社会系教科教育学会『社会系教科教育学研究』第10号 1998 (pp.65-72)
歴史の多元性と動態性に着目した世界史構成論
一
東アジア世界史を事例と
して−
A Theory of Framework for
Based
on Plural Perspectives and Dynamism in History
“World History
” Curriculum
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校
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1。研究の目的 従来,高等学校「世界史」の教育内容について は,様々な角度から批判が寄せられてきた。その うち,生徒達に与える歴史認識の問題では,以下 の五つが主なものとなっている。(1)西洋中心 主義に陥っている。(2)日本史が世界史の中に 位置づかず厂特殊なものとして記憶されてしまう。 (3)アジアの歴史は,中国史がそのほとんどを カバーしており,周辺地域はその関係においての み登場するO(4)ウェスタンインパクトによっ て代表されるように,「近代」とは,西洋諸国が アジアを統合していく過程であるとする見方。 (5)いわゆる周辺地域と呼ばれる国々の歴史的 な役割や,従属の過程がダイナミックに描かれて いない。その結果,大国と小国という言葉の中に 潜むネガティヴなイメージがそのままに残されて いる,などである。 こうした問題点を解決するために,今までにも 多くの試みがなされてきた。いわゆる「文化圏学 習」や,ヨーロッパ勢力による世界の「統合」を 19世紀に置く試みなど,世界史の構成を改良する ことで,そうした問題の除去に取り組んできたわ けであるが,根本的な問題の解決に至っていない のは周知の通りである。1) あるいはまた,こうした伝統的な縦割りの区分 を見直して,「文化交流圏」を仲立ちに地理的な 周辺領域や,文化的にマージナルな存在をクロー ズアップすることによって,新しい授業の試みを 提案している研究も多くなってきた。2)しかし, こうした試みは,授業の実際的な活用といったこ とにおいて,一定の成果を得ているものの,直接 65 ― 世界史の構成に結びついてはいない。 こうしたことから,筆者は以前に, A.G.Frank らの世界システム理論を手がかりに,世界史構成 の試案について発表したo3)図1がそれにあたる が,イスラム史家として名高いHodgsonや,ヘ ゲモニー理論の西川吉光らの研究も加味して,近 代の特殊性と西洋中心主義とを相対化することを 目的にしている。世界の一体化を,近代化という 価値的な表現ではなく,交流の粗密で表し,近代 以前から一体化したものとして世界を扱うことで, 匚世界」を主役にした構成となっている。また, ア!フリ カ I北米i 9二言郛 I ̄ ̄ ̄“ ̄ ・パの祠 こ ̄バゲモニペ(フリシジューラシアの優勢) l 一一一一一一一一一l や 卩: 二大t ここ │_____j , み | モンゴル l イスラムの拡大 (インナーユーラシアの優勢) 帥東⇔酊ジア艸蛟ジ了⇔東アジ了 (アウターユーラシアの優勢) や︱ ︱ ︱ ︱ ︱ − t ︱ ユーラシアンランドヘゲモニーの時代凵 一一一一一一一一一一一−一一一一一一−−一一jl 1 中東⇔インド⇔東アジア l *点線内はヘゲモニー領域を表し,⇔は交流を表す, *点線内はヘゲモニーを表す パクスブリタニカ・パクスアメリガーナ l______________________________ L _____| パクスイ -一一一一一一一 一−一一一一一一 中東 一一一一一一一一 オ セ ア ニ ア 20C 18C 14C. 7 C. 6 C. | | 交流の進展 犬 _| フリンジユー ラシアの優勢 インナーユー ラシアの優勢 アウターユー ラシアの優勢 一一一一一一 一一一一一 心- 。,戸 卜 中東 インド・I 中国 I I I I I I パクスモンゴリカ スラミカ − − に 朝貢貿易体制 インド 一一一一一一一 − ︱ 一一一一一一一一一 1 中国 i ↓________ 』 図1 世界史構成概念図ヘ ゲ モ ニ ー の中 心 拠 点 が こ の 厂世 界」 の 中 を 移 動 す る こ と に よ っ て, 歴 史 展 開 に 支 配 と 被 支 配 と い う ダ イ ナ ミ ッ ク な 力 関 係 が 表 現 さ れ て い る。 こ の こ と が , さ ら に, 中 核 地 域 , 半 辺 境 地 域 , 辺 境 地 域 と い う三 つ の 視 点 を 確 保 す る こ とに もつ な が り, 世 界 を よ り奥 行 き を も って 眺 め る こと が可 能 と な っ て い る の で あ る。 ヘ ゲ モ ニ ー 拠 点 は, ア フ ロ ・ ユ ー ラ シ ア 複 合 体4)の 中 を 移 動 し な が ら , 内 陸 部 か ら 海 洋 部 へ と変 遷 し, 現 代 世 界 へ と受 け 継 が れ て い く 中 で , 従 来 の 陸 地 か ら の 視 点 の み な ら ず , 海 か ら の 視 点 を も導 入 す る こ と が で き る の で あ る。5) 今 回 の 研 究 の 目 的 は, こ の モ デ ル を さ ら に 完 成 さ せ る た め, 東 ア ジ ア 世 界 を 例 に と り, 具 体 的 な 世 界 史 構 成 を 開 発 す る こ と に あ る。 2。 東 ア ジア の世界史 構成理論 図 2は, 今 まで の伝 統的 な東 アジア の世 界史 構 成を図式 化し た もので あ る。 こ の中 で示 さ れて い る のは, 中国史 のしか も王朝 名中心 の縦割 り学 習 であ る。 