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小学校英語学習における認知的側面 : 認知的発達段階に即した学習とその促進

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Academic year: 2021

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(1)小学校英語学習における認知的側面.    一州知的発達段階に即した学習とその促進一. 山 岡 俊比古* (平成19年6月13日受付,平成19年9月10日受理).       On the Cognitive Aspects of English Language Leaming                  in Elementary School: Efficient leaming of English in congruence with cognitive developmental stages of the students. YAMAOKA Toshihiko*  This article discusses how English leaming by Japanese public elementary school students and its teaching can be optimalized taking into account the restrictive na棚re of their Ieaming enviro㎜ent and the pa質icular shi丘in their cognitive development. It is claimed firstly that the goal of leaming should be set on the Ievel of English that is necessary only fbr. basic self」expression rather than on communicative competence of the language. Secondly it is emphasized that the students need to have a sense ofprogress in their leaming of English through the process of attaining abstraction of linguistic constructions. which goes hand−in−hand with the particular shifhn their cognitive development and thus can guide the students to avoid the wall at age nine. It is thirdly stressed that in accordance with increasing self−awareness of these students, leaming activities. must be more and more of the type involving selFinvolvement towards upper grades, Key Words:Engl童sh in elementary school, basic selrexpression, wall at age nine, abstraction of constructions, self−involvement. 1.はじめに. (second language acquisition)に対比される外国語学習.  本論では,公立小学校で学ぶ日本人小学生が教室にお. (fbreign language leaming)が持つ一般的な特徴ではある. いて外国語としての英語を学習するとき,それを助長し. が,本論で議論の対象とする小学校での英語学習が,週. 促進するために行われる教育的働きかけ(pedagogical. 1時間以下というきわめて厳しい時間的制約のもとで行. intervention)を効果的.にするために考察しなければなら. われることは,その学習の目標溢血も含めた検討におい. ないさまざまなことがらのうち,学習者の認知的な発達. て大きな影響を与える。. 段階に関連することを取り上げて議論する。.  上で前提とした条件下で行われる公立小学校での英語.  議論の前提として,これから公立小学校で行われよう. 学習およびその教育の目標に関しては,大きく見て2つ. としている英語教育の実体を,3年生および4年生の中. のとらえ方がある。1っは,これまで総合的な学習の時. 学年では総合的な学習の時間のうち年間20単位時間程度. 間内で行われて.きた外国語(英語)会話の目標がそうで. を英語活動に当て,5年生および6年生の高学年では. あったように,国際理解教育をその目標とする立場と,. 「英語」という領域を新設して,年問35単位時間(週1時. もう1つは,英語そのものの学習を目標とする英語力向. 間)を英語教育に当てて行われるものとする。この前提. 上を目指す立場である。しかしながら,前者の目標に関. は,中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会外. しては,英語学習と国際理解の相互関係が不明確なこと. 国語専門部会が2006年3月27日付けで提出した報告書. に加えて,国際理解教育の根幹に関わる多文化主義と多. 「小学校における英語教育について(外国語専門部会にお. 言語主義から大きく逸脱した英語優越主義を育ててしま. ける審議の状況)」に基づいてなされている一般的な予測. う懸念(大津・鳥飼2002,大津2004)(。・(2),国際理解教. によっている。. 育は英語だけが請け負うべきでなく(津田2004)(3),日.  したがって,本論で行う議論は,公立小学校において. 本語で行った方が効率的であるとする指摘(鈴木19991. 日本人小学生が中学年から高学年にかけて,教室という. 98)(4)などの十分に説得的な議論によって,もはや正当化. 環境の中で,きわめて限定された時間の中で行う外国語. できないものと判断できる。. としての英語学習とその教育を対象とすることになる。.  一方で,英語力向上を目指すべきだとする後者の立場. このような環境的限定性は,.いわゆる第2言語習得. についても,時間的制約からその実現は期待できないと. *兵庫教育大学(Hyogo University of Teacher Education). 一75一.

(2) する主張がある。この主張は,公立小学校への英語の導. 学校文化が変わりつつあることである。. 入を検討すべく1990年代から始められた研究開発学校等.  第1の価値は,小学校の先生たちがこれまでの英語教. における先行的な実践の結果にも裏打ちされている。た. 育の枠を超え,子どもと英語の多様な関わりや出会いを. とえば,1992年から始まった研究開発学校の研究成果に. 作ろうとし,その結果,活動において,単なる英語の練. ついては,そのほとんどが3力年の英語学習をとおして. 習ではなく,目的を持って英語を使うというコミュニケー. 子どもたちの英会話能力は十分に身についたとはいえな. ションが子どもに体験されているという点に見いだされ. いことを示し(渡邉1999)(5),英会話の伸びという点で. る。. は期待はずれである(渡邉2000a)(6>。同じ趣旨の記述が.  第2の価値は,「外国語としての英語を努力して使って,. 松川(2000)(7)にも見られる。渡邉(2000b)(8)は「本当に. ALTと生ぎ生きとコミュニケーションを図っているひと. 英語力を会話というレベルでっけさせようとするなら,. りの大人としてのモデルが,学級担任に果たせるし,ま. 週1回くらいの時間では無理なことは明らかです」と明. た果たすべきロール・モデルであると思う。英語が滑ら. 言している。. かに口から出てこないにしても,堂々とALTと話し,楽.  小学校から英語学習を始めれば,少なくとも英語の発. しそうに付き合う担任の姿から,英語は決して難しいも. 音がよくなるとする一般的な期待もあるが,これについ. のでも,特別のものでもないことを子どもたちは感じ取. ても研究開発学校の研究結果から否定的な結論が導かれ. れるのではないだろうか」と説明される(松川2004b:. ている。たとえば,松川(2003a)(’)は「小学校から英語. 22)(且6)Q. 学習を始めれば発音が素晴らしくなるとか,早ければ早.  第3の価値は,従来から担任は一人ですべてを囲い込. いほど有利という考え方には,あまり科学的根拠もなく,. もうとする傾向に陥りがちであったのを打破し,さまざ. 現状での小学校の学習環境がそれを可能にするとも考え. まなレベルで他の先生たちと協同作業を行うようになる. られない」と述べ,さらに重ねて松川(2003b)(塵。)は「子. ことによる学校の変化である。. どもの耳は優れているから,正しい発音が身につくとい.  