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日本統治下台湾における方面制度導入過程の一考察 - 台南州の扱いに関する顧慮の指摘 -

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(1)日本統治下台湾における方面制度導入過程の一考察 一台南州の扱いに関する顧慮の指摘一 今井孝司. はじめに  台湾の社会事業は日本統治が折り返し時期となった1921(大正10)年8月、内地とほぼ 同時進行で導入された。本稿の目的は、社会事業における「地域福祉活動」を担う方面制 度の導入過程および方面委員の配置について、台南州に重点をかけて展開された形跡がみ られたことを明らかにするところにある。. 1 台湾社会事業の概要と方面制度 1.台湾社会事業の概要 (1)内地と同時進行した台湾社会事業の導入.  大正時代中期の目本内地社会において、資本主義の発展と対外への拡大主義により、大 都市では大量の貧困者層(細民)を抱え、農村では都市への人口流出や徴兵による人的貧 困に加え、農作物価格の市場操作を受けて疲弊していた。生活困窮問題が極まる中で関東 大震災が発生し、首府およびその近郊都市では多大な階層転落者を生み、社会不安に一層 拍車をかけた。.  このような社会状三下では窮民救済が必要不可欠であるが、日本内地では1874(明治7) 年の太政官通達である憶救規則体制下にあった。この窮民救済制度は「人民の情誼」を前 提とした相互扶助を国民に求め、助けを求める先のない「無告の窮民」のみを救済するも のであり、大正期に日本内地社会が抱え込んだ貧困問題は到底解決できるはずはなかった。.  内地社会ではこの問題解決のための政策議論が不可避となり、社会全体で取り組む福祉 体系の構築が進められた。かくして社会連帯思想(階級調和的社会政策)を根底思想に据 え、道徳と経済との調和を企図した防貧制度を内在する社会事業(ソーシャルワーク)体 系の研究が盛んにおこなわれるようになった。.  1917(大正6)年8月に内務省地方局内に救護課を設置。後に内務省外局の社会局へと 組織再編が遂行され、社会事業の導入が検討される。1921(大正10)年3月、中央慈善協 会を中央社会事業協会と改称し、社会事業が本格的に展開されるようになった(1)。 (2)社会事業台湾導入の契機.  大正中期の台湾では漢民族を中心に植:民地統治に反対する台湾議会設置運動や農民運動、. 労働運動がおこり、抗日運動が高まったため、これらの社会状況に早急な対策として社会 事業の振興は不可欠な施策であるとみなされた(2)。内地で社会事業が正式に導入された5 か月後の1921(大正10)年8月、台湾総督府発令の「社会事業振興に関する依命通達(3)」 を受けて、台湾の社会事業展開が始まったのである。. 一70一.

(2) (2)台湾社会事業の体系.  1939(昭和14)年4,月時点における台湾の社会事業体系と事業施設数は以下のとおりで ある(4)。なお()内の数値は事業施設数を表す。 【一般機関1.  ・連絡統一並びに調査研究機関  (34).  ・方面事業          (207)  ・助成機関           (144) 1救護】. ・窮民救助. (336). ・行旅病人及び行旅死亡人取扱い. (11). ・罹災救助. (8). ・軍事扶助. (89). 【経済保護】. ・職業紹介. (6). ・授産. (11). ・宿泊保護. (22). ・住宅供給. (48). ・公設浴場. (61). ・公設市場. (186). ・公設質舗. (16). ・小網融通. (10). 【医療保護】. ・一 ハ医療保護. (70). ・特別医療保護. (21). 【児童及び婦人保護】. ・児童保育及び養育. ・少年教護. (295) (1). ・不具児童教育. (2). ・健康相談. (7). ・児童遊園. (7). ・公益産婆. (151). ・特殊婦人保護. (1). 【教化事業】. ・矯風事業 ・釈放者保護. ・習俗改善. (24). (206) (18). 一71一.

