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村上春樹初期三部作における<僕>の人物像:―『羊をめぐる冒険』を中心に―

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(1)平成二二︵二〇一〇︶年度 兵庫教育大学大学院学位論文. 村上春樹初期三部作における︿僕﹀        ﹃羊をめぐる冒険﹄を中心に. の人物像. 教科・領域教育学専攻. 言語系︵国語︶コース. MO九一二四F.     田口 真弥.

(2) 目次.

(3) 第一章. ﹃風の歌を聴け﹄1︿僕﹀は文章を書くことで、何かを獲得しえたか. 死への恐怖⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮:⋮⋮⋮・⋮⋮−⋮⋮⋮⋮・⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮4.  第一節  ﹃風の歌を聴け﹄の空白⋮⋮⋮:⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・⋮:::⋮:::1.  第二 節. 文明と伝達⋮⋮⋮:⋮⋮⋮・⋮⋮⋮:⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・:⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮12.  第三節  ﹁存在理由﹂⋮⋮⋮⋮⋮⋮−・⋮⋮⋮⋮⋮⋮−・⋮⋮⋮⋮⋮⋮−・⋮⋮⋮−⋮⋮⋮・・⋮⋮⋮−⋮8  第四 節. 書くこと⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・:⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮:⋮⋮⋮⋮・⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・16. ﹃1973年のピンボール﹄一︿僕﹀のコミュニケーション能力.  第五 節 第二章.  第一節  ︿直子﹀の解釈⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮:⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮⋮18. 弱っている﹁配電盤﹂ ⋮⋮⋮⋮:⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮:⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮:⋮⋮⋮・23.  第二節  ︿直子﹀の存在⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮:⋮⋮・:⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮20  第三節.  第四節  ﹁配電盤﹂の葬式とその後::::⋮::⋮⋮:⋮::⋮⋮:::⋮::⋮⋮⋮⋮⋮:⋮⋮⋮⋮28.  第五節  ﹃1973年のピンボール﹄1︿僕﹀の人物像⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・⋮30. 一. 1. ︸.

(4)  第一 節. 第三章. 人物造型と先行研究 :⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・:⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮33. ﹃羊をめぐる冒険﹄1︿僕﹀の人物造型.  第二節  ︽孤独感︾と︽依存︾ ⋮⋮⋮⋮−⋮⋮・:⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮−⋮⋮⋮⋮⋮・⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・34.  第三節  ︽対応力︾ ⋮⋮⋮:⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮:⋮.⋮⋮⋮:⋮⋮⋮.:⋮⋮⋮⋮⋮⋮.⋮⋮⋮⋮⋮⋮41. 第四章. 冒険諦の主人公⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮⋮52. ﹃羊をめぐる冒険﹄−︿僕﹀の成長.  第四節  ︻受動性︼ ⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮:⋮⋮・⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・:⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮44.  第一節.  第二節  ︽依存︾の脱〇三ぎ。⋮⋮⋮−−・⋮⋮⋮⋮−⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮⋮−・⋮⋮:⋮:54. ﹃羊をめぐる冒険﹄1︽社会性︾︽歴史性︾.  第三節  ︽対応力︾の発生と減退⋮⋮⋮⋮:⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮−⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮59 第五章.  第一節  ﹁三島事件﹂:⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮−⋮⋮⋮⋮・⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮64.  第二節  ﹃十二滝町の歴史﹄ ⋮⋮⋮:⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・⋮:⋮⋮⋮⋮⋮・⋮69.  第三節  ︿アイヌの青年﹀壮︿僕﹀ ⋮⋮⋮⋮:⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮⋮⋮74.  第四節  ︽社会性︾︽歴史性︾⋮⋮⋮・⋮・⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・:⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・⋮77. おわりに :⋮⋮⋮⋮⋮⋮・:⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮:⋮⋮⋮⋮・:⋮⋮⋮⋮⋮⋮・⋮⋮⋮⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮⋮⋮79.  . H. 一.

(5) 凡例. 本稿で引用した村上春樹のテクストは左記による。なお、引用に際して、ルビは原則として省略した。. ﹃風の歌を聴け﹄講談社文庫︵二〇〇四年九月、二〇〇八年九月第一八刷︶. ﹃1973年のピンボール﹄講談社文庫︵二〇〇四年一一月、二〇〇八年三月第一五刷︶. ﹃羊をめぐる冒険﹄講談社文庫︵二〇〇四年一一月、二〇〇八年三月第=二刷︶. 一. m. 一.

(6)  本稿では、村上春樹初期三部作を取りあげる。第一章は﹃風の歌を聴け﹄︵﹃群像﹄、 一九七九年六月︶、第二章. は﹃1973年のピンボール﹄︵﹃群像﹄、一九八○年三月目、第三章から第五章までは﹃羊をめぐる冒険﹄︵﹃群像﹄. 一九八二年八月︶を対象とする。従来の研究において、これら初期テクストは﹁軽いタッチ﹂に書かれており、. ︽社会性︾︽歴史性︾がない、とまで言われてきた。本稿の目的は、それぞれのテクストにおける主人公︿僕﹀. の人物像を中心に据えて、﹁軽いタッチ﹂と︽社会性︾︽歴史性︾が乏しい原因を追究することにある。なお、こ. の検証によって村上春樹初期テクスト、ひいては村上春樹文学の評価を変える論を提示したい。.  第一章  ﹃風の歌を聴け﹄   ︿僕﹀は文章を書くことで、何かを獲得しえたのか   第一節  ﹃風の歌を聴け﹄の空白.  村上春樹の処女作である﹃風の歌を聴け﹄は群像新人賞を受賞、一九七九年六月に﹃群像﹄に掲載された。四. 〇章とあとがきで構成されたテクストは、一九七八年=一月に二九歳を迎える︿僕﹀が、 一九七〇年の八月八日 から八月二六日までの一九日間の出来事を回想するという形式をとる。.  このテクストの主人公︿僕﹀については、これまで深く追求されておらず、その人物造型を本格的に論じたも. のは数少ない。わずかに、社会との関係性を築けなかったところにく僕﹀の特徴を見る小菅健一︵,︶の論だけであ. る。小菅は﹁社会︵他者︶とはどこかポイントがズレてしまったまま、独自のライフスタイルで、︿非凡﹀に生. きてきてしまった﹂のが主人公く僕Vだという。小菅の見解によれば、︿僕﹀を含めた作中人物に固有名が与え. られていないこと︵小菅は固有名の欠落を社会的関係が結べない徴表と見ている︶がく僕﹀の存在感の稀薄性を. 生み出し、それがテクストの致命的な欠陥になりかねないと指摘する。その上で、テクストは、回想する︿僕﹀. 一. ﹂﹁.

(7) 一. L. 11現在の︿僕﹀が、回想される︿僕>11過去の︿僕﹀を客観的に位置付けることによって、かろうじてその危険. を回避できたと言う。すなわち、小菅の見解によれば、回想される︿僕﹀は、社会的関係において幼児性をその. まま残してしまった、存在感の稀薄な人物であり、回想される︿僕﹀そのものは取るに足りない存在ということ. にもなろうか。小菅の論を除くと、見渡した範囲内の﹃風の歌を聴け﹄研究は、︿僕Vの語りの機能には着目す. るが、人物像に関しては具体的な論及がほとんどない。そうした事態を生む要因は、︿僕﹀の語りそのものが抑. 制され、明確な人物像を結ぶために必要な情報が必ずしも十分に与えられていないような趣があるからだ。.  そもそも﹃風の歌を聴け﹄というテクストは、 一人称の︿僕﹀が、︿僕Vの過去と、 一九七か年八月の現在と. を語るという形式をとっている。例外が︿脊椎の病気の女の子﹀である。︿脊椎の病気の女の子﹀という、この. テクストの語りの大枠から外れた異質な部分は取り敢えず措いて、﹃風の歌を聴け﹄というテクストの大部分を. 占める、︿僕﹀が語る一九七〇年八月と、︿僕﹀の過去の領域のことから始めたい。︿僕Vによって回想されるく僕V. の過去の世界は、︿僕﹀の視点を離れることなく、︿僕﹀の語りによって支配・統御されている。︿僕﹀の世界は、. ︿僕﹀という人物によって構築されている以上、その世界のありよう、すなわち、﹃風の歌を聴け﹄というテク. ストを支配し決定しているのは、その世界を生き、そして、回想する︿僕﹀という存在である。そういう︿僕﹀. の支配を逃れているのがく脊椎の病気の女の子﹀であり、そこにく僕﹀がく僕﹀の体験・過去として想起された ものとの異質性が出現する。.  この﹃風の歌を聴け﹄というテクストは時間軸に沿って構成されず、あたかも、あるべきストーリーを断片化. することによって意図的に物語を拒否しているかのように見える。テクスト冒頭で︿僕﹀は﹁完壁な文章などと. いったものは存在しない。完壁な絶望が存在しないようにね﹂と語りだす。そして﹁僕に書くことのできる領域. はあまりにも限られたものだった﹂と自らの文章が全てを表現しえていないことを﹃風の歌を聴け﹄の前提とし. ている。従来の研究においては、テクストを時間軸に沿って再編成することや、あるいは、断片と断片との問で.