以上の松川の価値論は結果論的であって,本質的な目. う児童英語教育のお題目は,現実的ではないし,目指す. 標論になっていないことに注意が必要である。彼女の主. べきことでもないと思う」と指摘する。. 張する第1の価値である活動とカリキュラムの創出は,.  小学校英語の目標論についての議論がこのような現状. 本来的に確固とした目標設定のもとでそれを達成するた. にあるとき,その目標をもっと限定的で現実的なものに. めになされるべきことであるのに対し,その設定がなさ. 絞り込み,英語を使って積極的にコミュニケーションを. れない中で行われた試行錯誤の結果として出てきたもの. しょうとする態度の育成であるとする向きもある。たと. に過ぎない。したがって,そこで見いだされた価値は,. えば,松川(2003b)(’Dは「英語を覚えるというより,話. 小学校英語としての可能な価値を見極めるものとはなっ. すこと,伝え合うことを楽しむ態度を育てたい」と述べ,. ていない。たとえば,「目的を持って英語を使うというコ. 直山(2004)(’2)も「ますます言語によるコミュニケーショ. ミュニケーションが体験されている」という価値は,「コ. ンに興味を抱き,心地よさを感じ,もっと英語を使って. ミュニケーション」ということばに預けられた意味が限. 相手に自分の思いを伝えよう,相手のことを理解しよう. 定的で,現実迎合的であることを指摘しなければならな. とするだろう。そういう態度を育てることことが,小学. い。つまり,決まり文句の使用による「ごっこ遊び」に. 校英語活動のねらいである」と述べている。しかしなが. 代表される活動におけるやりとりを本来的な意味を持つ. ら,これらの主張は,英語を使ってコミュニケーション. 目的的なコミュニケーションとみなすのは,はなはだ無. をしょうとする態度の育成と向上は,そもそも英語によ. 理があり,敢えてそれを目的的なコミュニケーションと. るコミュニケーションを可能にする英語力そのものの育. みなすのは,現実肯定論が優先しているといわざるをえ. 成と向上に密接に関わっており,両者は相互帰還的な関. ない。. 係にあることに対して目を閉じているといわざるをえな.  第2の教師の学習モデルとしての提示機能には,あま. い。英語力のない状態で英語によるコミュニケーション. りに稚拙な教師観が伺われる。本来的に教師は教師であっ. をしょうとする態度がそもそも生じるはずがなく,育成. て学習者ではないという基本認識に欠けている。このモ. されるはずもない。. デル論は現実的に担任に可能なことを取り上げただけに.  また,松川(2004a,2004b,2004c)(B),(垂4)・(’5)は公立小. すぎない。まさに大津(2004)(王7)が指摘するように,求. 学校への英語の導入を「英語」教育論ではなく,「小学校」. められるのは教師の「学習者としてのモデル」ではなく,. 教育論として考えるべきであると主張し,小学校英語活. 「到達目標のモデル」である。. 動が以下の3っの価値を生み出しつつあるとする。まず.  第3の価値はまさに結果論であり,この結果が小学校. 第正に多様な活動とカリキュラムが創出されたこと,第. 英語によって初めて可能であるとする必然性はどこにも. 2に教師が学習モデルの提示機能を帯びること,第3に. ない。この価値の実現は他の教科でも十分に可能であり,. 一76一.

(3) 小学校英語学習における認知的側面. 英会話能力とか英語によるコミュニケーション能力であ. むしろそうでなければならない。.  小学校における英語学習およびその教育の目標論とそ. ることに注意が必要である。会話能力やコミュニケーショ. れが抱える問題点に関する以上の概観を整理すると,次. ン能力は後述するように高次の複合的な能力であり,容. のようにまとめることができる。国際理解教育を英語だ. 易には達成されず,その達成が可能となる条件が整って. けで担当するのは間違いで,危険でもあり,英語力向上. いる場合においてのみ目標として設定することができる。. は時間的制約から期待しがたく,英語によるコミュニケー. したがって,日本の公立小学校の英語においてこれらを. ションをしょうとする態度の育成は英語力育成と不可分. 目標として設定すること自体が間違っているといわざる. であり,「小学校」教育論は結果論である。. をえない。.  条件的に達成不可能な目標を取り外し,達成可能であ.  このように確固とした目標を見いだしにくい現状にお いて,これから行われようとする公立小学校英語教育で. り,教育的にも意義深い目標として,上で述べた英語と. は,その目標をどこに置くべきかが大きな問題となる。. いう母語とは異なる「新しい言語による言語的実現の体. ζこでは,大津(2005)(18)が提案する英語教育から言語. 験」を図ることを設定するのが妥当だと思われる。この. 教育への転換と,それに伴う目的の絞り込みの可能性に. 体験は会話とかコミュニケ.一ションに自ずとつながりう. ついては深く議論せず,あくまで英語教育としての位置. るものであるにしても,決してこのような日常的言語運. づけのままで考察する。ただし,大津の提案は,概括的. 用それ自体を目標とはしない点が重要である。同時に重. に述べておくと,日本語をとおして人間言語が持つ基本. 要なことは,言語的実現の可能性は無限であり,したがっ. 的な仕組みに子どもの注意をメタ言語的に向け,そのよ. て,小学校での英語の学習と教育において目標とすべき. うな仕組みを子どもに発見させ,実感させ,それによっ. 言語的実現の体験範囲を限定する必要がある。この限定. て子どもの言語観を豊かにするというものであるが,そ. をかける視点を言語的に実現される意味内容に置き,そ. の目的が過度に言語学的な抽象的なレベルの把握である. の範囲を小学生にとって身近で,自分のことに関わり,. 点に疑問が残る。これに対し,本論で提案しようとする. 複雑でないことがらとする。この限定的な体験範囲を. 目標は,日本語とは異なった個別言語の1つとしての英. 「基礎的自己表現」と呼ぶこととする。. 語の使用を子ども自らが体験すること自体に価値を見い.  基礎的自己表現を行うために必要な英語力として,語. だし,それによって母語としての日本語の束縛を解くこ. 彙に関しては,小学生の生活との関連性という点で,身. とにある。. 近なことがらを指すものに絞り,文法については,基本.  言うまでもなく,日本人にとっての英語は母語として. 的な疑問文とその応答文および自己紹介に使われる基本. の日本語とは異なった新しい言語である。人間にとって. 的な平叙文に限定する。基本的というのは,動詞の時制. の言語の重要性を考慮に入れると,母語以外の言語が存. を現在と過去に絞り,相については進行形のみを取り上. 在することを認識し,その言語を母語とは異なる言語と. げ,態は能動態のみとすることである。このように限定. して自らが体験することは,人間教育上において大きな. された英語力を「基礎的自己表現のための英語」と呼ぶ. 意義を持つと考えることができる。ある特定の意味や意. ことにする。. 図を表出したり聞いて理解することにおいて,その意味.  基礎的自己表現のための英語は,いわゆる英会話や英. や意図が日本語と英語では異なった言語形式として実現. 語によるコミュニケーションを行う能力を構成するコミュ. されることを知り,英語の場合におけるその意味や意図. ニケーション能力の1っの基礎となり,発達的にそれに. と形式との関係づけを新たに自ら処理体験することは,. つながりうるものではあるが,決してそこまで到達する. 言語の再発見であるということができる。しかも,この. ことを目標として含んでいるのではないことに改めて注. ことによって日本語とは異なった言語が他にも数多く存. 意が必要である。コミュニケーション能力は社会言語的. 在し,地球上で使われていることに思いを及ぼすことに. 能力,談話能力,方略的能力に加え⑳,現実場面での言. なるとすれば,その結果として達成される言語観ないし. 語運用において必要となる流暢さ(nuency)などの高度. は人間観の獲得は,他の教科による学習ではなしえない. で複合的な認知技能を含むものであるが,基礎的自己表. ユニークなものとなる。このような価値を帯びる言語学. 現のための英語の能力はそれよりはるかに限定的である。. 習を,母語とは異なる「新しい言語による言語的実現の.  以下で,日本の公立小学校で行われようとしている英. 体験」と呼ぶことにすると(山岡2000)G9),これはまさ. 語学習およびその教育の目標を,英語という新しい言語. に公立小学校英語において達成可能で教育的に有意義な. による言語的実現を基礎的自己表現のための英語という. 目標となる。. 範囲内で子どもに体験させることとして,そのことと小.  公立小学校における英語学習およびその教育の目標に. 学生の認知発達との関係を論じる。ただし,日本の公立. 関して,英語力向上は時間的制約から期待しがたいとい. 小学校における英語学習が持つ限定的な特徴をよりょく. う見方が一般的な結論であったが,ここでいう英語力が. 把握し,言語を身につける際の認知的過程を理解するた. 一77一.

