れる。もともとリズムのある文体の作品は、これによって全くポップにな り、軽い小説という印象を読者に与えた。主人公の気分は、少し外部に向 いてTシャツをすぐに着てレコードを買いに行く。レコード店で酔いつぶ れていた女の子と再会し、誤解を解くきっかけとなる。レコードを貸した 同級生とは再会できないが、主人公は新しいその女友達と夏休みを過ごす のである。 村上春樹はビーチ ボーイズを初めて聴いた時、 「心の扉のよ うなものを押し開けてしまった」と語っていたが、ビーチ ボーイズの曲 の中では特に、 「FUN FUN FUN」が一番好きだという ( ) 。歌詞は、 図書館に行くといって父親にサンダーバードを借り、友達にみせびらかし、 男の子とカーチェイスをしていたら見つかって車をとりあげられがっかり している女の子。でも僕はその方がハッピー。一緒に楽しめるという、気 楽で無邪気で明るいストーリーだ。ビーチ ボーイズは、曲も歌詞もこれ までの生き方に縛られないワクワクする新しさをはらんでいて、自由な気 分に心を開放するのであろう。 『ダンス ダンス ダンス』 で、 五反田君 も口ずさんだのがこの歌である。五反田君は心を開放したいと願うが、す でに道を誤ってしまっていた。もう少し早く、ビーチ ボーイズを思い出 す機会に出会えれば、新しい気分を呼び 戻 すことができたかもしれないと 想像 させる。 『ダンス ダンス ダンス』 では、 両 親から 育児 放 棄 されたような 存在 である ユ キが、ロック ポップスから心の開放を 得 ている。 札幌 から 帰 る 際 、主人公は ホテ ルのフロント 係 の、 ユミヨ シさんから、 母 親に 置 いてい かれた ユ キに 東京 まで同行するよう 頼 まれる。 ウ ォークマンを 耳 からはず さない ユ キと 共 に、出 発 が 3 時間 遅 れた 飛 行機を 待 つ間、レンタカーのカ ース テ レオから大きな 音 で 音 楽を聴くことにする。初めは ユ キの 持 ってい たカ セ ット テ ープを聴く。ロー テ ィーンの女の子が好きそうな歌が 流 れる 中、主人公が一五、 六歳 の 頃聞 いた曲のカバー曲があり、主人公は テ ープ に合 わ せて歌う。 流 れるロックン ロールが心 地良 く主人公はリラックス して時 々 歌いながら 雪 道を 走 っていると、 テ ープが 終 り、 ユ キは主人公が 借りてきた テ ープに 関 心をしめす。オールディーズが 流 れ、主人公は テ ー プに合 わ せて歌いながら、 ユ キと同じ年の 頃聞 いていた曲で、 今 より 若 い 時の ほ うが何を 聞 いても楽しかったというと、 ユ キは人とつきあうより
「音楽を聴いてる方が楽しい」 という。 主人公が自分と同様ロック ポッ プスが好きであり、自分の話しに共感してくれることがわかると、ユキは 心を開いていく。ロック ポップスに対する共通の反応が二〇歳の年の差 を縮め、不信感を信頼感に変えたのである。 心が音楽によってやすらぎ、信頼関係が生まれるという音楽の力を、村 上春樹は信じている。 『世界の終りとハードボイルド ワンダーランド』 でも、 その力を発揮している。 壁に囲まれ出口のない世界は、 「誰も傷つ けあわないし、誰も憎みあわないし、欲望も持たない。みんな充ち足りて、 平和に暮らしている。 (略) それは心というものを持たないから」なのであ り、心がない者は音楽を知らない。図書館の彼女の心を見つけたいと願う 主人公が、 手風琴によって歌に導かれ、 「ダニー ボーイ」 のメロディー にたどり着き、繰り返し弾く。そのメロディーは心にしみわたり、力が抜 け、筋肉と心をほぐしていく、メロディーは歌を求めていたことを気付か させる。心を持たないはずの彼女が涙を流し、彼女の心の断片を含んだ獣 の頭骨が光り出しはじめる。音楽が、固まってしまっていた心をとかして いく場面である。音楽は心を取り戻す力があると語っている。 心が踊ると一歩踏み出すことができ、心が温まると人と話しがしたくな る。音楽は心を外に向けて開く力があると、物語は語っている。音楽が物 語を展開させ、 主人公の語りを前に進めているのである。 『ダンス ダン ス ダンス』では、前作『羊をめぐる冒険』で鼠を喪った主人公は、その 出来事に関わる全てを具体的に、実際的に、整理し、検証するのに半年間 じっと部屋に籠もり続け、誰とも話さず、電話にも出ないで、ドアのノッ クにも、別れた妻からの手紙にも答えないで、一冊の本も読まず新聞も開 かず、音楽も聞かなかった。 1 9 7 9 年の 1 月から 6 月までだという。つ いに社会に戻るべきだと決心する瞬間は、いくつかの音楽と心との相関関 係が描かれた村上春樹の作品群の中でも最も感動する場面である。年月の 設定をよく見れば、 『風の歌を聴け』 はこの時書かれたことになる。 作品 の掲載が 1 9 7 9 年 6 月号であるのだが、作者の現実から切り離して、物 語の世界だけを見ると、主人公は社会復帰の決意をした時、書いたのであ る。 『風の歌を聴け』は学生の頃の思い出を主な内容としたために、鼠は、 元 気である。しかし鼠はすでにいなかったのだ。そうであれば、物語の 底 に 重 く 沈 んでいた喪 失 感、 無常 感は、 仏文 の自 殺 した彼女 ( 直子 ) と鼠で あったことになる。あるいは、鼠を 失 ったことの方が 大 きかっただ ろ う。 自分の内面を、自 我 を語らない主人公であるから、 何 を感じていたかは 明 らかではない 。 一 ついえることは 、『 ダンス ダンス ダ ン ス』では、 鼠も 彼女 ( 直子 ) も語られないことだ。 6 ヵ 月間籠もり、 整理し、 記憶 の 底 に しまったからなのだ。 整理できた時に、ずっと 傍 にいてくれた 猫 の「いわし」に 死 が 訪 れる。 主人公の最 後 の 仲 間が、 去 っていったのだ。 「一 度死 んでしまえば、 それ 以 上 失 うべきものはない。それが 死 の 優 れた 点 だ」と 記 す主人公は、 確 か に、 『風の歌を聴け』 を書いた 「 個 人」 を生きようとする主人公である。 主人公は「いわし」について、自分と同様、 他 者との関わりを持つことが できなかったと 考 える。 「彼の人生は決して 幸 せな 代 物ではなかった。 と くに誰かから 深 く 愛 されたわけでもないし、とくに 何 かを 深 く 愛 したわけ でもなかった。彼はいつも不 安 そうな 目 で人の 顔 を見た。自分はこれから 何 を 失 お うとしているのだ ろ う、というような 目 で () 」主人公を不 安 そうな 目 で見上 げ ていたと 言 われるいわしは、鼠の物語を反 芻 する主人公の 傍 に いたのである。 甘 えることのないいわしだが、主人公の 傍 を離れず見 守 っ