(8) 語られなかった空白を埋めることに精力が注がれてきた。後続する﹃1973年忌ピンポール﹄や﹃羊をめぐる. 冒険﹄といったテクストからそのストーリーや人物像を補完しようという試みもあったようだ。.  ︿僕﹀しか知らない︿僕﹀のストーリーを時間軸に沿って再構築し、時間的秩序の中で生起した物語に再編成. することは、︿僕﹀や﹃風の歌を聴け﹄というプロットを客体化して﹁よく知ること﹂になるのであろう。小森. 陽一.、︶は﹁そうでもしなければ、バラバラな破片に脈絡を与えられなかったからだ﹂と言う。あるいは、小菅健. 一︹、︶も﹁第三者にとっては、 一見して、語り手であるく僕﹀のまったく恣意的な選択︵気まぐれ︶によって、様. 々な出来事が意図的か否かはともかく別にして、アト・ランダムかつ変則的に並べられて作品が構成されている﹂. という。このような意味では、﹃風の歌を聴け﹄というテクストの背景に置かれたストーリーを知ることが必要. だったかもしれない。しかし、そのことは、この﹃風の歌を聴け﹄というテクストを、よく理解したことになっ. たのだろうか。年代記風なストーリーに還元され、他のテクストから情報が補完された時の最も大きな問題は、. ︿僕﹀が、︿僕Vの必要に応じて取りだしてきた記憶と、テクスト内部で得られた情報からこの﹃風の歌を聴け﹄ というテクストを読むことが閑却されてしまうことである。.  確かにテクストは、年代記風な因果関係に基づく形態をとってはいない。しかし、このテクストは、バラバラ. な断片を寄せ集めて、無秩序に配置されているのかというと、決してそうではないだろう。︿僕﹀がく僕﹀を語. るのに必要とする連想の糸によって断片はつなぎ合わされており、テクストの空白はく僕Vの思念が飛躍してい. る部分なのである。︿僕Vがその必要に応じて記憶の底から回想されるべきものを取り出し、その順に従って語. っていく方法をとっているわけだ。そのこと自体、このテクストがく僕Vの内的世界を提示していこうとするテ. クストであることを明らかに告げている。︿脊椎の病気の女の子﹀という例外を除けば、︿僕﹀が直接出会い、直. 接関わりを持った人物たち、そして、それをめぐる︿僕﹀との関係が書かれる。そして、それを語るのはく僕V. である。︿僕﹀を中心にして、︿僕﹀の内部を語ろうとする、︵先回りして言ってしまえば︶︿僕﹀の﹁存在理由﹂. 一. 鋲.

(9) をめぐる思念が語られる、このテクストを解明するのに必要なのは、物語の中心に位置し、それを語る人物でも. ある、︿僕﹀の人物像を明瞭にすることでなければならないはずだ。この章では、︿僕﹀はどのような人物である. のか、そして彼が﹁苦痛﹂を伴いながらも行なった文章を書くという試みによって、何かを獲得しえたのか。こ れらについて論じていく。.   第二節 死への恐怖.  テクストには多くの死者が登場する。彼らはく僕﹀にとって過去の人物であるとともに、︿僕﹀に死と老いへ. の恐怖感を抱かせる人物でもある。特に︿僕﹀が大学時代に知り合った︿仏文科の女子学生﹀に対する叙述は興 味深い。.  三人目の相手は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コ. ートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。彼女の死体は新学期が始まるまで誰にも気づ. かれず、まるまる二週間風に吹かれてぶら下がっていた。今では日が暮れると誰もその林には近づかない。 ︵19︶. ︿僕﹀にとって不意打ちのような彼女の自殺が、深くく僕Vの心を傷つけ、そして、︿僕Vに生きる意味や死の. 意味を問わせる切っ掛けの一つとなったことは想像に難くない。︿仏文科の女子学生Vの自殺の原因は不明であ. る。しかし、死の場所を選ぶとき、いずれ日の浅くない内に発見されることを望んでいたからこそ、春休み中の. テニス・コートの近くをその場所に選んだはずだ。しかし、思いがけずも、彼女の遺体は二週間近くも放置され. たままになる。遺体の具体的描写はないが、愛したはずの彼女が、﹁まるまる二週間風に吹かれてぶら下がって. 一. 塩.

(10) いた﹂と、生命を失った彼女の遺体をあたかも一つのモノのように語らざるを得なかったところにく僕﹀が抱い. た哀しみは十分に表現されている。しかし、ここに彼女の自殺がこのようなかたちで描かれているのは、︿僕﹀. の哀しみを描くためだけではあるまい。このテクストでは、若くして自殺した彼女と並ぶように、︿僕﹀の近親. 者たちの事故死・病死、壮年・老年の死の挿話が綴られる。そうすると、彼女の死は、自殺という死のかたちの. 一つとして配されていると見てよいだろう。この挿話では、ことさら悲惨な印象を与えるように、彼女の遺体は、. 風に吹かれたまま二週間も放置されたとされる。それは、彼女の予定した死の姿では決してなかったはずだ。 一. 連の死をめぐる挿話群の中に置いたとき、この挿話で注目するべきは、死の時期・場所・方法を選択できた自殺. ですら、死を選んだ者には予想もできなかった最期の姿をさらしてしまったことであろう。後述する︿僕﹀の叔. 父、祖母が迎えた死とは異なり、自ら選んだ死ですら、悲惨な最期を迎えてしまい、︿仏文科の女子学生﹀の希. 望通りとはならなかったことがここに示されている。つまり、自ら死を選んだとしても、残酷なものになりかね ない、といった恐れを︿僕﹀に与えてしまったと考えられる。.  テクストには彼女の死以外に、︿僕﹀の祖母と二人の叔父の死についても語られている。中学三年生のく僕V. に本をくれた一人目の叔父は﹁三年後に腸の癌を患い、体中をずたずたに切り裂かれ、体の入口と出口にプラス. チックのパイプを詰め込まれたまま苦しみ抜いて死﹂に﹁最後に会った時、彼はまるで狡猜な猿のようにひどく. 赤茶けて縮んでいた﹂。︿僕﹀が文章について多くを学んだというくデレク・ハートブイールド﹀の本を与えてく. れたその叔父は、文章を書く<僕﹀の原点を与えてくれた人物でもある。彼なしにその本と出会うことも、そし. て文章を学び、書くこともなかっただろう。その一人目の叔父が﹁ずたずたに切り裂かれ﹂たとしているのは、. 人間としてではなく、それ以下の存在であるかのように扱われた、もしくはそのように︿僕﹀自身に見えてしま. ったがゆえの叙述なのだろう。彼の最期の姿から察するに、病院で死を迎えたものであり、延命治療を施された. ものであると考えられる。どんなことをし一てでも生きることを、家族︵や病院︶に求められた叔父は、安らかな. 一. 鋲.