(4) めに,母語習得と認知的発達の関係についてまず考察を. る構文の抽象化に至る具体的な道筋を考えると,用法依. 加える。. 存モデルと同じ意味における言語入力との豊かな接触が 不可避であると思われる。たとえば,対話相手が自らの. 2.母語習得と認知発達. 発話に込める意図の読みとりを子どもが行うことなく言.  母語の習得においては,その基本が5歳か6歳までに. 語が習得されることは想定できず,意味に裏打ちされな. マスターされるという点で,研究者の意見の一致が見ら. い形式上のパターン発見もありえない。さらに,ある構. れる。これは研究者が採用する言語習得観の違いにも関. 造を決定するのに必要な入力情報は1回きりでよいとす. わらず,一致している。たとえば,普遍文法理論に基づ. る生得論に基づく言語習得のいわゆる瞬間モデルは,現. く生得主義的な習得観に立つGuasti(2002:4♪(21)は「子. 実的な習得モデルとしては用をなさない。何事も長期記. どもは5歳までに彼らの言語のほとんどすべての構文を. 憶に銘記するためには繰り返しが必要であり,物事の一. マスターする」と述べ,認知言語学的な理論である用法. 般化には多数の比較対照に基づく共通のパターン発見が. 依存モデルを主張するTomasello(2003:144)(22)は英語を. 必要である。. 母語として習得する場合を取り上げ,「英語を母語とする.  母語習得における基本のマスターが6歳までに行われ. 子どもたちは就学前に発話レベルにおけるさまざまな抽. ることと,それを可能にする強力な学習メカニズムが子. 象的な構文を表出するようになる」と指摘し,統合的な. どもに備わっていることを確認したが,これに加えて,. アプローチを採るClark(2003:16)(23)は、「1歳から6歳. 外国語学習との対比において,母語習得の際だった特徴. の間に,子どもは言語使用における広範囲な技能を身に. として,子どもが触れる言語入力の豊かさをあげなけれ. つけ,ほぼ常にかなり大人に近い話し方をする」と述べ. ばならない。この豊かさは量的な面と質的な面に分ける. ている。. ことができ,さらに質的な面を場面関係的なものと社会.  母語習得においては,子どもの一般的な認知発達がま. 関係的なものに区別することができる。. だ十分とはいえない6歳までにその基本がマスターされ.  豊富な入力の量的な面は,触れる入力の量の多さを意. ることに注目すべきである。基本をマスターするという. 味するが,一般的にこれは入力に触れることのできる時. ことは,構文を個々の具体的な事例としてではなく,個々. 間数で表される。控えめに見積もって,子どもが母語習. の事例を新規に生み出すことのできる抽象的で一般的な. 得において母語と接触する時間は1日平均10時間である. レベルで把握していることを意味する。. といわれる(Clark 2003:421)(25)。これを1歳から6歳ま.  この時期の子どもは,ピアジェの唱える前操作期(2−. での5年間に当てはめると,18,000時間超にもなる. 7歳)であり,具体的操作期(7−11歳)の前段階である。. (Hammerly l 982:95)(26)。言いかえると,母語習得にお. 前操作期は,具体的な対象に基づいて行われる論理的思. いては,子どもはこの亀卜において,目を覚ましている. 考である具体的操作がまだ可能でない段階である。した. 時間はすべて母語との接触状態にあり,母語習得に当たっ. がって,母語習得はこのような論理的思考としての操作. ているのである。しかも,Clark(2003:421)(27)が指摘す. を伴わないで行われることになる。このことを逆に言え. るように,この時期の子どもは母語習得以外に没頭すべ. ば,母語習得における構文の抽象化を可能にする能力と. きものを持っていない。. して,具体的対象に対する論理的操作以外の能力が子ど.  入力の量的な豊かさとしての時間数は,入力との接触. もに備わっていることになる。実際,用法依存モデルに. 頻度としてもとらえることができる。用法依存モデルに. 立つTomasello(2003;3−4)〔24)は「子どもは単純な連想や. 従うと,頻度を2種類に分けることができる。1っはトー. 行き当たりばったりの帰納よりもはるかに強力な学習メ. クン頻度(token−f士equency)であり,もう1つはタイプ頻. カニズムを自由に使うべく所持している」と述べ,しか. 度(type一丘equency)である。前者は同一表現の繰り返し. もこの認知的能力が社会的能力と結合する中でさまざま. による経験回数であり,その表現の記憶定着に貢献する。. な学習が行われることを強調し,とくに言語習得に関係. 後者はある形式の異なった表現タイプに触れる経験回数. するそのような2っの能力をあげている。1っは「意図. で,その形式の一般化に貢献する。言うまでもなく,母. の読みとり」であり,もう1っは「パターン発見」であ. 語習得における入力の量的な豊かさとしての接触頻度の. る。前者は子どもが対話相手の伝達意図を読み取ること. 高さは,トークン頻度とタイプ頻度の両方における十分. であり,後者は言語形式上で同類を範疇化することであ. な頻度の確保を意味する。. る。前者が後者を支えるという関係にある。.  母語習得における場面関係的な面での入力の豊富さは,.  用法依存モデルに対立する生得主義的な立場において. 子どもがまさに自分の現実の生活の中で,自分にとって. は,一般認知能力とは独立した言語能力を生得的に想定. 物理的にも精神的にも事実であることがらについてこと. し,その機能の自ずからの作用の結果として言語習得を. ばを交わし,その結果として母語を学んでいくことをい. 説明する。しかしながら,言語習得において不可欠であ. う。このような場面的かっ事実的な真正性を伴った言語. 一78一.