ていた。共にいながらお互いに愛していなかったと言い切る主人公は、い わしを自分を映す鏡とし、いわしに「個人」でありたいと願うために、人 を受け入れることのできない寂しさを見ていたのである。死後が現実より 幸せであることを願わずにはいられない。死によって、人との関係から自 由になるという主人公の考えが、 「それ以上失うものはない」 といういわ しへの言葉に表れている。 「いわし」 は、 主人公が心の整理を終える頃を 見計らって主人公の傍から離れるという設定は、個人の自由を求め、束縛 を避けて生きる主人公が望まなくとも見守る存在がいるということであり、 また、見守ってもらいたいという主人公の願望の表れを語っているとも読 みとることができる。 いつも傍にいた「いわし」を失い、埋葬するために、久しぶりに車に乗 り、ロック ミュージックを聞きながら西に向かう。久しぶりに聴くポッ プスやバラードになじめず、批判的になる。いつの時代もつまらない曲ば かりだといい、自分自身がティーンエージャーだった頃の音楽をも思い出 して、ティーンエージャーに買わせる大量消費音楽の再生産だと消費経済 にも言及してくる。そしてローリング ストーンズの「ブラウン シュガ ー」が流れた時、こだわりすぎる自分がおかしいのではないかと疑問をも つほど、素敵だ、まともだと真剣に聞いてしまう。これは、一つの事件に だけ向かっていた思考が、音楽によって少しずつ解凍されていく状態では ないだろうか。再生産製品としか思われない、新鮮味のない、似通った曲 の羅列への怒りには、鼠を自殺に追い込んだ事件に対する怒りがあるだろ う。鼠は、強い力を持つことを嫌い、弱い者のままでいることを願って死 を選んだ。再生産とは、時代、社会を支配する強い力、すなわちシステム への迎合ともいえる。世間が何にもこだわらずに、体制に殉じて変化を嫌 い無難な道を進んでいくことへの怒りである。ひっかかるようなエレキギ ターの音で始まる 「ブラウン シュガー」 。 題名に使われた 「シュガー」 は、英俗語でヘロインや可愛い女という意味があるとのことで、歌詞は、 ミック ジャガーが叫ぶように 「 ta stes og oo d」 と 、 ひ たすら快楽だけ を歌う内容だ。ローリング ストーンズ、 1 9 7 1 年のヒット曲。ロック に自由を感じ、この曲をまともだと思う主人公は、周囲の評判を気にしな い「個人」への共感を感じていたにちがいない。 埋葬した帰りは、何も考えずに音楽に耳をすませていると、レイ チャ ールズの 「ボーン ト ゥ ルー ズ () 」 が聞こえてくる。 「 僕 は生まれてから ずっと失い 続 けてきたよ」 「そして 今君 を失おうとしている」 。主 人 公 は 「心の一 番柔 らかい 部 分に 触 れる」 「 哀 しい曲」だと思う。主人公は 涙 が出 そうになるほど、感 動 してしまう。 サ ー ビ ス エリ ア でレストランに入り、 コ ーヒーを 飲 みながら。 暗 い 土 の 中 の「いわし」のことを考える。 僕 にも お 前 にも「それが 相応 だ」と考え 納得 しようとする。再 び 思い出してもら えないだろうというあきらめと 同 時に、生が 喪 失感に 満 ちたものであれば、 死もまたそれに見合ったものになるという 悟 りでもある。 「ボーン ト ゥ ルーズ」は曲 想 も歌詞も、主人公の心 境 と ぴ ったり合 致 した曲として選ば れている。レイ チャールズは一 単 語、一 単 語てい ね いに 叙情 に流れない よう感 情 を 抑 え、 喪 失感を 全 て受け 止 めるような大きさを感じさせながら 歌い込んでいる。 涙 は心を 浄 化する 役割 を 担 って、主人公は、新たな気持 へ切り 替 え、 「社会に 戻 る べ き時」を感じる 展開 である。埋葬の道 行 きは、 村 上 春樹 の 作 品 中 、 最 も心 打 たれる 場 面 である。曲の配列が素 晴 らしく、 主人公の 悲 しみが心理 描写 なしで 伝 わってくる。感 情 表現がないからこそ、 より 悲 しみが 伝 わってくるともいえるだろう。 『ダ ンス ダ ンス ダ ンス 』
は 、 この 後 「 オドルンダヨ 」 という 暗 示 のようなことばによって 、 社 会 の 中 へ歩み出すのだが、物語の終曲はユミヨシさんというホテルで働く女性を 求める自分の気持を主人公が認め、 「個人」 が 「個人」 とつながろうとす る。デビュー作以来追求してきた「個人」が、他者にコミットする方向へ と向かう端緒である。 『ダンス ダンス ダンス』 の語り初めと、 終曲は 呼応した構成になっている。社会に戻った主人公は電話局に勤める彼女と つきあっているが、結局彼女は主人公を理解できず、別につきあっていた 男と結婚し去っていく。 彼女との時間の中で、 「ヒューマン リーグ」 と いうイギリスのバンド名に対して見解が違い、 無意味な 「馬鹿げた名前だ」 という自分は「非常にまともな人間だ」と思う主人公を描く場面と呼応す るのである。 バンド名を特にゴシックで表記していることでも、 そ れ に 意 味を持た せていることがわかる 。