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社会科教育研究課題の若干の検討

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(1)Title. 社会科教育研究課題の若干の検討. Author(s). 安藤, 豊. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 33(2): 121-130. Issue Date. 1983-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4899. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 社会科教育研究課題の若干の検討. 安. 藤. 豊. 社会科教育に限らず教科教育の研究は,「教員養成教育において展開さ れるべき教授内容やこれを うらづける研究成果よりも, 法によ って授業科目が先行的に存在し後にその内容を創出付与してい , 1 { )性格のものとして今日に至っている( 2 ) それが研究対象として自覚的に取り かなければならない」 。 3 ( )や19 扱われる様になっ たのは,1960年教員養成学部教官研究集会(各教科毎に行なわれた) 66年日 本教育大学協会教員養成課程検討委員会による「教科教育学の基本構想案」 1 1年に結成された日 , 95 4 )などによる社会科教育のいわば 「学的」 諸構想の検討を通して であ たとされ 本社会科教育学会( っ る.. これら提出された諸構想においては, 社会諸科学, 教育科学なかんずく教授学, あるいは心理学 など, 「社会科教育学」 がその 「成立」 に際して依っ て立つ基礎足り得ると評価された先行諸科学に 対し, 「社会科教育学の 対象領域が社会諸科学と教育学・心理学の領域にまたがって相互に密接に結 6 ( )とのように その個々に対する評価の在り方 「成立」 びついていることは認めなければならない」 , , に際しての主な立脚点をどこに求めるかなどにより, その性格や, 学問的位置づけ, 研究領域 (学 的内部構造) の設定において区々 である。 井手達郎, 福島正義両氏はこれら諸構想を次の三つの立 7 } すなわち ①教育科学との結びつきを重視する立場 ②社会諸科学 場に大別出来るとされている( . , との結びつきを重視する立場. ③教育科学と社会諸科学との中間領域な いし独立を主張する立場が それである. 8 }あるいは下位に位置づ 第一の立場は, 教科教育研究を教育学の一分野たる教授学の構成的一部{ 9 } 1 0 ) ( { 1 1 )あるいは人間形成 け , 専門諸科学(社会諸科学)の研究の成果や方法を教育的見地から再構成( 1 2 ) { という教科目標を具体化するための 「実際の研究活動の方法論的観点」 からこれを位置づけよう とする立場である. 1 3 } 社会科教育学を大局的には教育学 (教授学) に包摂されるものとして たとえば, 内海巌氏は( , 把握し, 両者を,「子どもが社会事象との交渉のなか で, 社会認識を形成する行為の独自性という「教 科の視点」 によって区別し,「人間形成の問題における社会認識形成の原理的独自性」 という視点か. ら, 「社会科教育学原論・社会科教育史・比較社会科教育論o社会科教育実験・社会科授業研究・社 会科教材構成論」 などの研 究領域を設定している. さらに,「社会認識形成の立場に関する問題」 と して, 社会諸科学との関係を問題とし, この関係を考えるには大きくわけて二つの立場があるとす る. 二つの立場とは,「……一つは, 社会科学科の立場であり, 社会科学的認識形成, あるいは, 科 学教育の立場である. 他のものは, 市民性の形成ないし民主的社会人の形成が社会科の目的であり, このような民主的資質を養うための基礎として,社会の科学的認識を育てるという立場」である。 第 121.

(3) . 安. 藤. 豊. 一の立場は,「……特定の立場に立つ社会科学の系統的組織によって教育内容を構成し, これによっ て, 児童・生徒に対し, 系統的な社会認識を与えようとする」 ものであるが, 第二の立場は, 「社会 科の目標に重点をおき」「児童・生徒の発達に応 じたもの であるかどうかという, 発達的視 点と 「成 長過程にある児童・生徒をどのような社会人に育てるかという, 社会科の目標からみた価値的観点」 との 「二つの観 点からする教育的再構成」 として教育内容が設定されるとする. ここで, 氏の論ずる 「教育内容」 論が, 先述の研究領域区分のどこに属するか氏の論述の中では 自明ではない. しかし, 社会科教育原理が, 教科の人間形成的意義, 歴史的・社会的事実としての 教科を成立せしめる基盤 (この限りで, 教育課程論と言ってもよいと思われる) であり, 社会科教. 