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チャイナタウンのない都市、ニューデリー (特集 チャイニーズ・オン・ザ・グローブ)

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Academic year: 2021

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全文

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チャイナタウンのない都市、ニューデリー (特集

チャイニーズ・オン・ザ・グローブ)

著者

原島 梓

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

202

ページ

25-26

発行年

2012-07

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00003928

(2)

  インドと中国。経済規模や人口 等、多くの面で比較されることが 多く、日本人にとって両国の関係 は密接であるとのイメージが強 い。しかし驚くべきことに、実際 には、筆者が居住しているインド の首都ニューデリーでは、街中で 中国人を見掛ける機会はほとんど なく、むしろ韓国人や日本人を見 掛ける機会の方が多い。 もちろん、 ニューデリーにはチャイナタウン は存在しない。   しかし 、インド全土を見ると 、 二〇万人程の中国人およびチベッ ト人が居住しており ︵本稿では 、 漢民族を中国人、チベット族をチ ベット人と呼ぶ︶ 、この数は圧倒 的に韓国人、日本人を上回ってい る︵詳細は表 1を参照︶ 。ただし、 その内訳を見ると、チベット人が 約一〇万人、中国人も約一〇万人 と、チベット人がその半数を占め ている。   そこで本稿では、チベット人と 中国人それぞれに分け、インドと の歴史関係を探ると共に、両民族 のインド、とりわけニューデリー における活動を追っていく。   始めにチベット人について言及 したい。インドに居住するチベッ ト人の人口がこれほどまでに多い 理由に関しては、歴史を紐解かね ばならない。   一九五〇年代後半に中国国内で 起きた ﹁チベット動乱﹂ を契機に、 ダライ・ラマ一四世はインドへ亡 命した。この際に約一〇万人のチ ベット人もインドへ亡命してい る。現在、全世界の亡命チベット 人の数は約一三万四〇〇〇人であ るが、その大部分がインドに居住 している。   ダライ ・ ラマ一四世は、亡命後、 インド北西部のヒマーチャル・プ ラデシュ州のダラムサラに亡命政 府を樹立したが 、それ以外にも 、 インド南部カルナータカ州の数カ 所に大規模なチベット人難民入植 地が拓かれた。そのなかでも最大 の入植地は、三〇〇〇エーカーも の土地を有するバイラクッペであ る。亡命の際に、インド政府から 借り入れた土地であり、ここには 現在約一万六〇〇〇人が住んでい るが、その大半の約一万一〇〇〇 人は僧侶や尼僧、出家を目指す若 者である。   筆者の居住するニューデリーに おいても、公共交通機関やショッ ピングセンターで袈裟姿のチベッ ト僧を見掛けることもあり、また ニューデリーにはチベット料理の レストランも存在する。今年三月 二六日には、ニューデリーにおい て中国に抗議するために亡命チ ベット人男性が焼身自殺を図り死 亡するという事件も起きており 、 ニューデリーでは様々な面におい てチベットを身近に感じることは 多い。   次に中国人に関して見ていきた い。一八世紀以降、インドと中国 の貿易が盛んになるに従い、多く の広東人が貿易のためにインドを 訪れるようになり、インド、とり わけコルカタに定住する中国人も 現れた。一八五八年のコルカタの 中国人の人口は約五〇〇人であっ たが 、その後 、人口は増え続け 、 第二次世界大戦直後の一九四七年 には、その数は一万六〇〇〇人に

チャ

ない

特 集

チャイニーズ・

オン・ザ・グローブ

表1  インドおよびニューデリーに居住する中国人、 チベット人、韓国人、日本人数 インド全体 ニューデリー 中国人およびチベット人 約196,000*1 ―  うち中国人 約96,000 ―  うちチベット人 約100,000*2 ― 韓国人 9,860*3 約5,000*4 日本人 4,501*5 2,505*5 (注) 1)2007年、僑務統計年報。    2)ダライ・ラマ法王日本代表部事務所ホームページ。

   3)2010年、Ministry of Foreign Affairs and Trade, Republic of Korea。    4) The Daily Star記事(2007年3月11日)およびMint記事(2012年4月9

日)より筆者推計。

   5)2011年、外務省「海外在留邦人数調査統計」。

(3)