東 ア ジアとは, とり もなお さず中 国を中 心 とした領域で あり, 周辺地 域 は中 国文 明の恩恵 を受 けなが ら発 展 してい るとす る認 識を与 え る。 ま た, 北方遊牧 帝国 など は, 中原 の文明 を破壊, もし くは征服 す る野蛮 な民族 と して 位置づ け られ るか, 中 原を支 配下 に置 くことで 自 ら中国 化=文 明化 してい く客 体 として描 かれて いる。6) B C ↑ 7C 2 C O 1 c 5C 6C 7C 10C 11C 12C 13C 14C 17C ↓ AD 中 国 モ ン ゴ ル チ ベ ット 朝 鮮 半 島 日 本 殷 周 春 秋 戦 国 秦 前 漢 新 後 漢 晋 南 北 朝 隋 唐 五 代十 国 宋 金 ・ 南 宋 − 兀 明 清 匈 奴 鮮 卑 突 歟 ウ イ グル 遼 西 夏 タ タ ール 三 韓 高句 麗 ・ 百 済 ・ 新 羅 新 羅 ・ 渤 海 高麗 李氏 朝鮮 倭 大 和 政 権 奈 良 政 権 平 安 政 権 鎌 倉 政 権 室 町政 権 江 戸 政 権 図 2 伝 統 的 な 東 ア ジ ア史 構 成 ま た, 朝 鮮 半 島 部 や 沿 海 州 , ベ ト ナ ムや チ ベ ッ ト も中 国 文 明 を た だ 受 容 す る だ け の 客 体 的 な も の と し て 扱 わ れ, そ れ ら と 本 来 同 様 の立 場 で あ る べ き 日 本 は, あ た か も別 の 世 界 と し て 特 別 に学 習 さ れ る こ と と な る。 こ こ に 日 本 史 が 世 界 史 の 中 に位 置 付 か ず , 特 別 , 特 殊 な も の で あ る か の よ う な 歴 史 学 習 へ と 陥 っ て い く 最 大 の 原 因 が あ る。 こ う し た こ と を 踏 ま え て, 以 下 , 諸 点 に 注 意 し な が ら, 具 体 的 な 歴 史 構 成 の 理 論 を 考 究 し て い く こ と と す る。 (1) 国 家 領 域 の見 直 し 二 谷 貞 夫 は, 匚前 近 代 の 日 本 の 歴 史 は , 日 本 列 島 のい く つ か の 地 域 住 民 の 独 自 な 社 会 と 文 化 お よ び 民 族 の 形 成 過 程 を も っ た と い う 仮 説 的 な 方 法 を と る こ と で あ る 。ノ ) と 述 べ て い る が , 東 日 本 や 西 日 本 , 北 日 本 や 南 西 諸 島 な ど と い っ た 地 域 的 な 違 い を 念 頭 に, 近 代 日 本 の 成 立 を 考 え る こ と は, 日 本 史 学 習 に お い て 特 に重 要 で あ る 。 同 様 な こ と は, 中 国 や 朝 鮮 半 島, オ ホ ー ツ ク 海 周 辺 や シ ナ 海 地 域 な ど , 東 ア ジ ア 全 般 に わ た っ て も言 え る。 例 え ば , 中 国 の 国 境 領 域 が 現 在 の も の に近 づ い た の は, ほ ぼ 清 王 朝 中 期以 降 の こ と で あ り , チ ベ ッ ト や 中 国 東 北 部 , 台 湾 な ど は, そ れ ま で 中 国 中 央 部 の 政 権 と は異 な る 独 自 な 歴 史 を 歩 ん で い る の で あ る 。 シ ナ海 や 日 本 海地 域 に は, 村井 章 介 によ っ て 明 ら か に さ れ た 倭 寇 集 団 の 独 自 な 世 界 が 展 開 し て い た8)し , ほぼ 同 じ 時 期 に 匚北 の 倭 寇 」9)と い う べ き集 団 の活 動 が, 日 本 海 北 部 か ら オ ホ ー ツ ク 海 に か け て 活 発 化 し て い た と す る 研 究 も あ る。 こ う し た地 域 や 海 域 で は, 自 分 た ち が ど の国 家 に 属 し て い る か と い う よ う な 明 確 な 自 己認 識 は存 在 せず , む し ろ多 元 的 境 界 的 な 領 域 と し て あ り , 歴 史 学 習 にお い て も 従 来 見 落 と さ れ て き た。 こ う し た 周辺 領 域 はい つ ど の よ う に一 つ の国 家 に 吸 収 さ れ て き た の で あ ろ う か 。 表 1 に ま と め て み た。 四 川 や 雲 南 は, 比 較 的 早 い 時 期 に中 国 中 部 の 政 権 の枠 の 中 に 入 っ た も の の, 漢 民 族 に よ る移 住 は か な り 遅 く, 山 岳 部 に居 住 す る 少 数 民 族 の民 族 的 な ア イ デ ン テ ィ テ ィ も そ の ころ に 確 立 さ れ た と い う意 味 で は,10)本 来 別 に 扱 う必 要 が あ ろ う。 ま た, 新 彊 地 域 は 清 王 朝 中 期 に, 圧 倒 的 軍 事 力 で 支 配 下 −66 −
表 1 中 国 及 び 日 本 へ の帰 属 大陸諳地 域 時代 列島諸地 域 時代 四川 雲南 明∼清 九州南部 奈良 ∼ チ ベ ッ ト 清 東北地 方 平 安∼ 台 湾 清 対馬 江戸 中国 東北部 清 北海道 明治 沖縄 明治 に 編 入 さ れ, そ の後 の 歴 史 展 開 の 中 で , 世 界 史 の 辺 境 と い う立 場 に 陥 っ て い っ た11) こ と を 考 え れ ば, 決 し て 単 純 に中 国 国 家 の 一 員 と し て 歴 史 の 流 れ の中 に 共 存 し て き た 訳 で はな い。 ま た, 中 国 東 北 部 や 北 方 遊 牧 地 域 は , 伝 統 的 な 中 国 史 の 枠 内 で は 扱 わ れ ず , 外 部 勢 力 と し て 常 に 中 国 中 央 部 の 政 権 と 対 立 す る も の と し て 描 か れ て き た 。