「 ヒューマン リーグ ( T heH uma nL ea gu e) 」 は直訳すると、人間の人間らしい連盟となるだろう。人と人とのつながり を意味している。このバンド名は、次第に人とのつながりが広がっていく 主人公の物語の展開を暗示し、終曲でユミヨシさんを失うまいとして大き く踏み出す主人公にまで影響している。 音楽の登場は読者を楽しませるが、村上春樹が音楽を登場させるのはア クセサリーとしてではない。物語の登場人物の考えや心理に関わる役割を もっている。 3 クールじゃなかったビートルズ 思いつきで曲を登場させていなかったことは、物語に設定した年月と、 ヒット曲の発売年月が一致しており、時代背景を表現していることからも よくわかる。ヒット曲について不思議に思われるのは、ビートルズの曲の 登場が少ないことである。 ビートルズについて村上春樹は、先に紹介した『考える人』で、レコー ドを買わなかったと述べ、ビートルズの曲名を作品名とした『ノルウェイ の森』 ( 1 9 8 7 年) から 7 年後のエッセーでは、 好きな名曲はそれほどで ないものよりずっと多い、といいながらも、ビートルズのシングル ヒッ ト曲は「ラジオのスイッチをつければいやがおうでも」聞こえてきたから 知っているとか、 「はっきり言って そんなものどうせイギリス人のやっ ている音楽じゃねえか と思っていた」 「当時の僕にとってはクールじゃ なかっ た () 」 な ど、 評価は低い。 物語におけるビートルズの登場は、 まず 『 1 9 7 3 年のピンボール』 で 双子がビートルズの 『ラバー ソウル』 を 買ってきたところである。主人公はビートルズが嫌いのようで、不機嫌に なるが、気持を切り替えコーヒーを飲みながらレコードを聴く。 1 9 6 5 年の暮にビートルズは重要なアルバムをリリースした。それが、 『ラバー ソウル Ru bb erS ou l』 である。 こ のアルバムからビートルズは 従来のロック グループの衣を脱ぎ去り、 洗練 され、 計 算 され、 内省的 な、 ポ ップ ミュージックの 新 たな次 元 を開いていった。 「ジ ャケ ット デ ザ インもなにもかも自分た ち でやった 最 初のアルバムだ ( ) 」とジ ョ ンがいった という。 1 9 6 6 年初 頭 、 ビーチ ボーイズの作曲を 担 当する ブ ライアン ウ ィ ルソンは『ラバー ソウル』を聴いた。ここに 収 められた曲がすべて 高 い価 値 がある曲で 占 められていることにシ ョ ックを 受 け、自分もこれ以 上のものを作ると大 急 ぎで 新 しいアルバムの 準備 に 入 った。 「 新 しいアル バムはスピリチュアルな音楽でなくてはいけない。 ( 略 ) 自分の 歌詞 ではだ めだし、ましてやマイクでは自分の 望 んでいるような 歌詞 は 書 けるはずが ない。そこで 若 きコピー ライ タ ー、ト ニ ー アッシ ャ ーを ニ ュー アル
バムの共作者に選んだ。 (略) それまでのビーチ ボーイズのサウンドとは まったく違う複雑な音像とハーモニー、海や浜辺の女の子も登場しない内 省的な歌詞、そして全編を通して気品が漂っていた ( ) 」。 『ペット サウンズ P etS ou nd s』である。 村上春樹は「ビーチ ボーイズの音楽は今でもよく聴いてますよ」とい って、 未だにビーチ ボーイズがぴたりと来ることを語る。 また、 『ペッ ト サウンズ』の翻訳もある。しかし、ビートルズと競って、ブライアン が精魂こめて作ったアルバム『ペット サウンズ』は、一度も作品にもエ ッセーにも取り上げない。おそらくポップが不足していて物語にあわない のだろう。 実際、 『ペット サウンズ』 はビーチ ボーイズらしくない、 踊れなくてはだめだとレコード会社が判断し、次のアルバムからは、元の スイングに戻ったという ( ) 。 『 1 9 7 3 年のピンボール』 には、 もう一箇所ビートルズが登場する。 友人と翻訳専門の事務所を開いた時、 雇った女事務員が 「ペニー レイン」 が好きで、一日に二〇回も口ずさむというのだ。 「ペニー レイン P en ny L an e」は 、「 ストロベリー フィールズ フォーエバー St ra wb er ryF iel ds F or ev er 」 と のカップリング曲で、 両面A面シングルだ。 「ロック史上最 大にして最強のシングル ( ) 」という評があるのも当然といえるすばらしい 2 曲だ。彼女は片面だけを気に入ったという設定である。 「ペニー レイン」 は、ポールが中心となる作品で、故郷リヴァプールに実際にあるバス通り を描き、 理髪店、 銀行、 消防署などすべて実在するという。 「ストロベリ ー フィールズ フォーエバー」はジョンの作品で、やはりリヴァプール の孤児院がモデルだが、そこをイメージとして使い、少年時代から感じて いた孤独感を歌う ( ) 。自我 ( ) を語ることを嫌う村上春樹が、 「ペニー レイン」 の方を選んだのには、納得がいく。この事務員だが、物語をたどっていく と『羊をめぐる冒険』で離婚した主人公の妻と、次の二点によって一致す る。 一点は、 主人公が離婚について共同経営者にそれを話した時、 「彼女 とは僕も友だちだったしさ、 (略) 我々と彼女が三人で働いていたことを覚 えているか? ( ) 」と彼が相談もなく別れたことについて、不満気に言う場面 がある。もう一点は主人公の結婚生活は 4 年 間 であることから、物語の中 の時 間 をさかの ぼ っていくと、 「ペニー レイン」 を口ずさむ事務員に当 たるのだ。ビートルズが別れの 原 因 になったとは一 切 語っていないが、ビ ートルズ好きを 知 っていて結婚し、結 局 彼女がジ ャ ズ ギタ リストの 男 と つきあってしまったことが離婚の 原 因 となる。音楽をからめた離婚 へ のス トーリー 展 開は、村上春樹らしいこりようである。 ビートルズの曲で村上春樹の作品といえば、 『 ノ ルウ ェ イの 森 』である。 