達し、 その後も増加傾向を見せた。   しかしこうした状況は、一九六 二年一〇月の中印国境紛争の勃発 と共に一変する。国境紛争勃発後 インド政府が一部の中国人に国外 退去を命じた他、一部中国人を収 容所に抑留したこともあり、一九 六〇年代末までにインド在住の中 国人の多くは、ヨーロッパ・オセ アニア・北アメリカなどへ移住し た。その結果、一九七一年にはそ の人口は一万一〇〇〇人あまりに まで減少した。 しかしその後、 徐々 にその数は回復し、一九八〇年代 には二万人程にまで増加した。   中国人の大部分は、インド第三 の都市コルカタに居住しており 、 コルカタはインドで唯一チャイナ タウンを有する街である。このよ うに中国人がコルカタに集中して いる理由としては、一九一一年に 首都がニューデリーに移転される までコルカタはインドの首都で あったこと、貿易港として発展し ていたことなどが考えられる。   コルカタに居住する中国人の出 身地別の内訳を見ると、広東省出 身者が最も多く、全体の約八〇% を占める。職業構成は、皮革業と 皮革を原料とする靴製造業に従事 する人の割合が最も高く、次いで 歯科医、雑貨、大工、小資本の商 業等がある。皮革業と靴製造業が 発達した要因としては、インドや 隣国パキスタンにおいて原料の牛 皮や羊皮などが豊富であったこ と、ヒンドゥー教のカースト制度 によれば 、靴製造の仕事は指定 カーストの仕事とみなされている ため、比較的競争が少ない産業で あったことなどが考えられる。   皮革業に従事する中国人の数が 多いため、一九九六年にインド最 高裁判所がコルカタ市内での皮な めし工場の操業を禁止したこと は、中国人社会に大きな影響を与 えた。これは、環境汚染の原因と なる産業に関し、コルカタ市内で の操業を禁止し、郊外への移転を 決定したものである。この決定を 受け、それまで皮なめし工場を操 業していた中国人のうち約三〇% は工場を郊外に移転したものの 、 残り七〇%は工場の廃業に追い込 まれた。こうした人々は、その職 業を、皮革業から中華料理店の経 営等に変えている。   中国人の大部分がコルカタに居 住しているため、筆者の居住して いるニューデリーにおいて中国人 を見掛ける機会は少なく、韓国人 や日本人を見掛ける機会の方が多 い。ニューデリーに居住する中国 人の数は把握できていないが、韓 国人は約五〇〇〇人、日本人は二 五〇〇人であるため︵詳細は表 1 を参照︶ 、 中国人の数はこれより も少ないものと推測される。 また、 諸外国の主要都市と比べ、ニュー デリーでは中華料理店の数も圧倒 的に少なく、その味もインド風に アレンジされており、あまり美味 しくはない。ここまで中国の存在 感が薄い大都市も珍しいだろう。   ニューデリーに進出している中 国の企業数も、日本や韓国に比べ て圧倒的に少ない。ニューデリー に拠点を設けている中国企業の一 例としては、家電メーカーのハイ アール社や、発電機メーカーの大 手である上海電気集団が挙げられ る。また、ニューデリー近郊の新 興都市グルガオンには、通信産業 関連のZTE社やファーウェイ社 も拠点を置いている。インドの急 速な経済発展にともない 、現在 、 続々と外国企業がインドに進出し ているため、今後、多くの中国企 業がインドに進出するものと予想 される。それにともない、ニュー デリー市内にも中華料理店が増 え、当地でも美味しい中華料理が 食べられる日が来ることを心待ち にしたい。 ︵はらしま   あずさ︶ ︽参考文献︾ ● 山下清海 [二〇〇九] ﹁インド の華人社会とチャイナタウン   ︱コルカタを中心に︱﹂地理空 間、 二巻、 一号、 三二︱五〇ペー ジ。 ︽新聞記事︵新聞名 Mint ︶ ︾ ●

Long ing to Return to a Free Land

  二〇一二年四月五日。 ●

A Shrinking Community

  二〇一二年四月一一日。 ︽ホームページ︾ ● ダライ・ラマ法王日本代表部事 務所ホームページ︵二〇一二年 五月三日アクセス︶ 。

26

アジ研ワールド・トレンド No.202 (2012. 7)

参照

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