(3)   ・隣保事:業            (26).   ・人事相談           (63)畠   ・部落改善          (1,512).   ・就学             (20).  ▲合 計            3,615.  上に記したように社会事業が対象とする領域は、経済保護領域にある社会保障の第一歩                                    マ  マ となるような防貧事業を含め、特定のニードに対する措置事業(たとえば「不具児童教育」. 一身体障害児教育)や医療・健康育成、風習改善等である(5)。台湾の社会事業は社会保険. の導入が見送られたこと、児童・母子に関連する保護法案が適用されなかったことなどか ら、結果的に内地と比べて範囲が限定された展開となった。 (3)台湾社会事業の運営体制.  図表1は1931(昭和6)年現在の社会事業担当行政組織図である。社会事業は文教局社 会課社会事業係が担当し、各州・庁、市・郡および街・庄・区などの地方行政においても 教育部門(教育課あるいは教育係)が所掌。台湾総督以下トップダウン方式の組織形態を とった。.  1928(昭和3)年には「社団法人台湾社会事業協会」を総督府内に設置。社会事業の統 率機関として公私立慈善事業体や職業紹介所など、福祉事業体の把握・監視あるいは公的 資金の提供等、事業全体の管理統制をおこなった。この事業運営体制は終戦時まで(区の 庶務係が消滅する以外は)変更されることはなかった(6)。. 図表1. 総督府社会事業関係行政機関系統図               各市社会課・教育課または庶務課 各州教育課. 総督府. 社 会 係. 文教局社会課 社会事業係. 出所:『台湾社会事業要覧』、昭和6年版p.1。. 2.方面制度に内在する二つの任務.  方面制度は任命を受けた方面委員が各担当地域において社会事業を推進し、人々の生活 の安定(地域福祉向上の役割)を担う「ソーシャルワーク」である。方面委員は無給の名. 誉職ではあるが、一方で任命は地方行政の長が行なうこと、その多くは役人が任務にあた っていたことから、この組織は事実上準行政機関であり「社会統治の役割」も担っていた。. 一72一.

(4)  つまり方面委員の任務は、社会福祉領域の事業(衛生教育と救療、浮浪者救済、孤児貧 児保護、借地・借家の斡旋など)と、社会統治領域の事業(国勢調査や戸籍整理、保釈者 の管理など)の二つに大別できる。方面委員の活動領域とは広く影響力は多大であった。  なお台湾における方面委員制度は日本式行政区:分とは異なった地域単位、すなわち中国 の伝統的な住民自警自治単位である「保甲制度」に基づき導入された(7)。. H 台南州の方面制度に関するプライオリティ 1.方面制度の導入時期・設置数・管轄のプライオリティ  方面制度はいわゆる「ソーシャルワーク」の一形態である(8)。ソーシャルワークは社会. の産業化・近代の進展にともない、地域社会での相互扶助が成立しなくなり、生活リスク にさらされる可能性が高い人々が集まる都市部から設置される傾向にある(9)。なぜならば. 方面制度は都市の貧困問題解決と都市に深く根付き始めた社会主義運動への対処(赤化防 止)として最前線に配置されるべき機能だったからである。..  台湾総督府は台湾統治のための行政体系として州制度を導入し、市・街・庄を行政区(行 政区の置かれないところは蕃地)とした。方面制度の設置は順当であればまず「市」に、 次に「街」、最後に「庄」という手順で行われるのが「筋」である。台湾初めての方面制度. は1923(大正12)年3月29日、台南市・嘉義市(台南州)および高雄市(高雄州)の設 置にはじまる。続く4日後の4月1日に新竹市・桃園街(新竹州)、7月9日に台北市・基 隆市(台北州)と、州の要衝をおさえるかのように設置されていった(10)。.  次に方面制度の設置時期を、行政区別に区分し整理してみよう。図表2は子別で「市・ 街」と「庄」に区分けし、方面制度がどの時期に設置されたかを四期に区分してみたもの である。概していうと、台北・新竹両州は市・街を先行させ後に庄(農村部)に設置して いっており、「筋」に則った手順であったことがわかる。台中、台南、高雄の各州は庄への. 設置に積極的で、台北・新竹両州よりも早期に設置を果たした。また台中州は昭和14年以 降少なくとも16年置で設置されていない。しかし以下のとおり方面制度の導入過程におい て、台南州は他州とは様相が異なっていた。.  ここで方面制度の設置後10年間(1期)を検証する(11)。この期間に方面制度は29の行. 政区(市・街・庄)に設置された。中で目につくのが未設置の市がある段階で、5つの庄 (台中1、台南4)に早々と設置されていることである。それぞれの庄名は台南州佳里庄 (1930一昭和5年)、台南州帰仁庄、西港庄、斗南庄(ともに1932一昭和7年)、台中州田 中庄(1932一昭和7年)であった。  次に台南州の方面制度設置過程をみていこう。以下割合については図表2から算出した。 1期に新設;全数29か所中13か所(44.8%). ■期に新設;全数62か所中 8か所(129%).  ※この時点で累積91か所に占める台南州の設立割合は21か所23.0% III;期に新設;全数98か所中29か所(29.6%). 一73一.

