歴史学習と社会科の立場 : 上田薫歴史教育論小論
14
0
0
全文
(2) . 平成3年7月. 2巻 第1号 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第4 i iver i i t ido Un ty of Educat on 工 C) VOL 42 s on(Sec Joumal of Hokka ‐1 , No. ly Ju ,1991. 歴史学習と社会科の立場 -上田薫歴史教育論小論-. 安. 藤. 豊. はじめに 私 は, 先に,1985年頃の歴史教育をめぐる小さな論争を紹介し, それに触発された形で, 今後は, 1 ) 二つの方向で議論を進めることが, (私にとっ ても) 必要であると述べたことがある{ . 今, この二つの方向を想起し要約すれば, 次のようになる. ① 歴史教育論を 「論」 のレベルや, あれこれの 「学習の形態」 の妥当性をめぐる議論の レベル にとどめるのではなく, 歴史学習の 「方法」 を開発する議論のレベルへ方向を転換さ せること の必要性‐ 「社会科歴史」 ) の位置, 意味について, ② にもかかわらず, 社会科の枠組における歴史学習 ( 「初期社会科」 に立ち戻っ て再確認することの必要性 . 2 ) 上の②について, 私は, 次のように述べた( . 今日, 字義での 「社会科歴史」 を再構築するためには, 短かっ たとはいえ, この期間の社会 科における歴史学習をめぐる諸議論・諸実践を掘りおこし, 再評価することが必要である. 如上述べたことの意図は, 歴史学習の方法を考えるにも, その方法枠を意識せざるを得ず, その 3 )における歴 ためには, 議論が堂々巡りしているように思われるかもしれないが, 社会科の「初志」{ 史教育の位置と意味を再確認することが必要であるという点にある. 「初期社会科」と呼称する場合 それは 通常1947年 及び 51年学習指導要領に示された教科 , , , , 論を意味する.. 4 7年学習指導要領は, 小学校の場合(学習指導要領社会科編1) , 重松鷹泰を責任者とし, 尾崎馬 1一高校1年を含む-), 勝田守一を責任 四郎, 塩田嵩, 上田薫の4名によっ て, 中学校の場合(同1 4 } 者とし, 保柳睦美, 松崎寿和, 馬場四郎によっ て執筆作成されたといわれる( . また, 51年学習指導要領 は, 小学校の場合, 長坂端午 (主任) と上田薫, 中・高校の場合, 3巻 5 } に分けて発行されたが, 各々 人を配して執筆作成されたとされる( ‐ 小学校のそれは, 上田薫が, 「経験主義の社会科に対する批判」 を「正面から受けとめ, それと対 決することによっ て初志を明確にすべきだ」 という 「思い」 を念頭に置いて, 原案の執筆をしてい 6 ) る( .. さて, 小論では, 上述のように, 社会科の 「初志」 における歴史教育の扱いの再確認を課題とす る. その際, 検討しなければならない 「社会科歴史」 論は, 指導要領作成を通じて立論されていっ たのだから, 先に触れた作成当事者各々の論について行なわれる必要があろう. 153.
(3) . 安 藤. 豊. このことを前提にして, とりあえず, 小論では, 上田薫のそれについて見ていこうと考える. なぜならば, 上田薫は, すでに触れたように, 「初期社会科」 の立案に参画し, また, 「社会科の 初志をつらぬく会」 の中心的理論家として, 1958年学習指導要領で否定されたそれの理念, 理論, 方法の発展を計っ てきた理論家であるからである. 上田の社会科論は, いうまでもなく, 問題解決学習論, 単元論, 「知識」論, 認識論, 「人間形成」 論な ど多岐にわたる. だから, それらの論の全体構造 の中で, 氏の歴史教育論を検討しなければな らないのは当然である. しかし, 本論では, さまざまな制約で, それが叶わない. 氏の歴史教育論 にかかわる範囲でしかそれらに言及できないことを断っ ておきたい. ところで, 上田薫は, 戦後教育30年( 1977年)を記念するある研究集会での講演で, 次のように 7 ) 述 べ た こ と が あ る( .. ……すなわち ,初志. というふう に申しておりますのは, 要するに, 一番初めにこの教科を 考えた時の, ……人間における知識というも のが, あるいは道徳というものが, 一体 どう して 成り立つのか, 成り立つことが許されるのか, という問題に正面から向う ことなんですね. (中 略) そこで, その社会科の 初志 と私どもが申しておりますのは, 何かといいますと, 要する に, 学問観を変革しよう, いわゆるアカ デミズムと正面からぶつかろうということであっ たわ けです. 当時社会科というものは一見歴史とか, 地理とか公民とかいうも のが寄せ集められて できたかのよう だっ たわけです. ですから, それまでのように歴史教育を考えている人, 地理 教育を考えている人, そういう人たちには, 非常に抵抗がありました. それは, 現在も変っ て いないのではないでしょうか. が, ほんとうの社会科は, ただいっ しょ にすればいいというこ とではなく, いっ しょくたんにしようと, バラバラにしようと, 従来の学問観というものを, 徹底的に動かしてみよう じゃ ないかということだっ たんです. そしてそれが社会科の本昏であ る, ……要する.に, 人間のためにあるんだということです. 学問っ ていうのは. もちろん人間 のために学問的真実がどんどんゆがめられていいというも のではない, ですけれども, 一体, 学問的真実とは一体何だ,っ て言うことですね.……学者の説を尊重しないわけじゃ ない.でも, そういう ご高説がほんとう にわれわれの中で, 正しくというか, 意味があるように生きるか ど うかっ ていうのは, われわれの問題なんだ, もう学者先生の問題じゃ ない. 8 ) この部分を引用して, 臼井嘉一は, 次のように批評している( . 私もこの 「初志」 は重要なものと思う. しかし, この 「初志」 が ・いわゆる 「系統主義」 の 知識批判 の名のもとに, 戦後に地道にすすめられていた……系統的・歴史教育実践 の否定ま でも含んだとしたら, そのような 「初志」 に対しその一面性ゆえに厳しい批判を提出せざるを え な い.. (中 略) 「問題解決」 派と 「系統学習」 派の対立の事実を示し-引用者-) ( . しかし, 先述の上田講演にも 「(歴史教育や地理教育を) ただいっ しょ にすればいいというこ とではなく, (引用者中略)……社会科の本旨である」 と述べられていることからも明らかなよ うに, そのような 「対立」 の契機 は, 必ずしも含んでいない. したがっ て, 社会科教育実践史 154.