(11) 最期を迎えることはなく、﹁苦しみ抜いて死﹂んでいる。自然に最期を迎えることを認められずに死んでしまっ. た叔父の死は、︿僕﹀の記憶の中に、生きることを強要された人間の姿を深く印象付けた出来事として刻み込ま れただろう。.  ︿二人目の叔父﹀は﹁終戦の二日後に自分の埋めた地雷を踏ん﹂で死んでいる。本来であれば終戦を迎えた後、. 兵士たちは無事に帰還できるはずだ。しかし、戦争は終わっているにもかかわらず、戦うために用意された武器. で、しかも自ら仕掛けた地雷で彼が死んだことは、生還すべき人間の死という虚無性をもつ。.  さらに︿僕﹀のく祖母﹀の場合、末期の姿は叙述されないが、彼女の瞼を閉じる︿僕﹀は﹁瞼を下ろすと同時. に、彼女が79年間抱き続けた夢はまるで舗道に落ちた夏の通り雨のように静かに消え去り、後には何ひとつ残ら. なかった﹂とし、八○年近く生きた祖母の人生の無意味性を嘆く。長生きした人間であっても、結局最後は﹁何. ひとつ残﹂すこともなく死んでしまう。生き続けることは不可能で最終的には皆が死ぬこと、ひいては生きてい. ることの﹁意味﹂を︿僕﹀は問うている・             毛.  一人目の叔父の死は、延命治療によって死を迎えた人物の最期の姿から、人間が人間として扱われていない残. 酷さと死の苦しみを︿僕﹀に想起させる。︿二人目の叔父﹀の死は自らの仕掛けた地雷による呆気ない事故死で. あり、かつ終戦二日後という本来であれば死ななくてもいい時に死を招いてしまったという人生の虚無性を帯び. る。さらに︿祖母﹀の死は、夢を抱いても死ねば跡形もなくなること、何も残せないことから、生きていて何を. 残せるのかという命題を導き出させる。︿僕﹀の深層にそれらの死が深く植えつけられることにより、それぞれ. から抱いた死への疑問と、生きることの意味を問う叙述が出現する。︿僕﹀自身、﹁年老いて死を迎えようとした. 時に一体僕に何が残っているのだろうと考えるとひどく怖い。僕を焼いた後には骨ひとつ残りはすまい﹂と述べ. ており、十代までに目にした、もしくは耳にした彼らの死が、︿僕﹀に老いや死への恐怖感を抱かせている。そ. れは、死・死者に目を向け、現に生きている︿僕﹀に反転させれば、人間の﹁存在理由﹂を問う形へと変化して.

(12) いくのは当然であろう。.  ﹁存在理由﹂という言葉は︿仏文科の女子学生﹀の﹁あなたの存在理由﹂という発言にある。彼女の死につい. て語る︿僕﹀は、叔父たちやく祖母﹀の死と向き合った時と同じように老いや死への恐怖感と人間の﹁存在理由﹂ について考えている。.  僕が寝た三番目の女の子について話す。.  死んだ人間について語ることはひどくむずかしいことだが、若くして死んだ女について語ることはもっと むずかしい。死んでしまったことによって、彼女たちは永遠に若いからだ。.  それに反して生き残った僕たちは一年ごと、一月ごと、 一目ごとに齢を取っていく。時々僕は自分が一時. 間ごとに齢を取っていくような気さえする。そして恐しいことに、それは真実なのだ。 ︵中略︶.  何故彼女が死んだのかは誰にもわからない。彼女自身にわかっていたのかどうかさえ怪しいものだ、と僕 は思う。︵26︶. 彼女について語るく僕Vは、若いまま死んだ︿仏文科の女子学生﹀について思いを馳せ、自身を﹁生き残った僕. たち﹂と、彼女と対比的な存在として配置しようと試みている。対比的に置くことで、生と死各々の意味を見出. そうとしている︿僕﹀であるが、どんなことをしても両者が死を迎えることに変わりなく、意味を持たせること. ができない。生きること、つまり老いることを辞めるには死しかなく、その死に恐怖感を抱く<僕﹀が自ら死を 選ぶはずはなく、ただ老いとその先にある死を待つしかないのである。. 一. ㍗.

(13)     第 三 節   ﹁存在理由﹂.  二八歳現在の︿僕﹀が関係をもった︿小指のない女の子﹀には双子の妹がいた。幼いころ、両者の判別はしづ. らかったが、彼女が八つの時に電気掃除機のモーターに小指をはさんだことで指が九本になり、そのときから双. 子の妹と小指があるかないかで、区別されるようになったことを明かしている。区別しづらいほど似ていた双子. の妹がいることで、︿小指のない女の子﹀は人歳まで妹と自分の個々を認識してもらいにくい環境の中で育って. きたと考えられる。しかし、皮肉なことに事故が原因で個人を認識してもらえるようになる。この事故がなけれ. ば、彼女は他人から自分を認識してもらえなかったのかもしれない。おそらく、彼女は幼少期から双子ではあっ. ても妹と自分は違うことを意識し、にもかかわらず個別認識してもらえず﹁うんざりしてた﹂状況から、自分の 生きている意味を求めていたと考えられる。.  さらに、彼女の父親は脳腫瘍で丸二年苦しんで死んでいる。父親の治療費で﹁お金を使い果たし﹂、家族は空. 中分解する。父親が苦しんだ結果、残された家族はかつてのような生活を維持することはできなくなっている。. 父親の死の意味は何であったのか、なぜそのような形で死ぬ必要があったのか。彼女の家族に起こった不幸は、. 父親の死の意味と﹁存在理由﹂をく小指のない女の子Vに考えさせる切っ掛けとなったのだろう。  ﹁あなたに訊ねようと思ってたことがあるの。いいかしら?﹂  ﹁どうぞ。﹂.  ﹁何故人は死ぬの?﹂.  ﹁進化してるからさ。個体は進化のエネルギーに耐えることができないから世代交代する。もちろん、こ れはひとつの説にすぎないけどね。﹂.  ﹁今でも進化してるの?﹂. 一. 匹.

(14)  ﹁少しずつね。﹂.  ﹁何故進化するの?﹂.  ﹁それにもいろんな意見がある。ただ確実なことは宇宙自体が進化してるってことなんだ。そこに何らか. の方向性や意志が介在してるかどうかってことは別にしても宇宙は進化してるし、結局のところ僕たちはそ の一部にすぎないんだ。﹂僕はウィスキー・グラスを置いて煙草に火を点けた。  ﹁そのエネルギーが何処から来ているのかは誰にもわからない。﹂   ﹁ そう?﹂  ﹁そう。﹂.  彼女はグラスの氷を指先でくるくると回しながら白いテーブル・クロスをじっと眺めていた。.  ﹁ねえ、私が死んで百年もたてば、誰も私の存在なんか覚えてないわね。﹂                                                  傷  ﹁だろうね。﹂と僕は言った。︵35︶                                 一. 彼女の父親と︿僕﹀の一人目の叔父の両者は、病気によって苦しんだ挙句、死を迎えている。苦しんで死んだ近. 親者から、死への肉体的恐怖を覚え、そこまでして生きようとすることの意味を問うが、そこに意味など見出せ. ない。生きた意味を見いだせない彼女と︿僕﹀の二人は死ぬ意味も考えただろう。しかし、彼女の父親と︿僕﹀. の祖母は、死んだ後には何も残していない。﹁あなたに訊ねようと思ってたことがあるの。いいかしら?﹂と発. 言する︿小指のない女の子﹀は、この疑問をおそらく父親が死んでから、ずっと持ち続けていたのだろう。もし. くは、前日まで﹁↓週間ほど旅行﹂していたという期間に彼女は堕胎手術をしており、そのことによる罪悪感に. も似た感情による発言だったのかもしれない。もし、後者が大きな原因であったならば、﹁何故人は死ぬの?﹂. とは訊ねないのかもしれないが、子供をある意味では殺したことによる罪悪感があるのであれば、このような屈.