直 子が好きだった曲で、 ワ タ ナ ベト オ ルには、 直 子の自 殺 をつきつけられ る 辛 い 思 い 出 の曲である。 直 子は、 ワ タ ナ ベト オ ルに気 持 が 惹 かれる気 持 と自 殺 した 恋 人を 裏 切 りたくない気 持 との 間 で 罪悪 感にさいなまれ自 殺 し たとも 読 め、 療養 所で 直 子と同 室 だったレイコは、 ワ タ ナ ベト オ ルの 部屋 で 直 子のお 葬式 だと「 ノ ルウ ェ イの 森 」 他 を歌いながら、 ワ タ ナ ベト オ ル に 恋 情 を 告白 し 迫 る。ト オ ルは女 性 たちを理 解 できない。ビートルズの曲 は、主人公の心に 張 り 付 いて取れない女 性 の描 出 に使われている。離婚 後 送 られてきた元妻の 手紙 に、 「 私 が心 配 しているのはこの 先 あなたが 関 わ っていくであろう人々のことです ( ) 」とあるように、主人公に翻 弄 される女 性 たちが 去 った 後 、主人公もまた心にしこりを 抱 いている。 思 い 出 さ せ る 音楽が、 ビートルズという設定なのである。 村上春樹は、 「 耳 にしたとき から二 十 年の 歳月 を経てやっと、ビートルズの音楽っていいなあと 初 めて
実感」 した。 またその頃 「 ノルウェイの森 という小説を書き始めたわ けだが、最初の飛行機のシーンに出てくる音楽は、やはり ノルウェイの 森 でなくてはならなかった ( ) 」と語っている。村上春樹にとって、ビート ルズはクールではなかった。ビートルズは、ポップ不足ということであろ うか。ビートルズの曲は、メッセージ性が強いのである。村上春樹のいう 「自我」に訴えるのにちがいない。 村上春樹にとって、音楽は現実なのだ。幻想世界を呼び寄せるものでは なく、夢の中で聴くものではなく、そのサウンドは、現実に外部へと心を 開くのである。 『ダンス ダンス ダンス』 までは、 デタッチメントの主 人公にとって音楽が大きな働きをしている。すなわち彼等は自分の意志で、 個人的なデタッチメントを守ろうとしている ( ) 。その個人がポップな音楽に よって、心が外部へ向き、他者と向き合う。その時、心は、すべてを自身 で統括できるほど強くはないということに気づいている。 『世界の終りと ハードボイルド ワンダーランド』で、主人公が歌を思い出したいと思い、 楽器を求めていく場面が重要なのは、他者と共にあることを拒み、個人で ありたいと願っていても、心は外部に向けて開こうとしているのだという ことを語っているからだ。河合隼雄との対話で「コミットメントというこ とがぼくにとってはものすごく大事になってき た () 」 と いっている。 『風の 歌を聴け』から『ダンス ダンス ダンス』まで、音楽は、デタッチメン トであろうとする主人公に、外部とのコミットメントをうながす。喪失感 に傷つく心をうるおし、つながりたいという一歩をふみ出させる存在とし て登場している。 『ダンス ダンス ダンス』 という作品名もまた、 音楽 の力を表現しているといえよう。 注 ( 1 ) 村上春樹「八月の庵 僕の 方丈記 体験」 (『太陽』 1 9 8 1 10) ( 2 ) サーフィンUSA 『 Su rfi n・U SA 』 ( C ap ita l) は 「作曲 C hu ckB er ry& B ria nW ils on 1 9 6 3 / 5 リリース。 チ * ャック ベリーの ・S we et L itt le Six te en ・ に、 サ ー フ ィ ン の 名 所 の数 々を織り込ん だ詞を つ け た も の 。 タ イ トルはアメリカの 都 市の名を織り込ん だ チ ャ * * ビー チェッカーの ・T wi sti n・ US A・ にひっかけたもの。 」 (VANDA編 『 ザ ビーチ ボーイズ コンプリ ート 2 0 0 1 T HE B E AC HB OY S C omp let e2 00 1』 2 0 0 1 シンコー ミュー ジック) * チャック ベリー C hu ckB er ry : ロックン ロール創始者の一人とい われる。 チャック ベリー楽曲はカバーされているが「ロックン ロール ミュージック ( Ro cka ndR ollM us ic) 1 9 5 7 年リリース」 は、 ビー トルズ、 ビーチ ボーイズ他がカバーしている。 ・S we etL itt leS ix te en ・ は 1 9 5 7 年リリース。 ** C HUB B YC HE C KE R・ T HE T WI ST /T WI ST IN・ US A・ ( 1 9 6 1 年 リリース) チャビー チェッカー R& B /ポップ シンガー。 1 9 4 1 年生まれ。 得 意の物真似を織り交ぜた、 デビュー作の 「 T heC la ss 」は 中 ヒットを記録。 そ の後、 ハ ンク バラード&ザ ミッドナイターズの 「 T heT wi st 」 の カバーが全米で大ヒットを記録し、 フ ィラデルフィアか らニューヨークを中心に ツイスト は大流行し、社会現象にまでなった。 参照 ht tp :// www. nig ht be at re co rd s.c om/ ?p id =4 05 73 02 5 ( 3 ) 村上春樹 著 「ビーチボーイズ T heB ea chB oy s」 ( 佐藤 良明 柴田元幸 編 『ロック ピ ープル 1 0 1 』 1 9 9 5 新 書 館 ) p. 35 ( 4 ) 鶴見俊輔 は「 大 衆芸術論 ラジ オ文化 」 (『 限 界 芸術論 』 1 9 9 9 ちくま 学 芸文庫 ) で、 「 文化 は 何 かによって、 まきちらされているところのもので ある。まきちらされることなしに、 各 人のたましいの中に、自 然 にしっか り 育 つものではない。/ 文化 は、まきちらされるものであるが、 文化 が 特