(4) . 歴史学習と社会科の立場. の課題は, 従来の 「総合社会科か分化社会科か」 の枠組みからではなく 「総合社会科も分化社 会科も」 という枠組みから, 設定すべきであり, そのうえにたっ て社会科の 「初志」 の実現を 見定めることではなかろうか.. 臼井のいう, 「そのような 『対立』 の契機は必 ずしも含んでいない」 という判断は, 果して適切な のであろうか. そして, 「『総合社会科も分化社会科も』 という枠組み」 で, 「社会科の 『初志』 の実 現を見定める」 ことは可能なのだろうか. このようなことも意識しな がら, 以下, 上田菌の歴史教育論を見ていく ことにする‐. 《1》 上田の歴史教育論は, 私見の範囲で粗くいっ て, 「歴史学習」批判として展開されたものと, 社会 科の「初志」 の立場から展開されたものとに大別されよう. いうまでもなく, 両者は関連している. そして, 氏が, 後者の立場から, 積極的に, 独立した歴史教育論を展開したのは意外に少なく, 51年)所収「社 私見の限りでは3回, 『社会科の理論と方法』 (社会科教育講座第一巻, 岩波書店 19 9 }を含めるならば4回である. 会科と歴史・地理の教育」( これらを発表順に示すと次のようになる. 1. 「歴史教育論-とくに客観 的事実について-」 『知られざる教育-抽象への抵抗-』 泰明書房 1 958年, 所収. 初出不明) ( 2. 「歴史とその教育」 「歴史的事実の客観性」 「歴史教育をあやまるもの-通史学習の問題-」 『人間形成の論理』 禁明書房 1964年, 所収 初出不明) ( . 3. 「三, 歴史と人間」 『上田薫社会科教育著作集』第5巻 明治図書 1978年, 所収 初出『教育科学/社会科教育』 ( , , . 2月, 1 97 5年1月) 12 6 N Q , 127 , 明治図書, 1974年1 小論では, これらの諸論文のうち, とりあえず, 2を中心に見ていく. 2の論文で, 上田は, これまでの歴史教育には, 3つのタイ プがあっ たとする. 「第一 は, いわ ば 客観主義ともいうべき史科尊重の実証的な立場である. ……それを事実主義の歴史教育とよぼう. 第二は, 社会的に明白な目的観 が確立されていて, そのための手段として考えられる歴史教育. こ れは政治的道徳的歴史教育と名 づけておきたい. そして第三は, 社会科の理論に見られるような問 題解決的な歴史教育である. それは第二のものとは別の意味において, すなわち人間形成に具体的 1 0 ) に即するという意 味において, や はり, 歴史教育を手段とするものである」( . 第一の類型は, 58年以降の指導要領の立場に擬せられている. 第二類型は, 戦前皇国史観教育の あり様と, 戦後の進歩史観にもとづく教育の立場に擬せられている. しかし, この立場 は, 常に自 らを事実主義的に装うという点で, 第一の類型に類似する. そして, 第一の類型にあっても,「歴史 に対する対しかたを零にしうるという 立場」は成立し得ないという意味で, 「実質的には意識的無意 1 1 ) 識的に」 第二の立場におちいる( . 第三の類型は, いうまでもなく, 社会科の「初志」の立場である. 氏 は,「経験主義の社会科によっ 2 1 )と い う て はじめ て 歴 史 は人 間 の も の と な っ た の で あ る」 ( . 155.