(15) 書した発言になったとしても不思議ではない。また死んでいても生きていても、そこには絶望しかないと考える. 彼らにとっては、死と生それぞれの意味に隔たりはない。人が死んだ後には何も残されておらず、そこに不幸な. ものを見つけてしまった︿小指のない女の子﹀とく僕﹀は、生きていることと死ぬことの意味と、死して何を残 せるか、ということの解答を求めているようである。.  テクスト中で︿僕﹀が何度も語る人物、︿デレク・ハートフィールド﹀の作品として﹁火星の井戸﹂が紹介さ. れている。人知れぬ死を望んでいた一人の青年が火星にやってきて、火星の井戸に潜る。しかし彼がたどった道. のりには出口があり、また外の世界に出てきてしまったというものだ。そこで青年は風と対話する。.  ﹁あと25万年で太陽は爆発するよ。パチン⋮⋮OFFさ。25万年。たいした時間じゃないがね。﹂  風が彼に向ってそう囁いた。.                                                  @  ﹁私のことは気にしなくていい。ただの風さ。もし君がそう呼びたければ火星人と呼んでもいい。悪い響  d きじゃないよ。もっとも、言葉なんて私には意味はないがね。﹂  ﹁でも、しゃべってる。﹂.  ﹁私が? しゃべってるのは君さ。私は君の心にヒントを与えているだけだよ。﹂  ﹁太陽はどうしたんだ、一体?﹂  ﹁年老いたんだ。死にかけてる。私にも君にもどうしょうもないさ。﹂  ﹁何故急に⋮⋮?﹂.  ﹁急にじゃないよ。君が井戸を抜ける問に約15億年という歳月が流れた。君たちの諺にあるように、光陰. 矢の如しさ。君の抜けてきた井戸は時の歪みに沿って掘られているんだ。つまり我々は時の間を彷裡ってい. るわけさ。宇宙の創生から死までをね。だから我々には生もなければ死もない。風だ。﹂.

(16)  ﹁ひとつ質問していいかい?﹂  ﹁喜んでQ﹂.  ﹁君は何を学んだ?﹂.  大気が微かに揺れ、風が笑った。そして再び永遠の静寂が火星の地表を被った。 を取り出し、銃口をこめかみにつけ、そっと引き金を引いた。︵32︶. 若者はポケットから拳銃. この青年を人類だとすれば、人類は地球という惑星に存在しているだけで、結局何も学び得ていないことを意味. していると解釈できる。﹁何を学んだ?﹂と問う彼に笑う風は、何も学んでいない人類が尋ねることを、あざ笑. うかのような態度をとる。しかし、風もただそこに居るだけで、何かを学ぶことはないのではないか。学ぶ、学. ばないという考えは、青年がいる火星、つまり地球を離れた宇宙規模で考えれば、当然、無意味な思考領域であ                                                    ト り、風にとっても同じである。                                   d.  ﹁火星の井戸﹂の読者であるく僕﹀は、八年間という月日に﹁何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続け﹂てい る。それは老いることへの恐怖感からである。.  もちろん、あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、年老いることはそれほどの 苦痛ではない。これは一般論だ。.  20歳を少し過ぎたばかりの頃からずっと、僕はそういった生き方を取ろうと努めてきた。おかげで他人か. ら何度となく手痛い打撃を受け、欺かれ、誤解され、また同時に多くの不思議な体験もした。様々な人間が. やってきて僕に語りかけ、まるで橋をわたるように音を立てて僕の上を通り過ぎ、そして二度と戻ってはこ. なかった。僕はその間じっと口を閉ざし、何も語らなかった。そんな風にして僕は20代最後の年を迎えた。.

(17) ︵1︶. 老いへの恐怖から学ぶことを選択した︿僕﹀であるが、結局そこに残されたものは何もなかった。自分の叔父た. ちや祖母の死から、死と死後の無意味性を感じたはずのく僕﹀が二〇代最後の年で導き出した答えは、人生その. ものが無意味、ということである。ただし、語っている︿僕﹀はそのように結論づけてはいない。語ること、文. 章を書くことによって、その答えを見出せないものかと、二〇代最後の時の︿僕﹀はテクストにおいて試行錯誤. を始めたばかりである。では人生の意味、﹁存在理由﹂とは︵体何であるのか、またその答えをテクストは見出 し得ているのだろうか。.   第四節 文明と伝達.  ︿脊椎の病気の女の子﹀は、テクストに登場する死に直面した十七歳の人物である。彼女が︿ラジオのDJ>. に送った一通の手紙は、まさしく自分の﹁存在理由﹂が何であるのかを求めた内容となっている。.  ﹁病院の窓からは港が見えます。毎朝私はべヅドから起き上って港まで歩き、海の香りを胸いっぱいに吸. いこめたら⋮⋮と想像します。もし、たった一度でもいいからそうすることができたとしたら、世の中が何. 故こんな風に成り立っているのかわかるかもしれない。そんな気がします。そしてほんの少しでもそれが理. 解できたとしたら、ベッドの上で一生を終えたとしても耐えることができるかもしれない。. さようなら。お元気で。﹂. d. L.

(18)  名前は書いてない。.  僕がこの手紙を受けとったのは昨日の3時過ぎだった。僕は局の喫茶室でコーヒーを飲みながらこれを読. んで、夕方仕事が終ると港まで歩き、山の方を眺めてみたんだ。君の病室から港が見えるんなら、港から君. の病室も見える筈だものね。山の方には実にたくさんの灯りが見えた。もちろんどの灯りが君の病室のもの. かはわからない。あるものは貧しい家の灯りだし、あるものは大きな屋敷の灯りだ。あるものはホテルのだ. し、学校のもあれば、会社のもある。実にいろんな人がそれぞれに生きてたんだ、と僕は思った。そんな風 に感じたのは初めてだった。︵37︶. ︿脊椎の病気の女の子﹀は回復するかわからない病気を一人抱え、病院という、ある種隔離された空間で一生を. 送らねばならないかもしれない。彼女は死への恐怖を抱いていても、その﹁存在理由﹂の追求に関しては決して. 悲観的ではない。彼女は手紙に﹁私がこの三年間にベッドの上で学んだことは、どんなに惨めなことからでも人. は何かを学べるし、だからこそ少しずつでも生き続けることができるのだ﹂とも書いている。すなわち、答えが. どこかにあるのでは、という希望を手紙は帯びている。治るような病気ではなく、その病気を患っているがため. に死を迎えるかもしれないという恐怖感を日々抱く彼女ではあるが、自分の生きている意味、つまり﹁存在理由﹂ を病室・病院の中だけではなく、外にも求めているようだ。.  ﹁世の中が何故こんな風に成り立っているのかわかるかもしれない﹂と手紙に綴る彼女は、自分と他者、そし. て世の中との関係性から﹁存在理由﹂を導き出そうとしている。その彼女に︿ラジオのDJ>は﹁僕は・君たち. が・好きだ﹂と言葉を贈る。ここには自分の意思を他者に伝え、確認し合う、という行為が描かれている。わざ. わざ︿ラジオのDJ>の発言が太字で、かつ﹁・﹂が挿入された形で表記されている理由がそこにある。太字に. することで言葉に重要性をもたせ、﹁・﹂を挿入することで単語の意味に着目させるという効果を持たせること. 月. 鋲.

(19) ができる。もちろん、これは表記上の問題であるが、このように表記することにより、︿ラジオのDJ>がこの. 発言をゆっくり、丁寧に、かつ大きめの声で発声していたと推察できる。そのように彼が発声したのは、もちろ. ん︿脊椎の病気の女の子﹀に、そしてラジオの視聴者にもはっきり自分の考えを伝えるためである。ちょうど、 幼少期の︿僕﹀が精神科の医師に言われた言葉に次のようなものがある。.  文明とは伝達である、と彼は言った。もし何かを表現できないなら、それは存在しないのも同じだ。いい かい、ゼロだ。 ︵中略︶.  医者の言ったことは正しい。文明とは伝達である。表現し、伝達すべきことが失くなった時、文明は終る。. パチン ⋮ ⋮ O F F 。 ︵ 7 ︶. ﹁存在理由﹂とは伝達によって答えを見出すことができるのかもしれない。ただし、これは地球上の世界を視野. に入れた時である。人類の意思を伝達できる相手が、地球上にしかいないと考えれば、彼ら他者との関わりの中. で我々は﹁存在理由﹂を導き出すことができるのかもしれない。﹁伝達すべきことが失くなった時、文明が終る﹂. のであれば、人間そのものの生きている意味もなくなる。つまり、伝達すること、文明を持続することに人間が 存在する意味があるのだ。.  そのような意味では、前述した﹁火星の井戸﹂に登場する言葉を持たない風は、伝達手段を持っていないため. ﹁存在理由﹂すら欠いている。青年も、風も存在はしていることは事実であるが、そこに理由はないことになる。. しかし、﹁火星の井戸﹂の場面は宇宙であることを留意しておきたい。﹁宇宙の複雑さに比べれば﹂﹁この我々の. 世界などミミズの脳味噌のようなものだ﹂とくハートブイールドVが言うように、宇宙の観点から見れば、生物、. ル. d.