(5)  ※この時点で累積189か所に占める台南州の設立割合は50か所26.5% IV期に新設;全数55か所中15か所(27.3%).  ※ 1941(昭和16)年時点の全体244か所に占める台南州の設置割合は65か所26.6%  このように台南の方面制度設置はいち早く行なわれ、1期の設置割合が44.8%と、概し て早期に展開された傾向が窺われる。また1941(昭和16)年時点における台南への方面制 度設置は全体の4分の1強(26.6%)を占めており、重点的に設置されたものと考えられる。.  比較のため台北州の状況を挙げておく。. 1期に新設;全数29か所中5か所(17.2%). H期に新設;全数62か所中9か所(14.5%).  ※この時点で累積91か所に占める台北州の設立割合は14か所15.4% 皿期に新設;全数98か所中6か所(6.1%).  ※この時点で累積189か所に占める台北州の設立割合は20か所10.6% IV期に新設;全数:55か所中18か所(32.7%).  ※1941(昭和16)年時点の全体244か所に占める台北州の設置割合は29か所11.9% 図表2「市・街」「庄」別方面制度新規設置過程ヒ 1 1923−1932. E 1933r1935 ・. i大12一昭7). @ (昭8引0) 5. 市・街. 台北州. 新竹州. 台中州「. 台南州. 高雄州. 皿 1936−1938. W 1939ワ1941. @ (昭11刊3). @ (昭14−16). 5. 庄 市・街. 3. 3. 庄. 0. 2. 市・街. 4. 13. 庄. 1. 9. 市・街. 9. 3 5. 庄. 市噛. 3. 5. 庄. 0. 13. 市・街. 0. 庄. 0. 合計. 計. 4. 9 6. 18. 6. 18. 12. 17. 32. 29. 59. 42 0. ・12. 15. 53. 65. 8. 10. 35. 27 2. 0. 0. 4. 市・街       24. 28. 3. 57. 庄        5. 34. 95. ’53  i87. 当期新規. 29. 62. 98        55. 累積数. 29. 91. 計. 38. 32. 3. その他. 38. 29. 5 9. 244. 189            244    244. ※昭和17年版では台中州大平庄が大正15年設置になっているが、他版とつき合わせ昭和15年と確認。 出所:『台湾社会事業要覧』、昭和8年版pp。63−65、昭和14年版pp.46・58、昭和17年版pp.15・29。. 一74一.

(6)  このように方面制度の設置に関して台南州は独自の路線を歩んだ。先述したとおり台南 への方面制度導入は早期かづ重点的であった。とり.わけ1932(昭和7)年以前の段階で既. に4か所の庄に設置を済ませている。ここに台湾総督府に何らかの恣意があったのではな いだろうかと考えられる。.  加えて方面制度の管轄も台南は他州とは歩みを異にする。方面委員の経営主管はおおむ ね市街庄にあるのだが、1931(昭和6)年頃までは高雄州(3市・街すべて)、台南州(13 市街庄中2市3街)、台中州鹿港街などは州が直:轄していた。しかし1938(昭和13)年に は台南州以外はすべて市街庄の経営主管となったのだが、同年台南州は方面委員制度を設. 置する50市街庄中37市街庄(74%)を州の主管とし、1941(昭和16)年には設置するす べてが州の主管へと移行された(12)。他州とは逆行する歩みを記したのであった. 2.方面委員取扱い案件処理数の特徴.  台南州はまた方面委員が取扱った案件(ケーズ)数でも行政区別に方面委員が処理した 案件数でも、他州と差異がみられる。以下1940(昭和15)年のデータに基づいた図表3・ 4を参照に考証していく。この年の方面委員制度を導入している市街庄は図表2で示した とおり台湾全島で244にのぼる。そのうち方面委員取扱案件数が2,000件を越えているの. は36市街図で、そのうち台南州に24(3分の2)が集中していた。.  また台湾全島での取扱総件数は38万4,010件だが、そのうちの15万652件、約4割 (39,2%♪を台南州だけで処理している。政治経済の中心、台北市を擁する台北州でも12 万9,273件、3割強(33.7%)であり、台南州の方面委員取扱ケースが上回っている。ただ. し行政区でみれば上位3位までを台北州が独占する(①羅東街3万4,873件、②台北市2 万9,425件、③基隆市2万734件)。台南市は1万6,597件で全体では4位となる(13)。.  台南州全体の方面委員案件処理件数が多い割に行政区単位で上位に上がってこないのは、 前節でみたように、方面委員を置いている行政区:が多く(台湾全体の26.6%)、相談窓口が 多くクライアントが会散する傾向に.あったということである。.  また州の中心である台南市の案件処理件数は台南州全体の11.0%とさほど高くなかった。. 加えて委員1人あたりの案件処理数は113.9/人であり台北州の196.5/人に比べて6割弱 (5&0%)に過ぎない。全処理件数が多く一人あたりの処理件数が少ないということは㍉方. 面制度が網の目のように網羅されていたことの表れであろう。台南州では方面委員が十分 に機能していたものと判断できよう。. 図表311940(昭和15)年門別方面委員処理案件数 全体 方面委員数(人). 取扱件数 1人辺り取扱件数. 台北州. 新竹州 台中州. 台南州. 658. 428   973. 1323. 129,273. 31,93 66ρ99. 150,652. 196.5. 74.6  67,9. 113.9. 一75一. 高雄州 377 5.75 15.3. 合計. その他 81. 3840. 298. 384.01. 3.7. 100..