育史, 比較社会科教育論を字義通りと理解し, 社会科教育実験が, 実験授業を意味し, 社会科授業 研究が, 既往の授業からの法則抽出と でも理解すること許されるならば, 社会科教材論に位置づく ものと解せよう. とすれば, ここでは, 教科の目標の設定のあり方, 教育内容構成の問題, 教育内 容と教材の関係の把握の問題などが検討課題とされなければならないだろう. 第二の立場は, 教科としての社会科の学習内容の供給源としての社会諸科学を重視し, その中の 1 4 ) たとえば 地理教育学 歴史教育学等を統合したものとして 一つの領域として位置づける立場( , , , 考える場合と, 先に触れたように社会科を社会科学科として把握する (領域としては教育学に位置 1 5 )とする ここでは 第一の立場ともかかわって 教育内容論において づけるが)場合とがある( , , , . 専門諸科学との関連をどう把握するべきかという課題が存在すると言えよう. 1 6 ( )に示された次のような立場である 第三の立場は, たとえば,教大協「教科教育学の基本構想案」 . すなわち, 同案は, 教科教育学の 「学問的位置関係」 を 「その教科に関する基礎科学と教育科学と の交さ領域に統合的関係位置を占める」 と位置づけ, 「教育的要求」,と 「学問的要求」 の 「……交さ の上に立つ中間領域の学」 として性格づけている. 1 ( 7 }的把握は 上に述べた第一 第二の立場にも共通である そして この立 このような「二元論」 , , , . 場は, 教育内容-教材論, 教授=学習 (授業) 論など, 教科教育研究に一貫した論理であるように 思われる. たとえば,「教材の研究では, 教科の基礎となる科学や芸術などの文化内容とともに, 子 1 8 )である あるいは 「授業や教授=学習過程は 教 ( どもの生活意識や発達との関係が重要な対象」 , , . 材の習得活動を通 して, 知識や認識力の獲得・形成を目的として展開されるが, 同時にその活動の 1 9 ( )な 過程において, 子どもたちの意志や感情や信念などの人格的諸特性を訓育しているのである.」 ど.. このように, 「社会科教育学」 の外延や内包を考える場合, 教育学 (教授学) , 心理学, 認識論, 社会諸科学などの諸科学領域を, 教科教育の日常的営みである教科の目標, 内容(教材) , 方法, 評 価, 授業と関連させさま ざまな構成を生み出している. しかし, このように構想それ自体を問題と し, 検討すべき諸要因の思弁的組合せを操作する‐ ことからは, 検討すべき諸要因を指摘できても, 構造的把握へ迫ることは出来ないように思われる. 市川博氏が指摘するように 「……いかにして学 として確立させるかという抽象的な学問論を展開しても成果は少ない. 教育の現場で直面している 社会科教育の実践的課題に迫っていくなかでこそ, 学問・研究の方法論が吟味されていかなければ な ら な い の であ る.」◎. このような意味で, 以下, 「教育の現場」 で最大の課題である 「授業」 を視座の中心に据えつつ, 「社会科教育学」 を考えるいわば原点構築として, 確実に抑えて置かなければならないと考える諸 課題, 教科目標設定の問題, 教育内容構成と社会諸科学の関係, 教材論などについての検討を試み る. 122.

(4) . 社会科教育研究課題の若干の検討. 〈註〉 1 ( ) 山田昇「教員養成における教科教育の研究と教育」p 8巻第4号 1 9 8 1年4月 日本教育 .9 教育学研究 第4 学会. ( 2 ) 戦前においては, 教科としての社会科は存在しなかったが, 内容的に類似の歴史科や地理科に関する師範学校 における各科教授法を戦後教科教育の前身として位置づけることも出来る. しかし, 本稿では触れない. 尚, 戦 前公教育授業定型としての 「ヘルバルト主義」 教授理論の形式的適用による各科教授法の実態については, 稲垣 忠彦氏 「明治教授理論史研究」( 1 9 82年再版 評論社) 第二部に詳しい. ( 3 ) 「社会科教育研究集会の動向」 社会科教育研究 第1 6号, 1 96 2年 日本社会科教育学会. 4 ( ) 日本社会科教育学会編 「社会科教育学の構想」1 971年 明治図書 としてまとめられている. ( 5 ) これら一連の動向の背景には,1 951年政令改正諮問委員会答申,195 3年中央教育審議会答申が提起した教員養 成大学・学部の目的大学政策が存在した. この基本線にもとづいて, 196 2年文部省の諮問機関である教育職員養 成審議会は 「教員養成制度の改善について」 を 「建議」 し, その重点の一つとして, 大学の教育課程の面で, 教 員養成大学・学部の目的を明確化することを掲げ, さらに, 1 9 64年 「教員養成のための教育課程の基準(案)」 に おいて, 目的大学化を教育課程と教育内容において実質的に実現すべく, 専門教育は教員養成大学とその他の大 学とは趣旨を異にするとし, 初等教育教員養成には, 全科担任に耐えうる教育課程を準備すること, 教科教育と 教育実習を重視することが提起された. こうした教科教育の「重視」が, 19 5 6年大学設置基準による課程制の導 入と相僕って, 教育系大学におけるカリキュラムの細分化的改訂を促進し, 教科教育専攻課程を 「独立」 させて ゆき, そのことが「独自の学問領域としての00教育学」の建設を意識化させた.