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両大戦間フランス急進党の統一学校論(2) : 「教育の自由」と「教育の平等」の関連構造

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(1)Title. 両大戦間フランス急進党の統一学校論(2) : 「教育の自由」と「教育 の平等」の関連構造. Author(s). 大坂, 治. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 43(2): 17-30. Issue Date. 1993-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/5263. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 3巻 第2号 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第4 ion(Sec i l i ty ofEducat t lof Hokkaido Univers onIC) Vo Jouma ‐43 .2 , No. 平成5年3月 Mar ch ,1993. 両大戦間フランス急進党の統 一 学校論 (2) --「教育の自由」 と 「教育の平等」 の関連構造. 大. 坂. 治. 序. 本稿 の課題 本稿は, 両大戦間フランス統一学校論の歴史的な全体構造を解明することを目的とする研究の一 1 )において筆者は 急進党の統一学校論の理論展開を分析することを課題として設 環である‐ 前稿( , 定し, 本研究の意図と方法について述べた‐ 多様な方向性を有する構想が存在していたフランス統 一学校論の全体構造を解明するためには, オーソ ドッ クスな統一学校論を設定することが必要であ り, その評価基準となるものとして急進党の統一学校論を設定すること, それを基に多面的に展開 する統一学校論の位置を確認することができることを述べた. さらに前稿において筆者は, 急進党の統一学校論を体系的に示しているものとして急進党所属の 2 ( }を素材として位置づけるこ 下院公教育予算委員長デュ コによる下院 「公教育予算委員会報告書」 との意義を述べ,1925年度から1 93 2年度までの8年間にわたる報告書の中で示された「統一学校の 理念」 の展開の分析を行っ た‐ そこでは, 急進党の依拠する統一学校 思想の源流が, 「教育の平等」 ’ ’ ’ ’ 1 inst l i i厚lement,1 i i ion) を 核 と す る 「公 教 育 の 開 放 性」 を 主 tedel tedevantl ( ense ega ruct ega. 張したフランス革命期のコン ドルセの公教育構想にあっ たことが明らかになっ た.. 急進党の統一学校論の依拠するコン ドルセの公教育 思想の特質は, しかしながら, 「教育の平等」 とともに 「教育の自由」 の理念に依拠して統一学校の理念を設定したことも明らかであっ た. 他方 で, 急進党はコン ドルセの主張の柱が 「教育の自由」 にあっ たこともよく認識していた. ところ で, 両大戦間の統一学校論争の柱の一つは, 統一学校が 「教育の平等」 を保障する制度的 表現であるとするなら, その実現の過程で, 「教育の自由」は どのように扱われるのかをめ ぐる論争 であっ た. それでは急進党は, 「教育の平等」 の解釈と 「教育の自由」 の解釈との整合性を両大戦間 において どのように捉えていたのであろうか. そこで本稿 では,192 5年度から1 9 32年度までの8年 間にわたる公教育予算委員会報告書 (以下, 前稿にならい予算委員会の委員長であり報告書者あっ たデュ コの名を冠して, デュ コ報告という) を素材に急進党の捉えた 「教育の自由」 と 「教育の平 等」 の関連構造を検証することを課題とする. とくに両大戦間において統一学校論を非妥協的に非 難し続けた 「教育の自由」 擁護陣営が存在していたことを考えるとき, 急進党の統一学校実現の課 題の中で, 2つの理念の関連が問われることになる‐ 本稿の課題設定の意味は, そこにある‐ そこで本稿 では, 1において 「教育の自由」 をめ ぐる前史を提示し, その前史をふまえ, 2 に お いて両大戦間急進党統一学校論における「教育の平等」論が, 「教育の自由」を擁護する立場から「国 家の教育独占を招来する」 という批判が提起され, これに対して急進党はいかに応えたのかを明ら ’Etat l ) を否 かにし, 3において急進党が 「国家の教育独占」 ( e monopoledel’ensei惇]ementdel ’eco 1 l i 定する立場から, 「国家の教育独占」 を導く可能性のある 「国民化された統一学校」 ( eun que 17.

(3) . 大 坂. 治. ’ iglemnet iona l i i ional i ) 論を批判す る論理を l ense sat on del nat a nat see) 論= 「教育の国民化」 (. たどることで, 急進党は逆に 「教育の自由」 を堅持する枠の中で統一学校を構想するものであっ た ことを明らかにし, 4において急進党統一 学校論における 「教育の平等」 論と 「教育の自由」 論の 関連構造を解明することとする.. 1. 「教 育 の 自 由」 の 前 史. フランス革命期のコン ドルセの公教育 思想には, 子どもの能力に等しく開かれる公教育の開放性 の原理が 「教育の平等」 と解され, それとともに親の 「思想の自由」 の系として, 「教育の自由」 が 思想の伝達の自由」 の系としても 「教育の自由」 が承認された. 前者 積極的に承認され, さらに, 「 , の自由は, 親のわが子に対する教育の権利と義務を有する親権としての自由であり, したがっ て親 が子どもの教育のために公教育 を利用するか否かは親の自由とされ, 結果的に就学を義務づける義 務教育制度の樹立を拒否する ものであっ た. 後者の自由は, 「教授の自由」およびその系としての市 民の 「私立学校の設置の自 由」 を意味するものであっ た‐ これらの 「教育の自由」 の理念は, 近代 市民社会の教育 思想の原理とま でされるものとなっ た. しかし, 19世紀の初頭のフランスは, ナポレオンの帝国大学制度のもとでの 「私学の自由」 を抑 制する厳しい 「国家の教育独占」 体制により, 国の教育と私学の教育とは厳しい緊張関係を持つに 至っ た. ナポレオン帝国大学制度においては, 教育営為の認可を国が行うという意味で, 私学の開 設権の成否を国が独占的に保有するというものであっ た. この意味でフランスにお ける 「国家の教 育独占」 は, 「私学の開設」 に国が認可権を有するものであっ て, 私学の存在そのものを否認するい わば社会主義圏の 「教育事業は国の独占的事業」 とういうのとは, 位相を異にするものであっ た. しかし,1 9世紀フランスの歴史の中で観察された 公教育を主宰する国と私学設置を強力に推進した カトリッ ク教会との間で展開された教育支配の確執は, 「教育の自由」 の推進者とは教会・私学の教 育を支持する者であり, さらに, 「教育の自由」とは国のコントロールを受けない私学の自由と解釈 されるまでに至る. むろん第3共和制の義務教育制度の実現を強力に推 進した穏健共和主義者たちは, 近代市民社会 の教育 思想として 「教育の自由」 を承認する立場にたっ ていた. しかし, 19世紀の公教育制度のも. とで, 宗教教育の公共性を全面に打ち出して宗教教育が道徳教育と結合して公立学校の筆頭教科に 置いてきた歴史的な背景から, 宗教・教会との決別を決意した共和 主義者たちは, 公教育の宗教的 中立性の原則を樹立し, 国の義務としての 「公教育事業」 の組織に宗教科目や聖職者教員を排除す る法律を成立させたのである. それが, 1880年代の初等教育組織法である. なぜなら, 国の教育の 利用者である親の教育 思想を損なうおそれのある特定の宗教 思想を国が公認して公立学校で教える ことは, その宗教以外の宗教を信仰する親の思想の自由を侵すものであるからである. ここから公 立学校の教育内容および教員の世俗制の原則が確立されたのである. ここには, 「教育における自由」の問題の微妙な問題群を見ることができるが, しかして近代社会. が宗教規律による道徳秩序を軸とする前近代性から脱却し, 資本主義経済の産業支配型の近代化な いしは雇用主と労働者の経済的規律を軸とする近代化を 目指すものであるか ぎり, 社会の秩序を形 成する義務教育をその教員と教育内容において近代化することは, 共和主義者たちの長年の悲願 で あっ た‐ かく して, 国が責任を有する公教育制度を基軸とし, その制度の外で, カトリッ ク教会の 教育理想は私学の教育で行 われる, という図式で一応の決着を見ることとなる. 18.