12)し かし, 清 王 朝 や 元 王 朝 ま で待 た ず と も, す で に北 魏 や 隋, 唐 帝 国 な ど は, こ れ ら 北 方 遊 牧 民 族 の 直接 の 流 れ を 汲 む 国 家 で あ っ た こ と は 明 ら か で あ り, 従 来 の 農 耕 文 明 = 中 国 文 明 と い う 構 図 か ら の 歴 史 構 成 の 脱 皮 が急 が れ る ので あ る。 (2) 海 域 圈 の 設 定 以 上 の こ と か ら, 現 在 の 国 家 領 域 の 設 定 を 見 直 し て , あ る程 度 の ま と ま り を 持 っ た 地 域 圈 や 海 域 圈 の 剔 出 が 必 要 と さ れ る。 し か も, こ れ ら の領 域 は, そ れ ぞ れ の 時 代 に 応 じ て , 王 朝 や 国 家 が 異 な る 領 域 を 版 図 に 収 め な が ら 消 長 を く り 返 し て い る こ と を 表 す も の で な く て は な ら な い。 こ う い っ た こ と を 背 景 に, 次 の よ う な地 域 を 設 定 す る。( 1) 東 ア ジ ア ( 2) 北 ア ジ ア ( 3 ) 環 南 シ ナ 海 ( 4) 環 東 シ ナ海 ( 5) 環 日 本 海 ( 6) 環 オ ホ ー ツ ク 海, が そ れで あ る 。13)( 匸) と ( 2) は, 単 純 に地 理 的 に 南 北 を 区 分 し た も の で あ り , 文 化 的 に は農 耕 を 主 と し た地 域 と, 遊 牧 や 狩 猟 を 主 と し た 地 域 を 念 頭 に 置 い て い る。 た だ, 両 者 が 従 来 の よ う に, 対 立 的 に 捉 え ら れ る の で は な く , 両 地 域 に ま た が っ て 各 王 朝 が 成 立 , 移 動 , 征 服 と い っ た 歴 史 展 開 が 位 置 づ く こ と が必 要 で あ る。 い わ ば , 相 互 補 完 的 に 中 華 文 明 を 築 き 上 げ て い っ た 主 体 で あ る と す る 見 方 で あ る 。 ま た ,( 3 ) ∼ ( 6) の 海 域 圈 は, 濱 下 武 志 の モ デ ル を 参 考 に し た海 域 区 分 で あ る。 こ れ ら 海 域 は, 文 化 的, 政 治 的 に マ ー ジ ナ ル な 領 域 で あ り , 冊 封 体 制14)の 強 弱 と 連 動 し て, 歴 史 上 に特 有 の姿 を 現 す も ので あ る。 と 同 時 に, ヘ ゲ モ ニ ー拠 点 の変 遷 を 示 す カ ギ に も な る が, 陸 上 か ら海 上 へ と シ ス テ ムが 変 換 し て い く 過 程 が こ れ に よ っ て 明 ら か に さ れ る。 加 え て , 従 来 の 内 陸 中 心 の歴 史 観 を 改 めて , 海 か ら の 視 点 を 導 入 す る こ と と も な る の で あ る。 (3) 世 界 シ ス テ ム理 論 の 応 用 従 来 か ら, 東 ア ジ ア の国 際 関 係 を 秩 序 づ け る も の と し て , 西 嶋 定 生 の冊 封 体 制 理 論 や 濱 下 の朝 貢 交 易 体 制 理 論 が ク ロ ー ズ ア ップ さ れ,15)実 際 に 授 業 モ デ ル な ど も開 発 さ れ て き た。1,)ま た , 高 等 学 校 匚世 界 史 」 の 教 科 書 に も, 最 近 は記 述 さ れ る よ う に な って き て い る。17)こ こで は, こ れ を 世 界 シ ス テ ム の一 部 , す な わ ち サ ブ ・ シ ス テ ムと して 扱 い , 世 界 史 構 成 に利 用 す る こ と を 提 案 す る。 冊 封 と い う 概 念 は, ど ち ら か と い う と 政 治 的 な も の で あ り , 朝 貢 は 経 済 的 な 部 面 で 用 い ら れ る こ と が多 い が, Wallerstein の言 う よ う に , 世 界 シ ス テ ム は, こ う し た 政 治 , 経 済 の 各 領 域 を ク ロ ス・ オ ー バ ー し た概 念 で あ る と 同 時 にj8 )富 の 集 積 の 道 筋 を い ろ い ろ な 側 面 か ら説 明 す る と ころ に 意 味 が あ る。 ま た, Frank も , 世 界 シ ス テ ム の 概 念 そ の も のを 拡 張 す る こ と を 訴 え て お り,19)冒 頭 で 紹 介 し た筆 者 の モ デ ル も, 覇 権 移 動 と い う と こ ろ に そ の手 が か り を つ か ん で い る。 以 上 の よ う な 意 味 か ら, こ の冊 封 ・ 朝 貢 交 易 体 制 「以 後 , 古 厩 の説 を 用 い 匚冊 封 シ ス テ ム」 と 記 述 す る 戸 )を そ の ま ま, シ ス テ ム の中 核 = 辺 境 = 半 辺 境 と い う モ デ ル に当 て は め, そ れ ぞ れ の 領 域 の消 長 や 移 動 の 状 態 を 考 慮 に入 れ な が ら, 具 体 的 な 世 界 史 構 成 の モ デ ル に 繋 げ て い く と い う 手 順 を と る。 東 ア ジ ア の 中 核 地 域 を ど こ に 置 く か と い う こ と に つ い て は, 黄 河 流 域 か ら長 江 流 域 に あ た る地 域 を 中 心 に す る こ と で ほ ぼ 一 致 す る で あ ろ う。 清 や 元 な ど , い わ ゆ る征 服 王 朝 も, こ の 地 域 を 政 治 基