別の所にあらかじめあって、 次 にそれが、 まきちらされるのではない。 (略) 文化はまきちらされることによって文化となるのだ。その文化が、ま た新しくまきちらされる事によって、 文化の更正と存続が行なわれるのだ。 」 ( p. 119) と述べている。 こ の論では、 音 だけで個々の心に入り込もうとす るラジオの強制力の危険性について述べている。 「ラジオによってまきち らされる文化は、向うからわれわれの家の部屋の中まで押し寄せてくる。 われわれ自身の側ではスイッチを入れるというただの一撃における自発性 を要求されるのみで、あとはスピードも思想の進め方もすべて向うまかせ である。ここにラジオが、これまでのいかなる通信手段にもまして、偉大 なる強制力を発揮する理由がある」 ( p. 122) と述べ、 これは独占資本や政 府の統制下にあるラジオが人々を結びつける役割を果たすことを指摘し、 そうした構造的変化をあきらかにする分析的な小説も現代史もあらわれて いない未成熟さを指摘する。 ( 5 ) 1 9 5 1 年 5 月 5 日上院合同委員会聴聞会での、日本人は占領軍の下で得 た自由を今後も擁護していくのだろうか。日本人はその点信用できるかと の問いに対するマッカーサーの発言。 「そうですね、 ドイツの問題は、 完 全かつ全面的に日本の問題とは違っています。 ドイツ人は成熟した人種 a ma tu rer ac e でした。 /もしアングロ サクソンが人間としての発達と いう点で、科学とか芸術とか宗教とか文化において、まあ四五歳であると すれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的 には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。 近代文明の尺度で測れば、われわれが四五歳で、成熟した年齢であるのに 比べると、 一二歳の少年といったところ lik ea bo yo ft we lv e でしょう。 /指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範 とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを 植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、 新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。 (後略) 」 (ジョン ダワー著 三浦陽一 高杉忠明 田代泰子訳 『敗北を抱きしめて 下 第二次大戦後の日本人』 ( 2 0 0 1 岩波書店) p. 405~ 406 ( 6 ) ジョン ダワーは前掲書で、日本のア メリ カ合 衆 国 との 関係 が 主従関係 で あり、 民主国 家としての自 立 は 認 められていないことを指摘している。 「日本占領全 体 が、 ア メリ カの 圧 倒 的な家 父長 的 権威 に 黙 従 することを大 前 提 としていたし、独 立 による 主 権 の 回復 が近 づ き、 冷 戦の パ ー トナ ーと して日本が 再興 していく間も、ア メリ カ人たちが日本に 平 等 の 関係 がやっ てくると 予 期したことはまったくなかった。新しくできた日本の軍 隊 は、 疑 問の 余地 なくア メリ カ合 衆 国 の コ ン ト ロー ル の下にある 小さいア メリ カ軍 であったし、新しい日本の 経 済 は、ア メリ カの 援 助 と 庇 護に大きく 依 存していた。 他 方で、日本 民主 化の 計画 は 急速 に 放棄 され、日本の 旧保 守勢 力の 復 活 は 許 され、かつ、 再 軍事化は 促 進されていったが、それは 冷 戦の 敵味 方の 区 別なく 多 くの 国 々を 驚 かせ、 警 戒 させた。こうした状 況 で は、日本が独 立 したといっても、 予 見 できる 将来 において、現 実 には合 衆 国 に 依 存し 従 属 していく 以外 のことを想 像 することは 難 しかった。独 立国 というのは 名目 だけであり、 ほ かのすべてにおいて、日本は合 衆 国 の 保 護 国 ac lie nts ta te であった。 」 p. 408 ( 7 ) 篠 田正 浩 : 1 9 3 1 年 3 月 9 日 岐阜県 生まれ。 映 画 監督 。 妻 は 女優 岩下 志 麻 。 従 姉 は 美 術家 篠 田 桃江 。 1 9 8 6 年『 鑓 の 権 三』 ( 原作 近 松門左衛門 ) で ベ ル リ ン 映 画 祭 銀熊賞 。 1 9 9 0 年『少年時代』で日本アカ デミ ー 賞最 優 秀 監督 賞 。 ( 8 ) 篠 田正 浩監督 『 瀬戸内 少年 野球団 』は、 原作 阿久悠 1 9 8 4 年 6 月に 公 開 された。 ヒュ ース ト ン 映 画 祭 外 国 語 映 画 賞 受 賞 。 終 戦後、教 育 方 針 が変 更し、とまどう 淡路島 の少年たちが 野球 に 打 ち込 む姿 を 描 いている。 夏 目 雅 子 最 後の 作 品 となった。 主 な キャ ス ト には 渡辺謙 、 郷ひ ろみ、岩下 志麻 、 島 田 紳 助 、大 滝 秀 治 など。 英 語 タ イ ト ル は 意 訳され「マッカーサーの子 供 たち Ma cAr th ur ・sC hil dr en 」とつけられた。 阿久悠 の小説の 表紙 は 横尾