(5) . 安 藤. 豊. 上田の歴史教育論における論理展開は, 上記第一, 第二の類型を批判することによって, 第三の 1 3 )を間明にしようとするスタイ ルをとっ ている 類型, 「問題解決的立場」( .. 《2》 1 4 }と「史観の相対 性」( 1 5 )を認め 上の三類型 の対比は, 何によっ て可能か. 上田は, 「史観の存在」( るか否かに基準を求める. 1 6 }「歴史的事実の客観性」( 1 7 )につい このことについて述べる前に, 上田がいう 「歴史とは何か」{ てふれる必要がある.「歴史教育はいかにあるべきかを問うことは, つきつめれば, じつは, 歴史と 1 8 )からである は何かということを問うことにほかならない」( . 「歴 史 と は何 か と して 上 田 はい う( 1 9 ) 」 , .. ……わたしたち はつねに歴史の中にいるのである. ぬきがたく歴史のただ中 にいるのである . だれひとりとして歴史から落伍することはできない. 氏 は, われわれが, 歴史的存在であるのは, われわれが, いわ ば歴史 の創造主体とでも把握しう るようなものとしてのみ存在しているからではなく,「……むしろわたくしたち は歴史によっ て, 身 2 0 ) 現在は 刻々 と過去 (歴史) に 動きができぬように制約されている」 存在であるからだという( , . 「 なっ てゆく. 過去は, 動かしようがない, それはすでにきめられたも のであり, やりなおしのきか 2 1 } その意味で 「過去は動かない 歴史もまた同じく動かぬもののごとく一に見 ないものである」{ , . . える. しかし, 歴史 は, 「あたかも専制君主の ごとく, 動かしえざるものとして, 人びとを強く制圧 2 2 } す る の で あ る」{ .. 「歴史とはそもそもなんであろうか」 上田はもう一度いう そして われわれは どのような場 , , , . 2 3 ) 合に歴史の存在を認め, 感じるのかという点について, 次のように述べている( ‐ わたくしたち は, あることがらが過去に属した瞬間から, それへの直接的な道を閉鎖される. 遠い間接的な道をたどることを余儀なくさ れる. しかしそれにもかかわらず, 間接的にしかつ ながらないということは, 一面において過去もまた, 過去に属したそのことがらもまた, わた くしたちなしには今日の意義ある存在とはなりえないということを意味しているのである. そ のことがらを生かすか殺すかということは, わたしたちの手に握られているということなので ある. わたしたちがかかわりをもたないとき, 必要と関心を示さないとき, いかなる事実も, ただいたずらに過去 のなかに埋没する運命をたどる. それはついに陽の目を見ることがない の で あ る.. もとよりわたくしたち は, 過去を自由につくるわけにはいかない. 自己の立場に好都合なよ うに事実を動かすことはむろん, ほしいままの選択もまた許されて いない. しかし, その反面, 一定 の立場に立たずして事実をとらえるということは絶対に不可能なのである. 眼の前にある 現在をとらえる場合さえ, 正確にいえば一つの立場に立つことを避けることができないのであ る. まして, 過去に対する場合, このことは不可欠の前提であるといってよい. そして, 上田はいう.「……過去に対する一定 の立場とは, いうまでもなく現在の立場以外のもの 156.
(6) . 歴史学習と社会科の立場 2 4 ) 歴史 と は わ で は な い」, そ して, そ の よ う な 「一 定 の 立 場」 が 「史 観」 と よ ば れ る も の で あ る( , .. れわれが, ある<史観>にもとづき過去を見 たとき, はじめて成立するのである. それは, われわ れの<頭の中>にのみ成立するのであり,<客観的>に成 立するのではないのである. <歴史的事実>,<史実>といわれる ものは, われわれが,<史観>にもとづき, 過去の事実を見, 2 ( 5 ) 「……意味づけられる=関係づけられるかぎりにおいて,存在せる事実となるのである(傍点原文)」 . しかし, 上田は, 過去の事実の存在そのものを否定しているのではない. 氏 は, 次のように説明 す る.. 「源頼朝という人物 が存在したという事実は明らかに客観的なのではないか」 と人はいうかもし れない. たしかに, そのような 「動かしがたい歴史的事実というものは, じつに枚挙にいとま がな 6 2 ( ) し か し そ れ で も, と 上 田 はい う. 「わ た く し は, あ え て そ の こ と も, 相 対 的 い よ う に 思 える」 , .. 2 7 ) な事実だという‐ 意味の世界のことだという」( . 2 8 } そ して, そ の 論 拠 を 2 点 示 して いう( .. わたく しが歴史的事実のいわゆる客観性 を否定するもっ とも根本的な論拠は二つある. その 一つ は, 歴史的事実 が間接的にしか知られないという こと. そして, もう一つは, なんびとも ついに歴史的事実の真のすがたには到達できないという こと, すなわち事実はついに不可知で あ る と いう こ と で あ る.. 前者については, あらためて証明の必要もない であろう. ……わたくしたち は, その場にい あわせなかっ たのだから, また, たとえいあわせたにせよ, そのときの自分 と今の自分とはち (中略) がうのであるから, 永久に動かざる決定的なきめ手を獲得するわけにはいかない. 後者の不可知という ことは, 前者ほど自明とは考 えられないであろう. 過去は存在した. た だ一つのあり方で存在した. それゆえにまた, いつかは一義的にとらえられるはずである.. こ. の よ う な 錯 覚 が, い つ も つ き ま と っ て 離 れ な い か ら で あ る.. たとえば, ここに例として, あなたが五年前におこなっ たある行為のことを想起しよう.…… 自分がそのとき どう したか, どういう意図をもっ ていたか, それはすでに過去のことであり, それゆえにもはや決定的なかたちで呼びかえすことはできないのである. くりかえしていうが, 過去におこっ た事実は一つであっ た. しかしそれがのちに人間によっ て問題とされ追究の対象とされたとき, すなわち歴史となる とき, もはや決して 一つにはなり えないのである. いや正しく は, 過去におこっ た事実を一つだと規定する ことさえ, じつ は人 間の過去への働きかけ-過去を一つのものにしようとする- と切りはなして は考えられないで あろう. 認識されず意味 づけられず問題とならない過去は, カオス (混沌) にす ぎぬ. この地 球上に, かつて どれだけの人が生まれ, 死んでいっ たか. そのおびただしい無名の人間のひと りびとりの生涯は, 知られざるものであり, ついに歴史で はないのである. (傍 点 原文). こう して, 上田は, 「立場 (史観-引用者-) のちがいを越えて, 歴史的事実はまっ たく同一のも ( 2 9に とはありえないと主張する そしてもし, 史観の相違にもかかわらず, のとしてとらえられる」 . ある過去の事実が, 同一のものとしてとらえられる, 客観性を主張しうると考えるなら ば, 次のよ うな 「客観性についての四つの関門」 を突破しなければならないと指摘する. 0 3 } 「四つ の 関 門」 を 以 下 に 要 約 し て み よ う( .. 157.