(5) 小学校英語学習における認知的側面. 接触は,疑いなく言語習得を促進する。たとえば,子ど. する何らかのフィードバック,子どもの言語発達段階へ. もが何かやってはいけないことをやってしまい,その忌. の同期的調整などは,いずれも交流的な行為であり,子. むべき結果を眼前にしている瞬間に,母親から“You. どもの母語習得を促進するものである。. should’n’t’ave done that!”と語気強く言われたとすると,.  八田(2004)(30)が指摘するように,母語習得における. この発話表現の構造分析には遠く及ばないにしても,こ. 社会・交流主義的な解釈はピアジェの認知的発達段階論. れをその意味と機能を表す表現として身につけることに. に基づく解釈と対立するものである。とりわけ,ピアジェ. なるであろう。また,まさに自分が空腹の時に,そのこ. の論における交流的な考慮の欠如は目立ったものである。. とを表す何らかの発話を経験することは,絵空事で同様. しかしながら,両者の論を相互排他的であるととらえる. の経験をする場合に比べて,はるかに習得に貢献するは. のは間違いであろう。社会・交流的な関係を保ちながら. ずである。. も,6歳までの子どもが自己中心性を持ち,形式的操作.  この場面関係的な真正性は,より一般的には,子ども. の段階に未だ至らないのは,依然としてピアジェの主張. が触れる言語入力に託される意味世界が,子どもにとっ. するとおりである。. て空闇的にも時間的にも身近なものに限定されることを.  以上の議論をまとめると,子どもは母語習得において. いう“here−and−nowness”の原理の表れである。. 6歳までにその基本をマスターし,理解と表出の両方に.  社会関係的な面での母語習得における入力の豊富さは,. おいてさまざまな構文を一般化されたものとして身につ. 入力が埋あ込まれる社会的な場が習得を促進すべく果た. け,それに基づいて発話を生産的に行うことができるよ. す役割をいう。この役割は,人間関係的に当事者の子ど. うになるが,これは豊かな言語入力のもとで機能する強. もと密接につながっている世話人(carer)とのまさにそ. 力な学習メカニズムの作用によってもたらされる。入力. の関係性の上におもに成立するもので,このつながりが. の豊かさは,量と質にわたり,量は入力との接触時間の. 母語習得において果たす役割は強いものがある。しかも. 膨大さであり,十分なトークン頻度とタイプ頻度の確保. 強調すべきことは,母語習得において現れるこのような. を意味し,質は入力が帯びる場面的な現実性と当該の子. 関係を当事者の子どもはおおむね独占的に保持できるこ. どもにとっての密接な関連性と真正性の維持であり,同. とである。つまり,当事者の子どもに向けられた入力は,. 時に,そのような入力がそのような場面の中で社会的な. その子どもだけのためのものである。さらに,母語習得. 意味における相互交流に支えられていることを意味する。. においては,当事者の子どもを1とし,その世話人を中. このような豊かな入力のもとで機能する強力な学習メカ. 心とする社会関係的なつながりとの比率を見ると, 1対. ニズムとは,個々の発話としての入力に触れ,そこから. 1以上である。. 言語形式を記憶し,理解と表出の両方において構文を抽.  このような社会関係的な面を強調する母語習得研究の. 象化していくメカニズムである。. アプローチを社会・交流主義(social−interactionisnl)と呼.  母語習得は入力のこのような豊かさの結実である。そ. ぶ(Field 2004)(28)。ここで1ま,言語習得においては,言. の学習メカニズムは豊かな入力によって初めて起動し,. 語入力にただ触れるだけでは十分でなく,言語的なもの. 稼働する。. と非言語的なものも含めた交流が必須であるとされる。 実際にTomasello(2003:21)(29)が指摘するように,母語. 3.外国語学習と認知発達  日本の公立小学校で行われようとしている英語学習お. 習得およびそれに先立っ非言語的なコミュニケーション. において子どもがとる行動は,2項的(子どもと対話相. よびその教育の目標や方法がどうであれ,この外国語学. 手あるいは子どもと環境)ではなく,子どもが対話相手. 習は母語習得との対比において決定的ともいえるほどの. と環境の両方に対して交流を保つ3項的である。たとえ. 際だった特徴を持っている。これは入力の貧困さである。. ば,母語習得の出発点となる共同注意(joint attention). 以下で,このことについて,母語習得における入力の豊. や共同参照(joint refbrence)の達成は3項的な出来事で. 富さとらえる3つの視点ごとに,母語習得の場合と対比. ある。. しながら説明を加える。.  また,母語習得において周囲から子どもに対して与え.  第1点としての量的な面の僅少さは明らかである。母. られることばはCDS(child directed speech)と呼ばれる. 語習得が1週間で70時間を確保するのに対し,公立小学. が,これも子どもと対話相手とその問でやりとりされる. 校であてがわれる時間はわずか1時間のみである。しか. ことばという3項関係でとらえることができる。CDSは. も,母語習得においては,1年まるまる52週あるが,小. 音韻,形態,統語等の各レベルにおいて,発話表現が小. 学校では35週に限定される。つまり,小学校英語で可能. どもにとって分かりやすくなるようにするための独特の. な時間数を1年間で見ると,母語習得の場合のおよそ100. 特徴を持つ。CDSそのものが持つこのような特徴や,子. 分の1に過ぎない。. どもの発話に対してなされる言い直し(recast)を初めと.  第2の質に関わる場面的および事実的な真正性につい. 一79.

(6) ても,小学校英語ではそれが欠落する。小学校英語の活. であった心的活動が体系化されて,論理的な首尾一貫性. 動はもっぱら教室で行われるが,そもそも教室は教育的. を持ったいわゆる「操作」(operation)と呼ばれるものと. に意図された人工的な空間である。したがって,そこで. なる(伊藤。江口1965)(3D。. 行われる活動は,いかに現実を再現しようとしたもので.  対象との関係でいえば,前操作期においては,対象を. あっても,模擬的とならざるをえない。場面的な非現実. カテゴリーを伴う概念として扱うことができるようにな. 性に加えて,子どもにとっての内面的な関わりの真正性. るのに対し,具体的操作期においては,具体的な対象に. の確保もきわめて難しい。子どもに“1’mhungry,”とい. 基づいた論理的思考が可能となり,系列化やクラス化が. う発話を内面的真正性を持って表出体験させようとすれ. できるようになる(別府2005,藤村2005a)(32),(33)。なお,. ば,子どもが実際に空腹となる時まで待ち,しかもその. その次の段階である形式的操作期においては,現実の具. 発話が当然となるべき場面に居合わせなければならない. 体的内容や時間的な流れにとらわれることなく,形式に. が,そのようなことは教室においては容易に実現可能で. 従って行う論理的思考ができるようになる(藤村. はない。. 2005b)(34)o.  以上のことから,前操作期と具体的操作期の違いは,.  第3の社会関係的な意味における入力の質についても 同様のことがいえる。母語習得に見られる子どもとその. 対象へのアプローチの違いであるが,いずれにおいても. 世話人との密接な関係の上で成り立つ交流や,子どもに. 心的活動が個々の対象に向かい,その何らかの処理に当. よる入力の独占的な取得は,いずれも小学校英語では期. たる点では共通しているとみることができる。言語習得. 待できない。この結論は,小学校英語で予定されている. においては,入力として子どもが触れる個々の発話に働. おもなる入力提供者はクラス担任であり,担任がほぼ1. きかけ,その中から形式上のパターン発見を行い,構造. 人でクラスの生徒全員を対象とすることから必然的に導. の抽象化を行わなければならないが,その課題は前操作. かれる。. 期にある母語習得に当たる子どもにとっても,具体的操.  以上のことから,次の明らかな結論が導かれる。公立. 作期にいる外国語としての英語学習者にとってもまった. 小学校英語では,母語習得のような自然な言語習得が行. く同一であろう。. われることは期待できない。母語習得において機能する.  前操作期に行われる母語習得の特徴として,“Less is. 