忠則が担当している。篠田正浩は、この表紙に対する自身の解釈と英訳題 名の根拠について、 2 0 1 1 年 1 月 22日に行われた「城西国際大学メディ ア学部映像芸術コース設立記念対談」 (「城西国際大学メディア学部映像講座」 村川英 ht tp :// www. jiu .a c.j p/ bo ok s/ bu lle tin /2 01 1/ me dia /mu ra ka wa .p df ) で、 「飛び上がっている少年の絵がすごくいいなと思って、 裏をひっくり返し ましたら、何とマッカーサーの横顔がイラストされていたんですね。じゃ あ、この少年はマッカーサーズ チルドレンだなと思ったんですね。/事 実この 瀬戸内少年野球団 はアメリカのオライオンという映画会社が配 給したんですけれども、 そのときに 篠田、 どういうタイトルにするんだ と言ったので、 マッカーサーズ チルドレン と。 ということは、 今日 の題名 [対談のタイトル 「日米戦争 戦後はこうして始まった」 ] にある戦後は どうして始まったのかというのは、言ってみればわれわれがマッカーサー ズ チルドレンになった。/ (略) 私にとって 瀬戸内少年野球団 という のは、まさしく中学 3 年、 14歳のときに味わった私の敗北体験、亡国体験、 天皇の存在の消滅、 これが私にとって 瀬戸内少年野球団 の 少年 瀬戸内 という言葉から引き受けた少年であったわけです。/ 野球団 はまさしくアメリカのベースボールは正岡子規によって、野球という名前 に変えられたと言われていますが、本当はもっと別の人が野球という翻訳 したんだと言われていますけれども、私はこの 瀬戸内少年野球団 で、 この 野球団 がアメリカに占領されている僕たちだと。これはもう一遍 アメリカに倣う、少年がアメリカに従うと。マッカーサーズ チルドレン であって、昭和天皇チルドレンや赤子ではないと。赤子からチルドレンに 変えられた、これが私にとっての戦後体験だとこの本の題名を理解したの です。/阿久さんの小説を読んだのは 1 9 8 2 年なんですね。言ってみれ ばこれは戦争直後だったら、そんなことは考えられないと思うんですね。 だから、私にとっては戦争に負けて 60年が過ぎて、やっと日本の敗戦を物 語として自分の中で再構築しようということになったわけですね。 」と 、 占領を見直した時、マッカーサーによって教育されたことが現実体験だと 語る。 ( 9 ) 篠田正浩は前掲の対談で以下のように語る。 「中学 4 年で学校が季節はずれの休みがありました。 岐阜の町も爆撃を 受けて、焼け野原なんですね。戦争前から兄や姉がレコードを買っていた レコード屋さんが戦後になってバラックの中に店を開いたんですね。その 店先から焼け跡に聞きなれぬ音楽が流れてきたんですね。初めのうちはど ういう楽器からあの音が出ているんだろうと思ったら、グレン ミラー楽 団のサウンドだったんですね。これは ムーンライト セ レ ナ ーデ で、 裏 側 が 暁の セ レ ナ ーデ という SP版 (ママ) だったんですね。私はひとつの楽 器が 鳴 っていると 錯覚 する ほ ど、見事なアンサン ブ ルでした。こんなサウ ンドでアメリカは戦争をやっていたのかと。 こ ち (ママ) は 海ゆ かば み づ くか ばね、 山 ゆ かば 草 む すかばね でやってきたのを、こんなスウィングで、 日本を占領しに 来 たのかと。これはものすごく ショ ックで、その後の リ ン ゴ の 唄 や 美空 ひばりのデ ビュ ーの 歌 とか、そういう日本 歌謡 は、もの すごく 軽蔑 していたんですね。/私にとっては、日本人が日本の 歌 を 取 り 戻 すというよりも、グレン ミラーサウンドによって、私は日本がオ キュ パ イド、占領されたという実 感 を思い 知 らされたのだと。それは 2 つの 意 味があるんですね。それはアメリカ ニ ズ ム という 新 しい 文 明 体験、 文 化 体 験であると 同 時に、 われわれの 文 化 を 否定 する 力 を 持 っていると。 グレン ミラーの 明 るさというのはわれわれの 軍 歌 やなんかで体験してきた、ある いは日 独伊三 国 同 盟 で体験したドイ ツ のベートーベンの音楽、 モ ー ツァ ル トの音楽とはまるで 違 うものが、私の上にのしかかってきた。これは占領 されたと 同 時に、 新 しい 快 楽の体験にもなったんですね。 1 9 4 0 年 代 の 私にとって、グレン ミラーサウンドというのは、アメリカに負けたとい う日本の敗北 感 と 同 時に、解 放 感 という、このアン ビ バレントな 感 情 をこ の 曲 で味わったわけですね。 /そして、 この映画の一 番 ラストに、 アイ
アム アン アメリカン ボーイ という、中学校に進学した少年たちが 英語を学んでいます。われわれのときは ジス イズ ア ペン だった んですね。 まさしく哲学的なテーマだったんですね。 (笑) ところが、 こ の戦後の英語の教育は、 アイ アム アン アメリカン ボーイ この 政治的言語が今も続いている/ (略) この映画のラストシーンが私の究極一 番の狙いなんですね。われわれはマッカーサーズ チルドレンになってし まった。現在では沖縄は日本の領土だと思っている日本人はいなくて、ア メリカがちゃんと守ってくれるはずだと。日米安保条約というのは、憲法 9 条の戦争放棄のバックアップとして、心を許している間に、日本人は沖 縄を自国を自分たちで守るということを忘れてしまった。/去年の秋、ニ ューヨーク映画祭で、私の特集があったので、そのときに私はスピーチを したんです。アメリカの国の中で選挙をやると、オバマという黒人を大統 領にするデモクラシーがある。ところが、沖縄でアメリカの基地は要らな いというスローガンを掲げた市長が当選したら、それを無視しようとして いると。アメリカはデモクラシーの国であるならば、沖縄での選挙の結果 はアメリカも受け入れなければ、アメリカは本当の民主主義とは言えない と。もしアメリカが選挙結果を聞いて、アメリカが普天間から基地を撤廃 してくれるなら、日本はアメリカと命懸けで一緒に戦争をやってやるぞと 言ったら、拍手が来たんですよね。/アメリカは自分たちの国境の外へ出 たら、覇権国家だということが今もあるわけですね。そのラストシーンを かけてください。 (後略) 」 ( 10) 村 上春樹 「 あとがき」 『意味がなければスイングはない』 ( 2 0 0 8 文春 文庫) p. 337 ( 11) 村 上春樹 「ブライアン ウィルソン 南カリフォルニア神話の喪失と再生」 (注( 10)に同じ) p. 43 ( 12) 「 特集 村上春樹 ロ ン グ イ ン ダ ビ ュ ー 」 (『考 え る 人』 季刊誌 2 0 1 0 年夏号 新 潮社) p. 74 ( 13) 佐藤良明 : アメリカ文学者。元東京大学教授。専攻は、アメリカの文学 思想、 ポ ピュラー音楽。 著 書 『 ラバーソウルの弾みかた ビートルズか ら 時 のサイエンスへ』 ( 1 9 8 9 岩波書店) 『 J-P OP 進化論 「ヨサホ イ 節 」か ら「 Au to ma tic 」へ 』( 1 9 9 9 平 凡 社新書) 『リトル チ ャ ロ』 完 全版 Vo l. 1 3(英語 脚 本、 栩木玲子共 同 執筆 )( 2 0 0 8 2 0 0 9 NHK 出 版 )(注( 3 ) 執筆紹介及び wi kip ed ia 参照 ) ( 14) 佐藤良明著「 Ro ckP io ne er s& P opF av or ite s( 19 55 19 69 )ロックが 若 さ を、 若 さが自 由 を意味したころ」 (注 ( 3 ) に 同じ) 「戦後生まれの 世代 が 大学生の 半数 を 占め た 六五 年あた り からは、フォークがビートを 呼び込 み、 ロックがアートを 目指 していくという 動 きが 始 まる。 先導 者はまずディラ ン (略) ビートルズ、 ス トーンズら 超 メジ ャ ーなバンドを 含 め 、す べ ての 意味あるバンドが、新 曲 を出す 度 に新しいことをやっているという、後か ら思えば 奇跡 的な時が、レイト シックスティーズの一時 期 のロックを 包 んだのである。 (略) という話はもちろん神話で、統 計 的な 事実 はこれとは いささか 違 っている。 六 〇 年 代 の ヒ ット 曲 を 見 れば、 (略) けっこう 恥 ずか しいものだらけでもあったわけだ。 そ れらの 歌 が ゲット バック や ホン キ ー トンク ウィメン な ど と一緒に 海辺 のトランジス タ ラジオ から 流 れ、まだ LP な ど になかなか手の 届 かなかった 世 界 のティーンエイ ジ ャ ーの心と 体 を 揺 り動 かしていた。 若 者が 若 者として一かたま り であっ た時 代 。そのイ ノセ ンスは、た ぶ んもう 永遠 に 戻 ってこない。 」 ( 15)村 上 龍 「無 敵 のサ ザ ン オールス タ ーズ」 ( 桑田佳祐 『ただの 歌 詩 じゃねえか、 こんなもん』 1 9 8 4 新潮文庫) で「 お とうさんや お かあさんが一生けん め い 働 いた お かげで、日本は 立 ち 直 り 、 ほ とん ど の人が 夕食前 にビールを 飲 んだ り できるようになった。 (略) ビールを 飲 む 、うまい ! (略) すて きな ワ ンピース、 買 った、うれしい ! /それらのシンプルなことがポッ プスの本 質 である。 (略) 大 切 な 感覚 に つ いて 表 現されるものだ。/だから、 ポップスは 強 い。ポップスは 売 れる。す べ ての 表 現はポップスとなってい
くだろう。 」( p. 255~ 256「桑田佳祐の、) ビートを一途に信じる力、 ビートに 従う日本語を捜す才能、そんな人間が日本にも出てきたと知ったら、Sさ んは希望をもてたかも知れない。/歌は革命を起こせない。/しかし、歌 は、自殺を止める力を持っている」 ( p. 258) と、ポップであることが、感動 と希望を人に与えるから、母国語のポップスが必要だと説くのである。 ( 16)注 ( 12)に同じ。 ( 17)注 ( 12)に 同 じ 。 p. 65「最近はむちゃくちゃなのを聴いて走ってます。 レディ ガガのあとにザ ピーナツが出てきたりとか、それはもうひどい ものです(笑) 。」 ( 18) 小西慶太著『村上春樹の音楽図鑑』 ( 1 9 9 8 ジャパンミックス) ( 19) 栗 原裕一郎著 「 第 5 章 村 上春樹と 80年代以後の音楽 」(栗原裕一郎監 修『村上春樹を音楽で読み解く』 2 0 1 0 日本文芸社) 栗原の算出した数 :『風の歌を聴け』 24『 1 9 7 3 年のピンボール』 25 『羊をめぐる冒険』 30『世界の終りとハードボイルド ワンダーランド』 63『ノルウェイの森』 81『ダンス ダンス ダンス』 177『国境の南、 太陽の西』 21『ねじまき鳥クロニクル』 51『スプートニクの恋人』 35 『海辺のカフカ』 47『アフターダーク』 21『 1 Q 8 4 』(Book 3 まで) 44(以上 p. 150~ 151) また、 『ダンス ダンス ダンス』の前後でもうひとつ変化しているのは、 ロックとポップスの割合が減ることだと指摘し、 ロック ポップス : ジャズ クラシックその他 で比較している。 『風の歌を聴け』 16: 8 『 1 9 7 3 年のピンボール』 12: 13『羊をめぐる冒険』 18: 12『世界の 終りとハードボイルド ワンダーランド』 33: 30『ノルウェイの森』 49: 32『ダンス ダンス ダンス』 149: 30『国境の南、 太陽の西』 1 : 20 or 5 : 16(ナット キングコールとビング クロスビーをポップスに 加えた場合) 『ねじまき鳥クロニクル』 23: 28『スプートニクの恋人』 4 : 31『海辺のカフカ』 19: 28『アフターダーク』 14: 7 『 1 Q 8 4 』 9 : 35(以上 p. 152~ 153) ( 20)注 ( 12)に同じ。 