盤に,周辺諸国,諸地域に号令したことは明らか である。 それでは,辺境地域はどこになるのか。これは, 当然中核との政治的,経済的関係によって変化す る訳であるから,基本的に,現在の国家領域にお いてその属領となっている地域,さらに領土的に はいくつかの国家の支配の変遷を受けながら,従 属の度合いを強めていった地域,時代によって半 辺境から辺境の立場に変転していった地域などが あげられる。例えば,朝鮮半島地域は,歴史的に ほぼ全時代を通じて半辺境の立場であったが,明 治から大正期の日本帝国による侵略・支配の結果 辺境化していったと見ることができる。逆に日本 は,そのほとんどが半辺境の位置にありながら, 近代に入って中核の座を中国と争い,東アジア世 界の唯一の盟主として,冊封システムに代わ・る植 民地主義の導入によってこれを実現しようとした と捉えることができる。 また,半辺境と中核の間,すなわち辺境地域に 本来位置しながらも,中核地域や半辺境地域の力 の低下に伴い,独自の文化を現出したり,交易に よって一挙に繁栄の極に達したりした地域21)も ある。こうした地域は,東アジア地域では,もっ ぱら日本と中国に挟まれた海域を中心とする領域 があげられるが,歴史の進展に伴い,これらが独 自の位置を占め,尚かつ隣接する大国によって支 配・従属させられていく過程が世界史構成の中に 位置づくことが重要である。対馬や琉球,サハリ ンや台湾など,倭寇や海賊といった両属的集団の 拠点として歴史の舞台に登場させることによって, 今までとは異なる視点,大国中心でもない,従属 国からのそれでもない,第三の視点が確保できる こととなるのである。22) (4)東アジアの外部世界 東アジア地域をどこからどこまで指すのかとい う問いについて,明確な答えを出すことはできな い。ここで言う東アジアという表現はレ世界の一 体化の中で捉えたものであり,もし,明確に東ア ジアの領域を確定したなら,文化圏学習と同じ弊 を生み出すからである。23)あくまでここで扱って いる領域は,広くユーラシア大陸にまで及び, Hodgsonがアフロ・ユーラシア複合体と名付け たものの一角にすぎないという意味であり,時代 により変化するものだからである。強いて言うな らば,漢字や儒教など,中華文明と従来呼び慣ら わしてきているいくっかの特徴をもつ領域という ほどの意味で用いている。24) 東アジアと北アジアを分けた基準は,その地理 的な違いを表すものであって,農耕世界と遊牧世 界といった生活の違いを意識したものである。と ころが,従来,農耕文明=中華文明=文明の中心, 遊牧世界=辺境地域=野蛮な地域といった対立的 な東アジア世界史像が横行してきた結果,先述し たような様々な問題25)が取り残されてきたので ある。ここで表現しようとしているのは,広く中 華文明と呼びうるものは,遊牧地域と農耕地域と の共存や軋轢の中から生み出されたものであると いうことと,両者はけっして対立的なものではな く,相互補完的な関係にあるということなのであ る。 さらに,北アジア地域は,内陸ルートによって むしろ歴史的にイスラム圏やヨーロッパとの結び つきが強く,東アジア地域も,南部臨海地域と北 京を中心とする地域とでは,異なる文化と経済に よって支えられてきた地域であるという見方が優 勢なのである。26)しかも,この南部臨海地域こそ は,東シナ海域や南シナ海域を通じて,東南アジ ア,インド地域に直接つながっているのであ る。27) こうしたことから,東アジアの外部世界とここ でいう東アジア世界との接点にあたる部分は重複 したり,時代によって変化したりする不安定なも のであるということが分かる。冊封システムが, この領域でのヘゲモニーの範囲を表すのと同じく, 周辺地域ではイスラム共同体にも同時に所属して おり,この重なった地域をどちらかに分離するこ とはできないのである。 しかし,ヘゲモニーの中心とそこからの距離と が,時代によって変化するのと連動して,この両 属的部分が,歴史上に特有な姿を表す点にむしろ 注目したいのである。先に示した四つの海域も, 同様の意図で設定している。 以上のことから,東アジアの領域について確定 できないのと同じく,その外部世界も確定するこ −68−
とはできない。ただ,歴史を通じて,一つのまと まりを形成する領域的に弾力的なエリアとして, インドを中心とする世界,西アジアを中心とする 世界などが存在し,ここで言う東アジア世界も, それらの一つであるということである。28)しかし, あくまでもエリア同士は相互可侵的,弾力的なも のであり,アフロ・ユーラシア複合体のそれぞれ のパートに過ぎない。 (5)ヘゲモニーの消長 以上のような歴史学上の成果に基づいて,小中 華世界としての半辺境国家による支配領域と,中 核部である中華世界との関係,また海域部を中心 とする辺境地域の力関係を概念化したのが図3で ある。 紀元2世紀の段階では,中華世界としての中核 部は中国中部と北中国に形成されており,周辺に は小中華世界はまだ誕生していない。 5世紀にな ると,朝鮮半島や日本列島に中国との冊封関係を 拠り所にした政権が誕生してくる。これらは8世 紀には支配領域を広げ,国家体制を中国の政権を 2C 北アジア 東アジア 環日本海 環シナ海 環オホーツク海
二珂
5C
圧口匝コ
8C 10C 匹 匹 朝鮮半島 日本列島匝]
囲三回]
[引戸
匝
口匡]
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13C ・ 亘 15C 17C 20C前二戸二 匝
引垂三白
清
回引 三
匣睡 戸コニ ニ三