(4) . 両大戦間フランス急進党の統一学校論 (2). しかし, 19世紀全体を通じて展開された 「学校闘争」 と呼ばれた, 教育の主宰権を巡る国と教会 の確執は, 氷解することなく20世紀に持ち越される. 1 90 2年から始まり19 05年にその頂 点を迎え る共和主義者たちによる反教権立法として知られる 「結社法, 教育事業で教育修道会所属の教員の. 教育関与の禁止法, 国と教会の分離に関する法律(政教分離法)」は, 教会関係者に対する共和主義 陣営の勝利を記すものとなる‐ しかし, これらの過程で教会関係者の主張した私学潰し批判の論拠 こそ, 「教育の自由」であっ た. 公教育の拡充の責任を国が持とうとすればするほ ど, 私学の存亡に 関わるものとして, 私学及びその背後に押しやられた教会勢力から公立学校批判=公教育批判が行 われ, この点が第1次大戦後の統一学校論に対する批判の歴史的な背景として存在していたのであ る-. 2. 「教育の平等」 を実現する統一学校論. 統一学校論と 「国家の教育独占」 論-- ÷÷爾. 急進党の両大戦間の統一学校論の直接的な起源は, 今世紀の初めの党結成直後に採択された党の 綱領およ びそれに基づく 国民教育改革案にあっ た. 急進党の党綱領では, 公教育制度の課題を子ど もの能力に応じた教育を受ける権利を保障することにあるとするともに, 成人教育や職業教育の発 展にも公教育制度が貢献すべきことが明記された. その観点から作成されたのが, 1 909年の党大会 1 で採択され, 1910年に議会に提出( 913年に再提出)された国民教育法案である‐ そこでは, フラ ンス同胞愛の習熟の場として, また教育制度の階級間格差・差別を克服するために, 子ども時代か らの 「教育を受ける平等な権利」 を保障する観 点から, 統一学校の必要性が強く主張されていた. さらに祖国愛でフランス国民全体が結ばれることを夢想したミシュ レの 思想を継承して, 統一学校 3 } の必要論が叫ばれていた.( しかし, すべてのフランスの子どもに同胞愛の形成を目指すなら,「フランス同胞意識を形成する 共通教育」 の場が必要となるはずである. そう であるとするなら, あらゆる 思想・信仰・階級に属 するすべてのフランスの子どもを対象とする 「統一学校」 が必要となることがその論理の当然の帰 、を実現できるとするなら, 国民全体を対象 結であろう. しかも, 「共通教育」 により 「教育の平等」 「 とする 統一学校」 こそ, それを保障する最良の制度である, とみることができるはずである. 「階 級のないこ ども時代の学校」が統一学校 父であるとするなら, 例外なくすべての子どもを教育する「共 通学校」 を国家が設置することが有効 である, ということにもなるであろう. この点で, 第1次大 戦後の急進党の立場は, どうなっ ていくのであろうか‐ 統一学校批判の論点の一つは, もし 「教育の平等」 を実現させようとするなら; 国家の意思に反 抗する者が存在 したとき, その者を含めて教育の平等を実現するためには, その不服従者を国家が 強制的に教育へのアクセスを強いるような装置が必要となり, そのために国家に絶対的な権限が与 えられることになる. その結果その専制的な国家体制によっ て 「教育の自由」 を抑圧する 「国家の 4 )すなわ 教育独占」が樹立されることになる‐ このような論理からの統一学校批判が存在していた.{ 「 ち, 教育の平等」論は, 国家の権力による強制力をもっ てしてはじめて可能であるという立論であ る. むろんこのような論点は, フランス革命期のルペ ルチェ の国民教育舎構想を端緒に, ロシア革 命後のソヴィ エト社会主義政権のもとで教育は国家・社会の人民共同の事業との理由から, 「教育の 自由」= 「私学の自由」 はブルジョ ワ原理として批判 した社会主義教育制度論への脅威を背景とする ものであっ た.「統一学校は, ロシアでしか実現されない. しかしてそれをフランスで実現しようと 19.

(5) . 大 坂. 治. することは, フランスのロシア化を目指すものである」 という統一学校批判に端的に表現されるも のであっ た. しかし, 急進党の統一学校論は, このような選択の余地のない, 強制される 「教育の 平等」 論であろうか. それは, 次のよう な急進党の統一学校委員会設置の意図の中で明確にされて い る の であ る.. 24年の左翼連合政府の首相となり,そのもとで組閣された左翼連合政府の公教育大臣 エリオが19 アルベール (急進党) は, 省内に 「子どもの教育の平等を実現するための方策を研究する」 ことを 目的とする統一学校委員会を設置し, これまた急進党の教育問題のエキスパートであるビュイ ッ ソ 2月に開催された委員会の発会式で, 公 ンを委員長に据えて, 委員会をスタートさせた.1924年の1 教育大臣アルベールは, 統一学校は 「フランスのすべての青年の発達への平等な権利」 を保障する ものであり, それは 「独占の問題とは無関係である」 ことを次のように言明した‐ 「一方は無知のために 他方は熟知 しているために 密接に関連している諸 問題 あるいは関 , , , 係づけようとしている諸問題の検討に, 諸君がわき道にそれることは無用 であり, 危険ですら あるように 思われます‐ そのように問題が独占の問題であります. 独占の問題はここでは提起 されておりません. 統一学校を伴わない独占を明確に構想することもできますし, 独占を伴わ 5 ( ) ない統一学校を構想することもこれまた容易 であります.」 「統一学校とは 国民の若き世代の統一 すなわち 現在われわれの道徳的・科学的・芸術的 , , , な文明の基礎それ自体を構成している多様な発達の可能性を現す若き知性, 権利として樹立さ 6 { ) れる 平 等 であ り ま し ょ う.」. 以上のようにアルベー ルは, 「教育の独占」 によっ て強制的に 「教育の平等」 を保障するというの ではなく, 「独占を伴わない統一学校」を構想することに, 統一学校委員会の任務を限定したのであ る‐ 急進党の立場は, 基本的に統一学校樹立の論理的な前提として 「国家の教育独占」 を認めては おらず, また統一学校批判の論点である 「教育の自由の廃棄を目指す統一学校」 との解釈も認めて はいない. 急進党にとっ て, 統一学校の課題の実現は, 国の責任で組織すべき公教育制度の中で, 7 ) 行 わ れ る べ き も の であ っ た の であ る‐(. ここから, 急進党の統一学校論には, フランスの宗教・政治の舞台で絶えず問題視されてきた「国 家の教育独占」 論を排除し, 私学の存在を認めつつ, それは公教育の枠の外で存在するものであっ て, 統一学校は私学教育体制を全面的に規制したり, 国民教育制度の中に私学教育を統合するもの ではないこと,子どもの能力開発とそれによる国の発展にあることを課題とするものであることを, 明らかにしたのである. したがっ て, 社会主義型の 「国家の教育独占」 論とフランスの統一学校論 は無関係であるこ′ とを明示したのである, ということができよう. デュ コ報告では, 以上の統一学校論を, 社会的正義を実現するものであり, またフランスの偉大 さの象徴である文化の維持・発展の継承者の養成という緊急の課題と 結び付けて, 「文化の前での平 928年デュ コ報告)と表現している‐ このような国家による平等の保障のためには, 国家によ 等」 ( 1 る厳格な選抜が必要である, という問題が提起されることになる. 社会階級に対応した既存の教育 制度をその根底から改革する視点こそ, エリート養成を担う中等教育の無償制度の全面的導入であ り, 中等教育を受けてそこから成果をもたらすことのできる生徒を厳格に選抜する 「適格者選抜制 度の導入」 である. ブルジョ ワ階級の無能な子どもに占有されていた中等教育を能力のある民衆の 子どもに開放することである. 急進党の統一学校の理念は, 教育への子どもの平等な権利を実現し, しかも共通の教育の過程を延長し, その過程でフランスのすべて の社会階級の子どもが, 共通の生 20.