(20) また人類の生存や進化はほとんど意味をなさない。これは風も同様である。︿ハートブイールドVの言葉にく僕V. は﹁そうであってほしい、と僕も願っている﹂と語り、﹁存在理由﹂を求めることそのものに疑問をもって語り. を終えている。テクスト冒頭、︿僕﹀は自身に影響を与えた︿ハートフィールド﹀の文章を次のように引用して いる。.  ﹁文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。. 必要なものは感性ではなく、ものさしだ。﹂︵﹁気分が良くて何が悪い?﹂1936年︶︵1︶. ︿僕Vは文章という伝達手段で﹁存在理由﹂を求めようとしていたのだ。宇宙規模の視野であっても、地球上レ. ベルの視野でも﹁存在理由﹂がはっきりと明示されるわけではない。︿僕﹀はここで生きていることに限らず、                                                    餌 生命を持たないものも含めた事物の成り立ちにも意味付けをしょうとしているといってもいいだろう。﹁存在理  d. 由﹂がないのと同じように、それらの意味はこの世界にはない。このことについて︿僕﹀はすでに了解していた のかもしれない。.    今、僕は語ろうと思う。.    もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、語り終えた時点でもあるいは事態は全く同じということに.   なるかもしれない。結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試   みにしか過ぎないからだ。︵1︶. 自身の﹁存在理由﹂とは何であるか、その答えを導き出したいがためにく僕Vは文章を書き、語るという方法を.

(21) 選択した。この語りの中で過去を回想し、自分が辿ってきた人生を思い起こしながら、そこに意味付けをしょう. としていたのだろう。しかし、意味づけることはできなかった。生きていることに意味はなく、たとえく僕Vが. 死んだとしても、そこには何も残らない可能性が十分にある。ただし、宇宙規模と地上規模から見た人間の存在. の差異を︿脊椎の病気の女の子﹀の手紙から捉え、それまで宇宙規模でしか測ることができなかったく僕Vは、 地上規模で考えるための新たな﹁ものさし﹂を得たのではないだろうか。.   第五節 書くこと.  文庫本のジャケット︵二〇〇四年九月 五日、第一八刷二〇〇八年九月二五日︶の惹句にいうような、﹁退屈. な時﹂を描いて﹁ものうく、ほろ苦く過ぎさっていく﹂﹁青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた﹂作品など. という評価は、テクストの表層の出来事をなぞったに過ぎない。﹃風の歌を聴け﹄というテクストの基底に流れ. ているのは、生きること、死ぬことの意味を真摯に問い続ける︿僕﹀の沈欝な心象である。.  初めて寝た︿高校の同級生﹀とは呆気なく別れ、姿を消した︿ヒッピーの女の子﹀は別れ際には﹁嫌な奴﹂と. の書き置きを残すだけで行方は知れない。そして、︿仏文科の女子大学生﹀は自殺し、さらには︿カリフォルニ. ア・ガールズを貸してくれた同級生﹀の行方も知れない。︿小指のない女の子﹀は﹁人の洪水と時の流れの中に. 跡も残さず消え去って﹂﹁二度と会えなかった﹂。︿鼠﹀との齪謡は解消されないままだ。親しい者、親しかった 者は、︿僕﹀の周囲からほとんど消え去る。.  テクストの︿僕﹀をめぐっては、多くの死、そして、親しい人間たちとの齪酷のことしか語られない。唯一の. 例外が、︿脊椎の病気の女の子﹀という、︿僕﹀が直接に接しない存在である。しかし、︿脊椎の病気の女の子﹀. とく僕﹀には、共通項がある。両者の周囲には、世の中との齪齢と、自身が持つある種の絶望が取り巻いている。. ︿脊椎の病気の女の子﹀は、病気によって世の中と関わることを制限され、身動きができないまま、病院の部屋. ひ. d.

(22) の中で時間を過ごす。彼女は、病室で見つめていたであろう天井と、その先にある宇宙に思いを馳せ、自分の﹁存. 在理由﹂をはじめのうちは縦軸︵宇宙の観点︶の方向に見出そうとしていたのだろう。しかし、その答えは﹁時. 々自分の背骨が少しずつ溶けていく音﹂を聞く恐怖感を抱かせるような残酷なものでしかない。だからこそ︿脊. 椎の病気の女の子﹀は姉の話に耳を傾け、﹁病院の窓から﹂見える港へと視線を移す。そして︿ラジオのDJ>. 宛の手紙を姉に書いてもらう。彼女の視線の転換が﹁ものさし﹂を向ける方向を変え、横軸︵世の中︶における. 自分の﹁存在理由﹂を求めさせたのだ。この縦軸しか持っていなかった彼女と宇宙の観点で﹁存在理由﹂を求め. る︿僕﹀とが共通しているのであれば、彼女はテクスト上、︿僕﹀の未来を描くかのような役割を担う点で必要. な人物であったと言えよう。そして、︿ラジオのDJ>の彼女へ向けた言葉をおそらく聴いていたく僕﹀が、テ. クストを書こうとしたとき、自分とかつてのく脊椎の病気の女の子﹀とを同じ位相にある存在として配置してい. たのであれば、彼女の手紙・ラジオに託した希望を、自分のものへと変化させたのだろう。実際、語っている時. 点の︿僕﹀がそのような希望を自らのものとしたのか否かは不明である。ただし、﹁文章を書く﹂という行為に. おいて、︿脊椎の病気の女の子﹀とラジオの内容を取り上げ、語っていることから、﹁ものさし﹂をその後に獲得 しつつあることを、ここで明示したかったと推察できるのではないか。.  ﹃風の歌を聴け﹄というテクストは、素朴だが、生と死の意味を根元的に問おうとするテクストである。そし. てわずかに、伝達すること、書くことに希望を見出そうするテクストでもある。その希望は、︿僕﹀自身の過去. の体験や、一九七〇年八月の︿僕﹀にはない。かすかな希望は、︿僕Vの外からやってくる。︿僕﹀の過去でも︿僕﹀. が直接会った人物でもない、手紙を書く<脊椎の病気の少女﹀とそれに応える︿ラジオのDJ>という、一組の. コミュニケーションの様子が描かれ、︿僕﹀も書くという伝達行為に希望を託す。﹁どんなに惨めなことからでも. 人は何かを学べるし、だからこそ少しずつでも生き続けることができる﹂。︿僕﹀がそれまで二八年間の人生で何. を学んできたのか、そして、そこにはどんな意味があったのか。テクストがそのことを問うための﹁リスト﹂で. ㍗. d.

(23) あったとしても、またその問いに宇宙の風が笑ったとしても、地上レベルの新たな﹁ものさし﹂を持った︿僕﹀ は、答えを見つけることができるのかもしれない。.  ﹁完壁な文章などといったものは存在しない。完壁な絶望が存在しないようにね﹂とく僕Vは語り出す。これ. は死への恐怖感とそのことによる﹁絶望﹂を抱き続けていた自分が、地上レベルの﹁ものさし﹂によって、その ﹁絶望﹂から﹁希望﹂を獲得し得たのを再確認した冒頭の一文なのである。. 注1、小菅健一﹁﹁風の歌を聴け﹂論1︿僕﹀の初期設定の問題をめぐって一﹂︵﹁日本文芸論集﹂二九号、   一九九七年二月︶. 注2、小森陽一﹁門村上春樹﹃風の歌を聴け﹄﹂︵﹃国文学﹄一九八九年八月。引用は﹃村上春樹スタデイーズ   01﹄、若草書房、 ︼九九九年六月、四十二頁︶. 注3、前掲、注1に同じ。.  第二章 ﹃1973年のピンボール﹄  ︿僕﹀のコミュニケーション能力   第一節  ︿直子﹀の解釈. 匙. d.  ﹃1973年のピンボール﹄は、 一九八0年三月号の﹃群像﹄に発表された、村上春樹二作目の長編小説であ. る。全25章で構成され、各章は︿僕﹀の物語と︿鼠﹀の物語の二つに分けられている。この並行して交差するこ. とのない二つの物語は、︿僕﹀の物語が再生を目指す物語であるとすれば、︿鼠﹀の物語は死へ傾斜していくとい. うように、相反する二つの物語として認識され、これまでの論考においても、二項対立的な二つの要素からこの. ﹃1973年のピンボール﹄というテクストが構成されている、と見なされてきた。ただし、この二つの物語の. 語りは相違する。︿僕﹀の物語は︿僕﹀が語り手として︿僕﹀の体験を語るという形式をとり、︿鼠﹀の物語では.