強力な習得メカニズムは豊かな入力によって稼働するが,. More”仮説(Newport 1990)(35)と母語の音韻特性に合わ. 公立小学校英語においては,入力が貧困すぎて,そのメ. せた音声情報処理方略の最適化(Werker&La豆onde. カニズムを起動させるに至らない。. lg88)(36)をとらえて,母語習得はそれ以降に行われる言.  したがって,日本の公立小学校で行われようとしてい. 語の学習とは異なるとする主張もある(今井・野島. る英語の学習と教育においては,目標の限定化とそれに. 2003)(37)。しかしながら,前者の説は基本的に処理対象や. 伴う入力の管理が必要となる。目標の限定化については,. 処理方法の違いではなく,単なる処理単位の長さの違い. すでに基礎的自己表現とそのための英語力として提示し. の問題であり,後者は母語習得の進展の結果であり,そ. た。その英語力の達成のための入力管理については,小. れが新しい言語の音声情報処理を干渉的に妨害すること. 学校中学年から高学年にかけての子どもの認知的発達に. はあっても,音声処理をしなければならない点では異な. おける特徴的な変化に関連づけて議論する必要があるの. るところがない。したがって,前操作期の母語習得と具. で,以下でこのことについて触れる。. 体的操作期に行われる第2言語学習が本質的に異なった.  まず第1に指摘すべきことは,すでに述べたように,. 学習メカニズムによって行われるとは考えられない。こ. 小学校中学年と高学年の子どもはピアジェの設定する具. のことは具体的操作期に行われる言語学習が外国語学習. 体的操作期にほぼ該当するということである。母語習得. であっても依然として変わらないであろう。この学習メ. における基本のマスターが前操作期でなされるのに対し,. カニズムとは,具体的な発話としての入力に触れ,言語. 小学校英語の学習がこの時期を越した具体的操作期にあ. 形式を事例的に蓄積し,パターン発見によって構文を抽. る子どもによってなされることが言語学習メカニズムに. 象化し,このようにして抽象化された個々の構文を体系. 及ぼす影響はどのようであろうか。. 化するメカニズムである。.  前操作期においては,この時期に初めて可能となる表.  前操作期の母語習得においては,この学習メカニズム. 象(representation)とこれに基づく象徴機能(symbolic. が量的にも質的にも豊かな入力によって自ずと稼働する。. 血nction)が成立し,それによって可能となる対象への働. これに対し,量的にも質的にも乏しい入力しか期待でき. きかけである活動が行われ,この活動が内化されて心的. ない具体的操作期での外国語学習においては,そのまま. 活動(思考)となるが,この時期の心的活動は個々ばら. ではこの学習メカニズムが起動するとは期待できず,そ. ばらに形成され,直感的思考と呼ばれる特徴を持つのに. れを稼働するためには,何らかの意図的な入力構成が必. 対し,具体的操作期の段階になると,それまでばらばら. 要となるであろう。. 一80一.

(7) 小学校英語学習における認知的側面.  このことについて考察を加える前に,具体的操作部の. とになる。. 範囲内にいる子どもにおいて生じる特徴的な認知的変化.  以上の議論から分かるように,公立小学校において中. について議論を加える必要がある。この変化とは,次の. 学年と高学年を対象として行われようとしている英語の. 発達段階である形式的操作期への移行を促すことになる. 学習と教育につい『て考察を加える際には,この学年の子. 準備段階的な変化である。. どもの認知発達段階の特徴的変化と,その変化を阻害す.  言うまでもなく,ピアジェの唱える4っの認知発達段. る非教育的働きかけの排除と,その変化を促進する積極. 階は,それぞれが完全に相互に独立的で断絶的であるの. 的な教育的働きかけの提供という3つの観点で考える必. ではなく,相互依存的な面があり,1っの段階は,一方. 要がある。. から見れば,一定の認知方法の完成期であるが,他方か.  この時期の認知発達段階の特徴的変化については,す. ら見れば,次の段階の認知方法の形成期でもある(鈴木. でに述べたとおりである。以下で,その変化を阻害する. 1965:29)(3s)。. 非教育的働きかけについて議論する。なお,その変化を.  貝体的操作期においては,この相互依存的な関係はど. 促進する教育的働きかけの提供については,項を改めて. のように現れるのであろうか。坂本(1979:16)(39)は. 議論する。. 「具体的思考操作の発達につれて,次の段階(形式的操作.  9歳の壁の克服を困難にし,具体的思考操作から抽象. の段階)へ飛躍していく前段階として,子どもが九歳頃. 的思考操作への転換を阻害する結果となる非教育的働き. から,具体的な場面をある程度離れても,演繹的推論が. かけについて議論を展開するために,以下に注目すべき. できるようになる…」と述べ,これを1っの「ふし(転. 指摘を引用する。. 換期)」と呼んでおり,さらに,このふしが具体的な思考. から抽象的思考へと飛躍する場合の鍵になるとし,とり.  総合的学習における英語の授業を参観していると惨. わけ「少年期の思考操作の系統的な形成において,もの. 憺たる心境になる。英語に関する基礎・基本も何もな. ごとの関係の予想を推論させ,その結果の実証をとおし. い子どもが,教師の指示するままに,買い物ごっこや. て次第に子どもに具体的な事実についての演繹的認識を. 挨拶を英語でしている様は,異様である。総合的学習. 発達させることの重要性」を指摘し,「このような教育的. の時間のねらいは「自ら考え,主体的に判断し,より. 働きかけが,十二歳ごろからはじまる形式的操作への飛. ょく問題を解決する資質や能力を育てること」(学習指. 躍を意識的に用意するという考え方」の重要性を強調し. 導要領総則)ではなかったのだろうか。. ているQ.  総合的学習における英語学習はその対極にあるもの.  具体的操作期におけるこのような転換は,教育界で「9. である。教師が指示するままに,思考を停止して,問. 歳の壁」といわれる現象と深く関わっている。この現象. 題解決には目を逸らし,学習のまねごとをしている。. は一般的に小学校中学年(9,10歳)頃に学力の個人差. この英語学習の時間が主流を占めるようになれば,確. が拡大し,その学年に期待される学力を身につけていな. 実に,総合的学習は破壊される。教科指導としての英. い子どもの数が増加する現象とされるが,認知論的には. 語教育を小学校に導入することと,総合的学習におけ. 「具体的事物,事象に関連しながら,しかも具体物からは. る英語学習とは峻別すべきである。  (岩田2000)(42). 直接的には導かれない,より高いレベルでの一般化,概 念化された思考」を達成する際の障壁のことを意味する.  この批判はそれまでに総合学習の時間の枠内で行われ. (藤木寸 2005c)〔4D)0. てきた国際理解教育の一環としての英会話の実態につい.  9歳の壁の克服のために必要な教育的働きかけの重要. ての批判である。しかしながら,ここで指摘されている. 性については,すでに上で述べたとおりである。このよ. 危険性は,これから行われようとしている公立小学校で. うな積極的な教育的働きかけを行うことが必要であるの. の英語の学習と教育においても生じる可能性が大きいと. は当然としても,同時に,その克服を阻害し,逆にその. いわざるをえない。大津が,その当時の文部科学大臣に. 壁を強固にしてしまうような問違った教育的働きかけを. 宛てて提出された要望書である「小学校での英語教科化. しないように注意することも必要である。. に反対する要望書」(2005年7月19日)の主導者の1人と.  糸山(2003)⑳が9歳の壁について語るのは,このよ. して,その立場を説明した文書の中で,これまで英会話. うな非教育的働きかけの害を指弾する文脈の中である。. と称して行われてきたことを,歌と踊りと日常会話(決. 彼によると,人間には12歳までに抽象的な思考ができる. まり文句)の「三種の神器」とやや椰楡的に呼んだのは,. ようになる自然な成長プログラムが備わっているが,こ. そこで行われる英語の活動が思考停止型の反射形成的な. のプログラムに逆らうことになるスピード練習を伴った. やりとりに陥りやすい本質的な傾向を持つことを見抜い. 反射形成的な学習を強制すると,子どもは9歳の壁を越. たからであろう㈲。. えられず,取り返しのつかない不幸な結果をもたらすご.  上の引用で岩田(2000)㈲が指摘するように,英語の. 一81一.