(寺崎昌男「再改革の動向と問 題」 中内敏天・川合章編 「日本教師 6 教員養成の歴史と構造」 所収 1 ◆年 明治図書.) 97 4 また, ほぼ時期を同じくして, 上記の如き動きとは全く別に, 従来の教育学研究の反省から, 教科論の研究, 教授学建設の重要性と必要性も論じられた. たとえば, 船山謙次氏は, 戦後経験主義は, 教科指導一般を否定し たが, 学校教育は知育を中心として成り立っている以上, 教科論に関心をもたざるを得ないとし, 次の様に主張 して いる.. 「戦後, わが国では数多くの 『教育原理』 と名のつく本が出版された. そのどれをとってみても, 教科論ならび に教科指導にかんする論述は, まず, みられないといってもいい. ……現実には, 日本全国において教科指導が おこなわれている. それにもかかわらず, 教育学の立場からする教科論, 教科指導論がないということはふしぎ なことである.」とし,「……教育学が教育実践に貢献すべきであるならば, 教科論は教育学や教育原理のなかで, 正当な位置をしめなければならない.」(同氏 「教科指導の基礎理論」 p ) 8年 明治図書. .2 195 ( ) 大森照夫 「社会科教育学建設の研究方法」p 6 4 )前掲書所収. 5註( .4 ( 7 ) 井手達郎・福島正義 「社会科教育学の学問的位置づけ」p 8-p .7 .89 同前書所収. 尚, 両氏は, 既存の関連科学との関連の側面からのみ論じられているが, そのことは必然的に, 内部構造を問題 にすることであるから, 以下では, その点を補いつつ論述する. ( 8 ) 高久清吉 「教科教育学の基本構想」 現代教育科学 第1 4 0号 1 969年6月号 明治図書. ( 9 ) 吉本均 「東ドイツの授業研究」 授業研究 第2号 明治図書. ( l o ) 尚, 教授学研究の分野で, 教授学と教科教育の関係をどう把握するべきかという議論(たとえば, 柴田義松「教 授学の対象・課題・方法について」 教育 第16 4号 19 63年1 1月号 国土社など) があるが, 本稿とは別の観 点で扱わなければならない. ( 1 1 ) 井手達郎・福島正義 「社会科教育学への構想」 埼玉大学教育学部紀要 第12号 1 9 6 3年. 2 ) 高久清吉 前出論文 p ( 1 6 .11 . ( 1 ) 内海巌 「社会科教育学の構想」 p 3 3-p 4 )前掲書所収. .3 .44 註( ( 1 4 ) 嶋田浩 「教授学建設への具体的アプローチ」 現代教育科学 第14 69年1 2月号 明治図書. 6号 19 1 ( 5 ) 井手・福島両氏は, その様な例として, 柴田義松氏の論文「教授学研究の課題について」(現代教育科学 第14 4 号 1 9 6 9年8月号)をあげているが, この立場は, 日教組教研第8次教研( 1 95 9年)で定式化された規定である. 1 ) 註{ 4 )前掲書所収 [付録2] p ( 6 87-p 91 .1 .1 . ( 1 7 ) 菊地光秋 「現在の論争と発展の阻害条件」p 4 )前掲書所収. 2 1 註{ .1 ・ ( 1 8 ) 五十嵐顕他編 「教育小辞典」 p 4( 「 8 教材 」 ) 1 9 8 2年 岩波書店. の項 . 1 ) 木下繁弥 「教授の過程と構造」 北尾倫彦他編「教科の教授=学習の理論と方法」所収 1 ( 9 9 8 0年 第一法規. ) 市川博 「社会科教育研究の現状と展望」 p ( 2 0 4 )前掲書所収. 1 0 註( .1 123.

(5) . 安 藤. 豊. 2. 前出の内海巌氏は, 社会科の 「使命」 を,「……社会生活を, その事実と特性にしたがって, 歴史 的・総体的に理解させることである……これと同時に, 社会の形成者として, 民主的社会を実現し, その発展に寄与することのできる実践的な態度とそのために必要な能力を育てること……」 , つま 1 ( も点に求めている. 同様に, 臼井嘉一, 石井 り,「理解と実践的態度とを統一的に形成しょうとする」 重雄両氏も,「社会科教育はあくま でも社会的事実をもとに, 子どもたちに自主的, 科学的に追求さ せることを通じて, 子どもの価値観の基礎ないし, よりよい価値を創造しそれに迫ろうとする 『価 2 ( )と述べている 値的態度』 を育てることを同時にめ ざしたいものです.」 . このように, 社会科の教科目標を 「理解」 (科学) と 「価値」 (態度) との二元論的見地から設定 する観点は, 今日でも根深く 一般的であるように思われる. こうした事態の背景には, 戦前, 戦後 を一貫する文部省の教科目標観が存在する. ) 年の国民学校令施行規則制定まで約半世紀間に渡っ て戦前の教科教育を規定した 1 941(昭和16 ) 年の小学校教則大綱は, いわゆる第二次小学校令第一条 「・学校ノ・児童身体ノ発達 1981(明治24 ニ留意シテ道徳教育及国民教育ノ 基礎並其生活ニ必須ナル普通ノ知識技能ヲ授クルラ以テ本 旨ト 4 ) 3 ( )を受けて 教科教育の一般的目標及び地理 歴史の教科の目標を次のように規定している{ ス」 , . , 第一条 小学校ニ於テハ小学校令第一条ノ旨趣ヲ尊守シテ児童ヲ教育スベシ 徳性ノ癌養ノ・教育上最モ意ヲ用フヘキナリ故ニ何レノ教科ニ於テモ道徳教育国民教育ニ関スル事項ノ、殊ニ留 意シテ教授センコトラ要ス 知識技能ノ・確実ニシテ実用ニ適センコトラ要ス故ニ常ニ生活ニ必須ナル事項ヲ撰ヒテ之ヲ教授シ反覆練習シ テ応用自在ナラシメンコトラ務ムヘシ (以下略) 第六条 日本地理及外国地理ノ・日本ノ地理及外国地理ノ大要ヲ授ケテ人民生活ニ関スル重要ナル事項ヲ理会セシ メ兼ネテ愛国ノ精神ヲ養フラ以テ要旨トス (以下略) 志操ヲ養フラ以テ要旨トス ルノ志 第七条 日本歴史ノ・本邦国体ノ大要ヲ知ラシメ国民タルノ 、 (以下略). 5 } 1 ) 年, 国民学校令施行規則においては次の 通りであっ た( 941(昭和16 第一条 国民学校ニ於テハ国民学校令第一条ノ趣旨ニ基ツキ左記事項ニ留意シテ児童ヲ教育スベシ 教育ニ関スル勅語ノ旨趣ヲ奉体シテ教育ノ全般ニ亙り皇国ノ道ヲ修練セシメ特ニ国体ニ対スル信念ヲ深カラ シムヘミ、 シ. ー 国民生活ニ必須ナル普通ノ知識技能ヲ体得セシメ情操ヲ醇化シ健全ナル心身ノ育成ニカムベシ. (中略) ミ 、 ベ シ ノ・ 教育ヲ国民ノ生活ニ即シテ具体的実際的ナラシムバ 以 下 略) (以下略 第五条 国民科国史ノ・我ガ国ノ歴史ニ付テ其ノ大要ヲ会得セシメ皇国ノ歴史的使命ヲ自覚セシムルモノトス.. 第六条 国民科地理ノ・我ガ国土国勢及諸外国ノ情勢ニ付テ其ノ大要ヲ会得セシメ国土愛護ノ精神ヲ養ヒ東亜及世 界ニ於ケル皇国ノ使命ヲ自覚セシムルモノトス. 」「皇国ノ使命ヲ自覚」 国体ニ対スノ 一瞥して明らかなように,「徳性ノ滴養」 , 「愛国ノ精神」「国体ニ対スル信念 など価値観を第一義的に目標づけ, それに適合する限りでの知識 (科学) を, 「生活」 との結合にお 124.

(6) . 社会科教育研究課題の若干の検討. いて教授するというのが戦前における教科目標 (目的) 論の構造であっ た. この構造が, 戦後の社 ) 年, 195 会科学習指導要領にも一貫していることを, 1947(昭和2 ) 年のそれによっ て 2 8(昭和33 6 ) 次に 検 討 し ょ う( .. 1 94 2 ) 年学習指導要領一般論 (試案) は, 第一章に 「教育の一般的目標」 を掲げ, 次の 7(昭和2 7 〉 よ う に 述べ て いる( . 一, 個人生活については 1 人の生活の根本というべき正邪善悪の区別をはっきりわきまえるようになり, これによって自分の生活を律し て行くことが出来, 同時に鋭い道徳的な感情をもって生活するようになること. 2 自然と社会とについての見方考え方を科学的合理的にし, いつもこれらについて研究的に学んで行こうとする 態度を持ち, またこれによって科学的知識を豊かにして行くようになること. 3~7 (略) 二, 家庭生活については 1~3. (略) 三, 社会生活については. 1 (略) 2 人間はみな社会の一員として社会生活を営んでいることを理解し, 社会のなりたちと理想とをわきまえるよう に なるこ と. 3 社会生活を発展させる根底となる責任感を強くし,何事についても,まず生活をともにする人々のことを考え, 力を合わせてともに働き, またともに楽しむ態度を持つようになること 4~5 (略) 四, 経済生活および職業生活については 1 (略) 2 (略) 3 社会に生活するものにとって, 意義ある職業を営むことが欠くことのできないことを理解し, その貴さを自覚 し, これにうちこむ態度を持つようになること. 4~6 (略). 同年の学習指導社会科編 (1) (試案) においては, 第一章第一節の冒頭において, 「今度新しく 設けられた社会科の任務は, 青少年に社会生活を理解させ, その進展に力を致す能力や態度を養成 8 ) 次で することである」と究極的目標を示し, 第二節で,15項目に担る具体的な目標 を示している( , . ( 9 ) 1 95 8年の学習指導要領の各教科, 社会では, 次のように目標が設定された , 1 具体的な社会生活の経験を通じて, 自他の人格の尊重が民主的な社会生活の基本であることを理解させ, 自主 的・自律的な生活態度を養う, 2~5 (略) 社会科は, 社会生活に対する正しい理解を得させることによって, 児童の道徳的判断力の基礎を養 い, 望ましい態度や心情の裏づけをしていくという役割をになっており……. すでに明らかなように, 戦後学習指導要領も一貫して 「態度」 を第一義的な目標に掲げつづけて 来たのである. このように, 態度形成 (人格形成, 価値形成) と言った, それ自体自明 ではない概 125.