図3 冊封システム内のヘゲモニーの消長 14C 内陸部 口 海洋部 図4 ヘゲモニーの変遷 まねて完成させる。しかし,唐という国際的ヘゲ モニー国家によって冊封システムにつなぎ止めら れ,日本の政権のみがややこれと一線を画してい る。 10世紀には再び中核部の政治的影響力が失われ, 朝鮮半島には高麗が,日本には平安政権が独自の 文化を創造しようとしている。次の13世紀は元の 時代である。ユーラシア大陸に広く号令し,その 威令は北海道にも及び,しばしばアイヌと交戦す るに至っている。29)また,鎌倉政権は東北地方に 支配の手を広げてきている。30) 15世紀には明か海洋部に進出し,その前後に活 発となった倭寇勢力を一掃することに努力する。 また李氏朝鮮や室町政権は,明の冊封システムを 受け入れながら,独自な国家発展を目指している。 17世紀になると,海域部の独自性や両属的性格は 失われ,清,李朝,江戸幕府といった,近代以後 の国家領域を完成させる国々によって牛耳られて しまう。薩摩や松前を通じて,琉球や北海道が日 本政権の辺境として位置づけられるのもこの時か らである。 20世紀には,こうしたアジアの伝統的な諸国家 は,ほとんど日本帝国によって従属させられてい くこととなる。この時期には,中国を中心とした 冊封システムに代わって,欧米勢力が持ち込んだ 自由貿易体制が東アジアを席巻することとなり, 日本帝国はいわばその先兵として既存の冊封シス テムを打ち壊す主体となったと考えられる。これ 以後の時期を古厩は「 ̄日本植民地システム」の時 代31)としているが,後述するように20世紀前半 をこの概念で説明する。 (6)ヘゲモニーの変遷 図4は,東アジアにおけるヘゲモニー中心領域 の変遷を示したものである。 14世紀のモンゴル支 配の終了とともに,ヘゲモニーの中心拠点が内陸 部から海洋部へと変化したことを表している。そ れに伴って,世界大の交易網が海洋部へ移動する。 海域部がオホーツク海から日本海,シナ海,イン ド洋へとつながり,その道筋を通ってイスラムや ヨー卩ッパの商人が商業上の利益を欲して争うこ ととなるのである。 しかし,最終的にヨーロッパ勢力が持ち込んだ −69−自由貿
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。
3。東アジア世界史構成モデル 以上のような理論的前提に基づいて,東アジア の世界史構成のモデルを開発する。図5の最上部 左側に示されているものは地理的な区分である。 北アジアには,西域やチベットは含まれていない。 また,東アジアは概ね中国中部を表しているが, 南部の臨海地域は海域部に重なっており,海域部 の中には朝鮮半島や日本列島も含まれている。右 端の関係・特色は,この時代の特徴点や指導上の 留意点,それぞれの地理区分相互の関係について 記したものであるO まず,漢代に初期冊封関係として特徴づけられ る東アジア世界は,黄河流域の政権と北方遊牧地 帯との力関係から,一つの中核部分を形成してい く。周辺に位置する倭などは,国内の勢力争いに 勝ち抜くために,進んで冊封を受け入れ,この体 制内に編成されていった。以来,中核部分は基本 的に北アジアと中国中部との間を複合的に行き来 し,ヘゲモニーの中心拠点として14世紀頃まで変 わらない。ただし,その中心領域の地理的大きさ や,中心部の微妙な移動は,時代とともに変化し ていく。 これらヘゲモニーの変化は,13世紀から14世紀 にかけての元王朝の衰退と東アジア全般の混乱の 後に現れる。東西の交易路は,内陸部から海域部 へと大きく変化し,それに伴いヘゲモニー拠点の 移動も行われたご)交易比重の変化に伴い,北ア ジアや内陸アジアの世界経済上の重要性が衰え, 代わって,インド洋や南シナ海にそれが移ってい く。図の中の実線枠は,そうしたヘゲモニー領域 の変化を概念的に表したものである。その交易の 形態を示すものとして,( )の中に主なルート を記入している。33) 長安や洛陽を起点に,内陸貿易がユーラシア中 央部へと広がっていたネットワークが,元王朝期 前後より,北京経由北方遊牧ルートへとシフトし, 同時に中国臨海部経由,インド洋交易の活発化と 並行して,世界規模の交流が一気に加速化してい る。 それまでの時期の海域部は,基本的に半辺境と 辺境を含み,中核部の文化的,政治的影響を受け ながらも,独自な歴史展開を演じており,しかも 相互に対立,抗争をくり返している。中核部の力 を利用することで,この地域の支配政権が確定し, 中核部の力が弱体化すると共に,政権の変化が生 じる。台湾や琉球など海域部では,こうした半辺 境国家と,中核地域の強化された時期は逆に辺境 化し,弱体化していく中でこれらの支配領域に組 み込まれていく。 例えば,元から明への混乱期と,日本での南北 朝動乱期に,琉球地域がにわかに活況を呈し,室 町時代後期の日本政権の弱体化と連動して,この 地域の大交易時代がやってくる。34)また逆に,清 (北アジア) 2C 4C 8C 13C 14C 15C 16C 17C 18C 奴 (東アジア) 湊 (内陸交易黄河遊牧地域) 五胡十六国 ウイグル 唐 (内陸交易長安∼西域) 西夏 遼 。 |宋 (内陸交易大都遊牧地域) 元の混乱 (海域部) 倭 〈関係・特色〉 一 初期冊封関係 百済・新羅・高句麗・倭 中核地域の分裂と 半辺境国家の成立 渤海・新羅・日本 対立抗争と, 日本の小中華化 ① ベトナム高麗日本 倭冠の活動 (海上交易の進展) | 明 琉球李朝日本 〈ヘゲモニーの移助〉 (環南・東シナ海交易) 明の混乱 後期倭冠 日本侵略 (広州∼台湾長崎 琉球薩摩 オホーツク松前) ロシア 李朝 日本 (交易にヨーロッパ勢力が参加) 中核地域の分裂 ② ヘゲモニー拠点の 一ー元ツ化クと進,出元のオホ 元混,高乱と海域麗,日本の部の自立 琉球の繁栄とヘゲモ ニーの移動 中核地海域部域のの繁混乱栄と 混乱から抜け出した 半辺境日本の,中核 システムへの挑戦 中核地海域部域のの再編安定成と 伝統的冊封体制と, ヨー貿易体ロッパ制の型対立自由 19 初20C頭 ヨーロツ・囑力 日本帝国 半戀1辺境想j?日本)?の戀ま中核参入 図5’東アジア史構成モデル −70−王朝
や徳
川
幕府
,李
王朝の
政権