(7) 図表41940(昭和15)年方面委員処理案件数が2JDOO件を超える市・街・庄 (1)台北州. 方面委員数(人). 取扱件数 1人辺り取扱件数. (2)新三州’. 9. 29,425. 25,734. 6,677. 34,873. 15,235. 2,101 2,563. 258.1. 485.5. ・303.5. 3874.8−. 2539.2. 233.  128,2. 33. 1人辺り取扱件数. 139.7. 1人辺り取扱件数. 16. 2,878. 4,012. 3.333『. 47.2. 167.2. 92.6. 嘉義市. 台南市. 7.17. 448.1. 善化街. 二二庄. 帰仁庄. 二三庄. 18. 22. 29. 望9. 16,597. 12,903. 2,697. 2.80. 2,566. 2,617. 276.6. 444.9. 14t9. 155.8. 128.3. 119.. 6. 方面委員数(人). 取扱件数. 36. 2. 61. 二二街. 豊原街. 二化市. 台中市. 方面委員数(人). (4)台南州. 2. 9. 6・. 新竹市. 4,611. 1人辺り取扱件数. 鶯歌街. 淡水街. 22. 取扱件数. 取扱件数. 板橋街. 53. 11. 方面委員数(人). 3)台中州. 羅東街. 基隆市・ 二四市. 台北市. 麻二巴. 新市庄 8. 方面委員数(人). 盤水街. 学甲庄. 大内庄. 六甲庄 2. 2. 16. 14. 26. 2. 取扱件数. 2,086. 4,565. 4,702. 2,201. 4,862. 2,928. 1人辺り取扱件数. 260.8. 228.3. 293.9. 157.2. 243.1. 112.6. 番社庄. 白河庄 18. 方面委員数(人). 51. 28. 2,001. 4,551. 2,805. 2,078. 89.2. 100.2. 86.6. 3,532. 2.00. 1人辺り取扱件数. 196.2. 111.1  69.. 方面委員数(人). 取扱件数 1人辺り取扱件数. ニヒ庫庄. 29. 18. 取扱件数. 北港街. 虎尾街. 斗六街. 大林庄. 元長庄 四湖庄. 水林庄. 2. 六脚庄. 朴子街. 28. 21   21. 26. 14. 2,540. 9,041 2,009. 8β月. 2,519. 4,009. 90.7. 430.5  957. 338.9. ,179.9. 200.5. ※方面委員数には定員範囲内の二二員」に加え「定員外」員と、顧問を含めて算出した。 出所:『台湾社1会事業要覧』昭和17年版、pp。15・29(14)。. 一76一. 2.