(24) 語り手が直接登場せず、客観小説のような体裁をとっている。︿僕﹀の自己告白の体裁をもつく僕﹀の物語を基. 軸に置き、︿鼠Vの物語の方は︿僕﹀の分身としてのく鼠﹀の物語だとするのが通例である。このような見地に. 従えば、︿僕﹀が﹃1973年のピンボール﹄全体の主人公であるといってもいいのだが、︿僕﹀がどのような人 物であるのかについては、これまでほとんど言及されてこなかったようだ。.  先行研究においては、初期三部作が互いを補完し合うものと見て、この﹃1973年のピンボール﹄も、また、. ﹃風の歌を聴け﹄と﹃羊をめぐる冒険﹄との関係の中に置いて意味を持たされるような色彩が濃く、﹃1973. 年のピンボール﹄は、初期三部作内の、もしくは、その後の村上春樹テクストへの、変化過程を語る素材として. 9.. d. 取り上げられてきた。その上で、他作家の作品との比較が試みられ、﹃1973年のピンボール﹄の主題が論じ られてきたような気配である。.  本章では、これまで言及されてこなかった︿僕﹀の人物像を論じたいと思う。もう一人の主人公ともいえる︿鼠﹀. についても論じるべきなのであろうがく鼠﹀の存在を措いて論を進めていきたい。﹃1973年のピンボール﹄. の主人公、︿僕﹀とは一体どのような人物なのか、先行研究から取り落とされたように見える、このことを改め て考え直さなければならない。.  そして、︿僕﹀が何度も語る︿直子﹀、﹁スペースシップ﹂︵11︿彼女﹀︶、﹁配電盤﹂についても触れておかねば. ならないだろう。︿僕﹀はテクスト中、幾度となく過去を回想するが、その大半が自分の学生時代のことである。. 学生時代を回想するなかでも、最も思い入れを強くして語っているのがく直子﹀のことであり、これまでの論で. も︿僕﹀にとってのく直子﹀の重要性は論じられてきた。当然のことではあるが、テクスト後半を過ぎてからく僕﹀. が思い入れを強くする﹁スペースシップ﹂とく直子﹀とを関連させた解釈も提示されていて、加藤典洋︵、︶をはじ. め、山根由美恵︵、︶、石原千秋^,︶は、﹁スペースシップ﹂はく直子﹀であるという結論に至っている。 一方、小島. 旺盛︹、︶はテクスト全体が﹁スペースシップ︵ピンボール︶﹂そのものであり、随所にそのキーワードが散りばめ.

(25) られていることを指摘している。そして、﹁スペースシップ﹂がく直子﹀であり、﹁配電盤﹂もまた︿直子﹀であ. るとした。もし、このように位置づけてしまえば、﹁スペースシップ﹂は﹁配電盤﹂でもあるはずだ。しかし、. 小島は両者の差異について言及していない。本章では、その差異についても触れていく。.   第二節  ︿直子﹀の存在.  ︿直子﹀が生前︵一九六九年︶話した﹁プラットフォーム﹂に、 一九六九年当時のく僕Vは関心を示す。さら. に現在︵一九七三年︶、実際にそのプラットフォームのある駅に足を運び、︿直子﹀が生前に語ったことの再現を. 願うかのように犬が現れるのを待つ。︿僕﹀が身なりを整えて﹁プラットフォーム﹂に向かったのは、︿直子Vの. 追悼、もしくは葬儀のようなものであったと推察できる。彼女との会話の中で出てきたその場所で、彼女が語っ. てくれた記憶を思い出すというく僕﹀の行動は、言うまでもなく、︿直子﹀への哀悼の意の現れである。そうし. た文脈には馴染まないような挿話として、その﹁プラットフォーム﹂でく僕﹀が足に痛みを感じたことが、こと さら記されている。.  僕はネクタイをゆるめ、煙草を口の端にくわえたまま、まだ足にうまく馴染まない皮靴の底をコンクリー. トの床にゴシゴシとこすりつけてみた。足の痛みを和らげるためだ。痛みはさして激しくはなかったけれど、. まるで体が幾つかの別の部分に分断されてしまったような異和感を僕に与えつづけていた。. 傷. 2.                                      ︵196911973︶. 新しい皮靴が足にうまく馴染んでいないための痛みであるとく僕﹀は語るが、同時に﹁体が幾つかの別の部分に. 分断されてしまったような異和感﹂も感じている。これは単なる足の痛みではない。痛みが足だけに限定される.

(26) のではなく、︿僕﹀の体全体に及んで体が分断されるような感覚に陥っているのは、実際の足の痛みと、︿僕Vの 何かしらの感情、深層心理との同調が引き起こした結果なのではないか。.  その時の︿僕﹀が訪れていた場所は、かつて︿直子﹀が語った﹁プラットフォーム﹂である。その場に向かっ. た理由をく僕Vは﹁犬を見るため﹂としているが、本来の目的はそうではないだろう。﹁プラットフォーム﹂に. 向かう︿僕﹀は、わざわざ﹁髭を剃り、半年振りにネクタイをしめ、新しいコードヴァンの靴をおろし﹂ている。. 犬を見に行くだけなら、ここまで身なりを整えて行く必要性はないはずである。彼がこのような行動をとったの. は、やはり、かつて、その﹁プラットフォーム﹂のことを印象深く語った︿直子﹀に対する思い入れがあったか. らであろう。﹁犬を見る﹂という表面上の目的を果たしたく僕Vは、帰りの電車の中で、︿直子﹀の死に触れて語 る。.  帰りの電車の中で何度も自分に言いきかせた。全ては終つちまったんだ、もう忘れろ、と。そのためにこ. こまで来たんじゃないか、と。でも忘れることなんてできなかった。直子を愛していたことも。そして彼女. 10. 02. がもう死んでしまったことも。結局のところ何ひとつ終ってはいなかったからだ。︵196911973︶. ︿直子Vが死んでいたことが、この時はじめて明かされ、彼女の死が︿僕﹀にとって大きな出来事であったこと. も判断できる。彼女の死、そして彼女との関係を﹁忘れる﹂ために﹁プラットフォーム﹂に向かったわけだ。そ. の﹁プラットフォーム﹂で﹁犬﹂が現れるのを待つ︿僕﹀は足の痛みを感じており、足の痛みが二度目に語られ. るとき、二層激しさを増﹂している。︿直子Vが語ったその場所に行くことが彼女のことを忘れるためであるな. らば、この﹁足の痛み﹂はおそらく、︿僕﹀の中にあるく直子﹀との思い出が消えることの痛みなのだろう。し. かし、これは単に︿直子﹀との思い出が消える痛みとだけ捉えては不十分だ。正確にいえば、︿直子﹀との思い.