(8) 知識が何もない子どもが,ある模擬的な場面とそこで用. 分との比較や他人との比較が可能となり,自己の内面へ. いられる英語を与えられて,繰り返し活動する場合,そ. の気づきが見られ始める時期である(郷式2005)(46)。児. の英語がこの場面で持つ意味と機能に対して子どもの心. 童期は低学年,中学年,高学年に区分されるが,自己認. が向くことは容易ではないと思われ,いわんやこの英語. 識の発達において,中学年と高学年は変動期に当たり,. の形式とそこに込められた意味と機能の関係に思いが及. 中学年においては自律意識の芽生えと,第三者的視点か. ぶことはないであろう。ここでは,本来の総合学習の意. ら自分と他者の視点を統合する社会的視点の取得が始ま. 義にもつながりうる英語学習の本筋を踏み外し,子ども. るのに対し,高学年ではそれが発達を遂げ,自己を多面. は思考停止となる。この活動に歌や踊りが伴う場合,な. 的に把握したり,他者を客観的に把握できるようになる. おさら本来の学習は霧散し,活動的楽しさだけが前面に. (藤ホ寸 2005d)(47)o. 出てきやすい。.  中学年から始まり高学年で発達する社会的な関係の中.  このようなことが実際に起こっていることは,小学校. での自己意識の獲得は,英語の学習活動形態へ大きな影. で課外活動として5年と6年で週1回英語を学んだ経験 を持つ中学1年生を対象としたアンケート調査の結果に. 響を及ぼす。たとえば,自己以外の事物に自らを見立て て行われる「ごっこ遊び」は,低学年では何の抵抗もな. も表れている。以下は,そのアンケートのうちから良く. く行われ,中学年でも依然として可能であったとしても,. なかったことを指摘した結果を3項目取り出したもので. 高学年では受け入れられなくなるであろう。. ある。.  この現象は,認知的な変化に対応する9歳の壁と連動 して作用することが考えられる。たとえば,認知的な思. ・見通しがなく,何のためにその授業をしているか知. 考停止を余儀なくさせる決まり文句のオウム返しに陥り.  らされなかった。. やすい買い物ごっこは,それ故に高学年では嫌悪される. ・英語だけでしゃべらされるので意味がわからなかっ. が,これに加え,自己意識の発達した高学年ではその役. た。. に没入すること自体が困難となるであろう。. ・よく教えてくれないのに,「やってみなさい」と言.  以上のように,小学校中学年と高学年では,同じ児童. われて困った。        (長瀬2001:24)(45). 期にあり,同じ具体的操作期にありながらも,認知的に も自己認識的にも変動期にあり,それぞれの学年に対応.  言語の学習において繰り返しは必要である。しかしな. した教育的働きかけが求められる。. がら,この繰り返しはオウム返しの繰り返しに終始して はならない点に注意が必要である。母語習得における繰. 4.外国語学習とその促進. り返しは,当初こそ理解においても表出においても未分.  公立小学校で中学年と高学年を対象としてこれから行. 析のままの定型句としての繰り返しであったとしても,. われる英語教育においては,その時間的制約を考慮に入. 継続的に与えられる豊かな入力に支えられて,次第に分. れ,認知的な発達の変動とそれと同期する自己認識の成. 析を伴った繰り返しとなる。しかしながら,いずれの場. 長に合わせた教育的働きかけが必要となる。以下で,こ. 合の繰り返しにおいても,母語習得の場合は,それが行. のことについて,認知的な発達との関係と自己認識の成. われる各場面が帯びる現実性と真正性は決定的であり,. 長との関係に分けて議論する。. 少なくとも繰り返される表現の意味と機能の理解が排除.  まず,認知的な発達における変動にかなう教育的働き. されることはないであろう。. かけは,その発達的変動を積極的に促し,同時に,その.  外国語学習においても繰り返しは必要であるが,その. 変動を抑制する非教育的な働きかけを排除することが主. 時に陥りやすい子どもの思考停止を回避すべく,何らか. 眼となる。まず,非教育的働きかけの排除については,. の工夫が必要となる。しかもその工夫は,9歳の壁に直. 具体的思考操作から抽象的思考操作への転換を阻害する,. 面することなく,抽象的思考への飛躍へとつながるもの. 思考停止型の活動を廃止する必要がある。具体的には,. でなければならない。このことについては,改めて次の. 決まり文句のオウム返しに陥りやすい活動を避けること. 項で述べる。. になる。.  なお,英語学習を促進する教育的働きかけを検討する.  このことを活動における子どもの認知的な関与という. 際に考慮に入れなければならない具体的操作期の子ども. 観点で述べると,大切なことは,英語を聞いたり話した. における認知的変化についてもう1っ触れるべきことが. りする活動において,子どもがその表現を聞いて理解し. ある。これは自己認識の発達に関わることである。具体. たり表出したりする際の内的処理において,言語を学習. 的操作期はおおむね児童期(642歳)と重なるが,この. するという意味におけ.る生産的な内的過程を体感すると. 時期は自己意識の発達という観点において,対人関係が. いうことである。ここでは,表現を決まり文句の単なる. 広がり,時間概念の成立やメタ認知が発達し,過去の自. オウム返しではなく,個々に新規な表現として発見し,. 一82一.