が強
化
整備
され
た
時には
,琉球
は
薩摩
藩
の植
民地
支配
を
受ける
事
に
な
り
,明治
政府
の
成
立
と共に
,北海
道
が
日本
に編
入
され
てい
くの
であ
る
。
最
後の
,19
世
紀か
ら20
世紀
にか
けての
時代は
,
東ア
ジア
での
主流
と
なる
世界
シス
テム
が
大き
く変
化す
る
こ
とで特
徴
づ
け
られ
る
。35)
それ
までの冊
封
シス
テム
に
代わ
って
,
ヨー
ロ
ッパ
を起
点に
した資
本
主
義
的
自由貿
易体
制
が
この
地
域全
域
を覆
い
,ヘ
ゲモ
ニ
ー
の
中
心も
,内陸か
ら海
洋へ
と移
行
す
る
。
今
ま
での
辺
境
地域
で
あ
った
太
平洋
を経
由
して
,近
代国
家
形成
競合
シス
テム
が
大
陸へ
と押
し寄
せ
,そ
の
先
兵
と
して
,
日本
は
中核の
座
を占め
よ
う
と
,朝
鮮
や
台湾
,北海
道や
沖
縄
な
ど半
辺境
,辺境
地域
を
その
植
民地
に押
さえ
,従
来の
シス
テム
を軍
事
力に
よっ
て
打ち
壊
して
い
く
。この
変
化の
中で
,今
ま
で
の
辺
境領
域
で
ある太
平洋は
,一
気に
中核部
分
を
東
西
で結
び
っげる
結節
点
となる
。す
なわ
ち
,西の
日
本
帝
国
と
,東の
ア
メ
リカ
合衆
国で
ある
。第
二次
世
界
大戦
は
,これ
ら二
つの
中核
国家の
争
い
と見
る
こ
とが
で
きる
。
4。東アジア史単元構成モデル 最後に,前述の構成モデルに基づき単元構成の モデルを提示する。次頁の表2がそれであるが, 大きく第1部と第2部とに分けてある。これは, 前半の内陸部にヘゲモニーの中心拠点があった時 期と,それが海洋部へと移動した時期とに明確に 分ける意図を持っている。 第一章は,黄河と長江流域に出現した古代文明 についての章であるが,ここでは後の中華世界成 立の萌芽を感じさせることをねらいにする。第二 章では,東アジア・サブ・システムの中核部を形 成することになる中国中部農耕地帯と,北部遊牧 地帯との力関係が実は相互補完的なものであり, これら二つの複合化されたものが,第1部の歴史 展開の原動力となることを理解させる目的かおる。 またそれとともに,海域部を中心として進んで冊 封システムを受け入れようとする朝鮮半島,日本 列島の国も登場する。 第三章は,中核部の対立抗争の激化,すなわち 弱体化に伴って,海域部での国家形成が進む過程 を捉えさせる。特に,朝鮮半島の三国と日本列島 の倭政権とが,同じように中国の影響を受けなが ら国家支配を強めていくことに主眼が置かれる。 第四章は,逆に中核部が強大となり,周辺地域 に大きく影響力を増す時期である。新羅や渤海, 日本列島に出現した日本政権は,唐との関係を深 めながらも自立した小中華世界を現出しようとす ることで,一定の距離を保っている。そうした過 程において,中核=半辺境=辺境という構図がはっ きりしてくる。沿海州北部のツングース系諸部族 は,ウイグルや渤海との力関係の中から辺境化さ れ,日本列島東北地方は,日本政権との関係から これも辺境化されていく。 第五章は,再び中核部が混乱する中で,連動す るかのように高麗王朝の誕生や日本での武士によ る政権の登場を描いている。ここでは,半辺境国 家が支配の領域を辺境部分に拡大し,小中華世界 をさらに揺るぎないものにするため,文化的な努 力を行ったり,朝廷の華夷秩序を利用しながら武 家支配を正当化させていく努力のあとを考えさせ ることをねらいとしている。前者の例として高麗 大蔵経の編纂があげられるであろうし,後者は鎌 倉政権と京都政権との緊張関係,また東北地方へ の鎌倉武士の進出があげられよう。 第六章は,モンゴル勢力による大陸支配が,東 アジアの伝統的な冊封システムを呑み込んでしま う時期として描かれる。東アジア一円を内藩国と して組織しようという元の意図が,ベトナムや日 本,オホーツク海周辺で挫折し,その後急速に求 心力を失っていく過程を,チャガタイやキプチャ クなど,他のモンゴル征服国家と関連させて考え るとともに,北海道を中心とした北方世界の独自 な動きにも注目させることをねらいとしている。 次の第2部は,海洋にヘゲモニーの中心が移動 する時代である。第7章は,強大なモンゴル支配 による混乱と,それに対する抵抗の結果,半辺境 国家群の政治権力に乱れが生じ,これら小中華世 界に閉じこめられていた辺境の領域が活発に動き 出す時期として捉えている。高麗は末期の混乱時 代を迎え,日本では南北朝時代を挟んだ激動の時 代へと突入する。その前後では倭寇の活動が活発 化し,日本の東北地方を中心にして北海道アイヌ ― 71表2 東アジア史単元構成モデル 第1部 内陸部を中心とした世界 第一章 古代文明(黄河文明,長江文明) 一第二章 遊牧国家と農耕国家との拮抗 1.中核部の成立(秦,漢) 2.初期冊封システムの成立 第三章 中核部の衰退と周辺での国家建設 1.三国時代から南北朝へ 2.半辺境国家の対立 (百済・新羅・高句麗・倭) 第四章 冊封システムの発展 1.随・唐とウイグル 2.小中華世界と辺境の支配 第五章 中核部の分裂 1.遼と宋 2.高麗と鎌倉政府 第六章 世界帝国元の支配 1.元の大陸支配 2.海域部での抵抗 第2部 第七章 元の海洋を中衰退心とと小した中華世世界界の混乱 1.元の衰退 2/小中華国家の弱体化と倭寇の活動 第八章 新しい冊封システム 1.明と海禁政策 2.琉球・李朝一室町政権 第九章 冊封システムの混乱 1.後期倭寇と明 2.日本の戦国時代と明への挑戦 第十章 世界交易と鎖国体制 1.ヨーロッパ勢力の交易 2.鎖国体制と管理交易 3.港市と領域国家 第十一章 冊封システみ対近代国家形成競合 システム 1.欧米の開国要求と東アジアの対応 2.日本の開国と冊封システムへの挑戦 第十二章 日本植民地システムの時代 と連携する動きも観測される。ヘゲモニーの消長 によって,国家領域が弾力的に伸縮し,その狭間 で辺境地域が活発化することを考えさせることが この章のねらいである。 一 第八章は,明の出現によって,海禁政策という 名の下に新しい冊封システムが打ち立てられてい く時期を描く。その中心の一つになるのが琉球で あるO李氏朝鮮や室町幕府と肩を並べる小中華世