(7) . 安 藤. ①. 豊. 歴史的把握はかならず意味づけである. すなわち価値にかかわらざるを得ないということで ある. ……過去の事実は, 問題にされることによっ てはじめて歴史になることができるのであ. る. 意味づけされぬも のがどうして問題にされることができよう ‐ ② 歴史的把握はかならずある限度をもっ ておこなわれるということである 歴史的事実の認識 . は, 意味があり価値がある程度にしかおこらないということ である . ③ 歴史的事実はかならずある目的をもっ てとらえられるということである それは 問題意識 , . を欠いてもむこうからわたしたちの眼にとびこんでくるというものではない 見ようとして手 . だてをつくさなければ見ることのできないも のなのである これは 意味 価値にかかわらせ . , , るというのと同じことである. ④. 歴史的事実は, 単独に孤立して把握されることはないということである (あることを事実と . して認識することは, 最低限すでに, その事実を他の事実と 区別しているのであり) その意味 で, 事実の認識は, ある事実を他 の事実と関連させることにおいて成立する そのように事実 . を関係において認識することは, そこに認識する立場 の統一性, すなわち史観が前提されな け ればならない‐ したがっ て, 歴史的事実は, 注つきの史観によっ て はじめて意味づけられる , のである (史観はつねに相対的である) .. 3 1 以上述べてきたことを上田は, 別のところで次のように説明している{ ) . 過去は人間を規定している. 歴史はわたくしたちをどう しようもなく縛っ てしまっている . しかしそのがんじがらめにされた わたくし. とはなにか わたくしが消えれば わたくしの . , 過去もわたくしの歴史も一気に滅びるではないか わたくしが過去に, 歴史にとらわれている . のは, わたくしがなにかを求めているからだ. その求めるなにかを変えれば 過去も歴史も変 , らざるを得ない のではないか. ということは, 過去も歴史もほんとう は弱いという ことなので ある. 現在の人間の未来へのかかわりから離れて は, それらは幻のようにいや塵あくたのよう に消され捨てられる運命にあるということである . 過 ぎさっ たものは動かすことはできない. しかし過去の事実は一つでも, その解釈 は多様で あり発展する. そして, その多様さ, 変化発展は, まさしく現在の人間の未来への対しかたに よっ て生まれるといわなければならないのである. そうなれば過去の事実そのも のは動かずと も, その事実の意味は動く. 意味を変えることは可能 になる すなわちわたくしたち の未来へ . の道の踏み出しかたによっ て, 意味ある過去は明らかに動くということができるのである . (傍点 原文). 《3》 以上で, 先に指摘した 「史観の存在」 について述べたことになる 次に, 「史観の相対性」 につい . て検討する. 「史観の相対性」 とは何か 上田は述べる{ 3 2 ) . . ……過去に対する一定 の立場とは, いうまでもなく現在の立場以外 のものではない 過去に . あい対し, 歴史をとらえる人の現在の立場, すなわち史観以外のものではない 史観なき歴史 . 158.
(8) . 歴史学習と社会科の立場 を考えることはしょせん抽象にすぎぬ. 過去 はわたくしたちを制約して具体的な意味をもとう とするとき, かならずある史観を媒介にせずにはい かないのである. もちろんその場合の史観 は, ふつう人 びとの想いえがくような具体的なものではないかもしれない. しかし過去は現在 以外では働きえないという意味において, また過去への認識 は現在においてのみ成立するとい う意味において, ひとりひとりの人間の現在の生きかたは, その人に迫る過去へと逆にくいい ら ず に はい な い の で あ る.. すでにふれたよう に, 一 回性としての過去の事実は, それ自体として存在するかもしれないが, それが<歴史的事実>としてわれわれの前に現実するの は, われわれが<史観>にもとづき, 過去 の諸事実 という力オスの中のあるものを問題にし, 意味づけ, 価値づけることにおいてなのである‐ 江戸元禄期における備中鍬の普及 が重要であると思われているのは, ある<史観>にもと づき<重 要である> と価値づけられたから, そう思われているにす ぎないのである. 3 3 ( )なのである 別言すれ ば<歴史>は常に A1 -ob なのであり, s その意味で,「歴史 は一つの認識」 . 3 4 ) ( フィ ックショ ンなのである. だから 「歴史は, 本質的に相対的であり不安定」 なのである. 上田の述べるところを私なりに解釈するとこのよう になる. そして, カオスから<歴史的事実>をつくり,<歴史>をつくる<史観>もまた, 同様に, 原理的 に相対的なのである. それは, われわれの 「現在の立場」 が, 常に動いている ことにおいて常に相 対的なのである. 3 5 ) 上 田 は, 次 の よ う に 説 明 す る( .. 歴史的なものは, 明白にわたく したちに過去からの制約を与えている. しかしそのし方は一 方的な単純なもので はなく, かつまた論理的でもなければ組織的でもない. それが論理とシス テムをもつのは, 人びとが歴史とそこでの自己の地位とを自覚したときからなのである. しか し歴史的なもののもつ力オス (混沌) から脱却するとき, そこにすがたをあらわすもの は立場 であり, 史観である. もちろん立場, 史観もまた, 現実的に はふたたび歴史的なものの力オス にまきこまれ, そこで具体的な断片 となっ て生きつ づけるであろう. しかし, それは史観の死 ではない. くりかえしくりかえし史観 はあらたによみがえっ てくるのである. 、 3 6 }をとらえることは, ついに, 原理的に不可 { こう して, 上田にあっ て は, 「具体的な歴史的世界」 「 能なのである. つまり今, 私の<頭の中>にある 具体的歴史世界」 は, 実在ではないのである. 3 7 ) われわれは, ついに, 過去の事実をとらえ尽すことはできない. それを, 上田は「仮構」とよぶ( . 「ゴールはどこまでも目ざされね ばならぬものである. しかしまた決して到達されることのないも 「 そして, それは常に動か ざるを のである」 . そして, われわれの歴史の認識が 仮構」 であること, 3 7 )ものであると上田 得ないという意味で 「…… どこまでも相対でありながら-を求めてやまない」( はいう. そして, 歴史認識とは, そもそも, このように動的であり, 相対的であり, 常にゴールへ の プロセスとしてあるものである.<歴史>をそのようなものとして自覚することが,歴史学におい ても, 歴史教育においても重要であるという. 3 8 ) 上田は, このような歴史の見方を 「実践的歴史主義」 とラベリ ングして, 次のようにいう( . わたくしは歴史の論理を, この プロセスのもつ論 理だと考える. それはあくまでも抽 象化を 排する統一 の論理であるゆえに,「具体性の論理」と名づけるべきものであろう. 歴史の進歩は, 159.