(9) 小学校英語学習における認知的側面. 経験することが含まれ,その意味において,子どもが表. を体感する心地よさへとつながる。つまるところ,子ど. 現に対して積極的な自己関与を果たすことが必然的に含. もが新しい言語を学んでいるという実感を達成すること. まれる。. が大切で,それを助長するための教育的働きかけが必要.  この言語的な新規性と’それに対する自己関与は,表現. となるということである。. の新規性を支える構文の一般化という意味での文法学習.  すでに述べたように,このような役割を帯びる教育的. と密接に連動している。言語学習における子どもにとっ. 働きかけは,理解と表出の両方における構造の一般化を. ての思考停止の排除と抽象的思考操作へのスムースな移. 直接的に促すものでなければならない。構造の一般化は. 行は,構文の抽象化に関わる認知的操作の稼働によって. その構造に触れるタイプ頻度によってもたらされるもの. のみ可能であり,この認知的な学習体験が子どもの自己. であるから,教育的働きかけは目標構造についてのタイ. 関与を呼び,自分の言語学習における自らの伸びを体感. プ頻度を上げることに集約される。要は,同じ構文の表. することにつながる。. 現で,それを構成する語が一部入れ替わった多くの表現.  河村(2001)(4呂)は「総合的な学習の時間で行う英語活. に子どもを触れさせることである。. 動の一考察一楽しい英語活動の連続を求めて」と題する.  当然のことながら,語の入れ替えによるタイプ頻度の. 論考において,英語学習における「心地よさ」を基本軸. 増強において,その結果としての表現の連続が,子ども. にして,これが若い学年における「活動そのものの心地. にとって無味乾燥な単なる文型練習となってはいけない。. よさ」を味わう段階から,学年が高まるにつれて「自分. その連続が談話としてのまとまりを持ち,子どもの関心. ののびの心地よさ」を味わう段階へと次第に変わって行. を維持でき,子どもにとって有意義的な活動とならなけ. くことを指摘し,この移行を「模倣能力と認知能力の関. ればならない。. 係」や「柔軟な思考から分析的な思考となる言語習得の.  このタイプ頻度を上げた入力との接触は,理解による. 過程」という変化に関連づけて説明している。彼は学年. 場合と表出による場合がある。両者の学習活動における. 進行に伴うこの2っの心地よさの割合の変化を図1で示. 順番については,言語学習の自然な順番として,理解を. している。. とおしたタイプ頻度への接触が表出による接触に先行す る。この点は,言語の学習における時期尚早の表出活動 を戒め,それに先立っ理解をとおした活動による学習を 促す入力処理(input processi且g)の活動と,それを促進. 6年 T年. S年. 自分ののびの心地. するための処理教授(processing instruction)の重要性を. 謔ウ. 主張するVanPatten&Cadiemo q 993a,1993b)(50)・(5Dの. 活動そのものの心. 考え方と基本的に合致する。ただし,処理教授において. nよさ. は,目標となる構文の形式的特徴に意図的に学習者の意. 9歳の壁. 識を向け,その特徴とそれが担う意味との関係をつなぎ とめるためのストラテジーを教授することになるが,子. R年. どもの場合には,まだそのようなメタ言語的で形式的な 学習はできないので,あくまで暗示的にそれが行われる ように活動を構成する必要がある。. 図1 心地よさの割合について㈲.  タイプ頻度の増強をまず理解をとおして行うことが必 要であることと,そのための表現の提供は教師の側によっ.  河村は9歳の壁の前の段階の子どもの特徴を「単純な. てのみ可能であることを考えると,この学習段階におけ. 繰り返しが可能」ととらえるのに対し,その後の段階に. る教師の役割が特に重要となることが分かる。したがっ. なると,子どもが「単純な繰り返しに抵抗をもつ」よう. て,教師には,少なくとも公立小学校における英語学習. になるとしており,これを文法習得につながる認知能力. の目標としての基礎的自己表現のために用いられる構文. の発達に関連づけて説明している。. において,タイプ頻度を増やすことのできる英語力が必.  以上のように,9歳の壁にさしかかる時期における英. 要となる。ただし,実際的には,この英語力はそれほど. 語学習においては,自ずからなされるはずのこの壁の克. 高いものではない。その程度を具体的に示すために,以. 服を阻害せず,それを促進する教育的働きかけが求めら. 下に一例を挙げる。下線部がタイプ頻度の提供を意図し. れるが,学ぶ側にとって,これは理解と表出の両方にお. たところである。. ける構造の一般化として結実し,その結果としての個々 の表現に対する新しさの実感と,それに付随する自己関. I have ma∬y kinds of fhlits here. I like some of them。. 与と,これらを総合したところに現れる自分自身の伸び. But I don’t like the others. First, I like an apple. It’s. 一83一.

(10) sweet. Second, I like a banana, It’s soft. Third, I ln【e a. 要がある。語彙は記憶として蓄積されるものであるが,. pear too. It’s juicy. And fburth,1 1ike a rnango too. It. それを構成する個々の語彙項目の学習は,それぞれの項. has sweet smell. But I don’t like a melon. It’s too sweet.. 目を繰り返し経験するトークン頻度が決め手となる。こ のような観点において,中学年においては,語彙項目そ のものを目標にした学習活動を行うことも必要であると.  このような表現の提示において大切なことは,これを 単なるゲームとして行うのではなく,教師自らの偽りの. 思われる。たとえば,実物や絵を示しながら“What’s. ない自己表現として行うことである。しかも,これが全. this?”と問い,“(It’s)atomato,”と返答させる活動であ. 体として1っの談話を構成している点も重要である。こ. る。このような活動に対しては,問答にかかる内容は子. れが最終的な子どもによる自分自身の意味ある自己表現. どもがすでに知っていることであり,それについてやり. へとつながることになる。. とりすることはコミュニケーション上の意味がないと批.  上の例は11ike∼.の目的語の位置に入る名詞句のタ. 判する向きもあるが,学習目標が語彙学習に置かれてい. イプごとに区別されるさまざまな文の形式のうちの1つ. る限りにおいて,その批判は当たらず,むしろ英語の語. (果物名で不定冠詞を伴うタイプ)を一般化することを意. 彙項目として答えるという点に意義があるとしなければ. 図しているが,この構文の真の意味での一般化のために. ならない。幸いにも,この学年の子どもはまだこのよう. は,別の文の形式ごとに,それぞれの表現列を用いた一. な活動に抵抗感を示さない。. 般化が必要となる。例を以下に挙げる。.  次に,公立小学校で中学年と高学年を対象にこれから 行われる英語教育における子どもの自己認識の成長との. Ilike baseball.;Ilike soccer.;11ike tennis.;Ilike volley−. 関係については,ごっこ遊びからの脱却と,自己表現へ. balL;…(スポーツ名で冠詞なし). の移行が必要であるという点に要点が集約される。これ. I like meat.;I like fish.;1 1ike bread.;I like pasta.; …. で,自己関与性の高い繰り返しへの転換ということもで. (食物名で冠詞なし). きる。. は単純な繰り返しから,言語の学習上において有意義的.  繰り返すことになるが,言語学習の有意義性とは,言 Ihke her.;11ike him.;11ike you.;11ike them.;…. 語が身についているという実感が学習者自身で持てると. (人称代名詞). いうことであり,河村(2001)(52)がいうところの自分の. 伸びの心地よさを味わうことのできる状態を示す。これ はとりもなおさず,決まり文句としての表現の丸覚えで. IIike Mary.;Ilike Tom.;Ilike Nancy.;Ilike Ichiro.;…. はなく,一般化され抽象化された構造によって新規の発. (固有名詞). 話を聞いて理解し,表出できるようになるという実感で Ilike songs.;Ilike books.;Ilike comics.;Ilike films.;. ある。. …(普通名詞複数形).  高い自己関与性とは,真の自分を表現する自己表現へ とつながることをいう。つまり,ごっこ遊びに代表され.  学習初期段階においては,構文の一般化のためには,. る代償的自己でもなく,仮想的な自己でもなく,偽りの. このような丁寧な扱いが必要となる。逆にいえば,この. ない自己の表現への移行が自己関与を高めるのである。. ような丁寧な指導によって子どもは言語を学ぶことの意. これは成長する自己認識に対応して満たすべき必要要件. 味と,そのたあの活動の価値を感じるとることができ,. である。. これが子どもの具体的思考操作から抽象的思考操作への. 転換を促すことになり,9歳の壁を乗り越える原動力と. 5.まとめ. もなる。.  これから日本の公立小学校で行われようとしている英.  いうまでもなく,Ilike∼.の一般化は, I have∼.に. 語の学習と教育に関する以上の議論の要点をまとめると,. ついての同様の一般化や他の動詞の場合の一般化と一緒. 以下のとおりとなる。. になり,“1”+V+0というレベルでの一般化を遂げること. になり,最終的には,S+V+0というレベルでの一般化へ. (1) その目標は英語という母語とは異なる「新しい言. と向かうことになる。.   語による言語的実現の体験」である。.  いずれの場合の一般化においても,大切なことは,タ. (2) この新しい言語的実現を体験する意味内容的範囲. イプ頻度を高めるために必要な語彙を子どもが身につけ.   は「基礎的自己表現」に限定される。. ていることである。この点でいえば,小学校の中学年に. (3) この目標のために必要な英語力は「基礎的自己表. おいては,目標の1つとして英語語彙の拡大を設ける必.   現のための英語」に限定される。. 一84一.