(6) . 両大戦間フランス急進党の統一学校論 (2). 活・学習体験を通して, 民主主義の生活課題を子ども時代から培うことを目指し, もっ てフランス の同胞愛の形成に資するものである, と捉えられていた‐ すなわち社会階級の融和の論理である. 共通教育以後の教育に関しては, 子どもの能力に応じる教育保障として, 選抜・進路指導の組織化 の推進原理として統一学校論が位置づけられていたのである. 能力に応じた教育保障論は,「権利と しての統一学校」 の核心的な位置を占めるのである‐ そして, フランスの指導者階級が能力による 民主的な選抜を経て形成されること, 換言すれば, 民主体制にとっ て不可欠なエリート養成の課題 を果たすこと, 併せて民衆階級から社会的指導者を選抜すること, これが公教育体制へ統一学校制 度を導入することの社会的課題 であると認識されていたのである‐エリオは言う.勤勉と才能によっ て, 人々 が社会的上昇を遂げられないとすれば, フランス人は, 革命の要求に拒否する権利を失う 8 )つまり 公教育制度のもとでの統一学校を通して 勤勉と能力による階級移動を社会的 のだ, と.{ , , に保障することが, 民主的国家の教育課題であると自覚されていたのであっ た. このような論理が 急進党の 「教育の平等」 論の目指すものであっ たの である.. 3. 「教育の自由」 論からの統一学校批判 --レオン・デウ・クルーザ・クレテの批判とデュ コの反批判-- フランスの伝統的な教育論争であり, 常に政治の舞台 で争われてきたのがすでに見た 「教育の自 由」 であっ た. 伝統的な保守的カトリッ ク勢力による 「教育の自由」 の立場からの統一学校批判の 9 )この立場の教育要求は 論理とその立場からの教育要求に関して, 筆者は, 既に, 別稿 で検討した.{ , 私学の国家財政援助を目指すものであり, その教育要求は, 第1次大戦以前からの 「公立学校と私 立学校との就学者数に比例した国の教育予算の配分論」 に象徴されるものであっ た‐ この立場は, 両大戦間の統一学校論争の時期にも再現される. しかも, カトリッ クの世論により支持された統一 学校批判の論議は, 「親の教育の自由」論を中心としつつも, さらにいくつかの観 点にわたるもので あっ た. 1 926年度のデュ コ報告で引用されている次のような論議は, デュ コによる 「統一学校の決 定的な反対論」として, 例示されたものである. それは, 非妥協的カトリッ ク者のジロー( i j ) raud .Gu iete general ionet d ense iglement の 指 導 す る 「全 国 教 育協 会」 (Soc ) の 1924 年 4 月 e d educat. 号の会報に掲載されたレオン・デゥ・クルーザ・ク レ テ (LeondeCrouzat ) の 論 文 であ る. ‐Cretet (1) 子 どもの能力差と統一学校批判 クルーザ・クレテの統一学校批判の第1の論点は, 子どもの能力差に関わるものである‐ その論 議は次のよう である. すべてのものが完全な教育を受けるであろうと統一学校 の推進者たちはいう が, 子どもたちは小学校の数年間を終えた後で次に中等教育へ進み, そして次に どうなるのか‐ し かし, 議会の評決や法規の規定をもっ てしても越えることのできない障害があるのだ. それは, 若 き知性の多様性であり, ある者は科学の頂点に到達することが できるが, 他の者は, もっ とも貧弱 な基礎知 識の中で辛う じて訓練を受けることができるにす ぎない. それに続けて次のように言う ‐ 「こう したお びただしい不均等は 神によっ て望まれたものであり すべての市民の平等とい , , うもっ とも厳粛な宣言も, 議会多数派の純粋な断定によっ てしても, 何者も消し去ることので きないものである‐ 事実, 5, 6年間, 小学校に通っ た生徒の大多数は, 中等教育の門を彼ら に開く検査に合格することができないという結果になる であろう. それでは, 改革の目指すも 21 ‐.