(9) . 安 藤. 豊. この論理の自覚, すなわち相対性 の自覚の深まりにある 人権の伸長も平和の確立も このこ . , との具体化として考えられるとき, はじめて抽象 への陥落を克服することが できるであろう . 正しい相対 性を媒介にしてこそ意味ある実践が成立するという 事実は 偏見を去っ て考えれば , 自明のことに属するにもかかわらず, 長らく人びとの盲点となっ て 見す ごされ 無視されて , , きたのではないであろうか. そのことがそのまま歴史教育の盲点になっ ていたのである . そして, このよう に考えてくると, 「歴史教育はまさ に人間が歴史に対する対しかた を学ぶ場」で あると上田はいう. 少し先まわりして述べる.上田の上述の<史観の相対性> の主張には <歴史>認識に対する原理 , 的考察とともに, 戦前歴史教育に対する痛切な反省があっ た それは 皇国史観イ デオ ロギーに対 . , 置するに, アンティ テーゼとしての唯物史観イ デオロギーを対置するという態度ではなく 子 ども , 9 3 }できるようにさせること つまり 自らの<史観> は たちが主体的にそれらの<史観>を批判{ , , , 自らがつくるも のであることを自覚させるように導こうとした点にあっ た . そして, そのような力を子 どもに与えることこそ, 「歴史教育の重要な任務」( 4 0 )だという .. 上述のことを上田は, 社会科発足時以前から存在した左右両方からの歴史教育独立論への批判の. 4 1 ) 文脈の中で, 次のように述べている( . 今日世上にみられる歴史 科復活の要望は, ……合理性を欠いた過去への郷愁にかられていた り, 人間形成における知 識の働きについてまっ たく無思慮であっ たりするふ… なぜなら 国 . , 史を教えれば反共的な愛国心を育てることが できると考えたり あるいは ……歴史科の分化 , , の必要を主張したりする のは, 思考の科学性という点において, いずれおとらずこっ けいなこ とだからです. 正しい歴史教育は, 近視眼的な政治の道具となるものではありません そして . またその反面, 現代における意義の大小と は無縁に, 過去の時間の流れを子 どものまえに無差 別に再現してみせることでもない はずです. これらはいずれも かつて超国家主義の下僕とし , て仕えていた歴史教育に対 する徹底した反省, 批判の力の欠如のなせるわざだといっ てよいで し ょ う.. (中 略) ……社会科の教育は, 子 どもを既定の方向に導くことを意図するものではありません むし . ろ子 どもたちに, 自由な方向を選び, またつくる力を与えようとするものです たしかにいか ‐ なる歴史も, 史観から解放されることはないでしょう しかしだからといっ て やがて現在 の . , おとなを越えて進ん でいくはずの子 どもたちに, 一定 の史観だけを押しつけることは 教育的 , な正しい態度とはいえません. どう しても史観が存在せざるを得ないという ことを理解させ , その意味で立場 はつねに相対的 であることを自覚させ, みずから史観を選び またつくる力を , 与えることこそ, 歴史教育の重要な任務というべきです 史観には右翼的なも のもあれば 左 . , 翼的なものもありましょう. いずれにせよ特定の史観から解放されたというところに 今日の , 歴史教育の特色があり, 新しい地歩があるというべきです .. (中 略) 史観 は, ものを見, ものに働きかける眼にあたるものです 眼というもののあることを知り . , 眼の相対性を自覚しつつ, みずから個性的な眼をもつことを可能にすることこそ肝要といわね ばなりません. そしてこのような原理に対する自覚的な認識をも たせることの困難な小・中学 校の段階では, 史観による統一から解放された学習, すなわち子 どもの現在の 問題から出発す 160.