(7) . 安. 藤. 豊. 念を目標として掲げることによって, 結局科学の教育を無視して来たのが戦前・戦後を通しての教 1 0 ) 「態度」を問題にする教科論のあり方を大槻健氏は 戦前 戦後の教 科目的構造の特徴 であっ た( , , . 1 1 ) 科目標を検討しつつ, 次のように述べていた( . 「教育における知識の育成と, 態度の養成とが, 二元的におかれ, 教育実践はこの二つの極の間を往来しながら, 教育論-教科論が説かれる. 概していえば, 権力の提示する教科論は, 態度をやしなうことに究極的なねらいをお いて, その限りにおいて必要な知識を, 子どもたちに与えようとするものである. とりわけ, この傾向は, 社会や 人間に関する学習において, あらわにみられる. 態度の先き走りする路線の枠の中でのみとりあげられる知識は, 必ずしも科学的法則性の検証に耐える必要はない. 要するに態度が大切なのだから, という理由で, 知識内容の厳 1 2 ( ) 密さ は 二の 次に ま わさ れる の である.」. 「良い感覚 (ボン・サンス)」 な社会科教育研究者である黒羽清隆氏もある講演 で 「……つまり, こう考えるとか, こう生きていけとか, 日本の社会はこ っちの方向に切り拓いてゆくべきだとか, そういう方向そのものを子供達に押しつけて行くんではなく, 仮に私の教え子のなかからウルトラ 右翼が出たとしても……その子がや っ ぱりそれなりに立派な右翼,理論的な -- 仮定の問題 ですが -- 右翼になって生きていってくれればいいと, そういう発想というのが私のうちには一つの教育 1 2 ( )と教育論において態度形成を積極的に排除する立場を表明している 観としてある.」 .. く註〉 4 ( 1 ) 1の註( 13 ) 前掲書 p .4 . ( 2 ) 臼井嘉一, 石井重雄 「社会科の計画と実践」p .10 8 川合章他編 「新版 授業の計画と実践」 3・4年所 収. 1980 年. あ ゆ み 出 版.. 3年 学陽書房. ( 3 ) 神田修他編 「史料 教育法」 p 5 19 7 .6 ( 4 ) 同 上 p.138-p.140, ( 5 ) 同 上 p.148-p.150, ( ) 戦後の社会科指導要領は, 1 6 97 4年以来6期に渡って改訂・発行された, アット・ランダムにどれか1つを取り あげてもかまわないのだが,ここで取り立てて19 47年,1 95 8年の2つのみを検討の対象にするのは以下の理由に よる.. これまでの社会科教育に関する種々の概説書, 研究書の多くは, 改訂毎の指導要領を逐次とりあげ解説あるいは 意義付けをすると言うスタイルを取って来たが,「昭和二十二年版, 昭和三十三・四年版の指導要領は, 社会科の 性格を一変させ, 形態としては生活主義・総合主義の社会科から系統主義・分野別に分化された社会科に変質し 2 社会科学と教育1」 所収 1 てしまった」(馬場四郎「社会科教育の発展」 p 9 61年 岩 .92 「現代教育学1 波書店) と言われるように, 戦後指導要領は, その 「形態」 ( 教育方法) つまり教育内容編成原則と学習指導法 , という観点から見た場合,1 95 8年を画期として2つに時期区分することが科学的であると考える. しかし, その 場合でも, 目標 (目的) 論においては, 本文で以下述べるように一貫しているのであって, 上記の時期区分はあ くまで相対的なものであると考える. この点で, 臼井嘉一氏は, 近著「社会科教育の理論と実際」( 19 8 1年 国土 社) 所収の論文 「社会科教育における生活と系統」 において 「……研究的・科学的な方法をふまえ」(同書p 2 ) .2 「…… ‐学問的な系統″ (系統)と, 一青少年の生活の問題″ (生活)という社会科内容における二つの核心を, 社 会科学習指導要領と社会科教育実践研究の基本視角にすえたい」 (同p ) とし, そのような二つのカテ ゴリー .26 による 「社会科指導要領研究の基本視角」 という方法的視座から戦後6期に渡る指導要領の 「内容構造」 の 「分 析」 を試みている. しかし, このような方法は, 指導要領によって提示された所与の教育内容の説明原則としては「それなりに有効」 (同 p )であるかもしれないが, 氏の論文が示しているように, それ以上何も解明出来ない. 種々の教育内容 6 .2 は, 教科目標の規定性に従って集積され構造化されるのであって, その逆ではない. そして, 以下行論でも述べ ) ことができるのである, そして, その るように, その目標論においてこそ 「……共通項を見い出す」(同p 2 .2 126.