界
を
目指
して
,琉
球は
海
上
交易
に
よ
って
大発
展
を
遂
げる
。シス
テム
の
中での
,辺
境や
半
辺
境
とい
っ
た
立
場の
可
変性
を
ここで
は
考
え
させ
た
い
。それ
と
同
時に
,
明
を盟
主
と
した
シス
テム
の
枠の
中に
あ
り
なが
ら
,
自立
した
小
中華
世界
を模
索
しよ
う
と
した
室
町
政権
を
,世
界
史の
レベ
ル
で位
置
づけ
る
ことも
可能
で
あ
ろ
う。
第
九章
は
,中核
部の
変
動
と
日本
に
おける
混
乱
,
その
後の
日本の
朝
鮮
出兵
を扱
う
。これ
は
,小
中
華
世
界
と
しての
日本の
弱
体
化
(天
皇や
将
軍
と
いった
伝
統
的権
威の
失
墜
)の
後
,豊
臣氏に
よる再
統
一に
よ
って
,一
時
的にせ
よ冊
封シス
テム
の
盟
主に
日本
が
挑
戦
した
時期
と捉
える
こ
とが
で
きる
。半辺
境
国
家
が
中核の
座
をね
ら
い失敗
した
事例
と
して考
え
さ
せ
た
い
。
第
十章
は
,中核
=
半辺
境
=辺
境
と
いった
冊
封シ
ス
テム
が
再び
機
能
しだ
すが
,
日本
をは
じめ
小
中華
化か
さ
らに進み
,お互
い
同士の
つな
が
りは
外
交的
儀
礼
にの
み
限
られ
て
い
く時期
と
見
られ
る
。そ
う
し
た
中
で鎖
国体
制が
採
られ
て
い
くの
で
ある
。琉球
や
北
海
道
とい
った
両属
的
地域
は
,
しだ
いに
この
小
中
華
世界
に
取
り込
まれ
て
い
き
,海域の
交
易は
も
っぱ
らポル
トガル
,オ
ラ
ンダ
をは
じめ
とする
ヨー
ロッ
パ
勢
力に
牛
耳
られ
る
よ
うに
な
る
O海
上交
易は,
犬
南
シナ
海
やイ
ン
ド洋周
辺
に
お
いては
,
ヨー
ロッパ
勢
力に
よる港
市
獲得
戦
争
と
い
う特色
を持つが,36
)
環
日本
海
,環シナ
海
周
辺
では
厳格
な
国
家管
理
に
よ
り
行われ
る
。
これ
が
鎖
国体
制
に
つな
が
って
い
くの
で
あ
るが
,
自由貿
易
を標
榜
す
る
ヨー
ロッパの
シス
テ
ム
と
,冊
封シス
テム
との
併
存
した
状態
と
して
この
時代
を捉
え
させる
こ
とをね
らい
とす
る
。
第
十
一章
は
,冊
封
シス
テム
が
自由貿易の
名の
下に
,近代
国家
形成
競合
シス
テム
に呑み
込まれ
て
い
く過程
を捉
え
させ
る
こ
と
をね
らい
とす
る
。その
先
兵
と
しての
日本の
役割
が
,いち
早
くこの
新
しい
シス
テム
に
自ら
を
同化改
変
させ
て
い
くこ
とに
よ
っ
て
,半
辺境の
位
置
か
ら
中核へ
駆
け
上が
ろ
うとす
る
努
力の
現れ
で
ある
こ
と
を理解
させ
る
。李
氏朝
鮮や
清
に
対す
る
日本の
要
求
と
,伝
統
的
な冊
封シス
テム
の
理
念か
ら
くる
これ
らの
国
々め
日本
に
対す
る
要
求
と
違
を対比
いが
明
らか
させ
る
に
され
ことに
る
。その
よ
っ
て√
結
二
果
つの
,
この
シス
後の
テム
大陸
の
−72−に
おける
日本
と欧
米
との
対
立
,戦
争へ
と歴
史
を
つ
な
げて
い
く
ことが
で
きる
。最
後の
第
十
二章
は
,日
本
植
民
地シス
テム
とい
うサ
ブ
・シス
テム
が
,その
中に
多
くの
矛盾
をは
らみ
っつ
,戦
争に
よ
って
崩壊
して
い
くと
ころ
を描
いて
い
く。
5おわ
りに
ここ
では
,東ア
ジアの
新
しい
世界
史の
構
成
原理
に
つい
て
,一
つの
提
案
を行
った
。そ
の
中
で
,東ア
ジ
ア
世界
は
,
多くの
海
域や
地域の
集合体
で
あ
り,
決
して
近代
的
国家の
枠にの
み
とら
え
られ
る
もの
で
は
な
い
こ
と
,冊
封シス
テム
によ
っ
て
これ
らは
有機
的に
結び
あっ
て
いる
こ
と
,その
中
では
支配
と被支
配
の
ダイナ
ミズム
が
貫徹
してい
る
こ
と
,中
国史に
お
いては
,遊
牧地
域
と農
耕
地域
とが
相
互補
完
的に
文化
を築き
上
げて
い
った
こと
,琉球
や
北海
道
,オ
ホ
ー
ツク
海
域
な
ど
,マー
ジナ
ル
な領
域
も
,独
特の
文化
と歴
史
を発
展
させ
て
いた
こ
とな
ど
,
多
くの
点
を明
らか
に
した
。
これ
に
付
随
した
,具体
的
な授
業
案の
作
成が
今
後の
課
題
と
して残
るが
,
日々の
授
業
実
践の
中
で考
究
して
い
きた
い
。
多
くの
ご意
見や
ご
批
判
を期
待す
る
と
こ
ろで
ある
。
〈注〉 1)拙稿,「多元的価値に基づいた『世界史』構 成の開発」社会系教科教育学研究,第8号, 1996年参照。 2)原田智仁「探求的歴史授業の教材開発−『7・ 8世紀の東アジアと日本』−」社会科研究,第 38号, 1990年。 同,「文化交流圏としてのサハラー新しい世 界史学習の構想−」社会科教育研究,第62号 1990年o 3)拙稿,前掲論文。4) Afro-Eurasian Complex (in: M.G.S.Hodgson, Rethinking World History, Cambridge