(8) 皿 なぜ台南州だけ独自の道を歩んだのか  では方面制度導入について、なぜ台南だけ他州とは異なった方法論が採られたのだろう か。ここでは2つの仮説を提示する。. ▼仮説その1:窮民救済機構が充実していたためである(方面委員の福祉機能).  台南は清朝時代台湾の行政府が置かれていた場所であり、台湾総督府も軽んじられない 土地であったことに加え、養済院や普済堂、育嬰堂、義塚など漢民族伝統の窮民救済機構 が根を張っていた。台湾を領有した日本は一旦それらを廃止するが、伝統的な救養のしき たりを、当時日本内地でも成立できなかった近代的な規則を持った慈恵院規則に組替えて、. 院内・院外による窮民救済を行ってきたという実績がある土地である。このため社会事業 導入に際して、既存の機構・制度を有機的につなげるためにも、早期に、かつ重点的にソ ーシャルワークを導入するための政策であった。. ▼仮説その2:抗日戦線の拠点であり、人々の行動をマークするためである(方面委員の  統治機能). 台湾領有の年、「台湾民主国」指導者の一人劉永福(元ベトナム黒旗軍)が独立主権を巡り. 日本軍に抵抗。その最終的な拠点としたのが台南であり、日本近衛師団の進攻に対し住民 による激しい抵抗が繰り広げられ悲惨な結果がもたらされた土地である。方面制度が早期. に設置された寺男街、朴子街、西門街、佳里庄など7街1庄は特に抵抗が激しく、市街地 や村落が日本軍によって「全掃されたところ」であるとされる(15)。.  特に佳里庄(旧名ヂ薫朧街」)は無人の街となったほどの惨状で、行政上の改名により、. 「庄」への格下げがなされ、そこに1930(昭和5)年、街でも半分以上は未設置の時期に 庄でありながら早々と方面制度が導入された。佳里庄への早期制度導入事情には、当時の 政府社会事業担当官吏が「統治を強化しなければ危険な地」とみなしたのか、あるいは戦 禍後「社会の基盤から再構築を必要とする地」などと考えたのかは定かではない。しかし 抗日戦線が激しかった地区について早期に方面制度を導入していることから、やはり特別 視しなければならい、総督府としては看過できない「社会構造の特性」があったから早期 に、かつ重点的にソーシャルワークを導入しなければならなかったのではないか。. おわりに  本論では台南の方面制度が独自の道を歩んだことを検証し、次なる課題二点を導き出し た。古地図などを用いて立体的にとらえていきたいと考えている。. 一77一.

(9) 【註】. (1)吉田久一・岡田英己子『社会福祉思想史入門』(勤草書房、2000年)吉田担当p256。 (2)大友昌子「日本統治下台湾における社会事業政策の展開」(永岡正巳総合監修『戦前・  戦中期アジア研究資料2、植民地社会事業関係資料集〔台湾編〕、別冊〔解説〕』2001年)  PP.76。. (3)依命通達では「世の経済状態の変遷は社会政策や社会施設を必要とするようになって  いること、読解界の動揺と経済界の変調は将来多くの社会問題を引き起こす勢いを示し  ていること」の諸点を社会事業振興策採択の理由としてあげている。『台湾社会事:業要覧』  大正15・開版、pp.2・4。.  以下本稿で複数年版にわたり参照する台湾総督府文教局社会課編『台湾社会事業要覧』’   (大正15年版のみ台湾総督府編)は、永岡正己総合監修により復刻された「戦前・戦中  期アジア研究資料2 植民地社会事業関係資料集〔台湾編〕」(総督府編『台湾社会事業  総覧一社会事業要覧各号』、近現代資料刊行会、2000・2001年)に納められているもの  である。本稿では単に『台湾社会事業要覧』○平版とし、参照ページの表記は復刻時に  つけられた通しページ数ではなく、原本に漢字表記されたものを用いる。 (4)各種事業がほぼ整った1938(昭和13年)を例にとった。財団法人中央社会事業協会著  『日本の社会事業』(財団法人中央社会事業協会、1939年)pp.348・349を参照。 (5)台湾社会事業体系の特色については、今井孝司「日本統治下台湾における社会事業の展  開一福祉の近代化をもたらした目本統治後半期の社会事業一」(現代台湾研究、2003年)  pp.29・30を参照のこと。. (6)同上論文、p.25。なお州制度は1920(大正9)年より採用されている。 (7)詳しくは同上論文、p.27を参照のこと。. (8)方面委員の発祥は、1917(大正6)年岡山県がドイツの制度を参考にして、防貧事業委  託者として済世顧問として名づけたものを発祥とする。百瀬、前掲書、p.34。 (9)発祥は岡山県だがく1918(大正7)年に大阪府と東京府(東京は救済委員制度)、1920.   (大正9)年には東京市、1928(昭不03)年までには全国各府県あるいは市町村で名称  は異なるが同様の制度ができた。百瀬、前掲書、p.35。 (10)『台湾社会事業要覧』昭和17年3月界、pp.15−29。. (11)1期の区分を1932(昭和7)年までとしたのは、導入から10年であったことに加え、  大正年間(1923∼1926年)の設置数が9、1927(昭和2)∼1931(昭禾口)6年が14、  1932(昭和7)年が5、1932(昭和8)年が16と、昭和7年と8年の間に明らかな差  がみられたことによる。 (12)『台湾社会事業要覧』昭和6下版pp.103−104、昭和8年度版pp.63−73、昭和13年度  版pp.45・55、昭和14年度版pp.45・57昭和17年度版pp.15−29。 (13)沈は先の永岡正己総合監修により復刻された「戦前・戦中期アジア研究資料2 植民地  社会事業関係資料集〔台湾編〕」(総督府編『台湾社会事業総覧一社会事業要覧各号』の.  解説論文を執筆している。沈は『台湾社会事業要覧』昭和14年版から、昭和13年度の  具体的な数字を取り上げて二章2「方面委員制度の実施の地域差」を表している。ここで  はその年度末までに台湾全域で取り扱った件数は312,626件あり、同時期に台北市の取  扱った件数は113,126件となり、全体の36%を占めている)としている。依拠する文献  は台湾総督府文教局『台湾社会事業要覧』(昭和14年)であるが、台湾全域で取り扱っ  た件数312,626件は直前の註にて出所場所がわかるが、台北市の取扱った件数113,126 件の出所がわからない。この二つのデータから台北市の取扱った件数の割合を36%と算:  出しているのだろうが、本稿でみた昭和16年のデータにおいて、方面委員の取扱い件数  は台北市29,425件、台北州129,273と確認できた。沈の「昭和13年の台北市取扱い件 数」と「昭和16年の台北市取扱い件数」のデータが似ていることから、台北市と台北州. 一78一.