(7) . 大 坂. 治. のは何か. それは現在リセ・コレージュ の基礎学級で履修している生徒にたちが, 小学校での l o ( ) 最初の数ヵ 年の学習を行うことを余儀なくされるということである.」 統一学校がリセ・コレージュ の基礎学級廃 止を含む完全な同一の教育を高等 この批判は, 結局, 、 教育にま で継続させるのか, との批判である. このような批判に関して, デュ コは次のように反論 する. 「我々の目的は すべてのフランスの若 者を, 同一の教育方法に従 わせることにあるのでも, , また同じ諸段階を履修させた後でもなお彼らすべてを学部の椅子の上で再び結合させることに あるのでもない, と答えなければならないであろうか. そのことは, 心理学的にバカげた こと であり, 社会的に不可能なことである. 我々が望 むもの, それは, すべての子どもが自分の能 力を発揮することができ, 同じ土壌の上で, 同一の条件で, 等しい配慮をもっ て彼らのチャ ン スに協力することである. そして, それは, 明らかに若き知性を分けている, 彼らの若き知性 のおびただしい多様性--神よっ て望まれるものであ れ, 望まれないものであれ--であるの だ. リセ・コレージュ の基礎学級の生徒にとっ て, 他の同一年齢のフランスの子どもたちとは もしその義務が 別に, 学校の最初の数ヵ 年の学習を今後行わなければならないという義務 若干の ブルジョ ワの偏見を傷つけ, あまり尊重できない感情に対 応しているようにはみえない 若干の予防を傷つけるとするならば--に関しては, なんと可愛そうなことか. なぜなら幼少 1 1 ( ) の頃から, 社会階級の区分を消すことは, 国益である‐一 ここから, デュ コは, 基礎学級の廃止論は統一学校の意図するところであるが, 基礎教育以降の 教育を完全に共通するものではないことを明確にした.. (2) 早期選抜論と統一学校批判 クルーザ・クレテの第2の批判点は, 統一学校制度の意図する試験制度に関連したものである. 2歳で果して中等教育の優れた学習を行う べき者を決定できるのか, と指摘 クルー ザ・クレテは, 1 2歳ではその子どもの将 来を決定でき する. 早熟な子どももいれば, おくての子どももいるの だ. 1 ないものである. したがって次のように言う. 「子どもの進路は その子どもの興味や性格にふさわしいと判 断する学習の中で両親に自由に , 判断させるべき である. ありにも民主的でなじみ深い絶対的な平等というこのような妄想を追 求することをやめよ‐ たいていの場合, 荒々 しい選抜にたどり着くような試験という煩わしい 2 ( 1 } 手続きにわれわれを巻き込むことをやめよ.」 この批判に対して デュ コは, 統一学校の支持者はこの批判を無視しているわけではないが, 進路 指導上の誤りは例外的なものであり, 子どもの能力にふさわしく ない指導を受けた場合は, 実際的 な組織によっ て進路変更することができる, と反論する. このクルー ザ・クレテの統一学校批判は, 親の教育選択の自由を全面にうちだした論議であり, デュ コは, その批判に対して, 親の自由に対 する反論をおこなわず, もっ ぱら進路指導上の 措置による能力対応型コース変更の方針を主張して い る, と 見 る こ と が でき る. 22.

(8) . 両大戦間フランス急進党の統一学校論 (2). (3) 国家財政の圧迫と統一学校批判 次に, 第3の論点を挙げよう. クルーザ・クレテの批判の論点は, 統一学校による財政負担上の 障害に関するものである‐ すなわち, 寄宿料を現在負担している中等教育機関の基礎学級の生徒の 存在そのものをなくすことによっ て生じる収入欠損およ び教育の無償制を教育の全段階にまで拡大 することを遠望 しつつ当面は給費制度を充実させるために必要となる財源の2 点 である. クルー ザ・クレテの批判は, 現在の公教育予算で消費されている金は, 一般的に, うまく使われていない こと, すなわち, 初等教育の効果を上げていないことは徴兵検査時の試験でも明らかであり, 浪費 1 3 } であ る に す ぎな い, と いう わ け であ る.{. この論点に関してデュ コは, 教育の無償制が授業料に限定されてるのでは十分 ではない, と反論 する‐ さらに, 親がその子どもの労働を当てにしている家庭の場合には, 学習期間中の子 どもの労 1 4 )これは アルベー ル ( 働収入の欠損を埋める生活給費を創設しなければならない,とすら提言する. , やラピーの提案しているものであっ て, 統一学校の重要な課題の一つである, との認識を示してい る. そこで, 各種の 滞校を集めることによっ て得られる予算の節約や圧縮によっ て, この財源の確 保の道を探求しなければならないのだ, と指摘する. そして,「第2段教育への入学が保留されたり, あるいは, 親の財産のおかげで, あるいは都会に住むことのできる機会を有しているからリセやコ レージュ に通うことができたのだ, というような生徒の入学は容認できない」 という. 子どもの 生 活条件の偶然性に教育機会が左右されることの不条理を指摘しているのである, と見ることができ る-. (4) 「自由教育の廃棄=教育の独占」 論と統一学校批判. 最後にデュコ報告で要約的に引用された統一学校論批判の論 点は,統一学校が「自由教育の廃止」 , 「教育の自由の廃棄」 に必然的に至るものだ という点である その論理は 次のよう である 家 , , . ‐ 庭の父親は, その子どもに, 公立学校の環境よりも優れた環境で, しかも中等教育への準備を行う 方法により, 最初の学習時から教育を受けさせるためにリセやコレージュ ヘ子どもを送りたいと考 えているにもかかわらず, 今後は公立小学校へ子どもを送らなければならなくなる. 統一学校は, 1882 年 3月 28 日の法律が認めているような家庭で教育する権能を父親から奪うもの である‐ 改革 を成功裡に収めるために, 国家は自由教育に無償を押しつけるであろう し, 自由教育はその負担に 堪えられぬが故に事実上の 「国家の教育独占」 が生まれることになる. その結果は次のようになる と指摘する. 「統一学校 それは望もうと望むまいと フランスの青年全体が形成される単一の鋳型である , , ‐ 官製の小学校と自由小学校という2種類の統一学校は有り得ない. そのうちの一つしか, すな 1 4 { } わ ち 前 者 しか 持 ち 得 な い の だ‐一. クルーザ・クレテの批判は, 結局, 統一学校が教育の事実上の独占を樹立するものであり, その 結果, 「教育の自由は棄損される」 ということに他ならない. 「教育の自由」 の観点からの統一学校 批判論である‐ これに加えて, デュ コはカトリッ ク団体のみならず, 著名な中等教育の教育者であ り, 公教育高等評議会委員 でもあり, さ らに 第2 次統一 学校委員 会 の委員 ですらある ベ ルネス (Be ) の言動にも注目している. ベ ルネスは 「統一学校について」 と題する論文の主旨を中等 rne s 23.