(8) . 社会科教育研究課題の若干の検討 上で内容が問題にされなければならない, ( 7 ) 上田薫他編 「社会科教育史資料」 l p.198-p.199 1974年. 東京 法令 出 版.. ( 8 ) 同上 書 p .218-p .220 . ( 9 ) 同上書 2 p .680 .. 1 2年 明治図書) がある. 96 働 このような観点でのすぐれた分析の例として, 真船和夫 「理科教授論」( 14 6 1 9 62年8月号 国土 1 1 教育 N ( 1 ) 大槻健 「社会科教育における経験-態度-人格主義について」 p o ,1 . 社. 回 続けて大槻氏は, 次のようにも述べているが, このことは, 大槻氏が書いた当時とは別の意味で, 今日重要な 指摘であるように思われる. 「これに対して, 文部省教科論を批判する側でも, この論理にひきまわされてしまう傾向がないでもない. 文部 省のいう 『態度』 に対して, そのアンティテーゼとしての 『態度』 を対置させる, 時にはそれがコトバのやりと りになるところから, 妙に 『民主的態度』 というところで癒着する場合すら出てくる. 戦後新教育が, 官も民も こぞって知識不信論に陥ったのは, このあらわれである, そして未だにこの奇妙な癒着は克服されているとはい え ない.」 (同. ( 1 3 ) 黒羽清隆 社.. ) p .11-p .12. 9 82年 4-p 「歴史教育における私のあゆみ」 p .15 「歴史教育と教科書問題」 所収 1 .1. 地歴. 3. 教科目標から態度形成を排除することの積極性は, 先に引用した大槻氏の所論にも明らかな如く, 教育内容と科学との結合を保障するという点にある. それにもかかわらず教育は常に価値的な営み 1 ) このことの関係を大槻氏は次のように述べている すなわち 「『態度』 が大切 であればあ である( . , . 2 ( )と ところで この論点は すで るほど, それは科学的知識に裏付けられていなければならない.」 , , . に羽仁五郎氏によって夙に指摘さ れていたことである. 羽仁氏は,「日本における歴史的教育の根本 的な特徴は, 歴史的真理と道学的歴史との二律背反である. す でに教育一般についての文部省規定 は, 教育的真理と道学者的教育との二律背反に陥っている. そしてその結果するところは, 後者の 1 3 ( )と述べて 教科目標における二元論が「教育一般についての文部省規 ための前者の制約である.」 , 定」 の 特 徴 であ る と す る 立 場 か ら (もっとも, 「算術」 や 「理科」 には, その科における知育の目的の自律を認 めるとする事実誤認におぃて大きな限界はあったが) 知 育 と 徳 育 と の 関 係 に つ い て 次 の よ う に 述 べ て い 4 ) た( .. 「……他方に 『算術』 や 『理科』 の科目にはその各科知育の目的の自律を認め, これらではその際時に徳育の目 的をあわせ掲げなかったのであろう. ……それならば, しかし, 独自の教科としての 『国語』 や 『地理』 なかんず く 『国史』 にあっても, やはりそうなければならぬはずではないだろうか, …… 『国史』 においてもわが国のまた 国民の国際史上における歴史的発展の真実の知識と理会とが,『兼て』と徳育を特に強調されその間にその知識理会 の自律をあやうくされるがごとき必要はなく, その知識理会がしたがって直ちにひいては徳性の高度の到達に益 し, いなかえってむしろ実にこれらの知育の自律的徹底こそが真の徳育の向上に自ら一致するものではないだろう か, 知深くしてはじめて徳高きをうるのではないか.」. つまり, 教科目標から人間形成と言うことを積極的に排除してこそ真に人間形成の教育足り得る と言うことである. 自然科学教育研究者の真船和夫氏は, 「『人間形成』 とか 『人間を作る』 とか言 う言葉自体たいへんあいまいで, いろいろな意味にとれる言葉である. それに対して, 自然科学の 基礎を学習する意義ははっきりしている. だから, わたしは 『人間形成』 というようなあいまいな 言葉にふりまわされて自然科学を教えることを, 尻ごみすることは, おかしなことだと思う.」「科 127.