(10) . 歴史学習と社会科の立場 る学習によっ て歴史的なものに触れさ せることが, もっ とも適切であると考えられます.. 《4》 上田がいう 「史観の相対性」 とは, 以上の如くである. では, このような歴史認識論の立場から, 《1》 で触れた歴史教育の3つのタイ プは, どのよう に 評価されるであろうか. それは, これまでの行論からも示唆されていると思う が, 上田の論に則 して 見 て い こう.. 上田が, もっ とも批判の対象にすえるのは, 第2のタイ プ, 政治的道徳的立場である. 上田はい 4 2 ) う( .. これまでの歴史教育 はほとんどこの類型に属する ということができる. 第一 の類型と自称す るものも, 実質的には無意識的にこの立場におちいっ ていたといってもよい. 現在文部省が固 守しようとしているかにみえる実証的立場もまた.じつはこの第二の立場を故意に糊塗するヴェー ルにすぎぬというべきである. 政治的道徳的立場の歴史教育は, 教育が政治や道徳, とくに政治を支配するものによっ て利 用される場合のすがたである. そこではまずなによりも, 一つの価値観 が絶対化されるという ことが生ずる. 歴史教育は人びとの考えのなかに, この絶対化された価値観をいっ そう強く植 えつけることに役だっ. かつて歴史が 「かがみ」 とよ ばれたことは, 端的にそれをものがたっ ているのである. しかし, 一 定の価値を強調することは, 世界観の表現として は妥当でも, 歴 史を教えるということとは越えがたいギャッ プをもつで はないか. 第1の類型 が破棄されるのは当然である.この実証主義の立場は,<史観>を無にすることである が, 上田の論理からすれば, それでは, そもそも<歴史的事実>が成立しないことになるからであ 4 3 ( ) る.<史観>の存在を無視し,いや,「史観を越えて真実がとらえられる,客観的事実があるとする」 実証主義の立場 は,「歴史学自体としても当然問題を含んでいる が, それが歴史教育に関して主張さ れるとき, いっ そう深刻な問題になる. なぜならその場合の歴史教育においては, 子 どもに期待さ れるものは, 実証的な歴史研究自体ではなく, 専門家の実証的研究によっ て得られたとおぼしき知 的内容のたんなる受客にとどまるからである. そもそも専門家の研究が真に実証的であるなら ば, 永遠に動かすべからざる歴史的事実に到達したと断定することができる はずはない. したがっ て子 どもたちに対して固定させられた真実を与えるという ことはできない. しかるに子 どもたちに対し ては, そのようなことが可能であるとみせかけることが, いやむしろかれら自身そう してもよいと 4 4 ) 思いこむことが, 実証主義者の歴史教育観なのである」( . こう して, 第1の類型から生みだされるのは, ミニマ・エ ッセンシャ ルズと称する 「注入という 教育方法」 ㈱ なのである. しかし, 何らかの<史観>が存在せずに<歴史>の認識は成立し得ない‐ その意味で, 第1の類 4 6 }いるのである したがっ て 「これまで 型 は, 「無史観を呼号しつつ, 自己の史観を絶対化して一( , . の歴史教育はほとん ど」 第2の類型に属しているといわざるを得ないのである. そこでも, 第1の類型同様, 史観の絶対化と, 知識注入 (イ ンドクトリネーショ ン) の教育方法 が唯一とされるのである. 史観の絶対化 は, 戦前国史教育と同様,「学習するものにとって史観は存 161.
(11) . 安 藤. 豊. 4 7 )で あ る 在 せ ぬも 同 じ」 ( .. それゆえ, 第1, 第2の類型は, 「正しい歴史教育」 とはいえないのである. 8 4 ) 第3の類型, 問題解決的立場こそ社会科らしい歴史教育である. 上田はいう( . ……問題解決学習による経験主義の社会科の考え方による歴史教育である. それは, どこま でも立場 (史観) の介入を認めることにおいて第一のものと異なり, またあくまで史観を固定 させぬという点において第二のものと区別される. すなわち史観の相対性がおのずからにして 確認されていくことを条件とするところに, この立場の特質がある. この立場 は小学校はもちろん, 中学校においてもいわゆる系統的な歴史を順次教えていくと い う か た ち を と ら な い. (もしそれまでの教育が正しくぉこなゎれ歴史の相対性がじゅうぶん確認された場合にかぎり,この場. 合にもぁるぃは中学校の高学年も こぉし )てぃゎゅる系統的歴史; )つ ね に, 現 在 の 問 題 か ら こ似たものが難 解なるかもしれなぃ.. 出発して過去を究明し,それらの成果がおのずからつながっ ていくのを待とうとするのである. なにゆえにそのよう に廻りく どい道を選ぼうとするのであるか. 答えはきわめてかんたんであ る. --そうしないかぎり子 どもたち は歴史を自分たちの中に位置づけて理解することができ ないからである. ただうのみにしてとりこむことに終っ てしまうからである. もっ と的確にい うならば, 歴史の本質である相対性を確保して内容把握がおこなわれるためには, そうするほ か手段はないからである.. 《5》 「初期社会科」 理論の作成者である上田にとって 歴史教育は そもそも 社会科の中に どう位 , , , 置づいていると把握されていたのであろう. 9 4 } 上 田 は, 次 の よう に い う( .. 歴史教育はあくまでも人間形成の問題に徹底 して考察されねばならぬ……. 知識のための知 識, 体系のための体系ということは, 歴史教育と無縁のものにす ぎません. 歴史教育はあくま で教育, すなわち人間形成の問題であっ て歴史学の問題ではないのです. 上田が, 「歴史学の問題ではない」というとき, すぐ思い出されるのは, 1 97 4年学習指導要領の文 5 0 )である 氏 は この文言について それは 公 言 「社会科はいわゆる学問の系統によらず……」( , . , , 5 1 ) 「社会科の対象は むしろこれらの分化以前 民・地理・歴史の総合によっ て生じたものではなく( , , のものである. さらに的確にいえば, 分化以前のものであるとともに, またその分化をも自己のな 5 2 }という かに包み生かすだけの深さと広さとをもっ たものである」( . そして, 社会科の性格は,「児童の生きた社会経験を尊重し, あくまで環境の具体性を基底として, よき生活態度と生きた知識を獲得することに目的をおくもの」 であるという. 上田にあっ て, 社会科は, 「人間形成」の場なのである. だから, 氏 は, 道徳教育や倫理性を重視 するのである‐ ただし, 氏の 「道徳なるもの」 の概念内包は, 普通考えられている 「道徳」 とはズ レがある のは注意する必要があろう. 氏のめざす人像像は, 簡単にいえば, 自己統制力のある, 自主的自律的な, 人間としての独立を 5 3 ) 平たくいえば 「み 確保(アイ デンティ ティ ーのある)した, 主体的な行動のできる人間である( , . 162.