(9) . 大 坂. 治. 教育教員組合の全国大会でも発言している‐ その発言とは,「フランスで統一学校と言うのは, 独占 と同義である」 というものであっ た. しかし, デュ コはアルベー ルが統一学校委員会の創設会の席 上で統一学校と独占は何等関係しないことを明言したことを引用して, 急進党の支持する統一学校 は, 独占を引き起すことのないものであり, むしろ, 統一学校の支持者は, 「教育の自由」を擁護す る立場にたっ ている, とすら言明する. 27一28年に小学校教員 組合が提起した 「国民化された統一学 そのことをより鮮明にしたのが, 19 校」 のテーゼを含む 「教育の国民化」 構想を紹介・分析・批判した1929年度のデュ コ報告である. デュ コにとっ て問題は, 急進党の統一学校論が, 「国家の教育独占」を示唆する他の教育改革論と異 なることを明示し, それと一線を画するために, 敢えて 「国家の教育独 占」 論に組みする危険性の ある 「国民化された統一学校論」= 「教育の国民化」 論を徹底的に批判することにより, 急進党統一 学校 叉論への理解を求めることにあっ た.. 3. 「教育の自由」 を擁護する急進党の 「教育の国民化」 論批判 急進党の統一学校論は, 基本的には 「教育の平等」 を実現するためのものであり, 私学問題を基 本とする 「教育の自由」 論には組みしないものであっ た. しかし, 「統一学校」 の名による 「教育の ・に及んで, デュ コは, 国民化」論が小学校教員組合をはじめとする労働運動や社会党から提起される 29年報告書において, 「アマルガムの危機」と題し, 小学校教員組合の全国大会で採択された「教 19 育の国民化」 構想を詳細に紹介しつつ, 同時にそれを徹底的に批判したのである. ここでデュ コ報 告の論議に立ち入っ てみよう‐ デュ コの論議は, 基本的に教育の独占と統} 学校の関連を問うもの であ っ た.. 「(統一学校の)改革は 自由の枠の中で実現されるものであります. それは教育者の軍国主義 , ではなく, 共和主義の伝統であります. 就学義務は, 子どもの権利を確定し, それを提起して い ま した. 残 余 の も の に つ い て は, そ れ は 自 由 で あ り ま し た. レ オ ン ・ ブ ル ム 氏 と ベ ナ シ ー 氏. 25年に, 教育に関する国家の 『専一的な権利』 と教育の利益を家庭から奪うことの必要 は, 19 性を強調していました. しかし彼らの宮言は, それほどおおくの反響を呼び起こしませんでし た. ただ少し前から, 小学校 叉教員組合は, 反対の傾向から鼓舞されて, 1927年にその全国大会 28年には, その動きはいっ そう満ちてきて は, 独占に奉仕することに明確に 組みしました. 19 おり, 精力的でありました. 数ヵ月まえからオリジナルな形態で, 新しい言葉でもっ て, 教育 の自由に敵対する 潮流が確立し, 広がっ ています. われわれの元同僚, デア氏は先の会期の終 わりに, 非常に謎めいた演説のなかで, ナショ ナリザショ ンの名のもとで, 初等教育の組織の 新しい方式が特定の階級で作成されつつある, と下院で明らかにしました. レオン・ ブルム氏 は, 国民化がひとたび創設さ れると, ただ一つの学校だけ が存続 できると 官 言していたの で 1 5 ( ) す.」. ここで明らかなことは, 統一学校は自由の枠の中で実現されるものであって,「国家の教育独占に 組みする国民化」 論は, 共和主義者政党たる急進党は, これを 「教育の自由」 の見地から支持 する ことができない, ということである. むろんデュ コは, 教育の国民化 論の提起が, 共和制の教育制 度原理である「公教育の世俗性」=世俗学校に対するカトリ ッ ク陣営からの激しい攻撃を受け, それ 24.

(10) . 両大戦間フランス急進党の統一学校論 (2). への対抗措置として, カトリ ッ クの牙城 である私立学校を3者管理にもとに置く ことによっ て私学 の絶対的な規制を求める観点から出されたものである ことを認識していた . しかし, 世俗学校 父を防衛することのできるのは, 私学の廃止によ るのである, とは考えない. 私 学はその 「教育の自由」 の理念に由来する制度的保障を享受することができるのである ここ で . , デュ コは世俗学校の創設者の一 人であり,この時期の急進党の長老 でもあっ たフェ ルディ ナン・ビュ イ ッ ソンがレンヌの全国大会 で, 小学校教員組合に対して, 「国民化に組みしないように一説得した と き の 演 説 を 引 用 し て い る ビュ イ ッ ソ ン は 語 っ て い た . .. 「国民教育の創設者であり 家庭が要求しているそ の子どもを育てる権利を家庭か ら取り上げ , る こ と は で き な い と 語 る こ と で, こ の 問 題 を 提 起 し た の は コ ン ド ル セ そ の 人 で あ り ま し た .. ………私立学校 は, 存在する権利があるのです 両親はその子どもに注視する権利があるので . 1 6 { ) す. そ れ は 自 然 権 で あ り ま す.」. 小学校 父教員に多大な影響力を有していたビュイ ッ ソンのこのような説得にもかかわらず, 小学校 父 教員組合の全国大会は, 国民化の構想を採択した. このことに対して デュ コは 「ああ なんと言 , , , う こ と か‐ わ れ わ れ は, 決 然 と し て 自 由 と 民 主 主 義 の た め に フ ェ ル ディ ナ ン ‐ ビ ュ イ ッ ソ ン 氏 に 賛. 成したい」 と語っ た‐ そして, 世俗学校に敵対する教会学校が 「共和国の軽蔑と 民主主義に対する 憎悪」 の念を教え込ん でいることを認めながらも, 公教育と私学教育の自由競争の必要性の意義を 認め, さらに 「教育の自由」 の問題が基本的には 「子どもの教育を誰が行うのか」 という教育権の 所在の問題であることを確認して, 次のようにいう . 「人間の他の制度と同じように 学校 父に関わるとき, 私は, 自由競争, 競争心の有用性, いっ , そう独立した, より柔軟な私的なイ ニシアチ ヴの有用性を言いたいのであります ………われ . わ れ に 関 して 言 え ば, コ ン ドル セ や ビ ュ イ ッ ソ ン と 同 じ よ う に 法 律 の コ ン トロ ー ル の も と で , , 教 育 の 自 由 は 人 権 の 一 つ で あ る, と 考 え ま す ブ ー ラ ン ジ ェ 氏 は こ の 自 由 を 考 え ‐ 語 り ‐ ‐ , ,. 表現する自由と同一視することを危 険な誼弁である宣言を しています . 確かに子どもは, 親のものではありません‐ しかし, それ以上に 子どもは国家のものでも , ありません‐ さらにまた, それ以上に, 子どもは国家または国民を代表する教師のものでもあ り ま せ ん‐ ま っ たく も っ て, ガ ス タ ー ヴ・ ロ ドリ ゲ ス 氏 が 語 っ て い る よ う に わ れ わ れ は 『子 ,. どもは大人以上のものでも以下でもない道徳的な人格であり』 『子どもは子ども自身のもの で , り, 子どもは人間の諸権利を有しているのである』 と考えています しかし 子どもはこの権 , . 利を発現さ せることはできないの で, そして子どもは法律の コントロールの保障のも とで 『そ , の弱さを補助する監視的な後見人』 が必要でありますから われわれはロ ドリゲス氏や小学校 , 1 7 ( } 教員とは逆に, 子どもの自然の後 見人, それは両親である と考えます 」 , . 「われわれは 子どもを自由学校 へ委ねたいとする両親の好みを犠牲にして 両親を拘束す る , , ために, いかなる物理的・道徳 的な圧力も, 両親に テ使されることを認めるものではありませ ん. そして どこかでこう した正義の否定と脅威 が一度でも起りうるものであるのなら それを , 1 8 { ) 終結させるために必要な措置をす ぐに でも提案する用意があります 」 . そして 「統一学校」 との関連 で, 自由教育=私学教 育を位置づけて 次のように明確に指摘した , .. 25.