(9) . 安. 藤. 豊. とは, 客観的な法則 学的な能力や態度で --理科学習指導要領の目標(引用者註)-- いちばん大切なこ- と矛盾しないような判断や行動ができるということである.そうした能力や態度を育てるためには, 当然, 客観的な法則の知識が必要になってくる. だから, 科学的知識を獲得することと科学的な態 度や能力を育てるということは決してべつべつのことではないのである.」と述べ, そうした科学的 知識を獲得することは, 正しい判断や行動のための欠くことの出来ない必要条件である. ところが, 「日本の教育界には知識の獲得を軽視または罪悪視する傾向があるが, それでは正しい判断力や行 5 ) 動のための必要条件はととのえられないだろう」 と述べている( . これら1 960年代に確立された「科学と教育の結合」の原則を今日再確認することは, 反科学主義 とも言うべき立場の教科論が根深く存在する現状において意味なしとしない. たとえば, 小嶋昭道 氏は「『態度主義』 の誤りはすでに明らかにされた通りであるが, 認識の教育が態度の形成につなが 6 ( )とのように トートロジー的命題を操り返え ることを授業計画から排除するのもまた誤り である」 , して い る.. 教科目標を行論のように考えるならば, 新たな目標はどのように設定される であろう. それは, 田中実氏が 「……目的から, 『人間形成』 を排除することを主張する人びとの見解に賛成する」 立場 から,「人類にとっ て生存, すなわち維持と発展が自己目的であり, 生存を保証するものが文化伝承 である以上, 学校教育にとって, 文化の総体を教師をとおして次の世代に伝承することは, それ自 身が目的でなければならない. ……自然科学の成果のいっさいを, 次の世代が継承し, 発展できる ( 7 )と述べ また大槻氏が 先の論文で ように, 学校でそれを少年・少女に教えなければならない.」 , , , 「教科指導の理論を構築していく上に, ……徹底的にそのものを追求してみる必要がある……社会 8 ( )と述べているように 人類の文化遺産 (科学) を教授す 科が社会科学科でなければならない……」 , るという点に求められよう. そのことは 「方向」 としてのそれではなく, 到達目標として設定され 9 )ことをも意味している なければならない( .. 〈註〉 ( 1 ) 勝田守一 「教育学」 p 8年 青木書店. 5 .31 19 ( 2 ) 2の註m ) 前掲論文 p 2 0 . ( 3 ) 羽仁五郎 「歴史教育について」 p 23「羽仁五郎歴史論著作集」 第1巻 所収 196 7年 青木書店. 初 .3 出 教育 第一巻第二号 19 3 3年5月 岩波書店. ( 4 ) 羽仁五郎 「歴史教育批判」 p 9 36 42-p 児童の歴史観とその表現」 教育 1 .3 .344 同上書所収 初出 「児童の 年5月 7月, 8月号 岩波書店. ( 5 ) 真船和夫 「理科教授論」 p 96 2年 明治図書, .48-p .49 1 364 1981年 2月 号. ( 6 ) 小嶋昭道 「地域にねざす教育実践と社会科学的認識の形成 (下)」 p P . .92 教育 No ( 7 ) 田中実 「科学教育の目的について」p 3 「思想としての科学教育」 所収 1978 年 大月書店. .7 ( 8 ) 大槻前掲論文 p 4 .1 . 9 ( ) 中内敏夫 「日本の教育思想と教材・教具研究」 教育 N 2 4 8 19 70年 国土社. o .. 128.

(10) . 社会科教育研究課題の若干の検討. 4. 民間教育研究諸団体が文部省の学習指導要領に示された社会機能主義 相互依 存主義 同心円拡 , , 1 )や 教科目標としての態度主義を批判し 社会科の系統学習の内容は社会科学の体 大主義の社会観( , , 2 ) 系である, と規定したのは1 95 9年日教組第8次教育研究集会においてであっ た( 。 諸科学と結合された教育内容と言う場合, その科学性を保障するのは教育内容と教材を概念的に 区別すること である. このことを最初に指摘した柴田義松氏は, 次のように述べ ている 。 「教科 (あるいは科学) の対象となるものは, もともと客観的現実の諸事実である そして 教科の内容となる , , ものは, 科学教科の場合, これら事実に関する科学的概念や法則である 科学的概念は 一定の体系のなかに存在 . , し,諸概念は相互に関連をもつ -- そこには科学の論理や法則がある これら科学の概念や法則を子どもに習得さ . 3 ( ) せるうえに必要とされる材料を, われわれは, 教材とよぶ 」 . 「……この相違を経験主義の教育学は無視しがちである.なぜなら, 教科の体系を科学の体系からではなく 子ど , もたちの生活経験から導きだそうとする経験主義の教育においては, 経験的事実 (教材) の学習を通して 何 (ど , のような科学的概念・法則) を子どもにつかませようとするのか, はっきりしないことが多いからである だから . , たとえば学習指導要領で 『内容』 とされているものが, たんなる経験的事実 (教材) にすぎないことはすくなくな 4 { ) い. 事実でなければ, 逆に一般的目標 (態度などの-引用者-) とかわりないものになっている」 .. つまり, 戦後新教育は, 学問と教育の分離の上 で,「知識」の詰めこみ教育を行った戦前教育の克 服を, 教育内容の非合理性, 非科学性の克服においてではなく, その教育方法に重点をおき 教育 , 内容そのものの科学性, 真実性, 体系性を問うこ とをしなかった 方法主義の立場からは必然的に . , 教科目標を 「自律的・自主的態度を養う」( 1 9 5 8年 小学校学習指導要領 社会) と言った点る こ求められ ることになり, 結果として, 教育内容を不問にし, 生活的教材 (ガラクタ教材) の羅列に終始し , 科学を教えない教育になるのである. 