(12) . 歴史学習と社会科の立場 5 4 )である ずから考え, 判断し, 責任をもっ て行動することのできる人間」( . 5 5 ) そして, そ’のような人間を育てるためにこそ 「問題解決学習」 が位置づいているのである( . 「 《4》 で述べた, 問題解決的立場」とは, このような文脈でいわれていたのである‐ その意味で, 上田の歴史教育論は, いわゆる 「歴史」 を 「教育」 するのではないのである. 私なりにいいかえる と, それは, 「歴史」 の専門家を育てる教育ではなく, 自立的思考者を育てるために, (歴史意識を 育てることもその中の重要な要素であるので) 歴史的素材を利用する, ということなのである. そう だとして, 上田 は, その場合,<史観の相対性>を自覚させることが重要であるという. 行論 の通りである. ところが, 上田の諸著作, 諸論文では, それを育てるために, 授業の場で, どのようにすればよ いのか, という具体性が希薄なのである. 5 6 ) たしかに, 上田における, 「子 どもの歴史意識の発達」は示されている( , また, 子 どもが歴史に 5 7 ) 対 す る 「態 度」 も 示 さ れ て い る( .. しかし, それらをもっ て, 何をどう教えればよいのか. ま た, 氏 はいう 鰹) .. 小学校四年ぐらいでも, ときに子 どもを歴史のなかに入れてやることができる. 郷土の移り 変りなどは, その一つの舞台である. ……子 どもの身近な問題を手がかりとする歴史の学習, それこそ歴史のなかの人間として歴史を追究するもっ とも具体的なありかたなのである. 五年の産業や交通の教材において は, もとよりこの種の歴史学習のチャ ンスが随所に見いだ されるであろう‐ そのとき歴史 はごく自然のかたちで問題解決学習のなかに位置 づいている の である. 子 どもたち は, そういう学習を通じて-歩一歩歴史的思考を自分のものとしていく. わたくしは六年においても五年までのように, 現在の問題から出発する歴史学習 がもっ とも ふさわしいと思う. 必要に応じ過去にさかのぼり, そこに十分な時間を費やせ ばことたりるの である. ……明治維新でもよい. 鎖国でもよい. 大化改新でもよい. それぞれに思いきり時間 をさくことが先決問題である. それも現在の問題からの取り組みを軸にして, 徹底して子 ども に資料追究させるということである. それでは扱いきれぬ教材 がたくさん残ると案ずる にち が いない. が, それは大胆に切っ て捨てればよいのである. 時代の順序など不同に, 右にあげた 島. ができれば, その島と島とをつなぐことは, もう子 ど もにまかせてもよいのである. 子 どもが歴史学習を好むようになり, 歴史的に考えることの芽 が出てくれば, 教室で教えられなかっ たことな どものの数ではない. よう なス ケ ー ル の ある いく つ か の. 「子 どもの身近な問題を手がかりにして一 どのように授業をつくるのか どのように「ごく自然 , . な形で問題解決学習のなかに位置づく」 のか. また, たとえば, 「明治維新」 を素材として, どのよ うにすれば 「現在の問題からの取り組みを軸にして」 授業構成が可能なのか, そのプロセスが, 私 には, 具体的にならないのである. 私 は, 小論の冒頭で, 歴史教育論の議論のレベルを歴史教育の 「方法」 を開発する方向へ転換さ せることが必要であると問題提起した. そのことに関しての提案がまっ たく無いわけではない. しかし, 上田氏の上の議論からは, そのような 「方法」 を析出することが, 今のところ, 私には できない. あるいは, 「社会科の初志をつらぬく会」の諸実践家の授業記録の分析を通して, それが 可能になるのかもしれない. 163.
(13) . 安 藤. 豊. 課題を今後に残す.. 註 『 ( ) 安藤 豊 「『社会科歴史』 をめぐる素描」 4号, pp‐2 1 1一27 , 教育史・比較教育論考』 第1 , 北海道大学教育学部教. 育史・比較教育研究室.. ( 2 ) ( 3 ) ( 4 ) 5 ( ). 25 同上, p. . 上田 蕪の言葉. 上田 蕪他編 『社会科教育史資料』 第1巻, p.2 84 01 97 4年. , 東京法令出版, 1 , p.4 3 27 2 同上, 第2巻, p‐ 3 5 , p‐ . なお, 中学校・高等学校指導要領社会科編は, 1. 中等社会科とその指導法, 1 1 b u a )日本史,( ) . 一般社会, l .( 世界史,( c )人文地理, として刊行されたが, 各々の直接の執筆者は, 今の私には, 明らかでない. ( ) 上田 蕪 『上田蕪社会科教育 瀞乍集』 第5巻, pp‐ 2‐7 6 7 3 97 8年. , 明治図書出版, 1 7 () 上田 薫 「社会科誕生の『初志』-人間らしい中途半端の尊重」 26一27 ,pp‐ , 日本民間教育研究団体連絡会編『社 会科教育の本質と学力』 労働旬報社, 1 97 8年. ( ) 臼井嘉一 『戦後歴史教育と社会科』 8 98 2年. 0 , p.8, p‐1 , 岩崎書店, 1 ( 9 ) 註( 6 )前出 『著作集』 第2巻に再録されている. 『 側 上田 蕪 「歴史教育論-とくに客観的事実について‐一 95 8年. 以下, 2 54 , p‐ , 知られざる教育』 整明書房,1 本書からの引用は文献1と示す. 『 側 上田 薫 「歴史教育をあやまるもの‐通史学習の問題‐一 90 96 4年. 以 , p.1 , 人間形成の論理』 , 繋明書房, 1 下, 文献2と示す. 『 ◎ 上田 薫 「歴史と人間」 24 78年. 以下, 文献3と示す. , p‐1 , 上田蕪社会科教 育 瀞乍集』第5巻, 明治図書,19 Q ) 文献2, p‐1 3 91 . Qの 同上, p‐1 72 . Q 5 ) 同上, p.1 77及び, 文献3, p. 121 . Q 6 ) 同上, p‐1 68 . Q 7 ) 同上, p‐1 7 9 . Q ) 同上, p‐1 8 88 . Q 9 ) 同上, p‐1 68 . ( 2 の 同上, p‐1 6 9 . 御 同 上. 棚) 同上, p.1 7 0 . 同 上‐ 棚) 御 同上, p.17 1 . 256 鰯 文献1, p‐ . ( 2 0 同上, p.1 6 7 9 . 帥 同上, p.1 8 0 . ( 2 8 ) 同上, pp‐180一181 .. 触 り 同上, p.1 8 1 . ( 3 D D 同上, pp‐182一184 . ( 3 D 文 献 3 pp.122一123 .. ( 3 2 ) 節 ) 御 筋 ) 3 6 ( ) 師 醜 ). 164. 文献2 p‐ 17 1 . 同上, p. 17 2 ‐ 同 上. 同上, p‐ 173 . 文献l p.26 0 . 文献2 p.17 8 . 文献l p.26 1 ..