(11) . 大 坂. 治. 「統一学校 それは自由教育とは 無関係ではないが コントロールされるべき であり, 確かに , , 過去との関係で, いっ そう厳格にコントロー ルされるべきでありますが, 自由教育を吸収する ものであっ てはなりません. 統一学校, それは新しい精神に従う教育の組織であります‐ もし 自由教育が生きたいと望むの であれば, 自由教育はそれを理解し, 自己を適用させなければな りません. 統一学校は, それが中等教育の低下と結びつくものであっ ても, その名 でイメージ 1 9 { ) されるアマルガムと結びつくものでもないように, 独占と結びつくものでもありません.」 以上のように, デュ コ報告では, 「教育の国民化」 論に対抗するために, 「教育の自由」 の制度的 な保障を主張し, それが大革命のコン ドルセの公教育論の前提であっ たこと, その主張は近代社会 の 「人権の一部」 として棄損されるべ きではない価値を有するものであり, 両大戦間においてもそ の価値を継承すべ きである, と見ていたことが明らかであっ た. それは先にみたカトリッ クの立場 からの 「統一学校と教育の自由」 の関連把握による急進党統一学校論批判の矛先をかわすために, 「教育の自由」 の問題を 「私学設置の自由 私学教育を選択する親の自由」 に限定的に解釈し, し , たがって公教育制度にあっ ては親の教育意思よりも子どもの利益論・権利論を最優先させることに. 統一学校論の力 点を置いたのであっ た, ということができよう. ところ で, 「教育の国民化」論のモチーフは, 労働運動の立場からフランスの経済構造改革と教育 改革を結合させ, 「国民が教育する権利を有すべき である」という立場から, 「あらゆる教育機関は, 国民のコントロールのもとに置かれる」 という 主張が導かれ, 教育政策の主導権を労働運動, とり わけ教員組合が担うこと, 具体的には 「国・利用者・教育の 技術者」 の3者管理機関を教育行政の 各レベ ルに配置し, 教育政策の要と なる教育に関する立法にもこの3者の意思が共同で行使される こと, また, 地域では地方自治体の後見から公立学校が解放され, 学校は教師集団と親・世俗団体 2 0 ) などの管理のもとに置かれるべきであることを内容とするものであった.( 「 教育の国民化論に対する デュ コの批判は, ここで問題とした 教育の自由」 の観点からばかりで はなかっ た. それは, 第1に, 教育の一般利益を代表するのは, 「国民の後見者としての国家」であ り, 国家を国民と対立させる 構図がこの構想にあること, 第2に, 普通選挙によっ て選出された地 方議会・地方自治体に対する不信が見られること, 第3に結局, 国民化構想とは, 労働組合主義の 教育支配を意図するものであること, などの 点で, この構想を論難 したのである. 急進党にとっ て, 国家の教育主宰権は神 聖なものであり, 国家の後見的役割を減じようとするこの構想は, とうてい 2 1 } 受 け 入 れ ら れ ぬ も の であ っ た. (. 以上のことから, 急進党の統一学校論の理論においては, 「教育の平等」 と 「教育の自由」 は, 公 教育の拡充により 「教育の平等」 を実現し, その重心を 「子どもの能力に応じた教育」 の保障へ移 動させ, 結果的に 「教育の自由」 は相対的に後退させることとなるものであっ た. なぜなら, 公教. 育制度下の公立学校での教育の充実を直接志向することになる急進党統一学校論では公教育の拡充 による私学教育の相対的な地位の低下は避けられないものであっ たからである‐ しかし急進党は, 統一学校制度の樹立による私 学の存続・発展に対する影響については直接言及することはなかっ た. ただし先のデュ コ報告に見られるとおり, 私学が何等の国家的規制を受けないというのではなく, 教員 資格などの教育の質を 担保する面での制度的規制は, こどもの学習利益の観 点から当然視され て い た こ と は いう ま で も な い.. 26.

(12) . 両大戦間フランス急進党の統一学校論 (2). 4. 急進党統一学校論における 「教育の自由と教育の平等」 の関連構造 (1) 「教育の自由」 の限定的解釈 両大戦間フランス統一学校論には, 「教育の平等」 論と 「教育の自由」 論が 「国家の教育独占」 論 を媒介にして, 複雑に絡み合っ ていたことを知ることができる. 「教育の平等」 が, 「教育の自由」 の理念に反するものとなるなら, 急進党は 「教育の平等」 を放棄していたかも知れない. しかし公 教育の改革・拡充を方向づける 「統一学校」 と, 親の 「教育選択」 と市民の 「私学設置」 を核とす る 「教育の自由」 とは二律背反的存在ではありえず, 双方とも民主的共和体制にあっ ては, 実現さ れるべき教育理想であっ た. したがっ て急進党は, 「教育の平等」 と 「教育の自由」 を調和させるこ と の でき る も の と 捉 え て い た‐. 急進党にとっ ては, 「統一学校」 制度を樹立することは公教育制度の中で子どもの権利・便益を優 先的に保障するものであって, 私学設置の自由や私学選択の自由を中心とする, 親の「教育の自由」 の問題はすでに解決済みの問題であっ た‐ そして公教育においては親の 「教育の自由」 を核とする 「信仰の自由」 を尊重することは公教育の世俗原理 (宗教的中立性) を継承することで十分である , と解釈されていたのである. したがっ て, このような教育制度の枠組み, すなわち公私教育2元論 に立つ限り, 統一学校問題はなんら 「教育の自由」 と抵触するものとは考えられなかっ たのである, といえよう‐ ただし私学教育の質を規定する教員資格の点では, 公教育の同一学校レベ ルの教員と同一の資格 を所有させるべ きである, という志向が急進党にはある. それは先のデュ コの報告にもあるように, 「教育の自由は国のコントロー ルのもとで」 行われるものであり その一環として教員資格制度の , 国家基準の設定を志向する点は, 子どもの学習利益の観点から説明される. 「教育の絶対的な自由」 は, 公教育の未整備状態の近世的な教育体制のもとではありうることだろうが, 国家の教育責任論 に基づく公教育体制においては, 教会関係者が夢想する 「絶対的な自由」 の実現は, 教育の公共性 概念の強化とそれへの公権力の強力な関与で, その姿を変えざることをえないことにある, という 論理である. しかし公教育制度の枠の中で実現される統一学校制度において, 「子どもの進路選択・進路決定」 は, 「信仰の自由」 とは異なるレベ ルでの問題を提起するものであっ た. クルーザ・クレテの統一学 校批判の中心が 「教育の自由」 にあり, それに関わるその主要な批判点が 「親の教育選択の自由」 にあっ たことを先に確認した. そして, クルーザ・クレテの批判の意図がいかなるものであれ, 事 実として統一学校が 「早期選抜」 と深く結合していることはデュ コも認めるところであっ た. そこ でデュ コは早期選抜による弊害--たとえば子どもの能力に合致しない進路決定--が例外である こと, その弊害が認められる場合には 「進路指導」 により進路変更を認めるものであることで, 弊 害を除去することができる, と反論していた‐ しかし, 先にも見たように 「早期選抜」 論や 「進路 指導」 論は, 子どもの学習適性の吟味, さらには子どもの学習の便益を保護する立場及びそれが後 に述べる 「社会の利益」 を担保するものであることで説明しようとした. そこ では, 「親の教育選択 の自由」論は排除されている‐ すなわち, 統一学校制度を実現する公教育制度においては, 「子ども の能力」 論が重要であっ て, 無能なブルジョ ワの子弟が不適格にも中等教育を受けている状態を打 開することが 「教育の平等」 を実現することに他ならない, と考えていたのである. 公教育制度に おいて, 子どもの進路選択を専門職教師に代表される国が方向付けることを背影として, 親の教育 27.