内容と教材を区分することにおいてのみ 「教科内容を科学の 基本にしぼると同時に, それの確実な習得を可能にする適切にして十分な教材を用意する」 ことを 5 ( ) 可能にし,そのときにのみ「子どもに真の力をつけることができるのである 」 . このように内容と教 6 ) 材を区分することのメリッ トを高村泰雄氏は次の二点にまとめている( 。 ①. 教育内容が教材という個別的具体物の制限から解放され, その本来の姿をとりも どし その , ことによって, 教育が科学と結びつく道がひらかれること ② 教育内容との関係で, 教材のもっている意味とその限界があきらかとなり 教育内容をより , 正確に反映した新しいすぐれた教材を開発する可能性 が大きくひらかれたこと . 社会科の教育内容構成は社会科学に基づくと規定しても, そのことで直ちに内容構成が明示され 7 ) さらに 諸 るものでないことは, 社会科学の体系とは何かと考えただけでもす でに明らかである( , 。 科学の成果の教育的再構成と言っ た場合でも, 必ずしもすべて学問の成果の中に解答が用意さ れて 8 } 量の理論体系を創出することによ て 数学教育研究に割目すべき業 いるとは限らないのである( っ , . 積を残した遠山啓氏は 「……数学のほんとうの源 が自然にあることは疑いの余地がない どのよう 。 に整然とした公理系がうち立 てられたにしても, その公理系は自然を深く反映するようにえらばれ 9 { }と述べ 教育内容体系を客観的実在 (自然) の反映としての認識 (そして科学) ているのである.」 , 1 0 )を示している また中内敏夫氏も 教材論における二元論を批判し 「リアリ としてとらえる立場( . , , 129.

(11) . 安. 藤. 豊. ズム一元論」の立場からの教材つくりは,「科学と芸術といっ た文化遺産そのものの子どもむけ翻案 作 業 では な い の で あ る.」. そ れ は 「… … 教 育 目 標(中内氏にあっては教育内容に代位されている-引用者-). が科学的法則や芸術的主題のかたちで範囲を限定してあらわしている現実の構造をそれの法則や主 題を動員し, 探求し, 分析や総合, 直観と表象によっ て現実のなかか ら教材をつくり あげることで 1 1 ( ) ある , 。」 と述べている. だとすれば, 教材内容-教科研究は,「すべての子供に質の高い科学的概念 を形成する」 とでも言うべき観点から, 対象的世界の 分析・総合そのものを 「研究」 の内実とする 1 2 ( ) 言えなくはないだろうか. この点で, 戸坂潤氏の次の指摘は示唆的である. 「研究の概念は研究することを意味するべく動機づけられているように見える. 之に反して, 学問の概念は学問 された結果を, 学問という文化現象を云い表わすべく使用されるように見える. 研究は吾々の云わば動作を示す言 葉であり, 学問は吾々の云わば所有を指す言葉である. 研究に於て吾々は吾々の関心が求める処の対象に出会う. ) ( ママ ……之に反して学問にあっては必ずしもそうではない. 成程吾吾は学問に出会あう. けれども関心されたもの, 求 められたものとして, それに出合うのでは必ずしもない. ……それは求められたのではなく, 却って吾々に押しつ けられたものであり, そして吾々が之に全く見向く意志を有たない場合が少なくないであろう. 学問そのものの存 在は, ……直ちには世界に於ける存在ではない。」(傍点原文) (1982 ) . 8. 20. く註〉 2 ・社会科学と教育 1) が代表的なもの ( 1 ) これらについての検討は, 大槻健 「社会認識の構造」(現代教育学 1 であろう. 2 3 昭和34年 国土社. 2 ( ) 日本教職員組合 「日本の教育」 第八集 (上) p .1 1 9 1年 明治図書 1 7 3 3 6 ( ) 柴田義松 「授業の基礎理論」 p . . 6 1 96 7年 明治図書 ( 4 ) 柴田義松 「現代の教授学」 p .1 9 81年 第一法規出版. 5 ( ) 柴田義松 「教科教育論」 まえがき 1 9 76年 新日本出 6 「日本の教育 6 教育の過程と方法」 所収 1 ( 6 ) 高村泰雄 「教授過程の基礎理論」 p .5 版. ( 7 ) それにもかかわらず, このような目標規定が, いかなる研究によってもその概念の明示が期待されそうにもな い態度一般の形成とするよりも .優位であり得ることはすでに明らかである. 1 前掲 「社会科教育学の構想」 所収. 8 ( ) 藤本光 「学問と教育の融合をめ ざす単元構成の研究法」 p .6 ( ) 遠山啓 「文化としての数学」p 9 9 73年 大月書店. .66 1 6 )前掲書所収. 3 註( ( 1 の 鈴木秀一, 須田勝彦 「基礎学力の指導過程」 p .8 有斐閣. 1 1 6 昭和5 3年 1 1 3及び ( 1 1 ) 中内敏夫 「教材と教具の理論」p p . . 昭和4 1年 勤草書房. 「 第一巻所収 戸坂潤全集 」 1 2 1 6 ( ) 戸坂潤 「科学方法論」 p . (本学助手・旭川分校). 130.

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