University Press, New York, 1993.) 5)従来の陸地からの視点だけではなく,海洋か らの視点の導入が声高に叫ばれている。例えば, 川勝平太編『海から見た歴史』藤原書店, 1996 年。星村平和『いまなぜ新しい史観か』明治図 書, 1997年参照。 6)杉山正明『遊牧民から見た世界史』日本経済 新聞社, 1997年, p32.参照。 7)二谷貞夫厂歴史教育の課題としての東アジア 史像(」『環日本海叢書3,東北アジア史の再発 見』古厩忠夫編,有信堂, 1994年,p.73) 8)村井章介匚倭寇の多民族性をめぐって一国家 と地域の視点から」(『中世後期における東アジ アの国際関係』大隅・村井編,山川出版社, 1997年。 pp.29-66) 9)中村和之匚十三∼十六世紀の環日本海地域と アイヌ(同書,」 pp. 145-178) 10)民族的アイデンティティの形成は,本来他民 族との混住や葛藤の中で形成される。漢民族の 移住が四川や中国東北部に及んだのは,十八世 紀以降のことである。例えば,江夏由樹「清末・ 旧奉天省における地主制の再編成一官荘地等の 払い下げ問題との関わりから」,山田賢「中国 移住民社会における地域秩序の形成一四川省・ 18∼20世紀」(ともに『アジア史からの問い』 史学会編,山川出版社, 1991年所収)参照。 11)茂木敏夫「中華世界の『近代』的変容一清末 の辺境支配」(『アジアから考える2・地域シス テム』溝口,腋下ら編,東京大学出版会, 1993 年, pp.269-299)参照0 12)杉山正明は,民族や国家といった近代的概念 を前近代にまで持ち込むことによって,こうし た対抗図が形成されることを示唆している。 「遊牧帝国」というものも,その中には当然農 耕民も,商業民も含まれるのである。(杉山, 前掲書,pp.26-32)参照。 13)腋下武志「歴史研究と地域研究」(『地域史と は何か』腋下,辛島編,山川出版社, 1997年, pp.16-52)参照。また,匚環日本海」という表 現について,特に韓国の研究者からの批判は承 知しているが,古厩忠夫の説を用い,マテオ・ リッチの『坤輿万国地図』の表記に準じている。 (古厩編,前掲書) 14)西嶋定生『邪馬台国と倭国』吉川弘文館, 1994年。 15)他に,腋下武志「東アジアの朝貢貿易と琉球 大交易時代(」『南海の王国 琉球の世紀一東ア ジアの中の琉球』角川選書, 1993年, PP-47-― 73
64)参照。 16)中学校での歴史授業例として,『歴史授業の ワールド化』星村,原田編,明治図書1996年, がある。 17)例えば,平成10年度版『新世界史A』清水書 院などがあげられる。 18) LWallerstein f近代世界システムI』川北稔 訳,岩波現代選書, 1981年, p.16,参照。 19) A.G.Frank and B.K.Gills, The World System, Routledge, New York, 1993.
20)古厩忠夫は,19∼20世紀の東アジアを,それ 以前の「冊封関係システム」と対比しながら 「近代国家形成競合システム」の時代とし,そ の後の日本帝国の植民地支配の時期を,「日本 植民地システム」’と捉えている。古厩忠夫「環 日本海地域の歴史像 歴史認識の共有空間拡大 のために」(古厩編,前掲書, pp.3-26) 21)後に述べる琉球地域や,対馬を中心とした海 域部がそれにあたる0 22)例えば,社会学者の橋爪大三郎は,世界像を 深く理解するためには,三つの視点が必要であ るとする。竹田青嗣,橋爪大三郎『自分を活か す思想 社会を生きる思想』径書房, 1994年, pp,154-1550 23)これでは,縦割り学習の改善につながらない0 24)従来,漢字文化圏と呼んでいるのも,これに 当たる。 25)大林太良は,中国を,中国本部,モンゴル, 中国東北部,チベット,新彊に分けたが,ここ ではより単純化し,チベットや新彊は一応除外 して考民族のえている興亡』日本経済新聞社,。大林太良,生田滋 1997『東アジア年, pp.19-23. 26)同書, pp.44-45参照。 27)ダウ船を改造したジャンク船の活動がそれを 物語る。 28)ここでは,Abu-Lughodのモデルを念頭に置
いている。 J. L. Abu-Lugho d, Before European Hegemony, Oχford University Press, New York, 1989. 29)中村和之,前掲論文,参照。 30)人開田宣夫編『中世奥羽の世界』東京大学出 版会, 1979年,参照。 31)古厩忠夫,前掲論文,参照。 32)Abu-LughodやFrankの理論を用いている。 33)生田滋によれば,中国の政治の中心が西安か ら北京に移動したことは,中国とユーラシア西 部との交易ルートが変化し,モンゴルや中国東 北部との関係が緊密になったこと。また,これ は中国の経済力が飛躍的に増大したことを示し ているとする。大林,生田,前掲書, pp.142-143 o 34)世界システム下での,中核と辺境との関係は, 中核部の勢力の強弱によって,辺境地域への国 家支配の膨張や縮小が行われる。佐藤幸男厂ア ジア地域国際関係の原像」(溝口,腋下編,前 掲書, p.22)参照。 35)いわゆるウェスタン・インパクトではなく, 19世紀までのヨーロッパ商人は,一応朝貢交易 体制に参入する形でこの地域にやってきた。腋 下は,近代の日本の中国に対する対応を,「脱 亜入欧」ではなく,「容欧入亜」としているが, その後の歴史展開は,既存の冊封体制に対する, 日本やヨーロッパの挑戦という振る舞いを見せ ているのは明らかである。腋下武志,前掲書, 参照0 36)安野眞幸,『港市論』日本エディタースター ル, 1992年,参照。 ― 74 ―