(27) 出を、﹁プラットフォーム﹂を訪れるという葬儀にも似たものによって、︿僕﹀は消し去ろうとしていたことが意. 味を持つと見るべきである。先に引用したところには﹁体が分断されてしまったような異和感﹂とあるが、これ. を﹁体が引き裂かれるような異和感﹂と言換えると、わかりやすいかもしれない。︿直子﹀との思い出を︿僕﹀. 自らの手で消し去うとうしているが、それに反して、︿僕﹀の無意識のうちにそうしたく僕﹀自身の行為に対す. る抵抗があることによって、足の痛みが発生したと解するのがふさわしい。﹁体が分断されてしまったような異. 和感﹂とは、︿直子﹀を忘れようとする意識的行為と、それへの無意識的な抵抗との間で、分断されてしまった、 その時の︿僕﹀の状態を指している。.  ︿僕﹀は、その﹁足の痛み﹂を和らげるために﹁皮靴の底をコンクリートの床に。コシゴシとこすりつけ﹂ると. いう行動をとる。︿直子﹀の記憶、もしくは残像を、その﹁プラットフォーム﹂に﹁こすりつける﹂ことによっ. て、彼女との思い出を︿僕﹀の元からただ消し去るのではなく、︿直子﹀の故郷に回帰させることを意図してい. るらしい。このプラットフォームのある駅は、︿直子﹀が一二歳の時に引越してきた街にあり、そこはく直子﹀. がく僕﹀に語った一番古い記憶の場所だ。すなわち、︿僕Vにとってはく直子﹀の故郷の駅であり、プラットフ. ォームである。しかし、︿直子﹀との思い出を消し去るのではなく、自分自身の足によって故郷に回帰させるこ. とで、心理的抵抗によって生じた痛みから解放されるとく僕﹀は思う。さらに、︿僕﹀自身にとってみれば、︿直. 子﹀との思い出が、単にく僕Vから消えるのではなく、故郷に回帰することで安堵でき、痛みは和らぐはずであ. る。︿僕﹀の、足をこすりつける行為は、︿直子﹀との思い出を故郷に回帰させることと、︿僕﹀が安堵感を得る ための行為であったのだ。.  しかし、この行為によっても最終的に、小旅行の目的であった︿直子﹀のことを忘れる、ということは叶えら. れない。それどころか、葬儀にも似た行為も、足の痛みに象徴されるような抵抗を生み出す結果に終わる。この. 小旅行は、︿僕﹀が語るように、﹁結局のところ何ひとつ終ってはいなかった﹂ことを、確認することでしかなか. ㍗. 2.

(28) つたのである。果たして何が﹁終ってはいなかった﹂のか。.   第三節 弱っている﹁配電盤﹂.  幾度もテクストに登場し、葬儀までする﹁配電盤﹂は、︿僕﹀のアパートの押入れにあった。この﹁配電盤﹂. が一体なにを意味しているのか、そのことについて︿僕﹀は語っていない。そもそも︿配電盤工事の男性﹀が部. 屋に来るまで、︿僕﹀は自分の部屋の押入れの奥に﹁配電盤﹂が存在していたことすら知らない。その﹁配電盤﹂. の役割については、︿配電盤工事の男性﹀がお母さん犬と仔犬に例えて、︿双子﹀に説明をする。.  ﹁配電盤?﹂.  ﹁なあに、それ?﹂.                                                  鋲.  ﹁電話の回線を司る機械だよ﹂                                2  わからない、と二人は言った。そこで僕は残りの説明を工事人に引き渡した。.  ﹁ん⋮⋮、つまりね、電話の回線が何心もそこに集ってるわけです。なんていうかね、お母さん犬が一匹 いてね、その下に仔犬が何匹もいるわけですよ。ほら、わかるでしよ?し  ﹁?﹂.  ﹁わかんないわ﹂.  ﹁ええ⋮⋮、それでそのお母さん犬が仔犬たちを養ってるわけです。⋮⋮お母さん犬が死ぬと仔犬たちも. 死ぬ。だもんで、お母さんが死にかけるとあたしたちが新しいお母さんに取替えにやってくるわけなんです﹂   ﹁ 素敵ね﹂   ﹁ すごい﹂.

(29) 僕も感心した。︵3︶. ﹁配電盤﹂は伝達手段である通話に必要なもののはずなのだが、工事人の使う比喩はそこから微妙にズレを生じ、. ﹁仔犬たちを養﹂うという比喩の方に関心が向けられている。︿僕﹀とく双子﹀にとって﹁配電盤﹂は、電話回. 線の機械というよりも、何かしらのエネルギーを与える存在として設定されているようである。︿配電盤工事の. 男性﹀が帰った午後、翻訳の仕事をしていたく僕﹀は、そのペースが落ち始め、﹁四時半は全てが死に絶え﹂て. そんな年が本当に存在するなんて考えたこと. しまうが、そこで彼はカレンダーに目をやり、﹁一九七三年九月﹂という時間について考える。.  一九七三年九月⋮⋮、まるで夢のようだった。 皿九七三年、. もなかった。そう思うと何故か無性におかしくなった。︵3︶. ︿僕Vにとって一九七三年という年は、あるはずも、来るはずもない年だった。 [九七三年よりも前に、︿僕﹀. の時間の感覚は止まっていたのかもしれない。一九七三年よりも前に何が︿僕﹀の周りで起きたかと言えば、︿直. 子﹀の死くらいしかテクストには存在しない。︿僕﹀にとってく直子Vの死は、自分の時間を止めてしまうほど. の衝撃を与え、さらには、その後の時間を喪失させてしまうような出来事だったのである。.  カレンダーを見て考えている︿僕﹀にく双子﹀が﹁上手くいかないの?﹂と話しかける。彼女たちが訊ねたの. は、手が止まってしまった︿僕﹀の翻訳の仕事についてなのかもしれないが、︿僕﹀の仕事が﹁上手くいかない﹂. 理由を、彼女たちは﹁配電盤﹂が﹁弱っている﹂からだと解釈する。彼らにとっての﹁配電盤﹂が何かしらのエ. ネルギーを与えてくれる存在であるならば、そのエネルギー源が弱ることによって︿僕﹀の作業が停滞し、︿僕V が過去に思いを巡らせるという一連の動きは何を意味するのか。. 40. 2.

(30) テクストにおいて三度目に触れた﹁配電盤﹂の話は、珍しく<僕﹀の発言から始まる。    ﹁配電盤の話をしよう﹂と僕は言った。﹁どうも気にかかるんだ﹂   二人は肯いた。    ﹁何故死にかけてるんだろう﹂.    ﹁いろんなものを吸い込みすぎたのね、きっと﹂    ﹁パンクしちゃったのよ﹂.   僕は左手にコーヒー・カップを持ち、右手に煙草を持ってしばらく考え込んだ。    ﹁どうずればいいと思う?﹂.   二人は顔を見合わせて首を振った。﹁もうどうしようもないのよ﹂                                                   邸.    ﹁土に還るのよ﹂                                     2    ﹁敗血症の猫を見たことある?﹂    ﹁いや﹂と僕は言った。.    ﹁体の隅々から石のように固くなりはじめるの。長い時間かけてね。最後に心臓が停まるの﹂   僕はため息をついた。﹁死なせたくない﹂.    ﹁気持はわかるわ﹂と一人が言った。﹁でもきっと、あなたには荷が重すぎたのよ﹂.   それはまるで今年の冬は雪が少ないからスキーはあきらめなさい、とでも言う時のような実にあっさりと   した言い方だった。僕はあきらめてコーヒーを飲んだ。︵9︶. ﹁死にかけている﹂のは﹁配電盤﹂なのであるが、﹁死なせたくない﹂というく僕﹀にく双子﹀は﹁あなたには.

(31) 荷が重すぎたのよ﹂と発言する。この︿双子﹀の発言からして、﹁配電盤﹂のことについて会話をしているよう. には思えない。何か別のものについて話しているようである。ここでく双子﹀の一人が突然、敗血症になった猫. の症状を話すが、ちょうどそれは、﹁プラットフォーム﹂に向かった︿僕﹀が足に感じた痛みにも似ている。﹁体. の隅々から石のように固くな﹂る現象と、︿僕﹀の体の隅である足に感じた痛みとが同じようなものであるなら. ば、﹁配電盤﹂はく僕﹀のようなものであると言えるのかもしれない。しかし、﹁死にかけている﹂人物が﹁死な. せたくない﹂と発言するのは違和感がある。︿僕﹀が足に痛みを感じていたのは、︿直子﹀との記憶、残像が自分. の中から無くなっていく感覚を持っていたからである。もし、この﹁死にかけている﹂﹁配電盤﹂がく直子Vと. の記憶、残像なのであれば、この引用箇所をどのように解釈することができるのだろうか。.  ﹁配電盤﹂を︿僕﹀の中にあるく直子﹀との記憶、彼女の残像であるとしたとき、﹁死にかけている﹂ものは. その記憶、残像である。その記憶、残像が薄れる原因を︿双子﹀は﹁吸い込みすぎ﹂て﹁パンクし﹂たからだと. 言う。﹁配電盤﹂−︿直子﹀との記憶、彼女の残像一が﹁吸い込みすぎ﹂て﹁パンク﹂するとはどういうこ. とか。︿僕﹀はく直子﹀との会話を﹁彼女の言葉を一言残らず覚えている﹂とテクスト冒頭部分で語っており、. さらに﹁見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった﹂と実に様々なことを記憶している。 一九七三年時点の. ︿僕﹀は、過去のことを記憶し、それを引受けて生きるための能力が限界に来ていたのではないか。︿双子﹀が. ﹁もうどうしようもないのよ﹂と言ったのは、過去の古い記憶を留め続けることは限界に至っていて、もはや、. 誰にも止められず、為すすべはない、ということを︵僕Vに言い聞かせるためであろう。.  ︿直子Vとの記憶、残像を一つも忘れず、かつ大切にしておきたいとく僕﹀は願うが、︿双子﹀は﹁荷が重す. ぎた﹂と記憶の薄れを回避できない運命を︿僕﹀に告げる。彼女のことを↓つも忘れないこと自体、︿僕﹀にと. ってかなりの負担になることが予想される。﹁配電盤﹂は過去の記憶を溜め込んでおく装置であり、溜め込む行. 為は︿僕﹀の能力によってなされ、溜め込まれた情報は︿直子﹀や過去の人物達が話した言葉であるのだ。そし. ひ 02.