p. 67 ( 21)『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 ( 1 9 9 9 新潮文庫) p. 14 ( 22) 「 カリフォルニア ガールズ C ali fo rn iaG irl s」 作曲ブライアン ウィ ルスン B ria nW ils on マイク ラブ Mi keL ov e 作詞マイク ラブ 1 9 6 5 年 7 月『 Su mme rD ay s( An dS umme rN ig ht )』( C ap ita l) に 収録。シングル盤同時発売。 (注( 2 )に同じ) ( 23)『カリフォルニア ガールズ』は、脳天気なポップスと考えられているが、 アメリカ賛美ともとれるという批評がある。 ポ ール ウィリアムズは 「 カリフォルニア ガールズ の歌詞にはその気の利いたところに加えて 意味が二様にとれる狂信的な愛国主義にいらいらさせられる」 (『ブライア ン ウィルソン、そしてビーチ ボーイズ』五十 嵐正訳 2 0 0 0 ブルース イ ンターアクシ ョ ンズ) と 述べ る。 p. 186 ( 24)「 FUN 、 FUN 、 FUN 」(村上春樹 安 西 水丸 著『 象工 場のハッピー エ ンド』 1 9 8 6 新潮文庫 初 出 1 9 8 3 C BSソニー出 版 ) p. 56 ビーチ ボーイズ 「 F unF unF un 」作 曲 B ria nW ils on& M ik eL ov e 歌詞 Mi keL ov e 1 9 6 4 / 3 『 Sh utD own V olu me 2』 ( C ap ita l) 「こ のアル バ ムの 目玉 であり、 先立 ってリリースされたシングル ・F unF un F un ・ は、そのビートに 満 ちたドライ ヴ 感、一 部 の 隙 もない 完璧 なハー モ ニー、マイクのリードと サ ビのブライアンのフ ァ ル セ ットの 絶妙 の 切 り 替 えが 決 まったビーチ ボーイズの最 高傑 作ナン バ ーとなった。 ( 略 ) 強 力な ハー モ ニーを持ったビートルズの出 現 は、ビーチ ボーイズ最 大 の 脅威 と なった。 自信作 ・F unF unF un ・ の最 高 位 は 5 位 だったが、 それは 1 位 から 4 位 までビートルズのナン バ ーが 独占 した 結 果 だった」 (注 ( 2 )に 同 じ。 p. 24) ( 25)『ダンス ダンス ダンス(上) 』 2 0 1 1 第 22刷講 談 社文庫 p. 37 ( 26) B or nT oL os e/ Ra yC ha rle s 1 9 6 2 年に発 表 したアル バ ム『 モ ダン
サウンズ イン カントリー&ウエスタン』に収められた。ムーディーな ストリングスで 映 画 音 楽のようなイントロ 。 ストリングスとコーラスをバッ クに 、 ソ ウルフルに 歌 うカントリーバラード 。 作 詞 F R ANK IEB ROW N / T E DD A F F AN 作曲 F R ANK IEB ROW N /T E DD A F F AN 歌詞は Al lm y lif eI ・v ea lwa ysb ee ns ob lu e/ B or nt ol os ea ndn ow I・ml os in gy ou ではじまる。 ( 27) 村上春樹「木を見て森を見ず ノルウェイの森 の 」 (『ニュールーディ ーズ クラブ 3 』 1 9 9 4 シンコー ミュージック) p. 81 ( 28) 中山康樹『これがビートルズだ』 ( 2 0 0 3 講談社現代新書) p. 110 ( 29)注 ( 2 )に同じ。 ( 30) 2 0 0 5 年ジム フジーリが出版した『ペット サウンズ』を村上春樹は、 2 0 0 8 年翻訳出版 (新潮社) した。 「神さまだけが知っていること 訳者あとがき」 に 、 発 売当初ファンとし ては、 ず いぶんサウンドの感じが違い、 「ファン ファン ファン」 みた いなものの方が楽しいと思い、 『ペット サウンズ』 の革新的、 独創的な 点が理解できなかった。その真意が多くの人に理解されるまでに、ある程 度の時間を必要とするものと述べている。 ( 31)注 ( 28)に同じ。 p. 172 ( 32) C D 『 MAGICAL M YSTERY TOUR』 解 説 北 野知行 ( 1 9 9 8 E MI R ec or dsL T D ) ( 33) 村 上春樹は、 「純文学」 の メインとなる心理描写、 面倒なことを面倒に書 くことだが、読んでおもしろくない。といって自我について「机に向かっ てものを書くときだけ、僕は特殊な場所に足を踏み入れていくことのでき る人間になります。 (略) 地上に生きている分には普通だけれど、地下を掘 っていく能力と、そこに何かを見つけて、それを素早くつかみとって文章 に置きかえる能力だけは、普通の人以上のものをたぶん持っているのだと 思う。 (略) 僕は地上にある自我に対してはほとんど興味が持てないし、そ れを描こうとも思わない。 」 と 、 透 けて見える自我は興味が持てないとい う。注( 12)に同じ。 p. 66 ( 34)『羊をめぐる冒険(上) 』 1 9 8 5 講談社文庫 p. 79~ 80 ( 35)注 ( 25)に同じ。 p. 35 ( 36)注 ( 27)に同じ。 p. 82 ( 37)注 ( 21)に同じ。村上春樹は、デタッチメントについて次のように語って いる。 「僕が小説家になって最初のうち、 デタッチメント的なものに主に目を 向けていたのは、単純に コミュニケーションの不在 みたいな文脈での コミットメントの不在 を描こうとしたのではなくて、 個 人的なデタッ チメントの側面をどんどん追求していくことによって、いろんな外部的価 値 (略) を取り払って、 それでいま自分の立っている場所を、 僕なりに明 確にしていこうというようなつ 、 も 、 り 、 があったのだという気がします。 」 p. 14~ 15 ( 38)注 ( 21)に同じ。 p. 18 引用文中の/は 改 行を 示 す。 (おおた れいこ 日 本 語 日 本 文学 科 )