(10)  を取り違えた可能性が指摘されよう。す.ると沈の結論である「方面委員事業の実施は台  北市に一極集中していた傾向を窺うことができる」は却下されなければならない。ただ  しこの直前の文で「方面委員の地域は∼中略∼台北市では20ヵ所の市外にしか設置され  ていなかった。つまり、政治、経済、文化の中心地である台北市には力が入れられ、方  面委員も積極的に働き、他の地域の方面委員は消極的な行動であったこ・とが考えられる  のであろうか」という主張には疑問が二つ生じる。ひとつはなぜ20ヵ所の市外にしか設  置されなかったのに、方面委員が積極的に働いたという因果が成り立つのだろうか。も  うひとつは台北市だけのデータ(しかも誤った引用だと思われる)で、どうして他の地  域の方面委員は消極的な行動であったことが導き出せるのだろうか。  貴重な復刻文献の解説論文だけに、残念でならない。  沈潔「植民地台湾における方面委員制度の展開及びその特質」(永岡正巳総合監修『戦前・  戦中期アジア研究資料2、植民地社会事業関係資料集〔台湾編〕、別冊〔解説〕』2001年)  pp,122−123。. (三4)同年版は市街庄別に方面委員数、取扱い件数などが掲出されているため、行政区分での  把握を行いやすいために採りあげた。 (15)黄昭堂『台湾民主国の研究一台湾独立運動史の一断章一』(東京大学出版会、1970年)  pp.71−91を参照。.  また向山は中・南部で抗戦が激しかった理由を、団練と称され普及していた一種の自衛  組織に由来する義民軍の積極的参戦、早くから開拓されて人口も多く、住民の郷土愛や  民族意識も高く抗戦意識が高かったこと、中・南部地区の住民が豪族を中心に得意な血  縁的・地縁的・蓄的社会集団を形成して団結が固く、分類械闘と高砂族との闘争を通じ  て自衛と戦闘に豊かな経験を持っていたこと、他などを挙げている。向山寛夫『日本統  治下における台湾民族運動史』(中央経済研究所、1987年)、pp.108−109。. 一79一.

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1.4.2 流れの条件を変えるもの

断面が変化する個所には伸縮継目を設けるとともに、斜面部においては、継目部受け台とすべり止め

この節では mKdV 方程式を興味の中心に据えて,mKdV 方程式によって統制されるような平面曲線の連 続朗変形,半離散 mKdV

推計方法や対象の違いはあるが、日本銀行 の各支店が調査する NHK の大河ドラマの舞 台となった地域での経済効果が軒並み数百億

(2011)