(11) 小学校英語学習における認知的側面. (4) 「基礎的自己表現のための英語」は基本的な疑問.   35−39, 1999.   文とその応答文および自己紹介に使われる基本的な. (6)渡邉寛治「子どもたちが“コミュニケーション”.   平叙文に限定される。時制は現在と過去に絞り,相.   を楽しんだ!」『小二教育技術』 2000年12月号,p..   については進行形のみを取り上げ,態は能動態のみ.   33,2000a(冨田祐一「今後の展望と課題」後藤典彦,.   とする。.   冨田祐一(編著)「はじめてみよう!小学校・英語活. (5) 中学年から高学年にかけた子どもの認知的な発達.   動』アプリコット,東京,pp.205−229,2001に引用).   的変化に即した教育的働きかけが必要であり,それ. (7) 松川禮子「[座談会コ小学校での英語学習指導のね.   を阻害する学習活動のタイプを排除することも必要.   らいとポイント」和田稔(監)『小学校英語教育Ato.   である。.   ZVol.4 課題解決ガイド』 開隆堂出版,東京, pp.. (6) この働きかけは,構文の抽象化を促すものでなけ.   19−30, 2000.   ればならない。. (8) 渡邉寛治「[座談会]小学校での英語学習指導のね. (7)構文の抽象化を促すのは個々の構文のタイプ頻度.   らいとポイント」和田稔(臣と皿)「小学校英語教育Ato.   の増強である。.   ZVd.4課題解決ガイド』開座論出版,東京, pp.. (8) 中学年における1っの学習目標は身近な事物に関.   19−30, 2000b.   する英語語彙の獲得である。. (9) 松川禮子「小学校英語活動の基本的考え方」松川. (9) 中学年から高学年にかけて発達する子どもの自己.   禮子(編著)『小学校英語活動を創る』高陵社出版,.   認識に即した教育的働きかけが必要である。.   pp.2−19, 2003a. (10)この働きかけは,自己関与と真の意味での自己表現. (10) 松川禮子「指導方法と活動の工夫」松川禮子(編.   を志向するものである。.   著)『小学校英語活動を創る』高陵社出版,pp.30−35,.   2003b.           一謝辞一. (11)(10) 再掲.  本研究は,兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科. (12) 直山木綿子「小学校英語活動,益あり,害なし,. における平成18年度連合研究科共同研究プロジェクト.   よって必要あり,ただし,条件つきで」『英語教育」. (プロジェクトG)である「初等教育段階における系統的.   2004年5月号,pp.12−14,2004. 英語教育に関わる教師教育プログラムの協同的開発 連. (13) 松川禮子『明日の小学校英語教育を拓く』アプリ. 合大学院の特性を生かした学校教育実践学構築のモデル.   コット,東京,2004a. として一」に関わる一連の研究の1つとして,その資金. (14) 松川禮子「小学校英語活動の何を評価するのか」. 援助のもとで行われたものである。ここに記して感謝の.   『英語教育』2004年5月号,pp.21−23,2004b. 意を表す。. (15) 松川禮子「小学校英語活動の現在から考える」大   津由紀雄(編著)「小学校での英語教育は必要か』慶.          一参属文献一.   応義塾大学出版会,東京,pp.17−44,2004c. (1) 大津由紀雄,鳥飼玖美子『小学校でなぜ英語?一. (16)(14) 再掲.   学校英語教育を考える一』(岩波ブックレットNo.. (17)(2) 再掲.   562)岩波書店,東京,2002. (18) 大津由紀雄「小学校での言語教育一「英語教育」. (2)大津由紀雄「公立小学校での英語教育一必要性な.   を廃したあとに」大津由紀雄(編著)『小学校での英.   し,益なし,害あり,よって廃止すべし」大津由紀.   語教育は必要ない』慶応義塾大学出版会,東京,pp..   雄(編著)「小学校での英語教育は必要か』慶応義塾.   141−160, 2005.   大学出版会,東京,pp.45−80,2004. (19) 山岡俊比古「英語科教育の目標について一心理言. (3)津田正「君と世間との戦いでは世間を支援せよ!一.   語的分析一」『教育学研究紀要』第二部,第45巻,pp..   世闇の期待と公立の小学校英語教育」大津由紀雄.   139−144, 2000.   (編著)『小学校での英語教育は必要か」慶応義塾大. (20) Canale, M.,&Swain, M. Theoretical bases of.   学出版会,東京,pp.213−229,2004.   communicative approaches to second正anguage teaching. (4) 鈴木孝夫「日本人はなぜ英語ができないか』(岩波.   and testing..4〃1’θ4五’ηg〃競’c5, VoL l, pp.1−47,1980.   新書622)岩波書店,東京,1999. (21) Guasti, M. T. Lαηg〃αgθオog〃繍’o〃」η∼θGγow酌(ゾ. (5)渡邉寛治「国際的視野に立って,積極的にコミュ.   Grα〃朋αr. Cambridge, MA:The MIT Press,2002.   ニケーションをはかろうとする態度を育てよう!」. (22) Tomasello, M. Coη3伽。伽gα加ηg〃αgε」二三αgθ一.   和田稔(監)『小学校英語教育AtoZVo12 国際.  Bα5θゴ 跣θoり2(ゾ加η9㍑α9ε.4cg厩3漉。η. Cambridge,.  理解学習早わかりガイド』 開隆堂出版,東京,pp..   MA:Harvard University Press,2003. 一85一.

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