(13) . 大 坂. 治. 選択と進路指導の結果による進路の決定とがその方向性を異にするとき,いずれを優先させるのか, それは教育制度における基本的な問題と なるものであっ たが, しかし急進党はず それを・「教育の自 2 2 ) 由」 の 問 題 と して 捉 え る こ と を 拒 否 し た の で あ る. (. (2) 「国家の教育独占」 の否定と 「子 どもの能力に応 じた教育」 保障としての統一学校 「教育の自由・ 論を私学との関わり で限定的に解釈し しかも その存在を公教育制度の外で認 , , める方式を踏襲した急進党は, 統一学校批判の論拠となっ ていた「私学廃止に至る国家の教育独 占」 論を否認した. それはデュ コ報告で明確に述べられているように, 国家の独占は, 統一学校反対勢 力に格好の材料を提供することになるとの認識が, その基底に流れて いることを知る‐ この点が, 小学校教員組合やこれを後押ししていた社会党が提起していた 「教育の国民化」 論への批判として 展開されたことで示されたように, 公教育と私教育の2元体制を止揚して 「国民教育制度」 の形成 を求める社会党などとの急進党の決定的な相違点となるのであっ た. ● 「世俗学校 統一学校 教育の国民化」の3つの制度的要素 で特邪 ÷づけら 教 社会党の教育改革論は , , , 2 3 )社会党においても 「教育の独占」論が必ずしも支持されていた訳ではなかっ た 社会党 れるが,( . , にとっ て重要なことは, この時期, 執勘に繰り広げられていたカトリッ ク勢力による 「世俗学校= 公教育」 批判に対応するために, 「私学教育の規制」 論として 「教育の国民化」 論が支持されていた 側面がある. カトリッ ク勢力からの公立学校反対キャ ンペ「 ンに対して, 急進党の対応は, 必ずし も明確ではなかっ た. 急進党は, あくま でも, 「公教育と私学教育」の2 元論が基本であり, それ以 上に踏み出すことはなかっ た. 教育の独占論は, 少なくとも, 両大戦間においては, 実現の可能性 はなく, むしろ統一学校批判の道具としてそれが活用された側面がある. 統一学校反対キャン ペー ンに対抗するため, 急進党は, 小学校教員組合などの構想した 「教育の国民化」 構想が 「教育の独 占」 へ導くものと捉え, これを徹底的に 批判 し否定することを通して, 急進党統一学校 叉論の正当性 を主張したのであっ た‐ 急進党にしてみれば, 公教育制度は, 国の主宰する教育であり, 国の教育の必要が国家・社会の 発展にとっ て不可欠な推進力を構成するものと捉えられる限り, 子どもの教育を受ける利益の延長 線上に子どもの教育の社会的成果が設定されるのであっ て, 私益と公益はここでは対立するものと は捉えられていない. この点は, 急進党統一学校論の基本的特質として 指摘しておかなければなら ないであろう. なぜなら, 統一学校の目指すべきものは, 教育を通して, 社会を構成する各人がそ の能力にふさわしい社会的位 置に就くことであり, いわば適材適所主義の合理的制度こそ 「統一学 校」 に期待された役割 である, と見なしていたのであるからである. それがフランス社会の利益, すなわち国益である, と捉えられていたのである. かく して, 国益という一般的利益を核に個人の特殊利益が同心円的に位置づけられるのであり, その意味で, 「教育の平等」 「子どもの能力応じたに教育を受ける権利」 の概念が, その両者を結合 する鍵的な概念になっている. 民主的な社会の建設は, 少なくとも, 国家が主宰する公教育制度の もとで子ども時代の学校から始めること,・さま ざまな職業・社会的階級に属する親の子どもたち が, 相互の違いを認め合い, 能力の発揮とその差異を認め合い, 能力の優れた仲間が自分 達の指導者と して育っ ていくこと, このよう なシステムを通して, 同胞意識を培うことが可能となる. これが, 急進党の統一学校論の論理であっ た. そこには,、公教育の発展に対する絶対的な自信と, それを裏 打ちする国家の教育機能の増大に対する信頼があっ たことは間違いない. 急進党は明言してはいな いものの, 統一学校制度が樹立された晩には, 統÷学校制度のもたらす教育的・社会的・経済的・ 28.