(14) . 歴史学習と社会科の立場 ( 3 9 ) 「批判精神」 の育成は, 社会科の 「初志」 の目的の一つでもあった (上田 蕪 「批判精神こそ社会科の原点-社 『 4 4 98 9年4月) 0 会科四〇年とわれわれの課題-」 Q , 歴史教育者協議会, 1 . , 歴史地理教育』 N 『 6 g o o 上田 蕪 「社会科と歴史・地理の教育」 , p‐6 , 著作集』 第2巻‐ 951年発刊. 回 同上 pp‐64一66 . 尚, 原著は, 1 0 は め 文献2 p.19 . 25 5 は 3 ) 文献l p. . 9 はめ 文献2 p.18 . は 5 ) 同 上. 1 は 6 ) 文献3 p.12 . 0 は 7 ) 同上 p‐12 . 19 1 は ) 文献2 p‐ 8 ‐ o前出書, p‐ 67 は 9 ) 註g o . 9 4 ( 5 の 註( )前出書, p.21 . 947年) ( D 『社会科とその出発』 5 , 『著作集』 第1巻 p‐36一37 , (原著, 同学社, 1 ‐ 上田は, 「総合」というのは, 分化が先にあって, それらを, なんらかの意味であわせる場合にいうのである. 社 会科は, 児童の生活が中核になるのであり,「事象もまた児童の理解の発達に即して, 未分化の面においてとらえら れねばならない. 総合と未分化の問題は,(すべては児童そのものを中心として展開されねばならない, という点に おいて) 教師にするどい警告をあたえるであろう」 としている. 9 5 D前出書.(初出,「社会科教育」創刊号, 社会科教育研究社 1 47 ( 5 の 上田 蕪 「社会科に関する諸考察」 116 ,p. , 註( 年5月) 「 8一2 9 ( 5 3 ) 上田 蕪 「人間形成の一原理-場所の育成ということ-」 , 註@の前出書, p‐2 . (初出, 社会科の理念と方 2年) 法」 5 , 岩崎書店, 19 9 ( 5 0 『著作集』 第5巻, p.7 6 51年学習指導要領原案‐ ,1 ( ) 前出書, pp‐3 1 5 5 ) 註解 0-3 . ( ) 文献( 3 ) p‐1 27 5 6 . 1 2 師 同上 p‐ 8 . こ こ で は, 次 の よ う に 示さ れて い る.. ”) いくつかの歴史的事象を手がかりとして, その時代の社会に肉迫しようとすること に ) 歴史的事象は時代を越えて相似したものを見ることができるが, 決してくり返すことはないということを知っ ていること. 内 自分が歴史のなかにあると実感できること 仲 未来は不確定の世界であって, 人びとの努力により切り開かれなければならぬものだということを認識してい る こと. 的 歴史的事象にはかならず種々の見かたがあるということに気づいていること 的 歴史的把握は現在の立場と切り離すことができず, その意味で過去に対する評価は未来において変化しうると 考えること ) 自分の歴史に対するとらえかた, 見かたを発展させ, 新しくすることができること ( ト ( 5 8 ) 同上, p‐1 30 . (1991, 3, 20) 旭川 分 校). (本 学 教 授. 165.
(15)
関連したドキュメント
グローバル化をキーワードに,これまでの叙述のス
専攻の枠を越えて自由な教育と研究を行える よう,教官は自然科学研究科棟に居住して学
小牧市教育委員会 豊明市教育委員会 岩倉市教育委員会 知多市教育委員会 安城市教育委員会 西尾市教育委員会 知立市教育委員会
経済学研究科は、経済学の高等教育機関として研究者を
池田 史果 小松市立符津小学校 養護教諭 小川 由美子 奥能登教育事務所 指導主事 小田原 明子 輪島市立三井小学校 校長 加藤
● 生徒のキリスト教に関する理解の向上を目的とした活動を今年度も引き続き
● 生徒のキリスト教に関する理解の向上を目的とした活動を今年度も引き続き
これに対し,わが国における会社法規部の歴史は,社内弁護士抜きの歴史