(32) て、装置の能力は限界を迎えつつあり、同時に溜め込んでいた情報は消えようとしている。そのようにして、い. っかは﹁敗血症の猫﹂の心臓がとまって死ぬように、彼女のことを少しずつ忘れ、やがては一切を忘れてしまう 日が来るであろうことを、この会話の箇所で表現しているのだ。.  ︿僕﹀にエネルギーを与える存在である﹁配電盤﹂は、そのカが弱まることによりく僕﹀へ大きな影響をもた. らした。﹁配電盤﹂の力が弱まることは、︿直子Vとの記憶、その残像が︿僕﹀の元から消えようとすることに相. 当する。エネルギー源が弱まることによって仕事が手につかなくなるほど、︿僕﹀にとって︿直子﹀の存在は大. きく、﹁死なせたくない﹂と言わしめるほどのものであったのだ。当然、﹁配電盤﹂を死なせれば、︿僕﹀の停止. した時間を再び今に蘇らせ、︿直子﹀の死を受け入れなければならない。︿直子﹀が死んでからこれまでの年月、. 時間が止まったような感覚に陥っていたく僕﹀にとって、︿直子﹀の死を受け入れることは、過去を捨て、止ま. っていた時間を受け入れ、前に進むことを意味する。︿僕﹀にとっては、このような事態に陥ることは避けたい. ものである。前に進んでしまえば、︿直子﹀の存在はどんどん遠のき、いっかは小さくなるからだ。ゆえに、﹁死. なせたくない﹂と発言する。ただし、進まないことを選択すれば、﹁敗血症の猫﹂のように、やがては心臓が止. まって死んでしまう。︿僕Vがく直子﹀のことを忘れずに温存し続け、過去にとらわれ続ければ、過去に残され. たまま、現代の人間ではなくなる、つまり、その時代を生きる人間ではなくなるのだ。それが今の︿僕﹀である。.  しかし、双子の言葉に︿僕﹀が納得するはずもない。彼は会話を続けることを﹁あきらめて﹂答えを見出すこ. とを辞めてしまう。その︿僕﹀にく双子Vは﹁配電盤﹂の葬式をすることを提案する。議論をしても納得してく. れなかった︿僕﹀に、﹁配電盤﹂を忘れるための行為を強行させるための提案だったのであろう。もちろん、そ. の目的を︿僕﹀は理解しているため﹁なるほどね﹂と=言を発して、﹁新聞の続きを読﹂む。︿双子Vが自分の中. にあるく直子Vを忘れさせるための策だと感づいたに違いない。しかし、そんなことを︿僕﹀は望んでおらず、. また﹁配電盤﹂の葬儀をしたからといって︿直子﹀のことを忘れるはずがないと、この時の彼は思っていただろ. ㍗. 2.

(33) .つ。.   第四節  ﹁配電盤﹂の葬式とその後.  ︿双子﹀の提案により、︿僕﹀は﹁配電盤﹂を貯水池に沈めに向かう。前述したように、﹁配電盤﹂がく僕﹀の. 中にあるく直子﹀との記憶、また彼女の残像なのであれば、この﹁配電盤﹂の葬式は、その記憶、残像をすべて. 捨てようという試みである。ただし、︿僕﹀はすべての記憶がなくなってしまうとは考えてもいない。それは、. 前述したように︿僕﹀の手によって葬式まがいのことをしても、︿直子﹀のことを忘れられなかった経験がある. からだ。葬式までに至る準備は、車を準備した以外、すべて︿双子﹀が行なっており、︿僕﹀はそれに従いなが. らも、実に淡々と、他人事のように眺め、叙述している。しかも、︿僕﹀はその儀式を葬式だとは思っていない。. ﹁素晴しいお祈りだったわ﹂ ﹁あなたが作ったの?﹂. ﹁もちろん﹂と僕は言った。. そして僕たち三人は犬のようにぐしょぬれになったまま、よりそって貯水池を眺めつづけた。 ﹁どのくらい深いの?﹂と一人が訊ねた。 ﹁おそろしく深い﹂と僕は答えた。 ﹁魚はいるの?﹂ともう一人が訊ねた。 ﹁どんな池にも必ず魚はいるさ﹂. 遠くから眺めた僕たちの姿はきっと品の良い記念碑のように見えたことだろう。︵n︶. 翫. 2.

(34) 葬式にも関わらず、墓石などではなく﹁品の良い記念碑﹂と称したのは、この儀式を葬式だと考えていない表わ. れだと言えよう。︿僕﹀はこの儀式の後も、︿直子﹀のことを忘れることはなかったのである。それが証拠に、︿事. 務所の女の子﹀と海老料理を食べに行った時も、﹁海老を食べながら貯水池の底の配電盤を想﹂っている。第三. 者から見ても﹁配電盤﹂を失った影響は少なからずあったようだ。﹁本当に寂しくないの?﹂とく事務所の女の. 子Vはその日の最後の場面で︿僕﹀に訊ねており、︿僕﹀が何かしら寂しさを感じさせるような雰囲気を漂わせ. ていたのではないかと考えられる。その寂しさは﹁配電盤﹂を捨てたことに対する後悔にも似た感情か、もしく. は﹁配電盤﹂が暗く冷たいであろう貯水池の底に沈んでいるのを想像し、そこから感じられる悲しさが原因だっ. たのかもしれない。しかし、どんなことをしてもく僕﹀は﹁配電盤﹂に溜め込まれた︿直子﹀との記憶、残像の ことを忘れられなかったのだ。. 鉱. 2.  ︿事務所の女の子﹀が﹁本当に寂しくないの?﹂と訊ねた12章の後、13章から︿僕﹀は﹁ピンボール﹂につい. て語り出す。3フリッパーの﹁スペースシップ﹂を︿彼女﹀と呼び、その﹁彼女が何処かで僕を呼びつづけてい. た﹂という感覚に陥った︿僕﹀は、︿彼女﹀をやっとのことで探し出す。もと養鶏場の倉庫に居たく彼女Vと再. 会した︿僕﹀は、二人のベスト・スコアを汚したくないため、遊ばずに話すだけで帰ってしまう。.  ﹁スペースシップ﹂はとても寒い場所に保管されていた。それは最終的に﹁耐え難いほどに強ま﹂るものであ. り、︿彼女Vが﹁あまり長くいない方がいいわ﹂、﹁もう行った方がいいわ﹂とく僕﹀に語りかけていることから、. 尋常ではない寒さであると考えられる。おそらく、それは死者の領域に入り込んでしまったようなものなのだろ. う︵﹁スペースシップ﹂の置かれた空間が、そこへの道筋からして他界・異界的なものによって覆われているこ. とはあらためて指摘するまでもないだろう︶。︿僕﹀はく彼女﹀たちが保管されているその様を、﹁古い夢の墓場﹂. と語っている。︿僕﹀がく彼女Vに触れたときに感じた冷たさは、墓石に触れたようなものだったのかもしれな. い。また︿彼女>11﹁スペースシップ﹂がく直子﹀なのであれば、前述した﹁配電盤﹂が貯水池の底で孤独に冷.

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