(14) . 両大戦間フランス急進党の統一学校論 (2). 文化的な利光に より私学教育を選ぶ親たちを引きつけ, 公教育への信頼, それを通して共和制国家 へ の 信 頼 をよ り 確 か な も の と す る こ と が で き る と, 捉 え て い た の で は な か ろ う か‐. 結. び. に. それでは, 公教育の拡充による 「統一学校制度」 の実現を急進党は 「教育の平等」 の視 点から学 校体系上でいかに構想していたのであろうか‐ 学校体系の構築は, 急進党のその時代の社会的必要 の認識を踏まえる教育認識を表現するもの である‐ 当時の教育制度改革の焦点である教育系統性の 22年の公教育省初等教育局長P.ラピーによる匿名 複雑さ,相互侵食の問題は, デュ コ報告以前の19 論文で鋭く提起されていた. ラピーは, 統一小学校の共通性の上に 「コレージュ」 の名を持つ中学 校を設定し, そこに高等学校に相当するリセ (教育コース別リセ) を設定し, 共通性を前提とする 2 4 ) 小学校と多様性を前提するリセとの間に, 移行期としての 「中間学校」 を独自に構想していた‐( これに対して, 急進党のデュ コは, その最初の1924年の報告書で, コン ドルセの公教育学校体系に 言及しつつも, 独自の統一学校体系を構想した. また, 急進党が自らの手で公教育省内に設置した 「 「統一学校委員会」 は 1 , 926年に 教育の前での平等を実現するための統一学校の固有の施策」 を 2 5 )急進党の 「統一学校」 論の核心をなす 「統 統一学校体系の構想を含めて具体的に答申していた.{ 一学校体系」 論の分析は, 次稿の課題としたい.. )王. 『公教育予算委員会報告書』にみる統一学校の理念の展開」 ) 拙稿「両大戦間フランス急進党の統一学校論(1) ( 1 『北海道教育大学紀要』 第4 2年7月所収) ( 3巻1号199 ( 2 ) 正式には「1900年執行の一般予算を作成する法案を検討することを任務とする財政委員会の名において行われ ipo tau nom dela commi$ionchargee d examinerl tdelal tant je tfai e pro o l た報告 (公教育)」 (Rappor ’ f ixat iondubuge ldel i tgenera exerc sesl9 0 0) である. なお, こ の 議 会 財政 法案 を 収 録 した フラ ン ス 共和 国 官 Zo扉! “〆 庇 わ R多めZ電解 Fm〃”声8 ) を 以 下に お ⑦鋤 加錆鉛. 報 ぴ伽創α e“ e sDゆ”族,Do伽粥e“応召αZ ,C毎mろだ d. D‐ いて, CH‐ 1 900と略記し, 引用ページをその後に記す‐ ( 3 ) この急進党の戦前の統一学校構想の分析につき, 拙稿 「戦間期フランス急進党統一学校政策構想策定の前 史 --191 3年の国民教育法案を中心に--」 (教育制度研究会『教育制度研究』第2 2‐ 号1 989年所収)を参照されたい- ) この批判の論理に関して, 拙稿 「統一学校是非論--戦間期フランスの場合」 (真野宮雄・桑原敏明編著 『教育権 ( 4 ′ と教育制度』 88年, pp 2 ‐239一24 , 19 , 第一法規出版所収) 参照を参照されたい。 A L る 彦 d r 迄 F S i E i i l l d d j ゑ e t e t 9 3 t t ( ) Bede . 1 1 5 BP知 粥 e の ” ”毎 “ eg 〃 m“ c g o c o n s“Les Be e Le reず.p . . ‐ .81 . , , ” l iqueざ i ( 6 es Pきdagog ) Nouvel n Educai on ‐1925 ‐437 ‐ ,p ( 7 ) 急進党の教育構想は, かつてのジュール‐フェリーの教育政策に見られた 「公私教育2元体制」 論を継承するも のであり, 国家の教育責務を有する公教育ともっ ぱら私費で維持される私学教育の2つに分離する発想が, その基 底に置かれていることをおさえておきたい. 私学を公教育に統合し, もって国民教育総体を構築する発想は, そこ には見られない‐ したがって, 後に見る 「教育の国民化」 論に対して, 急進党は敢然と批判することとなるのであ る- i 2 侶) Herr ot 8 互.Payotl919 .p ‐157 ,Eり C形B Zo“ ( 9 ) 伝統的なカトリック保守勢力による統一学校批判の論理とその教育要求である 「公教育予算の就学者数比例配分 方式」 , ならびにカトリック勢力内部からのキリスト教民主主義の立場から「教育の平等と自由」の同時実現を求め, とりわけ, 私学教育と国家の関与の具体像を提示したラクロワの教育改革論議に関して, 拙稿 「両大戦間フランス 『北海道教育大学紀要』第4 キリスト教民主主義者の統一学校受容の論理(その1およびその2)」 ( 1巻第1号, 1 9 90. 29.

(15) . 大 坂. 治. 991年所収) を参照されたい. 年および同第4 1巻第2号1 ( 1 の C″‐ D・1926 .P.1800 . Z る d ( } 2 n .. ( 1 2 ) ぼるZd ( 1 め C″・ D・P .1926 .1800一1801 ・ ,PP. ( 1 の めぎば P.1801. ( め C″. D・1929 1 ・P ・1770 ・ ( 1 の 効Z〆 ◎ c″. D・1929 ‐ .P .1772 ( 1 勤 めZd { 1 勃 C″・ D・1929 p . .1773 ,. ) を参照され 53一26 0 回 その内容分析について, 拙稿 「統一学校是非論-一戦間期フランスの場合」 (前掲書. pp .2 た い‐. m ) なお急進党の 「統一学校と国民教育行政改革」 の関連については別稿にて取り上げることとしたい‐ そこで, 急 進党の 「学校評議会構想」 が示されることになるであろう‐ 「教育の国民化」 論を支持する社会党とそれを否定する 急進党の立場の教育改革の論理の差異がここで明確に明らかにされることになる‐ 筆者は, 社会党の教育改革構想 i t t )の論稿を中心とした社会党統一学校論の研究を後に着手したいと考えてい を推進していたゾレッティ (L e .Zor る.. 鰹 ) 先のクルーザ・クレテの論文を掲載した 「教育協会」 の肝入りで, 同協会の指導者カステルノーの序文を含む著 930年にモラの手で出版された. その中でも, カステルノーは国家官吏である公教育教員 書『統一学校の真相』が1 による能力選抜の問題は, これを 「能力の国家管理」 論として再び強力に批判していた. この問題 朝応 公教育の 拡充期における, 国家と公教育の関係を鋭く問うものである‐ デュコ報告では, 中等教育の無償制度問題と選抜・ 進路指導問題が19 27年度報告から4年間にわたって集中的に取り上げられており, そこでは, 「進路」 の決定に家 庭がまったく関与しない, というものではないないことだけを指摘するにとどある‐ この選抜・進路指導問題は, 急進党統一学校論の研究の中で機会を改めて取り上げることとする. 2 解 ) この3点が, 社会党の19 9年ナンシー大会での教育改革要綱としてまとめられている- 社会党は宗教教育に関わ る 「教育の自由」 は私事であり, それに国家は介入すべきではないと捉える一方で, 「家父権」 に対して厳しく批判 して いる‐ た と え ば, 同党 の 大 会 で, H‐オー ク (Henry Ha ) は, 「われわれは, 悪名高い家父権を認めない, uk と何度でも繰り返していうものである. 家父権はギマンにすぎないし, 現在ではこれがために教権主義のあらゆる 企てを許しているのである. もし教育の受益者という者に権利があるとすれば, それは何よりも子どもの権利であ る. だがそれ以上の者がいるのだ‐ つまり, 教育の真の利用者, それは種々の職業団体, 労働団体であり, 国の生 産を代表し, 国の繁栄が必要とする技術者を教育の中に見いだすことに利益をもつすべての者である.」 (Pani r Z ZZ ′ 1 〆 Soc i i te(S.F. 2d” β s9 al s “ “ 燈29 D“#姿 Mのi “〆 ねれ” α Nα”げ ′ ‐ XX V C . Co粥桝e 彩7 .○) , ヱ0 , ヱZ ,B 1 2 厳 9 2 9 3 1 ける教育改革の位置づけを端的に示している だ ) と演説し この時期の社会党にお s ”増mp 秘g .p . . ‐ , 鰹 ) P.ラピーの綜合制学校を核とした統一学校体系構想の分析は, 拙稿 「大戦間フランス統一学校論研究--P.ラ 8 6年所収) を参照 ピーの学制改革構想の分析--」 (北海道教育大学函館分校人文学会編 『人文論究』 第48号, 19 さ れた い.. 岡 公教育省統一学校委員会の統一学校体系構想の詳細に関して, 拙稿 「両大戦間統一学校論研究÷÷公教育省統一 『フランス教育学会紀要』 3号 1 90年所収) を参照されたい. 学校委員会報告の特質と意義」 ( , 9. (本 学助 教 授・ 函館 分 校). (付記 本研究は, 平成元年度および平成3年度の文部省科学研究費 (一般C) の研究成果の一部である.). 30.

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参照

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